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約束って何と聞かれると答える人はいるだろう。「破るためにあるもの」でも、私が今まで生きてきてこんな事を提言する人はまずいなかった。「約束は守られるためにあるもの」だったのだ。子供の時だって、約束を破られてその子の名前を紙に書きなぐって「バカ」とか「死ね」とかストレス発散するために書いたりもした。↑(片付けるの忘れて思いっきりその子に見られましたが・・)けど、この「破られるためにあるもの」の考えの人が私の身近にいる。私と約束をしても約束を守られた試しが全くないと言っていい。口からでる出まかせももう聞き飽きた。けど、その約束をしている時の顔はそれはそれは希望や夢を語るように輝いておりついつい、私は信じてしまうのだ。これが私の欠点。自分で発した言葉に責任が持てないってどんなこと?約束する気がないならなぜ、約束するの?私のなかで疑問だらけ。子供の頃書きなぐったことを今となっては書けないので私はとても傷つき、ストレスとなる。そして、ストレス発散をする状態でもないのだ。
2006年03月30日
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ええ、ええ、別に悪気があってやったことじゃないんです。でもね、懺悔します。寝ている私を面白がって起こす旦那・豊に対し日頃のウップンを晴らすが如く寝ている豊の枕の下に手入れてみたり首をさわさわ触ってみたり耳をギョウザにしたりするんです。でも、起きません・・でもね、懺悔します・・それから、昨夜も、窓から外に向かってタバコをふかしている豊のパジャマのズボンに洗濯バサミを挟みました。ええ、ええ、丁度、お尻のアナの辺です。そのまま、座ったらどうなるのかなって。でも、そのままベッドに潜り込んできたので運良く外れてしまったようです・・でもね、懺悔します・・それから、これは私にとっても衝撃的で 豊の耳にも入れてないことですが、久しぶりに日本から戻ってきた私は歯ブラシ立ての前に横たわっている歯ブラシで洗面台回りをゴシゴシってね磨いたんです。それはそれは長い間の別居だったので汚かったんですよ。だから、ゴシゴシってね。それを洗面台の上に置いておいたら翌朝、使われてました。豊に。ええ、ええ、洗面台をゴシゴシッて磨いた歯ブラシは新しいものだったんです。あまりにも悪いことしたなーって思ったんですがショックから何も言い出せませんでした。ええ、ええ、そのまま放置プレーです。でも、悪い菌でお腹がやられたってことはないです。逆に、それを使って以来、オヤジ臭さが漂ってきます。歯ブラシ立てに立てておかないからこんなことに!!!ってこっちが逆ギレしたくなりますがでもね、懺悔します・・
2006年03月28日
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昔からとっても気になっている家がある。家というのかなんというのかとにかく気になる家庭があるのだ。香港のマンションの1階(香港では地下=ground floor)には食堂があったり店が並んでいたりするのが一般だがその地上1階に住んでいる父子がいるのだ。家といえるほどのスペースもなく日本で言えば畳2畳か、3畳ほどの広さのスペースにシャワー室、家具などが置いてありそのスペースには収まりきらない勉強机が365日、歩道の方へと出してある。シャワー室と言ってもアコーディオンカーテンで仕切られているだけなのだがトイレがそこにあるのかは定かではない。←(ないと思うほどの狭さなのでないと思う)そして、シャワー室の棚には炊飯器や鍋などが置いてあるのが通りから見え、違和感のある空間になっている。そして、父親は何の仕事をしているのか昼間から歩道に出してある机に向かってのんびり過ごしているのだ。息子はもう二十歳くらいだがどこで作っているのか父親が作った夕飯を夜遅くに外に出された勉強机で父子共に食事しているのをよく見かける。そして、寝る場所はシャワー室の向かいに棚なんぞ作って寝返りもうてない状態で父子並んで寝ていると睨んでいる。←(シャワー室しか見えない為、推測)あまりにも不思議すぎてまじまじと覗き込めないのが残念だがこういう生活に満足しているようでもあり私には理解できない。もし、息子がお嫁さんをもらって実家に遊びに行くとなったら歩道の上に置かれた机に粗茶なんぞだされて一家団欒が丸見えになってしまう。でも、この息子が逆に「年頃の娘」でなくてよかったと思うのは私だけだろうか。仮に、お嫁にくださいと彼氏が娘の父親に結婚のお許しをもらう為に人に家のベッドの上にちょこんと正座をし頭を下げている姿を想像すると父親に夜のお勤めをお願いしている青二才に思えとても可笑しいと思うのだ。
2006年03月26日
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旦那・豊の父親、時々登場してくるパパさんだが15日に香港にやってきた。今日、パパさんがシンセンやタイに行っていたこともあり久しぶりに一緒に食事をしたのだがとってもすごい人だったってことを改めて思い知らされたのだ。パパさんが子供の頃、李登輝の生家が隣だったことはもとより(*参照「ご先祖の話。」)丘永漢の小説の主人公に出てきたのはもとより(*参照「豊チャンのパパその2」)香港財閥で有名なリーカーシンと喧嘩したり台湾財閥の有名な台湾プラスチックの総裁や日清食品の安藤(呉)さんや他沢山の財閥、それに、それに、新たに今日知ったのはあの「小林よしのり」の『台湾論』に出てきた許さん(バイオリンを小林よりのりの前で弾いた人)とも知り合いだったのだ!!!!この、小林よりのりに出てきたあのバーコード頭の許さんがパパさんの知り合いだったとはびっくり!!!ええ、ええ、読みましたとも見ましたとも。とても優しそうなお顔をしてバイオリンを弾いていたあのおじちゃんを。←(恐れ多くておっさんと呼べない私)こんなに財閥との関わりあったパパさん。今や数ドルの安物を買い物を好きで買いあさっているパパさんだがこんな人達と繋がりがあったとは~~~~~!!!!うう~~、ちょっとなりともこの財閥の方々と会ってみたい。そして、旦那の将来に影響したら。きゃ~~~~~!!! ←(一人で盛り上がっている図)でも、いざ、このすごい人達を目の前にしたら学芸会のステージ端の「木」のように存在感全くなしの私になるんでしょうなぁ。いやー、でもパパさんの話しを聞けば聞くほどパパさんとお近づきになるのも恐縮しちゃいそうになる私だがパパさんの要らぬ買い物に「NO!!」と勇気を出して言わないと物は増え続けるちゃうのだ。そして、パパさんの今や素朴な生活にありがたくもあり、悲しくもありなのだ。
2006年03月23日
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色々とコメントを下さった方々温かいお言葉に感謝します!ありがとうございました!わたくし、復活しました!ここずっと外に出れなくて家の中に閉じこもっておりました。そうしたら、この1週間のうちに家の前に信号が取り付けられていた!なんとも竜宮城へ向かう途中、亀の背中から逃げ帰ってきた溺れかけのカナヅチ浦島太郎が生還した感じのようです。そして、「飢えさせた事はないだろっ!」の旦那の言葉にだったらってんで私はプチ断食を実行しベッドの上でフニャフニャになってガンジー気取りをしておりました。水分取るのを忘れ膀胱炎気味。なんともまぬけなわたくしでございます。しかし!こんな私に救いの手紙が!chunharuさんからでした。「bebeさ~ん、遊びましょ~」とのお誘いと共に「無理はしないでいいですから」との温かい言葉に『てやんでいっ!こうなったら旦那を見捨てるつもりで思いっきり楽しんでやろうじゃないかっ!てやんでい!』と江戸っ子でもない私は滴る鼻水をすすりあげ勇気を振り絞ってchunharuさんと遊ぶためにシンセンへと足を運んで参ったわけです。久しぶりの海鮮料理。美味しかった~♪楽しいひと時を過ごせ、へなちょこガンジーbebe復活できました!!!でも、雨宿りついでにやったアートネイルが最悪で手をグーにして帰って来ました。ハル嬢のネイルを担当した人はとっても素敵に仕上げていました!!!その人でさえも私のネイルに同情を・・・だったら、鍛えてやってください・・・ーー;
2006年03月22日
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時々ヤツは来る。考えないように考えないようにしていると何かの拍子でヤツがやってくる。そうすると、全てが嫌になり涙が取り留めなく出てくるのだ。何にしがみついているのかどうしてこんなのにしがみついているのか自分でもわからない。いっその事全てを捨てて一からやり直したくなる。何もかも中途半端で何もかもが気に入らない。そして、昔感じた「うそつきは嫌い」にぶち当たるのだ。甘い言葉についついつられてここまできたけど何も手にしたものはない。積み重なれた本を見るとこの窓から全て投げ捨ててしまいたくなる。私の物を窓から捨ててもほんのわずかしかない私の所有物。私がここにいる存在が希薄を意味しているかのよう。葬ったはずのヤツが突然とやってくるのは考えてしまうから。考えないように気をつけていたのに状況からそうなってしまった。何もかも捨ててしまいたくなるこの衝動に実行したくなってしまう。ヤツはまた来る。そして、まだ、私の中にいる。癒されたことのないここで癒されることなく冷たい空間にタダ一人開放されたいと願うばかりなのだ。
2006年03月20日
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私が香港を知ったのは中学の頃見たジャッキー・チェンの映画からだった。無知な私は香港では男女問わず誰でもカンフーが出来ると思っていたし街の喧嘩はカンフー対決がお決まりとも思っていた。↑(ジャッキーはおばさん相手にカンフーをしていた)そして、ジャッキー・チェンの魅力に取り付かれては肉まんの皮を剥いで食べてみたり ←(チンすると皮が固くなる)カンフーを見よう見まねで練習してみたり ←(クネクネしてただけ)口の回りを油だらけにして食べてみたいと憧れたり ←(太っただけ)クルミを指2本で割って見せようとしてみたり ←(割れるはずがない)バクテンで起き上がりの練習をしてみたり ←(起き上がれるわけがない)中腰の姿勢を保ってみたり ←(1分たりとも持たない)腕立て伏せ体勢で掌と手の甲をひっくり返してみたり ←(痛くて出来ない)時には「空手キッド」のように円を描いて両手を回してみたりそして、極めつけは兄となんちゃってカンフー対決をして両腕に青あざができそうになったことだってある。どうしてこんなこと書いたかというと獅子舞を見てから無償にジャッキー・チェンの映画が見たくなり見始めた。すると、自分が如何にジャッキーの虜だったか映画のワンシーン、ワンシーンを見てこんな事をしていた自分を思い出しちゃったのだ。だが、この年になっても一つだけ健在しいていたことがあった!それは酔拳!!!旦那と街を歩いていると酔っ払っている所為か時々旦那が酔拳で人に攻撃してくる。そして、旦那に今度はお前がやってみろと言われると有無言わぬとも私は昔、とてつもなく憧れた酔拳の杯を持つ手を作り身体をのけ反らせて足をヨタヨタさせるのだ。↑(やはり酔っているからできるのだ)そして、旦那に見せ付けるかのようにいかに、私の酔拳がより酔拳らしく、より、形がサマになっているかそして、極めつけに先ほどお見舞いされた仕返しをするために身体をのけ反らせ、足をヨロヨロさせながら酔拳をしながら旦那に近づいて行くと旦那は思いっきり他人の振りをして、一人クネクネしている私がいるのだ。↑(それが旦那の狙いだったりする)こうしてアホ夫婦でいられるのも昔、ジャッキーチェンに憧れて自分を鍛えあげて(?)酔拳のまね事をしていたからに違いない。
2006年03月18日
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昨夜突然メールで「遊びましょっ♪」とchunharuさんより連絡があり今日ハル嬢と遊んできました♪すっとぼけ旦那の強引な願いでハル嬢にシンセンの免税店でウイスキーを買ってきてもらいました!(重いのに本当に申しありませんでした。ハル嬢m(__)m)そして、そして香港に来て6年は経とうとしてるのにお洒落なバーが立ち並ぶ週末ともなると白人で溢れかえる蘭桂坊(ランカイフォン)を利用したことのない私はドサクサに紛れてハル嬢とランカイフォンでランチしてきましたよ!なかなか良かった!(写真アップはハル嬢におまかせ♪)今度は夜に出没したくなりました。いつか、いつか夜に出没してみましょうね~~♪ハル嬢!え?今度はHDL?旦那は嫌だそうです・・・--;←(やっぱり・・)あ、その前にシンセンですね!?(笑)
2006年03月16日
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隣町の街市でおまけしてくれるおばちゃんの店に昨日寄ってみた。(*参照「香港人とのコミュニケーション・得したね(?)の巻き」来てもおばちゃんがいなかったり日本にも帰っていた事もあり会うのももう何ヶ月ぶりだ。「はろ~♪」と意気揚々とおばちゃんに挨拶すると私だとわかったら一気に目が輝いた!アスパラを選んでいると「ちょっと待って!」っていつもの様に後ろの方から新しいのを出してきてくれた。私がおばちゃんの店に来る前に今しがた違う店で買ったブロッコリーを見て「うちにもブロッコリーあったのに!!駄目だよー。幾ら?2つで四ドル?いいかい?今度来る時は私が居る時に来るとおまけしてあげるから!私が居る時に来るんだよ!」←(全て私の中での勝手な解釈)↑(声の音量と同じく文字も大)と、アスパラの他に違う野菜も一緒に袋に詰めてくれたのだ。↑(これで1品料理が出来た)ここの店は3人でやっているのだがおばちゃんが居ない時に買うと「ジャパン!」と呼んでくれるがおまけはしてくれない。久しぶりに来たのに相変わらずおまけしてくれるおばちゃんにお節介を焼いてくれる母親的な温かさを感じた。私のテレパシーで感じ取ったあったかいおばちゃんの言葉に何かお返しをしてあげたいが何をあげたらいいのか全く検討がつかないのだった。
2006年03月14日
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この間、旦那・豊がビールを買ったついでにハイネケンのライターを買ってきた。そして、豊が私に提案をしてきたことは「いいか、これ(ライター)をだな、シャムスイポーでこう、ちょこんと置いておくだろ?」うん!(・∀・)「すると、客が『いくら?』って聞いてくるからそれに対して、お前は『2,000HKD』って答えるんだぞ!」はぁ?なんでライターが2,000ドルもするんだっ!?(・д・;)「いや、これ(ライター)を売る振りをしてお前の体を売るんだ。これだったら捕まる事はない」お、お前ってやつぁーーーーーーー!!!!!妻を犯罪者にする気かよ!!!!!冗談でも言っていいことと悪い事があるぞーーーー!!!こんにゃろっなめんなよっ!(-_-メ)凸バキッ!!!!!!←(何の音?)ズズッズズッズズッ・・・
2006年03月13日
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今日は地元のお祭りに行ってきました♪一番見たかったのはなんと言っても獅子舞!18獅の登場!竹によじ登ったりポーズをきめてみたり大忙しの彼らです。鉄柱に上るのは中堅の青年達。力強く舞う獅子になれるよう中学の頃から入団します。獅子は縁起物のレタスを口に運びます。獅子舞って直径25cmほど(憶測)の足場に軽やかに着地してますが一歩間違えれば大惨事になりかねません。だから、前後2人の息がピッタリ揃わないとこういう技も出来ないのです。後ろの人は前の人を腕と首で支えるので後ろの人の首は太かったりします。中国では獅子舞の大会があるらしく今では女の子の獅子舞もあるようです。芸能人も来てたらしいですが誰でしょう?獅子舞が見れて満足、満足。獅子舞を見ているとジャッキー・チェンの「ヤングマスター」を思い出してしまうのは私だけでしょうか。う~ん、映画が見たくなってきたぞ!
2006年03月12日
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香港に来て驚いたのは香港の中年女性が若い子と対して変わらない格好をしていることだった。香港女性は「後ろ美人」が多いと言われるように中年女性の後ろ美人も多い。てか、若作りしている中年女性が香港女性の「後ろ美人」の比率を大幅に占めちゃっているのかもしれないが若いと思う後姿を前からみるとおばさんだったりするのだ。これは多分モンコックの花園街とかで学生からおばさんまで買い物してるから20歳近く年が離れていても同じ服を着ちゃったりするのかもしれない。だが、もっとびっくりしたのはデニムのキャップを被りジャラジャラと10cmほどは重なっているブレスレットをつけショッキングピンクのノースリーブを着てデニムのホットパンツを履いた顔もシワシワ足も二の腕もヨレヨレのあれあれ、大丈夫ですか?と手を添えてあげたくなる御歳70はとっくに超えているバカボンのほっぺのような頬紅べったりのおばあさんがこんな感じで着飾っていたことだ。更に、これまたびっくりしたのはシャムスイポーのある通りにこぼれそうなほどの豊かなバストをキャミソールで強調しおへそが見えそうなホットパンツを履いた豊満な体をした70歳近くであろうおばあさんが通りすがる男達に色目を使って立ちん棒をしていたことだ。誰も相手にはしないだろうとは思うのだが体が豊満な故、部屋が真っ暗だったら男もがんばれるのかもしれない?色気むんむん漂わせて若者に負けないほどの格好をするこんな強烈なおばあさんを見ると気持ちはいつまでも23歳よ♪と思っている私も少々反省しなくちゃいけないと思うのだ。
2006年03月11日
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大阪にいた時は週末ともなると仕事帰りのサラリーマンやおっちゃんに混じってオヤジ化していくかわいい乙女チックな私も ←(誰のこと?)旦那・豊と2人して梅田の立ち飲み屋によく行っていたものだ。そのなごりがあってか豊は香港にいても「立ち飲みに行くぞ」という場所はランカイフォンでもなく洒落たバーでもなくセブンイレブンなのだ。私達はセルフサービスでビールとつまみを買い店の奥にあるちょっとしたカウンターでつまみと一緒にビールを飲み礼儀正しくお片づけをしてほろ酔い加減に家路に着くのである。情けな~~~~~~~!
2006年03月10日
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美顔エステコースを申し込んでから毎週月曜日に行っている私だが (*参照「エステ」)あれからまた、えっらい高い基礎化粧品を買わされてしまった。 ←(被害妄想気味?)で、そのおまけで顔のホクロを2つタダで取ってあげるってことで月曜日にホクロにレーザーを当ててもらったのだけど痛かった!!やる前にエステシャンが「好痛だから痛かったらストップって言ってね!」って言うから益々怖くなったじゃんかー!で、今生の別れのように一呼吸して気合を入れて覚悟をきめた。何気に怖いので臆病者の私は目をつむってまぶたをプルプル言わせていたのだがそれはそれは1秒何百回の速さで針が刺さるような痛みにまるでタトゥーを入れている感じのようなのだ。(ってタトゥーやったことありませんが・・)そして、しばらくレーザーを当てていると段々感覚が慣れてきて ←(鈍くなってきたとも言う)1秒何百回の針が刺さる感じの痛みも痛みとしてなくなってくる。なので、私は堪忍したまな板の上の鯉のようにどうにでもさばいちゃって下さいって感じでぽけ~~と目を半開きにしていたらエステシャンのおねーちゃんは「ストップ!」と一度も叫ばない私が本当にまな板の上の鯉のように逝ってしまったんじゃないかとレーザーを当てているその手を止め何度も私の顔を覗き込んできた。ん?死んだ人いるのか?ま、それはないと思うがレーザーを当てればホクロが「ぽろっ」と取れるかと思いきや1週間くらいで取れるとの事。やったばかりの時は焼いたホクロは少し盛り上がった感じになってたけどサンプルでもらったパックの所為か肌を再生しちゃったようでホクロが取れる兆候もなくなってしまった。まあ、まだ3日間あるけど取れるのかな・・・
2006年03月09日
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私が住んでいる所はおんぼろビルなので取り壊されるのをいつか、いつかと心待ちにしている。そうすれば、政府からお金はもらえるしもしかしたら高級マンションに住めるかも知れないからだ。それに近所一帯のビルは外壁を塗りなおして外観を綺麗に見せかけているのに対し家のビルは未だに塗りなおさないのでもしかしたら、取り壊しの方向性が近づいているかもしれないと思うとロケット花火で飛んでしまいたくなるほどうれしい。もし、塗り直しの話しが出たら「売り」だ。こんな株の売買みたいな睨みをきかしている私だが住んでいる所はそれほどおんぼろビルなのでこのビルに住んでいる家庭で都市ガスをひいている家はないと思う。なのでガス屋に頼んでプロパンガスを運んできてもらうのだ。今日も旦那・豊の為に豊の好きなクレソンスープを作っていたらガスが終わった。以前の私だったらガス一つ頼むのにもパパさんや会社にいる豊に電話しガス屋に頼んでもらうのだが最近の私は開き直りで自分で電話をしている。なぜ、自分で電話するようになったかと言うと伝票の所に「(日)」と書いてあるからだ。これはきっと「日本人」の「日」なんだと思うのだが一度だけどうしようもなく顧客番号が書いてあるカードを持参して自ら店に行ってから「日」と記されたのだ。そして、今日も電話口で『顧客番号は5981です。ガスお願いします』と、気の利いたことは言えずにthis is pen.のように「ワタシハ、5981デス」と言うと相手は端末を叩いて顧客番号から住所を割り出して届けてくれる。そして、いつもなら165ドルとか175ドルとか相場の高騰で日々高くなって来たが今日は191ドル。一気に値上がった気がして日本人だからぼったくられてるのか?と少々不安になるのだった。
2006年03月07日
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街を歩いていたら通りで変なものに出くわしました。とても怪しげ!!!なんだろなんて思って調べてみたら今日は人を呪う日なのだとか。(※追記―邪魔者を打つってことでした)「打小人」と言うらしいです。紙に何かを記入してスリッパでベコベコ叩いています。そして、それに火をつけて燃やしていました。紙でできた小さいトラの上にモチが乗っかっていると思いきやブタの皮だった!!!新聞紙をペタペタ貼って作ったようなヘンテコ顔のお手製トラの口に←(写真奥)小さいトラの背にブタの皮を乗っけて放り込んでいました。これで人を呪ったことになるのぉ?明日のニュースで沢山の人が災害にあったら効果があるってことでしょうか。しかし、人目も気にせず堂々とこんなことができますね。粟を振りまく儀式をみてここで呪ってる人達が魔女に見えたのでありました。自分の名前見つけたら怖いし!!!
2006年03月06日
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日本人が車をバックで駐車する時運転手の他に誰かが乗っているといち早く車から降りて車の誘導をするときがある。一般的には「オーライ、オーライ、はい、スト~~~ップ」とかストップさせる時には車体をトンッと叩いて運転手に知らせるのだがここ、香港では車体を力強くリズミカルにドドンッドドンッ叩いてバックオーライを知らせるのだ。そして、ストップを知らせる時は大きい声をだしていたり車体を叩くのを止めたりしている。なんか途中放棄しているような誘導の仕方に思えるのだがそんな光景を見るとやっぱりここは日本じゃないんだと感じるのだ。
2006年03月05日
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いやー、昨日はホトホト飲みすぎた。旦那の元会社の人と旦那といつもの場所、ヤウマウテイの屋台で飲んだのだ。家に着き水分補給に水をたらふく飲んで横になったのだがなんでか意味もなく無性に泣きたくなり私はわんわん泣き出した。そんな私にびっくりしてか旦那は私を笑わせようと必死だったがそれが更に追い討ちをかけるように私は声をあげて更に泣き続けていた。私、なんで泣いているの?自分自身にツッコミしたくなるほど自分でもどうして泣いているのか判らなくてどうして悲しいのかも判らない。酔っている所為にしたらどんなに楽なことかもしれないが私は泣き上戸なんてしたことないんだぞ?まあ、その日の飲み方も異常で「乾杯(かんぷい)」をする度に杯を空けるので私達は意味もなく一気飲みをしていたのだった。その所為か「奥さん、オカシイヨー!!!」と言われるほど私はかなり酔っ払って不可解な行動をしていたらしい。てか、その人は旦那との乾杯で一気、私との乾杯で一気をしていたので「イチマイデ2倍!2倍!」じゃなくて一人で2倍飲んでいたことになる。そんなことよりもビエンビエン泣きながら自分自身の分析にむかった。そして、あることに辿りついたのだ。←(なんか格好つけの私)さっきから幾度となくリピートされているPCから流れる曲に視点を置いてみると24時間テレビでお馴染みの「サライ」が流れていたのだ。夢のために故郷を捨ててしかし離れれば離れるほど思いは募るだけど夢を手にしていつか故郷に帰る愛の故郷にきっと帰るからと言った内容の歌にどんな歌詞かも全く皆無だった私の心に無意識の内に響いていたのだ。解明できてからというものの←(シャーロックホームズな私)私は母に無性に甘えたくなり「おかーたん。おかーたん。」と泣き叫ぶなっちゃんになってしまった。←(姪っ子です・・)そして、とりあえず旦那の胸を借り←(とりあえず?)涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を旦那の胸に押し付け鼻水をお見舞いしてやったのだ。甘えたさからでた行動だ。それでも満足できない私は座っている旦那のひざに子供の様に座り甘え続けた。もしかして、これってホームシック?そんなことを思いながらサライが流れている間中私は近所迷惑も考えずに深夜2時間ほど泣き続けサライを止めたと同時に就寝した私なのであった。旦那、ありがとう。
2006年03月04日
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パパさんの友達にT氏と言う人がいる。彼は日本人で、香港に暮らし始めてかれこれ20年は経っている。T氏は内臓の殆どを摘出しており医者がびっくらするほど生き延びて医者にしても人体標本に近い存在らしい。いつ死んでもおかしくないT氏との連絡が疎かになるとパパさんは「Tは死んだかもしれない」と勝手に殺してしまうほどだ。そして、2度の離婚をするほど酒乱らしく今は独り身、老人ホームに母を一人日本に残し働くこともなく香港で釣りを趣味に生活をしているのだ。そして、T氏に会うと若い(?)女の私がいる前でもタイへ遊びに行った話しやバイアグラを買いにシンセンに行かなくてはいけないという話しを恥ずかしくもなくしている。日々ブラブラしているT氏から昨日電話があり世間話からビルマ語を勉強し始めたと聞いた。プー太郎とはこの人の為にあるような言葉でかなりドン引きをしてしまう破廉恥なT氏だがT氏にも昔も今も夢がありそして、ある話しを聞いた時点からT氏に対する見方が変わった。T氏の父親はT氏が1歳の時にビルマで戦死した。T氏が成人してからも渡航に規制があり念願だった自分の父親が戦死した土地、ビルマに行く為だけに当時、渡航が許されていた新聞カメラマンになったという。当たり前だが、父親の記憶もない、もしかしたら一度も父親に抱かれたこともないのかもしれない。そんな父親に憧れビルマ語を習ってビルマを訪れることで会ったこともない父親の更なるぬくもりを再び感じたいのかもしれない。この話しを聞いてから男T氏!とは思いつつそして、父親と言う存在を羨望する「さとうきび畑」を思い出した。さとうきび畑(作詞/作曲:寺島尚彦)ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑はざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ今日も 見わたすかぎりに 緑の波が うねる夏の ひざしの中でざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑はざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけむかし 海の向こうから いくさが やってきた夏の ひざしの中でざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑はざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけあの日 鉄の雨にうたれ 父は 死んでいった夏の ひざしの中でざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑はざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけそして 私の生れた日に いくさの 終わりがきた夏の ひざしの中でざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑はざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ風の音に とぎれて消える 母の 子守の歌夏の ひざしの中でざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑はざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ知らないはずの 父の手に だかれた夢を 見た夏の ひざしの中でざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑はざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ父の声を 探しながら たどる 畑の道夏の ひざしの中でざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑はざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけお父さんと 呼んでみたい お父さん どこにいるのこのまま 緑の波に おぼれてしまいそう夏の ひざしの中でざわわ ざわわ ざわわ けれど さとうきび畑はざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ今日も 見わたすかぎりに 緑の波が うねる夏の ひざしの中でざわわ ざわわ ざわわ 忘れられない 悲しみがざわわ ざわわ ざわわ 波のように 押し寄せる風よ 悲しみの歌を 海に返してほしい夏の ひざしの中でざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑はざわわ ざわわ ざわわ この悲しみは 消えない
2006年03月02日
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