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娘が中学生の時、何かに腹を立てて「むかつく」という言葉を口にした。当時この「むかつく」は子どもたちの間で頻繁に使われていたけれど、娘の口からこの言葉を聞いた時、とてもとても嫌な気持ちがした。 それで娘を呼びとめて「"むかつく"が元々どういう意味だか知っているの?"胃がむかむかする""吐き気がする"っていう意味だよ。"吐き気がするほど腹が立つ"っていう意味だよ。あなたは今吐き気がするほど腹が立っているの?と詰問したので娘はぎょっとしたような顔をした。そして娘に、その言葉を聞いてとても嫌な気持ちがしたと伝えた。私のあまりの剣幕に娘は「みんなが言っているので軽い気持ちで言った」「そんなに深く考えていなかった」と謝った。教師を続けている友人はよく「子どもたちが実に簡単に"うざい""うるせえ""きもい"などの暴言を大人に対して吐くので感覚がマヒしてくる」と嘆いていた。しかも子どもに暴言を吐かれてもへらへら笑っている親、親自身が同じように子どもに暴言を吐いている親もいると言う。それではその子はいつまでもその暴言を改めないだろう。どんなに周りのみんなが使っていても、「その言葉は人を傷つける言葉だ」と親はきちんと教えなければならない。そうしなければその子は「常に言葉で他人を傷つけ続ける人」になってしまう。それがその子の人生にどんなにマイナスになるかは明らかだ。
2013.04.19
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野球好きの私にとってWBCのテレビ観戦は実に楽しかった。ハラハラドキドキの一次予選。稀に見る名勝負となった台湾戦。プエルトリコ戦は残念だったけれど、日本代表はよく頑張ったと思う。 でも私の心の中に残るのは目に涙をためた内川選手の辛い表情だ。8回の攻撃で2塁ランナーとのタイミングが合わず、アウトになってしまったプレー。「非常に高度な作戦で、誰のことも責められない」と専門家はコメントしている。でも内川選手は自分を責めていた。「内川選手は何かあるたびに、あの瞬間を思い出すのかな・・・」そう思うとなんだかとてもかわいそうに思った。でも、考えてみればスポーツ選手はこういうことを何度も何度も経験する。どんなスター選手でも。スポーツの世界は厳しい。勝者は1チーム(1人)だけ、それ以外の全てのチームは敗者になる。しかもどんな選手もいつか必ず体力のピークを過ぎて、悔しい扱いを受ける時が来る。楽しいことよりも辛いことの方が多いかもしれない。「何度でも立ち上がる強さ」「打たれ強さ」がなければスポーツ選手なんて続けられないなあ、とつくづく思う。世の中も納得のいかないことや理不尽なことで怒鳴られたり叱られたりすることが多い。不当な要求をしてくるクライアントやお客だっている。どんなに一所懸命努力しても上手くいかない時もある。でもそういうことに簡単にめげてやる気を失っていては、何かを成し遂げることはできない。スポーツ選手ほどではなくても、その「打たれ強さ」「折れない心」を子どもの心の中に育てたい。おそらくどんな力よりも子どもを支えてくれるだろう。シーズンが始まったら、また内川選手持ち前の、闘志むき出しのプレーを見たい。
2013.03.19
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夫は犬だと思えばいいというタイトルにはギョッとするけれど、テレビ番組で著者の話を聞いていたので本の内容は大体分かっていた。夫だけでなく、妻も○○だと思えばいい-○○の中は好きな動物を入れてください(笑)-と書かれてある。そもそも男と女は全く別の種類、「伴侶を完全に理解すること」「伴侶に完全に理解してもらうこと」は無理なことなのだと書いている。私も結婚生活が25年を越え、著者の書いていることがとても良く分かる。夫に分かってもらえないことに腹を立てたりあきらめたりしてきた。根っこに「当然理解してもらえるもの」という気持ちがあったからだと思う。期待し過ぎて失望して、そのうち「もうあなたなんかあてにしない」とシャットアウトしてしまう。この○か×か、黒か白か、という極端な態度に陥ることの怖さを感じた。自分の家庭を含め周りを見ていて思うのは、夫婦の関係で完全に満足しているご家庭はまずないということだ。みんなそれぞれに、お互いに、何かを我慢し何かをあきらめている。大事なことは「期待し過ぎない」けれども「あきらめてしまわない」・・・そのあいまいさを受け入れて、それでも心を寄せ合う努力をすることだと思う。夫婦が違うからこそ、家庭に起こる様々なことに異なる視点で対応することができるとも言える。子どもと密着し過ぎる母親、家庭で存在感の薄い父親。今起きている問題の背後にはそんな家庭の姿が透けて見える。「私のことをちっとも分かってくれない」と思った時、「私だって夫のことを分かってはいないのだ」と振り返ることも必要だと反省した。
2013.03.06
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自分の年老いた母親と同じマンションの別の階に住む友人が、暗い顔で私に話してくれた。お母さんは70代後半、特に病気は無く毎日フィットネスクラブに、歌にと人生を楽しんでいるそうだ。友人は仕事や家事の合間をぬって、一日一回30分~1時間程顔を出し、母親の話相手をするそうだ。時には高校生や大学生の孫が顔を出すこともあるという。 話を聞いたらこれ以上ないほど恵まれたお母さんだ。でも友人はお母さんから時々「親孝行が足りない」「感謝が足りない」と叱られるそうだ。私は思わず「お母さん呆けてきているのでは?」と尋ねてしまった。でも呆けているわけではないそうだ。「自分は自分の親にもっと親孝行した」と言われるらしい。今は一日一度話し相手をしに行くのが苦痛で仕方がない、と友人が話していた。「親孝行」とか「感謝」ってとても美しい言葉だ。でもこんな使われ方をしたら、とても醜い言葉になるんだなあ、と思った。「自分の心に感謝の気持ちや親孝行の気持ちを呼び起こすこと」と、「相手にその気持ちを要求すること」は全く違う。美しい言葉が相手を責める道具になってしまい、とても醜い。そういえば息子の同級生のお母さんが息子さんに「お母さんはこれだけあなたのためにしてあげてきたのに」と言うのを聞いたことがあった。人のためを思って行動するのも美しいことだ。けれど、それを恩着せがましく相手につき付けたら、それは息子のためにしてきたのではなく、見返りを期待して自分のためにしてきた行為だとしか思えない。美しい言葉が相手を責める道具にならないように、使い方に気をつけなければいけないと思った。
2013.02.15
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スイス在住資産家夫妻事件の報道を見ていて、お金と幸せの関係についてつくづく考えさせられる。 ブリンストン大学のダニエル・カーネマン教授は、アメリカ人45万人以上を対象に行った調査から「収入が特定の金額(概ね7万5千ドル)に達するまでは、収入と幸福感は比例するが、その金額を超えると幸福度は平坦になり、それ以上の幸福感は得られない」という結果を得ている。宝くじ当選者の中には不幸になった人も多いし、豊かになった日本で幸福感を得られない日本人も多い。お金と幸せの関係は難しい。「順境は友を作り、逆境は友を試す」と言われる。お金が引き寄せるのは誠実な人よりも、むしろロクでもない人の方が多いということを、肝に銘じておかなければいけない。お金は人生を豊かにするための一つの道具でしかない。でもそのたった一つの道具の扱いは、時に人生そのものを全て台無しにしてしまうほど難しいものなのだと思う。
2013.02.03
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「おバカさんだなあ・・」と思ったけれど、「でも、なんだかこういう人って好きだなあ」とも思ってしまった。公務員ランナー川内選手のことだ。 エジプト国際マラソンに招待されたはいいが、パスポートを忘れて招待機に乗れず、自腹で80万円払って飛行機に乗ったそうだ(後にエジプト大使館の好意で25万円は払い戻されたそうだ。良かったねぇ)。ネットでは「海外に何度も行っているのにお粗末」といった旨の意見もあったけれど、「川内選手の頭の中はきっとレースのことでいっぱいだったのだろうなあ」と私は思った。給水のこと、道の路面のこと、靴のこと、時差ボケへの対応、体調管理。こういうタイプの人を何人か知っている。「研究者」と呼ばれる人たちだ。自分が今研究していることで頭の中はいっぱい。ひとたび何かを考え始めると、ものすごい集中力で他のことは全くお留守になる。中にはガスの火を止めるのを忘れて危うく火事を起こしそうになった人もいた。周りはハラハラドキドキだけれど、ここまで没頭できることがあることが羨ましくもある。人の意向を気にして身動きがとれなくなりがちな日本人の中にあって、こういう人は頼もしいし面白い。人間らしさが微笑ましくもある。エジプト国際マラソンでは優勝したそうだ。お母さんもパスポートを届けた甲斐があったというもの。一度きりの人生、周りを気にしてばかりいてはもったいない。「失敗することなんて怖がるな」自分の子どもたちにも、もっとそう言ってあげればよかったなあ、と今思っている。
2013.01.20
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体罰による高校生の自殺が問題になっている。個人的には体罰を完全否定する気はない。とても稀だけれど「愛のムチ」はあると思う。 でも体罰する側がどんなに「愛のムチだ」と言っても、体罰される側がそう思っていなければ、それはただの暴力でしかないし、どんなに「相手との信頼関係があれば」と言っても、相手が自分を本当に信頼しているかどうかを測る術は無い。多くの先輩教師を見た経験から一つ言えることは、「本当に力のある教師は体罰なんてしない」ということだ。それは教師だけでなく親もそうだと思う。言葉や態度で相手を納得させることができないから手が出るのだ。そしてほとんどの体罰は「怒り」をコントロールできない未熟さの中で行われる。私も子どもの躾と思ってお尻を叩いたことがある。けれどその後には後悔と自己嫌悪だけが残った。「お尻を叩かれたら痛いからしないでおこう」と子どもが思ったとしたら、それでは叱った意味がない。「なぜそれをしてはいけないのか、したら周りにどういう迷惑がかかるのか」を、子どもが理解して初めて叱る意味がある。甘い子育てよりも厳しい子育ての方が良いと私は思う。でも「厳しい子育て=体罰をすること」ではないことは確かだ。「体罰も時には必要」という意識が、安易な体罰を生んでいるのではないかと思う。
2013.01.13
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あけましておめでとうございます良いお正月をお迎えでしょうか。今年もどうぞよろしくお願い致します。私はお正月というと祖父のことを思い出します。子どもの頃毎年祖父の家でお正月をすごしていたからです。祖父は厳しい人でした。今どきの「優しいおじいちゃん」とは違い、おもちゃやお菓子をもらった記憶は全くありません。ただ年に一度だけ、お正月に孫たち全員に同じ額のお年玉をくれたのを覚えています。戦地にいる間に、妻(私の祖母)を病気で亡くし、復員してからばらばらに預けられていた子どもたちを迎えに行き、生活に困窮する中、苦労して子どもたちを育て上げたそうです。そんな祖父の元に、孫たちは入学、卒業、就職、結婚、と何かあるたびに必ず挨拶に行きました。お祝いをくれるわけでも、褒めてくれるわけでもありません。ただその時その時孫たちに言葉をかけてくれました。大学に入った時には「学問を修めることで高飛車で偉そうな女になるな」と。就職した時には「お前の歳で褒めてもらおうと思うな。叱ってくれる人の話を一所懸命に聞きなさい」と。優しい言葉をかける人ではなかったけれど、そういう言葉のひとつひとつを思い出すたびに、厳しい祖父の不器用な愛情を今も感じます。30年も前のことです。言葉ってすごいなあ、と思います。そしてそんな祖父がいなければ(祖父だけではないですが)、今の自分はここにいないんだなあ、と思います。
2013.01.01
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民主党にはうんざりした。でも私は忘れない。 原子力発電の安全神話を提唱し、原子力ムラを強力にサポートしてきたのは自民党。バブルで税収が増えた期間も赤字を解消せず、赤字国債を増やし続けてきたのも自民党。少子高齢化社会がやってくることが分かっていたのに、必要な対応策をとらなかったのも自民党。その三重苦にある民主党にきちんと協力しなかったのも自民党。政治家ひとりひとりの発言・行動を、これからしっかり見ていきたい。
2012.12.19
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先日マンションの理事会の後、管理人さんから理事に質問があった。「今エントランスにA宅急便の伝票を常備していますが、B宅急便からも伝票を置かせてほしいと言われました。どうしますか?」と。 理事一同「伝票が何社分置かれようが構わないし、こういうことは管理人さんの判断で決めてもらって構わない」ということで話は終わった。ところがその後の雑談で、理事の一人が「どんなにB宅急便さんの方が安くても、伝票が置かれていても、私はA宅急便の配達員さんに頼むけどね」と言う。そしたら理事が次々に「私も」「私も」となった。実は私も同じように考えていた。A宅急便の配達員Kさんがとても感じの良い方なのだ。朗らかできびきびしていてやる気がにじみ出ている。そして気配り、心遣いが他の会社の配達員とは違う。念のために書いておくが(笑)特別美男子というわけではない。近所の人の話では、Kさんは以前会社の都合で他の地域の担当に変わったが、この地域の人が会社に頼みこんで、戻してもらったのだそうだ。それが本当の話かどうかは分からないけれど、「やっぱりそうだろうな」と思ってしまうような人なのだ。「単に荷物を配達するだけの配達員」と侮れないなあと思った。配達員という仕事は決して大きな仕事ではないけれど、地域でこんな風に「なくてはならない人」になってしまうこともあるのだと。何よりもKさん自身が小さな仕事だと思わずに、心をこめて一所懸命仕事をしていることが周りには伝わっている。お仕事に大きいも小さいもないんだなあ、と思う。
2012.12.11
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突然の暴風雪で送電線の鉄塔が倒れ、北海道の登別・室蘭一帯が停電した。父の転勤で室蘭に住んでいたことがある上、我が家も震災で電気が3日間止まったので、とても他人事とは思えなかった。3月の仙台も寒かったけれど、映像で見る限り今回停電した地域はもっと寒そうだった。 ガスストーブや灯油ストーブも、電気でファンを回すタイプの暖房器具は停電すると使えないのでご用心。懐中電灯と乾電池式のラジオだけの暗い夜はとても心細いものだ。そんな心細い夜を過ごす登別の女性高齢者二人を、ニュース番組で取材していた。私はてっきりお二人が「とても不便な思いをしている」という旨のコメントをするのだと思っていたら、意外にもお二人の口からは「この寒い中、鉄塔の復旧活動をしてくださっている方に申し訳ない、有難い」という言葉。自分が大変な時は自分のことしか考えられなくなる。こんな時に人を気遣うことのできるご高齢のお二人に頭が下がった。こういう時こそ、その人の本性が垣間見える。私もそういう「底力」のある人になりたい、と思った。
2012.12.02
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政党が離合集散を繰り返している。小さな党が乱立しているから、くっついたり離れたりするのは仕方がないとしても、その離合集散の過程で「その党が誠実な党なのか」「そうでないのか」が見えてきているように思う。その党やその個人がどう動いているのか?損得で動いているのか?理念で動いているのか?その動きに誠実さがあるのか?をしっかり見ようと思う。政党間の約束を簡単に違える政党は、おそらく国民との約束も簡単に違えるだろう。
2012.11.22
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アメリカの大統領選挙がとても面白かった。テレビコマーシャルのネガティブキャンペーンや、選挙にお金がかかりすぎる点は良くないけれど、見ていて少しうらやましかった。 国民の前で候補者は何度も討論をする。政策はもちろん言葉、態度、人柄、全てが国民の目にさらされる。だからメディア戦略の担当者がいて、事細かに助言をするそうだ。候補者が鍛えられてどんどん魅力的になっていくのが見ていて分かった。日本ではそういうチャンスが無い。選挙の時におおざっぱなことを連呼しているだけ。だからちょっと人気者というだけで、選ばれてしまう。きちんと討論する機会があれば、政治家としての力の差をもっと見極められるだろうに・・・「自民党にはうんざり、民主党にはがっかり、第三極は訳が分からない」テレビ番組のインタビューで一般の人がそう答えていた。本当にその通り。民主党での失敗を繰り返したくない。でもどこに入れればいいんだろう?
2012.11.19
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息子の大学受験の年、夏の模試の結果が悪かった。春先に良い判定が出ていたので安心していたのに夏場にがくんと落ちた。本人は頑張っていたけれど、周りもみんな頑張っていたのだと思う。だから秋から冬にかけては気が抜けない状態だった。 幸い希望する大学に合格できたけれど、後で意外な結果を知った。夏の模試で判定の良かった同級生数人が受験に失敗していたのだ。夏場良い判定が出て、知らず知らずのうちに気が緩んでしまったのだろう。後になってみると夏の模試の結果が悪かったのは、追い込みをかける息子にとっては緊張感となり、結果的に幸運だったのかもしれない、と思った。世の中にはそういうことがよくある。県トップの高校に見事入学したけれど、その後成績の良い生徒たちに埋もれ、すっかりやる気を失ってしまった同級生がいる。各中学でトップグループにいた子たちが集まるのだから、当然その中で最下位になる子もいる。今までとったことの無いような順位に大変なショックを受け、勉強へのやる気を失ってしまった。反対に希望していたトップ校に入れなかった悔しさをばねに、2番手の高校で頑張り、最終的に希望する大学に辿りついた子もいる。考えてみればトップ校の一番後ろを走るより、2番手の高校の先頭を走る方が楽しいだろう。その子にとっては第一希望の高校に行けなかったことが幸運だったのかもしれない。世の中はおとぎ話のように「王子様と結婚してめでたし、めでたし」とはいかない。一度良い結果が出ても、人生はその後もずっと続き、当然逆転も起きる。没落の芽は好調時の奢りや昂ぶりから生まれるのだと思う。就任直後に失言をする政治家や液晶で絶大なシェアを誇っていたシャープにも同じものを感じる。「勝って兜の緒を締めよ」「油断大敵」そして「失敗は成功のもと」
2012.11.07
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中国や韓国との関係が難しい。中国国民や韓国国民の行動はとてもヒステリックだ。現地雇用が進む日系企業を攻撃すれば、結局は自分たちの首を絞めることになるだけなのに、と思う。特に中国では体制への批判をかわすために極端な反日教育をしていると聞く。 でも実は私自身は、自分の受けてきた歴史教育に自信が無い。歴史は好きな教科だったので授業は熱心に聞いた方だけれど、日本の近代史を学校でほとんど習わなかった。歴史の授業は4月に縄文時代から始まる。学年末ではせいぜい明治維新あたりまでしか辿りつけない。しかも最後の方は時間が無くなって駆け足の授業だ。縄文時代にあれだけ時間をかけていたのに、今の日本に一番影響のある近代史をほとんど習っていない。そういう状況がずっと放置されてきたのだと思う。この点がドイツと大きく違う点だ。ドイツではなぜ戦争になったのか、どういう経過を辿り、どういう結末になったのか、を他の時代とは別枠でしっかりと検証し教えているそうだ。今ドイツがEUの中でリーダーとして振る舞えるのは、そういう背景があるからだと思う。中国や韓国の人たちが、「日本の若い人たちが歴史について何も知らないことにがっかりする」と話すのを聞いたこともある。日本が「してもいないこと」を「した」とされるのはたまらない。でも「したこと」を「していないこと」にすることはできない。その色分けをする基礎的知識すら自分に無いことを今恥ずかしく思っている。これは長い間日本が蓋をし続けてきたことなのだと思う。中国の極端な反日教育には大いに問題がある。でも歴史をきちんと学ばせていない日本の教育にも大いに問題がある。
2012.10.30
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私を含めて同年代の友人たちはそれぞれ親の老後に直面している。集まるとどうしても親の話になる。加齢のせいだから仕方がないけれど、歳をとるにつれて親の性格が少しずつ変わってしまった。思いやりのあった人が自己中心的になった。気難しくなった。そんな状況は子どもとしてはとても辛い。そして友人たちと、「自分が歳をとった時、どうしたらそうならないでいられるか」という話になる。それで自分の老後の為に、友人たちと話していたことを書き留めておくことにした。歳をとったら自分に言い聞かせようと思う。でももしし認知症になってしまったら、それすらできない。う~ん、困った(苦笑)。でも、親の姿は自分たちの未来の姿。やっぱりできる限りのことをしておこう(笑)。1.歳をとると自分のことしか考えられなくなる。だから自分のことばかり考えることはやめよう。周りの人たちもみんな大変なのだ。そのことに心を向けよう。そして「自分だけが正しい」という思い方にならないように気をつけよう。正しいことは一つではない。2.「○○さん家の息子さんはとても優しい」などと誰かを引き合いに出して、遠まわしに子どもに好意や優しさを要求することはやめよう。寂しさを「お母さんに会いたくないの?」「お母さんが心配じゃないの?」という言葉で子どもに訴えるのはNG。それは遠まわしに子どもを責めていることになる。子どもは返って親に近づきたくなくなる。「お母さん、あなたに会いたいな・・・」という素直な表現の方がずっと子どもに伝わる。3.何歳になっても「自分のことを自分でする」という気持ちを持って暮らそう。歳をとるとつい、人に何かしてもらうことばかり考えるようになる。何歳になっても「自分のことは自分でする」という気持ちで、「人のために何かしてあげること」を考えて暮らそう。---------------------------------------------------------------------------------------------------------もし他に何か良いアドバイスがあったら教えてください。いつもご機嫌良く笑っているおばあちゃんになりたいです。でも、それは結構難しいことなのだと思います。
2012.10.19
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領土問題で追い詰められ、政治で行き詰まり、円高やグローバル化で企業が苦しむ中、飛び込んできた山中教授のノーベル賞受賞のニュース。日本にとってこれほど嬉しいニュースはない。 山中教授のお父さんが東大阪の町工場の経営者だったということにも勇気づけられる。もう一歩頑張ろうという気持ちにさせてくれる。山中教授は、「研究というのはベールを一枚一枚剥がしていくようなもの。どの研究が欠けても完成することはできなかった」と話し、50年前にこの研究の第一歩を刻んだ共同受賞者のジョン・ゴードン博士をはじめとする数々の研究者の功績に感謝した。一方ゴードン博士も「山中さんのお陰で自分も受賞することができた。彼のお陰で人々がこの分野に注目してくれるようになった」と話していた。お互いがお互いに感謝し合う姿がとても美しかった。そしてお二人ともとても自然体だ。世の中でいばっている人というのは、実はたいした人ではない。「本当に素晴らしい人」は謙虚だ。自分の功績がどんなに多くの人に支えられているかを知っているから。周りの人を見下していばる人、「自分はこんなことをした、あんなことをした」と自分の功績を声高に叫ぶ人は、自分を支える多くの人の存在に気付いていない人、物事の見えていない人。いばればいばるほど、見えていないということが浮き彫りになる。山中教授は特許をとるための手続きにも忙しいと聞く。自分が利益を独占するためではない。研究内容を使って儲けようとする団体から研究を守るため、そして多くの研究者が自由に使えるようにするために、特許をとろうとしていると聞く。整形外科の手術が下手で「じゃまなか」と呼ばれた、と自分の挫折を笑って語る。でもその挫折は今回の快挙のために欠くことのできない要素だったのだ。人生とは本当に分からない。「日本にこんな人がいる」と思うだけで、なんだか一日嬉しい気持ちだった。
2012.10.09
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子どもが二人ともお年頃だ。どちらも就職して一人暮らし、仕事を覚えることに一所懸命な毎日だ。 今は色々な生き方ができる時代だから、結婚する・しないは本人の気持ち次第だと思うけれど、親としてはやっぱり子どもに自分の家族を持ってほしい。親は先に死んでしまうから。そしてその時子どもの側に、お互いに支え合う家族がいてほしいと思うから。私がお年頃だった頃、父によく「素晴らしい人と結婚したいと思うなら、自分が素晴らしい人になることを考えろ」と言われた。自分は努力をせずに、素晴らしい相手と結婚して、相手に幸せにしてもらおうとするのは情けない生き方だ。そんな情けない考え方では相手が迷惑だ。まず自分が相手にとって幸いをもたらすような人になる努力をしなさい。自分は心が狭いのに、相手には寛容さを求めたりするのはもっての外だと。そして出会う人との"縁"を大事にしなさい、とも言われた。これだけたくさんの人がいる中で出会うのだ。友としてであれ、恋人としてであれ、その人は縁のある人。だからその縁を粗末に扱ってはいけない、と。「縁を粗末にするな」-それは好きでもないのに遠慮して好意を表しなさいということではない。出会った人に対して正直に、誠実に、真摯な気持ちで接しなさいということだ。その気も無いのに気のあるそぶりをしたり、相手の気持ちを弄んだり、自分の利益だけを考えて相手を利用したり-そんなふうに不誠実な気持ちで人に接していると縁に恵まれなくなると言われた。縁とは不思議なものだ。その日その道を通らなければ出会わなかった人や、その日10分遅かったら出会わなかった人が、かけがえのない人になったりする。そして出会うどの人も、その人の先祖の誰か一人でも早死にしていたら、この世に生まれることのなかった人なのだ。縁を大事にする人は縁に恵まれ、人を大事にする人は人に恵まれる。
2012.10.01
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息子が中学校2年生の時のこと。定例の学年役員会の席で学年主任の先生から「みなさんにちょっとお知らせしておきたいことがある」と言われた。 「監視カメラに映っている万引き犯がお宅の生徒さんのようだ」と学区内のコンビニから通報があり、教師数人でその映像を確認して来たそうだ。映っていたのは2年生で、氏名は明かせないが、ごく普通の、成績も上位に入る子だったという。保護者には知らせるとのことだったが、こういう事件があったということだけは役員にも知らせておきますと言われた。当時その中学は少し荒れていて、問題を起こす子たちは数人いたけれど、万引きをした生徒は感じの良い、ごくごく標準的な生徒だったそうだ。世の中に物があふれている。お店に行けば何でも並んでいる。「一つ位取ったって大したことはない」とか「ちょっとスリルを味わう」という軽い気持ちだったのかもしれない。でもたとえ小さな商品でも、一つの物が店頭に並ぶまでにはたくさんの人の手を経ている。物を盗むということは、そういうたくさんの人の気持ちや努力を踏みにじるということなのだ。ごくごく普通の生徒が万引きするという実態に、みんなショックを受けたのを覚えている。今の子どもたちは物を作る過程を見る機会がとても少ない。特に都会では商品として店頭に並んだ物を見ることしか無い。「一つの商品の背景には色々な人の思いが込められていること」や、「物の大切さ」を教えるのが難しい時代なのだ。勉強は大事だけれど、親には他にも教えなければならないことがたくさんあるのだと思う。
2012.09.21
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パラリンピックを見ていてある同級生のことを思い出した。彼とは中学、高校が同じ学校だった。30年近く前、大学に入ってすぐに彼は交通事故に遭った。学費の足しにと自転車で新聞配達をしている最中の、トラックとの衝突事故だった。 彼は幸い一命をとりとめたが脳に損傷を受け、20歳を前に寝たきりになった。意識はかろうじてあった。けれど起き上がることも言葉を交わすこともできなかった。お見舞いに行った時彼はじっと私たちの顔を見て泣いた。「泣くのが唯一の感情表現なの。きっとあなたたちのことが分かったのね」とお母さんが話してくれた。彼は20年近く寝たきりのままで一生を終えた。亡くなったという連絡を受けた時、「息子を残しては逝けない」と話しておられたご両親のことを思い、切なかった。人間の能力とはなんて儚いものだろう、と思う。たった一つの事故や病気で一瞬にして奪われてしまうものなのだ、と。歩いたり、座ったり、話したり、食べたり・・・そういうごく普通の能力を、自分がずっと持ち続けることのできる能力だと思い込んでいたけれど、本当は一時的に私に預けられているだけで、何かあれば一瞬にして失ってしまうものなのかもしれない。失った能力への思いを断ち切り、自分に残された、今ある能力の全てを結集して闘うパラリンピックの選手たちの姿が美しかった。大切なのはどんな能力があるのか、どんな能力が無いのかということではなくて、今自分にある能力を精一杯使って生きることなんだと思った。
2012.09.14
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私はお世辞にも働き者とは言えない。だから年子の子どもたちに手のかかる間はしんどかった。「ちょっとゆっくりしたい」とよく思っていた。そんな時、全く苦にせずどんどん動く働き者のお母さんたちを見ると「偉いなあ」と思った。ひとつ作業をしたらちょっとお休みしたくなる私とはえらい違いだ。 ところが最近働き者のお母さんも気をつけなければいけないんだ、と思った。働き者のお母さんの子どもが甘えん坊の怠け者になってしまっているケースを見かけるからだ。親が子どものするべきことに手を出し過ぎている。「働き者」という美徳が仇になっているのだ。例えば中学生にもなって、自分の使った食器を自分で洗わず、親が洗うのは過保護だと私は思う(今はどこの家も食器洗浄機を持っているのかな?子どもの為にはない方がいいんだけれど・・・)。どんなに勉強や部活で忙しくても、自分の使った食器位は自分で洗う。家族に養われ、毎日心配することなくご飯を食べ、学校に通わせてもらっている子どもにとって当然のことだと思う。洗ってあげる余裕があっても、子どもの為にあえてしないという選択も必要だ。子育ての最終目標は何だろう。私は「親がいなくても生きていける子にすること」「自分で自分のことを何でもできる子にすること」だと思う。親にとってそれは少し寂しいことだけれど。その目標のためには、「働き者」という美徳を封印しなければならない期間がある。親が手を出す年齢。手は出さず口だけ出す年齢。手も口も出さず見守る年齢。年齢や状況に応じて対応を変えていかないといけない。子育ては結構奥が深い。
2012.09.07
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視点を変えると見え方が変わる。中学生の時地面の蟻を見ていたら、ある先生が私達にこんなことを話してくれた。 『空の高い高い所から見ていたら、人間も蟻のような存在なのかもしれない。もし一匹の蟻が隣の蟻を見て「自分の方が優れている」と得意になったり、「自分の方が劣っている」と悲観したりしているとしたら、なんだか滑稽だね。所詮みんな同じ蟻。優れているも劣っているもない』と。ひとたび雨が降れば蟻は大変だ。どの蟻も必死で逃げ回る。あるいは巣を守る。大雨になれば流されて命を失う蟻もいる。人間だって同じ。災害があれば等しく被害を受ける。生死を分けるのは「運」だけだ。またこんな話をしてくれた人もいた。『人間の身体は常に代謝を繰り返し、数年で全て入れ替わっている。数年前の自分と今の自分は同じように見えるけれど、中身を作っている構成物は全く違うものになっている』と。しかも人間が生きていくためには、身体の中の細菌や微生物の働きが不可欠だという。人間の身体はヒトの細胞と微生物や細菌の共同体。平凡な私の身体の中でもそんなすごいことが起きているんだなあ、と感心してしまう。視点を変えると少し違った世界が見えてくる。
2012.08.31
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学生の頃日本史が好きだった。子どもの頃から父と一緒に時代劇やNHKの大河を観ていた(観せられていた)からだと思う。歴史小説や歴史のエピソード本もよく読んでいた。 知っている人物が授業で出てくると、わくわくどきどきした。史実と歴史小説は同じではないけれど、それでも教科書の字面の向こうに魅力的な歴史のドラマがあることを知っていた。知り合いの気象の研究者は「子どもの頃から空を見るのが好きだった」と話していた。積乱雲がムクムク大きくなるのを見ると「あそこで今何が起きているんだろう!?」とわくわくしたそうだ。学校で習う「教科」は味気ない。どうしても事柄の羅列と暗記に終わってしまう。でもそのことに何か接点があったり、興味があったり、関係するエピソードを知っていたりすると、勉強は何倍も楽しくなる。特に社会科や理科は本来とても面白い教科なのだ。親にできること。それは子どもが小さい内に子どもの心に「好き」の種をたくさん蒔いておくことだ。授業で初めて習う事柄の中に「あ、これ知ってる」「あ、これは好きだ」ということがあると、勉強は楽しくなる。植物、昆虫、動物、星、史跡、地層、機械、工業製品、乗り物・・・実物を見せてあげられればなお良いが、それが無理なら子ども向けの図鑑や地球儀をそばに置くという手もある。大きくなってから「勉強」「勉強」とうるさく言うよりも、小さい内に「好き」の種を蒔いておく方が、効果があると私は思う。誰かに「勉強しなさい」と言われて渋々する人は、勉強の意義を感じて自分の意志でする人にはかなわない。でも意義を感じて勉強する人も、そのことが好きで勉強する人にはかなわない。「好き」にはすごい力があるのだと思う。
2012.08.24
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ボクシングで日本に48年ぶりの金メダルをもたらした村田選手のニュースを見て、なんとなく嬉しい気持ちになった。ミドル級という階級は世界で最も選手層が厚く、この階級で日本人が金メダルをとるのは無理だと言われていたそうだ。 報道では村田選手の小学校時代の恩師が「やんちゃで手がかかって大変でした」とコメントしていた。このおめでたい状況でそうコメントするのだから、よほどやんちゃだったのだろう(笑)。やんちゃな子というのは育てにくい。親や教師にとって、枠にはまらない子は扱いにくいのだ。ものすごくエネルギーがあって、そのエネルギーをどこに注いでいいかわからず、あちこちで衝突する子もいる。一歩間違えば問題のある大人に育ってしまうかもしれない。でも、やんちゃな子は普通の人にはできないようなすごいことをする可能性も秘めている。枠にはまらないからこそ、すごいエネルギーがあるからこそ、他の人にはできないことを成し遂げられる。立派な実業家が「昔はやんちゃでした」と照れて話すのを聞くこともある。周りの人は手を焼いたかもしれないけれど、その持ち味が生かされて、素晴らしい花を咲かせることができて良かったなあ、と思う。
2012.08.17
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オリンピックで男女共サッカーチームが健闘している。日本のサッカーは強くなったなあ、としみじみ思う。 子どもたちが中学生の頃、息子のクラスメート(サッカー部のゴールキーパー)のお母さんが話していたのを思い出した。「自分の息子が活躍する姿を見たい。でも息子が活躍する時はいつもピンチの時。そうなるととても試合を見ていられない」と。確かにそうだなあ、と思った。チームがチャンスの時ゴールキーパーはテレビの画面に映らない。ゴールキーパーがテレビの画面に映るのはチームがピンチの時だ。私は気が小さい。息子の野球の試合も、娘のテニスの試合も、心臓がバクバクしてとても見ていられなかった。大きな試合の前は私自身がご飯を食べられなくなった(苦笑)。それでは子どもはよけいプレッシャーを感じるから、できるだけ言わないようにしていたけれど。辛いのは子どもが負けることではない。辛いのは、負けたり失敗したりして子どもが悲しそうにしているのを見ることだ。本当は親もゴールキーパーみたいなものなのだと思う。子どもが成果を収め上手くいっている時に親の出番はない。むしろ子どもが辛い時、苦しんでいる時、ピンチの時こそ親がそこにいる意味がある。だからもう少し頼もしい親になりたいなあ、と思う。
2012.08.10
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先日「名古屋の市バスの運転手が、出発時間が過ぎても出発しなかったことを乗客からとがめられて腹を立て、危険な運転をしたあげく、乗客を置き去りにした」という報道を見た。 懲戒免職になったこの運転手は明らかにプロとして失格だ。けれどその時の映像を見て、少し複雑な気持ちになった。出発が遅れたのは高齢者から道を尋ねられ、運転手が地図を出して親切に教えていた為だった。そして報道では「乗客に早く出せととがめられ」と伝えられているが、実際の乗客の言葉は「はよ出せ、ボケ」という言葉だった。「はよ出せ、ボケ」・・・出発時間を1~2分遅れた位で、そんな言い方しなくてもいいのに。日本人も堪え性のない国民になったなあ、と思う。そしてこの乗客の周りの人は普段この人の言葉に傷ついているのではないか、とも思った。去年NHKの朝のドラマ『カーネーション』でヒロインが言っていた言葉を思い出した。見るからに不良という服装をしている孫娘が、近所の不良たちから目をつけられて、嫌がらせを受けた時の言葉だ。「自分が着る服は、自分をその服にふさわしい場所に連れて行く」言葉も同じだと思う。自分の使う言葉は、自分をその言葉にふさわしい場所に連れて行く。人を傷つける言葉を簡単に口にする人は、お互いを傷つけ合うような人間関係に身を置くようになるのだと。気をつけたいのは、親が人を傷つける言葉を簡単に口にしていると、子どもがそれを普通のことだと思って育ってしまうことだ。本人が何気なく使っている言葉に、周りの人が傷つく。でも本人はそのことに気付かない。それはとても可哀想なことだと思う。「はよ出せ、ボケ」と言った乗客。結果的に目的地に着くのはとても遅くなったはずだ。発した言葉はその目的を果たせなかった。
2012.08.03
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「子どもと話をする時は、テニスのボレー戦のようなやりとりではなく、野球のキャッチボールのようなやりとりの方がいいよ」と教えてもらったことがある。 「宿題をしたくないなあ」「なにバカなことを言っているの」・・・これはボレー型「宿題をしたくないなあ」「そうか、宿題したくないんだ。でもしないとどんどん分からなくなるよ」・・・これはキャッチボール型宿題をしたくないという言葉には子どもの色々な思いが含まれている。単に「勉強したくない」とか「遊びたい」ということもあるけれど、「部活がハードでもうへとへとだ」という場合。「何となく今日は身体の調子が悪い」という場合。その日何か嫌なことがあったのかもしれない。言葉は同じでも気持ちは同じとは限らない。グローブでボールを受け取るのと同じように、子どもの気持ち・気分をいったんちゃんと受け取ってあげる。そしてそれをふまえてボールを投げ返す。そのひと呼吸が会話には大事なのだそうだ。そのひと呼吸にちゃんと子どもの顔、表情を見る。子どもの言葉が終るか終らないかのタイミングで即座に言い返す。子どもが何を言っても怒鳴り返すだけ、命令するだけ・・・それは会話とは言えない。相手が子どもだとつい軽く考えがちだけれど、縁あって親子という特別の繋がりを持つことができた相手なのだから、単なる言葉のやりとりではなく、心を通わせたい。
2012.07.27
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昔PTAの会議で困ったことがあった。一人強力に発言する人がいて、話がその人の言う方へ言う方へと流れて行く。内容にちょっと問題があると思ったけれど、誰も反対意見を言わない。「おかしいと思っているのは自分だけなのかな??」と納得のいかない思いで会議を終えた。 ところが帰り道で一緒になった人たちが「さっきの案、おかしいよね」「絶対良くないと思う」と口々に言いだした。それを聞いてあぜんとした。誰も表明しなかった反対意見の方が多数派だったのだ。その一件以来、自分の意見が少数意見かもしれないと思っても、できるだけ意見を言うようにしている。そうすると実は自分たちの方が多数派だった、ということが何度かあった。人が集まる場所では「最初に発言する人」「積極的に発言する人」「大きな声で発言をする人」を中心に話が進む。だからその意見が多数派だと錯覚してしまう。でもそうとは限らない。「おかしい」と思っても声を上げずに黙っていたら「積極的に発言する人」のいいなりにされてしまう。そうなってしまうのは黙っている多数派にも責任がある。原子力発電所は、黙っていたら利権を握る人たちにいいようにされてしまうだろう。いじめでは、黙って見ている傍観者も広い意味では加害者だと思う。黙っているということは認めているということ。「おかしいこと」には「おかしい」と言わなければならない。
2012.07.20
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以前、ある学術雑誌の事務局の仕事をしたことがある。その分野の若手・中堅研究者が研究を発表する機関誌だ。 印刷物を扱う仕事の宿命で、誤植などの印刷ミスにはとても気を遣ったし、何度も泣かされた。そして思った。『「ミスは絶対にある」「必ずある」と思って見ないとミスを発見できない』と。「絶対にある」「必ずある」と思って見ても、発見できないことがある。その位ミスは必ず起きる。同じことが事故にも言える。労働災害の統計に「ハインリッヒの法則」という法則があるそうだ。これは「1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在する」というもの。300の小さな異常、29の軽微な事故に真摯に対応しなければ、いずれ必ず重大事故が起きる。対応していても起きるかもしれないのに、放っておいたのでは起きて当たり前だ。福島原発の事故はまさに「人災」なのだと思う。そしていじめの問題。高い文明を持つ人類も所詮は猿の仲間。動物園の猿山と私たちの社会は大して変わらない。いじめが無かった時代はないし、これからもいじめは起きる。親も教師も「いじめは起きる」「必ず起きる」と思って臨まなければ、子どもたちの小さなシグナルを見落としてしまう。「絶対に起きる」という気持ちで心のアンテナを張っておくこと。プロほどその謙虚な姿勢が求められるのだと思う。
2012.07.13
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息子の小学校・中学校時代の同級生にO君という男の子がいた。O君の家はお父さんが単身赴任。普段は専業主婦のお母さんと一人っ子のO君が二人で暮らしていた。 単身赴任のご家庭にありがちなことだが、夫(父親)がいないことで生活がルーズになっていた。O君は夜更かしして朝起きることができず、よく遅刻していた。お母さん自身が朝起きられないこともあったようだ。中学校1年生の時、とても几帳面なA先生が担任になった。提出物、時間、身だしなみ、学年の中で一番細々と口うるさく言う先生だ。O君親子は一つ一つ細かく指導され、緊張を強いられることが苦痛だったようだ。「なんであんなに細かいことを言うの?」「ちょっと忘れ物をしたからってなんだって言うの」「もっと寛容な先生だったら良かったのに」「あんな細かい先生はOには合わない」会うたび、O君のお母さんからA先生へ不満を聞かされた。2年生になって担任が「寛容な先生」に変わった。そうなるとO君親子はよけい気が緩んでルーズになり、遅刻・欠席・忘れ物を繰り返した。高校へ進学した後もその生活を変えられず、中退してしまったと後で聞いた。O君親子にはA先生のような先生が必要だったのだと思う。細かいことを一つ一つ厳しく言う先生だったからこそ、O君親子はなんとか学校生活に対応できていた。でもすごい剣幕でA先生を批判するO君のお母さんの前で、それを言うことができなかった。A先生の存在はO君親子が生活を改善するきっかけなったかもしれないのに・・・と思う。もちろん中にはとんでもない先生がいるのは確かだ。でも「苦手な先生」「合わない先生」を「先生が悪い」と拒絶してしまっては子どもが成長しない。大事なことは先生を変えることではなく、子どもを成長させることだ。「合う先生」は子どもの長所を伸ばし、「合わない先生」は子どもの短所を矯正する。「合わない先生」が子どもの一番苦手な部分を鍛えるのだと思う。社会に出れば苦手な相手とも上手く付き合っていかなければならないのだから、その予行演習でもある。相手がどんな人であれ、「出会い」にはなんらかの意味があるのだと思う。
2012.07.06
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先日アメリカのニュース番組を見ていて考えさせられた。一つは二ジェールの飢餓問題。もう一つは格差が是正されないため、オバマ大統領に失望感を抱く有権者への取材だ。一見関係のない2つのニュースが続けて放送された。 西アフリカ、ニジェール共和国の状況は深刻だ。異常気象の影響で干ばつが続いて大変な不作。さらに食糧不足が価格を押し上げて貧しい人々は食べ物を手に入れることができない。報道でも赤ちゃんを抱いた母親が山から集めてきた雑草を煮て食べていた。毎日何人もの子どもが死んでいく。骨と皮だけの赤ちゃんには泣く力すらない。一方「オバマに失望した」とインタビューに答えるアメリカの一般家庭。夫は失業し今はアルバイトをしていると話していたけれど、庭付きの大きな家に住んでいる。しかも夫婦共にかなりの肥満体。直前に骨と皮だけの赤ちゃんを見たせいかとても違和感を持った。あちこちで格差是正が叫ばれている。でも一つの国の中での格差是正と世界規模での格差是正では、日本を含めた先進国の国民の立場は大きく違う。世界規模で格差是正を考えたら、ほとんどの日本人は生活のレベルを今よりかなり下げなければならなくなるだろう。日本では食糧の7割(5800万トン)を輸入していながら、その3分の1の量を廃棄しているという。日本の食糧廃棄率はアメリカを上回る。
2012.06.29
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飲酒の末の奇行から証拠隠滅事件まで、警官の不祥事が後を絶たない。しっかりしてほしいと思う。 でも我が家は「おまわりさん」にはお世話になった。息子と娘の通った小学校の隣には公園があり、その公園の片隅に交番があった。子どもたちは何かあれば交番に駆け込み、おまわりさんも子どもたちによく声をかけてくれた。時々どこかのクラスが交番にお礼のお手紙を届けたりもしていた。娘が小学校1年生の時、公園から帰った娘が誇らしげに1枚の紙を持ち帰った。落し物を拾って交番に届けたことを示す書類だった。道で拾った小さなマスコット人形を2人の同級生と一緒に交番に届けたのだそうだ。おまわりさんは「何時頃どこで拾ったのか」を丁寧に聞き取り、褒めてくれたそうだ。娘はおまわりさんに褒められたことが嬉しかったようで、その書類を大事に持っていた。1時間ほどして交番から電話がかかって来た!「先程お嬢さんが落し物を届けてくれました。ありがとうございます。実は・・・かなり傷んでいて、落し物と言うよりは捨てられた物かも、という感じで・・・こちらで処分させていただいてもよろしいでしょうか?」と(笑)。「は、はい。そのようにお願いします」と私は笑いをこらえて答えた。子どもの気持ちを考えていったん受け取ってくれたのだろう。もちろん電話のことは娘には内緒だ。小学校2年生の時には娘が大泣きして家に帰って来た。「お財布を落とした」と、「通った道を何度も探したけれど見つからない」と言う。大した金額は入っていなかったはず。でも本人は大ショック。「拾った人が交番に届けてくれているかもしれないよ」と言うと娘は交番に聞きに行った。お財布は届いていなかった。でもお財布の色や中身を丁寧に聞き「もし届いたら必ず知らせてあげるから」と言われ、少し落ち着いた顔で帰って来た。ところが30分ほどして、娘がまた泣きそうな顔で私の所に。「お母さん。お財布があった」と言う。「え?どういうこと?」と聞くと、「机の引き出しの中にあった」と。持って出たと勘違いしていただけで持ち出してはいなかったのだ(^_^;)。慌てて交番に電話して事情を話し謝った。娘も電話口に出て謝った。おまわりさんは笑って「そうでしたか。お母さん、怒らないであげてください」と何度も言ってくれた。息子の自転車が買って1週間で盗まれた時も交番に駆け込んだ。他にも我が家は何かとおまわりさんのお世話になった。警察の不祥事を聞くたびに、地道な活動を続けるあの優しいおまわりさんたちも肩身の狭い思いをしているのだろうか、と少し気の毒に思う。
2012.06.22
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数か月前に見たNHKのサイエンス番組が面白かった。ネアンデルタール人と現生人類の話だ。 ネアンデルタール人は私たち現生人類に最も近い近縁種。でも遺骨から得られたミトコンドリアDNAの解析結果から、現生人類の直系先祖ではなく別系統の人類であることが明らかになった。しかもこのネアンデルタール人と現生人類は、しばらく共存していた時期があるのだそうだ。現生人類に比べてネアンデルタール人は身体が大きく、体力があり、活動範囲も広かった。でも約2万数千年前に滅んでしまった。体力的に優位にあったネアンデルタール人がなぜ滅んだのか?番組ではいくつかの説の中から2つの理由を挙げていた。一つは「飛び道具」の存在。体力で勝るネアンデルタール人は、その体力に物を言わせて大きな獲物を槍などで捕獲する狩りの名手だったそうだ。一方体力で劣る現生人類は大きな獲物を獲ることはできず、小さい動物、すばしっこい動物、しかも少し離れた場所にいる動物も狙わなければ生きていけなかった。そこでその不利な条件を打開するために「飛び道具」を考えついた。遠くからも獲物を捕えることのできる「投てき道具」だ。精度を高めるために工夫に工夫を重ねた形跡が残っているそうだ。食糧の少ない氷河期に入って、この「飛び道具」が威力を発揮する。大きな動物が急激に数を減らしネアンデルタール人が食糧を確保できなくなる中、現生人類は「飛び道具」を使って獲物をとることで生き残ることができたのだそうだ。もう一つの理由は「大きな集団」の形成。ネアンデルタール人に比べて個々の体力で劣る現生人類は、ネアンデルタール人が作っていた集団よりも大きな集団社会を作り、情報を交換していたそうだ。その集団の中で「道具を生みだす能力」は飛躍的に上がったという。一人一人の能力が劣っているがゆえに、集団となって厳しい環境を生き抜く知恵を共有していたのだと思う。ネアンデルタール人と現生人類の関係はとても面白い。体力的な不利こそが、工夫を生み、生き残りを可能にしたのだとしたら、人類の歴史は「ピンチをチャンスに変えた種族の歴史」なのかもしれない。
2012.06.15
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先週夜のニュース番組で、サッカー日本代表の長友選手が取り上げられていた。 私はどちらかというと野球派なのでサッカーは詳しくない。でも長友選手がセリエAの名門インテルに入ったこと。その後彼を評価していた監督が交代してしまい、新しい監督が彼を使ってくれない、という所までは知っていた。長友選手は当時の気持ちをこう語った。「もし自分が本当に素晴らしいサイドバックなら、どんな監督でも絶対に使ってくれるはず。使ってもらえないのは自分が素晴らしいサイドバックではないから」「活躍できない理由を監督のせいにするようになったら、サッカーをやめる」そう言いきる彼の言葉を聞いて、こういう気持ちだから一流の選手になれるんだな、と思った。上手くいかない理由を人のせい、環境のせい、条件のせいにはしないのだ。自分を幸せにできるのは自分だけ。結婚も就職も、「誰かに幸せにしてもらおう」と考えている人は幸せにはなれない。長友選手、最終的にはレギュラーの座を獲得しているそうだ。彼を見て「良い顔をしているなあ」と思った。美男子というのではなくて(笑)清々しく凛々しい顔。緊張感のある毎日を過ごしている人の顔だ。長友選手のお母さんは母一人で三人のお子さんを育てたそうだ。子育ても「両親が揃っているから上手くいく、片親だから上手くいかない」というものではないようだ。片親だったからこそ、こんなに「男気のある人」に育ったのかもしれない。人生何が良いことになるかは分からない。その人次第なのだと思う。
2012.06.08
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父の七回忌でしばらく実家に帰っていた。七年・・・時間が経つのは本当に早い。 今はフィットネスクラブに通い、合唱を楽しみ、友人とのお食事やお茶飲みで忙しい母だけれど、父が亡くなった時の気落ちはひどかった。後を追うのではないかと本気で心配した。こういう時、仲の良かった夫婦ほど立ち直るのに時間がかかる。もちろん仲が良かったと言っても喧嘩もしていたし、意地の張り合いもしていた。長く連れ添った夫婦というのは見ていて不思議なもので、仲が良いのか悪いのかよく分からない(笑)。お互いに結構言いたいことを言っていた。でも今も何かあると父の写真に手を合わせて何か話しかけている母を見ると、仲が良かったのだなあと思う。父は小学校6年生の時に実母を亡くし、その後継母との関係に苦労した。一方母は21歳の時に両親をそれぞれ病気で順番に亡くした。二人にとって自分たちの家庭が唯一の居場所であり、帰る場所は他には無かったのだと思う。父は一目で母を気に入ったと話していたから相性は良かったのだろう。でも戻る場所が無かったから、二人とも努力したのだとも思う。そもそも生まれも育ちも全く違う他人が一つ屋根の下に暮らすのだから、努力せずに上手くいくなんてことはあり得ない。ましてや男と女、感じ方も大切に思うものも違う。今は娘が結婚する時「辛かったらいつでも戻っておいで」と送り出す家庭もあるらしい。でもそれは努力しても努力してもダメな時は、ということで、ちょっと嫌なことがある位で実家に帰ったり離婚したりしていたのでは新しい家族は作れない。以前『三丁目の夕日』という映画で、東京に働きに出ている娘に実家の親が冷たく当たるという話があった。それは「東京で苦労する娘に里心がついてはいけない。里心がついて自分のするべきことを投げ出すようでは幸せになれない」という親の切ない思いからだった。親にとって可愛い子どもに冷たくすることほど辛いことはない。それでも結婚であれ、仕事であれ、努力や我慢をせずに上手くいくことなどない。親がいなかったからこそ新しい家庭で努力したであろう両親を思う時、親の愛情のかけ方の難しさを感じる。
2012.05.30
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以前からすごい人だと思っていたけれど、自分が人生の3分の2を過ぎた年齢になって、ますます「すごいなあ」と思うのが伊能忠敬だ。伊能忠敬-日本中を測量して歩き、初めて正確な日本の地図を作った人。元は商人。シーボルトがその地図を国外に持ち出そうとして大事件になった。それ位貴重な地図だった。18歳の時に商人の家に婿養子に入り、傾きかけていた商売を再興した。堤防の改修工事や大飢饉の時の炊き出しなど、地元のためにも多大な貢献をしたそうだ。50歳の時に長男に家督を譲って江戸に天文学・測量を学びに行く。そして56歳から15年以上をかけて日本中を測量して歩く。当時の平均寿命は今よりずっと短かったはずだから、周りの人はびっくりしただろう。しかも50歳の時に20歳も年下の人に弟子入りする。変なプライドやメンツに囚われていたらできないことだ。当初周りの人たちは「年寄りの道楽」だと思っていたが、忠敬のひたむきな姿に徐々に見方を変えたそうだ。結果的には幕府が後押しする国家的事業を成し遂げることになる。自分が何歳まで生きられるかなんて誰にも分からない。死ぬのは明日かも知れないし40年先かもしれない。「若いから時間がある」と一概に言えるものでもない。伊能忠敬が「どうせもう時間が無いから」とあきらめていたら、この国家的事業は成し遂げられなかっただろう。でも彼にとって「物になる」とか「人から認められる」ということは二の次だったのかもしれない。それは測量に向かう時の忠敬が実に嬉しそうだったという話が残っているからだ。自分の目標に夢中で、どこで人生を断ち切られるかなんて問題ではなかったのかもしれない。人が自分をどう思おうと関係ない。最後の瞬間までやりたいことに夢中で取り組んだ人生。それはきっととても楽しかったはずだ。なんて素敵な人生だろう!と思う。
2012.05.18
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NHKの『開拓者たち』というドラマを観た。証言を基に満州開拓団を描いたフィクションだ。 実は母の友人に満州から命からがら逃げてきた人がいる。親も兄弟も逃げる途中で亡くなり、たった一人で日本に戻ってきたそうだ。帰国後に親切な人に出会い今は幸せに暮らしているけれど、当時の苦労は並大抵のものではなかったと話してくれたことがある。関東軍に置き去りにされた開拓民。上官の命令で敵を拷問し軍事裁判にかけられた軍人。ロシアに抑留された人。泣く泣く子どもを残してきた人。みんな理不尽な運命に翻弄されている。でもそれも朝鮮半島の人たちにしてみれば、自分たちの土地を理不尽に侵略されたということ。観ていてとても複雑な気持ちだった。私も「理不尽だ」と思うことがよくある。自分がしたことではないのに責任を押し付けられたり、上司の勘違いで叱られたり・・・でも世の中を見回すと理不尽なことのなんと多いことか。坂本弁護士一家殺害事件、横田めぐみさん拉致問題、JR福知山線脱線事故、山口県光市母子殺人事件・・・日々新聞報道で見るニュースはどれも理不尽なことばかり。一所懸命生きてきた人が地震や津波で一瞬にして命を奪われる。これもまた理不尽な話だ。考えてみれば「今まで理不尽なことが無かった時代なんて一度もないんだ」と思う。自分だけが理不尽な思いをしているわけではない。世の中はそもそも理不尽なことでいっぱいで、みんな歯を食いしばってその理不尽と闘い、乗り越えているのだ。ドラマの合間に元開拓者のインタビューが流れた。あれだけの苦労を乗り越えてきた人とはとても思えない、その穏やかな表情が返って心を打った。
2012.05.11
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子どもの頃、どちらかというと大人しい方だったので、喧嘩することはめったになかった。でも小学校5年生の時の喧嘩を今も覚えている。喧嘩といっても女の子同士の喧嘩だから叩きあい・殴り合いではなくて罵り合いの喧嘩だった。そして私は完全に負けた。相手が繰り出すバラエティーに富んだ(^_^;)罵り言葉に全く太刀打ちできなかった。 「低能」「バカじゃないの」「頭おかしいわよ」「気持ち悪い」・・・言葉の一つ一つに傷ついた。でも今にして思えば、当時「死ね」という言葉だけはみんな絶対に言わなかったような気がする。家に帰ってしょげていると、当時同居していた祖父が喧嘩のいきさつを聞いて私に話しかけてきた。「何と言われた?」「バカ、アホ、気持ち悪い・・・」そして「それでお前は本当にバカになったのか?」と尋ねた。祖父の質問の意味が分からずにポカンとしていると「バカと言われて、言われる前より言われた後の方が、バカになったのか?」と祖父はもう一度尋ねた。少し考えた。相手から「バカ」と言われたからといって、言われる前よりバカになったわけではないはずだ。そう思って「バカにはなっていないと思う」と言うと、祖父は「それじゃあ、そんなに腹を立てる必要はない」と言った。「もし相手がお前を「バカ」と言って、それでその瞬間から本当にバカになってしまうのなら、必死に訂正させなければならない。でも相手がどんなに「バカ」と言ってもその瞬間から本当にバカになるわけではないのだから気にする必要はない。人からけなされたからといってその瞬間から自分がダメな人間になるわけではないし、人から褒められたからといってその瞬間から素晴らしい人間になれるわけでもない。今いる自分は今いる自分のまま。言われる前も言われた後も何も変わりはしない」祖父との不思議な会話が頭の中を行ったり来たりしている内に、腹を立てていたことをすっかり忘れてしまった(笑)。言葉はもろ刃の剣。人を生かしもすれば殺しもする。人の言葉に簡単には傷つけられない手立ても必要だ。祖父はその手立てを一つ、私にくれたのだと思う。
2012.05.04
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京都府亀岡市で起きた無免許・居眠り運転事故に昔のことを思い出した。 もう20年以上前、結婚前に勤めていた学校は底辺校と呼ばれる荒れた高校だった。生徒が警察に補導されることもあり、土曜の午後は教師が校外を巡視していた(当時は土曜半日授業だった)。「お宅の生徒が広場でタバコを吸っています。何とかしてください」「お宅の生徒が店先で騒いでいます」という通報はしょっちゅうだった。喫煙、飲酒、シンナー、暴走行為・・・ある日校外巡視中、公園で数人の生徒が集まっているので近寄ったら、その生徒たちが四方八方にすごい勢いで逃げた。シンナー吸引の跡が残っていた。そういう学校に勤めていて本当にがっかりしたのは、親があきらめてしまっていたことだ。「うちの子には何を言っても無駄なんです」「もうあきらめています」と他人事のように言う。子どもが何をしても「もう何も言わないのだ」と言う。子どもの問題行動をできるだけ見ないようにし、見えても見えていない振りをする。そんな無責任な感覚で親になったのか?ととても腹立たしかった。子どもに無視されようと、悪態をつかれようと、人として「してはいけないこと」は「してはいけない」と、「ダメなこと」は「ダメだ」と言い続ける責任が親にはある。あきらめて「ダメだ」と言うのをやめれば、それは親が容認したことになる。子どもを育てるということは、その子の人生に責任を持つ覚悟をすること。その覚悟があるかないかは子どもにもちゃんと分かると思う。面倒なことを嫌がって、子どもの問題行動にきちんと向き合わずに後回しにすれば、そのツケはいずれもっと大きな形になって親に返ってくる。問題が小さいうちに正面から向き合ってほしい。物事の善悪はもちろん、そういう行動に至った子どもの気持ちにもちゃんと向き合ってほしい。今回の加害者の親と当時関わった保護者とがどうしてもダブって見える。 「子どもが無免許で運転していることを知らなかった」という言い訳は通用しない。
2012.04.27
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年子で2人目を出産して間もない頃、2人を連れて銀行に行った。2歳前の息子と3カ月の娘と一緒に待っていると、ニコニコ笑って私達3人を眺めていたおばさんが近寄って来た。 「お兄ちゃん、おりこうさんにしているね」と息子の頭をなでてくれた(実は息子は人見知りが激しく、周りに知らない人がいるので固まっていただけだった(笑))。そして「赤ちゃんはまだ小さくて分からないけど、お兄ちゃんはもうみんな分かっているからね。嬉しい、悲しい、誇らしい、寂しい、悔しい・・・全部分かっているからね。赤ちゃんは少し位泣いていても大丈夫だから、お兄ちゃんのことを先にしてあげてね」と言われた。「時々お兄ちゃんをひざに抱っこして、"大好きだよ"って抱きしめてあげてね」とも言われた。全く見ず知らずのおばさんだ。生まれたばかりの赤ちゃんはかわいい。つい下の子にばかりかまけていることを反省した。人のことに立ち入らない、干渉しないという傾向の強い時代。アドバイスするのはそれなりに勇気がいっただろう。それでもどうしても伝えたくなったのだろうと思う。その人と会ったのはその一度きり。どこかですれ違ったりしているかもしれないけれど、どんな顔の人だったかすら、覚えていない。銀行に行った日、家を出るのが10分遅かったら、きっと会うこともなかっただろう。でもその時交わした会話を今も覚えている。人とのご縁って不思議だなあと思う。
2012.04.20
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娘が小学校2年生の時、クラスにR君という男の子がいた。お母さんたちの間では"裕福なお家のお行儀の良いお坊ちゃま"と思われていたけれど、子どもたちの間ではとても評判が悪い。娘の話では陰で女の子たちを叩いたり蹴ったりするというのだ。 ある日PTAの集まりがあって校庭の隅から校舎に向かって歩いていると、校庭の反対側に2年生の一団がいた。例のR君もその中にいて、遠くから見ているとかなり腕白だ。その時その一団にやはりPTAの集まりでやってきたR君のお母さんが近づいた。とてもきちんとした奇麗なお母さん。私が驚いたのはその時だ。R君の態度、表情が一変した。背筋をぴんと伸ばして明らかに緊張感が漂っている。一瞬で「お坊ちゃま」に変貌した。どうもお母さんの前では優等生を演じている様子。R君が緊張しているのを見て「お母さんがとても厳しいんだなあ」と思った。そしてなんだかR君が可哀想になった。緊張感を持続するのは苦しい。大人でも外で気を遣っている人ほどその反動が家庭で出るという。子どもだって幼稚園や学校ではそれなりに気を遣い緊張しているから、その緊張を解き放つ時間が必要だ。そしてそれは本来家庭の役目だと思う。でも家庭の中で必要以上に管理され、優等生でいることを求められている子どもは、その緊張を外で発散するしかない。家では少し我儘でも、だらしなくても、外ではちゃんと我慢できる。その方が自然だし健全なんだなあと思った。親は立派すぎるよりも三枚目の方がいい。そして立派な家庭よりも、あったかい家庭の方がいい。学校で嫌なこと、辛いことがあっても、家庭でその思いをスポンジのように吸い取ってあげることができたら、子どもは次の日もまた元気に出かけていける。そんな心の基地が子どもには必要だと思う。
2012.04.13
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3月末に引っ越した息子から「無事に入社式を終えた」と連絡があった。 海外から帰国したのが去年の3月末。就職活動を始めたのが4月。就職活動は秋から始まっているので同じ学年の就活生に半年遅れてのスタート。しかも当初震災で東北新幹線が使えず移動にも一苦労だった。それでも就職活動ができるだけ幸せだ。同級生には家を流された人、お母さんを亡くされた人もいる。一番大変だったのは6月。遅れを取り戻そうと月の半分は仙台を離れて活動していた。最終面接まで行って落とされることも何度かあった。最終面接まで行くと「いけるかも」と期待するから、落とされた時の精神的なダメージは大きい。なんとなく元気のない時期もあった。一つ憂鬱なことがあったそうだ。それはほとんどの企業から「うちが第一希望ですか?」と聞かれること。企業側にしてみれば、お金・時間・労力をかけて行う採用だから、内定者に辞退されることは避けたい。だから「必ず入社すること」を確かめたい。でも就活生にも事情がある。「第一希望ではありません」なんて答えたが最後、絶対に採ってはもらえない。しかも第一希望の企業に内定がもらえる学生はほんの一握り。学生の大半は何社も受けて、どこかに採ってもらいたいという切実な思いでいる。だから第一希望でなくても「第一希望です」と答えるしかない。でも「第一希望です」と嘘をつくのがつらい息子は、何度か「第一希望グループの一つです」とあいまいに答えたようだ。そしてその答えに表情を変える採用担当者もいたそうだ。平気で嘘をつける人なら良心の呵責を感じることはないのかもしれない。それを"世渡り上手"と言うのかもしれない。でも私は息子にそうなってほしくなかった。だから何とアドバイスしたらいいのか分からなかった。今回入社した企業は不思議なことに「うちが第一希望ですか?」とは聞かなかったそうだ。そこにこの企業との"ご縁"を感じている。社会に出れば、ある程度は世渡りの術を身につけなければならないだろう。でも保身ばかり考える世渡り上手にはなってほしくないなあ、と思う。
2012.04.06
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名君と誉れの高い上杉鷹山(米沢藩第九代藩主)は、人を動かす方法として「して見せて、言って聞かせて、させてみる」という言葉を残したそうだ。初めてこの言葉を聞いたのは大学生の時。「人を動かすには根気が必要なんだなあ」と思ったのを覚えている。 山本五十六もこの言葉を元に人を動かす方法を説いている。「やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、 ほめてやらねば人は動かじ」(山本五十六)「自分でやって手本を見せる」「言って聞かせて納得させる」「本人にやらせてみる」上杉鷹山の3つに、山本五十六は「認めて褒める」を加えている。大人相手でもこの根気が必要なのだ。子ども相手ならなおさらだ。何も教えないのに子どもが自然に気付き、理解し、実践できるようになれるということなどないのだと思った。決して気の長い方とは言えない私。子育てをする前にこの言葉に出合っていたことを本当にありがたかったと思っている。「子育てには根気が必要なのだ」「人を動かすには自分もそれなりの誠意を尽くさなければだめなのだ」短気な思いが出て失敗する度、反省したり決意を新たにしたりすることができた。例え自分の子どもでも、相手は一人の人間。親なりの誠意を尽くさなければいけないと思う。
2012.03.30
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知り合いに引きこもりになっている若者がいる。中には「ゲーム依存」になっている人もいる。何もせずにじっと家にいることほど退屈なことはないわけで、ゲームがあるからこそ引きこもりができているとも言える。ひとたびゲーム依存になってしまったら、そこから抜け出すのはとても難しいので、小さなお子さんのいるご家庭では気をつけてほしいな、と思う。 1.ゲームを始める年齢をできるだけ遅くすること。外で身体を動かす。友だちと遊ぶ。本を読む。そういう楽しさを覚える前にゲームの楽しさを知ってしまうと、ゲームへの依存度が高まる。ゲームを始める年齢は可能な限り遅い方が良いと思う。「将来パソコンを使いこなせるようにするには幼い時から親しんでおく方が良い」と主張する人もいるが、パソコンを使いこなすこととゲームをすることは全く別のことだ。2.ゲームを始める前にルールを決める。ひとたび決めたルールは絶対に守らせる。ルールが守れない時のペナルティーも決めておき、必ず実行する。ゲームを続けたい子どもは色々な理由をつけて時間を引き延ばそうとするが、決めた以上は断固守らせる。本当の愛情は「子どもの今の欲求を満たすこと」ではなく、「バランスのとれた成長を促して将来の健全な生活を守ること」。親は覚悟を決めて毅然とした態度をとってほしい。3.身近な場所にゲームを置かない。子ども部屋にテレビやゲームを置くと、親の管理が行き届かない。夜中に起きてヘッドフォンやイヤホンでゲームをすることだって可能だ。できればゲーム機は普段は箱にしまっておいて、ゲームをする時間だけ出す位の方が良い。持ち運びできる小さなゲーム機の場合、完全に子どもに預けると一日中ゲームをすることもできるので、普段は親が管理し時間を決めて子どもに渡すという方法もある。携帯ゲームにも同じように管理が必要だと思う。4.ゲームを"だし"に使わない。宿題やお手伝いのご褒美としてゲームをさせるのは長期的に見るととても問題が多い。楽しいこと(ゲーム)の為にしなければならない嫌なこと(勉強やお手伝い)という意識付けができてしまう。その結果勉強嫌いの子にしてしまう。5.周りの情報に惑わされない。「みんながこのゲームを持っている」という情報に心を惑わされてはいけない。みんなで競争し合ってゲーム依存への道をまっしぐら・・・そんな状況が実際に起きている。「よそはよそ、うちはうち」という強さを持とう。
2012.03.23
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先日、友人(40代)が「医療事務の勉強を始めた」と話してくれた。パートで一般事務の仕事をしているが、今後のことを考えて挑戦すると言う。私もずっと勉強していることがあるので、「偉い!頑張って」と言葉をかけた。すると彼女が「なかなかそうは言ってもらえない」と言う。 「その歳で勉強を始めてもねぇ」「資格を取ったからって仕事に就けるわけじゃないわよ」同年代の友人たちから返ってくる言葉は、否定的なものが多かったそうだ。確かに資格を取ったからといってすぐ仕事に結びつくとは限らない。仕事に結びつけるにはコミュニケーション能力や運、人脈といった様々な要素が必要だ。でも、だからといって何もしなければ何も始まらない。「資格を取ろう」と思ったのなら、まず頑張ってみたらいい。資格をとってみて他に必要なことがあると感じたら、その必要な条件をクリアする手立てを考えればいい。動き出さなければ何も始まらない。彼女の友人たちの言葉を「少し意地悪だな、"やっかみ"なのかな・・・」と思った。人の心は複雑だ。仲の良い友だちが頑張る姿を見ると、何となく寂しいような悔しいような、置いて行かれるような気持になるものだ。意地悪な言葉の裏には前向きに挑戦する彼女を羨ましく思う気持ち、やっかむ気持ちがあったのかもしれない。この"やっかみ"世の中では思いの外多い。友人の例などはまだかわいい方だ。『五体不満足』で有名になった乙武洋匡さんは、以前2チャンネルでひどい中傷を受けたそうだ。私は見なかったので内容は知らないが、書きこみを読んだ友人が「目を覆いたくなるようなひどいことが書かれていた」と話してくれた。その話を聞いた時も「ねたみ・やっかみだ」と思った。自分より下だと思いたい乙武さんが、自分よりもはるかに素晴らしい活躍をしていることが悔しくて仕方がないのだ。「偉いなあ」と素直に認める潔さも、「自分も頑張ろう」と一念発起する根性もなく、相手を中傷して引きずり下ろそうとする。中傷する人の心の醜さが浮き彫りになるだけだ。人生で与えられる時間は限られている。ねたんだりやっかんだりして時間を使ってしまうことほどつまらないことはない。何かに一所懸命になっている人には、ねたんだりやっかんだりしている暇はない。
2012.03.16
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震災から1年がたつ。震災後に「津波てんでんこ」という言い伝えがあることを知った。三陸沿岸部に伝わる言葉で「命てんでんこ」とも言うそうだ。 「てんでんこ」とは「各自」「めいめい」を意味する名詞「てんでん」に東北の方言で見られる縮小辞「こ」がついた言葉で、「津波てんでんこ」「命てんでんこ」とは「津波はめいめい」「命は各自」という意味だそうだ。「津波が来たら、取る物もとりあえず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」「自分の命は自分で守れ」という意味だそうだ。また、自分自身は助かり他人を助けられなかったとしてもそれを非難しない、という不文律にもなっているという。津波の時は時間の余裕などないのだ。実際今回の震災では助けに戻って亡くなった人が多い。私の友人の弟さんも近所の足の不自由なおばあちゃんを助けに戻って亡くなった。お子さんが3人、40代の働き盛りだった。津波てんでんこを高齢者、災害弱者を切り捨てる利己的な考えとみる向きもあるそうだ。でも、今回の被害者の状況を知るにつれ、やはり「津波てんでんこ」を徹底させることが大事だと思った。高齢化社会の今、この言い伝えが生まれた頃よりも事情は遥かに難しい。それでもみんなが自分の命を守ることだけを考えられるように、自力で逃げられない人が津波の到達する恐れのある所で生活することがないよう、配慮するしかないと思う。特に病院、介護施設、老人ホームなどの立地には気をつけてほしい。責任感と温かい心を持つ人たちが、その美しい心ゆえに亡くなるということを繰り返してほしくない。
2012.03.10
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大王製紙の前会長が初公判で起訴内容を認めたというニュースを見た。この事件が報道されるたび、「彼は子どもの頃から帝王学を学んで・・・」というフレーズが流れる。そしてそのたびに「いったいどんな帝王学を学んだんだろう?」と不思議に思う。 「帝王学」は、将来人の上に立つ人に必要な態度・識見を身につけさせるためのリーダー学。だから「この人が帝王学?」という気持ちをどうしても拭えない。そもそも帝王学とは?と思って調べたが、確たるものがあるわけではないようだ。ちなみに皇室の帝王学は新たに何かを実践することではなく、あくまでも伝統を踏襲するもので、"守成"を重んじた帝王学だそうだ。第59代宇多天皇が皇太子に帝王の心得として遺した『寛平御遺憾』には次のような項目があるそうだ。○賞罰を明らかにし、愛憎をふりまわすことなかれ。○皆に公平に、好悪に偏るべきでない。○万事について惑溺して度を過ごしてはいけない。○天子たるもの喜怒を慎み、表情に出してはいけない。「帝王学」を検索していると実に様々な帝王学があって面白い。なるほどなあと思う帝王学があった。(帝王学)1. 原理原則を教えてくれる師を持つこと2. 直言してくれる友人を持つこと3. 諫言してくれる部下を持つこと偉くなればなるほど、周りの人は何も言えなくなる。本人によほど「聞く気」がなければ、誰も本当のことを言ってはくれない。その内本当のことが分からない「裸の王様」になってしまう。自分に批判的な意見にも耳を傾ける器の大きさが、リーダーには必要だと思う。
2012.03.03
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娘と私は朝小さな喧嘩をすることがあった。喧嘩の原因は「洗濯物」だ。 娘の通う高校には制服がなかったので、着て行く服には娘なりの予定があって、大して多くはない洋服の中でも「この服にはこの靴下」とコーディネートを考えていたようだ。でも雨が続いたり洗濯物の量が多かったりすると、娘の予定していた物の洗濯ができていない、ということがあった。そうすると娘は朝からご機嫌が悪い。そんな時娘と私の小さな言い争いが起きる。「今日はあの服を着て行こうと思っていたのに!」とむくれる娘。「あなたの服だけを洗濯しているわけじゃないんだからね。雨が続いて洗濯物がたまってしまうこともあるのよ」と私。その後娘は他県の大学への入学を機に家を出た。娘が初めて帰省した夏休み、娘の変化に驚いた。翌日に着て行きたい服の洗濯が間に合わないと思うと、その服だけ自分で手洗いして自分の部屋に干して自分で間に合わせていた。大学では体育会系の部活に入り、アルバイトもしていた娘。授業や部活・バイトを終えて、疲れてアパートに戻ると洗濯物の山。洗濯機があるとはいえ、ごろんと横になりたい気持ちを振り払って洗濯をしていたようだ。きっと何もせずに洗濯物ができ上っていたことの有難さを実感したのだろう。もう一つ驚いたことがあった。帰省の折家族で外食したら、会計の後、娘が夫と私に「ごちそうさまでした」とちょこんと頭を下げたのだ。部活で先輩に奢ってもらうことがあるのだなあ、と思った。子どもが大きくなるにつれて「してやること」が優しさではなくて、むしろ「してやらないこと」が本当の優しさであるケースが増えてくる。けれどそばにいれば、親はどうしても可哀そうに思って手を出してしまう。そしてその結果、自分でできることを自分でしない子どもにしてしまう。親としては寂しいけれど、親が手を出せない所に離すことで、子どもは精神的に成長するのだなあ、と思った。
2012.02.25
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10日ほど前ぎっくり腰になった。30代後半で初めてなって以来、何度か経験している。 最初の2~3日の痛みは強烈だ。ちょっと身体の向きを変えるだけでとても痛い。立ち上がる時も、座る時も、移動する時も、何かで身体を支えなければ動くことができない。この間はただひたすら痛みに耐えている。3~4日目あたりになると痛みは徐々におさまってくる。ただ動き方によっては痛む時があるので、ゆっくりと恐る恐る動く。それでも最初の頃の痛みに比べるとはるかに楽で、ゆっくりでも動けることが本当にありがたい。今回はブログ友だちのhappykeiandkeiさんに腰痛のためのストレッチを教えてもらって実行したので、前回よりは大分回復が早いように思う。「身体のどこも痛くない」ということはなんてありがたいことだろう。歩く、走る、仕事をする、掃除をする、料理をする。当たり前にしていることも身体のどこかに痛みがあればとても辛いものになる。ここ数日は朝、何も気にせずに起き上がることができる。自由に動ける、って幸せなことだなあとしみじみ思う。
2012.02.18
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引き際ほど難しいものはない。登山でも「これ以上は危険だ。引き返そう」という判断が一番難しいそうだ。ちょっと困るとすぐに引き返すのでは何も得られないけれど、引き際が遅れれば大惨事になる。 車の運転にも「引き際の難しさ」を感じる。高齢者の交通事故が増えている。長い間一所懸命に働き、家族を養い、社会に貢献した人が、人生の最後に事故で人を殺してしまう。それまでの人生がその事故一つで台無しになる。本当に痛ましい。他に交通手段がないという事情があったとしても、その代償はあまりにも大きい。70歳代で政治に自分の影響力を、と意欲を見せる政治家。80歳代で全てに口を出す新聞社の主筆。年を重ねてなお、衰えを見せないその意欲はすごいと思うけれど、10年20年先のことを決める資格はその人たちにはないと思う。そして「自分が、自分が」という姿は醜い。若い人たちに決定権を譲り、若い人たちが十分に力を発揮できるよう支える側にまわる方がずっとかっこいいのに・・・と思う。権力や立場にしがみつく姿をいつも「反面教師」と思って見ている。
2012.02.11
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