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9月は2冊です。『冷血』カポーティストーリを忘れたように思って再読。感想は前と変わらなかったから再録↓2008年9月18日のブログ「9月はカポーティ」まず『冷血』を読んだ。事実を調べて書いた「ノンフィクション・ノベル」というそうだが、まったくの創作のようにな構成で、この作家の天才的な魅力に捉えられた。 一家四人殺し事件の殺された方の立場も、犯人のやむところのない心情も余すことなくつかめる。殺伐たる事件、非道である。しかしカポーティ味付けはファンタジーの様相をおびて、何か人好きのするようなぼんわかしたものが浮かんでくるのである。 そんな~、何の罪もないひとたち一家4人を殺してしまう犯人達を許してはいけない!と思いつつ 、言ってしまえば情が移ってしかたない。 しかも、罪のない尋常に暮らしていた、あるいは豊かに暮らしていた被害者の家族達を何も他人に害がないため、罪があるような錯覚もおきてしまう。 なんだろう?なにゆえに?これは作家の何かなのだ!ろう。考えさせられる。 「ティファニーで朝食を」はオードリー・ヘップバーンの不思議な魅力と主題曲「ムーンリバー」の印象で忘れがたい映画だった。それなのに原作者のトルーマン・カポーティという作家を意識していなかった。 原作の中篇作品『ティファニーで朝食を』は映画とはぜんぜんちがう。ハッピーエンドではない。風に吹かれるようにながれながれてもの哀しく終わる。でも、描き方の独特がそこはかとなく魅力なのである。 一緒に収められている『わが家は花ざかり』『ダイヤのギター』『クリスマスの思い出』の作品もひとつひとつが印象深く、やはり主人公を魅力的に想った。 つまり主人公の性格描写、心理状態(カポーティの等身大と思う)が気になるのだ。野性味のような自由さ、退廃的な、なげやりな柔軟さ。 そこで『冷血』。読むまでは松本清張のように実事件に即して、解き明かしたり肉付けしたりして淡々と物語られると思ったのが、違った。むごいのに暗くない、けして解決があるわけではないから明るくはない。 根源的な「育ち方」、「もの心ついたときの状態」が不如意、不幸だったら、一生に与える酷薄な運命が待ち受けているのではないか!とカポーテーはいいたいのではないか。 そしてカポーテーの初作品『遠い声 遠い部屋』。これぞゴシックロマン風の少年期もの。現代の恐ーいファンタジージーも真っ青。ゾクゾクッとしながら読んで興深い。自伝もふくまれているらしいからカポーテーの思想もわかろうというもの。 だからといって許せはしない、身も凍る殺人実事件である。現代でも嫌なことにたくさん同様の事件が起こっているではないか。と、読後感が良かっただけでは終わらない『冷血』。 この9月はカポーティを続けて読んでしまったわけ、である。『源氏物語(1)』角田光代訳大河ドラマ「光る君へ」にはまっていて、与謝野晶子訳は読んだけれど、角田光代訳はどうなのかと、まず(1)から。与謝野晶子訳が硬質で超現代風に思えて、角田光代訳がふんわりとやさしいのは面白い。*****映画をかなり観ていて、それに時間が取られているのもありますが、ちょっと日常に疲れています。忙しいといえば忙しい、日常生活のこまごました時間が足らない、でもそれは自分の動作がのろくなったゆえもあり、だけど今更人生をスピードアップアップしても、終りを早めるばかりと思われて。そういうのをモチベーションが上がらないというのか。老人のモチベーションてなんだろう、「死ぬまでピンピン」て、誰のためなんだろう?なんんだか不愉快になってきたこの頃であります。贅沢だろうね。
2024年10月01日
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時間移動、タイムスリップ系のSFの大家、小松左京のここから始まった、「もし、あのまま戦っていたら、太平洋戦争で日本が降伏せず戦い続けたら、どうなっていたか?」という作品。なるほど、夢想するだにむごく厳しいことだ。わたしは4歳だったから知らなかったけど、後から母に聞いたところによると、「こうなったら、家族四人で死ななければならない」といったとか。父34歳母26歳、普通の勤め人、疎開して田舎の辺鄙なところに住んでいたのだが。まして、中学生だった作者、柔らかい頭の中に埋め込まれた気持ちの持っていきどころがなかっただろう。
2024年08月11日
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『黒い福音』松本清張再読。ノンフィクション・ミステリー。戦後という日本が国際的に弱い立場の時代、キリスト教宗教集団の名に隠れて、救援物資の横流し、麻薬の密輸の犯罪が行われ、あげくに殺人事件も隠されようとする。翻弄され殺されたのは、そのころ憧れの職業スチュワーデスの女性。殺したのは若い神父。こういう昭和時代の黒い部分満載を、描かせたら一品の清張節をふたたび満喫。『だいたい夫が先に死ぬ』高橋源一郎本を永く読んでいると「ああ、この本の感覚は、あの本を思い出す」ということが多い。このエッセイは本だけに限らず、マンガ、映画、ドラマなどのジャンルに踏み込んでいて、なかなかにユーモアセンスのよろしい。というか、私がマンガ、映画、ドラマをまり観ていないなあ。最後のChatGTPの章はちょっと泣けましたね、こういう感想やブログを頑張らないと、わたしが私であることを忘れそう。間違っても「代わりに書いて」とは言いたくありませんよ。と打っているとパソコンの画面にChatGTPが飛び出してくるので、興味持ってしまい、試してみる。しかし、「う~ん、わたしは私の文章のほうがあっているなあ(笑)」『緋の河』桜木紫乃評伝のように堅苦しくもなく、思いっきりやさしく描かれている。『サラバ』西加奈子『古本食堂』原田ひ香*****思い出せば、この頃はもう夫が歩けなくなると、かなり暗い気持ちになっていた。読書で別世界に飛ぶのもままならないかと…。
2024年05月26日
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わたにとっては「自分史」を紐解くような物語。つまり、同じ時代を過ごしてきたということ。自分、子供たち、そして孫たちの学校教育のあり方、たどった道。物語はまだ世の中、学習塾が一般的でなかった時代から、高度経済成長期とともに、野火のように広がっっていった学習塾の変遷を、経営する側からの、学習塾を経営する家族を絡めて描いている。おもしろいことに、物語舞台の「習志野市、津田沼」も住んだことがあるので、親しみが湧くそのころ、田んぼや麦畑がそこら中にあった土地。教育熱心な、典型的な東京圏の土地柄だったのだろうか。思い出す、中学校の期末テストは、成績の順位がずらずらっと廊下に張り出されてすごく嫌だったわ。しかし、わたしはこの物語が始まる昭和36年より前、31年には中二で東京に引っ越してしまった。中二の三学期、学年最後の期末テストを受けてすぐ、残りの授業に出ず引っ越したので、やれやれとおもっていたら、親友(優等生だった)が手紙で成績を知らせてくれたのだけど、余計なことをする!って怒ったものだ。まあ、東京へ来たら来たで「この成績では都立高校には入れません」と編入学の新しい担任に言われ、母親が真っ青、中三の一年間を苦労したのだけどもね。ちなみに、夫も千葉の田舎(東京圏とは言われないほどの)から中三で越してきて、やはり「都立高校には入れない」といわれ、こりらも母親がびっくり、担任が中一、中二の教科書を貸してくれ、猛勉強の末もぐりこんだとか。さて、そのころ(昭和31年)に東京では学習塾が盛んであったのだろうか?と、自分の歴史をふりかえってしまったので(笑)
2024年04月11日
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有吉佐和子氏の初期の作品『紀ノ川』『香華』は、女性物との印象で、若かったわたしはそのような作品と思われるものは、同時代的には読み継がなかったのです。でも、近ごろ読みだした未読作品群の中の『鬼怒川』は、女の一代記といえばいえるのだが、それだけではない作家のメッセージが、物語の中ににじみ出ているのに気が付かされた。時は明治時代、絹の里・結城の機織りは女性の仕事、優秀な腕持つ女性が有利な結婚ができる。家が貧しい16歳のチヨはその美貌と機織りの腕で、ワンランク上の家に嫁いだ。夫は日露戦争の生き残り勇士。けれども、その戦争体験は彼を精神的に痛めつけて無気力にしてしまっていた。働こうとしない夫は土地に伝わるの夢を見はじめて、家を顧みない。チヨの苦労。そして時代は移って、太平洋戦争から復員した息子、学生運動で警察に逮捕された男の孫も、絹の里に戻ってくると、同じように無気力になり、同じように黄金埋蔵伝説に取りつかれるという幸せではないチヨの生き行く道。というと、やっぱり同じかあ、となるのだが、戦争の不条理を言いながら、男脳女脳のどうしようもない違いや、かえって、その違いのおもしろさを描いているのではないかと思う。わたしは男女の区別が苛立たしいと思って幾星霜。しかし、違いこそ人間の生きるエネルギーになっているのだ。
2024年03月28日
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東京湾の壮大な埋め立て地、わたしも、家具屋さんもあるし、豊洲市場ができれば一度は行ってみる。新橋からゆりかもめに乗ると、車窓の景色、タワーマンションの林立、倉庫群、潮溜まり、大規模催事場などが非現実的で、まるで遊園地で乗り物に乗っているような気がするのだ。そんな浮遊しているような街にも、ラヴストーリがあるというのが、この小説。聖地になっているのか?吉田修一作品は好きなのがあって、このところよく読んでいる。『悪人』と『湖の女たち』が特に印象深い。
2024年03月27日
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題が大変失礼なのですが、福島みずほ大臣に目を見張る思いをしております。 野党の小さい一党の党首であられた時の紋切り型と申しますか、不思議なコメントは「どうなさったちゃったのか」と、もう拝見したくない思いでございましたよ。 まあ、個性は変わらないのでしょうが、なぜか生き生きしていらっしゃいますね、このごろ。TVでの発言は普通です。むしろ女性として好感が持てます。態度もご立派です。 失礼ですが大臣におなりになりたかったわけではありますまい?でもやりがいのあるポジションではありますよ、政治家としてね。 はや、そろそろ三党連立の合意が波風立ってはおりますが、この初心を忘れずに頑張ってほしいものです。いろいろの意味で。 なにしろわたしは民主党政権というものに「はらはら、どきどき」しっぱなしなのでございます。だからといって変革がいやなのではありませんけども。 はなしは変わりますが、今、秋の畑の準備に忙しいのです。秋晴れの日々、畑に行くか、政治関係のTVに釘付けになるか、迷うこのごろです。それぐらい目が離せないのも事実です。もちろん新聞も隅から隅まで。 うーむ、変革とは一老女をも動かすか!ならば熟女を「晴れ」にさせるのも無理は無いですか。
2009年09月20日
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最近どうも「歳だから...」出来ないとか、仕方が無いとか、理由に「歳」を使っている。 このブログにもたびたび書いている気がする。 隠居だからそれでもいい? ダメ? 駄目。ダーメ! 楽隠居どころか、いそがしいったらありゃしないのだから。 でも物理的な忙しさが大変なのではなくて、自信がない言い訳を「歳」のせいにしている「歳」のことよ。 60代でも70代でも元気なら(身体が動くなら)甘えてはいけない。 年齢を忘れて、さてどう取り組むかと考えること!頭を使うこと! 何に向かっているかって? なに、家政一般のことになのです。 美味しいもの食べる、無駄遣いする、などとしたいことをするのは「歳」に関係ない。 出来るか出来ないかは個々。 ただし、気がとがめるなら、「歳」を理由にしていい。
2009年05月27日
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わたしもちょっと暇ですねー。雨も降ってるし、閉じこもってブロ具で遊ぶ余裕が...。Rinnさんへのコメントに「世間にまみれず世間を知る」「ずるくならずにずるさを知る」「悪に染まらずに悪を知る」これが大人ってもんでしょうが!と打ちましたが、なんだか、なさけない自分をさらけ出してるような。ほんとうはこれ、娘に言いたいのですよ。つい先日喧嘩しましてねぇ。手伝いに来なくていいってほざいたので「ああ、そう」ってしばらく行かなかったのです。そりゃ、娘は大変な状態です。やっと赤んちゃんは退院しましたが、心臓の病気ですから普通より育児に気を使います。母乳もまだ管からです。わたしの手伝いがいるでしょうが!でも、家事支援など公のサービスも利用してわたしの負担も軽くしてほしい。おさんどんはするから、幼稚園のこどもはサービスのほうでしてもらって。というのが気に入らないのか、わたしはいらない!と。わたしの身体を気づかってくれたと思や、いいけれども。ほんとに純粋で困る。全部自分でやろうとし、そうしないと気に入らないのがありあり。世間知らずもいいところ。しかし、その娘を育てたのはわたしじゃ。 いまは思い直したらしく(やっぱり大変なので)メールで「料理作って、頼む」と打ってきましたよ。だからって、いそいそ手伝いに走るわたしもわたしだけれども。「悪に染まらずに悪を知る」の足りなさで苦労している娘よ。かしこくなってくれえー!
2009年04月25日
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わたし、このブログに事実を書いたけれども、本音はあまり出していなかったかも。もちろん本の感想は本音だけれど、でも「おもしろくない!」と言い切ることはまれだった。そのようにカモフラージュした感情はそれこそおもしろくもなんともないよね。 ところで、リンク先のalexさんが「ブログをやめる」のではなくて「しばらく休止」とのこと、ほっとしてわたしはほそぼそ続ける事にするつもり。 ほかのリンク先の方々には申し訳ない言い草だけれども、alexさんのが読めないんだったら、楽天ブログがつまらなくてわたしももうやめようと思った(ほら、これが本音)のはほんと。 そのほかにも3、4リンク先ブログが愉しいのがあるのだけれど、それこそ挙げたら顰蹙もの。物議をかもすのもなんだからご想像におまかせ。 さて、わたしの3人目の障害のある孫のこと、まだ一ヶ月にもならないのに第一回の心臓の手術をほどこされ無事終わって、ちょっとほっとしているところ。 泊り込みで手伝うわたしも「ばあちゃるがんばる」だけれども、娘もへとへと、一番大変なのは赤ちゃん。 でも、娘も退院の翌日から車で病院通いの(おっぱいを絞って届けたり、付き添ったりで)忙しさの割には、産後の肥立ちはいいらしいので丈夫なのがありがたい。 母乳を搾って(ちゃんと搾乳機のいいのがレンタルである)冷凍するって知らなかった!でも絞って捨てることも多いので(余るので)そのとき娘は泣く。 で、わたしのすることはおさんどん、掃除、子供の世話。でも、孫がいると「ばあば、遊んで~♪」になるから家事がはかどらないので(だって67にもなると、よたよたとしか家事ができない、自分の家ではいかにサボってやっていたことかと痛感する)孫は預ける。 今度3年生になるのは「学童」に頼み、(この制度はすばらしい!長年作ってこられた人達に感謝!)年長さんの二番目は保育室に預かってもらう。(これがお金がかかるのよねー)早く学校と幼稚園が始まって欲しい。 今回、わたし達が娘の家の近くに住んでいない(1時間半の距離)のは大変さに拍車をかけた。それはわたし達夫婦の「老後の計画」に、娘達の「家庭の計画」が交錯してしまったということだ。 ほんと人生、先のことはわからない、計画は予定通りには行かない、それはわかっていたのだけれども。
2009年04月03日
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すこしまえまでは左がかっていることが進歩的だといわれていたと思う。だからというわけでもないが、進歩的というのも好きだからわたしはそっちに傾いていた。 「だからというわけでもない」とは、立場がいつも弱いほうに居たからだ。弱いほうというのは、簡単に言えば差別支配される側に居たということ。女性と単純労働者と普通の家庭人だから(とわたしが思っている)。 左といっても幅が広くて極左からリベラル派まであるのは周知。時によってずりずりと移動はしていた。例えば、選挙の投票でいうなら共産党、社民党、民主党、自民党をその時々で選んで、いったりきたりしていたわたし。 つらつら自分は何なんだと考えるてみると、左とか右とかの固定観念に縛られていたのではないかと思う。 実は昨日のサンデープロジェクトの「日本人の拠って立つものとは?」を見て (テレ朝のこれ久しぶりなんだ、というのは政治家が激論というより、各自ががなりたてる感じで聞き取れないのが嫌になって、もう何年も見ていなかった) うーむ、とうなずくことしきりだったのだ。出演者が 西部 邁 (評論家) 中谷 巌 (三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長) 櫻井 よしこ(ジャーナリスト) 姜 尚中 (東京大学大学院教授) の方々。ということは…?右派?とわたしは思う。ところが、その方々の論(お話)で「そうだ」と思うところがいっぱいあったのだ。 ちょうど来ていた息子にその感想を話をしたら、「右もぐるっと廻れば左になる」と大笑い。 ちがう、ちがう。 どんな意見(論)も聞いてみるものだということ。「そうじゃない」とわたしが思ったところも、とても参考になるとあらためて感じたことが新鮮だった。 だから固定観念に縛られずに、これからは考えていこうと、ますます精進(勉強)しなければならないので大変だなー(笑)なぞと思ったのよ。 右や左のだんなさま、どうかおめぐみを… いえいえ、てめえでさがしまする
2009年02月23日
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「かくかくしかじか四角に生きて…」というコピーがあったかどうか?要するに自分の意見なり、思考なりが正しくて(実際そうである場合もあるが、思い込んでる場合もある)それを言わずにおれない、主張せずにはいられない、という資質のひとはひととぶつかりやすい。 思い当たるひともいるかも知れないが(笑)、わたしのことである。むかしは内弁慶のところもあり、他に向かっては抑えていたように思う(思うだけだが)、しかし、身内には言い募って、相当ぎゅうぎゅうやってたらしい。一番の被害者は夫、次に母親。 それが正論だとしても通る世の中ではない。世の中に出れば幼児でも会得する。幼稚園児がうまくみんなと遊べるようになるのが、成長したといわれる所以はそう。たまには出来ない子もいろいろあるけど…。 実は次期アメリカ大統領オバマ氏が現大統領ブッシュ氏や存命の元大統領たちと、昼食会をしたというニュースを見て、一瞬「おや」と思う。チェンジするひとがなにも旧に敬意を表さなくてもいいではないかと。むしろおもねってるいやらしさかなーと。 おもねっているかどうかはわからないが、交代したとはいっても一国の大統領をやった人々だ、お年寄りを立てて挨拶する度量あるいはゆるさが人間関係にはいい。現や元の大統領たちも悪い気持ちではないだろう。 ちょっと「うーむ」と思った。もちろんだれかのアドバイスかもしれない、でも決断は本人、それがしたたかさ、もとい天才的なのだろうと思う。 四角四面にダメなものはダメと決め付けないで、ゆるく考えられるようになると、そのやりとげたいことは、完成に一歩近づいた事になると思う。(もちろん、大統領になってのお手並みはわからないけれども) 世の中、突き進むだけではうまくいかない。しかし、わかっちゃいるけど、なんであんたはそうゆるいの「こう、こうでしょ!」と決め付けてしまう家庭内暴言がなかなかおさまらない、わたし。
2009年01月08日
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ブログを書いていると、思わず言わなくてもいい(?)ことまでいってしまう。 例えば出た学校のこと。名前はともかく「大学時代に…」とか「短大時代…」にとか。「高校の時に…」などというのは今やもうどうということもないけれど、やはり何らかの理由で中退したひとがどう思うか、わからない。 その他、生活状況もろもろ、自慢してるのか!とでも言われそうな事をも含んでくる。でもそんな事を気にしていたら、もうブログではなくなる。 ブログという特殊な文章でも長く続けていると、ひととなり、ひとがらはわかってくるものだ。そのなかで読めばその文が自然に出てきたものとわかるはずだ。 よくオフ会とかいってリアルに会う人たちもいるのを、「よくできるねー」「こわくない!」「信じられない!」などいう人もあるかもしれない。 でももしそんな嫌な状況になるなら、それはブログやメールなどの文章をよく読んでいないか、いいかげんにな性質かのそれこそ自己の責任だ。自信がなければ会わなければいいのだ。 わたしもブログを始めたころは、こんなものでどこまで伝わるのだろうか?という気持ちがあった。 文にするというのは話し(言葉)よりきびしい、むずかしい。身振り手振りがないぶん言葉を選ぶ。また反対に頭でよく考えて発するけど「話」でもないし「文章」でもない。文にする上手下手もある。 でも、ブログは作家の文章ではないので「うまい」といわれなくてもいいのだ。そしてブログの文から「ひとがら、ひととなり」がたちのぼってくるのがわかるから楽しいのだ。 わたしの趣味の読書感想にしたってひとさまざま、性格、目的(お仕事なのを)まで推し測れるからおもしろい。自分のも見られてるのを忘れているんだが(笑) では、もうばれてはいるのだろうが、「もうすこし本音を出して」これから読書感想など書いていこう。そして、ひとがら、ひととなりをさらけだそう(笑)
2009年01月04日
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このところ 文学の話題から離れちゃってる でも 小説を読んでも エッセイを読んでもしょせんは人間の営み 社会の一員であるわたし 逃れられない 何かおかしくなってきた日本 考えて 悩んで 答えを見つけたい あんたに何がわかる と言わないでよ 格差貧困が問題 派遣労働者制度が問題 その労働者が大量待機という問題 世界的な不況の中の日本 資源のない日本 人材 技術しかない日本 鎖国時代の遅れを取り戻したと思った日本 出る杭がごと打たれた日本 吹き荒れた上からの民主化もどき 明治維新が間違っていた? あのころは有能なひとがいた 身を粉にして日本を築いたはず 文明とはなに? 文化とはなに? 長い闘争と進歩の歴史 人間の重みとはなに? 人間は個々の区別はあるけれど差別はない だけど人間はエゴイズムの塊 人間はひとりでは生きられない ひとりひとりが大切な存在 そのひとりがよく生きていかなければ 世界の 日本の人間は消える そのひとりが尊厳を持って生きるには? 生活ができる 居場所があるが基本 ひとは働く 能力に応じて その働きに差別はない 誰もがやりたくないような仕事が高い報酬 利己主義のため悪知恵を使っている者に しくみを手にして離さない者に 天誅が下るような国になってくれ! 無い知恵絞っている わたし 選挙の一票しかない わたし 目の黒いうちに 変化の兆しをみたい
2008年12月09日
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「(将来に対する)ぼんやりした不安」というのは芥川龍之介が自殺した時の手記にあったものですが、わたしも今の日本をぼんやりと不安に感じます。 どうなっちゃうんだろう日本。みんな本気になって考えていてくれているのだろうか? 突然ですが、わたしは数字とローマ字とカタカナ字が苦手(ほとんどダメじゃん)で、数字が並んでいるとくらくら、おろおろするし、カタカナが羅列する文(例えば谷崎潤一郎や辻邦生のある小説)はまどろっこしいし、ましてローマ字がずらずらっと続く、英文や仏文やらは読めません。 本が好きなわたしは日本語の本を読むしかないんです。日本語が話せて、考えも日本語でないと困るんです。という理由もあって日本が大好きなんです。しか、住めないんです 気候風土も、ご飯もおかずも日本のでないとわたしは身体が変になります。汗かきの夫はヨーロッパの乾いた空気が非常に具合いいとよく云いますが、わたしが居なければ困るでしょ(笑)というのは別の話です。 もちろん日本は無くならないでしょう。でも、有るだけの国っていうのは寂しい。世界にそんな国は沢山ありますけれどね。 資源がない日本の資源は人材がそう、じゃなかったですか?ところが国を動かす人材も居ないらしい。 わたしがとりとめもなくこんなこといってもしょうがないけど、一票を投じる事は出来るんですから、ありがたいことにね。女性の参政権、投票権が認められたのもたかだか63年前ですよ。空気のように当たり前にあったわけではないのですよ。 目先のお金(一時交付金)はいりませんし、それに、あちこちばら撒かないでほしい。せっかく貯めた(隠しておいた)税金を使うなら、国民に感心されるように知恵を絞ってもらいたいですね。 と支離滅裂な憂国の情、といったらおおげさですか。
2008年12月04日
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タイトルは岡本かの子さん『老妓抄』の最後にあるうた「年々にわが悲しみは深くして いよよ華やぐ命なりけり」から拝借。瀬戸内寂聴さんの小説の題でもある。 最近わたしがするコメントなどで知らず知らず暴露しているのに気がついた。そんな心境になっているのかなーと。 67歳の女といえばひとむかし前はもう完璧な老婆として新聞などに書かれた。 わたしとしても幼子やこどもたちに「おばあちゃん」ですよ、と言うのは抵抗がない。事実「ばあば」と孫に慕われて目を細めているんだから。 で、そういう落ち着きとちがう、浮ついたとも云える高揚感が出てきているのかしらと思う。 佐野洋子ではないけれど「4歳のわたしも60歳のわたしもちっとも変わっていない」と云うこととはまた違った、歳経たために、人生経験の果てに、得た「かろみ」と「しぶみ」みたいなものが加わってこれからを過ごせるのではないか。 華やかな着物を着るように、精神のはなやぎを意識してきた気がする。たいした蓄積ではないけれども。 本を読んでいるわたしはむかしと変わっていないけれど、読んでもらす感想は微妙に違ってきているはず。 そんなわたしが解き放たれて、すこし浮ついたからとていいではないか。
2008年11月28日
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よその国なのに選挙結果を固唾を呑んで見守ってしまいましたね、アメリカの大統領選挙の結果をですね。おまけにオバマ氏の勝利宣言までTV中継でリアルタイムに観られました。 それで演説がうまいというオバマ氏の勝利宣言のすべてを聴いてしまったわけですが、その演説の中に「おや?」と突っ込みたくなるエピソードがあったのです。 新聞などの演説要約にはありませんでしたので、あやふやなところはありまが、こんな話だったようです。「〇〇州は106歳の黒人のおばあさんが涙ながらに投票してくれた。奴隷制度廃止直後に生まれた彼女の苦しみは思っても思い測れない…云々」という同時通訳でした。涙の場面です。 106歳、うん?2008年-106年は1902年生まれだよね。そうかその頃のアメリカは奴隷制度廃止の直後なのかと思いました。で、うちの姑さんは100歳で明治の終わり頃に生まれて…とその時代に思いをはせ、ちょっと感動しました。 ところで、たまたま永井荷風の『あめりか物語』(荷風が1903年に行ったアメリカの見聞を元に書いた)を読書中なのですが、その中の「林間」にシカゴの公園で行き会った白人の兵士が、ねんごろだった黒人の娘を簡単に捨てる場面に遭遇、人種問題を憂える文がありました。少々長いですが、今を予感しているような明察の文です。 「一体黒人と云うものは何故白人種から軽侮又嫌悪されるのであろう。その容貌が醜いから黒いからであろうか。単に五十年前は奴隷であったと云うに過ぎぬのであろうか。人種なるものは一個の政治的団体を作らぬ限りは如何しても迫害を免れないのであろうか。永久に国家や軍隊の存在が必要なのであろうか……」 でもわたしは、この文の1903年当時で50年経ったというところにも注目してしまいました。はい、年表を確かめました。リンカーン大統領が奴隷開放宣言をしたのは1863年。40年経たということですね。だからオバマ氏の演説で言う1902年は直後ではありませんね。 まあ、大雑把に言えばそうでもありますが…。もちろん差別の苦しみが大して変わっていないというのは事実でしょう。ただ、あたかも生き証人が感動したというように話を持っていったというところに、うまいなーと思うだけです。演説のカリスマ性かもしれませんね。わたしの勝手な思い込みでしょうか(笑)
2008年11月07日
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今回の毒ギョウザ事件、みなさまと同じにいろいろ考えさせられた。わたしが認識新たにしたことというか、恥ずかしながらびっくりしたこと* 生協の冷凍ギョウザも一般スーパーの冷凍ギョウザもネーミングこそ違え同じ中国の工場で作られていたこと* ギョウザにこんなに沢山の名前が付けられていたことにびっくり。単に「冷凍ギョウザ」でいいじゃないの~* ギョウザ40個もの冷凍が、40個手作りするより安価なこと。わたしのように「にら、ねぎ、キャベツ」を自前の畑で作るともっと高額になるね* 日本の食物自給率が50%をきっていたことが、はっきりわかったこと* 輸入加工品は全く検疫がなされていなかったこと* 中国の冷凍食品工場が日本の要求・指導かもしれないが、超近代的工場だったこと 我が家もご多分にもれずギョウザは大好きだ。わたしも新婚の頃から延々と作り続けてきた。むかし、料理教室で習ったのは皮も手作りだった。粉を煉ってねかし、棒状にして1センチに輪切り、それを麺棒で丸くのす。簡単なようなこつがいるような、でもそんなことは数回、やはり手間なので市販の皮で作るのが大半だった。それでもほんとにおいしい。具など各家々工夫されていると思う。わたしも…! 冷凍ギョウザはブランド品(有名店の、とか)を買うのみだった。最近は一回作れば、余りを冷凍にして2回か3回も楽しめるという状態(2人なので)になってしまった。 だけど、忙しい主婦にとっておいしくて安い冷凍ギョウザは助かる存在。なんでこんなことに!? たしか中国でギョウザはお祝いの時に作ると聞いている。むかし、田舎で慶弔の集まりがあったとき、五目寿しや手打ちうどん、手打ちそばを総出で作ったようなものだろう。そんな厳粛なものに毒なんが入れたら(もし犯人が中国人だったとして)罰が当たるではないか。 運悪くそのギョウザを食べてしまった方たちが回復されることを祈り、犯人ないし原因が究明されるとことを願うが、日本の食のありかたが尋常でないことだけはよーくわかった。
2008年02月08日
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久しぶりの会話第一声は「お元気でしたか?」が多い。でも、わたし達やもうすこし年上のひと達はこれ禁句だと思う。「どこどこが悪くて、なんとか科にかかって、民間療法はこれで、…」機関銃の発射のごとく始まる。肝心の総合的近況はわからずじまいになる。先日も従兄が亡くなったので告別式に行き、突然の従兄の死は悲しかったが、他のいとこ達たくさんに会う機会ができて懐かしく嬉かった。父方はきょうだいが多いので、いとこの数も半端ではない。子どもの頃遊んで仲良しのだった従妹と、お互いに「お元気でしたか?」「まあ、なんとか。いろいろちょこちょこあるけどね。」と言ってから、健康以外の近況の話になったというのがものすごく良かった。やっぱり気の会う二つ下の従妹だわ♪と思った。わたしも持病はあるし、監視し定期健診しなければならない部位がひとつやふたつでない。もうじき傷病保険も切れるのだが、もう掛けられないだろうという状態。その手の話題につきる会話はしたくない。だからクラス会での学友や昔の仲間と会いたいけれど、控えてしまう。そんな事思っているから、このごろ友人とも会ってないのかもしれない。いかんいかん。といいながらわたしはこのブログで今、しているか!?(笑)
2007年10月12日
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横光利一『旅愁』の主人公「矢代」は嫌な性格。恋人がカソリックなのに、彼女も一緒に居る皆の前でキリスト教を批判する。日本のよい精神が、キリスト教と共に日本に入ってきた科学に蹂躙されたという考えなのである。意見は信条として仕方ないけど、その場の雰囲気を読めなくて、ただただ正直に自分の思想を述べてしまう鈍感さにあきれる。恋人「千鶴子」はさぞかしその場で凍りついただろう。とストーリーが進む『旅愁』をいらいらしながら読んでいる。しかし、人のことは言えないね、こんなことっていっぱいあるんだねぇ。自分の信条をつい披露してしまい、その場を凍りつかせたり、ぶち切れさせたり。前回の読了本『おひとりさまの老後』の上野千鶴子も書いている。一言多い性格。この方ならさぞやとも思うんだけど、わたしだってある。とっさに一言多くいってしまってしらけた会話。相手にぶち切られた会話。むしろ誠実に意見を言ったために起こったこともある。だからこの「いらいら」は自省に駆られてのことにしよう。反省して性格が変れば苦労はないけど。ところで、政治の世界でも「失言」の花ざかりだね。うっ!でもこちらはプロだからねぇ。
2007年10月09日
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適度の距離をおいてつきあう、これ人間社会の鉄則。しょせん夫婦は他人どうし、末永くやっていくこつですね♪「からだははなれても、こころはつながっている」長い長い塾老年代の座右の銘ですかね(笑)↑はリンク友のオーキリさんへのコメント。この時の「からだははなれても、こころはつながっている」は別室に住むということについてのコメントのつもり、だけどこんなことがある。ちょっとまえ、カーラジオで聴いた「人生相談」Q「熟年夫婦だけれど夫が無視、冷たくけんかばかりしている、これから先人生真っ暗になった。どうしたら?」A「若いときならいろいろあってもネテしまえばなんとかなったもんです。そうはいかない、そうでしょう。(とやけに回答者は念を押していた 笑)だから、なんたらかんたら…(わたしが解答を忘れただけ)」そこ「ネテしまえばなんとかなったもんです」スキンシップと言いかえてもいいけれど、無くなるんですねー、塾老年代には。いえいえある!というひとはあるでしょう。いいオクスリもありますしねぇ。でもたいていは…。はっきり言うと興ざめだけれど、肉体的外形的雰囲気的そんな気になりません。さあ、プラトニック・ラブの正念場です。若い時のあーだこーだを思い出してはいけません。いま、お互いに人間としてどうだ?です。惹かれあうものがある一緒にいると癒されるおもしろい&かなしいごはんがおいしくなる話し相手、茶飲み友達便利(お互いに…だけど、片方の…だったら、ブー)頼りになる(これもお互い)そして最後、愛しているさあ、どうだ?!?!ところでオーキリさんのブログ「適度な距離感」のオチ『ベター・ハーフ』(唯川 恵)わたしの感想はここ。なかなかまとまっているよ、と自分で言う(笑)
2007年09月05日
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どの年齢、どんな状況でも人間、将来に対する不安はつきものである。若きも老いるも悩む。でも、寄る年波の弊害はむごいなと思う。選挙のニュースをみていて、老人の杖をついた姿がやたら目につき考え込む。残酷なことを言うようだけれど、よたよた投票所に行って未来のためになっているのかなー。選挙権行使は国民の権利義務とはわかっちゃいるけど、震える手でよくわからない人に投票するなんてどうか。案の定、相変わらずの老醜が当選してしまったようだ。もちろん老人だけの投票のせいではないだろうけど。地道に落ち着き、熟した時代も永遠には続かない。誰だって年とる。分別ある大人が次々と、とって代わらなくてはいけない。若さゆえの未熟を嘆き、早く大人になりたいあせりで不安になった日々が懐かしい。
2007年04月10日
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ブログってものを始めるとき、大げさにいうと葛藤しました。「はずかしい、恥ずかしい!けれどしたい!」と。「だいたい、匿名といったってよくこんなにさらけだせるもんだ」というのがブログのひとつの特徴なんですね。魅力ですよ。けれど、きっぱりと考えや意見をいうということは潔い(いさぎよい)と感じ、そういうブログなども同感を持って見、好む私ですけれど自分が書くとなると躊躇します。それが羞恥心なのか保守的な心なのかわからなくなり悩みます。それは微妙に前の世代の影響を受け、それが後の世代に影をさしてしまっているのではないかと思うのです。戦後、連合軍占領下の政策から出た、ひょうたんからこまのような「民主主義」の洗礼を真っ先にうけたのが私たち世代でした。あたらしい息吹で「民主主義」を、まだ幼い頃から教わった第一波ではないかと思っております。お互いに意見を言い、出し合って一致点を見出していく。個人の意見を持つ。と私は叩き込まれました。いえ、理解しました。そうじゃない人もいるでしょうが。今ではあたりまえのことですね。封じ込めて黙らせてしまうのが長い間の日本の体制でした。それが保守的な構造で、歴史的に長い間さらされてきた世代が私たち(たぶん60代以上)の親たちでした。その影響下、抵抗勢力は多くあったでのす。そして60年も経ったのに、どうなっているか?疑問に思っているからブログで語ろうと思うのに、それにも戸惑ってしまうのです。けれども私はノスタルジーでなんとかしたいと、はずかしい、恥ずかしい行為をしているのです。
2007年03月10日
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昨日のブログは私にしてみれば異例で刺激的な題、テーマだったかな?つねづね、率直に物言うけれど、上品かつたおやかさをなくしたくなく思っている。年とってくると、しゃべり方もだんだんあけすけになる。けれども外見が見苦しくなるのはしかたがないのだから、せめて言葉のきれいさ、会話の上品さを失いたくないなーとも思う。だからと言って、きどって不必要に言い換えるる必要はない。排卵、性交、精子、着床、妊娠、出産という、子供が出来るまでの過程(現代はこの過程ばかりではないけど)の言葉は日常語だもの。と、こんな文章を書いているのはこだわっている証拠。実は、だんだんあけすけにしゃべるようになってきた自分が一番こわいのである。若い方(女性)がこだわりなくブログなどで、書いたりしゃべったりしているのがうらやましいなーと思う昨今。
2007年03月09日
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今朝、洗い物をしていて考えた。皿洗いは夫の分担、居れば三度三度する。出掛けるため時間がない時だけ私。そんなおり、気になる洗い方仕上がり。皿、小鉢、茶碗のいとじりの汚れである。自分でしてる時は常には気にならず、ひどくなって気がつき、クレンザーでみがいたり、歯ブラシでこすってきた。ちょっとやっておけばいいのだから、そう、言いたい。でも言えない。小うるさい姑のようで嫌なのである。それでなくても洗い仕上がりがお皿を使う段になって、こびりついていたりを注意し嫌がられているのだ。そんなこと私だってしているし。とかく自分がしていないと気がつくことが多い。世でいう「小姑根性」。歳を経るとなお増す。私も何度、姑に言われてきたことか、このごろだって。車椅子から指図の姑「よけいなことだけど、…して…したほうがいいよ」私の心の中(自分で出来ないのだから、やり方まで指図するな!よけいなことならいうな!)「人のふり見て我がふり直せ」「ひとの上見て我が身を思え」おっととと、私がなりそうなのである。
2007年03月04日
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気分が引き立たない時というのは、体調が悪いのも影響するけれど、何がなし希望がみえなくなる。昨日、久しぶりに妹と電話で長話したら、よけい沈んでしまった。妹とは気質が似ているためか個性がぶつかって、あまり仲良いとはいえない間柄。めずらしくもない話だけれど、父が亡くなって母の世話、相続問題が発生して、3人きょうだい(女、女、男)の間のぎくしゃく状態が12年続いている。だから会えば、電話すればその話題になり、嫌な気分になるので避けていたのだけれども。用事はメールで済むが半年も声を聴かなければ気になろうもの、こちらから掛けてみた。ああ、今思い出した、暮れにみかんを送ってやったのに、メールでしかお礼が無かったなー(怒)私が甘いか。やっぱり妹の健康やら近況の話が前半ちょっぴり、あとはきょうだい関係の愚痴になってしまい1時間、どっと疲れた。おまけに私が最近いろいろ検査してほとんど心配が無いという話はしそびれた。聞いてもくれなかったし。ほんとはそのことがが嬉しくて電話したのもあったのだが。もう!もう!こちらから電話しない!何度決心したことか…。ストレスがたまっていたのだが、信兵衛さんの2月18日の日記を拝見して元気が出た。子供の頃の「好きなだけ本が読めるようになりたい」夢が、実は今実現しているのでは、というなにげない日常の様子。同感したと同時に、気がつかせてくれたのであった。人生いろいろあっても、私には今、読書の自由はあるのだもの。よいではないか。
2007年02月22日
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しばらくご無沙汰だったが、こんなことが頭を占めている…。先日、渋谷区のバラバラ死体遺棄事件で、妻が夫を殺したのではないかと逮捕された。すっかり同じではないが桐野夏生の小説「OUT」を思い起し慄然としたのだが…。また同じ渋谷区の歯科医一家の兄が妹を殺し、バラバラにした事件。殺した理由のひとつに「人間を否定された」という、似たような誘因が報道されている。「人間の否定」これは何にでも使える魔法の説明ではないかと思った。わかりそうでわからない言葉だ。殺人にまで到ってしまう異常事態はともかく、精神的な病気やいじめ、引きこもりなどの誘因の一つの説明にもよくいわれる。「人間の否定」そんなに簡単に否定してしまえるものだろうか?相性が悪いということから誤解がうまれ、単に嫌いとか否やといわれたことが、その人の中で増幅してしまうのだろうか。私がされたことあるのだろうか?してしまったことがあるのだろうか?私の場合、夫婦の間、親子関係、きょうだい関係、親戚関係、友人関係、ご近所関係。このたび、深く考えさせられてしまった。人間は個性があり、育った環境があって、長所もあれば短所もあり、一人では生きていけないし、協調性が無ければスムースに関係が結べないのだ。人間同士は否定しあってばかりいないで、根気良い話し合いが必要不可欠な、そうしなければ誤解多い関係だと思う。事件が起こると、センセーショナルに報道されてしまうのもわかるが、冷静に客観的に、解明に近い答えを知りたいものだ。
2007年01月16日
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読書感想ブログを開いてもうまる3年、石の上にも3年、べつに辛抱して書いていたわけではないけれど、読みっぱなしだった本の感想を生まれて初めて書き出して、要領もわかってきたし、慣れもした。この歳でこれをやっている人は希少ではないかと、そればかりを頼みに自己満足。3年も書けばだいたいの考え方、さらけ出せる限りのものはがわかってしまっただろう、話題は読書感想に畑&身辺雑記しかない平凡さ。語彙も思想も限られ、新鮮味がない、マンネリであきる(私も、私が)のが当然。(1)いったん閉じる(切り口を変えて再度開く可能性あり)(2)閉じずに休眠する(しばらく放置する、リフレッシュ期間をとる?)(3)このまま切り口を変える(「晴耕雨読本音話」とか、でも友人親族がみているからねー、汗)(4)多少手直しをする(模様替えのみか、これはもう何回かしている、意味なし)(5)何もしないでこのまま行く(6)もう止めてしまう(7)他のブログソフトに移る(枠が変るだけかな?!)だだし(1)と(6)は読書感想はだいたい残してあるからいいが、頂いたコメントが惜しい!うーん、11月14日まで考えることに。ブログはいきものであるから。
2006年11月03日
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入院するような病気になったとき、病院の入院案内のパンフレットに書いてある携帯必需品湯のみ、はし、スプーン、タオル、洗面用具、ティッシュペーパー、スリッパなどお決まりのもののほかに意外なものが必要だったのだ、とわかったもの、こと。卓上カレンダー(手帳などのを見ればよいのだが、ひとめでわかるよさ)紙コップ、紙皿(家族、見舞い客ものどが渇く)携帯ラジオ(TVは備え付けてあるがラジオは聴く人が少なく壊れていた)付き添い家族のスリッパ(長く待っている場合などに楽だった)タオル類は多めに何かと必要だった、便利湯のみを洗ったとき拭く布巾、あるいはキッチンペーパー本人の好きな慰みもの(本、MDプレーイヤー、ゲームなど)最近は病衣(パジャマ)を貸してくれるシステムになっている、タオル、下着だけを持ち帰り洗濯、荷物が少なくてこれはとても助かった。病院備え付けの乾燥洗濯機もあるけれど、ある程度量が溜まらないとね。病院の食事は必要な栄養と量が整っている。好物だとて持って行くのはよくない。出されたものを食べきれないし、グルメになるのは退院してからだと思う。そうして一番必要なものはここでも生活上の自立の精神。普段の生活がほのみえてしまう、夫はかなり不器用でもたついていた。もちろん身体が回復してきた時の話だが、人間楽なほうにすぐ慣れる。酷なようだが、いたわりと甘えのせめぎ合い。自分への戒め(おぼえがき)である。
2006年08月20日
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日経新聞の『富田元宮内庁長官の日記、昭和天皇発言メモ「東京裁判のA級戦犯の靖国神社合祀に強い不快感を示していた」』スクープ記事にはいろいろ考えさせられた。疑問が沸いてきた。1. 「A級戦犯の靖国神社合祀」のいきさつはどうだったのか?2. 閣僚が新しくなるたびに、靖国神社におまいりするかどうかという質問を何故するのか?3. だいたいどうして神社(しかもいわくがありそうな)で戦争の犠牲者(戦没者)をまつって追悼するのか?もちろん自分の知識の無さを棚に上げているのだけれど。知らなかったでは済まされない。最近では北朝鮮のミサイル発射にたいする日本政府の態度(私は効果ありと思っている)しかり。どうしてほっておいたようになったのだろう、拉致問題しかり。等々。アンテナ張って、頭をクリアにして関心を持とうと思う。
2006年07月21日
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ちゃんと歴史考証して書かれる歴史小説も面白いのであるが、古い時代に場所を借りて時代物という人間味あふれたフィクションも好きである。山本周五郎の次には池波正太郎に惹かれた。特に江戸を書かせたらこの人の右に出る者は居るまい。作家自身江戸っ子で食べ物のエッセイ、映画のエッセイ、洒脱の粋人。強くて、やさしくて、おいしいものを知っていて、人生にも味わい深く、お金にきれい、もう言うことなし。「剣客商売」の小兵衛さんに、「鬼平犯科帳」の平蔵さん、のキャラクターは池波正太郎亡き後、もうこの世には存在しない貴重な人物と思える。「鬼平犯科帳」24巻、「剣客商売」16巻、番外編2巻。私の本箱の中央に鎮座している。(何本かある本箱のひとつということだが)従って時間さえあればこの二つのテレビで作られたものも繰り返し観ている。「時代劇専門チャンネル」を契約して。ところで、この「時代劇専門チャンネル」で最近放映しているジェームス・三木の「八代将軍吉宗」がマイブームである。1995年にNHKでやった大河ドラマ。当時も面白かったが、今観てもなかなかのもの。近松門左衛門を語り手として、なかなか凝ったつくりにもなっている。タイトル、登場人物のところは現代でもすごいCGと思うほど。95年は神戸の地震、地下鉄サリン事件、オウム事件と多事多難な年でもあったと思い出す。脚本家のスキャンダルもあったような…。いつの時代も似たようなことの繰り返し、朝鮮半島のきな臭い現在でも日本にもスキャンダルや胡散臭さは満ちて、こんなことしてていいのかと人間性の変化のなさに嘆かわしい思い。強くてやさしい方向付けを望むよ、頼むよ。
2006年07月07日
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もう書くまいと思いつつまた、書いてしまう。「新聞各紙の評論、楽し」で、まあまあ大変だったけど勉強になったし、と良い面を大いに買い楽しむうちはよかった。しかし、「二度とOKしないから!」で懲り懲り、もう金輪際断わろうと思っていた、我が家での「もてなし」をやむなくする羽目になった。夫がある団体の長をボランティアで引き受けた。難しい局面での役員の信頼関係を増し、気心をあわせて頑張ろうと言うわけで、親睦会なる集まりにお酒がどうしてもはいる場面が必要だ。先週の土曜日、そのパーティーのホステスとなったわけ。くだくだしいく料理は述べないけれど、前回のごとくきっちり用意した。(と言いつつ、「庭のきゃらぶき、まだけ、高野豆腐、畑のスナップえんどうの炊き合わせ」はうまく出来たよ)男性7人、夫。お客様の内のお1人が私が大変だろうと奥さま同伴はいいのだけれど、暢気な彼女で用意し終わったところへいらした。おいしい、おいしいとお食べになって、半分洗い物してお帰りに。(だから、そんな妻の実力も知らない男性にもがっかり)男性どもは飲みながら議論白熱、殴りあうようなすさまじさ。(私から言わせると一歩間違えばくだらない)皆様みんないい年令、責任ある立場の人達だけれどね。そこで起こった出来事。「ママ。氷がないよ!」「オカアサン、お水、お水」だと。(飲み屋じゃないよ! あんたのおかあさんじゃないよ!)あげくの果てに、あるお方は私と偶然同じ都立高校卒業と知ると、抱きつきやがった!(ばあチャルだとてセクハラだよ!!同窓生の恥!)これってほんとに飲み屋かバーでののりではないか。私はパーティーをしたいのだ。もちろん、後で夫に訴えた。7人もいればドサクサでわからなかったそう(だいぶ酔ってたし)。出入り禁止にしたそうだったが、役員罷免はどうだろうね、難しいね。(もっともあちこちで実例がでればそうなるけど)うんと昔OLのころ、酔ってお手手つなぎだの、肩を抱くだの、会社の宴会はいやだなーと思ってた頃を思い出してしまった。社会に出ている女性のこういう苦労ものすごくよくわかる。世に出ていなくてもこれだもの!もう時代は進んでいるはず、というのも思い違いらしい。ああ、無くならないセクハラよ!今日も今日とて女性専用車に偶然乗ったけど、これも変なものだね。
2006年06月14日
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テレビで「偽ブランド品の摘発」とか「偽ブランド品の見分け方」を時々やっているね、いつも浮上するたびになんだかなーと思う。なぜかくもブランド品がもてはやされるのかしらと不思議だ。だいたい私などはブランド名が覚えられない。関心がないのもそうだけれど、年のせいでもある。いいなーと思って購入したら有名ブランド品だったなんてこともある。ブランド品が悪い品ではないのはわかる。でも、ブランド名が先に来るのはどうもね。イタリアへ行ったら(って、一回しか行ってないけど。後は身内のお土産で)絶対無名ブランドの靴やバックのいいものを買ってくる。しゃれていて長持ちして愛用できること請け合いである。あ、でもこれはイタリアがブランドになってるかな?私は自分の目で見ていいと思うものを買う。失敗もする。要するに見る目を養うというのはお金がかかるものなのだ。それから時間もかかるのだ。これはあくまでも私の嗜好。とりあえずブランド名に頼っても、ものならそれでいい。人間のブランドというものについてこのごろ思うところある。これは悲しいかな確実にあると思う。まず銘柄品は家柄(由緒、富)、育ち、学歴、容貌、性格、気質が上等で良いということ。なかなかお目にかかれない。普通品はそのどれかが欠けているけれどまあまあで、人間社会はこれでなりたっている。もともと粗悪品なら承知でつきあうか、なるべく近づかないからいい。困るのは偽ブランド品、品落品だ。つきあっているうちわかってきてしまうことほど恐ろしいことはない。人間の場合はますます見る目を磨かなくてはならない。特に結婚はね。恋はフィーリング&落ちるもの、思想信条、趣味好み、気質性格ままならない。納得づくで恋愛はしないのだけれど。
2005年10月22日
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何でもありの世の中、ばあチャルの杞憂である。ひたひたと押し寄せる不安。何かが間違っていると思っていた。それは十代のうちからの経験、結婚までの不特定多数の深い関係、そして不倫。恋愛は自由、誰が誰と何しようと勝手、民主自由の社会だからというかもしれない。けれど安易過ぎやしないか。真剣にその行動を考えて行っているか?とつねづね思っていたところ、こんな説得力のある怖い事実を知らされた。スーザンのスーザン的世界:クラミジアは人類を絶滅させるこれは捨て置けない。私は民主主義の申し子、戦後何もかも否定されて新しくなったその制度の只中に生い立ち、人間としての価値や機会は平等と知りつつ、しかし、社会はそのようになっていないと矛盾を感じながら、性差は知力にはないけれど身体にはあると、この感覚は身に染みて会得したものである。私の地味なブログにいらした若い人よ!自由に名を借りた性への不遜は悲しい。子供を生むのは今のところほとんど女性しかできない。だったら、ここはひとつ女性を大切にしようではないか。ところでこのスーザンさんのブログは文章がとてもいい。本についてのカテゴリーなど夢中で読んでしまった。魅力的で理知的な人間味のおありになる産婦人科のお医者様、お近くなら私が掛かりたい。(もう、がん検診だけだけれど…苦笑)
2005年10月10日
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「無党派層」という言葉はいつから出てきたのだろう。前には聞かなかったような気がする。「保守対革新」という構図が消えて目立ってきた言葉なのかもしれない。その無党派層が今回の衆議院選挙で「小泉自民党」を圧勝させた。なかなか面白いと私でも思う。今や自民党=保守ではない。議席過半数を超えたからといって小泉さんが独裁政治するとは誰も思うまい。すくなくとも「郵政民営化」という政治の中身が問われた選挙だった。うーん、本当にそうだったのかは歴史が証明するだろうが。また「小泉自民党」を選んだ無党派層が今後を見張っている、見守っているだろう、いいかげんは許されない。今回の選挙で嬉しかったのは投票率が上がったことである。私は選挙前に最近投票率の低さを知り暗然としていた。「小泉自民党」が圧勝したことと関係があるとしたら、小泉さんという人は政治に人々の目を向ける達人でもある。マスコミもうるさ過ぎたが功罪の功がまさったと思う。「刺客」だか知らないが多くの理知的な美しい女性を紹介してくれた。(女性の議員さんが増えたことも女性として嬉しい)そしてまた「ホリエモン」の意外な一面もマスコミは捉えて伝えてくれた。(私は好感を持ってしまったよ)さあ、この結果のゆくえが楽しみだ。
2005年09月13日
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ワイドショウ時間帯にテレビをつければ「政治」でにぎやかだ。ニュース番組と言うよりショウの感じが濃い「郵政民営化法案」「解散」「選挙」を観ていて、芸能人のスキャンダルよりはましだなと思ってしまう。日曜日にしかテレビでお目にかからなかった大物政治家が毎日のように観られるのも面白い。いろいろなものを斜めに見ていてふと、目に止まったのは過去の投票率のフリップ。昔(60年70年代)は投票率70%以上あったんだねー、と感心してしまった。イデオロギーと言う言葉が死語になってしまったように私は思う。それと関係あるかなーと。乱暴にいえば文明の行き着いた先のこの日本の現代、政党の個性があやふやになった。マニフェストと言う言葉でもいいから、はっきりと分かりやすい個性が見たい。その点「郵政民営化は賛成か反対か」と問うのはわかりやすい。あとはその内容。その他山積みの日本の行方。IT時代にふさわしく立候補者のHPも揃っている。いろいろ拝見したがそのHPの評価もいろいろ出来る。若かった昔のわたし達がイデオロギーで政治を見たように、今の若い人がてテレビで、インターネットで少しでも関心を持って見て投票に行ってほしいものだ。もちろん私はこれまで99%は投票に行っている。
2005年08月19日
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このブログを始めた頃は、結構はしゃいで「こんなに本のことが話せるなんて、しあわせ!」などとトップに書いていた。でも、いまやその状態が当たり前になってちょっと感謝がたりない。パティさんの日記を読んでそう思った。主婦になって延々、井戸端会議で本の話はご法度、何かの集まりでもその話題を続けたらしらける、というふうにずっと暮らしてきた。かといって本好きが集まってくるような会に参加しても、無口の集まりになるというか、なかなかうちとけずうまくいかない場合が多かった。勿論本の好きな友人はできるし、いる。でも転勤、引越しで別れるのが常。だいたい、一人二人の友人といつもつるんでいるわけにはいかない。で、このブログに居場所を見つけたというわけ。パティさんのすばらしいお言葉を引用させていただく。『みんな個人主義で誰にも強いらず、通常以上には親しくもならずかといって冷たい関係でもない。ちょうど今私のいる、このネットのような感じだった。来たいときに来て、用事のあるときは来ない、受け入れる側はいつもと同じ・・・というような。』そんな居場所である。ここは。本だけじゃなく何の趣味、興味の話でも同じではないだろうか。変わっているのだろうか。しかし、ここを覘いてくださる方は本好きだから普通とおしゃるだろうね。感謝!
2005年05月12日
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私のは愚見だとわかっているが(なにも新しいことが言えないが)、言わずにおれない。福知山線脱線事故の救助活動が終わったらしい。死者106名、震撼する。事故原因はこれから明らかにされるのか、はっきりと解るのか?そして何らかの予防策があるのか?怖がりの私は車を自分で運転していても、同乗していてもカーブは身体がねじれるようで嫌だ。自動車教習場で習ったではないか、「カーブに入る前にスピード落とす」と。スピンした車の映像を見せられる。自動車と軌道の電車は違うのかもしれないが、単純にいえば勢いよくカーブを曲がる電車は恐ろしい。なぜスピードを出してカーブに至ったか、経済原理、人的ミスは想像がつくが、どうしてという原因究明は難しいのだろう。こんなに科学が進歩発展したのに、文明のはざまで人間の心理が危うい。危ういと知りつつ有難く享受している文明、戻ることは出来ない。菜園をやって、農薬や化学肥料のかからない野菜を作っても、それで足りるわけでもなく、しっかり流通機構に組み込まれているむなしさ、むしろ利用している安逸さ。私の菜園は自己満足。その菜園に行くのにも交通手段を使う。マンションで畑は出来ない。何が起こるかわからないリスクを抱えて暮らしているのだ。だから、生かされている命と思えると少し安らぐ。
2005年04月29日
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どうして人間、長に立つと辞めたくないのだろう。しがみついて恥さらしているとしかいいようが無いだろう。NHKの海老沢会長のことだ。今朝の日経新聞の一面を見ていて、不愉快になるとともに皮肉だなーと。左隅の広告、島田紳助さんとやらではないか、頭と鼻から煙り出しているのは。そういえばお正月から復帰とか。何があったかそれこそ藪の中。でも芸能人は芸で食べていかねばならない。出るしか、出すしかなかったのだろう。海老沢会長はどうしてさがらないのか?まさか、食べていかれないわけではないだろう。わかるようなわからないような。身近で考えてみよう。ある住宅地自治会の会長さんの仕事。代々女性の会長だったのがある年、定年後の70代のおじいさんがなった。任期一年の規約があるにもかかわらず、お手盛りで改正、5年も居座った。大して役得があるわけでもない。会議に弁当をださせるとか、交通費をださせるとか小さい。自治会の会長職は、主婦たちだからなるべくなりたくなくほっておいた。しかし、なんだかおかしくなってきた自治会の運営。友人が副会長になった、正義感の強い出来る女(ひと)。聞くだにおかしいほどの執着心で、すったもんだの大騒動劇だった。老人性執着心。これが悲しいほど怖ろしい。散々な思いをして、いまは定年後のほやほやの男性が一年交代で会長をしているらしい。こんな話はこの世にごろごろ転がっているね。
2005年01月07日
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この度の新潟県中越地震の被害にあわれた皆様さぞつらい思いをしていることだろう。また、今年の攻撃的だった数々の台風の被害を被った皆様、さぞいろいろ大変でお苦しいであろう。地震も台風も天然自然の災害。被害にあった当初は「恐かった、命からがら逃げた、誰恨もう、天災だから仕方がない」と微笑みさえみせて、インタヴューに答えていた方々も、今はその現実に打ちのめされていると思う。TVや新聞のニュースでの限りある情報で知るだけでも自分がその立場ならと考えれば想像できる。何も持ち出せずに着の身着のまま逃げてきて、家が倒壊、あるいは流されて無くなってしまい、そうして高齢だったら。本当に同情する。一緒に嘆く事しか出来なかった。最後と思いたい台風23号の被害から1週間と2日。新潟の地震発生から1週間。私は骨折した痛む手首を抱えながら、胸を痛めていた。たまるストレス。発症する病気。弱いところ、弱いところ突いてくる。高齢社会になってしまった日本。この高齢社会が自然災害を大きくしないように、どうしても工夫を仕上げなければとの思いますます強くなった。もちろん、自分に命令しているのだ。学びたい。----------今度の新潟県中越地震について、私、熟読させていただいている楽天日記が2つある。alex99さんの「深夜の不眠カフェ」とasaco tanakaさんの「標高700mの風」とてもよくまとめて、刻々、真摯に情報を更新させていらっしゃる。
2004年10月29日
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見せたいのか、見てもらいたいのか、見せてもらいたいのかわからなくなってしまう、もう、もう。乙女じゃないけど。☆かよさんの日記を拝見してわかったこと。ある方のHPの書評リンク集に、私のこの日記の一部も収録してあることを知った。それで、ちょっと考えてみた。正直にいうと私としてはやはり嬉しい気持ちが勝っているのだろう。選ばれたような気がして、たとえキーワードで拾われたとしても。ただ知らなかったということが戸惑いを感じたのだと思う。まぶしいような、腫れ物に触るような気持ちがした。じゃあ、断りを、お知らせを入れてくれたら良いのか?私は嬉しい。喜んでその方のHPに見にも行くだろうに。しかし、そうするとリンク集のようなHPを作成している方の手間は大変だろうと思う。作るのが嫌になるかもしれないから同情する。HPに「無断リンクは嫌よ」とか「リンクフリーだけど教えて下さると嬉しい」となっていれば、礼儀上お知らせすべきだと思う。でも、何も断わりがなければ膨大な数になる人にいちいち連絡もしないのが、インターネットの特徴とも思う。今日のこの日記にしてもリンクを入れている。トラックバックもさせていただいている。(笑)実はかよさんの日記のヒントで「ばあチャル」とYahoo!を検索してみたら、上記のHPが出たのは勿論だが、私がお借りしてる(リンクもしている)イラストのHPにリンクされていたのだ。リンクして使って下さいねとなっていたから私がリンクするだけでいいのかな、なんてお知らせはしてなかったのにだ。そんなリンクされた先がわかるソフトがあるのだろうか。あるだろうね。反省した、こんどからイラストをお借りする時はお知らせしよう。でもね忙しく作っているときなんか忘れてしまう時があるのよね。さっきも、TVのニュースで自殺願望のサイトの悪影響をやっていた。まだまだわからない、これからいろいろ起こりうる異世界なのだ、インターネットの世界は。といって、実世界もわからないことだらけなのだけれどね。
2004年09月30日
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してもらうことと、してももらいたいこと。してもらうことと、みずからすること。上記の言葉はいろいろな場面に当てはめられる。最近、老親とかかわる時にこれがある。どこまでもの甘えの構造。身体の衰えを理由に出来るだけ他人にしてもらいたくなる。いたわりにつけこむ我が儘。びしっと私は言ってしまう。「そんなに頼っていたら動けなくなるでしょうが!」ぬくぬくとしている母は口答え「個人差があるのだから、年寄りをいじめるものじゃないの~」「いじめているのじゃないよ!ためをおもえばこそでしょ」「出来ないものはしょうがない~」「しょうとしていないのじゃない!」「ぼけてきたので考えられない~」「ほらでました、十八番が、ぼけたふり」上記身体のことでは無い。頭で考えなければならないことの話。日常生活に起こる様々な問題処理のめんどくさいことだけをまる投げし、しかも文句だけはたらたらと言う。「こうしたいから、頼む、お願い」となぜ言わない。「それも考えて」だと。そりゃ、案を出させて文句言ってれば楽だろうね。せめて選択だけはしてほしいものだ。与えられるものと与えてもらうもの。与えられるものとは願ってもたらされるもの、与えてもらうものは充足とは程遠い。自ら考えて選択するということを、脳の働きに故障が起こらない限り続けたいものだと、私はせつに思う。それが生きるということではないだろうか。自己の責任において。
2004年08月29日
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昨夜は仕事が立て込んでいたので夜更かしをした。お陰さまというかオリンピックもリアルタイムで観た。だから運がいいというか、柔道の重量級、迫力のある試合で男女とも勝って金メダルを授与されたのに遭遇した。興奮したし、わが事のように嬉しかったね。鈴木桂治さんと塚田真希さん!今回のオリンピックのメダル嵐、びっくりですね。こんなに強い選手がいらしたのかしら(失礼)と思うばかり。毎回、金メダル有力候補といわれながら、体調を崩したり、萎縮したりして実力が出ないまま帰って来た選手のなんと多かったことか。何故だろうか?専門家はそれまでのたゆまぬ練習、積み重ね、長い間に渡ってジュニアの育成をしてきた、などなどおっしゃるでしょうが、ばあチャルはこう思う。ひとつには外国慣れしてきたこと。海外旅行が珍しくなくなり、子供の頃から連れて行ってもらう機会があるようになった。選手のトークにゆとりがあるだけでなく、しぐさに余裕があるのだ。外国に行く、外国人と一緒に競技するといっただけでプレッシャーになった時代もあったのだ。ふたつめには日本の代表という感覚が希薄になって、個人の達成度からオリンピックに参加するようになったことではないか。いい意味で国家を意識しなくなったのでは。前は「お国のためにとまで」は言わなくても、日本代表に選ばれたという悲壮感が漂っていたもの。インタビューを聞いていても、個人の持てる力を出し切って勝ち進んだ喜びに満ち溢れている笑顔だった。しかも、みなさますーっとした、さっぱりしたお顔に見える。そして寝不足の今朝、女子800メートル自由形決勝で、柴田亜衣さんが金メダルをとり喜びにあふれているお姿を、寝ぼけまなこで見ことになった。すごい!体力の劣る日本人には無理といわれていたと思うんだけど。ほんとうにどうなっちゃたんだろう。不思議、何かが起きてる。喜ばしいことなのだが。
2004年08月21日
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湯河原に来て5日経った。まあ、孫戦争で過ごしている。なれてきた頃には、別れ。そして疲れが残るだろう。世の常、みんな言っている(笑)こんな風にお盆休みを過ごし始めている。お天気も穏やかに晴れ暑いが続いて、今日は久し振りの雨、涼しい。戦争といえば今日は終戦記念日。もうちょっと年上の人は覚えているだろうが、私はこの日の感慨は知らない。悔しさも、せつなさも、理不尽さも、虚脱感も。そして開放感も。だだ物に不自由、何もないのが当たり前で、猥雑で、物騒でどことなく自由感にあふれ活気があったというのがまわりの世界だった。私は子どもごころにも当時、未熟なものだったかもしれないが、民主主義の教えを受けたように思う。未熟だからこそ新鮮な。閉塞感とかマンネリズムは無かった。そう、希望に満ち満ちている世界が自分のまわりにあると思っていた。その活気が今の日本には無い。成熟した社会になったのだろうか。世界では相変わらず戦争が絶えない。日本も荷担している。もう何が何でも戦争反対とは言えないだろう。憲法があっても。日本はどんなことをしてきたかを知り、戦争とはどんなことかを学び、自分の責任で意見を出さなければいけない。民主主義のルールに乗っ取って一人一人が意見を出して、その意見を皆で考え結論を出すということをしなければいけないと思う。意見をつぶすのではなくその意見を一人一人が考えてみる。話し合ってそれを実行する。いいよ、いいよ、どうにかなるさと棚上げするのはもうたくさんと思う。政治、社会の制度、慣習、見つからなければ何をしてもいいという風潮、異なった意見をつぶすという日本人特有の国民性など、もう目をつむってはいられない。と自分の肝に命じたことだった。----------終戦の日のことも記憶にないが、戦争体験も牧歌的であった。大変な思いをした方には申し訳ないが、全く戦争を知らない方のために書いておく。ご飯の炊ける匂いとともに思い出す。(3~4歳だった)父の転勤先の仙台市の借家を東京からの疎開者のため追い出されて、ものすごい田舎の農家の蚕室にすむことになったそうだ。若い父は財力もなかったのだろう。通勤には大変だったろうが何が幸いするかわからない。海に近いしお米も野菜も魚も種類は少ないが豊富だったという。早朝、警報が鳴ってお蔵とお蔵の間に隠れていた時、ごはんが炊きかけでかまどのまきが落ちかけ、叔父が枕を頭に載せ大急ぎで直しに行ったその動きがおかしいとて皆で笑い転げたのだ。多分ヒステリックな笑いだったのかもしれないが、私は楽しくはしゃいだのだった。それを鮮明に覚えている。大学生だった叔父は東京で栄養失調になり姉である母のところにたまたま来ていたのだ。理系だったから学徒出陣はなかったのだろうか。戦闘機は通り過ぎただけだったらしい。そんな田舎の土地だった。母は仙台の空が空襲で赤く燃えたのも見たと言うが、私の記憶では夕焼けと区別がつかない。母方の祖父は海軍の軍人だったので、シベリアに抑留されて苦労した。日本に帰れたが1年と少しで亡くなった。60代で。私の名前をつけてくれた、素敵なやさしい祖父だった。
2004年08月15日
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今回の楽天さんのバージョンアップは、様々な波紋をおこしている。私の場合、いつも言っているように「マンネリズムは最大の敵」だから大いに楽しんだ。し、これからも変化させていきたいと思っている。カテゴリに分ける作業を通じて、過去日記の見直しが出来、不足は補い、気になるところは直しかつ懐かしんだ。情報がまだ少ないのも幸いしたのだろう。しかし、困惑しているひともいる。タグが生かされなかったり、前のフォームで現していたものが壊れてしまったりしている。新しいフォームに適応させて表せばいいのだろうが、情報が多い人は膨大な時間と手間がかかり負担になる。それで今回の楽天さんのバージョンアップの評価だが、私はよかったと思っている。ネットサーフィンをしていて感じるのだが、個性的なHPには目をうばわれる。美しく芸術的なものは素晴らしいと思う。でも、情報をもらおうとする時、見易さ使い勝手が決め手になる。凝りに凝ったHPはどこをどうしたら見られるの!ということが多い。勿論、それがゲーム感覚で面白いこともある。デジタルの真骨頂だろう。私も嫌いではない。本当に使いやすい見やすいHPはシンプルだ。楽天日記が万人向きのものなら、見やすくシンプルになっていくのは趨勢だと思う。いつの世も何処においても変化は避けられない、より良い方向に変化するよう見据えたいものだ。
2004年08月07日
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佐世保の事件。怜美さんのお父さんの手記を泣きながら読んだ。親の想いは同じだから、察するに余りある。胸が痛む。ところが私は、情報がないのでわからないところもあるが、加害者の両親の気持ちも察してしまう。それとても痛ましい。加害者の女児の精神鑑定の申請も検討しているらしい。そう、事件は異常な行動、してはいけない衝動だ。どうして殺人が起こったのか。どうしてそうなってしまったのか。異常だけで結論付けられない何かがあるのか。この事件が起こってからの私の日記を読みかえしてみると、女児の年頃に置ける心理に同情的になってるようだ。被害者、加害者の両方にだが。----------私のことを書こう。私のハンドルネームがばあチャルといっても、けしてバーチャルな世界で私は日記を書いていない。いや、書けない。性質、気質によるものだろうが白黒はっきりさせないと厭なような、すっきりしないようなものを持っている。つい本音を書いてしまう。しかし、その本音が正しいこと、世間に通ることという保証はない。自分だけが正しいのでもないし、変な考え方をしているのかもしれない。でも、書けば誰かが聞いて下さるかもしれないし、解って下さるかもしれないしという淡い望でこの日記が張合いあるものになっている。新聞、TVに左右されない自分だけの意見を言う。それが許されるような「バーチャルな世界」とわたしは思っているのだ。----------この「白黒はっきりさせないと厭なような、すっきりしない」気質のため、実人生ではいろいろのことがあったのだが...。罪も犯したと思う。(勿論刑事罰になるほどでなくて)----------読み始めた辻邦生「西行花伝」より(新潮文庫 ページ36~38)『あなたのように素直に世の中のことを考えると、あのような出来事はどうかんがえていいか分からなくなる。あれは白が黒、黒が白と平気でいいぬけているような事件です。』『では、不正が罷り通ると…』『そういうことでもありません…公正か公正でないかは、その立場で異なることがあるということですね。』『では本当に正しいことなど存在しないと…』『この世には人々がいるだけ、それだけ公正な生き方があるのです。すべての人は自分は正しく生きていると思っています。』『では、何をしてもよろしいのでしょうか』『いいでしょう。ただしその際、正しいことをしていると思ったり、そう言ったりすべきでないでしょうね。むしろそんなものはないと思い定めるべきですから。あなたも何が正しいかで苦しんでおられる。しかもそんなものは初めからないのです。いや、そんなものは棄てたほうがいいのです。正しいことなんかできないと思ったほうがいいかもしれません。そう思い覚ってこの世をみてごらんなさい。花と風と光と雲があなたを迎えてくれる。正しいものを求めるから、正しくないものも生まれてくる。それをまずお棄てなさい』----------(そのままではなく、中略してある)いま、いちばん私の気持ちに添う文章。
2004年06月08日
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佐世保の小6女児が同級生を死亡させた事件。痛ましいニュースなので話題にするのもどうしようかと思ったのだが、HP、チャットなどの言葉が出ているので、ものを思わざるえない。掲示版やいまではコメントとなったBBSの経験しかないので、言われているようなチャットの弊害を詳しくは解らない。でも、BBSでも言葉で意思を伝える手段には違いない。ゆるい会話といってもいい。ばあチャルのように人生経験が長くたって、筆力の足りなさから容易に意思を伝えていない。日記本体すらあやしいものだ。と本人が自覚している。だからなのだが、ときどき「あれ?」って感じることがある。また、そこまで分かってくださって有難う!と感激することもある。そのほうが多いのだが。これはやぶ蛇なのかもしれない。こんなことを書くと、どなたもコメント下さらなくなってしまうかのしれない。そんなことになったら非常に悲しい!(これを読んでもコメントしてね、心配になってきた)そういう経験を踏まえて考えるのだが、まして思春期になりかけの少女、経験が、言葉が足りないのは当然。そうして無邪気に残酷でもあるのは自分の子供時代を振り返ればわかる。何があったかわからないようでわかるよう。言葉の暴力。孤独。喪失。いらだち。だから、どうしても他の場所(PC以外)にもいたわりや愛が必要だ。なかったのだろうか?あっても行き違いだったのだろうか?しかし、何とも痛ましい。
2004年06月02日
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臨時ニュースのテロップで邦人2名の方の解放も知りました。今度はリアルタイムで(って私だけのことで...)。正直ほっとしました。3人の時と違って、緊迫している状況なのに、どうしてーって、気持ちありましたからね。話は変わりますが、畑を今日は一生懸命耕しましたよ。夏野菜に向けてね。大忙しでしたよ。思えばこの一週間、日本中もそうでしたが私もいろいろ考えさせられ、他のことが手につかない気分でしたもの。畑の手順など頭の中から飛びましたのでね。自己責任とか、自衛隊が「人道復興支援」してるとか、いや戦闘地域に自衛隊派遣はおかしいのだ、とかのこんな状況から出てくるいろいろいな意見、議論、いいことですよ。私も大いに勉強したつもり。今、イラクが置かれている状況、悲惨な戦争に本当に苦しんでいる人は誰かということを確認できたことだけでも、これからの日本のかたちを考える上でよかったのです。そしてこの日記をしていて良かった。政治の話を出来る友人もいるし、夫とも話しはよくするほうですが。やはり、自分の考えをストレートにいえば、引かれるということはありましてね。晴耕雨読だけではこの世の中すまないですね。
2004年04月17日
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昨夜阪神負けましたよね、夫が沈んでTV消してビデオ見て、ネットのニュースも確認せず寝てしまったんですよ。で今朝、人質解放のニュースを知りました。ひとまず良かった!多くの方がそうでしょうが、ご家族の気持ちになってましたからね。って、なんで憲法なのかですが、これから出かけますので後に...。(4月16日10時)-------午後8時、やっとPCの前に座りました。日本国憲法を私はいつも身近に置いているんですよ。大げさなものでなく、通販生活の綴じ込み付録のをね。本物は知りません。時々声に出して読むのです。特に「前文」と「第二章 戦争の放棄、第九条」をしみじみ読むと勇気が湧いてくると同時に涙が出てきます。私だけかしら。『前文日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意しここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。以下略...』「第二章 戦争の放棄、第九条」は有名ですから書きませんが、もし忘れた方は是非読むことをお薦めします。読んで知ることが今、大切だなぁと思えるのです。
2004年04月16日
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人生には数々の修羅場がある。こう云うばあチャルもいくつかあった。その時にはそのことばかりしか考えられない状態になる。冷静に、冷静に、考え過ぎないようにと思いたい。日常生活をしないわけにはいかないからする。でも、頭の中は一つことがくるくる廻る。寝ても覚めても澱のように胸の中に残る。そこでそんな時、当事者でない人にどうしてもらいたいか。興味本位には関心を持ってもらいたくない。おためごかしの同情もいや。ただ一つ、真剣に自分のことのように心配してくれること。何も云ってくれなくても、黙っててもそうしてくれてることはわかるもの。それが暖かく胸をひたし、必ず癒されると私は思う。しかし、こんどのイラクの人質事件は全国民が当事者だ。
2004年04月12日
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