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全豪オープンで錦織選手がベスト8に入った。25日、やっとNHKが重い腰を上げてマレー戦を生放送してくれた(できたらツォンガ戦から放送してほしかった・・・)。負けてしまったけれど、これからの錦織選手がとても楽しみだ。 2回戦では2セット先取された後、3セット連取して逆転勝ち。その時の気持ちを「1ポイント、1ポイント返していこうと思った」と話していた。似たようなコメントを野球の勝利投手のインタビューで聞くことがある。「この1球、この1球と思って投げました」と。あれこれ考えずに、今目の前にある1ポイント、1球、1歩、この一瞬のことだけを考える。0から1つ1つ積み上げていくことを覚悟する。大舞台の追い詰められた苦しい時に、そう思えることがすごいなあと思う。複雑な状況の時こそ、原点に立ち返る気持ちが必要なのかもしれない。大きな業績も記録も、結局は「1歩・1歩」の積み重ねだから。
2012.01.28
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受験シーズン真っただ中だ。受験のニュースを見ると自分の子ども達の時のことを思い出す。 ○みかんを食べさせてビタミンCを補給し風邪を予防。○お腹をこわす恐れのある牡蠣や青魚を敬遠。○試験の時間を考えて早寝早起きを促す。親にできることはほとんどない。親が神経質になるのは本人たちにとって重荷だと思ったので、できるだけ親は親のするべきこと(仕事や家事)に集中しようと思った。そう思ったのは私の受験経験があったからだ。私の祖父は封建的な所のある人で、私が大学を受験することに反対だった。「女に学問はいらない」なんてことを平気で言っていた。当時我が家で祖父の発言は絶対だったけれど、この時ばかりは祖父と気まずくなっても、両親は私に受験の機会を与えてくれた。ただし国公立一本。浪人なし。家では、「大学を受験する?そう、わかった」というあっさりした雰囲気だった。実はその雰囲気がとてもありがたかった。私の受験とは関係なく、家族はいつもの生活をいつものように送っていた。私はといえば、部活もギリギリまで続けていたし家での手伝いもいつも通りしていた。自分が受けたくて試験を受ける。誰かを喜ばせるためではなく、自分の為に勉強する。だから受験勉強が楽しかった。周りの期待を一身に背負う受験勉強だったら、きっとそうはいかなかっただろうと思う。人って不思議だ。多少の困難や障害がある方がやる気になる。祖父の反対も、限られた時間をやり繰りすることも、今思うと返ってやる気の素になっていた。「勉強さえしていればいい」「他のことは何もしなくていい」という状態に追い込まれる方がつらいだろうと思う。
2012.01.21
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子どもは純真で無邪気だ。でもそこが怖い所でもある。純真で無邪気なのは「心が清らかであること」と「世の中のことを知らず自分中心であること」の両方からきているからだ。 子どもの無邪気さは時にとても残酷だ。大人なら相手の気持ちを思って絶対に口にしないようなことを、平気で口にする。火傷の傷跡が残る人とすれ違って「あの人の顔変だよ!」などと大きな声で言ったりする。以前公園で虫の足を面白がって引きちぎっている子どもを見かけてぎょっとしたこともあった。私自身も子どもの頃、心ない発言をして父に諭されたことがあった(父に叱られたこと2)。その場ですぐに教えてもらえたことを今はとても感謝している。誰も教えないのに、子どもが自然に世の中のことを知り、「思いやる心」を身につけていく訳ではない。何も知らない子どもに世の中のことを教え、相手を(人だけでなく動植物や物を)思いやる心、相手の立場に立って考える心を教えるのは、親や周りの大人の言葉や態度だと思う。食べ物を与えていれば子どもの身体は大きくなる。でもそれと同じように子どもに「心」を伝えていかないと、身体は大人になれても、心は自己中心的で無知な子どものままなのだと思う。時々、まるで腫れものに触るように、自分の子どもに遠慮して、伝えるべきことを伝えない親を見かける。子どもの気持ちを尊重することと、子どものすることを何でも容認することとは全く別のことだ。「叱る」というのではなく、子どもに「伝える」「教え諭す」ことがとても大切だと思う。そしてそうやって子どもの心を育てながら、親の心もまた一緒に育っていくのだと思う。
2012.01.14
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子どもの頃、元旦は祖父の家に子や孫が集まり、飲んだり食べたりして過ごすのが常だった。祖父夫婦を含め8世帯が集まるのでいつもとても賑やかだ。ある年の元旦、父の妹が「数の子をたくさん頂いた」と数の子料理をたくさん持ってきてくれた。私は数の子のプチプチした食感が大好き。普段食べられない贅沢品とあって、調子に乗って食べたいだけ食べてしまった。そして元旦早々お腹を壊してしまった。他の孫たちが遊んでいるのを恨めしく思って横目で見ながら、一人こたつに寝そべってぐったりしていた。そんな私を見ながら父と叔父が「人は好きなこと、得意なことで失敗するものだなあ」と話を始めた。人は好きな物を食べすぎて身体を壊す。好きなスポーツをし過ぎて身体を痛める。好きなことにのめりこみ過ぎて人間関係を壊す。「話をするのが得意だ」という人ほど話が長くなって、聞く人に嫌がられる。嫌いなこと、苦手なことで失敗するよりも、好きなこと、得意なことで失敗することの方が多いのではないか、と話していた。話のタネにされながら、「そうか・・・好きなことをする時も気をつけないといけないんだなあ」と反省したのを覚えている。数の子を食べると思い出す子どもの頃のほろ苦い思い出だ(笑)。
2012.01.07
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