さしあたって ただの日記 \(●×●)\

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2012年02月29日
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カテゴリ: 勉強と思い込み


自分なりに踏ん張ってきたつもりです。
それでも、毎日吹く風に右に左に心は揺れます。
そうして、そのたび、幹は太くなり、根っこを伸ばしていくのでした。


2012・7・20
忙しい?
7月2日に鳥取に来て以来、
ずっとずっと毎日が嬉しかった。
咲いてる花を触っていいのだ。
そぼ降る雨に打たれてもかまわないのだ。
地面にしゃがみ込んでもいいのだ。
窓を開けてもいいのだ。
深呼吸してもいいのだ。
ちょっとぐらい手をあらわなくていいのだ。
洗濯物を外に干してもいいのだ。
笑っていていいのだ。
泣かなくていいのだ。
怒らなくていいのだ。
悩まなくていいのだ。
疑わなくていいのだ。
苦しまなくていいのだ。
生きていていいのだ。

そんないいのだを毎日繰り返し、
ようやっと、自分の命を取り戻した。

産廃と化した過去の荷物の最終処分のため、
今週末、旦那と福島へ行く。
そして、26日の郡山での一時避難相談会に行く。
ボランティアでもなく、鳥取市のスタッフでもなく、
自分らの意志として、その場にいるために行く。
勝手知ったる郡山の地に1年ぶりに足を踏み入れる。
障壁にぶつかり、また狂おしい感覚に陥るかもしれない。
それでも、自分のために、自分が前向きに生きるために行く。

そして、28日には東京へ、
東京は板橋の旦那の実家へ行く。
長く肝臓を患う義父はこれが今生の、と覚悟を決めているかもしれない。
言葉を発する度、義父の心情が苦しいほどに流れ込んでくるのだ。
墓守としての人生を余儀なくされた義父の生き様と
真逆をいく旦那の生き方。
もしかすると私はいない方がいいのではないかと思う。
親子水入らずでの空間と時間を持った方がいいのではないかと。
しかし、旦那は自分の故郷としての東京を
私と一緒に見ておきたいのだという。
私の知らない過去の旦那の幻影を心に刻む為、
東京の町を歩くことになるだろう。
私にできるのはせいぜい疲れちゃったと早寝することぐらいだ。

子供たちだけで過ごすことになるその10日間、
何事も起こらないことを願い、
また、うつ症状に陥っている大分の母が
毎日の電話ができないことを憂慮して、
ますます追い詰められることのないように願い、
今年の7月はまた心の忙しい月として締めくくられるようだ。


  と書いてはみたものの、
  実際は鳥取に残した子どもの体調不良により、
  片付け半ばにて、鳥取に引き返すことになった。
  当然、東京の実家で過ごす約束も反故になり、
  折しも、8月からの市役所勤務も決めて、
  心が追いつくことなく、
  なにもかも中途半端なまま、
  鳥取での本格的な生活に突入することになる。。。


2012・7・24
給料の未払い
7月15日付で旦那の退職となったわけだが、
案の定、最後の給料は入らない。
坂下の家を借りるに当たって、水道管の引き直し工事をやった。
この工事代金を会社と折半、
会津営業所として一室を賃料月2万で又貸しすること。
こういう話だった。
実質的には家賃分はその工事代金に充当していくことになっていた。
40万近い工事代金の負担分20万弱。
前年12月分から換算して6月までとしても
家賃2万円の7ヶ月分14万円。
しかし、いざ、辞めるとなると、
あれはずっと勤める続けるのが前提だといい、
さらには旦那のミスで取引先を失ったといい、
賠償もあるとか言い出す。

あぁ、やっぱり

あの社長ならね、と思うわけだが、
一時は旦那も労基にと考えたようだ。
しかし、訴えたところで、相手先の裁判所に出向かねばならず、
この場合は本社のある福島市なわけで、
たとえ、給料満額支払いがかなったところで、
その精神的および経済的ロスの方が大きいと思う。
つまり、泣き寝入る方がよほど建設的なんだと。。。
本当に無駄なエネルギーは消費したくない、今は。


2012・7・28・AM2:00
会津の夜に雨降って
昨夜から雨
結構な降りである
どうやら、一日この天気らしい
最後の片付け&掃除が・・・・と焦ってみても
思惑通りにいかないのが世の常である
こういう時は変に焦らずに
軒先から滴る雫でも見ていよう
これもまた空からの贈り物に違いないのだから


2012・7・28・朝
鳥取市役所の移住相談員の方から電話あり。
3番目、嘔吐・発熱との連絡あり。
予定大幅変更、鳥取へ向かって出発。


2012・7・30・早朝
旦那と長男で今度こそ最終片付けのために会津坂下へ向け、出発。
天候不良の予想。

朝からずっと道路情報と天気予報と首っ引き。
旦那と健が福島戻りしてる中だからなんだけど。
新潟入ってすぐ、柿崎インターから渋滞および通行止めにつき、
一旦、下道に出るためにNEXCO東日本に問い合わせて
「乗り継ぎ証明書」の存在を知る。
要は柿崎インターで被災証明と免許を提示した後、
乗り継ぎに関する証明書を発行してもらい、
会津坂下インターで出るときにモロモロ書類と合せて見せろ!
ということだ。
しかし、現実的に柿崎インターではこの対処法が理解出来ておらず、
証明書は発行されなかったって。
事務局の方針に現場の対応が間に合わないことは
ままあることだけどね、
どっちも勉強、勉強~~~!!!


2012・7・30・昼
匙加減
健康mamaとしてのブログを
いつから、どう具体的に再スタートしていくか、
実はとても迷っている。
Facebookの居心地がよすぎて、ついつい流される。
避難民としての日常を綴ればよいとは思うものの
これがなかなかはかどらない。
入力しかけては消し、消してはまた入力し、
そんなことばかりしている間に時間が消えていく、
記憶が散漫になっていく。

忘れたくない思いと忘れたい記憶

バランスはむずかしいものだ。







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最終更新日  2012年03月05日 23時48分26秒
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