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多くの学校では運動会の呼び物として巨大な組み体操をするそうだ。事故も頻発し、大けがをする生徒が後を絶たない。小学校では十歳の子が「半分の成人式」と称し、それまでの成長過程を振り返り、親に感謝するイベントをするという。
前者については当然、危険だからやめるべきだという批判がある。後者についても、成育歴を人前で披歴したくないような家庭環境の子どもを傷つけるとの批判がある。
だが、文部科学省や教育委員会が指導するでもなく、親や教師が感動するという理由で、学校に定着しているようだ。学校が本当の教育の場なら、傷つく子どもに配慮して、感動したい多数派が我慢すべきだろう。
先週書いた感謝と同じく、当節、感動も安っぽく使われ、本来の意味を失っている。今の大人たちは子どもの心身に傷を残してまで感動したいのか。大人たちが言う感動は単なる自己中心主義であり、 子どもをダシにした自己愛の追求 である。
学校行事に表れている感動の追求は、大人の幼稚化の象徴である。 感動や感謝を安売りする風潮が、幼稚な自己中心主義者である安倍晋三首相を支持する気分とつながっているという話をいずれ詳しく書いてみたい。
(法政大教授)
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