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はやいもので、もう2016年も1月が終わりますねー。 今回もある実話を元に。。。 ドラえ■んがテ■朝でアニメ放送開始され大きな話題となった時期です。え、プログレ関係ねーじゃん? まあまあ、そういわずw (今回も画像クリックで別窓に拡大画像が出る仕様にしてます。※PCにおいて。スマフォでどーなるかは知らんよw) 50万アクセス記念企画はもう少しお時間を頂戴します。まだ終わって無いのよwではまた♪
Jan 30, 2016
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ダラダラ描いてるだけの拙ブログに毎度お越し頂きありがとうございます。日頃の感謝の印として後日改めて特集を書きたいと思います。まずは挨拶まで。ではまた♪※コミPO!の使用期限が3月まで延びた試用版を使っていますwインフルエンザの季節です。こまめに手を洗い、うがいをしましょう♪
Jan 27, 2016
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スティ-ヴ・ウィンウッド離脱後、元Fleur De Lysのフィル・ソーヤー加入時の映像。レアですねw ソーヤーの動いてるところははじめてみたwSpencer Davis Group - Time Seller
Jan 22, 2016
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何やらいつものプログレ女子から何かメッセージがあるようです。 1月末にてソフト試用版の期限切れとなるので、プログレ女子はお休みをいただきます。今後ソフトの購入が出来ましたら、もしかして再開する事もあるかもしれません。ご愛顧ありがとうございましたw
Jan 18, 2016
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1980年、京都に住んだ事もあったデヴィッド・ボウイ氏が、69歳でこの世を、いや地球を去りました。18ヶ月もの間極秘で闘病生活を続けた末だったそうです。 2016年1月8日に出たBlackstarは遺作となってしまいましたが、どうやらファンたちへのお別れの挨拶として作られた面もあったようです。動画は1980年に彼が出演した日本のCM 1960年代前半にデヴィッド・ジョーンズ名義でデッカからデビューし半世紀以上に渡り、音楽界のみならず多くの分野で多大な業績を残されたボウイ氏のご冥福を心よりお祈りいたします。 貴方は私たちの本当のヒーローそのものでした。■追記■世界中の著名人が続々とボウイへの追悼メッセージを公開してます。その中から意訳ですがご紹介いたします。ピーター・ガブリエル「今朝はデヴィッド・ボウイの死に深い悲しみを呑まざる得なかった。彼は私にとって非常に多くの意味を持たらせた。彼は常に社会との境界に彼ならではの音楽/ファッション/アートで挑戦し、模索し、全ての人々が望んだ感動を鮮やかに与えた。 ヒーローズは常に私にとってボウイの最も偉大な曲であり続ける。そのヒロイズムは抑圧と絶望の側面を持ち、その絶望的状況にも関わらず堂々とした何かを感じさせる。」スティーヴ・ハケット「デヴィッド・ボウイがこの世を去ったニュースを聞き悲しいです。 彼は音楽とビジュアルアートを結びつけた大変な開拓者であり、素晴らしい表現者であり多くの影響を与えました。」キース・エマーソン「デヴィッド・ボウイに哀悼の意を捧げる 私がデヴィッドと最初に出会ったのは60年代半ばのとある昼下がり、ロンドンはウォーダー・ストリートにあったマーキークラブでした。(※訳注/当時キースはマーキーと専属契約していた) 日曜日、ロビーでサウンドチェックに備えてる時、デヴィッドは「ザ・バズ」と呼ばれた彼のバンドを従えそこでプレイしていた。それまで一度も会った事が無かったのに、彼はそばに来るとまるで数年来の旧知の仲の様にお互いおしゃべりをしてました。 『僕はパリでマルセル・マルソーからフレンチ風マイムレッスンを受けてて、帰ってきたばかりなんだよ。』 そんな彼が何を成そうとしてるのか私は考えこんでしまいましたが、彼が様々な手法を取り入れてアートを切り開こうとしてる姿勢に深く興味をそそられました。ファッション/映画/コメディ等等が彼を触発し、彼の並外れた能力がそのすべてを昇華させたと思います。 1970年代後半、私たちはスイスのモントルーで再会しました。 ELPがそこでレコーディングしながら暫し生活していた時期。デヴィッドが尋ねてきて、彼と会ったのはそれが最後となりましたがまるで昨日の事のように思い出します。彼の息子ゾウイは私の息子アーロンと同世代同士で遊んでいました。 真の天才を具現化した精神デヴィッド・ボウイへ世界は今、別れの挨拶で溢れています キース・エマーソン」生前、最も交流の深い一人であったブライアン・イーノは、BBCに声明を出しています。和訳がAMASSにて公開されておりますのでリンクを貼っておきます。ブライアン・イーノ 亡くなる7日前にデヴィッド・ボウイから受け取ったメールについて明かすhttp://amass.jp/67625/深い友情が感じられるメッセージです。
Jan 11, 2016
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2016年キース来日を記念し、1960年代半ばプロとして駆け出しだったTボーンズ時代のキース・エマーソンの楽屋でのお話です。(これが記念かよとw) 70年代半ばになってキースがソロアルバム制作に取り掛かって、結局途中で中断してしまい、ソロシングルとして「ホンキートンク・トレイン・ブルース」のみ発表しましたが、そこでジョン・ハイズマンにドラムスを頼んだのはこの時の縁がもたらしたのかも知れないですねw ある意味恩返しかもしれませんし、全然違うかもしれないけど。
Jan 10, 2016
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キース・エマーソン・バンド featuring マーク・ボニーラ来日公演は大阪が4月14日東京が 4月17•18•19日大阪の情報http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=9852&shop=2東京の情報http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=9851&shop=1
Jan 8, 2016
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1980年一月、キャメル二度目の来日公演時のです♪ ええ、メル・コリンズがメンバーにいなかった時のですw なんてマンガを作ってたらホントにキャメル来日が決定しちゃいました!キャメルが16年ぶりに来日 <PROGRESSIVE ROCK FES 2016>が開催決定、スティーヴ・ハケットも出演http://amass.jp/67565/
Jan 8, 2016
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イタリア、ピアチェンツァにおいて1月9日現地時間午後5時半より、グレッグ・レイク氏へジュゼッペ・ニコリーニ国立音楽院から音楽制作やリリカルな歌詞を認めた「名誉学位」が贈られるそうです。おめでとうございます。これで親方から博士に・・・w
Jan 6, 2016
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今年も4646
Jan 1, 2016
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