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結婚しても姓を変えたくない人の自由を許容してほしい、それは憲法の基本原理である個人の尊厳そのものだ という主張であった。
もちろん、結婚して同姓を名乗りたい人はそうすればよい。それを望まない人間にも、結婚という制度を適用できるようにしてほしいという訴えを、なぜ最高裁の判事たちは退けたのか。
多数意見は選択的別姓という制度にも合理性があるので、後は国会で検討してほしいと述べた。
しかし、国会の多数派がこの問題について理解しないからこそ、原告は裁判に訴えたのである。最高裁の姿勢はたらいまわしの責任転嫁である。
今回、 違憲判決を出せば政権から激しい反発を受けて、後々面倒なことになるという官僚主義的配慮が判決の背後にあった と私は考える。多数者の無知、偏見から少数者の自由を守れないような最高裁に、憲法の番人を名乗る資格はない。
日本の社会は他人と違ったことをする少数者に意地悪で、抑圧的だ とつくづく感じさせられる。それこそが今の安倍政治を支えているのだろう。
夫婦別姓は共産主義の陰謀などとタワゴトを言う一方、恥ずかしげもなく、女性が輝くなどと叫ぶ首相の存在を許している日本 の現状をあの判決は反映している。
(法政大教授)
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