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後楽園がまだドームになっていない頃後楽園遊園地の裏のホールでチューリップのコンサートを見ました。財津和夫もまだ若く魔法の黄色い靴やサボテンの花を歌っていました。私たちは仲間とバイトしてお金を貯めていたのでした。無謀なコンサートを計画中だったのです。そのコンサートの構成の参考になればいいとチューリップを見に出かけました。ひとつ屋根の下が放送されていたのはもう10年以上も前のことです。福山雅治がちいにいちゃんで人気を獲得し始めていたものの電車の中にはエセ江口洋介がたくさん乗っていました。一車両に一人は彼のまがいものコピーが乗っていました。街には再びサボテンの花が流れていました。財津和夫の声が流れていました。その年1993年8月鹿児島は未曾有の水害に見舞われました。西田橋は現在復元されて記念公園にあります。
2006.10.31
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優しい顔の軍人もいます。それがいいとか悪いとかは言えませんが。我が国の軍神は戦った国には悪魔であり生まれた土地では静かに海をみつめています。歴史に学べと説教することは出来ませんが歴史に学びたいとは思います。元帥東郷平八郎バルチック艦隊を破った男です。いかなる理由があっても戦争を容認することは出来ません。私個人の思いです。いかなる理由があっても子ども達を戦地に送ることはできません。子ども達に人を殺させることはできません。人に殺されることも許せません。他国の子どもも同じ人の子です。
2006.10.30
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町に住む魔物は曲がったことが嫌いです。ただただ直進することしかできません。魔物たちは道に沿って直進します。道が行き止まりところの住居にそのまま入って住みつきます。鹿児島の街のあちこちに魔除けのお守り石敢当が立っています。風のようにすばやく動く魔物たちは石敢当にあたって砕けて散ります。曲がったことが嫌いで融通が利かず頑固一徹滅びることすら念頭にはない古き良き時代の魔物の性格はどことなくどこかの頑固じいさんに似ています。現在巷を跋扈する魔物たちは・・・どうやって退治したらよいのでしょうか。ふらふらと街を歩けば石敢当を見かけます。それはT字路・・道の行き止まるところにあります。
2006.10.29
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鹿児島は晴れています。桜島はかすんでいます。高校の不祥事が受験生を悩ませています。マスコミが大騒ぎをしています。いったいいつから学校は生徒や父兄と敵対するモノになったのでしょうか。加害者と被害者の関係になってしまったのでしょうか。両者は味方仲間であるはずなのです。履修ミス問題・・原因ははっきりしています。受験に有利なようにズルをしていたわけではありません。こんな単純なズルはすぐに発覚するものです。ズルなんて呼べるものではありません。原因はとても単純です。けれども深い根の問題を内蔵しているために大きな声で口にするわけには行きません。小さな声でも言うべきことではありません。今朝の桜島は雲の向こうにありました。鹿児島はとてもいい天気です。11月を迎えるにしては気温が高すぎる気がします。
2006.10.28
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鹿児島の最高気温は27度ありました。昼間はまだ長袖では暑いくらいの気候です。西郷隆盛の銅像の前で小学生の一団とすれ違いました。宮崎からの修学旅行なのだということでした。受け持ちの先生はカメラを持って資料を持って走り回っておられました。一学年の修学旅行がバス二台で十分なのだと汗を拭いておられました。
2006.10.26
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今朝の桜島が霞んでいるのは太陽がまぶしすぎるせいです。朝御近所の女子高生とすれ違いました。学校が荒れていると耳にします。最近の高校生は最近の小・中学生は とも聞きます。けれどもそれは昔から言われていたようにも思えます。ほとんど全ての高校生やほとんど全ての中学生やほとんど全ての小学生は明るく元気な学生さんをやっているような気もします。彼女はずっとバレーボールをやっていました。有名校のキャプテンでリベロで親元を離れて寮生活をしています。夏には引退して看護師をめざして猛勉強中です。テレビも電話もない四人部屋で趣味は腹筋という子です。明るく元気な女の子です。プラトンは自分も言われたと書いています。「最近の若い奴らは・・・」と古代ギリシアのお話です。今時の女子高生でも近所のオジサンとすれ違ってちゃんと元気に挨拶する子は実はたくさんいるのです。
2006.10.25
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いい天気に恵まれて想像以上に快適な遠足でした。妙円寺参り参加しました。昨日。日曜日です。文字通り老若男女が三々五々連れ立って歩いていました。自然の中を歩くのは気持ちのいいものです。慢性的に運動不足のモノにとっては心地よい疲れが残りました。身体に昨日の疲れが残れば余計なことも考えず気分も爽やかなものです。足は今日もパンパンに張っています。昨夜鹿児島には久しぶりで雨が降りました。
2006.10.23
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西郷隆盛のことを南洲と言います。大久保利通のことを甲東と呼びます。彼らは幼い頃からともに育ちました。二十歳を過ぎても彼らは下級武士でした。最下級の武士階級だったのです。彼らのチームの名前を精忠組と言います。鹿児島市草牟田の小高い場所に小さな公園があります。座禅石公園です。確かに人が座れそうな上面が平らな石と南洲甲東両先生座禅石という立派な碑が立っています。若かりし頃まだ苦労時代夢ばかりを持って天下国家を論じていた頃の西郷隆盛と大久保利通がココに座って座禅を組んで考え事をしていたと・・・本当か嘘か嘘ではないと思いますが。誰もいない公園でこの石に座ってみましたが別に何にも浮かんでくるものはありませんでした。明日は二人も歩いた道をゆっくり歩いてみようと思っています。
2006.10.21
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鹿児島の木々に秋が見えるのはずいぶん遅くなってからです。今年は暑さが長引いています。そんな気がします。県立図書館の木々にも少し秋の色が入り始めました。秋の山の景色に模様替えが終わるまでにはもう少し時間がかかるようです。雨もずいぶん降りません。空だけは秋の色になっているような気がします。日曜日も晴れてくれればいいのですが。
2006.10.20
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こちらに戻ってきてからよほど気が向かない限り音楽を聴くことがありません。新幹線が東京から新大阪に到着するまでに人生を三回くらい考えることができるという名言を吐いた友人がいます。今は北九州に住む男です。新幹線の中ではよく音楽を聴いていました。通勤の地下鉄の中でも聞いていました。現在は車の中でラジオを聞いているだけです。音楽のテープやCDではありません。地元ラジオの放送です。今朝ラジオから懐かしい曲が流れていました。オリビアを聞きながらです。杏里です。犬の気持ちの解る古い友人のことを思い出しました。あの頃から杏里はいいと力説していた男です。
2006.10.18
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昨日母の教え子さんが御訪問下さいました。60年ぶりの再会だったということでした。母は結婚前奄美大島で教師をしていました。手紙のやりとりはあったようですが。久々の教え子との再会とあってパーマ屋にでかけ持たせてあげるお土産を用意し早朝からちゃんと化粧もして本当に楽しそうに待っていました。娘のように笑い転げていました。昨日訃報を受け取りました。大の友人の親父さんがなくなりました。結婚式の前夜早々に自室に引き上げた彼の代わりに遅くまでその親父さんとお酒を飲んで酔いつぶれました。年取ってなお農業を続けておられた頑固でやさしい長野の男でした。忙しい彼とまだ直接話してはいません。
2006.10.17
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この街は狭い平野に出来ています。小高い丘があちこちで市街地にせり出しています。桜島が見える場所はランニングコースのあちこちにありますが。桜島との間に緑の山が入ります。桜島の前の緑の山が城山です。西南戦争最後の決戦の場所です。政府軍はあの山を周囲から封鎖して攻めました。この道を下ると原良の町に出ます。小松帯刀の私邸のあった町です。坂本龍馬が鉄砲を試射した丘です。薩英戦争の本営があったところです。西郷家のお墓がいまでもあるところです。風が涼しくなってきました。空には雲も見えません。
2006.10.16
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ビートルズが好きだと言わなければ音楽を語るなそんな空気がありました。でも私はビートルズなんか聞いてはいませんでした。レットイットビーというカタカナのシングルレコードを買ってはきましたが。何回も針を落としたわけではありませんでした。同世代の全ての人がそうだというわけではありません。私はビートルズの良さがわかる耳を持ってはいませんでした。その良さがよくわかりませんでした。yesterdayをみつけました。若いポール・マッカートニーがひとりで歌っています。懐かしい気がするのはどうしてなのでしょうか。yesterdayは名曲です。けれども私がそのことに気付いたのはビートルズ解散後のことです。彼がひとりで歌っているのが好きでした。最近の桜島はかすんでいます。天気は上々いい天気です。秋晴れのすんだ空にどんと浮かんだ桜島が好きなのですが。散歩コースに桜島を見ることのできる場所がいくつかあります。
2006.10.15
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自らのキャクターをつくり自分を型にはめ込んで演技演技・・です。素直な自分の自然な姿などいったいどこにあるのかさえも解りません。そんなものがかつてあったのかさえも判然とはしないのです。ブログは大変難しい表現方法です。貴君の鋭い眼力からは逃れようもありませんが。面白話ですら私の口を出るときは説教口調で面白くもなんともなくなってしまいます。貴君の巧妙な話術を聞きたくなってしまいます。貴君ならもっと面白おかしく語るのにと思っています。自宅のすぐ近くにランニングコースがあります。体力作りに最近歩いて散歩します。こちらへ戻って車ばかりにたよる生活になってしまっているからです。来週末ちょっと歩かねばなりません。大丈夫書いているほどに老け込んではいないつもりです。素直であるわけでもありませんが。まんじゅろあらためて食べてみました。すっぱいすももに近い味です。ちいさな硬い種が果肉の中に浮いています。みかんに近い歯触りです。プラムにみかんの味を加えて少々酸味を強くした感じです。どこかでよく似たものを口にしたことがあるのですが。思い出すことができません。
2006.10.14
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ほんの数本だけですが。庭に果実をつける低木があります。まんじゅろの実だと母は言います。甘酸っぱい実です。父が亡くなる年の春両親はそろって数十年ぶりに奄美大島に旅行しました。二人の生まれ故郷なのです。子どものようにはしゃいだ二人がその旅で持ち帰った木です。あちらではもっと大きな実がなるのだと母は言います。今年も母の言う「まんじゅろ」の実がなる季節になりました。
2006.10.13
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1997年10月12日私は京都にいました。20年ぶりに旧友と会うための京都でした。賀茂川の流れを見ていました。もう十年近く前のことです。ちょうどその日はジョン・デンバーが亡くなった日です。あとになって気付いたことです。ジョン・デンバー好きな歌手でした。インターネットは便利な道具です。生前の彼の姿を見ることができます。Little Drummer Boy を歌っています。その年の暮れ京都で会った友人は亡くなりました。早すぎた死でした。若すぎた死でした。もう10年近く昔のことです。賀茂川の夕暮れがとても美しかったのを覚えています。
2006.10.11
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ふらふらと街を歩けば意外なものに出会います。鹿児島中央駅の背中にはトンネルがいくつかあります。一般道路のトンネルも二本あります。交通量の増加にともなって武岡トンネルがもう一本掘られるという噂があります。単なる噂ではありません。トンネル入り口には大きな看板にトンネル開通が予告されています。ふらふらと街を歩けば意外なものに出会います。これが新武岡トンネルの出口だろうと思われます。左のトンネルが現在の両面通行のトンネルですから。ふらふらとネットの海に迷い出ると面白いものに出会います。不定期に猫ぴろしさんの訪問を受けています。猫ぴろしさんです。猫ひろしではありません。彼は自分でも言っています「私は猫ぴろしである」と。私は思っています。もしかしたら御本人なのではないかととても忙しそうですから。ただなんとなく感じているだけではありますが。
2006.10.10
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雲ひとつない晴天です。朝から花火があがっています。きっとどこかで運動会があるのでしょう。運動会の朝万国旗が張られた校庭に集合して開会式のために整列するとなんとなく秋の気配が漂っていました。子どもの頃の話です。冬服に変わる前の夏の体操服のせいだったのかも知れません。田舎の町の運動会は町をあげての大行事で門を乗り越えた父さんたちが場所取りの競争をしていました。家を出る頃にはお弁当の準備はほとんど出来上がっていて横目で眺めて体操服のまま学校まで走ってでかけて行ったものです。みんなきれいに洗濯された白い体操服を着ていつもよりもはやく学校に集まっていました。白い線が引かれて万国旗の張られた校庭はいつもの場所とは違って見えた気がします。鹿児島も秋の気配です。
2006.10.09
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雲ひとつない青空が広がっています。そんな書き出しの手紙を書こうと思いながら夕日が山にかかるのを待っていました。けれども選び出した写真には薄い雲がかかっています。突然思考が止まって一歩も先へ進みません。私自身が何を考えているのかすら整理できません。突然・・突然のできごとです。さっきからもう20分もこの画面を見つめたまま何を考えているのでもありません。何が私を混乱させているのかさえ判然とはしません。これが夕日の効果ででもあるというように。これが秋という季節の作用であるとでもいうように・・です。時間をかければ解決するというものでもないのでしょうけれどもこれ以上言葉が出て来ないのです。
2006.10.08
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懐かしい音楽室を見せてもらいました。30年ぶりのことです。不思議なくらいに記憶がありません。毎日いたはずの場所なのにです。思いは建物に宿っていたのではなかったのかも知れません。全くの偶然で懐かしい先輩が声をかけてくれました。お世話になった一年先輩の女性です。君づけで呼ばれて気持ちだけは制服姿に逆戻りしようとするものの積もった時間は驚くほどの厚みを持っていました。隣におられた同窓会役員の女性が同級生だと聞かされても全く覚えがありませんでした。それはお互い様ではありましたが。慣れ親しんでいたはずの空間では現役の高校生たちが明るく青春やっていました。爽やかな秋晴れ高校の文化祭シーズンです。
2006.10.07
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秋です。仲秋の明月です。時だけが音もなく行きます。平穏な日々と静かな日常が手紙を書くのさえ億劫にさせています。いつのまにか蝉の声も途絶え風の音はまだ聞き取れません。季節の狭間の穏やかな季に手紙の最初の一文を思い浮かべることができずにこうして書いては消し書いては捨てて結局は投函できないたくさんの手紙を机の引き出しの中に溜め込んでいきます。歳を重ねるということは案外静かな作業の繰り返しなのかも知れません。穏やかな空です。静かな仲秋の明月です。
2006.10.06
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徳富蘆花は三回鹿児島を訪れています。そして三回桜島に渡りました。桜島を愛した作家はたくさんいました。たくさんいます。蘆花も桜島を愛していたと思います。今日はひさびさに桜島が見通せました。しばらくは霞んでいたのです。同志社大学在学中に蘆花は恋をしました。そしてその恋を失っています。相手が同志社大学の創立者新島襄の奥さんがらみだったからです。奥さんの姪っ子だったために両親に大反対され、たしなめられて別れました。蘆花は家出して鹿児島まで流れてきました。明治20年のことです。まだ島だった桜島に渡り有村温泉に宿泊しています。徳富蘆花21歳のできごとです。新春1月1日を後の作家は桜島で迎えています。
2006.10.05
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夜明け前は薄いフトン一枚では寒いくらいです。昼間は半袖といえども少し歩けば汗がにじみます。ちょっと歩けば汗が流れます。風邪をひくには最適な気候です。ご多分にもれず喉がイガイガしています。月末に少々無謀な計画をたてています。20kmほどを歩いてみようと言うのです。タバコを辞めるときと同じです。宣言をして自分を追い詰めようとしているのです。車の生活に慣れるとほんのちょっとの距離を歩くのさえも億劫になります。若い友人が妙円寺参りに行くのだと誘ってくれているのです。半分脅しのようなやさしいお誘いです。妙円寺参り・・・何年前に行ったのか考えてみました。途中で数えるのを止めました。身体をちょっと準備しなくてはなりません。今年の妙円寺参りは10月第4日曜日です。
2006.10.04
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常識の通りに理解すれば辞書通りに解釈すれば EVANGELION エヴァンゲリオンは福音あるいは福音書です。良い知らせという意味です。一番身近では使用例はバイブル聖書の福音書です。どんな意味に使用しようとしていたのでしょうか。音がいいので使ったのでしょうか。キリスト教文化を借景として借りようとでもしたのでしょうか。あの当時自慢げにEvangelion を語っている大学生を見た記憶があります。彼は話していました。Eva + Angel + lion = Evangelion なのだと話していました。エヴァンゲリオンとはアダムとイブのイブとエンジェルつまり天使と百獣の王ライオンの複合語として作者が作り出した言葉なのだと。そう話していました。そうなのかそうでないのかは分かりません。主人公イカリシンジ個人のことをサードチルドレンと作中で呼ばせるのは語呂がよかったからなのでしょうか。私の知識では理解できていません。中学の一年生でchildの複数形として習う単語を個人に使うことの意味は私には解りません。人気映画エヴァンゲリオンを貶めようとしているのではありません。私はあの作品嫌いではありません。わずかなミスをあげて全体を誹謗中傷しようとしているのではありません。ちょっとメモして置きたかったということなのです。実はココから始めようと思ったのですが。少々間を置いてから改めて考えることにします。個人的なメモでした。いつものことではあるのですけれども。がらにも合わないアニメを語ろうとするとチグハグになります。取り敢えず中止です。
2006.10.03
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「僕はここにいてもいいんですか」と本気で泣いていた子がいました。「僕なんかいなくなればいいんだ」と泣くのです。10年ほど前まだオタクという言葉に明らかに半分侮蔑の意味が込められていたそんな時代だったと思います。新世紀・エヴァンゲリオンという現象がありました。少なくとも私の周囲の何人かの子どもたちはその世界にのめり込んでいたように思います。ただ黙って見ろと資料としてこのビデオは見ておかねばならないのだとビデオテープの束を預かりました。資料によればエヴァンゲリオンの劇場版 THE END OF EVANGELION が上映されたのが1997年のことですからその前後のことだったと思います。私が愕然としたのは悩み泣く考え込む15.6歳の子どもたちと話しをしたときです。アニメの登場人物のセリフをそのまま抱え込んだように涙をいっぱいに自己を主張する何人かの子どもたちと会ったときです。私は医者でも臨床心理学者でもありませんからここで語ることは何もありません。ただあの時の中学生たちがまもなく30歳になろうとしています。映画館に列を作って並んでいた大学生や若い社会人たちが30歳を越えました。宮崎駿の風の谷のナウシカが製作されたのが84年ですからアニメの歴史は確かに現在の社会に歩調を合わせて何らかの影響を与えているとは思います。社会から影響を与えられているとは思います。突然エヴァンゲリオンの話です。とぎれとぎれにエヴァンゲリオンについてひとりごとを書いてみようと思いました。ただの思いつきです。
2006.10.02
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高校生のポケットにお金なんか入っていませんでした。せいぜい小銭がいくつかです。高校生だけで外で食事をするなんてことはありませんでした。制服に制帽までが義務づけられていた時代でした。天文館のり一は安いラーメン屋です。当時確か50円もしかしたら100円だったかも知れません。そののり一は現在もあります。このラーメンが250円です。大盛りを頼んでも300円です。お客はいつもいっぱいです。有名どころもすぐ近くにひしめくラーメン銀座にあるのですが味も客足も少しもひけをとっていません。知らない人は知りませんが知ってる人は知っている・・そんな店です。制帽・・当時の男子高校生はみんなかぶっていました。黒い厚手の学生帽です。真ん中に輝く自分の学校の徽章に誇りをもっていたのです。「かあさんあの帽子どうしたのでしょうね」は人間の証明だったでしょうか。母に訊ねたら床の間の横のモノ入れの中からちゃんと包まれて出てきました。親たちもまた子どもの高校の制帽を誇りに思っていたのだとそう話していました。
2006.10.01
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