2003
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ブリン・ハワース氏の公式サイトにて最新アルバムが発売されてます。彼のサイトから購入する際は、Paypalにて購入する事が可能です。 http://www.brynhaworth.com/news.htm
Sep 26, 2014
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前回のメール返信の後、謝辞と共に少し山口百恵さんの話やYoutubeにある古い動画について少し聞いてみました。今回はちょっと短めです。(FDLとシャロン・タンディの67年動画やクリフリチャードバンド時代のライブ映像のYoutube動画をお知らせしたことについて)ユーチューブの動画の紹介ありがとうございました。私はそれらの動画を見たことがなかったので楽しかったです。(山口百恵のロンドンセッション時の思い出について)私は百恵について二つの思い出があります。一つは彼女がとても愛すべき素敵な人物だった事、それと可愛らしかったですね。もう一つは、私たちはジャージーなサックスのソロが入った素晴らしい楽曲などを演奏した事でしょう。出来たらそれらの曲をもう一度聞いてみたいものです。私は私たちがやった仕事のレコードを持っていないから。心を込めてゴードン·ハスケル
Sep 22, 2014
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グレッグ・レイクの学生バンド時代からの仲間で、The ShameやShy limbsと言った60年代後期のバンドでグレッグとレコード出したりしたジョン・ディッケンソン氏。 1977年にはKing Harryと言うバンドをティノ・リチニオ、アラン・バリーと組んでアルバムまで出しましたが、その後は自身の経営するモーテルの一部を改造したMovement Studiosという録音スタジオで若手バンドのプロデュースやエンジニアとしていたと言われてます。 そんな彼が若手パンクバンドのレコードの録音エンジニアとしてクレジットされてるものの動画を見つけたのでご紹介。Contacts - Young girls (1980)Contacts - Boyfriends Da Biz - Toys (1980) Da Biz - Driven To TearsDa Biz - It's Not The Way You Talk
Sep 20, 2014
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早速お返事がありました。質問内容は主に、・1stアルバム(1969年)とシングル盤の参加ミュージシャンについて。・アラン・バリーらジ・アクトレスはこれらの作品に関わってないのか?・1977年ハスケルが組んでいたバンドJoeを始めとした参加ミュージシャンが制作した「いかすぜジャック / ツイスト決定盤」は、山口百恵のゴールデン・フライトと同じスタジオで同時期に制作されているが、主だった演奏家の顔ぶれはほぼ同じと見ていいものか?ココらへんが今まで不明でモヤモヤしていたので思い切って尋ねてみました。以下意訳。========親愛なるXXあなたの深い理解に感謝。私は、貴方が持つ私の作品のトータルコレクションで驚いた。私自身よりも良い!私はこの3週間で書かれた私の最新の新曲について非常に興奮しています。そして間違いなく、近いうちに新しいアルバムのレコーディングが行われます。私にとってそれらが完璧な出来だったので、これが私の人生最高の作品になることを期待し信じています。興味を持ってくれるであろうあなたにお知らせします。では、質問の回答へ----ジ・アクトレスは1stソロアルバムで私がしたすべての作業に関与していませんでした。それとアラン·バリーは、あなたがご存知のように2NDソロアルバムのみに参加してます。私の1stアルバム、セイル・イン・マイ・ボートにおいてどんなミュージシャンが参加したかは私には知られていなかったし、当時のロンドンでトップのセッションミュージシャンたちだったのですが、彼らの名を私は覚えていないです。アルバムでいい仕事をしてくれたアレンジャーはジョン·キャメロンで、この後も良い仕事をたくさんやった人です。ミュージシャンをブッキングしたのはプロデューサーのジミーダンカンです。振り返ってみると当時の私は非常にナイーヴでそこら辺の人選には無知でしたので。私は、リズムセクションのいずれも選択していないですが、ストリングスセクションはとても良かったですね。私たちジョーが関与したセッションでは、加藤浩がすべてのミュージシャンを手配してました。私はあなたが「グラフィティハウスバンドとゴールデン・フライトは同じ参加ミュージシャンでしょうか?」と述べたようにサックス奏者が同じだったとかなり確信しています。おそらくすべてのブラスセクションは同じメンバーであったはず。申し訳ありませんが、私にこれ以上の事は判りません。でもとても興味深い話ですね。当時の私はあまりにも他人に依存したが為に、無知の代償を支払ってきた訳です。現在の私は、私が先に書いたように非常に非常に慎重に私の作品の参加ミュージシャンを選ぶようになりました。他の誰にも頼らず私自身がコントロールし長い時間を掛けた次のアルバムについて、私は非常に興奮しています。ありがとうございました、再びの連絡をお待ちしております。ゴードンハスケル。=======着いたばかりなので、早速翻訳させて頂きました。結論として、・ゴードン・ハスケルのセイル・イン・マイ・ボートの参加ミュージシャンは、当時のセッションマンをプロデューサーが手配したもので、ゴードンは名前ももう覚えてないそうです。彼の過去のインタビュー発言でも言っていたように、そういう人選に対し余りにものを知らなかったと懐柔してます。・1stアルバムと直後に出た別アレンジシングルに、アラン・バリーらジ・アクトレスは関与してない。2NDアルバムではバリーやウェットンを起用する様申し出たハスケルでしたが、1stアルバムでは行ってないようです。・1977年の山口百恵のアルバムゴールデン・フライトのメンバー表を見せた所、同年出されたグラフィティ・ハウス・バンド名義のアルバムでのブラスセクションの参加者はほぼ同一という事でした。前作からしばらく経ったのでもうアルバムは出ないのかと僭越な心配もしてましたが、どうやら制作意欲も健在のご様子。新作の発売を待ちたいですね♪以上毎度のずんどこ翻訳で読みにくい点も多々ありましょうが、最後までお読みいただきありがとうございました。
Sep 20, 2014
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しかも1960年代にレコードデビューした人限定です(苦笑) なぜかと言うと、70年代以降を混ぜるとあまりに不明な点が多くてややこしいので。ジョン・ウェットンの場合はモーガル・スラッシュが70年10月のシングルなのですが、セッション参加したエドワーズ・ハンドとどちらが早くリリースされたのか判りません。 トニー・レヴィンの私家盤はレコードデビューというものではありませんし、キース・ティペットの方はというと60年代のレコーディングセッションのいくつかは当時正規発売されてないダフィ・パワーやジュリー・ドリスコールの1969のように発売が大きく二年後にずれ込んでたり。 ジェイミー・ミューアのカンパニーに至っては70年の発売月が判りませんしね。60年代のバンドはデモテープという概念が無かったためアセテート盤のデモ盤を作ってたFleur de lysのようなケースがありましたが、そんな不明なものまで含めると収拾が付かないので、正規盤デビュー限定にしました。 それとジュディさんのフェアポートは省きました。非正規メンバー入れると丁度10組を超えちゃうので。すみませんね。前置きが毎度の如く長すぎるのでとっとと進めます。第10位:Bill Bruford : Yes - YES (LP)(25 Jul. 1969) クリムゾンメンのデビュー順位なのにいきなりイエスかよ!と突っ込まないでください(汗)。第9位:Andrew McCulloch : Shy Limbs - Reputation / Love (9 May 1969) 何でB面曲の方なんだよと言わないように。アンディのドラミングだけじゃ無く、ロバート・フリップがセッション参加したリードギターとグレッグ・レイクのヴォーカルが入ってますし。フリップのギターは曲終わりもちょっとした聞き物になってますね。ほんとちょっとですがw第8位:Ian McDonald : Giles, Giles And Fripp - Thursday Morning / Elephant Song (11 Oct. 1968) ディープなファンならご存知の通り、マクドナルド加入後の木管楽器ダビングが行われたシングルヴァージョン。この動画はほんとにシングル掛けてるので貴重でありがたいですね。欲しいけど買うと高いですし、このオリジナル盤。第7位:Robert Fripp : Giles, Giles And Fripp - One In A Million / Newly Weds (28 May 1968) このデビューシングル曲、聞き込むほど演奏レベルの高さを感じさせてくれますが、それにも増してマイケルの軽やかな歌声が良い味ですな。フリップのギターも地味ですが艶っぽくて既に非凡ですね。メロトロンも地味ながらGGFデビューシングルで使ってるのを再確認。え?フリップが最初に関わったのはリーグ・オブ・ジェントルメンじゃないの?と思う方は、以前取り上げたコチラをご参照くださいまし。60年代The League Of Gentleman 二枚のシングルがクリムゾンと無関係だとわかる動画第6位:Greg Lake : The Shame - Don't Go 'Way Little Girl / Dreams Don't Bother Me (22 Sep. 1967) グレッグ・レイク1967年のデビュー盤はジャニス・イアンのナンバーですが、オリジナルタイトルのToo Old To Go 'Way Little Girlが英国盤のみ少し変えられています。米国のPOPPY盤はそのまんまなんですけど、そこら辺は謎です。翌68年に日本盤が出ると「離れてはいられない」という邦題が付けられた事はマニアならご存知の方も。2年前にも書きましたが、グレッグレイクサイト管理人さんのお話ではこの曲のシタールはセッションマンの演奏ということです。第5位:Mel Collins : Phillip Goodhand-Tait And The Stormville Shakers - No Problem / What More Do You Want (26 Aug. 1966) 66年にメル・コリンズが加入したストームズヴィル・シェイカーズは、ちょこちょこレコーディングを行いますが、メルが参加した音源が初めてリリースされたのはこのレコードと考えられます。メルのディスコグラフィでは65年のアニマルズのライブLPが最初だと書かれてる海外サイトも見受けられますが、何度聞いてもあのアルバムに管楽器は入ってないですね。だれが最初書いた情報なんだか知りませんがw メルのファンならご存知の通りこのバンドが後にサーカスと改名します。第4位:Gordon Haskell : The Fleur De Lys - Circles / So, Come On (18 Mar. 1966) バンドの冠詞がTheだったりLesだったり一体どっちなんよ!と突っ込みたくなるFDL(正規略称)のセカンドシングル。彼らの自伝本やハスケルのサードには彼らのレコーディング履歴も出てますが、実際はそれ以外にも多くのレコーディングやデモ盤が存在してます。しかし、65年末にバンド加入したゴードン・ハスケルの初参加演奏となるとコレしかないですね。 FDLが1stシングルでB面をジミー・ペイジの別曲に差し替えられリリースされた件を2013年発売のCDライナーで「私達は憤慨した!」とガスターが回顧してましたが、この曲のリードギターも長らくペイジの演奏じゃないのか?とマニアに言われてきた曲でした。しかし、YOU'VE GOT TO EAR ITのCDに収められた曲ごとのクレジットで、フィル・ソウヤーのリードギターだったと結論が出ちゃいましたね。第3位:Boz Burrell : Boz - Isn't That So / You're Just The Kind Of Girl I Want (11 Feb. 1966) ボズというとクリムゾン入りしてからベースをはじめたと言うエピソードが一人歩きし、まるでそれまで楽器に触っていなかったずぶの素人みたいな言われ方をしてきた可哀想なお方と言う印象があります。 でも実際は最初に彼がバンドを組んだ1963年当時、バンドではアコースティックギター担当だったんだそうで、KC加入後にベースをすぐ弾けたのも一応楽器経験があったからだといえる訳ですね。この後のシングルじゃ自作曲もB面へ入れてるくらいですのでそこそこ弾けたんでしょうね。 1964年からロンドンでボズ・ピープルとしてライブ活動し多くの雑誌などに取り上げられてたようですが、残念ながらレコードデビューにまで至らず、この66年2月まで一枚も出してませんでした。当時のバンドの事ですから売り込み様にアセテート盤でデモ録音しててもおかしくは無いと思いますが、何せなーんも情報がありません。曲はオーケストラをバックにソロ歌手らしく朗々と歌う青春歌謡風。当時ボイストレーニングも受けてたんだそうで、道理で巧い筈ですわ、歌が。YOUTUBEに動画が無いのでリンクは画像のみです。第2位:Ian Wallace : The Warriors - You Came Along / Don't Make Me Blue (Jun. 1964) イアン・ウォーレスやジョン・アンダーソンの在籍したウォリアーズ関連の動画はいくつかありますが、デビュー当時の初々しい彼らが出演した音楽映画ジャスト・フォー・ユーの例のシーン。 この映画は結構前から海外市場で探したりしてましたが、状態がいいものが無くて諦めてたところ数年前動画がアップされた時は嬉しかったですね。まあ海外ビデオを買っても再生する機器が無いですが。DVDなりにリマスターして発売・・・しないだろうなぁ、きっと。したら買う、即買いw さて「輝け!キング・クリムゾン先にデビューしてたのは俺だ選手権」記念すべき第1位は・・・(そもそもそんなタイトルじゃないし)第1位:Michael Giles and Peter Giles : The Dowlands And The Soundtracks - Little Sue / Julie (Aug. 1962) 彼らのサウンドを指してよくエヴァリーブラザーズが引き合いに出されますし、実際彼らもカバーを演奏してたそうですが、もっと突き詰めると英国のバンド事情が関わってきます。 1960年以前の英国素人バンドはそのほとんどがスキッフル。英国ロックを根本から変えたビートルズもそもそもスキッフル出身でメンバーに洗濯板やモップベースがいたクオリーメン時代があったように、ダウランズもダウランド兄弟やジャイルズ兄弟がそもそもスキッフル出身という素地があります。ナイスのドラマー、ブライアン・デヴィソンとか50年代からスキッフルのセッションドラマーだったそうですし、1960年より前の時代から演奏活動していたイギリス人は悉く通過儀礼の如くスキッフル経験があると見ていいでしょう。 たまにいるロッカーもエルビスコピーのソロばかりでロックバンドという概念が英国に広がるのは1960年以降と言われてます。加えてプロデューサーがジョー・ミーク。テルスターを思わせる非常に特徴的なサウンドが印象的ですがダウランズはこの個性が逆に、進化し続ける音楽市場ですぐに古びてしまった運命を感じさせますね。1965年末には極短期間ゴードン・ハスケルもダウランズのツアーに参加しましたがすぐに抜けちゃいました。そりゃモッズバンドとして売り出してたFDLの方に行くのも仕方がない。そんな事も考えちゃうサウンドですね。以上、毎度取り留めない話を最後までお読みいただきありがとうございました。2018年6月22日追記:正規メンバー以外でキング・クリムゾン作品で演奏した方の中には、正規のメンバーよりいち早くレコードデビューしてた方もいました。ひと世代上のミュージシャンで、アルバム「アイランズ」の冒頭、フォーメンテラ・レディで幽玄なウッドベースを弓で奏でていたハリー・ミラー(故人)がそのお方。彼が渡英する以前、1950年代末の南アフリカでいくつかのレコードで当時流行りだしたばかりのロックン・ロールをダブルベースでボンボンと弾いていました♪ 詳細は不明ですがLP裏面には、彼の本名ハロルド・ミラーとしてクレジットされています。OGUNレコードの創設者であり、70年代キース・ティペットらとたくさんの演奏を残した人物でした。
Sep 19, 2014
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70年代のKing Crimsonにおいて印象的なコルネット・プレイを聞かせたMarc Charig氏。その近年の活動を伝える映像を中心に、現在YOUTUBEでアップされている動画を収集してご紹介します。Mark Charig, Georg Wolf, Jörg Fischer (2 fragments) ive in Wiesbaden beim "schöner hören"-Festival (Kooperative New Jazz Wiesbaden), Januar 2010.Bloombox (Mark Charig, Martin Speicher, Georg Wolf, Jörg Fischer)20.09.2013, Alte U.B. Giessen (Germany)Bloombox 2013 (Mark Charig, Martin Speicher, Georg Wolf, Jörg Fischer)Schlachthof, Kassel 21.09.2013Mark Charig, Georg Wolf, Jörg Fischer (4min) 24.01.2014, DarmstadtMark Charig, Georg Wolf, Jörg Fischer (6min)Mark Charig, Georg Wolf, Jörg Fischer (7min)チャリグ氏らのCDはこちらでメールオーダーできるようです。sporeprint label:http://www.joerg-fischer.net/sporeprint.htmlPaypal利用ができるので購入も簡単ですね。興味のある方は是非。キース・ティペット・セプテットのテレビ出演映像?(またはビデオソフトか)こちらはチャリグ氏の他にニック・エヴァンス、エルトン・ディーン両氏もご出演。KEITH TIPPETT SEPTET - JAZZ CAFE (1986)
Sep 16, 2014
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たまに気が向くと訳すシリーズ(なんじゃそら)。今回は1971年CBSから唯一アルバムを発売したFIELDSのレコード発売前に行われたインタビューを毎度のヘッポコ意訳でお届けします。日本では現役当時ほとんどインタビュー記事を見なかったアンディも答えております。一番後に加入したアランは全く発言が載ってないですが、まあそれも短い記事ですので仕方ありません。= 新たな名・・・それは音速の壁を破れる フィールズを解剖してみよう = この二、三ヶ月というものグラハムフィールドはずいぶんと長い道のりを感じていた。彼のバンド「レアバード」は分裂していたし、彼は真剣に教師の世界にもう一度戻ろうとさえ考えていた。音楽面では無い事柄が彼を疲れ果てさせていた。彼は言う、「舞台裏で行われた激論だったんだ。レアバードというバンドが成功した為に起きた内輪揉めだったけど、人とミュージシャンの両方として相互に合意した。」「フィールズのコンセプトやアイデアはレア・バードが分裂した後、ちょうどボブ・フリップと夕食を共にした際に思いついたんだ。フリップは、新しいバンドを用いたロックのゲームをやってみるべきだよと言ってくれた。その基本的アイディアの維持には音楽にもならないやかましいリードギタリストも要らないだろ。とね。」 フリップはまた、グラハムの鍵盤演奏を補完する完璧なドラマーを思い付いた。そしてアルバム「リザード」でプレイしたアンディ・マカロックを試してみるよう薦めた。 次にマカロックを通じてグラハムはフィールズを飛躍させる為のもう一人の完璧なミュージシャンを見つけられた。 アラン・バリー、ギタリスト。彼は自身が所有するベースとギターのダブルネックギターを演奏する。それは彼とグラハムの両方が必要に応じて、リードとベースパートを互いに受け渡せる事を意味している。「私たちはとても幸運だった。彼の他にリードギタリストを見つける必要がなくなったからね。いうなれば彼はフリップタイプのギタリストだが、楽曲で始終ギターを弾きまくる必要もないしね。 アランは非常に良いボーカリストでもあるんだ。彼は発声がいいんだ。他に言いようがないんだけど彼はちょっとマッカトニー風でもありバッハっぽくもある。」とグラハムは語った。 まもなくリリースされるフィールズのアルバムは、良質な楽曲を混ぜ込んだネオクラシカル・ロック。「私達はグラハム邸の居間でアルバムを書き上げたんだ。」アンディ・マカロックは語った。「バンドは今より向上する可能性がたくさんある。半年もロードに出ればね。」「三つのスタイル全てが同時に進行するのさ。」とグラハムが付け加えた。「良質なロックンロール(アラン)、ゴング(アンディ)、バッハやストラヴィンスキーっぽいのと(グラハム)」(※カッコ内訳注)「私達は制作が決るかどうか問題を抱えている。私は、次のアルバムは、たぶん全てで2倍の手間を掛けなければならないと思う。アルバムには2、3曲知的で長目の曲を持ってくるだろう。もう一方は、その上に短い曲たちを配することになる。しかしそれらの制作にそう長い間を空けずに私たちが制作に入り共に練り上げる事ができるよう待つ事になるだろう。」以上です。残念ながらアルバム発売後のフィールズはこれと言った際立った活動も無いまま消滅しましたが、グラハム自身は後年当時のマネージメント問題を指摘してました。また、フィールズ結成後もレア・バードに残ったメンバーから持ちかけられるレア・バード名義の存続問題等色々悩ましい問題があったようです。結局グラハムはフィールズの後はロックの表舞台から去ってしまったわけですから、彼もまた1970年前後の時期のバンドの多くが悩まされた契約問題に嫌気がさしてしまったのかも知れないですね。インタビュー最後で触れてるセカンドアルバムも結局ドコまで構想出来てたのかも判りません。 またこのインタビューではバンドの成り立ちと、ロバート・フリップがどんな感じで結成に関わったのかが読み取れる点が面白いと個人的に感じました。たぶん一緒に食事をしながら業界のぼやき話でもしてたのでしょうねw フィールズ各メンバーのその後 グラハム・フィールドはテレビ音楽の仕事や75年にBob PeggのAncient Mapsと言うアルバムで古典楽器を取り入れた作品を手掛け、英国アートセンターの古典楽器のアンサンブルやジャズアンサンブル、劇場の美術担当や詩人や音楽家の代理店等をしてきたそうです。 アラン・バリーは、フィールズ以前の1969年にジ・アクトレスで共にシングルを制作した元ザ・リーグ・オブ・ジェントルメンのティノ・リチニオ、そしてシャイ・リムズで共演したジョン・ディッケンソンと3人でKing Harryと言うバンドを立ち上げ1977年にレコードデビューしました。その後の詳しい活動は判明しておりませんが、2008年にリチニオ氏が亡くなった際のフリップ氏の日記によるとアラン・バリー(日記ではアラン・ボウリー)は、晩年のリチニオ氏と元DOWLANDSのマイク・ピゴット(2015年3月30日苗字読みを修正、彼もガス漏れ事故で亡くなっている)と地元でLUCKYというバンドを組んで活動していたそうです。※2015/11/30追記、ゴードン・ハスケル氏の返信で、King Harry後のバリー氏とは一緒にクリフ・リチャード・バンドで演奏してた事もあったそうです。ただしマネージャーと演奏方針でもめて解雇された為、3日しか居なかったそうですが。アンディ・マカロックはフィールズ後にダブルキーボードのバンド、グリーンスレイドへ参加したのはご存知の通り。バンドが76年2月に解散するとプログレ系ミュージシャンとのセッション活動をした後、パンクの台頭した70年代末には音楽業界から離れヨットマンに転身した事は当ブログでも過去何回か取り上げてきました。 既に全メンバーがロックの第一線から退いてしまったのもあり、再結成の可能性が無い幻のバンドとなってしまいましたが、彼らの遺した比類なき独特な音楽世界は今後も語り継がれていく事と思います。今回も最後までお読みいただきありがとうございました。■2015年3月27日追記■インタビュー記事中でも出ているフィールズのセカンドアルバムがいよいよ発売されることとなりました。遂に発売!フィールズ幻のセカンドアルバム!!http://plaza.rakuten.co.jp/chop100/diary/201503240000/【ポイント10倍】新品未開封【CD】フィールズ 紙ジャケット仕様 [AIRAC-1662]価格:2,808円(税込、送料込)
Sep 12, 2014
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