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2016年02月04日
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テーマ: ニュース(100344)
カテゴリ: 社会問題
 近頃の学校行事について、法政大学教授の山口二郎氏は1月24日の東京新聞コラムに、次のように書いている;




 多くの学校では運動会の呼び物として巨大な組み体操をするそうだ。事故も頻発し、大けがをする生徒が後を絶たない。小学校では十歳の子が「半分の成人式」と称し、それまでの成長過程を振り返り、親に感謝するイベントをするという。

 前者については当然、危険だからやめるべきだという批判がある。後者についても、成育歴を人前で披歴したくないような家庭環境の子どもを傷つけるとの批判がある。

 だが、文部科学省や教育委員会が指導するでもなく、親や教師が感動するという理由で、学校に定着しているようだ。学校が本当の教育の場なら、傷つく子どもに配慮して、感動したい多数派が我慢すべきだろう。

 先週書いた感謝と同じく、当節、感動も安っぽく使われ、本来の意味を失っている。今の大人たちは子どもの心身に傷を残してまで感動したいのか。大人たちが言う感動は単なる自己中心主義であり、 子どもをダシにした自己愛の追求 である。

学校行事に表れている感動の追求は、大人の幼稚化の象徴である。 感動や感謝を安売りする風潮が、幼稚な自己中心主義者である安倍晋三首相を支持する気分とつながっているという話をいずれ詳しく書いてみたい。
(法政大教授)


2016年1月24日 東京新聞朝刊 11版S 29ページ「本音のコラム-感動の安売り」から引用

 私も小学校や中学校で「組み体操」なるものをやった経験があるが、我々のころは今のような贅沢な食事ではなかった割に、体は頑健だったのか、組み体操が崩れて怪我人が出るという経験はなかった。考えてみれば、組み体操というものは、「早く走る」でもなければ「高く飛ぶ」わけでもなく、格闘技ではないから「より強く」にも当てはまらないのだから、これが果たしてスポーツなのか、という疑問も出てくるわけである。いくら感動のためとは言え、怪我のリスクを冒してまでやるほどのものではないのだから、これは教育委員会が「子どもをダシにした感動の追求はやめろ!」と、親と教員を指導するべきだ。









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最終更新日  2016年02月04日 14時18分54秒


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