全18件 (18件中 1-18件目)
1
自分は探すものではなく作るもの自分は自動的に手に入るものではなく自らが意識して作らなければ何年経っても見つからない「自分が分からない」と彷徨っている若者が多く自分探しも盛んだが、自分の命を輝かせるためには「吾思う 故に吾有り」というように自分の意志で「なりたい自分」を創っていくことが大切です。つまり、なりたい自分のマニフェストを創り、それに向かって努力していくことです。「自分創り」は、自分自身との出会いを通して自分を変える切っ掛けとし、毎日ワクワクしながらイキイキと生きていくための指針としてこそ意義があります。それには、まず自分なりの幸せ像を明確にして、「私の一生を賭けて、自分は何のために、何をして生きたいのか?」を明確にすることです。多くの人にとって、仕事がその表現の場だと思います。だから、私は仕事とは「自分の生き様の表現」だと思っています。自分の仕事に、誰に聞かれても胸を張っていえる意義を見つけたとき、生きるのに張りが出てくるし喜びが生まれます。
2015.08.17
コメント(5)
研ぎ澄まされた感覚だけに頼ることなく的確な数値で説得するデータと理論に裏打ちされた説得こそ専門家プレゼンや報告の時には、数字を取り入れると説得力が高まります。プレゼンでは、特にエサ情報が大切です。例えば、コンビニの主力商品の一つであるソフトドリンク類は、売れ筋をキチンと把握して90アイテム程度に絞り込むほうが良いが、ある店のオーナーはできるだけ多くの種類を揃えるという考えで130アイテムもある。担当のOFCが「絞り込むほうが売上を伸ばせる」と説得しても聞き入れない。そこで、商品を検品し、品出しする手間を測ってみると、正常店に比べてアルバイト2人がかりで1時間長くかかっていた。1ヶ月で約6万円のコスト増である。この数字を見せるとオーナーの目の色が変わり、92アイテムまで絞り込んだそうです。営業報告でも、「頑張りました」よりも「電話を15本、メールを52本入れて、5本提案できた結果3件受注できました」というように報告すれば分かり易い。
2015.08.16
コメント(0)
ローソクは人生の光 仏様の智慧を象徴す花は慈悲 仏の愛を象徴(あらわ)す線香は人間の罪を洗い清めるので清浄を象徴す 花山信勝仏教では苦しみの根源である迷いや煩悩を「無明」というが、炎には不浄を燃やし、魔を除き、周囲を清める働きがあります。光は人間が煩悩の暗闇から脱却するための道を明るく照らし、仏の知恵と救いを表しています。だから、ローソクを供えることは、炎で周りの不浄を清め、苦しみから離脱するために煩悩の闇に光を当てる(知恵を以て悟りを開く)意味があり、智慧の象徴です。花を飾ると、自然と心が和んで、ほっとします。 花は私たちに喜び、幸せを与える働きがあるように、仏花は仏様の慈悲を表しています。衆生の苦しみ悩みが仏様の苦しみであり、 衆生の幸せを自分の喜びとされるのが仏の慈悲、大慈悲と言われます。そのような仏様の慈悲の心を表わしているのが仏花です。仏の徳には知恵と慈悲があるが、香(線香)は、その結果として罪を洗い清め清浄になった状態を象徴します。
2015.08.15
コメント(0)
言葉無くして思考はあり得ない思考無くして人格はあり得ない良い言葉を沢山学ぶことは貴方の人間性を豊かにするたった一言で、夢を持ち、励まされ、癒され、腹が立ち、がっかりし、泣かされたという経験があると思います。ときには、心ない一言で自殺や殺人にまで引き起こすこともあります。私たちは、意識するしないにかかわらず、言葉というもののなかで生きています。普段は何気なく聞き流している言葉であっても、あるときふと耳にしたたった一言が、私たちの一生を決定づけたり、勇気づけたりすることも少なくありません。昔から、言霊と言うように、言葉はある種の「魔力」を持っています。どうせなら思いやりのある言葉を使いたいものです。人間性豊かな人は、思いやりがあり、苦しみや悲しみに耐え、我慢強く、奉仕の心があり、よく気づき、人に好かれます。「やさしい笑顔・明るい返事・丁寧な挨拶・正しいお辞儀・親切な詞・楽しい会話・心をこめた奉仕」を心掛ければ、自然と人間性も豊かになってきます。
2015.08.15
コメント(0)
他人の芸を見て下手だなと思ったらそいつは自分と同じくらい 同じくらいだなと思ったらかなり上うまいなあと感じたらとてつもなく先へ行っている 古今亭志ん生人間には、「自分に甘く、他人に辛い」という傾向があります。将棋や囲碁をされる方は、はたから見ていて「自分より下手だな」と思っていたが、いざ対局してみたら互角だったというような経験はありませんか?サラリーマンの方にしても、ボーナスや昇進昇格などの評価で、こんな思いをしたことがあると思います。労使の関係でも、経営者は十分に分配していると思っているし、労働者側は分配が少ないと言って紛争が起きます。自分と他人を比較するときは(子供を比較するときも)、自分が6で相手が4くらいで釣り合うといいます。人間には、「自分のすることは悪くない」「自分の苦しみや痛みは非常に大きい」「自分の取り分は少ない」、「他人のすることは少しのことでも悪い」「他人の苦しみや痛みは大したことはない」「他人の取り分は多すぎる」などというように、常に二つの尺度を持っています。
2015.08.14
コメント(0)
見ることが問題ではなく見たものを整理し融合しなければならないそのためには、ものの本質、ものの光が見えるまで見続けること。 フローベール葉っぱを食べて生きている生物はおそらく何万種類といるが、カイコのように美しい糸を吐き出す動物は他にはいません。私たちも、情報をただ集めるだけでなく、カイコのように情報という餌を食べて、何らかの問題解決を図るための素晴らしい智慧に変えることが大切です。それも、『宗鏡録』に「同じ水でも牛が飲めばこれを乳とし、毒蛇が飲めばこれを毒とする」とあるように、情報の生かし方も人により千差万別です。その違いを創り出す力こそが情報感度だと思います。これまでは情報が「集まらないこと」が問題だったが、いまや集まりすぎるために雑音が多すぎ「本質が見えなくなっている」ことが問題で、ピンポイントで必要な情報だけを集め、余計な情報をどう遮断するかが問われています。重要なのは、情報そのものよりも、自分なりの視点で情報を見て、それを自分の役に立つように加工する力です。
2015.08.13
コメント(0)
笑いと色気は人生の必需品人間以外の動物には笑いはなく、満足したり嬉しくなると笑うのは人間の本能といえます。赤ちゃんは教えもしないのに、お乳を吸って満足すると微笑みます。純真無垢な赤ちゃんが笑うと、誰もがほっておけなくなります。無力な赤ちゃんの生きる術かもしれません。どんなに寂しいときでも、笑っていると楽しくなってきます。これはもう条件反射のようなもので、そんな本能に逆らって生きていると体調も悪くなります。微笑みは相手の心を豊かにしながら、微笑んだ人も何も失いません。いつも明るく、若々しくいたければ、生き方の化粧として「お洒落・心の張り・心のときめき」は欠かせません。それには、男も女も幾つになっても色気と恋心を失わないことです。恋心を抱くのは、何も異性だけではありません。花でも、絵画でも、焼き物でも、孫でもいいから心ときめかせワクワクしながら生きることです。
2015.08.12
コメント(0)
何かを体験して感動したらそれをすぐに行動に移していくことが重要だ新しい発想をどう社会に役立てていくかを考えるのがイノベーションだ 堀場雅夫イノベーションとは革新を意味する言葉で、人、もの、組織を新しいアイデアで刷新していくことを指します。」日本では「技術革新」と狭く捕らえられがちだが、本来は新しい発想による大きな社会的価値の創造がなされた場合も含まれます。例えば、宅急便のビジネスモデルは、技術進歩が核となったものではなく、従来の企業向け運送業という業態から個人向け市場の運送業へとパラダイムシフトをするという経営者のアイデアが核となって、大きな社会的価値を創造したイノベーションの例です。従来は、競争環境の中で生き残るためにライバルを蹴落とし、自社の優位性を確実なものにするために、独力でイノベーションを図る自前主義が普通でした。だが、現代では、より迅速かつ効率的に実施するために、外部の経営資源(技術力、人材、組織力)をうまく活用するオープンイノベーションが求められています。
2015.08.11
コメント(0)
言葉を弾丸にたとえるなら信用は火薬だ 徳富蘆花火薬=信用がなければ弾丸=言葉は相手に届かないという訳だが、同じことを言っても言い手によって納得したり、しなかったりするということがよく起きます。他人を納得させるには、「何を」という内容だけではだめで、「誰が」という言い手に対する信頼と好意が大きく影響します。だから、良い人間関係作りがとても大切です。心の籠もらない言動では、信頼を勝ち取ることは不可能です。信頼を築き、心を込めて対応すれば、言葉や動作がぎこちなくても自ずと気持ちは伝わるものです。信用を得るには、普段から約束を守ること、言うことと行うことが一致していることが第1です。簡単なことでは、呼び掛けや会話の中で相手の名前を呼ぶことです。すると、人間の基本的要求である「承認と自尊の欲求」を満たし、自分のことを思っていてくれるという気持ちが伝わって、話し手への好意と信頼感が高まります。
2015.08.10
コメント(0)
幸運な大発見は「準備された心」にやってくる 国立がんセンター研究所長若林敬二ノーベル化学賞を受賞した鈴木章氏と根岸英一氏がその感想を求められた際に、「セレンディピティ」という言葉を揃って口にしたが、これは掘り出し上手という意味の他に「偶然で幸運な発見」も意味します。それを呼び込む秘訣を、鈴木氏は「自然を直視する謙虚な心、小さな光を見逃さない注意力、旺盛な研究意欲」とし、根岸氏は「体系的かつ長期的探求を継続すること」と語っています。何もしないで待っていても「偶然で幸運な発見」に巡り合うものではありません。1.継続は力なり(簡単なことでもいいから毎日コツコツと続けることだが、それは予想以上に大変なこと)2.量は質に転化する(単純なことでも大量になれば、通常よりも次元の高いものに変質する可能性がある)3.総てのことには時がある(努力を重ねていると、ある日突然思いがけないアイデアや発見が訪れる可能性がある)、があって始めて巡り合えます。
2015.08.09
コメント(0)
誰でもができることを誰でもが真似できないくらい丁寧にやり続けるこれを地でいったのが、ローヤルの鍵山秀三郎さんの便所掃除です。創業当時に社員の心を慰めるために始めたが、数年続けても何の効果もない。「社長は、掃除、掃除と、掃除ばかりしているから会社が伸びない」と言われる始末だったが、20年経って会社の半数近くが取り組むようになり、40年経って会社を上場するまでに成長した。これに共鳴した恵那の東海神栄電子工業では、徹底して全員で掃除を始めたら、不良率が10分の1になり、生産量は上がったのに残業もなくなったという。経営が上手くいかない会社には共通点があります。今すぐできることをやっていない。簡単なことをやっていない。それが度重なってどうしようもなくなっています。当たり前のことを軽視しないことです。釈尊の高弟周梨槃特は掃除で悟りをひらいたように、平凡なことを執念深く実践し続けていると非凡になります。
2015.08.08
コメント(0)
欠点の指摘は発展や繁栄策とはならない「どうすれば作品が良くなるのかの予測を言い当ててこそ尊い真の批判で、この批判こそ創作につながる」と近代漆芸の名工松田権六も言っているが、世の中に批評するだけの評論家は掃いて捨てるほどいるが、権六のいうような達人とも呼べる人は少ないものです。評論家は物事をいつもネガティブに考え欠点を指摘するが、達人はポジティブに考えて新たな提案をします。だから新しいものを生み出していくのは達人の方で、評論家はすでにあるものを潰していくだけです。自分では何も意見や提案は出さないで、人の意見や提案にケチをつけたるだけの評論家的な人が企業にも結構います。何か新しいものを生み出すのは大変なことだが、その欠点を指摘するのは簡単で楽です。これからは、企業の中にどれだけ達人がいるかの勝負です。企業には、代案も出さない単なる評論家はいらないと思います。
2015.08.07
コメント(0)
愚人は失敗に懲りず同じ過ちを繰り返し凡人は体験から学び 痛い目に遭ってから初めて気づき後悔する真の賢者は未然に危険性を察知し これを予防回避するある時、剣豪と言われた塚原ト伝が、一人しか通れないような細い農道を歩いていた時、村で一番手のつけられない暴れ牛に出会い進路を塞がれた。その状況を遠くから眺めていた村人たちは、彼なら一刀両断でこの暴れ牛を切り捨て退治するだろうと見ていると、期待に反してさっさと別の道に回り、この危険な牛に近づかず通り過ぎていった。この状況を見ていた村人たちは、剣豪とは偽りで、本当の彼は臆病者だと嘲笑した。それを耳にした彼は、「本当に賢明で豪勇な剣士なら、危険と察知した猛牛の側を無謀に通って蹴られて怪我をすることは愚の骨頂である。これこそが剣の道の奥義というものだ」と言い、何食わぬ顔をして行き過ぎていった。村人たちはなるほどと納得し、改めて剣聖としての彼の実力と素晴らしい人格に感服し直したという。仕事でも同じで、真の名人は華やかに目立たないものです。
2015.08.06
コメント(0)
政治が取り戻すべきは文学である言葉によって説得し、交渉し、支持を獲得していくのが政治である。 哲学者佐々木中今、国民を心から納得させうる政治家がいないのは、演説が、文章が下手だからと哲学者の佐々木中氏は言う。人間は「なぜ」と問う生物であり、政治の核心は論証だが、「なぜ、沖縄に米軍基地が必要なのか」「なぜ最少不幸社会なのか」などについて、精密に理由や根拠を示し、堂々たる雄弁によって国民の納得と同意を獲得する技芸がない。華麗なる雄弁というパフォーマンスと、論証するという本質は分けられない。言葉というものはそういう風にできている。それを分けて考えるから、政治が力を失う。情報を集めて羅列するだけでは論証はできない。雄弁の技芸が、つまり文学が必要という訳です。これは、政治だけでなく何事にも言えます。日本人の特性として、「なぜ」を繰り返して物事を俯瞰的、全体的にとらえて論証することもなく、全体における位置づけや波及効果なども定かでないままに取り組みがちです。◆元のバージョンに戻したら書き込み可能になりました
2015.08.05
コメント(0)
仏道をならうというは、自己をならう也。自己をならうというは、自己をわするる也。自己をわするるというは、万法に証せらるる也。 正法眼蔵随分録自分というものを徹底的に見つめ考えてみると、自分の未熟さ加減、不完全さ、無力さがわかってくる。これが“自己をわするるなり”である。自分が未熟者だとわかったとき、まさに“万法に証せられた”自分が発見できるのです、と荒崎良徳住職は言う。みな、自分ほど賢い者はいないと思うからダメなのです。例えば、嫁姑の間柄にしても、お嫁さんが「私は未熟者で、何も知らない不束者ですが、一生懸命に勉強しますから、どうか教えてください」と心から頭を下げれば、「うちの嫁はできた嫁だ。なんと可愛い嫁だろう」と息子よりも大切にするはずです。お姑さんが「私は昔人間で何も知らないから、いろんな新しいことをどんどん教えてね。教えてもらって、私も若返りたいの」とお嫁さんの手を握ってごらんなさい。嫁と姑の争いなど起きるはずがなく、楽しく毎日が過ごせます。そうしたら、今よりもうんと有意義な人生が送れるはずですね。
2015.08.04
コメント(1)
誰もが自分の人生のドラマでは主役だが他人の人生のドラマでは脇役に過ぎない冷静に考えてみると、自分の人生では主役の私も、他人の人生では自分は脇役にしかすぎません。全く当たり前のことだが、誰もがこのことを忘れがちです。例えば家庭では、夫は妻を自分の脇役と思い、妻は夫を自分の脇役でしかないと思いがちです。親子の間でも同じです。会社でも、社長は自分が主役で社員を食べさせてやっていると思い、社員は自分の働きがあるから社長はふんぞり返っていられるのだと思っています。お互いに自分が主役面をして、好き勝手に振る舞うところから人間関係がギクシャクしてきます。人間関係をよくするコツは、お互いが相手にとっては自分は脇役にすぎないことをよくわきまえ、まずは相手を主役として立てることです。手始めに、大したことのないところでは少し相手に花を持たせてみませんか。すると、以外に大きなお返しがあるかもしれません。
2015.08.03
コメント(0)
大きな夢を語ると笑われることもあるが100人中99人に笑われても残りの1人が励ましてくれればそれでいい 北原照久玩具コレクター通販コンサルタント岡崎太郎さんは、「“夢を持っているか”という曖昧な質問よりも、“君は、限界にチャレンジしているか”という質問のほうが、自分自身に真剣に問いかけることになるのではないでしょうか。人間は自分の限界に邁進しているときこそ、些末な悩みから解放され充実感に包まれて、幸福感を感じているように思うのです。だから、今のあなたが、充実感・幸福感が足りないと感じているのは、じつは目標の設定を忘れている可能性があると捉えるべきでしょう。夢は決して探すものではなく、育てるもの。そして、あなたの人生にとって必要なのは、戦略でなく情熱、内なる高まり。前向きに夢を持ち、育てていきましょう」と言う。大きな夢を語って99%の人に笑われても、例え1%の人でも応援してくれるなら、何千、何万人に夢を語りかれば、自分を支えてくれる人が着実に増えていきます。
2015.08.02
コメント(0)
希望と妄想は別もの夢を持つことは大事だが夢を持っている自分に酔いしれるだけで夢をつかむための努力は何もしないのは妄想カール・マルクスが「哲学者は世界を解釈しただけだ。重要なのは変革することである。どんなに小さくとも、公然たる実践というものは、総ての人を限りなく元気づける。行動することで自分も周囲も変わるし、いろんな希望も見えてくる」と言ったように、理屈をこねてウダウダ言ってるだけでなく、とにかく行動を起こすことが大切です。本当に勇気ある人間とは、確かな志を抱き、その志を実現するために行動する人です。自分を取り巻く身近な世界を変革するために、まずは新たな一歩を踏み出すことです。それがなければ、単なる妄想です。夢を具体的な目標に落とし込み、その目標を達成するための具体的な行動を考え抜き、それを実際にひとつずつ成し遂げていくために、自分の持っているすべての能力、才能も体力も忍耐力も何もかも総てをかけることです。それだけやって、はじめて希望へと変わります。
2015.08.01
コメント(0)
全18件 (18件中 1-18件目)
1