CAPTAINの航海日記

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CAPTAIN @ Re[1]:普通科高校㏌1960's(09/18) >たんぽぽさんへ 郡山市の普通科系公立…
たんぽぽ@ Re:普通科高校㏌1960's(09/18) 引き続きすごい調査ですね。 盛岡とかは新…
CAPTAIN @ Re[1]:普通科高校in1975(09/18) >たんぽぽさんへ いや~暇人なもので(…
たんぽぽ@ Re:普通科高校in1975(09/18) CAPTAINさん、毎度のことですがよくお調べ…
CAPTAIN @ Re[1]:福島大学の金谷川移転についてのIF(09/15) >elbe14さんへ いつもありがとうござい…
2013.01.16
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カテゴリ: マヌケな昔話
前の日記で1970年代に首都圏で放映されたCMについて書きましたが、私が首都圏に住んでいたのは小学3年の時まで(厳密に言えば、小学2年まで国分寺市、小学3年の1年間は横浜市港北区に居住)であり、翌年からは遠く離れた仙台に住むことになりました。
当時の私が抱いていた仙台のイメージは「ド田舎」。標準語が通じないだろうと思ったのでテレビに出てくる東北弁タレントの真似をしてみたり(おいおい)、幼いながらも相応の覚悟で乗りこんだ記憶が残っています。
まぁ、実際には「案ずるより産むが易し」でクラスメイトとのコミュニケーションにも特段の支障はなかったのですが、思い返してみると、東京や首都圏に対して過度に都会的なイメージを、クラスメイトや下手すると担任の教師でさえもが抱いていたような気がします。転居する前の私が仙台に抱いていた異境的なイメージの裏返しみたいなものですね。結果「首都圏の学校は仙台よりも進んだ学習をしている⇒だからコイツも頭が良いんだ」とイメージがついちゃいました。この時点で既にメガネを着用していたのですが、それとて「勉強のしすぎだろ」と言われたりもして…
当時は東北新幹線も開通していなかったし、東京-仙台間の日帰りはちょっと厳しい時代。相互間の理解度もまだまだ低かったのでしょう。とは言うものの、実際のオツムの程度が知れるのも癪なので、この年は結構勉強したかもしれませんね。真面目な話。
ところが、そんな「エセ秀才君」生活も1年限りで終了。小学5年となった翌年4月には同じ仙台市内の別の学校へと転校することになります。前の学校よりも3キロほど仙台市の中心部に近い学校だったせいか、打って変わって今度は「田舎の学校から転校してきた⇒だからコイツは頭が悪いんだ」という目で見られることになりました。いきなりマイナスからのスタートだったから、学校に慣れるまでに結構な時間を費やした記憶が残っています。


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Last updated  2013.01.16 09:44:36
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