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酸素を外しても呼吸できるよう、リハビリ開始一日2時間から始めは一生懸命息をしましたが1週間くらいかけてだいぶ気にならなくなってきました今日は午前2時間、午後2時間くらいで入浴ケア中の90分チューブなしだと仕事もスムーズです同時に車いす座位も時間を少しずつ延ばして今のところ2時間までクリア3時間できると通所の日中活動もスムーズなのであと少しです昔より回復に時間を要するようになったと思うそんなとき自分はもう下り坂なんだな、と寂しい気持ちになるけれど、震災や戦争の話をきけばなんのまだまだ、と思い直す紛争地の病院で酸素吸入が必要な子供だけを残してすべて撤退したという酸素がなくなったら私たちはどうするの、と母親が泣いていたあれから1週間は経つ1週間酸素に助けられた私と紛争地の子供世界は不公平だそれでも自分にできることにまい進するしかない大人病棟に一人で入院して一番困ったコミュニケーションのこと困難が多い私の生活もたくさんの支援で一つ一つ解決され今に至る時間も人でもかかっているそれでも一番最後に残るのがどうやって気持ちを伝えるかということ入院という状況は治療が第一目的なので専門のスタッフはデータや観察を手掛かりに適切に対処してくれますそれはとても安心ですでも入院も生活なので長い一日の時間の間に伝えたい様々なことの大部分が伝えられなくなる一般病棟は言葉で伝えられることが前提なのでスタッフももちろん言葉を頼りにするそのうえで、その人の性格や、それまで身に着けた技でなんとか私を知ろうとしてくれます数少ない出会いだったとはいえ、案外、若い看護師さんはたくさん話しかけてくれたし仕事の中にも「その人」が感じられたベテランさんはきっと業務の責任も多く、仕事にたいする慣れもあってかサクサクと手際よい自分から発信手段がないので、顔を見てくれたり、身体的な反応を待ってくれる人には全力で目力を発揮した!案外これが通じるものだベッドの都合で小児科の観察室に移動するとそこには昔からの保育士さんや子供に慣れた看護師さんが多く言語外コミュニケーションがよく通じたそれでも、少子化で重度の子供はほとんどいなくて混合病棟になった小児科では赤ちゃんの泣き声もきかれなくなり、保育所のようにわいわいと入院生活していたころが懐かしかった24時間の親の付き添い、訪問授業、ボランティア、病棟行事などなど楽しい入院生活だった子供時代の理学療法士さんと20年ぶりに再会したり、一日15分の面会時間につたえたいことをメモにしておいたり、アイパットで安静時間を過ごせるようにしたり、できる工夫はしてみたけれど2週間でくたびれてひたすら寝ているうちに頭も体も寝るモードに慣れてしまって、何かをしようという意欲もなくなったこうして人体の生きるセンサーがあっという間にダウンする体験してこれは退院するしかないぞ、と強く決意したのでした子供のときに聞いた座敷牢に入れられた重心の子は同じ栄養を与えても発育せずやがて死んでしまった、という話を思い出した考えてみると生まれて初めて一人旅にでたようなものだった人間は誰かとかかわらないと生きていけないことがよ~くわかった
2025.02.27

常時酸素吸入をするようになって呼吸が少し楽になってきました。長いチューブがブラブラするのは介護の人には面倒をかけるけれど携帯ボンベをもって通所施設もサクッと利用できたし入浴もいつものようにできたので改めて普通の日常のありがたみを感じました1週間に2ポイントくらいずつ酸素飽和度が良くなってきた昔より回復に時間がかかるようになったとはいえずいぶん頑張って息をしてきたのかも、とありがたく思います熱発外来に駆け込んだときは久しぶりの9度台だったので肺炎を疑いいろいろな検査をしたすぐ隔離室で待機し、MRI検査も懐かしいほど久しぶりみんなマスクやエプロンで厳重に感染対策が物々しい感じスムーズに問診や検査が進むうちにで不安は少なくなっていった看護師さんの採血が上手だったからだな隣の患者さんや看護師さんから聞こえる会話もいかにも救急!きっと私もだなあ~、、、といろいろと想定しながら待つ80台になっていた酸素飽和度で先生には入院をすすめられたが「いやああ~~~できれば家で・・・」という母の押しでいったんかえってきた結局観察3日にやせ我慢の2日を足して息苦しいのにくたびれて自分でギブアップの入院となった入院までの流れと診断の判断には患者と医師と家族が話し合うが3度受診するうちに主治医を含め複数の先生とお話をしてみると判断がびみょ~だったことがわかる先生はどっちでも親はできれば家で私は泊まりますてな具合に、最後は本人の希望を受け入れていただきありがたいことでしたというわけで、ある程度の想定の中にその都度大切なポイントがあり自分で判断したからには予想される多少の不便はガマンしようと覚悟していたなにが不便ってズバリ!私ひとりでは「通じない」ことさあ、どうやってすごす?の話はまた次回
2025.02.22
早くも退院して6日目になった始めの3日はものすごくくたびれてほとんど目を開けられなかった家族が話しかける声も遠くて体中のどこにも力が入らなかった呼吸も苦しくてなかなか飽和度が上がらなかった(ようだ)とにかく寝ることにした数字が出るということは手がかりになるけれど人によっては不安の材料にもなる父はいちいち低い低いと自分の不安を言葉にするし母はそれを聞くのがストレスでいちいち計測するのをやめてしまった私はまな板の上のコイなので希望を伝えるサインも出せないのだが苦しいけれどまあそのうちあがるだろうくらいに思うことにした数日たって少しずつ目力のサインが出せるようになるようやく姿勢や呼吸の力具合を自分なりに試してみることができるようになるとはいっても病院と自宅の刺激が全く異なる院内は退屈だけれど療養に専念するという特別な環境だったということだなここ数か月明け方に緊張が強まりよく眠れなかった今それがなくなってみると呼吸の力が少しずつ弱くなっていたのかな、とも思う明日退院診察だ先生に聞いてみよう
2025.02.11

ただいま~雪景色の中、昨日退院してきました16日ぶりの我が家はやっぱり落ち着きますう~今回は在宅酸素を再開することになり酸素ボンベと酸素濃縮器が再デビューしました久しぶりですが、このところ呼吸が苦しいときもあったので息が楽なのでとても安心だこれからコンフォライフ(フィリップス)ちゃんを相棒に日常生活復活目指してがんばるよ(^^♪
2025.02.07

病室からあっという間に2月!大人になると月日がひとっとび、と聞く通りですちかごろぼんやりしていると次々に月曜日がくる正月気分でのんびりしていたら家族が次々に風邪をひき、最後に私もありがたく頂戴した急な寒さだしね、とみんないつもとどおり、、、すると急に9度台の初熱があり、あれよあれよと入院することになりましたそれでも初めは抵抗して自宅療養しようとチャレンジしたのですがかれこれ2週間、久しぶりに病室でまったりと過ごしています新体験、というのは熱発外来(救急)を体験したことと大人一般病棟の一人個室ですごしているということ面会は一日15分なので、家族が来てくれたときにダッシュで会話することにしています再び「通じない人」になってみると懐かしいことも大丈夫なこともあるひとまず、寝る、寝る、寝る、で時間を稼ぐことにする改めて、いつも会話と通訳してくれる人が近くにてくれるのはなんと便利か!と思い知る2月はこんなところから「重心の単独入院」について考えてみますね
2025.02.01
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