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僕は毎日、Nバスで通勤しています。と、いうのも福岡市には市営バスがなく、長い間Nバスの寡占状態が続いているからです。地下鉄は市営ですが、競争相手のいない民間Nバスでは、サービスと運転技術の低下が進んでいるようです。 昨日、いつも通りのバスに乗車した僕は例によって本を取りだし、つり革に捕まったまま読みふけっていました。会社から自宅近くのバス停までは所用時間30分です。途中で一度廻りを見渡して現在地を確認したのですが、本にはまってしまったのが運のつき(笑)気がついたら1バス停先なんです。運転手さんに「乗り越してしまったんですが、いくら払えばいいのでしょうか」と、尋ねました。すると「居眠りですか?」と聞くので「いえ、本に夢中になってしまって・・」と応えると、運転者さんいわく「ああ、本ですか。居眠りだと追加は頂かなくてもいいんですが、本だとねぇ~」。 物事には結果責任というものがありますが、原因によって乗り越し金額が無料になったり正規の区間運賃になったりするのって何となく不自然だとは思いませんか?定期券を持っているんですから、うっかりに決まっていますよね。 実は先月も一度、本を読んでいて乗り越し(と、いうか、別の路線に入っちゃったんです(爆))。でも、この時の運転手さんは笑いながら「いいですよ」と、いってくれました。杓子定規もいいですけど、対応には一貫性が必要ですよね。
2004.01.30
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結局、僕のカメレスが原因なんですけど、折角掲示板へ書き込みを頂いた方へのレスが届かないことがあります。どんなに遅くなってもきちんとお返事をしているつもりなんですが、カキコから一定の時間が経つと自動的に消えてしまうんですね。朝、掲示板を確認して今日会社から帰ったらレスを書こう!と思っているんですが、見ると突然書き込みが消えていたりしています。 今までにもこんなドシな僕の為にレスがこなかったと、不愉快な思いをさせてしまった方もいらっしゃることと思います。僕としては遅れながらも誠実に会話をしたいと考えているんですが、本当に申し訳ありません。これからは少しでも早く追いついて、リアルタイムな会話が出来るようにしたいと思います。消えちゃった書き込みをして頂いた方、本当にごめんなさい。全ては僕の責任です(汗)
2004.01.26
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会社の同僚が二人、示し合わせたように風邪を引きました。二人とも近くの内科へ行き、全く同じ薬を貰ってきました。当然ですよね。症状は咳と鼻水と熱です。僕は二人に風邪の対処法についてアドバイスをしたんですが、A君は病院の医局がいう通り風邪薬と解熱剤を飲んで、そのまま帰宅することになりました。もう一人のT君は、僕のアドバイスを聞いてが゜薬だけを飲んで仕事を続けます。 さて、翌日ですが解熱剤を飲んだA君は案の定38度の高熱で仕事を休んでしまいました。彼はその後も欠勤を続け、結局5日も会社から遠ざかってしまいました。一方のT君は赤い顔をしたまま出勤し、3日で無事に完治です。解熱剤を飲まなかった方が実は早期に回復していたんです。 インフルエンザをはじめとする風邪のウィルスは200種類を超えるとされていますが、僕が二人にアドバイスしたことは「風邪の特効薬という薬は世界には一つもないんだから自然治癒力を信じて風邪薬だけを服用して、解熱剤は38度を超えるまでは飲まない方がいいよ」と、いうことでした。 人間はウィルスの攻撃を受けるとまず最初に「自分自身の免疫や抵抗力を総動員して」熱を発し、侵入したウィルスを殺そうと戦いを始めます。風邪などの熱はウィルスが起こしているわけではなく、自分の身体が防御対策として引き起こした事だということを知る必要があります。初期症状で「何となく熱っぽい」というだけで、市販の薬や解熱剤を飲む人がいますが、これは折角、自己防衛しようとして発した熱を強制的に下げてしまうのでウィルス対策としては本来は逆効果なんですね。 医学的な見地からいうと子供だと38.5度、大人だと38度を超えてから解熱剤は服用すべきなんです。解熱剤にはウィルスを退治する能力は全くなく、高熱による睡眠不足など体力の消耗を著しく損なう場合に「やむを得ず」服用する薬です。身体がウィルスをやっつける為に、熱を出して防御しようとしている初期症状の時に解熱剤を飲むのは自分の身体に対する裏切り行為そのものに他なりません(笑)風邪の発熱に対し唯一の効果的処方箋は「水分を補給する」という簡単なことしか方法がないのです。 ちなみに人間は急激な寒さにあった時、ブルブルと身震いをしますよね。これは身体の筋肉が脳からの指令によってブルブルと振動して皮膚体温の上昇を促しているんです。よくしたものですね。僕たちはもっと自分の自然治癒力を信じるべきだと思います。 今晩から日曜日にかけて強力な寒気の流入があります。「罹ったかな?」と、思ったら水分を多く接種して身体を休めるように努めましょう。なまじ、安易に解熱剤を服用すると風邪をこじらせることにもなりかねません。お互いに十分に注しましょう(笑)
2004.01.23
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マスコミをはじめ良識ある人々には奇異に映った「成人式での傍若無人な行動」でしたが、視点を変えて見ると、不謹慎かも知れないんですが僕にはとても愉快なことのようにも思えます。(笑) けっして彼らを擁護する訳じゃありません。しかし、幼児的な行動に走った彼らの残した「愚行」も、まともに精神的成長を遂げている新成人や大人から見ると「他山の石」・・・つまり、「あんな幼稚な行動をするような人間にだけはなりたくない」という反面教師の役割を果たしてくれたという事で僕は素直に(笑)評価してもいいのではないかと思っています。こればかりは学校の教科書も教えてくれません。人間には衝動という動物的な本能がまだ残っています。喜怒哀楽の赴くまま本能のままに行動してはいけない・・というのが、理性であり教育なんですね。 今回の彼らの一連の行動はまさに幼児そのままで(笑)、真剣な論評には値しないほど次元の低い行動でしたが、考えてみると群から追い出されたチンパンジーの行動に酷似すらしていますよね。アルコールに感情を麻痺させられて舞台に駆け上がってシュプレヒコールを上げる行為というのは、まだまだ大人と呼ぶには早すぎるのかも知れません。垂れ幕には「新成人の式典」と書くよりも「真成人の式典」と書くべきではないでしょうか。彼らは真の意味で成人のレベルには達していないのですから。 閑話休題。自ら屈辱的ともいえる彼らの行動は、理性ある社会人にとって自分達の「感覚」が正常なんだということを再認識させてくれたのではないでしょうか。むしろ、彼らの親に同情すらしてしまいます。挙げ句の果てに翌日には市役所に始末書を携えて謝りに行った子供達もいて、同じようなレベルの若者からも「謝るくらいやったら、最初からアホな真似さらすな!」という軽蔑の言葉や叱咤も飛び交うほどでした。確かにその通り(爆)そのニュースを見て思わず笑ってしまったのは僕だけじゃないでしょう。 しかし、彼らもまた時間と共に社会の荒波に揉まれ、やがては恋をして結婚し、子供達を育てるようになることでしょう。舞台に駆け上がり垂れ幕を引きずりおろした子供にしても、二人っきりで話してみると、多分、素直な子供なんだと思います。群集心理や抑制力のない自分の脆さに、ついつい足を踏みはずしてしまったんでしょう。植物にも同じ日に植えたにもかかわらず成長に大きく遅れる球根もあります。しかし、これは飢えた人の責任でちゃんと花を咲かせるまで見届ける義務もあるのです。 人間の評価を一過性の事象だけで判断するのは危険です。今回の騒動を引き起こした幼い彼らが、いつかは「普通」の青年として我々人間社会の一翼を担ってくれることを期待してやみません。そして、その慈愛と忍耐こそが一般社会的のいう「希望」につながる事なのかもしれませんね。長い目で見てあげましょう。
2004.01.19
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全国で晴の成人式が挙行されましたが、今年も一部の人たちによって式典が台無しになったというニュースが駆けめぐりました。とても残念で悲しい事ですね。 そもそも成人になるというのは、社会の中心に座り、自分自身に責任を持つ年齢・・という意味で「元服」の流れを汲む一生で最も誇り高い儀式なんですね。史書によると男子の場合ですと「貴族は冠を武家は烏帽子(えぼし)をかぶり、一般庶民は前髪を落とす」女性は「長く垂らしていた髪を結い上げて、簪(かんざ)をさした」との記述があります。それは精神的な自立と共に他人に成人を宣言する儀式でもあったわけです。鎌倉・室町時代の将軍は10歳以下で元服式を迎えました。 それが昭和元禄から平成に移り、いつの間にか昨今の幼児化現象になってしまいました。本人も保護者も平和ボケとしか表現の方法がありません。江戸時代の元服には形式よりも精神を重んじた記録が殆どで、元服の暁には人様に迷惑を掛けない・・という不問律が形成されていたようです。今でいう暗黙の了解なのでしょう。ただ、不届きな行為をした子供達の親の責任はどうなっているのでしょうか。成人式に酒を飲んで暴れた幼児達の「親」にこそマスコミは責任の所在を追求すべきではないでしょうか。昔の人はいいことをいいました。「親の顔が見てみたい」という言葉です(笑) 今の成人を戸惑わせているのが人権教育という不得要領な制度で、極端なケースでは「人を殺す権利」もあるといわれているほどなのです。僕は権利とは義務と表裏一体のものにしか見えないのですが、現在の教育現場では人権という言葉を恐れて、押しつけの教育が殆どありません。教育とは「教え育む」と書きます。鉄は熱い打ちに打て、という例え通り教育とは”教える”ことなんです。本人の自覚が芽生えるのを遠巻きに見ていることが真の教育ではないと強く信じます。それには尊敬される教職員の養成こそが焦眉の急でしょうけど(汗) 僕は人権よりも大事なものとして人間の「尊厳」があると思っています。人権は社会生活を営む以上、多少の制約は避けて通れないものだと思います。人を悲しませたり、傷つけたりというのは人間の「尊厳」を踏みにじるもので、人権とは全く関係がありません。国民は自由に生きる権利があるという日本国憲法の解釈で「人権」という言葉が一人歩きしてきたに他ならないのです。人権という言葉を恐れるのは教育現場の過剰反応だと思います。 新成人の幼児化には哀しみすら覚えますが、人の道を踏み外したのはほんの一握りの子供達だということも事実です。むしろ一方ではこんな風潮の中、冷静に社会の一員として旅立っていく成人には尊敬すら覚えます。熟成社会には排除の論理があります。例えば死刑制度は排除の典型的な例ですよね。 今年、成人を迎えたまともな人達と健やかな心の成長を育んでこられたご家族皆様方の前途を心から祈りたいと思います。
2004.01.16
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また中国でSARS(重症急性呼吸器症候群)が発見されました。SARSコロナウイルスを病原体とする新しい感染症ですが、僕の考えではこの冬の海外渡航者をはじめ、日本人の発症はないものと思っています。むしろ、従来型のインフルエンザの方がより心配です。では、なぜ日本人がSARSコロナウイルスに感染しにくいかを説明しましょう。 ①日本人の言語として鼻濁音に代表されるように、唾(つばき)を 飛ばすような発音が少ない。 中国語や英語と比較して「パ・ピ・プ・ペ・ポ」などの唾を飛ばす会話が極端に少ないことがあげられます。中国や台湾などでは互いに顔を近づけたまま、口を開けて大きな声で会話をしますが、日本人は会釈や微笑みなどの控えめな会話を中心とするため、唾による感染の確率が極端に少なくなるからです。②日本人には握手の習慣がない。 人間の身体では手が最も汚染源に触れる確率が高いのです。欧米や中国などに比べ、日本人は清潔を好むために、外出先から帰宅した時にも、手をこまめに洗う習慣があります。また一方では人と逢うたびに握手をするという習慣がありません。感染者の手に触れる機会が少ないのです。親しい人への抱擁ということも少ないですよね。③食文化の形式が異なります。 日本人の食事は米を主食とし、お箸(はし)を使って食事をします。海外にはパン食の文化があり、どうしても手で食べる事になります。患者の咳を浴びたり、つばきをうけたものを触ったりした手で食事をする機会が多いことがあげられます。食パンやハンバーガーはお箸では食べません(笑) やはり、健康の基本は「清潔」なんですね。
2004.01.12
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その年を支配するという「歳神様」をお祭りする習わしのお正月。皆さんはどのようにお過ごしでしょうか。ご家庭や故郷でおせち料理に舌鼓を打っている方も多いことと思います。 昨年は忙しさに追われてHPを触る機会が少なくなってしまいましたが、今年は是非、楽しい仲間達と心の交流を続けていきたいものです。どうぞ、今年もよろしくおつき合い下さいね。 さて、先述のおせち料理ですが、元来、宮中の「お節供」の行事で、正月の節供料理のことなんですね。江戸時代になって庶民の間でも正月のお祝いとして広まったとされていますが、江戸っ子の心意気で、お正月の間くらいは奥様方の炊事を休ませてあげようという優しさでもありました。レシピに出来るだけ日持ちの良いものが選ばれたのはこういう理由なんですよ。ただし、歴史書を読むと”歳神様がおみえの7日間だけは煮炊きを慎む慣習となった”とも記されていますけど(爆) お正月料理に飽きた頃合いにあるのが1月7日の「七草粥」ですね。室町時代の頃からセリ・ナズナ・ゴギョウ(ハハコグサ)・ハコベラ・ホトケノザ(コオニタビラコ)・スズナ(カブ)・スズシロ(ダイコン)を切って神棚に備えていました。正月7日には、お粥の中にそれを入れて無病長寿を願ったんですね。 新しい年を迎えるとき、お正月、お屠蘇、おせち、初詣、お年玉、年賀状、七草、鏡開き・・・先人は数々の英知を駆使して健康や人間関係を再確認してきたのでしょう。僕たちも今年、2004年の年頭を迎えました。皆さん、今年もお互いに元気に、明るく頑張りましょう!
2004.01.03
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