CAPTAINの航海日記

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2008.10.21
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テーマ: たわごと(26791)
カテゴリ: 鉄道忌避伝説
今なお信じる人が多い東北本線敷設時に起こったとされる阿武隈急行沿線住民の鉄道忌避伝説には思いっきり否定的な私( 参考 )ですが、同様の考えを持つ地元民は、何も私だけではないんですよね。こないだ暇つぶしにネットサーフィンしていたら、鉄道忌避伝説発祥の地(?)である伊達市のホームページに こんなページ があるのを発見。以下、気になる文章を抜き出すと、

「東北本線が通らなかった梁川・保原
 明治20年(1887)に東北本線が開業しました。その建設にあたっては、当初は現在の阿武隈急行ルートが検討されましたが『蒸気機関車の煤煙が桑や繭を汚す』『阿武隈川の水運が寂れる』などの理由で沿線地域の反対にあい、東北本線は現在の経路になったといわれています。
 同じような話は『鉄道忌避伝説』として全国にありますが、実際には、当時の土木技術が現在に比べて低く、橋梁やトンネルをなるべく避けたり、地盤や地形の制約があったりしたため、結果的にその地域を通らないルートが選択されたものも多いとされています。
 例えば、福島~槻木間で見ると阿武隈急行は福島と丸森で2度阿武隈川を渡り、トンネルも東北本線に比べてかなり多くなっています。昭和40年代以降に建設された鉄道は土木技術の進歩によって長いトンネルや橋梁が多く、一概に比較はできませんが、明治時代に建設が容易だったのは現東北本線ルートであったことは想像に難くありません。」

とのこと。
伊達市においてこの記述がみられたのには正直驚きです。この文章を執筆された方も、感情論に左右されないさばけた方なんだろうなと推察されます。伝説を信じる人たちは、いい加減に目を覚ますべき時が近づいているのかもしれませんね。


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Last updated  2008.10.22 01:31:12
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