ブログ冒険小説『闇を行け!』13
ウクライナの栄光は滅びず 自由も然り
運命は再び我等に微笑まん
朝日に散る霧の如く 敵は消え失せよう
我等が自由の土地を自らの手で治めるのだ
自由のために身も心も捧げよう
今こそコサック民族の血を示す時ぞ!
(ウクライナ国歌『ウクライナの栄光は滅びず』・訳詞より)
・堀田海人(ほった かいと)札幌の私大の考古学教授。
・十鳥良平(とっとり りょうへい)元検察庁検事正。前職は札幌の私大法学部教授。現在、札幌の弁護士。
・榊原英子(さかきばら えいこ)海人の大学の考古学教授。海人の妻。
・役立有三(やくだつ ゆうぞう)元警視庁SAT隊員 十鳥法律事務所の弁護士。
・君 道憲(クン・ドホン)日本名は――君 道憲(きみ みちのり)
・武本 信俊(ムボン・シジュン) 君の甥 韓国38度線付近の住民
・ムボンの父 通称は「親父(アボジ)」
・ムボンの母 通称は「ママ」
(13)
霧は消えたが、相変わらず真夏の雨雲が、クン等4人が着いた林間部の上空を覆っていた。雲(うん)がついていたのだ。雲が運だ! 4人はそう思ったに違いない。
これまで彼らは、一気に約30kmを進んで来た。幸いなことに、狭く障害物の多い獣道と道なき藪を漕いできたからか、北朝鮮軍の監視塔と 北の人民
には遭遇しなかった。また、狩猟用の罠、地雷も無かった。
潜入中、唯一困ったのは飲み水だった。4人は水筒の水をケチりつつ進んだが、20km地点で飲み切っていた。だが、救い主がいた! 海人だった。彼は2リットルのペットボトル4本をバックパイプ――北朝鮮の 沢水は可能な限り飲まない
、と決めていた。単に北朝鮮の物(ぶつ)に手を付けない、という理由である――に入れていた。皆が重い武器類を背負っていることに、海人の気持ちが許さなかったからだ。せめて水のペットボトルだけでも、と思ってのことだった。お陰で荷の重み6kg減ったことが、海人には救いでもあった。
このペットボトル4本は、海人がトンネルに潜る時、榊原が用意してくれたものだった。因みに――榊原は、海人が北朝鮮に潜入することは計画になかったから、考えてもいなかった。だが微塵も、とまでは思っていなかった。正義感旺盛かつ現場主義考古学者の海人の性質を、誰よりも知っているからだ。北朝鮮潜入もあり得ると。
林間下に、キムファ(金化)の北朝鮮機械化分隊基地が見えている。この基地は、キムファ周辺に点在する基地群の中でも、予備的な規模と内容である。
時刻は午後1時。4人が藪と木陰の影で車座になり、携帯食料のビスケットをペットボトルの水で胃袋に流し込んでいた。
クンが地図、衛星画像写真を広げた。
「戦車、トラックはあるが、狙いは中心部の分隊指令所だ」そうクンが言うと、ムボンを見た。
「攻撃の準備に取り掛かる。予定通りに」ムボンが言うと、皆が頷いた。
38度線の最前線の裏方を担う基地だが、今ではとても近代化には程遠い機械化分隊だ。‶将軍様″が核兵器にしがみつき、国家予算の70%超を費やしているからだ。見方を変えれば、
‶将軍様″と側近たちは、鼻から米韓が攻めて来るなんて、これぽっちも思っていない。つまり核ミサイルがあるからではない。元々、米韓に北朝鮮を攻撃する可能性がないことを承知しているのだ。
巷間、北朝鮮の核開発とミサイル開発には、ロシアが深く関与しているらしい。この20年近くはプーチンが核ミサイルを積極的に後押ししているようだ。ミサイルは北朝鮮独自の技術力で開発したものじゃない。ロシアのOEMとも、との噂がある。その真偽を訊かれたら、答えはYESだ。(北朝鮮は独自でミサイル開発をしていたが、ことごとく失敗していた経緯がある)北朝鮮創建から独裁国家の親分と子分の関係であり、金独裁王朝は、西側の親分・米国への先兵的防波堤だからだ。
ミサイル発射を告げる北朝鮮国営TVの、あの貫禄太りした年増のアナウンサーが気張るのと真反対に、緊張感は基地内からまったく伝わってこない。
「基地内は無警戒のようだな」双眼鏡を手にした役立が言った。
「奴らは 半農半兵
ですからかね。奴らは食料不足だ。まともに戦える体力は無い」クンがそう答えた。士気が低いことを婉曲に表現した。
事実、南北境界の38度線の最前線の監視体制には、‶将軍様″直結の精鋭部隊を配置し、‶将軍様″直轄領とも言える首都ピョンヤン(平壌)に、精鋭部隊を集中させているのだ。この部隊は‶将軍様"の親衛隊でもある。彼らだけには十分な食料と防弾ベストが与えられている。それ以外の地域の部隊基地には、金王朝に忠誠を誓う軍官僚士官が派遣され、下層兵士を見下している。指揮と言っても、下層兵士たちをこき使い、ただひたすらチュチェ思想にチェッと唾しないかと目を光らせているだけだが……
林から基地まで100m下る間は、痩せたトウモロコシ畑となっている。
「トウモロコシ畑に地雷はあるんだろうか?」海人が誰となく訊いた。
クンとムボンが見やった。
「ムボンよ。先生の言う通りだな」クンが言った。
「韓国軍の情報は、あの基地には当てはまらいようだ。地雷は無い」ムボンが畑を見て言った。
クンがしばし考え込んで言った。
「役立さんよ。先生よ。予定変更したい。夜10時、皆で基地に侵入したいが」
海人が空を見上げて言った。
「今夜は曇りで闇だ。基地に潜入するには都合がいいよ」
役立も空を見上げた。
「行くか――暗視ゴーグルをつけて」
ムボンが大きく頷く。
「時限装置を持ってきた。クン兄」
また、クンが双眼鏡で基地を見た。そして答えた。
「この計画でいきたいが――先ず、逃げる方法、脱出は、基地にあるトラックを使う。シートで覆われてはいるが、見える限りでは、基地には旧式のロシア製T72戦車が5、6台とロケットランチャー車が5台だ。それに
軍用トラックが4台、4輪駆動車両2台。
恐らく兵士10人ほどだろう。あの基地は車両兵站を担っているから、兵士はその維持部隊に過ぎない。俺とムボンが基地出入り口にいる監視立哨要員2人を消音銃で黙らせる。そして俺は基地司令部を襲う。ムボンと役立さんが兵舎を襲う。先生は見張り役だ。奴らを沈黙させてから、トラック1台を除き、戦車、トラック等に時限爆弾を仕掛ける。逃走後の1時間後に爆発させる。もちろん無線類はすべて叩き壊す」
「了解したが、‶将軍様への呪いかけ″は、それだけ?」役立がクンに訊いた。
「役立さん。あの『南進命令書』『3人分のIDカード』を使う。司令部の親玉のデスクに置き、IDカードを基地現場にばら撒く。それだけでも、‶将軍様″に呪いをかけられるはずだ」クンが言った。
「私も了解した。奴らには、晴天でなく 曇天の霹靂
? になる」海人が言った。
「先生は、外を見張っていてください。要する時間は、10分弱です。そのあと、この基地からトンネルまで35kmほどを所要時間45分弱で、ひたすらトンネルまで逃げる。その時間稼ぎが時限爆弾だ」クンが言った。
「トラックのエンジンキーは?」海人が訊いた。
「俺もムボンもエンジンの配線を繋ぐことが出来ますよ」クンが答えた。
「想定外の事態が起きれば、臨機応変に対応しよう」役立が付け加えた。
改まって、海人が確認した。
「奴らを本当に殺すのか?」
「たぶん、何人かは殺す」クンが外連味なく答えた。
「クン兄。そうだ、一族の敵(かたき)を討ちたい」ムボンが同調した。
ここで海人が異を唱えた。
「私は殺しには賛成しないよ。あの洞窟にクンさん、ムボンさんの祖先からの十字架があるからさ。せめて足を撃ち、結束バンドで後ろ手に縛り、口を塞ぎ、パンツ1枚にしたら?」
海人の言葉の‶十字架″‶祖先″が、クンとムボンの復讐心を射抜いた。
「先生、理解した。先祖の魂を汚す訳にゃいかないからだね。なっ、ムボン?」クンがムボンの顔を見た。ムボンは頷き、グッと親指を立てた。そうだった!
洞窟内で簡易マットの上で大の字になって寝ていた十鳥が、がばっと上半身を起こした。人の気配を感じたからだ。
電池式ランタンの薄明りで腕時計を見た。夜8時5分だった。十鳥が洞窟の入り口に目を凝らした。やはり人の気を感じる。
十鳥が拳銃を両手で構え、入り口に向けた。その時、何かが洞窟内に投げ込まれ、十鳥の前に転がってきた。手榴弾! 見た! 戸惑った! どうする!
十鳥は死を覚悟した。その一瞬時、鬼の形相となり、瞼を大きく見開き、手榴弾に目を凝らした。よく見ると、それは石に紙が巻かれていた。
そっと物を取り、見つめた。手榴弾じゃなかった。
おお! 紙よ! と心の中で叫び、紙を剥がし取った。
『親父です。撃たないでください』
「親父殿か。待っていたぞ」いつもの柔和な表情になった十鳥が、入り口に向け発した。
親父が洞窟内に入って来た。
「十鳥さん。拳銃を向けていたから、安全をきして石手紙を投げ込んだのです」と親父が言って、十鳥の手にある拳銃を見た。
「十鳥さん。拳銃の安全装置がONですよ」
十鳥が拳銃を見つめた。
「親父殿。私は人道主義者なんだ。殺人者の弁護はするが殺人はしないのだよ」
ほぼ同時刻、ママと榊原が監視モニター画面を観ていた。渓谷の帳(とばり)は早い。ほぼ暗夜だった。
榊原がモニター画面に小さな動きを見つけた。監視の赤外線カメラが白い手の動きを映していた。
「ママ。何かが動いているようです」
ママがモニター画面を観た。
「潜入工作員だわ。隠れていた断崖から這い出してきたわ」
5分ほどして、工作員の全身が白くなって現れた。ママが監視カメラをズームアップした。
ママが無線のマイクに告げた。
「工作員が行きます。背にもリュックが無い……足を引きづっています……右手に拳銃かも……」
「ママ。分かった。今、洞窟で十鳥さんといる。奴が駐車場の監視カメラに映ったら、リュックを回収してくれ」
「分かったわ」
この30分後、ママは崖下にいた。
「リュックを確保しました。隙間にあったビニール袋も回収」ママの声が榊原のイヤホンに入った。
「了解しました。親父さんにお伝えします」榊原が言って、モニター画面に目を近づけた。500m先の監視カメラが、乗用車1台と運転手ひとりを捉えた。車はゆっくりと登って来ていた。
「親父さん。ママがリュックとビニール袋を回収しました。工作員の仲間ひとりの車が来ました」榊原が伝えた。
「了解した。やはり来たか。そっちはママと榊原先生に任す。頼む」
「はい。了解しました」答えた榊原が、ママに伝えた。
「ママ。車とひとりがやって来ました」
「了解したわ。私は崖下で待機しているわ。様子を伝えて」
「分かりました」と答えた榊原が、親父にも伝えた。
「その車の奴は、工作員の仲間だ。そっちはママと榊原先生に任す」親父の声に緊迫感があった。それが榊原にも伝わった。
「了解しました」榊原が冷静に答えた。
車がのろのろと登って来る。榊原は息を飲み、画面を凝視している。
車がママのいる断崖の手前200mまで来た時、山側脇に車を寄せて停まった。5分程様子を見た榊原が、ママに連絡した。
「車が停車しました。ママから200m手前です。山側に停まっています」
「私は断崖上に戻り、家に行きます。予定変更です」と言って、ママはロープを掴んだ。
「親父さん。車がママのいる断崖の手前200mで、山側に寄せて停車しました。ママはこれから家に戻ります」榊原が報告し、片目は駐車場の監視モニター画面を観ていた。駐車場に白く人の姿が映っている。一歩一歩と駐車場の奥へと進んでいる。
「親父さん。駐車場に人が映っています。足を引きずるようにして奥へと進んでいます。間もなく林に入ります」
「了解した」
この20分後、ママが戻って来た。
「ママが戻りました。リュックを回収。岩の隙間でビニール袋を見つけました」榊原が親父に伝えた。
「ママは予定変更したが、正解だ。これからは連絡は無用。こっちの番がきた」親父の返事に、さらに切迫感があった。
夜10時に近づいた。すでに十鳥らは、洞窟内を暗夜にしていた。十鳥は洞窟内の端壁奥に身を寄せていた。親父は入り口の脇に立っていた。
10数分経った時、親父の耳に靴底の岩を擦る音が聞こえてきた。ズー、ズー、ズーと、その音が入口に近づいて来た。親父に奴の息遣いが聞こえる。あと3mか。
擦る音が止み、息遣いも消えた。親父は獣の習性的所作とみた。洞窟内を覗っているのだ! 奴は!
親父も同じく自分を消して待った。これも獣の習性である。
奥の壁に立ち竦む十鳥にも、意図的に寂としている空気感が伝わっている。
(つづく)
*このブログ冒険小説はフィクションであるが、事実も織り込み描いているつもりである。
*「下書き保存」を何度かやっていたが、保存できず無に帰したこと3度。
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