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それでは郡部での難読地名さがしに移りましょう。北都留郡 小菅村 特に無し 丹波山村 特に無し中巨摩郡 郡昭和町 飯喰(イックイ)、紙漉阿原(カスミアワラ)西八代郡 市川三郷町 葛籠沢(タウヅラサワ)、寺所(テラドコ)、垈(ヌタ)南巨摩郡 南部町 内船(ウツブナ)、大和(オオワ)、楮根(カゾネ) 早川町 榑坪(クレツボ)、笹走(ササバシリ)、黒桂(ツヅラ)、薬袋(ミナイ) 富士川町 大椚(オオクヌギ)、鰍沢(カジカザワ)、十谷(ジッコク)、高下(タカオリ) 舂米(ツキヨネ)、鳥屋(トヤ) 身延町 岩欠(イワカケ)、大垈(オオヌタ)、折門(オリカド)、釜額(カマヒタイ) 上田原(カミタンバラ)、清子(セイゴ)、椿草里(ツバキゾウリ) 波高島(ハダカジマ)、日向南沢(ヒナタミナミザワ)、夜子沢(ヨゴサワ)南都留郡 忍野村 忍草(シボクサ) 道志村 大指(オオザス)、中神地(ナカカンジ)、谷相(ヤソウ) 鳴沢村 特に無し 西桂町 特に無し 富士河口湖町 精進(ショウジ)、 山中湖村 特に無し「付記」*北巨摩郡は北杜市に統合されて郡名が消滅した。*中巨摩郡は昭和町以外の各地域が南アルプス市、甲斐市あるいは中央市に統合された。*西八代郡は3町が市川三郷町に統合され、1村が甲府市に、1町が南巨摩郡身延町に統合された。*東八代郡は6町2村が笛吹市、1村が中央市、1町が甲府市、1町1村が甲州市あるいは山梨市に統合され、郡名が消滅した。*南巨摩郡内での統合が進展し、8町が4町になった。*南都留郡内の1村が上野原市に、2村1町が富士河口湖町に統合された。参照資料山梨県の郵便番号補遺北都留郡 :ウィキペディア南都留郡 :ウィキペディア北巨摩郡 :ウィキペディア中巨摩郡 :ウィキペディア南巨摩郡 :ウィキペディア西八代郡 :ウィキペディア東八代郡 :ウィキペディア ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)今までに難読地名さがしをした地域は、こちらの地域一覧をご一読いただけるとうれしいです。観照 私的に難読地名さがしを行った地域一覧
2021.01.14
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新潟県、長野県と進めてきましたので、甲信越地方という感覚で山梨県に入りたいと思います。私基準での難読地名さがしです。ご関心があればおつきあいください。甲府市 右左口町(ウバグチチョウ)、梯町(カケハシマチ)、貢川(クガワ)、国玉町(クダマチョウ) 黒平町(クロベラチョウ)上野原市 大椚(オオクヌギ)、四方津(シオツ)、棡原(ユズリハラ)大月市 賑岡町強瀬(ニギオカマチコワゼ)甲斐市 安寺(アテラ)、大垈(オオヌタ)、神戸(ゴウド)甲州市 塩山小屋敷(滑沢)(エンザンコヤシキナメザワ)、西広門田(カワダ) 大和町初鹿野(ヤマトチョウハジカノ)中央市 特になし都留市 朝日曽雌(アサヒソシ)、鹿留(シシドメ)韮崎市(ニラサキシ) 上祖母石(カミウバイシ)、円野町上円井(マルノマチカミツブライ)、入戸野(ニットノ)笛吹市 芦川町鶯宿(アシガワチョウオウシュク)、石和町小石和(イサワチョウコイサワ) 一宮町上矢作(イチノミヤチョウカミヤハギ)、境川町藤垈(サカイガワチョウフジヌタ) 境川町三椚(サカイガワチョウミツクヌギ)、八代町増利(ヤシロチョウマサリ)富士吉田市 大明見(オオアスミ)北杜市 明野町下神取(アケノチョウシモカンドリ)、須玉町小倉(スタマチョウコゴエ) 須玉町大豆生田(スタマチョウマミョウダ)南アルプス市 百々(ドウドウ)、荊沢(バラザワ)、六科(ムジナ)、野牛島(ヤゴシマ) 山梨市 上神内川(カミカノガワ)、切差(キッサス)参照資料山梨県の郵便番号補遺山梨県 公式ホームページ山梨県 :ウィキペディア ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)今までに難読地名さがしをした地域は、こちらの地域一覧をご一読いただけるとうれしいです。観照 私的に難読地名さがしを行った地域一覧
2021.01.13
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宇治にある「三室戸寺」から始めます。(2013.6.16/2014.1.2撮影)最寄り駅は京阪宇治線の三室戸駅です。宇治駅の一つ手前です。坂道を上って行きます。結構長い坂道が続きます。上りの右側の谷間は紫陽花で有名です。 本堂 本堂に向かって、右手斜め前に、「幸運の牛」と記されたプレートが置かれた臥牛がいます。そこには、「牛の口の中にある玉をさわると勝運がつくと伝えられています」と付記されています。このコロナ禍の渦中では、玉にさわることはたぶん控えることになるのでしょうね。実情は未確認です。臥牛の基壇側面には「宝勝牛」と刻されています。西国第10番札所で、天台宗のお寺である明星山三室戸寺では、本堂前に鎮座するこの臥牛を「狛牛」と称されています。(資料1) 阿形型の狛犬同様、この阿形型の狛牛も角度によってはその厳めしさが狛牛らしい!お腹についている透明な半球形の個所、中を覗くことができます。 この角度だと、厳めしさは少しやわらぎますね。狛牛は6月、紫陽花の季節に撮ったものです。宇治市から南隣りの城陽市に移ります。 ここには「天満宮社」があります。(2015.3.7撮影)「枇杷庄天満宮」という表示も見られます。「旧枇杷庄村の産土神であり、祭神は天満天神(菅原道真公)である」と、設置されている本殿案内板の冒頭に説明されています。最寄り駅は近鉄京都線の富野荘駅です。駅前に周辺案合図設置されていて、天満宮社は南方向に位置します。 まず、社殿の右斜め前方に、青銅製の臥牛がいます。おだやかな顔をした牛です。 瑞垣の中門から本殿を拝見すると、三間社流造で三間の向拝が見えます。向拝の中央の蟇股が目に止まります。 梅の木を見上げる白牛が透かし彫りで丸彫りされています。城陽市は「山背古道」が始まるところでもあります。この山背古道ウォーキングに参加したときに、そのルートで立ち寄った神社に飛びましょう。山背古道ウォーキングではJR城陽駅を起点にして、水度神社、鴻の巣山を経由し、木津市に至ります。(その逆コースも歩いたことがあります。)「城陽市・井手町・木津川市の3つの市町にまたがる南山城の山際をゆるやかにうねりながら続く一本の小径。全長約25kmの散策道です。」(資料2) 「天満神社」です。(2013.4.14撮影) 石鳥居から石段を上った上の境内地に、割拝殿があり、その中央の通路からすぐに本殿への石段があります。山の斜面地にある神社です。 割拝殿の傍に、臥牛がいます。小ぶりな臥牛です。この天満神社はJR奈良線「山城青谷」駅の北東方向で黒土という地区にあります。さらに山背古道を南下します。 もう一社、「市辺天満神社」があります。(2013.4.14撮影)市辺の集落より離れた山の西斜面に神社がありますので、ここも本殿へは石鳥居から坂道の参道を上っていきます。 こちらも本殿の手前に、同じ形式の割拝殿が見えます。上掲の石鳥居の景色でお気づきでしょうか。 石鳥居の手前に臥牛が対で、まさに狛牛として配置されています。市辺天満神社はJR奈良線の「山城青谷」駅の東方向で、城下という地区にあります。それでは、現在は木津川市となっている旧山城町にある「蟹満寺」の近くまで飛びましょう。JR奈良線の「棚倉」駅の北方向で、天神川に近い所です。 蟹満寺の北東方向で天神川により近い位置に、「綺原(かんばら)神社」があります。『日本書紀』『延喜式』などにも記述されているという古い神社だそうですが、現在は菅原道真を祭神とする天神社と八王子社が併せて祀られています。 手水舎のところに、「天水」と刻まれた台座の上に臥牛が置かれています。 さらに、境内地の一隅に大きな石造臥牛像が基壇の上に鎮座しています。木津川市は旧山城町とその南の旧木津町・旧加茂町が統合されました。そして、旧木津町の南、つまり木津川市の南隣りは奈良市です。ウシを巡る範囲として、奈良にも飛んでおきましょう。近鉄奈良線の「大和西大寺]」駅の南西側に「西大寺」があります。その西大寺の南に「菅原」と称する地域が続きます。この菅原を探訪した時に訪れました。 「菅原天満宮」があります。 (2011.4.21撮影) 社殿の前に、二頭の臥牛が奉献されています。狛犬像との大きな違いは臥牛が社殿の方向に体を向けていることです。もう1個所、奈良公園の南方向、高畑町に飛びましょう。 「天神社」があります。(2020.1.2撮影)本殿のある境内地は、朱塗りの鳥居を通り石段を上った後、さらにその前方にある石段を数段上がった一段高いところに位置します。 その一段高い境内地への石段傍に臥牛がいます。この天神社は、まず祭神として少彦名命が祀られていて、のちに菅原道真を相殿として祀ったそうです。こんなところで、これまでに京都府、奈良県を探訪した範囲でのウシ巡りを一区切りにしたいと思います。次回、これまでに探訪した滋賀県と大阪府の範囲でのウシ巡りを最後に加えたいと思います。つづく参照資料1) 三室戸寺 ホームページ2) 「なびMAP 木津川市」 木津川市・木津川市観光協会の作成 補遺山背古道ガイドブックの発行について :「城陽市」山背古道ガイドブック :「井手町」 ともに、PDFファイルがダウンロードできます。木津川市観光ガイド ホームページ蟹満寺 :ウィキペディア山城(相楽郡)の式内社/綺原坐健伊那大比売神社 通称-綺原神社 :「戸原のトップページ」菅原天満宮 日本最古の天満宮 ホームページ天神社@奈良市高畑町 :「料理旅館大正楼」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)観照 時空をつなぎウシ巡り -1 北野天満宮・菅原院天満宮・白雲神社・錦天満宮・御所八幡宮 へ観照 時空をつなぎウシ巡り -2 菅大臣神社・五条天神宮・ゑびす神社・瀧尾神社・本國寺 へ観照 時空をつなぎウシ巡り -3 西本願寺(唐門)・道祖神社・長尾天満宮・虚空藏法輪寺・法輪寺(だるま寺)へ観照 時空をつなぎウシ巡り -4 御香宮神社・車石(寶相寺/大津駅前/大津市歴史博物館/横木<藤尾>)・長安寺ほか へ観照 時空をつなぎウシ巡り -6 日牟禮八幡宮・愛知川宿・菅原神社・目川立場・霰天神神社・大阪天満宮 へ
2021.01.09
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私の探訪は京都を中軸に滋賀・奈良・大阪というあたりが中心になっています。ウシ巡りでは既に滋賀県の大津市での見聞に触れていますので、最後に近江八幡市にある「日牟禮八幡宮」から始めます。(2012.11.28撮影) 拝殿 本殿 この日牟禮八幡宮の境内に、境内社として「天満宮」が祀られています。この景色の中央の社がそれです。 社殿の階段前に小さな陶製臥牛が数多く奉納されています。では、かつての中山道愛知川宿に飛びましょう。(2012.10.14撮影)近江八幡市の北東方向、東近江市の一部地域を間にしてその東隣りです。 町中にこの石標が立っています。背後の壁面には愛知川宿関連の説明パネルが掲示されています。 石標の傍には、歌川広重により「木曽海道 六拾九次之内 恵智川 六拾六」として愛知川の風景が描かれた浮世絵が掲示されています。この絵にウシが描き込まれています。木曽海道(中山道)を牛が荷物を運搬するのは日常的なものだったということでしょう。近江鉄道の近江本線「愛知川」駅が最寄り駅です。愛荘町から近江八幡市の南隣りである野洲市の永原地区に飛びます。(2012.11.25撮影) 「菅原神社」が「永原御殿跡」の南側にあります。県道2号線、江部の交差点傍の「永原」バス停が最寄りになります。 一段高い本殿の境内地への石段脇に、青銅製の臥牛像が奉献されています。よく見ると、その傍に小さな陶製臥牛が数多く置かれています。願掛けの奉納でしょうね。 もう一つ、境内にはこの「干支台」が設置されています。傍の駒札によれば、山本眞二朗氏が年毎に信樂焼十二支像を12年に渡り奉納されたことへの顕彰として設置されたと言います。この干支台の左端に丑像が置かれています。最後に、栗東市に飛びましょう。東海道・目川立場のあったところへ。(2013.1.26撮影)立場とは「(つえを立てて休む所の意)昔、かごかき人足が駅路で休んだ所。」(新明解国語辞典・三省堂)です。 手原・草津間の探訪ウォーキングをした時、この目川立場の所で見たものです。街道沿いの民家の軒下に「自然豊かな目川農業」という立て看板とともに張りぼての牛像が馬像とともに置かれていました。台車が付いていますので、お祭り行事にでも使われるのでしょうか。ここにも牛がいます。『東海道名所図会』巻之二を参照しますと、「目川」が挿画で載っています。(資料1) この挿画の左下に街道を行く牛が描き込まれています。 やはり重要な物資運搬手段だったのでしょう。余談ですが、目川立場は田楽茶屋があったところです。「田楽発祥の地」という石標も近くにあります。「ここで供された食事は地元産の食材を使った菜飯と田楽で独特の風味を有し東海道の名物となった」とのこと。(資料2)東海道を目川立場から草津宿に向かう途中で見つけた石標に触れておきたいと思います。 「史蹟老牛馬養生所趾」と刻された石標です。 案内の駒札を載せておきましょう。ウシの一生という点で、これもウシ巡り、牛の終活です。この石標から少し先が草津市です。これで私の探訪遍歴での滋賀県でのウシ巡りは終わりです。大阪へ飛びましょう。 JR大阪駅から歩いて行ける東梅田に「霰天神神社」があります。(2018.6.14撮影)ネット検索でMapionの地図を参照しますと、北側に「お初天神」と表記され、南側に「霰天神社」の名称が記されています。右の画像は御堂筋のビルの間から入る参道です。「お初天神」の名で知られているようです。 社殿 大きな青銅製の臥牛像が奉納されています。 臥牛の傍に、この「神牛舍」と題する駒札が立てられています。こういう名称で説明を読むのはここが初めてです。さて、最後の締めは「大阪天満宮」に向かいましょう。 地図を確認しますと、大阪天満宮は天神橋2丁目にあります。正面の表大門は南面しています。境内地の背後に出て北方向に少し歩けば、JR東西線の「大阪天満宮」駅です。表大門門前の道を真っ直ぐ南下すると、大川の北岸・南天満公園に至ります。川沿いの道路を西に歩けば天神橋、東に歩けば天満橋です。天満橋の方が3倍近い距離でしょうか。大阪天満宮では、境内の各所で臥牛を見ました。(2018.11.1撮影) 表大門がある境内地南端の築地塀のところに、本殿に対する形でこの大きな青銅製臥牛像が奉納されています。基壇正面には中央に「牛祭」と刻されています。 本殿の背後、北側に「天満宮第二文庫」があります。その近くに北側に抜ける門があります。その門の東側の北端にこの左の画像の小祠があり、その東側に臥牛像が奉納されています。基壇として大石が使われ、正面に文字が刻まれていますが、私には判読できません。序でに右斜め後ろに見える駒札には「夜の明けて 尾花大きく 成りにけり」という小西来山の句が記されています。小西来山は、「江戸前期の連歌師、俳人」で「檀林俳諧の祖」と言われる西山宗因の弟子だそうです。宗因は連歌名で、俳名は梅翁などと名乗ったそうです。「主家没落後浪人して連歌所宗匠となる。俳諧に手を染め、軽妙な作風で延宝期に檀林俳諧の中心になったが、晩年は連歌に戻った」(日本語大辞典・講談社)と言います。小西来山についても辞典に載っています。「江戸前期の俳人。通称、伊右衞門。大坂の人。檀林風の句をつくったが、のち独自の蕉風的句境を開く」(同上)と。この臥牛から東に歩むと「白米社」があります。 白米社の東隣りに鳥居に「稲荷奧宮」の扁額が掲げられた稲荷社があり、その手前の壁の前にも臥牛像が奉納されています。大阪天満宮で気づいたのはこの3頭の臥牛です。他にも奉納されているかもしれません。拙ブログをご覧いただき、関心を持たれましたら、大阪天満宮にて他にも臥牛がいるか探してみてください。この辺りで新春のバーチャルな世界でのウシ巡りのご紹介を終わります。ここでご紹介したウシ巡りはいわば過去の探訪の副産物でもあります。個々の本来の探訪は大凡拙ブログにて、探訪記録としてご紹介しています。メインの個々の探訪記録もご覧いただけるとうれしいです。コロナ禍が鎮まれば、今度はリアルな形で、京都とその周辺地域にある未訪の天満宮系神社を探訪して、ウシ巡りをその副産物にしたいと思っています。このシリーズで時空をつなぐ試みから、また一つ新たな課題ができました。ご覧いただきありがとうございます。参照資料1) 東海道名所図会. 巻之1-6 / 秋里籬嶌 [編] :「古典籍データベース」(早稲田大学図書館)2) 駒札「目川立場 田楽茶屋 元伊勢屋跡」説明文より 滋賀県栗東市岡384番地 駒札「名代 田楽茶屋 古志゛ま屋跡」説明文にも同文あり。同市岡388番地 駒札「名代 田楽茶屋 京伊勢屋跡」説明文にも同文あり。同市岡岡405番地補遺日牟禮八幡宮 ホームページ 日牟禮宮八幡略誌/四つ折りパンフレット pdfダウンロードのページ愛知川宿 :ウィキペディア滋賀県愛荘町 愛知川宿 :「Japan Geographic」菅原神社 :「滋賀県神社庁」元気創造動画「東海道ほっこりまつり 目川立場」(平成27年11月19日掲載):「栗東市」大阪天満宮 ホームページ 境内のご案内 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)観照 時空をつなぎウシ巡り -1 北野天満宮・菅原院天満宮・白雲神社・錦天満宮・御所八幡宮 へ観照 時空をつなぎウシ巡り -2 菅大臣神社・五条天神宮・ゑびす神社・瀧尾神社・本國寺 へ観照 時空をつなぎウシ巡り -3 西本願寺(唐門)・道祖神社・長尾天満宮・虚空藏法輪寺・法輪寺(だるま寺)へ観照 時空をつなぎウシ巡り -4 御香宮神社・車石(寶相寺/大津駅前/大津市歴史博物館/横木<藤尾>)・長安寺ほか へ観照 時空をつなぎウシ巡り -5 三室戸寺・天満宮社・天満神社・市辺天満神社・綺原神社・奈良(菅原天満宮・天神社)へ
2021.01.09
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伏見の大手筋通に南面する形で「御香宮神社」があります。(2013.5.5撮影)大手筋はまさに豊臣秀吉が伏見城を築いた時の城下町における大手筋です。最寄り駅は近鉄京都線「桃山御陵駅」です.御皇宮神社前のこの大手筋を東に道沿いに緩やかな坂道を上って行くと、桃山御陵(明治天皇伏見桃山稜・明治天皇皇后伏見桃山東稜)に至ります。明治天皇陵が伏見城の中心部を利用して作られたのですから当然のことですが。さて、この表門を入ると、幅の広い参道を北に進めば、 大きな割拝殿(右の画像)があり、その中央を通り抜けると本殿(左の画像)があります。 割拝殿に至る前に、参道の右(東)側に、「桃山天満宮」の石鳥居があります。 石鳥居を通り抜けると、右(南)側に本殿に向かう形で臥牛がいます。その先にもう一つの石鳥居があり、「天満宮」の扁額が掲げてあります。 本殿を菱格子窓のある瑞垣(塀)が囲み、正面の扉の上には「桃山天満宮」の扁額が掲げてあります。手前の拝所の頭貫の上部をご覧ください。 蟇股のある位置に透かし彫りが施され、牛が丸彫りされています。そして、もう一つ、牛を見る個所があります。それはこの桃山天満宮の境内地の北辺になる石垣の外側です。 ここに車石が保存されていて、 この「竹田街道の車石・車道」の説明銘板が設置されています。 江戸時代には竹田街道にも車石が敷かれていて、牛車が荷物を運搬する車道が設けられていたのです。上の図は想像図と記されていますが、下の図は文久元年(1861)に出版された『淀川両岸一覧 下』の挿画で、安楽寿院の近くにあった竹田街道・竹田の分かれ道の風景です。大きな車輪の荷車を引く牛が描き込まれています。そこで、車道からの連想です。まず鳥羽作道に飛びましょう。 上鳥羽に正覚山と号する「寶相寺」があります。(2014.2.27撮影) このお寺の境内にも車石が保存されていて、 案内板が設置してあります。当時の様子のイラストにして、荷車を引く牛が描かれています。説明文の冒頭に、「江戸時代、下鳥羽から上鳥羽を経て羅城門までの鳥羽街道は、横大路・下鳥羽の湊に荷揚げされた年貢米や穀類・木材などおを洛中へ運ぶ牛車の専用道路(車道)であった」と記されいます。末尾の説明から、単線の設置だったことがわかります。さらにたぶん一番知られていると思われる東海道に飛びましょう。 JR琵琶湖線大津駅前に東海道に敷設された車石が保存展示されています。 車石が敷設されていたのは東海道の逢坂山のところです。荷物の運搬では難所であった「逢坂越」を少しでも便宜の良い交通路とする対策として、牛車のために車石が敷設されたのです。ここに、鈴木靖将画の逢坂越をする黒い牛が描かれています。 2012(平成24)年3月に、大津市御陵町にある「大津市歴史博物館」で企画展「車石」が開催されました。(2012.3.17撮影) この博物館の敷地にも車石が保存されています。 ここでも、傍に設置されている「車石」の案内板にイラスト図ですが、牛を見ることができます。2つの説明文から、1804(文化元)年から1805年にかけて車石敷設工事が行われたこと。工事区間が大津八町筋から京都三条大橋までの3里(約12km)で工事費に約1万両を要したことがわかります。その一部を心学者の脇坂義堂や近江商人の中井源左衛門らが寄付したこと、石材として木戸石(大津側)、白川石(京都側)などが使われたこともわかります。近江商人の社会事業貢献の一事例ということになります。私が見聞した範囲の記憶では、車石の関連で牛を見ることができる個所がもう一つあります。 京阪電車京津線四宮駅の東に京都府と滋賀県の行政区域の境があります。その滋賀県側は横木一丁目・追分町と続きます。このあたり藤尾と称される地域でもあります「三井寺観音道」の大きな道標が立つ場所の近く、民家の傍に右の案内板「車石」が掲示されています。(2012.3.17撮影)序でに、牛関連の探索です。 歌川広重画による浮世絵「東海道五十三次」と「木曽街道六十九次」の「大津宿」には牛・牛車が描き込まれています。ウィキペディアからの引用です。(資料1)また、天明6年(1786)に出版された『都名所図会』を参照しますと、東海道に関係する日岡峠、粟田口の挿画には、次の通り牛、牛車がやはり描き込まれています。この当時は車石などがない時代です。荷車を引く牛は一層大変だったことでしょう。これも引用です。(資料2) 大津市逢坂2丁目に移動します。ここに、時宗の「長安寺」があります。長安寺のお堂への坂道の途中に 「長安寺宝塔」(重文)です。かなり大きな石塔です。なぜ石塔をとりあげるのか?この宝塔の傍に、駒札が立てられています。右の画像に背面が写っています。 かつては、現在長安寺があるこの付近一帯に関寺があり、その関寺の復興に寄与した牛にまつわる物語が「関寺縁起」に記されているそうです。万寿2年に関寺の工事が終わると共に牛が死にました。その牛を霊牛として供養し祀ったのがこの宝塔と伝わるそうです。「関寺の牛塔」と呼ばれてきたとか。牛の姿は見えませんが、牛と縁の深い石塔のようです。(資料2)「関寺縁起」の内容は、「長安寺」のホームページで紹介されています。序でに、関寺を舞台とした謡曲「関寺小町」があります。長安寺には関寺小町にちなむ小野小町の供養塔が建立されています。(資料2)それでは、最後に牛を巡って近江国大津宿側から山道を越えて京都側に向かいましょう。車石の敷設工事以前の様子ですが、東海道関連で『都名所図会』の挿絵に牛、牛車が登場します。(資料3) 粟田山・日岡峠 絵の右下のところ、日岡峠の個所に牛、牛車が描き込まれています。 粟田口 江戸時代には、牛が農耕だけではなく、牛車として荷車を引き、物資運搬の重要な役割を担っていたことがわかります。太宰府天満宮の成り立ちに、牛と牛車のことが記されています。「延喜3年(903)2月25日、道真公はお住まいであった大宰府政庁の南館(現在の榎社)において、ご生涯を終えられました。門弟であった味酒安行が御亡骸を牛車に乗せて進んだところ、牛が伏して動かなくなり、これは道真公の御心によるものであろうと、その地に埋葬されることとなりました。延喜5年(905)、御墓所の上に祀廟が創建され、延喜19年(919)には勅命により立派なご社殿が建立されました。」と。(資料4)さて、京都市伏見区におけるウシ巡りの続きとして、京都府内で南へ向かいましょう。宇治市の三室戸寺に飛びます。つづく参照資料1) 大津宿 :ウィキペディア2) 時宗 長安寺 ホームページ3) 都名所図会. 巻之1-6 / 秋里湘夕 選 ; 竹原春朝斎 画 :「早稲田大学図書館」4) 天神さまと太宰府天満宮 :「太宰府天満宮」補遺車石・車道研究会 ホームページ車石(くるまいし)-江戸時代の街道整備- 第58回企画展 平成24年 :「大津市歴史博物館」 伊勢参宮名所図会・花洛名勝図会の挿画が紹介されています。謡蹟めぐり 関寺小町 :「謡蹟めぐり 謡曲初心者の方のためのガイド」関寺小町 :「能楽師 久田勘鷗」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)観照 時空をつなぎウシ巡り -1 北野天満宮・菅原院天満宮・白雲神社・錦天満宮・御所八幡宮 へ観照 時空をつなぎウシ巡り -2 菅大臣神社・五条天神宮・ゑびす神社・瀧尾神社・本國寺 へ観照 時空をつなぎウシ巡り -3 西本願寺(唐門)・道祖神社・長尾天満宮・虚空藏法輪寺・法輪寺(だるま寺)へ観照 時空をつなぎウシ巡り -5 三室戸寺・天満宮社・天満神社・市辺天満神社・綺原神社・奈良(菅原天満宮・天神社)へ観照 時空をつなぎウシ巡り -6 日牟禮八幡宮・愛知川宿・菅原神社・目川立場・霰天神神社・大阪天満宮 へ=
2021.01.08
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西本願寺は堀川通の西側にあり東面しています。冒頭の景色は御影堂門を直近に南東側から撮ったものです。(2020.12.4撮影)西本願寺の南隣は興正寺で、この両寺の間、東西方向に北小路通があります。西本願寺の南端の北小路通沿いの築地塀のところに、 「唐門」があります。(2011.4.3撮影) 唐門は四脚門です。西側の控柱と本柱との間に、中国の故事を題材とした透かし彫りがあり、そこに牛が丸彫りされています。巣父についてのエピソードです。西本願寺細見の一部として既にご紹介しています。こちらからご覧いただけるとうれしいです。 (スポット探訪 京都・下京 西本願寺細見 -5 唐門 ~境内からの眺め~、中雀門) 唐門から、JR京都駅方向に進みます。堀川通を南に下り、七条通で左折して油小路通を右折し、南に下がると三筋目が塩小路通との交差点。ここで左折して一筋目を南に入ります。そこに「新選組まぼろしの屯所」と記された提灯が吊り下げてある「不動堂明王院」があります。 その北側にあるのが「道祖神社」です。(2015.6.17撮影)新選組ゆかりの地を探訪しているときに不動堂明王院を訪れ、この道祖神社を知りました。 ごく狭い境内地ですが、境内社として「書聖天満宮」が祀られています。 その小祠の右側に臥牛がいます。石標に洛陽二十五社とありますが、まだまだ一部しか探訪していません。私にとっては、二十五社がどこにあるかを調べるところから始まります。ステップ・バイ・ステップで探訪を続けたいと思います。天満宮からの連想で、下京区から伏見区醍醐に飛びましょう。醍醐には、醍醐三宝院や豊太閤の花見行列で知られている「醍醐寺」があります。醍醐三宝院の北東方向、醍醐寺仁王門の北に向かいます。 そこに「長尾天満宮」があります。(2013.3.8撮影) 長尾の丘陵台地上(醍醐北伽藍町)に所在します。ゆったりとした境内地です。 参道を上って行きますと、拝殿と思われる建物の手前に大きな石造の臥牛像が奉納されています。この近くに、石造宝篋印塔を置いた「菅公衣裳塚」があります。(資料1)臥牛からの連想ですが、臥牛がおもしろい配置になっている事例を思い出しましたので、右京区の嵐山に飛びましょう。 渡月橋を南に渡った先にある「法輪寺」です。(2019.8.24撮影)京都では「十三参り」のお寺として、良く知られていて、嵐山虚空藏山町にあります。寺名は知らずに十三参りの寺で記憶している人も多いかもしれません。私もその一人。山門を入ると、幅が広い少し急な石段を上っていく必要があります。序でに、福徳・知恵・美声を授かるという「十三参り」には言い伝えがあります。子供の時、十三参りに連れて行かれて、その言い伝えを聞き少し緊張したものです。十三参りのお参りをした後のことです。「折角授かった知恵も、参詣の帰り道、大堰川に架かる渡月橋を西へ渡り切るまでは、後ろを振り返ると、返してしまうという言い伝えがある」(資料2)のです。 石段を登り切った先の境内地からさらに一段高い境内地に本堂があります。本尊が虚空藏菩薩です。「智福山」が山号ですので、町名の由来もこの本尊に関係しているのでしょう。 本堂のある境内地への数段の石段傍に、この石造臥牛像が置かれています。石段の反対側に置かれているのが石造の獅子像です。いわば、狛犬像に相当する配置になっているところがおもしろいところです。 知恵を授かるための「十三参り」ですから、学問の神様と見做されている菅原道真を連想する臥牛像がここに居るのはうまくリンクします。「法輪寺」の名前からのリンクでもう一つの「法輪寺」を思い出しました。通称「だるま寺」です。勿論、このお寺も既にご紹介しています。北野の紙屋川近くに戻ることになりますが、バーチャルな移動は楽なものです。上京区下立売通天神道西入まで飛びましょう。比較的近い目印は丸太町御前の交差点、そして西南方向に位置するJR嵯峨野線円町駅です。 門前左側に立つ寺号標に「三國随一 起上り だるまてら」と寺名の上に刻されています。本堂は右側です。朱塗りの外観の四注造り二階建の建物は「衆聖堂」で、階上にはキネマ殿他があります。(資料3) お堂の外縁のこの青銅製の牛像が置かれています。禅と牛は関係がありますね。そう、「十牛図」でリンクします。 (松原哲明著・主婦の友社)十牛図に関連する本はいろいろ出版されています。私が目に止めて購入し書架にあるのがこの本です。表紙に牛のイラストが載っています。調べてみますと、この法輪寺の出版で『十牛図』が昭和14年に出版されています。国立国会図書館デジタルコレクションで本文を読むことができます。こちらからご覧ください。序でに、十牛図の一例を宗演著『提唱十牛図』から引用してご紹介しましょう。(資料4,5) 第1図 尋牛(牛を探す) この私は「なにものか」 第2図 見跡(牛の足あとを見つける) 自己発見の手がかり 第3図 見牛(牛をみつける) 自分の中にあった、自分の心を見る 第4図 得牛(牛をつかまえる) 煩悩妄想と無心のはざ間で 第5図 牧牛(牛を飼いならす) 悟れば、自然と無心になれる 第6図 騎牛帰家(牛に乗って家に帰る) 迷いを捨てて、道を進む 第7図 忘牛存人(牛のことを忘れる) 悟りを捨てるとき 第8図 人牛倶忘(自分のことも忘れる) 悟った自分さえも捨てる 第9図 返本還源(すべて元通りとなる) 自然界に戻り、花を見る 第10図 入鄽垂手(町に出て生活する) 俗世間に戻り、童心に戻る (付記: 各図の括弧内の記述は資料5から引用しました。 その後のフレーズは上掲書の見出しから引用しました。)それでは、長尾天満宮からさらに南へ飛びましょう。同じ伏見区の「御香宮神社」境内へ。つづく参照資料1) 『昭和京都名所圖會 洛南』 竹村俊則著 駸々堂 p3512) 『京都史跡事典 コンパクト版』 石田孝喜著 新人物往来社 p2283) 『昭和京都名所圖會 洛中』 竹村俊則著 駸々堂 p2264) 提唱十牛図 宗演著 経世書院 明29.11:「国立国会図書館デジタルコレクション」5) 十牛図 :「寶樹山 萬福寺」補遺お西さん(西本願寺) ホームページ虚空藏法輪寺 ホームページ法輪寺<上京区> :「京都観光Navi」法輪寺(西京区) :ウィキペディア法輪寺(達磨寺) :「京都観光Navi」京都のユニークなだるま寺へ行ってみよう!! :「Why Kyoto?」展示解説:十牛図/禅の悟を牛にたとえて :「伊賀市ミュージアム青山讚頌舍」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)観照 時空をつなぎウシ巡り -1 北野天満宮・菅原院天満宮・白雲神社・錦天満宮・御所八幡宮 へ観照 時空をつなぎウシ巡り -2 菅大臣神社・五条天神宮・ゑびす神社・瀧尾神社・本國寺 へ観照 時空をつなぎウシ巡り -4 御香宮神社・車石(寶相寺/大津駅前/大津市歴史博物館/横木<藤尾>)・長安寺ほか へ観照 時空をつなぎウシ巡り -5 三室戸寺・天満宮社・天満神社・市辺天満神社・綺原神社・奈良(菅原天満宮・天神社)へ観照 時空をつなぎウシ巡り -6 日牟禮八幡宮・愛知川宿・菅原神社・目川立場・霰天神神社・大阪天満宮 へ
2021.01.07
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「菅大臣神社」です。(2013.4.27撮影)左画像の左端の石灯籠の前には「菅家邸址」と刻された石標が立っています。こちらは仏光寺通に面する石鳥居です。右画像は西洞院通に面する石鳥居です。「この地は右大臣菅原道真が降誕した邸宅(白梅殿)および菅家学問所の旧地とつたえ、道真の没後、間もない頃に創祀された神社」(資料1)と言われています。 両鳥居からの参道が交わるところの北西角に手水舎があります。 この手水舎に臥牛がいます。 社殿は西面する形で建てられていますので、西洞院通の方が表参道になるのでしょう。この石鳥居を通ると、右側に 覆屋の中に石造臥牛が本殿の方に向かって蹲っています。 目が可愛い。勿論、地名は菅大臣町です。仏光寺通の北側民家の角にも「菅家邸址」の石標が立ち、民家脇の路地を北に少し歩むと、「北菅大臣神社」があります。こちらは紅梅殿神社とも称されます。こちらの地には紅梅殿があったと伝えられているそうです。(資料1)西洞院通を松原通まで下ります。つまり、二筋南に歩みます。 西洞院通の西側に東面して石鳥居があります。「五条天神宮」です。(2013.4.27撮影)本殿は東面しています。また、松原通にも石鳥居があります。 境内社として本殿の背後、南西隅に天満宮が勧請されています。 この小祠の斜め左前に臥牛がいます。この五条天神宮の北辺が面する松原通をどんと東方向に突き進みます。鴨川に架かる松原橋(かつては五条橋の架橋地)を渡り、大和大路通を少し北に上がります。 通りに東面する石鳥居が見えます。「ゑびす(恵美須)神社」です。(2019.1.2撮影)「十日ゑびす」や「二十日ゑびす」の行事で有名です。通りを挟み、東側の通りに面した民家の背後(東側)は「建仁寺」境内が広がっています。 ゑびす神社の境内に、境内社として「小松天満宮」があります。こちらはちょっと大きな境内社です。堂内には菅原道真の臣菊地武則邸の井戸から出たといわれる道真像が安置されているそうです。太宰府の配所に居た道真が、「筑紫の天拝山で行をしている憤怒の姿をあらわした」像で荒行の相を現しているとか。(資料2) 狛犬像が置かれてるような感じで、石造臥牛像が正面の傍に奉納されています。 さらに、境内地の北西隅に円柱形で先端が砲弾のような形状の石柱が建立されていて「天満宮」と刻されています。石鳥居も設けてある一角があります。石鳥居には北野天満宮の遙拝所と読める扁額が掲げてあります。 その傍に、やはり陶製の臥牛がいます。大和大路通を南下してみましょう。大和大路通は京都国立博物館がある七条通が南端です。ここで七条通を一筋西側に歩み、本町通に移ります。七条通がその起点になります。本町通を南へ。東福寺駅からは北方向に数分のところにある神社に移動です。 本町通に面して石鳥居がありますが、五葉ノ辻に面しているのがこの鳥居です。「瀧尾神社」です。(2017.12.21撮影。なお、上掲右の画像のみ2019.11.7撮影) 社殿本殿を囲む菱格子窓の瑞垣(塀)の上部と唐破風の拝所の装飾彫刻が見事です。装飾彫刻の美としては、私の好きな神社の一つです。 屋根の下、菱格子窓の上部の欄間には十二支が丸彫り状態で彫刻されています。その一つ「丑」欄間の装飾彫刻からの連想で、山科区御陵に飛びましょう。山科には天智天皇山科稜があります。最寄り駅は京阪電車の御陵駅です。 天智天皇陵の北辺を琵琶湖第一疏水が流れています。その北側に「本國寺」があります。左の景色は山腹にある総門です。右は本堂です。(2018.10.26撮影) このお寺の境内にあり、ネットのMapionの地図に「加藤清正公眞生墓廟」と表記されています。手許の地図(昭文社)も同様です。本國寺の大本堂の背後、さらに坂道を上ったところに位置します。「清正宮」の扁額が掛けられた鳥居が立っています。 この廟堂の外側の欄間にも十二支が彫刻されています。 そこに牛が丸彫りで彫刻されています。それではもう一つ気づいた牛の彫刻がある場所に参りましょう。堀川北小路に飛びます。西本願寺です。つづく参照資料1) 『昭和京都名所圖會 洛中』 竹村俊則著 駸々堂 p3472) 『昭和京都名所圖會 洛東-下』 竹村俊則著 駸々堂 p263-2653) 『昭和京都名所圖會 洛東-上』 竹村俊則著 駸々堂 p51-53補遺菅大臣神社(菅大臣天満宮)の梅 :「まいぷれ」五条天神宮 :「京都通百科事典」京都ゑびす神社 ホームページ大本山 太光山 本國寺 :「日蓮宗」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)観照 時空をつなぎウシ巡り -1 北野天満宮・菅原院天満宮・白雲神社・錦天満宮・御所八幡宮 へ観照 時空をつなぎウシ巡り -3 西本願寺(唐門)・道祖神社・長尾天満宮・虚空藏法輪寺・法輪寺(だるま寺)へ観照 時空をつなぎウシ巡り -4 御香宮神社・車石(寶相寺/大津駅前/大津市歴史博物館/横木<藤尾>)・長安寺ほか へ観照 時空をつなぎウシ巡り -5 三室戸寺・天満宮社・天満神社・市辺天満神社・綺原神社・奈良(菅原天満宮・天神社)へ観照 時空をつなぎウシ巡り -6 日牟禮八幡宮・愛知川宿・菅原神社・目川立場・霰天神神社・大阪天満宮 へ
2021.01.06
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元旦からずっと家に籠もっていました。そこで、ふと今年の干支である「丑」に因んで、過去十余年に探訪先で撮ったデジタル画像に記録している「ウシ」を、半ば霧がかかった記憶を梃子にしてパソコン画面で実地検索してみることにしました。時空を溯ったバーチャルな初詣雰囲気で・・・・。ということで、断続的に記録画像から抽出した様々な「ウシ」をご紹介するとともに、ブログを書いた時に引用した資料のご紹介も補足したいと思います。初詣でウシと言えば、やはり京都での筆頭は「北野天満宮」でしょう。(2014.5.3撮影)冒頭の景色は今出川通に面した大きな石造の「一の鳥居」です。 表参道を北に歩むと、北に位置する本殿の方向に向かった姿の大きな臥牛が見えます。 さらに、その先に この二頭の臥牛像が奉納されています。最初の二頭が金属製の像であるのに対して、こちらは石像のようです。その先に、楼門があります。楼門を通り抜けると、 水鉢の正面に「梅香水」と刻した手水舎があり、水の注ぎ口の上に臥牛像が見えます。 手水舎の近くにも大きな臥牛像があります。さらに参道を進めば、左右に回廊が付いた「三光門」があり、その先の境内地に本殿が位置します。 参道の先、正面に見えるのがこの「社殿」(国宝)です。 唐破風の屋根の下に見える蟇股の内側に牛が丸彫りされていて、彩色され力強い姿の黒い牛を見上げることができます。上七軒の通りを西に進んで来ますと、北野天満宮の東門が正面に見えます。 東門を入って右手前方に見えるのが、この手水舎です。ここにも石造の臥牛像が置かれています。私が境内で気づいたのはこれくらいです。では、北野天満宮から南に向かいます。京都御苑の西側、烏丸下立売にまず飛びましょう。烏丸下立売の南西角には聖アグネス教会があります。 その南側に位置するのがこの「菅原院天満宮神社」です。菅原道真生誕の地と言われています。境内地は今は比較的小さな規模です。(2019.1.2撮影) 門を入ると、ここも手水鉢のところに、臥牛が口から水を注ぐ形で置かれています。 こじんまりした境内地ですが、本殿があるところは一段高くなっています。 その端にブロンズ製の臥牛が奉納されています。 境内の西側には、これらの臥牛像をみかけました。烏丸通を渡り、京都御苑に入ります。 京都御苑内には神社がいくつかあります。その一つが「白雲神社」です。(2014.2.9撮影) 社殿傍に置かれた青銅の灯籠 この灯籠の基壇に相当する帯の部分に唐草文の中に牛がレリーフされていることに気づきました。灯籠への牛のレリーフから、左京区にある吉田山の麓の吉田神社を連想します。先月ブログ記事に書いたところですので。左京区吉田神楽岡町に飛びましょう。 吉田神社の「斎場所大元宮」です。 (2020.11.6撮影) 連子窓の瑞垣(塀)の前に置かれた石灯籠の中台の部分に十二支が厚彫りでレリーフされています。 そこに牛がレリーフされています。さて、吉田山から、天満宮をキーワードに中京区の錦小路通に飛びます。錦市場で有名なところ。この錦小路通の東端に位置するのが、 新京極通に面している「錦天満宮」です。(2018.9.5撮影) 一旦、御池通まで戻ります。この通りに面して、堺町通との西南角に御所八幡町があります。 ところが、「御所八幡宮」は御池通の南側にあります。(2017.3.22撮影)こちらは高倉通御池東亀甲町になります。太平洋戦争中に御池通の強制疎開で移転することになった結果だとか。 この境内に天満宮が勧請され、小祠が祀られています。その前にこの臥牛がいます。天満宮に祀られているのは、菅原道真です。それでは、菅原道真ゆかりの地に飛びましょう。つづく補遺北野天満宮 ホームページ 境内のご案内菅原院天満宮 ホームページ錦天満宮 ホームページ御所八幡宮 :「京都観光Navi」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)観照 時空をつなぎウシ巡り -2 菅大臣神社・五条天神宮・ゑびす神社・瀧尾神社・本國寺 へ観照 時空をつなぎウシ巡り -3 西本願寺(唐門)・道祖神社・長尾天満宮・虚空藏法輪寺・法輪寺(だるま寺)へ観照 時空をつなぎウシ巡り -4 御香宮神社・車石(寶相寺/大津駅前/大津市歴史博物館/横木<藤尾>)・長安寺ほか へ観照 時空をつなぎウシ巡り -5 三室戸寺・天満宮社・天満神社・市辺天満神社・綺原神社・奈良(菅原天満宮・天神社)へ観照 時空をつなぎウシ巡り -6 日牟禮八幡宮・愛知川宿・菅原神社・目川立場・霰天神神社・大阪天満宮 へ
2021.01.05
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