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ウクライナの栄光は滅びず 自由も然りブログ冒険短編小説『ウクライナの森』(登場人物) 今回の登場人物は、前作のブログ冒険小説『闇を行け!』等に登場しています。 ・堀田海人(ほった かいと)札幌にある私大の考古学教授。・君 道憲(クン・ドホン)日本名は、君 道憲(きみ みちのり) 元韓国特殊部 隊中尉 狙撃の名手。在日3世だった韓国人。・榊原英子(さかきばら えいこ)海人と同じ大学の考古学教授。海人の妻。(ウクライナ・へルソン州へルソン市郊外の森林地帯)「メリーより。メリーより。鉄が来たぞ。3台が縦列で。先頭の鉄と後ろの鉄から指揮者らが身を出している。奴らは偵察隊だ。俺は先頭の奴をやる。カレンは後ろを頼む」「カレン、了解。カレン、了解」暗号名カレンの堀田海人(ほった かいと)は、消音装置を装着したスナイパー銃(Fort-301ガリルスナイパーライフル)のスコープを左方に向けた。ロシア軍の最新鋭戦車T90Mの先頭が、林横の農道をゆっくりと進んで来ているのが見えた。「カレンより。カレンより。先頭の鉄が200ヤード(約180m)に入ったら、こちらは後ろの奴を撃つ。合図はいつものようにGOだな」海人がマイクに告げ、銃の2脚を立て地面に固定した。「メリー、了解した。合図はGOだ!」暗号名メリーのクン・ドホン(君 道憲)の低い声がイヤホンに応えた。 海人とクンがウクライナの外国義勇軍狙撃分隊に参加したのは、8月上旬だった。2人は6月中旬、ベルギーに行き、韓国人のクンの伝手である外国人傭兵組織専用のパスポート偽造屋で、カナダ国籍――海人もクンも韓国系カナダ人となった――を入手したのだった。一応、本国からの義勇軍参加阻止を免れる2人はカナダ人となった。 海人は韓国軍を退役していた特殊部隊狙撃手の名手クンから、ベルギーの森・射撃場で、6月から7月中旬の一ヶ月間、狙撃手の基本と実技の特訓を受けていた。 海人の狙撃手としての技量は、クンが驚くほど速く身につけていった。 クンが海人に言ったものだ。「堀田さんは、俺より優れた狙撃手だよ。偽装術、スナイパー銃射撃の正確性、風を読み標準を調整するとは――1km先の5cmの的を撃てるなんて!」「クンよ。ウクライナ軍でも、これと同じFort-301ガリルスナイパーライフルを使えるのか?」「使えるよ。何せこのライフルはイスラエル製だけど、ウクライナがライセンス生産しているからね」「クンよ。このライフルのMOA(ミニット オブ アングル、集弾率の略)は?」「グルーピング(集弾)は、距離200ヤードで1インチ(2.54cm)のようですが、堀田さんの腕前ではそうなりますよ」迷彩服のギリースーツで全身を包んでいるクンが言った。もちろん海人もギリースーツ姿である。「クンよ。そろそろ行くとしようか、ウクライナへ」「明日、ベルギー人義勇兵の一団、5人に紛れてポーランド経由でウクライナに行きます。計画通りです」 海人とクンは、7月中旬過ぎにポーランドとの国境検問所を越えウクライナに入った。そのウクライナの国境検問所は、森林地帯に密かに設置された欧米NATOとウクライナ軍専用のそれだった。欧米の軍事物資などの非公開のルートである。 ウクライナに世界中から義勇兵が入っているが、C3PY(ウクライナ対外情報庁)とSUB(ウクライナ保安庁)の人物評価は厳格だった。ロシアのスパイを警戒してのことである。だがクンは、事前に手を打っていた。ベルギー人義勇兵の頭目、彼の身元保証を得ていたのだ。 2人はポーランドとの国境、その森林地帯にある「外国人義勇兵訓練所兼待機所」で、2カ月間、簡易訓練と簡単な戦用ウクライナ語、ロシア語を学んで時を待った。 ウクライナ軍が反転攻勢に打って出た9月、海人とクンに出動命令が下された。と同時に、かなりの確率が高い戦死、ロシア軍の捕虜になった場合に備えた「自己責任確約書」と「遺言書」を書かされた。自明の事だが。 海人とクンは、外国人義勇軍敵地潜入狙撃分隊(看護兵1名を含む5人)に所属となり、激戦の地、ウクライナ南部の要衝ヘルソン州戦線に移動した。 9月ともなると、ウクライナは晩秋である。例年のように、朝方のウクライナの大地には靄が濃くかかる。 分隊の全員は、暗視ゴーグルをつけ、夜陰に紛れながらヘルソン州都ヘルソン市まで15kmの近郊にある、海人が名付けた‶ウクライナの森″に潜入して行った。看護兵は森林地帯の中、地雷探知機で道を開けて行く。目的地の‶ウクライナの森″に潜入するのに2晩かけた。 こう書くのは簡単だが、実際は敵の防御陣営を避けながらの潜入である。しかも分隊全員の装備は重かった――防弾ベスト・核&化学兵器防御装備・弾薬・手榴弾・対戦車ジャベリン(3人分。つまり3台)・充電器・3週間分の水と簡易食料などで――そしてライフルである。重量は軽く30kgを越えていた。 潜入待機が2週間経った時だった。この間、分隊全員がそうだったように海人とクンも、腰を屈め、排尿排便できる穴(使用後に土をかける)も抉った半畳ほどのタコ壺に身を隠していた。天蓋には木々の枝葉を使った。見張りは2時間交代制で。それらは敵陣潜入狙撃分隊の宿命だった。 存在を如何に消すか! だが、分隊はついていた! 森の中にも靄が! 敵の戦車隊3台が脇の森林地帯を警戒し、監視兵が身を乗り出して双眼鏡で前方の森を見ている。分隊が潜入し展開している‶ウクライナの森″は、やや小高い丘状になっている。農道はその森の中央部を抜けて通っている。潜入分隊は、50~60m間隔で左右と背後に分散していた。 戦車の先頭が、薄い靄の中をクンと海人の方に近づいて来た。 距離が200ヤードに入った。海人はスコープで後ろのロシア兵を捉えた。海人には彼が動員された予備役兵に見えた。その時、クンが合図した。「GO!」 海人とクンが同時に撃った。ズン! ズン! 後ろの戦車の男の左肩に当たり、後ろに倒れた。海人が先頭戦車を見やると、その男も右肩を撃たれ横に倒れていた。だが、3台の戦車の列は前進して来た。戦車の立てる騒音で銃声が聞こえなかったからだ。「メリーより。敵兵2人を倒した。鉄はそっちに行く」クンが背後の仲間にマイクで伝えた。 3台の戦車が、クンと海人の前を通り過ぎて行く。「メリーよ。俺は後ろから戦車に乗る。鹵獲(ろかく)したい」「メリー、了解! 俺は先頭の戦車に行く」「メリー、中央の戦車はどうする?」「カレンよ、先頭の戦車を襲う前に、真ん中の戦車の砲塔に手榴弾を投げ込むよ」「カレン、了解した。GO!」そう言って海人はタコ壺を飛び出し、後ろの戦車を追った。相変わらず、ゆっくりした速度だったので、数十秒で戦車に追いつき、飛び乗った。海人は消音拳銃を取り出し、倒れた男の真下にロシア語で怒鳴った。「降伏せよ! ウクライナ軍だ!」敵の反撃を警戒しつつ。 直ぐ返事が来た。「撃たないでくれ! 降伏する!」「戦車を止めて皆、外に出ろ! 両手を上げてだ!」 海人がマイクに言った。「カレンより。後ろの戦車と兵士3名確保した」 分隊長から返事が来た。「オ~イより。俺たち2名がそっちに行く。目隠しと無力化してくれ」「カレン、了解」海人は、撃たれて倒れている男を穴から引っ張り出した。その男は肩から血を流しているが、生きていた。海人の狙い通りだ。 真ん中の戦車から鈍い爆発音がした。そして停止した。「メリーより。砲塔を破壊した。これから先頭の戦車を襲う」 幸いなことに先頭の戦車は停止していた。クンは素早く戦車の上に乗り込んだ。「メリーより。降伏するってさ! オ~イ!(分隊長の暗号名)真ん中の戦車をシャベリンで脅してくれ!」シャベリンを撃つのじゃなく、運転兵が見ている防弾ガラス窓の前方から撃つ構えで脅すのだ。「オ~イ。了解した」 潜入狙撃分隊が、3台のロシア軍90Ⅿ戦車を鹵獲し、ロシア兵9人を捕虜としたのは、15分しかかからなかった。だが難問が残った。 分隊は見張りの衛生兵を残し、戦車の横に集合した。 分隊長が切り出した。「時間がない。捕虜を殺す訳にゃいかない。だがそれが問題だ。良い案はないかな?」狙撃分隊が捕虜をとることは計画外だった。ウクライナ軍の戦闘規定には、降伏兵・無力化した敵兵を殺害することは‶重罪″である。だが、鹵獲した戦車も捕虜も、潜入狙撃分隊には大きな障害となるのだ。「分隊長。味方は何処にいますか?」クンが訊いた。「ヘルソン市から20kmのところで、ロシア軍防御陣営と激戦中だ」分隊長が訝しげに答えた。 クンがまた訊いた。「だと、そのロシア軍防御陣営まで、ここから5kmウクライナ軍側に戻ったところですよね?」「そうだが……」分隊長は呟くように答えた。 海人はクンのアイディアに気づいた。クンに目で告げた。《分隊長に言えよ! 俺は賛成だよ。それしか最善の策はないからだ》 海人の賛同を得たクンが、分隊長らに策を説いた。「分隊長。逆偽旗作戦を提案したいです」「ん? 逆偽旗作戦?」分隊長が、怪訝そうな表情を浮かべた。「分隊長。ロシアの戦車3台でロシア軍の背後に行き、撃破するんです。我々の物としたロシア戦車は、ロシア軍防御陣営の背後、5~6百mで停止し、砲撃するんです。もちろん前線のウクライナ軍と調整して――ウクライナ軍の突破が可能となるように――ですがね。それに捕虜たちの安全も兼ねてです。鹵獲したロシア戦車に、ロシアの国旗を掲げるのですが。それでロシア軍からの攻撃を逸らし、ウクライナ軍には味方のロシア戦車の旗印とするんです」 クンの発想は意外性に富んでいたが、妙に説得力があった。分隊長もそう思った。 分隊長が皆に訊いた。「皆の意見を聞きたい。その前に、クンにひとつだけ確認したい。戦車の運転と砲撃の操作は誰がするのだ?」「1台は俺も何とか運転できますし、砲撃方法も知っていますが。そこで分隊長。俺と堀田さんが2台に乗り込み、捕虜のロシア兵に運転と砲撃をやらせますよ。如何なる方法であれ、砲身のいかれた戦車には、分隊長と2人が乗り込んでください」そうクンが答えると、海人が言葉をついだ。「分隊長。私もクンの作戦に賛成です。ロシア兵の捕虜は、我々の指示通りに動きますよ。ロシア軍背後から撃ちまくって、我々はそこからトンズラし‶ウクライナの森″、ここに戻るのですよ。食料と水は、ロシア軍から盗めばいいでしょう」海人が言い終えると、皆が頷いた。 分隊長の表情が明るくなった。「よし、それでいこう。この特別軍事作戦名は‶偽旗″とする。10分後に出発するが、皆いいかな?」 皆が声を合わせた。「了解!」 海人が、荷物を取りにタコ壺へと歩を向けた。 急に風が強くなり出し、靄が一層濃くなっていく。 海人は目をこすった。《前が見えない。まったく見えない》 海人が周りを見る。《何も見えないじゃないか》 海人は焦った。《こちらカレン。メリー、靄で見えない。そっちはどうだ?》クンから返事がなかった。《メリー! メリー! メリー!》 何度叫んでも、クンからの返答はない。 靄で見えない‶ウクライナの森″が、強風のせいか咆哮しているかのように、海人には聴こえた。ウオー! ウオー! ウオー! 何故か海人も吠えた。ウオー! ウオー! ウオー!「海人さん! 海人さん! 何吠えているの? 悪い夢でも見たの?」妻の榊原英子が、羽毛布団の中で唸っている海人の体を揺すった。 いきなり海人の目から靄が去った。(了)
2022年10月16日
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ブログ冒険小説『闇を行け!』エピソード ウクライナの栄光は滅びず 自由も然り運命は再び我等に微笑まん朝日に散る霧の如く 敵は消え失せよう我等が自由の土地を自らの手で治めるのだ自由のために身も心も捧げよう今こそコサック民族の血を示す時ぞ!(ウクライナ国歌『ウクライナの栄光は滅びず』・訳詞より)(主な登場人物) ・堀田海人(ほった かいと)札幌の私大の考古学教授。・十鳥良平(とっとり りょうへい)元検察庁検事正。前職は札幌の私大法学部教授。現在、札幌の弁護士。・榊原英子(さかきばら えいこ)海人の大学の考古学教授。海人の妻。・役立有三(やくだつ ゆうぞう)元警視庁SAT隊員 十鳥法律事務所の弁護士。・君 道憲(クン・ドホン)日本名は――君 道憲(きみ みちのり)・武本 信俊(ムボン・シジュン) 君の甥 韓国38度線付近の住民 ・ムボンの父 通称は「親父(アボジ)」・ムボンの母 通称は「ママ」(エピソード) 夜11時30分。かなり遅い夕食だったが、海人と榊原は共同で、徹夜で仕上げる研究論文があるから、軽く腹を満たす程度だった。 海人と榊原がお気に入りのコストコで買った格安の「ローストの鶏1羽」を、簡易ビニール手袋をつけた手でむしり取っていた。 海人が手羽を口にくわえた時だった。テーブルのスマホが震え鳴った。 以外にも、十鳥でなくムボンからだった。しかも海外からである。十鳥から5月中旬にムボンと仲間がウクライナに行った、とは聞いていたが。「今ウクライナの夕陽を愛でています。先生。美しいプレーリーサンセットになりそうですよ」7時間遅れのウクライナからムボンが、わざわざ連絡をよこしたのだった。「そりゃあ、大草原の夕陽だ。地平線に沈む光景は、特にウクライナの小麦畑のそれは絶景だろうな」海人が想像を膨らめせて言った。「榊原先生もお元気ですね……」ムボンが榊原と会話したそうに言った。海人がスマホをスピーカーホンにした。「榊原に代わるよ」「お久しぶりです。榊原先生。実はお聞きしたいことがありまして……」「何でしょう?」「あの‶闇を行け!″で、榊原先生は、ある時から抗体検査をしませんでしたね?」ムボンが言葉に気をつけて訊いた。「そのこと? 皆、潜っていたから止めたのよ」榊原が答えた。「実は……先生たちが帰国した翌日の抗体検査で、俺は無症状の陽性でした」「親父さん、ママさん、クンさんは?」榊原が訊いた。「俺以外、皆、陰性でした。俺は隔離の2週間生活し、陰性となりました。皆元気ですが……」ムボンが言いたいことを残したのが、榊原に分かった。「ムボンさん。海人先生も私も陰性ですよ。十鳥さん、役立さんも陰性ですよ」「良かった……」何かが喉まで出かかったのを、抑えているかのような物言いだった。「海人さんに代わりますわ」察した榊原が、そう言って海人に代わった。「ムボンさん。喉から吐き出して良いぞ!」海人がズバリ言った。「先生たちも承知されていることですが、北朝鮮で新型コロナ感染が猛威を振るっていますね。あの時……兵舎内の者たちに猿ぐつわをかませたのですが……俺は唾を吐き付けたのです。それと感染が関係しているのでしょうか?」「陽性者の唾だからな。しかも飛沫でない。キスして移っているようなイメージだな。だが、北朝鮮のコロナ感染は5月前後からだよ。‶闇を行け!″は8月中旬だから、今のところ無関係だね」「やはりそうですよね……」ムボンが余韻を残して言った。「いやいや、ムボンさんの新型ウイルスはオミクロンの変異したものだ。北朝鮮のウイルスは、前のタイプだろう」「海人先生。それでは……これから俺の変異株が……」やはり気にした物言いのムボンだった。「こう言うのも不謹慎だが、我々の‶呪いかけ″があるかも知れないぞ! ムボンさんの変異したウイルスが拡散するかも知れないよ」海人が予言じみた言い方をした。そして畳みかけた。「ムボンさんよ。ミサイルと核兵器に国家予算の大方を使い続け、人民を蔑ろにしている独裁王朝将軍様だ。悔い改める岐路にある北朝鮮となった。我々の‶呪いかけ"は、まだ効いているようだね。ところでムボンさんは、ウクライナ支援の義勇兵として戦っているんだね?」「ええ、ウクライナで、かつての狙撃連隊の同志たちと戦っています」「今まで何人殺したんだ!」海人が迫った。「先生。俺はロシア兵の足を撃っているよ。殺してはいない。タマに股間に当たる時もあるけどね」「戦況は?」海人が短く訊いた。「へルソン州を奪還して、クリミヤ半島へ向かっているよ。1カ月以内で駆逐できそうです」「そうか――でも、何よりもムボンさんの安全を祈っている! まだ我々にはやるべきことがあるからね」「俺たち狙撃連隊は、後方2kmから撃っている。前線部隊は苛烈だが、暗視ゴーグルで暗夜を進んでいるから、かなり安全性は高いです。帰国したら、札幌に行きますよ」ムボンは声を明るくして言った。 榊原が割って入った。「ムボンさん。白い十字架がお守りくださりますわ。ムボンさんには祖先たちも守っています。きっと。私たちも祈っていますよ」「先生たち。ありがとう!」ムボンの電話が切れた。 海人が姿勢を正して言った。「英子さん。食う前に祈ることとしよう」「ええ、そうしなきゃね」榊原も背筋を伸ばした。 海人が祈った――『天にまします父なる御神。どうかウクライナの大草原に、明日はとりわけ大きく明るい陽光が昇り、ウクライナに平和が来たらしめますこと。そしてムボンさんらのご無事を、主イエスの御名を通じてお祈りいたします。アーメン』 海人と榊原は祈りつつ、ウクライナのプレーリーサンライズを観ていた。 何と大きく力強い日の出なのか――(完)
2022年05月17日
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ブログ冒険小説『闇を行け!』最終章 ウクライナの栄光は滅びず 自由も然り運命は再び我等に微笑まん朝日に散る霧の如く 敵は消え失せよう我等が自由の土地を自らの手で治めるのだ自由のために身も心も捧げよう今こそコサック民族の血を示す時ぞ!(ウクライナ国歌『ウクライナの栄光は滅びず』・訳詞より)(主な登場人物) ・堀田海人(ほった かいと)札幌の私大の考古学教授。・十鳥良平(とっとり りょうへい)元検察庁検事正。前職は札幌の私大法学部教授。現在、札幌の弁護士。・榊原英子(さかきばら えいこ)海人の大学の考古学教授。海人の妻。・役立有三(やくだつ ゆうぞう)元警視庁SAT隊員 十鳥法律事務所の弁護士。・君 道憲(クン・ドホン)日本名は――君 道憲(きみ みちのり)・武本 信俊(ムボン・シジュン) 君の甥 韓国38度線付近の住民 ・ムボンの父 通称は「親父(アボジ)」・ムボンの母 通称は「ママ」(最終章) 丑の刻(午前1~3時)の丑三つ時(2時45分頃)、親父とムボンが洞窟内に戻った。「鬼が出て来たな」十鳥が親父に言った。「おお。そうだよ、十鳥さんよ。‶将軍様″に呪いをかけた鬼の一党だがね」親父がニヤッとして答えた。「いやいや、これで鬼が全員出揃ったんだ」十鳥が言うと、「女の鬼は家に2人待っているがね」親父は付け加えた。 そして親父が十鳥に訊いた。「そろそろ、この鬼門のトンネルを爆破したら?」 十鳥は、腕時計に目をやり告げた。「よし。鬼門を閉じる。丁度、丑三つ時、午前2時44分だ。後1分しかないからな。みんな十字架に祈ってくれ。敬虔な儀式だからな」 十鳥は、親父と共に十字架の前に額(ぬか)ずいた。それにつられるようにクン、ムボン、役立、海人も、2人に習った。『父なる神よ。これから地獄の門を閉じます。専制と独裁で苦しむ人々を救い給え。平和な世の中を来たらせ給え。御意志に従い、我々は――神の御子・イエスキリストの名のもと、お祈りします。アーメン』そう十鳥が、祈りの言葉を十字架に唱えた。 丑三つ時。午前2時45分。 トンネルの武器庫3カ所に、親父と十鳥が仕掛けていた時限爆弾が起爆した。 トンネル内で唸る音とともに、洞窟内が少し振動し揺れた。 腕時計に目を凝らした十鳥が、皆に告げた。「これで鬼門が閉じられた。丑三つ時ジャストだった」「十鳥さん。無事、‶将軍様″への呪いを終えましたな」親父が言った。「我々は、確かに呪いをかけたが、あの‶将軍様″は呪い除けに長けている。なにせ配下を呪いの盾にし、犠牲にしているのだ。配下も配下だ。食い物に満たされ、嬉々として盾になっている。教祖が世襲するカルト宗教団体のクニだからな」十鳥は、いつになく悲観的な物言いだった。 まだ夜明け前だからか、洞窟内が妙に暗かった。 一時間後、皆が親父の家のリビングのテーブル席にいた。 テーブルの上に、「ビニールに印刷されたメモ」「韓国の免許証が2人分」「腕時計6個」「タブレット」「発信器1個」が置いてある。これが工作員と仲間たちが持っていた全てだった。 十鳥がクンに言った。「先ず、腕時計の裏ブタを外して確認してくれ。潜入予定の工作員と潜入した工作員の腕時計3個だ」 クンがナイフの先で器用にこじ開けていく。 3個の腕時計の裏蓋を開けると、中に「丸い形状のメモ」があった。「やはりな。厚みがあったから、そう思ったのだ。それに機械式でなくデジタルだったからな」十鳥が言った。 クンが「メモ」を広げた。それは5cmの円形メモとなった。「どれも乱数字が書かれている」「ビニールのメモも乱数字だったな?」十鳥がクンに訊いた。「そうです。どれも北側工作員の得意な乱数字です」クンが答えた。「よし。ここからは榊原と海人先生の出番だ」十鳥が榊原を見て言った。 榊原が言った――「私の勘ですが……北朝鮮に全く無縁の書物にヒントがあるのでは……洞窟の南進トンネル。そう、あの洞窟の教会と関係した書物、それは『聖書』ではないかと思いますわ」 これには皆が呆気にとられた。いくらなんでも、何で『聖書』なんだ? と。「貴国では『聖書』は、ほぼ、どの家庭にあっても自然ですので。乱数字の暗号は、『聖書』の中に潜ましているかも。例えば、乱数字の『202・4・○○・○○・○○』。ある『聖書』のページと第何章、何節、何行目、そして上から何番目の『文字』を当てはめると指示命令分、暗号が解けるのかも。くれぐれもこれは私の直感ですよ」榊原が説明した。「聖書はハングルでしょうか?」クンが訊いた。「私の勘ですが、必ずしもハングルの聖書でなく、日本語版の聖書かも知れません。少なくとも英語版ではなさそうです」榊原が答えた。「親父さん。クンさん。このことは貴国の情報院で調べれば、すぐ判読できますね」海人が言った。 ここで十鳥が身を乗り出して言った。「私の娘は、優れた分析頭脳の持ち主なんだ。娘の勘は、宝くじより遥かに確立が高いのだ。潜入工作員の真の目的は、拉致問題を別としても、核とミサイル問題で、国交のない日本への潜入工作要員だと思われるのだ。新たに貴国に潜入する必要がない。これまで十分に貴国に潜入し、北のスパイ網は完成しているからだ」 十鳥が一息ついた。「車、洞窟の内と外に、隔離している捕獲した奴らは、親父さんにお任せする。但し、承知されているように、我々の‶将軍様への呪い作戦″と、日本から来た我々の存在を秘匿だ。明日、我々は日本に帰る」「十鳥さん。承知した。南進トンネルを見つけ、工作員を捕獲したが、十鳥さん等の関与は黙秘する」親父が答えた。 海人が口を挟んだ。「あの南進トンネルを貴国と貴国の情報院が伏せてくれると助かる。理由は、あのトンネルの洞窟が、貴国で貴重な旧石器時代の遺跡ですので。本格的な発掘調査を行えば、貴国の有数な遺跡となるはずです」「私からもお願いがあります。洞窟の教会も、貴国の歴史遺産ですわ。保存と調査をお願いしますわ」榊原が言った。 海人が話に入った。「もしかしたら、洞窟内に隠れ部屋があるかも。あったらそこに、ムボン(武本)家の日本人祖先が遺した何かがありそうな気がしているんだ」「先生たちよ。すべて了解したぞ」親父が声を強くした。 リビングの窓外が明るくなって来た。「今日はハレの日だな」十鳥が呟いた。「そうです。今日は晴れの日ですね」クンがそう言った。 皆が窓外を見た―― 8月末の朝9時半。大学の研究室にいた海人に、十鳥から携帯に電話が入った。「海人先生よ。クンさんから連絡があったよ……」「それで?」海人が訊いた。「……どうなったと思う?」十鳥が訊いてきた。「十鳥さん。これから行かなければならないのです」「私の娘と食事にか?」「そうですよ」「父の俺を除いての食事なんだ……」十鳥の声が小さくなっていく。 すかさず海人が十鳥に言った。「あれ? 十鳥さんのお嬢さんから連絡することになっていますよ」「おっ! また掛けるぞ。今娘から連絡が入ったからね」十鳥の携帯がバシっと切れた。 数十秒後、十鳥から電話が入った。「いやあ~。食事の時でも良いが、急ぎ知らせる。洞窟内に隠し部屋があったそうだ。3個の木箱があり、武本という祖先が遺した文書類多数と白い十字架についての文書も。それと、洞窟内の発掘調査が行われた結果、旧石器遺跡の沢山の証と人骨数体分があったと。乱数字が『日本語の聖書』に当てはまったそうだ。韓国の情報院関係者からの話だと、北の独裁者、将軍様は動揺して、片っ端から粛清していると。将軍様の大本がかなり危なそうになっていると。捕獲した工作員らは、韓国情報院が厳格に隔離し取り調べ中。そうそう、クンの元同僚がスパイ工作員だった。後は食事の時、伝えたい。それにしてもだが、私の娘と婿だけあるなあ」 (了)
2022年04月29日
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ブログ冒険小説『闇を行け!』15 ウクライナの栄光は滅びず 自由も然り運命は再び我等に微笑まん朝日に散る霧の如く 敵は消え失せよう我等が自由の土地を自らの手で治めるのだ自由のために身も心も捧げよう今こそコサック民族の血を示す時ぞ!(ウクライナ国歌『ウクライナの栄光は滅びず』・訳詞より)(主な登場人物) ・堀田海人(ほった かいと)札幌の私大の考古学教授。・十鳥良平(とっとり りょうへい)元検察庁検事正。前職は札幌の私大法学部教授。現在、札幌の弁護士。・榊原英子(さかきばら えいこ)海人の大学の考古学教授。海人の妻。・役立有三(やくだつ ゆうぞう)元警視庁SAT隊員 十鳥法律事務所の弁護士。・君 道憲(クン・ドホン)日本名は――君 道憲(きみ みちのり)・武本 信俊(ムボン・シジュン) 君の甥 韓国38度線付近の住民 ・ムボンの父 通称は「親父(アボジ)」・ムボンの母 通称は「ママ」(15) 軍用トラックは、暗闇の公道を東へと進んでいた。 これまで25km走ったが、すれ違う北朝鮮の軍用車はなかった。だが運転しているクンの胸の内で、少しづつ波打ち出していた。北朝鮮は常に戒厳令を敷いているから、検問所があるはずだ!「ムボンよ。そろそろだな」「クン兄。俺の体もそう疼いているよ」 クンがマイクで告げた。「役立さん。先生。検問所がありそうだ」 クンの声を聞いた役立と海人が、互いを見てまなじりを上げた。「帰りは怖いと、覚悟しているよ」海人が言った。「今までが順調だったからな」役立が言った。 海人も役立つも、やけに冷静だった。十鳥チーム自体が、危険な状況――そもそも南進トンネル突入、北朝鮮潜入、基地強襲、そして‶将軍様への呪いかけ″――の計画策定時から、腹を括っていた。大胆であり、繊細であり、機械工学でいうところのテンションとも言える遊びを絶えず持っている十鳥のチームである。張り詰めた糸は切れ易い。だが心に遊びがあると、張り詰めた心を調整し、冷静に対応できる。これが十鳥の並外れた持ち味で有り、十鳥を尊敬するチーム員も持ち合わせているものなのだ。類が類を引き合わせているように。 クンが前方の彼方に検問所の灯りを捉えた。「検問所あり!」「了解!」皆が答えた。 数十秒後、検問所に着いた。兵士2人が立ちはだかり、手で、停まれ! と合図して携帯ライトで運転席を照らした。そして兵士が運転席側に近づいて来た。 クンはドアを開け、車から降りる。助手席のムボンが消音装置付きの拳銃を軍服に隠し持つ。「いやあ~ご苦労様。我々は特殊任務で10km先のトンネルに向かっている」クンが特殊任務を強調して言った。兵士がクンの任務に理解したかのように、「特殊任務ですか。本部からそういう連絡が無かったのも頷けます」と言った。が、躊躇しつつ、クンに言った。「一応、身分証を見せてください。確認させていただきます」 クンが軍服の胸ポケットからIDカードを取り出した。それは北朝鮮軍偵察総局幹部の身分証である。 IDカードに目を通した兵士が、「偵察総局の……失礼しました!」と言って、背筋を張り敬礼した。兵士が検問の車停止バーにいる兵士に、手で合図した。通過よし! クンはトラックをゆっくり動かし、検問所を通って行く。 去って行くトラックを見送っていた兵士が、はたと気づいた。偵察総局の幹部は、軍服でなく背広のはずだ! それに彼は若すぎる! 偵察総局の次長にしちゃ! いつもは乗用車のはずだ! しかもトラックのナンバーは……本部に確認すべきだ! あの幹部の名は……キム……将軍様の一族……いや、キム姓は大勢いる…… そう思案して、兵士が無線機で本部に連絡した。 クンは急いだ。だが、胸の内が漣(さざなみ)立ってきた。「役立さん。追っ手の車両に警戒してくれ! 俺は次の検問所を警戒している。検問所があればだが」「了解」役立が答えて、ライフル銃とRPG対戦車擲弾発射器を手に持った。「先生。身を伏せてください。私の背後で」役立が海人に言った。海人が床に腹ばいになった。 皆は防弾ベスト――クンがネットで購入した3万円ほどの代物だ。高額なケプラー社製でないが、不織布製で2kgと軽い。不織布と言えば、コロナウイルスの貫通を防げる。原理は同じで、何重にも重ね合わせた不織布の素材が違うだけだ。これでも拳銃弾、小銃弾の貫通は防げるし、そう厚くはない。役立と海人は潜入時から迷彩服の上に着ている。クンとムボンは、北朝鮮の軍服の下に着こんでいる。因みに米国等の特殊部隊の防弾ベストは、数十万する高性能の防弾・防爆対応のそれである――の緩みを直した。 十鳥が腕時計を見た。夜半を過ぎていた。「十鳥さん! 来たよ!」親父が、洞窟入り口に立ち声を張り上げた。「親父殿。来たか――待っていた。工作員の仲間を捕獲したのは、さすがだ」「十鳥さん。そこの真っ裸の工作員が隠し持っていたメモと、仲間の工作員は、今回の‶将軍様への呪いかけ作戦″での望外の成果かも知れない。奴らの始末は、4人が戻ったら、十鳥さんと皆で相談したい」「親父殿の言う通りだ。貴国の情報機関に、単純に委ねる訳にゃいかなそうだからな」「十鳥さん。私もそう思っている。奴らは根を深く張っていそうだ」「親父殿。トンネルの武器庫に、まだ4人の貴重な情報材がいるが、2人で回収に行かないか?」「了解した。潜入のクン等が戻る前に運ぶとしましょう」と親父が言って、トンネルの穴に歩を向けた。 脱出のトンネルまで、あと5kmだ、とクンが呟いた時、前方に小さく光る点が見えて来た。段々と点が大きくなって来た。検問所だ! 今度はやばそう! クンがマイクで後部にいる役立、海人に知らせた。「検問所あり!」「準備よし!」役立が答えた。 検問所の前で5人の兵士が、AK自動小銃を構えている。戦闘態勢を敷いていた。「やばい」ムボンが言い、窓を開けた。そして消音拳銃を手に持ち膝に置いた。クンは窓を開け、トンネルの武器庫から持ち出した旧型のAK自動小銃を右手に持つ。「いったん停車する素振りをするが、急発進して突破する」クンがマイクに告げた。「了解! 準備OK!」役立が答えた。伏せながら海人が、RPG3器を抱えた。 トラックが近づき速度を緩めた。 5人の兵士が前を塞いでいる。中央の兵士が自動小銃を持ち上げた。「突破だ!」クンがマイクに怒鳴り、急発進する。クンは片手で窓から自動小銃をバラバラと横に払い撃つ。助手席のムボンも撃つ。 停止バーを打(ぶ)ち破り、トラックは検問所を突破する。が、公道の両脇に2台の武装装甲車がいた。「武装装甲車2台! 先手だ!」クンが怒鳴った。 幌後部の役立が、RPGの狙いを定めた。撃った!「クソ!」役立が罵った。外れたのだ。海人がRPGを役立に渡す。 役立が撃つ! 海人が渡す。役立が撃つ! 装甲車の姿が噴煙で消える。海人が最後のRPG3器を役立に渡した。 役立は装甲車を破壊したか、目を凝らすが、遠ざかるトラックからは見えない。闇だけだ!「クンさん。当たったか分からない」役立がマイクに言った。 バックミラーを見たクンが言った。「追って来ていない。あと5分でトンネルだ。いずれにせよ、バレた。戦闘態勢維持だ!」クンが告げた。 ムボンがライフル銃の銃床でフロントガラスを砕く。顔に冷えた空気が当たり、火照った頭を冷やしてくれた。ムボンが狙撃ライフル銃をフロントに突き出した。 トラックは漆黒の闇を疾駆した。‶闇を行く!″ それだけは予定通りだった。 トラックが公道のトンネルに近づいた。トンネルの入り口の薄明りの中、4人の兵士が道を塞ぎ、AK自動小銃で狙っていたのが見えた。100m手前で、クンが速度を落としトラックのライトを消すと、ムボンが狙撃ライフルを撃つ、撃つ、撃つ、撃つ。 兵士たちが倒れたのを確認したクンは、トラックを加速させた。「入り口の兵士たちを無力化した。これからトンネル内のトンネルに行く。だが、トラックから降りるのは公道のトンネル内だ。そこから南進トンネル入り口まで走る。そこにも敵はいるかも知れない」クンがマイクに告げると、トラックはトンネル内に入った。 この先20mで右折すると、南進トンネルの駐車場だ。クンはトラックを停車させた。と同時に、皆がトラックから降り、クン、ムボン、海人、役立と縦列になった。 南進トンネル内から車のライトの照明が伸びていた。敵がいた! クンが顔半分出して駐車場を覗く。南進トンネルの入り口両脇に四輪駆動車2台がライトを点けて、公道を照らしていた。兵士の人数は確認できない。「ムボン。2台の車の照明を撃ってくれ」クンがムボンに耳打ちした。 ムボンがクンに代わり、前に出た。ムボンが躍り出ると、伏せてライフルを撃つ。車の照明が消えた。と同時に、車の方から一斉射撃だ! 自動小銃の射撃だった。 ムボンは転がり、向こう側の壁に身を隠す。「敵は4人」ムボンが言った。「RPGをかます。と同時に一斉反撃して突入する」クンが言った。 役立がクンにRPGを渡す。「行くぞ!」と言うなり、クンが半身を出し、RPGを撃ち放した。1台の車に当たり、ひっくり返った。焔立つ! ムボンとクンが駐車場に突入し、撃ちまくる。敵の銃弾も放たれる。役立も転がりながら、クンの横に行き、自動ライフルを乱射する。ムボンが手榴弾を投げる。もう1台の車のところで爆発した。 海人が公道の前と後ろに目をやる。後ろの方に車のライトが近づいて来るのが見えた。「追手が来た!」海人が大声で告げた。 クンらが撃ちまくった。そしてクンが怒鳴った。「敵の反撃が無い! トンネルに突入だ! 追手が着く前に! 先生!」「今行く!」海人が駐車場に走った。南進トンネル入り口前で燃えている車を目がけて、50mほどだったが。南進トンネル入り口にクン等3人が待っていた。 追手の装甲車が駐車場に現れた時、クンが入口扉の鍵部分を撃ち、ムボンと役立が扉を開ける。「先生と役立さん。ここはムボンと俺に任せて、先に行ってくれ」クンが言って、ムボンと防御姿勢をとった。「先に逃げる。100mのところで待っている」役立が言って、海人の背を押した。「了解した」クンが答えて、AK自動小銃を撃つ。が、弾切れだった。すかさずムボンが手榴弾を投げる。クンが弾倉を取り替えると、装甲車からの機関銃弾が扉を破壊する。「ムボン! 俺たちも逃げるぞ!」と言った時、クンの肩を機関銃弾が抉った。「クン兄。どうした? 逃げないのか?」「肩をかすめ撃たれた。俺の顔に暗視ゴーグルをかけてくれ」少しよろめいたクンが答えた。それを見たムボンが最後の手榴弾を装甲車に投げる。「クン兄。トンネルにランタンが点いているよ。暗視ゴーグルは要らないよ」そうムボンが言って、クンの腕を支えてトンネルの奥へ後退(あとずさ)って行く。「ムボンよ。俺の手榴弾を使え」 ムボンがクンのベルトから手榴弾3個を取る。「クン兄。先に逃げてくれ。この手榴弾で入り口を崩落させる」「分かった」クンがよろよろと背を向け奥へと歩を向けた。 装甲車は1台ではなかった。ガンガンと撃ってくる。ムボンの体をかすめて弾光が走る。ムボンも急ぎ後退る。70m離れた時、入り口目がけて手榴弾2個を投げた。爆風がムボンを襲ったが、機関銃弾とAK自動小銃弾がトンネル内をビュンビュンと飛ぶ。崩壊していない! ムボンが100mほど後退ると、防弾盾2枚がムボンの前に立った。数発の銃弾が、その盾に当たった。「クン兄。逃げろ!」ムボンが後ろを振り返った。「シジュンよ! 私だ!」親父だった。「親父!」ムボンは驚いた。「このまま後退するぞ。私は地雷を置く」親父が後退しつつ、首からぶら下げた袋から対人地雷に信管をねじ込み、1個づつ床に置いて行く。「クン兄、役立さん、先生は?」銃弾音が飛ぶ中、ムボンが訊いた。「クンは肩を負傷している。皆を洞窟に行かせた」親父が答えて、地雷を置く。 トンネル内に敵兵士が入って来たのが、自動小銃音で分かった。 ムボンがライフル銃の弾倉分を一気に撃つ。「シジュンよ! あと100m下がったら、敵は地雷を踏むはずだ。盾を背に背負え! 私は後ろから続く。トンネル内は縦列、人ひとりが列をつくるはずだ」「親父! 了解した!」ムボンが盾を背にして走る。袋の地雷を空にした親父も続く。 親父とムボンが300ⅿ後退した時、後ろで地雷が連続して爆発した。トンネル内が共鳴し、爆風が2人の背を襲う。トンネル内で地鳴りがした。「シジュン! 急げ! 崩壊している!」「親父! 武器庫をどうする?」走りながらムボンが訊いた。「私たちが洞窟に戻ったら、十鳥さんが爆破することになっている」親父も走りながら答えた。また後ろで地雷の爆発音がし、トンネルの床が揺れたが、爆風は追って来なかった。(続く)*このブログ冒険小説はフィクションであるが、事実も織り込み描いているつもである。*次回が(最終章)となる予定である。
2022年04月25日
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ブログ冒険小説『闇を行け!』14 ウクライナの栄光は滅びず 自由も然り運命は再び我等に微笑まん朝日に散る霧の如く 敵は消え失せよう我等が自由の土地を自らの手で治めるのだ自由のために身も心も捧げよう今こそコサック民族の血を示す時ぞ!(ウクライナ国歌『ウクライナの栄光は滅びず』・訳詞より)(主な登場人物) ・堀田海人(ほった かいと)札幌の私大の考古学教授。・十鳥良平(とっとり りょうへい)元検察庁検事正。前職は札幌の私大法学部教授。現在、札幌の弁護士。・榊原英子(さかきばら えいこ)海人の大学の考古学教授。海人の妻。・役立有三(やくだつ ゆうぞう)元警視庁SAT隊員 十鳥法律事務所の弁護士。・君 道憲(クン・ドホン)日本名は――君 道憲(きみ みちのり)・武本 信俊(ムボン・シジュン) 君の甥 韓国38度線付近の住民 ・ムボンの父 通称は「親父(アボジ)」・ムボンの母 通称は「ママ」(14) 夜10時。クンを先頭にして4人はトウモロコシ畑を下って行った。 基地内は数か所だけ、か細く灯っている。暗視ゴーグルを着けた4人は、鉄条網に沿い、畑の出入り口、鉄条網の切れている個所を探して行く。 クンが右手で示した。出入り口を見つけたのだ。ムボンがクンの後ろに行き、片膝をつき、消音装置付きのスナイパー銃で援護姿勢をとる。 クンが地雷探知機で慎重に地面を探り進む。前方の建物、メンテナンス車庫まで20mだが、地雷探知機を中央部、それから左右に振った時、イヤホンにキーンと音が鳴った。探知機の液晶画面が赤く光り、メーターの針が大きく振れた。再度、探知機を左右の地面に当てる。イヤホンが鳴る。 クンが後ろに手で知らせた――中央部の左右に地雷有り! そこで待機してくれ! クンがスプレーをポケットから取り出し、中央部左右に「安全線」を破線状に噴射していく。クンが建物の壁に到達すると、付近を探知機で確認する。地雷無し! と合図すると、暗視ゴーグルで「安全線」を見つつ、ムボンら3人がクンのいるところまで進んだ。 クンがマイクに告げた。「ここからは無線を使う。行動開始だ」 ムボンが建物の表に出て、基地内の監視塔と監視要員をスナイパー銃のスコープで探す。監視塔は無かったが、薄い灯りの下、外に向かって、入り口左右に立哨の兵士2人を見つけた。「クン兄。立哨2人。俺も行く。俺が戻るまで役立さんと先生は待機してくれ」 クンとムボンがトラックと戦車の陰を進んで行く。2人は立哨兵士の10mまで進むと、隙を覗い方膝をつき暗視ゴーグルを顎下に降ろし、目出し帽を整えた。 立哨の兵士2人が基地外を、手を後ろに組みのんびりと立っている。今だ!「行くぞ」とクンがマイクに言うと同時に、10mを忍び足で急いだ。隣にムボンも続いく。立哨の兵士の背後から、クンとムボンがライフル銃を振り上げ、銃床で兵士の後頭部を強打した。不意打ちを食らった立哨の兵士2人は、横にどっと崩れた。 クンとムボンは、兵士を引きづり物陰に隠す。「立哨2人を気絶させた。明日朝まで起きないはずだ。俺は分隊指揮所に行く。ムボンと役立さんは兵舎を頼む。先生は、そこで待機してくれ」クンがマイクに告げた。「了解」役立と海人が答えた。 クンとムボンは、忍び足を早くし、二方向に別れて行った。 クンが指揮所のドアを開け、内部に入った。消灯していたので暗かったが、暗視ゴーグルで先を探りつつ進む。人気は無い! 次の部屋のドアを開けた。分隊長の執務室だ。中央のデスク上に『南進命令書』を置いた。デスク上の電話機の配線を抜き取る。無線は? 壁側のデスクにあった。手袋で被せ、銃床で数度叩いた。「無線を無力化した。‶将軍様への伝言″を置いた。俺は先生のところに行き、トラックを確保する」クンがマイクに言った。「了解」海人が答えたが、ムボンらから返事は無かった。兵舎に入ったな、とクンは確認できた。 クンと役立が兵舎のドアを開け、そっと内部に入った。暗視ゴーグルでは、左右の蚕棚に兵士たちが寝ていた。ムボンと役立が左右に別れ、片っ端から兵士の頭部を銃床で叩いて行く。11人の兵士を熟睡させるのに、一発強打! で20秒も掛からなかった。そして猿ぐつわをかませ、パンツ一枚にし、両手を後ろ手に結束バンドで縛り、両足もきつく結束し、うつ伏せにしていく。 10分かかった。暗闇だから、こう無機質に書けるが、実際はホラー映画のようで、ホラーの主人公がムボンと役立だったのだ「奴ら11人を黙らせた。今行く」ムボンがマイクに告げた。「了解。トラックのエンジンをかける。先生と一緒だ」クンが答えた。「クン兄。俺はこれから戦車とトラックに時限装置をつけに行く。役立さんが見張りに就く」「了解」クンが答えた。 10分後、トラックに全員が乗った。運転席にはクンが。助手席にはムボンが。2人は北朝鮮兵の軍服に着替えていた。「さあ~脱出開始だ!」クンが声を張り上げた。「了解した!」皆が答えた。 トラックは暗夜にライトを照射し、基地を出て、道を左折した。脱出のトンネルまで東へ35km。時速60kmで急いだ。 後部の幌内部にいる海人がマイクで訊いた。「皆のリュックの武器類は持ち帰るのかな?」「いつもの予定変更です。逃走に備えるため、リュックに納まっていますよ」クンが答えた。 渓谷源流の水音(みずおと)は、静寂な夜を遮るほど大きくなかった。また慣れもあったのだろう。洞窟内にいる親父、十鳥には、人の気配と別物となり、まさに自然界が奏でる音として寂の中に溶け込んでいた。 親父の鼻に、工作員の息が放つキムチの匂いがした。奴は2m先に来た、と親父は計った。またキムチの匂いがきつくなると、工作員が布を擦るかすかな音がした。 工作員が携帯ライトで洞窟内を照らした、その刹那、親父が携帯ライトの手元目がけてライフル銃を打ち下ろした。骨が折れる音とともに、ギャア~! と工作員が悲鳴をあげた。親父が床に落ちた携帯ライトで、工作員を照射した。工作員の驚愕した顔が浮ぶなり、親父が工作員の両足の脛を靴底で蹴った。グワッ! と唸り声をあげ、うつ伏せに倒れた。床に顔をしたたか打った工作員が、グアャ~! と叫び、悶絶した。「十鳥さん。奴が気絶しましたよ」と親父が言って、工作員の服を剥いでいく。そして猿ぐつわをかませ、全裸にさせた。親父が工作員の急所を念入りにライトを当て、パンツの裏側も見て触った。「何で奴を全裸にし、パンツの裏側を触るんだ?」十鳥は愚問だと思っていたが、つい訊いたのだ。何かのノンフィクション・スパイ小説で読んだことがあったが、実際を見るのは初めてだったからだ。俺は敵のパンツを触らないのだ!「十鳥さん。ランタンを点けても良いですよ。そうすると全裸にし、パンツの裏を手で触った理由が分かります」 ランタンを点けた十鳥が、床の工作員を見た。傍に、工作員の服、下着、持ち物類が丁寧に並べられている。「理由が分からないが……」十鳥が呟いた。「ほら、靴とベルトを見てください」と親父が言って、ベルトのバックルをこじ開けた。するとバックル内に青い錠剤5粒が見えた。「おお、それは青酸カリのようだな?」十鳥が訊いた。「そうです。自殺用です」親父がそう答えて、靴を手に持った。靴底二つの踵(かかと)に力を入れて捻ると、一つの踵、そこには丸い電池みたいのがあった。「ほら、これは発信器ですよ」と言って、親父がパンツをつまんで裏側を見せた。「ほら、ここの布が2重になっているでしょう」親父が布を裂いた。「ありゃあ、ビニールのメモじゃないか」十鳥があんぐりと口を開けた。「たぶん、ここに工作員が秘匿したい内容が書かれているはずだ。十鳥さん」「親父殿。よーく理解したよ」十鳥が言って、全裸の工作員を一瞥した。「十鳥さん。奴を結束バンドで縛ってください。両手を後ろに。両足も。私はこれから、奴の仲間を捕まえに行きます」「了解したぞ。奴がゾンビにならないように、十字架の前でがっちりと縛り、悔い改めの洗礼をするよ」そう十鳥が言って、親父を見た。が、親父の姿は無かった。「ゾンビは、親父かも知れない……」「ママ。洞窟で工作員を捕獲した。私はこれから車の仲間を捕まえに行く」断崖の階段を登りながら、ヘッドライトを点けた親父がマイクに言った。「分かったわ。私たちはモニター画面で監視しているわ」「車の奴を捕まえるが、私は山側から車に行く」「分かったわ。気をつけてね」 この一時間後、親父は仲間の車の背後にいた。そして山側の助手席窓から覗いた。 運転席だけに明るさがあった。仲間がタブレットをいじっていた。追跡アプリか! 親父が、どうする? と自問した。答えが出た――こいつは必ず車から外に出る。そこを襲うのだ――親父は息を潜め、運転席側に回った。渓谷下からの激流音が周りに響いていた。「親父さんが、しゃがんで運転席側にいます」榊原がママに言った。ママがモニター画面を観た。「ママより。モニター画面に見えていますよ。運転席がやけに明るいですね」 親父からの返事を求めた訳じゃなかったが、榊原がママに言った。「あの明るさは、ノートPCのような……」「そうかもね。仲間は寝ていないのね。だから親父は、しゃがんで待っているんだわ。外に出て来るのを」ママが言った。そしてやや間をおいて、榊原に告げた。「私が誘い出してみるわ。先生から親父にそう言ってください。それとモニターの監視をお願いするわ」そう言うなり、ママが部屋を出て行った。「親父さん。ママが車の仲間を外に出るようにすると言い、今行きました」榊原が言うと、イヤホンが2度トントンと鳴った。親父がマイクを叩いて答えたのだ。了解! 30分後、ママが山側から車の横に回った。車が5m下に見える位置にいた。「今投げるよ」ママがマイクに囁いた。 短い枯れ木に布を巻いて、車のフロント目がけて投げた。フロントガラスに当たり、バンパーの前に転がった。 車の男が反応し、ドアを開けて外に出て来た。その一瞬、親父がライフル銃の銃床で男の後頭部を一撃した。男が道路に大の字になって崩れた。親父が素早く猿ぐつわをかませ、後ろ手に結束バンドで縛り、足首と太腿を4本の結束バンドで固めた。「おい、ママ来て良いぞ」マイクに言った。ママが山側の藪から道路に降りて来た。「上手くいったわね」「これも共同作業と言うのだな」 この後、仲間の男を車のトランクに放り込むと、親父がマイクに告げた。「先生よ。仲間を捕まえ、トランクに確保した。十鳥さんに伝えて――」親父がそう言うと、ママに告げた。「ママ。俺はまた洞窟に戻る。予定では4人が脱出する頃だ」「分かったわ。4人の無事の帰還を家で待っているわ。榊原先生とね」 親父が闇の中を洞窟に向かって、走って行った。後ろから、ママも家へと走った。 (続く)このブログ冒険小説はフィクションであるが、事実も織り込み描いている。
2022年04月19日
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ブログ冒険小説『闇を行け!』13 ウクライナの栄光は滅びず 自由も然り運命は再び我等に微笑まん朝日に散る霧の如く 敵は消え失せよう我等が自由の土地を自らの手で治めるのだ自由のために身も心も捧げよう今こそコサック民族の血を示す時ぞ!(ウクライナ国歌『ウクライナの栄光は滅びず』・訳詞より)主な登場人物 ・堀田海人(ほった かいと)札幌の私大の考古学教授。・十鳥良平(とっとり りょうへい)元検察庁検事正。前職は札幌の私大法学部教授。現在、札幌の弁護士。・榊原英子(さかきばら えいこ)海人の大学の考古学教授。海人の妻。・役立有三(やくだつ ゆうぞう)元警視庁SAT隊員 十鳥法律事務所の弁護士。・君 道憲(クン・ドホン)日本名は――君 道憲(きみ みちのり)・武本 信俊(ムボン・シジュン) 君の甥 韓国38度線付近の住民 ・ムボンの父 通称は「親父(アボジ)」・ムボンの母 通称は「ママ」(13) 霧は消えたが、相変わらず真夏の雨雲が、クン等4人が着いた林間部の上空を覆っていた。雲(うん)がついていたのだ。雲が運だ! 4人はそう思ったに違いない。 これまで彼らは、一気に約30kmを進んで来た。幸いなことに、狭く障害物の多い獣道と道なき藪を漕いできたからか、北朝鮮軍の監視塔と北の人民には遭遇しなかった。また、狩猟用の罠、地雷も無かった。 潜入中、唯一困ったのは飲み水だった。4人は水筒の水をケチりつつ進んだが、20km地点で飲み切っていた。だが、救い主がいた! 海人だった。彼は2リットルのペットボトル4本をバックパイプ――北朝鮮の沢水は可能な限り飲まない、と決めていた。単に北朝鮮の物(ぶつ)に手を付けない、という理由である――に入れていた。皆が重い武器類を背負っていることに、海人の気持ちが許さなかったからだ。せめて水のペットボトルだけでも、と思ってのことだった。お陰で荷の重み6kg減ったことが、海人には救いでもあった。 このペットボトル4本は、海人がトンネルに潜る時、榊原が用意してくれたものだった。因みに――榊原は、海人が北朝鮮に潜入することは計画になかったから、考えてもいなかった。だが微塵も、とまでは思っていなかった。正義感旺盛かつ現場主義考古学者の海人の性質を、誰よりも知っているからだ。北朝鮮潜入もあり得ると。 林間下に、キムファ(金化)の北朝鮮機械化分隊基地が見えている。この基地は、キムファ周辺に点在する基地群の中でも、予備的な規模と内容である。 時刻は午後1時。4人が藪と木陰の影で車座になり、携帯食料のビスケットをペットボトルの水で胃袋に流し込んでいた。 クンが地図、衛星画像写真を広げた。「戦車、トラックはあるが、狙いは中心部の分隊指令所だ」そうクンが言うと、ムボンを見た。「攻撃の準備に取り掛かる。予定通りに」ムボンが言うと、皆が頷いた。 38度線の最前線の裏方を担う基地だが、今ではとても近代化には程遠い機械化分隊だ。‶将軍様″が核兵器にしがみつき、国家予算の70%超を費やしているからだ。見方を変えれば、‶将軍様″と側近たちは、鼻から米韓が攻めて来るなんて、これぽっちも思っていない。つまり核ミサイルがあるからではない。元々、米韓に北朝鮮を攻撃する可能性がないことを承知しているのだ。 巷間、北朝鮮の核開発とミサイル開発には、ロシアが深く関与しているらしい。この20年近くはプーチンが核ミサイルを積極的に後押ししているようだ。ミサイルは北朝鮮独自の技術力で開発したものじゃない。ロシアのOEMとも、との噂がある。その真偽を訊かれたら、答えはYESだ。(北朝鮮は独自でミサイル開発をしていたが、ことごとく失敗していた経緯がある)北朝鮮創建から独裁国家の親分と子分の関係であり、金独裁王朝は、西側の親分・米国への先兵的防波堤だからだ。 ミサイル発射を告げる北朝鮮国営TVの、あの貫禄太りした年増のアナウンサーが気張るのと真反対に、緊張感は基地内からまったく伝わってこない。「基地内は無警戒のようだな」双眼鏡を手にした役立が言った。「奴らは半農半兵ですからかね。奴らは食料不足だ。まともに戦える体力は無い」クンがそう答えた。士気が低いことを婉曲に表現した。 事実、南北境界の38度線の最前線の監視体制には、‶将軍様″直結の精鋭部隊を配置し、‶将軍様″直轄領とも言える首都ピョンヤン(平壌)に、精鋭部隊を集中させているのだ。この部隊は‶将軍様"の親衛隊でもある。彼らだけには十分な食料と防弾ベストが与えられている。それ以外の地域の部隊基地には、金王朝に忠誠を誓う軍官僚士官が派遣され、下層兵士を見下している。指揮と言っても、下層兵士たちをこき使い、ただひたすらチュチェ思想にチェッと唾しないかと目を光らせているだけだが…… 林から基地まで100m下る間は、痩せたトウモロコシ畑となっている。「トウモロコシ畑に地雷はあるんだろうか?」海人が誰となく訊いた。 クンとムボンが見やった。「ムボンよ。先生の言う通りだな」クンが言った。「韓国軍の情報は、あの基地には当てはまらいようだ。地雷は無い」ムボンが畑を見て言った。 クンがしばし考え込んで言った。「役立さんよ。先生よ。予定変更したい。夜10時、皆で基地に侵入したいが」 海人が空を見上げて言った。「今夜は曇りで闇だ。基地に潜入するには都合がいいよ」 役立も空を見上げた。「行くか――暗視ゴーグルをつけて」 ムボンが大きく頷く。「時限装置を持ってきた。クン兄」 また、クンが双眼鏡で基地を見た。そして答えた。「この計画でいきたいが――先ず、逃げる方法、脱出は、基地にあるトラックを使う。シートで覆われてはいるが、見える限りでは、基地には旧式のロシア製T72戦車が5、6台とロケットランチャー車が5台だ。それに軍用トラックが4台、4輪駆動車両2台。恐らく兵士10人ほどだろう。あの基地は車両兵站を担っているから、兵士はその維持部隊に過ぎない。俺とムボンが基地出入り口にいる監視立哨要員2人を消音銃で黙らせる。そして俺は基地司令部を襲う。ムボンと役立さんが兵舎を襲う。先生は見張り役だ。奴らを沈黙させてから、トラック1台を除き、戦車、トラック等に時限爆弾を仕掛ける。逃走後の1時間後に爆発させる。もちろん無線類はすべて叩き壊す」「了解したが、‶将軍様への呪いかけ″は、それだけ?」役立がクンに訊いた。「役立さん。あの『南進命令書』『3人分のIDカード』を使う。司令部の親玉のデスクに置き、IDカードを基地現場にばら撒く。それだけでも、‶将軍様″に呪いをかけられるはずだ」クンが言った。「私も了解した。奴らには、晴天でなく曇天の霹靂? になる」海人が言った。「先生は、外を見張っていてください。要する時間は、10分弱です。そのあと、この基地からトンネルまで35kmほどを所要時間45分弱で、ひたすらトンネルまで逃げる。その時間稼ぎが時限爆弾だ」クンが言った。「トラックのエンジンキーは?」海人が訊いた。「俺もムボンもエンジンの配線を繋ぐことが出来ますよ」クンが答えた。「想定外の事態が起きれば、臨機応変に対応しよう」役立が付け加えた。 改まって、海人が確認した。「奴らを本当に殺すのか?」「たぶん、何人かは殺す」クンが外連味なく答えた。「クン兄。そうだ、一族の敵(かたき)を討ちたい」ムボンが同調した。 ここで海人が異を唱えた。「私は殺しには賛成しないよ。あの洞窟にクンさん、ムボンさんの祖先からの十字架があるからさ。せめて足を撃ち、結束バンドで後ろ手に縛り、口を塞ぎ、パンツ1枚にしたら?」 海人の言葉の‶十字架″‶祖先″が、クンとムボンの復讐心を射抜いた。「先生、理解した。先祖の魂を汚す訳にゃいかないからだね。なっ、ムボン?」クンがムボンの顔を見た。ムボンは頷き、グッと親指を立てた。そうだった! 洞窟内で簡易マットの上で大の字になって寝ていた十鳥が、がばっと上半身を起こした。人の気配を感じたからだ。 電池式ランタンの薄明りで腕時計を見た。夜8時5分だった。十鳥が洞窟の入り口に目を凝らした。やはり人の気を感じる。 十鳥が拳銃を両手で構え、入り口に向けた。その時、何かが洞窟内に投げ込まれ、十鳥の前に転がってきた。手榴弾! 見た! 戸惑った! どうする! 十鳥は死を覚悟した。その一瞬時、鬼の形相となり、瞼を大きく見開き、手榴弾に目を凝らした。よく見ると、それは石に紙が巻かれていた。 そっと物を取り、見つめた。手榴弾じゃなかった。 おお! 紙よ! と心の中で叫び、紙を剥がし取った。『親父です。撃たないでください』「親父殿か。待っていたぞ」いつもの柔和な表情になった十鳥が、入り口に向け発した。 親父が洞窟内に入って来た。「十鳥さん。拳銃を向けていたから、安全をきして石手紙を投げ込んだのです」と親父が言って、十鳥の手にある拳銃を見た。「十鳥さん。拳銃の安全装置がONですよ」 十鳥が拳銃を見つめた。「親父殿。私は人道主義者なんだ。殺人者の弁護はするが殺人はしないのだよ」 ほぼ同時刻、ママと榊原が監視モニター画面を観ていた。渓谷の帳(とばり)は早い。ほぼ暗夜だった。 榊原がモニター画面に小さな動きを見つけた。監視の赤外線カメラが白い手の動きを映していた。「ママ。何かが動いているようです」 ママがモニター画面を観た。「潜入工作員だわ。隠れていた断崖から這い出してきたわ」 5分ほどして、工作員の全身が白くなって現れた。ママが監視カメラをズームアップした。 ママが無線のマイクに告げた。「工作員が行きます。背にもリュックが無い……足を引きづっています……右手に拳銃かも……」「ママ。分かった。今、洞窟で十鳥さんといる。奴が駐車場の監視カメラに映ったら、リュックを回収してくれ」「分かったわ」 この30分後、ママは崖下にいた。「リュックを確保しました。隙間にあったビニール袋も回収」ママの声が榊原のイヤホンに入った。「了解しました。親父さんにお伝えします」榊原が言って、モニター画面に目を近づけた。500m先の監視カメラが、乗用車1台と運転手ひとりを捉えた。車はゆっくりと登って来ていた。「親父さん。ママがリュックとビニール袋を回収しました。工作員の仲間ひとりの車が来ました」榊原が伝えた。「了解した。やはり来たか。そっちはママと榊原先生に任す。頼む」「はい。了解しました」答えた榊原が、ママに伝えた。「ママ。車とひとりがやって来ました」「了解したわ。私は崖下で待機しているわ。様子を伝えて」「分かりました」と答えた榊原が、親父にも伝えた。「その車の奴は、工作員の仲間だ。そっちはママと榊原先生に任す」親父の声に緊迫感があった。それが榊原にも伝わった。「了解しました」榊原が冷静に答えた。 車がのろのろと登って来る。榊原は息を飲み、画面を凝視している。 車がママのいる断崖の手前200mまで来た時、山側脇に車を寄せて停まった。5分程様子を見た榊原が、ママに連絡した。「車が停車しました。ママから200m手前です。山側に停まっています」「私は断崖上に戻り、家に行きます。予定変更です」と言って、ママはロープを掴んだ。「親父さん。車がママのいる断崖の手前200mで、山側に寄せて停車しました。ママはこれから家に戻ります」榊原が報告し、片目は駐車場の監視モニター画面を観ていた。駐車場に白く人の姿が映っている。一歩一歩と駐車場の奥へと進んでいる。「親父さん。駐車場に人が映っています。足を引きずるようにして奥へと進んでいます。間もなく林に入ります」「了解した」 この20分後、ママが戻って来た。「ママが戻りました。リュックを回収。岩の隙間でビニール袋を見つけました」榊原が親父に伝えた。「ママは予定変更したが、正解だ。これからは連絡は無用。こっちの番がきた」親父の返事に、さらに切迫感があった。 夜10時に近づいた。すでに十鳥らは、洞窟内を暗夜にしていた。十鳥は洞窟内の端壁奥に身を寄せていた。親父は入り口の脇に立っていた。 10数分経った時、親父の耳に靴底の岩を擦る音が聞こえてきた。ズー、ズー、ズーと、その音が入口に近づいて来た。親父に奴の息遣いが聞こえる。あと3mか。 擦る音が止み、息遣いも消えた。親父は獣の習性的所作とみた。洞窟内を覗っているのだ! 奴は! 親父も同じく自分を消して待った。これも獣の習性である。 奥の壁に立ち竦む十鳥にも、意図的に寂としている空気感が伝わっている。 (つづく)*このブログ冒険小説はフィクションであるが、事実も織り込み描いているつもりである。*「下書き保存」を何度かやっていたが、保存できず無に帰したこと3度。
2022年04月14日
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ブログ冒険小説『闇を行け!』12 ウクライナの栄光は滅びず 自由も然り運命は再び我等に微笑まん朝日に散る霧の如く 敵は消え失せよう我等が自由の土地を自らの手で治めるのだ自由のために身も心も捧げよう今こそコサック民族の血を示す時ぞ!(ウクライナ国歌『ウクライナの栄光は滅びず』・訳詞より)主な登場人物 ・堀田海人(ほった かいと)札幌の私大の考古学教授。・十鳥良平(とっとり りょうへい)元検察庁検事正。前職は札幌の私大法学部教授。現在、札幌の弁護士。・榊原英子(さかきばら えいこ)海人の大学の考古学教授。海人の妻。・役立有三(やくだつ ゆうぞう)元警視庁SAT隊員 十鳥法律事務所の弁護士。・君 道憲(クン・ドホン)日本名は――君 道憲(きみ みちのり)・武本 信俊(ムボン・シジュン) 君の甥 韓国38度線付近の住民・ムボンの父 通称は「親父(アボジ)」・ムボンの母 通称は「ママ」(12) 山間ところに身を潜めた。 目線の隙間をつくってカモフラージュシートで身を包(くる)み、クンと役立、ムボンと海人の2組に分かれて息を潜めた。 夜の8時まで、約16時間の待機だった。優れたスナイパーだったムボン、鍛錬されているクン、元SAT隊員の役立、藪の中を進む遺跡調査でもそうだが、アウトドア自然派の海人、彼等には、さほど苦痛は感じない。気を張り緊張しているせいか、眠気も襲ってこない。見張りシフトは決まっていたが、まだ誰も仮眠を取ることもなかった。 洞窟内にいる十鳥は、白い十字架の前で座禅を組んでいた。海人と役立が北側へ潜入することは、『将軍様へ呪いをかける計画』に無かった。が、十鳥は常にそうだった。計画と実際とは異なりがちであり、状況次第で応変すべき場合が多いものだ。現場では、当意即妙が求められることが多々ある。この少人数での『呪いがけ作戦』では、特にそうであるべきだ。海人と役立が計画変更(潜入参加)したのも、俺の戦術思考を心得てのことであり、これまでと同じく彼らの意志を心底信頼している。そう十鳥は、心裡(こころうち)で自答していた。 俺はいつも彼らと共にあるのだ。だが俺は安全地帯にいて、共にしているとは言い難い。ゆえに俺は祈っているのだ――無事であれ! 神よ! 仏よ! 彼等に、ご加護を! 座禅姿勢を一時間ほど保ったが、十鳥は足の痛みに堪(こら)えきれず、胡坐(あぐら)をかいた。無理するもんじゃない。祈りの形も融通無碍なのだ。そう自分に言い聞かせた。 親父(アボジ)は、いつものように日の出と共に起き、監視モニター画面に目を凝らしていた。怪しい者は映っていない。そこで親父が第1監視カメラのモニター画像を、一時間前に巻き戻し再生していく。 いた! 怪しい乗用車1台。夜明け前の薄明りの中、ライトを点けず登って来ていた。「おっ、ここから500ⅿ下で車が停まったぞ。車のナンバーは『0000』か。運転手と助手席に男が……おっ、助手席のリュックを背負った、アウトドアスタイルの男が降りたぞ。おっ、車がÙターンして……戻って行く……おっ、アウトドアスタイルの男が、渓谷側に姿を隠したぞ。奴が潜入工作員だ! あそこは岩の割れ目がある断崖だ。奴はそれを知っているのだ。そこの隙間で、夜まで待機するのか――」親父がモニター画面横にある‶ボタン″を押した。 数十秒してママが部屋に来た。モニター画面を観たママが言った。「やはり潜入工作員が来ましたね。あなた、どうします?」「奴を確認しに行く」親父が答えた。が、少し考えて、「捕獲の準備に取り掛かるよ」と言った。「あなた、どう捕獲するの?」ママが訊いた。「お前も知っているだろう。あそこの岩の隙間はどこからも見えないが、全身を隠すことが出来ない。対岸の断崖の上部から見えるが、俺たち以外は誰も行けない。つまりだ。俺は北側から迂回して対岸の断崖部に行き、200ⅿの距離から奴の足の皮に1発、銃弾をかますよ。奴が断崖の下に落ちない程度に撃つがね」「あなた、それだと工作員は自殺するかも」 北朝鮮の潜入工作員には軍律がある――捕まるようなら『自殺せよ』と。「奴は自殺はしないよ。誰に撃たれたか分かり様もないし、渓谷下から激流音が響いているから、銃音は紛れる。猟師の流れ弾だと思うことだろう。いずれにせよ絶対、洞窟に行かなければならないからな。潜入工作員の使命感を逆利用できるはずだ。奴は足を引きづっても、必ず洞窟に行く。奴は柔(やわ)ではない。これからママは監視モニター画面に張り付いてくれ」「承知よ。ところで榊原さんには?」「お前から伝えてくれ。それと榊原先生を外に出すなよ。守れ」「分かったわ。十鳥先生には?」「俺からお伝えする」と答えた親父が、ママに告げた。「我々3人も無線を使う。もしかしたら、お前の出番がありそうだ」「私の出番って?」ママが怪訝な表情を見せて訊いた。「岩の隙間にいる奴は、リュックを背負っている。俺の1発で、リュックを隙間に隠すことも考えられる。奴がリュックを背負わず岩から這い出てきたら、お前がリュックを回収してくれ。何らかの重要な物が入っているいるはずだ」 薬草採りの名人のママである。彼女はロッククライマーでもあった。若い頃は、韓国では一、二を競っていたほどだ。岸壁に自生する薬草には高価なものが多い。薬草採りの名人と言われている所以(ゆえん)である。筋肉質の細身は、今でも変わらないママだ。「わかったわ。連絡するわ」「簡単な朝食を作ってくれ。それを持って撃ちに行く」 林の中、クンは見張り役――シートの隙間から耳目を立てて――に就いてから1時間が過ぎた。外は霧状のガスが立ち込めてきた。おお、雲の中に入るぞ! そう心で叫んだクンが、2ⅿ離れて潜んでいるムボンのシートに這い寄り、手でポンポンと叩いた。 ムボンが顔を見せた。「助け船の雲が来たぞ。さあ、出発だ」クンが耳打ちした。ムボンが頷き、役立と海人のシートへ這って行った。 この30分後、4人は再び西へと林の中を進んで行った。ガスはさらに濃くなっていた。4人は列間を狭めて行く。山間は山あり谷あり小川ありの連続、まさに過酷な人生行脚と言えるようだった。救いは、冷えたガスが火照る筋肉を宥(なだ)めてくれていることだった。これは想定外の僥倖だった。目的地まで残り20㎞。海人は思った――ガス欠になるなよ! 雲行雨施よ! 渓谷の上流、2台のSUV車が停まっている先を進み、渓谷の源流上部――あの洞窟の北側上部――を迂回して行った親父が、昼頃、潜入工作員が潜む断崖の対面の林間部に着いた。狩猟の前に飯を食うのだ。親父が愛用のライフル銃を背から降ろし、ザックから弁当を取り出した。親父が空を見上げると、雨雲が西から近づいてきたのが分かった。 飯よりライフルが先だ! 親父がライフルの標準スコープで対岸を探した。ほどなく岩の隙間にいる潜入工作員を捉えた。何だ! 奴は飯を食っているではないか! スコープのレンズの十字に、潜入工作員の右足部を捕捉した。風は無い。無調整でいける。十字を少し下にずらす。男の軽登山靴を狙う。ズン! 足首表面を弾丸が擦った。皮一枚を裂いた。男は隙間にへばりつく。親父は空に向け2発撃つ。どこかの猟師が獲物に撃ったかのように―― スコープで確認すると、顔を歪めた男が右足を浮かせている。男が顔を180度、ゆっくりと回す。猟師を探しているのだろう。親父は木陰に身を隠し、マイクに言った。「奴を狙い通り撃った。SUV2台を急ぎ玄関前に移動してくれ。これから弁当を食べる」「了解したわ」ママが答えた。 (続く)*このブログ冒険小説はフィクションであるが、事実も織り交ぜ描いている。
2022年04月03日
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ブログ冒険小説『闇を行け!』11ウクライナの栄光は滅びず 自由も然り運命は再び我等に微笑まん朝日に散る霧の如く 敵は消え失せよう我等が自由の土地を自らの手で治めるのだ自由のために身も心も捧げよう今こそコサック民族の血を示す時ぞ!(ウクライナ国歌『ウクライナの栄光は滅びず』・訳詞より)主な登場人物 ・堀田海人(ほった かいと)札幌の私大の考古学教授。・十鳥良平(とっとり りょうへい)元検察庁検事正。前職は札幌の私大法学部教授。現在、札幌の弁護士。・榊原英子(さかきばら えいこ)海人の大学の考古学教授。海人の妻。・役立有三(やくだつ ゆうぞう)元警視庁SAT隊員 十鳥法律事務所の弁護士。・君 道憲(クン・ドホン)日本名は――君 道憲(きみ みちのり)・武本 信俊(ムボン・シジュン) 君の甥 韓国38度線付近の住民・ムボンの父 通称は「親父」・ムボンの母 通称は「ママ」(11) 榊原は、ママに連れられ地下室内の浴室に行った。「サカキバラセンセイ。オユ イイデスヨ ユックリハイッテネ」ママが笑みを見せて言った。「ありがとうございます」と榊原が答え、浴室のドアを開けた。6畳大の脱衣室の向こうに8畳大の浴槽、特製FRPのそれだった。洗い場には10個のシャワー付きカラン(蛇口)があった。すでに湯船から湯煙が立ち昇っていた。この地下室内にある浴室は、韓国軍用だ。しかも戦闘時に備えたものである。 ママが十鳥チームに気遣って、この緊急用の大型浴槽、湯舟にお湯を溜めていた――いつでも使用できるように――榊原はゆるりと湯船に浸かった。1週間分の疲労感のこびりついた魂が、湯気とともに全身から抜け出ていったようだった。「親父。ママ。榊原先生を頼むね。じゃあ、戻ります」膨らませたバックパイプを背負ったムボンが言った。「了解したよ」親父が短く答え、ムボンの肩をぽんと叩いた。「シジュン(信俊) ワカッタヨ キヲツケテネ」と言って、ママがムボンとハグ(抱擁)した。(親子の会話は韓国語であるが、このブログ冒険小説では日本語で通している) 洞窟内にいる十鳥が腕時計を見た。針が1時3分前、12時57分を刻んだ。その時、洞窟の入り口にムボンがぬっと現れた。十鳥には、救世主が現れたかのように思ったほど、ムボンの全身が輝いて見えた。つい、眼鏡を下げて目をこすり、肉眼で凝視した。すると光が消えていた。幻想だったのか、白い十字架に祈ったからか、と十鳥が呟いた。 ムボンが白い歯を見せた。「チーフ。榊原先生は家で確保しましたよ」「私の箱入り娘だ。洞窟よりもコンクリートの箱の方が良いからな。ありがとう」「チーフ。私のカナリアにエサと水をお願いします。私の籠の鳥ですので」ムボンはジョークを入れて返した。 そして、報告すべきことを急ぎいだ。 ムボンから事の一部始終を聞いた十鳥が、彼の背を見て言った。「案の定、潜入した工作員が来たな。だが、そっちは親父に任せよう。私たちは北への潜入工作に取り掛かるとしよう。それにしても満杯のリュックだな」「北で使いたい物が入っています。念のため、チーフ用に銃弾入り拳銃と暗視ゴーグルを置いて行きます。じゃあ、クン兄たちと合流します」とムボンが言って、トンネルに潜って行った。「ムボンが行ったぞ」十鳥がマイクに告げた。「了解」十鳥のイヤホンに、軽やかなクンの声が聞こえた。 クンと役立が耳打ちしていた。「役立さん。ムボンが来たら、私はムボンとキムガンサン(金剛山)山系の西端に沿って潜入し、北の小規模駐屯地を急襲したい。独裁王朝の将軍様の金メッキの玉を震えさせ、疑心暗鬼をさらに増幅させたい。(ここの表現は直接的に書いたが、猥褻ワードと見做されUPできず、書き直した)チーフが言うところの『将軍様に呪いをかける』作戦だ。情報機関内部が絡んだ反乱に見せかけてさ」そう言うクンの眼差しが、ギラついていた。「ムボンと2人だけで出来るのか? 私も行くぜ」役立がクンに平然と言った。「役立さん。命の補償は出来ないよ」「私は独身だ。札幌の時から、クンさん等と北朝鮮に呪いをかけに行く、と決めていたんだ」「役立さんが一緒だと助かります」クンが頷いて言う。 クンと役立の会話を聞いていた海人が割り込んだ。「役立さん。俺も付いて行くよ。僥倖のような気がしているんだ」「先生。僥倖?」クンが訊いた。「今回も運が、クンさんらについている気がしているんだよ」「実はね。私もそう思うのだ。十鳥チーフは、何かを持っている人でもあるからさ。私は何度も体験しているよ。ねっ、堀田さん」役立が海人に顔を向けて言うと、「同感です。チーフの決断はいつも、1(イチ)か8(バチ)かのように思えるんですが、結果は必ず1(イチ)となりますね」海人が実感を込め、マイクを手で塞いで答えた。「チーフを頼った甲斐があります。やる気が漲(みなぎ)って来たぞ」クンが鼻を膨らませた。「じゃあ、さっそく実行計画を立てましょう」役立がクンに促した。 クンの『計画』はこうだ。・捕まえた4人は、トンネルの武器庫に監禁して置く。・幹部が持っていた『南鮮特別命令書』と『将軍様の襟章バッチ』を逆利用し、奴らを独裁王朝反乱組織分子に仕立てる。・ここからベンツ2台で出発し、山麓の途中でベンツを隠し、我々はキムガンサン山麓の林地帯の『獣道』を使い、北へと縦走していく。・武器庫からRPG―7携帯対戦車用擲弾発射器、スナイパーライフル銃、地雷・信管等を担げるだけ持って行く。・ここから西へ30km行ったところ、北側の軍事境界線沿いのキムファ(金化)という街がある。その街の山麓部に北鮮軍機械化部隊の基地がある。そこをターゲットとする。・所要時間は、夜9時から翌朝4時の間、往復45時間前後の夜間行動である。山中で潜伏する2泊を含めると。2泊3日の行軍だ。 言い終えたクンが付け足した。「山麓部の林はまばらだ。食料不足で、獣を獲っているから獣道は細い。それに獣道だと地雷の埋設の可能性は低い。だが、地雷と獣用罠には要注意だ。先頭のムボンが地雷探知機で地雷を警戒しつつ、獣用の罠にもね」「その他には?」役立が訊いた。「それと、山麓部に北側の監視塔がありそうだ。そこを避けたいが、場合によっては無力化する」クンが答えた。「私は運び屋に徹するよ。それと万が一の時、皆が身を隠すカモフラージュシートをもって行くよ」海人が言うと、「了解。先生は私の後ろについて来てください。先頭はムボン。最後尾は役立さんが」クンが言った。「了解した」役立が答えた。「出発は?」海人がクンに訊いた。「0300。3時です」クンが答えた。「こりゃあ忙しいな。行けるところまで行って、夜まで待つのか?」役立がクンに訊いた。「それでも往復45時間で用は足りるのか?」海人も訊いた。「私はムボンと2人で予行しました。似たようなテトペクサンメク(太白山脈)の山麓で試してみたんです。30時間かかりましたので、さらに15時間足しての45時間としました」クンの言葉に説得力があった。クンもムボンも軍人なのだ。辞めても、いざとなれば予備役軍人から、いつでも将校に就く。彼らの軍事感は活きているのだ。 海人が腕時計を見た。「1時間30分後か――武器庫に行くか」 目出し帽を被ったクンらは無言で、口を粘着テープで塞ぎ、パンツ一枚の捕虜たちを結束バンドで後ろ手と足を固め、冷たい床に転がしうつぶせにし、武器庫に閉じ込めた。 そこにムボンやって来た。潜入工作員の件は十鳥から伝わっていたから省き、「暗視ゴーグル4人分を持ってきた」と言って、ムボンが海人を見た。そして言葉を継いだ。「堀田先生。榊原先生は親父とママと一緒です。ご安心してください」ムボンが耳打ちする。「ありがとう」海人が親指を立てた。 午前3時。クンら4人は、トンネルの出口扉を開け、外に出た。周辺を確認し、クンが奪った鍵を差し込み扉を閉じた。 クンと海人がベンツに乗り込む。ムボンと役立がもう1台の方に乗り込んだ。十鳥には電波は届かないが、4人の無線は生きている。「GO!」クンがマイクに告げた。「了解」ムボンが答えた。 2台のベンツは、ノロノロと様子を覗いながら駐車場を出て、公道のトンネルを左折した。トンネル内は僅かな電灯の薄い光があったが、ほぼ暗夜に近かった。行き交う車両も皆無だった。トンネルを出ても、暗夜だった。 山間部を通る簡易アスファルトの公道を西へと数分走ると、速度を落としたクンがハンドルを右に切った。そこは山道だった。後ろからムボンも続いた。500ⅿ程登って行くと、かなり鬱蒼とした森林地帯に入った。暗視ゴーグルをかけたクンが車から降りた。クンが地雷探知機を地面すれすれに振って、広葉樹林の中に入って行った。 5分が経った時、クンが林から出て来た。右手で前方を示す。車を隠す! 暗視ゴーグルをつけたムボンが、車を林へと入れて行く。その後ろに役立が運転するベンツも続いた。そこは山道から50ⅿ、林間をわけ入ったところだった。50㎝ほどの下草があり、茂った広葉樹の枝葉が何重にも垂れている。4人は素早く、車をカモフラージュシートで覆う。 ムボンが山道に戻り、タイヤで圧し潰された下草を立ててタイヤ跡を消し、その上から特殊消臭スプレーを噴射していく。海人もムボンの後ろに行き、クマ除けスプレーを下草に噴射した。敵の軍用犬を警戒してのことだ。 暗視ゴーグルをつけた4人が、迷彩服、防弾ベスト、防弾ヘルメット、軍用手袋で身を包む。RPG等の武器類――軍用折り畳みスコップはバックパイプの背につけて――の入ったバックパイプを担ぐ。そして旧式のスナイパー銃を肩にかける。バックパイプの重量は35㎏と重い。腰のベルトに水筒をつけ、ウエストポーチには携帯用食料、緊急用医薬品等を入れていた。海人には、クンら3人のバックパイプが自分より重いと分かったが…… 午前3時45分。ムボンが地雷探知機を手にし、林の奥に真っ直ぐ入って行った。ほどなく皆のイヤホンにムボンの声が聞こえた。「獣道を見つけた。地雷、罠無し」 暗視ゴーグルをつけた4人が、7ⅿの間隔を保ちつつ続いた。 東の山並みの上の空が、薄く茜色に染め始めていた。夜明け前か――「あと30分進んで、そこで泊まる」ムボンが皆に告げた。 真夏だが、山稜部の山間は涼しかった。(続く)*このブログ冒険小説はフィクションであるが、事実も織り交ぜ描いている。
2022年03月27日
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ブログ冒険小説『闇を行け!』10ウクライナの栄光は滅びず 自由も然り運命は再び我等に微笑まん朝日に散る霧の如く 敵は消え失せよう我等が自由の土地を自らの手で治めるのだ自由のために身も心も捧げよう今こそコサック民族の血を示す時ぞ!(ウクライナ国歌『ウクライナの栄光は滅びず』・訳詞より)主な登場人物 ・堀田海人(ほった かいと)札幌の私大の考古学教授。・十鳥良平(とっとり りょうへい)元検察庁検事正。前職は札幌の私大法学部教授。現在、札幌の弁護士。・榊原英子(さかきばら えいこ)海人の大学の考古学教授。海人の妻。・役立有三(やくだつ ゆうぞう)元警視庁SAT隊員 十鳥法律事務所の弁護士。・君 道憲(クン・ドホン)日本名は――君 道憲(きみ みちのり)・武本 信俊(ムボン・シジュン) 君の甥 韓国38度線付近の住民・ムボンの父 通称は「親父」・ムボンの母 通称は「ママ」(10) 「ムボンさん。私も行きますわ」榊原が言った。これまで洞窟のチーム全員は、隠れ仮設トイレ脇のところで体を拭く程度だった。榊原は風呂とまでは言わないが、ムボンの家で、せめてシャワーを浴びたかった。「榊原よ。行ったら良いぞ。ムボン、頼むね」十鳥が気を利かした。後ろで海人が、ムボンにアイコンタクト送った。頼むね、と。「了解です。0100に戻ります」ムボンが笑みで答えた。 クンと役立がトンネルの北朝鮮側の出口に着いた。午前11時00分。さっそく動いた。聴音付きスコープの管を出口の鉄製扉下から延ばした。先端を180度回していく。手元のモニターには何も映っていなかったが、イヤホンから数台の車の音が聞こえてきた。クンが手で合図した。待て! 出口の前方は大きなトンネル、キムガンサン(金剛山)山麓の東に向かう公道、山麓部をくり抜いているそれである。長さは300mほどとそう長くはない。この南進トンネルは、公道トンネル内を右折したところに待機場を設け、巧みに造っている。上空からは見えない! スコープのモニターに、東に向かう軍用トラック数台が通過するのが見えた。クンが右手を拳にした。安全! クンらは緊張感を緩めた。その時、イヤホンから、また車のタイヤ音が聞こえてきた。やがてスコープのモニターに2台の黒いベンツが映り、こちら側の出口へと右折。ライトが大きくなった。クンが合図した。来た!「来た」役立がマイクに言った。「了解」洞窟内にいる十鳥が張りのある声で答えた。 2台のベンツが出口の脇、扉の横に停車した。数分が経ち、ライトを消した2台のベンツから、黒い影となっているが、背広姿の男たち4人が降りたのが見えた。 ひとりの男に3人が恭(うやうや)しく頭を垂れている。部下たちが上官にするように。その上官が3人の肩を摩った。上官が部下たちを励ますかのように。そして中肉中背の男に、上官らしき影が数度肩を叩いた。男が背筋を伸ばし、敬礼して応えた。 クンがマイクに囁いた。「来た。来た。来た。偵察総局の奴らだ」偵察総局の正式名は朝鮮偵察総局。対外工作を主に担う、将軍様直結の機関と言えよう。かつては2代目将軍様の指示で、日本人拉致犯罪を実行した対外工作機関でもある。拉致もやれば、暗殺もやる。 クンが偵察総局の3人が、この南進トンネルに入るものと確信した。それを聞いた十鳥は、潜入工作員はひとり、と読んだ。「潜入者はひとり。2人はサポート役。任す」「了解」クンが小さく答えた。 偵察総局の4人は、扉前数m先に立ち煙草を吸っている。直ちに扉を開け入って来る気配がない。クンには、思案する時間が出来た――そして役立に耳打ちした。「奴ら4人以外はいない。3人が扉を開け、入って来たその瞬間、バールで頭を打(ぶ)ったたき失神させる。と同時に、私が上司らしき奴を抑える」「了解したぞ」役立が答えた。 クンがまた耳打ちした。「奴ら3人は、特に潜入工作員は自決用爆弾を持っているから、気を付けてください」役立も知っていたので、軽く頷いた。1発で気絶させるのだ!「4人を捕獲したら、その後はどうする?」役立が耳打ちした。「捕獲してから相談する」 洞窟内の十鳥が振り返った。後ろにいたはずの海人が消えていた。「先生よ。今どこ? トイレ?」十鳥がマイクに言った。「トンネルを進んでいるよ」十鳥には意外な返事だった。「どうして?」「北側にある直近の武器庫に向かっている。何か起きれば、助太刀するよ」 海人の声も、クンらのイヤホンに伝わっていた。「気を付けてくれ」十鳥が小さく言った。「了解」 ムボンと榊原が岩の階段を伝わり林を出て、2台のSUVが停まっている場所まで行った。夜空は雲が覆い、漆黒の闇だった。2人はヘッドライトの明かりでSUVを照らした。ムボンが振り返り、榊原に手で合図した。待て! 榊原が立ち竦(すく)む。何かが……榊原がゆっくりと頷く。 ムボンが携帯ライトを当て、2台のSUVの外側を入念に見て回った。今度はSUVの底部を覗き込む。1台目の底部に仰向けになり潜り込んだ。6分後、ムボンが仰向けで顔を出した。拳を握り合図した。OK。そしてムボンがもう1台の底部に潜り込む。風もなく静かだった。榊原はまんじりとせず待った。 ムボンが顔を出した。榊原に手を突き出し携帯のライトを当てた。手に円形の黒い物体があった。ムボンがヘッドランプ、携帯ライトの明かりを消す。榊原も消す。 闇の中、周りに目をやったムボンが、榊原に耳打ちした。「敵が来ている。家に行く」ここからは無線は通じない。榊原がムボンの手を掴み、洞窟に知らせに行く、と合図した。が、ムボンは家の方へ榊原の腕を引っ張った。 トンネル内を北へと急いだ海人が、北朝鮮側国境の最初にある武器庫横に着いた。「武器庫に潜む」海人がマイクに囁いき、腕時計を見た。アウトドア専用腕時計の曜日が目に入った。8月14日の日曜日だった。海人の目がはたととまった。日曜日? 海人がマイクに告げた。「敵はトンネル内に明日まで潜むはずだ」 十鳥が反応した。「明日まで?」「そうです。今日は日曜日。礼拝の可能性を敵は知っているからです」 クンが反応した。「そうだ。明日だ」 十鳥が言った。「潜入した工作員は、明日の夜に来る、ということか――」 聴音スコープに4人の顔が映った。扉の手前3mにいた。クンがスコープをトンネル内に戻すと、バールを手にした。役立もバールを持ち、側面に立った。 2人の男が、扉に鍵を差し込む。 ギーと鳴って扉が開いていく。 両開きの扉が1m開いた時、クンが役立に合図した。俺が行く! クンは予定を変えたのだ。2人の男が扉を開き、残りの2人は傍にいる。今だ! 目出し帽のクンが開いた隙間から、するっと抜け出した。目出し帽の役立も続いた。 クンが外に出るなり、両サイドにいる男たちの頭をバールで打(ぶ)った叩いた。役立が中央にいた男の頭をバールで打ち下ろした。そのバールを下から返した。もうひとりの男の顎を打った。バールのツバメ返しか! 4人は、ぐわっと言う間もなく、その場にどっと崩れた。 クンが周辺に目を配ったが、ベンツ2台だけしか見えなかった。 数秒の刹那だった!「4人倒した」 十鳥が答えた。「さすがだ」 海人が言った。「今行く」 クンと役立が4人をトンネル内に引きづり、扉を閉じた。4人はかなりの重症だったが―― 海人がクンたちのところ、出口付近に着いた。 クンらは捕獲した4人の身ぐるみを剥ぎ、尿と糞の染みがついたパンツだけにしていた。結束バンドで後ろ手を止め、血だらけの口に猿ぐつわをかましている。自殺防止も兼ねて。「やはり、ひとりだけが自爆用小型爆弾をバンドに仕込んでいた。奴が潜入工作員だ。腹に脂肪のある奴は、朝鮮偵察総局の幹部だ。後の奴らは部下。潜入工作員以外は皆、IDカードを持っていた。武器は無い。携帯も無線機も持っていない。だが、チーフ。命令書を持っていた」クンが海人に言った。もちろん、十鳥にも伝わっている。 海人がクンに訊いた。「こいつらをどうする?」「捕獲したのだから、食えるだけ食いたい」クンが、いかにも食人種的な不気味さを見せて言った。 いきなりクンが、偵察総局の幹部の横腹を蹴った。男が歪んだ顔を見せ、血だらけの口を僅かに動かした。「こいつから食うぞ。美味そうだ」クンの表情に冷酷さが浮かんでいた。 ムボンと榊原は家に着いた。ムボンが、分厚い鋼板製のドア横にあるインターホンを3度押す。ほどなくムボンの親父とママ(母親)が、開けた玄関戸から身を出した。「待っていたよ」親父がムボンに言った。 リビングに落ち着いたムボンと榊原に、ママが言った。「マッテイマシタ。コーヒーノミマスカ。ホカニモアリマスヨ」 ムボンがママに言った。「榊原先生をシャワー室へ案内してください」「ソウヨネ」 榊原が訊いた。「車から取り出した物は、何ですか?」 ムボンがテーブルに物(ぶつ)を置いた。「これは追跡装置です」 榊原が訊いた。「なぜ? 追跡装置をつけたのでしょう?」「これをつけていたのは、クン兄の車でしたよ」「なぜ? クンさんの車に?」「クン兄の車のナンバーを知っていたのでしょう。クン兄は元士官学校出身の中尉でしたので、北朝鮮側の潜入工作員は、わが軍の機密情報を少しでも得たいからです」 榊原には迂遠の話だった。が、記憶の回路に何かが残っていた。「その潜入工作員は、クンさんのことを知り得ている、と思いますけど」「間違いありません。榊原先生のお考えの通りでしょうね。クン兄は3年間、日本にいました。恐らく、日本から今まで、クン兄を追跡していたのかな。北の潜入工作員網が。多分。奴を捕まえると分かりますよ。きっと」「同感ですわ」そう言って榊原がクンを見やった。 頷いたクンが、親父と共に2階へ行った。榊原はママの案内でシャワー室に歩を向けた。 洞窟内にいる十鳥が、マイクでクンとやり取りした。「クンよ。外の状況は?」「やけに静かですし、闇です」「成果は?」「脂肪の男は使えます。外のベンツの1台も使えます。あの命令書も使えそうです」「どう使うつもりだ」「任せていただきますか?」 少し間をおいて、十鳥が答えた。「クンに任せる。今度は堀田に言いたい」 間を置かず、海人が言った。「しばらく後片付けで、ここにいますよ」「私をひとりにするのか?」「ええ、そうです。ムボンさんが戻るまで、お祈りしていてください」 そう言われた十鳥が、白い十字架に目をやった。「分かった。ひとりで礼拝するよ。まだムボンは戻っていなからね」 ムボンは2階の親父の部屋にいた。確かにベッドはあるが、とても寝室とは言い難い部屋である。そこには監視モニター類と軍用無線機器がある。ムボンの家は、国境の北朝鮮側を望遠監視カメラで見張る韓国軍の臨時拠点でもあったからだ。だが、親父は更に監視カメラの設置を軍に求め、5カ所となった。「親父。洞窟に行った日に。4台のモニター画面は4カ所を映しているけど、登って来る道路の手前200m地点、行き止まりの駐車場の監視カメラの録画を観たいんだ」そう言ってムボンは、駐車場の監視カメラの画像を早送りした。 直ぐに黒い影が駐車場に現れた。約30分前の画像である。少し早送りすると、黒い影が、携帯ライトでSUV2台のナンバーを照射し確認した。そしてクンのSUVに潜り込んだ。5秒程で這い出て、道路を下って行った。影は男だ! アウトドアスタイルの!「親父。北の潜入工作員が来ているよ」「やって来たか」親父が髭面を撫でて言った。「親父。奴を――」ムボンが言いかけると、親父が遮った。「お前よ。捕まえる気だろうが、止めた方が良いぞ」「どうして?」「潜入工作員は泳がせた方が良いんじゃないか?」親父が言った。ムボンは親父の言わんとしていることが飲み込めた。北の潜入工作員網の一部でも摘発できるからだ。「分かった。追跡装置も元に戻すよ」「そうしてくれ。私の友人、彼は元国家情報院の部長に、潜入工作員の車のナンバーと顔写真を見せるよ。昼間、奴が潜んでいる場所を探し当て、望遠カメラで密かに撮るよ。この渓谷一帯は私とママの庭だ」 ここに来るには、誰もが車を使う。ムボンの親父は、獣よりもこの渓谷を知り得ているのだ。親父は猟師だが、動物写真家でもある。この渓谷に潜む工作員は動物と同じだ。そう反芻したムボンが言った。「了解。国家情報院の元部長には、十鳥先生に報告し、相談してからにしてね」「息子よ。釈迦に説法するなよ」(続く)*このブログ冒険小説はフィクションであるが、事実も織り込み描いている。*洞窟内の旧石器時代の遺跡に関し――そこから東南100kmのところに「旧石器時代の遺跡博物館」がある。 今日3月11日は、東日本大震災から11年。 心より追悼の祈りを捧げます。今ウクライナは「プーチンの大人災」の惨劇にあっている。これには激怒し、プーチンに呪いをかけている。そして、ウクライナの人々に哀悼の祈りを捧げつつ、プーチン・ロシア軍の大津波を撃退されることを――ジジソロキャンパー・対露抵抗キャンパーのひとりとして、少しでも心を共にしていたい。『ウクライナの栄光は滅びず 自由も然り』
2022年03月10日
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ブログ冒険小説『闇を行け!』9ウクライナの栄光は滅びず 自由も然り運命は再び我等に微笑まん朝日に散る霧の如く 敵は消え失せよう我等が自由の土地を自らの手で治めるのだ自由のために身も心も捧げよう今こそコサック民族の血を示す時ぞ!(ウクライナ国歌『ウクライナの栄光は滅びず』・訳詞より)主な登場人物 ・堀田海人(ほった かいと)札幌の私大の考古学教授。・十鳥良平(とっとり りょうへい)元検察庁検事正。前職は札幌の私大法学部教授。現在、札幌の弁護士。・榊原英子(さかきばら えいこ)海人の大学の考古学教授。海人の妻。・役立有三(やくだつ ゆうぞう)元警視庁SAT隊員 十鳥法律事務所の弁護士。・君 道憲(クン・ドホン)日本名は――君 道憲(きみ みちのり)・武本 信俊(ムボン・シジュン) 君の甥 韓国38度線付近の住民(9) 夜9時過ぎだった。十鳥チーム全員が洞窟内に集合したのは―― 「クン。ムボン。君たちの考えでは、ここの南進トンネルが使われた可能性があるということか?」表情を変えず、十鳥が訊いた。冷静だった。彼もその可能性を考えていたからである。「ええ、ムボンもそう考えています。なぜなら、地雷埋設は古いのですが、壁側面の地雷と天井の毒ガス装置埋設は、新しいものと思えたのです。しかも、これまで韓国軍が見つけた‶南進トンネル″には、あれだけの地雷は無いのです。ここのトンネルは異常です。さらに格子扉の防錆塗装も、重ね塗りしているような気がしています。そして洞窟内の入り口穴ですが、よく考えてみると、クンが見つけた床のヒビなんですが、それを私が靴で踏んだら、いともたやすく穴が空いたことなんです。どれもが新しいもので、使用感があります。チーフ。地雷と毒ガス装置の配置を考えると、規則性があります。つまりです、少数の敵がこのトンネルを利用できるように配置図を作っているものと、当然でしょうが。大隊規模、千人近い兵士が列をつくってトンネルを行く場合は、あれだけの地雷・毒ガス装置を設置しないでしょう。10人前後の分隊だったら、配置が分かっていれば、問題なく通ることが出来ます。さらに少ない潜入工作員用のトンネルとしたら、理解が出来ます」「その考えに合理性があるな。クンたちは元軍人だ。北朝鮮軍の戦術などに知悉、とりわけ詳しい。私も同意したい。特に『使用感』との見解に瞠目し、刮目すべきだ」十鳥が言い、海人に訊いた。「堀田君はどう思う?」 訊かれた海人は、クンの話を整理した。30秒後、口を開いた。「3年前、洞窟内の床が、クンさんが踏んだら15m下のトンネルまで埋めた土が抜け落ちました。北が南進トンネルを隠すために閉鎖したとしたら、違和感があります。クンさん、ムボンさんに訊きますが、当初はあの穴の大きさは小さく、発見後、直径60cmと広げた、と言ってましたね?」「そうです」訊かれた二人が声を揃えて答えた。「それでは岩盤の穴の大きさは?」海人が訊いた。「今のまま、60cmでした。床表面から、岩盤までですけど」ムボンが答えた。「床に穴が空いた時、下に落ちた土砂の量はどれくらいでしたか?」海人が訊いた。「バケツ3杯分と、意外と少なかったですし、土(つち)でした」クンが答えた。隣のムボンは、頷いて同意した。「では、その土砂に石器みたいな拳大の白い石、黒い石、鏃状の小さな石がありましたか?」海人が訊いた。そう言って海人は、バックパイプのポケットから5個の石器を取り出し、見せた。 クンとムボンが石器をじっと見た。そして答えた。「おいムボンよ。無かったよな。石の一つも」「クン兄。無かったですね。石自体が無い土でしたよ」 また海人が訊いた。「ここの洞窟教会での礼拝は、どれほどの頻度で使用していたのですか?」 ムボンが少し間をおいて答えた。「親父たちは月に1回程度は、ソウルの親父、母さんの親族姉妹たちが訪れた時に、礼拝に来ました。3年前までは」 今度は、榊原が訊いた。「あの床穴は祭壇からそう離れていません。礼拝時、必ずどなたかがそこにいたはずですが?」「礼拝の時、親父がいつもそこにいました。親父の決まった場所でした」ムボンが答えた。 それを聞いた海人が十鳥に言った。「私の結論を言います。チーフ。あの穴から北朝鮮の工作員らは、3年前から遡る以前に、間違いなく潜入していますよ。現在も。その根拠の一つは、この石器なんです。それと落ちた土の量なんです。こう考えます――この洞窟は旧石器時代、今から5万年前の旧石器人たちの住処であり、石器工場だったのです。この石器は、穴の中、床下80cmの土の層にびっしりとありました。それもすべてが完成品です。その層の下は岩盤です。トンネル内に落ちた土には必ず大小の石器が混じっているべきなんです。それと3年前までの床です。榊原とムボンの質疑で分かりました――床は誰も気づかないほど、厚さ50cmで修復されていたのです。要は、北の工作員らは、洞窟内を出たり入ったりしたという事です。そしてあの床穴を、上と下から新しい土で塞いだのです」「なるほど。上と下から塞いだ?」十鳥が頷き訊いた。「そうです。穴を塞ぐには、上からと下からと人間の手が必要です。そうでなければ床を元通りに出来ませんので。しかも抉った穴の土には普通の石も石器も無かったのです。少なくとも十数個の石器があるべきなんです。岩盤の欠片も無かったのですから。この出口を掘った時、出た土は北朝鮮側の入り口から搬出し、空いた出口の埋め戻した土は他から持ってきたのです。トンネル内には土がないのですから」海人が答えた。「そうだよな」と言った十鳥が、役立と榊原に訊いた。「どう思う?」「潜入者、工作員か暗殺要員が、3年前、この穴が見つかる前、そう古くない時に這い出た、と考えるべきですね。その工作員は常に北朝鮮側と連絡が取れています」役立が答えた。榊原は頷いた。 十鳥が身を乗り出して言った。「私はこう考えた。皆の言う通り、北朝鮮の工作員複数がこの穴を出て韓国内に潜入した。それは3~6年前としよう。そして、この南進トンネルは韓国軍に見つからず、まだ生きているのだ。地雷は元より毒ガス装置も、このトンネルも韓国軍にバレた事態に備えたものだ。だが北朝鮮には、まだバレていない貴重な南進トンネルの一つだ。ゆえに、この穴を使う北朝鮮の工作員らは、又使う可能性がある。そこでだ。その時は必ず潜入した工作員が、この洞窟に来る。いつ来ても不思議じゃない。と言っても、雪が積もった冬でなく、雪が消えた季節、夏場だろう。そこでだ。今から、我々は奴らに警戒する必要がある。この洞窟に来る可能性が大だ。それでだ。来た奴を捕まえるのだ。その方法は――大型動物捕獲用の罠を仕掛ける。踊り場の手前でだ。どうかな? クン、ムボン」十鳥は、ムボンの父親が狩猟をしていることを念頭において言った。「奴らは又来ますね。上と下から。トンネルから潜入者が。地上から潜入工作員が同時に」クンが答えた。 榊原が口を挟んだ。「もしかしたら私たちは運があるかも知れませんわ」 十鳥が太い眉根を寄せて訊いた。「どういう意味かね?」「発見後、北朝鮮の工作員は、3年間、まだここに来ていませんわ。きっと」榊原が答えると、十鳥と皆が見合った。「私は運命論者だ。榊原の言う通りだ。北の工作員は、この洞窟に戻ってくるはずだ。罠は上手くいくぞ」「チーフ。納得です。親父が作った罠がありますから、私が上手く仕掛けます。これから家に戻り持って来ます。親父たちにも伝えます」ムボンの言葉が弾んだ。「それとだ。これからはトンネル内も警戒すべきだ。工作員が洞窟とトンネルに来るとしたら、闇を利用するはずだ。夜間だ。なっ、役立よ」十鳥は経験者が語る、かのように役立に確認した。「ええ、夜間に決まっていますよ」役立はにやっとして、経験則を踏まえて言った。「それとだ。今夜から警戒態勢をとるぞ。クンと役立は、トンネルで待機してくれ。それもトンネルの北朝鮮側の入り口に近いところでだ。我々の侵入がバレる前にだ。どうかな? クンよ、役立よ。この3日間、工作員がトンネルに来なかったのは幸い、我々に運があった」十鳥が言うと、「これから急ぎトンネルに戻ります。待機場所は役立さんと検討します」クンが答えた。「了解した」役立が言った。「捕まえたら、奴らを目隠しし、一旦武器庫に監禁する。但しだ。我々の正体を見せちゃ駄目だ。それとだが、これからは無線を使用する。可能な限り小声で」十鳥が言うと、「了解」クンが短く答えた。役立は頷いた。「よし、我々は非常事態体制に入った。北朝鮮に‶呪いをかける″のは、トンネルの北朝鮮の入り口確保が前提だ」十鳥が言った。命じた!「それは確率論で言えば、50%50%でしょう、チーフ」クンが初めて十鳥に反駁した。「それは正論だ。私は運命論の屁理屈を言ったのだ。ほらあそこに白い十字架が見守ってくれているじゃないか。あの十字架には、日本人の精神性が垣間見れる。実にシンプルな精神性を。ゆえに潔くクンに従う」十鳥が屁理屈を述べて撤回した。クンは聞いて苦虫を表した。煮ても食えないチーフだ!「でも、私もそう思うのよ。天主教も伴天連も、カソリックもマリア像と磔刑のキリスト像の十字架を崇めているんですが、あろうことか、ここの北朝鮮の南進トンネルは、洞窟教会の中に誘導されたのです。それはあの白い十字架が導いてくれたものと思うべきですわ。クンさんがおっしゃる通り、確率は50%です。それは‶呪いをかけるか″‶呪いをかけられるか″と同じ確率ですが、洞窟の教会床を出口としたことで、私たちの確率は――70%以上となっていますよ」榊原も十鳥と同じような言い草をした。だが、皆には頷けるものがあった。そうなのだ! 榊原の詭弁の中に着目すべき点があった。それを見抜いたのは海人である。「ムボンさんの先祖、武本(たけもと)という方は、偶像崇拝をやめ、自分で基督教の真理を見つけたのです。それがあの白い十字架なのです。カルビン、ルターのように宗教改革をしたのです。従って、我々には免罪符は無いのです。免罪符は必要ないからです」海人も詭弁的かつ場違いのような宗教論を述べた。クンとムボンは思った――十鳥チームの先生方は、皆ムジナのようだと。「おいおい、宗教論は止めて急がなきゃ。北朝鮮への侵入と‶呪いかけ″に、だ」十鳥が言った。そして脳内で罵った。海人め! 免罪符が無いって! 俺は免罪符がほしいぞ!「じゃあ、私は役立さんと行きます。ムボンが来たら、二人で‶呪いかけ″に潜入しに行きます」クンが早口で言った。 十鳥が告げた。「クンよ。ムボンよ。‶呪いかけ″に行く前に、あの白い十字架の前で祈り給え」 意外そうな顔で、クンとムボンが答えた。「その時は、祈ります」(続く) このブログ冒険小説も、当然、フィクションである。だが、事実も織り交ぜ描いている。
2022年02月28日
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ブログ冒険小説『闇を行け!』8 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々としていて、そこから入るものが多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない」(マタイによる福音書7-13)主な登場人物 ・堀田海人(ほった かいと)札幌の私大の考古学教授。・十鳥良平(とっとり りょうへい)元検察庁検事正。前職は札幌の私大法学部教授。現在、札幌の弁護士。・榊原英子(さかきばら えいこ)海人の大学の考古学教授。海人の妻。・役立有三(やくだつ ゆうぞう)元警視庁SAT隊員 十鳥法律事務所の弁護士。・君 道憲(クン・ドホン)日本名は――君 道憲(きみ みちのり)・武本 信俊(ムボン・シジュン) 君の甥 韓国38度線付近の住民(8) 洞窟内で一泊した十鳥チームだった。 洞窟内はほど良い気温と湿度で、快適だった。朝4時に起きたのは、十鳥だった。歳のせいか膀胱の容量が減少していた。寝袋からはい出し、外、踊り場の影に設置してある仮設トイレに行った。大岩と大岩の隙間、ここも外部から完全に見えない。ここにキャンプ用の簡易トイレのみ置いているだけだ。簡易便器内の不透明なビニール内に排泄した汚物、それに専用の消毒液をかけると凝固する。溢れない程度に凝固した汚物が入ったビニールを、時折交換する。その役割は、もっぱら榊原が担っていた。予定では、汚物が入ったビニールは3日程度の間隔で、ムボンの家に運ぶことになっている。 ここでトンネル内の排便排尿に触れたい。各自が不透明のビニールと凝固させる消毒液、3、4回分を持参している。もちろんほぼ毎日持ち帰る。これを書いたのには理由がある。それは今回の計画で、一切の痕跡を残さないためである。臭い物に蓋でなく。真水は、水源に下る階段状の幅30cm程と狭い岩の道はあったが、ロープを15m垂らし、源流の溜まり場から汲んでいる。手洗いの水も専用バケツ内の源流水を使う。さらに踊り場の影に、真水の入ったバケツが数個並べてある。ちなみにトンネルチームの飲み水は、バケツの真水を各自がペットボトルに入れて持っている。 十鳥が洞窟内に戻るや、「みんな起きろ。時間だよ」声を小さくして告げた。が、何とみんなは起きているじゃないか。完全装備姿で。「チーフ。おはようございます」皆が挨拶した。「おはよう。8時開始だ。軽く朝飯を食おう」十鳥が命じた。 トンネルに入ると、クンが北へと急ぎ足で向かった。その後ろをムボンが続いた。役立も続く。海人は、側面の壁の探索作業を開始した。 トンネル内の結末を急ぎ書くとしよう。 軍事境界線を越え、2.5kmまでクンは進んだ。非武装中立地帯が2kmだから、北朝鮮側に500m侵入したところだ。出口は近い。この間、要した時間は20時間強だった。つまり、休憩時間は時々とったが、作業は翌日朝までの徹夜となった。 ここまでクンが見つけ無力化した地雷は、20数個だった。海人が見つけた武器庫は3カ所である。それらは軍事境界線の真下から北側かけて50m置きに、左右互い違いに見つかった。武器庫の空間も縦長20畳大と広かった。 武器庫のどれもに、地雷等の罠はなかった。北側は鼻から武器庫が発見されることを考えていなかったからか。それとも南進用の大切な武器庫ゆえ、罠を仕掛ける訳にいかなかったからか。その両方だろう。 3カ所の武器庫から、トカレフ1940半自動小銃と弾丸が200丁分、トカレフTT-33自動拳銃が400丁と弾薬、ボルトアクション式単発対戦車用銃が10丁と弾丸、ユーゴスラビア製のスナイパーライフルM76が100丁と弾丸、そして消装置、RPG-7携帯対戦車用擲弾発射器が100台と擲弾、そしてソ連製地雷(木箱容器仕様)と信管300個、軍用カモフラージュテント50張り、牽引用ロープ、特製台車等が見つかった。いずれにせよ、膨大な武器類である。 ムボンはその武器類から、ユーゴスラビア製のスナイパーライフルM76と弾丸の箱二つ、消音装置1個を取り出していた。さっそく消音装置を銃身先にねじ込む。「これは使えるぞ」ムボンが呟き、さらに2丁と弾丸4箱を取り出し、消音装置を取り付けた――これはクン兄と役立さんの分だ! クンはさらに先を目指した。出口が近いと思うと、疲れを感じなかったからである。皆もクンに続いた。百取り虫となって―― トンネルの勾配が急になっていく。やはり出口が近いからだ、とクンは確信した。 クンが前方100m先を携帯ライトで照らした。遠くに格子状が見えた。格子状の鉄扉のようだった。あと100mだ! クンが地雷探知機で50cm先を探る。無い! また50cm先を探る。無い! 30mほど進んだ時だった。探知機のメーターが大きく振れた。右端・中央部・左端と地雷3個が並んで見つかった。地雷は岩盤の床をくり抜いて埋められている。これまでと同じく。 クンがかがんだ。探知機が側面の壁を摩(こす)った、その時、メーター計部分が赤く光ったのが目にとまった――今までは音でも知らせるように、スピーカーホンに設定にしていた。これが一般的な設定である。だが、出口が近いと、音を出さずにしたのだ――と同時に、クンの姿勢が固まった。止めたというべきだが。そしてゆっくりと地雷探知機の感知部分を右側面の壁に沿って振った。探知機のメーターが大きく振れ、赤く光った。地雷だ! 今度は左側面を探った。地雷だ! やばい! クンは試してみた――天井部を。探知機が捉えた! 天井部の付け根に反応した! クンはライトを当て凝視した。うっすらと直径10cmほどの円形らしき岩盤が見えた。よく見ると、それは岩盤の粉で塗っていた。端部分にサバイバルナイフの先を入れ剥がしていく。紙に塗った岩盤の絵を。剥がしてみると、これまでの地雷と異なっていた。何だこれは! 接触部分の下部本体上に髑髏(どくろ)のマークが見えた。毒ガス装置だった。クソ! ヤバイ! 再点検だ! クンは後ろを振り向き、ライトを長く照射した。危険! そしてクンは無線を使わず、急ぎ後ろムボンのところに戻った。クンが耳打ちした。「床だけじゃなく、壁面にも地雷が見つかった。さらにだ。天井部に毒ガス装置があった。教授と役立さんに、先に伝えてくれ。俺はここから探知機で側面と天井部、見つけた武器庫の天井も探りながら戻る」「了解」ムボンが戻る。クンは壁側面と天井部を、何度も繰り返しつつ探りながら戻り始めた。 クンが5m戻った時、両側の壁の地雷を見つけた。その地雷を、30分かかって無力化した。天井部に毒ガスは無かったが、クンの額から汗が垂れていた。 役立のところまで戻ったムボンが、クンの伝言を耳打ちした。今度は役立が戻った。そして最後尾の海人に伝え、役立は、入口へと戻って行った。伝言ゲームだ! 壁を凝視している海人の手がとまった。海人の額からも汗が噴き出した。立ったまま海人はペットボトルの水を飲む。まだ喉が渇いている。また飲む。そして天井部を仰いだ。青天の霹靂じゃない! これは魔事(マジ)な知恵ゲームなんだ! クンが探知機を手にして戻ってくると、3人が海人のいるところで休憩をとった。 一時間後、役立が戻るとクンが囁いた。「いよいよ出口の格子扉に着く。必ず錠前が付いているはずだ。ムボン、俺と一緒に来てくれ」「鉄切り道具は? クン兄」「これで切れる」クンが防弾ベストのポケットから軍用五徳ナイフを取り出してみせた。5徳ナイフにはダイヤモンド刃のノコギリがある。鉄も切れる代物だ。「それとみんな、防毒マスクをぶら下げているな?」クンが言うと、皆が腰を確認した。皆が親指を立てた。OKサイン。「作業を再開しよう。役立さんはここまでの、トンネルの床、側面壁、天井部の再探査を頼みます。そう、武器庫の天井部も。それと天井部の毒ガスを見つけたら、偽装の紙を剥がし、分かるように蛍光塗料スプレーで塗ってください」 役立が頷いて「了解」した。 十鳥にも伝わっていた。無線で返事をしなかったが、皆のイヤホンに、「トントントン」とマイクを叩く音が聞こえた。了解の合図だ。 クンが作業を再開し、出口へと進めた。格子状の扉に到達に2時間がかかった。予定時間を遥かに超えた。地雷と毒ガス装置が20m進む毎に見つかったからだ。 クンが鉄格子の扉を点検した。扉とその周辺に危険な物は無かった。が、大きな南京錠型の錠前を注視した。軍隊が使用する南京錠にしては厚みに違和感があったからだ。必要以上に厚かった。クンの判定が出た――これは手榴弾だ! 錠前を外すと起爆するのだ! クンがムボンに囁いた。「これから錠前が付ている鉄格子を大きく四角く切る。なぜなら、万が一敵が見ても分からないようにしたいからだ。その時はムボンが巧みに元のように接着してくれ。今から切るからムボンは30m後ろに下がっていてくれ」「クン兄(あに)。了解」ムボンが囁き答えて後ろに下がった。 クンが鉄格子を切り出した。鉄格子の枠の付け根を。鉄格子は、黒の防錆塗料が塗られた、直径3cmの棒状である。クンは音が出ないように水をかけ切っていく。上下左右と。1時間強かかって、最後の1本となった。クンが後ろのムボンを手招きした。 2人がかりで鉄格子を持ち上げ、側面の壁に移動させた。そしてマイクを叩いた。「トントントン。トントントン」扉を開けた、との合図を十鳥とトンネルチームに告げた。「トン~トン~トン」十鳥から「了解した」の合図がきた。 クンが携帯の照明を前方に当てた。50m先に鉄製の扉が見えた。地雷探知機で探りながら、一歩一歩と前進していく。探知機の反応は無かった。 30分後、クンとムボンが扉に着いた。クンが扉をじっくりと観察した。起爆装置らしきものは無かったが、扉は押しても開かなかった。クンは扉の下、床との間の1cm程の隙間に、管状のスコープを差し入れた。管の先をぐるっと回していく。 扉の前方は車が通るトンネルだった。誰も周りにいなかった。スコープには小さな聴音器も付いている。スコープで見回しながら、イヤホンで音を聴いていた。人の声もしない。車の走る音も聞こえない。横に置いていた鳥籠のカナリヤも元気に動いている。ふとクンは思った――空気があることに。トンネルの長さ6km。それでも空気があったからだ。「ムボン。空気、息が吸えているのはどうしてかな?」クンが囁いた。「クン兄。トンネル空間に4人だけだよ。トンネルの空気が足りているはずだよ」「そうだな。千人も入ったり、エンジン車が入ったりしたら別だけどな」「クン兄。この南進トンネルは、歩兵専用なんだ、きっと。床幅が2mだけど、南に出たら、急峻な渓谷だよ。それと、俺の背にある北朝鮮のスナイパーライフルには、消音装置もあるんだ。決死潜入部隊が主の南進トンネルじゃないかな」「北側(北朝鮮)は、一度は洞窟から出たのかな?」クンが訊いた。「出たと思うよ。クン兄が靴で洞窟の床を打って30cmの穴が見つかったからだよ」「じゃあ、何人かは大韓民国に潜入したかもな? ムボンよ」「昔の話だから、今頃、ソウルでスパイ活動しているんじゃないかな」「ここから工作員が潜入したとしても、優に、40、50年経つぞ。北の工作員は少なくとも70過ぎの爺さんだぜ」クンが言った。「それはどうかな? 俺たちがトンネルに気づかなかった間、いつでも潜入出来たよ」ムボンが答えた。クンが黙った。そして数秒して、ムボンに言った。「ムボンの言う通りだ。あり得る。急ぎチーフたちに知らせなきゃ。洞窟に戻ろう」と囁き、クンはマイクを叩いた。「トントント~ント~ント~ン」急ぎ戻る、と合図した。そして鳥籠を手に持った。 (続く) このブログ冒険小説も、当然、フィクションである。だが、事実も織り交ぜ描いている。
2022年02月23日
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ブログ冒険小説『闇を行け!』7 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々としていて、そこから入るものが多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない」(マタイによる福音書7-13)主な登場人物 ・堀田海人(ほった かいと)札幌の私大の考古学教授。・十鳥良平(とっとり りょうへい)元検察庁検事正。前職は札幌の私大法学部教授。現在、札幌の弁護士。・榊原英子(さかきばら えいこ)海人の大学の考古学教授。・役立有三(やくだつ ゆうぞう)元警視庁SAT隊員 十鳥法律事務所の弁護士。・君 道憲(クン・ドホン)日本名は――君 道憲(きみ みちのり)・武本 信俊(ムボン・シジュン) 君の甥 韓国38度線付近の住民(7) その洞窟は渓谷の下、プカンガン(北漢口)の源流域にあった。ムボンの家から徒歩で行くと40分はかかる。十鳥チームの一団は、2台のSUVに分乗し来た道を渓谷沿いまで下りた。道路の行き止まりに、ほど良い駐車場がある。洞窟はその真下、断崖の中段、上からは見えない。源流の上、30mほどのところである。洞窟の入り口は上下左右が大岩で覆われ、入り口は両脇の大岩が重なった60cmの隙間の3m先にある。絶対と言えるほど、外部から見えない外観だった。 ムボンを先頭に背負えるだけの装備を背負い、列をなして道路が切れた先、上方の林の中に入って行った。そこの道は登山道のようでもあり、獣道のようでもある。100m程行くと、源流の上部に出た。50m下に源流が湧き出ているのが見える。 ムボンは断崖の縁に立ち、振り向いた。「ここから降りて行きます。断崖の段丘部の道ですが、取り付けてあるロープに掴まってください。120m行くと洞窟の入り口に着きます」 幅60cmの岩の道だが、表面が削られた人口の道だった。道自体は緩やかな勾配だった。しかも滑り落ちることがないように高さ40cmほどの縁がある。つまり、凹(ぼこ)状となっているのだ。右側は絶壁だが。「この道は、確かに人の手が加えられて、かなり古いな。古代の匂いがするぞ」そう呟いて海人も下って行く。 ほどなくムボンが洞窟の入り口、5,6畳大の踊り場に着いた。源流の断崖の上だが、自然の大岩で囲まれ、この踊り場も外からは見えない。断崖がオーバーハングし、断崖の上からも見えない。 ムボンが大岩の隙間60cmを通って行く。 そこは暗部だった。洞窟だ! 楕円形の洞窟内部だった。広さは12畳大。高さは天頂部で4m。洞窟内に電池式ランタンのライトが点いた。海人は見た! 榊原も見た! 奥の祭壇の上に白い十字架だけが立っていた。意外だった! 周りも見た。自然の岩肌だった。意外だった! この洞窟の教会は! まったく装飾がない! クンが言った。「そこの台の下がトンネルの入り口です」祭壇前の台を指で示した。 十鳥が言った。「先ず、一服しようじゃないか」「十鳥先生。ここは教会ですので禁煙ですよ」榊原が厳として言った。「いやいや、一服は休憩の意味だよ」十鳥がジャッケのポケットから手を放した。 名々が床に座った。海人が床に座るや、手で触った。床は長年の土が堆積し砂岩状となっていた。やはりここも古代の匂いがするぞ!「ムボンさん。この洞窟はいつからあったのです。いや、いつ見つけたのです」自然の洞窟だ。いつあったのかは愚問だ。「一族の伝えでは、逃げ隠れた祖先が見つけて教会にしたそうです」「あの白い十字架はいつからですか?」海人がムボンに訊いた。 ムボンが答えた。「最初からです。代々。何故ですか?」「天主教はローマカトリック系ですので、マリア像とか、天井画が描かれていたのでは?」榊原が言った。「いいえ、最初からあの十字架だけで、何もありません。そう聞いています」ムボンが答えた。「とても興味深いものが……」と海人が言いかけた時、十鳥が告げた。「さあ、行くとするか。暗夜のトンネルへ」 トンネルへの入り口は直径1mに広げられ、鉄製梯子が取り付けられていた。海人はヘッドライトを点け降り始めた。80cm降りると、目が点となった。何だこれは! 砂岩状の堆積層に拳(こぶし)大から小指大の石が顔を覗かせていたのだ。それもびっしりと並んでいた。海人が心中で叫んだ。見つけた! 旧石器だ!「堀田教授。早く降りてください」役立の声だった。我に返って海人は、旧石器を睨みながら降りて行った。また来るからな! 待っていろよ! 石よ! トンネルの底部は8畳大と広かった。 側壁に取り付けた電池式ランタンの灯りで良く見えた。「酸素ボンベ類などの装備があるじゃないか」海人がひとりごちた。「数日前に、叔父と叔母がムボンとで運び入れました」クンが言った。「あそこのテープを張っているところまでは安全です。地雷は無かったのです」クンが言った。 クンを筆頭にトンネルチーム全員が装備をつけた。完全戦闘用装備を。 カナリヤの鳥かごを持ったクンが告げた。「これからは全員が寡黙になり、手で合図する。無線を使う時は、暗号を使います。20m前進したら、ライトを点滅します。つまり皆が20m尺取虫になりますよ。地雷を見つけたら合図しますので、安全を確認するまで防弾盾で隠れてください」クンが小型の地雷探知機を握った。そしてマイクに告げた。「A。行く」 皆のイヤホンに「闇を行け!」と命じた十鳥の声が聞こえた―― クンらはトンネルを300m進んだ。前方は闇だが後方は薄く明るかった。 ここまで海人は、トンネルの側壁を点検して来た。北側が巧みにトンネルの意図を隠しているから、じっくりと時間をかけていた。(北側は、韓国に発見された場合に備え、言い訳を偽装――例えば、トンネル内を石炭粉で塗ったりと――していたからである。今のところ岩盤のままだった。不自然な壁は無かった。 クンはさらに進んで行った。2時間が過ぎた。その時、クンのライトが後方を長く照射した。地雷だ! 後ろのムボンが防弾盾を立てた。「A。有り」クンの声が皆のイヤホンから聞こえた。海人の全身に緊張が走った。後ろの皆が待った。時間が過ぎるのが長かった。そう思えたのだ。「A。無し」クンが地雷を安全化(起爆装置を外すと無害となる)した合図だ。 クンは進み、約2.7kmを越えた。地上の軍事境界線あたりとなった。それまで処理した地雷は15個。対人用地雷だった。かかった時間は、5時間強。 海人も最後尾から続いていた。ヘッドライトで側壁を凝視した。側壁縦にひびが見え、不自然なものを感じた。幅1mの両サイドに縦のひびが断続的に入っていたのだ。岩盤の表面を手袋をはいた手で撫でると、約3mmの隙間が現れた。1m×2m大の岩盤の扉か。上部も撫でてみた。やはり隙間が現れた。隙間は30mm。下部の底部にも横線のひびが見えた。1mm。どのひびにも目地材(岩盤を粉末にした)が入っていた。海人はサバイバルナイフの先を差し込み、目地材を取っていく。「D。有り」海人がマイクに言った。「C。行け」十鳥が役立に命じた。 10数秒で役立が海人のところに戻って来た。手に地雷探知機を持っていた。そして役立が壁の周辺に、念入りに地雷探知機を当てた。一度二度三度。「C。無し」役立が言った。「E。やれ」十鳥が命じた。 役立がバール2本を取り出した。1本を海人に渡した。二人はバールを壁の底部の1mmのひびに当て、ぐいぐいとこじ入れていく。5cm程バールの先が入った。二人は目で合図した。ぐいっと壁を持ち上げ、手前に少しずつずらした。壁は意外と軽かった。木製戸に岩の粉を吹きかけて偽装していたからだ。壁底部が完全に外れた時、役立が地雷探知機を念入りに当てていく。反応は無い。役立が海人にアイコンタクトした。扉をゆっくりと脇にずらし、半分開けた。役立が簡易ガス探知機を持った手を内部に入れた。そして親指を立てた。安全! 海人が携帯ライトで内部を照射すると、木箱類がびっしりと積まれているのが見えた。約10畳か。空間の高さは3mか。入口付近だけが空いていた。役立つがトンネル側から地雷探知機を当て、何度も繰り返した。そして親指を立てた。「C。D。有り」役立が告げた。「QQQ(キューキューキュー)」十鳥が合図した。意味は武器庫を全員で確認せよ、である。だが、油断をするな、とも言っている。 数分して、クンがムボンと共に、カナリヤと地雷探知機を持って戻って来た。 クンが海人と役立に耳打ちした。ムボンには手で合図した。離れろ!「私が武器庫の安全を確認するまで、30m以上戻ってください」 海人たちが離れたのを確認すると、クンが武器庫らしき空間に足を入れた。 ヘッドライトと電池式ランタンを掲げて、木箱が積んである空間全体を凝視した。そして手前の木箱の上にランタンとカナリアの籠を置いた。カナリヤはいつものように活きている。そして地雷探知機を木箱全体に当てていく。探知機がキーンキーンと反応した。手前の一段低い木箱の蓋を慎重に開けていく。1cm開くと、クンは携帯ライトで木箱の中を覗く。罠らしき仕掛け配線は無い。蓋を少しずつ開けていく。そして中身を見た。油紙に包まれた一つを取り出した。そしてトンネルに戻った。 皆を呼んだ。 ムボンが油紙を取り、中身を手にした。「これは旧チェコスロバキア製の短機関銃スコーピオン(正式名称はⅤZ61)です。朝鮮戦争時、北側が主に使用した物です」ムボンが囁くように言った。「E。KKK(ケッケッケッ) 」十鳥からの指示だった――全ての武器を確認せよ――という意味だが、喜び満足した彼の表現でもあった。 3時間かけて、武器庫の木箱すべてを確認した。 想定内と言うべきか、想定外とも言うべきか、武器庫に短機関銃200丁、弾薬はあまりあるほど。だが十鳥は不満足だった。まだ武器庫はあるはずだ。携帯対戦車弾、地雷、スナイパー銃等があるはずだ。そう願っていた。「今日は2.7kmで止める。トンネルチームをここに戻す。ここで一泊する」十鳥が榊原に言った。そしてマイクに発した。「E。MMM」戻れ! 洞窟で泊まる! 真っ先にクンが穴から顔を出し、カナリヤ籠を榊原に渡した。数分でトンネルチーム全員が戻った。皆がグータッチをした。「腹減った」海人が口を開いた。トンネル内で携帯食料のビスケットを食べているが、腹が納得しないでいるのだ。「火が無いので煙が立たない。予定通り、煙が立たない携帯食料を食うぞ。そして寝る。明日は早朝5時から先に進める。まだ武器庫はあるはずだ」十鳥が言った。「私はこれから家に戻り、両親に報告してきます。2時間後、19○○に蒸した鶏肉を5羽持って戻ります。美味しいですよ」ムボンが十鳥に言った。「10羽でなくて良かった。憎々しいくらい肉が食いたい」十鳥が答えた。十鳥の親父ギャグに皆が笑った。 (続く) このブログ冒険小説も、当然、フィクションである。だが、事実も織り交ぜ描いている。
2022年02月21日
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ブログ冒険小説『闇を行け!』6 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々としていて、そこから入るものが多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない」(マタイによる福音書7-13)主な登場人物 ・堀田海人(ほった かいと)札幌の私大の考古学教授。・十鳥良平(とっとり りょうへい)元検察庁検事正。前職は札幌の私大法学部教授。現在、札幌の弁護士。・榊原英子(さかきばら えいこ)海人の大学の考古学教授。・役立有三(やくだつ ゆうぞう)元警視庁SAT隊員 十鳥法律事務所の弁護士。・君 道憲(クン・ドホン)日本名は――君 道憲(きみ みちのり)・武本 信俊(ムボン・シジュン) 君の甥 韓国38度線付近の住民(6) ムボン(武本)が運転するSUVが着いたのは、予定通りの夕方5時だった。真夏の陽はまだ大きく西の山峰の上にいた。「いやあ~実に風光明媚で涼しいところだ。それにしても山奥だな」車から降りたアウトドアハットを被り、半袖の十鳥が、如何にも彼らしい表現を開口一番、呟いた。 建物の前で皆が待っていた。 海人、クンも手伝い十鳥と役立の荷物を車から取り出す。小さなトランクケースが2個。「十鳥さん。これだけ?」海人が訊くと、「私のメモに書いていた通りだよ。この建物に大切に保管されているよ」十鳥がつらっとして答えた。そして十鳥が言った。「腹が減った。先ず食うことが先だ。その後、明日からの行動をブリーフィングだ」 簡単に夕食をすました全員(ムボン、ムボンの両親を含めて)が、料理皿などを片付けたテーブルにいた。十鳥が中央部に座り、その両サイドに皆が別れて座っている。18時30分だった。十鳥が切り出した。「明日8時ここを出る。ムボンのご両親を除いて。案内はムボンだ。目的の場所は、ムボンが説明する」 ムボンが交代して話した。「3年前の春、クン兄が来た時、クンと私と両親が洞窟の教会に行きました。その洞窟の教会は、先祖代々が隠し守っていたものです。もちろん、礼拝の場所として。礼拝前に皆で洞窟内を掃除していた時でした。私は足元の岩盤にひび割れを見つけ、クン兄に言うと、クン兄が靴底で岩盤をどんと踏み叩いたのです。30cm大の穴が出来ました。私とクン兄がロープ懸垂で降りました。深さは15m。降りると、そこはトンネル状の穴で、奥は北、つまり北へと続いていました。トンネルの幅は2m。高さも2m。明らかに北の‶南進トンネル″、未発見のトンネルと思っています。但し、クン兄と私はトンネルの穴底に着底して、100m先を携帯ライトで見ただけです。なぜなら、北が地雷を仕掛けている可能性があったからです。これまで見つけた‶南進トンネル″は5カ所。その1カ所は、ここから近いです。このトンネルは、勾配傾斜が北へとあり、約15度だと推測しています。見つかった‶南進トンネル″のどれもが、標高で言えば、地下150m程の岩盤をくり抜いた構造となっています。従って、北側の入り口も、こちらの出口も、同じ勾配となっているものと。以上、」 十鳥が引き継で言った。「質問は? 堀田君?」「話の概要は理解できましたが、私の出番は何でしょうか?」海人は、出番があるような気がしなかった。何を掘れというのだろう。地雷じゃないだろうに。 海人の意を察した十鳥が言った。「堀田教授の役割は、あったとする地雷排除後、トンネルの左右の壁側面を確認してほしいのです。可能性として、要所要所に隠し部屋、保管庫が設置されているかも知れないからです。発見済みの‶南進トンネル″のすべてに、それらがありましたので。堀田君、良いですね?」「了解しました」と海人は答えたが、疑問があった。「そのトンネルをどこまで行くのです? それに――なぜ韓国軍に知らせないのです?」「私も同感ですわ」榊原が言った。「この質問は、クンさんから答えていただく」十鳥の表情は変わらず、言葉の乱れもない。「堀田教授。榊原教授。私とムボンと叔父さん、叔母さんの意志をお伝えします。‶南進トンネル″を利用し、北朝鮮の独裁者と側近一族、その体制に亀裂を打ち込みたいのです。もちろん可能であれば、ですが。軍に報告しても、単に‶南進トンネル″を100m先で閉鎖するだけ。そして観光のスポットになるだけです。私たちは‶南進トンネル″を逆利用して、‶北進トンネル″としたいのです」クンが説明した。が、海人たちには今一納得し難かった。「クンさんとムボンさん御家族の意志と言いましたが、説明では、その意志の根源が見えないのです」海人が言うと、榊原も大きく首を縦にした。「クンさん。叔父さんに説明していただいたら?」十鳥が言うと、「叔父さん。私たちの思いを説明していただきたい」クンは言って、叔父さんを見やった。 叔父さんが席から立ちあがった。「そうですね。私たちの想いを示す時がきました。私たちの一族、祖父たちは、抗日ゲリラとして戦っていました。クムガンサンに籠ったゲリラ同志と共に。そして朝鮮戦争です。北側がここにやって来ました。あろうことか、クムガンサンのゲリラ同志たちでした。ここは彼等しか知り得ないのです。我々の一族33人、それも老若男女。武器も持たず、いつものように暮らしていた一族を倉庫に閉じ込め、火を放ったのです。それが私たちの意志となっているのです。可能であれば、ですが。クンと私の祖父たちは、所用でソウルに行っていましたので、難を逃れることができました。先生たちのご協力を願うばかりです」 室内の空気が重かった。それを十鳥が取っ払った。「何もかにもが、可能性があってのことだ。先ず明日から、トンネルを調査する。トンネルの北へ行けるところまで行く。地雷・空気の正常性・あらゆる罠を想定し、かつ対処しつつ、である。それらに係る装備は、ここに運び用意してある。万が一の武器は、狩猟用のライフル2丁だけだ。そのトンネルから軍事境界線(DMZ)まで2.7kmとしよう。行ければ――トンネルは緩衝幅2kmの非武装中立地帯の先、約2.7kmプラス2.5kmの5.2km程が、こちらのトンネルから北側の出口の総距離と想定している。明日からトンネル内の確認作業だ。先頭はクンさん。地雷有無と処理もクンさんがやる。支援として、ムボンさんが、後ろ20mに付く。その後ろに役立君が付き、役立君の指示で堀田君が進む。私と榊原君は洞窟内上部でカメラモニターと無線で成り行きを見守る。皆、無言を主とするが、安全を確認の上、無線を使用する。微弱な電波無線だから、外部に漏れることはないだろう。ああ、カナリヤ一羽を用意してある。暗視ゴーグル1個・防毒マスク5個・防弾チョッキ5着・簡易地雷探知機2機・酸素ボンベ10本・防弾ヘルメット・防弾盾2枚・照明ライトは各自分・電池式ランタン20個等などを持ち込む。以上だ」話し終えた十鳥が、ひと呼吸つき、また言い出した。「みんな承知のことだが、非人道独裁者どものクニ(国家の体を成していないから国と書かない)の将軍様に、私たちは‶呪い″をかけたいと願っている。トンネルを無事に通り、安全に北側に出れるならば、それも願っている。‶呪い″の計画は、すでに用意している。私と役立は、クン君とムボン君、そして叔父さん、叔母さんと打ち合わせ済みです。堀田君、榊原君」「私たちも、その‶呪いかけ″が出来ることを願って――トンネルを行きますよ」海人が応じた。そう言ったが、海人は十鳥が考えている‶呪いかけ″の方法について、判然としていない。まさか将軍様の藁人形と五寸釘で‶呪いかけ″をするんじゃないだろうに。それもトンネルの中で、だ! (続く)この小説は、当然、フィクションである。が、事実も織り込み描いている。
2022年02月20日
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ブログ冒険小説『闇を行け!』5 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々としていて、そこから入るものが多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない」(マタイによる福音書7-13)主な登場人物 ・堀田海人(ほった かいと)札幌の私大の考古学教授。・十鳥良平(とっとり りょうへい)元検察庁検事正。前職は札幌の私大法学部教授。現在、札幌の弁護士。・榊原英子(さかきばら えいこ)海人の大学の考古学教授。・役立有三(やくだつ ゆうぞう)元警視庁SAT隊員 十鳥法律事務所の弁護士。・君 道憲(クン・ドホン)日本名は――君 道憲(きみ みちのり)・武本 信俊(ムボン・シジュン) 韓国38度線付近の住民(5) 今は北朝鮮側にあるクムガンサン(金剛山・標高1638m)。その山系を水源とする河川のプカンガン(北漢口)は、山間を裂いて流れる渓谷を形成し、山紫水明の光景が飽くことなく続いていた。 クンの車はその渓谷を北へと登って行く。それと同時に、渓谷が徐々に狭まって、深い底に細い激流が見える。意外だったのは――道路幅が10mと広く、ところところに停車エリアがあり――アスファルトで整備されていた。「あと10分で目的地に着きます」クンが言った。「この渓谷の道は昔からあったのですか?」海人が訊いた。「ええ、古代からあったそうです。新羅(シンラ)時代に修行僧が開いた道とも言われています」「じゃあ、寺院があったのかな?」海人は北朝鮮側となっているクムガンサン山麓に数十の新羅時代の古刹があったことは知っていたが……「あったと聞いていますが、今では跡かたもないです」クンが答えた。「それは朝鮮戦争で?」「いいえ、いつからかは知りません」「じゃあ、貴方たちの本貫である部落はどうしてできたのです?」榊原が訊いた。「榊原教授が言われていましたが、天主教徒だった一族が隠れ住んだのです」 さん付けと決めていたが、クンはまちまちに使っていた。まだ慣れていないのだろう。「ここでの生計は?」榊原が訊いた。「炭焼き、薬草採り、それと狩猟でとった毛皮を売っていました。代々のことですが」クンが答えた。 今度は海人が訊いた。「現在は、甥御さんだけですか?」「いいえ、甥は両親と住んでいます。甥の親父(おやじ)は狩猟の名人ですよ。甥の母は、薬草採りの名人と言われています。そう、甥も徴兵で軍に行き、特別昇級し、特殊部隊で狙撃手でした。狙撃の腕前は父親譲りかな」「甥御さん。まだ若く、評価が高かったのに、なぜ特殊部隊を辞めたのです?」榊原が訊いた。「……俺と一緒に軍隊から去ったのです……」クンは訳ありそうに言葉を濁した。海人と榊原が目を合わせた。「発掘調査」の中身が垣間見れ出したからだ。本来なら、そもそもクンとクンの甥に軍を辞める動機がないはずだ。だが、3年前に突然、クンと共に軍から去った。そして十鳥に相談した。何があった! 何かがあったはずだ! 何かの計画が練りあげられたのだ! 海人が言った。「まもなく本貫の方々に会えますね?」 榊原も言った。「お会いするのが楽しみだわ」 クンの車が渓谷から山側の広葉樹の中、アスファルトで整備された脇道に入った。その10数分後、車が停まった。広葉樹林に囲まれているが、峰の上部の開けた台地だった。「着きました。先生方、お疲れ様です」 車の前方に一軒家が見えた。屋根の端からカモフラージュメッシュが見え、外壁を迷彩色にした鉄筋コンクリート造の真四角な2階建てだった。窓は小さく、一見、軍の管理棟と見間違う建物である。実際もそうだった! 幅の広いアスファルトの道は、軍用だった。ちなみにアスファルトで整備しているのは、地雷防止でもあった。 車から降りた海人が言った。「ずいぶんと頑強な建物ですね。珍しい」「この建物は、軍が建てたのです。非常時に軍が使用することが条件になっています。通常の鉄筋コンクリート造と違い、かなり分厚く丈夫な構造です。地階は避難スペースとなっています」クンが説明した時、鉄製の玄関戸から甥の両親が姿を現した。50代前半の両親。甥の父親が海人たちに言葉を発した。「お待ちしていました。よく来ていただきました。3年首を長くしていました」流暢な日本語だった。互いに挨拶を交わし終えて、榊原が訊いた。「お父様。日本語が出来るのですね。奥様も?」「ワタシハ、スコシネ」彼女が答えた。 クンが付け加えた。「私たちの先祖から代々、家訓として日本語を継承してきました。榊原教授が言われたルーツにその訳があるのでしょうね」「クンさん。私はこうも思いましたよ。400年前の日本人祖先はキリシタンですが、地域の方々から尊敬されていたはずですわ」榊原はそう確信した。 まだ陽は10時方向にあって、強い陽光を放っていた。この場所は、朝鮮半島のやや東部に位置している。そして、38度線の軍事境界線までは直線で3kmと近い。「先生方に見せたい景色が。家の裏に行きませんか?」クンが訊いた。「行きます」と海人が答え、榊原と共にクンについて行った。 建物の裏に行くと、壮大な山並みが見えた。幾重にも重なった峰々。遥か前方にひと際高い山が見える。華厳経から名を付けた北朝鮮側のクムガンサン(金剛山)である。あの山まで直線にして約40km。近い! 近すぎる!(続く) この小説は、当然、フィクションである。が、事実も織り込み描いている。
2022年02月20日
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ブログ冒険小説『闇を行け!』4 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々としていて、そこから入るものが多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない」(マタイによる福音書7-13)主な登場人物 ・堀田海人(ほった かいと)札幌の私大の考古学教授。・十鳥良平(とっとり りょうへい)元検察庁検事正。前職は札幌の私大法学部教授。現在、札幌の弁護士。・榊原英子(さかきばら えいこ)海人の大学の考古学教授。・役立有三(やくだつ ゆうぞう)元警視庁SAT隊員 十鳥法律事務所の弁護士。・君 道憲(クン・ドホン)日本名は――君 道憲(きみ みちのり)・武本 信俊(ムボン・シジュン) 韓国38度線付近の住民(4) 「着きましたよ。チュンチョン(春川)手前の美味し焼き肉店に」クンが後部を振り返り言った。海人と榊原はシートベルトに身を預け微動だにせず寝ていた。「堀田教授! 榊原教授!」クンが声を張りあげた。すると二人は同時に、がばっと身を起こした。クンがにやっと口を緩めた。軍隊生活時と同じだったからだ。デスクを前にして寝ている上官を起こす最適な方法だった。中佐殿! 薄目を開けた海人が言った。「着きましたか――」「予定通り、チュンチョン手前の美味しい焼き肉店に着きました」「では遅い昼飯を食うとしようか」海人が榊原を見て言った。「お腹がすいたわ」 すかさずクンが言う。「腹が減ったら戦ができぬ、という諺がありますから」 このクンの言葉の「戦」が、海人の心に差し障った。「発掘調査」は「戦」ではないのだから。「戦とはずいぶんと大袈裟なことだね。単に遅い昼食だね」 クンは気まずい表現に気づいた。迂闊だった――俺が話すべきことじゃない「戦」なのだ。しかも「戦」は、あくまでも「発掘調査」次第なのだが。でもさすが十鳥先生が心底信頼している方々だ。 クンが下手な言い訳をやめ、「ではレストランに行きましょう」と言って、車のドアを開けた。その時、クンの顔が曇った。避けたい! ドアを閉めた。「先生方。あそこ、店の横に立っている男がいますね。彼は軍隊の同期の中尉で、現在、国家情報院(略称は国情)の要員となっています。昼食を断念していいですか?」「やめましょう」立っている男を確認し、榊原が同意した。海人は無言で頷いた。が、つい愚痴が出た。「十鳥さんの計画事案には、いつも秘密情報機関とか秘密警察がつきものだ。仕方ないなあ。触らぬ神に祟りなし、だね」「了解しました。ここからは国道を避け、間道を行きます。この先にコンビニがありますから、何か簡易な食べ物を買って来ますが」「そうしてください」榊原が言った。榊原のお腹がぐうっと鳴った。 クンの車は、チュンチョンの湖畔沿いを疾駆していた。ここでクンは後部座席のスモーク窓を開けて言った。「あの湖畔は日本からの観光客が、新型コロナ前までは多いところでした」 右側の後部座席から、海人が湖畔の光景を見た。北海道のどこかの湖畔と似ている眺めだった。涼風も同じようだ。「ドラマ・冬のソナタの舞台となったからですね」榊原が言った。「ええそうです」そう答えたクンが言葉を継いだ。「これから千m程の山間部を走ります。目的地まで約1時間強です」クンは後部座席の窓を閉めて言った。 車は力強く山稜部を登って走った。人家はまばらとなっていく。道はアスファルトで快適だった。スモークガラス越しに窓外を見ていた海人が言った。「この山並みは韓国の歴史上、良きも悪しきも要衝となっているようだね」「ええ堀田さん。特に朝鮮戦争時は特別でした。天下分け目の天王山のような……祖父は韓国軍の兵士として、この山系一帯で侵攻した北朝鮮軍とゲリラ戦をしたそうです。目的地もこの山系とつながっています。現在も韓国軍の分隊基地が多いです。私も何度か訓練した場所です」元軍人らしいクンの言いようである。「お爺さんは?」海人が訊いた。「この山系の北38度線付近で北朝鮮軍との激戦中、亡くなったそうです。停戦命令が出る2日前。父から聞いた話ですが」「お爺さんの遺骨は?」海人が訊いた。「38線の戦闘地域の山のどこかで眠ったままです。祖父に限らず北朝鮮軍兵士の多くも」「やはりそうでしたか。残念なことだ。私は朝鮮戦争に関する文献資料で読んだだけですが、目的地の一帯、この山系一帯に韓国軍が防御に配置されていましたね。その限りで思ったのです――門外漢ですが、北朝鮮軍は山岳戦に強いのでは、と」「堀田さん。まったく同感です。朝鮮半島の北部、つまり北朝鮮は山岳部が多い地勢です。歴史的にも鉱山地帯です。山と山を抉ることには長けています」「だからか。いわゆる‶南進トンネル″を北朝鮮が掘ったのは」海人が言うと、明らかにクンの頭部が反応して、上下に振れた。それを海人は見逃さなかった。榊原も同じく。今回の「発掘調査」について、海人は榊原と詳細に話し合っていた。なにせ目的地がカンウオンド(江原道)北部、38度線に近い場所での「発掘調査」であり、十鳥からの依頼もやけに急だった。それに秘密裏で十鳥と役立が主導ときた。韓国側は優秀な元軍人のクンと甥のムボン(武本)だけである。ここまでのクンの話にヒントもある。榊原の想定Aが「発掘調査」の目的かも知れない。だが、想定AAはあり得ないことだ。海人の思考がめまぐるしく動き、そして停止した。現地に行けば分かる!「ええ、先生。北朝鮮は停戦後、1970年前から、恐らく朝鮮戦争停戦後直後からでしょう。幾つもの‶南進トンネル″を掘っていました。それは脱北者からの情報でしたが。韓国軍がボーリングして見つけたのは第5トンネルまでですが、まだあると言われています。それにしてもよく掘ったものです。まさに長けていますね。穴を掘ることに」「あなかしこ? だよ。北朝鮮の将軍様たちへの伝言の末尾に記すに相応しい」海人がジョークをかました。「あなかしこ。そうね。その伝言は女性が送るのでしょうね」榊原が継いだ。「先生方。ということは北の将軍様たちは山師一族直系ですね」「そう言えるな。そもそも独裁的権力者自体が貪欲な山師根性の持ち主だよ。だが歴史では必ず墓穴を掘ることになるよ。なあ榊原教授よ」と海人が吐くと、「そうは言えるでしょうけど、堀田教授はまだ氏名の明らかな墓穴を掘ったことがありませんよ」榊原が返した。「そろそろプカンガン(北漢江)沿いの道に下りて行きます。目的地まで30分程です」クンが告げた。(続く)
2022年02月19日
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ブログ冒険小説『闇を行け!』3 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々としていて、そこから入るものが多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない」(マタイによる福音書7-13)主な登場人物 ・堀田海人(ほった かいと)札幌の私大の考古学教授。・十鳥良平(とっとり りょうへい)元検察庁検事正。前職は札幌の私大法学部教授。現在、札幌の弁護士。・榊原英子(さかきばら えいこ)海人の大学の考古学教授。・役立有三(やくだつ ゆうぞう)元警視庁SAT隊員 十鳥法律事務所の弁護士。・君 道憲(クン・ドホン)日本名は――君 道憲(きみ みちのり)・武本 信俊(ムボン・シジュン) 韓国38度線付近の住民(3) 仁川(インチョン)国際空港内は、海人と榊原が8年前の夏に来た時と違い、キムチの匂いがほぼ消えていた。多分、新型コロナ対策で空港内の換気力が増し、乗降客が減少していたからだろう。入国手続きを終えた海人と榊原はアウトドアスタイルで、それぞれバックパイプを背負い、大型のトランク1個を転がして出口へと向かった。昼過ぎだった。 あそこにいるのは、十鳥のメモにあった君 道憲(クン・ドホン)に違いない。30代半ばの男が現代(ヒュンダイ)社製の黒のSUV車の傍にいた。記憶と同じナンバー下4桁が見えた。間違いない。そう海人は心内で呟いた。「海人さん。あの車では?」マスク越しに榊原が言い、指さした。海人は頷き、ゆっくりと歩を向けた。 黒のSUVに近づくと、マスクをかけたクン(君)という男が親指を立てた。細身だが筋肉質で屈強な体躯の男だった。「堀田教授、榊原教授、お待ちしていました。クン・ドホン(君 道憲)です。よろしくお願いいたします」ネイティブな日本語でクンが言った。「こちらこそよろしくお願いしますわ」「よろしくお願いしますね」 挨拶を終えると、クンはきびきびと動き、大型のトランク2個とバックパイプ2個を車の後部に詰め込んだ。 今回の「発掘調査」だが、十鳥のメモ書きでは『必要な機器類の一切は現地で用意済み。先生たちはキャンプ用品を最低限だけ持参の事』とあり、文字通り最低限の道具類しか持って来なかった。テントと寝袋、そしてクマ除けスプレー・防虫スプレー等。クマ除けスプレー・防虫スプレーは、常にバックパイプに入れていたものだ。 海人と榊原が後部座席に乗り込むと、左座席、運転席のクンが言った。「ご承知でしょうが、十鳥先生と役立さんは、私の甥のムボン(武本)の車で現地に行きます。現地までは約80km、所要時間は高速道路を使い約2時間15分です。先生方は昼食はまだですよね?」「ええそうです。お任せしますわ」榊原が海人の顔を見て答えた。「1時間後、春川(チュンチョン)の手前にあるレストランに寄ります。焼肉の美味しいお店ですが、良いでしょうか?」「もちろんですわ」「ああ、先生方。私は今朝PCR検査で陰性でしたので、ご安心してください」クンが気を使って言った。「私たちは昨日のPCR検査。今朝の抗原検査でも安全ですわ。でも明日からも毎日、皆全員の抗原検査しますよ」榊原が言った。「了解です」クンが短く答えた。「それとね。クンさん。これからは私たちを、さん付けで言ってください。良いですね」榊原が付け加えた。今回の韓国行は私的なものであり、既に十鳥チームの仲間になっているからだ。海人も頷く。「了解です。一応ですが」クンは「さん付け」の意味することを理解できた。一応。 車がソウルに近づいた時、海人がクンに訊いた。「クンさん。あなたはどうしてネイティブな日本語が話せるのですか? それにクン(君)姓は珍しいですね。日本人にも君姓の人はいますが少数です」「ええそうなんです。韓国でも極めて少ない姓です。多分、君姓の人たちの本貫は同じでしょう。つまり親類かな。実は私は民団所属の在日2世の韓国人で、大学まで日本で育ちましたので」クンは真正面を向いて答えた。「そうですか。ところで韓国にはいつから?」榊原が訊いた。「大学卒業した年に、私は韓国の陸軍士官学校に入りました。10数年在籍して3年前、軍を辞しました。少し考えることがありましたので……」 海人と榊原が目を合わせた。十鳥の真意らしきヒントが出たからだ。クンは優秀な軍人であり、俄かな訳が生じて軍をやめ、そして十鳥につながったのだ。その点がヒントだ!「クンさんはいつから十鳥先生と知り合ったのですか?」榊原が訊いた。「3年前、私は一旦、日本、札幌に戻りました。そして札幌日韓友好協会のイベントに参加した時です。協会事務局長が大学の先輩で、困った時は十鳥先生に相談したらいいと言って紹介していただいたのです。今回の件は、困ったことじゃないのですが、十鳥先生に相談して……詳細は現地についたら、十鳥先生から説明があります」 やはり十鳥とクンは、明らかに公にできない真意を隠し持っているのだ。だが、信頼できる発掘人を必要としている――それも現地に行けば分かることだ。俺たちも十鳥チームの仲間なんだ。海人の脳裏がそう言っていた。「私たちも了解しているよ。ところで甥御さんの苗字も珍しいですね。姓が2文字で、ムボン、漢字は日本風ですね」海人が言った。「やはりそうですよね。甥も本貫は同じなんです。ヤング(楊口)の北、山岳地帯にある鄙な部落が本貫なんです」「クンさん。あなたの本貫と祖先は朝鮮の女性と結ばれた日本人でしょう? その祖先はキリシタンで、武士ですわ。だから甥の方、貴方にも日本人の血が受け継がれているのですわ」そう唐突に榊原が言うと、クンが後ろの榊原を見て言った。驚きの表情を見せて。「えっ! どうして分かったのですか? 祖父から聞いたことがありましたが」「榊原は韓国の歴史にも詳しいのですよ」海人が言った。「それにしても、なぜキリシタンとまで……教えてほしいです。確かに私の祖父からキリスト教徒ですが……」「クンさん。李王朝時代中期、朝鮮にも天主教という基督教が流布していきましたが、李王朝は天主教を弾圧しました。ちょうど豊臣秀吉の文禄・慶長の役、そうね、朝鮮側の言い方は、イムジンウエランの壬辰倭乱・チョンユヂェランの丁酉倭乱。総じてイムジンウエラン・壬辰倭乱とも言いますね。その時、貴方の先祖は日本軍から自らの意思で離脱したのです。今風に言えば、良心の兵役拒否だったのです。一説には、そいうキリシタンの日本兵が数百人以上がいたようですわ。負傷兵、捕虜ではなく」「そういうことだったんだ。お会いして良かった」クンの背が凛として見えた。 車はソウルを通り、高速道路に入った。海人と榊原は車窓に目をやることはなかった。二人に少しだが、眠気が誘っていたからである。そして目的地は彼方にあるからだ。 薄く目を閉じた海人の瞼に、十鳥の顔が写っていた。「呪いをかけに行く――」十鳥が毅然として言う表情と共に。(続く)
2022年02月18日
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ブログ冒険小説『闇を行け!』1 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々としていて、そこから入るものが多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない」(マタイによる福音書7-13)主な登場人物 ・堀田海人(ほった かいと)札幌の私大の考古学教授。・十鳥良平(とっとり りょうへい)元検察庁検事正。前職は札幌の私大法学部教授。現在、札幌にして弁護士。・榊原英子(さかきばら えいこ)海人の大学の考古学教授。・役立有三(やくだつ ゆうぞう)元警視庁SAT隊員 十鳥法律事務所の弁護士。・君 道憲(クン ドホン)日本名は――君 道憲(きみ みちのり)・武本 信俊(ムボン シジュン) 韓国38度線付近の住民(1) 2022年のこの夏、オミクロン株の感染猛威がかなり下火となってきた北海道、特に札幌は顕著だった。だがまだ油断は出来ないと、考古学教授の二人は警戒を緩めていない。特異な国々と同じく、新型コロナウイルスも特異に変異するはずだからだ。そう堀田海人と榊原英子は思っている。この二人は挙式後、夫婦別姓を選び入籍はしていないが、事実婚の夫婦である。そして二人は現在、札幌のA私大文学部史学科の教授である。海人の専門は、縄文から弥生、古墳時代の墓堀人であり、榊原は古代史学を広く専門としている。海人は40代半ば。榊原は30代後半の二人だが、まだ子供はいない。元教授の十鳥良平弁護士から、何で早く子供をつくらないのか、と口煩く言われている。 海人が夏休み前の授業を終え、研究室のデスクに座るや、スマホが鳴った。1カ月ぶりの十鳥からの電話だった。「やあ、海人教授先生よ。(子供は)まだかいな?」開口一番、いつものように十鳥が言った。「十鳥さん。ワクチンはまだ打っていないのですか?」これは海人がコロナ禍の2年半、開口一番への返事にしている決まりフレーズである。十鳥は強度のアナフィラキシーが問題で、コロナワクチンを打っていない。66歳となった十鳥の最大の弱点だった。「よし、これで挨拶は終わった。本題を言おう」十鳥の言葉に少しだが緊張感があった。「本題って?」海人も緊張感が体内に蠢いた。十鳥が「本題」と言うからは、必ず「本題に問題」が伴うからである。十鳥からの答えが直ぐ来ない。俺に「本題+問題」を伝えるということは――考古学上の事案のはず。それも墓堀のことだろう。まさか刑事事件、殺人、遺棄し埋めた事件? それは無いだろう。としたらどんな「本題+問題」なんだ!「海人先生よ。分かったかな? 分からんと思うよ。本題は難問なんだぜ」「十鳥さん。難問でなく難題でしょう。きっと墓堀人のジャンルを超えた事案に決まっているよ」「おっと、これ以上はスマホで話せない。私はコロナウイルス、オミクロンを避けなきゃ。夜、会えるかな?」この十鳥の答えで、海人にはうっすらと「本題」の形が見え始めた。それは複雑かつ危険な形だった。新型コロナウイルスのような。「自宅で良いですか?」海人が言った。「いや、まだ私の可愛い娘に聞かせたくない。清田区ある、あのレトロな珈琲の店だと良いが。2階を借り切ってあるし、普段もタバコが吸える2階だ。安全だよ」‶可愛い娘″とは榊原英子、海人の妻のことである。あたかも父親然と言っている十鳥だが、海人には父の化身の十鳥でもあった。否、それ以上の存在である。(海人・榊原と十鳥との関係は、前作『海峡の呪い』『官邸の呪い』で描いている) 海人はすかさず答えた。「十鳥さん。了解。18時で」「助かったよ。私の婿だけあるぞ」 海人は‶助かった″が気になった。まだ何も助けていないからだ。いつものことだが、緻密な思考回路を持つ十鳥だから、俺にNO! とは言わせない話、本題のはずだ。そう海人は飲み込み、スマホの電話を切った。(続く)
2022年02月16日
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(ブログ冒険小説の予告です)2022年8月頃の出来事を原稿用紙にして約200枚。主人公は、以前、ブログ冒険小説『海峡の呪い』で登場した人物たち。掲載は――2月中旬の予定です。ほぼプロットが出来ましたので、いつもながらの思い付き、かつ即興で書き下ろします。
2022年02月06日
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パダウの呪い光あるうちに光の中を歩め(トルストイ)この小説はフィクションである。小説中の団体・企業・個人名は想像の産物であるが、歴史背景等は真実でもある。エピローグ・最終章 (国境の街)2022年3月下旬。朝10時。北小路はひとり、羽田空港のタイ・バンコク行き、出発ロビーの椅子にいた。 彼は新千歳空港で夏服に着替えていた。ダウンジャケットなどの防寒着を有料ロッカーに詰め込んでいた時、隣に服部(十鳥の元部下)が来てロッカーの扉を開けた。 「防犯カメラがありますので――十鳥さんの伝言を、お伝えします。皆は名々、同じ便に乗りバンコクに行きます。私は北小路さんの護衛で、後ろにいます。ずっと。在日ミャンマー人武装組織の主要メンバーは既に出国しています」服部が呟く。 「了解した。よろしく」北小路が呟き返した。 1月下旬からこの間、タイ行の計画は目まぐるしく変わっていた。先ず在日ミャンマー人武装組織に潜入していたスパイを十鳥らは、また『罠』にかけた。『彼』が池袋のアパート1Fから出ると、玄関ポーチにワールドハンティングの長財布が落ちていた。それを見つけた『彼』は財布を拾い、中を見た。カード類もあったが、10万円も入っていた。『彼』は周りに人がいないのを確認し、財布を胸ポケットに隠した。それを向かいの一軒家の防犯カメラが記録していた。これもそのために設置したものだった 翌日、池袋警察署に在日ミャンマー人の男から紛失届が出された。「無くした場所は『彼』を訪ねた時だった」と男は言った。警察署員2人が現場に同行すると、男が向かいの防犯カメラを指さした。 「あそこに防犯カメラが……」 スパイは逮捕され、在日ミャンマー人武装組織から排除された。この事件で、ミャンマー国軍情報機関と内閣情報室の在日ミャンマー人武装組織と十鳥らの監視が緩んでいた。それと同時に、十鳥らと在日ミャンマー人武装組織の主要メンバーは、あたかも洞穴の奥に光を見つけたかのように、出口へと急いだのだった。 当初はシンガポール経由だったが、十鳥の指示で急遽、タイの首都バンコクへ直行することとなった。さらに重要な変更がなされた。何と! ミャンマー国内に潜入し、ミャンマー国軍の国境守備隊に一泡吹かす計画である。とは言っても、ヘレンペインと十鳥らは2カ月の時間をかけているから、それなりの根拠を持つ計画のはずだ。 出発ロビーがタイ観光客で込んできた。羽田出発時間は、昼0時05分。バンコク到着は5時05分。フライト時間は7時間である。 バンコク行の「鶴マーク」の飛行機は満席だった。北小路は指定のエコノミー席、窓際に座った。服部は真後ろに座っている。北小路がちらっと視線を巡らしたが、十鳥らの姿は見えなかった。どこかに座っているのだ。そう心の中で呟き、隣の日本人観光客に目をやった。ヘレンペインだった。互いにアイサインを送り、目を瞑った。心地よい香水の匂いが北小路の鼻を撫でた。やがて座席を後ろに倒した北小路は、静かに寝入っていった。 ヘレンペインに小突かれ、北小路が目を覚ました。窓の外を見ると、初めて見るバンコクの市街地が下に見えた。 「いよいよだな」北小路はヘレンペインに聞こえるように囁いた。 「いよいよだわ」真正面を凝視して、ヘレンペインが呟いた。 夕方5時半過ぎ、北小路らはバンコクのスワンナプーム国際空港の外に出た。高温多湿だけある。北小路の肌が蒸されるようだった。 ヘレンペインが左方に歩を進めていた。バックパイプを担いだ北小路も後を追った。後ろには、背広姿でジュラルミン製アタッシュケースを左手に持った服部が付いている。北小路には、服部という男は姓の通り、今流の忍者かと思えた。30代で瘦身だが、一分の隙も見せない。全身に目が付いているかのような男だ。北小路は服部が、SAT(東京都特殊急襲部隊)出身とは知らない。十鳥の元部下、内調の要員だったのだろう、と思っている。 ヘレンペインが黒いSUV車に乗り込んだ。同じタイプのSUV車が3台停まっている。北小路がSUV車に近づくと後部ドアが開き、十鳥が手招きした。北小路が乗り込む。後ろのSUV車に服部が乗った。SUV車4台が、100mほどの車間をとって走り出した。 「いやあ、北小路さん。また会いましたね」十鳥がニヤリとして言った。 「運転手、助手席の方は?」北小路が訊いた。 「皆、タイの協力者ですよ。日本語も出来ます」 「Mのメンバーとは何処で合流します?」北小路が訊いた。 「これからバンコクを早く脱出して、M国との国境の街に行きます。そこで彼らと合流です。彼らは先に行っていますよ。途中、休憩と食事を1回だけとります」十鳥が応えた。 「十鳥さん。目的地までの時間は?」 「8時間ですかね」 「日本の政権、その情報機関からタイ国軍情報機関には?」北小路は内閣情報室の追っ手を懸念して訊いた。 「タイ国軍の情報機関が監視しているはずです。今のところ、内調もタイ国軍情報機関も、我々がシンガポールにいると思っているでしょう。その騙しも、まもなくばれるかな」十鳥はシンガポール経由の意味を、初めて北小路に知らせた。十鳥の姓を同じくした親類の一団を、シンガポール観光に招待し、行ってもらっていたのだった。 「それで我々は、可能な限り早くバンコクを離れなければなりません。北小路さん」 「さすが十鳥さんは、内調の出身者だけありますよ。情報機関の裏をかいくぐっていますね」 「北小路さん。これからが本番となるはずです。とりあえず8時間を稼ぎましたが、目的地に着くころには、タイ国軍の情報機関に追いつかれそうですよ」 「十鳥さん。SUV4台の所有は?」基本的な疑問を持った北小路が訊いた。 「このSUV4台は、日本で言うところの白タクです。名義はタイの協力者たちです。彼らは反タイ国軍政権の経歴は皆無。一般人のタイ人です。M国との国境の街にある古刹寺院観光。北小路さんと私はタイの仏教研究者と会い、取材を目的としています。表向きは」 北小路は、十鳥がこれほど諜報に知悉していることに敬意を感じた。十鳥が在野にいて良かった。官邸の情報機関にいなくて――それにしても、こういう人物が、公安調査庁の江戸川局長、頼課長、そして彼らの仲間たちが、反政権側にいるとは信じがたい。 USV4台は、ドーナ山脈南端の街メーソートを一路目指していた。メーソートはミャンマーとの国境の街である。バンコクからメーソート、そしてミャンマーに抜ける道は、アジア・ハイウエーとも呼ばれている幹線道路だ。とりわけミャンマーにとっては、物流、観光客の重要ルートである。検問は意外とぬるい。 結局、SUV4台は途中の休憩を止め、スーパーで買った食料を車中で摂りながら走っていた。 夜11時過ぎ、SUVの一団はメーソートに着いた。それから国境に近い丘を登り、人里離れた一軒家のゲートをくぐって行った。この一軒家は、四方を2mほどの塀で囲まれ、外部から中が見えない。裏側には国境のムーイ川が通っている。 SUV4台は上部がツル系の植物が張ったカーポートに停めると、ヘレンペインが家の中へ案内した。意外と広い平屋の建物だった。リビングに入ると、4人のミャンマー人武装組織の主要メンバーが待っていた。 「皆さん。シャワー室は、あちらです。地下室に寝室が2部屋あります」ヘレンペインが手で示して言った。 「今日は、これから休むとしよう」十鳥が皆に言った。北小路も頷き同意した。疲れていた。 「では、我々は交代で見張り番をします」主要メンバーのひとりが言った。 北小路は、車のクーラーが効いていたから、汗は出ていなかった。 「さっそくだが、寝たい」北小路が言うと、 「私も寝たい」と十鳥が続いた。 「私が地下室を案内しますわ」ヘレンペインがそう言って、地下室の入り口ドアを開けた。 地下室は広く綺麗だった。エアコンも効いている。北小路、十鳥、服部の寝室は一緒だが、寝心地の良さそうなベッドルームだった。 「このクローゼットに皆さんのバスローブ、タオル類が入っています。では明日。おやすみなさい」ヘレンペインが言って地下室を出て行った。夜12時過ぎだった。 翌朝9時に地下室の会議室でブリーフィングが行われた。その間、SUVの運転手4人が見張りについている。 革命の闘士と化した美貌のヘレンペインが、皆に伝えた。 「2日後の夜11時。4月1日。私たちは自爆ドローン50機で、対岸のカレン州ミャワディにあるミャンマー国軍の国境警備隊中隊本部を攻撃します。それと同時に、この国境の街メーソートの北、対岸から見えるシュエコッコ地区、そこに中国資本が1兆円規模を投資し、一大カジノ都市が造られつつあります。そこでの収入はミャンマー国軍の金庫を満たすものです。自爆ドローン50機で建設中のカジノ施設を破壊します。決行日は4月1日の夜11時。この街で待機しているミャンマー武装組織メンバー60人を2班に分け、攻撃を同時に決行します。十鳥さん、北小路さんからアドバイスがありましたので、各班に防御スナイパーを各10名、攻撃班の背後に配置します。スナイパー銃はミャンマー国軍が使用している物を使います。それでタイ国軍を騙します。それから、4月1日は『挙国一致政府』が決定した『D-Day』、武装蜂起の日です。私たちの反対側、アラカン山脈に隠れている同志たちも、麓のミャンマー国軍地方部隊基地を襲撃します。ドローン100機で自爆攻撃と武器庫を急襲します。そこの同志の主力は、ロヒンギャ人武装組織です。A班は国境のムーイ川傍にある石材加工所を拠点とし、ドローン自爆攻撃を行います。A班の防御スナイパー10名は、建物の周辺に潜み待機。明日からです。B班は寺院のある小山の上に建つ倉庫を拠点とします。B班のスナイパー10名も明日から小山の林に潜みます。攻撃時間は1時間だけ。12時10分に全員は各自の隠れ家に戻り、地下室に隠れます。タイ国軍は徹底的に捜索するはずですので、身の安全を徹底してください。なお、暗号名は『パダウの呪い』とし、各部隊は『パダウの呪い』1、2、3~とします。以上ですわ。何か質問は?」 「戦闘用の服など装備は?」北小路が訊いた。 「各班の攻撃拠点に用意しています」ヘレンペインが応えた。 「タイ軍兵士を撃っても問題はないのか?」北小路が質問した。 ヘレンペインが応えた。 「聖戦ですから。タイ軍もミャンマー国軍と同じです。独裁軍政で民主派を弾圧していますし、陰でミャンマー国軍と利権を貪っています」 さらに北小路が訊いた。 「私は? A班? それともB班?」 ヘレンペインが応えた。 「北小路さんは十鳥さんと服部さん、そして私とで、この別荘から見守り、各班及びアラカン山脈部隊との連絡をとります」 「ミャンマー国軍によるジャミング(電波妨害)は?」北小路が訊いた。 「確かにミャンマー国軍は、ジャミングを検討しています。つまり、まだ実行できません。その技術と装備、それに資金がないのです。中国が協力すれば別ですが。ただし、対空ミサイルと捕捉レーダーがあります。それは首都ネピドーとヤンゴンのミャンマー国軍司令本部の防衛のためにあるのです。対岸の都市ミャワディは中国香港資本、実質それは中国軍が関与したダミー会社ですが、一大カジノ都市を建設中、すでに建設し開業しているところもありますので、多くの中国人が働いていますから、通信網は完備しています。話が飛びましたわ。他に質問は?」 十鳥からは質問は無かった。作戦の立案者のひとりでもあるのだろう。因みに、ここにいるミャンマー人主要メンバーと同志たちは、皆、ミャンマーに帰国してから、ヘレンペインに合流していた。アラカン山脈に隠れたメンバー、カレン州に行ったメンバーなどの全員がそうだった。ミャンマー国軍の国境警備は、かなり杜撰である。主要幹線にその兵力を配置しているが、山岳部などは徒歩での往来には、ミャンマー軍の警戒網さえない。それはこの国境の街でも同じだ。幹線道路から外れたところでは、川幅30m、しかも浅いムーイ川はタイ、ミャンマーの人々が日常的に渡っている。ミャンマー国軍は、主要な点を抑えているだけである。そこに反国軍武装組織が入り込む余地があった。とは言え、首都ネピドー、大都市ヤンゴンとなれば、軍事攻略にはかなりの困難が伴うはずだ。ミャンマー国軍の主導者たちがいるからだ。防御が極めて固い! そこが心臓部だ! だが、古今東西の革命を顧みると、地方から徐々に心臓部を取り囲むようにして、攻略しているのだ。しかもミャンマーの場合は、130以上の多民族で構成された国民であるが、民主化への求心力は他国にその例がないほどの圧倒的な意志を持っているのだ。無いのは『戦う武力』だけである。 北小路は思った―― 反国軍打倒の武装蜂起には、かなりの困難と犠牲が伴うが、ミャンマー人の並外れた独立心という精神性は、ベトナム民族と同様にずば抜けて高い。いやそれ以上かもしれない。長い戦いになるだろうが、ミャンマーの国民はやり切るだろう。英国の植民地化に徹底抗戦した歴史が物語っている。ヘレンペインの先祖であるアラウンパヤー朝、最後のティボー王は3度の対英戦争を自ら主導した。日本では幕末の頃である。それをヘレンペインらに重ねていた。 血の継承か――! (話が逸れる――なぜ日本は米英の植民地にならなかったのか? その第一の理由は、東南アジア、清国との植民地戦争で、英国(仏国なども含め)は甚大な消耗戦となり、軍事力の著しい低下があったからだろう。そこで英国などは外交方針を変えたのだ。支配統治(植民地化)から有利な交易利益の追求へと。この理屈は、今でも通じるようだ。軍事力による覇権には限界があると。そこで英国がやったのは、植民地化したその民を他国への侵略戦争に使う手法である。これも古典的手法であるが。モンゴル帝国のそれが典型例。近現代では、ナチスのドイツ、ソ連邦、大日本帝国等など。だがそれも消耗戦となり、軍事力と国力の低下を招く結果となったのだ。しかもその負の遺産が後に我が身に降り注ぐことになったのである) 十鳥が発言した。 「明日一日は、戦いの準備日としよう」 ヘレンペインが言葉を繋げた。 「そして明日は祈りの日ですわ。聖戦ですからね」 主要メンバーのひとりが言った。 「ではこれで、我々はA班とB班に分かれ、明後日の4月1日のD-Dayに備えるとします」 D-Day 4月1日 別荘の地下室に設けた指揮所に北小路、十鳥、服部、そしてヘレンペインたちがいる。5台の52インチPVモニター画面が、アラカン山脈で、メーソート郊外の小山で、ムーイ川の石材加工所で、主要メンバーのヘルメットにつけたカメラの映像を映している。 攻撃開始まであと2分。北小路は、心臓が止まるほど緊張している。十鳥らも同じだろう。北小路はそう思いつつ、十鳥と服部の表情を覗ったが、いつもと変わらない表情だった。画面を凝視しているヘレンペインもそうだった。北小路は数度、深く息を吸い吐き出した。 「A・B班。GO!」ヘレンペインがインカムで命じた。 A・B班のモニター画面に自爆ドローンが地面から浮上し、ゆっくりと前方ミャンマーの標的に向かって飛んで行った。モニター画面が変わった。先頭のドローンの目に映った映像となった。A班のドローンの目。B班のドローンの目。そしてアラカン山脈のドローンの目。 A班のドローンが低空を飛び、ミャワディにある国境警備隊基地へと向かっている。幸いなことに天は厚い雲に覆われている。目標まであと15km。距離数値が小さくなっていく。 B班のドローンもシュエコッコ地区の建設中のカジノビルへと、順調に飛んでいる。目標まであと5km。 C班(アラカン山脈の部隊)のドローンも順調に飛んでいる。 どの班のドローンは、10mの距離をおき、縦列で飛んでいた。波状攻撃を行うのだ。 15分後。B班からの声が室内に響いた。 「パダウの呪いスリー(3)。これからビルに突入する」 「パダウの呪いワン。了解」ヘレンペインが応えた。 北小路らはモニター画面を凝視した。 B班の先頭のドローンの目が建物に迫った。そして映像が消えた。ドローンの目の映像が映った。2番機の目である。 「1番機は自爆攻撃に成功した」B班から声が届いた。2番機の映像でもそれが分かった。音は聞こえないが、爆発の大きさはかなりのものだった。 2番機も突入。3番機の目がそれを映す。 「パダウの呪いワンより。4番機からは別な目標に突入せよ!」ヘレンペインが命じた。建設中のカジノビルは5カ所と聞いている。一カ所を自爆ドローン2機で充分に破壊できると知った。予定通り、ドローンは建設中のビル1F奥に入り込み爆発している。 今度はA班から連絡が入った。 「パダウの呪いツー(2)より。これから突入する」 ドローンの目が国境警備隊基地中央部の建物を映している。 「パダウの呪いワン。了解」 モニターに中央部の建物が大きくなって迫った。そして映像が消えた。2番機も続いた。3番機も突入した。 「パダウの呪いワンより。4番機からは武器庫と国軍戦闘車両へ突入せよ!」ヘレンペインが命じた。 「パダウの呪いツー。了解」 A班の4番機が武器庫を捉えた。そして突入した。5番機も突入。 別荘の屋上で監視していたメンバーから連絡が入った。 「ミャワディ方向で空が赤く光りました。また大きく光りました」 モニタ―画面が目まぐるしく変わる。A班のドローンの目が待機中の戦闘車両を捉えた。3台の歩兵戦闘装甲車と兵員輸送トラック10数輌が映った。ドローンが突入し、映像が消えた。次々とドローンが突入して行った。 「パダウの呪いツーより。7番機が基地から出て行くベンツを捉えました。攻撃しますか?」 「パダウの呪いワンより。攻撃せよ!」ヘレンペインが命じた。そのベンツを画面で見ていた北小路は言った。 「あの車には基地幹部が乗っているのだろう」 「私もそう思ったのよ」ヘレンペインが言った。 アラカン山脈のC班から連絡が入った。 「パダウの呪いフォーより。ドローンが突入します」 「パダウの呪いワン。了解」 全員がモニター画面を凝視する。アラカン山脈の麓にあるミャンマー国軍の部隊は、実質のミャンマー国軍司令本部があるヤンゴンを守るための精鋭軍とその基地である。そして、4月1日のD-Dayの最重要な攻撃目標だった。 ロヒンギャ武装組織を主体とした攻撃要員は、一個中隊(約200人)規模である。 「パダウの呪いフォーより。ドローン突入。戦車、戦闘車両を破壊後、地上部隊が突入する」 「パダウの呪いワン。了解」ヘレンペインが応えた。 ドローンが波状的に基地内を爆発炎上させていく。10数番目のドローンが戦車群を映した。そして映像が消えた。次の映像は、兵舎群を映した。そして映像が消えた。映像でその繰り返しが見えた。 北小路ヘレンペイン言った。 「アラカンのあの基地攻撃で、武器庫の確保。戦車と戦闘車両の確保が出来そうですよ。残りのドローンを武器庫周辺と戦車群と戦闘車両群の周辺に降りさせ、それらの守備に使用したら?」 十鳥も同意し、ヘレンペインに言う。 「可能のようだ」 ヘレンペインが頷き、アラカン山脈のC班に命じた。 「パダウの呪いワンより。可能な限り戦車群と戦闘車両群を確保せよ! 残りのドローンの一部をその守備に使用せよ!」 「パダウの呪いフォーより。可能な限り、了解しました」 A班、B班の攻撃は首尾よく終わった。アラカン山脈のC班への側面支援も出来たようだ。 「パダウの呪いワンより。終わり次第、直ちに撤退せよ!」と、ヘレンペインがA班、B班に命じた。 「パダウの呪いツー。了解」 「パダウの呪いスリー。了解」 ヘレンペインが言った「撤退」とは、密かにミャンマー側に行き、カレン州の山にある拠点に隠れることである。 別荘の屋上にいる要員から、地下室に連絡が入った。 「メーソート郊外のタイ国軍基地に動きがあります。間もなくタイ国軍による検問と捜索が行われるようです」 ヘレンペインが応えた。 「後1時間はかかりそう。監視をよろしく」 「了解」 タイ国軍の無線、タイ国営放送を聴いていたタイ人協力者から連絡が入った。 「今のところ、タイの国営放送は何もコメントを発していません。タイ国軍本部も」 「分かりました」ヘレンペインが応えた。 地下室の皆は、アラカン山脈麓のミャンマー国軍地方基地攻撃に集中した。 20数機のドローン自爆攻撃は、基地のミャンマー国軍に甚大な損害を与えていた。ほぼ無力化したところに、200名の地上部隊が基地内に突入している。主要メンバーのヘルメットのカメラが、その映像を捉えている。銃撃戦は散発である。指揮コントロールを失い、国軍兵士の大半が、死傷したか、降伏している。 アラカン山脈のⅭ班から連絡が入った。 「パダウの呪いフォーより。基地を制圧した。武器庫も無事。戦車、戦闘車両を確保。なお、最初の攻撃で国軍の通信施設が破壊された模様」 「パダウの呪いワンより。味方の損害は?」 「パダウの呪いフォー。数名が軽傷。これから戦車、戦闘車両で撤退する」 「パダウの呪いワン。了解」と応えたヘレンペインが大きくため息を漏らした。安堵の。 降伏したミャンマー国軍兵士に戦闘車両と戦車隊員が複数いた。200名の地上攻撃部隊は、大量の武器弾薬を確保し、アラカン山脈へと撤退を始めた。この光景はカメラの映像でも分かった。自爆させず残ったドローンを逃げ道の要所、要所に移動させている。スナイパー要員は、アラカン山脈の拠点の森に身を潜めて待機している。 「捕虜は?」北小路がヘレンペインに訊いた。 「死傷した国軍兵、降伏した兵士を除き、‶足を撃った″はずですわ」ヘレンペインが口の端を緩めて応えた。 「では我々も撤退しなきゃ」十鳥が言った。 「そうですわ」ヘレンペインが応えた。そして、ヘレンペインは親指を突き出した。北小路も十鳥も、そして服部も、グーと親指を立てた。 確かに我々は、ミャンマーの光を見たのだ―― ミャンマーは、その光の中を行くのだ―― (エピローグのエピローグ) 翌日の朝から、案の定、タイ国軍の捜索が開始された。主要道路の検問は昨夜から行われている。 朝10時過ぎ。この別荘にタイ国軍兵士2人がやって来た。軒並みのローラー作戦だった。タイ国軍兵士は、有無を言わせず家に入り、各部屋を見て回った。リビングには北小路、十鳥、服部がいた。 「皆のパスポートを出しなさい」兵士のひとりが英語で告げた。 北小路らは何も言わず、おとなしくパスポートを差し出した。 「あんたたちは日本人か――観光客だな」兵士がタイ語で独り言ちた。そしてヘレンペインを見て告げた。 「あんたもパスポートを出しな」兵士がパスポートを捲った。 「あんたアメリカ人か――観光で来たんだな」 もうひとりの兵士が同僚にタイ語で言った。 「2日前に、バンコクの本部から連絡があったぞ。北なんだかとか、とっとり、とかを監視対象とせよ、と」 パスポートを見た兵士が、再確認した。 「KITAKOUJI? TOTTORI?」声を出して読んだ。 「おい。本部からの指示書にあった名じゃないのか?」もうひとりの兵士が言った。 その時、ヘレンペインが兵士に言った。 「この人たちは、タイの歴史研究者であり、宗教研究者ですわ。私の恩師たちですよ。私たちのことをバンコクのアメリカ大使館に問い合わせしたら?」 タイ兵士たちは互いを見合わせた。 「おい。面倒は御免だぞ」 「そうだな。国軍本部からとは言え、アメリカと日本だからな」 「じゃあ、他を探すとしようぜ」 すかさずヘレンペインが笑みを見せ、兵士たちに訊いた。 「何かあったの?」 英語が話せる兵士がヘレンペインの笑みに引っ掛かった。 「対岸のミャンマーの街で、内乱が……」 「そうなの?」ヘレンペインが笑みを浮かべて言った。 「いやあ~、皆さんには関係ないですよ」兵士が英語で応えた。そして兵士が笑顔で言った。 「この街は、寺院、涅槃像など見どころが沢山ありますから、素敵な旅行を。あの観光ガイドと貸し切り車で――」 (了)
2021年11月14日
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パダウの呪い光あるうちに光の中を歩め(トルストイ)この小説はフィクションである。小説中の団体・企業・個人名は想像の産物であるが、歴史背景等は真実でもある。エピローグ・5 地球温暖化のせいだろう。1月下旬のこの日は、この冬一番の厳寒、朝の外気温がマイナス20℃だった。と言うことは、東南アジアは真反対の熱波が襲っていたのだ。 北小路は書きかけの『ミャンマー近現代史・随想記』を一旦、中止した。2月中旬にシンガポール経由でタイに入り、ミャンマーとの国境の街に行く。その間、タイの歴史学者、宗教学者と会うことになっている。現地で生の近現代の歴史観が聞ける。その取材ネタを持って帰って、最終章を書こうと思った。タイの学者とのセッティングは全て十鳥が手配していた。 だが、北小路の心に邪念が入って来た。書けるじゃないか――ノンフィクション小説が――題名は『パダウの呪い』が良いだろう。ミャンマー国軍との壮絶な戦い。かくしてミャンマーは、歴史上初の「真の民主主義国家」となった、と。恐らく、5年はかかるだろうが……俺が77歳になるなぁ……これが最後の著作となるのかぁ……次に予定している日本の古代史の小説は書けるのだろうか…… 北小路は邪念を払った。そしてシンガポール・タイ行きに必要な事項・持ち込む物などのリストをPCに打ち込んでいった。 一方、赤石と十鳥、ヘレンペインらは、在日ミャンマー人武装組織内部に潜む、ミャンマー国軍のスパイの排除を急いでいた。今後の憂いを消さなきゃ、と。 1月下旬。在日ミャンマー人武装組織の主要なメンバー20人に案内メールを送ることにした。『新型コロナ終息後の高度技能者及び技能実習性、並びに留学生の課題』との名目のセミナーで、札幌の3流ホテルで開催する。主催者は『在日ミャンマー人人権を守る会』(NGO)主催者の赤石弁護士である。これは十鳥が考えた『スパイ摘発』の罠だった。『罠』は実に単純なものである。十鳥らは、スパイは主要メンバーの中にいるのだ、と確信していた。なぜなら、十鳥らの動向を知り得ているのは、主要メンバー20人だったからだ。それと、北海道公安調査局の江戸川局長、頼課長からの情報もあった。怪しき人物は絞られているが…… 赤石は主要メンバー20人のスマホにメールを送った。『日本では新型コロナの終息が近い状況となり、政府は海外からの技能実習生、高度技能者等の受け入れを開始することとなりました。つきましては、在日ミャンマーの方々向けの、今後の課題を提示し、各自の抱える問題点を解決させることをテーマとしたセミナーを開催します――』 そして末尾には強調したゴシック体文字で、『なお、セミナーの費用負担は、各自でお願いいたします。金額は¥300,000円です。欠席・出席はメールで、お願いします。期限は明日の朝9時とします。』と記した。 在日ミャンマー人武装組織の主要なメンバーの15人は、東京・大阪などにいる。旅費を合わせると優に40万はかかる。一般の若い日本人でも同じだが、この金額をセミナーに出せる主要メンバーは、どう調べても皆無である。札幌・北海道にいる主要メンバー5人の身体検査は済んでいるが、念のために20人の枠に入れた。スパイは本州の15人の中にいるはずだ。彼らを対象とした。 メールを20人全員に送った赤石は、申し込みの期限1月25日まで、1日だけとした。24時間が勝負とみたからだ。費用の工面を、他に相談できる時間を与えないのがベストだ。来い! 来い! 時間がかかった『出席』のメールよ!メールを送って5、6分後、事務所の専用PCに次々と『欠席』のメールが入って来た。そして10分が経った時、19人目からメールが届いた。そのどれもが、『費用の工面がつきませんので――欠席します』とあった。残るは、後1人だ! こいつか! 赤石は24時間後の翌朝を待った。 翌朝9時。赤石が事務所に入った。ベテランの女性スタッフ2人が事務所の掃除をしていた。開業した時からのスタッフで、赤石は格別な信頼をおいている。「おはよう。メールを見ましたか?」赤石が言った。「先生。昨日先生が帰ってからは、1通の『出席』メールが入っていました。発進時間は、今朝の8時15分です」「ありがとう」と言って、赤石が専用PCデスクに座り、そのメールを見た。この専用PCのメールは、在日ミャンマー人関係からの発信、受信だけに使っている。 メールアドレスは『彼』のだった。もちろん名前も。「やはり、彼だったのか!」 彼とは、主要メンバーのひとりで東京の国立大の留学生である。点と点をつなげ、予断を持って、彼が怪しいと睨んでいた人物である。目立たなくおとなしい。小遣いを、いつも5、6万円持っていると聞く。金銭に困るような話もない。私費留学生だが、主要メンバーらが言うには、ミャンマーの実家は山地の農家で容易く留学できるとは、思われていないらしい。あるメンバーによると、親戚にミャンマー国軍の幹部がいるとも聞いている。さっそく赤石はスマホで、十鳥に『彼』を知らせた。「やはりそうだったのか。『彼』の尾行監視をさせる。彼がスパイだと確認してから、我々はシンガポール経由でタイに行く」「十鳥さん。じゃあ、これから19人にセミナーの開催を中止したと。私に急な事情あって、と。費用負担の件は、私の間違いで申し訳ない。『次回セミナーがあれば、費用負担の全て。金額ゼロ』と伝えるとしよう」 赤石は19人にメールを送った。そしてふっと息を漏らし、窓外を見た。大通り公園の樹木、その枝の小さな氷柱(つらら)がキラッと光を放った。(続く)
2021年11月08日
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パダウの呪い光あるうちに光の中を歩め(トルストイ)この小説はフィクションである。小説中の団体・企業・個人名は想像の産物であるが、歴史背景等は真実でもある。エピローグ・4 十鳥たちとのキャンプから、2カ月が経った2022年1月3日、北小路はマンションの自宅で東京から来た孫たちと戯れ、楽しくも、何かと落ち着かない正月を過ごしていた。夜10時だった。黒石(赤石)からスマホに連絡が入った。 「急ぎお会いしたい」年賀の挨拶抜きだった。 「了解。いつ? どこで?」北小路が訊いた。 「小樽の朝里のA温泉ホテルの部屋です。4部屋予約を取っています。彼女、北小路さん、彼(十鳥のこと)、私の4人です。1月11日、12日の火水。1泊2日。ご都合は?」 「了解」 「私の部屋で。110号室です」 「了解。110番ですね」 「ではその時。尾行に注意のほど」 いよいよ計画が実行に移る時が来たようだ。北小路はそんな気がした。来週だな。尾行に注意とは――奴らなのかな? いや違うな。公安関係かな? あり得る。PCデスクの椅子に深々と座り、北小路はそう思った。 孫たちを新千歳空港で見送ると、北小路の正月は終わった。道央道高速にのって帰路の車を運転しながら、ICレコーダーに書きかけの『近現代史・随想記』の続きの言の葉を吹き込んでいた。いつものように。 「歴史は繰り返す……その意味は……人間、人間社会、その集合体であるクニ、クニの統治者たちは……何度も過ちを犯す……ということである」ここでペットボトルの水を飲む。目線が自然とバックミラーにいった。後ろ80mに白いセダンがいた。 北小路が運転する車は『戦車』という名の980ccコンパクトカー。彼は12年前まで散々事故を起こし、車の大破とその対価である免停・罰金を嫌というほど支払っていた。車の大破は雪道でのことで、自損事故だったが。昨年の冬だった。雪道で横滑りし、除雪した雪壁にぶつけ車の前部が著しく損傷。自損事故だった。それで買い替えた車、T社製(D社製と言うべきか)『戦車』にした。正直に書くと、ソロで使用することがほとんどの北小路は軽自動車でもよかったが、彼はもっぱら高速道路にのる。一般道よりも安全性が高いと考えているからだ。軽自動車はきつそう。それで980ccのコンパクトカー、衝突防止装置、車線はみ出し警戒音が鳴る車とした。盗難防止装置もついていた。ドライブレコーダーも。 北小路は左車線を走行している。後ろのセダン車は80mの車間を保ちついている。千歳付近から恵庭に入った。前方に空港間バスがいる。速度を落とし、バスの後ろにつく。後ろのセダン車が急接近してきた。車間距離が20mほどになった時、バックミラーに運転手と助手席の男が見えた。サラリーマン風の男たちだった。ICレコーダーにナンバーを読みこんだ。「札幌ま〇〇○○」 北小路はバスの横、右車線に移動し追い越した。そして再び左車線に戻る。バスとの車間を一気にあけた。セダン車はついて来ていない。15分ほど走ると北広島出口手前に来た。バックミラーを見た。80m後ろに黒のセダン車がついていた。北小路は北広島出口へと左車線に入って行った。料金所に近づいた。速度を落としていく。後ろに黒のセダン車が80mを保ちついていた。北小路は料金所のゲート、自動のバーは上がったが、車を停めた。後ろの車も80mの車間を保ち停まった。それを確認した北小路は、『戦車』を急発進させた。150m走ると国道36号に出る。そこで信号待ちとなった。バックミラーを見ると、後ろの車は80mの車間のまま停まった。車のナンバーが辛うじて読めた。北小路はICレコーダーに記録した。「札幌ふ〇〇○○」 国道36号に出て札幌方面を自宅マンションへと走った。数度、バックミラーを見たが、黒のセダン車はいなかった。北小路は警戒を緩め、8分走ってマンションの駐車場、所定のスペースに車を入れた。ダッシュボードからキャンプ用のライトを取り出した北小路は、車から降りると凍ったアスファルトに寝そべった。車の底部に照明を当てていく。底部の高さは25cmほどだから、運転席側から前部へと一周していった。後ろを確認した。だが、底部には何も見つからなかった。追跡装置はなかった。そう確認した彼は、トランクを跳ね上げた。空港で買った――空港でしか売っていないと思える――北海道の珍品『めふん』(鮭の血合いの塩辛)の袋を取り出し、トランクを降ろした。その時、背丈と同じ高さの屋根に目が行った。 厚さ0.5cm、直径5cmほどの円形で、車の色と同色の物が見えた。剥がして見ると追跡装置だった! やはり! 北小路は隣の車の屋根にふっつけた。罪悪感はあったが。魔が刺したというべき行為だった。後で後悔することになった。隣の車は北小路の『戦車』とよく似ていた。しかもナンバーが『札幌は71○○』で、『札幌は』が同じ。しかも数字も前後しているが、何となく同じような。例えば――『1・7・1・4』の数字が配列を変えているような感じである。 この日の夕方だった。北小路がデスク横のTVを流し観ていたら、ニュースで札幌市内の交通事故の映像が出て、アナウンサーが告げている。 『手稲区の道道の交差点で、乗用車とトラックが衝突事故があり、原因を道警は調査中。乗用車を運転していた山場明さん、62歳が救急車で搬送されました。命には別条がないとのことです』 映像を観ると、山場さんの車前部がぐちゃぐちゃになっていた。山場明さん。62歳。彼は隣の車の所有者だった。 これはただの事故じゃない! クソ! シマッタ! 北小路は自戒の念を込め吐いた。命に別条がなかったことが、唯一の救いだが…… 北小路はスマホを握って自室を飛び出し、駐車場に行った。隣の車は無かった。一瞬時、躊躇(ためら)ったがスマホで赤石にかけた。呼び出し音が3回鳴った時、赤石が出た。 「黒石さん。今さっきニュースで、手稲山麓の道道(県道と同じ)でトラックと山場さんが乗った衝突事故を観た。相手のトラック運転手を調べてくれ。他にナンバー2つを教えたい。楽天(ブログのこと)で買い物(ブログをアップ)する」北小路が早口で言った。携帯の盗聴を念頭に置いていたからだが、もし盗聴されていたら意味がない、とは分かっていたが。 「了解。2つも了解」 自室に戻った北小路は、急ぎ楽天ブログ『ソクラテスの妻用事』に記事文をアップさせた。 タイトルは『野党共闘は間違っていない!』とし、記事文は―― 『札幌ま○〇でなく、○○でもなく、気温は8℃と寒い。札幌ふ〇〇でもなく○○でもなく、野党共闘は間違いではなかったのだ! ただ世相がエンタメ化し、野党代表のリーダーにも、論理的話法でない極論的話法、扇動的表現が求められるような気がしている。言葉もさることながら、昔のヒトラー、昨年のトランプのような劇画チックな映りである。演説内容も同じで、身振り手振り、足腰をくねらせ見せる。そして演説内容に過激な攻撃的フレーズを繰り返し使うのだ。つまり、エンタメ性が野党代表らに求められ。攻撃的でありながらも、日本人と日本国の優越さを強調すればするほど、有権者は歓喜し酔うのだ。いずれにせよ、今回の総選挙の投票率が、戦後3番目の低さだった。これは「今の日本の国力と民力の劣化度」を示している、と言わざるを得ない。 これはあくまでも、いつもの極論の記述である。』 ブログアップして30分後、書き込みコメントがあった。『○○のおじさん』からだ。『こんばんは。拝読しましたが、何を言わんとしているのか分かりません。』 北小路は『こんばんは』が『了解した』と汲み取った。 夜9時過ぎ、再度、北小路は駐車場に行ったが、山場さんの車は無かった。 夜空を仰ぎ見た。くっきりとした星空は見えない市街地だが、3時の方向に小さく光る星があった。あれも光だ! 1月11日昼近くに、北小路は自宅を出た。外気温はマイナス5℃。雪が静かに舞い降りていた。彼は300mほど走り、大型スーパーの東側大駐車場に車を入れた。バックミラー見る。尾行の気配はない。車を発進させ、建物の地下駐車場に入る。5分ほど様子を覗ったが、尾行車はいなかった。車を地下駐車場の反対西出口から外に出て、札幌南インター入り口へと向かった。 小樽の朝里までは45分である。北小路は時々バックミラーを見るが、尾行車らしき車はない。フロントガラスには大粒の雪がふっつく。高速道路面は白いが凍ってはいない。スタッドレスが滑ることなく薄い圧雪を掴まえている。トンネルをくぐるとそこは雪国と言いたかったが、どこも同じように雪景色である。小樽の朝里も。朝里インターを降り右折すると、数キロ走って朝里温泉に着いた。 正月明けの平日のせいか、フロント前のロビーには誰もいなかった。北小路は1F奥の110号室のドアを3回ノックすると、赤石が顔を覗かせた。 部屋の中には、十鳥、ヘインペインがソファに座っていた。北小路が皆に挨拶し、端の椅子に座った。 「十鳥さん。この部屋は安全?」北小路が訊いた。 「私の元部下の服部が盗聴、盗撮の専門でね。先ほどまで徹底的に調べ、OKでした」 「では、あの交通事故と2つのナンバーの車は?」北小路が訊いた。 「先ず、ナンバーの車は、『内閣情報室』の対外防諜要員たちでしたよ」 「私に『内閣情報室』の対外防諜要員が尾行監視?」 「いや、我々にも目をつけ始めたよ」十鳥が応えた。 「交通事故は?」北小路が訊いた。 「道警内部からの極秘情報だと、付近の防犯カメラに、あの2つのナンバーの車が待機していて、トラックが被害者の車を停めにかかったが、トラックがスリップしての事故。つまり、北小路さんと間違って尾行し拘束しようとしたものと。だが、疑問があるのですよ。どうして間違ったのか?」十鳥が北小路の顔を見た。 「実は、私の車に追跡装置が車の屋根にあったのです。それを隣の車、山場さんの車の屋根に移しちゃったのです。山場さんには悪いことをしました」 「やはりそうでしたか。被害者は病院で検査し、どこも異常がなかったそうです。翌日、退院しました。被害者と車の補償は、『内閣情報室』絡みなので、たっぷりと出るはずですよ」 それを聞いた北小路は、胸をなでおろした表情を見せた。そして十鳥に訊いた。 「なぜ内調の対外諜報要員が登場して来たんです?」 「それが我々の今日のテーマの一つです。話は長くなります」と十鳥が応えた。 話はこうだ! ミャンマー国軍の対内秘密情報機関のスパイが、在日ミャンマー人の中にいて、それも「在日の反国軍武装組織」の中にいるものと考えている。日本の現政権は、長年、ミャンマー国軍と太いパイプがあり、ちちろん利権。どうもミャンマー国軍が内閣官房を動かしたようだ。内閣官房は、公安調査庁に「山根ファイル」の奪取を指示したが、北海道公安調査局が思うように動かず。しかも、北海道公安調査局が奪取したと言って、「山根ファイル」を内調に渡したが、不審な点――反国軍武装組織に関する書類など――が無さ過ぎたファイルだったので、ミャンマー国軍の要請もあり、疑わしい関係者を拘束して裏をとりたいと考え、尾行追跡を始めたのだ。 北海道公安調査局から提出された「山根ファイル」は、十鳥が友人で後輩の江戸川局長と『捏造』したものである。 そして十鳥が言った。 「あの交通事故で、内調の諜報部門の動きは穏やかになるはずだ。さあ、これからが本題に入る」 ヘインペインが東南アジアの地図をテーブルに広げて言った。 「ドローン1万機は、米国サンフランシスコの友人の貿易会社が、昨年から月500機づつ仕入れています。北小路さんの提案計画書の以前からです。それは十鳥さんから同じ提案がありましたので。ドローン1万機はインドのダミー会社へ海路で売却しています。ただし、ミャンマー沖を通過する時に『ドローン』を海上で反国軍協力者の漁船数隻に移し、ミャンマーのアラカン山脈山麓に近い港町ダウ郊外に運んでいます。武器弾薬、Ⅽ4プラスチック爆薬は、別な理解者が武器の闇市場で仕入れ、メキシコから同じ海路で――そしてミャンマーのダウ近郊の隠れ家に運び、少しづつアラカン山脈の隠れ家に運んでいます。このルートしかあり得ません。タイは軍政でミャンマー国軍の理解者ですので、タイ経由は危険で無理ですのでカレン民族同盟に行けません。少数ですがアラカン山脈の南側は、ロヒンガンのアラカン・ロヒンガン救世軍が反国軍抵抗活動しています」 十鳥が補足した。 「別な理解者とは、米国の情報謀略機関CIAのエージェントのことです。当然、CIA本部の理解があってのことです。アラカン・ロヒンガン救世軍は、公安調査庁がテロ組織と認定しています。しかし、日本にはロヒンガン難民はいませんので、在日ミャンマー人反国軍武装組織には影響はないですね」 北小路が質問した。 「在日ミャンマー人の反国軍武装組織メンバーは、どうやってミャンマーに帰国するんです?」 「北小路さん。そこが大きな問題です。千人が一気に母国に戻るのは、危険ですね」十鳥が応えた。 「主要なメンバー20人程度は、シンガポールから船で密かにミャンマーのアラカン山脈側から潜入は出来ます」ヘインペインが応えた。 「980人は、今月から帰国ですね。半年かけて、少しづつ」赤石が応えた。 十鳥が意を決して言った。 「北小路さんよ。私と服部の3人でシンガポール観光に行きましょうよ。正確には、北小路さんは服部と一緒に。私は単身で行きます。空港でミャンマー人のメンバーが待っていますが?」 北小路は四の五言わず、応えた。 「行きましょう」 すかさず十鳥が北小路に訊いた。 「シンガポールで何をするのか、質問がありませんね」 北小路も即座に応えた。 「タブレットでしょう」 これには十鳥も驚いた。そして詳細に触れた。 「そうなんです。シンガポールからタイに行き、ミャンマーとの国境にあるドーナ山脈麓のタイ国境の街に行きます。そこでタブレットでドローン自爆攻撃を確認するのです。タブレットはタイ人協力者が用意しています」 北小路が訊いた。 「ドローン自爆攻撃の対象は、ラングーンにあるミャンマー国軍の拠点ですね?」 「そうです」十鳥が応えた。 また北小路が訊いた。 「スナイパー部隊は、アラカン山脈付近でミャンマー国軍の小隊、中隊をゲリラ的に狙う、そうでしょう?」 十鳥が応えた。 「その通りです。ラングーンでの戦いが順調にいけば、ラングーン以北の各民族武装組織が動きやすくなります。そこが狙いです。一点突破です」 「大いに納得しました」北小路が頷いた。 ヘインペインが目を細めてほほ笑んだ。 「お陰で、私たちに光が見え始めました。皆さんは、本当の義勇兵、救世軍ですわ。感謝しかないです」 110号室の内線が鳴った。別の部屋にいる服部からの連絡だった。夕食ですよ。安全を確認した、と。 「別々になるが、レストランで夕食としよう」十鳥が皆に告げた。(続く) *なお、マスク使用について書いていません。また、ワードで書き、コピペして掲載しています。掲載時、段落、改行がままならず。誤字脱字はご容赦の程。書下ろしなので、最低限の推敲しかしていません。その点もご理解のほど。
2021年11月07日
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パダウの呪い光あるうちに光の中を歩め(トルストイ)この小説はフィクションである。小説中の団体・企業・個人名は想像の産物であるが、歴史背景等は真実でもある。エピローグ・3 翌朝8時過ぎ、車3台が15分ほどの間隔をとってキャンプ場を出て行った。集合地点は南に20分ほど行った河川の堤防である。車一台が通れる堤防道。通る車はない。少し靄っているが、風もなくドローンを飛ばすには最適だった。 「北小路さんは、このモニターを見ていてください。ドローンの目線で映りますよ」十鳥がタブレットを渡した。Ⅿ4人が、アタッシュケース4個からドローンを取り出した。 ほどなくドローン4機が宙に浮くなり、河川の中央部、高さ3ⅿを維持して南へと飛ぶ。北小路のタブレットに4分割でその映像――ドローンの目線で前方が映っている。 「十鳥さん。起爆はどうやって?」 「リモートスイッチを押すと、起爆装置が瞬時に機能し、赤い煙を噴出しますよ。それで爆薬5㎏が自爆したことになります。タブレットにその赤い煙が見えます」 「起爆装置は本物ですか?」 「本物です」 ドローン4機が縦列になり、南へと飛んでいる。 「今、何ⅿ進んでいるんですか?」北小路が訊いた。 「タブレットの画面下、4分割の画像下に数字が出ています。それが今の距離です」十鳥もタブレットを手に持ち、画面を見つつ応えた。数字は増えていく。 ドローン4機を操縦しているのは、Ⅿの4人である。 十鳥の部下・服部が言った。 「距離は500ⅿ。バッテリーの消耗は、20%。速度20㎞」 「ドローンにステルス材を塗っています。ほぼレーダーでの捕捉は無理でしょう」十鳥が付け加えた。 4分割の画像下の数字が1㎞を越えた。 「十鳥さん。M国軍側のジャミング(電波妨害)には?」北小路が訊いた。 「それが課題でしたが、Ⅿの彼らが一応、解決させました。ジャミングを潜り抜けるようにと。それに半年かかりました。驚くことに、彼らはM国軍の通信網へのジャミング専用ドローン機も作りましたよ。改良して」 「爆薬は?」北小路が、訊いた。 「M国軍でも爆薬材はⅭ4プラスチック爆薬。周辺国で手に入るのもⅭ4です。起爆装置の無い状態では、Ⅽ4は爆発しませんので。Ⅽ4プラスチック爆薬5㎏だと、家4件が吹っ飛びます。多分」 北小路は十鳥が爆薬にも詳しいことに驚いた。 「では、Ⅽ4プラスチック爆薬のドローン自爆攻撃の威力は、相当なものですね?」 「北小路さんの計画案を満足させるものです。これでMの自爆ベルト犠牲者を0に出来ます。あのファイルにある自爆要員計画案は破棄しましたよ。人間自爆攻撃自体が非人道的発想ですからね」 タブレット画像の距離数値が2㎞を越えていた。 「距離2㎞突破。バッテリー消耗は35%」服部が告げた。 「服部君。ドローンは何㎞まで行けるかな?」十鳥が訊いた。 「約8㎞。目標物を探す分がありますので8㎞でしょう。ドローンを戻すには、5㎞くらいでしょうか」 「よし。4㎞行ったら、目標物を探す距離・時間を使い、そこで起爆してくれ」 北小路がタブレット画面の距離数字を見ていた。ドローン4機が1ⅿ間隔で、縦列で飛んでいる。川の上の靄がなかった。後300ⅿで4㎞。60秒が過ぎた。 十鳥が命じた。 「起爆だ!」 北小路はタブレットの画像を見た! 先頭の1機の下部から赤い煙が出た。その数秒後、次々と赤い煙が噴射していく。 「北小路さん。見ましたか? 自爆したでしょう?」 「見事に自爆しましたね。十鳥さん。よくぞ改良したもんだ。ところでこのドローン1機の価格は?」 「通販で1機が送料込みで5万4千円でした。中国製です。改良費は千円。人件費が1機5千円、彼らの飯代です。それと起爆装置は、手作りです。その部品代、秋葉原で購入して1機3千円。1機当たり約6万円でした」 「1万機だと、なんだかんだで、爆薬Ⅽ4を含めると約6億円と4億円の、10億円以上ですね?」 「北小路さん。彼女(ヘレンペインのこと)からOK貰いましたよ。資金は十分に確保されています。それに我々が現地に行き、数カ月滞在する費用なども用意されていますよ」 ドローン4機が戻り、着地した。M4人が素早くアタッシュケースに収納した。 「十鳥さん。十分納得しました。次は雨中でしたね」北小路が訊くと、 「先ず、ご期待に応えられて良かった。雨は午後ですから、キャンプ場に戻りましょう。熱い珈琲が飲みたい」そう十鳥が応えた。 北小路らがキャンプ場にタイムラグを置き戻った。キャンプ場には、新たなキャンパーの車はなかった。北小路も警戒心を解く。車から降りて空を見ると、西から濃灰色の雲が東へと向かって流れていた。冷たい雨雲だった。北小路は急ぎ簡易ガスコンロを点け、湯を沸かす。5、6分でケトルが音を立てた。いつもの挽いたフレンチ2人分を淹れた。マグカップは1個しかない。北小路が向かいのテントに視線を送ると、黒いダウンジャケットを着込んだ十鳥が中から這い出て来た。 「いやあ、珈琲の匂いがしましたよ」十鳥の手にマグカップが握られていた。 「淹れたてのフレンチですが」北小路は、クーラーボックスに座った十鳥のマグカップに注ぐ。 「キャンプではフレンチが好きだ」そう言って十鳥が珈琲を啜った。湯気で十鳥の眼鏡が曇る。また啜る。 「これぞ、至福の一杯だね。美味い」 2人が珈琲を飲み終えると同時に、ハットに雨粒がポトポトと落ちてきた。2人が空を見た。真上には雨雲はなかったが、空の2時方向に雨雲が来ていた。2人は顔を見合わせ、頷いた。雨中実験に行きましょう! 堤防に着くと、本格的な雨が落ちてきた。氷雨だ。 慌ただしくドローン4機を飛ばした。その結論を言う。雨中でもドローン4機は高さ3ⅿを維持しつつ4㎞を飛んでいたが、バッテリーの消耗度は半減していた。起爆は可能だった。十鳥たちは防水着の上下で身を包んでいるが、氷雨には敵わなかった。が、M国の雨は氷雨ではない!「上手くいった。北小路さんよ」体を震わせ十鳥が言った。 3日目の朝は晴天だった。北小路は陽が昇る前、5時半に起き、焚き火に火を点けた。十鳥らのテントに動きは無かった。ヒグマを誘い出すには珈琲しかない。いつものように簡易ガスコンロで湯を沸かし、珈琲を淹れ始めた。十鳥のテントの入り口が開き、大きな黒い物体が出てきた。 「おはよう。北小路さんは遅寝早起きだなぁ。それにしても良い匂いだ」十鳥がマグカップを持っていた。 「おはよう。十鳥さん。お待ちしていましたよ」 十鳥がクーラーボックスに腰を下ろし、マグカップを差し出した。 「私のキャンプは今日で終わりだ。今日の課題、スナイパー試験が残っているが、前祝の乾杯だ」 北小路と十鳥はマグカップを軽くぶつけた。 「9時に我々のM4人が常緑樹の林に入る。互いにスコープで狙いを探す。北小路さんがカモフラージュした4人を見つけてほしい。見つけたら右手を上げてくれ」と言って、十鳥が珈琲を啜った。 「了解。スコープは本物ですが、何倍?」北小路が訊いた。 「今回持ってきたのは、50倍。一般的な狩猟用のスコープです。聞くには、800ⅿ先の人の顔が見える、とか。通販で3万円の代物ですが、服部が言うにはそれで充分と」 「暗視スコープ、防弾ベストも手に入りますか?」北小路が訊いた。 「スナイパー部隊の千人分は手に入るそうですよ」十鳥が応えた。 「じゃあ、先ずはそれで……残りはⅯ国軍から奪う……それしかない。それとⅯ国軍にもスナイパー部隊がいますので、索敵監視スコープも必要ですね」 「そうです。ドローン自爆攻撃でⅯ国軍司令部を混乱させ て、それと軌を一にして地方のⅯ国軍部隊基地攻撃。狙いは弾薬庫。そして彼らの装備を奪取。それと通信施設、戦闘指揮幹部ですね? Ⅿ国軍のスナイパーを見つける要員を100人。これらは北小路さんの計画案どおりですよ」 「十鳥さん。計画案に載せなかったことが――捕まえ、降参したⅯ国軍兵士の取り扱いですが、捕虜は邪魔ですので」そう言い出した時、十鳥が口を挟んだ。 「こう言いたいのでしょう。反国軍武装兵士になるなら生かす。ならないなら、殺さず、足を撃つ。そうでしょう?」 「十鳥さん。何で分かったの?」 「だってね。北小路さんの計画案の行間にそう書いてあったからですよ」 「なるほど。十鳥さんと馬が合う」 「私は馬を所有していませんよ」 思わず2人は笑った。十鳥のマグカップから珈琲が漏れ、足に零れた。あちっち、と十鳥が唸った。 10時過ぎ、テントをたたみ3台の車が、時間差をつくりながら、キャンプ場を後にした。 スナイパー試験が、キャンプ場から1㎞行った所で行った。結果が出た。緑色のカモフラージュ着で隠れている4人を見つけるのに、北小路は20分かかった。スコープの性能は確かだった。そしてカモフラージュの効果はてき面だった。北小路はスナイパーを見つける度に、手を上げた。レンズの向こうでも手を上げ返した。 これで実験は終わった。計画通りだった、と北小路は呟いた。光が微かだが見えはじめたのだ。(続く)
2021年11月04日
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パダウの呪い光あるうちに光の中を歩め(トルストイ)この小説はフィクションである。小説中の団体・企業・個人名は想像の産物であるが、歴史背景等は真実でもある。(エピローグ・2) できるだけ目立たないキャンプ場が、千歳市郊外のここだった。緩やかな丘陵地帯全体が畑地になっていて、国道から随分と奥に入った場所である。すんなりと行けるところでもない。目印の看板がないからだ。私道のような狭い道路を数百mほど登って行くと、こじんまりとし、農家が急ごしらえでキャンプ場にしたと思われるところである。北小路はYou Tubeで、ここの『厳冬期のキャンプ場』を知った。マイナス20℃のキャンプ。昨年、彼は「ジジソロキャンプ」で酷寒の洗礼を浴びた。簡易ガスボンベは凍って使えないことを初めて知った。冷凍庫の中のような、まさに身を切る体験だったが、朝光に輝く雪原は、神々しくもあり格別なものがあった。 集合するにはここが良いだろう、と北小路は決めたのだ。 水曜日。北小路はこのキャンプ場に昼過ぎに着いた。晩秋だったからか、キャンプスペースには2張りのテントが距離を取り、焚き火をしていた。予約していた3張り分のスペースは、北小路のテント隣と前だった。 車を付け、テントを設置し終え、珈琲を飲んでいた時2台の車がやって来た。そして北小路の車の前後で停まった。 初老の男が降りて、北小路に言った。 「黒石さんの友人ですが」これは合言葉でもあった。 北小路が応えた。 「私も黒石さんの友人ですよ」 初老の男が軽く頭を下げて、北小路に挨拶した。 「訓練はここですね」 「ここです」北小路が応えると、初老の男が車内にいる男たちに手で合図した。 彼らは手際よかった。本格的なキャンパーだった。テントの設置などは20分で終えた。初老の男を除いて、てきぱきとした無駄のない動き。それを簡易椅子で北小路は観察していた。そこに初老の男が来て、北小路の隣にあったクーラーボックスに座りなり挨拶した。 「私は黒石、いや赤石の友人で、十鳥良平(とっとりりょうへい)と言います。よろしく」 北小路は彼をどこかで聞いたことがあった。もしかしたら―― 「十鳥さんは、札幌の私立大学法学部の教授でしたよね?」 「おっ、ご存知でしたか。無名の私を。今は退職し弁護士業を生業にしていますよ」 「十鳥さんは、確か、内調(内閣情報調査室)から検事正となり、そして法学部教授になられたと聞いていましたが?」十鳥は‶内調″の二文字が出たことに驚いた。表向き、一般人には‶内調″人事は秘密になっているからだ。 「北小路さんは、どこでそれを知ったのかな?」 「以前、北方四島墓参の‶エゾッソ号事件″を調べたことがありましてね。その事件の解決で、陰の中心人物だった、とある知人から聞いたことがありましたよ」 またしても十鳥は、北小路から出た‶エゾッソ号事件の影の中心人物″には、驚きが倍になっていた。何だ! この男・北小路は! (前作『海峡の呪い』で登場した人物・十鳥良平である) 「そうでしたか。北小路さんには隠すことが出来そうにないなあ。その話は遠くに置くとして、さてこれからだが」 北小路は十鳥に好意を感じた。実に率直な男だ! 「Mのメンバーは?」Mは在日ミャンマー人武装メンバーの隠語である。 「Mは4人です。皆、主要なメンバーですよ。それに、私と私のかつての部下・服部の6人です」 「十鳥さん。皆さんはキャンプ慣れしていますね?」 「こんなこともあろうかと、服部を中心としてMメンバーと、コロナ下の今年3月から8回ほどキャンプしていましたよ」 「それは驚きですよ。3月と言うと、ミャンマー国軍のクーデターがあった翌月から、準備にかかったことになりますね?」 「そうなりますね。北小路さんの考える通りです。ミャンマーの民主化を拒むミャンマー国軍に対し、国際社会、とりわけ日本政府は、まったく手が出せないでいるし、関与する気もない。北小路さんの計画案にありましたが、非武装の国民に素手で戦えというような‶内政干渉不可侵″、それが私たちにも許し難いのですよ。人権と自由は、国境を越えて存在する人類の固有の権利です。今からの時代は、そうあらねばなりません。本質的には、大英帝国・帝国日本の責任は重いものがありますからね。と言う訳で、北小路さんの『計画案』にもろ手を挙げて賛同しています」十鳥はズバリ切り込んで言った。 焚き火に薪をくべると、北小路が訊いた。 「諸手を挙げて? どこまでですかね?」 「北小路さん。正直に申し上げますが、100%です。今回のキャンプ、2泊3日でそれを試しますよ」 「試す?」北小路が十鳥の顔を見た。 「ドローン4機の実験とエアライフル銃モデルガン4丁での実験をお見せしますよ」 十鳥が言うには、ドローンの実験は、自爆爆薬5kgを抱かせて何キロまで飛ばせるか。夜間。模造プラモデルだが、スコープは本物。捕捉可能な距離の確認。それとスナイパーとして、如何に茂みに潜むことが出来るか。これらの実験をすると言う。 北小路は用意周到な十鳥に敬意の感情が湧いてきた。ここまで出来る人物は他にいるだろうか―― 「十鳥さん。Mの多宗教指導者たちの結集については?」 「仏教指導者を中心とした、イスラム教・基督教指導者のM国軍抵抗運動体結成は、北小路さんの計画案にある通り、絶対条件ですね。そちらの方は、北小路さんが相応しいのかな?」 「私が?」思わず北小路が言う。 「我々もお手伝いしますよ。北小路さんが、東南アジア宗教研究者になるんですよ。すでに協力者がいますのでね。タイとMの宗教研究の学者です。頼りになりますよ」 「Mですか?」 「日本人です。現在、タイにいますよ。彼は研究調査で、何度もM国各地に行って、宗教指導者たちに会っています。このことの詳細は、後日お知らせします」 「十鳥さん。今日はソロっと過ごしたい」北小路は十鳥のスピード感に戸惑い、今一度、頭を冷やして思慮したかった。それを察した十鳥が言った。 「北小路さん。ソロっとね。私もソロっと休むことにする。明日からが大変ですからね」 北小路が空を見上げた。陽光が薄い雲に遮られていた。風は無風に近かったが、気温は徐々に下がっていた。 「十鳥さん。これまでのキャンプはどちらで?」 「北海道内の民間キャンプ場です。コロナ緊急事態宣言下で公設キャンプ場は閉鎖していましたし、目立たない民間のキャンプ場でした。ここのキャンプ場のように」 「そうでしたか。3月からキャンプですから、寒さには大丈夫ですね?」 「M4人も、今は防寒装備が良いですから、何とかここまでキャンプをやれました」 北小路はふと気づいた。 「ドローンの改良とかは?」 「MのIT技術者、プログラマー2名、2人は留学生でしたが、優秀です。5月のキャンプで改良を終え、数回のキャンプで実験しています。明日は北小路さんに、ドローンの改良成果を確認してもらいたいのです」 「明日は午後から雨模様ですね」と北小路が言葉を返すと、 「雨模様の実験が初めて出来ますので、好都合です」十鳥が言った。 実験と言っても、危険物はすべてデプリカであり、ドローン規制のかからない場所、高さでのことである。それにしても十鳥という人物は見かけと違い、ずば抜けた行動力、そして緻密かつ明晰な頭脳の持ち主だ! 北小路はそう心の裡で呟いた。 「十鳥さん。明日、楽しみにしていますよ。これからソロになりますよ。明日は寒そうですよ」北小路が言うと、十鳥は椅子から重い腰を上げた。 「羽毛にくるまって一夜をすごすよ。じゃあ明日、お会いしましょう。北小路さん」(続く)
2021年11月03日
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パダウの呪い光あるうちに光の中を歩め(トルストイ)この小説はフィクションである。小説中の団体・企業・個人名は想像の産物であるが、歴史背景等は真実でもある。(エピローグ) 早朝5時に起きた北小路が、TVでニュースを観た。 今年4月のASEAN会議で、ミャンマー国軍総司令官と合意した『5項目』をミャンマー国軍が履行しないとの理由で、今回のASEAN会議の出席を認めなかった。 それに対しミャンマー国軍アカン総司令官は、『挙国一致政府(NUG)』の武装祖組織『国民防衛隊』の拠点となっているチン州、カレン州への攻撃を開始した。事態は緊迫。そう伝えていた。 北小路はヘレンペインと赤石の動きが気になった。在日ミャンマー人の武装組織化と武器調達が首尾よく進んでいるのか? 北小路には、ある方策があった。それは在日ミャンマー人武装組織の最低限の訓練方法だった。安易にスマホで赤石に連絡はできない。『ソクラテスの妻用事』の書き込みコメント暗号を使うしかない。 この日の夜9時。北小路が自身のブログを見ると、○○おじさんから暗号コメントが入っていた。以心伝心か―― 北小路は暗号を解読すると、『至急相談したい』となった。返事のコメントを書いた。 『いつもありがとうございます。感謝!』感謝! は、了解した、との意味である。 棚の電波時計が真夜中の0時となった時、赤石から別人名:黒石ゆたか:でスマホに連絡があった。 「いやあ~黒石さん。来週水曜日に千歳郊外の○○キャンプ場に行く予定。予約は3張り分とってある。皆で焚き火とキャンプ料理を使用じゃないか。初冬の寒いキャンㇷ゚好きがいれば、大歓迎だよ。料理の仕方を教えたいものです」 「そうですか。ではキャンプ好き6人に声をかけますよ。手ぶらで良いのかな?」 「食料少しだけで良いですよ。黒石さんは来るのかな?」 「私は東京での所用で行けません。黒石から聞いたと言いますよ。○○キャンプ場ですね」 「じゃあ、待っていますよ。楽しみだな。私はいつもジジソロキャンプなのでね。ところで黒石さんの用件は?」 「私の友人も歳甲斐もなくキャンプが好きでね。彼の面倒をよろしく頼みますよ」 「よく面倒を見ますよ。黒石さん」 「よろしくお願いいたします」 赤石が切ると、北小路はスマホの電話履歴を消去した。 『大東亜旭日の会』の鬼頭会長が、東京地検の検事執務室で取り調べられていた。暴行・傷害・恐喝・贈収賄容疑である。 「鬼頭さん。容疑のすべてを認めますね?」中年のエリート臭をプンプンさせている担当検事が訊いた。こういう手合いは、鬼頭のカモだった。 「検事さんよ。わしはだね。あの北小路に滅多打ちにされ、今でも目に障害があるんだぜ。過剰防衛だよ。どうかね、検事さんよ」鬼頭が逆に訊いた。 「あれは明確に正当防衛です。2人で襲ったのですよ。鬼頭さん、あなたは贈収賄の件を認めますね?」 「検事さんよ。わしが誰に贈賄したんだ?」 「矢場井 明(やばいあきら)衆議院議員ら2人への斡旋料を支払っていますよ。各500万円を議員宿舎で手渡ししています。議員秘書が認めていますよ。それに鬼頭さんのPCに、その形跡が残っていましたよ」 「検事さんよ。その金はね。政治献金だよ。長年の付き合いで、今度の総選挙資金の一助としてね。それで2人は当選したじゃないか。2人の先生は、官邸に入ることになっているそうだね? 検事さんよ」鬼頭は声を大きくした。検事の顔が少し歪んだ。 検事の表情を読み取った鬼頭が、すかさず言った。 「なあ、検事さんよ。司法取引といこうじゃないか」 「どんな条件ですか? 鬼頭さん」検事の表情が緩んだ。官邸が絡む、こういう事案は何かと面倒だ。出世に響く。横で記録を取っている男性の事務スタッフに命じた。 「これからの会話は、記録しないでくれ」 事務スタッフが大きく頷いた。それを見て、鬼頭が話し出した。 「実はね、検事さんよ。自殺した山根が持っていたファイルには、在日ミャンマー人らの不穏な計画が書いてあったんだよ」 「鬼頭さん。ファイルに不穏って?」検事が‶ファイル”に反応した。財務省がひた隠している‶ファイル″、その開示請求訴訟が、検事仲間では悪夢となっているからだ。関わりたくない! 「それはね。山根から直接聞いたものでね。在日ミャンマー人たちが、この平和な日本国内で武装組織をつくり、銃・弾薬などを調達しようとしているんだよ。どうだね、検事さんよ。このことが国会で取り上げられたら、政権にとっても一大事じゃないのかな」 検事の表情に戸惑いが出ている。やはり‶ファイル″なのか――やばいなぁ。 「なっ、検事さんよ。折り合いをつけた方が良いぞ」鬼頭が睨みを利かせた。 検事は天井を見上げ、一呼吸付いた。 「鬼頭さん。今日の取り調べは、これで終わります。司法取引については、明日、その判断の結果を伝えます」 「どうせ、上司に伺いを立てるのだろうよ。まっ、明日、聞くとしよう。なっ、検事さんよ」 北海道公安調査局。江戸川局長のデスク上で電話が鳴った。本庁の長官からだった。 「江戸川君。鬼頭のことだが、起訴猶予になった。ところで、自殺した山根という男が持っていたファイルはどうなった?」 「長官。鬼頭が起訴猶予ですか?」江戸川にとって、予想外だった。 「仕方のないことだよ。ところでファイルは?」 長官がファイルの存在を知るはずはない。起訴猶予とファイルに何らかの関係があるのだろう。江戸川はそう思った。だが、江戸川にもファイルのことは知る由もない。 「長官。山根が持っていたファイルって? 私は知りませんが」 「江戸川君。確かに山根はファイルを持っていたそうだ。そのファイルに在日ミャンマー人たちのことを書いた重要な文書があるそうだ。これは検察庁上部からの情報だがね。そのファイルを至急、見つけてくれ。命令だ」 「長官。そのファイルに何があるのか教えていただきませんか?」 「検察庁によるとだね。在日ミャンマー人らの武装組織と武器調達などの物騒極まる内容が書いてあるそうだ。それが真実だと、政権にとって極めて難しい問題を抱えてしまいかねないそうだ。江戸川君。分かるね」 「長官。分かりました」江戸川は、『大東亜旭日の会』の輩が山根を襲った理由を知っていた。捕まえた奴らが自白していたからだ。山根からファイルを奪うと――そのファイルは、先輩の赤石弁護士に渡っていたこともだが。 江戸川は奥の手を使うことにした。 ファイルにはファイルを捏造するしかない! そう江戸川は呟いて、プライベート用のスマホを取った。(続く)
2021年10月31日
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パダウの呪い光あるうちに光の中を歩め(トルストイ)この小説はフィクションである。小説中の団体・企業・個人名は想像の産物であるが、歴史背景等は真実でもある。 (16) 赤石の『HM法律事務所』に北小路が連れられて行ったのは、夜7時過ぎだった。2人は応接ソファーに座っている。 「ずいぶん派手にやりましたね。北小路さん」赤石がそう切り出した。 「正当防衛でしたよ」出された珈琲を飲み、北小路が切り返した。 「負傷した奴らは指名手配中でしたから、北小路さんに警察は褒章しなきゃならないですね」 「それより、壊された車の補償は誰に請求したら良いのかな?」 「私が補償します。北小路さんには私は多くの借りがありますから」赤石が神妙な表情で言った。 「じゃ、赤石さんにお願いするとしよう。そうそうさっそくですが、代車のレンタカーが必要ですよ」 「代車は下の駐車場、事務所の来客スペースに用意しております。これがリモコンキーです」赤石がキーを差し出した。 「気が利きますね。助かりましたよ。赤石さん」と言って、北小路が事務所を見渡した。 「彼女がいませんが?」 「5時までいたのですが、地下の事件で戻りました」 「姿を隠した、ということですね?」 「ええ、この事務所では」 「じゃあ、他の事務所で? 赤石さんよ」 「ええ、このビルの2Fの山根行政書士事務所で会っていただきます」 「そういうことでしたか」 北小路は赤石に案内され、2Fにある『山根健二行政書士事務所』のドアをくぐった。壁にやったらミャンマー難民救済とか、入管法改正、人権問題などに関するポスターが貼ってあった。縦長の狭い部屋だった。 赤石が奥に声をかけた。 「咲世さん。北小路さんをお連れしましたよ」 奥の方から返事があった。 「こちらにいらしてください。今、珈琲を淹れていますので」 北小路が奥の応接セットの椅子に座った。咲世という女性が珈琲を運んできた。赤石が北小路に彼女を紹介した。 「私のパートナーの咲世さんです」 北小路が軽く挨拶して、 「赤石さんのパートナーって、奥様ですよね?」と訊いた。彼女が即反応した。 「この人とは友人以上のパートナーですわ。結婚はまだしておりませんわ」 北小路には、彼女が40代と思えたが、溢れる知性と美貌の女性、遠い存在に見えた。 「赤石さん。『彼女』って、こちらのパートナーの方ですか?」 赤石がためらいもなく言った。 「そうです。『彼女』です」 北小路の方がためらった。 「ミャンマーの女性だったのでは?」 「北小路さん。私はミャンマー人ですわ」咲世が躊躇なく言った。 「赤石さん。そうなんですか? 在日ミャンマー人組織のリーダ―の『彼女』が、咲世さんですか?」 「そうですよ。北小路さん」赤石が応えた。 「では……咲世さんの名は……本名ではないのですね」北小路が訊いた。 咲世が応えた。 「私の本当の名はヘインペインです。ミャンマー人ですから苗字はありません」北小路はミャンマーには苗字がないことは知っていた。 「赤石さん。どこで知り合ったのです?」北小路はぶしつけな質問だと思ったが。 「ニューヨークです。15年前、ニューヨークの日本総領事館勤務の時、国連職員の彼女に会いましてね。ヘインペイン、彼女はミャンマー・ロヒンギャン民族の弾圧と難民問題に関わっているんです」 「いるんです、って。今でもですか?」 「そうですが、今は休職中ですわ。今年のミャンマー国軍クーデターがありましたから」彼女、ヘインペインが応えた。それにしてもヘインペイン、彼女は日本人としても違和感がない。容姿もさることながら、日本語もネイティブだったからだ。 北小路は腕時計を見て、 「もう夜の9時だ。私から質問したいことがある」 「どうぞ。質問を」ヘレンペインが言った。 北小路が強い言葉を発した。「パダウ!」 赤石とヘレンペインが顔を見合わせた。 「北小路さんはパダウの件を知っていたのか……」赤石が目を大きくして言った。北小路は詳細をまったく知らなかったが、赤石の次の言葉を待った。赤石が言葉を継いだ。 「あの『パダウの呪い』だが、彼女から話していただきたい」 ヘレンペインが語り出した―― 「北小路さんには、事のすべてをお話します。ミャンマーが民主主義の国になるために――北小路さんのご協力をいただくためにも。あの『パダウの呪い』は、私の祖先が遺した財宝なのです。私の祖先は、3度目の英国の侵略戦争に敗れ、1886年に滅亡したアラウンパヤー朝、ティーボー王なのです。確かにティーボー王と側近たちは、英国により英領インドのポンペイに幽閉されましたが、ビルマに残ったひとりの王子に『パダウの呪い』、それはビルマ再興のために隠した財宝の有りかを書いた文書を託しました。その王子は、私の祖父ですが。私がアメリカ留学の時、『パダウの呪い』を父から預かりました。その直後、父は亡くなりましたが。私はひとり娘です。15年前、独身の赤石と巡り合い、深い信頼関係が出来ました。その時、『パダウの呪い』を、密かにミャンマーから運び出すことに協力してもらいました。もちろん、父の一族末裔も関わってもらいました。そして今、赤石が中心となり、その財宝は15年間かけてドルに替え、スイスの銀行に預けています。その額は、ミャンマーの国庫、一年分に相当する金額です。私の名義となっています。この資金で、ミャンマー国軍の解体と新生ミャンマー国のために使います。あの山根のファイルの『パダウの呪い』文書中に、私の口座番号が暗号となって載っています。不幸にも山根は『パダウの呪い』を知り、大きな間違いを犯しました。ミャンマー国軍情報機関と繋がる『大東亜旭日の会』の関係者に漏洩したのです。ミャンマー人研修実習生導入の行政等手続きの権益が、『大東亜旭日の会』関係者から行政書士の山根に転がり込みました。実はそれは与党政治家が絡んだものでしたが。いずれにしても、欲の魔が山根に入り込んだのでした。そこで赤石と相談し、山根を追求しました。執拗に。山根がキャンプに行く数日前、ファイルがこの事務所の金庫から持ち出されました。その翌日でした。私は『大東亜旭日の会』のメンバーに襲われ、ファイルの事を問われ、赤石の言う通り相手に話しました。赤石はファイルにGPSをクリップに密かに仕込んでいました。私たちは、山根がキャンプ場に行ったのは分かっていました――あら、北小路さんの質問を遮っていましたわ」とヘインペインが語りを止めた。 北小路はヘインペインが語った内容に得心したが、基本的なことが知りたかった。 「ヘインペインさんは、どうしてネイティブな日本語が話せるのですか? 専門用語を含めた日本語を? しかも顔も日本人ですよ」 「ミャンマーでの幼少期から、私の家に父の友人の日本人仏教研究者がご家族と共に住んでいました。私はそのご家族と一緒に暮らしていたのですから。ニューヨーク留学中も、国連難民機関でもずっと日本人スタッフと一緒でした。顔が日本人? 同じモンゴロイドですからね。色が白いのは母に似たのでしょう。逆に私からみるとミャンマー人と見間違う日本人も多いですよ」 「では、山根氏の死亡は?」 赤石が応えた。 「彼は自殺しました。あの日の夜、山根から連絡がありました。『申し訳ありません。責任を取って。来て下さい。ファイルをお渡しします』と。それで私は急ぎキャンプ場に行きましたが、遅かった。だが、北小路さんに助けられました」 「やはり自殺でしたか――」北小路は、山根のテントの影絵を思い浮かべた。もう一つ心に秘めていたことを言葉にした。 「実は――山根さんが亡くなった時、何故か私は『お祈り』をしなかったのです。いや、できなかったのです」 赤石が北小路の言葉を間接的だが、弁護したかのように言った。 「ミャンマーでは、これからも多くの血が流れることでしょうが、ミャンマー国軍との戦いでは、犠牲者の鎮魂は……ミャンマーの民主主義政府樹立しかありません」 ヘインペインが赤石に続いた。 「私たちの戦いこそが『真正な聖戦』なのです」 その通りだ。ミャンマーの民主化は、多民族のミャンマー人によるミャンマー人のための『真正な聖戦』なのだ。 北小路の心に清々しい何かが入った感じがした。 (了)
2021年10月24日
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パダウの呪い光あるうちに光の中を歩め(トルストイ)この小説はフィクションである。小説中の団体・企業・個人名は想像の産物であるが、歴史背景等は真実でもある。 (15) 林の中で身を潜めていた北小路は、遺跡の駐車場を見た。パトカーも公安の車も去っていた。 北小路は三脚、デジカメ、望遠レンズなどをリュックに詰め込み、自分の車に行く。バンパーに折りたたんだ封書が挟んであった。 運転席に座り、封書を読む。 『北小路 殿』 『今日の夕方5時に、私の事務所に来てくれ。今日の出来事を含め、貴殿に御迷惑をおかけしたことをお詫びするとともに『彼女』をご紹介する。仔細はその時に。 なお、もう尾行はない。ビルの駐車場の赤石法律事務所来客用を使ってくれ』 この封書は公安調査官が預かったのだろう。赤石はずいぶんと手の込んだことをやりやがった―― 赤石の法律事務所が入っているビルは、北海道公安調査局のビルの隣の隣だ。だがそれはビルの話で蛇足だ。いずれにせよ、赤石と『彼女』に会って、モヤモヤしている脳内をすっきりさせたい。北小路は『キウス周堤墓群遺跡』の駐車場を出て行った。 途中、恵庭市にある国道36号に面した温泉に立ち寄った。北小路はここの塩泉がお気に入りだった。この2年間、新型コロナ下の自粛で、海水に浸ることがなかった。せめて塩泉で体から余分な水分を出さなきゃ。その後、太古の植物層が泥炭化し、その層から湧出する濃い琥珀色のモール温泉で体を温め、軽く昼食を摂りたい。そう呟き、北小路は温泉の駐車場に入って行った。 北海道公安調査局、局長室にいた江戸川に頼課長から連絡が入った。 「局長。奴らを捕まえました。とりあえず軽微な暴行容疑で千歳警察署に留置させました。『大東亜旭日の会』の会長は、暴行罪に当たらなかったので逮捕せず」 「それで会長はどうした?」 「逃がしましたが、途中で尾行をかわされました。申し訳ありません」 「あの会長の鬼頭は、ひとりでは動けないはずだ。奴は部下といるのだ」江戸川が忌々しく言った。 「局長。微罪ですが、家宅捜査させたらどうでしょう」 「微罪? 頼課長よ。身代わりの内の女性スタッフを襲ったのだよ。仮に、車を蹴飛ばし、フロントガラスを割り、一般女性の体を殴ったとしたら、どうなる?」江戸川が頼課長に教唆した。 「了解しました。千歳警察と2人の警察官の方は、局長からお願いします。部下たちには説明しておきますから」 「よし。そうしよう、頼課長よ。東京と札幌の地検に本部と鬼頭会長宅、そして洞爺湖の研修センターの家宅捜査を依頼する。ところで押収したPCの解析はどうなった?」 「我々の技術部では時間がかかりそうで。警察の科学捜査研にさせた方が早いと思いますが?」 「分かった。それも家宅捜査と一緒に依頼する。あの鬼頭は逃げているが、ただでは逃げる奴ではない。危険な奴だ」 「局長。鬼頭を暴行共同正犯で指名手配したら?」 「それも了解した。私が北海道警察本部長に言おう」 「局長。今、道警からファックスで連絡がありました――読みますね。『研修センターの狩猟用ライフルは、未登録です。如何しますか?』と」 「そりゃあ、銃刀法違反だから、長官にも堂々と言えるぞ。よし! やるぞ! 頼課長よ!」 北小路は国道36号を疾駆していた。温泉で時間を使い過ぎたからだった。赤石の法律事務所に着くのはギリギリかな。高速道路は札幌の中心街を通っていない。大通りまでの最短は、国道を行く方が早そうだ。 北小路が左方の恵庭岳の頂を見た。冠雪とは言い難いが、白かった。パウダースノーの季節が、確実に近づいているな。そう呟きながら、4歳になった東京の孫との約束を思い出した――スキーを教えるよ。俺は3歳からやっていたんだ。その時はパウダーでなかったが……あれっ、パウダ……パダウ……PADAU? どこかで見たPADAUのローマ字。あのファイル、AKAISIの後に……PADAU○○〇〇のローマ字はがあったな。パダウ? 何だ、これは? 北小路がスマホを片手で操作し検索した。『パダウの花』があった。クリックする。『ミャンマーの国花』と出た。その時、車が警戒音を鳴らした。中央車線に寄り過ぎたからだった。後ろのトラックもクラクションを鳴らした。北小路は慌ててハンドルを戻した。 『パダウの花』って奴は、危険だ! 危うく俺のゴールド免許が、鉄屑になるところだった。北小路の全身から冷や汗が噴き出した。 気持ちを落ち着かせた北小路は、ICレコーダーをジャケットのポケットから取り出し、右手に持った。 「山根は行政書士。ミャンマー人の研修実習生らの手続き書類作成。在日、北海道にいるミャンマー人の反国軍武装組織の支援者。そしてキャンプ場で襲われ殺された。あの時の影絵。押さえられた影絵。寝袋の胸あたりに彼の血が。……だが、吹き出てはいなかった……サバイバルナイフも刺さってはいなかった。悲鳴が聞こえなかった。離れているとはいえ、俺も隣のテントにもその悲鳴は聞こえるはずだ。聞こえたのは、くぐもった声だった。2度。警察の発表は『自殺・他殺』だった。何っ! 自殺? あり得る。だが『秘密のファイル』との関係は? そして赤石だ。北小路は次々と点を露わにしていく。北小路の想像の中で、その点たちがアメーバーのように広がり、他の点と合体していく。点が面となっていった。 赤石の法律事務所は、札幌大通南西12丁目にあるビルの中5Fである。北小路は裏手の通りから、このビルの地下専用駐車場に入った。テナント専用駐車場だから、管理人はいなかった。指定の駐車場にバックして停めた。その時、男が2人、フロント前に立っていた。恰幅のいい白髪頭と瘦身の若い男だ。白髪頭の老人は、キウス周堤墓群の駐車場でベンツに乗っていた奴だが、若い奴は初めて見る。北小路はジャケットのポケットに手をやるが、クマ除けスプレーがない。しまった!リュックに入れたのだ。若い男がフロントガラスを足蹴りした。フロントガラスが、ぐしゃっとひび割れしてくぼんだ。北小路は焦った。咄嗟にクラクションを鳴らした。が、男がまたフロントガラスを足蹴りすると、北小路の顔にひび割れ状のガラス一枚が覆った。北小路が上半身を助手席に倒すと、赤色の非常信号灯が見え、右手でつかまえた。今度は、男が運転席側の窓を蹴った。粉々になったガラス片が北小路の顔に当たった。慌てながら非常信号灯を擦り、男の顔を目がけて発火させる。グワーっと叫んで、男がのけ反った。その一瞬時、北小路が後部座席にある三脚を手に持ち、ドアから飛び出した。転げるように。発火した非常信号灯を男の方に向けながら。男が転げる。男の服が燃えている。北小路が三脚で男の顔面を打ちつける。と同時に、白髪頭の老人を見た。奴が駐車場から逃げ出した。幸い、よろよろと歩いて逃げている。北小路は息を切らしているが、追いつく。 この野郎! 思いっきり三脚を振り下ろした。白髪頭がギャーと叫んで、前方にばたっと倒れる。そこにさらに、北小路は三脚を後頭部に打った。北小路はその場にうずくまり、はあ~はあ~と息をした。 奴らは気絶していた。 腰を折りながら車に戻ると、北小路は粘着テープとクマ除けスプレーをリュックから取り出した。 奴らを後ろ手にし、粘着テープでぐるぐる巻きにした。そしてクマ除けスプレーを顔面にぶっかけた。 この野郎! この野郎! 革製の登山靴(トレッキングシューズ兼用)で、2人の男の脛を蹴っ飛ばした。ボキっと音がした。 この1分後、北小路は赤石に電話した。
2021年10月22日
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パダウの呪い光あるうちに光の中を歩め(トルストイ)この小説はフィクションである。小説中の団体・企業・個人名は想像の産物であるが、歴史背景等は真実でもある。(14) 明日か――北小路は赤石からの暗号コメントを待っていた。後30分で明日25日となろうとしているが、まったく音沙汰がない。北小路のブログには数人のブロ友からのコメント書き込みがあったが、赤石のそれではなかった。赤石よ、どうした! と北小路は遂、口にした。PC画面に唾が点々と付着した。彼は液晶スプレーをかけ、ティッシュで自分の吐いた言葉の証をぐいぐいと拭いた。これまでの汚れと共に画面がきれいになった。解像度が増したのか、鮮明なモニター画面に変わった。何事もクリアにしなきゃ、と囁いた時だった。PCデスク横に置いてあるスマホがピーと音を立てた。赤石からの電話だった。 「北小路さん。メモしてくれ」北小路がメモ帳とマジックペンを取った。 「良いぞ」北小路はスマホをスピーカーホンにした。 「明日、『彼女』は11時に着く。会うのは『キウス周堤墓群遺跡』の駐車場。12時00分。『彼女』はレンタカーでひとりだ。我々もそこに行く。要注意。以上です」 「分かった」北小路が短く応えたら、赤石のスマホ電話が切れた。実は北小路は、ICレコーダーでスマホの音声を録音していた。一応、メモは取っていたが、念のためだった。 北小路は常にICレコーダーを放すことはない。彼が60になった時、小説などを書き始めた。仕事場への通勤往復中、ハンドルを握りながら、思いつくまま小説の文を大声で書いていたのだ。それは今でも続いている。ある作家がこういう使い方をしていたと聞き、それ以来のことである。時々の取材中も(人とではなくても、自身で声出し読む)使用している。 北小路はメモを読み、ICレコーダーを聞き、赤石からの伝言を確認していた。 「待てよ。『彼女』を特定できる特徴を赤石は言っていない。レンタカーだから、ナンバーは『れ』なのかな? いや、最近は他の平仮名が使われているかも」北小路はweb検索した。『わ』と『れ』があるようだ。軽自動車は『わ』。業務用軽自動車だと『り』『れ』。 『彼女』は東京の留学生だから、若い女性だ。ひとりで北海道に来るのだから、目立たない姿――帽子・サングラス? これは目立つからせいぜい普通の眼鏡か・キャンプをする訳じゃないから、軽装かつ防寒用ジャケットかな・靴はカジュアルな物か。 北小路は想像を脳に描いていた―― それと準備は、車に積んだままにしているから、それで良いだろう。だが、デジカメ・望遠・60倍のフィールドスコープは、部屋にあるリュックに入っている。これだけで良いだろう。そして北小路は、PCで天気予報を検索した。千歳地方も晴れマークがついていた。昼の気温は9℃。 洞爺湖は、昨夜の霧が去り、ほぼ快晴に近かった。 朝9時。『M&N研修センター』を監視していた公安調査官の2人が作業服に着替えていた。 配送の段ボール箱一個を抱えて、ひとりが門をくぐり建物玄関に向かった。 「これからテレホンを押す。防犯カメラは確認していた通り、4台。今のところ人気(ひとけ)がない」 「了解」 インターホンを押した。が、返事がなかった。また押す。同じだった。玄関ドアのステンドガラス越しにホール内部を覗いたが、やはり人気がない。 「返事なし。人気もなし」 「ちょっと待ってくれ。Bに確認する」 「こちらAより。出ない。人気もない」 それを聞いた頼課長は即座に命じた。 「泥棒になれ! 玄関のガラスを割って入れ」 「A了解。今から入る」 変装した配達員二人が、布を当て玄関ガラスを手が入る分だけ割った。ドアノブを内部から解錠し玄関を開けた。 「猫トラ便ですが、誰かいませんか?」建物内部は静かだった。もう一度言ったが、返事はない。 「Aより。誰もいなそうです」 「こちらB。全部屋と地下室、小屋裏を確認せよ」 手袋をしていた配達員二人は、靴底にビニールを履き室内へと上がって行った。 30分程が経った。 「Aより。猫一匹しかいませんでした。もぬけの殻。地下室に通路。裏の林の方にトンネルあり。あっ、肝心のことを――地下室で狩猟用ライフル銃2丁と50発の銃弾発見」 「Bより。了解した。銃器の刻印ナンバーを教えてくれ。置いてあるところの写真を取れ! それとPCがあれば盗め!」頼課長が命じた。 「Aより。了解した。10分以内で撤収する」 「Bより。了解」 出勤し、革張りの椅子に深々と座った江戸川局長が、珈琲を口にした、その時。安全(盗聴の)なプライベート用のスマホが鳴った。赤石からだった。 「これから新千歳空港に行く。11時に着くが、奴らがやって来る恐れがある。よろしく」 「了解」江戸川が一言で応えた。スマホの電話が切れた。江戸川は内線で頼課長を呼び出した―― 朝9時30分。北小路は妻に「知人に会いに千歳に行って来る。帰りは夕方のなると思うので、夕食は要らないよ」と言ってマンションを出た。髪は短かったが、少し後ろ髪が引かれた。 外に出た北小路は凍えた空気を吸い、空を仰いだ。透きとおった青色だった。それは支笏湖キャンプで吸う空気のようだった。透明感あるピュアな空気感である。 北小路は早めに自宅マンションを後にし、千歳市郊外にある『キウス周堤墓群遺跡』を目指した。これまで3度訪れている縄文後期の遺跡であるが、カーナビに住所をインプットしていた。 マンションを出る時から尾行が付いていないかバックミラーに時々目をやったが、国道36号、輪厚ゴルフカントリーを過ぎても、尾行車はいなかった。何事もなく走っている。 ユネスコ世界文化遺産に、今年7月登録された『北海道・北東北(きたとうほく)縄文遺跡群』の最北端に位置する『縄文後期のキウス周堤墓群』である。この『周堤墓形式』は、ここだけの独自のものである。 一時間15分で、北小路は『キウス周堤墓群遺跡』の駐車場に着いた。昼12時まで時間はたっぷりある。平日の駐車場には、千歳市の遺跡調査整備の車両が5台あったが、一般見学者の車両はない。これまでここに来る遺跡見学者は稀である。文化遺産に登録され、俄かに脚光を浴びてきたが、それでも遺跡マニアが見学するだけのようだ。千歳市の遺跡調査整備の関係者は、駐車場奥に設置している現場用簡易ハウスか、遺跡現場にいるようで、人は駐車場にはいなかった。白いマスクをした北小路はリュックを背負い、緑色のアウトドアハットを被り、両手に防切傷手袋して、遺跡入口へと歩を向けた。遺跡は林の中にある。 遺跡途中の林の中、畳2畳大の敷ビニール広げた北小路は、カメラの三脚を立て秋と言うべきか、初冬と言うべきか、紅葉している広葉樹の林間を撮っていた――500~700mmの望遠レンズで周辺を覗いていたのだった。人影も野生の動物、鳥も見えなかった。駐車場には、まだ1台の見学者の車も入って来ない。北小路の位置から駐車場までは60m程である。木々が北小路を隠している。北小路から木々の隙間から駐車場が見えている。 北小路は腕時計を見て、 「一時間は休めそうだ」と呟いた。北小路はリュックから小さな簡易椅子を取り出し座った。目を閉じた―― 『遺跡を見るコツはあるのだ。遺跡当時の人の目線で、原型を想像するのだ。するとその遺跡が現在のものとなって、生きがえって見えるのだ』 北小路が目を開けた。駐車場の砂利が音を立てたからだ。腕時計を見た。11時00分。そして望遠レンズを覗いた。黒いベンツが2台連なって駐車場入り口付近に停まった。運転手の顔がレンズからはみ出して写った。細面の中年の顔だったが、目が血走っている。助手席の男も同じ顔相だった。耳に白いものが見えたが、カメラをほんの少し横に振ると、後方の座席に恰幅のいい白髪頭の老人が顔を大きくして写る。眼光鋭い男だった。こいつも善人の顔じゃない。もう1台の車内を見ると、運転手と助手席の男の顔が見える。同じ類の男たちだった。北小路は再び最初の車の運転手の顔を見た。 耳にイヤホン。またカメラを戻して見た。やはりイヤホンをしていた。奴らだ! 北小路はリュックから、クマ除けスプレーとパチンコ&玉50発を取り出した。 歳をとるのと同じように、時間が過ぎて行った。 北小路の腕時計の針が11時55分を刻んだ。遺跡横の道道を白いセダン車が速度を緩めて駐車場へと入って来た。デジカメを覗くと、マスクをかけた女性の運転手ひとりだけの車である。望遠レンズがナンバープレートを捉える。 『札幌 る ○○○』レンタカーだ! 車が駐車場の真ん中、千歳市役所の車の横にバックで停まろうとした。その時だった。ベンツ2台から男たちが飛び出し、女性の車を取り囲んだ。固唾をのむ北小路。パチンコで狙いをつける。距離が遠い。北小路は林の中を走った。20mまで近づいた時、撃った! 撃った! 撃った! 男たちの背中を―― 5発撃ったが、命中したのは3発。外れたパチンコ玉が市役所の車側面に当たって、キンと音を鳴らした。男たちが北小路のいる林に目を向けた。北小路は木陰に隠れた。 再び男たちが女性の車を囲み、窓を叩いた。女性は窓を開けない。素早く北小路はパチンコを放つ。股間に当たった男がギャっと叫んで、もんどりうつ。脛に当たった男が痛っ! と吐いて膝を折る。北小路は白髪頭の男を狙った。その刹那、2人の男が背を向け白髪男の盾になった。引っ張ったゴムがパチンコ玉を放った。また放つ。2人の男のケツ中央部に当たった。その二人が振り返った。北小路がいる方へと走った。それを見た北小路は、クマ除けスプレーを手にした。なにせ歳だ。北小路は逃げられない――走れないのだ――ので、木陰から待ち構えた。2人が2m先に来た。北小路がガオー! と叫び、クマ除けスプレーを2人の鬼のような顔に噴射した。ワオ―! ワオ―! と叫んで男たちがのたうった。すかさず北小路が横に回転してその場を避けた。男たちが目に両手を当てこすっていた。「見えない!」北小路は容赦しなかった。2人の前に立ち、クマ除けスプレーをたっぷりかけた。そして分厚い革製の登山靴で男たちの横っ腹を蹴り上げた。グワー! と唸って2人は草場に倒れたが、草葉の陰にはならなかった。北小路が駐車場を見た。ベンツが駐車場から逃げ出した。白髪男ひとりで。 この数十秒後、グレーのセダン車2台が駐車場に入って来た。その5秒後に道警のパトカーが駐車場に来た。この光景を北小路は、元の場所に戻り、望遠で覗いた。 レンタカーから降りた女性が背広姿の男たちと、なにやらと会話している。レンズに写る女性は、明らかに日本人だった。『彼女』ではない。北小路は当惑した。 パトカーから降りた2人の警官が、ベンツの男たちに手錠をかけている。そして北小路の方へと来た。北小路は敷ビニールを裏返して身を隠した。裏を返せばカモフラージュ柄の敷ビニールだ。2人の警官は、30m先で倒れている男たちに手錠をかけた。北小路はその光景を隙間から見ていた。 北小路の心中は大荒れだった。赤石はどうした! 『彼女』は嘘か! そう罵って、ビニールの下で寝そべった。腕時計の夜光の針が12時10分を指していた。北小路が額の汗を手で拭うと、荒れた心が落ち着きだした。 待てよ。これは赤石が仕掛けた罠だったのでは? 赤石は俺を利用したが、騙してはいないようだ。北小路の脳がそう告げていた。だが、謎が残る。奴らが俺を尾行して来たのは分かるが、レンタカーの女性は誰だ? 北小路の脳内がフル回転した。女性は『彼女』の替え玉で、後から来た2台の車に乗った背広姿の男たちも、公安調査官であろう。では何故、警察官が来たのだ……公安調査官たちの狙いは『奴ら』だったのか。北小路は少し謎が解けたような気がした。では『彼女』は来ているのだろうか? 北小路の心を過った。(続く)
2021年10月20日
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パダウの呪い光あるうちに光の中を歩め(トルストイ)この小説はフィクションである。小説中の団体・企業・個人名は想像の産物であるが、歴史背景等は真実でもある。 (13) しばしばある光景だが、洞爺湖畔一帯が低い雲に覆われていた。湖畔の丘にある『H&N研修センター』も夜霧で霞んでいた。この辺りは洞爺湖温泉街から離れ、街灯の灯りは夜霧もあってか、ないに等しい。 研修センターの裏手には広葉樹の林が、取り囲むように茂っている。10月下旬だが、木々の葉はかなり色づいてはいるが、まだ大方は落ちていない。 夜10時過ぎだった。その林の中、音もなく大地がいきなり口を開けた。黒い作業服姿の男がバックパイプを背負い、次々と這い出て来た。5人の一団となった時、ひとりの男が東の方に手を振った。先ず3人が林間を東へと腰をかがめて進んで行った。その数分後、2人の男が彼らに続いて行く。 丘手前の道路脇で監視していた公安調査官たちは、代わる代わる目を凝らしていたが、建物の裏手の林は見えない。 「こちらA。異常なし」監視要員がインカムで報告した。 「Bより、了解した。明日も定時連絡を頼む」北海道公安調査局ビルの一室にいる頼課長が応えた。奴らがおとなしくしてくれた方が良いのか、それともボロを出してくれた方が良いのか、と頼は反芻した。 そして頼は思った――早くボロを出せ! いつものように決まって夜9時に北小路は、自身のブログ『ソクラテスの妻用事』を見た。今度は別なブロ友の名を騙ってコメントがあった。 『おや? そういえば・・ ビルマはルビーの産地だったわね~ ブルーサファイアも色が良いので評判だし・・・ ああ・・目の毒・・・』 さっそく暗号解読すると、 『ルビーは7月の誕生石で、自由と愛を意味する。サファイアは9月の誕生石で、成功と誠実を意味する。サファイアにブルーが付ているから2倍の18となる。7を足すと25日の月曜日だ。目の毒とは、くれぐれも注意せよ』となった。3日後の25日。自由と愛、成功と誠実。その彼女・リーダーは新千歳空港に着く。赤石は前日の夜に、時間と場所の暗号コメントを書くはずだ、と北小路は確信した。またこうも思った。彼女の素顔と人物が見たい。それに『財宝』がどうからんでいるのか、知りたいものだ、とも。武器・ドローン・ITプログラマー・技術者等を赤石は、可能と言っていたのだ。それは彼女の言葉であろう。いったい彼女は何者なんだ? 北小路の脳内が駆け巡って行く。 「江戸川ですが……」北海道公安調査局の江戸川局長がデスクの電話に出た。相手は本庁の長官からだった。嫌な予感がした。 「そうですか……『大東亜旭日の会』の破防法適用を外したのですか……」やはりな、と江戸川は脳裏で呟いた。 「長官の判断ではないのですか……官邸からですか……了解しました。長官。では『大東亜旭日の会』の監視を解くのですね。至急ですね」衆議院選挙の投開票日が近づいている。多分、官邸サイドはミャンマー人技能実習生導入に絡む与党議員たちの汚点を除去しようとしているようだが、いや違う! 政治資金規正法違反に関する汚点、収賄・贈収賄などは、その影響が政権運営に支障を最小限だが及ぼさない時に消去するはずだ。恐らく『大東亜旭日の会』の会長から恐喝されたからであろう。恐喝された人物たちは政権与党の議員であり、官邸と繋がる者たちだろう。いつものように―― 江戸川はインカムを取り、イヤホンを耳穴奥に入れた。 「こちらC。聞こえるか?」Cは江戸川局長である。 「ええ聞こえます。Aより」監視要員が応えた。 「Cより。直ちに監視を解け! 監視を解け!」 「……えっ! 監視を解けって?」 「本丸からの指示だ。分かったか?」 「一応、了解しました。Aより」 「一応じゃない!」 「こちらA。了解しました」 椅子にどすんと腰を落とした江戸川局長は、部屋の窓に目をやった。政治世界から身を引いた赤石が羨ましい。最高権力の私物化も出来るほど過度な官邸主導となっている、この政権では俺のきれいな血液が濁って行くようだ。いや、もうすでにドロドロになっているのだ。俺もこの汚泥の世界から抜ける時が来たようだ。そう江戸川は己に言い聞かせた。そして頼課長に内部電話を入れた。 「頼課長に伝えたいことがある。急ぎだ」 この1分後、頼課長が局長室にどかどかと入って来た。 「局長。部下から聞きましたが」と言いかけた時、江戸川は口に人差し指を立てた。頼は、はたと気づいた。局長室と言えども、内部監査部の盗聴の可能性もあるからだ。 江戸川が頼課長を近くに来いと手招きした。そして頼課長に耳打ち。江戸川から聞いた頼課長が、耳打ちして返した。江戸川が大きく頷き頼の方を叩いた。 「頼君。頼むね」 「局長。OKです。お任せください」 いよいよ顔だけを替えた政権与党が、政権権力維持だけを目的とした衆議院選挙が最終盤に入っていた。31日ハロウィン・仏滅の投開票である。前首相とその政権が、新型コロナウイルス対策が後手後手となり、急速に内閣支持率が急降下していた。あわや政権交代か、と危惧を持った政権与党が打った手が『首相の顔を替える』ことだった。表現を変えれば、それで国民の政権与党支持率が上向くと踏んだのだ。さらに換言すれば、日本国民の過半が、顔だけしか見ていないとも言える。中身が同じなのに。さらに言えば――長年にわたり政権与党は、国民を愚民としか思っていないのだ。追い打ちをかければ、愚民に選ばれし者たちも愚かな政治家と言えるのだ。北小路はかねがねそう思いながら、日本の政治を凝視してきた。 与党共闘の分厚い壁を野党共闘がどれだけ崩すか、北小路はTV報道番組のコメンテイターの見解に頷き、PC画面の楽天ブログ『ソクラテスの妻用事』を見た。『彼女』がやって来るのは明日25日のはずだが…… 赤石からの暗号コメントが入っているはずだ。朝9時20分。北小路の心が少し揺らいだ。 本当に『彼女』がやって来るのだろうか? 本当に奴らもやって来るのだろうか? 『彼女』とは何処で何時(いつ)会うのか? 奴らが追って来たら、どうする、どうなる?(続く)
2021年10月19日
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パダウの呪い光あるうちに光の中を歩め(トルストイ)この小説はフィクションである。小説中の団体・企業・個人名は想像の産物であるが、歴史背景等は真実でもある。 (12) この夜も北小路は、『ミャンマー近現代史・随想記』を書き進めていた。アウンサン暗殺の1年後、1948年に英国から独立を勝ち取ったビルマは、前年に制定したビルマ憲法のもと上下議院制度を持つ民主主義国家となった。 この民主主義ビルマ政権の外交官ウ・タントは、1961年から10年間、国連事務総長だった。北小路も知っていたウ・タント国連事務総長である。米国J.Fケネディ大統領となった時、フルシチョフソ連首相が革命後のキューバへソ連のミサイル供与で起きた『キューバ危機』の時、ケネディ大統領のソ連ミサイル供与証拠を確認したウ・タント国連事務総長は、国連決議にかけ『キューバ危機』の回避に貢献した人物だった。しかし、新生ビルマ連邦で軍部の最高責任者だったネ・ウインは、クーデターで軍事政権とした。1962年のことだった。ネ・ウインもアウンサンと同じビルマ独立の軍人でもあったが。 北小路が着目したのは、ネ・ウインが幼名シュ・マウンから、1941年、独立運動中に『ネ・ウイン(輝く太陽)』と名を変えたことである。北小路には、そこに軍事独裁者・野心家の萌芽をみるのだ。北朝鮮でも、日本の某新興宗教団体でも『輝く太陽』が大好きのようだ。日本軍占領下で独立したビルマ政府。アウンサンは国防の責任者にはなったが、ネ・ウインのような野心、それらは微塵もなかったようだ。ある意味では、キューバ革命の英雄・チェ・ゲバラと似ているかもしれない稀有かつ貴重な人物だったのだ。 稀有? 貴重? ここで北小路は一息ついた。いつものように珈琲を啜った。この珈琲も貴重だが……何かが引っかかった。 それは旧日本軍が英領ビルマを占領したことである。どの参考文献でも『中華民国の蒋介石軍・物資支援ルートの遮断・援蒋ルート』が主要な目的としたビルマ占領だった、と。 大島渚監督作品『戦場のクリスマス』。この映画に出て来るシーンは、鉄道・鉄橋建設現場である。英領インド方面へと鉄道を通していく。やはり、日本軍のビルマ占領目的の最優先は、いわゆる『援蒋ルート』の遮断であり、その要衝だった英領インドのインパールだったのか。北小路はそう思いつつ、教科書で習った「南方の石油などの資源確保のため日本軍は東南アジアに進出した』に齟齬を感じた。どうも俺の部分入れ歯のように上と下の歯が噛み合わない話だ、と。 貴重? 引っかかる。何だ! アヘン? そうじゃない! この時、北小路はYou Tubeのミャンマー産出の最高級のルビー・サファイア・エメラルド・琥珀・翡翠などの宝石の映像が浮かんだ。これか――貴重とは! 旧日本軍の秘密情報機関が、侵攻した中国をはじめ各地で暗躍していたが、ビルマの南特命機関はアヘン・貴金属などの強奪はやっていないらしい。もっぱら英国からのビルマ独立傀儡政府樹立にやっきになっていた。では、ビルマの宝石と貴金属はどうなった? それらの鉱山も。 1962年、野心家ネ・ウインの軍部クーデターで民主主義ビルマ政府は一夜で瓦解し、それが今でもミャンマー国軍独裁へと脈々と繋がっているのだ。あたかも貴金属の鉱脈のように…… そこでだ。本題にもどる―― 山根を殺し、彼が持っていたあのファイルを狙っている理由が見えて来たように、北小路は思えた。ミャンマー国軍は『自爆攻撃』関係のリストファイルに脅威と関心を持っていない。ロヒンギャン民族を除けば、天国には処女がいないのだから――神と仏はいるが――自爆ベスト着る130強の多民族ではない。だとしたら、山根のファイルに「貴重な貴金属の財宝に関するものがあるのかもしれない」と北小路は推論していった。 巨額の財宝。ミャンマー国軍の脅威となり得る資金源。 寝る前に北小路は『楽天ブログ』をクリックし、『ソクラテスの妻用事』を見た。 これは赤石からの暗号文のようだ。 『HUちゃんさん』 『11話完読しました! 北小路さんに24時間の身辺警護が必要では?』 赤石はブロ友のHUちゃんさんを騙っているのだ。解読すると――10月22日に東京から彼女が来る。したがって、これからその日まで24時間の身辺警護が必要だ―—となった。 北小路はコメントに返信しなかった。赤石のコメントに返信を求める記号がなかったからだ。 ミャンマー国軍情報機関、その手先となっている『大東亜旭日の会』は、山根のファイルに『財宝の有りか、隠し場所』を記した書類があるものと、在日ミャンマー人から漏れ知り得たのか、または在日ミャンマー人反国軍武力組織に、奴らのスパイがいて、知ったのではなかろうか。そうでなきゃ、あのキャンプ場で日本人の山根を殺すだろうか。金にならなきゃ殺しはしないはずだ。そう考えるのが自然だろう。 北小路は、いよいよだな、彼女がやって来ると、奴らもやって来る。やるかやられるか、新千歳空港を出たところが『戦場』だろう、と心の奥に言い聞かせた。戦場? これは大袈裟な表現だな。(続く)
2021年10月17日
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パダウの呪い光あるうちに光の中を歩め(トルストイ)この小説はフィクションである。個人・団体名は想像の産物であるが、歴史事実には基づいているつもりである。 (11) 夜9時過ぎ、赤石から北小路のブログ記事に暗号コメントが入っていた。 前日の暗号にそうあったが、赤石の動きは早かった。 『○○のオジサンさん』 『でも彼女自身はイギリスで教育を受けていますから、本当にミャンマーの民衆のことがわかっているとは・・ それでも旗印としての価値はあるということなんでしょうねえ・・・』 北小路は暗号簡易解読メモ一覧と照らし合わせた。 要約すると――こうなる。 *彼女=女性の在日ミャンマー人・リーダー *イギリスで教育=東京で留学生 *旗印としての価値=ドローン・スナイパー計画を了承した だが北小路に解けない暗号文があった。 『本当にミャンマーの民衆のことがわかっているとは・・』だった。この文の意味が解けない。どういう意味なんだ? 赤石に直接連絡し訊きたかったが、自重した。重要な意味であればあるほど、赤石も直接の連絡を避けているはずだからである。やはりこの文は、暗号と解するべきだ、と北小路は思った。想像を膨らませた。だが何も出てこない。 諦めた北小路は、赤石からの次のコメントが入ることに期待した。そしてコメントに返信した。 『○○のオジサンさんへ』 『いつもお世話になっております』 『*当にミャンマーの民衆のことがわかっているとは・・*』 『どうでしょうか? 彼女はイギリス留学しましたが、育ったのはビルマ(現ミャンマー)ですからね』 『またのコメントをお待ちしていますよ(^^♪』 (^^♪は――至急の返信を頼む。 札幌の大通公園の樹木が少しづつ紅葉が現れ始めていた。北海道公安調査局の江戸川局長は、大通り公園を北に一望できる局長室の窓際に立ち、北海道の秋の光景を愛でていた。彼は4月に赴任したばかりで、北海道の四季のうち春・夏しか堪能していない。堪能? そう、彼も観光胡散の札幌転勤族だ。彼自身が自認していた。北海道の四季を2巡すれば、エリート幹部は皆とは言わないが、本庁に栄進して戻る。そのためにも本庁指示の案件を無難にこなすことが肝要となっている。 江戸川がデスクに戻ると、部下の頼課長がドアをノックし入って来た。 「おお、頼君。待っていたよ。ソファーに座ってくれ。珈琲は?」 「局長。珈琲とは愚問です。局長秘書の彼女が運んでくれますよ。私が局長に会いに行くと言えばね」 局長室のドアがノックされ、秘書がトレーに載せ珈琲を持ってきた。テーブルに置くと、秘書はすっと消えて行った。いかにも公安のスッタフらしい――くノ一の如く。 「衆議院選挙中で何かと忙しい中だが、奴らは?」江戸川が訊いた。(衆議院選挙違反摘発の潜入調査・監視も公安が担っているとも。対象は野党第一党の候補者で、与党候補と接戦中のケースが多いとも) 「局長。あの『大東亜旭日の会』の連中ですが、洞爺湖殺人事件の容疑者たちは『大東亜旭日の会』に資金提供している『M&N(株)』の洞爺湖にある『M&N研修センター』の潜んでいます。部下が見張っています。犯行現場の目撃者の北小路という変なおっさんを尾行し襲うつもりだった3人は、まだ確保中です」 「頼課長。拘留確保の3人と司法取引したのだから、選挙が終わったら豊平川に放流だな。元には戻らんだろう。産卵をしちゃったんだからな。問題は『M&N研修センター』で潜む実行犯3人と指示したはずの『大東亜旭日の会』の会長だが、証拠がないからな。監視は続行してくれ。その旨は道警本部長に私から伝える。あっ、それと変なおつさんとは、どこが?」 「局長。北小路という人物、一般人には分からないでしょうが、彼は常に監視・尾行に警戒した所作を垣間見るのですよ。ただの素人でないものなんです。その点が変なんです」 「頼君よ。彼の大学中は? 学生運動の時代の?」 「局長。北小路のデータには何も引っかかって来ないのです。しかも彼の指紋も社会人となってからの交通違反時のものです。前にも局長から言われて検索した結果と同じで、安全な人物なんです」 そりゃあ確かに変なおっさん、だな。プロの監視・尾行を常に自然体で警戒できるとは――データ・べースの安全な人物にしては」 江戸川局長は、友人の赤石弁護士を思い浮かべた。赤石は頼りになる人物・変なおっさんを味方にしたもんだ。赤石が首尾よく事が進むのを願っているよ。 赤石から北小路のブログ『ソクラテスの妻用事』に書き込みコメントが入ったのは、2日後の夜だった。 『○○のオジサンさん』 『綾小路は言った。勃たなくてもいいじゃない おしっこと尿検査ができるじゃない! ごくんと、アヤタカの後継茶、コマッタカを飲みほして・・・』 何だ! これは! 本当に赤石が書き込んだのかよ! 俺の暗号解読の虎の巻にはない。下品極まるコメントだ。北小路は困惑し、3回読み直した。やはり論外の下品な暗号文だ。どう解読したら良いのか―― 北小路は眠気覚ましに濃い珈琲を啜った。再びブログをクリックして、下品なコメントを読んだ。今度は眼鏡を老眼鏡から1.8倍のルーペ眼鏡に替えていた。ぼやっと文字の裏が見えた錯覚を持った。裏の裏を探ったのだ。そして無理やり異訳してみた――コメントを下から上へ読んで。すると、こうなった。 *コマッタカを飲みほして・・・=彼女と直接会え *アヤタカの後継茶=彼女はアラアウンパヤー王朝の最後の末裔である。*おしっこと尿検査ができるじゃない!=会えば彼女の計画提案の解決策が分かる。 *綾小路は言った。勃たなくてもいいじゃない=北小路さんは、札幌にいて良いのです つまり彼女の方があなたに会いに東京から行きます 北小路は、こう要約してみた。暗号文になっているじゃないか。北小路は返信のコメントを書いた。 『○○のオジサンさんへ』 こんばんは! 応援よろしくお願い申し上げます。 TGIF ♪ 金曜日の夜だったのでTGIFと書いた。暗号ではない。アラウンパヤー王朝は、ビルマ最後の王朝である。1886年、3度目の英国軍との戦争で敗れ、王はインドに連れていかれた。だが、王家の末裔はビルマに残っていた。 そう北小路は『ミャンマー近現代史・随想記』で書いている。俺の勘ぐり的解読が当たっているかどうかは、赤石次第だ。 後は赤石からの連絡を待つとしよう。そう言い含めてブログを閉じた。
2021年10月16日
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パダウの呪い光あるうちに光の中を歩め(トルストイ) (10) 「赤石さん。山の上で話したい」北小路が言うと、赤石が顔をしかめた。 「北小路さんよ。私には山を登るのは無理だよ」 「それを承知の上で言っているんだ。自分の足でなくロープウェーで、だよ」 「藻岩山ですね。どうして山なんです? 北小路さん」 「室内も、互いの車も危険だ。盗聴だよ。赤石さんよ」 「そういうことでしたか。分かりました」 藻岩山の山頂部は寒かった。ロープウェーの発着庫はレストラン、展望台と一体となっているが、北小路は山頂部の広場に赤石を連れて行った。周りには誰もいない。 「北小路さんは、私に訊きたいことがあるのですね?」ベンチに座るなり、赤石が訊いた。 「赤石さん。在日ミャンマー人組織、反ミャンマー国軍武装組織へ参加する彼らのことなんです。もしかしたら、自爆攻撃要員も含んでいるのでは? 俺の勘ですがね」 赤石の表情が曇った。そして北小路に顔を向けた。 「やはり点と点を繋げましたね。北小路さんの言う通りです。だが彼らを、私には止めようもない」 「弁護士の、それも人権派の赤石さんが、止められないって!」北小路はマスクを膨らませて言った。 北小路が意を決して言った。 「赤石さん。実はね。彼らへの提案があるのですが」 赤石が反応した。 「提案とは?」 「自爆攻撃でなく自爆攻撃なんですよ。他にもね」 「北小路さんらしい表現ですね……別な自爆攻撃とはね……なるほど」赤石が首肯した。 「他には? 北小路さん」 「漫画のゴルゴ13ですよ。彼の10分の1の能力があれば十分なんですよ。1000人いればね。問題は資金と武器ですが。我々が彼らに出来るのは、それらの問題解決に道筋をつけることでは?」北小路は『我々』と言い、同志の一員となっていることを明確にした。 「北小路さん。あなたの提案は検討に値する。できればもう少し具体的に言ってほしい」 北小路は念を押した―― 「赤石さん。得意の記憶力でメモしてください。A4一枚になりますが、良いですか?」 赤石が大きく頷いた。そして北小路が言い出した。 「スナイパー部隊1000人規模。狙うのはミャンマー国軍の幹部将校たちを主に。自爆攻撃は3~5万円ほどのドローン。一万機以上。TNT爆弾でも良いし、ハッパ用のダイナマイトでも良いです。5Kg搭載するドローン。最低でも30分、出来れば60分もつ電池バッテリー搭載。カメラ付き。もちろん遠隔操作可能な。ドローンのターゲットは、ミャンマー国軍最高指導者と側近たちが夜間滞在する所を集中的に。夜間が良いです。ドローン自爆攻撃は、戦車等の下部で爆発させると効果的です。狙撃銃は狩猟用の物でも良いし、出来ればNATO弾、5.56mmと7.62mm弾が使えるスナイパー銃。これはミャンマー国軍が使用していますので。通常ライフル銃と互換性があります。スナイパーは日中のほうがベスト。以上。 この提案は机上のものですがね。最小の犠牲で最大の成果を想定したものです。問題は、資金とドローン・武器調達、そしてドローンの大量購入。そうそうそれとドローンの改良技術ですが」北小路は一気に語った。 「北小路さん。すべてを私の頭に記憶したぞ。在日ミャンマー人反国軍武力組織のリーダ―たちに伝えたい。彼らは必ず検討するはずだ。急がなければ。資金と武器調達、ドローン大量購入、火薬と起爆装置、それらの改良技術か。どれも解決可能なように思える。連絡する。あのブログに」赤石の顔に血の気が戻っているように北小路には思えた。 藻岩山山頂部の北風が強くなっていた。しかも霙が混じっている。気温はマイナスに限りなく近かった。「これを青天の霹靂と言うのだろうよ」北小路が呟いた。 いつものように自室にこもった北小路は、PCのキーボードを打っていた。すぐ横にある机の上のTVが、夜の報道番組で衆議院解散を映していた。与党は首相の顔を替えて衆議院解散に打って出た。衆議院議員の任期切れ寸前に。与党の体質と中身はまったく同じなのに。何度も国民は試されているのだが――国家権力の私物化・新型コロナ対応の後手後手・補償なき要請・様々な点で露呈した日本の脆弱性等などがあっても――2度目の政権交代を否定する、日本が不安定化するとの非民主主義的な思考が分からん。10年ほど前の、一見、本格的な政権交代が『悪夢だった。失敗だった』と言うが、北小路はそうは思っていない。与党の領袖たちが『悪夢だった』と揶揄している点は、沖縄の米軍基地移転県外論で右往左往していた事である。経済政策が問題だった訳じゃない。米国に忖度し、経済摩擦を避けるためには、沖縄米軍基地負担も止むなし。これが一番目の既定路線である。東アジアの軍事的要衝との考えは、2番目。あの時の『政権交代の失敗』の本質は、強烈な変革力で強引に既存の壁をぶち壊すエネルギーが足りなかったからだ。一点突破! それが出来なかった。そう思いながら、ミャンマー(旧ビルマ)の独立運動とそのリーダーたち、ミャンマー国軍のクーデターに抵抗する国民とそのリーダーたちの強固な意志を比較しつつ、北小路は、『ミャンマーの近現代史・随想記』を書いている。だが、なかなか進まないものだ、と自分に言い聞かせていた。『 ビルマ建国の父アウンサン将軍』 彼の真の姿は、軍人というよりも、優れた、スケールの大きい、誠実な若き政治家だった。ヤンゴン大学の学生時代(英文学・近現代史・政治学を専攻)から、英国からの独立闘争に身を置き、数奇かつ全霊を尽くす、短い人生だったアウンサンという若き政治家。日本軍が東南アジアを占領した時、アウンサン27歳の頃、彼の同志たちと、対英戦争で日本軍(南特務機関の工作もあり)に協力しつつ、ビルマ独立義勇軍を立ち上げ、英国軍を追い出した。ちなみに、アウンサンは日本に身を潜めていたこともあった。彼は日本名を、本名をもじって『面田紋次(おもたもんじ)』としていた。その時の滞在先が箱根の三菱・岩崎家別荘とも。大日本帝国の大東亜共栄圏構想の野望を、アウンサンは見抜き利用したのだった。占領した日本軍は、アウンサンらを利用したつもりだったが。1944年。インパール作戦が失敗するや、アウンサンと同志らは『反ファシスト組織』を立ち上げ、英国軍と手を結んで決起。そして抗日独立戦争に突入し、日本軍を駆逐していった。アウンサンは日本軍を手玉に取っていたというべきであろう。優れた外交手腕の持ち主だったのだ。だがその彼は、終戦後の英国からの独立運動下、32歳の若さで暗殺された。アウンサンの暗殺には、英国陰謀説とミャンマー人同志説(権力闘争)がある。私見は――後者の同志説である。アウンサンの死によって、ビルマ(今のミャンマー)国軍の専制武断国家の淵源となったからである。またアウンサンは、民主主義を理念とした政治家だったようだ。別視点で言えば、アウンサン亡き後のビルマ国軍は、皮肉にも日本軍政下の旨味をそっくり真似た、とも言える。ミャンマー国軍の非道ぶりも。『結局は、国家の武力は、国民に向け使われる』そう北小路は想いつつキーボードを打ち進めている。 2日が過ぎた朝9時。北小路のブログ記事に赤石からコメントが入っていた。 『○○のオジサンさん』 『良いですね♬』 『上手く書いたもんだ♫』 『この続きに期待しています♫』 『明日も応援に参ります!』 この暗号文を要約すると、 『貴殿の提案は採用された。資金・ドローン・武器・改良技術に可能性大。明日、また連絡する』であった。 北小路はキーボードから手を放し、TVを切った。 「もう一枚書かなきゃ。反国軍打倒別働組織体の奇策を――」 北小路は『一番煎じ・お茶』ペットボトルを口にして、半分しかなかったお茶を一気に飲んだ。今度は一番煎じの『奇策』を書くぞ! と意気込んだが、急に睡魔が訪れ椅子に座りながら瞼を閉じていった。 『別働組織体の奇策』……それは多民族であり、上座部仏教が大方だが……イスラム教徒……7%のキリスト教徒がいるのだ……宗教の反国軍打倒運動体結集……大義は人道・人権……武器を持たず……側面支援で……秘密裏に……可能か?……ページが捲られた……上座部仏教……偶像崇拝を取っ払うと……釈迦の教えは……上座部仏教(小乗仏教と言われていたが)かも……自己の解脱……大乗仏教の衆生の救済?……これはかなり政治的要因にも……なぜ釈迦は妻子と王子の身分を捨てて…… 北小路は夢の中で、呟き、キーボードを叩いていた。(続く)
2021年10月15日
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パダウの呪い光あるうちに光の中を歩め(トルストイ)(9) 赤石は寝につく前に、もう一度デスクトップのPCを起動させた。夜11時53分。北小路の楽天ブログ『ソクラテスの妻用事』をクリック、するとコメント欄に『○○オジサンさんへ』『――を変更いたします』と伝言があった。この意味は「事前に会うのは無理です」と北小路は言っていた。彼の言う通りだ。その時間はない。赤石が返信のコメントを書いた。了解した、と。『そうですよね』『初冬用の衣替えでいいですね』 赤石の気持ちも昂り、すんなりと眠れなかった。「北小路は俺ひとりで八剣山登山口に行くとは思っていないはずだ。だが、俺ひとりだけなんだよ」そう心の裡で呟いた。 天気予報通りの晴天だった。だが気温はぐっと下がり、3℃。北小路は、朝8時に自宅マンションの外に出た。気温のせいか、ぶるっと震えた。同時に、体の隅々までに緊張が走った。行くぞ!マンションの青空駐車場を出た北小路は、わき目も振らず前方を見つめハンドルを握っていた。間違いなく監視され、尾行されるからだ、と北小路は腹を括っていた。とは言っても、やはり気になった。マンションの出口前方斜め左に、黒のセダン車が路上駐車していた。尾行車か? そう思ったが、北小路は視線を向けることなく右折し、国道36号に出ようとした。平日だったが国道は通勤車両で混んでいた。 北小路がバックミラーを見ると、黒のセダン車は動いていなかった。北小路は一瞬途切れた車列の間に割り込んだ。左折。進路を東に取った。100m走って右折し、美しが丘通りに向かった。バックミラーに目をやると。後ろに白のセダン車ついていた。サングラスをかけた男が運転し、助手席に年配と思われる男が見えた。信号が青に変わり、北小路は右折し、美しが丘通りを東に走った。またバックミラーを見た。後ろに白のセダン車はいなかったが、グレーのワゴン車が10m後ろにいた。運転手らの顔は見えない。 札幌ドーム横を通り、一時間ほど走ると、札幌市南区の砥石山沿いの道道に入った。この道を南に15分行くと、定山渓温泉街10km手前の八剣山登山口に至る。 広葉樹の木々は斑だが彩りづいていた。前方に八剣山の恐竜の背びれ――岩の山頂部が見えて来た。バックミラーを見たが、尾行車はいなかった。奴らは来るのだろうか? と疑念が湧いてきた。八剣山山麓をくり抜いたトンネルが見えた。数十秒後、トンネルの手前を左折して登山口の林に入って行く。 登山者用の駐車場に停めて、北小路は素早く装備を身につけた。登山者の車は1台も停まっていない。赤石の車もない。リュックを背負うと、北小路は周りに目を配ったが、人気もなかった。だが、ヒグマの視線を感じた――彼は山野を跋扈するたびに、いつもそう感じている――これはある種の固定観念がそうさせているようだ。彼は北海道の鄙で少年期を過ごしてきた。嫌と言うほどヒグマの怖さを聞かされていた。それが固定観念となっているのだ。彼はヒグマの出来立ての糞は何度か見ているが、一度も本物を見ていない。 北小路は登山口横に建つ、こじんまりとした観音像社の前に着いた。奥からぬっと男が現れた。北小路はストックを突き出す。男は帽子から足元まで黒一色の登山姿の赤石だった。「いやあ~北小路さん」破顔で言う赤石。まったく緊張感がない。「赤石さんひとり?」北小路が訊いた。「5、6人いると思っていたの?」逆質問した赤石。「そう思っていたよ。ところで本当に奴らは襲って来るんだろうか?」北小路は周辺を見て言った。「5,6人は来るはずだ」と赤石が応えた。 その時、3台の乗用車が登山者用駐車場に入って来たのが見えた。それぞれの車から背広姿の男たちが降り、向かって来た。6人の男たち。その中からひとりの男が赤石、北小路のところにやって来た。見るからに手ぶらだった。他の5人は、道道の方を向いて並んでいた。警戒しているように。「赤石さん。尾行者の奴らを捕まえたよ。3人。」男が言った。「ご苦労さん。行きますか――」赤石が言った。北小路はキツネにつままれた。奴らでもなくヒグマでもなかったのだ。そして北小路の全身の神経が緩んだ。安堵したのだ。 この30分後、北小路は南区の市電通りに面した5階建てのビル地下に案内された。「ここは公安の『アジト』でね。彼は私の公安調査庁時代の友人・頼 順生(らいよりき)なんだ。あだ名は『じゅんなま』だよ。なっ! じゅんなま!」赤石が北小路に言い、じゅんなま、頼を紹介した。北小路と頼が挨拶を交わすと、「私は公安調査官でしてね。山根さんを襲い殺害した連中を追っているんです。私の任務は、その連中の暴力組織の監視と摘発です。山根さんと赤石さんが関わっている在日ミャンマー人組織は、どうであれ、対象外なんです」頼が北小路に説明した。「私にアジトを見せても良いんですか?」北小路が頼に言った。「ここは今回だけのアジトですので。次回はお見せできませんが」頼が言った。「奴ら3人を捕まえた、と言ってましたが?」北小路が訊いた。「隣の別々の防音部屋にいますよ。北小路さんを尾行していた輩です。別の車にいた2人は逃がしましたが、あえて」頼が言った。「じゃあ、悪魔どもの懺悔を聞きたいが、私の出る幕じゃないな」北小路が言葉を返した。 赤石が、壁のカーテンを開けた。ミラー防音ガラス越しに隣の部屋が見え、40代半ばの男が、椅子に括りつけられていた。後ろ手に手錠で。 北小路が赤石に目配せした。そして言った。「赤石さんに訊きたい事があるんですよ」 赤石が頷き、「じゃあ、我々はここを出るとしよう」と言った。赤石は北小路が訊きたい内容を知っているかのようだった。(続く)
2021年10月14日
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パダウの呪い光あるうちに光の中を歩め(トルストイ) (8) あの忌まわしい事件以来、北小路は自身に特別緊急事態宣言を発している。まだ目に見えない敵だから、新型コロナウイルスと同じだ。ウイルスも油断はできない。第6波が間違いなく来ると、感染症の専門家が口を揃えているのだ。奴らも必ずやって来ると、赤石が言っていたのだ。 今日も北小路は新聞2紙、地元紙と全国紙を読んだ。 事件の翌日の北海道の新聞、その社会面では――『洞爺湖キャンプ場でキャンパー死亡』と小さく見出し記事があった。 『――死亡したのは山根健二さん(36)。洞爺湖町警察は、自殺、他殺の両面で捜査中――深夜の出来事で、目撃者はいなかった。死因となった胸を刺したサバイバルナイフは、寝袋内で発見』といった短い記事だった。 「何だ! この道警公表は! 事実とまったく違うじゃないか!」北小路は口に出し罵った。が、彼の左脳が囁いた――落ち着け。冷静になれ。 地元警察は、必ず道警本部の指示どおりの発表をしているはずだ。今回は意図的に真実を隠している。いわゆる悪しき隠蔽ではなそうだ。犯人たちを油断させているかもしれない。しかも俺の目撃証言が記事になくて良かった。そう北小路は思っていた。 あの事件以来、警察から連絡はない。弁護士の赤石からもない。赤石から「便りがないのは良い事なのか、否か」と、北小路は思案した。彼は赤石とスマホ電話番号、LINE、メールアドレスを交わしていた。何かあれば使用することにしていた。さらに北小路は、自身のブログ名『ソクラテスの妻用事』も教えていた。しかもこのブログ、時々の掲載記事とそれについてのコメント欄を、『連絡用』と二人は確認していたのだった。 午前10時過ぎ、北小路はブログ記事を更新しようと楽天ブログをクリック。そして観た。赤石からコメントが入っていた。 『〇〇のオジサンさん』 『フィクションとノンフィクションが混ざった内容ですね!』 『えらいことに出会ったもんだ』 『ヒグマなら分かるけどね』 『八剣山登山も良かったね』 『先日。拝見。今度登る時は、初冬用に衣を替える必要があり』 北小路はこれらを解いた。暗号だったからだ。 『フィクションとノンフィクションが混ざった内容ですね!』 *事態が進行中。 『えらいことに出会ったもんだ』 *緊急事態。要注意。 『ヒグマなら分かるけどね』 *奴らが動いた。貴殿を尾行している。 『八剣山登山も良かったね』 *奴らを捕まえよう。八剣山登山口で。 『先日。拝見。今度登る時は、初冬用に衣を替える必要があり』 *その前に貴殿と会いたい。明日。尾行者に要注意。 赤石との連絡暗号を伝えたのは中山峠で、別れ際だった。北小路が提案し、赤石も納得した。北小路は、自身のブログ冒険小説へのブロ友からのコメントに紛れ込ませた暗号を、即興でメモして渡した。不都合なコメントは削除も出来る。北小路はコメントに返信した。 『おはようございます! 読んでいただき感謝です! コメントにも感謝! 明日午前10時に登山予定です。楽しみにしているんですよ。天候次第ですが』これは了解した、との意味である。 北小路は明日の天気予報をWebで観た。札幌の気温は5℃、快晴だった。 さっそく北小路は、リュック等を押し入れから取り出し、あれやこれやと必需品の選別をした。クマ除けスプレー、ストック、防切傷用手袋、一眼デジカメ&望遠レンズ、コンデジ、耐熱ガラス繊維布(これを重ね着すれば防切傷用胸当てになるかも)、革製登山靴、20mのロープ、ガムテープ、黒マジック、2500円のパチンコとパチンコ玉50個(これは通販で購入したもの。キャンプ時にいつもリュックに入れている)、スケッチブック、ICコーダー等など。登山用のベルはリュックから外した。 奴らは3人で来るのかな? 見張り要員は2人か。八剣山の正式な登山口は東にある。山沿いを通る道道、八剣山の裾野トンネルの手前を左折すると登山口がある。そこは登山者以外には見えない所だ。 明日か―― 北小路の心中は複雑に高揚していた。奴らは殺しのプロだ。俺と赤石は大丈夫だろうか。そう思うと、北小路の高揚感が萎えていく。彼は頭を振って、ネガティブの気持ちを振り払った。赤石も同じ事を考え、準備しているはずだ。多勢に二人ではない。少なくとも5、6人を率いて赤石は待ち構えているだろう。そう考えると、北小路の体内にアドレナリンが注入されていった。それと赤石に訊きたいことがあるのだ――(続く)
2021年10月13日
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パダウの呪い光あるうちに光の中を歩め(トルストイ) (7)この日は久しぶりの晴天の秋空だったが、北小路は自室にこもり、歴史随想記を書いていた。書くと言っても、キーボードを打つ作業だ。ミャンマー国軍のクーデターの日、北小路は『ミャンマー連邦共和国』の歴史、特に近現代史に好奇心を持ったのだ。 北小路が書いているのは、旧ビルマ、現ミャンマー連邦共和国という国についての近現代史・随想記である。彼はミャンマー連邦共和国に行ったことはない。これまでミャンマーをYouTubeとかの映像で観ていたが、どれもミャンマーのルビー、エメラルド等の採掘と宝石の露天市場の光景だった。そしてこの間、参考文献3冊を読み終えている。北小路が注目したのは、やはり『ビルマ建国の父・アウンサン』の生き様である。1947年、英国からの独立運動中、32歳で暗殺されたアウンサン将軍。彼の言葉で印象に残るのは――『日本軍の下でのビルマの独立は、紙の上に過ぎない』である。(アウンサン将軍についての詳細は後半に触れたい)オートキャンプ場に行く前日のことだった。2年前に仕事の関係で知り合った保険代理店の白川と珈琲専門店で会った。北小路が連絡したからである。白川は北小路と真反対の政治信条の持ち主だ。商売柄か、それとも特定の信条を持っていたから、今流の右傾化した俗説を豊富に吐露してくれる。 アウトドア・軽登山を対象にした保険の話をさておき、2人の会話は『俗説』の応酬で弾んだ。2年前と同じように。「日本は太平洋戦争で東南アジアの独立に貢献し、インフラ整備も行ったのですよ。それらの国々から今でも感謝されていますよ」白川が俗説を吐く。北小路にはこの俗説には辟易しているが……「それは歴史事実と違いますよ。丁度今、東南アジアの近現代史についての本を読んでいるところでしてね。いわゆる大東亜共栄圏構想は、その実は旧大日本帝国の東南アジアの植民地化だった、と言いたいよ。日本軍が占領した東南アジア諸国、どれもが英国・フランス・オランダ等の植民地でしたが、インフラ整備は、朝鮮を含め植民地からの収奪のためでしょう。流行りの言葉を使えば、大日本帝国ファーストの一環だったのですよ」 キーボードを打ちながら、北小路は白川の吐く俗説を思いだしていた。「だが、どの国にも売国奴はいるもんだ。自利、儲かれば大義なんて、正義なんて糞だ、邪魔な考えだ、という輩が意外と多いな。それにだ。最高権力こそ最大の自利なんだ、という考えを持つ輩も多い。大義・正義のために自己犠牲をも厭わない者は、意外と少ないものだ。いや稀有だ」 北小路は一呼吸入れた。淹れ立てのフレンチ珈琲を飲む。刺激が脳内に広がっていく。 はっと我に返った。「あの殺人者たちは、単に『山根の秘密ファイル』奪取を目的としたんだろか。反ミャンマー国軍の在日ミャンマー人は、ほぼ全員がそうだと言える状況じゃないか。彼らの名簿リストに価値はあるんだろうか。名簿は無価値だ。ミャンマー国軍でも手に入るのだから。だとしたら、山根の胸を刺してまで、殺しても入手したかった『秘密のファイル』とは――いったいその内容は何なのか。俺の勘だが……考えすぎか……」ここで脳内のPCが固まった。同時にデスクのPC画面も固まり、動かない。どうした! 北小路はまた珈琲を口にした。カップの中身が無くなった。「くそ! PC野郎め!」画面に唾した、その時PCが動き出した。と同時に彼の脳も起動した。「確か、ミャンマーの民主派が立ち上げた『挙国一致統一政府』の副大統領がオンライン声明で――『あなた方の尊い犠牲は、永遠にミャンマー国民の記憶に残り――』とか言っていたな。気になる」 北小路は珈琲を諦め、デスク横にあるペットボトルの『一番煎じ・お茶』を取った。ラベルが目に入った。「一番煎じ? じゃあ二番煎じもあるじゃないか――」 北小路の瞼に浮かんだ――米軍のアフガン撤退時、ISの自爆テロ事件後の現場光景だった。その映像のあと、タリバン兵士のパレード、その中に『自爆ベストを着た兵士の群れ』が出て来た。 北小路は『一番煎じ・お茶』をペットボトルから口飲みした。謳い文句の一番煎じの味はまったくしなかった。出がらしの味だったが、限りなく水に近いがピュアな味だ、と思った時、閃いた。「山根の『秘密ファイル』には、二番煎じの自爆攻撃の方法中身とその要員リストがあるのでは? ミャンマー国軍と言えども、反国軍武装運動の自爆攻撃は脅威のはずだ。イラクでも、アフガンでも、米軍等は無差別自爆テロ攻撃に負けたのだ」 またぐぐっとペットボトルのお茶を飲む。北小路の喉が渇き切っていた。あたかも北小路自身が自爆ベストを着込んだように錯覚したからだった。「圧倒的な武力には、一般市民に紛れた自爆テロは、非人道的ではあるが、最大の武器ともなる。許し難い行為だが、ことミャンマー国軍にはそれも正当化出来るのかもしれない。あの『秘密ファイル』に……それがミャンマー国軍側に漏れたのかも……とは言え、俺は自爆攻撃には反対だ。他に有効な方法があるはずだ」そう呟いて、またペットボトルを口にした。(続く)
2021年10月12日
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パダウの呪い 光あるうちに光の中を歩め(トルストイ) (6) オートキャンプ場から裏洞爺湖畔の林を抜けると、2m程で湖見ずである。黒装束の3人は、林の中にカモフラージュして隠していたゴムボートを湖水に浮かべた。 2馬力の電動式スクリューを動かし、湖面へと滑った。エンジンと違いスピードは出ないが、音も無く闇に紛れ進んだ。湖水に浮かぶ中島を過ぎたところで、3人は黒装束を脱ぎ、キャップを被りマスクをした。 ゴムボートは洞爺湖の東対岸へと進んで行った。 洞爺湖の東対岸、上陸地点まで約5kmである。「30分で行く」と男がスマホでメールした。「待っている。車3台で。監視カメラも無い」返信メールが届いた。 ゴムボートが東洞爺湖畔に着いた。そこにも林があり、国道からの視野を遮っていた。まして平日の夜間である。洞爺湖温泉街を除けば、車と人の往来はほぼないに等しい。また警察の検問は、この地点から温泉街500m戻る、壮瞥町との分岐点の国道にはられていた。 5分後、3台の車に分乗した3人は、上陸地点の道道を温泉街と反対方向へ走った。北へ。車は5分おきに発進。 数分で、緩やかな丘の奥に建っている鉄筋コンクリート造2階建ての、東南に窓を広げた『M&N研修センター』の門をくぐって行った。 「ご苦労さん、と言いたいところだが、『書類』が手に入らなかったから、無駄だったな。いや、逆に俺たちの落ち度がクローズアップされてしまった」3人を前にして、リビングのソファにいた鬼頭 豪(きとうごう)が、白髪をかき分けた。「鬼頭さん。とんだ邪魔が入りまして……」男が言いかけた。「良いんだよ。責めるのは安易なことだ。何事も完璧にやれるはずもないからな。ただな、我々の任務は『書類』を山根から奪取することだ。いかなる手段をもってしても。我々に多少の犠牲が出てもだが」そう言って鬼頭はメモを見た。「邪魔者の姓名は『北小路 平和・きたこうじひらかず』、札幌の清田区○○マンションに住んでいる変わった老人だよ。奴は歳甲斐も無く、よくキャンプ、軽登山に行くそうだ。しかもひとりで。警察が押収した山根のリュックにも例の『書類』は無かったそうだ。山根の行政事務所のスタッフの女は、山根が事務所金庫から持ち出し、あのキャンプ場で誰かに会う、と吐いていたから――誰かとは、北小路ではない。たまたま北小路に出くわしただけだ。だがな、『山根の書類』は、今のところ北小路に渡った可能性がある。先ず、北小路を捕まえて吐かせなきゃ。これは札幌の青木らに任せた。君たちは、この研修所で待機してくれ。私が札幌に行く」 日本には「高度人材・高度技能実習生、そして留学生」のミャンマー人が約21,000人いる。これはベトナム人に次ぐ多さである。 3~4年前のことであったが、札幌の山根行政書士にとってミャンマー人の「高度人材・高度技能実習生」は、垂涎の対象だった。ベトナム人の実習生らは、いわゆる既得権を持っている行政書士がいたからである。伝手の甲斐があって山根行政書士は、北海道で働くミャンマー人実習生のビザ手続き等を独占できた。もちろん、数名の若手行政書士仲間とだったが。 だが、新型コロナウイルスパンディミックで、ミャンマー人の「働き先」の雇い止めが相次いでいた。困窮したミャンマー人たちは、山根に相談した。だが、山根には対処する方法も資格もなかった。そこで山根は、尊敬している赤石弁護士を頼った。さらに想定外の事態が生起した――ミャンマー国軍のクーデターで、アウンサー率いる「準民主的政府」が一夜でひっくり返ってしまったのだ。その後もミャンマー国軍の残虐行為は、国際社会の是正勧告を無視し、やりたい放題で続いている。 ミャンマー人の歴史的精神性(19世紀、ミャンマーは王国だった。最後の王となったが、この王は植民地化を目指す英国軍に徹底抗戦した。アジアの諸国で最も英国軍に抵抗して戦ったミャンマー王国だったのだ。詳細は、北小路が述べるはずだ)とも言えるが、在日ミャンマー人、特に留学生を主体とした『反ファシスト抵抗戦線』が発足し、技能実習生らにもその輪は広がっていった。彼らは母国ミャンマーの民主派が設立した『挙国一致政府(NUG)』に呼応して、反ミャンマー国軍との武力闘争に『民主主義国家ミャンマー』樹立の活路を見出した。 そして彼らは、新型コロナ下の入出国制限の緩和を待っていた。もちろんだが、彼らがミャンマーの国際空港に降り立つことは出来ない。ミャンマーの隣国、タイ・インド・バングラディシュへの入国を目指していた。 山根行政書士に、北海道内の在日ミャンマー人らの出国手続きの依頼が殺到していた。山根はミャンマー国軍のクーデターに憤りを持っていたひとりだ。彼はいつの間にか『反ファシスト抵抗戦線・北海道支部』を支援する日本人の中心人物となっていた。それは山根の意志でもあったが……(続く)
2021年10月10日
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パダウの呪い 光あるうちに光の中を歩め(トルストイ) (5) 助手席に乗り込んだ赤石が、間を開けず北小路に訊いた。「北小路さん。山根さんの文書ファイルが見つかっていないのですが、もしかして……」赤石が北小路の膝の上にある分厚いファイルを見た。「ああこれですよ。山根さんが死に際に『書類が、頼む、彼に渡して、秘密』と言いましてね。これは警察にも言えない『秘密』だと思ったのですよ。『彼』に渡すのが、あの時、私の使命と、ね」北小路は、赤石にファイルを差し出した。 受け取った赤石が訊いた。「私が『彼』だと、どうして分かったのです? 北小路さん」「英文の文書に赤石さん宛とあったからです」北小路は外連味なく言った。「そうですか――ところでこの文書の内容を知りましたか?」マスクを着けた赤石が顔を向けて訊いた。目は鋭かった。「いや、内容は知る必要がないので。ただ『ミャンマー』の文字がありましたがね」 赤石が天を仰いだ。「北小路さんのことだ。あなたは点と点を結ぶのが得意だ」「点と線なら読んだことはありますがね」「御冗談を。北小路さんが隣のキャンパーで事件に気づき、殺人者どもからこのファイルを守り、そして山根を看取って彼の『遺言』を――我々からすれば、北小路さんは救世主です。このファイルに4500万人の命と自由が託されているのですから」「4500万人? それはミャンマーの人口ですか?」「そうです。その通りです」「赤石さん。ミャンマーの人口は約5100万人では?」「北小路さん。約600万人は、軍人28万人とその家族、一族です。さらに、長年の軍政で利得を得ている売国奴も入っていますが。ご存知のことでしょうが――」 北小路はモニターの時計を見た。夜9時だった。「赤石さん。これで私の使命が終わりましたので帰路につきますよ。山根さんの二の舞にならないよう気を付けてくださいな」「北小路さんこそお気をつけてください。奴らはこのファイルを見つけようと、これからあなたを追うはずです」 北小路はぎくっとした。「何で俺なんだよ!」 一瞬時、赤石は間を開けて言った。「奴らは警察にもこのファイルが無いことを知り、あとは北小路さんしかいません。そう奴らは考えるはずです」 北小路は宙に目をやった。「赤石さん。殺人者たち、奴らはいったい何者なんだ?」 赤石が困惑の表情を見せた。「今言えることは、あのミャンマー国軍の情報機関と奴らから甘い汁を吸っている日本人の悪しき組織です。我々は彼らの正体を暴けないでいるのですよ」それを聞いた北小路は唸った。「そして警察に奴らの耳目が潜り込んでいる、ってことか?」「言い難いのですが、そう考えておくべきでしょう」 思わず北小路は赤石にクマ除けスプレーをかけたくなったが、止めた。奴らはヒグマより獰猛だと思ったからだ。それに赤石はヒグマでも殺人者の仲間でもないのだ。 これも俺の運命だ! 避けて通れる話じゃない! ノンフィクション小説が書ける稀有な話じゃないか! 北小路の脳奥でそう怒鳴っていた。「赤石さんが、ファイルの持ち主だと奴らに言えば済むのに……それが不可能なのは承知しているけどね。奴らに襲われたらどうしてくれるんだよ? 赤石さんよ」 北小路は、この事態も大自然の対価であり自己責任だと腹を決めていたが、愚痴った。 すかさず赤石が応えた。「北小路さんが我々の同志になれば、極めて安全ですが?」「俺が同志に! ファイルを赤石さんに渡しただけで!」 北小路は、思わず語気を荒くした。そして、飛沫がマスクから飛び出さない程度で。「北小路さん。今から2時間いただけませんか?」「2時間で俺が納得できる説明が出来るのかな? 赤石さんよ」「出来ます。北小路さんだから」 赤石は公安調査庁の友人から、北小路の信条・信念等の情報が、30分の待機中にもたらされていた。公安調査庁は、『情報管理部』でSNS等を自動チェックする識別IT機能を持っている。これは機密となっているが、赤石の友人・江戸川 歩武(えどがわあゆむ)は閲覧できる立場にあった。江戸川は赤石らの裏の支援同志だった。「それも公安調査官の友人からの情報でしょうね。きっと」「我々にはとても大切な耳目となっている友人の同志です」。 北小路の脳裏が無性にニコチンを求めた。「赤石さん。5分待ってくれ。ワイフとニコチンが俺を待っている」そう言って北小路は車外に出た。中山峠の外気温は限りなく零度に近かった。ぶるっと身震いした。(続く)
2021年10月09日
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パダウの呪い光あるうちに光の中を歩め(トルストイ) (4) 中山峠の売店前に、北小路は停車した。人目につくところである。後ろの車も、このパーキングに入って来て、暗い最後部のパーキングエリアに止まった。 車から降りた北小路は売店に行き、腹の膨らむ名物の『揚げイモ』とお茶のペットボトルを買った。ちらっと後ろの車を見たが暗くて何も見えなかった。 北小路は車内で、今日初めての食事、『揚げイモ』を食った。その間、ドアをロックし、リュックに常備している『クマ除けスプレー』を膝に置いていた。 30分が経った。眠気が急に襲ってきた。万事塞翁が馬で行くか、それとも万事塞翁が馬鹿となるか、それが問題だった。そう思った時だった。運転側の窓が叩かれた。アウトドアハットを被り、眼鏡をかけ、顔にマスクしたアウトドアスタイルの男が運転席側窓の外に立っていた。そして男がスケッチノートを窓にふっつけた。 『私は被害者の友人です。今日彼とキャンプで会う予定でしたが。私の電話番号は080-○○○○―○○○○です。今この番号にかけてください。お願いします。怪しい者ですが、貴殿にも私は善人です。信じてください』 ずいぶん手の込んだことをやるもんだ。殺し屋だったら、ここまでしないだろう。北小路の警戒心が緩んでいく。 北小路は色々と質問したかった。その結果次第だ。意を決してスマホで電話番号にかけることにした。スマホの番号数字を押した。窓の外で呼び出し音が鳴った。男がスマホを見せ、耳に当てた。 「私は山根さんの友人の赤石康之(あかいしやすゆき)です。職業は弁護士です。今日、あのキャンプ場で合流することになっていたのですが、山根さんは殺されました。彼のことで貴殿に相談したいのです。急ぎ」 北小路に疑問が出来た。 「山根さんが殺された、と言いましたが、どうして分かったのです?」 「直接お会いしたらお話したい。私にも秘密がありますので」 「そうですか、秘密がね」 秘密とはオーバーな言い分だが、マスコミには既に伝わっているはずだ。マスコミの記者からの情報かも知れない。悪人か善人かは別としても。そう思った北小路は確認作業を続けた。 「赤石さん。身分証明になるものを見せてください」 男がポケットから財布を取り出し、中から運転免許証を抜き、北小路に見せた。 「弁護士バッチと弁護士証は、今持っていません。ゴールド免許でないですが、どうでしょうか?」 「帽子、マスクを取って顔を見せてください」 男がハットを取り、マスクを取った顔を窓に近づけた。免許証の顔だった。免許証の生年月日では、彼は65歳。本人に間違いない。 「なぜ警察みたいに尾行していたんです」北小路が訊いた。 「若い頃、私は公安調査官でしたので――失礼しました。実は私は、あなたを推し量っていたのです」 「推し量るって?」 「恐縮ですが、殺人者たちの仲間かもしれないってね。北小路さんとの接触を慎重に……でも北小路さんが仲間でないと分かったのです」 「どうして分かったの? 俺の名前が?」 「かつての公安調査官の友人に確認したのです。これは個人的な秘密です。北小路さんは安全な方だと」 北小路は公安調査庁について、かなり知悉していたから、さもあらん、と得心出来た――北小路は一応、サスペンス・スパイ小説を書く部類に入っている。一応としたのは、飯を食えない作家だからだ。 「いつ確認したんです?」 「尾行中にです」 「じゃあ警察は赤石さんが被害者と合流することを知っているのですか?」 「一切、知りません。秘密裏に山根さんと会うことにしてましたから」 「秘密裏って?」 「そのことは北小路さんと直接会ってお話させていただきたいのですが。あなたの車の中、今でもいいのですが」 北小路は思案した。 「じゃあ、赤石さんの弁護士事務所名を言って下さい」 「分かりました。札幌のHM法律事務所です」 北小路はスマホで検索した。 『HM法律事務所 札幌市中央区大通南――代表 赤石康之弁護士 人権に関する専門法律事務所です』 顔写真は載っていなかったが。北小路はこの人物、赤石という男に会うことを決心した。 「俺の車に乗ってくれ。ただし30分後だ。場所はこのパーキング中央部で。先に俺が移動する。その30分後だよ。何も持たず、そのジャケットも脱いでだ。それでも良いのか?」 「北小路さんに感謝する。じゃあ30分後に行きます」 赤石が去ると、車の収納からライトを取り出し、北小路は『秘密書類』を開けた。 クリップで留めた分厚い書類を捲った。 先ず、『赤石 康之』の名前を探した。英文の書類が半分ほどだった。書類を15分ほど捲った時、『Yasuyuki Akaisi 』が現れた。それは山根から赤石宛の英文書のようだった。 何っ! Myanmar! ミャンマーに関する英文の内容で、在日ミャンマー人がどうしたこうした、どうするこうする、ざっと読むとそのように書いてあった。北小路はじっくりと詳細に読まなかった。英語が苦手だったからではない。被害者の山根から頼まれた以上の事への深入りを避けたからだ。 『秘密の書類』を誰かに渡すことを――誰かとは、きっと赤石弁護士だろう。 中山峠売店のパーキング、北小路の前後左右は休憩する車で埋まっていた。右隣の車はカップルが乗って、『揚げイモ』を仲良く食っていた。左隣の車では、老夫婦が談笑していた。 30分が過ぎた時、赤石が助手席の窓を叩いた。北小路が左手で「入れ」と合図を送った。右手にクマ除けスプレーを握っていた。 (土日に続く)【千歳市郊外・パレットの丘にて】10月5日この向日葵畑は観賞用・栽培収穫用でなくこの畑の肥やし用とのこと昨日の新聞記事を見て、パレットの丘に行きました。10人くらいかなデジカメ・スマホ・タブレットで撮っていた。*ちなみにここは「ジジソロ雪中キャンプ場」に近かった。*途中、世界文化遺産に含まれた「キウス周堤墓群」があり、3度目の見学をした。前方には夕張と日高山系が【千歳市インディアン水車と遡上のサケを見に行った】千歳川のインディアン水車サケの収穫光景撮れず水中にサケの群れがここまで遡上するとサケはホッチャレのよう。マスの群れもいた。【世界文化遺産の北の一部となった・キウス周堤墓群】ここも千歳市郊外にある。縄文後期のお墓遺跡。周堤墓はここだけ。独特な埋葬墓群形式。通りかかった学芸員に聞いた。「この墓群の住居遺跡は?」「これまでずっと探しているんですが、発見できていません」周堤墓は、小隕石が落ちて出来たような形状。周りからくぼみの墓所は見えず。この遺跡は、道路をつくった時に発見とか。道路は周堤墓群の真ん中を通っている。
2021年10月06日
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パダウの呪い光あるうちに光の中を歩め(トルストイ)(3) これがあの鹿の鳴声、警戒音だったのか――北小路は管理センター内の椅子に深々と座り、目を瞑っていた。殺人現場に出くわしたが、睡魔の誘惑は訪れることはなかった。彼は目を閉じ、この殺人事件をサスペンス小説のプロローグとして脳裏に描いていた。この『小説』のあらすじ、梗概はどんな内容なのか――脳内で忙しなくプロットが浮かんでは消えを繰り返していた。サスペンス冒険小説には違いないだろうが、この『小説』はそう単純なストーリーでないような気がしてならなかった。 事件現場のテント周辺は立ち入り禁止の黄色いテープが張られ、数人の警察官が警備にあたっていた。大型の照明車の灯りの中、テントの内外に道警の科学捜査官たちが地べたに四つん這いで張り付いている。 ベテランの警察官に代わって、所轄本庁からやって来た警部が北小路に声をかけた。「北小路さん。調書が済みましたが、今日はどうされます?」「予定通り、これから帰宅します」「北小路さん。とんだキャンプになりましたね。お疲れ様でした。今後の連絡は、おたくのスマホに入れますが、夜9時でもよろしいですか?」「ええ、何時でも良いですよ。スマホに入れてください」と応えたが脳裏が、ぴくっと反応した。「あの被害者のお名前は? 何歳でしたか? それとご家族は? 職業は?」北小路が矢継ぎ早に訊いた。「彼は――36歳。独身。札幌の行政書士で、山根健二(やまねけんじ)さんです」警部は簡潔に応えた。 これで被害者の情報は十分だった。 被害者・山根氏から頼まれた『秘密の書類』を渡す相手だが、書類の中に書いてあるはずだ。北小路はダウンジャケットの胸に手を当てて言い含めた。そしてキャンプの撤収に取り掛かった。15分でキャンプ道具を車に載せ終えた。緊張していたせいか、息は上がらなかった。 キャンプ場を後にしたのは、夕方5時過ぎ。相変わらず曇り空だった。そのせいで闇が早く迫って来ていた。北小路は車を留寿都に向けた。中山峠を越える国道230号が近い、と判断した。腹がぐうと鳴った。事件から何も食っていなかったのだ。中山峠で夕食をとるとしよう。すでにオートライトが付き、ルスツを通過していた。アクセルを踏みスピードを出すが、この十数年間、ゴールド免許を維持してきた彼の感で、速度制限違反ギリギリを保つことが出来ていた。それと絶えずバックミラーで覆面パトカーが追尾していないことを確認した。これは北小路の経験がそうさせている。過去何度か覆面パトカーに速度違反で捕まっていた。3度目に捕まった時、彼は覆面パトカーの持つ「追尾の在り様・車の特徴」を見つけたのだった――ここではそれには触れない。 喜茂別町の市街を通過した時だった。バックミラーに目をやると、後方100mに乗用車のライトが見えた。だが、それが「覆面パトカーの追尾の法則」に酷似していることに気づいた。北小路は試した――速度を少し落としてみたが、後ろの車が迫って来ない。今度は速度を上げてみた。後ろの車との距離は保たれている。しばらく走るとパークエリアがあった。彼は休憩している2台のトラックの空間に入れ停車した。後ろの車は黒のセダンだったが、通り過ぎて行った。尾行車か否かの最終テストは、この後だ。 5~6分経つと北小路は、国道に出て中山峠へと走らせた。10分ほど走ったところで、バックミラーを見た。100m離れて車が付いていた。パークエリアを出た時、北小路は後方に車がいないのを確認していたから、途中で待ち構えていたのだ。尾行車に間違いない! 警察でないとしたら、後ろの奴はいったい誰だ! 北小路は、『事件』と繋がる者に違いない、と確信したが―― (数日後に続く)
2021年10月05日
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パダウの呪い 光あるうちに光の中を歩め(トルストイ) (2) 薄いダウンを着こみマイナス20℃に耐えられる寝袋に入った北小路は1.8倍の眼鏡ルーペをかけ、ヘッドランプの灯りで日本古代史の単行本を読んでいた。神武東征と神武天皇を伽耶韓国と絡めた内容に差しかかった。その時だった。隣のテントの方から、くぐもった男の声が聞こえて、北小路の耳が立った。声が大きくなった。彼は寝袋から出てテントのファスナーを引き上げた。顔を出し、隣のドーム型テントを見た。テント内の微かな明かりで、数人が影絵となって見えた。またくぐもった声が聞こえた。明らかに影絵の中からだった。何かを押さえ込む影絵。下部から突き上げた足の影絵が見えた。押さえられているのだ。北小路はテント内専用シューズ(スリッパ)のまま、どたどたと走った。いや、歩いたのだ。 テント傍に着くと、北小路はヘッドランプで照らし、 「大丈夫ですか?」と声を押さえて言った。影絵の動きが止まった。その途端、反対側からテントを切り裂き3人の黒装束が飛び出し湖畔の林方向に、音も無く去って行く。逃げ足の速い奴らだ。しかも手慣れている。北小路はそう思った。 テント内を覗いた。ヘッドランプの光を当てると、寝袋から血が溢れていた。こりゃあ重症だ! 「大丈夫か!」寝袋に声をかけた。返事はない。 北小路は寝袋、頭部分を照らした。うつ伏せ状態の顔を体ごとひっくり返した。30代の男か。 「おい! 大丈夫か! 今救急車を呼ぶぞ!」 すると、男の口が軽く開き、 「リュックの……中に……書類が……頼む……彼に渡して……秘密……」と振り絞って言うなり、顔ががくんと横を向いた。 男の鼻先に耳を当て、首頸動脈に指を当てた。 男は死んだ。 北小路はコット横にリュックを見つけ、中を見た。透明なビニール袋に書類が入っていた。これか―― 急ぎテント外に出て、スマホで119番にかけた。110番にもかけた。そしてビニール袋をダウンの内ポケットに隠した。これは男の最後の言葉に沿った行為だ。『秘密の遺言』だったのだ。北小路は腹を決めたのだ――俺の運命として受け止めたぞ! 北小路は管理センターに歩を向けた。 管理センターの玄関先で、北小路は待っていた。数分して、パトカー2台が目の前で停車した。 「おたくですか? 電話された北小路さんは?」パトカーから一番先に降りた年配の警察官が訊いた。「はい。私です」「ではさっそく現場へ案内してください」 北小路は四人の警察官に囲まれるようにして、事件現場のテントへ行く。その時、救急車がサイレンを止めセンターハウス前に着いた。テント傍に着くと、年配の警察官が北小路に言った。命じたと言うべきかもしれない。「北小路さんは、そこで待っていてください」 北小路は無言で頷いた。彼を挟むように警察官二人が脇にたった。 救急車が事件現場傍に着き、救急隊員二人が後部ドアを跳ね上げ、ストレッチャアーを取り出した。「今、現場と被害者を確認していますので、少しそこで待機していてください」警察官の一人が救急隊員に告げた。 第一発見者として北小路は管理センター内、売店前のテーブルで二人の警察官から状況説明を求められていた。先ず北小路は、免許証等の提示を求められた。若い警察官が免許証を凝視する。もう一人の定年まじかと思われる警察官は、北小路に訝し気な視線を向けていた。 「おたくのテント内とリュックの中身、あの箱の中身を見せてくれますか?」視線を向けていた警察官が、嫌と言わせない強さで訊いた。 「ええ、どうぞ。遠慮なく」 北小路がそう応えると、ベテランの警察官が若い相棒に顎をしゃくって合図した。相棒が北小路のテントに向かった。 午前3時になった時、二人の警察官が管理センター内に入って来た。そしてベテランの警察官に報告した。 「湖畔の林を探しましたが、暗いせいか足跡も無かったです。明るくなったら応援を頼み、徹底的に捜査ですね。巡査長」 ベテランの警察官(巡査長)が頷き、「ここに監視カメラはありますか?」とセンターハウス管理担当者に訊いた。「設置することにしていましたが……ありません」 それを聞いた巡査長が、 「念のために、急ぎ主要な国道での検問を要請する。それと被害者の記名した名簿を見せてください」と夜間勤務のキャンプ場スタッフに命じて、パトカーに戻って行った。(次回は数日後に続く)*なにせ書下ろしなので――
2021年10月04日
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パダウの呪い 光あるうちに光の中を歩め(トルストイ) (1) 北海道もようやく新型コロナ緊急事態宣言が解除された10月初旬のこの日、平日だったが堰を切ったようにアウトドア派たちは、各キャンプ場へと繰り出した。その中、70歳を過ぎた北小路平和(きたこうじひらかず)はひとり、札幌市清田区の自宅マンションを夕方5時過ぎに出て、裏洞爺湖畔にある温泉が併設されている民営オートキャンプ場に行った。いつものソロキャンプである。彼は「ジジソロキャンプ」と自身のブログで称しているが。 キャンプ場に着いたのは予約通りではあったが、すっかり帳が降りた7時を過ぎていた。 この時期、10月上旬ともなると、夜間の気温は初冬の4℃だった。とはいえ、広いキャンプ場には焚き火、ランタンの灯りとともに大小のテントが、赤・青・黄色のカラフルな光を暗夜に放っていた。ちなみにこのキャンプ場からは洞爺湖は見えない。湖畔沿いに林があり、湖水に浮かぶこんもりとした中島が前方の洞爺湖温泉街を遮っているからだ。しかも朝から曇天である。暗夜だ。 北小路は受付を終え、指定のテント設置場所へ車を向けた。隣のテントと30mほど離れ、北小路は素早くテントの設置を急いだ。そうはいっても歳のせいか、息が上がり呼吸も荒かった。いつもの彼らしい苦役である。 30分程でワンポールテントを張り、焚き火台、折りたたみ椅子を並べた。食料、ランプ類などを入れ、テーブルを兼ねたワークボックスを椅子の横に置くと、腰をどっと下ろしタバコのケント・ニコチン1mmgを燻らせた。吐く息と煙が混じり真上に立ち昇っていく。風が無いのは助かる、と北小路は呟いた。 紅蓮の炎に化した焚き火が勢いをフェイドアウトすると、ケトルを焚き火上の金網に載せる。ほどなくケトルが蒸気音を鳴らすと、先ずは珈琲を淹れる。マグカップを天に掲げ一礼し、濃く苦い珈琲を啜る。この一連の動作は、北小路の儀式でもあった。大自然の聖なるものへの畏敬と感謝を込めて。そして祈る。無事、何事も無く今回のキャンプが終えるように、と。だがその時、キャンプ場横の林からキャーンと鹿の甲高い鳴声が響いた。北小路の心に、ぐさっと突き刺さった。彼の脳裏が、何かの警戒音として捉えたからである。何事も無ければよいが……
2021年10月03日
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写真日記 Huちゃん 写真日記 を転載しました。写真は、Huちゃんさんの「2016.02.18 02 明石海峡:明石海峡大橋夜景」 激写作品から借用させていただきました。 ブログ長編冒険小説『海峡の呪文』――(64)(この物語に登場する人物、団体名はフィクションである。だが、歴史及び政治背景は事実でもある)(エピローグ2) 朝10時過ぎ、海人と英子は、札幌市清田区里塚にある市営墓地「里塚霊園」に来た。この霊園は札幌ではバスが通るほど広大である。海人は毎年のお盆に、両親を弔うために訪れているが、同じスタイルの墓石群が多く、すんなりと着いたためしはなかった。だがこの日は違った。墓参の車で混んでいたが、迷うことなく両親の墓が建つ区画横に着いたのだ。 シンプルな洋墓区画の中列中央に両親の墓が見えた。「英子さん。あそこに両親の墓があるんだ。さあ、結婚の報告に行くとしよう」 英子が後部座席から花束を取り、両手に抱えた。 霊園内の広い道路脇にランクルを停車させ、海人が中列の墓へと歩く。後ろに英子が続く。お盆時期だが、花が飾られていない墓が散見される。毎年多くなっているようだ。その理由は様々とあるのだろうが。 海人が十字架が刻まれた両親の墓石前に来た。「あれ。身内の誰かが来たのかな?」白を基調とし、その中に赤の薔薇が墓石を彩っている。身内は兄の陸人しかいない。兄か?「海人さん。まだ新鮮です。私たちが来る前にお参りに来られたようです」英子が左右の薔薇を見た。「どこかロシア風の感じだわ」英子が薔薇の付け根を見た。ロシアでは白と赤の薔薇を好むようだ。黄色の薔薇は別れを暗喩しているとも。それを英子は知っていた。「海人さん。ロシア語の文字が書かれた紙がついていますよ」英子が読んだ。「英子さん。なんて書いてあるんだ?」「父の遺言:堀田大和様。感謝。――そう書いていますよ」「親父と関係があるロシア人が来たのかな? 誰かな?」「今年だけですか? 薔薇の花は?」英子が訊いた。「いや、俺が大学に来てから、ずっと絶えることなくあったような気がする」そう海人が思い出して応えた。「お父様にロシア人の友人、知り合いがいたのでしょうか?」「父から聞いていないよ」「でも素敵な薔薇の花です。ご両親に報告しますよ。海人さん」 促された海人が墓石の右半分に向かい膝を折る。英子が左半分、海人の隣で膝をつける。2人は3分の祈り――報告をした。1分半は、結婚の報告。後の1分半は、北方四島日露共同考古学調査の報告だった。 8月20日朝9時。海人と英子は、スタッフ8名と共にホテルの送迎車で根室港に向かった。ロシアが手配した渡航船‶クルリ号〟は、前日に根室港に入っていた。 埠頭に着くと、海人たちを文科省、北海道庁関係者が待っていた。北海道の地元新聞社文化部の女性記者もいる。彼女は取材で来ていた。(白鳥教授をはじめ、大学の関係者とは札幌で門出式があった。根室港の事件に配慮したのだった) 海人が彼らの列の端を見た。そこに札幌総領事のアントノフが、笑みを見せ立っていた。海人と英子がアントノフ総領事のところに行った。「アントノフ総領事。お世話になります」海人が手を差しのべた。「私が尊敬するお方の願いが叶って、とても嬉しいです。また先生たちには、たいへんお世話になりました。ありがとう」アントノフの手が海人の手を強く握った。そしてハグ。「榊原先生。堀田先生と真の共同作業、南クリルの第一回国後島考古学調査を楽しんでください。今回は‶平和の島々〟と言うべきかな。いずれにしても、お似合いのお二人の考古学調査を歓迎します。私たちは」アントノフは英子と握手をした。 海人たちが渡航船‶クルリ号〟に乗り込んだ。荷物は事前に運び入れている。 この日も海は凪だった。霧は出ていない。空はブルー。まさにハレの日の門出だった。 出航の10分前、海人と英子が船内の会議室に招かれた。会議室に入った。すると会議室に十鳥とミハイルがいた。驚く海人たち。「堀田先生たちよ。私も同行するぜ」十鳥が野太い声で告げた。「私も同行するよ。私は諸手続きをスムーズにやるためです」ミハイルことアキロマ教授が言った。「お二人がご一緒だと、これは頼もしいです。十鳥さんは、どういう立場、役割なんですか?」海人が訊いた。「堀田先生たちの墓堀の助手だよ。正式に大学と白鳥教授から免許状をもらっている」「十鳥さんが、白鳥教授が特別推薦した方ですか?」海人が訊いた。「正確に言うと、私は大学に就職したのだ。それもだよ、文学部考古学の助手としてだよ。そうそう、私が助手になったから、榊原助手は准教授になるはずだ。堀田先生は教授になるよ。この調査から戻ったら」十鳥が唐突な内容を誇らしげに語った。 海人と英子は、これは十鳥の親父ギャグ、いや、ブラックジョークだと思った。それを察知したかのように十鳥がスマホを取り出し発信ボタンを押した。「ほら、白鳥教授から聞くと良い」十鳥が海人にスマホを渡した。<堀田ですが、白鳥教授……><堀田君。十鳥さんから聞いたと思うが、嘘から出た誠の話だよ。十鳥さんは大学の招きで、法学部教授になるんだ。4月からね。その間、十鳥さんの希望で、堀田君と榊原君の僕(しもべ)の助手にした。君たちの人事の話も、大学教授会で決定している。おめでとう。堀田君。榊原君。じゃあ、またね> 海人は静かにスマホを十鳥に返した。海人は心の底から、嬉しさが込み上げていた。十鳥さんとずっと会える! 英子さんも大歓迎だ!「私の言う通りだっただろう」十鳥が楽しそうに言う。英子も気づいた。「十鳥さんの話は本当だったのですね? 墓堀人になるって」「そうなんだよ。英子さん」 ロシアの渡航船クルリ号が港を後にした。外洋の根室海峡に出ると、眼前に国後島が見えた。デッキの手すり越しに海人と英子が、その光景を見ている。 海人のスマホが鳴った。兄の陸人からだった。「海人。俺の予測が現実となったぞ。知床沖の鞍部下2000メートル海底部に天然ガス層があった」「兄さん。良かった。だけど……」海人が言葉を濁した。「だけど、とは何だ!」陸人が感情を露わにして言った。「その情報を上部の省庁に伝えたの?」海人が訊いた。「そういうことか。今度は、田上と俺と二人だけにとどめている。利権を漁る輩が多いからな。官邸と政府機構がまともになるまで、報告はしないよ。海底に埋蔵させておくよ」「それを聞いて、安心したよ。さすが兄さんだ」「海人。ありがとう。調査の朗報を待っているぞ」「兄さん。ありがとう」「そうだった。英子さんとは上手くいっているかい?」「調査から帰ったら、報告するよ」「それは朗報だな」陸人が言った。 海人がスマホを切ると、十鳥が傍に来た。「堀田先生よ。これが希望のものだよ。公安調査庁の野村局長のつてで手に入れたよ」十鳥が骨壺の入った小箱を両手で抱えていた。「十鳥さん。感謝する。国後島の旧留夜別(るよべつ)村にある三上権太の祖父母のお墓に入れてあげるんだ。ゴンの願いだから……」海人が骨壺を受け取った。 船の速度と共に、爽やかな風がなびく。低い空を見上げていた英子が手で示した。「あそこにエトピリカのつがいが飛んでいるわ」「おお、あれがエトピリカか――」海人が言う。「エトピリカも一緒に国後島に行くようだな」十鳥が言った。 渡航船が、根室海峡の日露の中間線を越えた。 急に風がヒューヒューと鳴り出した。それはどこか哀愁を感じさせ、海峡を彷徨う魂たちの言の葉のようでもあった。(了) 『海峡の呪文』著者 K・Fujiwara26 ようやっとブログ長編冒険小説を書き終えた。物語の中身の是非はともかく、著者の歴史観、政治観を織り込みつつ、根室海峡の向こうにある問題の島々に思いを馳せて、書き綴っていた。とかく人間は、過去を現在に正しく繋げることに意味を持ち得ないでいるようだ。だがそれは遺伝子の螺旋形から、都合の良い部分を取り出すものとも言えよう。つまり正常な遺伝子でなくなることを意味するのだ。過去という歴史事実の延長線が現在でもある。この物語は、過去と現在の繋がりをモチーフにし、現在の在り様に壊れた遺伝子形を見つつ、それを問うことをテーマとしてもいる、つもりである。とは言うものの、そう容易く描き切れていないことも事実である。その点は、読まれた方々の見識と寛容に期待するしかない。拙小説を最後まで読まれた方々に、敬意を表したい。よく読んでくださった。また、コメントをいただいた方々にも。心より感謝申し上げたい。とりわけ冒頭を飾る「激写作品」をお借りしたHUちゃんさんには、謝意を表したい。
2020年01月14日
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写真日記 Huちゃん 写真日記 を転載しました。写真は、Huちゃんさんの「2016.02.18 02 明石海峡:明石海峡大橋夜景」 激写作品から借用させていただきました。 ブログ長編冒険小説『海峡の呪文』――(63)(この物語に登場する人物、団体名はフィクションである。だが、歴史及び政治背景は事実でもある)(エピローグ) 瞬く間に数週間が過ぎていった。この間、十鳥からの連絡もなかった。 政権官邸は、‶エゾッソ号事件〟の真実を、一見認めたかのように、小刻みに公表していた――国民の反応を見つつ。この間も今も、テレビのワイドショー、週刊誌は取り上げているが、いつものように国民の怒りを駆り立てることはなかった。『いつまでそんな話題を取り上げているんだ』『もっと重要な外交問題があるのだ』SNSでもそうした声が多数を占め始めている。 世紀末現象か! 研究室にいる海人が英子に言った。「三上(三神)が浮かばれないようだ。事件の主犯が、死病に罹り、妄想にかられた教祖三上権太と留学生のイスラム原理主義過激派たちだけにされているなあ?」「海人さん。国の権力って怖いですね? 今が権力の魔性状態なのに……国の権力を悪用すれば、重要な事も矮小化されますわ」「俺もそう思うし、政権の絶対あってはならない事の本質を、いとも簡単に見過ごす国民の意識に、民主主義の原理原則が、まだ根付いていないのかな?」「米国・中国・ロシア等でも同じですね。共通なのは、独裁的政権と権力者を好む傾向が顕著に表れています」英子が言う。「近現代史の研究者が大声をださなきゃ」海人が言う。「それに――著名な作家、文化人も、大声を出してほしいですわ」「英子さんの言う通りだな。政権権力からの批判を恐れずに」 海人と英子は、8月中旬に迫った日露共同北方四島考古学調査の確認作業をしていた。7月下旬。アキロマ教授(別名ミハイル、本名イワノビッチ局長)から聞いていた通り、正式に北方四島考古学調査が決定していた。渡航船はロシア側が手配した船で、根室港から国後島に渡る、とのことだった。当然、ビザなし。これにはアキロマ教授の特別な計らいがあった。根室港の‶エゾッソ号事件〟で、日本側文科省が後ろ向きとなっていたからだった。 海人と英子の調査準備作業が、ほぼ終わった。「後は、白鳥教授が特別選出したひとりだけだな?」海人が訊いた。「白鳥教授が推薦するほどですので、私たちの強力なスタッフのはずです」英子が応えた。 突然、研究室のドアから十鳥がどかどかと入って来た。「やあ! 久しぶり!」と十鳥が告げて、海人たちの傍のパイプ椅子に座った。「珍しい方が来られましたね」海人が応える。「質問される前に、先生たちに報告があってね」十鳥が、英子が用意した水道水をごくごくと喉を鳴らして飲む。「やはり札幌の自然水は美味しい」と十鳥が言うと、「これはあの塩素が入った水道水ですわ」英子が言った。「あの忌まわしい塩素ガスか?」十鳥がコップを睨む。「そうですよ。塩素です」海人が言葉を重ねた。「やめてくれ。せっかく蘇った私なんだから」と言って、十鳥が水を飲む。「十鳥さん。私たちに報告があるって?」海人が訊いた。 十鳥が姿勢を正した。何だ!「あの木箱の機密資料の解読と整理は、白鳥教授たちが順調に進めているのだが、やはりどれもが大本営・関東軍・朝鮮総督府・戦争遂行した政権が発した戦争犯罪、特に国際法で禁止されていた人道・人権を侵した内容ばかりのようだ。さらに、新しそうな機密資料冊子類は、上海の謀略工作と麻薬密売、そして貴金属を略奪していた太田機関の内部機密文書類だった。U500にも触れているようだが。関東軍の731部隊の機密文書もある。驚くことに……いや、私も驚いた。その中、戦争遂行政府責任者に、鬼畜米英のスパイが複数人いたことだ。大本営参謀部内部にもいた。石原完彩もそのひとりだがね。そう太田機関の機密文書にあった。さらに、それらに旧財閥関係企業が間接直接的に深く絡んでいた」 海人たちも驚きの表情を露わにした。「先生たちよ。三神の遺言、パンドラの箱は本物だったな。政府関係が情報を国民に開示しないことは、政権権力にフリーハンドを与え、国民には悪しき負担を巧みにもたらし、その胴元の利権を隠しつつ確保するのだ。現政権にもそのDNAが受け継がれているがね」「十鳥さん。その機密資料をどうするの?」海人が訊く。「白鳥教授たち、札幌公安調査局の野村局長らと議論した結果だが、現政権下では、正当な評価を得ないものと考えたよ。そもそも国民の多くが、過去の歴史事実を理解する状況ではないからだ。どうかね?」十鳥が逆に訊いてきた。「十鳥さん。私もそう思います」英子が応えた。海人も頷いて同調した。「先生たちよ。私も日本国憲法順守主義者だよ。日本国憲法の普遍性を、いわゆる誰の影響で出来たかの問題を超えた最高法規範の憲法だ。だがね。戦前もそうだったが、利権に群がる輩の政権権力者たちと、その支持基盤層(概ね大企業体)には、彼らの貪欲な欲求――金だがね。それを阻害する法規ほど邪魔なものはない。そこで我々は、こうも考えたよ。ポスト政権が現政権と同じスタンスを取るならば、三神の遺言を少し公開し牽制しようと。それは与野党の政権に言えるがね。どうかね?」 海人が英子を見て言った。「十鳥さんの言う通りだ。十鳥さんたちに委ねたい。私たちは、考古学の研究世界に戻るよ。なあ、英子さん」海人が言うと英子が頷き意を示した。そして英子が十鳥に質問した。「悪魔どもがパンドラの木箱を探していたことと、教祖三神と、官邸とどう繋がっていたのです?」「先生たちの見解と同じかな。三神の教団に利権を旨とする反三神派がいた。彼らと基督教を名乗る新興宗教と透析病院が結託していた。教祖の三神は、ただ国後島の先祖の墓前で死にたかったようだ。反三神派の反動を抑えることが出来なくなっていたようだな。右翼の大物・石原完彩を公安調査庁が監視していたのは、官邸の指示だった。恐らく、石原完彩は戦後ずっと政権を揺さぶっていたのだろう。それも石原の利権目的だがね。戦後の保守政権に不都合な機密資料の存在をほのめかしつつ。同時に、ピンクダイヤモンドをお気に入りの保守政治家に与えつつ。だが現政権官邸は、石原完彩と縁切りしたかった。それでも現政権の利権漁り人脈は、まだ健在だよ」「そういうことですか。整合性がありますね。分かりました」英子と海人が頷く。 海人が十鳥にメモを渡した。十鳥がメモをチラッと見て胸ポケットに収めた。「じゃあ、私は帰るとしよう。とりあえず、報告できた」と十鳥が言って、研究室から出て行った。 十鳥が研究室を去ると、海人がポケットから小さな青色の箱を取り出した。「英子さん。私の気持ちなんだ」海人がぎこちなく小箱を英子の前に出した。 それが何かは、英子に分かった。が、海人の言い草が物足りなく思った。「それ、何ですか? お気持ちって?」 海人は気づいた。言葉足りずだ。改めて海人が言った。顔が真っ赤だった。「英子さん。私の気持ち……英子さん! 結婚してくれ! これは婚約指輪ですが……」 英子は海人の申し出が嬉しかった。結婚の申し出は遅いくらいだと思っていた。「まるで、海人さんに襲われるようですよ」英子は意に反した言葉を吐いた。 海人が逡巡する。真っ赤な顔が青ざめていく。慌てた英子が言った。「海人さん。とても嬉しいのです、私は」 英子の言葉を聞いた海人の顔が赤くなり、輝く。「英子さん。こういう男だけど、嬉しいです」 英子が左手を差し出した。海人が小箱を開け、ピンクのダイヤがついた婚約指輪を取り出した。英子の目がピンクダイヤモンドの粒にいく。慌てて海人が言った。「ダイヤはパンドラの物じゃないよ」「海人さん。大丈夫? ダイヤが輝いていたから、目がそこにいったの」「英子さん。結婚式は北方四島から戻り次第行いたいけど?」「私もそう思ったわ。東京の実家に知らせます」「十鳥さんにも知らせたら」海人が訊いた。「ん? 十鳥さんにも?」英子がきょとんとした顔となっていた。 (続く)
2020年01月13日
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写真日記 Huちゃん 写真日記 を転載しました。写真は、Huちゃんさんの「2016.02.18 02 明石海峡:明石海峡大橋夜景」 激写作品から借用させていただきました。 ブログ長編冒険小説『海峡の呪文』――(62)(この物語に登場する人物、団体名はフィクションである。だが、歴史及び政治背景は事実でもある)三神の遺言(2) 結局、三神の遺言であるパンドラの木箱は、少年期の遊び友達だった堀田海人の手で開けられたのだった。だが海人には理解し難い何かがしこりとなって残った。 『このパンドラの木箱は、あの透析病院の悪魔らとどういう関係があるのか。このパンドラの木箱を巡って、探していた公安関係者が数人殺されてもいるのだ。三上(三神)は、パンドラの木箱の存在を奴らに意図的に漏らしていたのではないのか。何故だ? しかも官邸にも。何故だ? どいつもこいつもパンドラの木箱に執着していたのだ。何故だ?』 大学の研究室で一晩明かした海人と榊原だった。 本棚の下、寝袋で寝ていた榊原英子(今後は、英子と書く)が、浅い眠りから覚めた。「海人さん。起きていますか?」 椅子に座り、パンドラの木箱に思いを馳せていた海人が返事をした。「英子さん。眠れたかい?」「海人さん。この木箱の事で色んな夢を観ましたよ」英子が言った。「実は俺も、このパンドラの木箱について色々と思案していたんだ」海人が木箱4個を前にして言った。 十鳥と野村局長は、「当面、この木箱をここで保管してもらう。ここが一番安全だから」と言って、日の出とともに研究室を離れて行った。だが、大学正面に警備要員が乗った車があった。大学の裏門付近にも警備要員の車もあった。警戒は怠っていない。「英子さん。どうも腑に落ちないでいるんだ」海人が奥にいる英子に言った。「海人さん。何が? 教祖三神と悪魔たちとの関係でしょうか。それに公安の人たちが犠牲になったことも?」英子の問いかけは、海人の疑問と同じだった。 海人が訊いた。「英子さんの質問の通りだよ。英子さんの夢も同じだったのでは?」「海人さん。そうなの。辻褄が合わないわ。どう考えても――」「そうだよな。透析病院の悪魔どもは、パンドラの木箱を探していたんだからな。それと三上(三神)とイスラム原理主義過激派たちのダーティーボムテロ未遂事件にも……それに官邸の犬、紫藤1佐らにも……」そう海人が歯切れ悪く言うと、「海人さん。私たちの考古学研究は、創造力と発想力が先にあって、それから講学的な実証学、そして物証学へと。やはり決め手は、物証ですわ。この論理を今回の一連の事件に当てはめてみたらどうでしょう」「英子さん。そうしよう。すっきりしたい」 この数受分後、海人と英子は、推論だが「結論」を出した。『すべての糸は、政権官邸に繋がっている』『すべての事件が首尾よくいけば、得を得るのは、政権官邸だけである』『官邸の目論見、それを阻止する輩がいた。ミハイルと十鳥たち、私たちだ。そして、変異的だったが三神も入るのだ』『政権官邸は、後始末に追われている』『後始末の方法には、二つある』『一つは、外国人のイスラム原理主義過激派のせいにすること。100%で』『一つは、一連の事件を抹殺することである。物証の100%廃棄だ。有った無かったと、神学論争すれば済む』『この二つは、現在進行中だ』『では、どうすれば良いのか――私たちに出来ることは、一つだけだ』『この事件と三神の遺言である物証を公にする、これだけだ。十鳥と仲間たちが抹殺されないためにも――』『ミハイルの立場にも考慮しつつ』『真綿で首を絞めるように、政権官邸を追い詰めていく』 英子がスマホを取った。英子か知っている地元新聞社の女性記者の番号を押した。「おはようございます。榊原です。緊急の案件でお会いしたいのです……今日ですが……何時でも良いのですか……では、大学の研究室で、これから、11時は?……お待ちしていますよ。ああそうでした。大学の事務局で白鳥教授に用があると言ってください……良かった」これが英子が話した内容である。 11時5分だった。白鳥教授が女性記者を連れて海人の研究室にやって来た。「君たちの希望通り、記者さんをお連れしたよ。じゃあね」と言って、白鳥教授は戻って行った。 女性記者が海人たちに挨拶し、木の箱4個を見た。「まあ、この狭い研究室が木箱に占領されていますね」と言って、女性記者は椅子を勧められた。 海人が意を決した表情で女性記者に言った。「どの部所属ですか?」「私は文化部の記者ですよ」 海人が訊いた。「お伝えしたい重大な情報は、文化部。社会部。そして政治部に適してもいますが?」「白鳥教授から重要な情報、とお聞きして、社のデスクに記事掲載の紙面を広げましたよ。社会部には。お話をお聞きしてから、社のデスクと相談します」白鳥教授は、事前に海人たちから報告を受けていた。女性記者は「事の重要性」が認識できるように。 海人が念を押すかのように女性記者に訊いた。「こんにちの政治状況と関係があるネタですので、下手すれば貴女の記者生命と社運がかかる内容ですよ。良いですか?」 女性記者は益々好奇心を高めた。いったいどれほどのネタなのか――この大学の考古学者の二人が持つ情報とは?「フェイクなネタでなければ、恐れるものはありませんよ。ご懸念なく」「では、先ず1点のネタを提供します。あの根室港での‶エゾッソ号事件〟ですが、官邸の記者会見は、すべてが嘘です」海人が言った。同時に、英子が現場関係の写真と時系列の詳細な記録冊子をテーブルに置いた。「見ていただきたいのです」 写真には、銃弾で倒れている者たち、避難している観光団の一般人と政府・道庁関係者、そして与党政治家たちの不安な顔顔顔が写っていた。記者が、記録冊子を最後まで目を通した。「これは――」と記者が言って口を開けている。「如何ですか?」海人が記者に訊いた。「重大過ぎる内容です……」記者が困った表情を浮かべている。「如何しますか? 取材対象にしますか?」海人が訊き直した。 女性記者が英子に訊いた。「何故? これを私に?」記者が英子に訊いた。「私の勘なのです。特ダネ旺盛な記者では、この事件の取り扱いを間違う恐れがありますので……それで文化部の貴女にお願いしたのです」英子が応えた。「それとは別に、重要なネタも用意しています。この木箱に入っているものです」海人が記者の告げた。女性記者が木箱に目をやる。「この木箱に先の戦争突入時の軍部の機密書類が、ごっそりと入っています。それも敗戦を予期した時に焼却処分されたと思われる重要なものばかりです。現政権の修正歴史観を覆すものです。真正な公文書ですよ」海人が言った。 女性記者は、困惑の表情を浮かべている。‶現政権の修正歴史観〟と説明されただけで充分理解できたからだ。女性記者は目を点にして木箱を見つめている。数分が経った時、女性記者が口を開いた。「先生方の言われたように、慎重に進める必要がありますね。当然、情報源は秘匿しますわ。最初に記事掲載するのは、‶エゾッソ号事件〟の情報からです。この写真を数点載せ、情報提供者を伏せ、真実の一端を載せます。それで政府官邸の反応を確かめて、少しづつ掲載をしていきます。如何でしょう?」記者が海人たちに訊いた。「やはり、そういう方法しかないな」海人が言うと、「私もそう思うわ」と英子も言う。「事件の写真と記録はお借りしますね」女性記者が英子に訊く。「それは用意したコピーですので、どうぞ」英子が応えた。「このコピーもお持ちください」海人が機密文書ひとつ(コピー)を渡した。「では急ぎ社に戻ります。デスクと相談して記事掲載させていただきます」「変な輩がいますので十分気を付けてください。貴社にも官邸の圧力がかかるものと覚悟してください、とデスクに言ってほしい。連絡は榊原ととってください」海人が言うと、女性記者は眼光鋭く頷いた。 翌日の地元新聞の朝刊に載った。『‶エゾッソ号事件の真相に迫る』と、大見出しが一面の左側にあった。海人と英子は、昨夜も研究室に泊まった。この新聞記事を見たのは、朝8時半だった。予想通り、事件の一端を垣間見せるかのように巧みに書かれていた。『観光団の某関係者によると――その時の状況はこうだった――官邸記者発表と異なる実体が――なお取材中であり、某関係者からの提供写真と経験談も聞き取っているが、次回に詳細に記事掲載する――』 数点の写真には、恐怖心を露わにした与党政治家と政府関係者の顔が大きく載っていた。避難時の写真だった。(英子がスマホで撮っていたのだ。。十鳥のドローン担当要員も撮っていた)官邸・官房長官の記者会見 朝10時。定例の官房長官の記者会見があった。記者席は満席だが、官房長官らは、まだ会見場に現れていない。15分が過ぎても。30分経った時、ようやく官房長官たちが姿を現した。騒めく会場。官房長官の足が、いつもの運びではなかった。一歩一歩が重々しかった。鉛の靴を履いているかのように。「ええ……今日は特別な内容の発表は……ええ……ありません。なお、地方の一部新聞に‶エゾッソ号事件〟に関する記事が掲載されている、との報告を受けておりますが、それにお答えできる情報は持ち合わせていません。そのことを承知の上で、質問を受けます。急な案件が入り、会見の時間が限られましたので、代表幹事新聞社から質問一つをお受けします」 騒めく記者たち。その中、新聞社を代表した幹事の記者が挙手をした。「先日の官房長官の発表と異なる‶エゾッソ号事件〟に関する記事が、北海道の新聞に掲載されています。いま官房長官が言いましたように、我が社もその真偽のほどを確認できない状況ですので、次回の官房長官の記者会見で発表されるものと期待しております。官房長官。よろしくお願いいたします」 これには記者たちは納得できず、挙手挙手挙手が林立。「ええ……時間が参りましたので、今日の会見はこれで終わります。代表幹事からの質問がありましたので、ええ……次回、お答えできるように情報を確認いたします」 官房長官の額から汗が浮かんでいた。側近の審議官たちに守られるように官房長官は会場から去って行った。海人の研究室 海人と英子は、テレビのニュースを観ていた。放送局が分断されているかのように、北海道の地元新聞スクープを取り上げ、官房長官の記者会見も取り上げていたテレビ局各社は限定されていた。まったく取り上げていない放送局は過半を占めていた。これは異常だ! 木箱の機密文書を読み整理していた海人たちに、十鳥から連絡が入った。「地元紙に提供したのは、実に良い方法だった。だが官邸は、その地元紙の経営陣に、兵糧攻めの圧力をかけることだろう。官邸を支える大企業は広告掲載を止めるはずだ。したがって、続きに期待できない。そこでだ。今度はミハイルに頼んで週刊誌にリークすることにした。さらに政権に危惧している全国紙にもだ。要員たちは、ネットも利用する。この一週間が山場かな。その間、先生たちは機密文書の解読に当たっていてほしい。ただし、来月の予定している北方四島日露考古学調査の準備も怠ちゃ駄目だよ。警備体制はそのままだ」十鳥の連絡が切れると同時に、英子のスマホに地元女性記者から連絡が入った。「先生方の危惧した通りになったわ。大企業団体から圧力がかかり、今後も事件を掲載するならば、広告は出さない、と。記事の反響は大きいのですが、デスクは様子を見たいと。とても残念ですわ。でも、個人的な繋がりが本州の新聞社にありますので、了解いただければ、情報を流しても良いでしょうか?」 英子が海人を見た。海人が頷いた。「良いですよ。信頼していますわ」英子が応えた。週刊誌のスクープ 数日経った頃だった。新聞各紙の半五段広告に週刊誌2誌の大見出しが並んだ。『犠牲者多数! 官邸の嘘がバレた! エゾッソ号事件』『スクープだ! エゾッソ号事件の真相はこうだ!』 これは発売前の予告広告だったが、ネットでは、あれやこれやと飛び交っていた。その概ねは「真実」だった。官邸記者会見 定例の官房長官記者会見が、3日間なかった。官邸の理由は、官房長官らがインフルエンザに罹り入院した、とのことだった。退院次第、定例記者会見を行う、と官邸のHPに書かれていた。海人の研究室この日、朝から十鳥が研究室にいた。十鳥が海人たちに日露北方四島共同考古学調査の内容を執拗に訊いていた。海人は心配になって十鳥に訊いた。「事件の事は良いのですか?」 十鳥が口の端を緩めて応えた。「事件の事は、もう終わったぜ」「終わったって?」海人が怪訝な面持ちで言った。「見ていてご覧。あと5日も経てば、官邸はギブアップするよ。先生たちよ。事件の物証が次々と世間に晒されていくのだ。言い逃れの余地もなく、だよ。物証物証。これって考古学でも要の要素だろうに」やけに十鳥に余裕があった。「何で、北方四島考古学調査に関心が、急に出て来たの? 十鳥さん」海人が尋ねた。「実はさ。私は検察庁を退職したんだ」十鳥は意外なことを言った。「十鳥さん。じゃあ、今後は弁護士になるのかな?」海人が訊いた。「弁護士? いやそうじゃないぜ」十鳥が応えた。これも海人たちには意外だった。「それでは、何をされるのですか?」英子が訊いた。 十鳥の顔が赤くなった。「それは白鳥教授から聞いてくれ。俺から言えないよ」 海人と英子は顔を見合わせ黙った。白鳥教授から聞くとしよう。「ところで十鳥さん。機密資料の解読と整理にはかなりの時間がかかりそうです。それで、3箱分は北方四島考古学調査を終えてから解読、整理をしたいと、白鳥教授に伝えています」そう海人が言うと、「白鳥教授が何人かとで、3箱を整理すると言ってたぞ」と十鳥が言った。「警備は?」海人が訊いた。「警備体制は、さらに強化する。札幌公安調査局の野村局長も全面協力だよ。解読、整理と同時に、コピーを取ることにした。内容の公表は、検討中だ」十鳥が応えた。「あのピンクダイヤは?」海人が訊いた。「俺の案だが、ざっと見て総額数十億円だ、その20%を小清水町に行かなきゃならない。残りは、国庫だな」「どういう方法で小清水町に?」海人か訊く。複雑な問題を含んでいるからだ。「そりゃあ簡単だよ。良いかい。あの洞窟内で出たとしたら、公物にならないからだよ。つまりさ。納屋の所有者には謝礼で済まし、20%のピンクダイヤモンドは、埋蔵場所を捏造するんだよ。もうその場所は決めている。堀田陸人所長に頼んでいるよ。彼は喜んで埋蔵場所をでっちあげると言ったぜ。以前、旧石器時代の捏造事件があったようにね。でもね。堀田陸人所長は、条件を付けたよ。残りのピンクダイヤモンドの一部で、朝鮮半島からの強制連行徴用工の保障と、小清水町で共同墓地に埋葬されている朝鮮人の供養塔を建立してくれと。俺もこれには賛成だ。どうかね? 先生たちよ」 英子が海人を見た。海人が言った。大賛成だ! と。「ところで、十鳥さん。十鳥チームの方々は?」海人が訊いた。「彼らは、無事に職場に戻ったよ。有給休暇が終わる前だし、事件に関わった証拠を残していないから、何はともあれ、彼ら全員の安全と暮らしを確保できたと思っている」十鳥がふっと溜息を漏らした。安堵の溜息だった。「札幌公安調査局の野村局長、市川局長代理らは?」海人が訊いた。「彼らも同じだよ。しかもだ。元々彼らは、公安調査庁本庁の指示でイスラム原理主義過激派を監視していたからな。それに関わる宗教団体と個人も。彼らの表の活動には、正当な根拠がある。裏はあくまでも裏。物証を残してはいない」官邸記者会見 週刊誌のスクープが効いた。官房長官は入院中。その代役で副官房長官の矢倍が記者会見場に出て来た。矢倍の机上の空論は消えていた。「官房長官が入院中につき、代わって私が発表いたします。エゾッソ号事件に関しましては、事件の詳細を第三者を交えた調査委員会を発足させ、国民の皆様へ誤解のないようにしたいと決定しました。なお、先の官房長官の記者会見の内容に誤解を生じるものがありましたので、この場で撤回させていただきます。今後、あのような事件が起きることがないように、初心に帰り、鋭意努力して参ります。以上」 記者席は騒然としていた。怒号も飛び交っていた。 翌日の新聞各紙、政権支持の新聞でさえ、エゾッソ号事件の真相を取り上げ、政権官邸批判記事が載っていた。テレビのワイドショーでも連日、エゾッソ号事件を取り上げていた。匿名の情報提供者が撮った現場写真、観光団の匿名関係者の話と共に。 さらに週刊誌の追及は止むことがなかった。次々とエゾッソ号事件の物証と共に、官邸の嘘が暴かれていった。 この翌日だった。副官房長官だった瀬戸際が入水自殺した。遺書があった。そこに書かれている内容は、瀬戸際の悔悟であり、政権官邸の指示を記したものだった。が、遺族はこの遺書を公にしなかった。(続く)追記:私事。初孫も東京に帰り、静かな日々が戻った。 【孫の手は 年寄り共の 心掻く】ん?
2020年01月12日
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写真日記 Huちゃん 写真日記 を転載しました。写真は、Huちゃんさんの「2016.02.18 02 明石海峡:明石海峡大橋夜景」 激写作品から借用させていただきました。 3月7日掲載(1)~ ブログ長編冒険小説『海峡の呪文』――(61)(この物語に登場する人物、団体名はフィクションである。だが、歴史及び政治背景は事実でもある)三神の遺言(1) 朝一番、羽田発の便で9時過ぎに女満別(めまんべつ)空港に着いた「独立法人・資源開発探査研究所」の堀田陸人と部下の田上は、札幌公安調査局の市川局長代理らと合流した。2台のセダンに分乗し小清水町へと向かった。裏道を通ると小清水には1時間ほどで着く。そう高くない山間と広大な畑作地を眺め、陸人が市川に言った。「恩師の河田前町長が全面協力してくれました。お伝えしていたように目標の‶あの小山〟傍に建つ‶ハピネス倶楽部〟の老人ホームとは別に、その隣の農家が小山の洞窟の入り口から5メートルまでを所有していて、その洞窟からも目標地点に掘り進むことが出来ます。河田前町長が言うには、その農家の所有者、教え子の祖父は旧軍人だったそうです。終戦後にそこに住み始めたと」「では、我々の意向を酌んだ北海道警察斜里警察署が老人ホームを数日間調査している間、堀田さんには私の部下と共に農家側から洞窟掘削を頼む」 公安調査庁は、戦前の特高警察、国内外のスパイ工作秘密機関等のDNAを引き継いでいるが、家宅捜査権、逮捕権の権限はない。そこで札幌公安調査局の野村らは、北海道警察本部にいるコネを利用した。道警斜里警察の捜査の名目は『違反建築の疑い』である。違反建築。これは事前に調査済みだった。 ‶ハピネス倶楽部〟の老人ホームは、まだ完成していなく、入居者募集もしていない。職員らしき者が6人泊まり込んでいるだけである。「河田先生の教え子たちが、準備万端です」陸人が応えた。「急いでも3日はかかりそうだな?」市川が訊く。「それ以上かも」陸人が応えた。 小清水町に入った市川と陸人の一行は、市街地の入り口にある小清水神社の前で停まった。そこには斜里警察署のパトカー2台が待っていた。 「これから昼飯を食いたい。老人ホームに踏み込むのは午後1時30分としたい。公安調査庁の我々は、建築指導担当スタッフということで同行しますね」市川がパトカーの警察官に言った。「了解しています。小清水町役場の担当者たちにも連絡済みです。では、午後1時30分に――」警察官が応えた。 陸人と市川の目的は、あくまでも三神の遺言の発掘である。終戦間際に朝鮮半島から強制徴用した約2000人の朝鮮人も関わって完成した(史実)――完成まもなく終戦となり、一度も使用されなかった――旧海軍滑走路、その南1.5キロメートルに設けられた高射砲陣地跡の洞窟内のどこかに、三神の遺言にある‶何か〟が秘匿されているはずだ。‶ハピネス倶楽部〟の老人ホーム。そこの輩も三神の遺言にある‶何か〟を発掘しているが、まだ発見に至っていない。『北緯42度45分。東経140度90分。北緯43度85分。東経144度50分』 小清水町の発掘地点は、後者の方・北緯43度85分、東経144度50分である。ちなみに前者は支笏湖付近であるが。(なお、この暗号のような数値と詩は、物語の始めのところに描かれている)『女神の暗号にある財宝とU500』。U500はイエローケーキウラン500を指すようだが、洞窟内にあるのか否かは不明である。 午後1時30分。市川らが道警斜里警察署の警官らと「老人ホーム」に立ち入った。職員の反発、抵抗はなかった。この老人ホームはRC造である。町役場の担当者と市川らは、重箱の隅を突く。設計図書との整合性の無い点を探していく。 市川は違反建築に知悉しているスタッフを同行させていた。もっぱらそのスタッフが違反の確認に当たった。市川から、3日間以上じっくりと時間をかけることを命じられていたので、市川の部下は、町役場の担当者を違反箇所へとこまごまと導いていった。 一方、陸人と田上、市川の部下2名は、老人ホーム裏側に建つ農家の納屋にいた。その納屋から、貯蔵用の洞窟内に入れる。すでに洞窟内には、河田前町長の教え子協力者が10人ほどいた。市川が用意した削岩機などの発掘装備もあった。緯度から算定すると、目標の地点までは10メートル強掘り進むことになる。この洞窟に接する納屋は、小清水市街地のはずれにあり、隣家の老人ホーム以外の家はかなり離れている。掘削の騒音。掘削残土処理。これらはそう気にする必要はなさそうだった。 市川がインカムで陸人に告げた。<掘削を開始だ! ブツが見つかるまで連絡を絶つ> 陸人が応えた。<了解。発掘を開始します> この会話と掘削作業は、札幌の大学研究室にいた海人と榊原にLIVEでPC画面に映っていた。陸人は海底資源地層の発見が専門だが、地表浅い所の穴掘りは海人たちが専門である。陸人は弟・海人と榊原にアドバイスを頼んでいた。 削岩機2台が75年前の洞窟奥を突く。表面の火山岩がボロボロと崩れる。<兄さん。奥表面1メートル削ったら連絡してくれ。そこでいったん観察するよ> 作業は夜11時過ぎまで続いた。<海人。表面1メートルを削ったぞ。見てくれ>陸人が伝えた。 海人と榊原がLIVEモニター画面を見つめた。<兄さん。中央部の下部のところ、直径1メートルが少し色が変わっている><榊原ですが、私もそう思います> 陸人が返事をした。<じゃあ、ここを重点的に掘ってみる> これから3時間かけて5メートルほど掘り進めた。人ひとりが通れる穴が開いた。LIVEカメラがその穴奥を映す。 モニター画面を見ていた海人が言った。<兄さん。側面を映してくれ。右側だが>カメラが側面を映す。ん?<英子さん。この側面に違和感があるのだが>海人が榊原に訊いた。<礫岩層なのに、そこだけ、そうでないような……><英子さん。礫岩に擬した感じだな?>海人が言う。<少し表面が滑らかに見えます。それは人の手が入ったもの……>榊原がわずかな変化に気づいた。偽の壁?<これは自然岩ではないな。兄さん。側面右壁を掘ってくれ>海人が言った。 河田前町長の教え子たちが削岩機で側面を掘り崩す。50センチメートルの壁を穿つ。削岩機を止めた教え子が「おお!」と叫んだ。 海人たちのモニター画面がそれを映した。古墳の羨道部のような空間が現れたのだ。<兄さん。そこの空気汚染に注意だ><了解した。皆、防毒マスクを着けてくれ><兄さん。放射能検知器の数値は?><おっ。ちょっと触れているぞ。安全値の範囲で><その羨道部で一番放射能値が高いところを見つけてくれ。兄さん><分かった>陸人が放射能検知器を壁に当てていく。羨道部の右側面に検知器を当てた。放射能検知器がピーピーと音を立て、針が一気に振れた。やばい!<海人よ。放射能線量が危険値になったぞ!><兄さん。急ぎ戻ってくれ! 危険だ!><皆、ここから急ぎ出てくれ!>陸人が叫んだ。 この時、すでに夜半が過ぎていた。掘り進んだのは5メートル強だった。<兄さん。とりあえず転進だ。いま十鳥さんと相談する>そう告げて海人は十鳥のスマホにかけた。 海人から状況を聞いた十鳥が訊いてきた。<堀田先生よ。穴倉の放射能線量が高いところに、三神の遺言があるのではないだろうか?> 海人もそう思った――宝のあるところの入り口には、とかく危険な仕掛けがあるものだ。それだ! 十鳥さんの言う通りだ!<英子さん。放射線量の高いところが、三上(三神)の遺言が眠る場所の入り口だと思うのだが……>海人が榊原に言った。 榊原が大きく頷いた。 十鳥が言った。<よし! 札幌公安調査局の野村局長に連絡し、朝7時までに自衛隊放射能専門要員たちを行かす。そういうこともあろうと、準備態勢をとっていたのだよ。彼らはヘリで行くぞ。ああそうだった。老人ホーム内に洞窟への入り口があったが、10メートルで行き止まり状態となったままだったとの報告がある。巨大な岩盤で先に掘り進めなかったそうだ。これをいわゆる岩盤規制というのだろう。要は洞窟への入り口ではない、と奴らは踏んでいたそうだよ。いずれにせよ、市川局長代理らは、なんだかんだと屁理屈を並べて老人ホームに皆を釘付けにしている。朝まで休んだら良い>十鳥が海人たちに告げた。さらに十鳥が付け加えた。<そうそう、市川さんらとは、事が終わるまで接触をしないほうが良い。お兄さんたちの発掘がばれないためにも><兄はそう理解しているようだよ。十鳥さん><そうだよな。愚問だった。俺も歳をとったようだな> 急に海人は、十鳥の成果が気になった。<十鳥さんの方は?><こっちは、紫藤1佐から心の蔵を取ったぞ><まさか……殺したんじゃ……>海人が真面目にそう受け止めた。<堀田先生よ。俺は殺生が嫌な性質だ。紫藤1佐から情報のすべてを頂いたのだよ。親父ギャグだぜ><それで官邸を屈服させることができそうですか?>海人が訊いた。<まだだな。やはり三神の遺言次第かな。。それにかかっているようだ。先生方もお兄さんに全知全能で協力してくれ><全知全能? 神がかった言い方だよ。十鳥さん><こういう場合は、祈りしかないぞ。先生たちよ>いつもの十鳥らしい応え方だった。5分5分ということか! それともイチかバチか? 山師のようだな――官邸内 首を切った瀬戸際の後釜に首相側近の矢倍一郎(やばいいちろう)衆議院議員が、副官房長官に就任していた。矢倍は警察庁官僚出身の政治家で、首相の影の後始末屋と言われていた。首相の不祥事に不都合な書類・データを意図も容易く「無いもの」にする強引な手法を取る男だった。ゆえに後始末屋なのだ。 朝8時30分。矢倍副官房長官は副官房室の椅子に座り、‶エゾッソ号事件〟の後始末を練っていた。矢倍の頭の回路は、不法入国していたイスラム原理主義過激派による日露経済協力政策へのテロ行為とさせるシナリオが描かれていた。そしてそのテロ行為を阻止したのは、自衛隊特殊部隊であるべきだ、と。この捏造を練りに練っていたのだった。彼のシナリオには、ダーティーボム、教祖三神も登場していない。むろん、十鳥チームも存在してはいない。さらに十鳥らの裏の動きと、札幌公安調査局の野村らの動向も、矢倍副官房長官は知らなかった。 矢倍が「これで良いだろう」と安堵すると、デスクのボタンを押した。「官房長官はおられますか?」「はい。今しがた官房長官室に参りました」秘書が応えた。ほぼ同時に官房長官が出た。「矢倍です。処理案を作成しましたので、これから伺います」「はい。官邸に害のない‶エゾッソ号事件の修正処理案〟が出来ました。ではさっそく」 この会話を十鳥が残置していた‶壁の耳〟が盗聴していた。 ‶壁の耳〟の担当者要員が、十鳥のスマホに矢倍副官房長官の生の声を送信した。小清水 朝7時過ぎ、十鳥が言っていた‶自衛隊放射能専門要員〟が乗った陸自のヘリが、小山近くの畑に舞い降りた。彼らは第7師団千歳基地所属の近代化対応部隊員だった。十鳥から言われた札幌公安調査局の野村が万が一に備え、基地司令との個人的な関係――高校の同級生だった――と、旧海軍跡での放射能物質発見時を想定した事態への対応を要請していた。表向きは‶旧海軍が廃棄した砲弾類が出た〟ケースとしての事だったが、小清水町の了解も取り付けていた。これには河田前町長が絡んでいたが。 幸い人目に触れないうちに、‶自衛隊放射能専門要員〟が洞窟内に入って行った。彼らは3時間経った時、洞窟から出て来た。筒状の放射能物質対応容器3個をヘリへ運び込んだ。「洞窟内の放射能物質は、1㎥ほどで精製前のU500でした。あの特殊容器に収納しました。安全を確保しました」自衛隊責任者が札幌公安調査局の要員に言った。「処理は内密に」公安の要員が言った。「ええ、上司からそう指示されていますので」 この数分後、自衛隊のヘリは畑から飛び立って行った。 定山渓秘密拠点 札幌公安調査局の秘密拠点にいる十鳥に‶壁の耳〟から連絡が入っていた。野村局長とその‶生の会話〟を聴いた。「野村局長よ。官邸の得意技が出て来たぞ。官邸に害のない‶エゾッソ号事件の修正処理案〟だと。呆れるほどの有を無にする違法行為を、よくも繰り返す官邸の野郎どもだ。許せん!」「十鳥さん。公僕の我々らしく、官邸のあくどい違法行為と最後まで戦わなきゃね」「問題は、どうやって我々公僕が官邸どもに勝つか、だな?」十鳥がまなじりを上げた。「十鳥さん。やはり三神の遺言次第だよ。もし遺言通り、何かが出たらそれを武器に使うとしよう。先ほど自衛隊千歳基地の司令から連絡があった。洞窟内から放射能物質を回収したと。その状態は、入り口を意図的に放射能物質の混じった粘土で塞いでいたようだ」「じゃあ、確かな何かがある、ということだ。我々も発掘をLIVEで見るとしよう」十鳥の口調に力がこもっていた。小清水 昼過ぎから、陸人らの洞窟内の掘削作業が再開された。放射能検知器はおとなしかった。ほっぱりと開いた穴。そこから陸人たちは照明付きのファイバースコープを差し込んでいく。同時に、小型放射能検知器のケーブルも入れた。モニター画面には、ぼやっと穴倉の大きさが見える。約12畳と広く、天井も2メートルと高かった。スコープが側面の壁を舐めていく。意外と新しい木製の棚が壁を取り囲んでいる。棚は空だった。放射能数値はゼロ。 スコープが奥の壁にいく――。 札幌の大学研究室で、海人と榊原がモニター画面を凝視している。ん?<兄さん。ストップ!>海人が叫んだ。<何だ! 海人!>陸人も叫ぶ。木製棚の奥の壁をスコープが映しているが、何の変哲もない壁だったからだ。<スコープを岩壁に接眼してくれ。少しづつ横に動かしながら>海人が言う。<ストップ! 拡大してくれ!>海人が叫んだ。 モニター画面に拡大した礫岩の粒が映った。<英子さん。この礫岩粒はまわりの礫岩と違うな?>海人が榊原に訊く。<海人さん。この礫岩粒には苔類が着いていません。新しい粒です>榊原が応えた。<兄さん。そこの礫岩壁を穿ってくれ! 放射能に気を付けて!><分かった!> 河田前町長の教え子たちが2台の削岩機を唸らせた。公安の要員が放射能検知器を、彼らの横で壁に当てる。10分で直径1メートルの穴が開いた。放射能値はゼロ。陸人らがファイバースコープを穿った穴に入れていく。放射能検知器のファイバーと一緒に。映った! 放射能数値ゼロ! 海人たちのモニター画面、十鳥たちのモニター画面に、穴倉の全体が見えた。壁・天井・床がヒノキ張りで出来ていた。4畳ほどの広さ。2メートルの高さの部屋だった。そしてモニター画面が大きな木箱4個を映した。天上部に小さな換気口。床部にも給気口が数個見える。完璧に空調されている秘密の部屋だった。 海人が十鳥のスマホにかけた。<十鳥さん。木箱4個をここで開けるのか? それとも運び出すのか?><堀田先生よ。ちょっと待ってくれ> 十鳥が野村局長に訊いた。野村の応えは「運び出し、この秘密拠点で箱を開ける」だった。<堀田先生よ。運び出すことにした>この十鳥の会話は陸人のインカムにも伝わっている。 陸人が告げた。<手伝ってくれている教え子たちからトラックを借りて木箱を載せる。変な輩に襲われないように手配してほしい> 野村局長が応えた。<私の部下たちが運転と警備に当たる。堀田陸人先生は、洞窟の入り口を厳重に塞いでくれ。申し訳ないが><了解した。私と田上は明日東京に戻る。協力していただいた前町長と教え子の皆さんにご挨拶するよ。木箱の中身を、後日教えてほしいものです>陸人が言った。<堀田先生たちよ、感謝する。明日以降になるが、中身は必ず教える>十鳥が言った。官邸内 官邸内の部屋にいた矢倍副官房長官にも、小清水町に関する事態についての報告が入った。それは第7師団千歳基地の副司令からだった。詳細を聞いた矢倍は、自分が描いた絵に泥を塗られる思いがした。この俺を舐めやがって! 許せん! 矢倍はデスクの直通電話を取った。(これは盗聴の恐れはない)「官房長官。緊急の報告があります――ええ、私の立案した‶エゾッソ号事件の修正処理案〟に支障のある事態が生起しました――ええ、そうです。緊急の案件ですので――ありがとうございます。直ちに参ります」 この矢倍の通話を‶壁の耳〟が盗聴していた。当番の‶壁の耳〟担当者が、十鳥のスマホに報告した。定山渓の秘密拠点 夜8時過ぎだった。十鳥のスマホに‶壁の耳〟から連絡が入った。「野村さん。矢倍副官房長官に小清水の事がばれたようだ。いや、ばれた。時間の問題だったがね」「十鳥さん。予測より早かったですね」野村が意に返さず言う。多勢――政府の情報機関は網の目のように張めぐられている――には所詮適う筈もない。よくここまでやってこれた事自体が奇跡なんだ。孤軍奮闘の十鳥さんは、神がかっているから可能だったのだ。野村の心はそう言っていた。「野村局長。思いついたのだが、あの木箱4個は堀田海人先生たちの大学研究室に運び入れたらどうかな? ここが秘密拠点ではあるが、官邸の秘密機関がそう時間をかけず見つけそうに思うのだが」 野村が十鳥の目を見た。十鳥は鳥目ではなかった!「十鳥さんの危惧する通りのようだ。洞穴だろうが、地中から出た古物は、大学の研究室に運ぶべきですね」と野村が応えて、木箱を運んでいる要員に連絡した。搬入先は、堀田海人準教授の研究室だ、と。その横では、十鳥がミハイルに連絡していた。<白鳥教授と緊急の連絡を取りたい> この15分後、白鳥教授から十鳥のスマホに連絡が入った。説明する十鳥。了承する白鳥教授。それを確認した十鳥が、海人に連絡する。<堀田せんせいたちよ。洞窟の木箱は先生の狭い研究室に運ぶことにした。某所の発掘遺跡の産物だからだ。まさにパンドラの箱、木箱だよ><いま白鳥教授から連絡がありました。部屋を榊原助手が片づけています><堀田先生よ。私の可愛い娘を大事にしてくれ。まだ嫁入り前だし、私の箱入れ娘なんだからな><十鳥さん。お気持ちは十分理解していますよ。木箱から魔女が出るほど><そうでなきゃな、堀田海人先生よ> 十鳥が思いついたように唐突に訊いた。<先生よ。地下鉄はどこから入れるのか? 三神らはどこからこの洞窟に出入りしていたんだ?> 海人は応えた。<私たちと同じでは入り口からだよ。それしかあり得ない。納屋の所有者ですが元は、旧軍人だったと聞いている。三上の父親と何らかの関係があった、と思うよ。それに三上(三神)は白血球の病に罹っていた――あの放射能物質に直接触れていたのではないだろうか、とも思っているよ。そうそう、孫にあたる所有者の教え子によると、三上の父親が東京から来ていたようだし、孫の所有者になっても、三上権太は、内密な旧海軍遺跡調査と言って、多額の謝礼で出入りしていたそうですよ>海人の研究室 木箱4個が海人の研究室に運び込まれたのは、夜12近くだった。 木箱の搬入時に、十鳥と札幌公安調査局の野村、市川も一緒だった。S班長と野村の部下たち要員は、大学の正門と裏門の警備に当たった。 狭い海人の研究室が木箱4個で埋まった。 十鳥が海人と榊原に言った。「俺たちは、先生方の指示通りに動くから、遠慮なく言ってくれ。これは考古学研究と同列の物でもあるぞ」「それじゃ、私と榊原助手は、発掘物の鑑定をしますね。念のため、傍に放射能検知器を置きます。防毒ガスマスクも。それではその上にある木箱から開けますよ」海人たちは白手袋をはいた(北海道弁)。標準語では、手袋をつける。 海人がバールで木箱の蓋を開けていく。1畳大の木箱の蓋が、鈍い音を立て開いていく。野村局長が放射能検知器を近づける。放射能値はゼロ。ファイバースコープを木箱の中に入れる。毒ガス感知器の反応はない。十鳥がモニター画面を見る。 木箱の蓋が開いた。海人が中を覗いた。「いませんね。パンドラの魔女は――あるのは古い資料冊子類です」冊子を手に取り、海人はぱらぱらと捲りながら読む。次々と。「十鳥さん。これらは戦前の軍部の機密資料のようです。なるほど」海人が頷き読む。焼却処分されたはずの軍部司令部の機密資料だった。10冊分のすべてが。海人が手を底部に入れ確認する。この木箱にはそれらの機密資料だけだった。具体的内容は未読。「十鳥さん。この箱は終えていいですか? 機密資料の内容は、後程読んでください」海人が言った。次の木箱の蓋が開けられていく。中身はすべてが旧軍部の機密書類冊子だった。3個目の木箱が開けられた。 中を覗いた海人が、おお! と声を張り上げた。「どうした! 先生よ! 魔女がいたか?」十鳥が訊いた。「木箱の中に茶箱大の木箱が4個あります。開けて良いですか?」海人が訊いた。「開けて良いぞ!」十鳥が言う。安全そうだ! 開けろ! 海人が茶箱大の木箱を開けていく。1個目。「出た! 魔女だ!」海人が叫んだ。そして皆に言った。「ほら見てご覧」 皆が顔を揃えて木箱の中を覗いた。4個の箱には、大量のピンクダイヤモンド粒が光っていた。その箱の蓋に『上海』『南京』などと中国の都市名が記載されているラベルが貼ってある。 十鳥は、ふと思った――このダイヤモンドの所有者は誰になるんだ! 後の問題だな!「底部に記録冊子が5冊ありますよ。後で読んでください」海人が言う。「よし。最後の木箱を開けよう」十鳥が言った。 海人が蓋を開けた。中から冊子類を取り出し、パラパラと捲っていく。海人の手が止まった。「どうした? 堀田先生よ」十鳥が訊いた。「これは戦後の資料のようです。ざっとですが、歴代の政治家たちの名が記載され――裏金かな? 拠出した金額が載っています。随分と詳細に」海人が応えた。「これで全てかな?」十鳥が訊く。「一応、すべてですが、冊子類の内容に重大な記載があるものと推察します」海人が応えた。「よし。一服して、個々で冊子の読みに当たるとしよう」十鳥がタバコを取り出す。 夜1時半だった――。 缶コーヒーを飲みながら冊子を読んでいた榊原が、「最初の木箱の軍機密冊子を読んでみたら、驚く内容が記載されていますわ」と言った。それは官邸の、いわゆる修正歴史認識を覆す内容だったのだ。この1冊子だけでも。 榊原が2冊目を読む。「またそういう内容ですわ。植民地支配下の各軍関係の機密書類ですし、秘密謀略機関の機密書類です」 海人がそれらを読む。「ほほっ。従軍強制慰安婦の事とか、強制徴用工関係とかが具体的に記載されているぞ。これらの冊子は軍部の極秘印が押されているものだ。存在しないと言われている資料だ。歴史研究資料どころか、現政権の外交姿勢に影響を与えるものですよ」「先生方よ。官邸が知ったら、腰を抜かす内容か?」十鳥が訊いた。「脱糞する内容でしょうね。木箱にある冊子資料のすべてが、政権を揺るがすものなのでしょう。三上(三神)の遺言だけある」海人が応えた。 十鳥は、眠気を堪えることなく椅子に身を任せていたが、脳裏は休んでいなかった。『この膨大な資料類を、どう活用すべきか。‶エゾッソ号テロ事件の真実〟を国民に知らせるべきか。ハムレットならぬハムサンドの気分だ』 脳裏に別な自分が現れた。憤怒の俺だった。それを見た十鳥は、静かに目を閉じていった。(続く) (追記) このブログ長編冒険小説。約10カ月経ち、最終章となりました。あと2回掲載で物語は「了」となる予定です。これまで書いた分量は、原稿用紙換算で約1000枚のような気がします。内容の是非・良し悪しは別として、堪え難きを耐え、ご拝読いただいている方々に心より感謝申し上げます。なお、失礼ながら、著者の私自身が大まかなプロットを頼りにしており、関係性及び相関性がぼやっとしている感があるような気がしております。誤字脱字及び語の非統一性がありますが、ご容赦の程。
2020年01月09日
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写真日記 Huちゃん 写真日記 を転載しました。写真は、Huちゃんさんの「2016.02.18 02 明石海峡:明石海峡大橋夜景」 激写作品から借用させていただきました。 3月7日掲載(1)~ ブログ長編冒険小説『海峡の呪文』――(60)(この物語に登場する人物、団体名はフィクションである。だが、歴史及び政治背景は事実でもある)海峡の呪文(9) 十鳥が乗ったSUV車が、札幌市南区定山渓にある札幌公安調査局の秘密拠点に着いたのは、陽光が出始めた頃だった。秘密拠点は、定山渓温泉街から更に南5キロメートル国道を中山峠に行ったところ、その左側50メートルの山林の中にあった。頑丈に改修され、しかも地下室がある。築50年の木造住宅で古めかしい外観は、いかにも公安調査局の秘密拠点らしい条件を満たしていた。この秘密拠点は、国の所有であるが、直接の管理者は札幌公安調査局である。つまり公安調査庁以外の政府情報機関、検察庁公安部などにも秘密となっている。 十鳥らが乗ったSUV2台が木造住宅脇の車庫に入った。 車庫から繋がるリビングでは、札幌公安調査局の野村局長が待っていた。「十鳥さん。お疲れのところですが、紫藤1佐の尋問をお願いしたい。奴は地下室にいます。怯えてはいますが、黙していますよ」「じゃあ、私の出番だ。車中、奴を料理するレシピを書いてきたぞ。その前に、もう一人の尋問者を呼びたい。良いかな? 今頃、彼は定山渓温泉入り口にある足湯場にいるはずだ。目隠ししてでも連れて来てくれ。合言葉を伝えている」「了解した」野村が応え、部下に指示した。野村はその人物を事前に知らされていた。「野村さん。それまで何か食い物を摂りたい」十鳥が言った。「十鳥さん。食堂に用意しています」 十鳥は思い出したかのように付け加えた。「野村局長。頼みがある」「何でしょう? キャンプ場で食べ損なったバーベキュー料理でしたら、たっぷり用意しましたが」「いやあ、あのキャンプ場から特別なステーキの注文があってね。結構分厚い肉のようなんだが――野村局長。公安の安藤とういう人物を知っているか? 50歳代で腹が出た身長170弱の男だが」十鳥が野村の表情を追った。野村の顔が微かだが灯った。十鳥の目がその灯りに張り付いた。「十鳥さん。警察庁の公安部長に安藤という人物がいますが」「そいつはどういう奴なんだ?」「これだけは覚えている。奴は官邸人事で抜擢された貪欲な奴だよ。十鳥さん」「貪欲?」十鳥が訊いた。「官邸の手先、利権嗅ぎ犬だからさ」野村があっさりと言った。「そういう奴か、安藤は。近いうちにその馬鹿を拝顔することになりそうだ」「安藤が事件に絡んでいる、とうことですね?」野村が訊いた。「そのようだ」十鳥は表情を明るくして応えた。 十鳥が、地下室で椅子に拘束されている紫藤1佐に優しく言った。「紫藤1佐。闇で死なない方法があるぜ。俺の話を聞くかい?」「闇? 死なない? 俺には関係ない言葉だ」紫藤が白を切った。それを聞いた十鳥が、紫藤の顔面を思い切り叩いた。官邸の秘密機関から追われている紫藤1佐だ。紫藤がちょっと頭を働かせたら、十鳥と接触すべきだったのだ。紫藤にはそれが理解できていない。この後に及んで、愛人宅に潜めた紫藤の機転の無さに十鳥の怒りがあった。「紫藤よ。この場に及んで白が切れるもんだ。お前を基督教徒にするから、今度は左の頬を出せ!」と言うや、十鳥が渾身の力で紫藤の顔面をぶん殴った。紫藤が椅子ごと後ろに倒れた。そして十鳥が鬼の形相となって罵倒し、紫藤の鼻を真正面から拳をぶつ。「事のすべてを言え! 紫藤っ!」怒鳴る鬼の十鳥。S班長が顔面と口、鼻から鮮血を垂らす紫藤を椅子ごと座り直させる。唸る紫藤。「お前は動物かっ! 人間だろう! 言え!」十鳥が怒鳴る。唸るだけの紫藤。それを見た十鳥が、鬼から天魔に形相を変えた。「紫藤! 言え!」と言うなり、靴底で紫藤の顔面を蹴っ飛ばした。椅子ごともんどりうつ紫藤が、血反吐を吐き、何かをゴボゴボと言おうとした。S班長が紫藤を元に戻した。「紫藤! いまなんて言った! 今度は左足だ!」怒鳴り、左足を紫藤の顔面に近づけた。血だらけの紫藤の口が開いた。「助けてくれ! 謝る! 助けてくれ!」 十鳥が怒った。「だから言え!」と怒鳴り、左の足先、靴底で紫藤の顔面を蹴る。ぐわっと唸り紫藤が後ろに反る。「助けてくれ! 言う! 言うから助けてくれ!」 十鳥が紫藤の耳元で囁く。「俺は優しい男だろ。俺は暴力は苦手だ。きちんと説明してくれ。なあ紫藤1佐よ」 紫藤の目は死んでいた。腹をくくったからだ。「言う。言う。すべてを言う。助けてくれ。もう殴らないでくれ」 その途端、十鳥が右肘で紫藤の顔面を打った。「お前の言い草が気に食わない! 初めから言うべきなんだぜ! お前と俺たちは供に生きるか死ぬか、官邸にやられるか、否かなんだぜ! この馬鹿野郎!」「観念した……すべてを言う。十鳥さん」紫藤が言った。「野村さん。紫藤の話の全てを記録してくれ。動画だから……待てよ、化粧で顔面を手直ししてからだ」 官邸 朝10時。参議院選挙に関して官房長官の記者会見があった。「ただ今から、官房長官の記者会見を行います」進行役の官邸担当者が告げると、官房長官が入って来て、お決まりの、うやうやしく国旗に一礼した。「この度の参議院選挙についてお伝えしたい。結果として、政権与党の議席数は国民の負託を頂いたものと評価しています。それは政権の、これまでの政策への支持と理解しております。首相は、この結果を真摯に受け止め、さらに説明責任及び透明性を徹底していくものと考えます。なお、首相は内閣改造を行う意向です。このことにつきましては、首相が記者会見する予定です。以上。質問があれば……そこの…‥どうぞ」 いち早く挙手をした女性記者が指名された。「東京新報の新手(あらで)です。官房長官、昨日、北海道の根室港でテロ行為が起きた、との情報があるのですが、事実ですか?」 苦虫顔になった官房長官が、壇上脇の官邸審議官たちを見る。審議官のひとりが手で×字をつくる。「ええ、そういう話は一切事実でもありませんし、官邸の知るところでもありません。では他の方は――」官房長官が面っと応えた。 女性記者は、はい! はい! と言って挙手をするが、官房長官は前列にいる馴染みの記者を指した。間違った! 隣の記者だった!「官房長官。朝毎新聞の古手(ふるで)と申します。今の新手記者の質問、私も同じ質問をさせていただきます。根室港の北方四島観光調査団の船‶エゾッソ号〟が襲われて、渡航が出来ずにいる、との情報があります。説明をいただきたい」 官房長官が即座に応えた。「先ほども言いましたが、そのような事実は確認しておりません。同じ質問には答えかねます。いいでしょうか。では次――そこの方」焦った官房長官が、また意に反した記者を指名してしまった。「赤白新聞の赤胴と言います。‶エゾッソ号〟がテロに遭い北方四島への渡航が出来なかった、と調査団の民間人が、我が社の取材に答えていますよ。それは事実ですか?」 官房長官が数秒間を置く。そして応えた。「ですから、何度も説明したでしょう。その限りですよ。同じ質問には答えません。スケジュールが押してきましたので、これで記者会見を終わります」 いつものように官房長官の記者会見は終わったが、少しづつだが「テロ事件」が漏洩しているのが、官房長官にも分かった。だが、それでも官邸にとって幸いなことは――国民には不幸なことだが――この記者会見を、どこの放送局もLIVE中継していなかったことだった。まだ噂の域だ。時間稼ぎで対策がとれる。官邸内には、いつもの腐った安堵感が残った。札幌定山渓 定山渓の秘密拠点、地下室内では、紫藤1佐がおとなしく十鳥の取り調べに応じていた。紫藤1佐の自白はこうだ。『官邸の副官房長官だった瀬戸際から、指示を受けていた。検察庁公安部長の安藤は知らない。‶幸の道義〟教祖三神と義父・石原完彩らの計画には、瀬戸際から勧められ、二重スパイとして加わった。それは瀬戸際も同じだった。謎の暗号については、瀬戸際官房副長官が上からの指示で探していた、としか知らない。札幌の透析病院と久留米の宗教団体との関連は、瀬戸際も自分も知らない。石原完彩と教祖・三神が繋がっていたと理解している。十鳥らの暗殺命令は、瀬戸際からあったが、瀬戸際は上部から指示されていた』 そして十鳥の最後の質問があった。「2個のダーティーボムは、どこから手に入れたんだ?」「……自分は……」紫藤1佐は濁す。「あんた男だろ。ダーティーボムはどこから手に入れた?」十鳥が拳を振り上げて訊く。「言う。分かった。言う……陸上自衛隊中央特殊武器防護隊……の安藤安士2佐から渡された物だ。1個だ。それは試験用ダーティーボムで、半径3メートル以内にだけ影響が出るものだった」「ではもう一つのダーティーボムは?」十鳥が詰問する。「もう一つは、教祖三神がロシアから購入したものだ。あっちは本物だったが、実際は、放射能の影響力は半径1メートルに満たないものだった」 十鳥はあえて訊いてみた。紫藤1佐の知り得るものでないのを承知の上。「官邸が、ダーティーボムテロをやらせたのは、何が目的だったんだ?」「自分には分からない。ただ命令に従っただけだ」紫藤1佐が決まりセリフを吐くや、十鳥の鉄拳が飛んだ。紫藤の鼻がつぶれた。「馬鹿野郎! お前は人間の屑だ!」 この一時間後、定山渓温泉入り口の足湯で待ち合わせしていたミハイルと部下のバハイロが目隠しの頭巾を被され、地下室に降りて来た。S班長が目隠しを取った。「やあミハイル。待っていたよ」十鳥が親友に会ったかのような笑みだった。すでに親友だったかもしれないが……「十鳥さん。かなり難儀していたようだな。あなたの顔に出ているよ」「だから、ミハイルを待っていたんだ」「以心伝心だな。新しい情報を持ってきたよ」ミハイルが笑みで返した。 十鳥の表情が急に明るくなった。「ミハイル。その情報とは?」「こちらのCBP(ロシア対外情報庁)経済情報部の責任者が、瀬戸際副官房長官と接触していた。今回の‶エゾッソ号〟ダーティーボムテロ情報は、CBP経済情報部が瀬戸際副官房長官から事前に知らされていたのだよ。私がバハイロと‶エゾッソ号〟に同乗したのは、その情報があったからだ」 札幌公安調査局の野村局長がミハイルに訊いた。「公安調査庁本庁は瀬戸際とCBPとの接触を監視していたが、官邸の意向で瀬戸際がCBPに情報を漏らしていたのか?」「正確には、瀬戸際副官房長官は、自利で接触していた。が、おたくの官邸はそうなることを望んでいたのだよ」ミハイルの応えに、十鳥と野村も驚いた。「官邸の目的は何なんだ。ミハイルよ」十鳥が訊いた。「憲法改正。第9条に自衛隊を明記するため、その入り口として仕掛けたのかな」ミハイルが応えると、十鳥は納得しかねた。「ロシア当局に事前に伝えてもか?」「当然だよ」ミハイルは厳として言った。「ロシアの利益はあるのかね?」十鳥が訊く。「ロシア内のイスラム原理主義過激派への牽制。もう一つは、これが本音かな、追加の経済協力金だよ。つまりだ。官邸はイスラム原理主義者たちのダーティーボムテロの脅威を国民に強調できる。その最終解決で自衛隊特殊部隊が危機を救う。それで目的の達成につながる、という方程式だった。が、十鳥さんたちと私たちで日露の目論見を阻止したため、おたくの官邸は苦慮しているのだよ」 聞いた十鳥は、目を泳がせた。ミハイルの言う通りとなっている!「この事態は、我々にとって最悪だな。事件の全容を知っているからな。ミハイルよ。どうしたら良いのかな?」十鳥は親友に助けを求めた。「自明の事だが、揺るがぬ証拠を捏造してでも――真実に輪をかけることだがね。それで官邸と勝負だな。十鳥さん」ミハイルが簡単に言いのけた。「真実に輪をかける?」十鳥がひとりごちた。「あるだろうに。二重三重の輪が」ミハイルが示唆した。何だ? それは? ん? あれか!「そうだった。三神の遺言だな?」十鳥がミハイルに訊いた。「期待できるよ。小清水町の発掘は」ミハイルが応えた。 十鳥が野村局長に訊いた。「小清水の発掘は明日からだったな?」「明日からだ」野村が応えた。「発掘は堀田先生たちの専門だ。堀田陸人所長も似た者だから、彼らに期待するとしよう」十鳥がミハイルの顔を見た。ミハイルが笑みを浮かべて頷いた。(続く)
2020年01月02日
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写真日記 Huちゃん 写真日記 を転載しました。写真は、Huちゃんさんの「2016.02.18 02 明石海峡:明石海峡大橋夜景」激写作品から借用させていただきました。 3月7日掲載(1)~ ブログ長編冒険小説『海峡の呪文』――(59)(この物語に登場する人物、団体名はフィクションである。だが、歴史及び政治背景は事実でもある)海峡の呪文(8) 海人たちと教祖三神、そして十鳥らとミハイルとの共通点は、確かにあった――歴史事実を直視していたことである。これはなかなか出来るものではないだろう。権力を持つと、人間は不都合な歴史事実に目を背け、自己に都合の良い歴史を望むものだ。これは古今東西の歴史と現実が、いやが応でも示している――そうした最高権力者たち(官学財など)に、彼らは唯々諾々(いいだくだく)と、決して妥協することがない。彼らは想像力があり、革新的な志向の持ち主である。教祖三神の良し悪しは別としてだが。 結果的かもしれないが、検察官僚端くれ十鳥は、現政権の極右国家主義独裁志向の基底にそうした捻じ曲げた歴史観があると思っている。明治維新政府の二番煎じだ! 滓の茶葉にはカテテキンはないな! 夜、暗夜になると、十鳥のチーム員が影となってアジトを去って行った。残ったのは、十鳥と部下のS班長の二人だった。S班長は十鳥の護衛も兼ねている。 夜9時過ぎだった。十鳥の私用スマホに、札幌公安調査局の野村局長から連絡が入った。<十鳥さん。二つの知らせがある。軽井沢の石原完彩が自死したそうだ。そしてもう一つは、紫藤1佐が雲隠れした。官邸側の公安機関が、彼を追っている><想定通りとなっているな。それで紫藤1佐が隠れそうなところを知っているのか?野村局長よ><十鳥さん。野暮な質問をしないでくれ。根室港で十鳥さんたちが死闘しているのに、私が黙ってデスクに座る男ではないだろう?>野村が思わせぶりな言い方をした。<確かに俺は愚問を言ったな。紫藤1佐はどこだ!><それが灯台下暗しときた。私としたことが。紫藤1佐は、札幌市内の愛人の家、マンションにいるぞ。この数日、外には出ていない。私の監視要員が張り付いている><間違いないか?>十鳥が気が競って言った。俺らしくない!<十鳥さん。紫藤1佐をどうする?><それは愚問だ! 紫藤1佐が腹上死しなけばだがね><じゃあ紫藤1佐を捕まえるのだな?><それしかない。官邸の手先にやられる前に紫藤1佐を捕まえ、我々の管理化に置く。そして紫藤1佐が知り得る情報を吐かせなきゃならない><十鳥さん。了解した。今夜、紫藤1佐を拉致する。札幌郊外、定山渓の秘密拠点に連れて行く。それで良いか?><さすがだ。野村局長よ。吐かせるのは俺に任せてくれ! 奴は極楽温泉でなく、地獄温泉に入れるよ。俺が鬼になってだ!><十鳥さんに任せる。一人じゃないな?><3人で行く。明後日の夜だが><十鳥さん。了解した。釧路からは、国道・高速でなく人目と監視カメラの少ない道道を走ってくれ。尾行に注意だ。北広島の美しが丘通に、Eいちご園がある。そこで私の部下が待っている。合言葉は‶愛人〟だよ。十鳥さんは‶正妻〟と言ってくれ><よし! それでいく。愛人と正妻だな。実に相応しい合言葉だ。了解した>十鳥が通話を切ろうとしたが、野村が継いだ。<安全のため車2台を用意した。厚岸グルメパーク駐車場の西端だ。私の部下が待っている。合言葉は同じだ><了解した。ああそうだった。小清水町にはいつ行くんだ?>十鳥が訊いた。<明日の夜、堀田陸人さんらと小清水町で合流する。市川局長代理と部下が向かった。一応、裁判所の家宅捜査令状をとっている。官邸はすんなりと認めたがね。だが、発掘は官邸の知るところにない><了解したぞ! 喉から手が出るほど期待している。教祖三神が最後に残した遺言だからな。もし何かが出れば、それが官邸と政権を叩き潰す証拠かもしれん><私もそれにかけているよ>と言って、野村の通話が切れた。 野村たちも、十鳥と同じ考えの持ち主である――我々は政権維持装置ではない!(この8は続く) この物語はフィクションだが、現政権が目論む日露平和条約締結の前提は、1956年の「日ソ共同宣言」時点に先祖返りだった。いや、さらに後退させた「北方四島1島、2島返還での日露平和条約締結」の試みである。一見、現実的解決と国民に思わせていたが、その実は日米同盟下にある日本の政府政権が「単視眼なる経済政策優先」させたお粗末な外交戦略であった。ロシアに金をチラつかせた、つんのめりの愚策だ! これは十鳥の考えである。 さらに十鳥は、現政権の憲法ばかりか、政権の目論見に反するあらゆる法律をことごとく無視、空洞化する政権運営と、戦前のような権力の私物化には、民主主義国家として危険水域を超えていると、憂慮している。 今回の『ダーティーボムテロ事件』は、その到達点の表出であり世紀末的な政治状況だと、十鳥とミハイルらはみているのだった。 『ダーティーボムテロ事件』は、教祖三神らだけで計画し実行されたものか、そうではない、官邸が深く絡んでいるものと確信している十鳥とミハイルたちである。 だが、その全体像が見えないのだ。いわゆる国家権力には、あらゆる点でステルスバリアが張られているからだ。強いて言えば、国家権力の‶犯罪〟は存在しないと言わんばかりに、闇の世界で密かに行われているものだ。 急遽、達古武(たっこぶ)キャンプ場でのバーベキューパーティーを取り止めた十鳥は、海人と榊原にそれを告げ、厚岸グルメパークに着いた。駐車場の西橋に2台の黒いSUVが停まっていた。十鳥のワゴン車が、その隣に駐車するとSUVから降りて来た男が、「愛人」と言う。「正妻」と十鳥が応える。 この数分後、2台のSUV車は札幌公安調査局野村の部下2人が運転し、札幌へと向かった。目的の定山渓に着くのは、約8時間後の翌日の朝方ようだ。十鳥とS班長は用意された軽食を車中で摂った。そして爆睡した。 一方、釧路湿原の達古武キャンプ場に戻った海人と榊原、そして警備要員の2人は、コンビニで買った「弁当」を夕食にして、早々、隣に張りなおした3張りのテントに潜り込んでいた。(キャンプ慣れしていた海人たちは、いつものように歯磨きと洗顔をテント内で簡易に済ました) 海人はLEDランプを灯し、起きていた。これまでの事件の経緯をモバイルパソコンに打ち込んでいた。「海人さん。入って良いかしら?」と言って榊原英子がテント入口から顔を覗かせた。「ちょうど良かった。英子さんに相談したいことがあった」海人がキャンプ用椅子を勧めた。「海人さんの影が映っていて、何かを書いているようでしたので……」榊原が言った。「今、今回の事件を初めから打ち込んでいたんだ。俺たちにはデータ・記録が命だからね」「私も少しづつ書いています」榊原が言う。「それは良かった。それじゃ2人で『事件』のすべてを記録するとしよう」「ええ、それが良いわ」 海人が簡易ガスコンロで湯を沸かし、榊原が珈琲を淹れる。2人の作業は、深夜まで続いた。午前1時を過ぎた頃、榊原が椅子で寝ていた。海人は榊原を起こし、海人の寝床、簡易ベッドを勧めると、榊原はよろめきながら寝袋の中で横になった。そして熟睡していった。 椅子を折りたたむと、海人は膨張マットを敷き、もう一つの寝袋に納まった。そしてLEDランプをOFFにした。テント内に外の薄い灯りがテント地から透けていた。 十鳥さんは順調に、札幌に向かっているのだろう。ミハイル・アキロマ教授も急遽、札幌に行った。兄(陸人)は、女満別空港に飛び小清水に行ったはずだ。だが、この事件は、まだ解決したわけじゃない。事件の本質、俺たちはまだその表面しか知らないのではないだろうか。考古学は掘れば物証が出るが、邪悪な生きた人間が介在すると、その物証さえ偽装も捏造もされることがある――海人はワンポールの三角錐てっぺん部を見上げて、そう思っていた。 海人の瞼が重くなってきた。疲れた肉体が眠りを誘い出した。海人が何気なくテント越しに外を見た。何だ! 幻か! 人影? 海人の瞼が開き、その影を凝視した。重なり合った4人の影が見える。隣のテントから警備要員2人の鼾が聴こえる。誰だ! 三神らの残党ではないはずだ! 海人は椅子にかけているアウトドアジャケットから、そっと特殊警棒と‶パチンコ〟と残りのパチンコ玉を取り出す。4人の影が榊原のテントを囲んだ。海人は起きた。そして裏側のテントを捲り、音を立てず外に転がり出た。腹ばいになりながら海人は、榊原のテント入口にいる影2人を見た。一般キャンパーの服装だったが、音を立てず榊原のテントを覗いていた。海人がパチンコ玉を影、そいつのケツを撃つ! 距離は4メートル。もうひとりのケツを撃つ! 玉がケツのV字に食い込む。玉がひとりの玉に当たった。 2人の影が「痛い!」と悲鳴をあげた。と同時に、海人が怒鳴った。「こらあ~! 痴漢野郎ども!」 海人の怒鳴り声が寂としたキャンプ場に轟いた。閑散としたキャンプ場である。周辺には他のキャンパーのテントはない。警備要員の2人がテントから飛び出した。影にライトの照明が当たる。ライトが2人の顔を捉えた。その一瞬時、警備要員たちが2人の男に飛びかかった。テントの裏にいた影2人が姿を現した。海人のパチンコ玉が撃つ! 撃つ! 2人の顔面に当たる。ギャア! と声をあげた。海人が特殊警棒を伸ばし飛びかかった。高電流がバリバリと青い稲妻を光らせ男たちの顔面に当った。2人の男がもんどりうって倒れた。警備要員たちが、倒れていた2人の男の腕を背中に回し、結束バンドで縛る。足首も縛った。そして横に倒れている男2人にも結束バンドをかけた。海人が4人の男たちに近づいた。武器らしいものは持っていないが、彼らの手に銀色の粘着テープ1巻きが握られていた。「先生。危なかったです。油断していた。助かりました」警備要員たちが言った。「こいつらは誰なんだ?」海人が訊く。「身元が分かる免許証などは一切持っていません」警備要員が応えた。「携帯も持っていませんが、こいつらは車で来たはずですので……」もうひとりの警備要員が躊躇して言った。「車に仲間がいるかもしれない。先生。私たち2人が、こっそりと見て来ます。インカムを着けてください」警備要員が言った。「気をつけてください。無理は禁物です」海人が言うと、「了解した。我々2人は、左右から奴らの車と思われる、車を見つけ探って来ます」と言った警備要員が手を左右に振って、離れて行った。 心細いキャンプ場の灯りの中、4人が倒れている。 海人は怒った! こいつらを吐かせる! ヒグマに食わせはしないぞ! 俺たちがとことん食う! 30分後、警備要員たちが海人たちのところに戻って来た。「携帯を助手席に残したワゴン車がありましたが、誰もいなかったです。奴らはこのキャンプ場に、我々が戻る前に来ていました。キャンプ場の入場カードがフロントに置いてありましたので」」警備要員が海人に言った。 海人が倒れている4人を見て言った。「こいつらを許せない。銀色の粘着テープで口を塞ぎ、ひとりづつ私たちのワゴン車に運び、知っているすべてを吐かせましょう」 警備要員たちが、「了解した」と応えた。 4人の尋問に、4時間がかかった。海人は尋問という拷問に近い恐喝――『正直に吐かなければ、あの沼に沈める。10秒だけ考える時間を与える』――に、5秒数えると、4人はすべてを吐いた。 警備要員が、十鳥のスマホにかけた。やや間があって十鳥が出た。<チーフ。キャンプ場に官邸と思われる秘密情報機関の指示を受けた特別公安機関員4人が侵入。4人を捕まえ、吐かせました。下っ端者どもで、『公安の安藤から命令された』と言ってます。それ以外には……堀田先生と榊原先生を拉致するように命じられた、と。奴らの携帯が一つだけありました。先生方も皆無事です><公安の安藤? 私は知らない奴だな。安藤の肉体的特徴は?>十鳥が訊いてきた。<歳は50代半ば。身長は170弱で腹が出ている、とのことです><ん? どこかで見たような気もする……どこかで聞いたことがあるような……思い出せない。奴ら4人は、札幌公安調査局野村局長に言って、捕虜とする。眠らせて置け>十鳥の声がそこで終わった。 また釧路湿原に霧が出て来た。太平洋側から内陸へと、その霧は流れ、徐々に全体を覆い始めていた。(続く)
2019年12月28日
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写真日記 Huちゃん 写真日記 を転載しました。写真は、Huちゃんさんの「大阪港ダイヤモンドスポット:大阪港夕景・茜空」激写作品から借用させていただきました。 3月7日掲載(1)~ ブログ長編冒険小説『海峡の呪文』――(57)(この物語に登場する人物、団体名はフィクションである。だが、歴史及び政治背景は事実でもある)海峡の呪文(7) 根室市郊外のアジト――札幌公安調査局の野村局長が用意していた――で、官邸の官房長官の記者会見を聞いた十鳥は、クソ! まともな政権じゃない! と唾棄した。そしてS班長を含む要員たちに告げた。「皆に伝えたいことがある。今回の我々の戦いは、現政権にとっては致命傷となるものだ。国民が詳細を知れば、野党の政権交代があり得るだろう。だが、政権官邸には、警察公安の重鎮が首相の神輿を担ぎ、秘密機関の頭目となっている。そこでだ。皆の意見を聞きたい。皆はまだまだ前途があり、かつ優秀で、これからの日本にとって欠くべからずの人材である。それを最優先にしての意見を聞きたいのだ」十鳥が目を窓外にやった。遠くに太平洋の海原が見え、陽光が水平線の少し上に落ちている。まもなく、一時間ほどでその陽光は西の水平線に沈むのだ。 S班長が手を挙げた。「今回のテロ、ダーティーボムテロは、官邸が仕掛けたものと思っている。十鳥チーフ。そう考えて良いですよね」S班長の見解に皆が頷く。「明確な証拠は、まだないぞ」十鳥が応えた。「副官房長官だった瀬戸際の会話は?」別の班長が訊いた。「誰が瀬戸際に命じたのかが明確ではないのだ。証拠としてはな」十鳥が応える。「では、エゾッソ号に塩素ガスが仕掛けられていたのは?」他の要員が訊く。「それも紫藤1佐の首で済むものだろう。エゾッソ号の改修工事の責任者が紫藤1佐だからな」十鳥が応えた。「チーフ。あの塩素ガスで調査団をも含めた我々をも根こそぎ死地に追いやる、虐殺をやったのですよ。未遂となったけど」他の要員が感情を込めて言う。「それでも、官邸の指示との明確なものはないぞ」十鳥が諭した。「私たちは、十鳥チーフにどこまでもついて行きます。証拠を揃えましょうよ」S班長が言うと、全員が同意の意を挙手で示した。 十鳥が目を細め、窓の外を見る。陽光はまだ水平線の上で大きな円となっている。だが、碧い空が少し茜色に変化し出していた。「皆の気持ちはありがたい。が、官邸の関与を決定づける証拠がなければ、我々全員は刑務所行となる。そうはなりたくないし、皆にさせたくもない。これは皆、同意してほしい」「ではチーフのお考えを――」S班長が訊いた。 十鳥が告げた。「皆、有給休暇を終え、元の職場に戻ってくれ。今回の事件は極秘として――官邸及び官邸の意向で上司が面談しても、家で昇任試験勉強してたとか何とか言って秘匿してくれ。良いか?」十鳥の目が、全員の顔を確認していく。「チーフの指示に従います。でも、チーフには、このまま終わらせる考えはないはずです。私にもそれが分かりますよ」他の班長が言った。要員たちは、約1年の付き合いだ。十鳥の裡(うち)が透けて見えていた。十鳥は意を決して皆に言った。「俺は、政権と官邸が許せない。君の言うとおりだよ。明日から、俺が証拠を見つけるよ。ただしだ。皆には陰で、官邸に察知されないように手伝ってほしい。どうかね?」「了解しました」全員が立ち上がった。 それを見た十鳥が皆に言った。「〟壁の耳〟は交代で生かしてくれ。良いかな?」「了解しました」皆が声を揃えた。「特殊携帯は、今後使用しない。私用のスマホでいく。各自の暗号名を考えてくれ。良いかね?」「了解しました」「勤務外で打ち合わせをすることもあろう。その時、可能な者にだが。打ち合わせの内容は、密かに共有する。良いかな?」「了解しました」「結果、各自が持っている異物――武器類、防弾ベストなどのすべてを、各自で完全に処分してくれ。良いかな?」「了解しました」「最後になるが、今夜、皆は闇に紛れて分散して本州に戻るのだ。札幌公安調査局の野村局長、市川局長代理らが、車・飛行機切符などを手配している。つまり、皆は承知しているが、監視カメラを避けてくれ。官邸の秘密機関及び内調(内閣情報調査室)、さらには公安調査庁の尾行に要注意だ。札幌公安調査局の野村局長らの及ばぬ輩が多い。変装しても、だ。何か緊急事態が各自に起きたら、必ず俺に連絡をしてくれ。良いかな?」「了解しました」「では、これまでの我々に乾杯しよう。これからの我々にも乾杯しよう」十鳥がビール瓶を掲げた。全員がビール瓶を持ち高く掲げた。「俺たちには明日がある!」と十鳥が言った。それが皆の言葉になった。「俺たちには明日がある!」 十鳥が窓の外、太平洋を眺めた。大きな夕陽が水平線に隠れだした。同時に、空が燃えるような茜色となっていく。(冒頭の写真を見てほしい) 紅蓮の仲間たちだ。それに相応しい夕景だ。十鳥が心中、静かに呟いた。(続く)
2019年12月24日
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写真日記 Huちゃん 写真日記 を転載しました。写真は、Huちゃんさんの「大阪港ダイヤモンドスポット:大阪港夕景・茜空」激写作品から借用させていただきました。 3月7日掲載(1)~ ブログ長編冒険小説『海峡の呪文』――(56)(この物語に登場する人物、団体名はフィクションである。だが、歴史及び政治背景は事実でもある)海峡の呪文(6) 十鳥が目を開けて、皆の心配している顔を見た。それを確認したミハイルが、皆を少し遠ざけた。「いま十鳥さんを元気にする薬を耳に入れるから」皆が怪訝な表情を浮かべたが、ミハイルの指示に従った。「十鳥さん。〝飛鳥〟の甲斐陽子さんが待っているぞ!」 このミハイルの言葉が、十鳥の全身にアドレナリンの如く行き渡ったようだ。十鳥が、がばっと起き上がった。「ミハイル。本当か? ママの陽子さんが、俺を待っているって?」十鳥の顔に生気が出ていた。「私を唯一信用している十鳥さんだ。信じる者は救われるのだよ」「じゃあ、信じているぞ。ミハイルよ」十鳥がふらつきながら立った。そして皆に言った。「これからこの事態の終息に全力を出す。抜かりなく根室を離れるぞ。今晩は釧路湿原のキャンプ場に集合だ。ミハイルさんたちも一緒だぜ。色々と訊きたいことがあるからな」 十鳥のチームが役割分担し、動いた。海人と榊原に要員2人が護衛に付き、海人たちが先にキャンプ場に戻ることになった。 日露北方四島観光視察団の一行は、最初に避難した漁船に乗せた。十鳥は視察団の政府関係者――彼らは外務省と経産省の担当官僚たち――に言い含め。「今回の事態を官邸は、公にしていない。今後もしないだろう。それに『エゾッソ号』のテロ犯の始末は、官邸が密かに行う筈だ。知っての通りだと思うが。自衛隊員5人とともに、皆を連れて根室に戻れ。そこで改めて官邸の指示を仰ぐのだ。俺たちの事、存在は官邸には言うなよ。言っちゃ、日露関係に悪影響を与えるし、君たちの将来はないからな。官邸とは、私が直接話をつける。分かったか?」「理解した」担当官僚が応えた。理解とは何だ!「分かった、と言え!」十鳥が凄みを利かせた。「分かりました」担当官僚がすんなりと応えた。――そして彼らが乗った漁船は、東岸壁に向かって行った。――十鳥らが乗った漁船も、岸壁の西側へと向かった。 十鳥らが乗った漁船が根室港西埠頭に着くと、十鳥チームの要員2人が黒いアウトドア姿で待っていた。その後ろに在札幌ロシア総領事館のアントノフ総領事と部下たちの姿もあった。 海人と榊原が、真っ先に船を降りた。するとアントノフが近づき、「ご無事で何よりです」と言い、海人にハグをしてきた。そして榊原にも軽くハグをした。「お二人のご無事とご協力に心より感謝申し上げます」 そこに十鳥が来て、海人たちに告げた。「これから後始末でチーム員と港近くのアジトに行く。先生たちは俺の部下2人とキャンプ場に行ってくれ。明日の朝までには、キャンプ場で合流する」 ミハイルことアキロマ教授がエカニーナと共に海人たちのところに来た。「堀田先生と榊原先生には、父と同様に言い尽くせない程のお世話になりました。北方四島日露共同考古学調査は、来月、8月中旬に再予定していますので、白鳥教授にその詳細をお聞きください。今回も、私たちは心より感謝しています」 ミハイルが海人とハグを交わす。エカニーナが榊原とハグした。 夕方、根室市郊外のアジトである一軒家に、十鳥とチーム員が集合していた。要員がテレビを観て十鳥に言った。「十鳥さん。官邸がこれから記者会見するとすると。まもなくです」「じゃあ、皆で官房長官の悪あがきのお粗末な誤魔化しを聞くとしよう」 5分後の午後4時。記者会見LIVEが始まった――官邸の会見室内が騒めく。『これから根室港の北方四島観光調査団が乗った渡航船内で、遺憾な事態が起きましたことを、国民の皆様にご報告いたします。なお、その事態は安全に終息し、調査団におかれては、まったく被害はありませんでした。これは総理の賢明かつ迅速な指示があってのことです。事態とは……ええ……我が国内に侵入したイスラム原理主義過激派の……ええ……渡航船への微小な犯罪行為でした。このことにつきまして、総理を始め官邸と政府は、安易に国民の不安感情を煽ることなく、迅速に対応した次第です。今回の遺憾な事態をもってしても、いささかも日露北方四島経済協力には影響を与えるものではない、と日露双方で確認しました。以上です。順次、質問があれば、挙手し社名と氏名を言ってください』『こちらの方』『売読経済新聞の川瀬見と申します。渡航船内での遺憾な事態とは、具体的にはどのようなものだったのでしょうか?』『ええ……先ほど言いましたが、その詳細な説明は、説明の通りですし、日露の外交関係に影響を与えかねないので、お答えを控えさせていただきます。調査団におかれては誰も傷害なく、安全が保たれましたので……』『そちらの方』『朝毎新聞の海原です。侵入したイスラム原理主義過激派とありましたが、彼らはどのように侵入し、彼らの国籍と氏名をお聞かせください』『ええ……それにつきましても……ええ……データがありませんのでお答え出来ません……(メモを見る)ええ……現在、警察庁当局が慎重に調査しており、お答えを控えさせていただきます』 記者席から挙手が上がる。『時間が来ましたので……以上であります』官房長官が壇上を後にした。 テレビでは、この官房長官の記者会見について、有識者の説明があった。『日露関係に影響する事態でなくて、官房長官の説明で良いのではないでしょうか』 他のコメンテイターも、『参議院選挙が終わったばかりですから、もっと重要な案件に時間を割くべきでしょう。先ずは調査団に危害がなかったのですから、総理と官邸の対応は良かった、と考えますね』と。 放送局のアナウンサーが告げた。『官房長官の会見でした』 テレビの画面が、娯楽番組の予告を流した―― (続く)
2019年12月23日
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写真日記 Huちゃん 写真日記 を転載しました。写真は、Huちゃんさんの「大阪港ダイヤモンドスポット:大阪港夕景・茜空」激写作品から借用させていただきました。 3月7日掲載(1)~ ブログ長編冒険小説『海峡の呪文』――(55)(この物語に登場する人物、団体名はフィクションである。だが、歴史及び政治背景は事実でもある)海峡の呪文(5) 『エゾッソ号』は錨を降ろし、根室港の外洋に出たところで停まっていた。昼12時過ぎとなると、海霧が嘘のように消滅していた。紺碧の空が根室海峡の天に広がっている。いつになく波はない。ベタ凪である。実に清々しい光景である。 『エゾッソ号』から漁船に乗り移った十鳥、海人、要員たち、ミハイルとエカニーナ、バハイロは、狭い甲板の両サイドに別れて座り込んでいた。 日露北方四島観光調査団の避難民全員がは、他の船に隔離していた。外部との連絡が出来ないように、札幌公安調査局の要員が監視に当たっている。公安調査局の要員の報告によると、北方四島日露共同経済協力(歯舞群島1島返還で日露平和条約を目論む)を主張している国会議員たちが、煩(うるさ)く騒ぐので睡眠剤を注射して眠らせている、との報告が十鳥にあった。あいつらには、それが相応しい! 漁船の甲板では、榊原英子が十鳥に寄り添い、かい甲斐しく世話をしていた。漁船の船長から貰った栄養ドリンクを飲んだ十鳥が、海人と榊原に言った。「これから私は最後の任務につく。先生たちは、仲良く自由にしていてくれ」 言われた海人と榊原は互いに顔を見合わせ、顔を赤らめた。だがそれも一瞬のことだった。海人が私用スマホで『資源開発研究所』にいる兄・堀田陸人と連絡をとった。呼び出し音が鳴るや、兄・陸人が出た。「海人。皆無事で良かった」陸人には、榊原から連絡が行っていた。「兄さん。事態はまだ終わっていないよ。ところで兄さんに頼みがある」「何でも言ってくれ。海人」「じゃあ、お願いするよ。至急、小清水町の〝あの竪穴〟を掘ってほしい。悪魔どもの〝ハピネス倶楽部〟がバカでかいRC造の建物を建て、〝竪穴の中〟を守っているけど、札幌公安調査局が強制調査する。一緒に行ってほしい。兄さんが尊敬している河田前町長も協力してくれるでしょう。兄さんが頼むと。何があるのか知り得ないから、十鳥さんが十分な装備を札幌公安調査局に頼んだ」「分かった。丁度良いぞ。知床半島沖の件で行くことを考えていたんだ」「あの海底探査のこと?」「そうだよ。俺はまだ続けている。田上君とね。明日、小清水町に行く。札幌公安調査局の担当者に伝えてくれ。海人。榊原英子さんも無事だな?」「彼女、英子さんは俺よりも元気だ」「英子さんに、よろしく、と伝えてくれ」「何? よろしくって? 兄さん」「そりゃあ、お前のことをだ。決まっているだろうに。またな海人」 十鳥は十鳥班の班長らと短いブリーフィングを終え、ペットボトルの水をがぶ飲みすると、特殊スマホ、私用スマホを左右の手に持った。その途端、左右の機器が鳴った。十鳥は特殊携帯を持ち、左手の私用スマホを班長に委ねた。<十鳥だが><野村です。緊急事態が起きた><何っ!><例の自衛隊基地内での‶幸の道義〟信徒が決起しているようです><何っ! 決起? クーデターか?><いや、組織的な決起でなく自死覚悟の少人数の決起のようです。なにせ官邸から指示があり、防衛省も、自衛隊北海道本部も、当然、各基地の責任者たちも、緘口令を引いて秘匿していますので、今我々は要員を送り情報収集中です。随時、報告します。十鳥さん><了解した。それもこれも官邸の身から出たものに違いないがな><言い忘れていた――官房副長官の瀬戸際が更迭されました><いつだ?><先ほど。官邸は、まだマスコミには公表していませんがね。この事態についても><ということは、瀬戸際の身が危ないぞ。自衛隊情報機関の紫藤1佐も……野村局長! 官邸の息のかかった裏の手で口封じされる恐れが大だぜ><了解した。可能な限り、瀬戸際と紫藤1佐の安全を確保する。公安調査庁本部の理解者、上司と相談しつつだが><そうしてくれ。瀬戸際と紫藤1佐の身柄確保が、俺たちの担保ともなるのだ。連絡を待っている><おっと十鳥さん。市川局長代理から連絡が入ったぞ。千歳第2航空団のF15戦闘機1機が訓練中、編隊から離れて国後島に向かったそうだ。同僚機が追い、撃ち落とすはずだが」<そうだろうな。北方四島のロシアの支配領空域に入れば、前代未聞だ。政権がぶっ飛ぶことになるしな。空飛ぶ戦闘機ゆえにな><出た! 親父ギャグ! おっ! また出たぞ! また連絡……今度は上富良野の陸自基地からの情報が入った。上富良野第四特科群の10式戦車一両が駐屯地の中で暴れているそうだ。実弾は使用できないと。おっ! 戦闘機が根室海峡、歯舞群島手前の日本側海域に突っ込んだと。また連絡する> この数秒後、また野村から連絡が入った。<野村局長。今度は札幌の自衛隊基地だな?><十鳥さんの下種の勘ぐりの通りだ。札幌の真駒内第11旅団の第18普通科連隊隊員2人が、史料館3号館(旧日本軍関係の史料館)に籠城した。おっ、彼らが、携帯拡声器で声明を出しているそうだ。『自衛隊員よ! 決起し、北方四島を奪還するぞ!』と、がなり立てているそうだ。おっ! 上富良野の戦車内で〝信徒自衛官〟2人が自殺したぞ! 燃料が切れたところで><教祖三神もやってくれたもんだ。だが幸いにも一般市民を巻き込むことを、三神は避けていたようだな。弁護の余地はないが、三神の良心が見て取れる。だが、まだ続くだろう。おっと、替え玉三神の情報が入って来たぞ>十鳥が通話を切った。下種の勘ぐりとは何だ! S班長と要員4名が乗った漁船が、根室海峡の日露中間線数百メートル手前に差しかかった。国後島がくっきりと見えている。要員が双眼鏡を南の納沙布岬方向に回した、その時だった。札幌公安調査局のヘリから特殊携帯に連絡が入った。<S班長へ。目標の白い漁船が納沙布岬に差しかかりました。1、2分で見えるはずです。その4.9トンの漁船の船長は、奴らに自宅監禁されていました。つまり船の操縦も偽教祖の三神ら4人の――いま納沙布岬を回りこみました> S班の要員の双眼鏡にその漁船が点となって見えた。<班長! 漁船が見えました!><狙撃する! 船長! 船を奴らの側舷に向けてくれ!> 船が全速力で偽三神らの漁船を目指した。 偽三神らの漁船、その斜め後ろ100メートル上空から追尾しているヘリから連絡が入った。<ヘリより。目標の漁船。操舵室に1人。後ろ甲板に2人。舳先に1人が……背中にボンベを背負っています。奴らは皆、白装束です><了解した> S班長が十鳥に報告した。<チーフ。S班、これから目標の漁船を狙撃します><班長。勝算を言ってくれ> S班長は即座に応えた。<チーフ。ボンベを背負った男は、漁船の舳先に立っています。相手の漁船はFRP製の4.9トン。こちらの漁船は35トンで鋼鉄製です。したがって、狙撃の射角は有利ですし、体当たりも出来ます。S班の二人は狙撃のエキスパートですので、信頼しています。なお、ベタ凪で揺れがほとんどありません><十鳥。了解した。S班長に100%委ねる。放射能には気をつけてくれ。朗報だけを待っている><何としても、ダーティーボムを回収します!> S班の漁船が速度を上げ、目標の漁船に迫った。あと450メートル。 S班長がインカムに言った。<狙撃は可能か?><スコープに舳先に立つボンベを背負った男を大きく捉えています><起爆装置を握っているか?>S班長が訊く。<班長。船を10時の方向に向けてください。奴の正面斜め横を捉えたい><了解した>S班長が応え、この会話をインカムで聞いていた船長が船首を10時に向けた。 S班の漁船が、目標に300メートルと迫った。<班長。速度を停止してください。我々は狙撃準備OKです>舳先で伏せ狙撃ライフル銃を構えている要員が言った。狙撃手は2人である。<班長。了解> 船が速度を無くして行った。ベタ凪。無風。 2人の狙撃要員は、スコープにボンベを背負った白装束の男を捉えている。船首が10時方向に向いたのでボンベ男の横側面が、やや鳥瞰して見える。一人の狙撃要員は、スコープの十字の中心を、男の右手に当てた。もう一人は狙いを左足大腿部に当てた。<撃つぞ!><同時に撃つ!> この3秒後、2丁のライフル銃から銃弾が鈍い音を立て音速で放たれた。 舳先の男の両手から血が溢れた。そして起爆装置が足元にぶら下がった。同時に、もう一つの弾丸が左足太腿側部を貫通した。ボンベの男が悶絶して仰向けになった。 S班の船が速度を上げた。ヘリが目標の漁船の50メートル上空に来た。<起爆装置が離れた。3人が気づいた。船首に行く>ヘリからだった。<了解><了解> 狙撃要員が応え、スコープを船首側の甲板に向け待ち構えた。白装束2人が甲板に現れ、スコープが捉える。<右を撃った><左を撃った> 3人目が現れ、甲板を這っていた。が、右足大腿部に銃弾2個が食い込んだ。<無力化された>ヘリからS班全員のインカムに伝わった。<ただちにダーティーボムを確保する>S班長が応えた。<放射能検知器、放射能防護服、放射能対応容器を準備だ>S班長が告げると、船は50メートルまで近づいて行った。 十鳥の特殊携帯が鳴った。札幌公安調査局の野村局長からだった。またか! <また情報が入った。在札幌ロシア総領事館に侵入しようとして、警備の機動隊員に押さえられた。が、2人の男が腹を切ったようだ。救急車を待っていると><まだ続きがあるのか?>十鳥が訊く。<札幌の真駒内第11旅団基地内の輩2人が自殺したようだ><まだ自殺願望者が出ることだろうよ>十鳥は無機質に言った。 殉教者たちのモザイク画だ。奴らの野望の絵が、この1年で殉教画にすり替わったのだよ、と十鳥が呟いた。十鳥が息を吸う間もなく、野村局長から連絡が入った。<おっ! 今度は、東京のロシア大使館に男2人が押し入ろうとして、警備の機動隊員に押さえられた。こいつらも腹を切った! 北方四島奪還宣言のビラを持っていた。まさに殉教画だ> 殉教画? そうだよな。十鳥は頷いた。 十鳥がペットボトルの水を飲もうとしてボトルを口に当てた時、特殊携帯が鳴った。S班長からだった。朗報か、否か、どっちだ!<S班より。チーフ。無事、ダーティーボムを防護容器に回収しました。要員全員無事です>このS班長からの報告を聞いた十鳥は、全身が溶けるような感覚になった。<S班長とS班の皆、そして船長に……感謝……する……>十鳥が崩れながら応え、言葉がフェイドアウトして、その場に大の字になった。<チーフ! 大丈夫ですか! チーフ! 大丈夫ですか!>S班長が大声が特殊携帯から聞こえている。十鳥は夢を見た――海人と榊原が海岸の上の丘を歩いている。そこは平らな原野だった。国後島の原生花園か。花々が咲き誇っている。そこから碧いオホーツク海が眼前に広がり、丘の直下に清川が流れている。紺碧の空。風もない。海人と榊原が立ち止まり、地面を見つめている。海人がロシア側の考古学者たちに手で示している。そして海人が、この辺りが調査地点だ、と俺に大きく手を振り回し告げた。おーい! 十鳥さん!――。突然、十鳥の耳たぶの大きな耳に大声が響く。「十鳥さん! 十鳥さん!」海人の声だった。 十鳥が目を開けた。夢か――良い夢だった。 そして、榊原、ミハイル、エカニーナ、十鳥の要員たちの覗く顔が見えた。(続く)
2019年12月22日
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写真日記 Huちゃん 写真日記 を転載しました。写真は、Huちゃんさんの「大阪港ダイヤモンドスポット:大阪港夕景・茜空」激写作品から借用させていただきました。 3月7日掲載(1)~ ブログ長編冒険小説『海峡の呪文』――(54)(この物語に登場する人物、団体名はフィクションである。だが、歴史及び政治背景は事実でもある)海峡の呪文(4) 車椅子の白装束が、無言で客室奥を見つめている。20メートル弱離れている海人の方だった。 車椅子の白装束が、ボンベ、〝ダーティーボム〟を背負っている隣の男に向け手を振った。「船を出せ」 『エゾッソ号』のディーゼルエンジンが速度を上げた。その数秒後だった――操舵室で出力を上げても船は動かなかった。スクリューにエンジンの回転が連動していない。操舵室の男が罵った。「くそ! やられた!」 その声が、客室内の白装束仲間のインカムに伝わった。白装束の男が車椅子の白装束に耳打ちする。が、白装束は微動せずに座り、海人たちの方を見ている。 ディーゼルエンジン音は高鳴っているが、船は動かない。『エゾッソ号』は外部からコントロールされていたのだった。 後ろにいた白装束が船外を見やり、突然、「アッラー!」と奇声を発した。それは怒りの唸り声だったが、アラブのアクセントが混じっていた。その男が車椅子の白装束を激しく罵った。「国後島に行かなければ、同志たちの解放が出来ない! せめて、俺はここの豚どもと供に自爆する!」男は日本語で叫ぶ。 車椅子の白装束が頭を横に振る。と、激高した男が自動小銃を持ち、隣の男と共に海人たちの方に近づいて行く。ボンベを背負った男が制しするが、従わない。 「アッラー!」の男が白装束の目出し帽を脱ぎ払った。留学生のラムディ・ムハンマドだった。最後部にいた海人たちのところに来た。「お前たち2人が、最初のアッラーの生贄だ! 膝をつけ!」ムハンマドが自動小銃を海人たちに向けた。海人とドローン要員が床に両ひざをつける。海人は床を見る。これで英子さんともお別れだな。北方四島考古学調査も終わった。悔いが残った。そう心の中で海人が言う。 ズン! ズン! ズン! トカレフ拳銃音が客室内に反響した。ムハンマドがのけ反り血飛沫(ちひぶき)を海人の顔にかけた。撃ったのは、白装束の目出し帽を脱いでいたエカニーナだった。ムハンマドの仲間一人が、エカニーナに自動小銃を放つ。と同時に、エカニーナが通路横に飛び込む。その一瞬、ミハイルの横にいたロシア人の屈強な男――イワノビッチ局長の部下バハイロ――が、ムハンマドの男にトカレフ拳銃で撃った。ズン! ズン! ズン! 断末魔の叫びと共に、撃たれた男が仰向けになりながら自動小銃を後ろに向け撃った。弾丸が後ろにいた白装束の数人に当たった。「突撃!」と怒鳴って、十鳥が前列の長椅子を目指して駆けた。火事場の何だかの如く飛ぶ。十鳥のチーム員が一斉に飛ぶように駆ける。ロシア人のバハイロが自動小銃を持つ白装束たちを連射した。叫び、倒れる。 十鳥らが白装束たちの前に立ちはだかった。 白装束たちが床で血飛沫を噴水のようにあげていた。十鳥の班長らが自動小銃、刀を後ろに蹴飛ばす。十鳥が車椅子の白装束を見ると、胸から血が湧き出ていた。バハイロとミハイル(イワノビッチ局長・アキロマ教授)が十鳥の傍に立っていた。「ダーティーボムの起爆装置を取れ!」ミハイルがバハイロに命じた。 ボンベを背負って倒れている白装束の男が起爆装置を握っていた。親指が起爆スイッチにかかったままだった。「この男は死んでいます」バハイロがミハイルに言い、男の指から起爆装置をもぎ取った。 十鳥が放射能検知器を取り出し、ボンベに近づけた。検知器の針が振り切れた。「やばい! 皆、離れろ!」十鳥が叫ぶと同時に、ミハイルが対放射能遮断シート(鉛の入った薄いシート)をボンベに被せた。バハイロが更に一枚を被せボンベを包む。十鳥の放射能検知器の針が限りなくゼロに戻る。十鳥は気づいていないが。 ミハイルが乗客員を後方に移動させている十鳥らに言った。「十鳥さん。慌てなくていいよ。ボンベはシートで包んだ。いまバハイロが会議室内に移動させた。ゆっくりと皆を脱出させたらいい」 振り向いた十鳥が応えた。「なんであんたがこの船にいるんだ」「この為に予定を変更した」ミハイルが、短く言った。十鳥の愚問だ! それを聞いた十鳥が、平常心になった。「班長! 操舵室のテロ犯を排除せよ! おっ、船を止めろ!」「了解」班長らが自動小銃を持ち出て行く。 十鳥が続けざまにインカムで命じた。「S班長チームの漁船を急ぎ、『エゾッソ号』の後部につけろ! 乗員を避難させるぞ!」<いま後ろにつけました!>S班長が応えた。<追尾しているもう一艘の漁船もだ!>十鳥が命じた。<十鳥さん。左舷につけていますよ>榊原英子が乗った漁船の船長が応えた。 俺は野暮踏んでいる。後手後手じゃないか。さすが我が十鳥のチームだけある。そう十鳥が呟いた。そして車椅子の白装束に目を戻した。が、十鳥のインカムが告げた。<操舵室を確保しましたが、エンジンを切れません。外部からコントロールされています。船長らは眠って生きています。チーフ><じゃあ、船底のエンジンをぶっ壊せ!><了解> 調査団の40人ほどが、2艘の漁船に乗り移っていた。『エゾッソ号』は止まっていない。客室内には、テロ犯の死体とミハイル、エカニーナ、バハイロ、十鳥と海人、そして呼吸を苦しそうにしている車椅子の白装束だけとなった。 十鳥が車椅子に近づき、「三神よ。テロは未遂に終わったな」と言った。 三神が漏れるような声を出した。「これで良いのだ……政権権力に……一泡吹かす……それが……私の……目的……になった……私たちは……官邸の……奴らに……騙されて……いた……」三神の呼吸が荒れ出した。「ゴン! 俺だよ。海人だよ」見守っていた海人が三神(三上健太・少年期のあだ名はゴン)の顔に近づけた。「海人……お前が……いるのが……分かって……いた……」「なぜテロを企んだのだ! ゴン!」 三神の目が見開いた。「この……政権が……許せな……かった……のだ……奴ら……は……売国奴だ……俺と……義父……は……利用され……たのだ……」 三神が振り絞って続けた。「この……政権は……クーデター……政権……だよ」 三神が呼吸を深くしたが、肺に空いた穴から漏れる。海人が訊く。「ゴン! 小清水町の〝女神とU500〟の暗号めいたメモは、何だ?」「あれは……私と……義父の……保険……なんだよ……」「保険? どういう保険なんだ? 俺に言えよ! ゴン!」「これが……最後の……お前……への……お詫び…‥海人……小清水……掘れ……掘れば……」三神が息をかすかに継いだ。「海人……紫藤から……渡された……物は……本物……だ……偽の……俺……が……向かって……――――」三神の呼吸が止まった。がくっと首が折れた。 海人は心の中で別れを告げた。ゴン! さよなら! 国後島に帰れよ! そして海人が十鳥に言った。「偽物の三神が紫藤1佐から提供された本物のダーティーボムを持って、どこかに向かっているようです」「分かった。急ごう」と十鳥が言って、特殊携帯を手にした。<十鳥より。三神の偽物が〝ダーティーボム〟を持って、国後に向かっているはずだ。捕まえろ! 放射能に気をつけろ!><野村だが、了解した。釧路からヘリを飛ばす。すべて承知している。十鳥さん。気をつけてくれ!>札幌公安調査局局長の野村が応えた。<おお。ありがとう>十鳥が応え、S班長に連絡した。<S班長。聞いての通りだ。避難民を他の漁船に移して、根室海峡、日露境界線に向かえ! 札幌公安調査局のヘリと共同して、三神の替え玉が乗る船を押さえろ! 凪だから、狙撃も出来る。何としても、ダーティーボムを奪え!><S班。了解! 避難民を漁船に移動完了済みですので、直ちに向かいます!><放射能には気をつけてくれ!><了解> 『エゾッソ号』のエンジン音が消え、止まった。 客室の外に班長らが戻って来た。出入り口のドアを開けようとしたが、施錠がかかっていた。<チーフ。ドアが開きません>班長がインカムに言った。<いま開ける>十鳥がドアに行った。 その時だった――。 客室内の天井換気口から黄色い煙が噴き出してきた。十鳥がそのガスを肺に吸い込んだ。十鳥の手がドアノブを握ると、その場に崩れた。 ミハイルが叫んだ。「防毒マスク! 毒ガスだ! 窓は防弾ガラスだ! 後ろの非常口から外に出ろ!」 ミハイルとバハイロが服で口を塞ぎ息を止め、十鳥を引きづり後方へ急いだ。海人たちは、辛うじて防毒マスクを装着できた。実際は、十鳥チーム要員がバックパイプから各自の防毒マスクを取り出し、海人とエカニーナに着けさせたのだった。「後部の非常口から脱出だ!」 口から泡を出す十鳥を非常口から外のデッキに運ぶと、ドローン要員がカギの壊れたドアを閉めた。 ミハイルがバハイロに怒鳴った。「塩素ガスだ! 十鳥さんに注射を打て!」 バハイロが内ポケットから注射器を取り出し、硬直している十鳥の胸にずぼっと差し込む。「どけ! 人工呼吸だ!」ミハイルが怒鳴ると、十鳥の顔に覆い被さった。ミハイルは新鮮な空気を肺一杯に吸うと、十鳥の口中に吐き出した。そして十鳥の胸を両手で強く数度押した。一回。十鳥は死んでいる。2回。死んでいる。ミハイルが海霧ごと肺に入れ、十鳥の口中奥に気が遠くなるほど吹き込んだ。 数秒が数分に思えた時、十鳥の口からゴボゴボと泡が噴出した。「十鳥さんが蘇ったぞ!」ミハイルが顔を赤らめ海人たちに言った。「アキロマ教授(ミハイル)。間違いなく生き返ったのですか?」海人が訊く。漁船の榊原英子に伝わるように……。「ステロイド注射が効いてきた。大丈夫だよ。堀田先生よ」アキロマ教授(ミハイル)が告げた。「十鳥さんが生き返ったよ!」海人が叫んだ。そして海霧の宙を見上げた。何だ!「あれは十鳥チームのドローンですか?」海人がドローン要員に訊いた。「あれは違う。札幌の公安調査局要員のドローンでもない」ドローン要員が応えた。 海人が胸裏ポケットから〝手製パチンコ〟とパチンコ玉10数個を取り出す。かなり大型のドローンは、海人の上空10メートルでホバリング、停止状態となっている。 あれは悪魔の化身だ! 海人が狙いを定め、パチンコを撃つ。だが当たらない。7回目だった――パチンコ玉がドローンの中心部に当たった。するとドローンはトンビがぐるりと廻るようにして、『エゾッソ号』の甲板に落ちて来た。回収した十鳥のドローン要員が言った。「これは自衛隊使用のドローンです。カメラは生きています」 海人がその大型ドローンの目(レンズ)を十鳥に向けた。瞳孔を動かしていた十鳥が、ドローンのカメラ目を睨んだ。「官邸の犬め! 紫藤1佐よ! やりやがったな! お前たちに明日はないぞ! 俺たちには明日はあるのだ!」いつもの十鳥に戻っていた。(続く)
2019年12月21日
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