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なぜ派閥・グループは存在するのだろうか、との素朴な疑問を持つ。テレビのコメンテーターは言う。「グループと言ってきたが、これからは派閥と言うか――」「グループは、派閥ですよ」「大グループの親分に詣でて、支援と見返り――従来の古い政治」「なぜ、政策論議し、自由に選択する事が、所属議員にできないのか――」等などの評論が湧いている。65年間の自民党派閥政治についても、同じ評論がされていたものである。ある市井(しせい)の自民党員に訊いたことがあった。「なぜ派閥なのか?」彼は答えた。「自民党と言っても、5、6つの政党の集まりなんだ。それが派閥みたいなんだよ」彼の話には、妙に説得力を感じたものである。だが、疑問は残った。「だったら、少数政党の集合体と言う事か?」「そうとも言える」「と言う事は、政権権力を握るために合従連衡したに過ぎないじゃないか?」「当り前だろうよ。政治は政権を握ってナンボだよ」「それもそうだが、政策はどうなるのだ?」と訊くと、即座に彼は答えた。「政策は大筋合っていれば良いのだよ。細かい点は、それこそ話し合いだ」この話は、十数年前のものである。十年ひと昔だから、土蔵の中で埃に被っているように思っていた。間違いだった――脈々と生き続けているのである。改めて、政党政治の本質を考えさせられた。公明党は、宗教政党だから派閥問題はない。その代わり、民主的ルールで党内が運営されているのかどうかは分からない。いつも全員一致で代表は選出される。何事も無く――。共産党は、公明党とやや似たものがある。やはりスムース過ぎる程に代表が決定されている。しかし、離党だの、除名だのと、党内の軋みを垣間見る。その点は、人間味が残っていると思っている。社民党は、多少の代表争いがあり、無難なところで収まる。党の顔が決まっているので、そこに落着するのであろう。その他の党は、個人の個性・主張で設立されているから、論評のしようがない。こんなに政党があるが、政策の違いはそう大きく離れていないようである。特に民主党と自民党との差は――。政策の違いでいえば、共産党と社民党ぐらいなものだろう。つまり、『民主・自民・公明・みんな・諸党』と『共産・社民』に大きく分かれるようである。政策と言う観点からみると、政党は二党になってしまいそうである。その中、政権の実権を争うのである。一応、米国議会では、党議拘束は無いと聞く。政党間に、大きな政策の違いが無いならば、いっその事、党議拘束をなくしたら良い。基軸の政策は、譲れないものだろうから、そこまでの話をしている訳ではない。現実的、即効的政策は、誰もが反対するものではなさそうだ。したがって、派閥の存在理由は絞られたものに見えるのだ。「やっぱり、権力闘争の根源なのであろう」「権力闘争とは、政権の実権を掌握する権力を争うもののようだ」「その事を批判するものではない」「政治政党の使命は、政権を担い、国家・国民に奉仕する事である」「その政権権力を誰が担うのかの戦いである」「民主主義のルール上、感情は残るが、血を流さない唯一の権力闘争なのである」「やむを得ないか――派閥が出来るのは――」「いいじゃない。学閥・門閥・閨閥じゃないからな。派閥は」「政権権力を担う程の政党には、派閥がつきものか――?」「昔は金が飛び交ったものだが、今の派閥には金は無い。しかも、利権も薄くなっている。だから、昔のように派閥を捉えると間違うぞ」にほんブログ村
2011年08月26日
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今、報道では前原氏と小沢氏・鳩山氏等と人事で折り合いがつきそうにない、と言われている。「しっかりと折り合いをつけたらいい」「党の要職を小沢氏側が要求しているらしい」「良いではないか」「院政になってします」「良いではないか」これが最終手法なのだから――。党内融和と一致団結した姿が求められる。にほんブログ村
2011年08月25日
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アメリカ東部で地震が起きた。原発2基が停止したという。ニューヨークの摩天楼――地震がないから高く天に向って建てるそうだ。そう聞いた。カナダ・トロントでも、同じ事を聞いた――地震がないからと。安全地帯と思われた、アメリカ大陸の東部域での地震である。しかも、東部の原発2基の停止。やはり、大自然の脅威に聖域はなかった。大震災の4、5日前、東電は、津波の高さを15m程もあり得ると知っていた。その通りとなった。起きてしまってから、続々と「そう思っていた」ような事実が発表される。いい加減にせよ!と言いたい。やはり、原発は即時停止すべきである。国民は、ランプ生活も許容するだろう。ただし、産業と商業、病院等は、ランプとはならないが――。にほんブログ村
2011年08月25日
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ラストチャンスの意味は、政局と政争に明け暮れる政治状況の中、まともな政治体制が出来るか否か、と言う事である。与野党の喧騒――政局に明け暮れる議論はもう結構である。少なくても、民主党が一枚岩になり、新代表と新政権をつくる事が出来るかが問題である。さあ、前原氏は「一枚岩の民主党政権」をつくることが出来ようか――。ブログを書き過ぎたのか、パソコンの機嫌が悪くなり、修復中です。にほんブログ村
2011年08月25日
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このブログで、結構、鳩山前首相を擁護している。その理由を書きたい。鳩山由紀夫という人物は、「実にお人よし」である。また、ロマンティスト政治家だ。先ず、そこが面白いのである。面白いとは、いい加減せよ!とのお叱りをうけるだろう。だが、やはり面白い人物である。政治家らしくないのだ。権謀術数の世界に無縁な人物像である。それから、彼はどんなに窮していても、涙を流さなかった。言葉使いも馬鹿丁寧だった。挨拶には立場の上下がなかった。鳩山由紀夫という人物は、目は飛び出さんばかりに大きいが、ギラつくことがない。どこかエトピリカに似ているのである。「首相経験者は、二度と議員になるべきではない」と言った。だが、鳩山は前言を翻した。この男の言葉の重みを忖度する輩が多いようだ。だが、エトピリカは「鳩山由紀夫は、堂々と議員を続けるべきだ」との賛意を持っている。エトピリカと似ているからかも知れない。いやそうではない。「首相経験者」と看做していないからである。何も出来ずに辞める事になった首相である。何も出来なかったから、「首相経験」は無いのである。鳩山由紀夫が言う。「首相経験者が、在位中の権力を振りかざすのは良くない。したがって、自分は首相を辞したら、次の選挙に出ない」と。鳩山由紀夫前首相は、在位中に得た権力を持ち合わせていない。何も持たないで辞めたのである。したがって、次の選挙に出て、国会議員にならなければならない。「沖縄問題」の政治責任と政治能力が、鳩山由紀夫に問われた。当初の理想案を翻し、元々の既成案に戻った事である。これについて、一言がある。「沖縄県民を裏切った」「せっかく落ち着いた案だったのに――」等などの批判が沸き起こった。沖縄県民は、怒っている。沖縄県民には申し訳ないが、「鳩山由紀夫首相の夢見た基地問題の解決方法は、無駄ではなかったのだ」と、思っている。臭いものに蓋をするような解決策が、シュワブ沖移転だったのだ。鳩山由紀夫は、臭いものに蓋をしなかった。とも言える。少なくても県外と、夢見たのである。この夢は、沖縄県民にとっても、本土の良心ある国民にとっても、今後に繋がる夢だった、と思っている。「沖縄県民に、これ以上の米軍基地負担をかける訳にはいかない」そう、良心ある国民は思った事は確かである。「沖縄基地・米軍海兵隊は、極東アジアの軍事抑止力である」という某政治家たちの見解より、優れて確かなものであろう。臭いものに蓋、と表現した。「ゴミ清掃焼却所は、自分たちの周辺には造らせない」そういう見解と同次元のようである。だが、橋下大阪府知事をはじめ、幾人かの良識ある人物が言った。「こちらに米軍基地を持ってきたらいい」と。そういう意見が出た事自体、大収穫であると思った。政治家には、ロマンがある方が良い。今までロマンを言う政治家が少なすぎた。目先的な発言が多すぎた。それで国民の大半は、納得したのであろうが、そのツケがわが身に降りかかっているのである。ロマン無き政治家は、その立場にシガミツク。ロマンを持った政治家は、現実の壁に跳ね返されてしまう。だが、政治にロマンがあって、日本と言う国は、より良くなるはずである。そう信じたい。『男(武士)に、二言はない』とするならば、『男(議員)に、三言はある』としたい。国会議員は、武士ではない。管首相は、二言どころか10言以上あったのだ。彼は、国会議員は武士(男)でない事を証明したのである。その通りだろう。今の国会議員も、かつての国会議員も武士ではないのだ。鳩山由紀夫前首相も武士(男)ではない。一介の「ロマン政治家」に過ぎない。それとエトピリカとどこか似ている。憎めない人柄である。これが鳩山由紀夫を擁護する理由である。批判ばかりしていたら、日本にロマン派の政治家がいなくなるだけである。希少生物であるエトピリカのように――。これはフクションであり、短編小説ですよ。エトピリカより。にほんブログ村
2011年08月23日
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前原誠司前外相が、民主党代表選に名乗り出た。先ほど、グル―プの集会で前原氏は言った。「政治の信頼、大震災と原発事故被災者たちに寄り添う政治、党内結束のためリセットする――」リセットの意味の詳細は、まだ分からないが、彼は菅直人と違い、言葉遊びはしないだろう。それに期待したい。リセットを確実なものにしてほしい。二、三日で、そのリセットが、本物かどうかわかるだろう。前原誠司総理大臣内閣の陣容を予測する。これはエトピリカの妄想である。(内閣の陣容)前原誠司総理大臣 後は名前だけ記す。枝野岡田小沢グル―プから、5名の大臣。平野大臣は再度任命する。田中真紀子も有り。鳩山グループから3名の大臣。鳩山外相も有り。野田グループから、2名の大臣。その他非グループから2名の大臣。片山総務大臣も有り。舛添大臣も有り。長妻大臣も有り。(現実的でないが、橋下大臣も有り。河野太郎大臣も有り)非グループは、他党から一本釣りでもいいだろう。国民新党から、2名。亀井静香と下地幹郎。下地幹朗は大臣をやるべきだ。支持グループからは、大臣を出さない。ここがキ―ポイントである。副大臣にグループの人材を登用すればいい。これが実現すると、党内結束は最低限実現するだろう。なぜなら、この妄想には、小沢元代表の見識を取り入れ、有為な人物かつベテランを配置したものである。前原氏は、小沢元代表と意見を交わす用意がありそうだ。彼の出馬を決定したのは、小沢元代表と何らかの接触があったのだろう。(追加。やはり接触があった。報道では、京セラの稲盛会長がキ―マンとなっているようだ。キーマンと言っても、政治家ではないから、政策レベルのすり合わせの接着剤、前原と小沢元代表との接着剤の役割だろう)「これはフクションです。実際の人物、団体と異なるものです」との妄想を書き込んだ。にほんブログ村一応、アクセス数が20000を超えました。書き込み、コメントをいただいた方々、この稚拙な記事にお付き合いくださった方々に、心からの御礼を申し上げます。これからは、熟慮した記事内容を書きたいと思っています。乱造路線から、質路線へと改善していきますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。エトピリカより。
2011年08月23日
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ロシアが不法占領中の「国後島」に、単独で行った青年がいた。彼はゴムボートで島に渡った。当然、ロシア当局に捕まり拘留されている。彼の行為は、是か非か!エトピリカは、「是」としたいが、報道記事を読むと、「非」に傾いている。事実はどうかは分からないが、報道が正しいとすればの事である。青年は、モデルガンとサバイバルナイフを持っていた、という。ここが気になる点である。それ以外は、青年の行動には「是」としたいものがある。イデオロギーがあろうが、なかろうが、それは問題ではない。日本の領土である「北方四島」の返還が進まない中、ロシアは実効支配をますます強化している。ロシア政府の要人が言った。「北方四島は、戦利品である」と。その戦利品という言葉は、いかにも無謀極まりないものである。力ずくの収奪論理に過ぎない。(収奪と記したが、本当はゴウカンと漢字で書いたのであるが、不適切な表現として認められなかった。それで収奪とした)国際法の無視である。戦中の言葉だったら、多少、許容できる感情的発言として見過ごすが、平和時の今日(こんにち)のロシア政府要人の発言としては、乱暴かつ非理性的なものだ。話がそれた。そう、青年がモデルガンとサバイバルナイフを持っていたとしよう。それが、彼の行動に、「是」のハンを押す事を躊躇(ためら)うのである。ロシアから、武力行使での北方四島の奪還は不可能であろう。憲法上の問題ではない。戦争行為では、物理的にも奪還は出来ない。ロシアも妥協することなく、武力を行使続け、血みどろの戦争となる、とみる。だが、青年の行為に「是」としたいものが残る。長期拘留と、場合によっては、射殺される覚悟が必要だが――。「無抵抗主義」の北方四島への渡航である。武器らしきものは、一切持たず、ゴムボートで陸続と上陸するのである。数千人が、北方四島に行くのである。これでもか、これでもか、と行くのである。持っていくのは、食料と「日本赤十字の旗」がいい。「日の丸」は、刺激を与える。初めは「日本赤十字の旗」。徐々に、旗を変えていくのである。次には「国連の旗」。そして、「日の丸」である。青年の気概は、無視できないものがある。エトピリカの心中は、「是」としたいのだが――。いづれにしても、青年の安全かつ早い日本への返還を、ロシア政府に求める。日本政府も、そう動いているだろうが。これは、ノンフィクションであり、実際に起きた事と異なるものではない。今しがたの報道によれば、青年はサバイバルゲーム中、流され島に近づいた、という。また、政治的動機はないらしい。知床半島と国後島の海峡で、サバイバルゲームは考えられないのだが――。ウガッタ見方だが、ロシア側のこの報道は、無難な落としどころ(決着)とみる。もし、ロシア側報道通り、サバイバルゲームの青年だったとしたら、この話はまったくのフィクションであり、事実と異なるものである、と修正したい点が砂粒ほどある。にほんブログ村
2011年08月23日
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リビアの独裁者カダフィ大佐は、その独裁の玉座から下りる時が来た。今日か、明日――か。反体制派、市民等の犠牲も大きい。彼らの尊い犠牲があって、カダフィの独裁政権が崩壊するのである。日本は、国民の血を流すことなく選挙で政権交代が出来る。やはり民主主義システムはありがたい。だが、周辺国に拉致事件を引き起こし、いまだその解決を拒む独裁者と政権国家がある。北朝鮮だ。さあ、この次は「北朝鮮の独裁政権崩壊」だ。中国を訪問中に、米国副大統領バイデンが、中国の大学で講演した。「人権活動家の釈放と言論の自由について――」前にも記したが、中国政府の体質に変化が起きつつあるようだ。資本主義・市場の原理を導入し、経済大国と成長した中国である。もはや後戻りはできない――徐々にではあろうが、民主化の芽が植え付き始める事にほかならないのである。資本主義と自由主義は、一体不二の関係にあるからだ。北朝鮮の独裁者、金正日がロシアに行っている。中国もロシアも、アメリカの軍事防波堤としての役割を、北朝鮮に求めていない。もうその時代は終わった。国家レベルでは、資源問題に絡む「領土問題」と「自由化という人権問題」だけが、東アジア圏諸国に残っている。北朝鮮には、「自由化・民主化・人権」だけが、即座に求められているのである。「人権」には、「拉致被害者の解決」が含まれている。北朝鮮国内から、良心ある反体制勢力の発芽を期待したい。リビアでもそうであるが、反体制活動は命がけであろう。かつて朝鮮は、日本帝国に命がけで戦った反体制勢力がいたのである。その種は、脈脈と残っているはずである。にほんブログ村
2011年08月22日
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あり得ないはずの事故が起こってしまった。天竜川、川下り船の転覆事故である。幼子を含む5人の方が亡くなった。船には、ライフジャケットの装着が法的に義務付けられている。これまで一度も事故を起こしていなかった。ここに落とし穴があった――。「禍は忘れた頃にやってくる」と言う、コトワザ通りとなってしまった。自殺志願者が、ライフジャケットを着ないで川の飛び込む話ではない。「安心・安全」を最優先する観光客商売なのである。この不幸な事件を考えてみた。似たような事故・事件は多い。遊漁船、レジャーボートでの事故。遊園地の事故。登山事故。いちいち挙げたら切りがない程、似たような事故がある。似たような事故で最大なものが、「原発事故」であろう。一見、「原発事故」と「天竜川転覆事故」に共通点が無さそうにみえる。よ~く、見ていると「共通点」があると、看做した。その理屈を述べよう。「もし転覆したら――と言う危険を承知していた」「もし大震災と大地震で、全ての電源を失ったら、核燃料の融解が起き、放射能事故になる――と承知していた」つまり、危険性を認識していたのである。ここに「共通点」が潜むのだ。そして、さらに「共通点」が見えるのである。「そんな事故は、これまで無かったから起きる筈はない」「ほら、今日も川の水は穏やかだ」「操船する腕はベテランだ。見せ場の難所もたいした事ない」「これまで事故なんて無かったのだから」「原発の設計はとても優秀なものだ。技術開発はグンを抜いているのだ」「日本の原発技術は、世界で最も優れているのだ」「大地震?大丈夫だ。とても丈夫に造っている」「放射能の危険?チェリノブイリ原発事故は、旧ソ連の稚拙な技術だから起きたのだ。日本の技術では、そんな事故は起こるはずはないのだ」このような考えを「天竜川下り船の関係者」と「原発推進の関係者」は持っていたのだろう。そうとしか、思えないのである。事実もそのようである。「水と空気はタダ」と言う観念が、日本人に多い、との批判があった。それは「国家の安全意識が国民に足りない」と言いたい、某政治家たちの発言である。その当事者自身が「原発は、安心・安全なもの」と言い放っていたのだ。「水と空気も放射能で汚染されている」「水と空気はタダどころの話ではない。きれいな水と空気を取り戻すのに、どれだけの年数と費用がかかる事か」天竜川の観光船では、大人には「座布団式簡易浮」を備えていた。子供にはライフジャケットを用意していた、と言う。「座布団式簡易浮」を許可したのは誰なのか――。ケツの下にある座布団である。船がひっくり返ると、手元にあろうはずはない。だから、ライフジャケットが万国共通のものとなっているのである。「座布団式簡易浮」は、万国に推奨できるものではない。万国から、あんた方の考えは、縄文時代以下だ、と言われるだろう。釣り船の船長は、いつもうるさく言っていた。「あんたライフジャケットを着なさい。持って来なかったんか。じゃあ、船のを着けてくれ」ナギの海でもそうだ。1.5mの波があれば、船長は神経質になっている。「おいおい、危ないから気を付けてくれよ!波かぶるからこっちに来てくれ!」いつもの釣り船の船長は、無理して船を出さないという見識を持っている。「あれぐらいの波だから、船出してよ」と、自分も含め釣り仲間が要求する事がある。その時、船長は厳として言う。「駄目だ。今日は諦めな」このような船長たちが多い。商売根性は二の次なのだ。船長たちから、「安心・安全」と言う言葉を聞いたことがない。「海は何があるか分からんのよ。だから、みんな気を付けてくれよ」この言葉は、耳にタコが出来る程聞いた。(耳にタコは出来なかったが、2mのミズダコを釣ったものだ)だから、彼ら口うるさく神経質な船長の船に乗るのである。大海原という大自然に生きる船長たちは、自然の恐ろしさを知っている。自然を舐めていないし、レーダーをも100%信用していないようだ。自分の目で海原を読んでいる。危険に直面しない人間には、その危険さえ分からないのだろう。川も放射能も、人間の操作できるシロモノではないのだ。その事を、あらかじめ理解する必要がある。まして、大自然は人間の能力を超えた相手なのだ。にほんブログ村にほんブログ村
2011年08月21日
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自民党と同じ姿は、見たくない。それは「グル―プ」という「派閥」である。支持基盤・母体により、様々なグループが出来る。それが悪しき根源であろう。それぞれのグループは、党運営に影響力を出そうとする。そして政権の座に着くと、グループ内から閣僚等の「席と椅子」を求め動く。これを繰り返し、やがて国民から愛想をつかされる。これまでの自民党がそうであったように――。今の政治は、イデオロギーは必要ない。政策が肝心である。諸問題をどうするのか、この日本の将来像をどう描こうとするのか、という政策が問われている。民主党の代表選候補には、それぞれの政策の違いがあるようだ。そこが問題である。「消費税の是非」がある。「脱、減、卒、という原発の政策」もある。「子供手当」が、「児童手当」になったのか、そうでないのか、というケジメもついていないようだ。他にもたくさんある。「大連立」もそうか――時機を逸したものだ。「大連立」は、とうの昔に消え去ったのだ。弱者の論理での「大連立」は、政権交代の意義を忘れたものであろう。そこまで落ちるなら、政権の座にいる必要はない。だから、数の論理が重要なんだ。民主主義は多数決という数の論理が原則なのであるから。この重要性を実践している人物がいるではないか。先ず政党内部で、最低限の「政策」統一がなされなければならないだろう。このままだと、与党と野党の違いがある「政策」の対立軸での代表選となりそうである。「そんな馬鹿な事があっていいのか!」そう国民の一人や二人は思うだろう――これは嫌味である。そもそも、「消費税の是非」と「大連立の是非」は、政党の基本的立ち位置の話であるのだ。これぐらいは、統一して置いて、微調整の政策論議で代表選を行うものだろうよ。民主党は政権交代時、「マニフェスト」を国民に提示したのだ。その「マニフェスト」にない、想定外の「消費税アップ」と「大連立」は、国民の承諾をなくして勝手に変えて貰っては困るのである。その他マニフェストの修正は、当然のように認められるだろう。民主党内部の動向をマスコミで見ると、「同じ事を言っている」100人を超えるグループを率いる人物がいる。グループの弊害を言いながら、100人を超えるグループの存在を容認するのか?という異議があろう。もしそうだとしたら、その異議に反論できる。ひとつは、支持基盤・母体という観点である。ひとつは、政策の根本的なブレがあるか否かである。その100人を超えるグループは、そのどれにも反する主張と立場にないようだ。民主党の代表選は、矮小なるグループ論理を乗り越え、当初の正道に則った判断で行われるのを望むのである。エトピリカは、傍観者である。否、鳥だった。特定の思想に立っていない。鳥だから。ただ、人間と共生することを望んでいるのだ。今まで、人間に酷い目に遭っているから。↓↓↓クリックの程よろしく。エトピリカより。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村↓↓
2011年08月20日
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2年前の政権交代は、国民の圧倒的な期待がそうさせたのだ。2年前、民主党が掲げ目指した諸政策「マニュフェスト」がある。支持し、期待した国民の大半は、その「マニュフェスト」の全てが即座に実現するものとは、思っていなかったのだ。少しずつ、少しづつ、一歩、一歩、改革・変革していくことを承知していた、と思っている。それら改革の施策が、かなり困難なものである事も承知していた。「普天間基地」「国家公務員制度改革」「年金問題」「税制改革」「社会福祉政策」「地方主権問題」等々。それらが、スムースに実現出来るとは、誰しもが思っていないはずである。65年間の長きにわたり凝固した日本統治システムの、抜本的改革である。その強烈に固まったものを、「一滴の溶融剤」で溶かしほぐすことの無理は分かっていた。民主党政権は、その端緒についたに過ぎない。だが、政権の椅子に座ると、どこか浮ついているのが見えたものである。何故、ドカッと座り、真正面を見据える事をしなかったのだろうか。ドタバタと動き、蠢き、それぞれが自己の立場論に窮していたように思える。もともと、民主党にも今日の日本政治を統治する力量に不足していたのである。(当然、自民党・公明党は、その役割を終えざるを得なかったのだ)その事を熟知していた有為の政治家は、少数だがいる。将来性のある優秀な若手政治家もいるが、この難局に立ち向かうには、政治生命を投げ打つ覚悟を持った人物たちの集団指導体制が相応しい。そのリーダーは、それ以上の人物がなるべきだろう。今の日本政治に一時の休みは許されていない。時間の浪費は、政治にはない。民主党は若い。議員年齢もそうだが、政治経験が若いのである。「国民生活第一」を貫き通すなら、民主党政権存立(政権交代)の歴史的意義を理解するならば、新しい日本のリーダーを熟慮し、慎重に選ぶべきであろう。ドタバタ劇は、ヨシモトのお笑いコンビで充分楽しめる。政治家は、ヨシモトのお笑いコンビ以下になってはいけない。ド~ンと構え、微動だにしない覚悟を見せつつ、断固とした意志を表出させる人物でなければならないのだ。「お笑いコンビ」には、その役割がある。その彼らには、政治家以上の覚悟が見える事が多々ある。苦労の末に得たエキスを持った「お笑いコンビ」たち。彼等と比べれば、まだまだ苦労が足りない政治家たちが多い、と見える。今、民主党の政治家たちに求めたいのは、党内融合が第一であろうと。この間のドタバタで、離党を余儀なくされた議員もいる。資格停止になった議員もいる。先ずは、いったん全員集合である。この間のドタバタ劇中での党規違反とかは、瑣末な話であろう。主役たちが、ドタバタやっていたのだから、脇役たちは愛想をつかざるを得なかった、と考えるべきであろうよ。そして、民主党と日本政権回復の最善の策は、『なりたい人物じゃなく、自公がさせたくない人物を選出すべきである』『三顧の礼をもって、その人物を擁立する熱意が求められているのだ』『有為な人物は、それを待っているものである』↓↓↓見解が異なっていても、クリックしていただきたいなあ~エトピリカ。にほんブログ村にほんブログ村
2011年08月20日
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ブログを始めて186日になりました。初めは、書き込みが出来なく悪戦苦闘。写真の添付も思うようにならず、頭の中が熱くなりました。今でもそうですが。見知らぬ人との出会いもブログの持味でしょうか。顔の分からない人であっても、ブログの記事内容にその方の人間性が表れ見えるものです。中には、専門家のブログもあります。難解な文章を読んでいると、学生時代に戻るような錯覚を持ちます。今さら、難解な講義を受けたくないのですが、意外と素直に読めるものですね。政治・宗教の事なんかも、ブログだから書けます。日常では、あまり触れないようにしている事柄が、あっけらかんと書けるものです。それが意外と、同じ思いの方々と出会ったりします。同じ事を考えているんだ、と胸をなでおろすこともあります。「歌の力」がありますが、「ブログの力」も感じます。まだ、ほんの入り口にいる自分ですが。全国各地で地道に活躍している方々のブログを見ると、ある種の勇気さえ覚えます。反対・賛成の書き込みがありますが、嬉しいものです。いつも見ていただいている方々がいる――。これもブログならではないでしょうか。たまに、他のサイトまで自分のブログ記事が飛んでいき、反対・賛成意見の応酬が行われている時もあります。結構、満足感がありますよ。今日は、何をテーマにしようか、何て考え一気にキ―を叩きます。思いつくまま、誤字脱字、文脈の乱れなんかを無視し、キーを叩きます。後で見て、おっと、ヒド過ぎるぞと、修正します。さあ、何を書こうか――。今、書いているじゃないか。これもブログ記事だよ。そう呟き、よし、出来た。これをアップしよう。↓↓↓この矢印も他のブログの真似です。ランキングアップすると、欲が出てきますね。これもブログの楽しみか――。にほんブログ村にほんブログ村先ほど原稿を書き上げましたが、作業中に消去しちゃいました。再度、書きました。「逃がした魚はデカカッタ」そう思いつつ、公開いたします。
2011年08月19日
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時折、若い世代(20代の)と話すことがある。自分の若かりし時と、 絶壁のような隔たりを感じる。「今どきの若者は ――」と言うつもりはない。ある種の諦観が、若者たちにあるように見えるのである。昔言葉だと、覇気が無いというべきものか――。夢が無いとも言えそうな感じかな。凡ての若者たちが――とは思わないが、どことなく内にこもるタイプが多いように思える。これも仕方がない事なの かな。競争社会って、そ言う事なのかな。そう思いつつも、「何かが違うようだ」との思いも片方に浮かぶ。それはいわゆる「格差社会」となっている事に、その要因があるのか――。大雑把な感慨であるが、そう思っている。そういう時代となっているのか。これから益々、そう言う時代になって行かざるを得ないものなのか。それとも、そういう時代にしてしまったのか。やはり、そういう時代にしてしまったのだろう。欧米の国々の事情はさておき、日本という国にはそれなりの事情があるのだ。少子高齢化・核家族化は、欧米先進国も同様である。しかし、ヨーロッパ諸国は、3、40年前から少子化対策 に取り組んでいる国もあるようだ。フランス・オランダ等の話を聞いたことがある。「子供手当」 なんかも、フランスでは早くから導入されている。国家社会全体で子供を育てる考え方のようだ。日本の国のように、「財源が無い」だの 、「バラマキ」だの、「所得制限すべき」だのとの、まるで「生活保護制度の延長としての子供手当制度」と思われる発想である。(途中で変更を余儀なくなってしまったようだが)子供のためなら、幾ら税金を使っても良いように思うところである。(エトピリカには対象の子供はいない。鳥だから)若者たちの就職問題は深刻だ。以前、亀井静香(国民新党代表)が吐き捨てるように言っていた。「郵政会社の非正規社員を正社員にすべきだ」と。また、「日本社会には、終身雇用というシステムがあっているのだ」そいう意味の発言をしていたと思う。大いに賛同するものである。日本には日本独自の雇用システムがあっていい。都合のいいところを欧米から模倣している感がするのである。それらが、先進経済社会のシステムと思われるが如く――。若者たちを、海洋資源のように思っている!?今の時代、漁業も育成する時代となっている。(林業もそうである)マグロ・ウナギだって育成しなければいけない状況だ。その内、クジラもそうなるかも知れない。クジラは保護されているから大丈夫か――。時代がそうなっているのだ。資源は枯渇してきたのだから、「獲ることから、育て獲る」事にならざるを得ないのである。こう言うと、若者たちに失礼な話であろう。育成栽培をしなくちゃなんて――。格差社会の修正が求められる!格差社会の修正は、国がやるべき事である。それには長期・短期の視点での施策が必要であろう。先日の英国の暴動の要因に、若者たちの失業問題が挙げられてもいる。その前のノルウェ―の事件の要因も、そう言う一面がありそうだとも。日本の若者たちは、そこまでの行動に走るとは思われない。が、内向的な雰囲気を感じることから、陰湿な方向に走るのは避けたい。陰湿――イジメ・ 弱者への虐待等といった。現にそうした事件が多い。若者たちを潰すな!そう思いつつ、政治世界の動向を凝視している。 ↓↓↓クリックよろしく。エトピリカより。にほんブログ村
2011年08月19日
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白濁の硫黄温泉につかり、下界の喧騒に思い巡らしてみた。祖先の霊も無事帰って行ったようだ。「御参りご苦労さん」の一言も無い。それも霊の証であろう。その代わり、「御参りご苦労様」と、お言葉は頂いた――入院中の超高齢の親からである。きっと先祖の霊が親に言わせたのだろう。硫黄の匂いを嗅ぎ、頭の中がくらくらしていた時である。坂本龍馬の事が、ふと浮かんできた。温泉の湯気がゆらゆらと立ち昇っている。そのように龍馬の文面がボヤッと現れた。その文面は、明治新政府の『新政府綱領八策』の原案と言われる『船中八策』だった。その文中後半に、『○○○自ら盟主となり、これをもって朝廷を奉り――』と書かれ、○○○と伏字三文字分がある。これは龍馬が土佐藩の重役に提示した政体案である。この○○○という伏字部分が、ゆらゆらと思い浮かんできたのだ。一体、坂本龍馬は、○○○を誰を指していたのだろうか?と。それは邪馬台国はどこにあったのか――と言う類い程のミステリーである。○○○は山内容堂説、徳川慶喜説等があるようだ。硫黄温泉は、傷によく効くと言われている。事実、その経験をした一人でもある。だが、頭が良くなる効果は聞いたことが無い。ずいぶんと長湯した。いつもならカラスの行水で済ますのだが、今回は30分程湯船にいたのだ。頭の中は、○○○で埋め尽くされている。この謎解きを終えないと、湯船から出ることが出来ない。そう暗示にかかり、ゆらゆら、ツーンと温泉につかっていたのである。○○○という○三つを、龍馬は書いたのだ。誰でも良かったら、○○の二つでも済む。わざわざ○○○の三つである。龍馬は、三つにこだわったのだ。ここにも龍馬の奇想天外な発想が入っている、と考えたのである。さすが、硫黄温泉だ。家庭の風呂では思い及ばないことも出てくる。坂本龍馬の『船中八策』は、時代の先を行く政体構想と言われている。龍馬は、この原案を山内容堂土佐藩主に見せたのだ。「山内公」・「徳川公」これも三文字である。「容堂公」ではないだろう。「徳川公」が名字なのだから、「山内公」と看做すべきだろう。龍馬の伏字○○○の文面を見た山内容堂は、自分の事だと勘違いしたことだろう。新政府の首班(今でいう総理大臣)の○○○だからである。長湯のせいか、頭の中が白濁していきかけた時、ツーンと硫黄臭が鼻についた。これか!○○○は!――坂本龍馬の事である。山内容堂公も徳川公も勘違いする事を承知して、○○○と書いたのである。勘違いしてくれた方が都合が良いからである。龍馬の○○○という三文字の伏字には、更なる伏字が用意されていたのだ。勘違いされる事を嘲笑い、本音を○○○に伏せたのである。坂本龍馬は、幕藩体制と朝廷という存在を充分認識していた。当然と言えばそうであるが、龍馬の本心はそうではなかったのだ。龍馬は、アメリカの大統領制を念頭に置いていたのだ。それを言ったらお終い、と龍馬は黙したのである。だから、○○○で煙に巻いたのだ。誰の心にもゆらゆらと見え感じるように。そう龍馬は思い、心の中で三味線を弾いていたのだ。俺の思いは、まだまだ先だ。100年もかかる事だろう。そう龍馬は思っていたはずだ。朝廷の事はさておき、少なくても藩閥的弊害は前提にあったはずである。龍馬は、「日本人」を自負していたのだから――。『坂本龍馬の伏字――○○○は、大統領の三文字が本心だった』30分が過ぎた。手の指がふやけてきた。手の平も皺が表れている。ふと、手の平を見ると、そこに何かが浮かんでいる。凝視した。すると、『大~統~領~』と見えた。間違いないだろう、きっと。これは坂本龍馬の『船中八策』の話だから、『泉中発作』としよう。発作はホッサではない。ハッサクのつもり。泉中(せんちゅう)は、温泉の中で思いついたからである。先祖を送り終わった。が、坂本龍馬はあれからずっと、日本の何処かにいるようだ。面白くなくてもクリックしていただきたいなあ~エトピリカより。↓↓↓にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2011年08月18日
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北海道の泊原発の再稼働が、北海道知事の権限により容認された。原発交付金対象の周辺町村は、これを歓迎した。が、原発30km圏内及び圏外の市町村は、原発再稼働に反対か、慎重(福島原発事故の検証が明らかとなるまで、再稼働はすべきでない、という立場か――)である。北海道議会でも、自民党道義から慎重論が出ていた。原子力発電に関する「特別行政法」は、地方自治体にその判断と認可権があるようだ。これまでの40年間は、その法的根拠により、日本全国55基の原発設置と稼働が、地方自治体主導でなされてきたのだ。福島原発放射能事故は、この40年間の原子力行政に鉄槌を下した。政府(管首相の民主党政権)も、その在り方に気付いたようである。「気付いたようである」と記したのは、気付いたのは確かだが、経産省主導の原子力発電行政の壁を超えることが出来ないでいる。経産省が真っ先に、休止中の原発再稼働の要請を道と県の知事に促したものである。この経産省の早すぎる判断は、問題があり過ぎた。(経産大臣・海江田が代弁者となったもののようだが、菅首相の責任の中にあってのことだ)その時、北海道知事は「慎重論」を公言していた。そして原発事故から5カ月が経った。菅政府は、原発管理体制の見直しを発表した。「管理体制と機関の経産省からの分離と独立」を主眼にした案である。だが、北海道泊原発の再稼働は、これまでの法的立場にある北海道知事が容認したものである。反対の意見は多い中――。福島原発事故で、被災県の原発対応能力に「完膚のない無能力」が露呈したことが明確となった。つまり、原発の立地と推進は地方自治体で判断できるが、原発の管理と事故対応は、地方自治体では無理であると。原発の管理と事故対応への能力を欠いた「地方自治体」に、原発の運転の是非の判断権(容認権)を持たしている「現行の原子力特別行政法」が存在する事が問われるのである。また、原発事故が起きてしまったら、原発立地周辺の被災を大きく超えるものとなる。それは都道府県レベルではない。日本全体と近隣諸国に及ぶ。我々日本国民は、そう体験している最中である。『原発の稼働の是非とその容認は、道府県・地方自治体では無理である』『まるで原爆投下の判断を、地方自治体の首長に委ねるがごときである』*東京都・大阪府・京都府が入っていないのは、原発立地の自治体でないからに過ぎない。その事も問題があると言いたい。この狭い日本である。47都道府県は、数10kmで接している。非原発立地自治体も、原発行政に関与させる必要がある。「広域連合体」と言う行政組織が存在するのだ。何も、消防、上下水道、ゴミ処理、福祉、学校、公営競技の運営と「後期高齢者医療制度」の為ばかりの「広域連合」ではなかろう。原子力行政こそが、「広域連合」の第一の対象になるべきである。↓↓↓にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2011年08月17日
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小沢一郎が述べた。次期代表の資質について、「経験豊富で命がけでやれる人でなければならない」と。この事を報道で知った。小沢一郎のこの言質から、小沢の頭の中には、すでに該当人物いるとみた。小沢一郎は「最後の勝負手」を考え行動しているようだ。そう見るべきであろう。日本の国難を乗り切る為に、小沢一郎は熟考している、と思える。「経験豊富」で、「命がけでやれる人」と言う。こう言う人物は、そう多くはいない。いや、少ないと言うべきである。小沢一郎の心中には、「民主党」と言う「固定枠組」はなさそうである。党派を超えたところに、小沢一郎の勝負手が打たれることだろう。そう期待している。それが小沢一郎らしいからである。小沢一郎は、何度、民主党の窮地を救ったことであろうか。あれだけの政治家が、一国のトップの座(総理大臣)に対してタンパク過ぎるのは何故か。この疑問は、未だ残っている。タンパク過ぎるのである。それはいわゆる歴代の「おボッチャマ」首相とも異なる性質だ。また、「金儲け政治家」のそれでもない。さらには、「あの政治資金問題」でも、小沢一郎の秘書側近に口封じ的自殺者は出ていない。(追記。この件について誤解のないようにしなければいけない。問題が存在しないから秘書側近に自殺者は出ないのだよ、との指摘があった。その通りである。そのつもりで書いたが――)先の民主党代表選で、小沢一郎が民主党代表、首相になっているべきだった、と知人、友人は言う。あの時、知人、友人たちは、必ずしも賛成ではなかった。だが、菅首相の政治姿勢を見て来て、変わったと言う。「あの時、成っていれば良かった――」と。この際、小沢一郎自身が直接、民主党代表と首相になるかどうかは問題ではない。小沢一郎が最善と思う人事構想を実現すれば充分である。多分、意想外の人物も想定されていることだろう。民主党以外で埋もれ、国政を担う能力を発揮できずにいる人物たちもいる。それは自公以外の政治家たちである。もし、小沢一郎の勝負手が成立したら、これは変革・改革そのものと言えよう。菅首相と同じテツを踏むはずはないからである。今までの政治のスピード感では、日本国の国難の改善復興は遅すぎる。「がんばります。きちんとやります」そう言いつつ、なかなか思うように進まない状況である。今の日本は、「内憂外憂」である。この大課題が問われている――日本の政治家に。小沢一郎に最後の期待をするが、彼自身はその事を充分承知しているものと信じよう。見解が異なっていても、ご理解を――。政治信条が異なっていても――。「経験が豊富」で、「命がけでやれる人」、小沢一郎の言質を超えれば、そう言う人物は小沢一郎自身であろう、と思っているが――。日本政治に、ドラスチックとダイナミズムを望む一国民として。エトピリカ。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2011年08月17日
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夕方5時過ぎに五色(ごしき)温泉に着いた。さっそく、温泉に入った。泊り客はすでに入り終え、部屋に戻ったのだろう。浴室内には誰もいない。少し温めの大風呂に身を沈め、硫黄臭の漂う白濁の温泉にゆっくりと体を浸していた。五色温泉郷には二軒の旅館(ホテル)がある。五色温泉は、ニセコの山上にあり、130年前に発見されたところである。かけ流しの温泉ばかり、漁ってきた。ここの二軒の温泉もかけ流しである。しかも硫黄温泉。温泉は硫黄泉が好きだ。この日昼すぎまで、中国人とオーストラリア人観光客が多い、ヒラフ・スキー場街にあるペンションにいた。そこに陶芸教室があり、初めての陶芸を経験した。二時間かけ、一輪ざしと茶碗を作った。出来上がりは、一ヶ月程先である。その教室の先生が、手本を見せ、瞬く間に一個、二個とカップ、茶碗を作る。「先生。その作品を売ってくれませんか。自分が作るより、先生の作品の方が素敵だから」と言ったが、先生は無視し、「みなさん、このどちらかの方法で作るのですよ」と言い、瞬く間に出来あがったカップと茶碗を崩し粘土の塊に戻した。それから悪戦苦闘の2時間だった。先生の修正を受け、ようやく2個が完成したのである。完成したと言っても、粘土の器である。後は色を指定し、出来上がりは、一ヶ月後。自宅に郵送されることになる。なにぶん初めてだが、陶芸の奥深さを実感したものである。こんな事を思い浮かべ、ふと外の方に目をやると、一人の男性の影がガラスの向こうに映った。露天風呂に人がいた。さっそく露天風呂のドアを開けた。外は寒い。「寒いですね」男性に声をかけた。「本当に寒いですね。秋ですか」湯船に漬かりながら、男性が答えた。外気温は20度以下であろう。「今日は気温が低いそうですね」そう言うと、男性はこちらを向いた。まだ30代半ば、丸い顔を崩し笑顔を見せた。「どちらから来られたのですか?」と訊く、「埼玉からです」と答え、再び笑顔を見せる。「北海道は良いですね。埼玉の熊谷ですので、とても暑くて――電車に乗って来たのです。五色温泉は初めてですが、良い温泉ですね」「私は硫黄温泉が好きなんですが――」と言うと、「自分もそうなんです。硫黄温泉だと温泉に入ったって感じになります」この青年は温泉通のようだ。「全国の温泉に行かれるのですか?」「ええ、南は西表島の温泉、北は利尻島、東は羅臼の露天風呂に行きました」「一番気に行った温泉は何処ですか?」「別府の温泉が良いですね。何処も気に入ってますが――」温泉通の方に野暮な質問をしてしまった。そう気づき、面白い温泉の続きを訊く事にした。「その他に変わった温泉は?」「ああ、そうです。標高2000mの温泉に行きました」「標高2000mの温泉?そこは?」「黒部の温泉です。トロッコで行って、少し歩くと日本で最も高い所の温泉があります」「テレビで観たことがありますよ。あの温泉でしょうか?」「ええ、その温泉です。昨日は帯広のモール温泉に行きました。肌がスベスベになりますね」モール温泉も気にいったようである。「明日はどちらへ行かれるのです?」「襟裳から、新得の温泉に行きます。そこもモール温泉のようですが。どこか珍しい温泉はありますか?」青年が訊いてきた。北海道の温泉通を自負したいので、頭を巡らし探してみた。観光地図に載る温泉では、珍しくもないだろうから、考えあぐねいた。「美瑛・十勝岳の温泉は行かれたのですよね?」「白銀温泉に行きました」そう答えてくれたので、出番が出来た。遠慮気味に訊く。「その横の十勝岳温泉は?」「そちらには行ってません」ほっと胸をおろした。出番があった。「十勝岳温泉の『湯元 凌雲閣』の露天風呂は良いですよ。温泉も」青年は、それでは納得していないようだ。「その露天風呂から観る景色が最高です。十勝岳の登山口ですから、その大沢が眼前に広がっているのです」「そうですか――」期待した反応が無い。それでも野暮な言い方をしてしまった。「是非、行かれたら良いですよ」青年は、ニコッと笑みを返して、「本当に寒いですね?」と言い、露天風呂を出て、「また、後でお会いしますので」と言い、浴室内に戻って行った。多分、『湯元 凌雲閣』は知っているのだろう。行ったかは別として。本物の温泉通は、自分で探し訪ねるのだろう。にわか温泉通を自称している俺を見透かしたのかもしれない。そう思ったら、体が熱くなってきた。食後、ホールのテレビを観ていたら、青年がやってきて、向かいの椅子に座った。「部屋にテレビが無いので、ここに来ました」全ての部屋にテレビが無いようだ。地デジ化でアナログテレビが消えていたのである。この旅館(ホテル)では、経営的に地デジ導入は無理のようだった。この後、この青年に全国各地の温泉を訊いてみた。さすが温泉通だけある。日本列島津々浦々の温泉に行っている事が分かった。これほどまでの温泉通に出会った事が無かったので、温泉談義、青年が語る温泉談は、実に面白く珍しいものだった。話に一息つき、青年は部屋に戻ろうと立ちあがった。「二、三日前、近くで熊が出たそうですよ」青年は面白そうに言った。「この辺りには、熊はいないと聞いてましたが……そうですか」地元通の私はそう答えた。朝、ホテルを出て、車を倶知安に向け山道を走った。「鏡池」を見に行く道である。10分程で「鏡池」の入り口に着いた。小さな看板の上に黄色と黒の字が大きい看板が立っていた。『8月12日クマが目撃された――注意!』青年の話を思い出した。この事だったのだ。そこに宿泊した旅館(ホテル)の方が車で通りかかり、その看板を見た。「ほっほっ、この事か――誰が見たんですかね。この辺には熊はいないんだがね」と、面白そうに言った。「埼玉から来られた男の方から聞いたのですか?」「今、倶知安にお送りしてきたのですが、その道中で聞いたのですよ。ここに看板が出ているとね」「そうですよね。キタキツネか何かを間違えたんではないのですか。通報者は。じゃあ、熊を見たって通報しましょうか?」と、ふざけて言った。「そう、通報したら良いですよ。熊が出たという看板を見たと」ホテルの方が、粋な台詞を吐いた。「そうしますか。熊が出たという看板を見たとですね?」念を押すと、ホテルの方は、はっはっと笑い声を残し車に乗った。↓↓↓にほんブログ村にほんブログ村
2011年08月17日
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ニセコの五色温泉に行って来た。数年前までは、五色温泉の野営場にテントを張ったものである。昨日は、温泉旅館(ホテル?)に予約して泊った。例年のように、この時期は雨が降る――昨日は土砂降りだった。温泉は、硫黄分が多い。これが好きで五色温泉に行くのである。例年のように次の日(今日)は、晴れていった。ニセコアンヌプリの山も見えた。過去10数回登っている。そのほとんどは、スキーを担いでの登りである。何の事は無い――冬はリフトで頂上の下まで行ける。それからスキーを担ぎ、3~400m汗をかくだけで済む。だから10数回となっている。昼近くになると、羊蹄山(蝦夷富士)が眼前に見え始めた。まだ曇天の空だったが、極めて珍しい光景であろう。羊蹄山に雲がかかっていない。道路手前の畑にヒマワリが咲いていた。その向うに羊蹄山。小樽方面に向い、余市を過ぎて2つのトンネルを出ると、すぐ左折し忍路(オショロ)漁港に行った。ここはちょっとした隠れ場である。入江が深く、外洋からはこの漁港は見えにくい。この光景は防波堤から、外洋を撮ったもの。左方には、余市の山並みが幾重にも見え、その向うに積丹半島がある。結構な絶景だ。昔から好きな光景である。空は秋模様となっている。盆が過ぎた頃から、北の大地は一足飛びで冬の便りが舞い込んでくる。もう、冬か――。来月の中旬には、大雪山系に初雪が降りる事だろう。下界は、まだまだ騒然としているはずである。今日から、苦界に戻った。天空を見ていたのは、ほんの一日二日か――。↓↓↓にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2011年08月17日
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今日は、8月15日、66回目の戦没者追悼式が行われた。12時3分か、司会が「黙祷」と言った。いつものように、黙祷した。そして祈った。すると、天から怒る声が聴こえてきたように感じた。叔父さんの声か――。「叔父さんはな、国が絶対、米英鬼畜に負けない。戦争に必ず勝つ、と約束し、一億総玉砕の覚悟で戦うって言うから、じゃあ、お国の為にこの命を捧げようと誓ったんだよ。叔父さんは沖縄の洞穴を這いつくばって、鬼畜の米軍兵士を5人殺したぞ。6人目を殺そうとしたら、手投げ弾をブチ込められてさ。気づいてみたら、ここにいるんだ。何も見えない世界だ。俺の体も見えない。だが、お前たちの様子が見えるのだよ。今年も、相も変わらず靖国参拝で色んな奴が言っているなあ。叔父さんはな、戦死すると靖国に祭られ英霊になるなんて、これぽっちも思った事なんかないぞ。仲間も同じ事を言っていた。それよりもな。許せない事があるんだ。俺たちが死んだあと、米英鬼畜と仲良くするんだったら、何故あの戦争をしたんだよ。その反省が足りないぞ。それからな。戦没してもまだ利用しやがっている事に怒っているぞ。選挙目当てだと透けて見えるやからが何と多い事か。許せん!靖国神社に御参りに行ったって、死んだ俺も仲間も誰もいないのだ。国が軍が、約束を破ったから、皆は靖国神社に行かないでいるんだ。叔父さんの遺骨は、洞窟の中にあるんだよ。靖国神社には無い。それになあ。必ず勝つと言っていたお偉いさん達が、靖国神社に祭られているらしい。あいつらと一緒にしてもらったら、俺たちは救われない。負け戦を承知でやった連中だ。無駄死にをさせやがって、と怒っている仲間が多いぞ。おまけにな。戦争を勧めたやからで生き延び、国会議員、首相までやった者もいるぞ。許せんのだよ。叔父さんはな。お前なあ。よく聞けよ。叔父さんも仲間も皆、靖国神社に魂は行っていないって事を――。誰も行っていないのだよ。だから、お前は靖国神社に行く必要はないのだ。お参りは、何処に行ったら良いかって?皆、故郷の御墓に戻って行ったよ。生まれ故郷で、産んでくれた親もいる、そこが一番住み心地が良いって言ってね。いいか。もう騙されるんじゃないぞ。上手い事にはのるなよ。時間が無くなってきた。これが最後の言葉だ。日本国民みんなが祈ってくれているのは、伝わってきているぞ。ありがたい。だから、靖国神社じゃなくてさ、日本国民全員がお参りできる国営墓地を造ってくれ。あと5秒しかない。靖国神社から国営墓地に――」にほんブログ村にほんブログ村今しがた、叔父さんの声が聴こえてきた。「言うの忘れていた。大本営の参謀にいた時、クーデターを目論んだ。軍の要人達をとっ捕まえ、降伏する事を図っていたんだ。残念な事にな。その直後、沖縄戦線に送られたのさ。あいつらは、俺たちの目論みを知っていたと思っているんだ――無念――」
2011年08月15日
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間もなく、黙祷の時がくる。終戦記念の「沈黙の哀悼」の時が――。その寸前の今、あえて「サムライ・武士道・大和魂」について考えている。「サムライ・武士道・大和魂」響きは良い。心を打つものがある。以前、「ラスト・サムライ」という映画を見た。サムライ・武士道そのままの生き様を描いている映画、そう思って観た。でも、どこか納得のできないものを感じた。何故だろう?幕末、武士階級の人口は、国民の10%弱のようだ。国民の皆が武士・サムライではなかったのだ。その事を忘れていた。つまり、「サムライ・武士道・大和魂」の対象者は、元々はその武士階級(身分)の人間たちだったのだ。90%を超える一般庶民には無縁の世界が「サムライ・武士道・大和魂」だったのだ。ゆえに、「サムライ・武士道・大和魂」について、安易に使う事を避けたい。そう思い始めている。そう、「日本人魂」が良い。イッパヒトカラゲの「日本人魂」が、現代的観念にふさわしい。元来、日本人ってそうだったのだ。雑草のように強靭な精神と生命力を持った日本人。これが日本人の本質だろう。古代から続く歴史は、そう言っているように思えるのだ。世界中に「華僑」がいる。「ユダヤ人」もそうだ。彼らの底力は、他の追随を許さない程の凄さがある。異国の地に根付き、その国の政治をも動かす程の力を持っている。「ラスト・サムライ」そうだ。サムライの時代は去ったのだ。そう考える時代がきた。「市民感覚」の時代が来ている。「市民」というが、この「市民」は、コスモポリタン的市民である。練馬区の市民ではないのだ。黙祷まであと45分か――。急ぎ、ブログを書き終えなくちゃならない。起承転結が肝心だ。「結」をどうする?困った!「結」が出てこない。仕方がない――トイレに行くか。↓↓↓にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2011年08月15日
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太平洋戦争が終わって、66年目となった。戦争を知らない世代であるが、感慨の深い、今日である。あの戦争は、まだ終わってはいないからである。戦争とは、そう言うもののようだ。失ったものは多い――いや、多すぎる。戦没者310万人。異国の地で野ざらしになっている同胞日本人の遺骨は、100万人を超える。失った領土――樺太・千島列島(北方四島も実質は失っている)・竹島・尖閣諸島(領土問題となってしまっている)。一般企業の経営者には、経営責任がある。国政の指導層にも、日本国の経営責任がある。先の戦争時、「神国日本」・「神風がついている」とプロパガンダが国民を洗脳しまくったものである。だが、神風は吹かなかった。神からも見放された。神と言っても、いかなる神だったのか。まさか風任せの帆船が頼みにする「神」ではないだろう。残念な事に、その「神」だった。日本帝国は、ドイツ・イタリアと三国同盟を結んだ。ドイツのヒトラー、イタリアのムッソリーニは、己を神と思い込んだ独裁者である。彼らは無神論者だったのだ。元々、ナチス・ドイツとは「神アワナイ」のである。海軍を中心に、親英米派は多くいた。山本五十六、井上成美、米内光政、伏見宮博恭王、永野修身、岡田啓介、小沢治三郎、鈴木貫太郎など、石原莞爾、内大臣湯浅倉平、有田八郎、元老西園寺公望等など。昭和天皇もそうだった。英米との戦争遂行は、日本帝国指導層の全員一致ではなかったのだ。突然変異したかのように、親英米派は駆逐されていったのだ。陸軍の強行派(親独派)が実権を握ったからである。政党政治から先軍政治と変わった瞬間から、戦争への道を歩み出したのである。先軍政治と言うと、北朝鮮・ミャンマー(旧ビルマ)・中国(その傾向にある)等がそうである。かつての日本における先軍政治化は、陸軍を主とする親独派のクーデターに等しい。暗殺と強迫、言論の弾圧、すべての自由の剥奪が行われていった。実権を握った先軍政治は、「神国日本」を喧伝、洗脳していったのである。もし仮に、一応の議会制民主主義に基づく、政党政治が国会議決により、英米との戦争遂行を決定したとしたら、その罪は国民にもあるだろう。だが、先の戦争には国民は賛意していなかったのである。先軍政治のプロパガンダに無意識のうちに洗脳されていったのだ。66年が経つ今でも、先軍政治により洗脳された国民は、その洗脳から逃れられないでいるようだ。だから、太平洋戦争肯定論がいまだに存在するのだろう。ここは冷静に判断しよう。企業経営責任を追及するように――。戦争で儲かったのか、損したのか、と。大損したのは間違いない。では、その経営責任は誰誰にあるのか。両手両足の指では足りないはずだ。それでも数えてみるといい。その中に、自分が入っている事に気づくだろう。結局、回りまわって、その責めは自分に来るのだ。原発事故もそうだ。国の言う通り「安心・安全」を信じてしまった。だが、その犠牲は自分たち同胞に振りかかっているのである。お国の言う通り、それを安易に容認してはいけない。いったん、冷静に「損得勘定」を考える事が肝要である。お国は結果の責任をとらない。責任者の姿が見えないものだ。責任を取らされるのは、常に、お国の方針を信じ込んだ国民なのである。終戦記念日の朝、エトピリカの感慨です~。↓↓↓にほんブログ村にほんブログ村(追記)イスラム過激派の自爆テロと言う「人間爆弾」の発想は、旧日本軍の「神風特攻隊」、「小型船特攻」等の影響だろうか。100%の死を設定とした作戦は、もはや戦争の大義も意義も消え去り、人間の魂さえ抜けているものである。そこまでして、戦争を遂行し続ける意味は、まったく無い。「出来るだけ、敵の艦船を撃沈し、敵を引き寄せ、本土決戦の準備時間を稼げ」そう言う命令だった。一見まともそうな戦術論のように見えるが、「空理空論」、特攻作戦の立案者とそれを承認した大本営参謀等の頭は、遥か天空の彼方にいってしまったのだ。「それは狂気だ!」
2011年08月15日
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ことわざ珍解釈辞典(5)『渡りに船』不幸にも、河を渡って逃げようとしたら、そこに監視船が来て捕まってしまう事を言う。北朝鮮の脱北者が、鴨緑江(こうりょくこう)を渡り中国へ逃げようとした、その時、北朝鮮の監視艇がやってきて、彼らを捕まえた事からきている。『笑う門には福来る』どんなにアクドイ事をしていても、笑顔を絶やさない図太い神経を持っていると、一見だが、利益が転がり込むものである、と言う意味。ただし、何れ化けの皮が剥がれ、身を滅ぼすこととなる。その喩え。『禍を転じて福となす』困った事を丸めこみ、人を騙して儲ける事。欠陥品を騙して売りつけ儲ける商人をさす。平安時代、お餅屋が土間に落とし汚れた餅を、急ぎ掌で丸めて汚れを隠し、大福として売りさばいた事からきている。『若い時の苦労は買うてもせよ』金持ちの親が子供を甘やかす事を言う。本来、若者は自ら苦労を厭わないでするが、金持ちの親たちは、大金を払って嫌がる子供に勉学などを押しつけることからきている諺である。『ローマは一日にして成らず』ローマ帝国が繁栄したのは、一日では出来ないのだ。二日あれば出来た、と言う喩え。何事も一日では困難であるから、もう一日予備を持つべきである、という意味。『労多くして功少なし』一生懸命働く人を馬鹿にした諺である。要領の良い人間は、適当に働いて多くの効果、利益を得るものだ、と言う意味。「果報は寝て待て」と同義の諺。現代の解釈は、「中小の技術を売りにしている会社よりも、大商社のほうが儲かる事」を指している。面白かったら、クリックしていただきたいなあ~エトピリカより。↓↓↓にほんブログ村にほんブログ村
2011年08月14日
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今日は、終戦の前日である。いったいあの戦争は、何だったのか?――その疑問を未だに持っている。「日本は太平洋戦争で負けなかった」こう言いのける人もいる。「あの戦争は、アメリカに誘導され、仕掛けられたのだ」と言う人もいる。「あの戦争は、植民地主義の欧米列強との軋轢(あつれき)が原因だ。つまり、せざるを得なかった戦争だったのだ」と言う人もいる。「あの戦争は、共産国家ソ連の南進を防ぐ戦いだった。それは日本の国益を守る事にほからなないものだった」こう言う人もいる。これらの発言は、戦後66年の一日前――今日まで言われてきた太平洋戦争擁護・肯定論である。これら太平洋戦争擁護・肯定論は、否定せざるを得ない――この見解に立つ。但し、戦争には「正義の戦争」はない、と言う考えに至っていない。つまり、「正義の戦争」は、あるのではないだろうか、と言う想いを持っている。日本国を他国の侵略から守る戦いは、最低限の許容される戦争だ。そう言う想いである。過去の日本が行った戦争は、最低限の許容範囲外の戦争だったのだ。間違いない。これは自虐史観ではない。歴史客観的史観なのである。近代戦争論のカール・フォン・クラウゼヴィッツは、「戦争が他の手段を以ってする政治の延長」だと述べている。これは戦争の本質を言い当てている基本原理だ。彼は言う。「戦争の3要素」のひとつである、「第三の要素は政治のための手段という従属的性質である」と。政治のための手段として、暴力を伴う戦争行為、その判断が問題だった――太平洋戦争、その前の満州事変、朝鮮半島の植民地化等など――。因みに、クラウゼヴィッツが言う「第一の要素」は、「第一に敵意や憎悪の情念を伴う暴力という要素であり、この要因が強ければ戦争の激しさが増大すると考えられる」と定義している。「第二の要素」は、「第二に不確実性や蓋然性を伴う賭けの要素であり、これは戦争において自由度を伴う精神活動であり戦果に反映される」と定義している。総じて太平洋戦争については、戦争論の大家カール・フォン・クラウゼヴィッツが定義する「戦争の三要素」のいづれにも当てはまらないのだ。強いて言うならば、「第一の要素」ぐらいだろう。日本帝国時代、満州事変前から日本政治の正統性は無くなっていた。つまり政治が軍部に侵害され、政治機能を喪失させていたのである。平たく言うと、「先軍政治」と化していたのだ。クラウゼヴィッツの戦争論は、あくまでも政治が基軸となり、その政治手段としての「戦争論」である。政治世界が軍部により牛耳られていた、日本帝国時代である。その結果としての太平洋戦争だった。そう位置づけると、先の戦争は日本国民総意の戦争行為とは言えるものではない。それゆえ、先の戦争を嫌悪する国民の声は、自虐史観ではないのだ。実に客観的で、冷静な感情であろう。先の戦争を肯定する考え方自体が、自虐史観と看做すこともできる。「まだ懲りない者たちがいる」「あの戦争の実態から目を反らし、日本人の誇りを忘れている者たちがいる」終戦記念日を前にして――エトピリカより。↓↓↓にほんブログ村
2011年08月14日
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やはり、そう考えているのか――。北朝鮮の韓国侵攻という有事に備え、米軍と韓国軍は共同で、『金正日独裁者を捕まえる』作戦のオペレーション訓練を行っていた、とあった。その記事内容を下記に転写する。朝日新聞のサイトだろう。下記の通り、原文を掲載する。http://www.asahi.com/米韓両軍が昨年8月の合同軍事演習「乙支フリーダムガーディアン」で、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記を捕らえる作戦の演習をしていたことが分かった。16日から始まる今年の演習でも実施する可能性がある。朝鮮半島有事の際に、絶対権力者を捕らえることで戦闘による犠牲を最小限に抑え、事態を早期に収拾する狙いがあるとみられる。 朝鮮半島有事に限った軍事作戦とはいえ、米韓は北朝鮮の現体制を崩壊させることも選択肢の一つに置いていることになる。 軍事関係筋によると、この作戦は、北朝鮮との全面戦争に備えた米韓共同作戦計画「5027」の一環として実施された。北朝鮮軍による韓国侵攻を防いで平壌に進撃する際に、特殊部隊が金総書記の居場所を突き止め、捕らえることを目指した。主にコンピューターを使った指揮所演習として行われた模様だ。 「エフェクツ・ベイスト・オペレーションズ」(EBO)という概念に基づく作戦で、精密爆弾や偵察衛星などの最新の軍事技術を駆使し、敵の致命的な場所を戦争初期から攻撃して短期間での勝利を目指す。米韓連合軍司令部はEBOに基づき、北朝鮮の戦争遂行を困難にする重要な攻撃目標を選ぶ作業を続けているという。以上が、記事内容である。もし仮に、北朝鮮が韓国に侵攻をしかけた場合、この作戦は現実のものとなるだろう。また、今朝の北海道新聞に載っていた。『韓国の大統領の話――南北朝鮮が平和裏に統一した場合、その費用は19兆円』というような内容である。日本の大震災と原発放射能事故の復興予算は、30兆円とも言われている。大震災は、戦争とは違う。だが、荒廃する市街、山野、田畑、そして国民の被害は戦争後の姿と変わらない。かかる費用は戦争と同じようだ。北朝鮮の韓国侵攻――油断はできないが、北の独裁者金正日は決断するはずはない、と思っている。砲撃、韓国要人の工作員による暗殺命令等などが、現実的な北朝鮮の挑発行為だろう。これまでのように――。韓国も北朝鮮の恐喝的武力のお遊びには、付き合いきれないはずである。それにしても、『金正日独裁者を捕まえる作戦』は、日本も米・韓と共同で行ったらいい。その目的は、『拉致被害者の奪還』である。↓↓↓ブログランキングのアップを期待して、エトピリカより。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2011年08月13日
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管首相退陣条件の「再生エネルギー特別措置法」が、26日成立する予定である。その矢先、先制パンチを打ったように、北海道電力が、「再生エネルギー特別措置法」」の例外規定を根拠に、新規風力電力の買い取りをしないという――北海道新聞11.8.13――朝刊の一面、大見出し記事掲載。北海道電力という企業経営の論理では、ソフトバンクの風力・メガソーラー発電事業の北海道進出は、望むものではないからだろう。先日、テレビで「みんなの党」の江田氏が、「官僚の作成する法律には、逃げ道(例外的な)として、附則条項をたくさん入れる」と、言うような内容を話していた。確か、「再生エネルギー特別措置法」に触れた発言だったと思う。元通産官僚の江田氏の話である。個人的な事だが、江田氏につては、政治家になったときから注目している。理性と知性、そして見識を持った政治家の一人として。「子供手当」が成立する前から、思った事がある。それは、マスコミもこぞって、「外国に住む(永住的な意味か――)日本人の子供たちにも支給されるのはおかしい」と。確かにその通りだと、思っていた。一年後か、修正が行われたのは――。政治資金規正法もそうだ。骨抜き条項が多い。これまでもそうだったのだろう。原発事故の賠償法にも、附則的な例外規定があるはずだ。案の定、「再生エネルギー特別措置法」に抜け道が用意されていた。その例外規定があるかぎり、その法律は骨抜きとなっているのだ。骨抜きとする目的がある。その法律(特別措置法)により、得をしない官僚と政治家と企業(その企業の組合も含む)がいるからである。日本の最優秀な官僚が作る法律である。彼らは巧みに「逃げ道」を挿入しているのだ。それを「了」とする政治が、存在するからである。「逃げ道」を用意するならば、「原発事故放射能事故」から避難する「逃げ道」を用意してほしいものである。それは得にならないから、駄目か――。↓↓↓にほんブログ村にほんブログ村(MKさんからの書き込み記事です。なかなかの内容と思いますので、例外規定的かつ附則的に、掲載いたします)最近思うのは、何事も「原点に戻れ」と、今回の福島原発大事故は、人々にあらためて警告を発した-と、とらえるべきではないのか。原発の再稼動をコントロールすべきは、地元の知事、市長、村長ら「直接選挙」で選ばれた代表であり、一部評論のように「直接選挙」が議会制民主主義と矛盾するから愚かだ-という主張は、本末転倒であろう。原点にかえるのが悪いという主張は当たらない。人間は、人間であり、組織優先が始まりではない。直接投票ができないから、種々の巨大化した組織の「制度疲労」が解消できないというデメリットが目立つ。この巨大化した組織の改革には強力なエネルギーとスピードが必要と思える。「科学的思想」も、それだけでは決して人間性のチェックがあるわけでなく、片手落ち。いわゆる「文科系」の思想が必要であり、科学が文科系を軽蔑する傾向は、厳に慎むべきと思う。http://6252.teacup.com/katohm/bbs?BD=16&CH=5(2011.08.13 04:31:26)
2011年08月13日
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一カ月ぶりに、友人と会った。「これは笑っちゃう話なんだが」友人が口端を崩して言った。そういう言い方と表現は、必ず期待できるネタのはずだ。そう思い、友人に訊いた。「面白そうだ。期待して聞くよ」友人は、アイスコーヒーを一口飲んだ。「年金事務所に行って来て、担当者と笑ったんだよ。ゲラゲラとさ」と言いながら、含み笑いする友人。「本当に面白そうだね。さあ、言ってよ」「俺は女房と6歳違いだ。女房が6歳下なんだ」と友人は言って、またカップのコーヒーを飲む。思わせぶりである事は、間違いない。それは期待できるネタの証(あかし)のはずだ。「それでな。年上の女房を持つと、年金が損するのさ」これは確かなネタだ。年上のカミサンだと年金が損する話とは。「年金制度の中に、配偶者加算があるんだよ。女房が年上だと、貰い損ねるのさ」年金の事は苦手だ。複雑過ぎると思っている。そこに配偶者加算ときた。「どうして?」「65歳からだろう、年金の全額が貰えるのは。いいか。ここが肝心なんだよ。7歳上の女房だと、俺が65歳になると女房は72歳だよな。男に配偶者加算が付いているよな。だから、永遠に配偶者加算が貰えないのだよ。配偶者加算の方が3十数万だ。国民年金は貰えるそうだが、6、7万だとさ。だから、年下の女房を持つべきなんだよ」だから、皆に訊いてみたんだ。年上の女房かどうかをな」「皆って?」「クラス会のメンバーにさ。同じ歳もいた。年上はごく少数だった。意味分かる?」ちょっと分かりにくかった。それを感じたんだろう。友人は、念を押すかのように言った。「俺は6年分の配偶者加算分が貰えるのさ。分かった?」「何となくだけどさ。要は年金配偶者加算分をたっぷり貰うんだったら、20歳30歳、若い女房を貰った良い、といい事かい?」「そうだ。若ければ若い程年金は得なんだよ。それを言ったら、年金の担当者が笑ったのさ。ゲラゲラと。俺もな」↓↓にほんブログ村
2011年08月12日
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素朴な疑問である。小沢一郎が次期首相か、その次の首相になってほしい、という声が意外と多い。政権交代の立役者は、小沢一郎だ。それは間違いないだろう。「壊し屋・小沢一郎」は、一党支配体制を終焉させたのだ。小沢一郎の本等を読むと、彼は日本政治に民主主義システムの定着を望んでいたものである。やはり、「壊し屋・小沢一郎」でしか出来なかったのだ。小沢は、田中角栄から学んだ。「官僚の扱い方」日本政治の裏と表を知り尽くしているのだろう。その彼の存在は、大きく危険なものだ。これまでの官僚政治体制を維持してきた者達にとって。だから、「政治資金規正法違反」という微罪――6、7年前の政治資金報告書記載の日付の食い違い――で、検察特捜が動いたのだ。しかし、検察は不起訴とした案件である。小沢一郎自身は、裁判が終わらないと、民主党の代表等の表舞台には出ないと言っている。(理由は、もし首相にもなれば公権力を持つから、自己の裁判に圧力をかけたとかいう誤解を受けたくない、との事のようである)政治の世界には、義理・人情は無い。一般国民の理解する常識的世界でもない。憲政の常道なんか、今の政治世界には存在しないのである。民主党政権は、あと二年弱の任期だ。鳩山政権。官政権。そして小沢政権で、民主党のやるべき事をやればいい。小沢一郎が無理であれば、得意の影の権力者として、小沢一郎の分身が民主党の党首となり、日本の総理大臣にしたらいい。影で結構である。小沢一郎の思うように、この一大事をかかえる日本政治の舵をとったらいい。何故、小沢一郎にこだわるのか?小沢一郎は、だたならぬ人物と思われるからである。これまでの生き様を見ていると――。結局、タダだった人物が多い。タダならぬ人物の力量が見たいのである。「壊し屋・小沢一郎」の実像と力量の凄さが見たいものだ。今、政敵の多い政治家は、小沢一郎だろう。と言う事は、国民にとっては、良い政治家なはずだ。敵が多い、と言う事は、「辣腕」の証左であろうから。↓↓↓にほんブログ村
2011年08月12日
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少年時代の記憶では、真夏と言うと、8月1日の前後一週間だった。焚き火することなく、海水浴が出来る期間である。概ね、この期間以外は寒冷海水浴だった。/b>唇は紫色となり、体が寒さでガタガタと震え出す。まるで冬季の寒中水泳をしているようだった。焚き火にかじりつき、馬糞ウニを焼いて食べた。そうだった。馬糞ウニ、ナマコを食べたくって、海水浴していたのだ。だから、砂浜よりも岩場での海水浴が多かった。空を見ると、雲の様子から秋の匂いが感じられた。北緯43度北海道・札幌の夏は短い。あと一週間もすると秋の便りがやって来そうである。札幌の南、藻岩山周辺。南へ30KM程行くと、支笏湖だ。旧赤レンガ道庁と池の傍にいたカラス。赤レンガは、地元産。使用個数200万個。竣工 - 1888年(明治21年)。123年前の建造物である。このカラス、目の前にいた。デジカメを向けても逃げない。カメラ目線――。このカラスが、八咫烏なのかな。神話の八咫烏は、太陽の化身となっている。池の鴨たちは、33.3度の陽光から身を避け木陰にいた。が、このカラスは黒い身を曝け出し、堂々と芝生で遊んでいた。やはり、太陽の化身――八咫烏なのかもしれない?旧赤レンガ庁舎の池です。にほんブログ村
2011年08月12日
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今日は、とても暑い一日です。夜になっても、モワッとした感じ。長い一日になりそう。「時計台♪の下で♪~♪」これまで何度か時計台の下に行ったが、恋人らしき女性に出会った事はない。歌はロマンだ――真に受けるほうが、ロマンは無いのだろう。旧赤レンガ道庁にも行って来た。見慣れた光景である。赤レンガ庁舎手前の池には、いつもの鴨の家族がいた。そしてハスの花が、ギラついた陽光を浴びて咲いていた。↓↓にほんブログ村(書き込みのご紹介です。MKさんからの実体験と感想です)『日常の画像も、拝見するとまた感慨新たなものです。時計台の右手の市庁舎、この地下で毎日のように昼食(おそい朝食)をいただいております。地下食堂(民間経営)は、ある意味社会の縮図。昼休み前後のすいている時間帯、年寄りやガードマン、老女、身障者など一種“常連”が多く,安くて本格的な日本の昼食を楽しんでいます。そこにはかつての職場OBなどの姿も… 混雑する時間帯は、市職員の実態の一部を観察するには絶好の機会でしょう。札幌だけでなく、各地方都市の市食堂は、それぞれにある意味そのマチの個性・世相をよく表していると思う次第。ところで幸い札幌市の食堂に中国人の姿は目立たない。白人はよく見かけるのだが。もし中国人がどんどん現れたら。この食堂も現在の秩序あるセルフサービスや、行列、清潔さ、食器の正しい返還など、まったく成り立たなくなるだろう。例えば、ガラス製のコップは持ち去られ、事業者への負担が増えることになるだろう。彼らには「盗めるようにすること」がこちらの責任となるようである。』
2011年08月11日
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今日の第一報は、北朝鮮が韓国国防金寛鎮(キム・グァンジン)国防部長官暗殺を狙った北朝鮮の特殊任務組が国内で活動を始めたと――。この情報は、確かなものだろう。昨年11月の北朝鮮による延坪島(ヨンピョンド)への砲撃挑発があった。その直後に任命された金長官が言った。「北朝鮮は私たちの主敵」と。「北朝鮮の挑発に対して数倍の報復をする」と。朝鮮労働党の偵察総局は、これまでも何度か韓国要人と亡命北朝鮮NO2の暗殺を謀ったものだ。この対南工作部署は、金正日と金正恩親子の直属部署でもあると言う。そして、第二報が入った。また、北朝鮮労働党内の対南工作部署。への砲撃挑発があったと。北朝鮮の目的は何か?それは明確である。金王朝の後継者である金正恩(キム・ジョンオン)の正統性の実績づくりである。20代後半の金正恩を30歳そこそこに詐称させ、急ぎ後継者を擁立し大将の称号を持ったが、北朝鮮軍から全面的な支持を受けていないようだ。軍の実力者としての経験は皆無だからである。先軍政治体制では、軍の全面的支持がなければ、「親愛なる将軍様」になることに困難なものがあるようだ。日本の戦国時代における「初陣」が、金正恩(キム・ジョンオン)の正統性の実績づくりに必要なのである。昨年の初陣――延坪島(ヨンピョンド)への砲撃挑発――では、まだ軍の全面的理解は得られていないようである。それゆえ、今日の第一報と第二報が、念押しの「初陣」なのである。思い起こせば、金正日(キム・ジョンイル)が後継者となった頃からであった。北朝鮮による拉致工作作戦が行われたのは――。あれも「初陣」だったのだ。これでもかと執拗に行ったのである。そして、王朝の支配者となったのだ。韓国に対する挑発とは言え、「対岸の火事」と看做す事は出来ない。韓国とは「竹島問題」があるが、それはそれとして、韓国支援体制をとる必要があろう。北朝鮮の対南工作スパイは、日本経由で韓国に入っている事も考えられる。また、これから擬装入国することも――。北朝鮮の事だ。陽動作戦だって考えられる。日本国内で「北朝鮮の工作事件」が起きる可能性もある。ただし、「北朝鮮の工作事件」と思われない工作事件が起きる可能性がある。日本政府は、北朝鮮の動向と国内工作員への監視体制を強化しているだろうが、一国民として、日本政府に確認したいものである。原発放射能事故と政局に追われている、今の日本政治であるからだ。↓↓↓クリックしていただきたいなあ~エトピリカより。にほんブログ村にほんブログ村
2011年08月10日
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国難の日本――「憂国」と言う文字がブログに多く登場している。この「憂国」と一体を成すのが「保守」という言葉のようだ。現状の国家を憂う心――それが憂国の本質とするならば、特定の国民だけが持ち合わせている精神、心とは言い難い。無私の精神をお持ちの方々は、当然、お持ちであろうし、一般国民だって、純粋に国の現在と将来を憂い思っているのである。「憂国」は、心ある国民の一人一人が持ち合わせているものだ。特定の人物たちだけが、優れて「憂国」精神を持っている、とは思わない。また、そこにはイデオロギーの入り込む間隙はなかろう。一般国民大衆は、生活日常において、最も国を愛し、国を憂い、国の改革と発展を願っているからである。一般国民大衆には、イデオロギーは無縁である。タイトルは、「憂国という欺瞞。保守という欺瞞」である。憂国は、声高に叫ばなくても、一般国民大衆は思い、願っているものなのだ。「国民の心、国会が知らず」と言いたい。「国民の心、政治家・行政官僚・大企業体は知らず」とも言いたい。つまり、「憂国」という美名のもと、「非憂国的行為・政策」を行ってきたのは一体誰誰だったのか――。そこに「憂国という欺瞞」が見えるのである。「保守という欺瞞」について触れよう。元来、保守とは古くからの習慣、制度、考え方等を尊重する主義である。したがって、急激な変革・改革に反対する。「保守」と「革新・進歩」との軋轢は、そこに原点があるからだ。参考までに、幕末時の「保守」と「革新」を鳥瞰した。幕末の江戸時代末期、あの時の「保守」は誰だったのか?そして、あの時の「革新」は誰だったのか?幕末の志士と識者たちが、「革新」だったのだ。蘭学者たち、吉田松陰もそうだ、開国開明論者たち、幕藩体制に反対する人たち。彼らは「革新・進歩」主義者でもあり、変革主義者だった。彼らの多大な犠牲があり、明治政府が樹立できたのである。反面、皮肉なことだが、「保守」の権化だった「新撰組」等の一党は、あの「革新」側から虫けらのように始末された。組長・近藤勇は士分の扱いでない、斬首の処刑がなされた。明治政府成立から、150年が経つ。まだ150年。もう150年。人により違いがあることだろう。だが、日本の保守主義を自負してきた自民党政府の政治政策を、60年間の長きにわたって味わってきた国民大衆から見れば、そこに保守の「欠片ひとつ」しか見えないのだ。「欠片ひとつ」とは、「憲法改正」だけである。日本国憲法は、アメリカから押し付けられたものと看做し、「自主憲法の制定」を叫ぶ。そもそも、孔子の「論語」、四書五経、漢字、漢詩、仏教、建築技術、焼き物等などは、外来種の文化である。太平洋戦争、中国侵略戦争時、論客たちの文章は、四書五経の文字で埋め尽くされていたものである。今でも、「論語」の思想と漢字が日本古来からの伝統文化思想のように使用されているのである。「何が保守で、何が憂国なのか――」「憂国」という漢字も外来種だろう。自分たちに都合のいい事は、その根拠の歴史を顧みない。不都合の部分だけは、声高に叫ぶ。(私見――中国文化思想を自己所有化した日本民族は、中華思想をも血肉化しているように思える。造語だが、日華思想と称したい)戦後は、アメリカという大国一辺倒になり、レプリカのようなアメリカ的日本となった。様々な文章には、漢字と横文字が入り混じり、識者の発言も外国人のようなものとなっている。本当の日本語は何処に――。(自分もそうである)そして、日本の豊かな自然と習慣、伝統文化と伝統建築等の遺産をないがしろにして、経済成長を追求してきたものと思うのである。山河は荒れ果て、美しい国は消え去りつつある。その代わり、ゴルフ場が山並みの中に広がっている。各地の伝統文化も、過疎化により継承が困難な状況である。美しい国日本の伝統文化の保守(守る)よりも、美しい国の山河と海と伝統風習文化財をないがしろにした国土開発と経済成長重視――それが保守政党の現実的政治だったのだ。そこに「保守という欺瞞」が見えるのである。「保守」という衣を着た経済至上主義的な「革新」ではないか。子々孫々と受け継がれてきた「日本の大地」と「美しき日本の伝統文化」である。これらを大切に守ることこそ、「保守」の原点であろう。「保守」と言いながら、経済的効率主義に走り、原発推進立国となった。それは「保守」とは言えないものである。「保守層が嫌う、革新・進歩主義」ではないのか、あなた方、保守の方々は?そう訊きたくなる。これから国民大衆は、「保守」主義を貫こう!経済効率主義から、この美しき日本という国土と郷土の文化伝統を守るために。それこそが、憂国の精神の顕れであるからだ。その真実を、今回の大震災と原発放射能事故で、世界中に日本人の凄さを魅せたのだ。三万人弱の多大な犠牲、数十万人に及ぶ被災者、彼らはひたすら我慢に我慢を重ね耐えているのである。暴動を起こすことなく――。また、被災地で活動するボラティアの人々がいる。無償の奉仕活動だ。本来は国が、地方自治体が行うべき事を、彼らは自前で奉仕している。彼らの行為(被災者を含む)は、日本人の誇りである。『そこに日本人の本質的力の凄さと、豊かで強靭なる精神、そして郷土を愛する心を見る』のである。我が愛する祖国日本は、民の生命と財産、諸文化、そして美しい山河海を保護し、甦らさなければならない。『この大地があって、民あり』『民あって国あり』『民の幸せのために国あり』それが憂国の精神であり、真の保守の心なのだから――。にほんブログ村にほんブログ村(参考資料:ウィキペディアより、その一部を抜粋し、掲載します)保守主義は伝統を保守することを重要視する政治思想である。伝統とは何かに関しては、能や歌舞伎のような実体を伝統とする説から、生き方・精神の形・言葉遣いの規則のような形式を伝統とする説まで諸説ある。保守主義者たちは、基本的には人間の思考に期待しすぎず、「人は過ちを犯すし完全ではない」という前提に立ち、そして謙虚な振るまいをする。さらに、彼らは「先祖たちが試行錯誤しながら獲得してきた知恵、すなわち伝統が慣習の中に凝縮されている」と考え、伝統を尊重する。また彼らは、「伝統は祖先からの相続財産であるから、現在生きている国民は相続した伝統を大切に維持し子孫に相続させる義務がある」と考える。その結果、彼らは過去・現在・未来の歴史的結びつきを重視する。このように保守主義は懐古趣味とは異なる未来志向の要素も含んでいる。また、彼らは「未来を着実に進むためには、歴史から学ばなければならない」と考える。これは、歴史とは先人たちが試行錯誤してきた失敗の積み重ねの宝庫だからだとされる。また西ヨーロッパの貴族出身の保守派の多くは、自らを騎士道精神の継承者と自負しているので、共産主義、ファシズム、そして国粋主義などの思想に対して、祖先から相続した郷土を踏みにじるものとして反発する。日本・ドイツ・イタリアなどの旧枢軸国やスペインなどの後進資本主義国では外圧によって伝統的な暮らしや文化などが失われた。そのためにかえって、それらの国では国家への帰依(国粋主義)を求める声が強く起こり、20世紀前半のファシズム・全体主義の台頭につながった。ただし、戦時中は右翼内部においても大川周明など国体を強化するための国家革新を唱えた「革新右翼」の動きがあり、そのことが日本において革新およびこれと対をなす保守の概念を混乱させる一因となっている。英仏の貴族や特権階級などを中心とする保守主義は、国粋主義を否定する。
2011年08月10日
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北の大地・札幌の時計台です。(8月8日撮影)はじめての観光客にとっては、期待外れの「時計台」のようです。「土佐の高知のはりまや橋」「沖縄守礼門」この3つ、わたしも見てそう思ったものでした。期待しすぎていたのかもしれませんが――。時計台と同じ時期に建てられたホテル・豊平館(ほうへいかん)が、中之島公園に移築保存されています。こちらの方が、異国情緒(米国風)溢れた建物ですよ。時が経ち、改めて「時計台」を眺めて見ると、「周りにはビルは無かったのだ。明治初期の札幌は林と畑、民家、商店、札幌農学校、赤レンガ道庁、札幌ビール園(元々は、開拓使麦酒醸造所)等など」という建物しかなかったのだ。そう思うと、結構、明治の札幌にふさわしい壮大なアメリカ西部のカントリー調の建物だったのか――。↓↓クリックしていただきたいなあ~エトピリカより。にほんブログ村
2011年08月09日
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相変わらず、官製談合が全国各地の自治体で行われている。官製談合は必要悪だ、と言った知人がいた。何が問題なのか?官製談合は、日本経済の要である。賄賂?良いじゃないか。談合しなければ、公平に生きていけないのだ。官製談合の何処が悪いのか――。たかだかの賄賂は情報収集料みたいなものだ。広告費に比べれば――。この知人は、故人となってしまったから、今では時効か。「私は、官製談合の中味を知っていた」と言っても。毎年のように、役人が贈収賄で捕まっている。官製談合という悪しき慣行は、無くなる事がない。官公庁の公共事業発注システムである入札は、その入札価格情報の漏えいが日常化しているにもかかわらず、イタチごっこである。この官製談合は、明治政府以来150年の歴史的悪習なのである。(正確には、官製談合1300年以上の悪習だ――)何故、イタチごっこになっているのだろう。それなりの理由があるからだ、と思わざるを得ない。役人は税金を管理し、議会の決定に基づき、その税金を支払う。一見、もっともらしい手続きに基づいている。この、もっともらしい手続きプロセスさえ、もっともらしければOKなのだ、という「見せかけ手法」は、ヌクヌクと日陰の多湿地帯で蠢き、蔓延っているのだろう。「見せかけ手法」は、政治家と行政官庁の「専売特許」である。そう言わざるを得ない。どこかの県知事が「原発再稼働」に向け、「教唆メモ」を電力会社と秘かに交した事件があった。これも大きくは、官製談合に等しい。こそこそ密室で行うには、それなりの訳があるものだ。私益が背後で蠢いているからだろう。官製談合は、官民癒着と税金の無駄遣いの根源である。戦後65年間の「官製談合・無駄遣い税金総額」は、いか程の金額になるのだろう。原発55基分に相当する金額かも知れない。それがイタチごっことなっている。「バラマキ政策」は、「官製談合バラマキ無駄遣い」と比較する次元に無い。公益と私益という観点で、善と悪に分けられるからだ。「イタチごっこ」の本質にあるもの――根本からの改革を妨げる意志が存在するからであろう。天下りの本質も「官製談合」の変形である。そもそも強引な国策の影に、「官製談合」が見え隠れしたのである。『私は、官製談合の実態を知っている』皆、口を閉ざしているものに過ぎないが――。エトピリカより。↓↓↓にほんブログ村
2011年08月09日
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いつもお世話になっております。エトピリカの自画像です。(ペイントでつくりました)霧の中のエトピリカのようになりました。何かを考え、何かを見つめている自分――そう思って書いた自画像。(どこかの写真から、絵にしたものです。拝借の段、失礼!)↓↓にほんブログ村
2011年08月08日
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連合の古賀会長は、原水爆禁止日本国民会議(原水禁)系の原水禁世界大会(8月7日、長崎市で行われた)で、「脱原発」に触れなかったという。(新聞報道)かつて、組合は左・右・中立と別れていた。1989年、それらが概ね統合し、現在の日本労働組合総連合となった。現在の組合員数は約700万弱と言われている。減少傾向にある。因みに、公明党の支持母体の創価学会が集票する数字と同じようだ。なぜ、創価学会と比較したのか?その理由は、「連合」も「創価学会」も特定政党の支持母体だからである。もちろん、自民党の支持母体もある。各種経済団体、職業別団体など経営的立場に立つ側の集まりが主である。農協・漁協・林業団体もあるか。と言っても、「連合」はその政治性を弱体化しつつあるようだ。組合員の減少と組織・企業組合間の格差が出始めている。意気盛んな企業の組合と、落日産業企業体の組合との格差が生じてきている。「電力総連」は、意気盛んな企業の組合であろう。少なくとも、発電と送電が分離され、電力の自由化がなされるまでは、電力独占事業企業体なのであるから。「連合」の事務局長は、その「電力総連」の出身である。「電力総連」と言うと、「原発」が絡んでくる。「連合」の古賀会長が、「脱原発」を主張できない理由はそこにあるのだろうか?「脱原発」は、イデオロギーの主張ではない。日本国・国民と、その原発で働く従業員たちの命と財産を守る、という大義がある。「脱原発」は、もはやその路線に乗っかっていると言えるだろう。もう後戻りはできないのだ。それゆえ、「連合」は率先垂範して、「脱原発」を表明すべきである。とかく、目先に目が眩みがちになるが、そこに留まるのか、否かが問われている。企業団体の倫理も問われ、組合の倫理も問われ、宗教団体の倫理も問われて行く事になるだろう。それが歴史の運命にあるからだ。自己のみの安泰は、その歴史的運命の軌道から外れるものに違いない。そのことに、いち早く「連合」は気づくべきであろう。それは取りも直さず、「連合」と「電力総連」の組合員と母体企業を守る事にも繋がるからである。ついでに言わせてもらうと、宗教団体もそうだ。自己の守備範囲を超えた政治世界から、「身の丈」の箱の中に収まるべきであろう。宗教は、非政治的世界の存在なのだから。特定政党を独自に持つ宗教団体は、イスラム教と同じ道を歩んでいるのだ。政教一致という道である。さらに言わせてもらう。宗教団体こそ、「反原発」を声高に主張すべきである。「反原発」と――。世界平和を高揚しているならば、なお更であろうよ。ついでに言わせてもらう。「連合」組織から、国会議員を出す事も止めたら良い。政党支持までが、正しい組合の姿だと思う。宗教団体と選挙で争うような低次元的行為は、国民を政治から離反させていくばかりである。圧倒的に無党派という「マトマリなき党」が、第一党なのである。その「マトマリなき党」の動向によって、日々、日本の政治が動くのだ。「連合」が、日本の政治のキ―(鍵)を握る時代は去ったに等しい。「連合」は、「脱原発」を明言すべきである。それが企業体組合の責任であるし、生き延びる道なのだ。↓↓↓にほんブログ村エトピリカの自画像です。ペイントで描きました。
2011年08月08日
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1945年8月6日・9日。太平洋戦争末期(実質、連合国側から降伏宣告が出ていた)、広島と長崎にアメリカから原爆を受けた。その被害者数――、一瞬のうちに亡くなった国民は、14万人と15万人弱である。合わせて30万人程。その後、今日に至るまで原爆被害者は連綿と続いているのである。「一瞬のうちに、民間人の国民30万人程が、命をなくす」、あの原爆投下というアメリカの行為は、許す事は出来ない。これは素直な気持ちである。「ジェノサイド」だ。その一方、日本帝国指導層の戦争終結の判断も許せないでいる。アメリカとの戦争遂行の判断も甘かった。全面降伏(無条件降伏)を突き付けられ、カウントダウンが始まっていた。そして、タイムオーバー。日本帝国指導者層は、YESかNOの答えが出せなかったのだ。アメリカの原爆開発とその完成は、日本帝国政府も承知していたと聞く。ドイツはその完成前に壊滅した。日本も完成を目指し、研究開発中だったのだ。戦争は感情論で行うものではない。まして、戦争遂行は極めて合理的な戦略と判断が必要である。祖国(日本)への武力侵略行為に対する自衛としての武力対応は、当然、許される。これは自衛戦という戦いである。国民の生命・財産・領土を守る戦いである。国民の生命が侵略行為により失っているのを、見過ごす国と国民は、世界中どこにも存在しない。古今東西――。広島・長崎の原爆は、防げたのだ。タイムオーバー前に、降伏勧告を承諾するだけの事に過ぎなかったのだ。いたずらに、判断を遅らせていただけだったのだ。大事(原爆)が起きてから、無条件降伏した日本帝国だった。まことに残念至極である。二度とそういう事にならないために、国民は学ばなければならない。戦争には、自衛のものと、自衛の名の下の侵略戦争があると言う事を――。純粋に自衛のため戦う事と、他国侵略の戦いとは、天と地、天国と地獄の差がある。国のプロパガンダに踊らされることのないよう、確固とした見極める目を持つ必要がある。「一億三千万人。総玉砕」は、御免だから。子供たちに、きちんとその事を伝言しておこう。↓↓↓ブログランキングに参加しています。よろしくお願いいたします。 エトピリカより。にほんブログ村
2011年08月07日
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ご好評につき、「ことわざ珍解釈辞典(4)」を書きました。(ことわざ編)『貧すれば鈍する』心貧しき人間は、KY(空気)を感じなくなる事を言う。これは政治家か、権力の魔力にとりつかれ、国民の意志を掴む事が出来ない、と言う事も指す。『風前の灯(ともしび)』辞任寸前の首相の事を言う。風に吹かれ、今にも消えそうなロウソクの火からきている。日本の首相の任期が短すぎる事を指す。『夫婦の喧嘩は犬も食わぬ』SMプレーに凝った夫婦を見た愛犬が、その凄さに慄き、食欲を喪失した事からきている。『貧乏人の子沢山』電気代が払えず、電力会社から電気を止められ、夜つい、夫婦生活を営む事を言う。おまけに、避妊具を購入する事が出来ない状態の生活状況を指す。元々は、雪国地域での夫婦生活を指していたものである。雪と寒冷のため、夜は布団の中に入る事が長いので、夫婦生活のない夫婦たちが嫉妬して言ったものである。現代では、夫婦生活の無い女性が、羨み使う諺となっている。『貧乏暇なし』貪欲な金権亡者は、少しの暇も惜しむものである。その心は、まさに貧乏そのものと言える事からきた諺。 (つづく)↓↓↓クリックしていただきたいなあ~エトピリカより。にほんブログ村にほんブログ村
2011年08月06日
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例年のように、原爆平和祈念式典をテレビで見て、黙祷した。親がそうしていたから、少年時代から続いている。昨日の夜、NHKラジオを聴いていた。「はだしのゲン」の作者・中沢啓治さんがインタビューで言っていた。「原爆被害者への差別」についても。「原爆被害者と接触すると、放射能が移るから――」と言う差別があったと。少年時代、そう言う大人の話を聞いたことがあった。俺は、それを信じていたものである。少年だったから。「放射能に当った人とは、会いたくないなあ~」この誤解は、すぐに解けた。父に訊いたら、「それは嘘だよ」と、にべもなく答えた。その一言で納得したが、さらに父に訊いた。「みんな、そう思っているよ。どうして?」父が答えた。「差別感情だよ」俺には、差別という言葉と意味が分からなかった。でも、何となく差別って意味が、嫌な事に使われる言葉だと思った。「何で、差別感情を持つの、人は?」父が答えた。「お前が大人になったら、理解できるよ」父は俺に難解な宿題を残した。父は、すでにこの世にはいない。「人は何故、差別したがるのか――」この答えは、未だに見つからない。「差別」が、あまりにも複雑で多過ぎるからでもある。父もそう思っていたのかもしれない。これだけは言える。「父は差別を認めていなかった一人でもあった」と。俺は大自然が昔から好きだ。山に登る。海に潜る。湖を眺める。その中にいる俺は、なんとちっぽけな存在であるのか――そう思っている。これは少年時代から、今に繋がっている。大自然のど真ん中にいると、人と出会うとほっとする事がある。「人間と会えた――」「同じような人間がいる――」だが街に戻ると、人間同士の差別感が見えているのだ。↓↓↓クリックしていただきたいなあ~エトピリカより。にほんブログ村にほんブログ村
2011年08月06日
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MKさんから、「逆引き、ことわざ珍辞典」の書き込みがありました。ご紹介いたします。『天災は忘れる前にやってくる』最近は天災が多発。忘れるどころではない。それに比して、責任ある人々の対策の遅れ、油断など人災の側面が相次いで浮上。『心頭を滅却すれば屁もまた涼し』頭が空っぽな人間の喩え。例えば、問題意識に欠ける政治家、企業経営者の自己満足的な心根を言う。自画自賛と同義語か。『人事を尽くして悪運を待つ』やりたい放題やり、後は死を待つ人の事を言う。『死んだ子の年を忘れる』昨今の親を指す。『男子の一言羽毛の如し』熱して冷めやすい男の事。言った言葉に責任を持たない政治家を言う。一日で前言を翻す人の事。『天に唾(つばさ)す』マスクをせず公共心のないさま。爪楊枝をどこでも利用してはばからない。『天は希物を与えず』欲しい物が手に入らないさま。『東大もと暗し』試験に受かるなど「頭が良く」ても旗幟鮮明にしない優柔不断な人を言う。以上、MKさんからの書き込み内容です。ふっふっと笑えます。(これはフィクションです。実際の諺の内容と異なります)↓↓↓クリックしていただきたいなあ~エトピリカより。にほんブログ村にほんブログ村
2011年08月05日
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(ことわざ編)ひとりでも、このバカバカしいユーモアを読んでいただければ幸いです。格言とか諺(ことわざ)が、活かされない日常です。例えば、「天災は忘れた頃にやってくる」もそうでしょう。300~500~1000年前の大津波の考古学的物証、古文書等を現実味のないものとみなした、原発推進を顧みると、諺(ことわざ)の意味深しん性が失われつつあります。この際、徹底的に見直しをかけなくちゃって思うのですよ。あくまでもユーモアとして――。「不都合のことわざを残さなくちゃ」『心頭を滅却すれば火もまた涼し』頭が空っぽな人間、何も考えない人物の喩え。例えば、問題意識に欠ける政治家、企業経営者の自己満足的な心根を言う。自画自賛と同義語か。『人事を尽くして天命を待つ』やりたい放題やり、後は死を待つ人の事を言う。事例としては、電力会社の原発放射能事故対応に言える。『沈香も焚かず屁もひらず』お金持ちであるが、かなりの貧乏性タイプの人間の事を言う。出すものは何でも惜し。屁を出すことすら惜しむのである。もったいないと言って屁を出さないくらい徹底したドケチ人間をさす。平安時代は、お香にもお金を惜しみ、出すもの一切を嫌う金権亡者の貴族の喩えだった。『死んだ子の年を数える』子を虐待死させた親を指すことわざ。悔恨から、殺してしまった子供を思い出し、今何歳になっているのか、と子供の年齢を妄想する親を指す。「覆水盆に還らず」と同義のことわざ。『男子の一言金鉄の如し』熱して冷めやすい男の事。言った言葉に責任を持たない政治家を言う。一日で前言を翻す人の事。昨今の政治家を指すことわざである。『天に唾(つばさ)す』空飛ぶ鳥を唾で打つ愚かな人間の事。理解力の足りない人の事でもある。または、天をも恐れない傲慢な人物の喩え。『天は二物を与えず』腹黒い人間を指すことわざ。または、一物で充分足り、自己満足している者の事を言う。『灯台下暗し』所在がしれない、住所不明の人の事。または、旗幟鮮明にしない優柔不断な人を言う。あるいは、前ばかり気になり、うっかり足元の石につまずく事を言う。 (つづく)面白くなくてもクリックよろしく!エトピリカより。↓↓↓にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2011年08月04日
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(ことわざ編)『阿吽の呼吸』男女の夜の生活時、発する息遣い。または、贈収賄における、役人と企業担当者との絶妙なやりとりを指す。『ああ言えばこう言う』大臣の国会質問における、決まり文句(フレーズ)の事を指す。『青は藍より出でて藍より青し』ある政党から離党し、元の政党と同じ主張をする政党を立ち上げる事。『悪事千里を走る』犯罪者は犯行後、約四千KMほど逃亡する事を意味する。または、政治家の悪事は、日本列島全域に広がる事も指す。『子の心親知らず』子会社の利益で儲けている親会社の事。または、親が子供に騙される事も指す。『言葉は身の丈』話す言葉で、その人の背の高さが分かると言う意味。(直訳)例えば、欧米人は会話が長く得意なので、背が高いものである。『子は鎹(かすがい)』古くは、子供の虐待のために、鎹を打つ親の事を言う。児童虐待を意味する。『対岸の火事』大震災時、対岸の街が壊滅するほどの火災を言う。『天災は忘れた頃にやってくる』天災は天才の訛りである。ノーベル賞を取る天才は、忘れた頃に現れる事から、天災もそう言う意味で使われている。『梨の礫(つぶて)』弱い者に石とかを投げる悪ガキの事。悪ガキがイジメのために、梨をぶつけた事からきている。 (つづく)(これはフィクションであり、この解釈は実在していない――したがって、くれぐれも誤解のないように願います)面白ければクリックを~エトピリカより。↓↓にほんブログ村にほんブログ村
2011年08月04日
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ことわざ・四字熟語を「曲学」――異約・珍訳――して読むと、こうなります。(ことわざ編)『金石(きんせき)の交わり』岩石の中に金が混ざっている事。利権と癒着の構図を言う。『漁父の利』漁師の親である父が、獲った魚を一番多く貰う事。または、貪欲な網本が多くの利益を受ける様を言う。または、大企業の利益主義を指す。『旭日昇天(きょくじつしょうてん)の勢い』太平洋戦争時、旧帝国海軍の旗が多くの戦艦と共に沈没する様を言う。調子に乗ると良くない、と言う諌め。『大山鳴動して鼠一匹』大地震の予兆を言う。山が動き鼠が飛び出すのは、大地震が起きると言う前触れの事。ちょっとした事を見逃し、大きなミスをする事。『大事の前の小事』大便をする前に、小便がしたくなる事。または、事を始めるにあたり、小便をして取りかかることの大切さを言う。『大事は小事より起こる』小便がしたくなる事は、大便の予兆である。小便をし忘れたために、仕事が上手くいかない様を言う。『火中の栗を拾う』腹が減ったので、つい火の中の栗に手を出し火傷する事。貪して、さらに追い打ちがかかる様。生活保護者への嫌味を指す言葉。『勝てば官軍』気の小さい人間の驕り高ぶった態度を言う。官僚の天下りを言う。『飼い犬に手を噛まれる』飼い主が、飼い犬を虐待したので、犬が怒って手を噛む事。動物虐待を言う。『蛙の子は蛙』種の法則。種が違えば交配しても生まれない、という生物学の法則。または、変わり映えのしない事を指す。当たり前の事も言う。『奥歯に衣を着せる』歯が痛い時、衣の切れ端を当てる風習を言う。平安貴族の下品な風習のひとつ。『老いてますます壮なるべし』老いても、性欲が盛んである事が望ましい。または、年甲斐もなく、若気のつもりで怪我をする様。その皮肉。『一日の長』夏至の日を言う。一日で昼がもっとも長い日。または、長い苦労のたとえ。『痛む上に塩を塗る』昔の刑罰のひとつ。傷ついたところに塩を塗り拷問する事。『一事が万事』原因と結果の法則を言う。ひとつの原因が、多くの結果を生むと言う事。ひとつの理があらゆる事に通ずると言うたとえ。または、良い事をひとつ行うと多くの善行に値するたとえ。『一に看病二に薬』やぶ医者の事。看病ばかりして、適した薬を処方しない事。または、薬が切れた病院の経営状態を言う。『一目置く』囲碁用語のひとつ。最初に置く黒石ひとつの事。または、瞬間に行動する様を言う。パッと見たら、行動に移っている様を指す。猪突猛進と同義語。 (つづく)(これはフィクションであり、この解釈は実在していない――したがって、くれぐれも誤解のないように願います)面白かったら、クリックして頂きたい。エトピリカより。↓↓↓にほんブログ村
2011年08月04日
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エトピリカは、空から人間社会と日本国を眺めて来た。「俺の曽祖父、祖父、父、曽祖母、祖母、母が、言っていた」「戦前は終わっていない――日本の国は。戦後、ずるずると過去をしょっている政権が続いてきたのだ」そうエトピリカは、聞いていた。そして、エトピリカは霧が晴れる度に人間社会を眺め、つくづく思う事があった。「日本の民主主義は、まだまだ出来あがっていない」「先ず、政権交代が行われる必要がある」そう思っていた頃、ようやく政権交代が行われた。エトピリカは、その政権交代で革命的な変革が行われるとは思っていなかった。日本の統治機構は、そう容易(たやす)く変わる事は出来ないと分かっていたのだ。「だが、諦めては駄目だ。アメリカ・ヨーロッパ諸国だって、時間がかかったのだ。民主主義って、時間と労力のかかる制度なんだよ」「だからね。二年、四年で、政治変革が成されるものではないのだ」「とことん、膿を出さなければならないのさ」「それを国民が我慢できるかどうかだな」「日本の国民は、エトピリカと違い、かなりセッカチだよ」「静かに、大声を出し、変革してほしい事を要求しなくちゃいけない」「静かに、大声って矛盾する表現だが、分かりやすく言うと、じっと政治世界を見つめ、何が問題の本質かを見つける事が大切なんだ。政治家って、皆、良い事ばかり言う動物だよ。それを否定しちゃいけない。政治家の政治家ゆえん――」そうエトピリカは呟いているのだ。「政治変革は、10年の時が必要なのさ。だから、これまでの自公政権に戻しちゃ、政治改革の流れは遠のくのだよ」「自公政権の長年のツケが、現政権にとって相当な重しになっているからだよ」「これまで自公政権で出来なかった事が、自公政権に委ねても出来る訳がないのだよ。それはマッチポンプみたいなものだからさ」「自分たちの過ちを自分たちが消し去る事は、自明の事だが無理だよ」エトピリカは、日本の国と社会が良くなる事を願っているだけさ。これからの社会は、今までの姿では良くならないのだ。だから、新しい政治政策と旧来型の政治から脱却しなくちゃいけないのさ。「諦めちゃ駄目だ。なでしこジャパンのようにさ。ただし、首相の交代は諦めたほうが良い――交代すべきだよ」「これからの日本のリーダーは、無私の心を持った政治家が相応しいのだ」「ただし、自公政権に委ねるには、まだまだ早い。腐ったリンゴは徹底的に排除しなくちゃいけないのさ。原発事故・検察の証拠偽造・利権絡みの政策等などは、自公政権では日常化していたのだから――」エトピリカは、偏ったイデオロギーを持っていない。持ち合わせていないと、言うべきだろう。自然を愛し、大切にしてほしいと、エトピリカは願っているのだから。クリックしていただきたいなあ~エトピリカより。↓↓↓にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2011年08月03日
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2チャンネルの内容を読むと、とても無責任なものが多い。中には、下司の勘ぐり、噂話といったものがある。しかも、有名人の人格を中傷したものも多すぎる。自分の顔をが表に出ないのが、そうさせているのだろう。だが、エロサイトは別として、拝見するブログ記事は、ほとんどが品格ある内容だ。自分のブログ記事もそうありたい、と思っている。ブログって、ゴルフをやっているようにも思えている。両手を動かすから、ゴルフなのか?――いや違う。ゴルフのスコアは自己申告が基本である。パー5のところ、12打もたたいてしまうケースもあった。誰もいない林の中を、さまよい打つことがあった。白いボール状のキノコを探す大きな体格の動物――キノコ好きだからイノシシか――と化す。スコアを誤魔化す事は容易である。だが、ゴルフは紳士淑女のフェアなスポーツである。そう先輩から教わったものだ。スコアにこだわり、勝負にこだわり、スコアの申告は正々堂々と正直に行うのが、ゴルフというスポーツである。「ナイス・オン」「ナイス・ショット」と、同伴者のショットを褒め称えるのがマナーである。仲間内では、OBを打っても、「ナイス・ショット」と、大声で叫ぶ事もある。これは、ユーモアを込めた元気づけの「ナイス・ショット」なのだ。他社のお偉いさんの接待ゴルフもあった。きちんと、自己申告するお偉いさんもいるが、必ず2打・3打少なく申告する方もいた。紳士とは言い難い、と思ったものである。やはり、そういう人柄だった。ハンドルネームで書くブログだが、皆、真剣に自分の思いを記し、良い写真を載せている。ハンドルネームの方々の品格がそのブログに見えている。そういうブログを書きたいものである――ブログを始めて170日のエトピリカも。クリックしていただきたいなあ~エトピリカより。↓↓↓にほんブログ村にほんブログ村
2011年08月03日
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八月に入った。中旬には「お盆」がくる。八月は「葉月」と言うが、感覚的には「師走」のような気がしている。と言うのも、「師走」の語源が、師匠の坊さんがお経をあげるために、四方八方へ走りまくるところからきているらしい。「師走」は、12月を言う。「葉月」の八月は、神様がいるにもかかわらず、お坊さんたちは忙しい。死者を迎えて祈り、送る祈りと四方八方に走りまくる。全国は夏休みだから、どこもかしこも渋滞で、走りまくると言うよりも、歩きまくらなければならない混雑である。神様もお手伝いするべきところだが、役割が違うのだろう。「師走」の語源は、平安時代の書物からきているようだ。では、「お盆」の語源はどこからきているのだろうか。サンスクリット語のウラムバナから盂蘭盆(うらぼん)と音を当てたものらしい。その遠い源は、イランのウルバン(魂)にあると言う。イランからインド、中国、朝鮮――そして遥々(はるばる)日本に来たのか。数千年かかったことだろう。これが理由なのかもしれない。お坊さんたちが忙しいのも無理からぬ事である。古代の御坊さんは、イラン・インド・中国・朝鮮・日本と、車を使わず歩いたのだ。ラクダに乗った坊さんもいたかも知れないが。「お盆」は、大事にしなくちゃいけないようだ。お墓参りは、古代の坊さんたちに比べれば、そう時間がかからないのだから。と言う訳で、八月は「葉月」じゃなくて、「師走」と言い換えるべきだろう。これは屁理屈である。何気なく、「お盆」の墓参りの事を考えていたら、八月が「師走」のように思えたのである。お坊さんが走りまくる光景を思い出しながら――。そうそう、「師走」を広辞苑で見たら、「師走坊主」が出て来た。その意味は、盂蘭盆とは異なり、歳末だから檀家は金を吐き出し持っていないので、お坊さんにお布施が回らない、そのためお坊さんは、やつれ、おちぶれる、とあった。やはり、八月が「師走」なのである。↓↓↓面白くなくてもご協力を~エトピリカより。にほんブログ村
2011年08月02日
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「今度は、公安調査庁が入ってきたのか?怖い秘密公安警察に――よ」「秘密組織として公安調査庁があるんだ。公安警察にプラスしてさ」「そのプラスって何さ?」「公安警察&公安調査庁と言う意味さ」「&と言うandは、どう言うアンドだ?」「お前の質問は、ダジャレ的に難解だな。同じ秘密組織でも、その役割分担が異なるが、一蓮托生、一体不二の関係だよ」「もっと分かりやすく説明してくれないか?」「説明出来りゃあ、とっくにしてるさ」「そんなに難しいのかよ?」「なにせ秘密組織だから、内部情報は出ないし、公にもされていない。だから説明するだけの情報と知識がないんだよ」「無理矢理でも良いから説明してくれよ」「じゃあ、小説風に表現するからな。そうすると、最後に『ここに出てくる団体は、実際と同じです。ノンフィクションです』って言い逃れ出来るからな」「それって、反対だろうよ。『これはフィクションです』だろうに」「俺のこと分かっていない。俺がいつ嘘ついた!!」ある飲み屋での客とママとの会話である。ママはさすが、情報通だった。雑学以上のものがある。馴染みの客がママに訊いた。「イラク派遣の時、公務員宿舎にイラク派遣反対団体のメンバー公務員がチラシを投げ込んだよな。そして公安警察に捕まった。その時、ずっと尾行していたのは、公安調査庁だったはずだ。ママそうだったよな?」「そう記憶しているわ」このママは、読書家でサスペンス小説が大好きだった。「私はホラー小説は嫌いなの。知っているわよね?」「うん。ホラーって、ホラこくような小説だからね」客が応えた。「表現は独特ね。まあいいわ。公安調査庁は、略称「PSIA」らしいのよ。海外ではそう言われているようよ。CIAと同じインテリジェンス・サービスよ。但し、逮捕権が無いわね。CIAだって同じ」「ほほっ、ママは詳しいね?」「聞きかじり、観かじりよ。あのイラク派遣反対チラシ事件のように、反対勢力を監視しているのよ。逮捕は公安警察。あっそうだわ。うちの店のお客様にも公安調査庁の方がいるわ」馴染みの客は、即座に反応した。「何でわかったの?」「先月、初めての客が一人で来たのよ。よれよれの背広着ていたわ。顔も皺だらけ。風采のあがらない男だったわ。その男、飲み過ぎて大ドラになっちゃってね。大変だったのよ」「それで――」馴染み客の興味心が高まってきた。「その時、男が叫ぶのよ」「それでママ、なんてさ?」馴染み客は、その先を催促した。「俺はなあ、公安調査庁だあ~!赤も青も、俺に逆らう奴は、許さない。公安の権力を見たいかあ~!とね。ママは見たいわ、と言ったの。そうしたら、いきなり男の手がズボンのチャックにいったのよ。それは見たくないから、帰って!飲み代もいらないから、帰ってよ!そうママは言ったわ。それを聞いた男は、大ドラから、子猫に変化してね」「ちょっと待ってママ。虎が子猫にかよ?」「そうなの。どれもネコ科の動物だから、そう表現したの。続き聴きたいの?」話の腰を折られたママは、馴染み客に強く言う。「ママ聴きたい」馴染み客は猫撫で声で言った。「それでね。そそくさと店を出て行ったわ」「ママ、それだけ」「そうよ。これが店に来た公安調査庁の男の姿なのよ」「ママ、本当に公安調査庁の男だったのか?」「私はそう思っているわ。だって、普段は公安調査庁のお客様って言うはずないでしょう。酔っぱらったから、つい言ったのよ。俺は公安調査庁の――と。それに隠し持った拳銃を出そうとしたのよ」ママの顔は、いつになく赤かった。「ママ、拳銃?」馴染み客の好奇心が萎んでいく。「ええ、きっと拳銃だったわ。ベレッタだったわ。そう言う形だったわ」「ママ大丈夫?目が彷徨いだしているよ。かなり飲んでいるよ」馴染み客は心配した。こんなママを見るのは初めてだったからである。「そうよ。私は振られたのよ。その男にさ」「その公安調査庁の男にか?」「あの男じゃないわよ。あの時、彼が店に来るはずだったの、その後食事に行く予定だった。楽しみにしていたのよ。あの男に帰って貰ったのは、彼がドアの向こうに見えたからよ。彼は聴いていたんだわ。男が公安調査庁だって言うのを。それ以来、音沙汰がないのよ。素敵な男なのよ。国家公務員で独身と言っていたから、お付き合いしようと思っていたのよ」ママは懐かしそうな顔をしている。惚れて未練が残った顔だ。「ママ、素敵な男の職場に電話してみた?」馴染み客が怪訝そうに言った。「彼から電話するって言うから、そうなっちゃったの。頭の良さが顔に出ている方。そう、職場も教えてくれなかったわ。私ね、振られるの怖かったから執拗に聞けなかったの」ママは真顔になって言う。「もう会わないのだろ?」「いや、彼は必ず来るわ。そう信じているの、私は――」「彼の写真はあるのかよ。どんな男か見てみたいな?」「彼って、写真撮られるの嫌ってね。一枚も無いの」馴染み客の頭が鈍くなっていく。「なんだったけ。このブログのタイトルは――」そう呟いた馴染み客の心は、五里霧中であったが、彼は言った。「五里を過ぎて、六里いくと、公安調査庁の事がわかるはずだ」↓↓面白くなくてもクリックにご協力を~エトピリカより。にほんブログ村にほんブログ村
2011年08月01日
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最近、テレビドラマでも公安警察がよく登場する。主人公の刑事からみると、この公安警察は悪役とグルになっている。「公安警察って、何?」「そうだろうな。意外とその存在は知らされていない。また、その実態も分からないだろうよ」「そう言う、あんたは知っているのか?」「……知らない……テレビでしか……」「ずいぶんと歯切れが悪いな。あんたらしくない」「そう言うなよ。俺に訊かなくても、公安警察については皆、歯切れが悪くなるんだ」「どうしてさ?」「実態が謎だからだよ」「そんな馬鹿な。あれだけ、官僚の世界がボロボロとオープンになっているのに、公安警察の実態が謎なんて?」「だから、ミステリー小説とかテレビドラマ、例えば『相棒』なんかを見ると、公安警察の実態に迫っているように思うんだ。それしか、知る方法はないのさ。ただし、ドラマの最後にテロップが入るけどな。このドラマはフィクションですとさ」「まさか。嘘みたいな話だ」「本当らしいぞ。例の内閣官房機密費みたいな存在だよ」「あの領収書無し、使途不明、年間20数億円の内閣官房機密費と同じか――」「いや、同じではない。みたいな存在ってこと。なにせ秘密機関だからさ」「なんで秘密機関なのさ?」「秘密に動くから、秘密機関と言うのさ」「もっとましな回答をくれよ。公安警察の目的は何だよ?」「おお、まともに来たか――簡単に言うとだな。反体制思想団体の監視と、場合によると、検挙だな」「その反体制思想団体と言う基準はあるのか?」「どうだろう。有るようで無いみたいだし、無いようで有るみたいだな」「それは奇奇怪怪・魑魅魍魎だな?」「その表現は当りかな。なにせ秘密機関だからな。ミステリー小説とかでは、潜入捜査、盗聴、スパイ工作等などが赤裸々に描かれているよ」「それってミステリーだな?」「だからミステリー小説って言うんだよ」「そうじゃなくてさ。その秘密機関の存在が不気味に感じるからさ」「存在が明らかにされないって、透明人間みたいなものだ。後ろを向くと、そこに透明人間が立っているのだよ」「不気味だ」「そもそも、反体制危険思想団体と個人の色分けが、難しいはずだがな」「と言う事は、体制危険思想団体と個人は監視対象外ってことになるのか?」「どの体制を指すんだよ?」「どの体制って言われても、この体制だろうが」「この体制って、何を指して言うのかよ?日本国憲法を正しいものと認める思想団体は、反体制思想団体ではないのだろうが?」「そうでもないようだよ」「だったら、何を指しているんだ。はっきり言えよ。怒るぞ」「俺に怒ってどうする。俺は公安警察の者じゃない。長い付き合いじゃないか。俺は公安警察と無縁だ。知ってるだろう」「わかんないぞ。全部が秘密だからな。もしかしたら、お前は公安警察のスパイかも知れない。俺が国と政府の悪口を言うのを、お前は公安警察に密告してるんだろうよ。だんだん、お前が怖くなってきたぞ」「馬鹿!俺たちが疑心暗鬼になってどうする。密告しているって嘘だろう?」「俺は真剣になってきた。この間、家に電話があったんだ。無言電話だった。それが公安警察かも――」「お前なあ、勘違いしているぞ。今わかったぞ。その無言電話は、俺だよ。いくら俺が電話口で、もしもし俺だ、と言っても、この電話は使用者の都合により只今使われてません、と機械音が言っていたぞ」「そうだった――あの月は、NTTに支払っていなかったんだ」「お前なあ、このブログのタイトル知らないな?怖い公安警察って言うタイトルを――」↓↓↓面白くなくてもクリックしていただきたいなあ、エトピリカより。にほんブログ村にほんブログ村
2011年08月01日
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アンジェラ・アキ 「手紙 ~拝啓 十五の君へ~ 卒業・スペシャルバージョン」を、この歳になって聴いても、「アレンジされた野菜ジュース」の効果が効いたのか、濁った血流にサラサラ感が出てくるようだ。「このジュースは、『アンジェラ野菜ジュース』なんだよ」そう、どこやらの健康野菜ジュースよりも、血の巡りを活性化させるものだ。「15歳の君じゃなくても、これは効き目があるな」「15の君へ、と言うのだから15歳までだよ」「じゃあ、20年後の80の君へ、と言う歌を作ってもらおうか?」「君の好きなアンジェラ・アキさんは、どんな歌を作るのかな……そうだな、こんな歌詞になるのかな……」「拝啓 この手紙を読んでいる君は、どこで何をしているのだろう――から始まるんだ」「そして、歌詞はこうなるのか――80の僕には誰にも話せない訳がある――と」「ここからが、重要なんだよ」「なんで?」「80の君だからさ。超後期高齢者の君だ。棺桶に片足を入れているか、すでに全身が入っている君だからさ」「それじゃ、『アンジェラ野菜ジュース』の効果がないよ。彼女の歌は、80の君にさえ、勇気と希望を与えるものだよ」「そうだったな。80の僕には、誰にも話せない悩みの種があるのです――」「ここまでは良いな?」「良くないよ。誰にも話せない悩みの種があるなんて、リアル過ぎるよ」「そうだよな。俺もそう思っている。話す相手もいない事だって考えられるしな」「話す相手がいないって、天界に行ってからの事かよ?」「そのどちらも言えるようだ。この世とあの世の両方にさ」「それじゃ、『アンジェラ野菜ジュース』を飲んでも意味ないじゃないか?」「そんな事ないさ。『アンジェラ野菜ジュース』は、80の君の孫に効き目があるからだよ。それで充分だろうさ。今どきの若い者は――と言う決まり文句で、孫たちの耳にタコができるのを防止する作用があるんだ」「なるほど。俺がアンジェラ・アキの歌が好きなのは、そこにあるのかも……」「そうだろう。アンジェラ・アキの歌を聴く君は、15の君に戻っているんだよ。それも『アンジェラ野菜ジュース』の効果と言えるよ」↓↓↓にほんブログ村にほんブログ村
2011年08月01日
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一党独裁の国・中国である。以前、ススキのスナックで中国人ホステスに会った。カウンターに座ると、訛りのある日本語を使い「何、飲みます?」と言い、笑みを見せた。「ニッカの――ダブル」と言ったら、「ニッカ?珍しいね」と応えた。「なぜニッカか分かるかな?」と、謎をかけてみた。「好き、だからでしょ」彼女は、まともに答えた。ダジャレが通じなかった。仕方がないから、答えを伝えた。「毎日飲むのだよ。それがニッカ(日課)なんだ」と言うと、「はっはっはっ、ニッカ・日課ね」と、彼女が歯を見せて言った。「わかったか」中国人女性は、札幌の某大学の留学生と言う。どこまで本当か分からないが。「なぜ、中国は一党独裁政権を続けるのかな?」飲んだ勢いで訊いてみた。慣れているのだろう。すかさず彼女は答えた。「中国、色んな民族がいるね。それをまとめるの大変なの。だから中国共産党しかまとめられないの」彼女の答えは、マニュアル的なものであった。そう教育を受けているからか、それとも用心して言ったのかは、わからない。「将来、中国も民主主制度を取らざるを得ないだろうさ」と訊いてみた。「それ、わからない、わたしは」彼女は、澄まし顔でそう答えた。これも模範解答なのかも知れない。中国自慢の高速鉄道の事故が起きた。その直後、未調査のまま車両を粉砕し穴埋めした。証拠隠し――。そのことに、様々な見解が報道されている。世界・国内世論は、激しく非難した。ここから、中国政府の変化を感じたのだ――。中国のテレビ放送が、事故対応を鋭く指摘した。今までにない出来事である。ウガッタ見方だろうが、その放送は中国指導部の事前承認があったのだ、と見る。ほんの一部に過ぎないが、民主主義の良識を受け入れたようだ。新聞によると、オバマ米国大統領が言った。「(ロシアから輸入した)航空母艦の情報を開示した事を歓迎する」と。これも、「良識」の一部だろう。中国政府は、膨大な情報が飛び交う資本主義制度を受け入れ、呻吟する資本主義先進国をヨソミしつつ高度経済成長の過程にある。が、中国共産党一党独裁と共産党官僚支配体制にホコロビが生じつつある。その事を、中国指導者たちは感受しているはずである。あの「事故隠し」は、日本で言えば「原発やらせ事件」・「JR事故問題」と同じ体質に起因している、そう感じた。現場管轄の組織責任者たちが、問題隠しに走ったのだ。それは責任隠しというよりも、経済メリットの手を緩めない事を優先したものだろう。人命よりも、経済を優先したのだ。日本官僚政治の悪しき体質がボロボロと出て来ている。中国共産党一党独裁とその官僚体制の悪しき体質が露呈している。日本の事は、本題ではなかった。中国政府が変化しつつ、と言うタイトルである。上述したように、あの「高速鉄道事故」から、中国政府の対応に変化を感じたのだ。「情報公開」を、中国の指導者が約束した。どこまで守るかは疑わしいが。それでも「情報公開」と言う文句を使用した事に注目している。これまでに無いものだからである。↓↓ブログランキングにご協力を――エトピリカより。にほんブログ村
2011年07月31日
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中国が南沙諸島の領有権を主張し、一部を実行支配している。中国は、尖閣諸島の領有権を、ある時期、急に主張し出した。韓国が竹島を実効支配している。ロシアが北方四島を不法に掠め取り、実行支配している。これらが、今ある領土問題である。中でも、中国の領有権の主張には特殊な論理があるようだ。「中国大陸とつながっている。その大陸棚上に島々があるから、中国の領土である」この大陸棚方式の論理を主張し始めると、際限がない。「この論理は、まるで地殻プレートを根拠にしていることになる」「中国は、ユーラシアプレートに南沙諸島が載っているから、自分の領土だと主張しているのか?」「そのようだ」「尖閣諸島も、ユーラシアプレートに載っているのか?」「どうもそのようなんだ」「それを言うなら、日本列島もユーラシアプレートに大半が載っているぞ」「それもそうだ」「中国の論理の先は、日本列島も中国領土って主張できる事になるわな?」「中国の一方的な大陸棚論理では、そうなるな」「待てよ。――逆も考えられるぞ」「逆って何?」「そのユーラシアプレートに中国も日本も、他の国々も載っている事になるわな。その論理だと、中国の専売特許とは限らないぞ」「何その専売特許とは限らないって言うのは?」「だってな。ユーラシアプレートに載っている国々は多い。ロシア・モンゴル・中央アジア、そしてヨーロッパ諸国も載っているんだろ。だったら、オランダ・フランス・オ―ストリア・ブルガリア・ドイツ等など切りが無いぞ」「という事は、南沙諸島、尖閣諸島等の領有権を、ヨーロッパの国々も主張できるって事?」「そうだよ。中国の大陸棚・ユーラシアプレート論理を拡大するとそうなるな」「だから、中国だけの専売特許じゃないって事か――」「領土問題を地球物理学で論じたら、そうなるって事さ。そりゃあ無理があるってもんだ」「そうか。その論理は日本も使えるよな?」「そうさ。中国大陸は日本の一部、いや大半が日本の領土だと主張できるぞ。中国ばかりではないぞ。ロシア・ヨーロッパだって日本の領土だと無理やり主張できるのさ」「そうだよな。ユーラシアプレート・大陸棚論法を使えば、そうなるよな」「日本列島が、ユーラシアプレートの端っこに載っているとかの問題ではない。プレートに載りさえしたら良いのさ」「お前の発想は、棚上げ論法か?」「何?その棚上げって?」「お前はさっきから、大陸棚・プレートを問題にしているからさ」「俺が問題にしているんじゃないぞ。中国の論理を踏まえて言っているのだ」「だから、その大陸棚・プレート論理での領土の主張と領土問題は――」「分かったぞ。お前の落ちは――大陸棚論理での領土問題を大陸棚上げにしたらいいと言うことだな?」「その通り。だってその論理は、二十億年前に遡るプレート形成に端を発しているし、プレートだってくっついたり離れたりもしているし、まだプレートは動いてもいるから、果てしのない不毛の論理だよ」「どうせ不毛の話だったら、南沙諸島は日本の領土だと主張しようか?」「それも良いな。節度を持った無理やりの論理でいくか?」「節度って何さ?」「ちょっと、やり過ぎと思ったからさ」「中国がそういう論法を取るからだよ」「じゃあ、その論法を日本も使うか?」「主張はタダだから良いだろうさ。中国は日本の領土。朝鮮半島も日本の領土。ロシアも日本の領土。プレート論理では無理やりそうなるのさ」「それを言うと、北方四島は北米プレートじゃなかったっけ?」「そうかも知れないな」「だったら、アメリカも北方四島の領土権を主張できる事になるよ」「中国の論理でいくと、切りが無い話さ。歴史事実としての領土問題じゃあないからな。地球物理学上の領土区分の論理だから、そうなるのさ」「プレートって言う地球物理学は、地震のメカニズム解明に役立つ学問だよな?」「今や、純粋な物理学も政治の駆け引きに利用されているって事か――」「国益の主張には、何でも利用できるものは、その手段となる訳か?」「主観で良いのだから、日本も高度な地球物理学を持っているんだ。地震解明ばかりではなく、不毛の大陸棚・プレートに基づく領土権(国益)に使うと良い」「そうだな。中国は日本の領土だけれど、そこまでは節度があるから主張しない。その代わり、尖閣諸島に領土権を主張するな、とな」「それが、お前の言う大陸棚上げ論法か」(これは短編小説であり、事実と異なる――フクションですよ)↓↓面白くなくても、よろしく。にほんブログ村にほんブログ村
2011年07月30日
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