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知合いの話なのでぼかして書く。仮にAさんとする。Aさんは有名大学を卒業した後、難関国家資格取得のための勉強をしていたのだが、それも10年ほどであきらめ、その後は定職につかずに暮らしている。父親は数年前に亡くなったのだが、母親との関係は良好で、時々は一緒に旅行に行くこともあるという。大学卒業後、就職をしないことについて、両親は何も言ったことがない。裕福そうな家で不動産収入だけで暮らせるのかもしれないし、何か他の背景があるのかもしれないが、そのあたりのことはわからない。ニュース報道だけをみると、中年の無職の娘息子をかかえた家庭は皆爆弾を抱えているようにも見えるのだが、実際にはAさんのように中年の無職の娘息子が親と良好な関係を結んで、平穏に暮らしている家庭と言うのもけっこうあるのかもしれない。ちなみにAさんは男性である。考えてみれば家族の形も時代によって変わる。農家などに5人も6人も子供が生まれ、その子供らが皆成人するなんていう家族の形は明治後期から昭和戦前にかけての非常に特異な世代だけのものだったのではないか。次の世代では勤め人の家庭で2人か3人兄弟で育つというライフスタイルが多くなっていく。そしてさらにその次の世代あたりで急速な未婚化が起きるわけである。考えてみれば兄弟が多くいて、しかも、長男が親と同居するという家庭では、いつまでも未婚で家にいるというのは難しい。いくら広い農家の家でも成人した人間が何人も住めばさすがに狭いし、ましてや兄嫁が家にやってきて子供も生まれれば、成人した兄弟は家を離れるのが普通であった。それが次の世代になると事情は変わり、成人しても実家の居心地はずっとよくなる。親は頑張って郊外に広い一戸建てなどを建て、立派な子供部屋も作ってくれた。平均寿命も延びたので、子供が成人しても元気な親も多い。そうやって成人した子供と老親とが暮らす家族形態と言うのが非常に多くなっている。それでも、子供が無職の場合は年金だけでは苦しいという場合があるのかもしれないが、子供が勤めていていくらかの給料を入れてくれる場合には、親子ともに生活費が助かり、金だけをみればWINWINとなる。子供は居心地の良い実家に居続け、親は健康であるかぎり子供との暮らしを生きがいにする。なんかそういう家族が最近では多いのではないのだろうか。親はいつかはいなくなる。遺されたのが子供一人だと高齢単身世帯になるのだが、兄弟が二人とも親との同居を続けたような場合には老兄弟世帯となる。最近ではそうした兄弟の世帯が少しずつ増えているという話もある。それにしても、いくら実家が居心地が良くても…人間は生物である限り、成人すれば繁殖の相手を求め、次の世代を作ろうとする。人間以外の動物はすべてやっていることで、人間にもそうした本能はインプットされているはずだ。だからこそ、恋愛は永遠の芸術のテーマであり、関心事のはずなのだが、最近はどうもそうでもないのかもしれない。人気アニメの「葬送のフリーレン」にこんな言葉がある。我ら滅びゆく種族、生殖の方法などとうに忘れてしまった。
2024年04月04日
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小説を読む楽しみの中には物語を追うだけではなく、そこに描かれている時代や社会を知る興味もある。「白い巨塔」第四巻を読み終わったが、昭和40年という記憶にある時代であっても、今とはずいぶん違うことにあらためて驚く。まず、物語の主要登場人物の佐枝子は大学を出た後、特に勤めをしていない。家には女中もいるので家事手伝いというわけでもない。その彼女は元看護婦からは「なに不自由ない身の上」と言われる。佐枝子は主人公財前の恩師である東教授の娘で特に資産家の娘と言うわけでもないのだが、それでもこの時代、若い女性が勤めを持たないでいてもさほど奇異ではなかった。もしかして、それ以降でも、社会の一部では、ずっと後まで、未婚女性が無職のまま親と同居するという生活形態があり、それが中高年女性のひきこもりという問題につながっているのかもしれないのだが…。次にこれは物語だからかもしれないが、社会にははっきりとした階層があり、医師と看護婦はあきらかに別の階層として描かれている。この感覚がわからないと昔の昼メロで医師と看護婦の恋愛に病院長の娘が絡むという展開は理解できないだろう。医師と看護婦は「身分違い」という恋愛の障壁があったわけである。今では、医師の娘や息子が看護師になっても、さほど奇異とも思わないので、これは理解できない感覚である。また、この物語には、いわゆる看護婦、女中、水商売以外で仕事をする女性はでてこない。医師夫人は専業主婦であり、夫人同士の会合があるが、そこでの序列は夫の地位である。よくいわれるように女性の地位が低いというよりも、女性の地位は夫によったわけである。それ以外でも、レントゲン写真で名人芸のように病巣を診断するなどMRIやCTのある現代では隔世の感があるし、癌の場合に病名を患者に知らせないというのも今とは違う。しかし昭和40年代といわなくとも、昭和の終わりくらいまでは癌の場合、本人に知らせないことが普通であった。
2024年04月03日
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昨日あたりから桜も咲きすすんでいるようなのだが、どういうわけか満開に近い木とほとんど咲きすすんでいない木との差が例年に比べて大きいように思う。自分がそう思っているだけなのだろうか。それとも、温暖化を背景に桜の咲き方自体が変わってきたのだろうか。一方、我が家のテーブルの上の旭山桜。かなりの花が散ってもう終わりだと思っていると、まだまだ小さい花芽がある。思ったより花期が長く、本番のソメイヨシノが散るまでもつかもしれない。ところで唐突に入って来た静岡県知事辞任のニュースだが、きっかけは、県庁の入庁式での挨拶なので、しっかりと音声も残っている。問題になったのは「毎日毎日、野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいは物を作ったりとか、ということと違って、基本的に皆様方は頭脳、知性の高い方たちです」という箇所で、挨拶全文をみればよいことも言っているのに、やはりこの個所はまずいだろう。いまどき、野菜を売るにしても、牛を世話するにしても、ものを作るにしても、相当の知性を必要とする。こうした発言はアドリブで言ったものとも思えず、公人として問題視されることに気づかないわけがない。なにか、最初から辞め時を狙っていたとしか思えないのだが…。
2024年04月02日
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東京では開花宣言をしたというが、我が家の近所の桜はさっぱり咲いている様子がなかった。それが昨日の季節外れの暑さのせいかようやく咲き始めている。桜の開花は一時間単位ですすむ。朝よりは昼、昼よりは夕方の方が咲いている花が多い。開花予想はだいぶ前にでていたのだが、遅れに遅れてようやくという感じである。桜祭りを主催しているところはほっとしているのではないのだろうか。開花の遅れは暖冬のせいで休眠打破が起きなかったという説もある。あまりに冬が暖かいと開花のスイッチが入らないのだという。昔は鹿児島の開花が全国で一番早かったのに、最近では高知あたりが最初となっているのは鹿児島の冬が暖かくなりすぎたためだそうだ。この間、亀山温泉に行ったとき、茂原の桜祭りにも立ち寄った。茂原は内陸で冬が寒いせいか、東京よりも桜は咲きすすんでいたのだが、それでも三分咲きといったところだろうか。弁天池を真ん中にした公園でなかなかよいところなのだが、あちこちでシートを敷いて花見をしている人々もいた。なかには数人のグループなのに、○○市〇門会と幟をいくつもたてているものもあった。また、弁天堂近くには、ちょっと露出多めのコスプレのお姉さんがいて、それをいっしょうけんめい撮影している初老の男性がいた。いったいこの二人はどういう関係なのだろうか、プロという感じでもなかったし…と余計なことを考えたりした。こんな趣のある公園は満開のときにできればきてみたかった。
2024年04月01日
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千葉県の亀山温泉に行ってきた。温泉施設はときどき行くのだが、やはり気に入るのは一見して温泉とわかる特色のあるところだ。この点、亀山温泉は塩分を含んだ黒湯で、温泉気分を満喫できる。東京初め首都圏にはこうした黒湯温泉が多いが、これは関東平野のなりたちとも関係がある。関東平野の海底にある太古の植物の腐食成分が混入するために、黒色を呈しているのだという。こうした温泉は火山性の温泉でないために、もともとの温度は低く、そのため加熱してあるのだが、だいたいにおいて熱すぎないところが多く、これもよい。訪れたのはホテルで日帰り入浴もできるところであったが、そこで食事をすると入浴料は500円となる。食事で注文したのは、そこの名物らしい親子丼だが、サラダとみそ汁、香の物がついて800円だったので、全体では1300円といったところか。ここには、亀山湖を一望できるテラスもあり、ちょっとした旅行気分を楽しむことができた。帰りは東京湾アクアラインを使ったが、海ほたるには、海底トンネル工事のシールド工法につかったカッターがそのままモニュメントとして展示されている。これがちょうど青色にライトアップされていて、このモニュメントのある一角だけ、青い光の中にカッターが光っている不思議な光景になっていた。
2024年03月31日
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あるサプリ商品による健康被害が問題になっている。ここ何年かはテレビでも新聞でもサプリの広告が目立っている。背景には、若者の市場が若年人口の減少と若者自身の酒離れ、車離れ、海外旅行離れと縮小の一途なのに対し、高齢者市場の方は拡大しつつあり、しかも、健康不安を抱えて、サプリ購入もちょっと背伸びすれば手が届くという人が多いためだろう。サプリは厳密な医学的説明もいらないし、年齢の割に若々しい著名人や、効果がありましたよという一般人を広告に使うだけで十分に購買意欲をかき立てることができる。買う方も医薬品のような厳密な効果は期待せず、あの芸能人の〇〇さんが飲んでいるのと同じものを飲んでいるので若返った気がする…という程度のものであろう。いわば気分消費である。ただ、こうしたサプリを飲む場合には前提がある。それは、薬にもならないかもしれないが、絶対に毒にはならないという信頼である。だからサプリといえども、聞いたことのないメーカーのものや機能性食品という表示のないものは、ちょっと購入に躊躇する。なにしろ服用して体の中に入れるものなので、その程度は考えるだろう。それが、今回の紅麹を使ったサプリは名の知られた会社の製品で機能性食品の表示もあった。それが死亡者まででるような健康被害を引き起こしたとなると、この製品のみならずサプリそのものに不安を感じるという人もでてくるのではないか。日常食べる普通の食品と違い、サプリは一見して原料がわからず、そこに未知の製品が入っていたかもしれないとなると、大丈夫なのだろうかと思う。しかも、サプリは医薬品のような効果や副作用について厳密なチェックもなしに販売されているとなるとなおさらである。機能性表示食品制度は2015年、経済成長戦略の一環として導入され、届け出のみで国の審査はないという。使用者が成分等をよく見て、自己責任で服用しろということなのだろうが、野菜や魚介と違い、錠剤やカプセルの形をしたものについて、成分表示だけで判断するのはなかなか難しい。ましてや今回の健康被害については、その原因が紅麹ではなく、未知の成分だなんていうと…。※※最近、野球選手の通訳のカジノ依存症について連日のように報道されている。あんな報道をみるにつけ、日本にカジノを導入しようという人の気が知れない。日本にはすでにパチンコなどがあるではないかという議論もあるが、カジノは金額の桁が大きい。それにパチンコだってすでに依存症が問題となっているのに、なぜさらに日本にカジノを導入しようとするのだろうか。横浜市民はカジノを導入しようとする市長にNOをつきつけ再選を阻止したのに…。
2024年03月29日
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同性婚訴訟に関して憲法上の文言「両性」はかならずしも男性と女性という意味ではなく、人間個人と読むことが法解釈の上では主流になっているという。憲法といえどもしょせんは人間が決めて人間が解釈するものなので、こうしたこともあるのだろう。無限に続く円周率は未来永劫変わらなくとも人間が決める学習指導要領や人間が行う初等教育ではぴったり3にすることができる。法解釈は自然科学ではなく、その時々の世の中の価値観によって変わりうる。今の潮流が続けば、おそらく様々な場で同性カップルが異性カップルと同様の扱いを受ける日も遠からず来るだろう。同性婚については国によっては反対のデモがあるともいうが、日本の場合はそうした動きはない。日本では同性愛は宗教的タブーでもなく、まあ、好きにすればというのが普通の感覚だからだろう。LGBT差別も選択的夫婦別姓も似たようなもので大多数の人はLGBTを差別する気もないし選択的夫婦別姓もやりたければどうぞである。ただ、だからといって普通の人は自民党の「家父長的な家族観」なるものに、もしあったとしてもなのだが、怒っているわけでもない。LGBTだの夫婦別姓だのを自分の一票を決めるための重大なテーマだとは思っていないというだけのことである。こうした同性カップルが制度的に異性カップル同様の権利を得る日がきた場合に考えられることがある。それはルームシェアしている独身者同士が、同性カップルとして届け出るという動きがでてくるのではないかということである。外形的には同性の二人に性的関係があるかないかなんてわかりようがない。婚姻関係に入ることで、配偶者手当を貰える、公団住宅に入居しやすくなる、結婚休暇がとれるなどの利点があれば、その利益を得ようとするわけである。こうしたものについて制度の悪用とみる見方もあるが、次のような反論もあるだろう。ルームシェアするほどの紐帯がある者同士には、それ相応の精神的なつながりがある。なぜ性関係の有無で差別するのだろうかと。
2024年03月28日
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この頃、毒親とか親ガチャとかいう言葉をよく目にする。毒親はもちろん親ガチャという言葉も多くの場合、親ガチャにあたったというよりは、外れたという立場で語られることが多い。また、児童虐待も、ニュース種になるような酷い事例もあるが、それだけでなく、親が子供に勉強を強要するような例も「教育虐待」に当たるというように、親の虐待の範囲もどんどん広がっているようだ。あたりまえだが、完璧な人間などいないし、親だって同様だ。いたらない点は多々あるし、子供にだって申し訳なく思うことだってあるが、それをもっていい年をした大人が自分の親は毒親だったなんていうのはどんなものだろうか。いい思い出ばかりではないにしても、一人の人間を赤ん坊から大人になるまで育てる苦労はなみたいていのものではない。そしてもっと腹が立つのは親ガチャという言葉だ。まあ、健康に生んでもらって大人にまで成長して、思い通りにならない人生を親のせいにすること自体、精神がふやけているとしか思えないのだが、こういう言葉を使う人の親ガチャ当たりとは何をいうのだろうか。働く必要のない資産家とか〇〇二世といったものも世間にはあるが、そんなものはごくごく少数だろう。そうではなく、望む学校に入れなかったり、望む職業につけなかったりしたのは親に金がなかったせいだとなると、まったくもって何を考えているのだろうか。ろくに努力もしてこなかった人間が、それを親のせいにしているとしか思えない。よくいわれる学力と親の所得との相関関係なるものも、あくまでも統計として見た全体的な傾向であり、単に偏差値的能力に恵まれた子の親は偏差値的能力に恵まれている場合が多いというだけのことではないか。こうした親子の能力の統計的相関はスポーツや音楽の才能でもみられることだろう。ただ、偏差値的能力に恵まれている親は医師や大企業管理職などの高収入の職についている場合が多いというだけのことである。相関関係と因果関係を混同してはならない。毒親だとか親ガチャだとかという人は、おそらく親になんかしてやろうなんていう概念はもちあわせていない。それどころか、成人してからも、親がなんやかんやで支援をするのを当然だと思うのかもしれない。こんな言葉が蔓延するような時代…ますます少子化がすすむことは間違いない。
2024年03月27日
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「白い巨塔」をようやく第三巻まで読み終わった。主人公の担当した手術についての医療訴訟の第一審が終わったところなので…結末を知っている人はいわないでほしい。この小説がかかれた頃には医療過誤というのは社会問題になっていたのだろうか。現在も医療訴訟はどこかで起きているのかもしれないが、患者の遺族が主人公を医療過誤で訴え、それが大報道されるというのは、今ではちょっと考えにくい。小説では、主人公の財前医師が胃癌患者の手術前の肺の断層撮影を行わず、そのため肺癌の転移を見落とし、手術は成功したものの、患者はその後、肺の容態が悪化して死亡する。当時は癌といえば不治の病という認識が強く、癌患者には告知しないのが普通であった。この場合、もし肺癌の転移に気づいたとしても、それにより胃癌の手術を先延ばしにすれば、結局、患者は胃癌でなくなったのではないか。また、胃の手術と肺の転移巣の悪化との関係は現代の医学ではどこまで解明されているのだろうか。たしかに、なんらかの刺激を与えて癌が急速に悪化するという話は聞くので、そうした事例がないわけではないが、確率の問題なのかもしれない。こうした場合、現代では患者に病名を告知した上で、あえて手術をすれば転移巣が悪化して生命を失う危険があるが、完治の可能性もある、逆に手術をしなければ、寿命は多少伸びるにしても、結局は胃癌で死亡するということで、患者に選択を任せるのではないか。いくら患者の遺族から見て医師の態度が不誠実であり横柄にみえたとしても、この昭和40年頃の時代に、これで医師の責任を問うのは無理なように思う。そういえば今でも医療訴訟のニュースはたまにみかける。中には酷い病院もあるものだというのもあるが、不適切な治療で90歳代の老母が死亡したというのになるとどうなのだろうか。あたりまえなのだが、人はいつか死んでいく。人が死ぬたびに、病院が悪い、施設が悪いということになると、医療や介護に携わる人々の負担は増えるばかりのように思う。
2024年03月26日
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埼玉県坂戸市の北浅羽桜堤公園に行ってきた。公園内には200本の安行寒桜が植えられており、今がだいたい見ごろとなっている。ソメイヨシノよりやや紅いが河津桜よりは淡く、そして河津桜とは違って大木となる。先週まで桜祭りがあったようだが、ちょっと祭りの時期が早すぎたのかもしれない。暖冬だったのだが三月は寒い日が多く、開花が遅れたのかもしれない。桜祭りにはこれがある。着いたのが夕方近いということもあったのだが、さほど混んでもおらずに、ゆっくりと花を楽しむことができた。ただ、場所が越部川の堤防沿いなので、堤防に登って桜を上から見ようと思うと、堤防に登る足場が少ないのは要注意だろう。堤防の上の遊歩道は整備されているのに…と思う。河津桜はとうに葉桜となり、本命のソメイヨシノの開花前に、花見を楽しめるのがうれしい。戦後に自然交配によってできたという河津桜も今ではあちこちで見かけるようになり、本場の河津以外にも、神奈川の松田山や千葉の八千代などの名所もうまれている。河津桜よりも、さらに開花の速い品種としては土肥桜や熱海桜もある。そのうちソメイヨシノに特化した開花宣言や桜前線といった言葉も消えてゆくのだろうか。それでもやはりソメイヨシノは特別な品種でありつづけるのだろうか。我が家の旭山桜もほぼ満開を迎えている。外で見る桜もよいが、家の中の桜もまたよいものである。
2024年03月24日
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終戦直後の日本をゴジラが襲う。実際にはそんな事実はなかったわけなので、一種の架空世界の物語である。ゴジラにより空襲による破壊を免れた銀座の街は壊滅し、海軍の生き残り達がそれに立ち向かっていく。ゴジラは一種の破壊神で、災害の暗喩という見方もできる。それは、原爆のようでもあり、震災のようでもあり、いつかやってくるであろう首都直下地震のようでもある。なお、日本では人災である空襲も災害のようにとらえられている。それに対する元海軍軍人の中心は技術士官であり、ゴジラ撃退のために作戦を練っていく様子は、プロジェクトXを連想させる。戦争はまず高等教育を受けていない若者から動員され、そして学徒出陣も法文系の学生から行われた。軍隊でも技術系の人間は比較的安全なところにいた。そうして生き残った技術系の人材はどっかで戦場で死んだ同世代の者に対する負い目のようなものがあったかもしれないし、無謀な戦争を行った国家というものに対する不信感もあったであろう。戦後の復興はこうした技術系の人材なしではありえなかった。航空機や武器を作る技術は自動車や他の製品開発にも生かすことができたし、そうした優れた製品が日本に繁栄をもたらした。ゴジラが海に沈んでいく最後の場面は、終戦直後の荒廃や飢餓を克服していったことに重なる…こんな見方は考え過ぎだろうか。なお、俳優の吉岡秀隆氏は昔「半落ち」という映画をみたときには下手な俳優(もちろん主観)という印象をもっていたのだが、この映画では非常に上手いという印象しかない。そういえば映画「Winny」でも脇役ながらよい演技をしていたのを思い出した。
2024年03月22日
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今日は地下鉄サリン事件から29年になる。朝、日比谷線で異臭が発生したというニュースが流れ、そのうち何人もの人が倒れているということになると、これはただごとではないと思った。その日は午前中の出勤を見合わせた人もいたという。この事件については事件関係者の裁判も終わり、死刑確定者の執行も終わったので、歴史の一部になりつつあるのかもしれない。ただ、事件が宗教団体によるものと判明してからは「マインドコントロール」論者がマスコミをジャックしたような現象が起こり、事件は社会に反感を持つ一人の悪魔的人物と彼にマインドコントロールされた人々によるものという印象がふりまかれたように思う。たしかに異例の数の死刑確定者がでたのだが、その一方でサリン実行犯の中には最初から無期懲役を求刑された者もいたし、一審で無期懲役判決がでたものもいた。地下鉄サリン事件のリムジン謀議の場にいながら全く刑事責任を問われなかった者や微罪ですんだ者もいる。そして一般信者の中には本を出版して評論家のような活動をしていた者もいた。「マインドコントロール」論は教祖以外のテロ実行犯や信者達にはやさしく作用したのではないか。人格の解凍、再凍結などといったマインドコントロール論は理解不能だし、もしも、そんな人間を操る技法があるのなら、とっくに商業や軍事などの分野に応用されているだろう。実行犯自身の手記「オウムと私」や「悔悟」を読んでも、マインドコントロールされたことは否定しているが、犯罪に至る心理はそれでもわからない。特に「オウムと私」ではサリン散布のために地下鉄に乗ると父の形見のコートを着た自分の姿が窓に写っていたという。そのときに少しでも翻意を考えなかったのだろうか。それとも、サリン事件を実行する頃には実行犯達は本当にオウムが政権を取るとでも思ったのだろうか。別の死刑となった実行犯は、文武両道の優等生で友人も多くボランティア活動も行っているような青年だった。それが出家後わずか二か月で弁護士一家殺害に関与し、幼児殺害に手をそめた。人間というものは、集団になると個人ではとうてい考えられないような行動を行うという特性があるのかもしれない。国家や企業が行う犯罪的行為であっても、手をそめた人々は往々にしてよい友人であったり、立派な家庭人であったりする。集団…といえば、最近、起きた某大学生のサークルによる旅館損壊事件というのもわけがわからない。障子を破くなんてことは子供だって普通はしない。これも理解不能な行動である。
2024年03月21日
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一説によると現生人類と旧人類との差は噂を信じる能力の有無であるという。噂を信じることで人は大集団を形成し、その大集団で文化が伝播し、やがては文明が生れた。おそらく人類の黎明期とともにあった宗教や人類最古の職業の一つである王。こうしたものの権威も噂に基づくもので、集団のほとんどの人々は王に接したこともなければ、神をみたわけでもない。それでも宗教や王の権威で大集団が形成されたのは、多くの人が見たこともない神、会ったこともない王のありがたさを噂として信じたからだろう。今では情報も発達し、現代人は古代人が想像もできないほど、多くの知識を得ている。雲の上に人間と同じような姿の神様がいると信じている人は少ないだろうし、王制を維持している国でも、王様が他の人間とは違った能力をもっていると信じられているところはあまりないだろう。それでも宗教は当分の間は消えそうにないし、王制を維持している国も減ってはいるものの、残存している。そうだとしたら、現生人類には噂を信じる能力の他にもう一つの能力があるのではないか。つまり本当は信じていない噂を共同体の秩序維持のために温存する能力である。つまり、神様はたぶんいないと思うけど、いるということにしておこうというわけである。人が大集団を維持するためには、なんらかの共同幻想が必要であり、そして時にはそうしたものを信じていなくても信じているふりをすることが必要なのかもしれない。
2024年03月20日
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いまさらながら「冬のソナタ」をみている。このドラマがブームになった頃には、実は韓国ドラマには否定的な印象をもっていた。設定にとにかく無理があり過ぎで、特に、記憶喪失ならともかく、別の記憶を注入などそれはありえないだろう。それに、ヨン様は大人気だったけれど、あのスタイルはほとんどコスプレだし…。しかし、実際に観てみると、音楽や画面の美しさなどブームになるだけのことはあるなと思う。一枚の写真をたよりに実の父を探しに転校してきた少年。しかし、写真で母親と並んでいる男性は二人いる。いったいどちらが実の父なのだろうか…というわけでこの謎は最後までひっぱる。男性の一人は恋人の父親で、もしこちらが実の父なら恋人は異母妹になってしまう。ストーリーは愛する二人に、異母妹疑惑だけでなく、次々と恋の障壁が襲いかかるという展開。はたして二人は結ばれるのか。なんとなく懐かしい物語である。それにしても、ヒロインには、婚約式をすっぽかしたり、仕事ではプレゼンを放棄して帰ったりと、どうかと思う行動が多いし、つっこみどころは多々ある。ただこうした大時代で古めかしい物語を、思いっきり綺麗な映像や音楽とともにドラマ化したので、大いに人気を博したのだろう。韓流ドラマも、記憶喪失、難病、交通事故、出生の秘密などがからむどろどろの愛憎ドラマが多かったのだが、最近ではwebトーンというスマホで読む漫画を原作としたものが多くなって傾向が変わってきたようだ。韓流ブームの原点である「冬のソナタ」を見てそんなことも思った。
2024年03月19日
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桜にもいろいろな品種があるのだが、旭山桜という盆栽用の品種を買って二月から家で育てて?いる。最初は全く変化がみられず不安に思っていたのだが、十日ほどすると緑の芽が出始め、昨日からは花が咲き始めている。今のところ二日に一回くらいの水やりだけで、さほど手間もかからず、これで家でもお花見が楽しめるのだからうれしい。まだまだ寒い日もあるのだが、もうすぐ花見の季節も始まる。今年はどこに行こうか…と今から楽しみである。考えられる場所としては、飛鳥山公園、箱根山公園、神田川、目黒川、靖国神社、隅田川、井の頭公園など。このほか、上野公園や千鳥ヶ淵もあるのだが、人波がすごいだろう。そして東京の花が終わると、桜前線は関東平野を北上する。車を走らせながら桜を探すのも楽しい。時には見る人がほとんどいないのに見事に咲いている桜があったりする。机の上のささやかな旭山桜を眺めながら、思いは早くも今年の花見へと…。
2024年03月18日
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最近、福田村事件という映画が話題になっている。関東大震災の直後の混乱の中で、香川県からやってきた行商団15人のうち幼児や妊婦を含む9人が、千葉県福田村と隣の田中村の自警団により殺害されたという実話に基づいた映画である。この事件そのものはながらく忘れられていたが、人権団体により事件の調査が行われ、2003年に慰霊碑が建立されたという。映画そのものは見ていないのだが、福田村事件というのは印象に残っていたため、千葉方面に車を走らせていた時、スマホの地図に福田村事件慰霊碑とあるのを見つけ、まよわず訪れることにした。ところが地図の指定する場所にいってもそれらしいものはみあたらない。すぐそばに空き地はあるのだが、公園という感じでもないし、慰霊碑らしいものもない。イメージとしては公園や道路わきに碑が立っている光景を想像していたのだが…。もう一度、辺りを見回してみると、塀の上に観音像が立っているのがみえる。塀に沿って道を上ってみると、そこは寺になっていて、観音像は墓地の一角にあるようだ。観音像は慰霊碑とは関係なかったのだが、寺に入ってみると、慰霊碑はその隣の霊園にあった。表には福田村事件追悼慰霊碑とあり、裏には犠牲者の名が刻まれている。ただ、慰霊碑の前には撮影禁止の注意書きがあり、誰にどう配慮したものかと不思議に思ったのだが、被害者の行商団が差別されていた人々だったということとも関係があるのだろう。行商団が殺害されたのは、朝鮮人に間違われたのだと言われる。しかし、当時の行商団というのは、村人からすればよそ者であり、震災後の不安な心理の中では得体のしれない人々とうつったということも考えられる。誰かが興奮して敵意を向けると、付和雷同するという集団心理もあったのかもしれない。慰霊碑にはただ名が刻まれているだけで、この人々が殺害されたという事実には一切ふれていない。慰霊碑表面の「福田村事件」という記載から、単なる事故や災害ではない、なにかがあったということが推測できるにすぎない。考えてみれば、福田村事件は、地域にとっては負の歴史である。時間が経過したとはいえ、できれば忘れられていた方がよいと思う人もいるだろう。殺害の背景についても、本当に朝鮮人と間違えたのか、行商団という人々に対する別の意識があったのかも検証のしようもない。従って書き方も難しい。さらに推測してみれば、慰霊碑の場所が殺害現場となった場所や道路わきなどの公共の場所ではなく、霊園の一角となったのも、行政の側が慰霊碑建立に積極的でなかったことが背景にあるのかもしれない。歴史的事実には後世に語り伝えたい誇らしいものもあれば、その逆のものもある。その逆のものである負の歴史というものは、ほっておくと埋もれがちとなるのであるが、むしろこうしたものこそ後世への教訓として残していくべきものであろう。
2024年03月17日
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最近、ネットなどで古典の授業の必要性についての議論が行われているのを読むことがある。漢文もそうなのだが、古典の授業についても、いらないという議論があるようだ。考えてみれば今の中等教育は明治以降の旧制中学にそのルーツがあり、旧制中学はかつての藩校にルーツをもつものが多い。藩校では学問と言えば漢文の授業が中心であり、そのため、明治期の政治家など漢詩を作るという人もいる。そんな時代のかすかな影響が田中角栄くらいまであり、そのため、田中角栄も訪中の際に漢詩を作ったりもしたのだろう。学問≒漢文という時代が長くあったわけである。そしてまた、古典についても、やはり学問として行われていたのだろう。特に明治以降は国学思想を中心に据えたこともあって、本居宣長が高く評価した源氏物語を重視したのかもしれない。ただ、今は時代が違うし、外国語など必要な知識も格段に増えている。そうした限られた授業時間の中で古典や漢文の授業は必要ないという主張も一理あるように思えてならない。この前、源氏物語を読んだし、その少し前には平家物語を読んだ。古典を読むのが大好きな自分から見ても、学校ですべての人が古典を勉強する理由は乏しい。以下、その理由について書いてみる。源氏物語は、テーマがテーマだけに高校生向きのものとしては内容がきわめて不適切である。もちろん不適切な部分は教科書にも載らないし試験にもでない。そうなると結局は、あまり面白くない部分だけが教科書に載ることになる。また、教科書に必ず載る徒然草も、いわば枯れた人生観を綴ったもののようで、ああしたものに共感するのは比較的年齢がいってからのことが多いのではないか。古典で本当に面白い部分は源氏物語の教科書では避ける部分とか、教科書では採用しないものの中にあるように思う。要するに面白いものを載せようとすると内容が教育上よろしくないし、問題のないものを載せるとつまらないというわけである。次に古典は読書好きや小説好きには興味深くても、そうでない人にとってはほとんど役にたたない。あるノーベル賞受賞者が源氏物語になんか興味なかったので受験勉強はしなかったと語っているのを読んだことがあるが、そういうものかもしれない。知的レベルとも知的訓練とも関係なく、一部の読書好きが趣味として自分でやればよいのではないのかと思う。ただ、自分のことをふりかえってみると、小学校や中学校の頃は国語といえば感じの読み書きが中心だった。高校の頃は国語といえば古典とか漢文で現代国語は学習のしようのない教科という印象がある。もし、古典や漢文がなくなると、国語という教科自体が特に勉強しなくてもよいというものになるのかもしれない。
2024年03月15日
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「白い巨塔」を読んでいる。テレビドラマでやっていたのは知っていたが、実は見たことはない。ただ番組宣伝などでやっていた田宮二郎が多くの医師の従えて行う回診の場面が印象的だったので、病院などで回診をみると、つい「白い巨塔」を連想する。日本でもドラマや映画になっているが、韓国でも何年か前にリメイクされているので、どんな話かと思ったのだが、全五巻の内の第一巻を読んだ限りでは、それほどドラマチックな展開はない。大学病院の中の人間関係と教授選の舞台裏の話がメインで、どうもひきこまれない。医師といえば、病院では権力も名誉もある人々であり、その中で教授になるかどうかなんてそんなに重要なのだろうか…とついつい思ってしまう。主人公の名誉欲や上昇志向を理解し、同化しなければ、なかなか小説世界に入り込めないのだ。ただ第二巻の後半あたりからは医師の家族や患者をめぐる人間模様もでてきて、面白くなる。この小説が最初にでたのは1965年ということで、今にしてみると時代を感じる。医療分野では昔から女性も進出していて女医もいたはずなのだが、物語には女性医師は今のところでておらず、医師の夫人や娘達は専業主婦だったり、花嫁修業中だったりして、職業はもっていない。そういう時代だったのだろう。もっと変化を感じるのは、診断の場面で、レントゲン画像や胃カメラの映像から、病名を診断するのが重要な医師の能力となっている。今ならレントゲンや胃カメラ自体も進歩しているが、CTスキャンやMRIでより鮮明に人体内部を見ることができる。医師に求められる能力も機器の変遷とともに変わっているのかもしれない。
2024年03月13日
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認知症というのは、かなりの人が一定の年齢に達すると罹患するものだという。東京都健康長寿医療センターのサイトによれば、65歳以上の約16%、80歳代の後半であれば男性の35%。女性の44%とされている。認知症は本人の自覚のないこともあり、歴史上のトンデモ説かもしれないが、文禄慶長の役を秀吉の認知症のせいにする見方もある。老害と言うことがよく言われるが、本当の老害は、ある程度、意思決定にかかわっている老人が本人の自覚のないままに認知症が進行しているという場合ではないか。家族でもいれば家族からの申し出で辞任するのだが、家族がいなかったり、その家族も認知症になっているようなときにはそうもいかない。何の連絡もないまま会議を欠席するような事態が続くようなら要注意だ。そして認知症が明らかになったとしても、今度は誰がどうやって猫の首に鈴をつけるかという問題がある。米国の大統領選が近づいているが、バイデン80歳、トランプ77歳という年齢には不安しか感じない。80歳なら当選したとしても任期が終わる頃には84歳になっている。あれだけ世界中から人材の集まってくるような国で、若い候補がいないのも不思議である。
2024年03月12日
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街角から本屋が消えているという。たしかに近所だけをみてもここ数年で閉店した書店がある。要因としては本そのものが売れなくなっていることと、本を本屋で買うことが少なくなっているということがあるだろう。本そのものが売れないという点については、そもそも可処分所得が減れば真っ先に削るのは書籍代であることや、時刻表や辞典、時事評論などはネット情報で間に合うようになったこと、文学全集や美術全集のような部屋の飾りとしての本の需要がなくなったということがあるだろう。部屋の飾りについては、そもそも来客を家に招くという習慣そのものがなくなり、客間という言葉も死語になりつつある。文学全集や美術全集だけでなく、賞状を入れる額やトロフィーの類もいまでは売れないのかもしれない。また、図書館で本を借りて読書需要を満たせるようになったことも大きい。全国的に図書館が昔に比べて充実してきたのかもしれないが、近隣の図書館でたいていの本は読むことができる。人生の中で読書にかける時間は有限なので、流行りのものよりは評価の定まったものを読みたいし、そうした評価の定まった古今東西の名作ならば、書店よりも図書館の方がよほどそろっている。さらに付け加えれば、最近勢いが落ちているのかもしれないが、古書店や古書の売買サイトも書店の強力なライバルだろう。待ち合わせなどで本屋を指定することはあるが、昔はそんな本屋で本を探したものだが、今では本屋の外で図書館で借りた本を読みながら待ち合わせ時間まで過ごすということが多くなっている。こんなふうに本を購入することそのものが減っている上、購入して読みたい本をすぐに読むためにはネット通販の方がはるかに速い。立読みも書店で店員の眼を気にして行うよりも、ネットで試し読みしたり、レビューをチェックする方がよい。そんなわけで、書店が消えていくのは自然の流れのようにも思う。国では書店を支援するためのプロジェクトを検討するというが、無駄な取組みになりそうな気がしてならない。
2024年03月11日
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昨日の日記で愛知県で起きた小学生の詐欺事件について書いたが、ひきつづきそれについて書く。こうした小中学生間の事件は学校は隠ぺいしたがるし、警察は無気力で往々にして被害者はほっておかれるということになりがちではないかと想像する。旭川ではそれが非常に陰惨な形で現れ、少女の死という結果になったのだが、それにくらべると愛知県警の対応は素早い。その後の児童の処分(児童相談所への通告など)や返金の状況についても続報を望みたい。おもうに刑事責任年齢の14歳というのは適切なのだろうか。今の栄養状態では12歳くらいにもなれば筋力や生殖能力など成熟といってもいいくらいなのがいるし、もちろん悪知恵だってませた子なら大人なみだろう。そんな中で14歳と言う刑事責任年齢を不動のものとして考える必要はないし、別に、14歳未満をコドモ扱いして甘やかすのが人権先進国と言うわけでもない。英国では1993年に幼児を誘拐して殺害した10歳の少年2人が18歳まで刑務所に収監されたのは有名である。もちろん実名も顔写真も公開済である。教師の過重労働が問題になっているが、その一端は小中学生間の犯罪行為と言うとなにがなんでも学校の責任にしたがることも背景になっているのではないか。体力や悪知恵が大人なみに成熟した児童生徒の犯罪行為が教師の手に負えるとも思えないし、それを「いじめ」とか「重大いじめ」とかいった不思議な言葉で学校や教師の責任にするのも無理を強いているのではないか。まるで花火職人に火を扱う仕事だからと言って火災の消火を期待するようなものである。こうしたものは警察が対処すべきであるし、そのためには警察の中に少年犯罪や児童の犯罪行為に対処する部署を拡充してもよい。だいたいほとんどの子供は犯罪行為とは関係ない。被害者になる不安はあっても加害者になることなど考えてもいない普通の子供にとっては、むしろ犯罪行為に対してきちんとした対処がなされることこそを望んでいるのではないか。そしてその対処は本来は警察のような物理的力を有する組織が行うものであり、教師が生徒指導と称して見回りをしたり、ありあまるエネルギーを吸収するという名目で過剰な部活動を奨励するなど本末転倒だとしか思えない。
2024年03月08日
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小学生同士の詐欺で93万円がだまし取られるという事件が起きた。事件の発端は被害児童が100万円の現金があると自慢?したら、級友が必ず値上がりするコインだからと安物を高額で売りつけたという。そんなことが重なりいつのまにだまし取られた額は93万円。子供が親に相談すると、親は警察に相談し、警察が動いたことで事件が公になり、ネタ枯れ期のワイドショーでもとりあげられた。舞台となった小学校はネット情報では私立小学校で、たぶん中学受験の実績をウリにしているところかもしれず、そうなると校長の中学受験で忙しい時期でと言うコメントとも符合する。被害児童の親が学校にまず相談したかどうかは不明なのだが、学校ではたぶん「いじめ」という不思議な日本語で処断され、犯罪という認識のないままうやむやにされたであろう。そういうふうに多くの児童や生徒間の犯罪が表にでないままになっている。また、直接、被害児童の親が加害児童の親に申し入れたらどうなったのだろうか。私立小学校に通わしているくらいの親だからお金は返したかもしれないし、実際、加害児童の親にしてみれば警察に言う前になぜ話をしなかったのかという恨み節もあるかもしれない。ただこうした場合、お金は返しても、子供自身が犯罪行為を行ったという罪悪感をもったかどうかはわからない。結果的に被害児童の親が警察に相談したのは正解だったように思う。そして、それを受けて警察がきちんと動いていることに正直感心している。中学生くらいの恐喝事件では警察はまともに動かないという話も昔聞いたことがあるし、ましてやこれは刑事責任年齢未満の小学生の事件で、金額が大きいものの、障害など身体に害が及んだ事件ではない。しかし、小学生が行ったとはいえ、行為そのものは立派な詐欺行為である。加害児童のためにも、そして被害児童らがこの先、国家とか法秩序とかいったものに信頼を持ちつづけるためにも、警察はきちんと動くべきだろう。そしてまた、愛知県警といえば思い出す事件がある。ある公立中学で一人の男子生徒が不良グループにつけ狙われ、合計100万を超える金品を恐喝されただけでなく、執拗に暴行や傷害の被害を受け続けた。結局男児生徒は自殺し、「いじめ」事件として学校が大いに批判されたが、この事件では被害生徒は自転車窃盗を強要されるなど警察との接点もあったし、足のつかない池に突き落とされている光景も近所の人に目撃されていた。やはりこうした犯罪は警察が動くべきものであっただろう。さらにこの事件後、しばらくして、同じ愛知県で中学生が同級生から大金を恐喝されるという事件が起きた。これは最初に訴えた警察署は対応せず、隣の警察署につきそいの人も頼んで訴えたらようやく事件となったという。そんな昔日の事件を思うと、今回の愛知県警の対応はきちんとしていて、警察の職責を果たしているのがうれしい。かの中学生自殺事件や5000万円恐喝事件の教訓が生きているとしか思えない。だいたい人権侵害の最たるものは犯罪行為であり、その人権を守る最後の砦が警察ではないか。もし、その警察ですら動かないとなれば、被害者は絶望の中で死ぬしかない。かの「誰も味方になってくれない」と泣いていたという旭川の少女のように…。
2024年03月07日
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GHQ占領時代に以前から関心があった。日本近現代史の中で明治期と並ぶ大変革の時期なのに、あまりこの時代について書かれたものはないし、もちろん歴史の授業でもスルーされていた。ただ、昭和40年代かもしかしたら50年代くらいまでは、新聞の論調など「戦前の暗い時代を思い出す」というのがほぼ常套句になっていたし、なにか戦前の時代というのは余計なことを言うとすぐに特高というものがやってきて連れていかれるような怖ろしい時代だというイメージがあった。それが戦後の改革で民主主義というまぶしいものがやってきて、よい時代が始まったというわけである。ただその後、いろいろなものを読んだり聞いたりしてみると、もちろんそんな単純な話でもないとわかる。特に興味深いのはGHQの姿勢も一貫していたわけではなく、あの戦後まもない時期に計画されたゼネストをGHQ指令で止めたあたりから占領方針も変化した。それまではGHQは労組の見方と思われていたし、ゼネストも当然に支持されると思われていた。本書はこうした動きの背後に日本の敗戦革命を考える勢力と保守自由主義勢力の抗争があったとする。敗戦革命とは、戦後の窮乏や混乱に乗じていわゆる親ソ社会主義政権を樹立しようという動きをいう。ただそれもにわかに信じられない話だ。日本の占領は間接統治という形で行われ、その間接統治という形を得るためにも日本側の相当の努力があったというのは事実だろうが、その統治は連合軍の中でも米国主導で行われた。米国主導の中で親ソ社会主義政権の誕生と言うのも考えにくい。また、GHQの中に社会主義者がいたとしても、それと親ソはイコールではないだろう。ソ連は第二次大戦で膨大な被害を被った国であり、そこまでの影響力があったとも思えない。本書は、GHQの中に親ソ的な勢力があり、敗戦革命をもくろんでいたが、昭和天皇や吉田総理を中心とする保守自由主義勢力がそれを防いだと見る。その見方自体については疑問があるものの、これも占領期についての一つの見方として読めば興味深い本である。
2024年03月06日
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原題はカプトゥンティ看護師でこれがやぶからぼうに近い意味の言葉なんだろう。実際にはやぶからぼうというよりも、突拍子もないという方が内容に近い。医療ミスの責任をとって病院を追われた精神科医と交通事故で家族を失い自身もPTSDの症状を抱える看護師となると、これで本当に二話で完結するのだろうかと思った。それに物語のペースも決して早くなく、看護師がPTSDだけではなく、死を予見する幻視症状(死に近い人間は黒い煙に包まれたように見える)があると分かるのも一話の真ん中辺だ。それでも、奔放で気ままな看護師とそれにふりまわされる医師が魅力的で先が気になるので見続けると本当に二話で完結した。つっこみどころは多々あるのだが…。印象的なのは、主人公が看護師に「なぜ医師になったの?」と聞かれると「成績がよかったから」と言い、「なぜ精神科医になったの?」と聞かれると「血をみるのが嫌だったから」と答えるところである。日本でも同じような話をきくので、このあたりの事情は海外も同じなのかもしれない。日本でも訴訟リスクが高い産科や小児科の医師は減っているのに精神科医は増えている。そのせいなのか、街角でも心療内科を掲げる医院は多いし、かつては高かった精神科の閾も低くなっているように見える。医師が増えればそれにあわせて病気も増える。昔は精神疾患での休職などそれほどなかったのだが、今は公的機関などではけっこうそれがあるという話も聞く。「やぶからぼう看護師」では最初は誰も患者が来なかった医院に、「街は患者だらけよ」という看護師の奮闘で次々と患者がやってくるようになる。たしかに病名はつく。しかし、精神科の診断のほとんどは数値や画像によるものではなく、問診による患者の回答を診断基準にあてはめるものがほとんどだという。精神科は繁盛する社会って本当はどうなのか…とドラマの内容とは関係ないのだが、そんな疑問ももった。
2024年03月05日
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ひさしぶりに東京マラソンを見に行った。一説によるとこうした長時間の交通規制を要するマラソンには存廃論もあるらしいが、これだけ長期間続いているということは続いていること自体が財産であるともいえるし、長時間の交通規制についても、参加基準が6時間と緩やかで比較的多くの人が参加できるというのがよさといえばよさなのかもしれない。東京マラソンは抽選に当たるのは難しいというが、一定額の寄付金を払って参加することもできるという。実際にかなりの寄付参加者がいるのだろう。参加者は38,000人でうち12,000人が外国人だったという。円安もあって外国人の寄付参加者が増えたのかもしれないが、沿道で見た感じでは3分の1も外国人がいるという感じではなかった。もっとも見た時間はかなり遅く終りの方近い集団だったということもあったのかもしれない。さらにいえば一頃話題になったコスプレランナーも大幅に減ったように思う。渋谷のハロウィーンも下火になったようだし、一般的な仮装と言うのはブームを越したのだろう。見た範囲では、定番の月光仮面も水戸黄門もみあたらなかった。まあピカチュウのかぶりものをかぶっていたのがちらほらいたのと、人間を抱きかかえて走っているように見える仮装ランナー、背の高いカオナシが目を引いたくらい…。ひそかに期待していた、今日も運ぶよ酸素、酸素~の働く細胞のコスプレも見なかった。
2024年03月04日
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最初は少しずつ傍らに読むつもりだったのだが、読み始めるとたちまち続きがきになって読み進み、ノンストップのまま、ようやく「夢の浮橋」まで読み終えた。光源氏の本編では文章の流麗さや人物描写の鋭さに目を見張ったが、宇治十帖になると、本当にこれが1000年も前の小説なのかと驚く。この時代には素朴な英雄譚や伝奇物語が主流で近代小説がうまれるのははるか後のことだ。ところが宇治十帖では薫、匂宮、大君、中君、浮舟という五人の男女の心理が丁寧に描かれ、父八宮の死、大君の死、浮舟の登場と出来事が巻ごとに進行し、今の小説といってもよい趣がある。特に入水した浮舟の蘇生後を描いた「手習」の巻はそれだけでも独立した物語となっており、浮舟に想いをよせる中将、亡き娘がわりに浮舟を慈しむ尼君、天下の高僧として名高い僧都などが登場し、その中で、浮舟の出家の顛末がえがかれる。高度な文学的な鑑賞というのとは違うのだが、こうした物語はなんとなく既視感がある。中将の視点でみたらどうだろうか。亡き妻が忘れられずに妻の母である尼君をときおり訪ねている男がいる。その尼君の住む山里でふと美しい女を見かけ、彼女が忘れられなくなる。女は記憶を失っている様子で、どこの誰ともわからない。こうした物語はハッピーエンドにしろそうでないにしろ、今日でもドラマなどでよくあるのではないか。それにしても、この時代の出家とはどういう意味をもつのだろうか。源氏物語には出家する登場人物が多いし、その背景の事情もさまざまである。祈祷とか加持が、今の医療のような役割を期待されていた面もあるし、寺詣でが御利益を期待してという面もある。それとは別に、この世の苦しさを逃れる手段としての出家というのもあった。この世での栄華や幸せをあきらめるのと引き換えに後世の幸福を祈って出家し、精神の平安を得るのである。浮舟の身にしてみればいまさら世にでるわけにもゆかず、出家というのはしかたない選択だったのだろう。それにしても、出家後も兄弟と思ってほしい、後の生活の世話もしたい…と言う中将は誠実な男であり、浮舟も最初からこうした人に出あっていれば幸福になっていたのかもしれない。
2024年03月03日
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更級日記の作者が源氏物語を読みながら大きくなったらきれいになるかしら、髪が伸びるかしらと思いながら夕顔や浮舟のような女性になることを空想する場面がある。その浮舟であるが、彼女は生まれた時からこの世の中に居場所のないような、それこそ浮舟の名のような寄る辺なき境遇の女性である。父親の八宮には生まれた時から拒絶され、継父の常陸守からは異人(ことびと)として疎外されて育つ。常陸守の実子でないことにより縁談が壊れてからは、常陸守の屋敷にも居場所がなくなり、中君のいる二条院、次いで母の用意した隠れ家に移り住むが、その後は、薫により宇治の別荘に匿われ、そこでたまさかの薫の来訪を待つ生活を送る。しかしそこに、二条院にいるときに浮舟に目をつけた匂宮もやってくるようになり、薫、匂宮、浮舟の三角関係が始まる。なぜこんなことになったのだろうか。浮舟が非常に軽視されている女性だったということがあるのだろう。源氏物語には様々な身分の女性がでてくるが、荒れた屋敷に住んで困窮していても、小路の小さな家に隠れ住んでいても素性だけはしっかりしていた。ところが浮舟は実の父に拒絶されており、その父も宮の中に数えられない八宮で既にこの世にいない。継父常陸守からは子供としての扱いをうけていないので、事実上、父親のいない女性である。さらに長い時期を常陸の田舎で育ったので管弦の道も教養も身についていない。遠慮して育ったせいか、物事を強く拒絶することのできない優柔不断な優しい性格なのだが、それはまた三角関係の中で薫にも匂宮にも決めかねるということになり、悲劇につながっていく。薫というと匂宮に対比して内省的な性格と解説されることが多いが、浮舟や中君、そして妻の二宮に対する態度は身勝手であるし、次から次へと想う女を変え、飽きたら姉一宮の女房に押し込むような匂宮に比べれば真面目というだけのことだろう。薫は、最初の頃は自分の出生の秘密に悩んでいた節もあるが、事実を知ってからは逆に露見を怖れているし、仏道に傾倒しているようでも、悟りを目指しているわけではなく、浮舟を失ってからも女一宮に今度は関心を向けている。ごく最近の言葉ではあるが、恵まれた中二病青年といった趣もある。このように薫にしろ匂宮にしろ、欠点が目につくのは、それだけ宇治十帖の世界が現実的だからであろう。光源氏を主人公にした部分では夢のような宴の場面が多く描かれたが、宇治十帖で描かれているのは貴族の普通の生活である。その意味で、宇治十帖の方がさらに近代文学に近いものだといえるのかもしれない。
2024年03月01日
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ドラマとは関係ないのだが、その昔、初めて韓国に行った時のこと…。初めての韓国であったが、実は外国に行くこと自体が初めてであった。やっぱり外国だなんて緊張する…心の準備が、準備が、なんていっているうちに飛行機はあっという間についてしまった。ただ実際に着いてみると、意外に日本と変わらない。正直ほっとする。ただ、街中に軍人の姿が目立つのが、やはりここは外国なのだと実感させる。もちろん言葉や文字も違う。訪問した在韓日本人のお宅で御主人といろいろと雑談をしたのだが、韓国語の勉強とかはされているのですかと聞いた時、主人の方はすごく不思議そうな顔をされて「強い者の側は弱い者の側の言葉は学ばないものなのですよ」といった。そして買い物のためには日本語のわかる老婦人を雇っており、御主人の言によれば、そうした婦人を雇うことによって韓国社会に貢献しているのだという。ソウルオリンピック前であったが、その頃はそういう時代で、日本と韓国の国力には相当の開きがあった。ホテルでテレビをつけて見たが、面白そうなドラマをいくつもやっていた。こうしたドラマが日本に紹介されることもないのだなと思って見ていたのを覚えている。そんな時代を考えると変化の速さは目をみはるほどだ。今では韓国語学習もKポップも韓国ドラマや映画も普通になっているのだから。その韓国ドラマも最近の新潮流としてwebトーン原作と言うのがあるようだ。webトーンとはスマホでコマ送りして見る漫画であり、最近見た「国民死刑投票」、「もうすぐ死にます」もwebトーン原作で両方ともファンタジー色が強く、テンポが速い。「私の夫と結婚して」もその系列だろう。最低の夫と結婚して苦労しながら癌で余命いくばくもない女性。人生の最後に見たのは保険金を楽しみにする夫とその夫と不倫している親友だった。しかし、死んだ…と思ったヒロインはなんと10年前に戻っていた。彼女は新しい人生を手に入れ幸福になることができるだろうか。ということで、息もつかない速度でストーリーが進行する。あのとき諦めていたけど本当はやっていれば…そういうことは多くの人が考える。ヒロインがそれに果敢に挑戦し、手に入れていく。地味だと思って諦めていたけど化粧とファッションを変えれば…けっこうな美人に変身。この程度と諦めて交際相手の男を選んだけど本当は…イケメンで財閥御曹司の男がひそかにヒロインを見つめていた。職場では控えめにしていたけど本当はもっと才能があったのかも…提案した企画がヒットし職業人生も順風満帆。こういうのは視聴者の願望を投影したファンタジーなのだが、運命として起こるべきことは起きるというルールがあり、問題はそれを誰が背負うかというのが、こうしたタイプパラドックスものの中での新機軸であろう。「私の夫と結婚して」というのは誰かがこのクズ男と結婚する運命を背負ってよという意味である。
2024年02月29日
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以前から思っていたのだが労災事件事故のニュースはなぜこんなに小さいのだろうか。そしてその死亡者も〇代〇性社員とかいうように書いてあるだけである。やはりこのあたりマスコミもスポンサー企業に遠慮しているのだろうか。そんな中で、死亡者の状況についてやや詳しく報じられていると目につく。千葉県にある食品工場で61歳のアルバイト女性がベルトコンベアーに巻き込まれる事故が起きたという。「いつか起こると…」「社会に殺された」 山崎製パン工場で60代女性事故死、ネット上で悲痛な声 【急上昇ニュースのウラ】 | 千葉日報オンライン (chibanippo.co.jp)単に社員(アルバイトも会社に雇用されていれば社員と書いても誤報ではない)というのではなく、61歳、アルバイト、ベルトコンベアーというと様々な想像をよぶ。アルバイトというとごく短期の研修(業務説明)を受けた後慣れないまま現場にたっての被害なのではないか。建設現場や工事現場の労災の中にもこうした短期のアルバイトによるものがあるのではないか。気になるところである。また、61歳というと今では老人とはいわないのだろうけど、それでも、定年後になおかつアルバイトをして収入を得なければ暮らせないという人が多い。この死亡女性にもそうした事情があったのだろうか。このくらいの年齢は老人ではないが若くはない。急な体調不良なども起きやすいし、貧血やたちくらみもある。目の前で動いている機械の前で倒れ、そのまま引き込まれたということはないのだろうか。高齢の就業者も今後ますます増えていくことを考えると、全体の効率を犠牲にしても、就業者の安全を考えるということも必要なのではないか。高齢者はいらない、外国人で賄うというのであれば、そんなことは不必要なのだろうけど。最後にベルトコンベアー。流れ作業に労働者が振り回されるモダンタイムズのような世界は過去の話で、今では多くが機械化されて、人がベルトコンベアーの前で手作業を行うなどごくわずかだと思っていたのだが、令和の時代にもやはり手作業はあった。そして命まで失うとなるとモダンタイムズよりも怖ろしい。この労災事件というか事故というか…これ以上の続報はないのだろうか。やはりネットに比べてテレビや新聞の報道は少ないようなのだが、気になるニュースである。もちろん被害者のプライバシーなどは知りたくもないのだが。
2024年02月28日
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先週、急な体調不良があり休んでいたということを書いた。突然10分足らずのところにある家に歩いて帰れるだろうかというくらいの疲労がやってきて、吐き気もあり、その夜は寒気がして眠れないという状況だった。近くのクリニックに行くと、すぐに吐き気を抑える薬を処方してもらえたが、数年前から喉がいがらっぽく時々咳が出るということを話したため、それでは念のためにとCTスキャンを受けることとなった。最近では、普通のクリニックではなかなか置けないCTスキャンやMRIなどの機器を使用できる検査センターができており、都内にいくつもそうした検査センターがある。そこに別途予約をとって、その検査結果をクリニックに渡して説明を聞くというシステムである。さっそく予約をとり、二日後に検査結果の入った封筒をクリニックにもっていって説明を聞く。まあ、患者の方で封をあけてもよいのかもしれないが、専門職ギルドではたぶんそれは歓迎されない。こうしてクリニックで説明を聞いたのだが、特に異常所見はなかったとのことで、医師はもとから饒舌なたちなのか、これだけでは少なすぎると思ったのか知らないが、治療の必要のない所見をいくつか述べた。それは毎回人間ドックで指摘されていることであった。今では、体調も回復しているし、やはり疲労等の一時的なものだったのだろう。無理をしない、十分な睡眠と休養をとることが予防策になるだろう。最近、CTスキャンやMRIが急速に普及しているように思う。台数の推移を検索してみるとやはりそうで、しかも人口比で見ると日本は世界のトップクラスとなっている。今回のような、念のためCTスキャンやMRI検査というのが普通になっていくと人間ドックを受診するというのは少なくなっていくのかもしれない。それにしてもCTスキャンやMRIのような機器は高価だし、古くなると新式に変える必要もでてくる。近所に新しいクリニックができるようなのだが、そこでは最初からCTスキャンやMRIを設置していることをうたっている。医療の需要がなくなるということはないにしても、日本では若い層だけではなく老年人口も減少局面に入っている。将来的に医療機関のなかでも経営の苦しくなるところが続出するなどということにならなければよいのだが。
2024年02月27日
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源氏物語を読み始めて止まらなくなっている(笑)。宇治十帖の宿木まで読んだのだが、たしかに宇治十帖と光源氏が主人公の本編とでは雰囲気が違う。光源氏の女君だけでなく、子供世代の女君が次々と登場し、それぞれの個性あふれる性格や恋が描かれる本編は、話のテンポが速く、舞台も桜の宴、藤の宴、女楽の合奏、香合わせ、胡蝶の船の宴と夢のような場面が多く、王朝絵巻の万華鏡と言った趣がある。これに比し、宇治十帖では主な登場人物は薫、匂宮、大君、中君、そしてこれからでてくる浮舟に限られる。匂宮が中君以外に結婚する夕霧の六君や薫が結婚する二宮は物語では気の毒なくらいに影が薄い。その分主人公薫の心理や行動が丁寧に描写されており、近代の文学により近いのは宇治十帖の方だろう。しかし、その薫の心理をみると…仏道に興味を持ち宇治の八宮邸に行って大君中君の姉妹をかいま見、大君にひかれる。八宮の死後、大君は薫を拒絶し、中君を薫へと望む。そのため中君を友人の匂宮と結び付ければ大君は自分に靡くと思い、匂宮と中君を結び付ける。匂宮の宇治来訪が途絶えたことなどの心労が重なって大君は亡くなり、中君は匂宮の二条院に移る。薫は中君と大君がいまさらながら似ているのに気付き、中君を匂宮に結び付けたのを後悔する。こうしたことを今の道徳でどうこういうのはナンセンスにしても、それにしても、身勝手な奴だと思ってしまう。大君が薫を拒絶する理由はいろいろと考えられるが、すでに女性の盛りの年齢を過ぎていることの引け目や健康不安、妻の死後上臈女房との間に子供を儲けながら仏道の妨げになるとして見捨てた父を見てきたことによる男性不信などの理由があったのかもしれない。光源氏もかなわぬ恋の相手に似ているとして10歳の少女を屋敷に連れ込むなどかなり身勝手なのだが、光源氏が、超人的な美を持つ道徳を超越した存在として描かれているため、そうしたものは感じない。ところが、薫や匂宮は、光源氏ほどの超人ではないために身勝手さが気になる。光源氏が主人公の部分と宇治十帖は別の作者という説が昔からあるようであるが、自然科学と違い、こうした問題は永遠にわからないのではないか。同じ作者であっても作品によって文体や雰囲気が違うことは珍しくない。だから別作者かどうかはわからないが、情報提供などで作品執筆を助けた人はいたように思う。源氏物語には膨大な古歌、漢籍、仏典をふまえた記述がある。また、作者がいったことのない須磨、明石や宇治の情景についての記述もある。結果的に小説家のアシスタントのような役割を果たした人がいても不思議ではない。
2024年02月25日
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今日あたり源氏物語の女君の続きを書くつもりだったのだが、以前紫の上と明石の上について書いたのでそれにかえることとして…。実はおとといからの急な体調不良に悩んでいる。急に疲労が襲ってきて、10分ほどの距離なのに今日は歩いて家に帰れるかと思った。ようやく家に帰りしばらく横になっていたのだが、吐き気と寒気はおさまらない。もちろん食欲も全くないのだが、熱はない。こういう症状はいったい何なのだろうか。こんなわけで、しばらくは日記も休むかもしれない。※午後くらいからはかなり回復してきた。今までも、こうした突然の体調不良と言うのがあり、一日休んでいるとたいてい治ったものだが、今回は長引いて不安であった。年齢とともにこうしたことも増えていくのだろうか。
2024年02月22日
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源氏物語の光源氏を主人公にした部分を読んでみて何人かの女君について思うところを書いてみる。葵上容姿について「うるわし」という形容がついているのは葵上だけだったように思う。端麗で、美人といえば美人なのだが、ちょっと近寄りがたい雰囲気なのだろう。4歳年上と言うことで、結婚当初は葵上は16歳、光源氏は12歳である。いくら光源氏が高貴な美少年でも、「似げなうはずかし」と思うのは当然だった。その最初のすれ違いはずっと続き、光源氏と心が通うことはなく、贈答の和歌もない。光源氏にしてみれば、いつでも手の届く正妻には恋の情趣を感じなかったのだろうし、葵上の方にも入内を前提に育てられた姫というプライドがあり、なかなか素直になれなかったのだろう。源氏物語には女君の死が何度も描かれているが、葵上の死は産褥死で一番わかりやすい。しかし、生霊の場面が一番迫力をもって描かれているのも葵上の死の場面である。意外というか、源氏の女君の人気では葵上は上位にくる。それは心のすれ違いと意地をはっての悲劇と言うのが今の時代にも通じ、わかりやすいところがあるからだろう。六条御息所容姿についての説明はないが、高貴で上品な雰囲気を持つ貴婦人である。直接の出番は少なく、なれそめを描いた失われた巻があるのではないかといわれる所以なのかもしれない。ものを思い詰める性格で、これが生霊になったという話になるのであるが、30代くらいで亡くなり、それ以降も霊となってたたることになる。光源氏は六条御息所の娘を冷泉帝の女御とし、やがて中宮にする。六条御息所の霊を慰めるということもあったのかもしれないが、冷泉帝には出生の秘密がある。明石の姫と冷泉帝は実は異母兄妹であるが、冷泉帝の世が長く続き、光源氏の権勢が増せば、唯一の娘の明石の姫を入内させないのは世の人は不思議に思う。それをさけるために御息所の娘を養女格にして入内させたように思う。夕顔六条御息所に通っている頃に小路の家で出会った女性で、高貴で上品で気づまりな御息所に辟易としかかっていた光源氏の心をとらえた女性である。容姿については、どこがどうということもないのだが、小柄で少女のように可愛らしい女性で、きどったところもなく、垣の夕顔の花を所望した光源氏にも花に添えて歌を送る。利口ぶってはいないが、本能的なコケットリーというか男性をひきつける才気はある。今も昔もこうした女性は非常にモテる。空蝉容姿については「わろきによれる」とあり、はれぼったい目やととのっていない鼻筋などごく一般的な不器量であろう。ただ、であったのは故宮の導きで自分以外の誰がこの女の面倒をみるだろうかという末摘花と違い、空蝉には光源氏はそれなりに心惹かれている。賢さと慎み深い所作の故である。夫の死後、出家し、光源氏の二条院の屋敷で庇護をうけて暮らす。朧月夜光源氏が美しい女性といえばこの人だと思うくらいの美人なのだが、容姿についての具体的な記述はない。花宴の夜に光源氏と逢い、その後も逢瀬を重ね、須磨行の原因になる。一方で内侍として宮中に行ってからは朱雀帝の寵愛も受け、自由な恋に生きる女性である。一方で書などもみごとでかなりの才女でもあろう。朱雀院の出家後にも光源氏と逢い、そのことを紫の上の死後、光源氏は後悔する。最後は出家する。花散里光源氏がたまさかに通っていた女性で、出会いについての記述はない。世の趨勢が右大臣方に移り、多くの人が背を向けていく中で、須磨行を前にして光源氏が訪れた女性である。逆境の時に会いたくなる暖かい女性というのは貴重である。光源氏が須磨から戻ってきたら二条院の屋敷に移り、六条院では四季の屋敷のうち夏の屋敷に住み、光源氏の女君の中では紫の上に次ぐくらいの待遇を受ける。その後も夕霧の養母格として、本人は控えめなのだが、源氏四十の賀で役割を果たしたりする。出番は多くないのだが、染色など家事の才能があり、楽器を弾く場面はないが、香合わせでは夏の香を提出したりもする。容姿は整っていないといわれ、貧相で見栄えがせず紫の上や玉鬘を見た後は気の毒だと夕霧が思うほどである。性格は温厚で、実はかなり賢く、光源氏や夕霧のよき相談相手になる場面もある。源氏物語の女君の中でも人気上位である。
2024年02月21日
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様々な県や市町村でその県民や市民の歌というものがあるのだが、正直、こうした曲にはあまりいい歌がないと思っていた。ところが…である。ラジオでたまたま聞いた川崎市民の歌「川崎愛の街」が神曲であるのにびっくりした。歌詞の中で川崎らしい…といえば、多摩川の明ける空…なのだが、川崎は多摩川に沿った細長い市なので、それだけで充分だろう。川崎市民の歌 歌詞付き (youtube.com)ただ川崎のイメージとしては、人々は沿線ごとに行動するので、なんかあまり一体感のない地域という感がある。以前、非行少年グループによる少年殺害事件が起きた南部と、平均寿命日本一という北部の麻生区とでは、同じ市といっても全然違うのではないか。以前麻生区の平均寿命が長い原因として市民体操や坂の多さを大真面目で解説している報道番組があったが、あのあたりは高所得者が多く、それも、土地成金というよりも、自力で大企業の管理職や専門職になった人が多い。健康への関心や知識が高く、医療機関にも容易にアクセスできるというだけのことのように思う。これを長寿ではなく逆のランキングでみると、同じ川崎市の川崎区の男性が下から数えて11位というので、同じ市でこれだけの格差のあるところも珍しい。万葉の時代にはこのあたりは橘郡として武蔵の国に入っていた地域であり、弟橘姫もこのあたりと何か関係あるのかもしれない。昔はそれなりに共通のものがあったのかもしれないが、今は多摩川が東に流れているという以外の共通点はない。余計なことをいろいろと書いたが、川崎市民の歌が名曲であることは間違いない。
2024年02月20日
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源氏物語にはいろいろな読み方ができるが、一つは母親の面影をもとめる光源氏の恋の遍歴の物語ともいえる。子供の頃に母親にそっくりだといわれる藤壺の女御を慕い、その気持ちはやがて恋に変わっていく。その藤壺に対する許されない恋心は、たまたま見出した藤壺とそっくりな面差しを持つ少女若紫に対する愛に投影され、若紫が成長するとともに、それは女性に対する愛へと変わっていく。若紫にしてみれば、10歳のときに二条院の屋敷に連れてこられ、光源氏を父のように兄のように思ってなついていたのだが、ある朝のこと、光源氏はさっさと起きてきたのに、若紫は全く起きてこない。布団をかぶったまま怒って泣いているのである。それでも実の父に対面し、裳着の成人の儀式をすませ、ようやく光源氏の想い人としての生活が始まるかと思ったとたん、今度は光源氏は須磨に移ることになる。せっかく名乗りをあげた実の父も嫉妬深い北の方に阻まれてなんの支援もできない中で、紫の上は女房達をまとめ、留守の屋敷をしっかりと守っていく。若紫は美しいだけでなく聡明な女性の紫の上に成長したのである。光源氏が都に帰還し、これからは光源氏の最愛の思い人としての生活が始まるかと思いきや、光源氏は明石に愛人をもうけ、姫君まで生まれていた。光源氏は姫君の将来のために姫を紫の上の下で養育してほしいという。姫君をひきとってからは姫君のかわいらしさに夢中になり、明石の上に対する嫉妬も和らいでいく。光源氏が須磨から戻って以降は、新しい女君がでてこない。玉鬘は養女格であるし、女三宮は朱雀院からの懇願である。紫の上は光源氏が最後にたどりついた女性であり、嫉妬に泣いたことはあっても、光源氏の最愛の女性としての地位はゆるがなかった。ただ女三宮の降嫁は衝撃で、子供も後ろ身もない立場の不安定さや今後は衰えていく容色の不安もあって、急に胸の痛みと高熱の出る病気にかかり、一時は生命さえも危うい状況になる。危機は脱したものの、その後は次第に衰えてゆき、出家の願望をもらすようになる。御法では仏事と紫の上の死を、幻では紫の上が去った後の光源氏の悲しみをえがいている。短い巻ではあるが哀切極まる部分でもある。源氏物語にはこれまでも女君の死が描かれてきたが、御法の紫の上の死は光源氏の出家につながり、ここで源氏物語の光源氏を主役にした部分は終わることになる。最晩年の紫の上は光源氏が朧月夜を訪れてもさほど嫉妬していない。なにか女三宮の降嫁以降、関心が仏道に移っていったようなところがある。御法では紫の上が仏道にも通じている様子がえがかれているが、光源氏の愛を争う世界から清浄な仏道世界への関心の移行は宇治十帖の終幕の浮舟の出家にも通じるように思う。
2024年02月19日
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夕霧の巻はその前にも発端になるような箇所があるのだが、この巻だけで一つのまとまった話になっている。夕霧と柏木は極めて仲の良い友人であったが、死の直前の柏木の言葉を受けて、柏木の妻であった落葉宮を訪問しているうちに、しだいに落葉宮にひかれるようになり、ついに側室にするまでの顛末を描いている。柏木の死後、落葉宮の母が病気になったため、律師の祈祷を受けるために小野というところに母子ともに山籠もりする。夕霧はもちろんこの山籠もりの手続きも行い、小野にも何度も訪問する。夕霧という名はこの山里を訪問したときの歌に由来する。山里のあわれを添ふる夕霧に立ち出でん空もなき心地してこの頃には夕霧には既に落葉宮に対する想いがあり、ここに留まりたいという気持ちをこめた歌である。一方、落葉宮には柏木に愛されていなかった想い出があり、さらに容色が衰えた今となっては、軽々しく靡くつもりはない。その後、母が亡くなると、この山里に留まったまま、尼になりたいとまで思う。光源氏と女君の場合は、双方に思いがあるのだが、夕霧の落葉宮に対する想いはひたすら一方的である。だいたい最初から「世の中をむげに知らないわけでもないだろう」などというのはNGである。そして落葉宮を側室にした後で、恋などというものはちっともよいものではないと述懐するわけなのだから、このあたりは光源氏とはずいぶんと違う。もっとも夕霧の落葉宮への想いには柏木の遺言以外にも背景がある。夕霧は真面目で優秀な官吏なのだが、光源氏同様に音楽の才があり、風雅の道にも造詣が深い。これ以前の巻では、六条院の屋敷で女楽を聞いたり鈴虫の宴を楽しんだりするという夢幻のような世界と、所帯じみた雲居雁の様子が対照的に描かれている。雲居雁も子供の頃には大宮から琴の手ほどきを受けたが、その後は関心を失い、ひたすら子供の世話と家事におわれている。こうした場合、夫には妻に不満があるわけではないのだが、それとは別のものを別の女性にもとめるという心理があるのだろう。小野の山荘といういわば非日常の世界もかっこうの舞台となる。源氏物語は今の道徳とかモラルではどうかというのはあるにしても、夕霧と落葉宮、妻の雲居雁の悲喜劇は今に通じる中編小説のようである。なお、雲居雁が落葉宮の母からの手紙を奪い取る、源氏物語絵巻で有名な場面もこの巻の場面となっている。
2024年02月18日
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台東区の虐待死事件は相続関係者の不審死も言われており、みかけよりも大きな事件となる様相を呈してきた。家は資産家で本人は無職というケースも多々あるのでこうした相続がらみの殺人というのは表にでないものもけっこうあるのかもしれない。相続といえば、相続分を決める際に特別受益というものがあり、兄弟の中で一人だけ大学に行ったとかいう場合には相続の際に考慮されるという話をきいたことがある。「大学出」に一定の価値があった時代には妥当な考えであろう。でも、実際には、親からもらうものとしては、生まれてから貰うものよりも、生まれる前にもらうものの方が重要である。能力、資質、健康など…。相続分ではそうしたものは考慮されないし、考慮しようもないのであるが、親としてはそうした生活力のない子供のことこそ心配である。昨日判決のあった児童放火殺人事件もそうしたケースだったのではないか。親は出来の悪い兄のために自宅を兄名義にした。そうすれば妹が所帯をもって住み続けても、食事の面倒くらいはみるだろうと考えたのかもしれない。けれども、実際にはそうした兄弟同居はトラブルの温床になることが多い。どっちが悪いとかではなく、一方が所帯をもっていれば、そうなるものだと思った方がよい。児童放火殺人事件の場合も、冷蔵庫に監視カメラを付ける前に引っ越すべきではなかったのか。問題は生活保護である。自宅は兄名義となっており、本人は自宅があるから生活保護は難しいと考えていたようである。たしかに自宅所持の場合には生活保護の対象にはなりにくいという。しかし、現に妹夫婦の住んでいる家がすぐに売れて金になるわけではないし、兄の方は生活資金がすぐにでも必要な状況であった。こうした場合の緊急の生活相談窓口のようなものがあり、生活が安定するまで当座の生活資金だけでも借りることができれば悲劇は防げたのかもしれない。
2024年02月16日
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光源氏の栄華が「藤裏葉」の巻で絶頂に達した後、「若菜」で急展開となる。朱雀院が出家に際して後に残る皇女の行く末を心配して、なかばおしつけるような感じで光源氏に降嫁させる。女三宮である。ひたすら子供っぽく、知恵も伴っていないようなところがあり、それゆえ、院の心配はひとしおだったのであろう。故夕顔も「子めきてろうたし」と少女のような可愛らしさのある女性であったが、それは同時にコケティッシュな魅力になっていた。これに対して、女三宮は単に子供で、光源氏は当然に魅力も感じず、院への外聞をおもんばかって義務的に通うばかりとなる。ただ身分は皇女であるので当然に正妻となる。女三宮の降嫁は紫上にも衝撃を与える。あまりにも子供っぽい女三宮に光源氏の寵愛が移ることはないにしても、子供も持たず、確たる後ろだてのない紫上は寵愛だけが頼りである。そして年齢は40近くであり、今後は容色も衰えていくだろう。そうなったらいつまで寵愛が続くのだろうか、やがては「人笑いになるような」境遇になるのではないか。この頃から紫上は出家願望をもらすようになる。そんな精神的なストレスもあったのかもしれないが、急に胸の痛みを訴えて、一時は生命も危うい状況になる。光源氏は紫の上を二条院の屋敷に移して加持祈祷をさせたため、六条院は人のほとんどいない状況となり、そこに、柏木と女三宮の密通事件が起きる。この密通はやがて光源氏の知るところになり、女三宮は出家し、柏木は懊悩のはてに死ぬ。こうした顛末を女三宮からみたらどうであろうか。降嫁後に行われた光源氏40歳の賀は養女格の玉葛、紫上、秋好中宮、夕霧によってそれぞれ祝われ、女三宮は関係なかった。そして紫上の急病後は皆主だった人々は二条院に移っていった。この時、正妻とは形ばかりのものではないかという疎外感を、いくら子供っぽい女三宮でももったのではないか。そして密通発覚後は、光源氏は大仰には責めないものの、ねちねちと知っていることを匂わしていく。出家という形で逃げ出したくなったのも当然である。柏木の方の女三宮への執着の心理はいまいち今の感覚では分かりにくいのだが、当時の人は身分という概念に縛られており、身分の高い皇女との結婚を強く望むのも当時の貴族ではよくあることだったのだろう。それにしても密通というのは、宿命的な悲劇としか思えないし、その後の柏木の死の描写は両親は健在であっただけに哀切である。大きな物語の流れでいえば、光源氏の若い日の密通事件が、後年立場を変えて光源氏の身に起きるという皮肉、そしてそれによって、自分が密通を知っていながら知らないふりをしているように、父桐壷帝も密通を知っていたかもしれないということに思い及ぶ。自分が当事者となって、自分がその年齢となってはじめてわかるということも、人生には往々にしてあるものである。
2024年02月15日
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平安時代の貴族社会では意外に離婚や再婚が頻繁に行われていたようである。そしてまた、一夫多妻も普通であったので、継母子関係というものもごくごく普通にあったのだろう。かの更級日記でも作者の母は継母で、その後、離別している。更級日記の作者と継母との関係は良好であったようなのだが、実際にはそうでない場合も多かったであろうし、落窪物語など継子いじめの物語も残っている。源氏物語でも、紫の上の父の正妻は「おおさがなもの」の悪役として物語に何度かでてくる。その一方で、源氏物語では、紫の上は明石の上の産んだ姫を大切に育てている。もちろん紫の上には明石の上に対する嫉妬はあったし、彼女の見事な筆跡をみたり、琴の上手の話を聞いたりしてすねる場面もある。けれども、もともと子供好きな性格で、姫をひきとってからは、姫のかわいらしさに、嫉妬もかなりおさまっていったという。妻が愛人の子供を引き取って愛育し、実母が子供のすぐ近くに住みながら我が子に会わないというのはどちらにも辛いはずの稀有なことであろう。昼ドラなら、それだけでも、継子苛めや子供をめぐっての争いなどのどろどろの話ができそうである。ただ、源氏物語の中で理想的な女性に描かれている紫の上と明石の上の間ではそんなこともなく、彼女らが初めて対面したのは、姫の入内準備のときである。二人はそれぞれに互いに対して光源氏の寵愛は当然だったという感想を持ち、後に姫が皇子出産のために里帰りしたときには、紫の上は乳児の世話を、明石の上はもっぱら湯の準備等を行う。光源氏が戯れに明石の上に赤ちゃんをとられてもよいのかというと、明石の上は、私はその方がよいと思っているので仲をさくようなことはいわないで下さいと返す。姫は実母が明石の上と知ってからは、ますます紫の上と睦まじくなる。愛情豊かな紫の上と、実母という確かさに裏打ちされているとはいえ一歩引く明石の上の賢さが、姫を中にして幸福な関係を築いているわけである。紫の上を桜に、姫を藤に喩える表現は,「若菜」巻にもでてくるが、明石の上は橘に喩えられており、紫の上の美しさにも気圧されないとしている。「あさきゆめみし」では百合となっているが、どちらにしても、外見の華やかさよりも内面の知性や品格がにじみ出ているような美ということだろう。
2024年02月14日
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最近みている韓国ドラマはウェブトーンを原作とするものが続いている。ウェブトーンとは一コマずつコマを送ってみるスマホ画面用の漫画で、有料のものもあるが、ネット上で無料でみられるものもある。知っている限りでは韓国原作のものであり、それが日本語に翻訳されているサイトをみると、登場人物の名が日本人になっている。昔、韓国に行ったとき、日本の漫画がかなり翻訳されていたのだが、登場人物が韓国人になっていたので驚いたことがある。例えば桜木花道はカンベッコというように…。それがウェブトーンでは逆の現象が起きていることに時代の流れを感じる。それにしても、これが欧米の原作なら登場人物の名を日本人にするなどありえないのに、なぜ、韓国原作だと人物名の改変がおきるのだろうか。今、見ているものは「私の夫と結婚して」で、内容はろくでなしの夫と親友に殺害された女性が10年前の自分に戻り、運命を変えるために奮闘する話である。過去に戻って未来を変える…という話は、本、映像を問わず、いくつもあり、昔々のタイムトラベラーのように未来は変えられないというものもあれば、いくらでも変えることができるが、変わるたびにパラレルワールドが発生するというものもある。こうした物語は未来改変の制約をどう設定するかが重要だ。「私の夫と結婚して」では、起きることは必ず起きるのだが、自分の運命を人のものに改変することはできる。主人公はDV体質のクズ男と結婚し手遅れの癌にかかり、最後は保険金目当ての夫と親友に殺害されるのだが、自分の運命を変えるためには、その運命を誰かに引き受けさせる必要がある…というのが新機軸である。このドラマで10年前に戻った主人公は何をするのかというと、今まであきらめていた自分を変えていく。自分は容姿はよくないと諦めていたのだが、思い切って髪形を変え、コンタクトレンズにすると、おどろくほど美人になる。自分の能力には重きを置いていなかったのだが、やる気をだせば意外と有能である。やりなおせれば自分ももしかして…というのは、多くの人が思うことだろう。実際にはそんなわけもないのだが、そんな夢をついているところも、このドラマの面白さのように思う。
2024年02月13日
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境界知能という言葉を最近よくきく。正規分布曲線の下位の方で14%ほどいるという。これまたここ10年ほどでよくきくようなった発達障害についても最近の調査では小中学生の8.8%ほどが発達障害の可能性があるという。発達障害は知能とは無関係ということなので、境界知能でかつ発達障害という人もいるにしても、全体の20%以上が境界知能か発達障害のどちらかにあたるということになる。どちらも治癒するものではなく、生きづらさを生涯かかえることになるのだという。これにさらに知的障害などの障害を入れると、いったいどのくらいの率になるのだろうか。子供の数は減っているのにいじめや不登校も相変わらず数多い。今の時代というのは、どうも、子供が普通に生まれてきて、普通に育ってあたりまえという時代ではないのかもしれない。こんな時代だから、子供を持つのが不安だという人も増えているのかもしれない。
2024年02月11日
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玉鬘から真木柱までの十巻を玉鬘十帖という。筑紫に下った夕顔の遺児の玉鬘が乳母とともに上京し、源氏の屋敷に引き取られた後、髭黒大将の北の方となるまでの顛末を描いたもので、後から執筆されたものという説もあるようである。本筋の方では女君たちは六条院の四季の屋敷や二条院に落ち着いて暮らしているので、さほどの変転はない時期である。ちょうどこの十帖が入ることで、明石姫が成長し、入内するまでがつながっていく。この玉鬘十帖は養女格として源氏の屋敷に入った玉鬘に、多くの男性が想いをよせ、文を寄越したりするのだが、それを光源氏が見て楽しむという難題婿のような物語となっている。まさか作者が違うということはないのだが、いままでに比べると、やや書き方の趣が違う。女君の美しさが詳細に描写されており、玉鬘については、山吹の花が露をふくんで光っているような美貌だとしている。この個所では紫の上の美貌についても、玉鬘との対で満開の桜の花が突然に現れたようだと表現されている。玉鬘の容姿は美そのものでは紫の上に一歩譲るが、そのかわりに明るい親しみやすさがあるというわけである。性格も母夕顔よりも「かどかどしさ」、つまり聡明さがあるとし、田舎育ちであるにもかかわらず、宮中に出仕し、内侍の職務もこなす。ただ、帝に気に入られそうになると、すでに髭黒の妻になっているということを考え、出仕を辞める。そして、訪れる前妻の息子達も可愛がり、訪問が許されない前妻の娘(真木柱)を残念がらせる。明るく聡明な田舎育ちの娘が都にでて幸福になる…今も昔も人々はこんな話が好きである。もっとも時代は平安時代、当時の幸福と今の幸福は中味が違い、玉鬘も当初は髭黒との縁は全く不本意だったのだが。源氏物語には対象的な女君がよくでてくるが、ここでも、もう一人、頭中将の姫と名乗り出た女君が出てくる。近江の君である。容姿はさほどの難はないが、ひたいが狭いという描写で、庶民的な田舎娘として滑稽に描かれている。平安貴族といっても、皆が寝殿造りの屋敷に住んでいたわけではない。貴族といっても中流以下は小さな家に住んでいることもあるし、作者も実際に近江の君のような女性にであったことがあるのかもしれない。玉鬘十帖でも、実直な髭黒や庶民娘近江の君、夫との不和のストレスからヒステリー発作を起こす髭黒の先妻、そしてねちねちと光源氏方への恨みを募らす先妻の母と登場人物がリアルに描かれている。
2024年02月10日
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最近、境界知能という言葉をよく聞く。知能は他の自然特性と同様、正規分布を描くので70~84は115から130と同様に14%ほどいることになる。高い方はともかくとして低い方は生きにくい場合が多い。しかしこれは昔からではないか。いったいなぜ最近急にこんな言葉がいわれるようになったのだろうか。そしてそれも非常に差別的なニュアンスで…。家に火をつけて、妹の息子二人を殺害した男に死刑が求刑されたというが、この男も境界知能だという。男はコロナ禍で失職し、自分名義の自分が生まれ育った家に戻り、そこで妹夫婦と同居した。8050問題ということがいわれるが、このように親が他界し、もともとの親の家に生活力のない兄弟が住むというのも、8050問題の変形のようにもみえる。家が男の名義だというのも、親としては生活力のない子供の将来を案じて、家を残してやろうと配慮したのかもしれない。こうした兄弟との同居というのは、もともと無理があったとしか思えない。妹夫婦の方も生活に困難を抱えていたのかもしれないが、無理にでも別居し、互いのために関係を絶った方がよかったのだろう。同居生活は、兄にも妹夫婦にも不幸だったのではないか。兄弟の相続分は基本は平等とは言うが、親から生まれた時に貰うものは平等ではないし、その後の運不運もある。兄弟の中に生活力のない人がいる場合には、自分は生まれた時に親から余計にもらったものがあると思えばよいではないか。そう思えば親の財産のほとんどを無職の兄にやっても腹はたたない。問題は、家が自宅名義の場合には、生活保護を受けられないと男が思い込んでいたことである。境界知能の場合には、自分の財産の処分や生活保護の申請が困難であろうし、こういうのにつけこんで詐欺まがいのことをする連中もいるかもしれない。自分名義の家があっても、明日の生活に困るという人は現にいるわけであるし、こうした場合の相談窓口のようなものも周知させる必要があるのかもしれない。困窮者の救済だけでなく、悲劇的な事件を防ぐためにも必要なことであろう。
2024年02月08日
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源氏物語を読んでいると、全体のプロローグのような桐壷の巻はちょっと異質な感じがするのだが、帚木から朝顔までがひとまとまりで、次の乙女から藤裏葉までがまたひとまとまりのようにもみえる。前者は光源氏がいろいろな女性と出会い、その女性達のそれぞれの人生を描いているのだが、後者は光源氏の息子夕霧の恋愛模様と明石の姫が入内するまでの物語に養女玉鬘と彼女の求婚者をめぐる物語が併行してすすむ。この中には、落ち着きどころを得た女君たちの性格や個性がかいまみられる挿話もでてくるのも興味深い。その前者の最後の巻が「朝顔」であり、朝顔の君は最後まで光源氏を拒絶した女性として知られている。雨夜の品定めの頃から、すでに朝顔の君に文を出していた話があったのだが、「朝顔」の巻にきて、光源氏が俄然熱心になったのは朝顔の父の式部卿宮が亡くなり、彼女自身も齋院をおりたという背景がある。このあたりの心理は「例のおぼしそめつる事たえぬ御癖」と書かれており、文をだしたものの拒否され、そして拒否されればされるほど執着が募るといった光源氏の性格も原因にはあるのだろう。朝顔の君の性格や容姿についての記述はないのだが、もともと故桐壷帝が光源氏の妻にと考えていたとあり、才覚容色ともに優れた女性だったと思われる。ただ、「朝顔」の巻の時期には相当の年齢になっていた。式部卿の宮が亡くなり、ひっそりとした屋敷には朝顔の君だけでなく、光源氏から見れば叔母にあたる女五宮も住んでいる。朝顔の君は、例によって光源氏とは文のやり取りしかしないのだが、女五宮はおしゃべりで面と向かって源氏を誉めちぎり、朝顔の君にもしきりに靡くようにすすめる。いつの時代にもこんな女性はいそうであり面白い。光源氏の朝顔の君に送った歌は以下のとおり。見し折の露わすられぬ朝顔に花のさかりは過ぎやしつらん朝顔の君の返し秋はてて露のまがきにむすぼほれあるかなきかに移る朝顔朝顔と光源氏との間はこうした歌の贈答でおわる。光源氏からは朝顔の姿は几帳ごしで見えないのだが、朝顔からは光源氏の世にも美しい姿は見えたことだろう。それでも光源氏と会うことを拒否したのは、いまさらの恋ではなく、平穏な生活を望んだわけで、気持ちはよくわかる。花のさかりを過ぎた時期であれば、寵愛がつづかない可能性が高く、それでなくとも紫の上をしのぐ寵愛は望むべくもない。それはそれで苦しみとなるのは目に見えているのだから。彼女もまた、非常にプライドの高い女性だった。
2024年02月07日
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東京では昨日大雪警報が出た。ただ、同じ東京といっても、地域によって気候はかなり違う。東京でも西の方の多摩丘陵とよばれるあたりは、もともとハイキングコースになるようなところを住宅地にしたわけであり、気候はいわゆる山の気候である。平地は雨でも山では雪…そうした地域ではすぐに雪が降るし、その雪は積もる。東京の区部の場合には昨日はたしかに相当雪が降っていたようだが、道には積もっておらず、普段の雨上がりと同様に多少濡れているというだけですんだ。それにしても、雪予報がでると、嫌だと思うようになったのはいつからだろうか。実際、雪で転んで手を不自然についたため、しばらく手首が動かなくなったことがあったし、転倒、骨折となるともっと怖い。子供の頃は純粋に雪遊びができるので雪は楽しみだったし、その以降も、見慣れた光景が幻想世界になる雪は好きだったのだが…。それにしても、枕草子に冬は雪の早朝が一番良いとあるのは有名だが、源氏物語にも雪の情趣が綴られた箇所がいくつもある。いくら貴族とはいえ、エアコンもない時代で、しかも家屋は日本式の吹き抜けである。それでも、雪を情趣あるものとみる余裕があったとは…平安人は雅なだけでなく、心身ともにタフであったのだろう。令和の自分は昨日など情趣どころか寒い寒い寒い寒いとしか思わなかった。窓をあけて、家々に雪のつもりぬるをいとあはれとおぼゆとはならない。
2024年02月06日
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源氏物語中で宇治十帖を除けば都以外が舞台になっているのは「須磨」、「明石」の二巻だけだ。作中には明石から見た淡路島の光景などもでてくるのだが、たぶん作者は須磨にも明石にも行ったことはない。古歌の情景などをもとに想像をもとに綴ったのだが、都とは趣のことなる海辺の情趣がそこはかとなく伝わってくる名文でさすがとしかいいようがない。一説によれば、紫式部が執筆をしたという石山寺と琵琶湖は近く、琵琶湖の情景を参考にしたともいうが、どうなのだろうか。須磨源氏という言葉があり、長編の源氏物語は「須磨」の巻あたりで脱落する人が多いという。たしかにここでは都人との別れや新しい生活の情景が描かれるほかは大きなドラマもなく、頭中将が訪れてくることくらいなのだが、こうした巻もよいと思う。次の「明石」の巻ではいよいよ明石の上が登場する。明石の上は「須磨」の巻で従者の良清が想いをかけている相手として紹介され、そこでは「勝れたるかたちならねど、懐かしうあてはかに、心ばせあるさまなど言いいたり」とされている。「明石」の巻では、実際に光源氏に逢うのだが、そこでは優雅で上品で六条御息所を思わせる女性として描かれている。田舎に流れてきた光源氏にとっては、都を思わせる女性だったのだろう。絶世の美女でなくとも、内面の知性や品性で、紫上にも気圧されないだけの魅力をもっていた女性である。源氏物語の読者層の多くは更級日記の作者のような中流貴族層だったし、作者自身もそうであった。田舎暮らしに辟易しながらも、上流の雲上人の生活に憧れもした。そんな少女たちにとってよき殿御にみそめられ、最後は中宮付きとして宮中に入ることになる明石の上のシンデレラ物語は大いに夢を書き立てたことだろう。明石の上こそが源氏物語の実質的なヒロインなのかもしれない。そしてまた実際、中流貴族の娘から最上層というのは全くないわけではなかった。藤原の兼家の妻で道隆や道長の母にあたる時姫は藤原傍流の出であったが、最高権力者の正妻となり、有力者となる子供を産んだ。自分ももしかしたら…と夢見ていた娘たちも多かったことだろう。
2024年02月05日
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六条御息所は斎宮となった娘とともに野宮から伊勢に下る。この野宮にいる間に光源氏は六条御息所に会うのだが、彼女の直接の出番は意外に少ない。これも散逸した六条御息所との出会いを描いた巻があるのではないかといわれる所以だろう。ただその少ない出番でも、気品ある雰囲気は伝わってくる。なにしろ大臣の娘で天皇の弟の妻という、世が世なれば中宮になる可能性もあった女性である。それが光源氏との浮名が世に知られ、さらに生霊の噂まで出ているとなれば、都に身のおきどころもなく、伊勢にも下りたくなるだろう。やがて桐壷帝が死去し、右大臣方の皇子が帝位につくことで世の中の流れは変わる。左大臣は屋敷にこもりがちになり、光源氏を訪れる人もめっきりと減る。このあたりの世の中の変転は、実際に作者が見聞きした平安中期の権力抗争の様子が反映されていることだろう。桐壷帝の死後、藤壺の宮は史記の挿話を思い出して恐怖に震える。こうした中国の歴史の知識も教養ある女性の中ではかなり一般的になっていたことがうかがえる。弘徽殿の女御は気の強い政治的女性で、他の女君とは別カテゴリーなのだが、彼女の人物造形にも中国の史書が反映されているのだろうか。天皇が変わったのを機に弘徽殿の女御はいよいよ光源氏排除に動きだす。ここでちょうどよく起きるのが、光源氏と朧月夜の君との密会の露見なのだが、ここでも同じ右大臣の姫ながら冷徹な権力志向の弘徽殿の女御と恋愛に生きる朧月夜の君とが対照的に描かれる。その結果、光源氏は京を去り、須磨に向かうことになる。いよいよ都を離れる直前、わずかに交渉を続けてきた麗景殿女御の妹を訪ねるくだりが「花散里」の巻である。彼女との出会いは物語には描かれていないし、この巻もごくごく短く、しかも花散里の登場する箇所は数行にすぎない。そして巻名の由来となった歌も彼女自身ではなく姉の女御の歌となっている。人柄同様、物語の扱いも控えめなのだが、花散里はその後も登場し、六条院の屋敷の夏の院に住み、夕霧の母代わりをするなど重要な役割を果たしていく。ここでは花散里の容姿にはふれていないのだが、後に少年となった夕霧が花散里を初めて見る場面では、顔立ちがととのっていないなと思い、今まで美しい女性ばかりみてきて女性は皆美しいものと思っていたのだが、もともと優れていない容姿が盛りもすぎ、やせて髪も少なくなっているのが難点だなんて考える。源氏物語の登場人物は意外と美しい姫君ばかりというわけではない。花散里は容姿はいまいちなのだが、その後も何度も登場し、その控えめな賢さや家事の巧みさ、性格のよさなどの美点が次第に読み取れてくる。逆境の中でひさしぶりに訪ねていったのが花散里であったというあたりにも、彼女の変わらぬ暖かさが想像できる。
2024年02月04日
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源氏物語「花宴」では朧月夜君が登場する。紫の上があでやかで清純な昼の桜だとしたら、朧月夜君は妖艶な夜桜のイメージなのだが、この巻では朧月夜の容姿についての描写はない。夢のような花宴の夜に出あい、扇を交換して別れた女君ということで、その後の藤の宴のときにようやく右大臣の姫であるという素性が明らかになる。その後も朧月夜の君は光源氏の人生に関係していくのだが…。次の「葵」では、葵上の出産と死亡、そして紫の上との新枕が描かれる。有名な六条御息所の生霊の場面があるのだが、車争いに発する葵上と六条御息所、そして光源氏の三者三様の心理が生霊を作り出したような描写にもみえる。思うに紫式部は本当は生霊とかそうしたものは信じていなかったのではないか。光源氏は葵の上の声を聞いて六条御息所と思い、御息所は自分の衣服や髪に祈祷に使う護摩の匂いがついていると思う。いずれも主観である。ただこれも実際に生霊がとり殺したとも読むことができ、そうしてみると、怪奇小説の趣もある。それにしても、あらためて読むと葵上は隙がなく、とっつきにくいという描写ばかりで、死ぬ直前の光源氏を見送る場面以外ではあまり感情のよみとれる場面がない。むしろ光源氏になにかと気をつかう舅の左大臣や妻大宮の人の良いかいがいしさばかりが目立つ。葵上は兄の頭中将からみれば理想的な妻であり、容姿も端麗であり、また、親のない小さい女童をとりわけ可愛がっていたという描写もあるので性格も悪くなかったのだろう。ただ光源氏と結婚したときには光源氏が12歳で葵上は16歳、今でいえば高校生と小学生ほどの年齢差である。いったん「似げなくはずかし」と思い始めると、ぼたんのかけ違いのように、すれ違ったままになってしまう。それだけでなく、正妻という立場は光源氏の好き心を刺激せず、そのうちと思っていた節があったことと、葵上の側の感情表現の不器用さがあったことも大きい。なお「あさきゆみし」では葵上はやや子供っぽいわがままな女性になっているが、これは原作のイメージとは関係なく、あるいはこのくらいだったら光源氏と心を通わせることもできたのかもしれない。葵上の死後、紫の上(若紫)と新枕となるが、このとき、紫の上は15歳ほどになっており、結婚できない年齢ではない。若紫はかわいい幼女と出会い屋敷に引き取る巻であるが、この時期ではまだ、幼女を性愛の対象として見ているわけではなかった。
2024年02月03日
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韓国では日本以上に少子化がすすんでいるという。韓国に限らず東アジアでは少子化のスピードが速いようだ。本来、この地域は儒教の影響が強い地域で、儒教は血統がとだえることや男子が続かないことを嫌う。こうした価値観は少子化を抑制する方向に働きそうなものだが、逆に儒教文化圏とよばれる地域で少子化がすすんでいるのはなぜなのだろうか。その背景を考えてみる。まず儒教では親子など縦の血脈を重視する。これは言い方を変えれば、親の子に対する責任が非常に重視されるということでもある。成人した子供が犯罪を犯した場合、親が公職を辞するなどは欧米では考えられないが、韓国では普通にあるのではないか。韓国ドラマの財閥家庭崩壊ものではこうした場面がよく出てくる。また、犯罪や非行でなくとも、子供が自立できない場合には親はいつまでも扶養しなければならない。そうなれば、子育てのリスクははてしなく大きい。次に儒教では学問による人格修養を重視する。その結果、努力信仰が強く、受験競争は激しい。子供の教育にかかる費用は高騰し、これも子供を持つことを躊躇する要因になる。韓国では子供に語学力を身に着けさせるために父親だけ残り、母子だけが英語圏に滞在するという生活様式もあるというが、いったい金はどのくらいかかるのだろうか。三つ目は男尊女卑である。男尊女卑は男に都合がよいわけではなく、こと結婚については、男が上でなければならないという価値観に結び付きやすい。本能として女性は自分より高スペックの相手を求めるのは万国共通なのかもしれないが、それでも、その程度というものがある。自分よりはるか下というのは嫌であるにしても、同等かそれに近ければまあ対象範囲とみるかどうか、このあたりは文化によって違う。男尊女卑の価値観のあるところでは、女性の男性に対する要求も高くなり、その結果、結婚するにも適当な相手にであわないという女性が多くなる。そして学歴競争の強い社会では、女性もまた競争に勝つ機会が提供されているので、女性にとってはますます適当な相手に出あうことが難しくなってくる。そして最後は未婚の母に対する忌避感である。韓国をはじめ東アジアでは婚外子の出生が少ない。また、母親が養育できない婚外子を養子とする文化もない。韓国では海外養子が多いというが、その多くは未婚の母の子供だという話もある。以上、韓国というか、いわゆる儒教文化圏といわれるところでの少子化の進行について、思いつくままに背景を考えてみたが、はたしてどの程度あたっているのだろうか。
2024年02月02日
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若紫の巻の後には末摘花の巻、そして源内侍の登場する紅葉の賀の巻が続く。これらの巻では、若紫が光源氏の期待のとおりに聡明に育ち、藤壺宮は光源氏にそっくりの皇子を生むなどの本筋の変転もあるが、末摘花とか源内侍という個性的な人物も登場する。そしてまた、末摘花では零落した故宮の荒れ果てた屋敷、紅葉の賀では宮中の優雅な紅葉の御幸や舞楽というように場面も対照的である。末摘花は不器量な女性として容貌が詳細に描写されているが、驚くのは、光源氏が末摘花と空蝉を比較して「かの空蝉のうちとけたりし宵の側目はいと悪かりしかたちざまなれど、もてなしに隠されて口惜しうはあらざりきかし。(末摘花は空蝉に)おとるべきほどの人なりやは」と思っていることである。どっちもブ〇だが、空蝉はみのもてなしや心ばせで欠点をカバーしているという。以前は「わろきによれる」とだけ書かれた空蝉はそんなに不器量だったのだろうか。空蝉の方は一応天皇の後宮に入るようにと親は育て、夫の死後は先妻の息子が言い寄ったりもするので、いくらなんでもそんなに酷いわけがないと思うのだが…このあたりは光源氏の瞬間の心理をえがいているのか筆がすべったのか。ちなみに、末摘花と空蝉の容姿をみると、末摘花は背が高く痩せていて、象のような鼻とある。象のような鼻は人間にはいないので単に高い鼻というのなら、やせて背が高く鼻が高いのは現代ではさして難ではない。ただ赤い鼻というのはたしかに問題だ。空蝉は、眼がはれぼったく鼻筋も通っていないとあり、これは、今の基準でも、ごく一般的な不器量だろう。ただ、末摘花は不器量な上に、極端な引っ込み思案で気の利いた歌を詠むこともできない女性として描かれている。もっとも、困窮した生活では、きれいな用紙もないので、気の利いた歌のやり取りも期待できずに、零落した荒れ屋敷にひそんでいるしかなかったのかもしれない。これに対し次の巻に出てくる源内侍は出番は少ないがはるかに元気である。源内侍は数え年で57歳か58歳なので、今だってこのくらいの年で若作りはいるだろう。荒仕事をしない貴族は庶民に比べると若く見えただろうし、紫の上は43歳で亡くなるまで美しかったという描写もある。そう考えると源内侍も全くの老婆というほどではなかったかもしれない。だが年増は年増である。そうした年増が光源氏に思いをかけ、様々に誘惑?し、せまってくる。その一つがこんな歌である。君し来ばたなれの駒に刈り飼はんさかり過ぎたる下葉なりとも源内侍と光源氏がいるところに、頭中将が現れ、どたばたのうちに密会はおわるのだが、源内侍はちょいちょいとその後もでてくるようである。
2024年02月01日
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