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すっかり週刊ブログになってしまいました。先週は寒かったですね~。朝起きるのはまるで修行のようですし、始発電車は寒くて拷問のようです。背中にカイロを貼っているのを忘れ。上着を脱いで朝のマクドナルドの店内を歩き、恥ずかしいったら…(笑)。平日は職場で1日中パソコンとにらめっこだから、家に帰ってもメールチェックくらいしかしないけど、休日は自分のパソコンで遊んでます。なら、ブログの更新しろよって感じですが、今、Catbookに夢中なんです。なんじゃ、そのCatbookはって感じですよね。猫のSNSなんです。登録するのも飼い主の私じゃなくて、猫ちゃん。それは、今、海外でメジャーになってきているFacebookってSNSがあります。なんでも、ハーバード大学で作られ、最初は全米の学生同士の交流のサイトだったらしいんですけど、一般にも開放され、いまや世界規模。MySpaceに次ぐ人気SNSです。はっきりいって、mixiよりもおもしろい!アプリケーションで遊べるのがいいし、フォトアルバムも特に制限がないから保存しまくってます(Flickerっていう写真サイトもいいですよ~。ここも無制限だしね~。使ってます)。で、Catbookはそのアプリケーションのひとつです。うちの猫ちゃん、ハナ、さくら、ナナを登録しています。ほかのにゃんこたちも近々登録予定。うちのにゃんこと世界中の猫ちゃんたちがお友だちになれるんです。カナダ、イギリス、アメリカ、香港、フランス、イスラエル、トルコ、スウェーデン…。それぞれのにゃんこたち、約200匹ずつのお友だちがいます。知らぬは本人(猫)ばかりなんだけど…。猫好きにはたまりません。かわいい猫の画像が思う存分楽しめますからね。木登りナナちゃんこれは今月撮ったナナちゃんの写真です。木に登って鳥をひたすら眺めています。ツグミ、メジロ、ムクドリなんかが庭の山茶花や椿の蜜を吸いに来るもんだから、もうたまらん…って感じで眺めています。取れやしないのに、かわいいったら…。今夜もCatbookで遊んで寝るとしましょう。
2008年01月27日
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1週間ぶりの更新です。サボってたわけじゃないんですよ~。でも、忙しかったわけでもない。ただ、今は恐ろしいほど早寝なんです。10時~11時の間に寝てしまうんです。平均10時半です。朝は5時半に起きて6時20分には家を出てるし、家に帰るのは8時前だから、ご飯食べて、お風呂入って…なんてしているうちに、あっという間に時間がたっちゃうのよ。睡眠不足っていうのがどうも嫌でねぇ。ネタもあります。去年はけっこう県内のいろんなところに行ったし、写真もいっぱい撮りました。ただ、自分の旅の記録なので、ちゃんと書いておきたいから事後調べるのに少々時間もかかるわけで、そんな暇もないわけで…ははは。それと、今年は受けたい資格試験があるので、そちらの勉強もしているのでね。なかなか時間も取れないわけなんです。最近の休みの日は、ただひたすらゴロゴロしています。なので、太っていく一方です。あとは、甥っ子と遊んでいます。妹と私は双子に間違われるくらい似ているらしく、甥っ子は妹と私の2人がそろうと、顔を交互に見ています。そんなに似てるのか?私のことは遊んでくれる人と思っているようで、遊んでほしいときはすごい勢いでハイハイしてきます。これがかわいいんだな~。甥っ子の歩(あゆむ)くんです。リボンをしているけど、しっかりと男の子です。色白で、髪がふさふさで、おまけに女の子顔なので、よくちょんまげしてリボンをつけています。これがかわいいんよね~。さて、ブログもぼちぼち更新しなくちゃな。次はにゃんこの写真でも載っけるかな~。ではでは、また近々更新します。
2008年01月20日
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さて、12月中旬に訪れた国東半島の最後の場所です。伊美港から車を半島の山間部に走らせてたどり着いた先、国東市国見町にある旧千燈寺跡です。旧千燈寺跡は、霊峰千灯岳(606m)の中腹にあります。このお寺は、六郷満山を開創したといわれる仁聞菩薩が養老2年(718)に開きました。ここは仁聞菩薩の入寂の地ともいわれていますが、この仁聞さんは実在の人物ではないそうです。千燈寺は「西の高野山」とよばれ、六郷満山の中山本寺として栄え、平安時代に隆盛を極めました。しかし天正6年(1578)、キリシタン大名の大友氏の兵火によって焼失、僧侶は離散、寺領も没収され廃寺となってしまいました。現在では紅葉の名所として、またハイキングコースとして多くの観光客が訪れています。旧千燈寺跡に建物はありませんが、石垣を積み上げた坊跡や石畳の参道(これが素晴らしい!)、護摩堂跡の前には半肉彫の仁王像が残っています、この仁王像は一枚岩に彫られた珍しいものです。仁王像12月中旬だったけど、紅葉もまだ少し残っていました。何よりもきれいなのが落ち葉の絨毯!もう少し早かったら、一面銀杏の葉だったようですが、もみじも落ちていました。さらに奥には、講堂跡、奥の院や五輪塔群が残っています。奥の院と五輪塔群 五輪の塔群はなんと1000基を越える石塔が、林の中にところ狭しと立っていて、それは圧巻です。10月に訪れた京都の化野念仏寺にもひけを取らないって思いました。五輪の塔群では、県有形文化財に指定されている仁聞国東塔(2.65m)も見ることができます。ここは職場の人が千灯岳に登ったときの写真を見せていただき、ぜひ行きたいと思っていた場所でした。美しくて、かつ物悲しくもあり、ぜひ訪れてほしい観光名所です。また新緑の頃にでも行ってみたいなぁと思っています。
2008年01月13日
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国東半島から姫島へ渡るフェリー乗り場のある国東市国見町の伊美(いみ)港のすぐそばに、伊美別宮社という神社があります。伊美別宮社は平安末期の886年に建立されました。岩清水神社の分霊を祀ったことに始まり、応仁天皇、仲哀天皇、神宮皇后が祀られています。境内には1290年の銘が刻まれる国東半島最大の国東塔(4.18m)がたっています。これがけっこう大きくて目立つんです。ここはどんな神社かというと、子授け・安産の神様として有名なんです。境内にはその神様として崇められる、それは立派な(笑)陰陽石があることで知られています。この陰陽石、10年も以上も前に職場の研修の帰りに立ち寄って見ました。でも、この伊美別宮社はけっこう境内が広いので、今回は陰陽石を見つけることができませんでした。先を急いでいたし、いっしょにいた友人が遠目に姫島を見て、それだけで興奮していたのでね…。まあ、写真に撮ったところでここにアップするわけにもいかないので(日記削除の可能性が!)。ということで、この神社は子どもに恵まれたいという人が参拝に訪れる場所なんですね。いつもは静かなこの神社ですが、おもな祭りは流鏑馬です。馬に乗って走りながら矢を射るあれです。別宮社の秋祭りに奉納されます。7組に分かれた氏子たちが毎年交代で当場になるとか。午後4時から社殿前の長さ100mの馬場で的を射ます。どおりで、広い神社のはずです。この流鏑馬は県指定無形文化財に指定されています。境内は広く、木々もたくさんあって緑がいっぱいで気持ちいい場所です。海も近いし、夏は海風を感じながら陰陽石を探せ…のんびり散策するのもいいなって思いました。
2008年01月09日
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国東市国見町の国道沿いに、「ペトロ・カスイ・岐部神父記念公園」があります。仏教文化の栄えたこの半島で、日本人として初めてキリスト教徒の聖地であるエルサレムを訪れたキリシタン、それがペトロ・カスイ・岐部でした。岐部は1587年、現在の国東市国見町岐部でキリスト教徒の両親の間に生まれました。12歳で有馬(現・長崎県南島原市)のセミナリヨに入学、1606年にイエズス会入会を志して「カスイ」と名乗りました。しかしキリシタン追放令によって1614年、岐部はマカオに追放されました。そこで司祭になるべくラテン語と神学を生美ました。日本人への偏見から司祭になれないということを知った岐部や日本人神学生たちは、イエズス会本部のあるローマを目指しました。マカオからマラッカ(マレーシア)、ゴア(インド)へ船で渡り、そこから陸路でペルシャを通ってヨーロッパに向かいました。ホルムズ(イラン)、バグダッド(イラク)を経て、日本人として初めてキリスト教の聖地であるエルサレムにたどり着きました。そしてマカオを出発して3年後の1620年にローマ入りを果たしたのです。ローマでイエズス会の審査を受けた岐部は、司祭としてふさわしい適正と学識を認められ、司祭になることができました。ローマのイエズス会訓練所で2年間の養成を受け、リスボン(ポルトガル)で誓願を宣誓しました。そして1623年にイエズス会の会員と共にインドを目指す旅に出て、喜望峰(南アフリカ共和国)を回り、翌年ゴアにたどり着きました。岐部は殉教覚悟で日本帰国を希望しましたが、日本ではキリスト教の弾圧が強化され、宣教師の入国は禁止されていました。岐部は日本へ戻る道を求めて東南アジア各国をまわり、1630年にようやくマニラから船に乗り、鹿児島にたどり着きました。その後も長崎から東北へ向かいながら信徒を励まし続けましたが、1639年に密告により逮捕、厳しい拷問にも屈せず、ついには江戸に送られて斬首されました。日本人としてエルサレムの地を始めて踏んだだけではなく、世界中を旅してまわったのは岐部が初めてではないのでしょうか。彼の功績を偲んで、記念公園では毎月10月の第4日曜日に殉教祭が行われています。また、2006年5月7日、ローマ教皇庁列聖省神学審査部会は、岐部神父と日本における殉教者187名の列福(聖人の地位に上がること)について適当であるという答申を決定しました。その後、2007年2月には枢機卿会議でこの答申が了承され、6月2日に正式に列福が決定されました。聖人には速見郡日出町のキリスト教徒の父子も含まれいると、元旦の新聞で読みました。
2008年01月07日
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お正月といえば初詣、みなさんはどこか行かれましたか?私はトリニータ神社(←なんのご利益が…)の前を素通りしただけです。大晦日はお寺の除夜の鐘、新年は神社に初詣、あ~、日本っていい国ですねっ!国東半島には天台宗のお寺が多いのですが、国東市国東町にある泉福寺は曹洞宗の寺院です。永和元年(1375)に、大友氏の一族の田原氏能が、母の発願によって無著妙融禅師(むちゃくみょうゆう)を開山として創建したと伝えられています。天正9年(1581)にはキリシタン大名である大友宗麟による焼き討ちに遭い、開山堂、仏殿(大雄殿)のみを残して講堂等を焼失しました。その後、慶長10年(1605)に当時中津藩主であった細川忠興によって再興され、江戸時代には九州曹洞宗の総本山として栄えました。2003年から、元教員で、映画にもなった「やまびこ学校」の著者であり、「全国こども電話相談室」の回答者としても知られる教育者の無着成恭(むちゃくせいきょう)さんが住職を務めています。さて、この泉福寺は拝観料がいりません、確か。でも、見どころがたくさんあるお寺なんです。鬼が一夜で築いたといわれる「蹴上の石段」、二層式の山門になんとなく愛らしい石造仁王像、それから国指定重要文化財だけで3つあります。国指定重要文化財・大仏殿泉福寺大仏殿は大雄殿ともよばれ、大永4年(1524)に建立されました。九州では希な室町時代後期の禅宗様仏殿です。中には貴重なお宝があるようなのですが、鍵がかかっていて見ることができませんでした。ここは改修工事が施され、昨年の秋に今のような建物になりました。それから開山堂も国指定重要文化財です。写真は掲載したいのですが、容量が気になるのでまた別のところで…。開山堂は応永年間(1394-1427)に開祖無著禅師の墓の覆屋と礼堂を兼ねて造られたもので、墓と木像が安置されています。現存する建物は寛永13年(1636)に古材を用いて再建されたものです。このほかにも道元が持ち帰ったとされる宋版宏智録(そうはんわんしろく)全6巻も国指定重要文化財ですが、どこにあるのかは知りません。境内もちょこちょこと見どころがありますが、その写真もまた他の場所で公開したいと思います。やっぱり石塔群もありました~!もっとゆっくりじっくり見たいお寺でした。やっぱりこういう場所は1人で来たいものです。友人といっしょでしたが、興味がないかも…って思うとなんとなくゆっくりできませんものね。あ、このあとお昼にウニ丼をいただきました~!向こう側は友人の食べたお刺身定食です。魚はヒラメ。ウニ丼は国東町で採れた新鮮なものと聞いたのでいただきました。おいしかった…。道路端にある小さな食堂なんですが、地元で採れた魚介類のお料理が楽しめるいいお店でした。ここはまた来たいな。
2008年01月05日
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新年あけましておめでとうございます。本当はいつものように普通のブログの更新をしようと思ったのですが、やっぱり1月1日なので新年のあいさつをしとかなきゃね~ってことで。2008年が始まりました。昨年は本当に忙しいし、いろんなことがあった1年でした。いいことも悪いこともたくさんあったけど、たくさんのいい出会いがあり、人の輪が広がりました。そして、将来の自分の目標ができた年でもありました。今年はその目標に向かって、ひたすら精進しようと思います。目標は何かって?もちろん、秘密~♪いつかここに書ける日が来たらいいな。さて、今日は朝からパークプレイスに行ってきました。なんでって?TAOの新春スペシャルライブです~!今朝は起きたら一面の銀世界で運転できるか心配だったんだけど、大丈夫でした。大分と臼杵のファン友(追っかけ仲間ともいう)がいちばん前の席を取っててくれたので、かぶりつきで12時と3時の回、両方見ました。演奏曲目が変わるので、2回見なきゃ損、損ね。明日も明後日も行きます。昨年はTAOのライブ、10回行きました。今年もたくさん行こうと思います。ではでは、今年もよろしくお願いいたします。みなさまにとって、2008年が素晴らしい年になりますように!
2008年01月01日
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