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<北村隆志記者>
-刊行のきっかけは、共編者のヘザー・ボウ工ン・ストライクさんとの出会いだそうですね。
彼女は、2001年の博士論文でプロレタリア文学を取り上げていました。なぜかと聞いたら、「日本の近現代文学のなかで、一番面白い作品群だから」という、明快な答えでした。
日本の近代文学が描いたのは、主にエリート男性、インテリ男性の内面です。夏目漱石の『こころ』もそうです。これに対し、プロレタリア文学は、変革の目的をもって、現実を正確に理解し表現しようとしました。
人間らしい生き方から疎外されている事実に、目覚める人たちを描く のがプロレタリア文学の一典型です。小林多喜二の「同志田口の感傷」や佐多稲子の「祈祷(きとう)」など、私たちの『選集』にも多くの例があります。
貪因も抵抗もていねいに見ていくと、さまざまな色合いがあり、収録作品はそれぞれの境遇の個性を提供してくれます。
◆児童文学に一章
-プロレタリア児童文学にも一章を設けたのが目を引きます。
日本プロレタリア文学運動の始まりは、よく1921年の『種蒔く人』の創刊といわれますが、もう一つの「始まり」があったと言えなくもないと思うのです。
それは新潟県木崎の小作争議です。 同盟休校の子どもたちのための適切な読み物がなかったので、応援の学生たちは自分たちで創作 したんです。こうした子ども(新しい読者)のための適切な題材、形式、表現など、プロレタリア文学が直面した課題に、彼らはいち早く向き合っていました。
その後もプロレタリア児童文学には、プロレタリア文学と共通の問題が凝縮されています。
-出版後、アメリカでの反響はいかがですか。
6月に京都で開催された「アジアにおけるアジア学会」で、カリフォルニア大学の教員が、「みんなあの本を授業で使っているのよ」と教えてくれました。
今春、ロッキー山脈に囲まれたモンタナ州立大学に授業で招かれた時、松田解子の「ある戦線」を教材にしました。学生たちは作品のテーマに敏感に反応し、自分たちが抱える問題と見事につないでくれました。 戦争と雇用の関係、軍事化学産業の職場環境の有害性、ジェンダーとセクハラの問題など です。
この作品は、労働条件改善のたたかいが同時に侵略戦争への抵抗として描かれていますが、それも討論のテーマになりました。
また、翻訳者の一人がカナダの大学で行った授業では、学生たちは『選集』に刺激されて、巻物のミニコミやアジプロ(宣伝)のビラを制作しました。みずから「壁小説」(壁新聞のための短い小説)を書いた学生もいたそうです。
◆なぜ書き続けた
-本書の「序文」には 「(ソ連などの失敗を理由に)日本プロレタリア文学の作家たちの苦闘と業績を抹殺するのは過ち」 とあります。
日本のプロレタリア文学運動は最初からたいへんな弾圧にさらされました。身の危険だけでなく、伏せ字や削除によって、肝心の言葉すら読者に届かない場合もあるのに、なぜ作品を書き続けたのか。
彼ら彼女らは、文学だけで社会変革ができると思っていませんでしたが、同時に、文学抜きで可能だとも思っていませんでした。
社会的、つまり制度的抑圧は気付きにくいものです。自分の精神的、肉体的被害を認識し、ひとと共感し、手を結ぶこと以外に将来に向けての希望などありえません。
彼らにとって 文学は最高に豊かな世界認識とコミュニケーションの手段だった のです。それらの小説は、現代のツイッターやフェイスブックにあたるかもしれません。双方を比べてみるのも有意義だと思います。
<ノーマ・フィールド 1947年東京生まれ。日本文学専攻。著書に『天皇の逝く国で』『小林多喜二』ほか>
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