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2017.06.07
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カテゴリ: 歩く [再録]

                               [探訪時期:2015年4月]
岩船寺の山門を後にして、浄瑠璃寺に向かいます。この道筋が「当尾の石仏」を巡る徒歩コースの一部なのです。 逆に言えば、当尾の石仏めぐりの一部のご紹介だけになります。 「当尾の石仏map」は、木津川市観光ガイドのサイトからダウンロードができます。こちらからダウンロードしていただくとよいでしょう。そして全体を知るにはマップをご覧いただきたいと思います。


尚、ここでご紹介する都合上、マップの部分図を引用させていただきます。 (資料1)

岩船寺前のバス停から弥勒の辻バス停に向かう道路を少し下って行くと、 浄瑠璃寺への散策コース道との分岐 があります。それが冒頭の左の画像です。 この分岐点から浄瑠璃寺までが、石仏めぐりの一部 なのです。 浄瑠璃寺までは下り道で1.5kmとか 。石仏を見て、写真を撮りながら進むと、距離感覚は飛んでしまていますが・・・・。
坂道を下っていくと、見おろせば右の画像の感じです。

それまでに、 「一願不動(岩船寺奥院不動)」 という案内表示板が出ています。

下って行くと、巨大な岩に磨崖仏が彫られているらしいという感じがしてきます。
デジカメのズーム機能でとりましたので、この画像でも何となく立像を感じていただけるでしょう。

大岩の前で不動明王立像をじっと拝見していると、不動明王の立像が見えて来ます。見る位置と日の光の関係で浮き彫りにされている不動明王の見やすさが変化します。不動明王立像の彫りはそれほど深いものではありません。 ほぼ等身大くらいの印象 をもちました。
不動明王の相貌 、おわかりいただけるでしょうか。じっと見つめると何となくイメージが湧いてきます。
「一願不動」 と称されるのは、 この不動明王に一つだけお願いするならそれはかなう と伝えられていることに由来するようです。

足許も大きな岩を踏みながら坂道を下ると、この分岐標識のところに出ます。
まずは、浄瑠璃寺とは反対方向へ、石仏めぐりの寄り道です。

 わらいぼとけ          


当尾の石仏の中では最も良く知られた石仏、 阿弥陀三尊像 です。

中央の阿弥陀如来坐像の左右の脇侍が、勢至菩薩坐像(左)と観世音菩薩坐像(右)です。この石仏は、銘文が刻まれていることから、 1299年に岩船寺住職の発願で、末行と称する大工が彫像した ことがわかるそうです。

この「わらいぼとけ」の少し手前にわずかの階段道が造られていて、その前に「眠り仏(地蔵石仏)」と表示が出ています。



これが土中に身を埋め、お顔が見えるだけのお地蔵様。どのくらいの年月、土中に眠っておられるのでしょう・・・・。

みろくの辻磨崖仏は・・・と、ウォーキングのコースとは反対方向の道を早足で歩いて行ったのですが、いかんせん、浄瑠璃寺とは反対方向のため、ウォーキング予定の時間の関係から、途中で断念。先行組で行っていた数名も、目処とした時間内では到達できそうにないと戻ってきました。

しかし、見落としてしまいそうな小さな四方仏の彫られた石柱に出会えました。

こんな景色の中の山道を下っていきます。

少し開けて、野原になったところに休憩場所があり、大きな岩があります。
行ってみましたが、見た限りは大岩そのものでした。ハズレです。

大岩から少し先にあった 「唐臼 (からす) の壺」
これは古くからの分岐点にあたる位置にあるそうです。 大きな岩の中央に15cmほどの穴が穿たれている礎石だとか。これが粉を挽く唐臼に似ていることから 「からすの壺」 と呼ばれるに到ったそうです。 (資料1、以下でも参照)

                    「からすの壺」の近くに建つ歌碑

この歌碑に記された「 泉涙暮 (いずみるいぼ) 」とは、調べてみますと、大正4年(1915)3月28日、加茂町に生まれ、昭和5年(1930)10月、父の死後、一家を支え、行商をしながら姉弟を養い、昭和18年(1943)に陸軍に徴用されるも、肺結核で倒れ、昭和20年(1945)3月22日、享年29歳で没した 歌人 でした。 (資料2) 「加茂の山河を歩き、しのびよる病魔とたたかいながら、日々の移ろいを歌に託した歌人だった」 (資料3) そうです。その短い生涯において、5500首もの詩歌を残したそうです。
実弟の鳥井芳英氏が編集された『溺れ蛍:泉涙暮詩集』が1989年に出版され、また2013年10月には、 『詩歌集 溺れ螢』 (文芸社) が出版されています。
孫引きになりますが、泉涙暮の詠んだ歌をご紹介します。

  ゆるやかに流れよとてか木津川に教えられたり春の夕暮れ
  黄昏て宵待草の泣きたさよ泉河原のおぼろ月かな
  肝寒く青く映じる月の影君と別れし泉大橋

  病み倦きて春雷をきく音たのし 
  月影を砕きて溺る螢かな 

この歌碑から数十メートル先に、「阿弥陀如来坐像・地蔵菩薩坐像」への標識が出ています。

上掲の「からすの壺」にほど近いところの石仏なので、 「からすの壺二尊」 と表示されているようです。

ここに写っているのが 舟型光背を持つ阿弥陀如来坐像 です。
銘文から、1343年に恒性という願主のもとに、造立されたことがわかっています。

阿弥陀像に向かって、右側に灯籠が線刻で描かれていて、火袋の部分が四角く穿たれています。ここにロウソクを立て燈明を奉じることができるようになっています。

私は遅れ気味になっていたので、地蔵菩薩立像を見落としたのです。
実は、この大岩の阿弥陀像に向かって左側に回り込んだ岩の面に、地蔵菩薩立像が彫られていたのです。造立されたのは同じ1343年ですが、願主は勝珍という人です。名前からすればいずれも僧なのでしょう。

東小のバス停に近い分岐点まで来ると、浄瑠璃寺まであと400mという標識がでています。

ここに建てられているのが、奇妙な形状ですが、 「あたご灯籠」 と称されています。
「あたご」は「愛宕神」のことで火の神様、火伏せを司る神様です。火の用心、防火の神様。
「当尾ではお正月にここからおけら火を採り雑煮を炊く風習があったそうです。」 (資料1)

余談ですが、私が子供の頃から今まで、見慣れているのが愛宕神社の火伏せのお札です。 「阿多古祀符 火迺要愼」 という漢字を使ったお札なのです。初めてこのお札を意識したとき、後半の文字をどう読むのか? 現代の表記だと、「火の用心」と同じですね。「迺」という漢字は日本では、「の」と読ませるので、「火の要愼(=用心)」ということなのでしょう。漢和辞典を引くと、漢字の意味は「すなわち」です。「火はすなわち愼を要す」「火の要 (かなめ) は愼なり」と読んでよいのかもしれません。愼の漢字の意味は、「つつしむ。気をつけてあやまちのないようにする。用心する。注意深くする」ですから。「火の用心」よりも「火迺要愼」の方が、身を引き締めそう・・・・・。今も、実家にはこのお札が貼られています。

この分岐点から府道752号線に出て、浄瑠璃寺前までしばらく府道沿いに歩くのですが、浄瑠璃寺までに、さらに2ヵ所の石仏を訪れます。

一つが、 「やぶの中三尊」 です。道路から少し入り込んだ、まさに藪の中といえるところです。背後に竹藪が迫っています。
2つの大岩に三尊が彫られています。

一つの岩には、地蔵菩薩立像と十一面観音立像です。

地蔵菩薩立像に向かって左下に銘文が刻されています。
説明板に記されていますが、 1262年に造立された磨崖仏 です。当尾の石仏で年号が明かなものの中では最古のものだそうです。 銘文から、これら三尊像は、浄土院という塔頭の本尊だったのではと推定されています。 彫像したのは、 「大工 橘安縄 小工 平貞末」 です。
 もう一つの大岩に、阿弥陀如来坐像です。

近くには、石塔の残欠があります。形からみると十三重石塔の残欠のように思えます。

この藪の中三尊磨崖仏からそれほど離れていない道路の反対側の方向に、 「首切地蔵(阿弥陀石仏)」 があります。こちらは府道から少し奧に入ったところです。

このように石仏が並んで居ます。この場所は 「釈迦寺跡」 だとか。

「首切り地蔵」という別名がありますが、実は「阿弥陀石仏」です。
この石仏も在銘石仏であり、1262年の造立で、藪の中三尊と同じく最古のものだそうです。
別名の由来は、昔処刑場にあった石仏と伝えられているそうです。 「東小阿弥陀石龕仏」とも

その隣には、光背に梵字が刻された 十一面観音菩薩立像の石仏 があります。

これで、岩船寺前から浄瑠璃寺前に至る散策路での石仏との出会いが一旦終わりです。

いよいよ浄瑠璃寺を拝見です。

つづく

参照資料
1) 当尾の石仏   :「木津川市観光ガイド」
2) 詩歌集 溺れ螢   書籍詳細情報 :「文芸社」
3) 泉涙暮-木津川市加茂町-   :「近畿風雲抄」

【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺
当尾磨崖仏文化財環境保全地区   :ウィキペディア
当尾石仏の里ウォーキング   ひと足のばしてもっと京都新発見
浄瑠璃寺・岩船寺石仏コース てくてくまつぷ  約9km pdfファイル   近鉄 
里の野草たち (2)  :「当尾(とうの)からの風の便り」
総本宮 京都 愛宕神社   ホームページ

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Last updated  2017.06.10 21:18:27
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