全357件 (357件中 1-50件目)
「うれしい?」と問われて、「うれしい…」と返したけれど・・・そうしてくれたその人がうれしそうならば、こちらもうれしいというのが、ほんとうのところです。単純に「うれしい」だけに収まらず、いつも「うれしい+α」になってしまうのです。「うれしい」に限らず、なんにつけ物事を複雑にしてしまう癖があるようで・・・直らないなら直すことないかと、開き直った癖でもあります。でも、よくみてみれば・・・癖は一人歩きしており、私の一部ではあるかもしれないけれど、私そのものではないのです。人の行為だけをポンととって、純真に喜べるほどこころは澄んでおらず、その行為に乗っている思いをみてしまうのです。その行為が透明だろうと、色がついていようと、自分の好きなように勝手に解釈してしまうのです。それを心配することなく、卑下することもなく、勘繰ることなく、媚びることなく、ときに誤魔化されることがあったとしても、あるがままそのままに、受け取っていけるところに、何か大事なものがあるのでせう。もしかしたらそれは、乗せた本人さえも気づいていない、もっと深いところの大事なものなのかもしれません。なぜなら・・・その受け取ったものは、感じようとする思いがあるならば、やっぱりとってもあたたかいもののはずだから。それを感じないようにする癖だけは直せますように。。。
November 27, 2006
わからんちんと話をするのはほんとに一苦労だ。適当にあしらってきてしまったから孤立していってしまったし、それはそれで楽なのだけれど、ある時ふっと気づいてしまった。この世にやってきた役割は・・・地獄の門で閻魔大王に聞かれたときに、なんて答えるって。( ̄∇ ̄;)アハ、そういうことかって。周りにいる人の共通点を見て、とっても落ち込んでいた時期があった。自分の心根がこういう状態だから、同じような心根の人たちと波長があって、そういう人たちばかりと知り合うのだろうと。だけど、自分が探求し、変容していっても、少しも変わらない。それはやっぱり偽物の変容だったのかと、また模索する。なんで? 何が違う? どういうこと?繰り返す疑問符は弧を描き、自分に返ってくる。語る言葉は自分自身にも言ったことのある言葉。今日の自分が明日の自分を育てていく。自分が堂々巡りをしてきたことを無駄だと思っていた時期がある。だから同じように堂々巡りをしそうな人に何かを言いたくなることもある。だけど、堂々巡ってみて、無駄かどうかわかるのも人それぞれで・・・確かに結果が透けて見えていることもあるのだけれど、迷う自由を、悩む自由を、無駄をするかもしれない自由を、私に奪う権利はなく、見守るのが辛くなるのは、その人を信じられなくなるときか、焼もちを焼いているときだ。医者になる道があったのに、ならなかった。その罪悪感を一生引きずっていくのだろうと思っていた。だけど、それはなるようにしてなったことだった、とほんとにほんとに腑に落ちた。肉体の傷に、外傷に、表出している精神的な問題に、関わり対処していく役割ではないのだと。感情のバランスが崩れても平静を保ち、否定的な感情のゴミを溜めてしまった人の受け皿であればいいと。本人が気づこうが気づきまいが。ん~、とっても隙間的な地味~な役割だが、とっても難しいかも~。こういう頑張りやさんは何枚もの扉を使い分けるので時間がかかる。って自分もそっか。チャネリングもアカシックも、相変わらず夢も覚えていないし、瞑想も全然だけど・・・なんだろ・・・ほんのちょっとしたきっかけで、勝手に腑に落ちてしまったのだ。そういうものなのかもしれないけど。だからと言ってすぐに何かを変えるわけでもなく、このままやれることをやっていく日常ではあるが。相手の感情に過敏に反応して、自己防衛的になる癖もまだ消えてないだろうし。腑に落ちたといっても先は長いし、手段とコツを確立せねばねばねば。間に合うんかいな?
November 1, 2006
夢を覚えていられないから、とっくのとうに行く気が消えていたワークショップ・・・いつもより…いや初めての強い誘いに、また迷いだしてしまったや。なんと優柔不断なことか・・・すでにタロットの講習にいくことにしてあったのだけれど・・・何故戻される?いつもと違う雰囲気のせいか・・・名前の呼ばれ方が変わったせいか・・・ただのアホか。ん~、この際だからギリギリまで迷うとするか。返事をする前に風邪を引いたのは、きっと何かの意味があるのだろ。迷うこと・・・前はもっとこころがキュッとなったのではなかったか・・・例えれば、メトロノームの音が少し早くなっていたのではなかったか。物質的なものであれば、両方買えばよかったり、両方やめればすむものだけれど。この迷い、なんだかちょっと楽しいぞ。・・・と、書いて放っておいたけど、きっとどちらに行ってもOKなのだ。どちらに行っても楽しめるし、何かしら結果が出る・・・身体が2つあればいいのになぁぁぁぁ?結局、2泊3日の泊りがけのワークショップは姐さんに負担をかけることになるのは変えられない事実。後ろ髪は惹かれてしまったけれど、それは単なる執着かも知れん。そして、夢を覚えていられない私が、その分野を垣間見たとしても、また欲と探求を生んでしまう。今はその時期ではなく、目標を設定してひとつゴールしておかなくてはいけないかもと思ったから、タロットの講習を受講したのだから。それがどういう結果になるかは2の次のことで。風邪引かなかったら「武士の一分」の試写に行けたけどな~。
October 29, 2006
「それでもう許せてあげられちゃうの?」と、私たちを2時間近くも待たせた彼女に憤慨しているもうひとりの彼女は私にも呆れている・・・というか感心している。だって、遅れてしまったものは仕方ないし、1人だったら勿論待っていないけれど・・・お天気でぽかぽかな公園は気持ちよく・・・彼女が遅れたことは別に大したことではないと思うのだ・・・用事が長引いて遅れているのはちょこちょこ入るメールでわかっていたし、何か事故に巻き込まれたわけではないのだからいい・・・と思ってしまう私はやっぱり甘いかな・・・隣で遅れてきた彼女を叱ってる彼女を見ながら、エネルギーを感じている。叱るのはエネルギーと思いやりがないとできないから。ただ感情に任せて怒ることは誰にでもできることだから。時々思い出すことがある。確か中学生の頃、アルミ缶でできた筆箱(カンペン)が流行ったことがある。通路を挟んで隣に座っていたSは何故だか私のカンペンを悪戯するのだった。1日1回カンペンをポコッと殴ってくのが、だんだんと授業の合間に殴るようになり、そのうち壊れて蓋がちゃんと閉まらなくなった。周りの子が注意してくれるのだが言うことを聞かず、かといって私を直接いじめるということは全くなく、どちらかと言えばやさしく好意的なのだが、カンペンだけは殴るのだった。結局は、私を怒らせたかったということらしかったのだけれど・・・その度にしかめっ面をしたり、「もう(ーー;) !」と言ったりして、私なりに怒ってはいたのだけれど、すぐに微笑んでしまい、ほんとには怒れていなかった。感情表現が自分でも戸惑ってしまうくらい不得手なお年頃だ。私の中で「許す」という言葉になっていなくても、結果としてそう捕らえられていることがあるかもしれない。「あきらめる」というほど、悲しみも怒りも・・・ない。「受け入れる」というほど、愛があるのかどうかはわからない。「許す」わけではないけれど、だって仕方のないことだったのだろうって・・・確かに正当性を持ち出して、あすればよかった、こーすべきだったとかは幾らでも言えるが、言ったところで後の祭りだ。機転が利かなかったから、気が回らなかったから、そうできなかったのだろうし、そうなってしまったのだろうし・・・無意識かではそうできない何かがあったのだろうとも勘繰れる。見方を変えれば、とっても冷たいのかもしれないが。それに「許す」って何だか偉そうではないか。そういうことになるには、何らかの原因があるわけだろうから・・・と思うのだ。意識していようがいまいがに関わらず。そしてそういうことの積み重ねが、その人を作り、その人の道を作っていくのだろうと思うのだ。だから、やっぱり「許す」ではなく、限りない「理解」なのかもしれないね。
October 26, 2006
今日は天秤座の新月だった。正確な時刻は14時14分。同じ数字が重なるエンジェル数だったので覚えていて、その時刻に一緒にいる人に伝えようと思っていたのに・・・すっかり忘れてた(^o^;アハま、肉眼で月の見える時間でもないのだが。新月は何かアクションを起こすといい日、と言われている。数字について、面白い話を聞いた。1は ・ ドット。点ということ。2は ・─・ 距離、時間。 ・3は /\ 回転、動き。 なんだそうだ。 ・──・意識していたわけではないけれど、日程は先方により決まっていたことだけど、昨日、今日と、新しい関係性で動き始めた。私はただ、どちらにもYESと言っただけ。昨日も今日も、引いたカードは「3」。カバラ数でいうと、来年1年のカバラ数も「3」になる。そして、今月の私の数字も「3」だったので、さらにびっくり。カバラ数を知ってる人にしかわからない話で恐縮だけど。1・2・3という3つの数字が核となり、他の全ての数字が作られているという。これぞという方向でまわっていきたいものだ。
October 22, 2006
ただいま~っと。瞑想講座初級編の後半から。だけど、翌日は首が痛くなり・・・&とっても眠かった。ピラミッドパワーの守護から解き離たれたせいか、胡坐をかいていたせいか・・・前回よりもきつい症状になって現れた。中央線沿線に住む瞑想者も多く、そういうワークも多いらしい。中央線と富士山の関係にもあるという。風水的な経脈? w(°o°;)w何故・・・ここの瞑想会に行き渋っていたかわかったような気がする。10年間ということで運営してきた組織が、来年6月でその時期を向かえ解散になる。そして、ピラミッドの期限(?)も切れるのだという・・・だけど、その前に解散するかもしれないという、とても不安定な状況なのだ。早い話がカリスマを失い、運営が行き詰まっており、かなりやばい状況。実際の運営者よりも取り巻きが焦っている感じがしないでもないが・・・ここのところ不思議と安定しちゃってる私は、目の前を霞めていても、いまひとつ呼ばれない感じだったのだ。だから、締め切りのキリキリまで保留しておいたのだった。「富士山、ピラミッド、瞑想の第一人者、今回でラスト」のうち、どれかひとつでも欠けていたら、参加してみなかったろう。何故、ヒーラーやセラピストという仕事を選ぶのだろう・・・そして、人を癒してあげることを喜びにした仕事をしているのに、とっても疲れている人が多い。自分が疲れているのに、人を癒すことなどできるのだろうか。ハートが光っていない(愛が溢れていない)のに、光を見せれるのだろうか。だから、人は自分が欲しいものを人に与えようとする、と思ってしまうのだ。癒されたい人が、そういう仕事についたりすることがあると。分析屋のカウンセラーがクライアントに接しているとだんだん疲れてくるというのはわかるが・・・何のための仕事だろ・・・ある意味特殊で素晴らしいものなのに・・・限られた受容性しか持ち合わせていない。それに気づかない。だから疲れる。言っていることとやっていることが違う・・・だから瞑想になるのか・・・その仕事で何を得、何を目指すのだろ。ギリギリと歯軋りをするライトワーカーは痛々しい。目の奥が光っていると羨望する人もいるが、目の奥が光るなんて魔的な感じがしてしまうのは私だけか…敏感さを自称するセラピストも、そのブロックが攻撃になっているのに気づかない。私が異質だったのか、悪なせいか、面白いように避けられてしまったや。ヒーラーやセラピストってなんだか大変なんだろうな。プラスエネルギーいっぱいのはずのピラミッド内に、浄化スプレーをこれでもかというくらい撒き、もくもくとセージを焚く。ほんとにすごい量。このやりすぎに見えてしまう光景に違和感を覚えてしまう私。そこまで浄化グッズを使わないと追いつかなかったのか・・・そんなに汚れが消えないのか・・・と。特別なペンダントや携帯用の波動グッズ、何連もの天然石を身に着けている人を見て、ふと思う。不要な、悪い波動に気づいてしまい、それらを身に着けるようになるのだが、気づくこと&身に着けることによって、さらに不要な波動を感じているのではないかと。過剰な美容液が肌を弱くするのと同じように・・・自己治癒力が依存により弱まってしまうような・・・そんな感じ。本物のヒーラーやセラピスト、占い師も人前には殆ど現れないと前に聞いたことがある。是非是非、一度でいいからお会いしたいものだ。日本人の。でも、本物ってなんだろ・・・富士山にはとても近い距離なのに、周りの山も高いから肝心の富士山は見えないらしい。山中湖から流れてくる川があるというのにぃー。近すぎて見えなくなってること、いろんなところでありそうだ。ここでのお土産はちゃんと持って帰ってこれているだろうか。。。
October 18, 2006
こころがぶれやすい私は手相にもそれが現れていて、手相を見れる人からも「意外と感情的…」と言われることがある。感情は放っておいてくれれば自分で何とかできるのだが・・・それがいけなかったところでもある。わかってる(ーー;) 感情的なはずなのだが、それは喜怒哀楽の表現としてはバランスがとれていない。一つを抑えていると他の感情も抑えるようになってくる。その結果かどうかは知らないけれど、人と感情を共有するのが苦手…、人の感情を理解するのが苦手かも。昔、占いの学校の説明会に行った時、占いのおまけ付きだった。その時、九気学で見てもらったのだが、「怖い人ですね~」と言われたことがある。そういうことをいうその人(講師)が怖くて、「?」と返せなかったけど、どこが、何が怖いということだったのだろ・・・(≡≡;)「はぁ…」と間抜けな返事でやり過ごしてしまったけど、大分経っているのにまだ残ってるな~。そういう執着心が怖いとこ? 突き詰めるとこ?( ̄∇ ̄;)アハまぁ、「怖い」と言われれば、自分の中の「怖さ」を探し、当てはめ、「やさしい」と言われれば、自分の中の「やさしさ」を当てはめる。そういうものだ。だから、コールド・リーディングという手法がもてはやされたりするし、占いはインチキと思う人が少なくない理由のひとつでもあるだろう。占い師に限らなくても、大体の人は自分以下に見下していない相手の言うことの70%は、受け入れてしまうものらしいから。「やさしい」と言われる方が圧倒的に多いが、「やさしい」もいろいろな裏があるからなぁ・・・って、こういうとこが「怖い」とこか(^_^;)いや、今はちゃんと自分のではなく、相手の中の言葉に反応しているから大丈夫。素直に受け取ります。「こころがぶれないようにする」というのも瞑想のひとつの目的のようだが、ぶれない方がいいのだろうか・・・ぶれることはある意味自然で、別にいいのではないかと思う。ちゃんと平常な場所(中心)があることを知っていて、どんなにぶれてもそこに戻れるという不確かな自信があればいいのではないかと。でも、その時はそれどころじゃなくなるから、忘れてしまうかな・・・人は忘れやすいものだから・・・中心にしか居れなくなると、ぶれていた時のことを忘れてしまう。でも、人は忘れることで進歩するとも言われるしなぁぁぁ・・・うにうに (; _ _ )それに中心であることに重点を置いていると、淘汰を生んでしまう気がする。主義主張は強ければ強いほど、仲間意識を呼ぶけれど、閉鎖的で秘密主義になる。確かに同じ考えや感覚の人同士の関係の方が心地よいし、自然と引き合ってしまうものだとは思うけれど、そういう閉鎖的なものから開かれていく時期になっているのではないかと思うのだ・・・勿論根拠なしです_(._.)_ 「こころを開く」ことは必要だと思うけれど、それを言う人に限って相手が先に開くのを待っている感じがある・・・不特定多数に開いていくにはかなりのエネルギーが必要になるのだろうな~。これから瞑想とかそういう類に興味を持っていく人が、似非に引っ掛からないようにしてほしいなぁ~と真に思う。あ・・・でも。自分の中にそういう闇の部分があるから似非に引き寄せられていくことになるんだよな・・・と、超越的な意識に程遠い私はほざく.....( ..)
October 4, 2006
沈静化しすぎているエネルギー・・・押さえ込んでいるエネルギー・・・時々ぐるぐると回りたくなってしまうのは、それらと関係があるのかもしれない。ぐるぐる回っていると子どものように笑いたくなる。母親や周りの大人からは「子どもであるな!」+「楽しむな!」「属するな!」という禁止令を貰って育った。だけど父親からは「大人であるな!」という真逆な禁止令を貰っていた。長子+女の子の場合はよくあるパターンだとは思う。ただのカウンセリング上の分析で、誰かしら何らかの禁止令を貰っているものだし、それを取り正してどうのこうのするほど重要なものだとも思えない。今の自分を作ってきてしまったひとつの材料ではあるけれど・・・だから何?って感じ。実年齢を言うと大抵の人はびっくりするけれど、長子と言っても意外な顔をされる。一人っ子か、末っ子に思われる・・・思われていた。今は違うかもしれない。外見と実年齢と精神年齢のギャップに戸惑っていたのは周りよりも、自分自身だったのかもしれない。カウンセリング教室とか瞑想会とか、日常の場から離れて集まってくる人はどこか忙しく、疲れている人が多い気がする。当たり前かもしれないけれど、共通したものをもっている。どんなに成功者に見える人でも、その場が必要だからやってくるのだ。そして、そこで得たものを大事にして、日常に帰っていく・・・ゆったりとした(または刺激的な)その場と忙しい日常の場は、違うらしい・・・日々怠惰な生活を送っている私は、その辺の感覚が希薄になっているのかも。どこに行っても日常となんら変わりない・・・場所や関わる人が違っているだけで・・・見方(?)はほとんど変わらない。自分というものが強すぎるのか・・・今日もまぶしい光を感じられ、樹木があり、ごはんが食べれ、風があり息吹があり、大地に足がついている。とりあえずみんな元気で、とっても普通だけど、恵まれている。「カウンセリングを学んでいるから・・・」とか、「さぁ、座って瞑想を始めよう」という感覚は実はよくわからないのだ。見よう見まねで試している途中なのだが、やっぱりわからないということがわかった。大体、悟りなんてどうでもいいと思っている奴が、瞑想するのも矛盾してる?日々の行いだって、ある意味とても瞑想的。仕事だって、ごはんを作っていたって食べていたって、本を読んでいたって、集中している行為であれば充分にそれは瞑想的であるとやっぱり思う。だけど、人には欲望と執着がある。過度なそれらはとても厄介な代物。情報がそれらに輪を掛けて煽る。だから、現代人には益々、カウンセリングや瞑想などの精神的なものが必要不可欠になるのだろう。そして今にも増して、もっと抵抗なく浸透していくことだろう。こころのブレを1人で元に戻せるほど精神的に大人な人は、どんどん少なくなっている気がするから。だけど瞑想は、勘違いも生みやすいところがある。魔的になるなら、悪の方が大分救われるかもしれない。
October 3, 2006
富士山の麓って、富士山が見えない・・・当たり前? いや、麓って言うほどそんなに側じゃなかったのさぁ。勘違い? かなりの地理音痴?( ̄o ̄;)大月の手前だし、これじゃ沼津の方が富士に近いかな? 金沢文庫を横浜って言っちゃいけないのと同じ感じ?( ̄∇ ̄;)アハ雲があって姿が見えなかったよー。星も都内と変わらない。予定の電車よりも一本早く乗っちゃって、ちょっと遅れちゃったしー(ーー;) でも、セーフ! 勿論雨にも困らず~、疲れもせず! 霧がかかって墨絵の世界。今回でラストだと言う、ピラミッド瞑想「初級編」。そのピラミッドの中で雑魚寝だとはしらなんだ(・・;余ってた寝場所は、頂点の真下の近く・・・ライトの下だし、環境的にどうせ眠れないと思っていたけれど、大きないびきを掻く人もおらず、ちょっとは寝れた。さてさて、ピラミッド・・・ピラミッドには、3種類の作用の異なるエネルギーが発生することが、海外の研究者によって発見されているという。その頂点の真下は、特にエネルギー(生命エネルギー「プラーナ」)が強いところだそうだ。だから、敏感な人は「強いから…」と言ってその辺りを避けるのだが・・・、私はこれと言って何も感じなかったわい(;´д`)トホホ長く浴びると生命活動が沈静化しすぎて虚の状態になるという「陰性のプラーナ」とやらを貯めてしまったんかいな?「陰性のプラーナ」…植物などをミイラ化する作用があるという(-_-;)<おいおいあ・・・でも、温かかったし、霊気よりも強い光のシャワーは感じられたかな。でも、いつもにまして自分からはあまり話しかけず、なんだか静かにして居たかった感じ・・・いいんだか何なんだか・・・ただそこに居れればよかった感じ・・・「ここに居てもここに居ないような感じがある」と言われたが・・・いや、それはよく言われるのだが・・・存在が希薄・・・存在を消せる・・・似ているけれど全く違う。贔屓目に見れば、個人の出す波動の違いに敏感で、半分以上同じものがないと磁石のS極とN極のようになったような気がする。頂点の真下に初めて立ってみた時、側に来た女性に抱きつかれてしまった・・・「はいりやす~い」って言われたけれどなんのことだったんだろ。だけど、瞑想慣れしている人には何故か遠巻きになってしまった・・・聞きたいこと、あるだろうになぁ。今回、実習はそんなになかったのだけれど、音楽がずっとかかっていた。頂点の真下でぐるぐる回りたくなった。勿論、踊りだす人など誰もいないけれど、何故だかリズムを刻みたくなったりして・・・リズム感ないけど(^o^;アハ帰ってから、姐さんに霊気パワーを当てると弱くなってると言う。前のほうがじわんじわんとして温かく、心地よかったらしい。ピラミッドパワーを期待していたのかしらん。こういう反応って、昔、子どもの頃、母親から良く受けた気がする。楽しんで喜んではしゃいで、服を汚すほど遊んで帰って来たときに・・・取り残される恐怖を無意識に感じている人から受けるもの。ピラミッド瞑想・・・楽しめたとはまだ言い切れないけれど、最後の機会に参加できることはとても感謝。沈静化しすぎのエネルギーが少し動きそうな気がするのだけれど・・・邪魔は付き物。どうなっていくか…自分のことは楽しめる。それを人と共有することとか、人をまで楽しませることは課題かな・・・
October 1, 2006
インドの覚者、ラマナ・マハリシの本を読んだけれど、なんだかちんぷんかんぷんだった~(^▽^;)ユングもお勧めの一番簡単そうなものにしたのにー。ま、こういうものは何度も読み返すものなのかもしれないけれど。でも、弟子がなんでそんな質問をするのかがいまいちで、読み出すと眠くなってしまったのだった~p(;_;)q とほほ 私にはクリシュナムルティのほうがわかりやすいや。一番初めに手に取った人でもあるしな~。クリシュナムルティのビデオ講話をまた見たいな~と思ってHPを開いてみると、やっぱり代表者は亡くなってしまわれていた。アメリカから日本にジーンズを持ち込んだ人・・・お年もお年だけれど、2年位前にもかなり具合が悪そうだった。もうじきお迎えが来る人って、独特なものがある。かといって、ビデオを購入するまでもなく、勉強会に参加するのも遠慮したい。書物はあくまでも過去の智慧で、それを現実にどう生かしていくかが試される。広く瞑想を薦めていた人のブログもいつの間にか無くなってしまって、びくりした。ほんの2週間くらいだと思うけど、そのブログを覗かなくなっていたら、その間に終了告知をして1週間後に削除したという。(--;)オイオイなんだか、閉鎖的になっていたから、覗けなくなってきていたんだけどね・・・突然という感じは否めない。全部削除するとは思わんかった~。だから、bebeって呼びたくなっちゃうんだ。たしか「全てを見る」という名前を持つその人と出逢ったことも、きっとなにかのご縁なのだろう。「片目をつぶっていなさい」と言われたことのある私・・・「前世で関わりがあると思う」というその言葉は、相手が瞑想者でなければ陳腐な口説き文句にすぎず、気にならないといったら嘘になるけれど、敵でも見方でもどちらでもたいした問題ではない。まぁ、必要なことであればまた何かが訪れるだろう。時々、自分では全く出来ていない言葉を掲げている人に出会う。勿論本人は出来ているつもりの人もいる。出来ていないからあえて掲げるという人もいる。どちらにしても、その言葉から意識が放れていけば遣わなくなる言葉。意識する言葉から解き放たれれば、沈黙が多くなるだろう。沈黙が多くなればなるほど、広く深い・・・そこはどこだろう。。。その前にその言葉の存在を知っているかどうか、ということもあった(;^_^A アセアセ・・・
September 27, 2006
なんだかキーボードが打ち難いと思ったら・・・そうかちょっこっとストレッチの体験に行って来たんだった・・・明日が怖い(^o^;アハこれで、血流やリンパや気の流れが滞らないようになればしめたもの。1週間前までは、富士山の麓のピラミッドの中で行う瞑想ワークに行こうと、本気で思っていたのだけれど、急遽(?)気が変わって、ストレッチなんぞをしてみようかと思い立った。こんなに考えなしに動いたのは、もしかしたら初めてかもしれない。生まれつき(な、わけはないはずだけど)カチンコチンの身体、どこまで解れるだろう・・・身体はこころの表れ?・・・ ヽ(;▽)ノ アハハハハそれよりもほんとにそこで大丈夫か~? 通えるのか~? 時間は? お金は?と、いつものような思いがでてくるが、とっても無駄な…、無駄かもしれないことにお金と時間をかける必要性があるような気がした。いや、いままでも傍から見れば十分に無駄なことだったかもしれない。だけど、その先に誰かに繋がるかもしれない学びと、自分だけのためのものとは全く別物なのだ。未だにカウンセラーとして仕事もし始めていない私を見て、「その勉強に幾ら注ぎ込んでるのー」と言われもするが、「瞑想よりも話し方教室にでも行けば~」などと毒も貰うが(姐さんではなく)、私なんぞ少額の方さな。相手の発する無意識の怒りに惑わされないでいれるだけでも、なかなかの成長ではないか(*`ー´*)思いやり、心配、助言、忠告、嘆き、怒り・・・そして愛・・・どれも紙一重で交差する時があるかもしれない。
September 11, 2006

またまた気が散りそうなこの頃・・・小さな本棚になりそうな棚を貰ったので、今日はお掃除をいたしましょう。仕事部屋は相変わらず雑然としてしまうし、寝室は本その他諸々で溢れつつあるし・・・δ(⌒~⌒ι) とほほ...せめてキッチンだけでも保ちましょ。何も特別なことをしなくても、お掃除だけでも浄化されるってことで。好奇心が強くなりすぎても、日々のことに丁寧に接するのがおごそかになります。中心にいることを、グランディングできていることを実感できていれば、そんなに大きくぶれることもなく、また自然と元の位置に戻っています。たまには弱音も吐くけれど、そんなこの頃。気がかりだった長いメールのお返事もやっと返信。人の悩みに関わる人は、相手からの反応がないと不安になってしまうようで、忙しいのがいいのか悪いのか・・・変わらない安らぎの空間がありますように。。。時々引く、禅タロットカード。今日は『変化』というカードがでました。たまたまここを覗いた方にも、なにか感じるところがあるかもしれません。。。『10.変化』 生は愚かにも自らを繰り返す。あなたが気をつけるようにならないかぎり、生は車輪のように繰り返しつづける。仏教徒たちがそれを「生と死の輪廻(りんね)」と呼ぶのはそのためだ。時間の輪。それは車輪のように回る。誕生の次に死が来て、死の次に誕生が来る。愛の次に憎しみが来て、憎しみの次に愛が来る。成功の次に失敗が来て、失敗の次に成功が来る。ちょっと見てみるがいい!もし数日間でも見守っていられたら、ひとつのパターン、輪のパターンが現われているのがわかるだろう。ある日の晴れわたった朝、あなたはとても気分がよく幸せだ。ところが、別の日にはとてもだるく、死んだような感じがするために自殺を考えはじめる。すぐ前の日は、あなたはとても生命に満ちあふれ、至福で満たされ、深く満ち足りた気分でいることを神に感謝するほどだったのに、今日はとても不満で、なぜ人は生きつづけなければならないのか、その理由がわからない……。それがどこまでもどこまでもつづいていく。だが、あなたはそのパターンを見ない。一度そのパターンを見たら、あなたはそこから出てくることができるのだ。解説: このカードのシンボルは、時間、運命、カルマを表わす巨大な輪です。この絶えず動きつづける円のまわりを銀河が巡り、周辺には黄道十二宮が見えます。周辺のすぐ内側には易の八つの卦、さらに中心に近づくと四つの方角があり、それぞれが稲妻のエネルギーで照らされています。回転するトライアングルがこの瞬間は上の方を、神聖なるものの方を指していて、中心には中国の陰陽、男性と女性、創造性と受容性を表わすシンボルが置かれています。世界でただひとつ変わらないものは変化そのものだとよく言われてきました。生は絶えず変化し、進化し、死に、そして再び生まれ変わっています。相反するあらゆるものが、この広大な円形のパターンのなかでそれぞれの役を演じているのです。輪の縁にしがみつこうものなら、目が回ってしまうでしょう! 台風の中心へと進み、これもまた過ぎ去ることを知って、リラックスしましょう。
September 4, 2006
ちょっと沈みかけ・・・自分への信頼が薄らいでいく。初めてオーラ写真を撮ってもらったのだけれど、自分が思っても見なかった感じで…でもそれは、いろいろな占いなんかでも自分には当てはまらないような気がしていた部分の強調ものだったから、「ブルータス、お前もか・・・」な感じなのである。自分のことは自分が一番わからないものなんだろうな・・・と言えるところが、わかってるってことでもあるけれど。直感が働くと同時に、理性が動き出す。意識する頃には何が直感だったかなんてもうわからない。いろいろなフローはただの自己満足に過ぎないように感じるのだけれど、生粋の探求者である本性は未知なるものを求め続けてしまう。理性はブロックか・・・持越しのブロックもたくさんで・・・なかなかブレイクスルー(突破)には至らない。やれやれ、やれやれ・・・自分ではわからないがバッテリーが切れそうらしい・・・アドレナリンが走り回ってるらしい・・・何にもしてないのに(~~。)これもそれも、バランスが取れてないせい。オーラによると、充電するのは大好きな運動しかないらしいけれど・・・運動…苦手。ほとんどしない( ̄∇ ̄;)アハ脱げればいいのに、オーラ・・・どっぷり束縛されちゃってるさぁ。久々のネガティブモード・・・今日までってことで。人の集まるところにいることが多かったせいか、慢性的な寝不足のせいか、いらないものを除去してくれるという初めてしてもらったヒーリングというもののせいか、はたまたその好転反応のせいか、2日も寝込んでしまった~(;´・`)> ふぅ情けない、だらしない、根性なし!フローに従って、自然のもとに向かうかなぁ。。。
August 30, 2006
「すごい肩・・・」と言われても、自分で肩が凝っている感じがわからないからわからない。どうせ言うなら自分の言葉に責任を持ってと思うのに、「どうしたらいいか教えて」という甘えは飲み込んでしまう。教えてもらったところで、それは一時しのぎにしか過ぎないのは100も承知だから。だから、ある日突然首が動かなくなったりしたのだろ。ストレスに鈍いのは、自分を守るため。とても緊張しいだ。赤面恐怖症だったろう。対人恐怖の一歩手前だったかもしれない。ぎりぎりのところを通り越してしまい、病名を付けられてしまっていたら、その病気を抱えて生きることになっていただろう。症状は、時として名前をつけることによって、よりその病気に近づいていく。人前で上手くやらないといけないという心理的なものよりも、前世というものがあるのなら、その時の記憶が影響しているのだとは思ってた。この世にいること自体が緊張なのだ。とにかく人が集まってる初めての場所で、注目されるのが苦手だ。自己紹介、発言・・・もってのほかだ。10人前後なら問題ないが、それ以上になると…部屋の空間、人にも寄るけれど、思っていたことの30%もできない。身体がこわばっているのがわかる・・・緊張MAXになるのだろう・・・で、緊張していることを認め、受け入れてもそれは消えない。パーソナルスペースの問題か、性格的な問題か、心理的か、前世か・・・そこに「恐れ」があるのはわかってた。何もとって食われるわけではないのに・・・自分で思ってるほど注目もされてるわけもないのに。自意識過剰のナルシズム・・・やれやれ、やれやれ、治らないんだから仕方ないのさぁ~。先日行った霊気の復習会でも、20人くらいの人が来ていた。行く度に、何か違う霊気技法をおさらいする。その時は離れている人に霊気のエネルギーを送るという、遠隔霊気というものだった。中央に置かれた椅子に座り、送りたい人の写真や名前を書いた紙を持ち、他のメンバーが周りを取り囲み、手をかざして霊気エネルギーを送る。40本近い数の手が自分の身体の周りにあることになる。そんなに多い人数は、初めての経験だった。順番で回ってきてしまうのだけれど、できれば避けたかった。とても…とても、怖いのだ。自分が手をかざす側にいるのはまったく問題ないのだが、かざされる側では恐怖を感じる。案の定、座った瞬間に肩と背中に緊張が走る。こころのサイズがキューーと小さくなって行くのがわかる。どうにも怖い。その恐怖を感じながら、背後の人からのものと前の人からのものとの違いにいきあった時、わかったものがある。背後のものをかばい、多数の刃物を身体で止めたことがあると・・・いや~、だから、どうしたって話だけれど。確証もない思いつきであるけれど。この間見た、夢の欠片と繋がってるかも…とも思うのだ。これで緊張が解けるというものではないが、自己理解のひとつではあるかもしれない。
August 29, 2006
その人は、チャイを両の手の中に包み込んでいた私に向かって、何かを言っていた。あまりに自分が静かなところにいたので、何を言われたのかわからず「ん?」と返し、また同じことを言ってくれたのだけれど、また何を言われたのかわからず…いや、聞こえていたのだろうけれどピンとこず、また「ん?」と返してしまった。そして、それから確認できた声は「ストロー貰う?」だった。チャイは氷こそ入っていないけれど、冷たいもので…ストローを使うほど、大きなグラスではなかったから、手の中のチャイとストローの関係が私の中で結びつかず、言葉が届かなかったのかもしれない。ぼーとしてしまうことが、よくある。誰といても、突然一人に入ってしまう時がよくある。昔からの、小さい頃からの癖のようなもので、「ちゃんと聞いてる?」と言われることもある。半分は無視をしているのだけれどf(^^;) ぽわっとしていると見る人もいれば、せっかちと見る人もいる。一度植えつけられたイメージを、見る人はそうやすやすと変えたがらないものだ。そんな私を「1人でコツコツ作り上げるのが好きな子だから…」と、母親が自慢気に話しているのを背中で聞き、「ほ~、そういう風に思っていたのか・・・」と微妙な感じを受けたことがある。母さま、私は努力がきらい…というかできない奴なのですよ、実は _(._.)_ 努力を通しての自分の欲望に恐れをなしてしまっていたのです。そして回りは更なる努力を強要するように感じられ、その回りからくる欲望も恐ろしかったのです。まるでエリザベス・テーラーの「ある夏の日の出来事」(だったと思う)のように・・・もし、教育熱心な家に生まれていたら、この頃起きている現象や事件はけして他人事とは思えず、当事者になる可能性があったかもしれないなぁ・・・と思うのです。私が努力をすることで勝ち得たものが、誰かから奪ってのことになるのなら、そんな結果は欲しいものではなかったのでした。それがやる気がないということならば、そうなのかもしれないとしか言いようが無く・・・適当なところで生きるしかなく・・・なんだかいろいろな癖を身につけてきてしまった気がして・・・自分自身が扱いにくいこと然り。ときどき窓ガラスの世界に映る、自分のいるテーブルに気づき、自分の顔に気づく・・・変な言い方だけど、その窓ガラスに映っている顔と自分が結びつかない時があるのだ。「あん? 誰? あぁ、こういう顔だったんだ・・・」となる。「いけない、いけない、戻らなければ・・・」となる。そして、さも「聞いてたよ」という顔つきで頷き始める・・・変な癖。 皆の会話がつまらないわけでは無いと思うのだけれど・・・時々ふっといなくなる。そうでない時は、逆に隅々まで気が回る。なんだかな・・・自分ではわからないことがまだまだいっぱいで・・・無意識から意識的になることだとは言うけれど・・・ん~~~ん~~ん~全てを見回していたい自分にとって、ひとつのことに傾倒していくことほど怖いものは無い。盲目的になってしまう自分が一番怖い。そして例え傾倒していったものが心地よいとしても、それで満足しきれるほどの大人しい自分でもないのはわかってしまっている。常に足は地に着けていたいし、手はまっすぐ上に伸ばしていたい。せっかく地に足が着いているのだから・・・何もしなくても全て見ることはできる気がするよ。風が止まってしまっては、生きる術が無い。水が淀んでしまえば、生きることは無い。囲いが見えるのに中に入る勇気はまだ無い。例えそれがプロセスの一環だとしても。
August 4, 2006
昨日、また蓮を見に行った。何故か蓮を見に行くと決まって眠くなってしまう・・・今日は休日にしてしまった。忙しくなる前の小休止。友人からいただいた詩集を読む。タイトルは「鬼さん」。12年ぶりの出版で、誰の中にも潜む「鬼」を題材にしている。もう少しえぐいものを期待していた私。彼女も歳を取ったな~と思ってしまった・・・いやいや、私の中身が老けているのか。本だけ読んで暮らしたいとも言うけれど、そんなことをしたら益々歳を取る。血気盛んな若い(?)頃、わからんちんと口喧嘩していた時の方が、よっぽど鬼を感じまする。嫌味を言われたことはあるけれど、怒られたり、理不尽なことをぶつけられたりすることは不思議となかった気がするなぁ。叔母ほど歳の離れている彼女。なんだか今年はよく会っている。「鬼」・・・自我とも訳せようか・・・自我=エゴと訳せよう・・・エゴを落とそうと、そうすれば「楽」になると人は右往左往するけれど・・・エゴは落とすものなのだろうか・・・エゴを落として中庸を歩くと・・・云々とも言うが、中庸を歩いていたとしても、いつ何時振り子が大きく振れるやも知れない。保証のない話である。どのくらいの振り子の幅で、両端を落としたのかどうかで、だいぶ変わってくる話でもある。結局は、中心を感じとることはできるけれど、回りを何度も何度も巡っている・・・ユングがよく使う言葉だという「巡回」に近い感じがする・・・と、いまの私は思うのだ。そんな今日、桜桃の葉っぱを食べつくしている虫が、やっぱりスカラベのように思う。こころなしか背中がきれいな色だけど・・・んー、糞を食べるんじゃなかったっけ? 葉っぱ食べすぎだよ。すっかり大きくなっちゃって。エゴはただそこにあるもの・・・私にとってそういうもの。自分のものでも、人のものでも・・・ただそこにあって、流れを見ているもの。。。
July 27, 2006
やさしい人に出会う時・・・自分の中のやさしさの方向を確認することになる。傲慢な人に出会う時・・・自分の中の傲慢な部分を試されることになる。全ての出来事は、いま自分がいるところを顕わにもできる。顕わにしたくなければ、見たくなければ、見ないこともできる。自分を守るために、自分で自然に選んでいる。あらゆる事柄に、優劣、上下はあり得ない・・・だけど、それを持つことで安心する人もいる。そんな時は、また、自分の中のそれらを試されている。そんなこと、本当はどちらでもいいことだし、見方によっては、逆転することも往々としてあることだけど・・・自分の思い通りに理解されないことに、恐れだったり、嫌悪感を感じたりしてしまうのかもしれない。「こう理解して欲しい」と強く示したい思いの中には、「本当はそうではないかも…」と確信できない思いもあるのかもしれない。自分の思いは自分のものなんだから、いくら誤解されてもいい、と思う反面、誤解されることで人は、不安定を感じてくる。それは「人は1人では生きられない」という、単純なすり込みによるものからきているのかもしれない。誤解する人は、それが正しいと勘違いして、誤解しているのではなく、ほとんどの場合は、自分が信じたいものを受け取り、そう思いこむ。なにかを、証明したい、弁明したい、と思った時、また、逆に相手にそれを感じた時、「誇示されたものは欠如を表す」 (フロイト)この言葉が頭の引き出しに入っていると、こころに余裕が生まれるかもしれない。実際の場面では、そうやすやすと切り替えできないかもしれないが、こころの中のスペースを、外のものに全て乗っ取られることなく、自分が自分らしくあられるスペースがあるかないかでは、雲泥の差になるかもしれない。そういう時の言葉は例え、きつい言葉使いでも柔らかい・・・素っ気無くてもあたたかく伝わる。先達に教わった言葉でも、自分の言葉として回っていく。借り物、嘘、偽り、誤魔化しが統合されていく。逆にそうでない時は、どんなに飾った言葉でも潤いが無い。表出しているものと全く相反するものが、想念としても伝わるのかもしれない。
July 12, 2006
「此の世は自分を探しに来たところ。 此の世は自分を見に来たところ。 物買ってくる。自分買ってくる。 (陶芸家/河井寛次郎)自分の居場所を探してはいたけれど、自分探しという言葉はいまいちよくわからない。自分を知るためにいろいろとしている、という方がぴんとくる。この世で学ぶために選んだもののひとつには、やはり「愛」があり、それは多くの人に共通しているものなのかもしれない。私の場合、ちょっときつい気もしているが・・・単に甘ったれなだけかもしれない。一般的には、もっと簡単に、無意識にクリアして、先に進んでいくものなのかもしれない。お互いさまではあるけれど、理不尽なことや思い通りにならないこと、結果的な裏切り、怖い思いをした生霊などなど・・・悲しみが募り、怒りに変換されていきそうなものを、許し愛することを学ぶ。その全てに、当然だけど、人間が絡んでいる。大袈裟に言えば(決して大袈裟でもないのだが)、自分の敵を、自分を殺すかもしれない人を愛すこと・・・自分の腹にナイフを付きたてる人の顔を、慈愛を持って見つめ返せるかということ。ほんとにね。手を変え品を変え現れてくるのだろう。ほんとはね。ずっと前から気づいていたこと。気づいていて、わかっていて、腑に落ちたつもりでいたのだけど動かなかったこと。動いてないように感じていただけなのかもしれない。無意識では動きたくなかったのかもしれない。なんだか急にこんなことを書いておきたくなった・・・前世からの知らせを受け取る前に・・・なんてな~。受け取れるかどうかは未定だけど。
July 5, 2006

今日から、ブログを初めて3年目に突入。お休み期間もあるし、アップしたりしなかったりだけど・・・こんなに続くとは・・・というか止められない必要悪みたいな感じ?素の自分を自分から切り放しておいて置けるところ・・・脳内麻薬成分の影響も然り。1年と区切りをつけて、さっと止める人もいるけれど・・・最近、新しい仲間を開拓しようとはトンと思わず、前からのリンク仲間は更新が少なく(人のこと言えません(シ_ _)シ)、人知れずひっそりとが心地よかったりする。ご機嫌取りのようなコメントもできないから、ちょうどいい。何かを探しにいく感じではなく・・・今日は行田に蓮を見に行ってきた。「古代蓮の里」久々に田園風景の風を感じ、気持ちいい。「行田蓮」↑の見頃は今度の連休くらいだけれど、その他にある40種類の蓮が次から次へと咲き出す。珍しい黄色い花色のアメリカ黄蓮やヴァージニア蓮は、もうちょうと先になりそうだ。ちょうど行った時に、どの品種がみられるか・・・全て見るには何度も小まめに足を運ばなければならない。今が見頃なのは舞妃蓮↓(黄紅色というらしい)他にインド蓮(紅)とか漢蓮(白)とかが咲き散っている。 蓮の実も初めて食べた。百合根と栗の中間のような感じで、甘く煮てあったせいもあるけど美味しかった。昔はよく食べたと言う母親。蓮の葉にたまった朝露を飲むといいというけれど、何にだろ・・・東京地方、朝と夕方に雨が降っていた。だけど、やっぱり晴れ女・・・雨には当たらない。でも、何だかとっても気持ちよく・・・今日は特に眠い( _ _ ).。oOグゥー・・・( ~o~)ハッ・・・
July 1, 2006
そろそろ電話が来る頃だろうと思っていた。同窓会のはがきがきていたから・・・2年前にやったばかりなのになぁ・・・ポイッ(/・・)/⌒前回、結局最後までその存在を思い出せないままだった人も何人かいて・・・(シ_ _)シ知らない人(思い出せないから)に、いろいろと覚えてられるのって、ちょっと怖かった。同姓の場合は、遅くても小1時間くらい経てば、あだ名も苗字も思い出してくるのだけれど。顔は覚えてるけど、フルネームで出てこない薄情な私。「え~、誰だっけ~?」と頭の中。ノリの悪い私は、合わせてたら目が回ったよ~。そうそう、太ったり禿げたり、久々の同窓会に出るとすごく変わってしまって…って話を聞いていたからそうかと思ったら、全然そうじゃなかった。こんな会に出てくるような人は、みな小奇麗に保ってられてる人らしい。(^▽^;)そうなんだ~。そうかもね。特に女の子は、みな実年齢よりも若く見える。この時代・・・何してたんだろ・・・誰がいつ同じクラスだったのか、皆目わからない。 (; _ _ )/アルバムも卒業してから開いたことはないというか、開こうと思ったことも無い。私の存在なんて覚えていて欲しくなかったのだぁ~。だから覚えていない。卒業時に女の子みんなが回していたサイン帳も、回さなかった。3年のとき一番側にいたその子に「私はどんな子だった~?」と聞いてみると、「つかみどころの無い人」だったと返ってきた。「何が好きだったのか、好きな人はいたのか、私たちの話を聞いてくれてるだけで、自分のことはあまり話さなかったよね」と言われた。いや~、それなのによく忘れないで電話をくださる。蟻が十 ..........それでも、その子と一緒だった3年の時が、一番まともだった気がする。後は荒んでて、乱暴だったな~。とんでもないこともしたな~。(_ _;)/~~~~" いつ自分の中で時効にしたんだっけ? (^▽^;) ま、いっか。前回の時、髪の毛を引っ張りまわしたことを謝ってくる人がいたのだけれど、そんなことがあったのなんて、すっかり忘れてる。その子に変なあだ名をつけて、からかっていたことの方が覚えていて・・・反撃されるの当たり前。時代にタイムスリップできなかった私は、謝ってこれなかったぁー。お前って奴は、ほんとにね(ーー;) 意地悪は、された方よりもした方が覚えてるくらいがちょうどいいのだろうな。今のご時世は違う気がするね。さてさて、5月から9月(だったかな)にかけて私の人生を動かす人に出会うらしい。年齢性別は関係なく・・・もっと深いもの・・・旅の切符はもう手にしている。それは過去ではなく未来へと続く旅。その人は、宇宙の仕組みを教えてくれるだろう・・・「月の静止」のサイクルが頂点に達する今年、私にとっては、ゆる~い変化の年らしい。「はい」と言って受け入れれば、進んでいく・・・準備なんていらないのかもしれない。
June 29, 2006
「こんなこと小学校からの友だちにも話したことないのに・・・」と彼女。それは、ある意味当たり前。仲のいい人にほど話せないし、何も言われたくないものだから。みんな適度な距離を保ってる。親もパートナーも友人も70%の付き合いがちょうどいいと、三輪明宏氏も言っていた・・・ (`-ω-´)学生時代、悩みを相談されていたことがあったような気がする。その頃は勿論、カウンセリングなどということではなく、コンサルティングという意味に近い言葉を返していた。本人の悩みを明確にし、あーではないか、こーではないか、あーしたら、こーしたらと意見を言っていた。ま、指示とも言うかも。でも、お友だちレベルだからこれでもまぁ、許される。で、お礼を言われたりもする。で、その後・・・「悩み事があったら相談してね」となる。だけど、私は相談しない・・・というか、相談できるレベルの悩み事はないから、相談がない。いつも片方からの相談を受けている感じになる。で、そのうちに「どうして?」になる。「何かあったら力になりたいのに・・・」となる。そのときに今のような感覚(まだまだだけど)で「その存在だけで充分、力になっているよ。」と言葉にせずとも感覚的に伝えることができていたなら、そこから逃げ出すことはなかったかもしれないなぁと思う。まだ一回しかあったことのなかった彼女。仕事と学校に忙しい彼女は、ちょこちょこと貯めて長目のメールを送ってくる・・・いや、返信が長いからかもしれない。 ( _ _ )/彼女はどうなりたいのだろう・・・という点に、居れるよう心掛ける。思考的に見ればどうなりたいかはすぐにわかる。それがピッタリあっているかどうかは別にして。本人も薄々はわかってる。だけどそこはまだ、言葉の形になってこない。会社かなんかで毎日顔を合わせる人だったら、せっかちにポンと口に出してしまうだろうけど、メールだから時間差ができてちょうどいい塩梅になる気がする。初めはそうは思わなかったけれど、やっぱり会うべくして会っていると思う。自分探し中の彼女の問題は、私とダブるところまで拡がってきた。うちに呼べれば…、彼女も一人暮らしなら、マニュアル見ながらの催眠療法でもお試しできるのだけれど・・・いかんせん、彼女も左脳バリバリ人間。+私より(?)も依存的。ばり時間かかるで~ 徒にやれるほどの軽い状況でもない。2回目に会った時、とっても疲れた顔をしていて、見過ごすところだった。とりあえず、そばにいるよ・・・とは伝わってるかな。でも、女の子(?)って、弱々しく悩んでるのもかわいいものなのね。
June 25, 2006
今年は梅雨らしい梅雨になりそうで、早くに夏物がきりあがってしまった。今月いっぱい夏物商品を作れるとタカを括っていたので、先秋物商品…思うように進まなかった。端境期ごとのスランプみたいなの・・・よくまぁ、乗り越えてるね。自分のことだけど。死ぬまでこの仕事をしているよ、と人には言っているのだが、いまひとつ腹を括れていなかった・・・いない・・・逃げ道を残してる・・・た。材料や備品が多い仕事・・・たまに身体ひとつでできる仕事に憧れてしまう。消費社会に辟易しているのに、消費するものを生み出している。そこが矛盾している。量産物ではない、どこかしら個性のあるもので買いやすいもの・・・かつ、自分の許せるラインを腹を括って探って確立しないとならない・・・なぁ。(それがわたしのいきるみち~♪ってパフィーじゃないんだから。違ったっけ?)同業者で頑張っている人たちは、人を使って幅広くやっていたり、教室もつくり生徒を集めているようだ。個展をしていた人もすっかり顔ぶれが変わってきた。確かに、この仕事だけでは食べるのは容易なことではない。小さな世界だけど、後続もどんどん出てくる。学校でも、結婚をしていないなら、仕事を持ちながらの二束の草鞋を薦められる。私の習った学校のアトリエは、当時歩合制だったので、結婚しているか実家が良いことがアトリエに入る第一条件だったりした。今はどうだろ。作るよりも教える方が合ってはいる・・・でもね~、知ってることはただで教えてあげたくもなってしまうのだ。なんだかな~と、ここまで下書きしてカウンセリング教室に行ったので、この内容に近いことをクライアント役として喋ってしまった。基本的に何をしても食べていけると思ってるから、芯は図太いね。だけど、表面には火をつけないとと思ってる。自分から伸びていく枝葉に責任をとっていかないとなぁぁぁぁ~「そんな自分に何か言ってあげたいことはありますか?」とカウンセラー役の人に尋ねられ、「そういう時はいつも「大丈夫」って出てくるんです。」と、浅いところのフォーカシングしができない。浅い、深い、確証はないのだけれど・・・「今が正念場なのね」とオブザーバーに言われ、「この何年かがそうなって行くと思います・・・」と答えたけれど・・・そこまでも思っていないかもなぁ・・・結局はなるようになっていくのだろうから。パワーが弱い…ある程度の枠がないとパワーが強く動かない?このゆる~いエネルギーはなんなんだろ。起きているけれど…眼は覚めていて動いているけれど、眠っている状態が続いている・・・そんな感じ。起きることを妨げる何かがあるのだろうなぁ。このまま眠っているようで終えても問題ないのだろうけれど・・・大概の人はそうかもしれないし・・・エネルギー体とかなんとか体とかよくわからないけれど、ずっとぶれてずれている感じがしているのだ。そうだ。睡眠についてのHPがあった。寝不足はブスになる~とな。http://www2.health.ne.jp/library/3000/w3000895.html
June 25, 2006
長く風邪を引いていたことが、早寝するいいきっかけになると思ったのに・・・また睡眠時間が遅くなってる~( ̄~ ̄;)ん~結局元気になると、1時前にベッドに入ってても寝れません・・・ってことは、寝つきが悪いってことだったのかしらん?5分で寝れてると思ってたのは、勘違い?ネムネム、バタンでベッドに入るから、すぐ眠れてたのかしらん、やっぱり・・・ということは、軽い不眠症の気があるということ? なんてね。もう冬じゃないんだから、お風呂入ってすぐは眠れないってだけです(^▽^;)そうだ・・・いつからか、枕が替わると眠れなくなっていたかな~。昔はどこででも、居酒屋さんでも寝れたのに~って、それは違うか。泊りがけのワークショップなんかでは、興奮しているせいもあると思うけれど、まず眠れない~。結構、いびきを掻く人がいるのです。なんだかね。100年の恋も冷めてしまいます・・・って、私は大丈夫だったっけ?結構、びっくりするような人がいびきを掻いたりするのです。妙に親近感が、敷居が低くなったような気がしたりして(*'‐'*) ウフフ欠点(?)見えると安心したりするものです。あ、寝息といびきってどう違うんだっけ?この前TVで、睡眠時間とお肌はあまり関係ないって、あるお医者さんが言っていたけれど、エェェェ~~~( ̄д ̄)な感じ。知ってる話とは違うもの。寝るのが遅くても、毎朝同じ時間に起きることが大切だって。お日さま浴びて、体内時計を正常に働かせて・・・それはそうだと思うけれど、睡眠不足はお肌に出るっていうのが常識で通ってるけど・・・な。睡眠時間って、長ければいいってものでもないのよね。長生きしている人の平均睡眠時間は6時間だそう。細木数子のいうようにお肌のために22時に寝て、6時間睡眠にしたら、4時起じゃ~。午前中たくさん時間あるな~。ちょっと憧れるかも・・・そうそう、その番組には新ブログ女王が出ていました。(◎_◎;) 新旧の交代、早いです~。
June 15, 2006
実家に帰る予定だったけれど、行けなかった・・・親父様すまんです寝汗をかいて、いつもよりも早い時間に目が覚めた。今回の風邪は、寝汗をよくかく気がする。夢を覚えていた。だけど、鈍痛が・・・次に目が覚めたとき、割れるように頭が痛かった。こんな時は階段が疎ましい。バリアフリーのワンルームが都合よい。結局、夕方まで七転八倒していた。でも、これで長引いていた風邪がすっきりするような予感がする。夢は忘れなかった。ちょっとショックな夢だったからかもしれない。目覚める時、ほとんど夢を覚えていないのだが、ここ2週間おきくらいに見て覚えているものがある。それは、飼っている犬が逃げたり、死んだり、事故にあって変身したりするものだ。犬は男性性の象徴らしく、それが逃げたり、死んだりすることは、私の中の男性性の何らかの変化なのかもしれない・・・犬が死んだ夢の時に、僧侶のようななんだか得体の知れない厳(いか)つい女の人に、「あなたの零格のために犠牲になったのだ。だから・・・云々」というようなことを言われたのだった。今回は、人だった。人が死ぬ夢は、夢としてはショッキングなものだが、実際にその人が死んでしまうという予知夢的なものではなく、解釈的には潜在意識での死なので、肯定的な意味があるという。そうのはずなのに、その夢を見ている日に具合が悪くなるなんて・・・まさに潜在意識と顕在意識が戦っているってこと? なんともなや・・・往生際が悪いってことね。どうにかして、その人との関係を変えていこうとしていたけれど、無駄な足掻きってこと?潜在意識までの壁が何層にもあって、なかなか催眠にも深い瞑想状態にも入れない。その時期が来るまで、気長に構えているしかないとは思うのだが・・・必要ないといえば必要ないのかもしれない。ん・・・でもこれも思考・・・思考ってほんとに邪魔になる。親父様・・・誰かいい人を見つけて安心させてくれというけれど、もしそうなったらあなたの生命の火が消えてしまうかもしれないのに・・・という予感をずっと持っていたのでした。そして、もし前世というものが見えたとしたら、あなたたちは私の子どもだったことがあるとも思っているのです。何の根拠も、もちろんないのですが・・・
June 10, 2006
「あ~、声が…」とか「ちょっと痩せましたか~」という声を期待(?)していたけれど、ついに言われなかった。自分のことで手一杯だね。ま、風邪引いてるとは気づかれないようにもしていたんだけれど・・・先週の土曜日、もしかしたらその場で会うかな…と、なんとなく思っていた人。いろいろと動き出している話だけ、たまに更新されるブログ上で読んでいて、なんか危なっかしかったけれど、その行動力が眩しかった。さぞかし前向きにがんばって、自分の道を切り開いていっていることだろうと思っていたのだけれど・・・ちょっと違ったのかな。セミナー三昧みたい。せっかくチャネリングまでしてもらって、自分の未来まで教えてもらったのに、まだ何か足りないよう・・・なんだかな~。そんな状態、わかるんだけれど、また余計なこと言いたくなっちゃったよ。前にも「端から行くとセミナー貧乏になっちゃうよ」って言ったことあるけれど・・・わかってはいるんだろうな。でも止まらない。探しちゃうんだ、確実なもの。で、やっぱり言っちゃった。「探し物は自分の中にあるんだよ・・・」・・・自分に言ってる?(^▽^;)アハプラス、肯定的なことも言えたから、よしとしよう。これから「適職セミナー」という彼女。お茶する時間もなくて、よかったかも。ほんと、そういう風にできている。きっと、心配になって、もっと余計にいろいろ言ってしまったことだろう。第3者から見ると、本人には見えてないことでも見えることは多いだろうから。セミナーに行ったって、前世を見たって、セラピーカードを学んだって、それで終りじゃ意味がない。何を教わったって、どんな前世を見たって、そんなのはっきり言って大したことではない。(・・・って前世もちゃんと見れない私が言うことではないかもしれないが(^▽^;))そこで学んだことや、教訓をどうやって生かしていくかでしょ。って自分に言ってるな~(^▽^;)上澄みだけ教える方の問題にも思ってしまうわ(ーー;) でも、そこに導かれて、お金と時間を使っても行きたい彼女なんだよね。「それはほんとにあなたにとって必要なの」と言いたくなるのは私の問題。人のことに目が行ってしまうのは、私が人からの見え方を気にしているということなのか、性分なのか・・・どっちもありね。性分の方が多いような気がするけれど、人にもよるな~。どうでもいい人からはどう思われてもいいし、何も言ってあげないし、何か言われたって何も言い返さないし、「勝手にすれば~」とも思わない。まるで、無関心さぁ~。そうそう。マザー・テレサも言っている。「愛の反対は憎しみではなく、無関心」って。こんなことを下書きして放っておいたら、これとは全く違う話の展開からこんな言葉を聞いた。「人のことがいろいろ見える人って、自分のことを見たい人なんだよね」なんか、シンクロだったよ~。対象は全然違うんだけれど・・・違う意味だったんだけれど、私にはこういう意味にも聞こえたの。電話ありがとです(^・^)♪ あとでジワ~ンと沁みてきました。そこに、判断や否定や拒否や、無理な同意や過剰な賛同、策略的な指導ということを考えもしない人に戻れる・・・進めるといいな・・・風邪のおかげでせっかく痩せたけど、すっかり元に(たぶん)戻った体重・・・こちらは20年前に戻りたいかも、かも・・・ ヽ(;▽)ノ アハ
June 8, 2006
なんだかな・・・最新訪問者記録にちょっと?の足跡が残ってる。しかも、更新していないのに。管理ページで見えるから、ちと目障り。(ーー;) 誰の何が見えたって、あちきにはどうでもいいざんす~。楽天さんって、その手の人が増えてきたってことよね。確かにインパクトのあるHNは人を呼ぶって言うけれど・・・ねぇ。ご苦労様です。ご苦労様・・・関東では、目下のものに使う言葉。普通は「お疲れ様」というけれど、関西方面では誰にでも「ご苦労様」と言うという。一応関東圏のわたくし、「ご苦労様」という言葉には少し抵抗が・・・昔、あるギャラリーのオーナー(京都人)が、関西では目上の者に「ご苦労様」というと言い張られたことがあって、遠慮なく「ご苦労様」と言わせていただいたけど・・・きっと、勘違いなさってたと思う。時代劇でも殿が家来に向かって「ご苦労、ご苦労」と言うではないか。自分で言うのはありえないというか、ボキャブラ辞書にも載っていないけれど、言われると…人によってはむっとする。こころ狭~。ここのところ「あわれみ」について思考中・・・ちょっとだけ。「憐れみ」・・・「哀れみ」・・・、辞書では同じ意味だけど、似て非なる言葉。梅雨に入りそうで入らないそんな陽気・・・払拭?するために占いで遊ぼ!見つけたのは「風の谷のナウシカ占い」♪生年月日で占うので、どんな名前を入れようが同じ人物が出てくる。「ナウシカ」に・・・なれなかったよ~(・・,) グスンしかも「クシャナ」だったさぁ~。そうさ、甲冑が似合うさ( ̄ー ̄)ゞ フフフのフン強いけど弱いさ。弱さがあるから強いのさ。人も国も支配したくはないけれど・・・「ナウシカ」と対極、だけど、ある意味同じ。「テト」がよかったな~。「森の人」ならなおいいけれど・・・「ユパ様」も捨てがたいヽ(~~~ )ノ ン~?宮崎作品では、やっぱり「風の谷のナウシカ」が好きだぁ~。
June 7, 2006
風邪を引いた・・・正確には姐さんからうつされた。気をつけてたのに(ーー;) もう4日間も寝込んでる。市販の薬が全く効かない。こんなにひどいのは10年ぶりかも。熱も喉の痛みも咳も鼻水も、関節痛も、風邪の症状が全部やってきた。おまけに目も回る・・・あ~ぁ、やらなきゃいけないことたくさんなのになぁ。1日1日消えていく・・・ここから何を得ればいいのか(?-?) どうせ寝てるんだから、催眠のCDを引っ張り出してまた聞いてみた。でも、うつらうつらなので、これといってな~んにもでてこない。相変わらず鈍感というか、かかりにくいというか、それどころじゃないというか・・・( _ _ ).。o○ほんとによく寝た。溶けてなくなっちゃうくらい寝た。3日目、ようやく医者に行けそうだったので、ふらふらしながら医者に。近所の診察券がまた一つ増えた・・・どんどん地域密着型になっていくのか(_-_) ウーン「学生さん? 仕事してるの?」って、爺さん先生。カルテに生年月日書いてあるのに、いくらすっぴんでこんななりしてるからって・・・笑うとこじゃないよね・・・(;^_^A アセアセ・・・「親御さんはどこ?」とか言うから、ちとあせったではないか。たがが風邪だと思っているのに、親が出てくることなの~(’’;)「温泉行った?」って、またこの質問。むか~し、温泉で膀胱炎の菌を貰ってきてしまったことがあるのだ。温泉って、実は菌がいっぱいなのだ。だから、疲れている時に、ほんとは行ってはいけない所だそう。疲れを癒しに行くところなんだけれどね、他の人が落としたものをお土産にしてきたりもしちゃう。あ、今思い出した。酵素風呂に行ったんだった。(◎_◎;)ヒョエェ~ !1時間も点滴してもらう時間がなかったので、薬だけ貰ったのだけれど、これで治らなかったら肺炎の可能性があるって・・・そんな大袈裟に、脅すな~。確かに風邪は万病の元ではあるけれど。結核も流行ってるらしいけれど。漢方で有名な近所のお医者さん。大丈夫さ! 薬飲んでご飯食べれば治るさ!お粥食2日目。ご飯粒さえ口にできれば、元気になるさ!そうそう。ブログも書けてるし。明日は行くとこがあるんだから。まだ良くなってなかったら、点滴してから行こ~っと。
June 2, 2006
教え子(といっていいものかどうか)が作ったものを売ってみたいと言い出し(まぁ、薦めていたことでもあるんだけれど)、ここ2回ほど、私が納品に行く時に同行している。控えめな彼女・・・そして、やっぱり自分に自信がないかな…。マイナスに受け取る癖…あるかな。私にできることなら、手伝うさ~それが生きがいになっていくのなら、幾らでも。ただ、ちと気になるのは・・・私のことを買い被り過ぎていることだ。キッラキラの眼鏡を通して見てらっしゃる。そのうち幻滅して、ショックを受けるな~。欲しいもの、あげれるものならあげるさ。大した物もなく、そこも浅くて申し訳ないけれど。何故だか、気に入ってくれたのだろうから。私も何か、教わるだろうから。ちと気になっていた旦那さんとの時間的なすれ違い。ちょっとずつだろうけど、話が聞ける。ちと傲慢だけど、間に合ってよかったな…と何故か思ってしまう。何をするわけでも、何ができるわけでもないのだけれど・・・そばにいたいな…と(正直に言うと、「いてあげたい」の方が強いけれど)思う人でもある。そんな彼女に、人差し指に指輪をしてはダメだと教わる。私の知っていた情報では、人差し指に指輪をすることは「感性や直感を高める」という意味だったのだけれど、彼女の知っている情報では「1人で生きていくという宣言」らしい。アハ。昔っから、指輪は決まって左手の人差し指だわ~。他の指のために買っても、やっぱり定位置はそこなので、そこに収まるようになる。なんともなや。おもしろいことなり。
May 28, 2006
プラド展に行く予定だったけれど、中止。水曜日から姐さんが風邪で寝込んでる。一緒に行くつもりだった。本当は平日行った方が混んでないと思うのだけれど、趣味の合うところは一緒に…と思う。だったら、vijayさんに教えてもらった、井上ウィマラ氏のワークに行くのも手だったけれど、講演の中のワークのひとつなので、私が求めていたウィマラ氏のワークとは違う気がして、やっぱり止める。で、ブログ書いたりしてる。忙しく動いていたい時期でもあったけれど・・・行動が止まると、思考が騒ぎ出してくるから。それに、同じ空間にいると風邪がうつるかも、とも…まだ思うかな。自分のオーラのバリアを強くして、守ることもできるそうだけど。姐さんは風邪薬にアレルギーがあるらしく、何の薬も飲むことができないから大変だ。病人なのに、病気食(お粥とか)も嫌いだから放っておくしかない。うつっては困るので、初めの1日2日は私のほうが朝だけ風邪薬を飲んだりしていた。むか~し、バファリンが手放せなくて、ちょっと頭が痛いとき、寝れないときなんかの強い味方だったけれど、頭痛薬よりも風邪薬の方がいいと言われ(空腹では胃に悪いせいかな)、変えていった。いまじゃ持ってもいない。市販の薬は期限切れで処分することが増えてきた。家中風邪菌が蔓延していて、ついに姐さんと私の部屋の間にあったベンジャミンが枯れてしまった。風邪菌…恐るべし。あっという間のとどめだった。葉っぱはその場のよくない氣を、我が身を犠牲にして吸い取ってくれる。弱々しかったけれど、小さな葉っぱとかも出始めていたのにな。売れ残りを買ってくるからだ、と姐さんには言われたけれど・・・その上、栄養剤も切らしてたけれど。その花屋の前を通る度に、連れて行ってと言われたような気がしたのだもの。ごめんね…と、ありがとうを。ちゃんと役に立ってくれたこと、私は知ってるから。小さな庭は、いま菫があちらこちらから顔をだし、白いカラーが凛と咲いている。もう少しすると、サンダーソニアと小さな百合が蕾をつける。白く小さな花の紫陽花も咲き出す。何もせず、放っておいても時期が来るとひとりでに咲き出す。だけど、家の中は、植物が育ちにくい。お日さまの光が少ないこともあるけれど。今度はどの植物のお力を借りよう・・・やっぱり日陰に強いのは必須条件かな~。
May 28, 2006
どうでもいいことのはずなのに、何で、時折り引きずり出してきて、引きずってしまうのだろ・・・いじってみたところで、どうにもならないことなのに、時が解決するしかないってことは、そんなことは百も承知なのに・・・忘れようと思えば思うほど、より鮮明に居座ることもわかってる。だからそのまま置いておいて、見て見ないようにしてる。だけど時折り、微動だに動かないそれを、動かさなくてはいけないのではないかという、焦燥感に駆られる。何かが淀んでいきそうだから。何かが沈んでいきそうだから。息苦しくなってもがく。動かない状況にあせる。時折りのことなのに、いつもそうであるかのように捕らわれる。何とかした方がいいのではないかと振り返る。そんなことをしても、結局何も変わらず、無駄だということもわかっている。そんなことをしたら、余計自分がきつくなることもわかってる。そんなに深刻なものではないこともわかってる。それでも、時折り、しなければの思いに駆られる。まるで自分で自分を試すかのように・・・これが学び?・・・乗り越えられるべく与えられた学び。気がつかないうちに通り過ぎてこれたことも多々あるだろうに。だけど、簡単にクリアできたことはすぐ忘れる。できて当たり前だったと脇に追いやる。もったいない、もったいない。もったいないお化けが、斜め後ろで微笑んでる。それも承知しているさ。人のせいにする無意味さを知ってしまってるから。もったいない、もったいない。2日間、レタスを触れなかったら、冷蔵庫の中で溶けちゃった。暑くなりそうな夏・・・もうちょっと大きな冷蔵庫欲しいけど、壊れるまでは買え…買いませぬ。く( ̄△ ̄)ノ!!
May 25, 2006
久々のカウンセリング教室・・・ロールプレイの逐語記録検討会だった。いつもよりも人数も少なく、発言しようと思えば発言できる環境だったけれど、迷いながらも、結局発言しなかった。自分の思ったところを伝えなきゃという気持ちと、わかった風なことを言うのは時期尚早で余計なことかもという気持ちと・・・その間で揺れてしまうと、心臓がドキドキして緊張になってしまう。最後に…と思っていたら、話題が流れていった。先頃亡くなった先生に言われた言葉が、やっぱりどこかでまだ気になっている。ロールプレイのカウンセラー役のお願いが、順延になっていたこともあるのだが、私の言葉には毒がある・・・とか何とかという言葉。病み上がりの時で冗談交じりでおっしゃられたが、ちょっとびっくりしてしまったので、きちんとした言葉で押さえられなかった。確かめるチャンスを伺ってはいたが、機会を逃し、亡くなってもしまったので、もうなす術はない。他の人に言われたことなら、すぐに消えていく言葉であるけれど。それにその時流してしまったものは、後でどうにかしようとしても、同じ感覚になることはないのだからもう無理なのだ。時間がかかるかもしれないが、どうにもならないことは忘れていくに限るし、突き詰めて答えを探しても、相手も自分も苦しいだけかもしれない。クリアする課題として必要なものであれば、もう一度似たような場面に遭遇することだろう。その時に流さないように、意識して接するように心がけるしかないのかもしれない。確かに、私には毒も棘もありますね。でも、もしそれがわかるなら、その人の中にも似たようなものがあるということで・・・触れたくないところ、見たくないところに当たっちゃったのかもしれません。おとなしく猫かぶっているつもりでも、「するどい・・・」とか言われちゃったりするし。だからなるべくでしゃばらず・・・という姿勢が、かえって尖って見えたりするのかなぁ。それは謙虚さとは相反するものだから。久々にやってみたオーラソーマ の2本目のボトルが、ぴったりな表現をしてくれてるかも。 <チャレンジボトル>人生の課題・・・自分のことをよくわかっているにも関わらず、自分を受け入れることができないギャップに苦しんでいませんか。ハートに残っている痛みが、愛にオープンになること、相手を受容することの障害になっているようです。特に女性性を受け入れることに困難を感じています。痛みは執着となってハートにこびりつき、あなたが過去を克服して変容することを妨げます。 ・・・(ρ°∩°) ウクッ 今までとは違ったボトルカラーをを選んだつもりだったのに。 来週のロールプレイのクライアント役で話そうと思っていたことだったのになぁ・・・なんか収まりどころに収まってしまった。こういうのを、私が行っていたカウンセリングのワークショップでは、「揺らせていただいてありがとう」という、ちょっと独特な表現になる。理解、成長は、揺れてみることで、進むようになるという感じかな。強く、柔軟に…たおやかに。3本目のボトル・・・<ヒア&ナウ・ボトル>今現在の状況・・・あなたは今、浄化と解放のときを迎えています。長年あなたを縛っていた過去の傷ついた経験による痛みを、勇気を持って手放していくチャンスです。苦悩と苦痛、葛藤が涙とともに洗い流され・・・云々。またしても涙か・・・ (`-ω-´)
May 20, 2006
ここのところの気圧の変化・・・やっぱり少し落ちやすかったかも。ふ~んだ!同い歳の友人の父親が先頃亡くなった。親の死が一歩一歩近づいてくるお年頃です。父親の心筋梗塞が見つかってから今月で丸6年目。今度そうなったら、そのまま逝ってしまうと言われ、あんなに止めれなかった煙草もすっかり止めて、不摂生な生活にも気をつけ、自分で健康管理なんぞしている。我が親ながらかわいいです。ちょっとくらい悪いところがあるほうが、意識が向きやすいので気をつけることとなる。働き者でちょこまかしているから、寝たきりの生活なんて耐えられないだろうなぁ。仕事しながら、孫と遊びながら逝けたら、きっと幸せだよね。20代の初め、会社の友人に付き合って、初めて街頭占いをしてもらったことがある。プロの占い師にちゃんとお金を支払って見てもらったのは、後にも先にもこれだけ・・・占い師じゃないのはあるけれど。「よく当たるから~♪」と勧められたのだが、先にその友人が占ってもらっているので、どんな仕事をしているかなんかは知られてる。手相を見ながら、あーだこーだとおっしゃるが、気乗りのない返答をするから、ほんとに占い甲斐のない奴だったと思う。普通は占って欲しくていくから、占者の言葉に自分の中のものを勝手に当てはめていき、「わぁ、すご~い。当たってる~♪」などとなるのだが、当時の私ときたら「確率論の占いごときに判断されて堪るか」などと、人を小ばかにする癖が強かったので、「はぁ~、そうですか… そうでもないけど。」と、サービス精神のない返答をしていたのである。なんともテンション下げまくり~。その後の商売、大丈夫だったかしら・・・って今頃言っても仕方ないけど。その節は申し訳ないことをいたしました~。何を言われたかはほとんど覚えていないのだが、ひとつだけ、それから度々言われることがある。四柱推命や九気学も、その他いろいろな占いでも、私には片親の相があるらしい。特に父親との縁が薄いそうで、「両親揃ってます」と言うと、「そのうち離婚するわよ!」と言い放つ人もいた。勿論その人はプロではないけれど、下手なプライドはプロ以上だったのだろう。そしていつしか自分で調べるようになった。確かにあった、片親の文字。でもそれは表面的なこと。例えればそれは、いろいろな調理法のある野菜のひとつのようなもの。組み合わせる他の食材や調味料によって、幾らでも変化を遂げ発展させることのできるものだった。片親の相というのは私の場合、親元を早くに離れた方が運勢が強くなるというものだった。欲を言えば、17才の頃に知りたかったことだったけれど、それも今更だから思えることなのかもしれない。でも、知っていれば、勇気に繋がったことは確かかな。離婚しても可笑しくなかった両親だが、しなかったのは意味があるのだろう。私がこの親を選んでここに生まれてきたのも、意味があるように。自分のことは、結局自分でしか総合的には見れないのだ。断片的に貰うのはパズルのピースでしかない。ほかるもはめるも自由。自分次第。人になんと言われようと、自分で選んで動いていかない限り、依存のこころが残ってしまう。直感だけでどんどん動いていけるのが望ましいが・・・直観力鈍りまくりの現代人。昨日、仕事から帰ってきて早々の姐さんが、タロットしてほしいと言った。その日に起こった、これからの会社での立場を左右する大事なことを見て欲しいと。そんな大事なことを、自分なりによく考えもしないですぐに占いに走る思いが、受け入れられない。占う時は、大体どうすればいいのかわかっているものだ。迷っているとは言っても、その実8割がたは決まってるものなのだから。占いはその後押しであったり、ブレーキであったり、時期を見たりすることの枠を出ないものであってほしいもの。依存は責任転嫁にも繋がるし。そういう生き方、してほしくないな~。
May 19, 2006
「そのうち泣けるように変わっていくかな?」とメールを貰って、改めて思う。泣けない人ってやっぱり多いのかもな~って。小学1年生の頃、変な癖(?)があった。授業中、誰かが先生に指されて答えられずにいて、そのうちその子が泣き出しそうになる時、もうすでに私が泣いているのだった。肝心な本人よりも何故か先に泣いているので、先生は呆れ、その子の涙は止まってしまう。ほんの半年くらいの間だったと思うけれど・・・そんな癖。だけど、理由はわかってる。それがその時、生きる術だった。思いっきり泣けて、それを誰かに受け止めてもらったのはいつのことだったろう・・・はるか昔過ぎて・・・思う出そうとするだけで眠くなる・・・心理系のワークショップなんかに行くと、感情の垣根が壊れ、泣きたくないのに…泣きたくないからこそ泣いてしまうことがあって、その時は、特定の誰かではなく、その場全体に受け止めてもらえる感じがある。そして、自分で自分を受け止めて抱きしめてる感じがある。男の人は、女の人が泣き出すと、どうしていいのかわからず、おろおろするか、怒るか、フリーズするか、中には立ち去ってしまう最悪な奴もいる。説教交じりに喋る奴もいる。だったら、まだ何も言わないほうがいいのだけれど、男の人は問題を解決しなくちゃという思いがきっと強い生き物なのだろう。愛するもの、親しいものが、困っていたり、苦しんでいたりするのをどうにかしようと早期解決に動く。その結果、問題を露呈させ、突き詰めていって、説教になったりする。でもね。女の人はそんなことほとんど望んでいないのだよ。ただ、そばにいて、抱きしめてくれるあたたかさが欲しいだけだったりする。きっと男の人には理解不能な感情論を、ただただ聴いて欲しいだけだったりする。初めてお付き合いした人は、たぶんとても愛してくれた人だったけれど、その頃の私にはよくわからなかった。「これからいろいろな人と出会うだろうから、別れた方がいいかとも考える」とかいう人だった。別れる少し前、どんな理由だったかは忘れてしまったのだが、泣いていた私に「ここまで言って抱きついてこないなんて・・・」と言われてしまったことがあった。それを言われるちょっと前に、そうしたほうがいいのだろうな~と頭で思って、胸に飛び込んではみたものの…なんだかよくわかっていなかった。フリーズしてた私。とっても両極端なカタワな奴だわ。でも、そうするしかなかったのだ。泣く瞑想を経験して、泣けるつもりだったのに泣けなくて、やっぱりな~と思ったことは、自分のこころを不用意に触られるのが苦手…いざとなると、まだ準備が整ってないのだ。こころはもとより、身体も髪さえも、突然触られるのは戸惑う。そんな奴なのだ。そんな奴なのに、人のこころにすっと触ってしまったりする。きっと不器用極まりない触り方が多かったろうと思う。触りどころが悪ければ、反感も半端じゃないね。以前は無意識的に、自分に触られたくないから、相手を触るしかなかったのかもしれない。意識的にできるようになれば、自分も相手も楽になるのだろう。こころのパンドラ…出し惜しみするほど大した物が入っているわけではないのだが、相手を気遣う振りをして、溜まっていったもの入ってる~。
May 18, 2006
足跡残したい人と、足跡残したくない人全く接点などないはずなのに出会ってしまって苦しいのは足跡残したくない人がほんとは足跡残したい自分にどこかで気づいてるからかもしれないだから素通りできないで苦しいのかも恐る恐る触れてみても、痛いだけ・・・感覚も言葉も何もかも違うそれを理解したいのならただ 見ているだけでいいのかもしれないただ 見てるしかないのかもしれない気の長い話 時間のかかることただ 理解したいだけなのに・・・ただ 理解して欲しいだけなのに・・・
May 15, 2006

今日5月13日の満月はウエサク祭という祭典が行われるそうだ。釈迦の生まれた日、悟りを開いた日、入滅した日が、すべてインド暦の第2月の満月の日であったという伝承にちなんで、古くから5月の第1満月の日にヒマラヤの渓谷でこれを偲んできた風習に由来するもので、チベット、タイ、ミャンマー、スリランカなどアジア各地で行われ、日本では鞍馬寺で行われる祭典が有名なのだそうだ。近年になって、神智学系のチャネラーたちがこの風習に言及するようになり、たんに釈迦のみを偲ぶ日というだけでなく、天界と地上の間に通路が開けて、キリストをはじめとする聖同胞団(ヒエラルキー)の大師方が集まり、この地球全体に祝福のエネルギーをふりそそぐ日として、世界中のスピリチュアリストに広まり、多くの国で祭典が行われるようになってきているという。こんな情報を知る前に、この日に高尾山に行くことを決めていた。前行っていたセミナーの補講の日で、行かないと2万5千円がパ~になるのだが、かすかな後ろ髪しかひかれず、高尾行きを選んだ。レイキの先生から、鞍馬山に行く話も回ってきたのだが、京都泊りがけはまだ早いような気がした。パワーが弱い時に鞍馬に行くのはいいことだという声に後ろ髪を引かれながらも、次回に回した・・・次回があるかどうかわからないが。平坦な道しか歩いてない私。勿論、登山やハイキングなどもしない。山道はかなりハードな気がした。案の定、鞍馬は楽ではないらしい。後で聞いたのだが。もし、私にいける準備が整っていたのなら、きっとふたつ返事で「行きます」と答えていただろう。何も考えずに。霞み煙る小雨の高尾・・・なんと幻想的な風景だったろう。こんなに気持ちのいいところだったなんて、知らなくてもったいなかったかも。来たのは、小学校の遠足以来だったと思う。その後、デートでも来たような気もするが…忘れた。ごめん。無意識の極みみたいな生き方をしていた奴でした。パワーが、エネルギーがないと感じるときは、自分にダメだしをしている時だという人もいる。自分にOKを与えてあげられていれば、どこにいてもエネルギーで満たされると。確かにそうなのかもしれないが・・・そんな単純に、なれていない。こういう自然の懐の中に来ると、自分がストレスで満たされてしまっているのがよくわかる。上手く解き放しているつもりでも、できていなかったんだな・・・ちょっとずつ、ひとつずつ、揺れを意識していたつもりだったのに。自分のことなのに、わかってあげられていない・・・まだまだで・・・これからで・・・雨なのもまた感慨深い。浄化の雨と謳いたい。行きは薬王院を目指したから、多少人もいたが、帰りはつり橋を回ってきたから、ほとんど人に会わなかった。人によって土が踏み固められ、根っこが剥き出しになってしまう樹木。自然は自分たちを犠牲にして、人を癒す。霧で視界も悪い眼下は、まるで見なくていいもののような気がしてしまう。もしここから滑り落ちても、霞は受け止めてくれないし、樹木は誰も声を上げない。そして屍は大地の栄養になり、たましいは光に戻る。目を凝らせば見えるもの、聴こうとすれば聴こえてしまうもの、それら全てを表出させる必要があるものとは限らない。それぞれには、それぞれの準備期間があり、熟成期間が必要なのだろう。わかってはいるけれど、待てない時、気になる時、どうすればいいかは人それぞれで、自然が大きな力を貸してくれる場合もあるのだろう。気温はたぶん低かったのだと思うけれど、あたたかい山でした。また、お邪魔します。
May 13, 2006
40分間笑うのと40分間泣くの・・・泣くほうが簡単だと思ってた。でも、これが、泣けなかった~意外にも40分間笑ってることの方が出来てしまった。泣きたかったのにな~。そのために参加してみたのに・・・ラジニーシ・Oshoのミステリック・ローズの一瞥。犬がいるし、おちょこちょいなので、お腹の底から笑うことは今でもたまにある。さすがに笑いが止まらないということは無くなったけれど。でも、基本的に笑うのは、大笑いするのは苦手。だから、いくら笑う真似でも、40分も笑うことなど出来ないと思っていた。だけど、人目もはばからず、思いっきり泣いてみたかったから、それがメインで行ってみたのに、本末転倒でやんす。泣くことはこころの浄化に繋がる。映画を見て泣いて、カタルシスを落とすことはよくある話(知らない間に落ちるんだけど)。別に、自分が抱えていることと同じ意味合いの涙である必要はない。喜怒哀楽の中で遊ぶのが大事なんだと思う。だけど映画館じゃ人目をはばかってしまうし、うるうるしくしくは泣けてもわんわんは泣かないものね。 わんわん泣きたかった。子どものように・・・泣けるつもりだったから、泣けなくて・・・ちょっと寂しい。悲しい出来事を思い起こせば、簡単に泣けるはずだと思ってた。だけど泣こうとすればするほど、他の参加者の鳴き声を聞けば聞くほど、余計白けて醒めてくる。悲しいニュースもたくさんあるのに、映画の悲しいシーンも思い出してみたのに、涙がでない。一筋もでない。普段よりもまったくでない。もらい泣きするの得意なはずなのに・・・どういうことだったのだろう・・・浄化するものはたくさん詰まってるはず・・・だけど自分の中からはでてこない。何もないはずはないのにでてこない。まだ時期早々ということなのか。いい機会だったのに。もったいなかったな~。そうやるものではないだろうしな~。後半あきらめて、他の人の泣き声のバイブレーションを感じてた。変な話、怒りが抜けた後の、悲しみだけの泣き声の波動は心地よかったりする。きっと、プラス愛がでているからだろう。空間に漂っている振動を掌で触れている、そんな感覚があった。とっても上手な(?)泣き方をする人・・・なんだかとても気になって、気がつくと抱えているような感覚になった。そう、自分に集中できてない。小さな頃の姿の自分が、参加者の間を縫って歩いてる。なんだかな~ 泣くことに集中してるつもりでも、気がつくとそうなってる。あ・・・そうだった。泣いちゃいけないと思うと涙が出てくるタイプだったんだ。自分のことなのに忘れてた。今頃思い当たるなんて・・・遅すぎ~。カウンセリングのワークショップにもしばらくは行けないから、当分泣くのはお預けだね。でも最近、TVを見ていても、以前だったら絶対泣いているところでも涙が出なくなってきたかもしれない。これはやばいのか進歩なのか・・・私以外の参加者はみなサニヤシンで、すぐに瞑想に入りやすい状態になる人たちなんだろうと思う。私はどちらかというと、クリシュナムルティ思考よりで、ある意味ラジニーシとは対極で・・・と言っても、はっきり違いを説明することはできないくらい浅知識だけれど、そういうことを調べて学ぶのも少し棚上げにしたい感じ。枠を超えて・・・準備を整えていくのかもしれない・・・って、なんの準備だろ。
May 10, 2006
待ちぼうけをくった。それも1時間半も(ーー;) 親じゃなかったら、本がなかったら、とっくに帰っていたところ・・・「11時の予約だから、10時45分に改札でね」と約束したのに、11時になっても来ない。「今どこにいるの?」電話を入れると、「もうちょっとで着くから」と言う。先方にも遅延の連絡を入れる。それから、1時間・・・待てど暮らせど来ない。私の「もうちょっと」は10分くらいだけれど、母親のもうちょっとは違ったんかい(~_ーメ) こんな時に限って、いつも時間ぎりぎりなのに早く着いている私。すれ違うわけはないとタカをくくっていた。絶対にくると思っているから、待たされてるのは別に平気だったのだけれど、予約した先方に対してとても申し訳ないことをしているので、怒りが出てくる。来る途中に何かあったのではないかという心配とともに、腰に怒りが現れてくる。まぁ、1時間以上も突っ立っていたら、腰も痛くなるお年頃だわな。それでも、腰痛持ちの人が、処理しきれない鬱積した怒りを抱えてたり、押さえ込んでいたりすることが多いのは、確かなことだと言われている。電話を入れても、繋がらない・・・何かあったのではないかと思う。結局、改札で待っている私に気づかずに、先に行ってしまった母親。約束の時間に遅れてしまっていて慌てたのかもしれないが、信じられない行動だ~10分以上待っていてくれないと思ったらしい・・・理解されてないね、私。ヽ(~~。)と同時に、母親のことも理解できてないのだが。兎にも角にも、言葉が足りない。肝心な言葉が足りず、すれ違う。最近、膝が痛いと言い出した母親。加齢に因る骨の磨耗ということもあるのだけれど、やはり頑固すぎる人、思い込みの激しすぎる人は膝に出る。自分の意見に固執しすぎている時や、人の言うことに聞く耳を持ちたくない時なんかも、膝に症状が出る。口癖で言えば、「だって・・・」「どうせ・・・」「無駄だ」「意味ない」などなどかな。身体に何らかの症状がある時、その症状の声を聴くということができると多少楽になる。心理学では、フォーカシングという手法の中に入る。例えば肩凝りがひどい時・・・例えば胃が痛い時・・・その部位に手を当てて、「この痛みはどこから来たのだろう・・・」と雲を掴むようなことを、自分にではなく、痛みに尋ねてみる。「それは何のせいなのだろう・・・」「何がそうさせるのだろう・・・」と。ポイントは「何で」という言葉を使わないこと。何故なら、「何で」「どうして」は自分や相手を責めることに繋がりかねないから。解決するのが目的ではなく、感じることが目的だから。もしすぐに応えが返ってくるのなら、それは右脳のとっても働いている人。大体、すぐには返ってこないのが普通だから、何度か繰り返し聞いてみるのがお勧め。余程スポーツをしていた人でない限り、痛みにはわけがあることが多いのだ~。
May 6, 2006

明日は「子どもの日」だから、子どもに返って、子どもらしいことをしてこようかな・・・できるかできないか、考えていたらまたできないから、とりあえず出かけてみる。といっても、朝起きてから決めるんだけれど。今年はまだ椿が咲いていて・・・ボタッと花が落ちるからあまり好きではないのだけれど、今年はやけによく咲いている。きれいに開いたところで一枝、失敬して、和皿に飾ってみたりする。うちのは白地に赤のラインが入るタイプと赤のみのタイプが混じって咲く。近所では椿の大木が賑やかしい。赤、混じり、ピンク、白と壁を乗り越え、道に落ちる。お掃除をしている人はいつも、そのおうちの人とは違う人。駅までの道、その白い椿に限るけど、ひとつ拾って歩いてく。花びらを一枚、一枚はがして、風に飛ばして歩く。白いハート型の花びら・・・足跡みたいに道に落ちる。いつも見送ってくれる近所の猫の頭にも、ひとひらのせて。赤い椿ではできないのも、ミソ。白でなくっちゃ!子どもっぽいけど、椿の意外な楽しみ方。なるべく人目につかないように・・・見ようによってはゴミを巻き散らしているのと変わらないかもしれないし。何をしているのかと訝しがられることしかりだし。でも、都会の人はそんなこと、気づきもしないものかもしれないけれど。帰りに手に入った時は、そのまま持って帰って、ガラスのボール皿に浮かべとく。寿命は短いけれど、道で朽ちてしまうにはあまりにも白すぎる。明日も手に入るといいな。
May 4, 2006

何故かふと思い立って、「亀戸天神社」に行ってきた。ここは、江原啓之氏お勧めのヒーリングスポットでもある。ヒーリングスポットに行きたかったわけではなく、自分にとってのパワースポットを探している。菅原道真公を奉納する神社で、花の天神様とも呼ばれている。同じ学問の神様でも湯島天神の方へ行ってしまっていた。隅田川を越えてしまうとトンと縁遠くなって、今まで行ったことなかったのだ。ちょうど藤の季節。毎年ゴールデンウィークに開花ピークを迎える、観光客思いの花だ。今年はまだ気持ち早い感じ。でも、とって~もいい香り。太鼓橋の上から全体が見渡せる。ここだけ浮き上がっていきそうな感覚に見舞われる。人はたくさんいるのだが、苦にならない雰囲気。有名な神社なのに、こんなに気持ちのいい神社は初めてかもしれない。たくさん人がいる時はお参りしてはいけないらしいが、なんとなくしたくなってしまった。岩の上では亀が甲羅干しをしている。今度は時期を外して、太鼓橋の上で1人になれそうな時に来よう。行く途中、とっても偶然にうれしい出会いが。風水(ふみ)ちゃん、女の子♪ 学問繋がり?「噛み付くから触らないで」の写真入カバーの下に隠されていた。(「・・) ドレドレちょっと寿命を縮ませてしまったかも。錦糸町がオヤジの町から家族連れの町になっていて、びっくり(◎_◎;) !ファッション&イート&シネマの複合ビル「OLINAS」(=織りなす)ができていた。ちょっと船橋ららぽーとみたい。進化と変身・・・駅の左右でますます雰囲気が違っていくことだろう。
April 30, 2006
「一時の快楽ならいらない」意味深にも聞こえるこの言葉は、夜の9時過ぎにケーキを買って帰ってきて、食べろ食べろとうるさく言う姐さんに言った、留めの一言。(^◇^;)> アハハそれぞれ思いはあるのよね。せっかく買ってきたのに・・・ 一緒に食べようと思ったのに・・・ ダイエット抜け駆け?・・・可愛げない・・・とかね。前からの好みの違いに輪をかけて、食事の時間帯もずれてきた。一緒にTVを見ることもほとんどないし・・・ちょっと考えないとな~と思うこの頃。それ以来、私が買ってくるケーキはお気に召さず・・・意外なところで食い物の恨みは恐ろしいと知ったのでしたん。(;^_^A ・・・携帯を持たない私が、「携帯を持ったら?」と姐さんに勧めるのも変な話だけど、夕ご飯のあるなしやいろいろな面で無駄がなくなり、イライラが減るように思うのだけれど・・・そこまでできない何かもあるんだろからな~。面倒なお荷物を背負っていらっしゃるな~。そうだ。電話を使うことのできる人は世界人口の30%だそうだ。携帯になると更にそれよりも少ない・・・夜8時過ぎに生クリーム系のものは、お目目が意地汚く欲しがって食べたくなっても、食べた後にどっと来る、後悔の波・・・胃にベターと張り付く油の感触・・・ごめんなさいな、私の胃さん。って、連動しててくれたらいい話なのよね。そりゃ~確かに甘いもの好きだけど、バター&生クリーム系はそうでもない。それでも目にすれば、胃には「別腹のスペースをあけろ~」と脳から指令が行って、食べたくなる分泌液(アドレナリンだっけ)がでるんだろうけど、その後のこともちゃんと考慮できんのかね・・・そか、持ち主は私だったか|ヽ(~~。) だけど、何故かチョコレート系とアイスクリームならモーマンタイ!どういうことだろ( ̄~ ̄;)??でも、夜、アイスクリームを食べるとイライラ分子が育ってしまうんだよね~。
April 29, 2006
瞑想会に行ってきた。これで2回目。月1回のペース。もう少し増やしたいのだけれど・・・自分だけの都合で動けないから、仕方ない~。レイキのアチューンメントもしてもらってるけど、一人で瞑想していても、どうも雑念で終わってしまう。雑念瞑想が悪いわけではないけれど。ヴィパッサナー瞑想と言われるものでもあるわけだけど、どうも時間だけがとられて、おまけに行動ものんびりしちゃって・・・更にというかなんというか・・・姐さんには仕事してるのかとまで言われる始末。ふん、してるさ! してなかったら、冷蔵庫は空っぽさ!時間帯がずれてるから、そう見えるだけで・・・まさか、まさか、誰かが言いつけてるわけではあるまい・・・な (・_・o)ン? (o・_・)ン? (o・_・o)ン? やっぱり、集団のパワーはいいな~。今回はず~と、手に氣のような、温かくびりびりしたものを感じてた。多分、これがレイキでいうところの響みたいなものなんだろうな。レイキマラソン(何人かで一人の人の身体に手を当ててレイキを流す)をしてもらうとお風呂に入ったみたいになると言われるけど、全然感じなかった私。(;^_^A アセアセ・・・今日の瞑想の方が、お風呂上りのように気持ちよかった~広い場所は大抵寒さを感じるのだけれど、最後まで寒さを感じず、むしろ背中と頭が温かかった。基本的に閉鎖された初めての場所や初めての人は苦手なんだけど・・・ここは気にならないかも。廻りまわって避けてたところなんだがな~アクティブ瞑想にふんぎるまではまだまだ時間がかかりそうだけど、クンダリーニ瞑想で充分。やっぱ、CD欲しいかも~。そうそう、今回の場所は学生に人気のある街で、ナチュラル・ローソンを初めて見た。コンビニのローソンのナチュラル志向ショップ。置いてあるものは健康やオーガニック、手作りにシフトしたもの。野菜もあり、雑誌類までこだわってて、普通のローソンでは見たことのない商品がいっぱい。買いたいものいっぱいあったけど、お財布と相談したら次回にとのこと。(^▽^;)めったに行かない街は、面白い。
April 27, 2006
いつの間にか終わっていた「蟲師」。結局一回しか見れなかった。まぁ、本を買えばいいのだろうけど。ちょうど見た回のストーリーは、絵師になるために上京し、認められ、仕事に追われ、故郷がとんでもないことになっているのにも、親兄弟が死んだ知らせにも気づかなかった天才絵師。スランプになり、故郷に戻り愕然とする。そこに残されていたのは姉の忘れ形見である知恵遅れの女の子。育てていくことで罪滅ぼしを、と願う。そして、蟲師のアドバイス。「その子が育ったところの、地の物を食べれば、ちゃんと育っていくだろう。」・・・ってかなりうろ覚えだけれど、こんな感じの内容。これを見たときに、腑に落ちたことがあった。小さい頃、母親の実家か姉妹からよく野菜が送られてきており、それを食べていた。千葉から農家のおばあさんが、引っくり返るのではないかというくらいの荷物を背負い、一週間に一回、売りに来ていた時代だった。大人になってから何度か見かけ、買う機会があったけれど、おまけしてくれる人、騙す人いろいろだった。何年か前までは、総武線でそういうおばあさんを見かけることもあったけれど・・・帰りの荷物は昔と違って軽そうには見えなかった。スーパーができ、いろいろな地域の食物が手に入るようになり、冬でもトマトが、夏に大根が食べられるようになった。昔ほど痛まなくなったし、形もきれいで、扱いやすい。その代わり、私はアレルギーになった気がする。無農薬とか有機栽培ということではなく、土地の物ということで。母親の実家か姉妹から送られてきていたものは、自分たちで食べることを前提として作っていた畑で育ったもの。形はバラバラだし、葉っぱは虫食いがある。最低限の農薬しか使わない。田舎に行って「お腹すいた~」と言えば、「畑に行って好きなだけ食べて来い」と、目が点になるようなことを言われたものだ。その代わり、昨日追い掛け回していた鶏が一羽少なくなっていたりする。そういうことなのだ。スーパーでも、そこで働いている人がそこで買い物をしないようでは、ちと怖い。自分の外側は気にかけ手早く取り繕うこともできるが、自分の内側はじっくりと育ってしまう。取り返しがつかなくなることだってあるかもしれない。そうだ。目が点になる話を聞いた。幼稚園でおままごとをさせると、その子の家庭での食育環境がわかるという。包丁でトントン何かを切る真似をする子。メニューを広げる子。袋から取り出し、ポンとテーブルに置く子・・・なんだかな~ 片親家庭ならわかるんだけど。母親が専業主婦のその子は、遠足にコンビニのお弁当を買って持ってきたという。もちろん出かけに買い渡されたものだったそうだ。
April 25, 2006
ある人を見ていて、より明確になったこと。それは・・・カウンセラーという仕事をしようとする人は、自分が救われたくて、その仕事をしている人が多いかもしれないということ。回復者カウンセラーという言葉もあるように。やっぱり。・・・時代的なものもあるかもしれないが。何らかの問題を抱えた人が、精神科に行くほどでもないけれど…と思う人が、こころの勉強をしようと思い立つ。そして、とりあえずカウンセラーになってみたり、いろいろなセミナーを回るセミナージプシーになったりする。もしかしたら、セラピストと呼ばれる人も、自分が癒されたいと思っている人が多いのかもしれない。人を癒すことができたという実感が、自分をも癒すだろうから。一部からはカウンセラーとしてやっていくのだろうと思われているらしいし、自分でもいずれそうなっていければと思っていた・・・が。場所と資金と時間を言い訳にしていたけれど、なかなか踏ん切りがつかないのはそれだけのことではないようだ。それに、自分が救われたいとは思っていない。ましてやそのために、人の弱さ(?…こころ?)を借りようとは思えない。え? え~、振り出し~?確かにカウンセリングは、一通り勉強したからといってそれで終りではなく、仕事としてやり続ける限り一生勉強していくものではあると思う。初めはクライアントも早々来ないから、とりあえずルームを開いてから、並行して勉強すればいい・・・ そのときの自分に合ったクライアントが来るのだからというのも一理頷けるところでもあるが。砂の上に築いたお城も、日々の勉強や恩恵によって、土台がしっかりとしていくものなのかもしれない。先のことは分らないし、心配しても始まらないから「やったもん勝ち」という言葉になるのかもしれない。「できない」と「したくない」の違いはもちろん、「したくない」にもいろいろあるのだ。ルームを開こうとするほど軽いノリにもなれず、差し迫った精神的状況もなく、使命感も方向性が違うような気がする。先はどうなるか分らないが、今で満足している部分がある。パワーが、エネルギーが弱いのだろう。つい何年か前までは、全てあきらめていたのだから、当然といえば当然なのかもしれない。それとも、これが私の平常なのかもしれない。人にも自分にも厳しい。嘘が苦手。真理を追究する癖がある。だけど、全てのものの本質はとても流動的なものだとも知っているつもり。人の中の嘘が見えてしまい、それを本人が棚に上げる時、ちょっときつくなる場合がある。棚に上げる傲慢さに無理をしている姿が重なってみえる時、人によっていとおしくなったり、拒絶したりする。外は雷が響いてきた・・・これは現実。
April 25, 2006
4つの選択肢が重なった日…どれを選ぼうか。初めはひとつだけだから、迷うことなく出席しようと思ってた。だけど、あとから、全部同じ日に日程が重なってくる。1つ目は、今まだやってきて、これからも続けていくことを決めているから、次回まわし。その日という日は一日しかないけれど、次回に回しても気にならない。2つ目は、以前受けたセミナーの補講(欠席した分)。3つ目は、いずれはやっていくことになるだろうこと。 しかも海外から初めての講師を招き・・・云々。4つ目は、その日だけの催し。1つ目と2つ目のときは2つ目に、3つ目が現れた時は3つ目に、4つ目が現れた時には4つ目にこころ引かれ、行こうと思ってた。浮気性~。仕事の〆日も近く、そんなとこに行くよりも仕事しろ~という内なる声も聞こえるような気がする。でも、それ以上に出かけないととも思う。そこに行って、誰と会うか…深層的な意味で言うならば、自分と出会うのだけれど・・・人を通して、自分自身と出会う。自分の位置、いい面、嫌な面、現在、未来・・・やりたいこと、やりたくないこと・・・云々。そんなことを再認識する。選択肢が2つだと、選ばなかったもうひとつが気になっていたかもしれないが、4つもあると選んだものがどういう意味を持つかに焦点があたる。クリアになっていけば、選択肢は増えないのだろう。必要なものが必要な分だけ、必要な時に現れてくるだろう。またちょっと、頭でっかちになっていたのかもしれない。久々に緊張が心地よくなく、疲労になった。Windowsの更新表示がうるさくて、「はいはい、すればいいんでしょ」と更新をしたらセキュリティーが強化され、広告の載ってるサイトは全部いったんブロックされてしまうこととなった。プレビューを開くにも、いちいち「Ctrl」を押さないとならない。ちと、めんどい・・・面倒臭いが、面倒を呼ぶ~。
April 23, 2006
トゲトゲの感じに触れそうな時、会うのを迷っていたら道にも迷った。もっと近いと思っていたのに・・・空気の悪い、車ビュんビュんの大通りを避けて、寄り道=近道だと思っていたのに。トゲトゲ、ザラザラは許容範囲があって、それ以上だと手一杯になるのだと思う。そういう時、昔(?)の自分のいやなところも回顧させられるのだが、未だにトゲトゲ、ザラザラを受け入れきれない自分と出会うのも、なんだかちょっとへこみそうで・・・想像しているだけで動きが止まるのは、よくない傾向。考えているほど、大したことは起こらない。そういうものなのに。アラビア語で「思考」を意味する単語は、普通「不安」と訳されるそうだ。なんか、妙に納得。自分の軸が揺らぎそうな感じのとき、思考は不安のベールを纏う傾向に近づく。こころが揺らぐのは当たり前のことなのだが、なるべくなら揺らがないようにと囲いをしていた。揺らぐだけ揺らがせておけばよかったものを・・・メトロノームの針と同じように、いつかは低位置に戻ってくるのだから。どうとでもなれと思うなら、経験値が深くなったことだろうに。近くの川の桜はとっても見事で、時間が許す限り足を運びたくなってしまう・・・今日明日の雨で、大分散ってしまうことだろう。次は眩しい新緑の季節。川に行く時は、いつも違う道を適当に、犬とお散歩しながら行く。この間、初めて住宅街のど真ん中でドッグカフェを見つけた。こんなところに、ドックカフェ・・・ お世辞にもお洒落とはいえません。その日は早仕舞いの日だったらしくお店はもうやっていなかったが、店主がでてきて「また是非いらして~♪」と言ってくれた。ありがとう。だけど・・・だけど、ここはどこ?・・・なのです。住宅街のど真ん中、なにか目立つ目印があるわけでもなく・・・「川へ」という目的地だけで、適当に道を進んできた私にとって、もう一度来れる保証はないかもしれないけれど、行けるかもしれない。でも、ハスキーの洗礼を受けたうちの犬は、腰が退けてた・・・ヘ(´o`)ヘ ここはどこ? わたしはわたし。ここはどこでもいいのでせう。
April 11, 2006

桜吹雪のこの時期が一番好きな桜の季節。わざとその下をくぐって歩き、髪や服についていたり、バッグの中に桜のひとひらがはいっているのがうれしい。まるで雪のようなひとひらをてのひらに集めて歩く。「あの人、ヘン?」と後ろ指を刺されない程度に。そう言えば、露草を…見なくなった。梅雨の頃から咲き始めるから、開花時期はまだ先だが、昔は、東京でもあちらこちらに空き地があり、露草が咲いていた。土筆ん坊もあちらこちらに顔をだしていたものだった。染料でもある露草は、花びらを摘むと指が青く染まる。友禅の下絵書きにも使われているその露草を摘むのが、好きだった。その手をスカートで拭くので、スカートも青く染まる。たぶん怒られたのだろうけれど、その記憶は残っていない。服は洗えば落ちるし、染まった指もしばらくすれば落ちるのだ。そして露草は、しばしコップの中で笑ってる。最近、道端に増えてきている花はなんだろう?花にら?群生して咲いているから、とっても目立ってきている。種ではなく球根で増えるそうだ。人のお世話か、鳥の仕業か・・・その花がはびこる前には何がそこにあったのだろう。水色が抜けたような少し寂しい花色をしている。菫も道端に増えたように思う。お花屋さんでも売られているが、一株あれば毎年種を弾かせ、どんどんと増えていく。手間いらずで、かわいい花を咲かせてくれる。白い花色の品種と紫の花色の品種を植えていたのだが、紫の花色の品種の方が勢力が強いらしく、年々、白い花色が少なくなってきている。来年は鉢にして、守ってあげようかな…余計なお世話かもしれないが、清楚な白い花色の方が好きなのである。そうだ、種がついたら、コンクリート色のビルの側に植えられている樹下に、種をお裾分けしてくるかな。どうなるかは、お天気と虫と本能次第のお楽しみ。菫、すみれ、スミレと言えば、マーク・トウェーンの言葉。「赦(ゆる)しとは、 踏みにじられたスミレの花が 自分を踏みにじったかかとに放つ芳香である。」匂菫は好きだけど、ここまでの心境にはなかなか、なかなか・・・笑っちゃうけど、それでもいいや。
April 8, 2006
気まぐれに実家に寄りたくなった。まぁ、いつもそうだけど。「無意識に、怒りや疲れに満ちた人の作る食事を食べたいですか?」というような、菜食主義の瞑想家(?)の記述を読んだからかもしれない。最近、ちょっと外食が苦手になってきたかもな~と思っていたのだ。あそこのパスタ屋さんも和食屋さんも、お気に入りだったのに・・・な。なんか寄れなくって、お腹空き空きで家に帰ってきたりしてしまう。飽きたってこともあるけど。生肉、特に牛肉が買えなくなった。お金がないわけではなく、匂いが気になってしまうのだ。カレーとか肉じゃがとかしぐれ煮とか、すでに調理されているものは全然平気で食べられるのだけれど、量は減ってきてしまっている。よそられたものは、箸をつけたら全部食すのが礼儀だけれど、残してしまうこともでてきた。考えているよりも、実際にはお肉が食べられなくなっているのだな・・・瞑想をしていると、そのうち受け付けなくなる食べ物が出てくるようになるそうだ。無理にあれこれ規制しなくても、そのうちに食べたくなくなるから、卵食べてても平気だと教わった。(私の食生活からオムライスが消えるのは考えられないが・・・)と言ったって、私の瞑想は、瞑想してるんだがどうなんだか、笑ってしまう程度なんだけれど。でも、日々の行いに集中している時、その全てが瞑想的であることはわかる。何も座禅を組んで…とか、蝋燭見つめて…とかだけが瞑想ではないということは。うちの親だって、怒りや疲れを抱えている人たちであることには違いない。私が行けば、お互いの至らぬ点を報告しあってくれる。だけど、食べたくなるのは・・・そう言えば、ご飯食べに寄ろうと思ったのは初めてかもしれない。行けば必ずと言っていいくらい食べてはくるのだが、それを目的には行かなかったし・・・最近は一緒に外食ばかりだった。実家のご飯、何ヶ月ぶりだったろ・・・初物の筍と蕗の煮物は、昔と変わらない相変わらずの味で、昔は盛られても絶対食べなかった煮干もしっかりと盛られてて・・・食べたけど。
April 7, 2006
ゆんたまゆんさんから教えてもらった成分解析、やってみた。アレの半分は何でできてる?――「成分解析」が人気ひらがな、漢字、ローマ字、スペースを入れるかどうかでまた変わってくる。かなり遊べた・・・何気に鋭かったりもする(;^_^A アセアセ・・・風の谷のすなふきんの成分解析結果 : 風の谷のすなふきんの81%は回路で出来ています。風の谷のすなふきんの8%は知恵で出来ています。風の谷のすなふきんの6%は世の無常さで出来ています。風の谷のすなふきんの2%は夢で出来ています。風の谷のすなふきんの2%は汗と涙(化合物)で出来ています。風の谷のすなふきんの1%はやましさで出来ています。・・・黒沢清の「回路」は怖かったな・・・前のHNの成分解析結果 : ****の80%は不思議で出来ています。****の7%はかわいさで出来ています。****の6%は運で出来ています。****の5%は税金で出来ています。****の2%は鉄の意志で出来ています。・・・結構よかったのね~(* ̄ー ̄)にぃぃぃ本名ひらがなの成分解析結果 : *******の57%は犠牲で出来きています。*******の20%は罠で出来ています。*******の9%は電力で出来ています。*******の7%は月の光で出来ています。*******の5%は食塩で出来ています。*******の1%は果物で出来ています。*******の1%は歌で出来ています。・・・(・・;)タラ~リ~・・・ 一番気に入ったのは、改名漢字スペースありの成分解析結果: ** **の93%は希望で出来ています。** **の7%はアルコールで出来ています。お酒、ほとんど飲めないんだけどね~。6,7年前から改名した名前を使っている。たかが名前、されど名前。名前は結構、束縛される・・・
April 5, 2006
格闘家の須藤元気の口から、「対面同席五百生」という言葉がでるなんて、やっぱりただのやんちゃ坊主とは違うのだ~とびっくり。すらすらとよく語る…、退行催眠まで経験してたりして…須藤元気ゲストの「オーラの泉」は面白く、参考になりました・・・って毎回結構参考になります。なんかとっても安心してしまったのでした。彼と私では魂レベルで雲泥の差があるけれど…、頭でっかちから入っても、ちゃんと繋がっていけるというか・・・本が好きだという須藤元気、私には初め、とっても頭でっかちな人に見えました。本から得た知識を実践して、体感して、現状はこうなってきている…という感じに。山(精神性)の修行、里(俗世間)の修行があるというのも納得です。さてさて、私はどちらでせう。手っ取り早く、チャネリングなんぞしてもらって、今世での自分の役割を聞いてしまうのもひとつの手で、詳しく教えてもらっている人の話なんかを聞いてしまったりすると、グズグズと亀の歩みのような現状でいいものかと、正直焦るこころもある。でも、チャネリングをしてもらったとしても、教えてもらえるかどうか保証はない。それは、守護霊が決めることだそうだから・・・それにここで聞きに行ってしまったら、今までの6年間は何だったのかっていうことにもなるさ。そして、守護霊はただ優しく甘いだけではなく、その人がいかに今世での学びを得ることが出来るかを一番に考えているのだから、チャネラーにすべてを教えるわけではないこともわかっているつもり。1枚も2枚も、3枚も上手のはずだ。所詮人間の理解力なんてたかがしれてる…悲しく悔しいが。亀のような歩みでも、そのうちに繋がれることはわかっている。例え、教えてもらえたとしても、それは課題を先延ばしにしているだけなこともわかってる。私の場合は。きっと、揺れさせていただいてありがとう・・・なんだろうな。きっとまた、揺れることだろうと思うけれど。今日は多摩川に桜を見に行って、その近所のお庭でライラックを見つけた♪多摩川の桜は風にさらされているせいか、まだ3分咲きくらいのものもあって、来週末も楽しめそう。愛犬らんぐには、嬉し楽しの長距離散歩と我慢の風呂が前後して押し寄せた。そういうもんさ、愛しい子よ。「対面同席五百生」・・・一瞬でも対面した者は、過去世で500回以上の時をともに過ごしているという意味のブッダの言葉。だけど、違う意味を付けた人もいるみたい。「同席対面五百生」・・・今、同席している、対面しているということは何でもないようだけど、五百回生まれ変わってやっと実現できた、実はかけがえのない瞬間だという意味に。だからこそ出会いを大切にし、感謝しなさいと。一期一会に通ずる感じかな。このように、もともとひとつだった信仰が、その時代時代、民族、言語、環境、戦、伝承・・・というスパイスを効かされ、いろいろな宗教に別れ、拡がっていったのかな、やっぱり。
April 1, 2006
こころに闇を抱えてる。きちんといきてこなかったから。この闇を晴らすにはこころの穢れを浄化させ新しい光を迎えるスペースを作らないとならないと思ってた。でも、一度染み付いてしまった染みは時間が経つにつれ何をしても取れなくなる。取りたいと思うから取らねば次のスペースが生まれないと思うから余計辛く、余計取れない。どんなに泣き散らかしても泣き方は変わらない。何に救いを求めてもそれはその一瞬だけのものそして、そのまま抱えていけばいいのだと思う。なんの不都合があろうことか。闇は必要不可欠だ。闇は光と対になっている。そしてそれが自分だ。
March 31, 2006
全357件 (357件中 1-50件目)
![]()
