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以前、ミャンマーで乗った馬車の御者が、ブラックの女性が黄色い花を耳に飾っているのを見て、「カラードが、カラーをつけている」と笑っていました。先週、職員室に、博物館でしかお目にかかれないような蛇腹式の、かなり年代もののカメラが。生徒が、親に売ってくるように言われたと、学校に持ってきたのだそうです。マラウイでいくらくらいになるのか、同僚に聞いてみましたが、値は付かないそうです。「授業料が払えないから、親にカメラを売ってくるように言われたんじゃないか?」と、同僚たちは笑っていました。マラウイで、セカンダリースクール(日本の中学3年~高校に相当)に通えるのは就学年齢人口の20%程度。学校に行きたくても通い続けることができない、授業料が払えない子どもたちも多いのです。いずれの事例も、私は笑うことができません。そういうことで笑えるか否かで、人としての思いやりの深さの違いを感じ、残念に感じたりします。では、「先進国」の人が思いやりや道徳的に優れているかと言えば、もちろんそういうゆとりのある人たちも多いだろうけど、一概にそうとは言い切れないと感じます。同じ敷地にアメリカ人ボランティアたちが住んでいます。彼らのサイクルは短く、以前、ご紹介した人たちの幾人かはすでに帰国したり、任地変更等で、今は、新しいメンバーも増えています。彼らと接していると、彼らも噂話に翻弄されていたり、人の陰口や批判もありますし、彼らにとってもここでの生活は、ストレスが高いのだろうなと感じます。私も、日本人との関係に消耗したり、傷ついたり、逆に傷つけたり、迷惑をかけてしまったり・・・昨日、学校で、もう一人の日本人ボランティアが担当している学年のある男子生徒から、彼の所在を聞かれました。私 「首都に出張中で、今週の火曜か水曜には戻ってくるよ。 何か教科のことで、質問?」生徒「ううん、I miss him.(=彼に会いたいんだ)」私 「彼を愛してるんだね」生徒「Yes, also you.(=もちろん、あなたのこともね)」私は担当していない学年の生徒で、以前、村で道に迷った時、たまたま会い、学校まで一緒に歩いたことがあるだけなのですが、「also you」、彼のそんな心遣い、優しさが胸に染みました。人に優しくできるか、思いやりをもてるかは、国籍ではなく、おかれている環境や状況に拠るところも大きく、そして精神的なゆとりがあるか否かかもしれません。私も、ゆとりを持ち続けていたいものです。いつも笑顔で、人の素敵なところを吸収していきたい。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
February 5, 2008
私が4歳の時、母が長期入院した日であり、私が中2の時、盲腸の手術をした日であり、そして、協力隊の2次試験もこの日でした。なんだか印象深い出来事の多かった1月20日。またまたお久しぶりです。夏休みの絵日記状態になっていた私のブログですが、この間、いろいろありました。昨年の12月、マラウイ生活最大のピンチを迎えました。マラウイに来た直後の3か月もストレスが高く、体調を崩したり、配属先に赴任したものの学年末休みに入ってしまっており、science科長(マラウイではなぜか家庭科もscienceの1科目)や家庭科担当者に会えず、授業準備もできず、何度、帰国しようと思ったかわかりません。今回のピンチは、その時以上に辛かったですね。あまりよく眠れず、食べられない日々が数週間続き、人生で最低の年末年始でした。隊員生活中に自ら命を絶つ人もいらっしゃるそうですが、ふとそんな方たちの気持ちがわかるような気がしたし、以来、生きて帰ることが、今の私の最大の目標になりました。学校が始まり、ここに書いた通り、休日出勤や12時間労働を続け、マラウイに来てから最高に働き者の時間をすごすことで、考えすぎないようにしていましたが、今度はリバウンドか、食べ過ぎてしまったり・・・やはり家で、一人の時間がだめですね。ピンチはチャンスと言いますし、この困難を自分のものにすることで、より魅力的になって帰国したいと思います。私のマラウイ生活も、あと8か月あまりになりましたしね。泣いても笑っても同じように時間がすぎていくのなら、笑ってすごした方がいい。残りのマラウイ生活を満喫したいと思います。詳細を語るのはやめておきますね。今日もぽちっ↓とありがとうございます人気ブログランキングへ
January 20, 2008
ほんま、自分を見失っていたな、と思います。この1年例えば、私は人生で、下の名前で呼ばれることの方が多く、名字を呼び捨てにされることに慣れていません。ここでは名字を呼び捨てにされますが、すごくイヤです。特に子どもや生徒から、名字を呼び捨てにされること。下の名前を呼び捨てにされるのは平気なんですけどね。また、プライドの高さから来るのか、あるいは英語力の乏しさによるものなのか、私の接するマラウイアンの多くは、滅多に「Please」をつけないし、「Could you・・・?」なんてほとんど聞いたことないです。授業中、生徒が私に何か伝えようとする時、「Please」なしの命令形で指示されることも、私は命令されているように感じる、マラウイ流のジェスチャーで示されることも、すごくイヤでした。さらに、生徒たちが授業に遅れてきても無言で、普通に着席することにも違和感がありました。今までは、この種の私が不快と感じることを伝えることなく、無言でやりすごしてきましたが、ここ数日、ふと、自分の違和感を伝えてみました。・呼び捨てじゃなく、Ms.をつける。・言いたいことがある時には、動詞だけでなく「Please」をつける。・遅れてきた時には、入室する前に「Sorry」と言う。3番目は、嫌がる生徒が多いですね。以前にも書きましたが、ほんま、マラウイアンは謝ることの嫌いな人が多いです。彼らの使う「Sorry」や、それに相当するチチェワ「Pepani」は「大丈夫?」という意味です。生徒たちもプライドの高いマラウイアンへの途上にありますからね。「Because なんやかんや」言ってます。「『Because』はいらない。『Sorry』の一言でいいんだ」と言いますが、なかにはそれを言うのがイヤで、入室しない生徒もいます。国や地域によって「当たり前」も「大切なこと」も異なります。今までは、どこまでマラウイアンに合わせるべきかわからなくなっていました。公平や公正、自分に正直であること、時間を守ることなどがマラウイアンにとって必要でないなら、私が指導する必要もないと思っていました。でも自分に正直であることや、時間を守ることは、人として、やっぱり大切なことだと私は思うし、自分の落ち度を認め、素直に謝ることができたら、さらに成長できると私は思います。少しずつ、自分の考えを伝え始めました。ちなみに歩いていて「ハロー」と話しかけられたら、8割くらいの確率で、「ギブ ミー マネー」がつきます。今までは「ノー」と応じるだけでしたが、「そういうことは言っちゃだめ」と一言添え始めました。他人にものをねだるのって、やっぱりよくない習慣だと思うから。少しずつ、一歩ずつ。今日もぽちっ↓とありがとうございます☆人気blogランキングへ
September 26, 2007
チョンデの飼い主さんの提案で、焼き肉をすることになりました。飼い主さんの同僚が、来たいと言っているとのこと。深く考えず、OKしてしまったところ・・・同僚の先生とそのいとこたち、合わせて4人のマラウイアンが来訪同僚の先生も、飼い主さん宅で1~2回顔を合わせた程度で、ほとんど面識なく、そのいとこたちとはもちろん初対面。焼き肉たくさん、ビールを1箱(20本)以上だけでなく、「リキュールはないのか?」と言われ、マラウイジンとスプライト等を出したところ、帰り際、「帰り道で飲むため、ジンとコーラを持って帰りたい」と言われ、飼い主さんに相談。別容器に分けることになりました。正直、唖然でした。普段、お世話になっている人ならともかく、ほぼ初対面の人の家に突然、4人でやってくることも、無遠慮に飲み食いしただけでなく、お持ち帰りまで要求できることも。経済的にゆとりがある時ならともかく、今はとても金欠で、日本人の訪問も延期させてもらっている状態なので尚更、きつかったです。帰り際、「月曜、家で一緒にランチをしよう」と誘っていただきましたけどね。かく言う私たちも以前、ほぼ初対面の方のお家にお邪魔しちゃいました(★)がホストの方はこんな気分だったのかな? と反省させられました。イエメンで、通りすがりの結婚式に招いていただいたこともあったし、初対面のインド人宅で、お昼をごちそうになったこともあります。食べきれないほど出してくれるのがインド流おもてなしですが、私はインド人みたく、心が広くないです・・・これからは、あんまり関係の深くない人のところにお邪魔するのは遠慮しようと思いました。私に必要なもの=謙虚さ。今日もぽちっ↓とありがとうございます
September 14, 2007
前日から続きます。土曜のフェアウェルパーティとその2次会が終わった後、たまたまJICA事務所のある方がお一人でいらっしゃったため、allowance(手当)に関する質問をしてみました。その方によれば、各国からの援助団体が競ってallowanceの額を釣り上げ、マラウイアンがallowanceの高いところに流れた時期もあったため、数年前、各国の援助団体が集まり、マラウイ政府の決めている額を超えないよう、話し合われたそうです。が、近年また、それが崩れつつあるとのこと。※実際、私の住んでいる敷地にある教員養成カレッジにも JICAだけでなく、カナダの団体も入っており、 カナダの団体の方がallowanceが高いため、 そちらに流れた人たちもいたようです。また、隣国タンザニアでもallowanceは一般的とのこと。さらに、通常業務内の作業に対してallowanceが支払われることはないのだから、JOCVテストの採点等、「通常業務」として認識してもらうようなアプローチも有効ではないか。難しい問題だけれど、日本でも、休日出勤等に対する手当はあるのだから、マラウイ政府の決めている額を超えなければ、いいんじゃないかなというのが、その方のお考えのようでした。この話をしていた時、たまたま近くにいた同期隊員が、allowanceを払っても、来なくなる人は来なくなるし、そのイベントがいかに魅力的か、内容によるんじゃないかと話していました。また、アフリカに長く関わっているある日本人は、ある目的をもって村に入る場合も、まず村人と徹底的に話し合い、彼らのニーズに応えることから始めていると教えてもらいました。たった2年間しかない協力隊活動では、なかなかそんな時間的な余裕がなく、焦るばかりなんですが。いろいろ話してみて思ったのは、allowanceはきっと、援助慣れの弊害の一つでもあるような気がします。活動の内容よりも、allowanceの額で、マラウイアンの行動が左右されてしまうのは哀しいことだと思います。一方で、日本の休日出勤手当に関しても賛否両論あるように、手当を過剰だと感じる人、過小だと感じる人、いろんな考えが、あるのだと思います。唯一絶対の正解はないし、自分の信念に基づき、自分が良かれと思う活動をすればいいのかなと思いました。人気blogランキングへ
July 9, 2007
以前にも書きましたが、マラウイでは会合などの参加者が参加費を払うのではなく、allowance(手当)をもらうのが一般的です。私はこのallowance に、ものすごく違和感があります。例えば、先月実施されたJOCVテストでも、ある先輩隊員の学校の数学教師たちは、採点に対するallowance を要求して来たため、その先輩隊員はご自分一人で採点されたそうです。また、先月実施した計算コンテストでも、送迎バスが行きは30分、帰りは2時間半あまり待たされたのも、また、同じ配属先のスタッフが誰も来なかったのも、私がallowance を支払わなかったことも一因だと思います。平成11年に、近くの町ゾンバで活動されていた先輩隊員の報告書にも、同じ戸惑いが書かれていました。「近隣のジンバブエでも、参加者が参加費を払うのが当然だが、 なぜマラウイでは、allowanceを払う必要があるのか?」ある願いをもって実施するイベント、それが日本人のためのものであり、マラウイアンたちに助けてもらっているのなら、allowance を支払うのもやむを得ないかもしれません。でも、マラウイアンの生活向上を願って実施しているイベント、当初はその目的がなかなか理解されなくても、マラウイアンのためになるという信念があれば、allowance など払う必要はないし、allowanceで、マラウイアンを動かしたくないというのが私の考えでした。しかし、最近はよくわからなくなっていました。allowance は、マラウイの“習慣”や“文化”なのかと。例えば、インドでは特に目上の人に対し、肯定の意志「Yes」を表明する際、首を横に振ります。最初は戸惑いましたが、それが彼らの“習慣”?ですし、変える必要もないと思います。それと同様、マラウイのallowanceも彼らの“習慣”や“文化”であり、変える必要もなければ、私が迎合すべきなのかな? と。・・・続きます。人気blogランキングへ
July 8, 2007
久しぶりに、ドマシ教員養成カレッジのJeffと、マラウイ大学チャンセラー校のCybellaと一緒にランチをしました。私たち皆、金曜には授業のない暇な? 外国人ボランティアたちです・・・食後、とりとめのない話をしていた時、Cybellaが鼻の整形をした、か、するという話になりました。(彼らは今まで接したアメリカ人のなかでもとりわけ 話すスピードが早く、ほとんど聞き取れない私)アメリカで60万円程度だそうです。その続きから、自分はどこを修正? したいかという話題になり、Jeffは自分の髪質が嫌いで、丸坊主にしていることもあり、髪を変えられるものなら変えたいと。で、私にふられたんですけど、思い浮かばなかったんですよ。子どもの頃は一重がイヤで、アイプチを通販で買い、「親からもらった体を変えようだなんて」と、親にむちゃくちゃ怒られた私。わはは。でも今は、思い浮かばなかった。あとから思えば、痩せたいし、豊胸もしたいし、胴も短くしたいし、きれいになりたいし、くせっ毛もめんどうだし、直したい所だらけ。顔など、どこから手をつけたらいいのかわからない状態・爆自分の外見にコンプレックスだらけなんですけど、整形したいとは思わなかった。自分がこう思うようになったのは、職場の先輩で、すごく素敵な方がいらっしゃったんですよ。気が利いて、きめ細やかな心配りができて、明るくて、自分の決めたことは守り、お酒が強くて・・・顔はドテチンみたいでしたけどね・爆その人と出会って以来、男性を見る目も変わったし、自分自身に対するコンプレックスも薄らいだのかもしれません。「チビ」とか「ハゲ」とか、自分の力では変えようのないところを責めるのは、私は好きではありません。同様に、顔の造りや足の長さ、胸の大きさなど、外見だけでその人のことを評価する人がいたら、それはそれだけの人だと思う。なあんて私も若かりし頃は、思いっきり外見重視でしたが、年や経験とともに、人を見る目が変わってきた。どんなに見た目がきれいでも、話してみて中身が薄ぺっらなら、私は魅力を感じないし、年とともに、もともとの造りの美しさ以上に、その人の生き方が表情に表れているような気がします。とは言え、男性と女性では外見の重要度が違うのかもしれないし、私も整形したら、もっと人生を楽しめるのかもしれません。お金と時間が有り余っていたら、整形も考えるかな?ん~? 整形よりも、旅行に行きたいな。人気blogランキングへ
June 29, 2007
青年海外協力隊員派遣の目的の第一義は、日本の青少年の育成であり、二義的に、途上国援助があります。したがって青年海外協力隊員としての活動は、基本的に自主・自律・自由と言えます。いろんな思いをもつ人たちが、それぞれの活動を模索し、実行する。その活動の成果や責任を問われることはありません。10年ほど前の隊員OB/OGの方々の共通した見解では、当時は、協力隊員が前面に出ることは少なかったそうです。自分のもつ知識や技術を現地の人たちに伝える、縁の下の力持ちだったと。いつの頃からか、隊員が前に出ることが増えました。冒頭で述べた通り、隊員それぞれの自由な発想、活動であり、各自の信念に基づいた、自らの成長のための機会ですから、他人がとやかく言うべきではないのかもしれません。彼らが前面に出ることで、JICAの宣伝にもなるわけですから、JICAも黙認しているのかもしれません。でも、隊員はいつか帰国するけれど、残されたマラウイアンや、後輩隊員が引き継げないような、その人でなければできない活動では、あんまりよくないんじゃないかなと私は思います。ある隊員OGの方がおっしゃっていました。「マラウイは、マスコミへの露出度の高い隊員が多いけど、 マスコミに取り上げられることが『いい活動』とは限らないよね。 その国の人、一人でも確実に、自分の活動を理解し、受け継いで くれる人がいたら、その方がよっぽどその国に貢献できると思う」自分のやりがいや達成感、功績よりも、マラウイアンの生活向上に少しでも役立てたら・・・というのが、私の基本的な考え方です。が、マラウイアンの多くはプライドが高く、生活をよりよく変えたいと思っているようには感じられないんですよね。変化をこばんでいるのか、あるいは、英語もろくにしゃべられない人間の言うことなど、聞く耳を持とうとしないのか。ん~。後者の気がする、今日この頃・・・人気blogランキングへ
June 11, 2007
これまでにも何度か書いた通り(★、★)、人と真剣に向き合うためには、エネルギーが必要だと、私は思います。自分に足りないところを指摘されるのは、耳が痛いです。相手の言っていることを理解し、自分を真摯にふり返るためには、聞き手の精神的なゆとりや、懐の深さも必要でしょう。逆に、相手に違和感を伝える時にも、伝え方によって、受け止められ方が全然違ってしまうこともよくあるので、どう伝えたらわかりあえるのか、言い方や、相手が今、話を聴ける状態かどうか、タイミングも考えます。これは、仕事を通じて身につけた感覚です。価値観や、目指すところが似ていても、違う経験や習慣、考え方の癖、感性などをもつ他人同士が、わかり合い、お互いを認め合うまでには、エネルギーも必要だし、時間もかかります。価値観や、生き方の違う人とはなおさら、わかり合うこと、互いを認め、尊重することが、難しいです。いつの頃からか、人と向き合う機会がめっきり減りました。振り返ってみれば、中学・高校時代は、同級生たちとたくさんの時間を一緒にすごし、お互いに影響を受けただろうけれど、自己変革へとつながるような、対峙ではなかった。まだ、人格の形成途上だったからでしょうか。それなりの価値観や疑問、理想のようなものを持ち始めてからは、議論に飢え、あるいはいくら話し合ってもわかり合えない経験を重ね、いつの間にか、あきらめてしまったのでしょうか。それとも、傷付くことを恐れているのでしょうか。私の場合、人見知りで、臆病、甘え下手、自分に自信がないこともあり、他人と向き合うのが、苦手です。全体がへんな方向に走っていると思った時、納得できない時には、会議の場であろうと、総会であろうと、物怖じせず発言します。が、普段の生活では、この人とはわかり合えないだろうなと思えば、極力からまず、どうしてもからむ時には、当たり障りのない話に終始します。仕事上、からまざるを得ない時には、適当に歩調を合わせます。「わかり合えないだろう」というのは私の勝手な思い込みであり、そう決め付けてしまうことで、結果的に自分が損しているのではないかと、Fさんに指摘されましたが、向き合うためのパワーが湧いてこないのです。相手に興味がないのかもしれないし、エネルギーを使うだけの対価、魅力を感じていないのでしょう。年齢とともに、人から指摘される機会は減ったし、他人からのアドバイスを聞き入れる余裕もなくしつつあるような気がします。経験や、それなりの自信を身につけたためでもあり、日本では忙しすぎて、余裕がないのも一因でしょう。時間だけはたっぷりあるマラウイで、のんびりいろんなことを考え、他人と真剣に対峙できる機会を得られたのは、人生の中でも貴重な経験だと思います。一方で、仕事ではないので、気の向かないことはしていない、無理に歩調を合わせていないのは、私の甘えかもしれません。もう少し活動に真剣に取り組んで、いろんな人と向き合って、2年間の自己研鑽を通じ、ますます魅力的になって帰ろうと思います。人気blogランキングへ
May 15, 2007
学校の大工が、鍵の付け替えに来てくれました。近隣の家が襲われ、緊急に鍵を付け替えるべく、私がお金を支払う意志を見せたからだと思います。結局、道具が足りず、明日以降に持ち越しになりましたが。お金が動かないと、人も動かない。マラウイに限らず、どこの国でもあることでしょうが、ここまで顕著だと、正直、うんざりします。 以前にも書いた通り、思いやりや配慮、ほんまの優しさって、人間の感情や行動のなかでも高度なのかなと、ここマラウイにいると、とりわけ感じます。精神的にも生活にも、ゆとりがないと、持ちづらいのかなと。人との関係が深まることで、喜びや幸せも倍増するけど、関係づくりの過程では、時に戸惑ったり、傷付いたり、自分自身の変化も必要とされたり、困難も伴います。人と向き合うのには、パワーがいるし、他人とわかり合い、互いを尊重し、関係を築いていくのは手間のかかる作業だと、私は思います。関係を深めるより、断つことの方がたやすいのかもしれません。究極の「断つ」、すなわち考え方や価値観、宗教など信じるもの、生き方が違う人たちを抹殺してしまう戦争は、人間として低次な、愚かな行動であり、共存の方法を探る方が、より困難で高度だと感じます。戦争は政治やビジネスとして成立しているのであり、そんな倫理観を持ち込むのは、青臭いのかもしれませんが。戦争という究極の行動に限らず、普段の生活でも、価値観や信じるもの、生き方が違う人たちと、わかり合うことは本当に難しいと感じます。でもすべてを受け入れられなくても、共存の道を探る。それが人間の智恵なんじゃないかって、思いました。自分のことで精いっぱいな時には、なかなかそんなパワーも湧いてこないですが。人気blogランキングへ
May 3, 2007
マラウイ1大きな都市ブランタイヤから、さらに1時間弱行ったところで活動中の先輩隊員Hさん宅で、バーベキューをしてくださるとのことで、お邪魔してきました。Hさん宅の前に広がる壮大な光景。お肉もやわらかく、味付けもとても美味しかったです夜、みなさんはキムタクと山口智子のドラマを見てはりました。が、恋愛モノも、ドラマも苦手な私テラスで一人、バーベキューの残り火をいじっていたところ、やはり恋愛ドラマが苦手だという同期隊員がやってきました。「マラウイ生活、楽しんでます?」という彼の質問に始まり、お互いの活動に対する戸惑いを話しました。彼によれば、別の同期隊員も、帰国しようかと思った時期もあったとのこと。また、別の同期隊員も、毎晩のように日本の夢をみて、軽いウツ状態かもと言っていました。みんなここで踏んばっているんですよね。「2年間、ここで暮らすことに意味があると思う」とおっしゃっていた、Wさんのお言葉を実感します。2年間、ここで生活することで、日本では忙しさのあまり気付かなかったことに気付いたり、つよく、優しくなれそうな気がします。この経験を活かせる自分でありたい。人気blogランキングへ
April 27, 2007
父の誕生日でした。お祝いの電話を家にしたのですが、つながらず。後で聞いたところ、かつての職場の人たちと一緒に、飲みに行っていたとのこと。定年後もそうやって、一緒に飲んでくれる人たちがいるのは、豊かな人生を歩んではると思います。また、私がいい年して、好きなことさせてもらえているのも、父母が元気でいてくれるおかげだと思います。さらに豊かで健康に、年を重ねられますように。家に電話した際、半年ぶりに弟とも話せました。人気blogランキングへ
April 7, 2007
マラウイに到着直後は、何度か家に電話しました。が、スカイプ等使いこなせていない私は、携帯からかけると、やたら高いんですよね。1回数分の電話で、5~10ドル分のチャージがなくなります。家からネットができるようになった11月下旬以降は、母親の携帯に数回メールをしたものの返信なし。ので、私からも連絡することはありませんでした。さすがに元旦の朝には電話をしたものの、以来、電話もメールもまったくしていませんでした。前週、ふと思い立ち、家に電話をしてみました。私の誕生日にメールしてくれたとのことですが、届いておらず。改めて確認したものの、やはり届いてないことを伝えたところ、この日、今まで送ってくれたメール数通が、まとめて届きました。アドレスが違っていたようです。これらのメールを読み、子どものようにしゃくりあげて、大号泣してしまいました今まで連絡しなかった、親不孝な自分を猛反省。すぐ電話しましたが、話し続けたら、電話口で泣いてしまいそうだったので、「メールする」とだけ伝えて、切りました。世界中で、親のように自分のことを心配し、愛してくれる存在はいないなと、改めて感謝しました。人気blogランキングへ
March 26, 2007
相変わらず、活動に意欲が持てません。「途上国では要請の上がった1年近く前と、 着任時に状況が変わっていることは、よくあること」と、訓練所でも聞かされていました。私が着任する前に、家庭科教師が赴任していたのなら、不確定なボランティアを待てなかったのだろうなと、まだ納得できます。でも、私が着任した後に、新たな家庭科教師を招いたのは、ボランティアを必要としていない証拠であり、そこに人生をかけて参加した一人として、とても傷つきました。それでも、生徒はかわいいし、生徒のためになると思って、授業だけは精一杯やろうと、なんとか踏ん張ってきました。その授業さえも、私である必要がない今の状況では、まるでやる気も起きません・・・そんな私の様子を見て、数人の教師が声をかけてきました。「何を考えているんだ? ホームシックか?」「最近のあなたは、とても静かね。 お母さんが恋しいの? あなたいくつ? 22歳?」きっと彼らの配慮だと思うし、元気な時なら返す言葉もあったでしょうが、今の状況では何も言いたくありませんでした。話は飛びますが、これまでFさんと、何度も、いろんな話をしてきました。Fさんのふるまいのなかで、私が悲しかったことを伝えてきたし、先週末はFさんが、私の発言のなかで、すごくイヤやと思っていたことも、お聞きしました。そうやって自分の感情を伝え、人と向き合うことはエネルギーのいることだし、共感や違和感を伝え、わかり合い、歩み寄り、関係も深まっていくのだと思います。残念ながら私は、誰彼なく、そういう作業のできるタイプの人間ではありません。言葉の通じるであろう日本人同士でも、この人とは根本的な考え方や価値観が違うなと思えば、あたりさわりのない会話に終始します。もちろん、それは私の勝手な思い込みであり、腹をわって話し合えば、わかりあえるのかも知れない。でも、わかりあいたいと思うことは少ないです。今までさんざん傷ついてきたから、臆病になっているのかもしれないし、そうして自分で壁を作ってしまうことで、さみしい生き方をしているのかもしれません。日本人同士でもそんな感じなのに、ましてや言葉の通じないマラウイアンとは・・・彼らと向き合うべきなのかも知れませんが、今はまだ、そんなパワーが沸いてきません一方で、先月着任したAさんは絶好調まだ日本にいる時から、マラウイ事務所のスタッフや、先輩隊員たちと密に連絡を取り、関係を築き上げていました。今も事務所や先輩隊員たち、訓練前後の後輩隊員たちと頻繁に連絡を取り合っているだけでなく、専門家や、学校のマラウイアン教師たちの家にも招かれたり、休日を一緒にすごしたりしているそうです。彼がきらきら輝いているのに比べ、ますますへこみます・・・同じ学校のシニア隊員は、「国家試験の合格率を上げるという学校のニーズに応えつつ、 一方で、自分らしい活動を作っていく」と言い、同じ敷地で活動中の専門家によれば、「ニーズのないところで、いかに活動を開拓していくかも、隊員の力量」だと言います。ん~。頑張らねば・・・でもまだ、パワーが沸いてこない・・・人気blogランキングへ
March 19, 2007
もし、あの時、神戸にいるのは2年という約束を守り、すでに神戸を離れていたのなら・・・もし、あの時、震災ボランティアに没頭することなく、学業に専念していたら・・・今とは違う人生を歩んでいたでしょうね。経済的にも、社会的地位も、今より格段に恵まれていたに違いない1995年1月17日5時46分、神戸にいたから、そして、学業もそっちのけで3年間ボランティアに没頭してしまったから、今の私があるのだと思います。ボランティア、関係づくり、「共」育について思うこと。共感や尊敬でき、私自身が目指したい活動。今の私の礎は、「震災」だと感じます。あの時、生かされた命で、マラウイでできることをしていきたい。学校の先生たちとわかり合うことが難しくても、うちのお米や炭、お茶等が気化していても、ハウスキーパーに、自分の家から3回も閉め出されても、かわいいチョンデが帰って来なくても、負けるもんか!人気blogランキングへ
January 17, 2007
私たちがマラウイに到着した数週間後、私たちの前に到着した先輩隊員たちが歓迎会をひらいてくれました。同じように、来週やってくる新隊員の歓迎会をしなければなりません。その企画、準備に関し、同期隊員たちの間で、気持ちのすれ違いがありました。先頭を切って、事務所の所長やスタッフたちと打ち合わせをしてくれた子たちは、「なぜ自分たちだけが、こんなにしんどい思いをしなければならないのか? これからは思いやりを持って、気配りをして、皆が仕事を分担して欲しい」と、言います。でも、所長と相談する前に、私たちに相談して欲しかった。先輩隊員から聞いた情報を伝え、アイデアを出しても、「もう決まったことだから。」のくり返し。権威的な言い方や進め方に、正直、大きな違和感がありました。時期も差し迫っているので、それぞれ与えられた係をこなそうとしたのですが、主催している人たちのイメージと違うらしく、とうとう一部の人たちと衝突してしまいました。お互い、ストレスがかなり高かったのだと思います。お互いに、配慮の欠けた発言をしてしまったと感じます。同期隊員は人数が多すぎるためか、マラウイに着いてからも気持ちのすれ違いというか、ギクシャクした関係が続いていました。この衝突をきっかけに、私も違和感を吐き出しました。残念ながら、うまく伝わらなかったけど・・・当事者以外の人たちが、きめ細やかな配慮をしている姿を、頼もしく感じます。この衝突をきっかけに、これからいい関係を築けるよう、願うばかりです。人気blogランキング
January 4, 2007
派遣前の訓練中にモノ足らなく思ったのは、語学中心で、自分が途上国の人たちとどう関わるかとか、ボランティアをどう捉えているかといった、「開発」「協力」「援助」「関係」・・・について考える機会が、ほとんどなかったこと。安全対策に関するセミナーで、数年前のある事例が報告されました。某隊員が親しくしていた子どもが、孤児になってしまい、その隊員は、帰りの観光旅行をキャンセルし、その子の奨学金に充てて欲しいと、自分の手持ちのお金、すべてを後任の隊員に預けてきたと。美談ですね。でも、そのお金を村人に渡した後任の隊員は、後日、銃撃されたそうです。あそこの家に行けば、お金があるからと。その方は治療のため帰国し、任地には戻れないまま、今もリハビリを続けているそうです。先輩隊員が託したお金、彼にとっては旅行代金であっても、現地の人にしてみたら、家が建つほどのお金だったそうです。「善意」が、他人の命を奪う危険さえはらんでいる。そういう危険性について、訓練期間中に考え、話し合い、共有しあう機会がなかったのは残念でした。同期隊員たちのブログに、ちょこちょこお邪魔しています。すでに日本円で5~6桁の盗難被害に遭っている人たちもいるようです。日本円で5~6桁って、日本でも大金です。アフリカでは、人によっては数十年分の年収であり、家も建つでしょう。冷蔵庫、洗濯機、テレビなどの家電も買えます。ブログと、それに対するコメントを拝見する限り、「高い授業料だったけど、命を取られずにすんでよかった」とか、「国際貢献しちゃったね」とか、その後、いい人に出会えて良かったといった話に終始しているように感じます。これから気持ちよく過ごすためにも、イヤなことは早く忘れ、できるだけ穏便にすませた方がいいのかもしれません。でもなぜ、盗られたことにもっと憤らないのか?実際には悔しくてたまらない気持ちを、かみ殺しているのかもしれませんが・・・途上国では、警察が汚職の巣窟であり、警察にいったところでどうにもならないことも多々あります。でも、人のモノに手を出したら、絶対いけないんや!という倫理観を伝えるべきだと、私は思います。それが、今後の防犯の一助となるかも知れない。もちろん、富める者が貧しい者を養うといった、イスラム的な考え方もあるでしょうが、怒るべきところは怒っていいと思うのです。私が以前、勤めていた学校でも、盗難事件があると、「盗難があったので、学校に高価な物は持ってこない。 貴重品は肌身離さず、体育の時間には職員室に預けること」といった、防犯教育に力を入れていました。本来なら、盗んだ人を叱るべきですよね。(小さな学校でしたし、門には警備員もいて、外部の人は入りにくい環境でした)「生徒の人権」を重視するあまり、まるで盗られた人間が悪いかのような風潮になっている。「あかんもんは、あかんのや!」「それは間違っている」と他人を叱れる倫理観を、日本人はどこかに置き忘れてきたのかも知れません。「他人を叱る」のって、自分も傷ついたり、消耗したり、パワーのいる作業ですからね・・・それだけ人と深く関わらなくなっているのかも知れません。なんてエラソーなこと言ってる私も、話の通じない人たちと関わるのしんどいですし・・・ん~。負けてる、私。 人気blogランキングへ
December 4, 2006
これまで何度も泣かされました。バリで空港から、ベモという乗り合いバスに乗ったら、現地価格の200倍払わされてしまったりミャンマーのバガンで、タペストリーを売るお兄ちゃんから、フェアープライスの20倍で買ってしまったりインドでは、パンジャビという民族衣装を、値札のまま払ったらそんな価格はあり得ないと、インド人もびっくりされたり「値札のないところでは、値段を交渉できるのだから、自分が納得して払った金額がフェアープライス」だと言う人もいますが、わかんないですよ、現地の価格を知らない到着間もない頃は特に。旅がそのように良くない印象で始まり、その後、それを上回る魅力も感じられなかったバリは、私にとってあまり好きな場所ではありません。うちの庭に、雑草が生い茂っています「誰か雇った方がいいよ」と、近所の人にも言われてます。「誰か、いい人知ってる?」と尋ねたところ、学校の事務長がすでに手配済みだと。昨日、その事務長の手配だという、学校の校務員とおぼしきおじさん(学校で何度か会ってます)が交渉に来ました。「ちょっとでいいから、お礼をちょうだい。ほんのちょっとでいいんだ。」と言われたので、ソフトドリンク1本(30~50クワチャ、$1≒K142)くらいかなぁと思いつつ、近くの先輩隊員に確認したところ、いつもきれいにしてくれているおじさんに、たまにK5~10渡す程度だと言います。よくわからず、本人にいくらか確認したところ、「早朝、学校に出勤する前の1時間、4日間でK4,000」時給K1,000! それは、私にとって全然、「ちょっと」ではありません。あ然としていたら、K2,500まで下がりましたが。JICAから、警備員を雇う時には月K3,000位が妥当と言われており、それくらいで探して欲しいと、事務長に頼んであったので、K3,000位なら払うと思われたのでしょうか。警備員の月給を、おじさんはたった4時間で稼ごうと言うのでしょうか?別の先輩隊員に確認したところ、草刈りは警備員がやってくれるし、わざわざ雇う必要はないとのこと。はい、お断りしました私が赴任する前にも、事務長から電話があり、「警備員が部屋を掃除すると言っているが、いくら払うんだ?」と言われ、断りました。警備員に家の中を見られたくなかったですから。(警備員が泥棒を導く犯罪も多発しています)学校の関係者に、そのように法外な値段をふっかけられたことがとても悲しかったです事務長も安全対策のお金を払って以来(詳しくはこちら→★)、私の体調を気遣うこともなく、一切、音沙汰ありません。「同僚」に対して、このような不信感で始まるのは、ちょっとキツイです人気blogランキングへ
November 30, 2006
家庭科教師の中にも、家政学部や生活科学部等、各々の専門分野を極めた人たちも多くいらっしゃいます。私は教育学部だったので、家庭科で扱うどの分野も浅く広く学びました。そして「教育」の視点をもてたのは、かなり有意義だったと今は思います。マラウイに来てからのオリエンテーション期間中、これまでの先輩隊員たちは、2人1部屋のゲストハウスで過ごしていたそうです。しかし予算削減の折、かつ17人という大所帯のためか、語学訓練中はゲストハウスだったものの、その他のオリ期間はボランティアの宿泊施設(通称:ドミ)ですごしました。(ゲストハウスも1年前の人たちまでは、食事付きだったのが、私たちは自炊でした)自炊をするにも、1カ所しかない台所で17人が各々の食事を作っていたら不便、と言うことで、自主的に食事当番が編成されました。女性が12人ということもあり、「私は『料理隊員』って言ってもいいくらい、料理が得意なの」とおっしゃる人も何人かいました。料理っていろんな方法がありますよね。それぞれの家庭でのやり方、習慣・・・切り方が違っても、味付けが違っても、安全に、かつ栄養素をできるだけ多く残し、食欲がわくような見た目などより健康的な食事ができればOKだと私は思っています。自分の方法が唯一絶対正しいのではなく、ゴールにたどり着く道はいくつもある。限られた食材を活かし、想像力をはたらかせ、いろんなメニューを創造できる力を身につけた方が、その人の力になると思います。ですから私が食事当番の時には、まるで調理実習をしている気分。今までほとんど料理をしたことのない人が、これから2年間、料理を楽しめるよう、青菜はふっとうした湯で、根菜は水からゆでるといった基本的なことは伝えましたが、細かな指示はしませんでした。そんな私のスタイルは、自分が率先して作ったり、自分のやり方を押しつける人たちには、理解できなかったのかもしれませんね。「家庭科ぐらい、私でも教えられる」と、言われたことさえありました家庭科で育む力は、料理や裁縫だけではありません。それに、親方が子弟に背中で伝える職人の世界と、学校教育で育むべき力はかなり違います。仮にどんなに優れた技術を持っていたとしても、その人が立派な教育者とは限りません。そんな「教育」的な視点を持たずに、私をバカにする人たちの言動やふるまいが気になって、自分を見失っていたことにようやく気づきました。マラウイで自分らしい家庭科を楽しめるよう、頑張ります。人気blogランキングへ
November 28, 2006
長い眠りから、醒めつつあるようです。この数ヶ月間、本当に自分を見失っていました。平均年齢が約26歳の青年海外協力隊に、この年で参加することは、予想していた以上にストレスフルな訓練期間でした。自分が、語学も運動も苦手なことも大きな原因でしょう。訓練期間中、そしてマラウイに来てからも「家政」という私の専門分野を、何度もバカにされました私の教員免許は「専修」という種類なのですが、JICAが発注した履歴書の英訳ではなぜか「職業訓練校の教師」になってしまい、正しい英訳を求めて、ネットをさまよったり、教育委員会にたずねたり・・・それでもよくわからず、同じ種類の免許を持っている訓練生をようやく見つけて(専修免許は、以前はある程度の職務経験があれば得られたのですが、 今は大学院での専門科目の履修が必要です)聞いてみたところ、「『家政』だから、『職業訓練校』なんじゃないですか?」・ ・・いえいえ、義務教育+高校で行われている教科です・・・確かに「家政」という分野の中に、ビーズ細工の指導や女性の職業訓練等、「手工芸的な内容も混じってしまっている」と、専門家の方も嘆いてはりました。私が受験した時も、「家庭科教師」の募集はカンボジアとマラウイの2件だけでしたしね。訓練所でJICA STAFFから説明を受けた際にも、専門性も経験も期待されていないことを感じ、学校を退職し、参加したことを後悔したくらいです。それくらいJICAも「家政」のことをよくご存じないのでしょうね。人気blogランキングへ
November 27, 2006
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