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5日前に行ったときと顔つきが変わっている。ものすごく変化が早いです。
一応は、簡単なコミュニケーションは取れましたが、次回行ったとしても、
もう何も話せないと思います。
だから、これで最後になってしまった、ということ。
私がアフリカ出張する前にすべて終わると思います。
時間が怖いです。こんなにあっさりと全てが終わってしまうなんて。
私は23歳で家を出てから、一体、何を見て、何をしてきたのか、全くわかりません。
覚えていない。自分の感情を見ないようにして、フタをして、時間が経つのを拒否していた。
はっと気がついたら、両親ともいなくなっている。
取り残された私。
この先、自分をどうやって片付けていけばいいのかもわからない。
身体という重荷。呼吸が止まるその時までとことん付き合わなければならない。
痛みは存在証明だと、あるyou tuberは話していました。
私が側にいたら、母親はここが痛い、具合が悪いなどといろいろいと訴えが増えるように感じている。
それが、私とのコミュニケーションになるのだから。ある意味では正しいけど。
終活を本格的に始めなければならない。そんなときに大きな借入をするなんてね。
しばらく精神的な危機状態、混乱が続くかもしれません。
父親の時と同じです。
人の一生なんて、瞬きするのと同じ。
京都に帰って、実家の近所をひたすら歩き回ることをまたやりそうです。
自分を確認する作業です。
自分が本当にそこにいたという証拠をひたすら探して歩くという意味。
自分が本当にそこにいたのかど
父親の時もこれをやりまくった。自分がわからなくなりそうで。
私は、本当は自分の故郷を離れるのはタブーだったと思います。
生まれた場所、実家の近くにずっと住んで、その場所で安住して生きて、死ぬべきだった。
そこを離れたとたん、自分が浮遊して、何者かわからなくなる。
私は、そういう保守性をとことん持っています。
過去や伝統、古いものをひたすら守っていく、頑固で強固な保守性を持っています。
京都で死にたいです。自分の故郷だから。
今の職場の定年が65歳。本当は、異動できるならしたい。
でもそのチャンスはないと思いますね、私には。
いま、Aどころではないです。会わないことにしてよかったと思います。
こんな状態で彼に会っても、決して楽しくはないから。
10月ですね。
もう少し彼に対してメリットを与えられる女にならないと、試験勉強くらいで会ってもらえなくなる。
頑張らないとですね。
頑張るといっても、結局は母親が残してくれた土地が大きいんでしょうね。
この土地を将来どうするかも、自分と対話して真剣に考える時がきています。