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2005年08月15日
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テーマ: ニュース(100341)
カテゴリ: 読書
1894年(明治27年)7月25日未明、日本艦隊は豊島沖を航海中の清国艦隊に攻撃を加え、日清戦争が始まりました。この戦争で勝利した日本は、下関講和条約を締結し、清国から台湾を割譲しますが、現地台湾では全島民が「台湾民主国独立宣言」を行ったため、日本は実質的に台湾を植民地支配するために、再度台湾と戦争するはめになりました。この辺のいきさつを、山中恒著「すっきりわかる『靖国神社』問題」は次のように説明しています;



 日本軍は清国陸軍との戦闘よりも、台湾の住民とのゲリラ戦と疫病で多くの兵士を失いました。出征中入院加療を受けた者は延べ17万人に達しましたが、その中で戦闘で負傷した者は、わずか4,500人余りで、ほとんどが赤痢、マラリア、コレラなどの伝染病および脚気で入院しまいした。そのうち重傷で日本に移送した患者は海外派兵軍の約三分の一に当る67,600人に達したという驚くべき数字です。戦争で敵と戦う前に伝染病で戦闘力を奪われてしまったのです。
 日本軍は、出征兵士に、天皇陛下とお国のために、身命をなげうって戦うことを強制しました。敵陣めがけて勇敢に突撃させることを重視しました。人命を尊重するどころか、最初から軽んじていました。衛生に配慮し疫病を予防して兵士の生命を守ること、前線の兵士の食料補給体制を整備することなどを考慮しないで兵士を海外の戦地へ派遣した結果、戦病死者を多数出したのです。このような陸軍の体質は、アジア・太平洋戦争まで変わりませんでした。
 (中略)
 台湾まで連れて行かれ、戦地についたとたんにマラリアや赤痢にかかって病死した人たちは靖国神社の神様に祀られて、本当に喜んでいるのでしょうか。
 台湾や朝鮮の人たちから見れば、日本軍の兵士は、祖国独立の道を閉ざし、植民地化に手を貸し、同胞を殺した憎い兵士です。戦争は立派な大義名分に隠れて、相手国の国民を殺すことです。日清戦争の戦死や戦病死者を靖国神社の神様に祀ることで、日本の国益の意味や、日清戦争の実態を隠したのです。それを知らなければ、朝鮮や台湾の人たちの恨みや怒りを理解することは不可能です。国家にしてみれば、戦争なんだから余計なことを考えないで、敵国の人々を殺せば、それでよいのでしょう。だが、そんな簡単に割り切って人を殺せるものなのでしょうか。


山中恒著「すっきりわかる『靖国神社』問題」小学館刊 179ページから引用

この説明を読むと、中国や韓国が何故、首相の靖国参拝に異議を唱えるのか、靖国神社に参拝するとはどういうことなのか、理解できると思います。






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最終更新日  2005年08月15日 18時59分51秒


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