CAPTAINの航海日記

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CAPTAIN @ Re[1]:普通科高校㏌1960's(09/18) >たんぽぽさんへ 郡山市の普通科系公立…
たんぽぽ@ Re:普通科高校㏌1960's(09/18) 引き続きすごい調査ですね。 盛岡とかは新…
CAPTAIN @ Re[1]:普通科高校in1975(09/18) >たんぽぽさんへ いや~暇人なもので(…
たんぽぽ@ Re:普通科高校in1975(09/18) CAPTAINさん、毎度のことですがよくお調べ…
CAPTAIN @ Re[1]:福島大学の金谷川移転についてのIF(09/15) >elbe14さんへ いつもありがとうござい…
2011.05.25
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カテゴリ: 東日本大震災
福島第一原発事故が長期化する中、福島県内では今現在記録されている放射線量よりも今後の累積放射線量がどのような推移を経ていくのかの方に、注目が集まりつつあります。
既に こういったマップ も出回っていますが、よくよく考えてみると、累積放射線量の大半は事故直後の3月に記録されたものだから、この時期にどのように過ごしていたのかによって、各自の今後の過ごし方も変わってくるように思うのです。
その点では、事故直後に遠方へと避難した原発から半径20キロ圏内の警戒区域に住んでいた方々は、生活の糧を根こそぎ奪われはしたものの、人体への放射線自体はさほど浴びてはいないと考えられます。
むしろ人体が危険に晒されていたのは、浪江町津島や葛尾村、川俣町山木屋や飯舘村といった計画的避難区域でしょう。特に山木屋や飯舘村においては原発から30キロ圏外ということもあり屋内退避指示~今にして思えばこの指示は批判しないで素直に受け入れるべきでした~も受けていなかった上に放射線量が高い時期が長く続いていたから、まさに浴びせられ損、避難指示が出るのも遅すぎた感があります。
その点では、比較的累積放射線量が高い福島市や郡山市をはじめとした中通りの市町村も、山木屋や飯舘村に比べると程度こそ軽微なものの、同様の危険に晒され続けていると言えるでしょう。だからこそ、今後の行動を考える上でも、3月に何をして過ごしていたのか、特に子供達はどうしていたのかを、振り返ってみる必要があると思うのです。
我が家においては、私がブログを執筆している関係で、ある程度、状況を把握することが可能です。
3月に、子供達が外に出たことが何度あったっけ? 学校自体は卒業式すら中止でずっと休校だったし、一度自宅と妻の実家とを徒歩で往復させたことがあったけれど、 3月14日の話 。我が家の周辺地域で放射性物質が広範囲に飛散したのは翌3月15日の夕方だから、ギリギリセーフといったところでしょうか。ただし、 3月15日の夜 は雨が降り、当時家族が身を寄せていた妻の実家では地震で破損した屋根から低濃度(?)汚染水が容赦なく屋内へと注ぎこんでいましたが(苦笑)
これ以外にも「外出=放射線に晒される機会」は何度かありましたが、子連れで外出する際には必ずクルマを利用していたし、子供達を外で遊ばせるようなことも殆どありませんでした。少なくとも、他の子供に比べて危険な目に遭わせていないだろうとは思います。気休め程度のことかもしれませんが…
我が家においては、妻が放射線にかなり気を遣っていたからこそ過度の外出を抑えられたという側面があります。今もなお子供達を屋外や友達の家で遊ばせず、快晴の日でも洗濯物を屋内で干すようにしている妻には、頭が下がります。鬼に金棒…とまでは言いきれませんが、いくら3月に過度の外出を控えたとしても、用心するにこしたことはないですよね。


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Last updated  2011.05.25 09:29:06
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