秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2021.11.17
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サントリーBOSSのCMを観ていたら、クイズダービーが出てきて懐かしく思い、久々に「竹下景子さんに1000点、はらたいらさんに3000点」を観たくなって探したら結構ありました。
当時は同じTBSで19:00からまんが日本昔ばなしを観てからこの番組を観ていました。
個人的には鈴木武樹さんや黒鉄ヒロシさんが好きでした。
鈴木武樹さんは大学教授をやりながら1976年にこの番組に出て、その後1977年に選挙に出て落選し、翌1978年に胃がんで亡くなるという人生の急転回に当時高校生だった自分は驚きました。
黒鉄ヒロシさんと鈴木武樹さんの回は残念ながら見つかりませんでした。

2022.7.16リンク切れにより差し替え。
2022.8.8リンク切れにより差し替え。
2023.9.29リンク切れにより差し替え。
2024.9.17リンク切れにより差し替え。







■参考リンク
Wikipedia:クイズダービー
『クイズダービー』(英称:Quiz Derby)は、1976年 (昭和51年) 1月3日から1992年 (平成4年) 12月19日まで16年間にわたってTBS系列で毎週土曜日の19:30 - 20:00 (JST) に放送されていたクイズ番組・ゲーム番組である。ロート製薬の一社提供。全862回。
概要
出場者が解答者の中からクイズに正解すると思う人物1人に自分の持ち点を賭け、得点を増やしていく競馬方式の番組。
元々この枠では大橋巨泉の司会で同じくロート製薬の一社提供番組だった『お笑い頭の体操』が1968年2月3日から放送されていたが、視聴率が低迷してきたことを受けてスタッフやスポンサー等から持ちかけられた番組のてこ入れを巨泉が拒否し1975年12月27日放送分での終了が決定する。その際「こういう新番組をやりたい」と競馬好きの巨泉がかつてカナダで見たクイズ解答者を馬に見立て賭けを行い高得点を競う競馬形式のクイズ番組『セレブリティ・ステークス』を模倣した企画を自ら立案し、翌年から番組がスタートすることになった。その『セレブリティ・ステークス』について巨泉は「非常に短命で、1年も続かなかった」と語っていたが、『クイズダービー』はルールはもとより、司会者と解答者とのやりとり、ギャンブルのスリルを味わえることがうけて人気番組になった[注釈 2]。
最高視聴率は1979年6月30日放送分(第180回)に記録した40.8%(関東地区)で、ビデオリサーチ調べのクイズ・ゲーム部門ではNHK総合テレビ『クイズ面白ゼミナール』が記録した42.2%に次ぐ記録である。これは民放に限れば第1位の視聴率であり、クイズ番組としては初めて視聴率40%台を記録した番組であった[1]。番組の最盛期は上記最高視聴率を記録した1979年から1981年にかけてで、この3年間は年間平均視聴率がおよそ30%にも達し、年間視聴率ベスト20にも記録されている[2]。
CMなどを除いた番組放送時間は24分であったが、収録は25分までで、「撮って出し」の手法が使われた[3]。巨泉から2代目司会者を引き継いだ徳光和夫によれば、「巨泉さんは番組収録を毎回35分程度で終えていた」とのことであった[4]。収録は隔週月曜日に現在のTBS社屋の近くにあったTBSホールで行われていた。
出場にあたってはハガキではなく、封書に2人の写真と簡単な自己紹介文を添えてTBSテレビ宛[注釈 3]に応募することが条件で、番組初期のエンディングでその旨を記した記述が静止画で表示されていたほか、1問目あるいは6問目(音楽問題)のシンキングタイムBGMを流している最中にその旨がテロップで表示されていた。
クイズ番組としては珍しく、TBSの音声多重放送開始当初である1978年11月25日放送分(第149回)よりステレオ放送となった。また、1990年以降はクリアビジョン放送もされていた。
レギュラー解答者
1枠
男性一発逆転枠。2枠よりは正解率は高め。徳光時代初期までは主に作家・大学教授等の文化人が入る枠であった。徳光時代の中期から後期はタレントが座り、末期では女性陣が座ることもあった。
2枠
女性大穴枠。長山藍子まではベテラン女優枠であったが、宮崎美子から若手女優・タレント枠に転向。不定期時は田中義剛などの男性陣が座ることもあった。
3枠
男性本命枠。漫画家枠だが、レギュラーで座ったのは黒鉄ヒロシとはらたいらの二人だけだった。週替わり制になってからもはらは最終回も含め不定期で出演している。但し不定期時ははらの欠席時、本来4枠レギュラーの竹下景子や秋山豊寛が座ることもあった。
4枠
女性対抗枠。当初は女子大生枠だったと巨泉は回顧しているものの、初期では代役として佐良直美が座っていたことがあった。不定期時は男性陣やベテラン女性芸能人が4枠に座った。
5枠
初期の解答者枠は6つあり、6枠がゲスト枠だった。ガッツの降板後に整理されて1枠減り、ゲスト枠が5枠に改められた。

Wikipedia:鈴木武樹
鈴木 武樹(すずき たけじゅ、1934年8月11日 - 1978年3月27日)はドイツ文学者・評論家。静岡県磐田市出身。 
来歴・生涯
人気クイズ番組『クイズダービー』(TBS系列)の初代1枠の解答者として知られていた。正解率は4割1分8厘(3勝6敗 - 4勝5敗ペース)と後に1枠レギュラーになる篠沢秀夫よりは良かったが6問目の歌詞問題が大の苦手であった。連敗記録は歴代11位の13連敗である(レギュラーで10連敗以上の記録を作ったのは鈴木武樹が初めてである)。
1977年の第11回参議院議員通常選挙では革新自由連合から全国区において出馬し25万票余獲得するも落選。
1978年3月27日午後9時14分に胃癌のため荻窪病院で急逝(享年43歳)[3][4][5]。
活動
大和王権、プロ野球およびメジャーリーグベースボールの分野においても積極的に発言した。ロバート・ホワイティングの『菊とバット』の最初の翻訳(サイマル出版会)は、彼の手になるものである。またベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)やタレントの中山千夏らとともに政治団体・革新自由連合を結成するなど政治的な活動にも参加した 。





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Last updated  2024.09.17 23:03:45
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