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2017.05.13
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カテゴリ: 歩く [再録]

2015年1月、ウォーキングの同好会でJR琵琶湖線の石山駅に集合し、 立木観音のある立木山まで 歩きました。帰路は、1)同じルートを逆に歩きで駅まで戻る、2)立木観音のバス停からバスを利用する、3)山の尾根伝いに袴越山・芋谷経由で瀬田川畔に出て駅まで戻る、というオプションでした。私は第3選択肢のグループに加わりました。
この往路と復路の行程記録をまとめて載せていたものを再録し、ご紹介します。

冒頭の像は、 石山駅の駅前に立つ松尾芭蕉像 です。
石山は石山寺に縁のある紫式部だけでなく、松尾芭蕉にも縁のあるところです。現在の住所で言いますと、大津市国分2-5、 国分山に「幻住庵跡」 があります。今はここに往時を偲んで、大津市により新たに建てられた建物ができています。

芭蕉の弟子、膳所藩士菅沼曲翠( すがぬまきょくすい :曲水)が、伯父の定知( さだとも :幻住老人)の旧庵を補修して、師・芭蕉に提供したと言われています。 松尾芭蕉は元禄3年(1690)4月から7月までこの幻住庵に滞在したのです。 そのときの生活の様子を 『幻住庵記』 として著しています。

冒頭から寄り道してしまいました。
まずは、駅前の市街地を通り、東海道の高架下から県道104号線に出て、 鳥居川の交差点まで南下 します。この鳥居川交差点からは南西角・長徳寺前の道に沿って、 京阪電車石坂本線とほぼ平行する道を南に歩きます。御霊神社、地蔵寺、医王寺という寺社の傍を通ると、京阪電車の終点・石山寺駅の西側に 至ります。
このあたりの経路は拙ブログ記事 「スポット探訪  [再録]  石山・蛍谷からJR石山駅への道」でご紹介しています。こちらをご覧いただけるとうれしいです。

ここから、瀬田川沿いの歩道を進めば 「石山寺」 です。

石山寺の少し手前の歩道から入れるのが、この 「郎澄大徳ゆかりの庭園」 です。

没後は、「石山寺経蔵の一切経、並びに聖教を守護し、万民の降魔招福の為、鬼の姿となることを誓い」 (説明板) 、入滅されたのだとか。それでこの石像碑が建立されているのでしょう。

石山寺の東大門前 でちょっと休憩。境内には入りませんが、門前見物とトイレタイムです。


仁王像(木造金剛力士像)を撮ってみました。


この山門と瀬田川沿いの道路との間の北側は緑地になっていて、 島崎藤村の詞章が刻まれた碑と、「琵琶湖八景 夕陽 瀨田石山の静流」と刻された碑 が立っています。「瀨田の夕照 (せきしょう) 」は近江八景の一つとして有名です。琵琶湖八景は新た選定されたものです。 (資料1)

島崎藤村は22歳の頃、この石山寺門前あたりに2ヶ月近く寄宿していたそうです。石山寺の境内には、今は 「東池坊光蔵院」と称される建物 が移築されています。 その建物が「島崎藤村ゆかりの家」 なのだそうです。
拙ブログ記事「 スポット探訪  [再録] 石山寺細見 -2 比良明神影向石、くぐり岩、密蔵院、閼伽井屋ほか」をご覧いただけるとうれしいです。

この碑は、島崎藤村の「石山寺にハムレットを納むるの辞」より採録されたものです。

   湖にうかぶ詩神よ 心あらば
   落ちゆく鐘のこなたに 聴けや
   千年の冬の夜ごとに 石山の
   寺よりひびく読経の こえ

『文学界』第二号に掲載された一文のようです。 (資料2)

石山寺東大門のすぐ前に南に向かう道があります。瀬田川沿いの道路とほぼ平行して通る少し幅のせまい道路です。 立木観音への石柱道標 が立っています。
 石段の先には「石山寺保育園」
このあたりは 「旧石山尋常高等小学校跡」 なのです。

少し南下すると岩間寺への道との分岐点です。道標があります。
 「戸隠神社」の参道が西側(右手)に。 平津1丁目 
その名の通り、 信濃国の戸隠山に鎮座する戸隠神社から勧請された神社 です。
祭神は天手力雄命 (あまのたじからおのみこと)
この神社の西隣りが滋賀大学の教育学部のキャンパス です。

円照寺 の前を通過。浄土真宗本願寺派のお寺。
この先で、瀬田川沿いの国道422号線に出て、赤川の交差点を通過し、南郷公園に入ります。 JR石山駅から南郷洗堰・南郷公園への地図(Mapion)はこちらをご覧ください。


南郷公園の北端部にあるお堂と休憩所の合体した建物。

お堂の方には「神鯉」が安置されています。 「神鯉のいわれ」の説明板 が掛かっています。「大昔、天皇が病気になったとき、南郷でとれた大鯉を献上すると即座に病気が治ったとの伝えがある」のです。 (資料3)
  覗くと、木彫の大鯉が見えます。
この鯉は、 5月5日に「南郷鯉まつり」 が行われるときに、 全長3.2mの大きさの鯉みこし として使われるもののようです。竹細工師・清水風外の作だそうです。 (資料3,4)

南郷公園から少し先に、この石標が立っています。 立木観音への参道入口 です。
南郷公園の前が、南郷洗堰です。こちらも拙ブログ記事 「探訪  [再録] 瀬田川流域とオランダ堰堤(上桐生)-3 旧南郷洗堰と瀬田川洗堰」でご紹介しています。こちらをご覧いただけるとうれしいです。

参道は「立木山」に登る山道 です。この参道(山道)は比較的ゆるやかですが、その分時間がかかります。 約2kmで、1時間くらい歩くことになります。
この石標の傍に、 「立木観音 是より廿丁」 と刻された石標もあります。その側面にはなんと、「月恭三百回記念」と彫られています。25年間連続とは実にすごいものです。

八丁目にはごつごつとした岩があります。
面白いのは左側の石標です。「町」という文字を左右分割して、縦に並べています。この字で「チョウ」と読ませるのでしょう。ATOKで手書き文字入力をすると、「町」の異体字として「甼」が登録されています。手許の『角川漢和中辞典』(初版)には、異体字としてすら記載されていません。
「町」は尺貫法の長さの単位として使われると60間 (けん) に相当し、メートル法換算で約109mです。


大岩の上に立つと、このような景色が眺められます。



5丁目まで登ると、そこから 瀨田川の景色が垣間見えます。

そして、1丁目の標識が見え、石段が見えました。この上が立木観音の境内です。
立木観音前バス停脇の登り口から約800段の急な階段を20分ほど登ると境内に着くそうです。 (資料5)

正式には、立木山安養寺と称し、今は浄土宗のお寺。
「立木山境内図」はこちらをご覧ください。 (資料5)


                     手水

蟇股の意匠がおもしろい。懸魚のところに菊花が丁寧に彫られています。


山の上ですので境内地はそれほど広くはありません。
左写真の一番奥に見えるのが本堂の建物です。
「新西国三十八霊場」(三十三箇所+客番五寺)の第20番 でもあるからでしょうか、団体の参拝者も多く見かけました。

境内の中央に、鹿に乗った僧が合掌している少し大きい銅像が建立されています。
そして、その傍に、金属製の灯籠と「厄除立木観世音略縁起」の銘板がはめ込まれた石碑もあります。

この略縁起と手許の本をあわせると、次の通りです。 (略縁起銘板、資料6)
弘仁6年(815)、空海は42歳の厄年で諸国を行脚していました。瀬田川の畔に来たとき、この山に光を放つ霊木があるのに目がとまったそうです。奇異に思っていると、白い雄鹿が現れ、空海を乗せて瀬田川を跳び渡り、立木山に導いたと言います。そして、雄鹿は観世音に変化したのだそうです。
空海が、光明を放つ霊木に、立木のままで等身大の聖観音像を刻まれたのだとか。それが立木観音の始まりとされているのです。
(ししとび) と呼ぶようになったそうです 。立木観音の麓を通る国道422号線には南の方に「鹿跳橋」が架かっています。
つまり、この僧が空海なのでしょう。空海像は三鈷を片手に持つ姿を見慣れていますので、合掌している姿はを私は初めて見る思いでした。
本堂の入口

  瀬田川の 霧も立木の 観世音 峰吹く風に 晴るる身のうさ (御詠歌)

「立木さん」「厄除けの立木観音さん」「立木山寺 (たちきさんでら) 」として親しまれているお寺です。「(弘法)大師はその後、高野山を開基されたので、 立木観音は『元高野山』とも 呼ばれています。」 (資料5) とのこと。

南郷公園から立木観音(安養寺)の地図(Mapion)はこちらをご覧ください。

本堂を反対側に抜けて行くと、 宝篋印塔 があり、その先の石段の山道をさらに登ったところに、 「鐘楼」 があります。ここでの休憩タイムにこの「鐘楼」までは参拝客に並んで訪れました。

さらに石段を登っていけば、奥の院があるようです。「歩く」会なのでこちらは訪ねる時間がありませんでした。
私たちは、この鐘楼の傍の道から、境内を外れて山道を登って行きます。少し広い場所で食事休憩を取り、その後、下山ですが、最初に述べたオプションで参加メンバーは分散しました。

立木山頂上の三角点
第3の選択肢による復路については、次回にご紹介します。

つづく

参照資料
1) 琵琶湖八景・近江八景   :「滋賀県」
2) 石山寺と島崎藤村 そして 茶丈藤村のこと  :「茶丈藤村」
3) 南郷鯉まつり   :「大津市歴史博物館」
4) 南郷鯉まつり   :「瀨田川流域観光協会」
5) 厄除 立木観音 立木山-安養寺-   ホームページ
6) 『滋賀県の歴史散歩 上』滋賀県歴史h散歩編集委員会編 山川出版社 p106-107

【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺
文学界   :ウィキペディア
新西国霊場とは?  :「新西國霊場-新しい巡礼の旅」
第20番札所 立木山立木山寺
立木山寺  :ウィキペディア

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)





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Last updated  2017.05.13 21:23:17
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