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さて、いよいよ東京都です。埼玉、千葉の両県に比べてもヒトケタ違う30傑を紹介しましょう!なお、東京、品川の両駅に停車する東海道新幹線はJR東海の管轄のため、この路線の利用者はJR東日本の乗車人員に含まれておりません。別途備考として、両駅の東海道新幹線分の乗車人員を掲載しております。1位 新宿駅 736,715人(中央線、山手線、埼京線)2位 池袋駅 544,222人(山手線、埼京線)3位 渋谷駅 403,277人(山手線、埼京線)4位 東京駅 381,704人(東北新幹線、東海道本線、横須賀線、京浜東北線、山手線、中央線、総武本線、京葉線)5位 品川駅 321,711人(東海道本線、横須賀線、京浜東北線、山手線)6位 新橋駅 244,916人(東海道本線、横須賀線、京浜東北線、山手線)7位 秋葉原駅 226,646人(京浜東北線、山手線、総武緩行線)8位 高田馬場駅 202,396人(山手線)9位 北千住駅 195,260人(常磐線、常磐緩行線)10位 上野駅 172,306人(東北新幹線、東北本線、高崎線、常磐線、京浜東北線、山手線)11位 有楽町駅 162,445人(京浜東北線、山手線)12位 立川駅 157,517人(中央線、青梅線、南武線)13位 浜松町駅 153,594人(京浜東北線、山手線)14位 田町駅 149,477人(京浜東北線、山手線)15位 吉祥寺駅 138,420人(中央線)16位 蒲田駅 133,748人(京浜東北線)17位 恵比寿駅 130,245人(山手線、埼京線)18位 五反田駅 129,154人(山手線)19位 大崎駅 126,436人(山手線、埼京線)20位 中野駅 123,968人(中央線)21位 町田駅 109,077人(横浜線)22位 国分寺駅 105,883人(中央線)23位 目黒駅 102,310人(山手線)24位 御茶ノ水駅 101,617人(中央線、総武緩行線)25位 神田駅 101,075人(中央線、京浜東北線、山手線)26位 錦糸町駅 99.032人(総武本線、総武緩行線)27位 日暮里駅 96,633人(京浜東北線、山手線、常磐線)28位 大井町駅 94,715人(京浜東北線)29位 西日暮里駅 94,059人(京浜東北線、山手線)30位 大森駅 91,601人(京浜東北線)次点 飯田橋駅 90,363人(中央線)(参考:東海道新幹線の乗車人員(2006年のデータ)) 東京駅 92,205人 品川駅 23,800人なんと、25位までが10万人超! 次点の飯田橋駅ですらもJR東日本全体で44位という凄まじさです。他県とのバランスを考えると50傑ぐらいまでは掲載したいところですが、これでやめておきます(苦笑)ランキングの上位に顔を出している駅の傾向としては、私鉄や地下鉄との乗り換え駅が多いことでしょうか。新宿、池袋、渋谷の3駅はいずれも、複数の私鉄路線が乗り入れるターミナルです。逆に、乗り換え路線が全くないのにランクインしたのが30位の大森駅。それでも9万人を超える乗車人員を記録しているのだから、都内におけるJR東日本の地力はやはり相当なものだと思います。また、当然と言えば当然でしょうが、ランクインした駅は特別区内が大半を占めています。多摩地方の駅は、立川、吉祥寺、町田、国分寺のたった四つでした。茶香炉 茶香炉用茶葉(50g) Y11-00643-02東京都 小平市【狭山茶問屋 鈴木園】
2011.10.10
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昨日に引き続いての首都圏第二弾は、千葉県です。例によって上位30傑を紹介します。1位 船橋駅 134,705人(総武本線、総武緩行線)2位 西船橋駅 125,855人(総武緩行線、武蔵野線、京葉線)3位 柏駅 119,825人(常磐線、常磐緩行線)4位 千葉駅 105,777人(総武本線、総武緩行線、外房線、内房線、成田線)5位 津田沼駅 101,247人(総武本線、総武緩行線)6位 松戸駅 99,468人(常磐線、常磐緩行線)7位 舞浜駅 64,628人(京葉線)8位 市川駅 58,979人(総武本線、総武緩行線)9位 本八幡駅 57,429人(総武緩行線)10位 新浦安駅 54,779人(京葉線)11位 海浜幕張駅 52,397人(京葉線)12位 稲毛駅 50,276人(総武本線、総武緩行線)13位 新松戸駅 35,834人(常磐緩行線、武蔵野線)14位 南柏駅 31,831人(常磐緩行線)15位 蘇我駅 30,727人(外房線、内房線、京葉線)16位 我孫子駅 30,425人(常磐線、常磐緩行線、成田線我孫子支線)17位 南流山駅 27,153人(武蔵野線)18位 幕張本郷駅 25,985人(総武緩行線)19位 北小金駅 25,141人(常磐緩行線)20位 馬橋駅 24,387人(常磐緩行線)21位 西千葉駅 23,838人(総武緩行線)22位 下総中山駅 23,325人(総武緩行線)23位 新八柱駅 23,150人(武蔵野線)24位 新検見川駅 23,101人(総武緩行線)25位 四街道駅 21,776人(総武本線、成田線)26位 稲毛海岸駅 21,603人(京葉線)27位 天王台駅 21,571人(常磐線、常磐緩行線)28位 北松戸駅 20,931人(常磐緩行線)29位 都賀駅 20,084人(総武本線、成田線)30位 北柏駅 19,938人(常磐緩行線)次点 南船橋駅 19,492人(京葉線)埼玉県より凄まじいことになっています(驚)1位は千葉駅だとばかり思っていたのですが、なんと船橋駅でした。しかも2位も西船橋駅で、船橋市内で見事にワンツーフィニッシュを決めています。考えてみれば、船橋市も人口60万人を超え、周辺市町と合併して政令指定都市を狙えるポジションにいるんですよね。で、3位に柏駅が入って、千葉駅は4位に留まる結果に。5位には津田沼駅、6位には松戸駅が入り、ここまでの6駅の乗車人員が突出しています。よくよく考えてみると、船橋駅と柏駅は東武野田線で、津田沼駅と松戸駅は新京成電鉄で、それぞれ直結しているんですよね。これらの路線からの乗り換え客が、各駅の乗車人員を押し上げている格好かと思われます。7位以下は、常磐線や総武本線(いずれも緩行線含む)、京葉線や武蔵野線の駅がズラリと並ぶ(ちなみに、12位の稲毛駅までがJR東日本全体でのベスト100に入ります)一方で、外房線や内房線、千葉以東の総武本線や成田線の駅は殆ど登場しません。各路線の主要駅における乗車人員を確認すると、大網駅(10,938人)、茂原駅(11,634人)、五井駅(18,732人)、木更津駅(13,474人)、佐倉駅(10,520人)、成田駅(14,553人)と、決して少なくはないのです。むしろ東京に近い駅の乗車人員が多すぎると言うべきでしょう。なお、その東京の空の玄関口である成田空港駅は5,844人、空港第2ビル駅は4,123人と、意外に少なめでした。和のこだわりのおいしさが楽しめる、本格的なかっぱえびせん。五大名産地※のひとつである「千葉県・銚子」で醸造された醤油を使用。※五大名産地…野...カルビー かっぱえびせん 焦がし醤油味 70g <和の味わいシリーズ>期間限定【イージャパンモール】
2011.10.10
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さて、3日前から唐突にスタートした(苦笑)乗車人数ランキング。今日から首都圏入りです。まずは埼玉県から30傑を発表します。なお、首都圏の路線に関しては、緩行線のみが停車する駅とそうでない駅とを区別するために、「宇都宮線」と「京浜東北線」のように、同一路線であっても別線とみなして表記しています。1位 大宮駅 235,151人(東北新幹線、上越新幹線、宇都宮線、高崎線、京浜東北線、埼京線、川越線)2位 浦和駅 79,113人(宇都宮線、高崎線、京浜東北線)3位 川口駅 78,759人(京浜東北線)4位 南越谷駅 65,740人(武蔵野線)5位 北朝霞駅 62,958人(武蔵野線)6位 蕨駅 58,279人(京浜東北線)7位 南浦和駅 56,804人(京浜東北線、武蔵野線)8位 西川口駅 51,234人(京浜東北線)9位 北浦和駅 50,286人(京浜東北線)10位 武蔵浦和駅 45,978人(埼京線、武蔵野線)11位 上尾駅 40,491人(高崎線)12位 さいたま新都心駅 39,090人(宇都宮線、高崎線、京浜東北線)13位 川越駅 36,780人(川越線)14位 久喜駅 35,992人(宇都宮線)15位 熊谷駅 30,715人(上越新幹線、高崎線)16位 東大宮駅 30,566人(宇都宮線)17位 戸田公園駅 29,336人(埼京線)18位 東川口駅 29,263人(武蔵野線)19位 桶川駅 27,055人(高崎線)20位 東浦和駅 26,469人(武蔵野線)21位 与野駅 24,507人(京浜東北線)22位 宮原駅 23,217人(高崎線)23位 蓮田駅 21,164人(宇都宮線)24位 北本駅 19,986人(高崎線)25位 鴻巣駅 19,908人(高崎線)26位 吉川駅 18,694人(武蔵野線)27位 新座駅 17,714人(武蔵野線)28位 戸田駅 16,811人(埼京線)29位 北戸田駅 16,583人(埼京線)30位 新三郷駅 16,504人(武蔵野線)次点 南与野駅 15,565人(埼京線)さすがは首都圏です。1万5千人超の駅が31もあります。福島県で最も乗車人員が多い郡山駅が16,417人だから、凄まじいのなんのって。でも、これで驚いては、東京都のランキングなどビビって作れないでしょうね(苦笑)トップは大宮駅。JR東日本全体でも8位に入ります。これまで見てきた県に比べてもヒトケタ違う埼玉県内でも、図抜けた数値をはじき出しています。2位は県庁所在地の意地(?)で浦和駅。以下、11位の上尾駅までが、JR東日本全体でベスト100に入ります。余談ですが、上尾駅が100位ジャストです。顔ぶれを見ると、大宮駅以南の京浜東北線の駅や私鉄を含めた他路線と接続する武蔵野線の駅が目立ちますね。12位以下は、高崎線、宇都宮線、埼京線、武蔵野線の駅が満遍なく並んでいますが、川越線は川越駅のみに留まり、八高線はまったく登場しません(東飯能駅の5,599人が最多)。埼玉県にも、地域格差は存在するんだな~ と感じる次第です。手焼き たべ手 【青のり】 煎屋 彩の国優良ブランド品 埼玉県のお取り寄せ お土産 【まち楽_埼玉】
2011.10.09
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茨城、栃木の両県に続いて紹介するのは、群馬県のランキング。この県も30傑を紹介します。今日はこれでおしまいにしますね(笑)1位 高崎駅 27,443人(上越新幹線、長野新幹線、高崎線、信越本線、上越線、両毛線、吾妻線、八高線)2位 前橋駅 9,422人(両毛線)3位 新前橋駅 5,899人(上越線、吾妻線、両毛線)4位 伊勢崎駅 5,118人(両毛線)5位 新町駅 3,731人(高崎線)6位 桐生駅 3,681人(両毛線)7位 渋川駅 3,515人(上越線、吾妻線)8位 駒形駅 2,614人(両毛線)9位 高崎問屋町駅 2,537人(上越線、吾妻線、両毛線)10位 井野駅 2,042人(上越線、吾妻線、両毛線)11位 沼田駅 1,973人(上越線)12位 安中駅 1,874人(信越本線)13位 北高崎駅 1,673人(信越本線)14位 倉賀野駅 1,536人(高崎線、八高線)15位 前橋大島駅 1,513人(両毛線)16位 群馬総社駅 1,486人(上越線、吾妻線)17位 国定駅 1,296人(両毛線)18位 群馬藤岡駅 1,167人(八高線)19位 磯部駅 1,133人(信越本線)20位 岩宿駅 1,090人(両毛線)21位 中之条駅 1,042人(吾妻線)22位 八木原駅 992人(上越線、吾妻線)23位 群馬八幡駅 971人(信越本線)24位 後閑駅 965人(上越線)25位 長野原草津口駅 691人(吾妻線)26位 上毛高原駅 666人(上越新幹線)27位 群馬原町駅 555人(吾妻線)28位 水上駅 514人(上越線)29位 松井田駅 510人(信越本線)30位 西松井田駅 316人(信越本線)次点 万座・鹿沢口駅 296人(吾妻線)トップは高崎駅でした。私鉄の上信電鉄も含めて9路線の列車が集中する交通の要衝~というか、群馬県内を走っているJR東日本の旅客列車で高崎駅を経由しないのは、水上駅を起終点とし越後湯沢方面へと至る上越線の普通列車のみです~なだけに当然の結果ですが、駅周辺の都市規模がさほど変わらない前橋駅と比べてトリプルスコアになるとは予想していませんでした。もっとも、他県の中心駅と比較すると、それだけの路線が乗り入れながら2万7千人しか乗車人員がいないのかという議論もあるかもしれませんが…その高崎駅を中心としてランキング上位の駅が各方面へと散らばっているのが、群馬県の特徴と言えるでしょう。大幹線の高崎線や上越線に対して両毛線や信越本線も互角の駅数を輩出しています。特に両毛線は、県内にある途中駅のすべてが20位以内に入るという安定ぶりです。高崎駅以外の新幹線駅は総じて不振で、上越新幹線の上毛高原駅は第26位、長野新幹線の安中榛名駅は30傑入りすらできず32位の横川駅(269人)に次ぐ第33位(252人)に留まっています。252人という数値は、JR東日本の新幹線駅の中では東北新幹線のいわて沼宮内駅(102人)に次ぐ少なさです。おいしく・おなかも・美しく群馬県産蒟蒻粉使用【賞味期限】2012/08/17ぷるんと蒟蒻ゼリースタンディング グレープ 130g 【こんにゃくゼリー】 【10P05Oct11】
2011.10.08
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更に畳みかけて栃木県のランキングも発表です。こちらも上位30傑を紹介… というか、乗車人員が確認されている栃木県内の駅は、ここで紹介した31駅しかありません(苦笑)1位 宇都宮駅 33,985人(東北新幹線、宇都宮線、日光線、烏山線)2位 小山駅 20,854人(東北新幹線、宇都宮線、両毛線、水戸線)3位 野木駅 5,579人(宇都宮線)4位 栃木駅 5,124人(両毛線)5位 那須塩原駅 4,734人(東北新幹線、宇都宮線)6位 石橋駅 4,674人(宇都宮線)7位 間々田駅 4,166人(宇都宮線)8位 小金井駅 3,988人(宇都宮線)9位 自治医大駅 3,774人(宇都宮線)10位 西那須野駅 3,570人(宇都宮線)11位 足利駅 3,318人(両毛線)12位 雀宮駅 3,317人(宇都宮線)13位 佐野駅 3,271人(両毛線)14位 矢板駅 2,926人(宇都宮線)15位 氏家駅 2,899人(宇都宮線)16位 黒磯駅 2,360人(宇都宮線、東北本線)17位 宝積寺駅 2,213人(宇都宮線、烏山線)18位 鹿沼駅 2,039人(日光線)19位 岡本駅 1,809人(宇都宮線)20位 鶴田駅 1,393人(宇都宮線)21位 野崎駅 1,264人(宇都宮線)22位 今市駅 1,233人(日光線)23位 日光駅 896人(日光線)24位 富田駅 886人(両毛線)25位 下野大沢駅 805人(日光線)26位 山前駅 775人(両毛線)27位 片岡駅 747人(宇都宮線)28位 烏山駅 555人(烏山線)29位 黒田原駅 490人(東北本線)30位 大金駅 343人(烏山線)次点 蒲須坂駅 338人(宇都宮線)トップの宇都宮駅は、栃木県内に留まらず、北関東3県でもトップの座にあります。が、JR東日本全体では121位に留まっており、首都圏の駅の層の厚さを、ここでも感じる次第。上位には、宇都宮線の駅が集中しています。茨城県と同様に首都圏に近づくにつれ乗車人員が上昇する傾向があり、ベスト10のうち7駅が宇都宮駅以南に集中しています。また、目立ちませんが両毛線も、栃木、足利、佐野の各駅が、東武鉄道との競合関係にありながらもそれなりの乗車人員をマークしています。収穫日に即発送いたします≪野菜セットに追加で送料無料に≫【栃木県塩谷郡産】ハウス栽培岡田さんちの原木しいたけ/100g入り
2011.10.08
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この企画、まだまだ続きます(苦笑)お次は関東地方に入って、まずは茨城県から。この県も乗車人数の多い駅が目白押しなので、上位30傑を掲載します。1位 取手駅 29,563人(常磐線、常磐緩行線)2位 水戸駅 27,109人(常磐線、水郡線、水戸線)3位 土浦駅 16,497人(常磐線)4位 牛久駅 14,691人(常磐線)5位 佐貫駅 14,550人(常磐線)6位 古河駅 13,603人(宇都宮線)7位 勝田駅 11,817人(常磐線、水戸線)8位 日立駅 11,626人(常磐線)9位 大甕駅 9,060人(常磐線)10位 荒川沖駅 8,674人(常磐線)11位 藤代駅 7,363人(常磐線)12位 常陸多賀駅 6,564人(常磐線)13位 ひたち野うしく駅 5,815人(常磐線)14位 石岡駅 5,710人(常磐線)15位 赤塚駅 5,461人(常磐線、水戸線)16位 神立駅 5,283人(常磐線)17位 東海駅 4,300人(常磐線)18位 友部駅 3,501人(常磐線、水戸線)19位 下館駅 3,450人(水戸線)20位 佐和駅 3,342人(常磐線)21位 高萩駅 3,183人(常磐線)22位 十王駅 3,062人(常磐線)23位 小木津駅 2,798人(常磐線)24位 羽鳥駅 2,262人(常磐線)25位 結城駅 2,189人(水戸線)26位 内原駅 2,142人(常磐線、水戸線)27位 磯原駅 1,915人(常磐線)28位 笠間駅 1,406人(水戸線)29位 岩間駅 1,372人(常磐線)30位 高浜駅 1,314人(常磐線)次点 常陸太田駅 1,195人(水郡線太田支線)まず驚いたのが、トップが県庁所在地最寄駅の水戸ではなく、県南端の取手駅であったこと。確かに緩行線の終点であり関東鉄道常総線の接続駅でもありますが、取手駅>水戸駅という結果は私にとっては意外でした。取手駅もそうですが、茨城県の駅には、首都圏からの距離が近付くにつれ乗車人員が上昇する傾向があります。人口規模から見てもう少し上位を伺えそうな勝田駅や日立駅が土浦、牛久、佐貫の各駅の後塵を拝している点からも、それは伺えます。それと、常磐線の駅がやたらと多いですね。県内にある常磐線の駅でランクインしていないのは、県北部にある南中郷、大津港の二つだけです。もっとも、駅を有する茨城県内のJR東日本の路線は、常磐線、東北本線(宇都宮線)、水戸線、水郡線、鹿島線の五つしかないのですが…とは言うものの、この県の常磐線への依存度は、突出していると言っていいでしょう。安全・安心の純国産豚100%使用!!焼き肉、生姜焼き用!!【地養三元豚】【冷蔵発送】【純国産豚100%使用】豚バラ肉スライス焼き肉用100g【茨城県産】焼き肉、生姜焼きなどに!!【最安値に挑戦中!!】
2011.10.08
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さて、東北地方の最後となるのは、宮城県です。東北地方の中では乗車人数がケタ違いに多いので、上位30傑まで紹介したいと思います。1位 仙台駅 74,672人(東北新幹線、東北本線、常磐線、仙山線、仙石線、利府線)2位 あおば通駅 20,180人(仙石線)3位 名取駅 10,085人(東北本線、常磐線)4位 南仙台駅 8,521人(東北本線、常磐線)5位 岩沼駅 6,743人(東北本線、常磐線)6位 多賀城駅 6,389人(仙石線)7位 長町駅 6,379人(東北本線、常磐線)8位 宮城野原駅 5,429人(仙石線)9位 小鶴新田駅 5,310人(仙石線)10位 陸前高砂駅 4,659人(仙石線)11位 古川駅 4,403人(東北新幹線、陸羽東線)12位 北仙台駅 4,203人(仙山線)13位 中野栄駅 4,144人(仙石線)14位 岩切駅 3,984人(東北本線、利府線)15位 石巻駅 3,627人(石巻線、仙石線。一部区間休止中)16位 福田町駅 3,516人(仙石線)17位 国見駅 3,509人(仙山線)18位 陸前落合駅 3,469人(仙山線)19位 愛子駅 3,409人(仙山線)20位 下馬駅 3,364人(仙石線)21位 陸前原ノ町駅 3,354人(仙石線)22位 大河原駅 3,218人(東北本線)23位 船岡駅 3,125人(東北本線)24位 塩釜駅 3,033人(東北本線)25位 東仙台駅 3,019人(東北本線、利府線)26位 白石駅 2,897人(東北本線)27位 本塩釜駅 2,849人(仙石線)28位 槻木駅 2,826人(東北本線)29位 東北福祉大前駅 2,760人(仙山線)30位 榴ヶ岡駅 2,621人(仙石線)次点 利府駅 2,563人(利府線)仙台駅の数字が、かなり飛びぬけています。東北地方ではダントツのトップですが、それでもJR東日本全体では57位に留まっており、1位の新宿駅(736,715人)の約1割に過ぎないのだから、首都圏ってやっぱりすげぇなと素直に感心してしまいます。さて、ランクインした駅の顔ぶれを見ると、大半が仙台都市圏の駅であることに驚かされます。仙台都市圏外の駅は古川、石巻、白石のわずか3駅のみですが、これらの駅も仙台方面への通勤、通学客は少なくありません(今現在の石巻駅はどうなっているかわかりませんが)。乗車人員の多寡は、沿線人口よりも列車の運行本数に比例しているように感じます。また、あおば通、名取、長町、北仙台の各駅は、仙台市営地下鉄や仙台空港アクセス線が接続している関係で、乗り換え客や相互直通列車の利用客によって乗車人員が押し上げられている模様です。なお、乗車人員が2,500人を上回る駅は、ランク外にも東北本線の太子堂駅(2,549人)と仙山線の東照宮駅(2,533人)があり、計33駅となります。東北地方の各県においてこの数値を上回る駅は青森県3、岩手県5、秋田県1、山形県1、福島県6の計16駅に留まっていますから、東北地方においてはいかに仙台都市圏の数値が突出しているかがわかるかと思います。宮城県産大豆を使用し、納豆本来の懐かしさいっぱいの味が楽しめます。これぞ納豆!!三つ折納豆ひきわり(宮城県産大豆使用)【がんばろう!宮城】
2011.10.08
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ランキング企画は更に続いて、お次は山形県。例によって上位15駅を紹介します。1位 山形駅 10,562人(山形新幹線、奥羽本線、仙山線、左沢線)2位 米沢駅 2,369人(山形新幹線、奥羽本線、米坂線)3位 かみのやま温泉駅 1,774人(山形新幹線、奥羽本線)4位 天童駅 1,701人(山形新幹線、奥羽本線)5位 北山形駅 1,621人(奥羽本線、仙山線、左沢線)6位 新庄駅 1,593人(山形新幹線、奥羽本線、陸羽東線、陸羽西線)7位 赤湯駅 1,401人(山形新幹線、奥羽本線)8位 鶴岡駅 1,379人(羽越本線)9位 酒田駅 1,369人(羽越本線、陸羽西線)10位 村山駅 1,208人(山形新幹線、奥羽本線)11位 さくらんぼ東根駅 1,144人(山形新幹線、奥羽本線)12位 寒河江駅 920人(左沢線)13位 大石田駅 904人(山形新幹線、奥羽本線)14位 蔵王駅 902人(奥羽本線)15位 高畠駅 838人(山形新幹線、奥羽本線)次点 羽前山辺駅 816人(左沢線)ここもトップは山形駅。秋田県同様、2位以下を大きく引き離すダントツぶりです。が、2位以降の顔ぶれが要注目。なんと、山形新幹線の停車駅で寡占されている状態なのです。そりゃ新幹線の停車駅は主要都市の中心駅に偏るケースが多いし、山形新幹線は快速列車のようにチョコチョコいろんな駅に停まるから、そうなってしまうことは致し方ないと言えるでしょう。しかし、その一方で、県内の交通インフラのもう一方の軸であるはずの羽越本線の駅がどうにもパッとしません。鶴岡駅が8位で、酒田駅が9位。いずれも10万都市の玄関口としては淋しい数字に留まっています。なお、その鶴岡、酒田の両駅を含めてランクインした駅のうち実に12ヶ所が特急列車の停車駅というのも、特筆される事項と言えるでしょう。山形県 ラ・フランス ドリンク 190g
2011.10.08
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シリーズ第4弾は秋田県。例によって上位15駅を紹介します。1位 秋田駅 11,369人(秋田新幹線、奥羽本線、羽越本線、男鹿線)2位 土崎駅 2,248人(奥羽本線、男鹿線)3位 大曲駅 2,160人(秋田新幹線、奥羽本線、田沢湖線)4位 追分駅 1,847人(奥羽本線、男鹿線)5位 横手駅 1,427人(奥羽本線、北上線)6位 羽後本荘駅 1,338人(羽越本線)7位 大館駅 1,110人(奥羽本線、花輪線)8位 新屋駅 938人(羽越本線)9位 八郎潟駅 912人(奥羽本線)10位 羽後牛島駅 734人(羽越本線)11位 能代駅 700人(五能線)11位 船越駅 700人(男鹿線)13位 湯沢駅 689人(奥羽本線)14位 角館駅 683人(秋田新幹線、田沢湖線)15位 鷹ノ巣駅 624人(奥羽本線)次点 東能代駅 555人(奥羽本線、五能線)ここでも県庁所在地の中心駅・秋田がダントツトップとなりました。青森、岩手の両県に比べて2位以下の駅との差が大きいのも特徴と言えます。2位が秋田駅の隣に位置する土崎駅というのは少々意外。この他にも、追分、新屋、羽後牛島といった秋田市内の駅がランクインしています。ただし、同様に近郊の駅が上位にランクインしている盛岡市に比べると、盛岡市近郊の駅は周辺の市街化が近年急速に進んだのに対し、秋田市近郊の駅の周辺には従前から市街地が形成されていたケースが多いようです。また、秋田県の特徴として、各路線、各地域からほぼ満遍なくランクイン駅が選出されていることが挙げられるでしょうか。この辺も、東北新幹線や東北本線の駅だけがランクインしている岩手県と好対照をなしていると言えそうです。秋田県産有機栽培の玄米を原料にしたサクサク軽い簡単ご飯です!焼き玄米
2011.10.08
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唐突に始まった乗車人員シリーズ(笑)今回は岩手県のランキング、上位15駅を紹介します。1位 盛岡駅 17,072人(東北新幹線、秋田新幹線、東北本線、田沢湖線、山田線)2位 一ノ関駅 4,049人(東北新幹線、東北本線、大船渡線)3位 北上駅 3,467人(東北新幹線、東北本線、北上線)4位 花巻駅 3,281人(東北本線、釜石線)5位 矢幅駅 2,751人(東北本線)6位 岩手飯岡駅 2,343人(東北本線)7位 水沢駅 1,941人(東北本線)8位 仙北町駅 1,460人(東北本線)9位 石鳥谷駅 1,197人(東北本線)10位 水沢江刺駅 946人(東北新幹線)11位 古館駅 895人(東北本線)12位 村崎野駅 876人(東北本線)13位 新花巻駅 793人(東北新幹線、釜石線)14位 二戸駅 741人(東北新幹線)15位 花巻空港駅 697人(東北本線)次点 金ヶ崎駅 663人(東北本線)ダントツトップは盛岡駅。東北地方全体でも仙台駅、あおば通駅に次いで第3位です。接続路線数の多さもさることながら、IGRいわて銀河鉄道からの乗り換え客も相当数いるものと推察されます。以下、ランクインした駅のリストを見ると、すべてが東北新幹線ないしは東北本線の停車駅という点に驚かされます。岩手県は北海道に次いで人口密度の低い都道府県ですが、一関市から盛岡市にかけての北上盆地沿いに人口が集中しているという現実を、乗車人数から読み取ることができます。このラインから外れた地域で乗車人員が最も多い駅は、秋田新幹線と田沢湖線が停車する雫石駅の622人(17位)であり、三陸沿岸では山田線の宮古駅の511人(23位)となります。2位以下は一ノ関駅、北上駅、花巻駅と沿線各都市の中心駅が並びますが、5位以下になると矢幅、岩手飯岡、仙北町と盛岡市近郊の駅が登場するのも特徴と言えるでしょう。IGRいわて銀河鉄道の沿線も含めて盛岡都市圏が鉄道沿いに発展していることもまた、盛岡駅の乗車人員確保に繋がっているものと思われます。岩手県産大豆100%!大豆の風味豊かな舌触り滑らかな食感です岩手県産大豆100%県産手造り絹(きぬ) 400g
2011.10.08
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昨日の日記、書いていて面白かったので、シリーズ化しちゃいます(笑)まずは、北から。今回は青森県について、ベスト15を紹介します。1位 青森駅 7,246人(奥羽本線、津軽線)2位 八戸駅 4,438人(東北新幹線、八戸線)3位 弘前駅 4,348人(奥羽本線、五能線)4位 本八戸駅 1,357人(八戸線)5位 新青森駅 1,083人(東北新幹線、奥羽本線)6位 浪岡駅 1,047人(奥羽本線)7位 五所川原駅 863人(五能線)8位 野辺地駅 673人(大湊線)9位 鮫駅 510人(八戸線)10位 北常盤駅 497人(奥羽本線)11位 津軽新城駅 479人(奥羽本線)12位 七戸十和田駅 475人(東北新幹線)13位 板柳駅 412人(五能線)14位 油川駅 411人(津軽線)15位 鰺ヶ沢駅 305人(五能線)次点 川部駅 293人(奥羽本線、五能線)一応JR東日本のサイトから拾ってみたのですが、2010年12月4日に東北新幹線が新青森駅まで開業した影響もあり、過渡的なデータとなっています。恐らく現在は八戸、七戸十和田、新青森の各駅の乗客数が増加し、青森、野辺地の両駅の乗客数が減少しているかと推察されます。また、JR東日本のサイトには同日に青い森鉄道へと移管された東北本線八戸-青森間のデータも掲載されており、三沢(1,347人)、小湊(410人)の両駅は、同区間が東北本線のままならばランクインしていました。また、乗車人員の数値が低いので、JRが乗車人員を集計していない青森、弘前、八戸各市近郊の無人駅の中には、ランクイン相当の数値を記録している所があり得ます。例えば、光星学院高、八戸工大一高、八戸北高の最寄駅である白銀駅(八戸線)は、駅員が配置されていた頃の2004年に779人の乗車人員を記録しています。通販で購入できるのは当店だけ!青森県で最も有名でダントツで売れている工藤パンの菓子パン青森県民なら知らない人はいないくらい有名なソウルフード的菓子パン 工藤パンのイギリストースト【がんばろう!青森】
2011.10.07
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今日はネタに困窮していたため(苦笑)、JR東日本のサイトから、福島県内の駅における2010年度の乗車人数ランキングを、作成してみました。とりあえず、上位30駅まで掲載してみました。詳細は、下記の通り。1位 郡山駅 16,417人(東北新幹線、東北本線、磐越東線、磐越西線、水郡線)2位 福島駅 14,161人(東北新幹線、山形新幹線、東北本線、奥羽本線)3位 いわき駅 6,004人(常磐線、磐越東線)4位 会津若松駅 2,766人(磐越西線、只見線)5位 金谷川駅 2,732人(東北本線)6位 新白河駅 2,724人(東北新幹線、東北本線)7位 須賀川駅 2,247人(東北本線)8位 安積永盛駅 2,085人(東北本線、水郡線)9位 泉駅 2,047人(常磐線)10位 湯本駅 2,002人(常磐線)11位 二本松駅 1,966人(東北本線)12位 植田駅 1,819人(常磐線)13位 本宮駅 1,813人(東北本線)14位 原ノ町駅 1,679人(常磐線。休止中)15位 南福島駅 1,577人(東北本線)16位 相馬駅 1,502人(常磐線。休止中)17位 喜多方駅 1,186人(磐越西線)18位 松川駅 1,170人(東北本線)19位 矢吹駅 1,119人(東北本線)20位 内郷駅 1,097人(常磐線)21位 三春駅 1,021人(磐越東線)22位 船引駅 965人(磐越東線)23位 伊達駅 907人(東北本線)24位 小高駅 811人(常磐線。休止中)25位 四ツ倉駅 806人(常磐線)26位 鏡石駅 790人(東北本線)27位 安達駅 786人(東北本線)28位 勿来駅 767人(常磐線)29位 東福島駅 761人(東北本線)30位 浪江駅 734人(常磐線。休止中)次点 西若松駅 731人(只見線)私が利用している桑折駅は652人で、681人の藤田駅に次いで第33位でした(涙)しかしその下に白河駅が643人で続いていたのは意外な結果でした。かつては駅前に大型店が進出していて比較的賑やかなイメージだったのですが、今は市街の中心が新白河駅周辺に移ってしまったということなんでしょうか。話をランキング上位に向けると、トップは郡山駅と福島駅が高いレベルで競ってますね。利用者の実感としては郡山駅の方が賑やかなイメージがあるのですが、福島駅は福島交通や阿武隈急行からの乗り換え客も乗車人数にカウントされていることが、接戦の背景にあるのかもしれません。3位のいわき駅、4位の会津若松駅は順当な結果でしょうが、5位に金谷川駅が入ったのには驚きました。利用客は殆ど福島大学関係者のはずです。改めて、学生と鉄道との関連性の高さを感じます。同じことは、日大工学部の最寄り駅である8位の安積永盛駅にも言えるかもしれません。10位前後には、泉、湯本、植田といわき市南部の常磐線の駅が固まってランクイン。いずれも特急停車駅だし、高校生を中心にいわき市内の区間を利用する乗客も少なくないのでしょうか。更に下位を見ると、原ノ町、相馬、小高、浪江と休止区間の駅が目立ちます。これらも特急の必須停車駅ですが、再び列車が走るのはいつのことになるのやら…また、ランキング全体を俯瞰してみると、東北本線、常磐線、磐越西線のいわゆる幹線系線区の駅が大半を占めています。地方交通線の駅は、磐越東線の三春、船引両駅と、次点に滑り込んだ只見線西若松駅のわずか三つのみ。しかも西若松駅は接続する会津鉄道との乗り換え客や直通客も含まれている(会津田島駅から会津若松駅まで通しで乗車したとしても、西若松駅の乗車人数としてカウントされる)ので、実質的には二つに過ぎません。特に水郡線が分岐駅の安積永盛駅を除いてゼロというのは淋しいですね。途中駅の最高値は磐城石川駅の585人に留まっています。【送料無料】JR全線全駅下車の旅
2011.10.06
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午後4時頃からチャンネルをNHKにあわせてテレビ画面に見入っていますが、今日は完全に「台風15号報道特番」的な体制ですね。横尾アナが出ずっぱりです。ふと、東日本大震災直後の報道体制を思い出してしまいました。やはり、首都圏を直撃したというのが大きいんでしょうね。テレビ画面を見る限りでは雨より風の被害が大きいようですね。心配通り、帰宅困難者もかなり出た模様です。ただし、午後7時半の段階では、山手線が運行を再開するなど最悪の事態は脱しつつあると言えるでしょうか。まぁ、北上を続けた台風が利根川の上流域に差し掛かっていることを考えると、今後河川が増水する可能性もあるだろうし、まだまだ油断はできない情勢だと思いますが…福島県もついに暴風雨域に入ったようですね。福島市の大森・永井川地区で停電が発生したとの情報が流れるなど、被害の拡大も続いているようです。我が家の周囲でも、雨・風ともに強くなってきたように感じます。天災は致し方ないとは思いますが、被害がこれ以上拡大しないことを、願ってやみません。 ●地震・台風・安全・震災・災害対策用品としても最適。 富士通 2.5Vクリプトン球(0.5A)2個
2011.09.21
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前の日記で名古屋市のことをいろいろと書いていましたが、我々東日本に住む人間にとっても、この被害は他人事ではないですよね。台風15号は今日の夕方にも東海地方に上陸し、明日の未明までに東北地方を突っ切る見込みだとか。福島県内も、今日の午後9時前後に通過予定です。で、福島県の状況はというと、既に前日から雨が降り続いており、県内の全範囲で大雨・暴風の各警報が、加えて浜通りには洪水・高潮の各警報が、発令されています。鉄道も高速道路も、東北新幹線を除いて壊滅状態。今日が休日でなかったら… と想像すると背筋に寒気が走ります。果たして今後どのようになるのやら。ニュースで近畿地方や名古屋市近辺の被害状況を確認するごとに、嫌な気分になります。特に気になるのは、昨年7月6日夜にゲリラ豪雨の被害を受けている郡山市中心部ですね。実は明日、上の子のクラスが校外学習でビッグアイ内のふれあい科学館を訪問予定なんです…【防災グッズ】土のう袋 白(土嚢/水害対策/ゲリラ豪雨/集中豪雨)
2011.09.21
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一昨日と昨日の日記を受けての第三弾は、福島県内における大学の現状を、もう少し掘り下げてみたいと思います。まずは、表8をご覧ください。昨年度の福島県統計年鑑より抽出した(そのため、県人口及び学生人口が、昨日までの日記で使用した政府統計と微妙に一致しません)福島県内に所在する各大学の学生数を掲載してみたのですが、意外なことに、学生数が一番多い学校は、郡山市に所在する日本大学工学部だったりします。次いで、福島大学、いわき明星大学、福島県立医科大学、会津大学、奥羽大学の順となります。短期大学など系列の学校を有する東日本国際大学、郡山女子大学、福島学院大学は、学生数が伸び悩みの感があります。学校法人の方針として、大学教育にはあまり力を入れていないのかもしれません。参考までに福島県内に所在する短期大学の学生数も掲載したので、見比べてください。表9にて市町村別の状況をまとめました。福島市と郡山市がほぼ互角の情勢となっています。次いでいわき市、会津若松市と続きますが、この4市以外には大学が全くありません。人口あたりの学生数が多い都道府県の特徴のひとつには大都市以外の自治体にも大学がそれなりに設置されていることを一昨日の日記で書きましたが、福島県はその原則からは外れていると言わざるを得ません。当然、地方振興局の管轄区域別に統計をとってみても、県南、相双など、一定数の人口を有する地域が学生数0という結果に終わっています(表10参照)。矢吹町に所在する農業総合センター農業短期大学校を大学に改組したらいいのではないかと以前こちらの日記に書いたのですが、福島県内の農業振興以外にも、県南地区の学生空白地域解消という点で、メリットがあると思います。ところで、学生数で拮抗している福島市と郡山市ではありますが、文教都市というイメージでは、福島市の方が郡山市を凌駕していると多くの県民は感じていると思います。商工業が発達し「経済県都」と形容される郡山市に対抗して付せられたイメージという側面は否定できないでしょうが、「福島市=文教都市」のイメージには、他にもデータから読み取れる根拠があります。上の表11及び表12をご覧ください。表8で示した各大学及び短期大学の学生数を男女別に再掲し、更に各市ごとに集計してみたのですが、福島市に所在する大学が総じて女性割合が高く市全体でも全国平均を上回っているのに対し、郡山市は男性の比率が圧倒的に高いのが見てとれます。「福島市=文教都市」のイメージは、男女比のバランスの良さという点では、妥当な評価だと思います。なお、表11では短期大学の男女比も掲載してみたのですが、大学とは逆に福島県内の女性割合は全国平均を上回っており、恐らくは大学進学を断念した層が短期大学に一定数流れているものと推察されます。先ほど短期大学などを有する学校法人は大学教育に力を入れていないのではないかと書きましたが、その意味でもう少し頑張って欲しいなと思うのが、郡山女子大学です。この大学は家政学部のみの単科大学なのですが、短期大学部に目を転じると、家政科、保育科、生活芸術科、音楽科、文化学科の5学科を有します。これらの学科のいくつかを4年制大学へと改組すれば、男女比の問題は多少改善できるのではないかと思うのです。特に要望したいのは音楽科。音楽学部に改組すればそれこそ「楽都」を標榜する郡山市に相応しいのではないでしょうか。ちなみに、首都圏以北の大学で音楽学部を有するのは、札幌大谷大学のみです。その意味では福島県はニッチ市場に位置しているのではないかと思うのですが… また、専攻科を有する文化学科も、改組すれば面白そうな学科だと思います。最後になりましたが、表13として、福島県内における男女別の大学進学率を集計してみました。福島県内における男女比のいびつさが男女別の進学率に影響しているのかなと思って調べてみたのですが、結果は男女ともに仲良く全国平均を10ポイント以上下回る結果に… ただし、進学者数と表11の学生数とを見比べてみると、男子も女子も、進学者数×4>学生数なんですよね。特に女子の学生数は進学者数の1.5倍しかいない訳で、この状況では大学進学と同時に県外脱出を企てる若者が続出するのも無理はないだろうな… と思います。郡山女子大学の拡充だけでは全然足りません。県内の女子を多く収容できるような大学の設立を、期待してやみません。
2011.08.31
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前回の日記で取り上げた「都道府県別の人口あたり学生数」は、実は都道府県の進学率とはシンクロしていません。下に掲げる表4及び表5を見ると、三大都市圏の都府県が上位に集中し、北海道、東北、九州の各道県が軒並み下位に沈むという結果になっています。人口あたりの学生数では上位に位置していた宮城県や福岡県の進学率はそれぞれのブロックの中では上位にランクしていますが、進学率は全国平均を下回ります。一方、三大都市圏以外でも、富山、石川、福井の北陸三県や中四国の瀬戸内海沿岸の各県は、比較的進学率が高いです。これらの地域は工業が盛んであることでも共通していますが、「大学の4年間ぐらいは外に出てもいい。どうせ地元に戻って就職するのだから」との意識が、ひょっとしたらあるのかもしれません。福島県は、全国で36位。東北地方内でも宮城、山形、秋田の各県に次いで4番手であり、進学率は東北地方の平均をわずかに下回っています。ところで、先ほど「大学の4年間ぐらいは外に出てもいい」云々と書きましたが、では、大学進学に伴っていったいどれだけの人口が移動することになるのか、ちょっとした試算をしてみました。表6を参照ください。昨年度の大学進学者511,397人を都道府県別の学生数で按分し、進学先都道府県の概数を試算してみたのですが、驚くなかれ、流入超過はわずかに9都府県に留まります。また、衆議院比例ブロック別に見ても、東京、近畿の両ブロック以外はすべて流出超過です。詳しくは、表6及び表7をご参照ください。福島県は、年間で4,562人、県人口の率にして0.22%の流出超過という試算結果になりました。いずれも全国で40位台と淋しい結果です。なお、人数、率ともに最下位だったのは静岡県。年間1万人超が進学のため流出する計算になりますが、静岡県もまた工業が盛んであり、しかも政令指定都市を二つも抱えていることからもわかるように第三次産業の集積もそれなりにあります。卒業後にUターンして地元で就職というパターンが十分考えられる地域であります。しかし、福島県の場合だと、第一次産業も含めてメタメタな状態になってしまったため、流出したらそのまんま純減というパターンに陥りかねないのが現状です。このままでいいのでしょうか?よかありませんよね!震災、そして原発事故への復興に向けて、福島県内でも新たな産業の進出が始まろうとしていますが、その理論的下支えとなり得る研究施設や高等教育機関もまた積極的に開設されるべきだと、個人的には考えます。明日の日記では、拙いながらも福島県内における大学開設に関する腹案を、いくつか申し述べたいと考えております。
2011.08.30
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8月26日にこちらの日記にて各都道府県別の学生数を掲載しましたが、今日から数日間は、このうち4年制大学生及び大学院生について、考察していこうかと思います。まずは、表1をご覧ください。2010年度における各都道府県の学生数について、「人口1万人あたりの人数」を基準に上位から並べてみました。トップは、人口に比して京都大学をはじめ多くの大学が集まっている京都府。次いで東京都、滋賀県、愛知県、大阪府の順となっています。全体的に、三大都市圏の都府県が上位に集中している傾向があります。滋賀県が3位というのは意外だったのですが、近年立命館大学や龍谷大学など京都府内の大学が移転してきたため比率が上がった模様です。他の県についても、同様の事情があるものと推察されます。その一方で、宮城県、石川県、福岡県、岡山県、広島県と、三大都市圏以外にも上位で健闘している県もあります。これらの県の特徴を見ると、戦前から旧制高校ないしは帝国大学が開設され後進の大学がその伝統を受け継いでいること、またこれらの大学に留まらず私立大学が比較的多く開設されていることが挙げられるでしょう。また、これらの県の県庁所在地は、それぞれの地方において中枢を担う機会が多いという点でも共通しています。表1と下に掲げる表2とを見比べると、これらの県における人口あたりの学生数は、所属する衆議院比例ブロックの平均を大きく上回っていることが確認できます。なお、この傾向は、地方圏のみならず愛知県・名古屋市を中心とした東海ブロックでも見られます。…と、ここまで書いてきて、地方圏において人口あたりの学生数の比率を高める主要因は中枢都市の存在なのかと思ってしまうのですが、各県の状況をもう少し細かく観察すると、事情は若干異なっているようです。表3として、三大都市圏以外で政令指定都市を有する各県について当該政令都市とそれ以外の地域の学生数の状況をまとめてみたのですが、北海道、岡山県、広島県、福岡県では、政令指定都市以外の地域でもそれなりに学生数を有していることが確認できます。函館、旭川、江別、倉敷、福山、東広島、久留米の各市には3ヶ所以上の大学が所在しており、大都市に偏らず道県内各地域のボトムアップが図れていると言えるでしょう。このことは、中枢都市の存在と同様に、上位進出の必須要件になり得ると言えるのかもしれません。さて、福島県の状況を確認すると、全国で45位。ビリから3番目となっています。確か2009年までの調査では44位だったと記憶しているのですが、秋田県に抜かれてしまいました。その秋田県ですが、2000年代に入ってから、大学の開学や学科設置が顕著です。以下、軽く年表にすると、こんな具合。2004年 国際教養大学が開学2005年 秋田桂城短期大学が秋田看護福祉大学に改組2006年 秋田県立大学生物資源科学部にアグリビジネス学科設置2008年 ノースアジア大学(2007年に秋田経済法科大学から改称)法学部に観光学科設置2009年 日本赤十字秋田看護大学が開学いずれも小規模な開学や学科設置ですが、ほぼ毎年新しい大学や学科が誕生しているのは、ある意味凄いと思います。一方、同時期の福島県内の動きはというと、2003年 福島学院大学が開学2003年 東北文化学園大学(仙台市)薬学部の郡山市誘致が決定2004年 東北文化学園大学の不祥事により薬学部誘致断念2005年 福島大学に共生システム理工学類設置2005年 奥羽大学に薬学部設置2007年 奥羽大学文学部廃止2007年 いわき明星大学に薬学部設置三歩進んでも二歩下がっているのが現状であり、秋田県に比べてスッキリしていない一面はありますね。
2011.08.29
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一日置いて、卸売業ネタ再開です(笑)一昨日の日記で公表した資料を見て、富山、石川、福井の北陸三県の販売力係数が高いことが、妙に気になっていました。もしかしたらこの地域の状況を調べていくことによって福島県にも応用できるものがあるのではないかと思い、比較を試みてみた次第です。まず、資料3をご覧ください。一昨日の資料1から福島県と北陸三県との数値を抜粋したものですが、販売力係数にかなりの差があることがわかります。石川県など、福島県の半分ほどの人口しか有していないのに、卸売業の年間商品販売額自体が福島県より多いのです。正直、驚かされます。県全体ではこのような状況になっているのを頭に入れた上で、それぞれの県の主要都市についての数値も、資料3の下部にまとめてみました。やはり金沢市の数値が突出していますが、福島県も郡山市が結構健闘しており、係数上は富山市を上回っているのが目を引きます。とかく「多極分散」と呼ばれがちな福島県ですが、卸売業の集積状況に関しては郡山市一極集中の様相を呈しているのが見てとれます。全国各地の数値を確認してみないことには確定的なことは言えませんが、各県の県庁所在地ないしは経済県都は、都市規模の大小に関わらず1.00前後の販売力係数をマークできる存在なのかもしれません。ところが、県全体の数値を見ると、先に述べたように福島県と北陸三県との差は大きく開いています。その原因の一つとして、福島県全体における郡山市の人口の占める割合の少なさが挙げられるのではないかと思われます。一応、表中に「県内人口占有率」の項目を設けてみたのですが、北陸三県の県庁所在地=経済県都がいずれも30~40%の人口占有率を有しているのに対して、郡山市はわずか16.2%にとどまっています。となると、郡山市の人口を意図的に増加させることが、ひいては福島県全体の卸売業を発展させる引き金になるのかもしれません。その点では、福島市から郡山市への人口移動促進策としての県庁移転は、有効な手段となり得る可能性があります。資料4として福島市から郡山市に人口が10万人移動した場合における卸売業年間商品販売額のシュミレーションを掲載してみました。かなり強引な設定ですが、両都市の販売力係数が同値のまま人口移動が行われたと仮定した場合、卸売業年間商品販売額は1,500億円ほど上昇する計算となります。再び資料3に戻ります。ここに掲載した各県の主要都市は、人口順ではなく、卸売業年間商品販売額の多い順にピックアップしています。福島県および富山県については上位の市についてはほぼ一致した傾向を示していますが、石川県は七尾市よりも加賀市の方が、福井県は越前市や敦賀市よりも坂井市の方が、それぞれ人口が多いことを付記しておきます。七尾市は能登地方、敦賀市は嶺南地方の中心都市であることを考えると、卸売業年間商品販売額及び販売力係数は人口よりも拠点性の高さに影響されるという現実は、県内の各地域という狭い範囲においても同じことが言えるのでしょう。ところが例外はあるようで、富山県の主要都市の数値を見ると、県西部の中心都市である高岡市よりも射水市の方が販売力係数が高いのが目を引きます。射水市と言ってもどんな場所だかピンとこない方も少なくないと思いますが、位置的には富山市と高岡市との中間、新湊市他5市町村が2005年に合併して発足した新しい市です。こうして見ると、北陸地方には白山市、越前市、あと先ほどちょっと触れた坂井市など、聞きなれない市の名前が目立ちますね。平成の大合併以前の自治体名で言うと、白山市は松任・鶴来、越前市は武生、坂井市は丸岡・三国といった地域にあたります。まぁ、向こうの方から見れば福島県南相馬市だってどんな場所だか想像もつかないでしょうから、おあいこだとは思いますが(笑)話を射水市に戻すと、ここの販売力係数が高い要因は、市内にある北陸自動車道小杉IC付近に大規模な流通卸商団地が造成されていることと無縁ではなかろうかと推察されます。資料5として業種別の卸売業年間商品販売額を掲載しますが、特に食料品関係に強みを発揮しているようです。こういった施設の有無が販売力係数にも大きな影響を与え得るというケースが、小規模な自治体では特に見受けられます。余談ですが、東北地方の全自治体で販売力係数が最も高いのは、実は仙台市ではなく岩手県紫波郡矢巾町だったりします。この町もまた、流通卸商団地を町内に有しています。あと、福井市の販売力係数が郡山市や富山市よりも高いのもまた個人的には気になっていたのですが、資料5で確認すると、繊維・衣服等卸売業の比率が高いのが目立ちます。なお、金沢市でも同様の傾向が見られます。原因を調べて見ると、どうやら、加賀友禅や越前羽二重といった地域に根差した伝統工芸の発達と、関わりが深いようです。一昨日の日記にも書いたように卸売業の発達度合いは工業のそれとはリンクしませんが、伝統工芸に関してはどうもそうではないようです。なお、石川県は織機の生産も盛んな地域であり、従って、機械器具卸売業の販売力係数も高くなっています。この現実を知ってから改めて福島県を眺めると、明治時代に養蚕の盛んな地域であったはずの福島市周辺にどうして繊維・衣服等卸売業が発展しなかったのだろうかと、首をかしげてしまう次第です。福島県民は「商売下手」なんですかねぇ…
2011.01.27
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昨日の日記に記した都道府県別の卸売業の実績を、表に致しましたのでご覧ください。画像がデカ過ぎますがご容赦を(苦笑)一応、下記の表から読み取れる事項を、いくつか記しておきます。【1 卸売業が特に盛んな地域は、大都市、特に広域的な中枢機能を有している都市である】まずは、資料1をご覧ください。卸売業における「人口一人当たりの年間商品販売額」(以下「販売力係数」と呼びます)の都道府県別ランキングなのですが、上位には東京都、大阪府、愛知県と我が国の三大都市を擁する都府県が占拠しており、これに続くのが宮城県、福岡県、広島県と地方中枢都市を擁する県という結果となっています。このことから、卸売業の盛んな地域は、東京をはじめとした大都市、特に都道府県域を超えた広域的な中枢機能を有している都市ということが読み取れます。なお、この種の都市は、意外にも人口の多寡とはあまり関連性がありません。補足として資料2に特別区および政令指定都市における卸売業の販売力係数ランキングを掲載しましたが、上記の都市が総じて販売力係数が高いのに対し、三大都市圏における他の政令指定都市は総じて下位に沈んでいます。その一方で、金沢市や高松市など、都市規模こそ小さいものの北陸、四国における中枢都市が、政令指定都市にも負けないぐらいの販売力係数を有しています。両都市は中枢性の他にも所属する県の4割前後の人口を占めるプライメイトシティである点で共通しており、結果、両都市の頑張りが都道府県別のランキングにおいても石川県、香川県が上位にランクインする要因になっています。【2 広域的中枢都市を有しない地域は総じて苦戦】その一方で、広域的な中枢都市を有しない府県は、総じて苦戦を強いられています。この傾向は首都圏の埼玉、千葉、神奈川や関西圏の京都や兵庫といった府県でも決して例外ではないという点が特徴です。その傾向が顕著な地方について列挙すると、九州、中国、四国、関西、東海、南関東、東北といったところでしょうか。特に関西は、県内に人口50万以上の都市が存在しない和歌山、滋賀、奈良の3県がワースト3を独占するという状況になっています。いずれの府県でも、卸売業の中枢都市への依存傾向が高いものと推察されます。その一方で、首都圏の周縁に位置する茨城、栃木、群馬の北関東3県および新潟、長野、静岡の各県は、比較的健闘していると言えるでしょうか。中枢都市が至近に存在しないので、県都や経済県都がリーダーシップを発揮しているものと推察されます。また、北陸地方は石川県の他、富山、福井の各県も高い数値を示しており、どのような経済構造になっているのか気になるところです。【3 卸売業の発展状況は、小売業とは若干の関連性があるが、製造業とは関連性がないようだ】今回の資料では、各都道府県の小売業および製造業のデータも、参考として載せております。卸売業との比較検討になるかなと思ったのですが、小売業についてはランキング上位に並ぶ都道府県が似通うなど若干の関連性が見られるものの、製造業については明確な関連性を見出せませんでした。
2011.01.25
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昨日の日記の内容の件、もう少し整理してみました。やっぱり、「卸売業が小売業の3倍の規模」だけじゃ、何だかよくわかりませんしね。昨日の日記でも記したように、卸売業は、都道府県の人口と規模とが比例しない業種だと言えます。一応、2006年における販売額のランキングを示すと、以下の通りになります。1位 東京都 164.9兆円2位 大阪府 52.0兆円3位 愛知県 35.1兆円4位 福岡県 16.7兆円5位 神奈川県 12.3兆円6位 北海道 11.6兆円7位 埼玉県 8.8兆円8位 広島県 8.7兆円9位 宮城県 8.0兆円10位 兵庫県 7.7兆円29位 福島県 4.6兆円もうこの時点で都道府県別の人口ランキングに比例していないのですが、これを「人口一人当たりの販売額」に置き換えると、その傾向はより顕著なものになります。2006年における卸売業の販売額約413兆円を日本の全人口約1.27億人(2005年国勢調査の数値)で割った数字を1とした場合の各都道府県の数値(販売力指数と呼ぶらしいのですが、卸売業絡みのデータでこの指数を駆使した例をまだ見たことがありません・苦笑)を見てみると、以下の通りになります。1位 東京都 4.052位 大阪府 1.823位 愛知県 1.504位 宮城県 1.065位 福岡県 1.036位 広島県 0.947位 香川県 0.888位 石川県 0.749位 群馬県 0.7210位 北海道 0.6427位 福島県 0.39全国平均以上の数値を挙げたのは、東京、大阪、愛知、宮城、福岡の5都府県だけという状況です。これが何を意味しているのかというと、個々の都道府県の卸売業が、どれだけの規模の小売業、ひいてはこれに直結する消費者を支えているか、別の言い方をすれば、他地域の購買力を(間接的に)吸っているか、ということなんです。つまり、人口1,300万人弱を有する東京都の卸売業には5,000万人を超える人口(日本全体の約4割!)を支えるだけの規模があることになり、人口約230万人の宮城県や約500万人の福岡県はとりあえず全県民を支えるだけの卸売業の規模があり、人口200万人を少し超える福島県は卸売業の集積が80万人分を支える程度しかない、ということになります。そして、残り120万人の福島県民は、他の都道府県の卸売業のバックアップがあって初めて小売業や(あるいは場合によっては製造業や)我々一般消費者の生活が成り立つという図式になるのです。卸売業には、商品を安定的に流通させるという役割があります。従って、卸売業者が他の都道府県に依存された状態で果たして小売業や製造業が健全に発展するのかどうかという懸念が残るのです。この状況はできる限り改善されるべきだと考えるし、そのためにはどういう行動をとれば良いのか、販売力指数が高い地域の状況を眺めながら(分析なんて高尚なことはできやしないので…)、今後の日記で書いていきたいと思っています。【名入れ】版代・印刷代込み Gタイプうちわ 赤祭 500本~【500】個単位で御注文ください。販促品・お返し・挨拶向け 版代・印刷代込み Gタイプうちわ 赤祭 500本~(1ロット 500 個/ 1個当たり 48 円) 卸売・まとめ売り・販促品
2011.01.24
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今、福島県庁移転問題に絡んで、「商業年間商品販売額」の集計に凝っています。いろいろいじくっていてもなかなか結論が出ないのですが、一つの方向性は見えつつあります。以下、ウィキペディアの「日本の年間商品販売額」の項目を使って簡単に説明します。一口に商品販売額と言っても、その内訳は卸売と小売に分かれます。一般消費者である我々は小売の方に目が行きがちなのですが、上記の参考サイトによると、我が国全体の卸売業の販売額が約413兆円なのに対して小売業は約134兆円にとどまっており、卸売業の方がより大きいウェイトを占めていることがわかります。大まかな割合で言うと、卸売業:小売業=3:1ぐらいとなります。ところが、都道府県別に見ると、今述べた3:1の比率を満たす地域は、実は異常に少ないのです。大雑把に計算してみたところ、なんと、東京、大阪、愛知、宮城、福岡の5都府県(比率が高い順に配列)しかありません。小売業に関しては各都道府県とも販売額と人口がほぼ比例する(販売額≒人口の100万倍)のですが、卸売業は都道府県によってどえらい差がついているのが現状なのです。ちなみに福島県の場合、卸売業:小売業=1.3:1ぐらいの割合になりますが、奈良県などのように小売業が卸売業を上回っている県もあるので、全都道府県中最下位グループという訳でもないようです(試しに計算したら、全国29位でした)。これ、驚愕のデータだと思いませんか? 我々は地域活性化のために小売業の振興策を真っ先に考えてしまいがちなのですが、そもそも小売業のバックには卸売業がついている訳で… まぁ近年では卸を通さない小売業者とかネットなどを通じたメーカー直販が台頭していますが、それでも先に述べたようにまだまだ卸売業のウェイトは高いし、たとえ小売業の台頭で地域活性化が成功したとしても、そこで得た収益のいくばくかが卸売業者の懐に入ってしまうという構図が成り立っているように思うのです。具体的に言ってしまうと、福島県の小売業者が頑張れば頑張るほど東京や仙台に利益が循環してしまうことになる訳で、ここに楔を打ち込み地場の卸売業を充実させない限り、福島県の商業が劇的に浮揚することはないのでは…と考えます。軍事で言えば、前線部隊よりもまず兵站を充実させなければ、ということですね。そこでどういった対策が可能なのでしょうか。その手掛かりを探るために、もう一度、上記サイト中にある都道府県別の卸売業、小売業の販売額の表を覗いてみます。まずは、3:1には及ばないにせよ、卸売業の比率が高い道府県をピックアップしてみます。広島、香川、群馬、石川の各県が、2:1を超える比率をマークしているようです。もう少し下の順位だと、北海道、富山、新潟、静岡の各道県も健闘しているようですね。この辺りは1.7:1を上回る比率をはじき出しています。これらの地域の状況を詳細に辿っていくことで、福島県の商業振興に対する打開策が見えてくるかもわかりません。あまりにも難解なテーマなので続きは明日…という訳にはいきませんが(苦笑)、後日改めて書いてみたいと考えています。【送料無料】いま卸売業が生き残るための課題
2011.01.23
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前回の日記で「(福島市の)人口など10万人ぐらい減ってもいいでしょう」と書きましたが、県庁移転が成れば、県職員はもちろんのこと、あるいは外郭団体や国の出先機関の職員、あとマスコミ、銀行など県庁と関連が深い企業の職員に加えその家族も福島市を去ることになるから、そのぐらいの人口はあっという間に減ってしまうだろうと思われます。移転先は、県の中心に位置する郡山市しかないでしょう。より良い都市空間の創出、整備に力を入れている郡山市が、福島県のプライメイトシティに最もふさわしいと考えます。こう書くと、福島市が郡山市の軍門に下るみたいで不快に思う福島市民もいるでしょうが、私はむしろ、移動する福島市民が一致団結して「郡山市を乗っ取る」ぐらいの心意気で向かえばいいかな…と思ってみたりもします。「何が郡山だ!」と思うなら、その郡山を自分色に変えてしまうぐらいの気概が欲しいところ。10万人と言えば現時点での郡山市の人口の3分の1に匹敵する人数ですから、ヤマを動かすことは十分可能かと思います。もちろん、郡山市にとっても、メリットはあります。まず、単純に、人口が増えます。東北地方の都市は仙台が突出しておりあとは数都市が人口30万人前後でドングリの背比べといった状況ですが、郡山市の人口が40万人を超えれば、間違いなく東北地方No2の都市にのし上がります。となれば、東京などに本社を置く大企業も、郡山を無視できません。営業所や店舗が優先的に設置されるなど、それなりに活況を呈することが予想されます。青森県に向かう東北新幹線の「はやて」や「はやぶさ」だって、ある程度は停車するようになるかもしれません。そのことがまた、郡山の人口増加を促進させるでしょうし、理想を言えば、郡山都市圏全体で人口70万人、すなわち大同合併で政令指定都市への昇格も狙えるポジションになれればいいなと思います。また、郡山市の成長は、福島県の県境付近で現在進行している県外への購買力流出への抑止力にもなろうかと思います。郡山への県庁移転を推進する最大の理由は、実はこの部分にあります。特に、福島市からの10万人規模の人口移動は、仙台都市圏への強力な牽制になることでしょう。そのためにも、新・郡山市には、県都にふさわしい魅力的な商業ゾーンの創出に、力を入れて欲しいところです。一方、人口が10万人減ることになる福島市は、今後どうするか。思い切って、観光都市に特化してしまえば良いのではと、私は思います。個人的な印象なんですが、福島市の人って「福島市の良い所は?」と訊かれると、かなりの確率で、吾妻連峰や荒川をはじめ自然が豊富なこと、飯坂、土湯、高湯など温泉が多いこと、近郊にいろんな作物が採れる果樹園が広がっていること、そして近年では、花見山をはじめ花が美しく咲き誇るスポットが多いこと辺りを挙げるんですよね。そして、中心市街地については殆ど触れたがらない(苦笑)。であるならば、その部分を残った市民の手でより高めていき、観光客を呼び寄せる工夫をしたらいいでしょう。幸い、福島市は、仙台、山形、郡山のほぼ中間に位置しています。この地の利を、観光に活かさない手はないと考えます。やはり懸念となるのは中心市街地の行く末ですが、市域に点在する個々の観光スポットの結節点としての機能を強化していけば、方向性はおのずと決まってくるのではないでしょうか。酒の友 福島県郡山市特産 桑畑のおくりものカンニャボゴールド 100粒
2010.06.18
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何の気なしにネットサーフィンしていたらこんなサイトにぶち当たりました。福島市の中心市街地は、市民にもすさまじい言われっぷりですね。ちなみに、これは8年前のアンケートでの話。さくら野の閉店を経た現在は、これよりもっとひどい状況です。郊外にはスーパーやロードサイドショップがそれなりに充実しており住む分には何ら問題はないのですが、いかんせん中心市街地にオリジナリティが全く感じられないし、また中心市街地の側でもそれを創出しようとする姿勢があまり見えてきません。そう言えば、福島市の中心市街地では、このところ、奥州街道福嶋村の看板・暖簾を掲げた商店をよく見かけます。これは一応、中心市街地自身を盛り上げようとの試みの一つなんでしょうが、仮にも県庁所在地である福島市が「村」を名乗るのはいかがなものかと思う次第。そう言えば、そもそも福島市は板倉氏3万石の小さな城下町。パセオ通りには「目覚めよ パセオ通り DNA」なんてフラッグが掲げられていますが、確かにDNAは目覚めた訳で(苦笑) ひょっとしたら、県庁所在地になってしまったのが、分不相応だったのかもしれません。果たしてこんな街が県庁所在地でいいのか? という疑問は、正直感じます。少なくとも現在の福島市は「県を代表する都市」ではあり得ないし、むしろ県庁などどこかに追いやって身の丈のままに運営していく方がいいのではないか…と。幸いと言うべきか、福島市は、中核市(現時点で人口要件は下回りますが、川俣町との合併が成功していればチャンスはありました)はおろか特例市の指定も受けていません。どうせ市として高みを目指す姿勢がないのだから、人口など10万人ぐらい減ってもいいでしょう(おいおい) むしろそういう状況に置かないと、福島市の将来には光明を見いだせないのかな…とすら思います。ポストカード5枚で【送料無料】小倉寺観音桜と椿 福島市
2010.06.17
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今日こそ出社できるぞ! と思っていたのですが、今朝起きがけに検温してみたら37.7度ありました。という訳で、今日もお休みです(涙)しかし、新型インフルエンザが陰性だというのに症状が治まらないのはどうしたことだろう? 本当は罹っているのではあるまいか? との疑問がもたげ、一昨日、昨日に受診した医院とは別の医院で、検査を受けることにしました。にしても、体調不良ごときでセカンドオピニオンとは大仰な(苦笑)その医院は我が家から徒歩数分の距離にあるので、すぐ到着。アンケートへの記入や検温があり、診察室に通されます。前日までの経緯を説明すると、「あ、こりゃぁインフルに間違いないや」とのこと。先生の話によると、感染しても私程度の症状にしかならないケースもあるんだそうです。医院では、タミフルカプセルと風邪薬を処方してもらいました。タミフルを戴けたのは有難かったですね。ちなみに子供達の方はというと、下の子は既に平熱にまで回復。上の子も午前10時過ぎに検温したところ37.2度まで下がっておりあと一歩のところ。順調に回復しているようです。あとは、妻に感染しないかが心配なのですが… Dreaming Is Free タミフル半袖Tシャツ■新品■△▽[#MN#L#Fr#Po#ie]【あす楽対応_関東】【あす楽対応_近畿】【あす楽対応_東海】【あす楽対応_北陸】【あす楽対応_四国】【あす楽対応_中国】【あす楽対応_甲信越】
2009.12.22
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いっぱい寝たおかげで昨日の夜には体温も36度台まで回復。これはひょっとしてただの風邪かな? インフルエンザじゃないかな? と期待していたのですが、今朝になって検温してみたところ再び37度台まで上がっていたので、ガックリ。会社も休むことにしました。子供達はというと、下の子、上の子ともに具合が悪い模様。当然、幼稚園や学校はお休みです。なんでも、特に下の子のクラスでは、この風邪だか新型インフルエンザだかわからない症状が流行っているようで、既に数人の子供が幼稚園を休む予定とのこと。あまり好ましい表現ではありませんが、子供達の終業式はいずれも22日なので、心ならずも一足早い冬休み突入となりました。さて、今日は週が明けて月曜日。きちんと検査を受けておこうと、まずは子供達が、かかりつけでもある公立藤田総合病院の小児科へ。その間私はお留守番。本来ならば子供達と私とが同時に家を出れば効率的なのですが、我が家にはクルマが一台しかないし、外は一面の雪景色。健康であっても得意の(?)徒歩はしかねる天候です。子供達が診察・検査を受けて帰宅したのは、10時過ぎのことでした。結果は… やっぱり陽性。医師からは28日まで外出禁止を言い渡されてしまいました。となると私も陽性か? と心配を胸にしつつ、妻に送られて昨日伺った医院へ。今日も意外なほど混雑はしておらず、診察・検査はスムーズに進みました。そして結果は、なんと陰性!? 嬉しくはあるけれども症状的にそんなに変わらないのに子供が陽性で親が陰性とはこれ如何に? との心境です。早速、インフルエンザではなかったことと体調が回復し次第出社する旨、会社に連絡しました。あとは子供が心配。年末に温泉旅行に行く予定を立てている(参考)だけに、それまでには完全回復してくれると良いのですが…感染拡大!新型インフルエンザ(豚インフルエンザ)対策に!!マスクも除菌!【正規代理店】【豚インフルエンザ・ノロウイルス・O-157・食中毒・防カビ・水虫対策】携帯に便利!強力除菌・消臭カンファスイ50mlスプレーお1人様1本限定!初回限定!同梱可☆1円☆
2009.12.21
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朝。検温したところ体温は37.6度まで下がっていましたが、身体のだるさが抜けないため、休日当番医の所まで行ってきました。今日の休日当番医は、幸いにも以前受診したことがあった桑折町内の医院。我が家の近辺の休日当番医は伊達市・伊達郡を管轄する伊達医師会による輪番制で担当となっており、巡りあわせが悪い場合、はるばる旧梁川町あたりまで行かなければならないケースも出てくる(参考)。逆に、旧梁川町に住む患者にとっては、今日は受難の日かもしれません。午前9時の診察開始直前に、妻に送られて医院に到着。既に患者でいっぱいかと思っていましたが、意外なことに私が一番乗り。おかげで真っ先に受診することができました。気になる診断結果は、同僚が罹患していることを考えるとインフルエンザの可能性が極めて高いが今のところは陰性。ただし、ある程度時間をおいて検査すれば陽性に転化する可能性もあるので、熱が引かない場合明日また来て欲しいとのことでした。薬をもらって帰宅。食事もそこそこに、薬の力を借りて夕方まで寝てました。その頃下の子はというと、一日中寝ていたものの熱は下がらず、やはりこちらもインフルエンザの懸念がありそう。おまけに上の子までが、37度前半の微熱を記録。我が家はバンデミック状態と化しつつあります。突然襲ってくるバンデミックから身を守るために!立体タイプで一安心!N95規格・ウイルスカット・マスク・立体タイプ・一箱(20枚入り)
2009.12.20
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今日の夕方からどうにも身体がだるく、咳も止まらなくなってきました。これって、ひょっとして新型インフルエンザ? というのも、今日の時点で同じ部署の同僚2名が新型インフルエンザに感染中であり、私にもひょっとして移ったのかな? と思ったのです。それでも仕事はなんとかこなし終えて、帰りの電車。席に座っている間は動くこともないし暖房も十分すぎるほど効いていたので問題なかったのですが、降りようとして席を立った瞬間からが辛かった… 電車のドアにたどりつくまでの間にも2、3回溜息をつく始末。そして、駅を降りてから自宅までの道のりが最難関。折からの寒波も相まってもう寒いのなんのって。わずか5分の道のりですが、歯をガタガタ言わせながら歩いた次第。しゃべる元気も殆ど消え失せていましたが、なんとか「ただいまぁ」の声は出ました。リビングに入ると、なんと下の子も高熱が出たということで、福島市の夜間急病診療所まで行っていたとのこと。見ると、顔が土色。検査の結果新型インフルエンザは陰性とのことでしたが、まさか私から感染したのではないかと心配になります。私もまた、早速検温。結果は、なんと38.8度! 風呂も夕飯もせずに寝ることにしました。新型インプレ●● 1円販売 ●● マスク 1個 (10枚入) ● 【当日発送】● 緊急入荷 ● 新型インフルエンザ対策・衛生医療品・マスク
2009.12.19
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昨日の日記で「漢字をひっくり返しても駅名になる駅名」について、とりあえず九州地方の駅がらみで取り上げてみたのですが、振り返ってみると、東北地方の駅が登場しなかったんですよね。だもんで、時刻表の路線図をもう一度調べてみたら、ありました(笑)岩松駅(大村線・長崎県)⇔松岩駅(気仙沼線・宮城県)瀬高駅(鹿児島本線・福岡県)⇔高瀬駅(仙山線・山形県)やっぱり探すの大変ですね。こりゃ。ちなみに、岩松⇔松岩、瀬高⇔高瀬以外で東北地方の駅がらみでこのパターンができるのは、以下の通り。松島駅(東北本線・宮城県)⇔島松駅(千歳線・北海道)野内駅(東北本線・青森県)⇔内野駅(越後線・新潟県)山下駅(常磐線・宮城県)⇔下山駅(山陰本線・京都府)、下山駅(土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線・高知県)中豊駅(水郡線・福島県)⇔豊中駅(阪急宝塚本線・大阪府)北山駅(仙山線・宮城県)⇔山北駅(御殿場線・神奈川県)※1下馬駅(仙石線・宮城県)⇔馬下駅(磐越西線・新潟県)沢田駅(石巻線・宮城県)⇔田沢駅(篠ノ井線・長野県)田山駅(花輪線・岩手県)⇔山田駅(阪急千里線他・大阪府)川前駅(磐越東線・福島県)⇔前川駅(信越本線・新潟県)津谷駅(陸羽西線・山形県)⇔谷津駅(京成本線・千葉県)前山駅(奥羽本線・秋田県)⇔山前駅(両毛線・栃木県)中郡駅(米坂線・山形県)⇔郡中駅(伊予鉄道郡中線・愛媛県)中田駅(五能線・青森県)⇔田中駅(しなの鉄道・長野県)※2※1北山駅は京都市営地下鉄烏丸線(京都府)にもあり※2中田駅は牟岐線(徳島県)にもあり個人的に気に入っているのは、中郡⇔郡中です(笑)それにしても、このパターン、全国にいくつぐらいあるんでしょう?鉄道グラフィティー 米坂線
2008.06.06
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今日、銀行振込でちょっとした失敗をしてしまいました。原因は、某銀行の「田町支店」に振り込むべきところを「町田支店」に振込手続きをしてしまったこと。預金の種類(普通か当座か)や口座番号、あるいは名義のカナを間違ったことは結構あります(あったら困るが…)が、支店名の漢字を逆にしてしまったのは初めての経験。苦笑することしきりです。ところで、この「田町⇔町田」のように、地名の漢字をひっくり返しても地名になってしまう例は、探してみると、結構あるような気がします。だもんで、帰宅後時刻表を手に取り、駅名で検索。全国で20~30例ぐらいかな~ とたかをくくっていたのですが、出るわ出るわ! 時刻表の路線図で最初に出てくる九州の駅がらみだけでもこれだけ出てくるんです。原田駅(鹿児島本線・福岡県)⇔田原駅(北条鉄道・兵庫県)山本駅(唐津線他・佐賀県)⇔本山駅(名古屋市営地下鉄東山線他・愛知県)、本山駅(予讃線・香川県)※1谷山駅(指宿枕崎線・鹿児島県)⇔山谷駅(松浦鉄道・佐賀県)平川駅(指宿枕崎線・鹿児島県)⇔川平駅(三江線・島根県)原水駅(豊肥本線・熊本県)⇔水原駅(羽越本線・新潟県)浦上駅(長崎本線・長崎県)⇔上浦駅(西鉄甘木線・福岡県)吉富駅(日豊本線・福岡県)⇔富吉駅(近鉄名古屋線・愛知県)※2田野駅(日豊本線・宮崎県)⇔野田駅(大阪環状線他・大阪府)※3田吉駅(日南線他・宮崎県)⇔吉田駅(越後線・新潟県)、吉田駅(近鉄けいはんな線・大阪府)野中駅(松浦鉄道・長崎県)⇔中野駅(中央本線・東京都)崎山駅(平成筑豊鉄道田川線・福岡県)⇔山崎駅(函館本線・北海道)、山崎駅(名鉄尾西線・愛知県)、山崎駅(東海道本線・京都府)※1 山本駅は阪急宝塚本線(兵庫県)にもあり※2 吉富駅は山陰本線(京都府)にもあり※3 田野駅は土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線(高知県)にもありこりゃ、全国探せば70~80例ぐらいにはなるかも。探すのは骨が折れるけどいい暇つぶしネタができたなぁ(笑)杉ちゃん&鉄平『瞑想曲「浪慢鉄道」(JR九州社歌)』
2008.06.05
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私が起床したのは、午前6時半のことでした。いつもより1時間ほど遅い起床でしたが、我が家では一番の早起き。次に妻が目を覚まし、しばらく二人で話をしていたら、子供たちもムクッと起き出しました。朝食は8時半とのことなので、まずは朝風呂に漬かります。妻と下の子は女湯、私と上の子は男湯へ。「あせかいたから」と念入りに頭と身体を洗う上の子。風呂よりも洗う方に関心がいっているのにちょっと笑います。風呂上りは部屋に戻りちょっとくつろいでから、朝食場所の宴会場へ。メニューは和食です。温泉宿の朝食はバイキングが主流となり味気が薄れた観がありますが、この宿はそうではない点に好感が持てます。ただ、宴会場に設けられたお膳の数を見ると、10を少し超えたぐらい。ちょっと少ないかな? 穴原は飯坂の温泉街に比べると景気はいいようですが、それでも金曜の宿泊でこの調子では、心配になってしまいます。朝食を済ませ、売店でアイスを食べたら、いよいよチェックアウト。名残惜しいです。上の子はチェックアウト直前まで浴衣を身につけたままでした。宿を出た時点で午前10時。お昼は外食にする予定だったのでちょっと時間が余っています。そこで、北に8キロほど離れた山間の小集落・茂庭まで行くことにしました。実は私自身も茂庭や相馬市玉野といったこの種の集落が大好きで何度か訪れたりしている(参考)のですが、家族揃って訪れたのは初めて。集落のちょっと北、摺上川ダムのほとりにある摺上川ダムインフォメーションセンターでいろいろ遊んできました。子供たちはダムを紹介した模型などに興味を示していましたが、私の関心は、「ダムの底に沈んだ集落」について。今日初めて知ったのですが、水没した地域は1951~52年にNHKのラジオドラマで放送された「さくらんぼ大将」の舞台となった所だったんですね。せめてダムの工事が始まる前に茂庭を訪れていれば往時の片鱗に触れることができたのに… と悔やまれます。
2008.03.15
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2ヶ月ほど前にこんな日記を書いたのですが、実はその後応募し、当選していたんです。そこで、今晩泊りがけで出かけた次第。宿泊先は、飯坂の温泉街から少し離れた穴原地区にあるいづみや。HPを見てわかるように近代的な造りです。古びた建物が多い飯坂の温泉街に対し、街外れの穴原にはこの手の新しくて規模の大きい宿泊施設が結構あります。私は仕事だったため、妻と子供たちが先にチェックイン。夕暮れ前にお湯に入り、社長が直々に作ったという温泉玉子をほおばり、夕飯を食べと、まったりとした時間を過ごします。大きなお風呂(しかも露天風呂つき!)にも驚いていましたが、何より子供たちが気に入ったのが、浴衣。夏祭りや盆踊り以外で着用する機会がないだけに、着られるのがよっぽど嬉しいようです。私が宿に着いたのは、午後8時半。子供たちは寝ないで待っていました。家族揃ったところでもう一度お風呂に入り、その後私だけ夕食。本来の食事時間をオーバーしていたためおにぎりと鴨鍋というシンプルなものでしたが、それなりにおいしく戴きました。その後は布団に入ってテレビを見ながらゆるゆると就寝モードに入っていく訳ですが、ここで子供たちの対応が両極端に。相変わらず興奮気味に過ごした末にいつものようにグースカ寝入ってしまった上の子に対し、外泊経験が殆どない下の子は枕が変わって眠れない様子。ちょっと眠っては目を覚まし、泣きながら妻に甘えます。同じ兄妹でもこれほど違うのかと驚かされてしまいます。
2008.03.14
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奥州街道企画も今回で最後。白石~仙台編です。白石の城下町を出た奥州街道は、すぐに白石川を渡ります。が、それまで奥州街道につかず離れずの間隔で並行していたJR東北本線は渡河しません。約20キロ先の槻木まで、両者は白石川を挟んで対峙することになります。白石の市街地の外延となる福岡の集落を抜けると奥州街道は再び国道4号線と合流します。このあたりの国道は片側2車線。太くて立派です。沿道には東北自動車道の白石ICがあり、その周辺には工場がいくつか立地しています。温麺(うーめん)をはじめ地場産品の工場ぐらいしか見当たらない白石市街とは対照的な風景です。白石市から蔵王町に入ってすぐの所にあるのが、宮宿(蔵王町宮)。かつては山形とを結ぶ笹谷街道との分岐点であったせいか、それなりに規模の大きい宿場町です。宮宿では一時的に国道4号線から外れますが、松川を渡ると再び合流。このあたりの国道4号線は片側1車線。周囲には人家もあまり見られず、右手には白石川、左手には丘陵という風景になります。頭上を、東北新幹線の高架橋が跨いでいきます。JR北白川駅への道が分岐する篭石交差点を過ぎると大河原町。次の宿場町・金ヶ瀬(大河原町金ヶ瀬)は、町境からすぐの所にあります。奥州街道は、再び国道から分岐して宿場町へと入っていきます。金ヶ瀬で注目したいのは、家屋の玄関の向き。白石の片倉家によって形作られた西側の集落の玄関は白石の方向を、仙台の伊達家によって形作られた東側の集落の玄関は仙台の方向を、それぞれ向いているのです。近年では住宅の立替に伴いそのような傾向も薄れてきたとのことですが、それでもかなりの家屋が、上記の形態を保っています。金ヶ瀬宿の東はずれ、奥州街道と国道4号線が再び合流する位置にあるみやぎ生協の店舗を皮切りに、国道4号沿いにはロードサイドショップがずらりと並んでいます。人口2万人ちょっとの町とは思えないほど集積度が高いです。ある意味これが現在の宿場町なのかな? と思ってしまいます。旅情もへったくれもありませんが。華やかなロードサイドショップ街とは対照的なのが、大河原の宿場町(大河原町字町)。かつてはそれなりに賑わっていたようですが、客足を完全に奪われている今は、ひっそりとしています。東北本線からはハッキリと見える白石川河畔の一目千本桜も、奥州街道からではいまいち眺めがよろしくなく、その辺でも華やかさに欠けます。また、大河原あたりになると、むしろ宿場町周縁の新興住宅地が目立ちます。仙台駅から電車で30分の距離なので、通勤圏になるのも無理はありません。大河原の街を抜け、ちょっとだけ村田町を掠めて、柴田町へ。人口約4万人。東北地方最大級の町である柴田町もやはり、仙台への通勤者が多く住む町です。船迫宿(柴田町本船迫)もまた、新興住宅地の一角にある小さな宿場町。ここの特徴は宿場内の道路にやたらとクランクが多いこと。白河、二本松、福島、白石と旧城下町を通る奥州街道には敵の侵入に神経を尖らせる傾向が強いからか例外なくクランクがありましたが、船迫ほどの規模の宿場町でクランクが連続するのはどういう事情によるものなのでしょうか。ちょっとした謎です。船迫宿を過ぎてしばらく行くと、奥州街道は高架橋の上を行く国道4号線のほぼ真下を通るようになります。踏み台にされているようでちょっぴり不満が残ります。右手から国道349号線が白石川を渡って近づいてくると、槻木宿(柴田町槻木上町他)。ここもまたさほど規模の大きくない宿場町ですが、JR槻木駅周辺に新興住宅地が展開しています。槻木の町を過ぎると、右手間近に阿武隈川の堤防が近づいてきます。奥州街道と阿武隈川とが接近するのは伊達市以来。久々の再会です。その阿武隈川の河港でもあった玉崎の集落を通り、岩沼市へ。モクモクと煙を勢いよく吐いている日本製紙の工場が、街の入口です。国道4号線、次いでJR常磐線をアンダークロスすると、市街地に入ります。福島県浜通り地方を縦貫してきた陸前浜街道と合流し、日本三稲荷のひとつと称する竹駒神社の門前へ。この辺りからJR岩沼駅付近までの約1キロが繁華街です。大河原、船迫、槻木と仙台が近づくにつれ都市近郊の色に染まった宿場町が連続していますが岩沼は別格。意外に古い家が多く、門前町としても宿場町としも、それなりの風格を感じます。ただし、宿場町の周縁は、新興住宅地。岩沼もまた、ベッドタウンとして発展を続けている街なのです。細長く続く岩沼の街を抜けると、再び国道4号線に合流しますが、名取市に入ってすぐの所にある本郷の歩道橋付近で、奥州街道は左手に分岐します。東北本線の踏切を渡ると、周囲は広々とした田園風景。国道4号線沿道だけを見ると仙台から岩沼まで切れ目なく都市化が続いているようにも見えますが、ちょっと脇に外れるとそうでもないのです。県道仙台館腰線との交差点を渡ると、再び住宅地。JR館腰駅の近辺は新興住宅地が目立ちますが、奥州街道沿道には結構古い家屋が多いです。宿場町ではないですがそれに近い雰囲気は感じます。なお、この近辺には東北地方最大の前方後円墳である雷神山古墳がありますが、丘陵の上にあるため奥州街道からは姿を拝むことができません。再び東北本線の踏切を渡り、2007年春に開業したばかりの仙台空港アクセス鉄道の高架橋をアンダークロスすると、増田宿(名取市増田)。名取市の中心だけあって、岩沼にも負けないぐらい商店が充実しています。増田宿から先は住宅が切れ目なく続きます。仙台市に入っても似たような風景。やっと仙台市に入ったという感慨めいたものは、市境を跨いでも湧き上がってきません。仙台市に入って最初の宿場町・中田宿(仙台市太白区中田)も、これまでの風景からちょっと商店が増えたかな、という程度です。中田宿を過ぎると、名取川を渡ります。広々とした河川敷の向こうには、仙台のビル群や八木山の丘陵を覆いつくす新興住宅地が展開。ここでようやく、仙台の存在を意識します。かつては足軽の集落だったという諏訪町、現在副都心開発事業が展開中のあすと長町を通り抜け、2006年に高架駅として生まれ変わった長町駅の前に出ます。ここから先が、長町宿(仙台市太白区長町)。その名の通り細長く商店街が続いています。仙台市太白区の中心でもあり、人通りもそれなりにあります。日本発の鉄筋コンクリート橋と言われる広瀬橋で広瀬川を渡ると、いよいよ仙台の城下町。奥州街道は河原町、南材木町、穀町、南鍛冶町、荒町と、まずは若林区の下町を通ります。並行する国道4号線はクルマの往来が激しいですが、奥州街道は静寂そのもの。それでいながら沿道の商店街にはそこそこ活気が見られます。古き良き仙台が残っている印象を受けます。荒町の先で国道4号線と交差した後は青葉区に入り、田町(現・五橋二丁目)、北目町、柳町(現・一番町一丁目)、南町(現・一番町二丁目)へ。仙台市の中心街ではあるものの東北学院大学や東北大学に程近いせいか落ち着いた佇まいを見せています。そして南町の先で青葉通を渡ると、仙台城下町の道路原標である大町の芭蕉の辻に到着。仙台の城下町はここを基点に、奥州街道を南北軸、石巻街道を東西軸として街割が定められました。芭蕉の辻のすぐ先が、東北一の歓楽街として知られる国分町。ただし、歓楽街は広瀬通を渡った先にある二丁目の地域であり、その南にある一丁目は金融業者が多く、北にある三丁目は仙台市役所をはじめ公共機関が集中しているのが特徴です。国分町から北は、二日町、北鍛冶町(現・木町通二丁目)、通町、堤町と続きます。若林区内の奥州街道沿いに負けず劣らず、こちらも昔の仙台がしのばれる佇まい。仙台の街は第二次大戦中に空襲に遭ったので古い街並みは完全に消失したものと思われがちですが、それなりの歴史を感じる街並みは意外に残っているんです。
2007.11.14
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昨日四元さんと下の子がハイタッチしたことを書きましたが、その様子が「街道てくてく旅」で映ったそうです。嬉しいな(笑)私以上に喜んでいるのが妻で、「羽州街道もてくてく旅やってくれないかな?」なんて言ってます。確かに、面白そうな企画ですね。さて、今回は、福島~白石の奥州街道について紹介します。福島の城下町の北端は、JR福島駅方面からみて国道4号線を渡った先の豊田町。境界線をちょうど、国道114号線が横切っています。ですが、そこから先も、商店街が切れ目なく続いています。付近に福島競馬場や文教施設があるせいもありますが、何と言っても大きな要因は、1971年まで奥州街道の上を福島交通の軌道線が走っていたことでしょう。軌道敷は、伊達市長岡までの10キロ近く、奥州街道と共にありました。福島市のシンボル・信夫山の脇をかすめ、松川を渡河。ここから先の奥州街道沿道は、変哲のない住宅街となります。すぐ東側を国道4号線が通っており、こちらは裏通りの様相です。阿武隈急行の福島学院前駅の真下を通り抜けると、瀬上宿(福島市瀬上町)。周辺は相変わらず住宅街が続きますが、宿場町だけは蔵が見られるなど風格を感じます。味噌や醤油など醸造業を営む店も複数見られます。摺上川を渡ると伊達市(旧伊達町)に入りますが、住宅街はまだ尽きません。旧伊達町は宿場町ではありませんでしたが先に述べた軌道線の開通で東方を流れる阿武隈川の対岸にある伊達市保原町や梁川町、あるいは西方に位置する飯坂温泉への結節点となったことにより、発展をみた町です。国道399号線と交差ししばらく行くと、ようやく住宅街が尽きて田園風景となります。自治体も伊達市から桑折町へと変わります。再び住宅が増えてくると桑折宿(桑折町本町他)。ここで目立つ建物は、何と言っても擬洋風建築の旧伊達郡役所でしょう。建物そのものも趣がありますが、建っている場所が宿場町を見通せる位置にあるのがまたいいです。規模は違いますが山形の文翔館(旧県庁)と七日町の商店街との関係を彷彿とさせます。その山形、更には秋田を経由し青森市油川に至る羽州街道が、桑折宿の北端で分岐しています。分岐点には2006年に小公園が整備されています。半田山を左手に見ながら田園風景の中を歩くと、次の藤田宿(国見町藤田)。国見町の中心地ですが宿場町自体の規模はさほど大きくはありません。町中の電柱には源義経のイラストが掲げられています。かつてこの地は奥州藤原氏と源頼朝が戦火を交えた所であり、藤原氏方の軍勢が築いた防塁跡などの遺構が残っています。義経の腰掛松なんて木もありますが、果たして本当に訪れたのかどうかは不明です。次の貝田宿(国見町貝田)までの間の奥州街道は、果樹園などに姿を変えており正確にさかのぼることができない状態です。一応新旧の国道4号線があるので、どちらかを歩くことになります。宮城県との県境へと向かう上り勾配が延々と続きます。貝田宿は県境のすぐ近くにあります。古い家屋が多く残り、閑静な佇まいを見せています。宿場町を通り抜けるとすぐに宮城県。このあたりは国道4号線、JR東北本線、東北自動車道が絡み合うようにして通っており、「街道」を味わいたい人にとってはちょっと興ざめな風景となります。国道4号線から奥州街道が分岐すると、宮城県最初の宿場町・越河(白石市越河)。伊達62万石の最南端だからか、家々の構えが福島県内の宿場町に比べてずいぶん立派なものになります。ただし、立派な家々が続くのは県境近くの2、300メートルだけ。あとは他の宿場町と大差ない集落が続きます。JR越河駅が宿場町から2キロ近く北にあるせいかかなり細長く続いています。越河駅の北で奥州街道は国道4号線に合流しますが、鯉の養殖で知られる馬牛沼のほとりを通ると再び国道から分岐。斎川宿(白石市斎川)に入ります。小ぢんまりとした宿場町ですがどうにかならないものかと思うのは、集落内に廃屋が目立つこと。宿場町の中心であった検断屋敷からして空き家で、一歩間違えばあばら家寸前の状態です。斎川宿の先でまたまた国道4号線と合流。2キロ近い長丁場を共にします。大平の交差点で再び分離し、あとは白石の城下町まで一直線。白石城主だった片倉家の菩提寺・傑山寺のあたりが城下の入口。その先の田町で一本東の道路に入り、本町、中町と通ります。ちなみに中町は、福島県・宮城県の奥州街道を通して唯一のアーケード街。とはいえ昨今の地方都市の例に漏れず、人影はまばらです。なお、奥州街道は中町から長町を経て国道113号線に入り、亘理町、城北町と通ってマツダ麺業の工場の辺りで城下の北方を流れる白石川の河畔に出ていました。天守閣が復元された白石城付近に負けず劣らず城下町らしさが残っており、個人的にも気に入っている地域です。
2007.11.13
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奥州街道を歩く「街道てくてく旅」もいよいよわが地元・桑折に到達し、佳境を迎えています。明日は我が家の近くも歩くのかなぁ? ちょっとワクワク。ところで、白河から仙台までだったら、一応私も奥州街道を歩いているんですよね(参考)。だもんで、沿道の印象ぐらいは、語ることはできます。以下、ダイジェスト版で、数回に分けて紹介してみましょう。今回は、白河~郡山編。松平氏の城下町・白河は、周囲の山が際立つ街です。奥州街道の宿場町となっているのは白河駅の南側に位置する中町、本町ですが、谷津田川を挟んで南側が丘陵になっており、奥州街道(国道294号線)が栃木県方面へ出るにはこれを越える必要があります。街の北側も、阿武隈川を渡った先で軽い山越え。越えた先で奥州街道は国道4号線に合流します。国道を1キロほど北東に進むと最初の宿場町・根田(白河市萱根)。入口には根田醤油の工場があります。この工場の面白いところは、敷地内に簡易郵便局があること。この会社が地域に及ぼす影響力は結構強いのかなと思います。なお、宿場町は国道4号線から外れていますが、道は幅員が広く立派な歩道が設けられています。再び国道4号線に戻り3キロほど歩くと、小田川宿(白河市小田川)。根田に比べると歴史を感じさせる家屋が多く、宿場町らしさを感じます。惜しむらくはかつて街道沿いを流れていたと思しき堀を暗渠にしてしまっていること。逆に堀がそのままに流れているのが、次の太田川宿(泉崎村太田川)。宿場内の道路は根田、太田川と違って歩道もセンターラインもありませんが、宿場町らしさは満点。二本柳(二本松市)、貝田(国見町)と並んで、福島県内では三指に入る景観だと思います。同じ泉崎村内にある踏瀬(泉崎村踏瀬)は、いまいち特徴のない宿場町。ただ、集落内に「箭内」という表札が多く見られ、それなりの個性も感じます。踏瀬宿の先には、松並木が展開。明治時代に植えられたものとのことですが、見事な赤松林です。泉崎村から矢吹町に入るとそれまで農村風景だった景観が一転して山道に。地図上ではこのあたりに山岳や丘陵は確認できないので、一瞬面食らいます。抜けた先が大和久宿(矢吹町大和内)。隣の中畑新田宿(矢吹町新町)もそうですが、旧家が立ち並ぶだけで取り立てて特徴はありません。ただ、このあたりの宿場町の家々には、塀の代わりに生垣を設けているところが多いです。中畑新田と地続きと思われるほど近くにあるのが矢吹宿(矢吹町中町他)。商店も多くそれなりに栄えた宿場町であることが伺えます。矢吹宿を過ぎるとすぐに鏡石町。郡境(西白河郡→岩瀬郡)、そして国境(磐城国→岩代国)を越えることになりますが、それらしい重厚さはぜんぜん感じません。鏡石町内の久来石(鏡石町久来石)、笠石(鏡石町笠石)の両宿もまた踏瀬、大和久、中畑新田と似たようなたたずまいで、金太郎飴状態です。ただし、JR鏡石駅付近から北の奥州街道沿いに展開する集落とこれらの宿場町とは、家々の造りというか雰囲気は、かなり違っています。巧く表現できませんが、久来石、笠石の家屋を「家」とするならば鏡石駅以北の家屋は「住宅」ですね。その住宅が延々と続く地域を過ぎると、須賀川市。奥州街道は一時的に国道4号線に合流しますが、すぐに別れます。別れた先にあるのが須賀川一里塚。踏瀬の松並木以来の街道を感じさせる遺構です。なお、この一里塚付近の地名は「須賀川市一里坦」。須賀川市や郡山市ではこの「坦」を使った地名が多いようですが、このあたりの「坦」は「平坦」などの熟語にみられるような平地の意味ではなく、むしろ「塚」あるいは「壇」といった小高い土地の意味に使われているようです。福島空港へと向かう国道118号バイパスを過ぎると、須賀川宿(須賀川市中町他)。繁華街は無電柱化が進んだ近代的な商店街で、かつての大宿場町の面影はあまり残っていません。沿道にはマンションも数件見られ、現在の須賀川市が郡山市のベッドタウンとして発展を見ている片鱗も伺えます。奥州街道は釈迦堂川を渡って、JR須賀川駅前へ。ここから先は区画整理が行われているため、奥州街道の跡をたどるのはちょっと難しくなっています。郡山方面を目指すには、須賀川駅のすぐ東にある上人坦地下歩道を渡らなければなりません。上人坦から先はしばらく住宅地が続きますが、それが途切れると一転して田園風景に。これまで街道のはるか東を流れていた阿武隈川も、チラッとですが姿を現します。JR水郡線の踏切を渡るといよいよ郡山市。市内に入って最初の宿場町が笹川(郡山市安積町笹川)。現在の郡山市安積町の中心地区ですが、宿場町は意外なほど小さいです。なお、宿場町の北はずれには笹の川という造り酒屋もあります。笹の川の工場を過ぎると、笹原川を渡ります。橋上からは左手前方にビッグパレットふくしま(福島県産業交流センター)の大きな建物を目にすることができます。この建物は国道4号線沿道にありますが、クルマがひっきりなしに走っている国道に対して、奥州街道はクルマの往来も少なくどこか素寒貧とした印象です。それでも沿道は新しい住宅が立ち並び中核市・郡山の近郊らしくなってくるのですが、笹川の次の日出山宿(郡山市安積町日出山)付近は旧家が目立ち、古くからあった集落だということが伺えます。ただし、次の小原田宿(郡山市小原田)は、郡山市中心部から延びている商店街の外延となっており、宿場町らしさはあまり伺えません。小原田宿を過ぎると東北本線の踏切を渡り、いよいよ郡山市中心部へ。かつての郡山宿(郡山市中町他)ということになりますが、その中心に位置する中町や大町一丁目は歩行者天国の繁華街となっており、宿場町らしさはまったく残っていません。ただしその南北に隣接する本町および大町二丁目は、意外に宿場町らしい(というか、1960年代を髣髴とさせるような)景観が残っていたりします。
2007.11.11
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(その1より続く)さて、気を取り直して試合開始。イーグルスの先発は、オールスター明けに復帰してから好調が続く岩隈。ですがいきなり初回から、3番ラロッカにタイムリーを浴び先制されてしまいます。次は目下ホームラン、打点の二冠王である4番ローズ。並の投手だと浮き足立って傷口を広げてしまうところですが、さすがは岩隈。落ち着いたピッチングでローズを三振に討ち取ると、続く5番アレンも三振。ピンチを切り抜けます。さて、1回裏のイーグルスの攻撃。これまで座っていたライトスタンドの観客が、総立ちになります。フルスタだと座ったままの応援になるのですが、ここではどうして立ち上がる? 当然、子供は「みえない」と訴えます。結局、肩車しながら、イーグルスの応援をすることに。一昨日のマリーンズ戦でのサヨナラ勝ちの勢いがまだ残っているのか、イーグルスの攻撃には元気がありました。一死後に2番高須がレフト線に2ベースを放つと、3番鉄平のショートゴロの間に三塁に進み、4番山崎のタイムリーであっという間に同点に追いつきます。続く2回、バファローズ三者凡退の後を受けてのイーグルスの攻撃がまたすごかった! エラーで出塁した7番礒部を二塁に置いて9番嶋がまさかの一発を左中間スタンドに放り込みます。喜びに沸き立つライトスタンド。隣に座っていた知らぬ同士がハイタッチで喜びを分かち合います。イーグルスはこの回更に1点を加えて4-1とリードを広げます。長い攻撃が続き、子供を肩車している私は汗まみれです。立ち上がりこそやや不安定な岩隈でしたが、リードをもらってからは尻上がりに調子を上げ、バファローズ打線に付け入る隙を見せないピッチング。圧巻だったのは、1回から5回までの毎回、3アウト目の打者を三振に討ち取っていたこと。岩隈については三振の取れるピッチャーというイメージは持っていなかったのですが、今日に限っては往年の桑田真澄を彷彿とさせる胸のすくピッチングです。5回裏、そろそろ追加点が欲しいイーグルスは、一死後、山崎がライト線ギリギリにポトリと落ちるラッキーな3ベースを放ちます。中盤以降スコアリングポジションにランナーを進めると流れるのが、八木山ベニーランドのテーマソングをもじったチャンステーマ。フルスタだとこのメロディーに乗せて「♪GOGOGO イーグルス 杜の都の牛タンパワー」と歌うのですが、山形だと「山形球場玉こんパワー」盛岡だと「ここは盛岡じゃじゃ麺パワー」と歌詞が若干異なるとのこと。ならば福島だとどうなるのだろう? と以前から気になってました。回答は如何? と期待していたのですが、残念なことに「杜の都の牛タンパワー」の歌声。年に一度しか来ないけど、福島バージョンの歌詞も作ってくれればなと思った次第。私の落胆が乗り移ったのか、この回のイーグルスはチャンスを逃し無得点に終わってしまいます。が、ビッグイニングは次の6回裏にやってきました。一死後に嶋がシングルヒットを放つと、トップの渡辺直人がなんと送りバント。2アウトになるというのに得点圏打率リーグトップの高須のバッティングに期待するという策に出ます。ややギャンブル性が強いように思えましたが、結果的にこれが大成功! 高須がレフトに2ベースを放って5点目を叩き出すと、続く鉄平も今度はライトへ2ベースで6点目。更に山崎がセンターに運んで7点目。5番リックがシングルヒットで続いた後6番フェルナンデスがまたまたタイムリーを放って8点目! 実に5連打の猛攻で、一挙に4点が入ります。それにしても、イーグルスは2アウトから連打で得点するケースが多いですよね。ホームランもいいけれど、連打による得点も、また気持ちいいです。これで試合をほぼ決定付けたイーグルス。子供がそろそろ眠くなる時間帯に差し掛かるので、ラッキーセブンの風船飛ばしを見届けてから、帰宅することにしました。試合結果はカーラジオで確認。試合終了のコールは大笹生のフルーツラインあたりで聞いたかな? 試合後のヒーローインタビューには岩隈と嶋が答えていました。嶋のハキハキとした応対ぶりが、非常に目立っていました。
2007.08.14
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今日は、通算4度目となる家族でのイーグルス戦に出掛けます。相手は最下位争いを繰り広げている(涙)バファローズ。イーグルス・山崎、バファローズ・ローズのタイトル争いも相俟って、熱戦が期待されます。ただし、観戦場所は、過去3回訪れたフルスタではなく、地元福島のあづま球場。しかもナイターで、朝型生活の我が家にとってはコンディション維持が難しいところ。昼食を摂った後みんなで昼寝をし、体調を整えます。マイカーで自宅を出発したのは午後3時。あづま球場まではクルマで40分ほどの道のり。だから6時の試合開始に余裕で間に合うのですがそれでも早めに家を出たのは、球場がやや辺ぴなところにあり、試合直前には球場付近はクルマでごった返すのではないかとの懸念があったから。心配はある程度当たっており、我々が球場に着く頃には既に沢山のお客さんが球場の周りに列をなしていました。混雑はともかくとして、お客さんが多いのは嬉しかったです。「東北」の名を冠しているとはいえイーグルスは「仙台のチーム」の印象が強く、福島県という狭小な地域にこだわる地元マスコミはその存在を無視しがちなのが現状。ではあるものの、今年はそれなりに他球団と渡り合っているおかげか福島にもイーグルスファンがそれなりに増えてきているようです。そんなファンの中から、妻に声をかけてきた男性が一人。振り返ると、なんと妻の中学時代の同級生でした。近所にイーグルスファンがいないのを不満に思っていた妻ですが、まさか同級生が来ているとは! と驚きの表情。訊くと、彼はフルスタにも何度か訪れているイーグルスファンとのことで、今日も徹夜であづま球場に並んでいたとのこと。今回観戦を予定しているあづま球場の外野スタンドは芝生席である意味場所取りは花見と同じ状況。でも、彼が早くから球場に来ていたおかげで、ライトスタンド(福島ではイーグルスは一塁側なのだ)に陣取ったイーグルス応援団のすぐ近くという上席に、場所を確保することができました。そう。今日の注目の一つは、イーグルスの応援団。フルスタではトランペットの演奏が禁止されていますが、あづま球場では解禁されているので、応援方法がどのように違ってくるのかが気になるところ。横目で見ると、トランペットを練習している応援団が数名。クラリネットやリコーダー(笑)を取り出す変わり者もいます。試合開始直前、我々を前に、応援団の幹部の人(この人、フルスタでも見かけたような…)が、説明します。「仙台ではトランペットを使った応援ができませんが、福島ではトランペットを使いたいと思っています。そこでお願いがあるのですが、逆に皆さんのメガホンを使わないで、できるだけ手拍子で応援していただけることはできないでしょうか。強制ではありませんが、ご協力願えると嬉しいです。」なるほど~ ペットありのメガホンなしで応援するって訳ね。仙台では体験できない、面白いスタイルです。球場の中でもセレモニーが始まり、徐々に緊張感が高まりつつあります。フルスタのスタジアムDJである古田優児のアナウンスが、場を更に盛り上げています。しかし、そんな時、ムードをブチ壊しにする出来事が。イーグルスの主催試合では必ず君が代の合唱ないしは演奏が行われるのですが、その最中に、バファローズの応援団が選手の応援歌を延々と流し続けていたのです。「何やってるんだ!」「失礼だろ!」怒りをあらわにするイーグルス応援団。私も同じ気持ちでした。まさに、あのオーナーにしてあの応援団ありという印象でしたね。まぁ、イーグルスのオーナーも決して褒められた人物ではありませんけど(苦笑)…その2に続きます。
2007.08.14
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(前の日記からの続き)そんな訳でイーグルスファンにとっては消化不良気味だった今日の試合でしたが、家族はそれぞれに観戦を楽しんでいました。選手の応援歌をメモ帳に書き込んでいた妻は、完敗に「くやしい~」と連呼しつつも、「これだけ悔しいんだから、私もファンなのかな?」「今度はいい思いをしたいなぁ」と前向きな発言があったし、上の子も「こんどいったときのれんしゅう」とか言って帰宅後もメガホンをバチバチ叩いていました。そして驚いたのが、下の子。試合中に一生懸命声を張り上げて応援していたんですよね。「いそべ! いそべ! お~~っ い・そ・べ!!」とかね(笑)試合後半は眠かったのか疲れたのか元気がなくなってしまいましたけど、憧れているゴールデンエンジェルズのお姉さんが登場した時には笑顔を見せていたし、家族の中で一番試合を楽しんでいたんじゃないかと思います。さて、次回の観戦予定は、8月14日に福島はあづま球場で開催されるバファローズ戦。あづま球場自体実は初めて訪れる所だし、また鳴り物禁止のフルスタでは見られない応援スタイルにも興味深々です。ただ一点、ナイターだというのが気がかりです。子供たちは最後まで起きていられるかな?
2007.06.03
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今日は、今年初めて家族揃ってフルスタでの野球観戦。イーグルスが勝率5割ラインをうかがう健闘ぶりを見せているだけに、期待が高まります。しかし、試合前に発表された先発投手を見て、かなりびっくり。相手のカープがエース・黒田なのに、イーグルスは先発では勝った経験がない左腕・松崎だったのです。本来ならば5月27日のベイスターズ戦で好投した山村の出番のはずなのに、どうしたことでしょう? イーグルスファンで埋まったレフトスタンドからも、驚きの声が多数上がっていました。後日聞いた話だと山村は首を寝違えて急きょ先発を回避したとのことで事実4日には1軍登録を抹消されることになるのですが、そんな情報は真に受けない方がいいでしょう。松崎先発の意味、それは、(1)デーゲーム12連勝と好調を維持している黒田とのまともな対決を避けた。(2)かつ、松崎が、8日、9日に開催されるジャイアンツ戦に使えるかどうかのテスト。ジャイアンツ打線は高橋由伸、小笠原、李、阿部と左打者が多いですからね。といったところでしょうか。いずれにせよ、捨て試合覚悟で松崎を先発させるとは、野村監督も肝が据わっていますね。また逆に、今日のゲームを捨て試合覚悟にするということは、5日、6日に開催されるタイガース戦に勝ちに行くということを意味します。ローテ通りに行けば、タイガース戦の先発は永井と田中。一方タイガースの先発は下柳が確実であとは不調の福原か外国人だろうから、「悪くても1勝」の腹積もりなんでしょう。ところが、蓋を開けてみると、松崎が5イニングを失策がらみの1失点に抑える好投。黒田が無失点に抑えているのでこのままいけば負け投手になりますが、試合を作ったことは評価していいでしょう。ただし、初回に1アウト1、2塁、4回にノーアウト満塁のピンチを招いていますから、カープの屈攻に助けられた感はあったんですけどね。松崎の後を継いで6回から登板したのは、なんと青山。これで、松崎を先発させた意図が、もう一つ見えてきました。(3)松崎が打たれて敗戦投手になることを見越して、勝敗のつかない場面でこのところ不調が続く青山を中継ぎで登板させて自信を回復させる。しかしこの青山、どうもピリッとしません。6回、7回と無失点に抑えますがランナーを出す不安定ぶり。そして8回表にタイムリーを打たれて2-0。点差を広げられてしまいました。2点差になったことで、攻撃にも微妙な影響が及びます。8回裏のイーグルスの攻撃は先頭の8番・鉄平が内野安打で出塁する幸先の良い出だし。ところが続く藤井の代打・鷹野が最悪の併殺打でチャンスを潰してしまいます。もし1点差なら、藤井にバントさせてスコアリングポジションにランナーを進め、1番・渡辺直人、2番・高須のバットに期待したんじゃないでしょうか。結局、9回も三者凡退に終わったイーグルス。黒田に完封を許してしまいました。そう言えば、今日の試合では一度も、八木山ベニーランドの替え歌のチャンステーマが流れなかったなぁ…
2007.06.03
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再びSに送られて湯沢駅に戻ったのは、午後3時を少し過ぎた頃でした。駅前広場で別れ、一人ぼっちになった私。あとは、非日常の空間から日常へと帰るだけです。でも、湯沢発の上り電車の時刻が、16時07分と多少間があります。待合室でボーッとしているのも辛いものがあるので、バッグ3つ分の荷物をコインロッカーに放り込み、湯沢市内を散策することにしました。まずは、駅前から東にまっすぐ延びる道を歩きます。この道路は、駅のすぐそばを南北に縦貫している国道13号線の交差点から先がサンロードと呼ばれるアーケード街になっており、おそらくは湯沢の目抜き通り。でも、多くの地方都市の例に漏れず、湯沢もまた、人通りが殆どありません。お年寄りと、あと学校帰りとおぼしき小学生がチラホラといった具合。沿道の店もやや古ぼけた印象で、廃業して久しいとおぼしきスーパーが未だに廃墟のまま残っていたのが、印象的でした。ただし、平成の大合併前の人口規模が湯沢と同規模(3万人台半ば)の二本松市や角田市と比べると、市街地自体はしっかりしていると思います。旧国道13号線との交差点を左に折れ、これまたアーケードが設けられている旧国道13号線の柳町通りを北上します。200メートルほど歩くとアーケードはなくなりますが、商店街はその北にも続いています。国道398号線との交差点を渡り、湯沢を代表する酒蔵・両関酒造の純和風で風情ある社屋の前まで歩きます。湯沢駅前から1キロちょっとは歩いたでしょうか。この辺りまで来るとさすがに商店の数も減ってきます。ただし、酒蔵の周辺というロケーションだからか、酒の小売店が目立ちます。この傾向は、二本松の大七酒造周辺でも見られました。両関の少し先にある小路を右に入り、そこから国道13号線へと出ます。都市の国道といえば湯沢のような小規模な地方都市でも市街地を大きく避けてバイパスが設けられるケースが多いですが、湯沢の場合は旧来の市街地と駅との間にバイパスが通っています。高速道路が整備されつつある秋田県南部ですが、隣の山形県との境を超えるにはこの国道13号線を使わなければなりません。そのせいか、クルマが頻繁に行き交い、にぎやかな印象があります。このインフラ事情が、湯沢の実勢を人口以上に大きく見せているような気がします。ロードサイドショップもそれなりに充実していますが、面白いのは、国道沿いに飲み屋街が展開していること。スナックのネオンが、飲めない、いや飲んではいけない運転手を誘っている様子にはちょっと笑えます。その国道13号線から柳町のアーケードに向かって、ちょっと気になる通りが延びています。その名も「ジークブルガー通り」湯沢と姉妹都市になっているドイツのジークブルク市の街並みを模したのか、沿道の商店がドイツ風の外観になっているのです。湯沢程度の、と言っては失礼ですが小都市で、このような街並みを見られるとは思いませんでした。ジークブルガー通りは柳町のアーケードとの交差点で終わりますが道路自体はそのまままっすぐ西へと延びているので、とりあえず直進し、湯沢の裏町を歩きます。商店街とは勝手が異なり平凡な住宅地ではありましたが、そんな中にも明治時代中期に建てられたという旧雄勝郡会議事堂のような趣ある洋館があったりして、湯沢の懐の深さを感じます。再びサンロードを歩き、電車が出る10分前に湯沢駅着。短時間でしたがなかなか充実した散歩でした。
2007.05.14
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状況次第によっては早朝散歩も考えていたのですが、前夜の行状もあり、とてもじゃないけど早起きできる状況ではありませんでした。目が覚めたのは、午前8時。Aからの内線によってでした。「Sがさぁ、今朝俺の部屋に来て『秋田を案内してあげるから』と言うんだよね。お前も行くか?」とのこと。この背景にはAが帰りに利用する秋田空港→新千歳空港の便が16時10分発であり今日の日中に時間を持て余すという事情があったのですが、披露宴が終わった直後のSどころか奥さんのRさんも同行して案内してくれるとの由。他にやることがあるんじゃないかとS夫妻の身を案じながらも、わざわざ我々のために時間を空けてくれたことを素直に感謝します。ちなみに、Sの誘いに乗ったのは、Aと私だけ。Jは9時49分に湯沢を出る列車に乗って早々と高崎に帰ってしまったし、クルマで来たNも、国道13号線経由でゆっくり帰りたいとのことで早めに湯沢を後にしました。彼らの帰り際を、ホテルの玄関でAやS夫妻と見送りました。「今度いつ会えるかな?」「おまえ(Nのこと)の結婚式だろ!」そんなやりとりがあったと思います。なんだか名残惜しくなって、去り行く彼らの後ろ姿を、いつまでも見ていました。で、Aと私はというと、Sの運転するクルマでしばし秋田観光。Sが案内したい場所は既に決まっていたようで、最初の目的地は、秋田空港に程近い大仙市西仙北にある温泉施設・ユメリア。ここには故郷である当地に昨年Uターン移住した俳優・柳葉敏郎の展示コーナーがあるとのこと。柳葉が移住したのは知っていましたが、そういう施設があるとはまったく知りませんでした。湯沢から高速に乗り、まずは西仙北のICへ。このICにはSAも併設されており、ここでまたお土産を買ってしまいます。ICからユメリアまでは20分程度。結構立派な建物で、しかも玄関の脇には柳葉が寄贈した自転車が並んでおり、「ギバちゃん号」なんて名前をつけられてレンタサイクルになっていたりします。「ギバちゃんの部屋」と銘打たれた柳葉の展示コーナーは、ユメリアの1階にありました。入口には柳葉の大きな写真、そして直筆のメッセージが書かれていました。そして肝心の展示物はというと、やはりというべきか「踊る大捜査線」の室井慎次役に絡むものが多く、次いで一世風靡セピア関連でしょうか。でも地元ならではの展示物もいくつかあって、特に驚いたのが、毎年2月に地元・西仙北は刈和野で開催される大綱引きに柳葉が参加している写真が展示されていたこと。他にも少年野球など地元のイベントに積極的に顔を出す柳葉の様子が紹介されており、俳優ではなく地元民(あるいは名士?)としての表情が伺えたのが、収穫といえば収穫でした。ユメリアを出るころには、時刻はもう12時近くになっていました。「何食う?」Sが訊きます。「うどんかなぁ?」前日の痛飲の影響か、身体に優しい食べ物をチョイスするAと私。その時私は西仙北に近く大仙市の中心でもある大曲(ちなみに、Rさんの出身地でもある)あたりで食事するものかと思っていたのですが、「んじゃぁ、秋田まで出るか!」Sが意外な一言。仕事柄週に一度は秋田市に出ているというSですが、披露宴の疲れが残っている今日も運転とは… 更に疲れされてしまわないかちょっと心配になります。再び西仙北のICから高速に乗り、秋田を目指します。車内では、長距離移動の話に。個人的には100キロ近くある湯沢~秋田間の移動ですらそれなりの勇気を要することだと思うのですが、Sにとっては100キロ程度の距離は何でもないらしく、まとまった買い物などは高速を飛ばして盛岡や仙台まで行くこともあるんだとか。仙台に行くんだったら一言声をかけてくれれば会いに行くんだけどなぁ… でも、出かけるときはたいていRさんと一緒だろうから、かえって邪魔か(笑)秋田南ICで高速を降り、広々とした田んぼの中を秋田の市街地へ。秋田駅近くの立体駐車場に車を停めます。お昼の場所は、秋田駅前は西武デパートの地下にある稲庭うどんの店・七代佐藤養助。地元湯沢市稲庭を拠点に、東京銀座や福岡天神にまで店舗を出している老舗です。稲庭うどんのメーカーというと、ここと寛文五年堂が二大勢力。笹かまぼこや牛たんといった仙台の名産品も複数のメーカーがしのぎを削っていますが、やはり、それなりに知名度のある土産品は、その背景にメーカーの切磋琢磨があるようです。お店で食べたのは、冷たいうどんと比内鳥の炊き込みご飯のセット。箸休めにいぶりがっこまでついていて、まさに秋田の郷土料理と呼べる一品でした。昨日あれだけ飲んだのに食欲は旺盛。すっかり気分を良くしてお腹いっぱいとなり、いざ勘定という時、またもSが一言。「ここ、俺がおごるから」え、いいよ、と断りかけたものの、結局彼の好意に甘えることと相成りました。今日は何から何までSの世話になっています。お礼を言うと「いいえ~」と答えるのは、なんとRさん。終始口数の少なかったRさんでしたが、「Sの妻」という立場で接してくれたのにはちょっと嬉しく感じました。口数が少なかったのも、ひょっとしたら我々への配慮なのかな?店を出た後は、西武の地下にある土産品コーナー、更には秋田駅ビル内のお店で、Aと二人でお土産を買い込みます。昨日もお土産を買ったし、披露宴の引出物もあるし、荷物が相当に膨らんでいます。ところで、秋田駅まで来たのなら、ひょっとしたらここから秋田新幹線に乗った方が早く帰れるんじゃないかということに気づきました。「俺、ここで帰ろうかな?」つい口にします。でも、SとAに止められました。結局、Sに湯沢まで送ってもらうことに。という訳で再び旧友とのひとときを過ごすことになったのですが、やはり、別れの時は刻々と近づいていました。時計を見ると、午後1時半。そろそろAを秋田空港まで送らなければなりません。空港には、2時少し過ぎに着きました。「んじゃぁ、行くわ」そう言い残してAは、我々の前から立ち去っていきました。JやNの去り際と同様に、Aの後ろ姿をいつまでも眺めていました。今度はいつ会えるんだろう? 30代も半ばに差し掛かり、学生時代がどんどん遠ざかっていく私たち。30代のうちに一度は集まりたいな、と思いました。
2007.05.14
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Aの部屋でしばらく喋っていた我々は、披露宴開始予定時刻の10分前に、受付が設けられたホテルの1階へと向かいました。行ってみたら、すごい人だかり! 新郎のSの家は地元で建設業を営んでおり(S本人も専務取締役です)、披露宴には業界関係者を中心に200人以上列席すると事前に聞かされてはいたのですが、実際に目の前にすると圧倒されます。ホテルの玄関から受付までのスペースにはハッピを羽織った従業員がズラリと並んでおり、結婚披露宴というよりSの会社のパーティーといった雰囲気すら感じます。受付でもらった席次表を見ると、その様子がよりハッキリとした形でわかります。高砂席の周囲には地元の首長や議員、取引先や同業者が陣取り、我々は場違いな所に来てしまったのかなと萎縮します。Aは披露宴で友人代表の挨拶をすることになっており「俺、本当に挨拶していいのかな?」とちょっとナーバスになっていました。ホテルの従業員から案内があり、2階にある披露宴会場へと移動。入口では新郎新婦とその親がお出迎え。既に先月中に地元の神社で挙式を挙げていたので、新婦は色打掛スタイルでした。列席者の入場に時間がかかったせいか、予定より10分近く遅れて披露宴がスタート。まずは新郎新婦が入場し、司会者から彼らのプロフィールとなれ初めが紹介された後、来賓の挨拶。これが長かった(笑)普通は新郎新婦各1名ずつの挨拶なのでしょうが、Sの場合は社会的立場もあるのでしょうか、なんと3名も挨拶がありました。新婦側の挨拶も含めて、挨拶にかかった時間、なんと40分超! 祝辞でこの調子ではこりゃ日帰りは無理だなと、改めて首をくくった次第です。しかも、挨拶が終わった後に、祝電披露。自民党の地元代議士や地銀の頭取からも祝電が届き、改めてビックリ! これまで友人として接していたSの姿が、はるか遠くに霞んできます。ちなみに、祝電で気になったのは、政治家系から届いたと紹介されたのが自民党の人ばかりで民主党系の秋田県知事や共産党系の湯沢市長からの祝電は紹介されなかったこと。この辺、ある種の生臭さを感じました。あ、そうそう、秋田県南部が地盤だった村岡兼造被告からも祝電の紹介がなかったなぁ(ただし、被告のご子息が列席してました)。長かった祝辞、祝電披露が終わり、ようやく乾杯。乾ききった口の中に、まずはシャンパンを1杯。後はビールと日本酒をチャンポン。場違いな所に足を踏みいれたなという気恥ずかしさも手伝って、アルコールを立て続けに摂取します。だもんで、料理が運ばれてきたものの、どんな味だったかわからずじまい。勿体無いことをしました。主役の新郎新婦の方も、祝宴開始直後にお色直しのため中座。こうなると、もう飲み食いしかすることがありません。この後友人代表の挨拶が控えているAも私と一緒に日本酒とビールをチャンポン。JとNは、同じテーブルに座っていた功刀先生の独演会の聴衆と化しています。ようやく新郎新婦が戻ってきて、ウエディングケーキへの入刀。そして友人代表の挨拶となります。Aが紹介され、壇上に登場。あれだけ飲んでいたはずなのに、スピーチ中は堂々とした態度。懐に忍ばせておいたアンチョコにも目を通すことなく話し終えました。酔っ払っていてもやるときはやる。Aの矜持を感じました。さて、次は私の番です。何故私? 実はSから余興の依頼を受けていたのです。Sは「招待した4人で歌でも…」という話だったのですが、最終的に、なんと私がメインボーカルを張る羽目になってしまったのです。AもJもNも私よりはるかに歌が上手なはずなのに、Aは「俺、友人代表の挨拶やるし…」と余興では裏方に回る意向を示し、現在も前橋男声合唱団で活躍するJも遠慮がちな態度。Nに至っては事前に何度も電話したものの当日まで連絡がとれずじまいで、結局私がメインとなってしまったのです。乾杯直後からガンガン飲んでメートルを上げていた背景には、実は「みんなが見ている前で、飲まなきゃ恥ずかしくて歌えないよぉ」という気持ちもあったのです。ところが、どうやらそれは杞憂だったようです。余興を頼まれた招待客は他にも何組かおり、しかもそれぞれの招待客が酔っ払っていて披露宴のプログラムなんて忘れている状態。つまり、「誰も聴いちゃいない」ところで歌うことになりそうな気配だったのです。更に言えば、新婦がお色直しで2度目の中座。こんな所で歌うのが先ほどとは逆の意味で恥ずかしくなりました。弾き語り、民謡、仮装と何でもありの余興が続き、いよいよ我々の番。曲目は、米米CLUB「浪漫飛行」半ばやけくそな気持ちで、1番を歌います。間奏、そして2番となった時、ちょっとしたハプニングが。なんと、高砂席からSがやってきて、2番のメインボーカルをとっているではないですか! 我々の惨状を見るに見かねての行動だったのか(笑)とりあえず御役御免となった私は、Sの後方で手拍子に終始するのでありました。余興が一通り終わり、Sもお色直しのため中座。この辺になると私も周囲ももう完全に出来上っていて、披露宴が始まってから何時間経ったのか全然わからなくなっていました。お色直しを終えた新郎新婦が入場し、キャンドルサービスを行います。披露宴のテーブルが35卓もあるのでそのすべてを回っていたら30分以上は確実にかかっていたはず。でもそんなにかかったようには感じなかったなぁ。長かった披露宴が終わり、半ば酩酊状態のまま、二次会の会場へ。披露宴でSと話せなかったから二次会でいろいろ話せれば… と思って訪れた二次会ですが、予想に反してというか予想通りというか、当の本人がなかなか現れません。その間手持ち無沙汰なので、隣に座っていた見知らぬ人たちと、いろいろしゃべくってました。まずしゃべったのは、Sの小中時代の同級生だというHさん。土木作業に従事しているとのことでガタイも外見も荒っぽいイメージだし言葉も秋田弁丸出しなんですが、幼馴染の結婚を心から喜んでいるようでした。その後しゃべったのが、新婦・Rさんの友達だというIさん。東京に住んでいるとのことですが今日はわざわざ結婚式のために秋田まで来たとのこと。目元がキリッとしていてなかなかの美人です。しばらくしゃべっていると、横からAが「おい、代われ」と命令。やむなく席替えとなってしまいます。その後はAとIさんとの会話が弾む脇で、私はというとSが挙式した地元の神社の禰宜の方と話してたりしてました。そこにSとRさんがようやく登場。Sからは「お! CAPTAIN(←実際には本名で呼びましたけど)、お前秋田に溶け込んでるな。地元民かと思ったよ」と言われちまいました。二次会は1時間ちょっとで終わってしまい、SとRさんも別の場所で開催されている宴会に顔を出さなければならないとのことで中座。手持ち無沙汰になった我々4人は、国道13号線の沿道にあるガストで、3次会を開きました。ピザにマグナムドライといういたって簡素な宴でしたが、なかなか楽しいものでした。私やAがIさんとしゃべっているのをN(ちなみに、このメンバーで唯一独身)が羨ましがったりとか、そんな話をしていたと思います。あと、ファミレスだというのに、「きりたんぽない?」「しょっつる鍋ない?」と大声で叫んで店員さんを困らせていたかもしれません(苦笑)
2007.05.13
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今日、秋田県湯沢市にて大学時代の友人Sの結婚披露宴が行なわれます。開始は午後3時半。しかも200人以上が出席する披露宴とあって、何時までかかるか予想もつきません。仮にあっさり終わったにしても、当日中に帰れる可能性は殆どゼロ。新庄に出て山形新幹線経由で帰るにせよ、大曲に出て秋田新幹線経由で帰るにせよ、湯沢を午後6時台に発車する普通列車に乗れなければ、日帰りは不可能なのです。という訳で、友人の計らいで、披露宴が行なわれるホテルに泊まることになっています。当然、明日の月曜日も仕事を休みます(笑)披露宴の始まる時間が遅いということは、少なくとも朝はゆっくりできるということ。子供たちが早起きしてゲキレンジャーなぞ観ている間も私はひとりZzz… 眠い目をこすりながら布団から出たのは、8時を少し回った頃でした。朝食を食べ、礼服に着替え、「いい子にしてるんだよ」と柄にもなく子供に訓示などたれ、9時40分に自宅を出発。私の姿が見えなくなるまで「バイバ~イ!」子供が手を振ってくれていました。桑折駅の窓口で湯沢までの往復切符を買い、10時00分発の普通列車で福島へと向かいます。10時14分、福島着。次に乗るべき10時53分発の山形新幹線つばさ109号まで間があるので、駅構内のキヨスクで昼食を買い込みます。いや、昼食だけじゃなかった。缶チューハイも買いました。せっかくのハレの日。アルコールを摂取しない訳にはいきません(笑)しかし、ハレの日とは対照的に、天候の方はいまいちパッとしません。自宅を出た時も曇り空でしたが、板谷峠を越えて山形県に入っても曇天模様。赤湯を過ぎてビニールハウスに覆われた果樹園が占める丘陵を越え山形盆地に入るとようやく晴れ間が覗いてきました。11時54分、山形着。この列車は新庄行なのであっさり山形を出発しますが、実は私にとっては山形以北を山形新幹線の列車に乗って通過するのは初めての体験。車外を見る目にも気合いが入ります。とは言ったものの、車窓の方は正直言って期待外れ。クルマが行き交う国道13号線や東北中央自動車道ばかりが目に入る至って単調な風景に終始します。また、新幹線の停車駅も天童、さくらんぼ東根、村山と橋上駅舎ばかりが続き、個性的な駅舎が車窓からでも確認できる山形以南と対照的。駅舎もまた車窓の楽しみだと思うのですが、それを確認できないのはつまらないの一言に尽きます。12時39分、新庄着。ここで12時53分発の秋田行の普通列車に乗り換えます。新庄~秋田間は150.1キロもあるので当然ボックス席の車両かと思いきや、なんと2両編成のロングシートで、しかもワンマン運転。県境を控える新庄~湯沢間の利用客が特に少ないという事情があるにせよ、淋しい編成です。座席に座り出発を待っていると、見たことのある顔が、私に近づいてきました。一人は、大学時代の友人で高崎から来たJ。もう一人は、Sの大学時代の恩師で功刀俊洋先生。Jと会うのは5年半前に行われた彼の結婚式以来、功刀先生と会うのは約10年ぶりですが、風貌は昔とそれほど変わっていません。ワンマン列車の車中は、三人で会話しながらの行程となりました。いや、功刀先生の独演会だったかもしれません。私たちの卒業した福島大学行政社会学部が学内の機構改革で行政政策学類と名称変更したこと(ちなみに功刀先生は今年3月まで学類長)、学生の就職状況は民間に関しては一時の氷河期を脱して今の段階で有名企業への内定者がかなり出ているものの公務員に関しては採用人数が減少傾向にあるので苦戦気味であること、学部(学類)OBで芥川賞作家の中村文則氏を招いて講演会を行ったことなど、母校の現状をいろいろと伺いました。そんな訳で、1時間ほどの車中があっという間に過ぎていき、13時53分、湯沢に到着。車中ではまったく気がつきませんでしたがいつの間にか天気は小雨になっていました。三人小走りで、駅近くにある披露宴会場のホテルへと向かいます。ホテルは、駅から徒歩5分ほどのところにありました。まずはフロントに行き、チェックイン。指定された部屋に入って着替えなどが詰め込まれた荷物を置き、退屈凌ぎにテレビなど見ていたら、家族へのお土産を買い忘れていたことに気がつきました。普通列車の車中からホテルまでの間、功刀先生との会話そして小雨に気を取られていて、お土産どころではなかったのです。披露宴開始まではまだ間があるので、お土産を買いに湯沢の街に出ることにします。確かキヨスクに、お土産が売っていたはずだ… と駅に向かって歩いていると、前方から見慣れた顔が。大学時代の友人で北海道は登別からはるばるやってきたAではないですか! 彼と会うのは、私の結婚式以来ですから6年ぶり。でも、交した挨拶は、「よぉ!」と至ってフランクかつ簡便なもの。「久しぶり~」「元気にしてた?」なんてフレーズは一切ないけれど、その方が年月のブランクを感じさせず、逆に嬉しくなります。お土産を買い込んだら部屋に戻り、まずはAの携帯にTEL。「どこの部屋にいるの?」「今○○○号室だよ。来るか?」「OK!」二つ返事で、Aの部屋へと向かいます。Aの部屋。「いや~、湯沢は遠いな。俺朝8時に家を出たんだけどな…」Aが口を開きます。行程を聞くと、登別の自宅から勤務先の後輩のクルマで新千歳空港まで送ってもらい、新千歳から秋田空港まで飛行機、秋田空港から奥羽本線の和田駅までタクシーで行き、和田から湯沢までは普通列車というスケジュール。特に秋田空港から先のルートが印象に残ったらしく、空港から和田まで3,000円近くかかってしまったことや和田でも列車が来るまで長時間待った(ただし、この駅には無料でインターネットができるスペースがあったので、待ち時間中はさほど退屈しなかったらしい)ことを、「こんなに遠かったんだぞ!」的な口調で話してくれました。途中からJも会話に加わったのですが、彼もまた「湯沢に電車で行くには鈍行に長時間揺られなければならない」ことにやや不満気な様子。「湯沢は東北地方の真ん中にあるのに、どうして不便なんだろうね」とこぼしていました。そんな感じで「湯沢の遠さ」が話題になっているところに、もう一人、招待を受けていた大学時代の同級生で、現在はいわきに住んでいるNが来訪。NとAとは10年以上顔を合わせていなかったので「久しぶり」のフレーズがさすがに口をつきましたが、Nもまた、行程の話では「自宅から高速で来たんだけどさ、5時間かかったよ。錦秋湖のサービスエリアで休んだりしてさ。」と遠さを強調。確かに、いわきから湯沢までオール高速だと磐越自動車道~郡山ジャンクション~東北自動車道~北上ジャンクション~秋田自動車道~横手ジャンクション~湯沢横手道路という経路になるから、羊腸と呼んでいいかもしれません。福島県と秋田県とを結ぶ東北中央自動車道が全通していれば良かったのですが、全通はまだまだ先の話です。という訳で、まだ披露宴の前だというのに、みんな一仕事終えたような表情を見せているのでした。
2007.05.13
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既に書いた通り、明日の日曜日は学生時代の友人の結婚式に出席するため秋田県湯沢市に行ってきます。でもって、当日中に帰れそうもないので、月曜日に帰宅します。秋田県に行くのは9年ぶりのこと。久しぶりの遠出です。道中の景色も思い切り堪能したいと思いますが、何と言っても一番気になるのは、友人、そしてその奥さんの晴れ姿。何せ200人以上の参列者が集まる大掛かりな披露宴です。一挙手一動足に要注目です。あと、結婚式に参列する別の友人と会えるのも、楽しみです。彼らと会うのもほぼ10年ぶり。お互い30代半ばになって外見もかなり変わっているのでしょうが、明日だけは学生に戻って、四方山話に花を咲かせたいと思っております。いよいよ、明日。ワクワクしますが、唯一気がかりなのが、当日の天気。どうやら雨模様のようなんですよね。一生に一度(だと思う)の晴れの舞台。せめてザーザー降りだけは勘弁してもらいたいものです。
2007.05.12
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しかし、仮に千島列島が日本に返還されたとして、どのように活用していけばいいのだろう? そんな疑問が、ふと頭をよぎりました。産業面から言うと農業ははっきり言って期待薄。寒流(それこそ千島海流だ・笑)の影響で、夏季は最高気温でも20度に届かない状況。コメなんて育つわけがなく、野菜あるいは花卉の栽培か酪農ぐらいしかできなさそうです。そもそもこの地域に住んでいたアイヌはラッコやオットセイの狩猟で生計を立てていたというから、農業とは相容れない地域なのでしょうね。でも、ラッコやオットセイがいた(と過去形で書かねばならないのは千島のオットセイが絶滅状態だからだ)ということは、これらの餌となる海産物が豊富な証拠。根室の漁船がしばしばロシアに拿捕されるのもまた千島の漁場を目当てだと考えられます。その意味では、国後島の古釜布や択捉島の紗那、あと幌筵島の柏原などは、漁業基地、あるいは海産物の生産拠点として多少の発展が見込めそうです。また、根室、羅臼、紋別など、北海道オホーツク海沿岸の港町も、漁場が広がり景気が上向くかな? と思います。漁業の他にある程度の需要が見込めそうなのは、観光業。無人地帯が多く今なお手つかずの自然が残されておりまた火山帯に属しているが故に温泉も豊富。復帰と同時に殆どの地域が知床国立公園に編入され「知床千島国立公園」になるものと思われます。ただ、問題になるのが、アクセス手段。択捉島に国際空港を建設する動きがありますが、その代わりにこれまで国後島にあった空港が閉鎖の運びになるとか。やはり、有人島すべて(といっても、定住者がいる島は色丹、国後、択捉、幌筵の4島だけですが…)に空港が欲しいところです。また、ソ連→ロシア時代の政策だったのか島内の集落が一箇所に集められている状況のため、道路の整備が遅れています。なんでも、殆どの道路が未舗装だとか。従って、思い切ったインフラ整備が、必要になってくるでしょう。となると、観光業以前に建設業に特需景気が見込めるのかな(笑)
2007.05.10
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相変わらず、樺太とかカムチャツカ半島とかの情報を貪っているCAPTAINです(苦笑)でもって、今日は、千島列島の話。千島といえばいわゆる北方領土問題がクローズアップされがちですけれども、そもそもどうして、択捉島と得撫島との間に境界線を敷こうとするのだろう? というのが、ちょっと気になってました。「北方領土は日本固有の領土」云々とは言うけれど、そもそも固有の領土だからその国が治めなければならないなんて理屈はない訳だし、更にもとをたどれば、北方領土はアイヌの領土だったりするし。個人的には、サンフランシスコ講和条約(1952年)に署名していないソ連→ロシアが北方領土はもちろんのこと千島列島北部や南樺太を実効支配しているのは、やっぱりおかしいと思います。同条約では日本も千島(この場合の千島は、日本がどのように解釈しようとも、国際的には国後島以北としかみなされないでしょう)と南樺太の領有権放棄をうたっていますけど、少なくともソ連→ロシアに占領される覚えはないはず。ついでに言えば、ソ連→ロシアの実効支配は、日本の戦後処理において、(1)日本から暴力や侵略で奪った土地を取り上げる、(2)戦勝国は日本に対して領土拡大はしない、ことを定めたカイロ宣言(1943年)にも反した行為です。いや、逆に、カイロ宣言を踏みにじったソ連→ロシアの行為を糺す意味でも、日露戦争後のポーツマス条約(1905年)にてロシア帝国から獲得した南樺太は難しいにしても、同じくロシア帝国と平和裏に取り交わした千島・樺太交換条約(1875年)によって日本領土となった千島列島全島の返還を叫んでもいいんじゃないかと思うのですが、いかがでしょう?実はこの種の主張を繰り返してきたのが、なんと、日本共産党だったりします。左翼政党といえば売国的なイメージで語られがちですが、なかなか頼もしいことを言いますね(笑)
2007.05.10
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前の日記で紹介した西山学院高校は、山奥とはいえ七ヶ宿町のメインルートである国道113号線に面しています。ところが、同じ七ヶ宿町内にある学校でも、今回紹介する学校法人堀越学園七ヶ宿キャンパスとなると、正真正銘山の中。七ヶ宿の中心集落・関から福島市飯坂町茂庭方面に林道を2キロほど分け入った先に、あります。一瞬驚いてしまうのが、堀越学園という名前。最初にこの名前を見つけた時は「学業のおっつかない芸能人の生徒がここでカンズメにされて勉強するのかい!」と思ってしまいましたが、こちらの堀越学園は群馬県高崎市に本拠を置く学校法人(HP)。芸能人が多く通う東京の堀越学園とはまったく別の学校法人なんだそうです。それにしても、同名とは、非常に紛らわしい…ちなみに、群馬の堀越学園は、創造学園大学(高崎市)をはじめ、今年のセンバツにも出場している付属高校(長野県松本市。旧・塚原青雲高校)、あと高崎市内にて専門学校に幼稚園を運営。また、JFLチームのアルテ高崎の親会社(?)でもあります。なかなか規模の大きい学校法人です。で、そんな堀越学園が七ヶ宿で何をしているのかというと、ここに学校や教室がある訳ではなく、農場や陶芸窯などの野外活動施設があるんだそうです。そのテの施設だったら山国・上州だったらいくらでもつくれるだろうに、何故に宮城県の山奥につくるのでしょうか? 学生や生徒だって、高崎から七ヶ宿に出かけるだけでも、疲れ果ててしまいそうです。
2007.03.27
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昨日の日記で紹介した啓明宮城小学校の他にも、宮城県南部には、ちょっと変わった学校法人がいくつか存在します。その代表格が、七ヶ宿町にある西山学院高校。なんてったって全寮制です。まぁ、山奥にあるから通学はほぼ不可能でしょうが…ちなみに、啓明宮城小学校とは違い、西山学院高校には、公式HPも存在します。これを見る限りでは、結構きちんとした学校なんだなという印象を抱きます。ところが、この学校のバックにいる団体が、限りなく怪しい。この学校のオーナーでもある西山栄一氏の名前をgoogleで検索していくと、こんなサイトに行き着いてしまいます。西山氏は、アイスター(アイレディース化粧品)の創業者であり、またハンセン病患者宿泊拒否で有名になってしまった熊本県の宿泊施設(現在は閉鎖)の経営者であり、しかも参議院選挙になると決まって登場する女性党なる政党の実質的なオーナーとな。何じゃコリャ。となると、西山学院の生徒たちも、閉鎖的な環境の中でどんな教育を受けていることやらと思ってしまいますね。
2007.03.27
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早朝散歩絡みで最近丸森町方面に関心が向いています。今一番気になっているのは、町の中心部に程近い場所にある「啓明宮城小学校」という私立小学校のこと。ここ、キリスト教系の学校だったんですね。今日初めて知りました。運営しているのは、宮城明泉学園という学校法人。仙台市泉区内に二つのマンモス幼稚園(いずれも児童数が600名を超えている)を持っていることで地元では知られていますが、まさか丸森で小学校を運営しているとは思いませんでした。学校法人のサイトには全然記載されてなかったから、全然わかりませんでした。わからないといえば、この学校、どういう手続を踏めば入学できるのか、全然わからないんですよね。ネットで検索しても何も出てこないし。また、遠方から入学する場合の送迎や寄宿の手段とか、卒業後の進路もまったく不明。これほどまでに情報が出てこないと、小学校の側でまるで入学を拒んでいるかのようにも感じます。わからないことだらけなので、もう少しネットで調べてみると、この学校の敷地内には、聖書配布協力会なる団体の本部があるとのこと。こんな立派なサイトを持っている団体なのですが、やっていることはというと、街のあちこちで見られる「死後 さばきにあう」などと書かれたブリキ看板を貼り付けたり、繁華街などでプラカードを掲げながら聖書の言葉を街宣したりといったこと。ちょっと引いちゃいますね。
2007.03.26
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昨日の日記で福島県の「方言の呼び方」を紹介しましたが、んじゃぁ、宮城県はどうだろうか? と思い、こちらもちょっと調べてみました。小藩分立の福島県とは違って仙台藩だけで成立している宮城県だけあってバリエーションは少ないと思っていたのですが、意外にも多趣多彩でした。<宮城県全体及び仙台近辺>仙台弁…約49,800件やっぱり一番多いのは、仙台弁でした。ただし、概念としては、「仙台の人が使う言葉」「宮城県人が使う言葉」の双方の意味合いがあるようです。宮城弁…約934件仙台弁と並んで宮城弁の表記も、ある程度確認できます。仙台弁の別称として特に宮城県外の人に使われることが多く、「仙台以外の宮城県人が使う言葉」の意味合いは薄そうです。名取弁…約120件とある個人HPで「仙台弁(名取弁)」として紹介されているケースが多くヒットしています。塩釜弁…約25件厳密に言うと、「塩釜弁」で約14件、「塩竃弁」で約11件ヒットします。港町だけあって、独特のイントネーションを有している模様です。松島弁…約16件宮城県の松島のみならず、福井県や熊本県天草の松島弁も一緒くたにヒットするので、実質的には10件を切ります。<仙南>白石弁…約82件仙南地方ではもっとも多い数値です。現在の仙南地方の中心地である大河原・柴田地区が仙台の威を借りて発展した(従って、これらの地名を冠した方言名も殆どヒットしない)のに対し白石は自前の実力で仙南の中心地として発展した経緯があるから、「仙台とは違う」という意識が強いんでしょうね。角田弁…約39件角田も、結構ヒットしました。歴史の古さそして矜持を感じさせますが、角田の場合、交通が不便な土地柄も、多少は影響しているものと思われます。丸森弁…約24件(角田弁の続き)というのも、角田より更に交通が不便な丸森で、24件もヒットしているぐらいですから。また、丸森の場合、県境を越えて相馬市との結びつきも強いので、相馬弁の影響を受けているのかもしれません。仙南弁…約32件仙南弁という表記も、ある程度まとまってヒットしています。ただし、秋田県の旧仙南村(現大仙市)で使われている言葉としてのヒットもありますが。<仙北>古川弁…約279件大崎市の中心・古川の名前を冠した古川弁が、この地方ではもっとも多くヒットしています。ただ、古川市及び周辺地域が合併して昨年大崎市となったのが、今後どのように影響するか? 現在「大崎弁」の表記は約7件のヒットにとどまっていますが、数年後には数値の大幅な変動が予想されます。鳴子弁…約8件古川以外の大崎地方では「中新田弁」「岩出山弁」「鹿島台弁」「小牛田弁」(こうしてみると、漢字3文字の地名が多いなぁ…)の表記が認められますが、いずれも1~2件程度のヒットにとどまります。ただ、大崎の北西端に位置する鳴子弁だけは、約8件と出色の数値。丸森弁と同じく、交通の不便な地域の方言は、目立つケースが多いようです。若柳弁…約29件栗原市及び登米市については、特段目立つ方言名がありませんでした。その中でいちばんヒット数が多かったのが、この若柳弁。ちなみに、この地域の方言名で目立ったのは、「築館弁」が約6件、「栗駒弁」が約8件、「登米弁」が約7件でした。栗原弁…約145件栗原市の方言かと思いきや、埼玉県熊谷市にある栗原弁天堂という薬局がヒットしてました(笑)米山弁…約169件これも登米市米山町の方言かと思いきや、映画「スウィングガールズ」に登場する女子高生達が喋っている方言のことでした。山形県置賜地方の方言と紹介されてますが、方言名自体は架空のものです。仙北弁…約51件仙北弁という表記もヒットしましたが、大半は秋田県仙北地方(大仙市および仙北市)で使われている言葉のことでした。<南三陸>石巻弁…約1,060件宮城県内の方言名では、仙台弁に次ぐヒット数を誇ります。江戸とを結ぶ東回り航路の港町として栄えた経緯があることから、江戸弁に近いイントネーションが残っているようです。女川弁…約13件石巻市近辺では唯一何処の自治体とも合併していない女川町。言葉の上でも他地域とは一線を画している模様です。気仙沼弁…約529件気仙沼弁も、結構ヒットしました。気仙沼のすぐ北、岩手県気仙地方に「ケセン語」という概念がありますが、その影響を受けているのでしょうか?
2007.02.12
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最近言語学の本なんて読んでいてふと思ったのですが、「○○弁」の境界って、非常に恣意的なものなんですよね。首都圏その他の地域の人は東北地方の人が話す言葉を「東北弁」と一括することがありますけど、福島と青森ではアクセントも語彙も全然違うし、下手すりゃ通訳がいなければ理解できない場合があります。その傾向はより狭い地域でも起こり得ます。例えば他県の人は福島県人が話す言葉を「福島弁」と呼ぶ傾向があるけれど、同じ福島県内でも福島市と郡山市では微妙な違いがあるし、個人的には同じ言葉とみなすには多少の抵抗があります。それでは、このテの狭小な地域をカバーする方言って、いくつあるんでしょう? googleで「"○○弁"」と検索して、ちょっと拾ってみました。<中通り>福島弁…約32,200件やっぱり、それなりの件数がヒットしますね。ただしこの場合、「福島県の人が話す言葉」と「福島市周辺の人が話す言葉」の二通りの解釈が考えられます。伊達弁…約110件伊達市・郡で話されている言葉かと思ったら、検索結果の大半が、岩手県南部の旧伊達領で話されている言葉のことでした。仙台弁とも微妙に違う言葉のようですね。ちなみに、伊達市・郡の地名を冠した方言は、「桑折弁」「梁川弁」「保原弁」「川俣弁」が、それぞれ1~3件ヒットします。二本松弁…約99件福島と郡山に挟まれて肩身が狭い二本松ですが、かつては福島(3万石)より大きい10万石を有する城下町でしかも郡山は二本松藩の領地だったこともあってか、言葉の上ではそれなりの矜持を保っているようです。ただ、二本松弁と言われても、具体的にどういう言葉なのだか私にはわかりません…本宮弁…約16件これも伊達弁と同じく、本宮(もとみや)市ではなく和歌山県熊野本宮(ほんぐう)近辺で話されている言葉のことでした。ちなみに、私の感覚で言うと、本宮市で話されている言葉は、郡山弁とほぼ同じですね。郡山弁…約421件「『~だばい』の語尾は安積開拓でやってきた久留米藩士の影響」なんて言われていますね。ただ、都市規模にしては検索件数はやや少な目かな? これは、郡山という地域の全国的な知名度の低さゆえか? それとも「郡山で話されている言葉=福島弁」という認識でもあるのかなぁ?三春弁…約18件田村氏、秋田氏の城下町だけあって、郡山弁とは違い三春弁という概念がある模様です。なお、三春以外の田村市・郡の地名を冠した方言は、ヒットがありませんでした。須賀川弁…約17件明治時代初期までは郡山と肩を並べる都市だった須賀川。件数にその矜持が現れています。石川弁…約785件伊達弁、本宮弁と同様に、検索結果の殆どが、石川郡ではなく「石川県で話されている言葉」のことでした。内容を見ると、七尾や小松など金沢以外の石川県内で話されている言葉を指すようです。白河弁…約15件城下町だった割には、検索件数は二本松、三春よりも少な目でした。また、白河の東にある城下町・棚倉も、検索してみたところヒット0! 中通り最南端は、方言上では影が薄いです。<会津>会津弁…約21,500件20,000件を超え、福島弁に迫るヒット数を誇ります。こちらも福島弁と同じく、「会津地方の人が話す言葉」と「会津若松市の人が話す言葉」に大別される模様です。若松弁…約74件(会津弁からコメント続き)というのも、「若松弁」で検索したら、出てきたのは殆ど北九州市若松の言葉。筑豊炭田を背景に明治時代以降発展した地域ですが若戸大橋ができるまでは北九州でも比較的独立性が高い地域だったこともあり(旧国でも戸畑以東が豊前なのに対して若松、八幡は筑前ですしね)、この概念が残っているようです。逆に、会津若松の言葉は「若松弁」とは呼ばれないですね(ちなみに、「会津若松弁」でも、約6件のヒットにとどまります)。結局のところ、若松の人が話す言葉が「会津弁=会津地方の標準語」という認識なんでしょうか?喜多方弁…約21件(更にコメント続き)多分そうなんでしょう。というのも、会津地方には、より狭い地域をカバーする方言の概念が確認できるからす。その中でも最も多かったのが、喜多方弁の21件。若松の言葉とどこがどう違うのか私にはわかりませんが、会津地方第二の都市・喜多方が有している若松への対抗心を、ある意味示していると言えるでしょう。会津地方では他にも、「猪苗代弁」「南会津弁」「西会津弁」が約5件ヒットします。ただし、南会津弁は、当地出身の渡部恒三が話す言葉を指しているようですが(笑)只見弁…約17件(まだコメント続き)そうそう、只見弁も、結構ヒットしました。ただし、中国語で書かれたと思しき訳の分からんサイトも引っかかるので、実質的なヒット数は約6件になります。この辺になると若松に出るのも日帰りが厳しい状況だし逆に新潟県魚沼地方の方が距離的にも近いから、若松とは隔たりがある言葉が使われているのかもしれません。<浜通り>いわき弁…約1,940件いわき地方の言葉は茨城の言葉に近く福島県内では独特の響きを持ちますが、いわきという地名自体が1966年にできた新しいものということもあってか、いわき弁という呼称はそれほど浸透していない模様です。なお、「磐城弁」の表記でも約20件ヒットします。常磐弁…約14件これはいわき弁の別名とみていいのでしょうか? それとも常磐炭坑の地域(主にいわき市の湯本、内郷、好間)で話されているのか? 詳細は不明ですが、結構ヒットしました。常磐炭坑を舞台とした映画「フラガール」でヒロインの蒼井優(余談だが、私は彼女と蒼井そらを混同していた時期があり、妻から突っ込みを食らったことがあります・苦笑)が話していた言葉ということで、この表現が浸透した一面もあるようです。小名浜弁…約13件(常磐弁からコメント続き)また、常磐以外のいわき市内の各地域で検索してみたら、一番引っかかったのがこの小名浜弁。海に面し他地域の人の出入りが多い地域だから、アクセントや語彙の面で周辺と違うのでしょう。なお、いわき市の中心・平の「平弁」も約14,600件ヒットしますが、花弁の呼び方の一種(?)を指す平弁(ひらべん)ばかりが登場し、方言としての平弁(たいらべん)は殆ど見つかりません。相馬弁…約41,300件浜通り中部の双葉郡には「○○弁」の呼称は殆ど検索できず、浜通りで突出しているのは北部の相馬弁。相馬藩領という独立した地域だったからまとまった件数がヒットするのはわかりますが、福島弁以上に件数が多いのは、地域住民に相馬弁を残そうとの意志が強いからでしょうか?新地弁…約7件(相馬弁からコメント続き)なお、原町、小高など相馬地方の各地域では「○○弁」の呼称はあまり見られません。その中で目を引いたのが、この新地弁。相馬市の北に位置する新地町はかつて仙台藩領だったこともあってか、相馬弁と違うアクセント、語彙を有している模様です。
2007.02.11
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