全34件 (34件中 1-34件目)
1
人間の力で何(ど)うすることも出来ない問題は唯(た)だ「あきらめる」を以て帰結とする。帰結は巳(や)むを得ずして到達する一の解決である。
2025年12月31日
「糞喰え!」この意気あって初めて現代に生き得られるのだ。あまり虐げ過ぎると「良心」も気の毒だ。過敏は寧(むし)ろ麻痺に近い。何じゃ無反省な彼の驕態は?何じゃ増長慢の彼の狂姿は? 糞喰え!
2025年12月31日
出来よう筈のないことを平気でやって終った。普通ではない異常である。即(すなわ)ち「筈 (はづ) の例外」だ。一の例外は最も有力に全生涯を価値付けることもある。
2025年12月30日
「明日」の事を考えるのは無用だ。けれども全く「明日」を除いては今の世には何事も考えられない。実際「明日」はどんな事が突発するものか判らない。常に「どん底」の用意をして進むの外はない。
2025年12月30日
興味中心の生活と云うものがある。それは何でも皆、自分の興味中に取入れるという愉快な生活法だ。職業も規則正しく自己の興味化する。飲食も摂制正しく自己の興味化するのだ。
2025年12月29日
順風に帆を揚ぐるものは小港に入って静死し、逆風に帆を揚ぐるものは太洋に出でで覆没す。出船入船共に波上の浮影、人生の帰結や遂に一のみ。
2025年12月28日
ぶつかれよ、ぶつかれよ、何者に向かっても全力こめてぶつかれよ。其処に握り来るべき或物は潜まん。
2025年12月28日
「慎重熟慮」の四文字、往々決断の機を逸せしむ。慎重熟慮以外に勇気を要す。人間勇気なきは万事なす能わず。
2025年12月27日
問題に没頭して終に問題を解くこと能わず、首を廻(めぐ)らして問題以外に超越すれば其処に新しき解決法生る。問題を捨てるは問題の帰結なり。問題を忘るるは問題の抹殺なり。
2025年12月26日
人 生 日 録 交 際
2025年12月26日
詩人野口米次郎さんは、自分の友を求めて、「両親を失った人、子供をなくした人、若い時に罪を作った人であって欲しい」と云っている。人間性の清い魂は、ドロドロと濁った泥水の底からチカッと光を放つものだからだ。
2025年12月26日
逢いたいと思う人には屢々(しばしば)会うべからず。蟲(むし)の好かぬ奴は常に捉(とら)えて語るべし。慕うて遠ざかり、忌(いみ)て親しむ。一種の軽き芸術なり。
2025年12月25日
一緒に歩んで来た二人者が路の左右に別れて行かねばならぬ分岐点に来た時の淋しみは、断腸そのものだろう。彼一歩、我一歩、漸(ようや)くにして笑える顔も見えなくなる。大きな声も互いの耳に達しなくなる。松林に遮(さえ)ぎられる、草叢(くさむら)に妨げられる。終には互いの姿が全く視野から消え去る。永劫の別、久遠の隔、人間の胸に刻むものは、そこに樹てる木一本のあることを忘れてはならぬ。
2025年12月25日
「長」の位に在るものと公の儀式などに列した時には、誰でも舊友(きゅうゆう)顔して言語も成るべく粗略に狎(な)れ狎れしく、「オイ君、僕あね」なんかんと言って見たがるものだ。併し其れは寧(むし)ろ事故冒涜であることを忘れてはならぬ。
2025年12月24日
人間最奥の真実は「言葉を失った時」に初めて生れ出る光明だ。唇と唇とが相触れ、手と手が相触れ相接したからって、それは何でもない。魂の声は沈黙だ。言葉を失った時の落つる一滴の涙それは人生の全体だ。
2025年12月23日
思想に遠く距離のあり過ぎる二人が、一堂に座して問答する。寧(むし)ろ問答になっていない処に余興(よきょう)がある。膝詰談判の不接触にも驚かされる。
2025年12月21日
決して其人が嫌いなのではない。唯(た)だ何人を捉(とら)えても直ぐ「説教」する人がイヤなのだ。自分一人は既に選ばれた達人でもあるが如き態度で、何事に就ても直ぐ喙(くちばし)を容れて「訓戒」する。それがキザなのだ。今日の時勢に、人間と人間とが相寄っていて果して「誰が誰を教え導く」のだろう。何(ど)うしなさい、斯うしなさい、そうでなければいかん、こうすべしなどやられたら、誰がその前に首を垂れるか。倶(とも)に相抱いて泣き互いに手を握って相語る。それだけだ。それより以上はないのだ。
2025年12月20日
風鈴文楽短歌集歯も痛き嘆きに耐えて年末の扉をあけん夢を見つつか
2025年12月19日
人と人との交際は親しめば親しむほど何処かに慊(あきた)らぬ空虚を感じて来るものだ。
2025年12月19日
今日12月18日13時予約で行きつけの散髪屋でカットした。短めにバリカン使用で実施した。顔そり含めて4400円です。
2025年12月18日
「期待」というものを他人の上に持つことは最も危険だ。その期待は十の八九までは裏切られるに決っている。さりながら期待なしに人に接することは殆んど不可能だ。唯(た)だ五割引を本位とすることだけを忘れないのが肝要だろう。
2025年12月18日
燈火を貸す方に秘められた野心ありとも、借る人が至誠ならば危からず。若(も)し相顧みて燈火を吹き消せば長廊下は忽(たちま)ち悲劇の第一幕と化する。春寒の風に揺らぐ一点の燈火、そこに秘められた人生を味って見たい。
2025年12月17日
人間の親しみというものは汚いものだ。暗い汚いものに徹底して初めて眞味に親まれるのだ。そして其処から美しいものが湧いて出るのだ。
2025年12月16日
人と会談する。要件は精々十分間くらいで終わる。あとは余談だ。その前段、その後段、みんな要件以外の要件なんだ。
2025年12月15日
12月9日、パソコンが起動しなくて故障したため、中古のパソコンだが新しいパソコンに買い替えた。やっと使用できることになった。
2025年12月14日
對手の顔を正視してモノを云うのだ。若(も)し正視する能わずんば須(すべか)らく沈黙することだ。人は嘘を吐く時、必ず眸子(ひとみ)は乱れる。唯(た)だ 眸子の動きに着眼するが渡世の第一要点だ。
2025年12月09日
人と相対して語ること三十分、その言葉の端々から、その人の最近交われる人々がハッキリ判読されて来る。交遊は隠さんとして隠す能わざる鮮活色だ。
2025年12月08日
余り好ましからぬ訪客の長談義には往生する。欠伸も寸効なく小便も効目なく、唯(た)だウンザリと疲れる。之に引かえ、一分間でも長く留めて置きたい友の数次腕時計を視る時の淡い哀愁、訪客はその時の主人の顔と家の空気を読むの常識を逸したくないものだ。
2025年12月07日
好きと嫌いとは全く感情本能の自然から湧き出るもので人為的に技巧的に如何ともして見ようのない境地だ。嫌いなものは倶(とも)に一処に集って語合うことさえ嫌だ。好になれば、理も非もない。野に山に手を握って遊び行住坐臥に融(と)け合っている。そこに何の打算も理性も挟むべき余地がない処に一つの世界と一つ世界との融合境がある。
2025年12月06日
日常挨拶の時に、問わねばならぬ事を敢えて問わぬことが往々ある。問うた以上に「全」を知り抜いたからだろう。徹底の姿だ。人の情事犯罪の如きがそれだ。疑問が明白に判った時に人は沈黙する。問わるべく期待している事を終(つい)に問われざる時その懊脳(おうのう)は更に深刻を加える。
2025年12月05日
電話を切った直後に放つ一声こそは正に真実だ。その一声が無耳の耳に聴取し得れたら人は皆聡明だろう。電話は面談よりも明白であり、更に「断線の声」は最も露骨だ。露骨は即(すなわ)ち真実だ。
2025年12月04日
必要の無いことまでも語った人が、必要のことさえ告げなくなる。之を「一抹(いちまつ)の陰影」と称される。
2025年12月03日
他人の心を読まんとする前、先ず我が眼のレンズを精査すべきだ。猜疑(さいぎ)の曇り、神経の狂い、既に「看破の力」がない。真は常に純にのみ宿る。白清々たる襟懐(きんかい)の人にして初めて正直に人の心を読み得るのだ。
2025年12月02日
尊むべきものは親しむべきものと全く別人格だ。
2025年12月01日
全34件 (34件中 1-34件目)
1

![]()
