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もうすぐ…バレンタインデー。今年は取って置きのチョコレート見つけた☆Sweet Valentine info.京都・嵐山にあるSAGANO-YUTANBA (わらび餅風きな粉生チョコ) SAGANO (抹茶生チョコ) すでにお味見済み。この生チョコ、そんじょそこらではお目にかかれないお味。じゃ、何がどう美味しいのか?!やわらかくて、口の中でしっとりとしたまろやかな生チョコときな粉の香ばしさ、抹茶のほのかな苦味が見事に溶け合って、とろ~りとろける、とろける…。絶品!!こんなチョコレート食べたことないッ!ってことで即座にTANBA3箱・SAGANO2箱の計5箱予約した。夫用にと、私用にそれぞれのお味を1箱ずつキープして後はプレゼント用の予定ダケド・・・気が変わるかも・・・そんな予感。こうして毎年バレンタインに贈る習慣となっているが、今年はどんなチョコをくれるのか?な~んて、楽しみにしているようだし。結婚して26年が経つけれど、愛も変わらず、嬉しそうな笑顔で受け取ってくれるから毎年のチョコ選びは楽しい。今回のはきっと気に入るに違いない。明日は受け取りに行く日。嵐山まで車を走らせて、冷たい風に吹かれてこよう。
February 13, 2008
昨年の2月早朝・日テレアナウンサーだった大杉君枝さんが亡くなられたニュースが全国を駆け巡った。そして、一年が過ぎ、先日一周忌を迎え、それに合わせてジャズヴォーカリストでもある実姉の鈴木陽子さんが君枝さんへの追悼の想いをこめたCDが発売になった。風になった君へ~歌と朗読で綴るもうひとつの「千の風」~秋川雅史が歌う「千の風になって」は、昨年の大ヒット曲でもあり、紅白歌合戦でも話題を呼んだが、この陽子さんの歌と朗読で綴るもうひとつの『千の風』は、「千の風」のオリジナル訳の朗読と、英語版「千の風」、そして「千の風」の3部構成。私にとっては、友人・陽子さんを通しての君枝さんの存在だったけれど昨日届けていただいたCDから流れる陽子さんの声から溢れる想いはわたしの心の奥深くまで沁み込んできた。私自身も13年前に逝った父を思い出していた。哀しみを思い出したのではない。愛しさを思い出したのだった。優しく、やわらかく語りかけるような歌声は、多くの人の心を癒すに違いない。誰しも大切な人との別れをいずれは経験する。その惜別の想い、喪失感・・痛みを伴うこの想いは大切であればあるほど、癒えるのに時間を要することが多い。そんなとき、このCDの奏でる風に吹かれることで遠く旅立った大切な人に思いを馳せ、この胸の想いを優しく包むひとときにしたいと思った。人はいずれこの世から去る日が来る。それは誰一人として例外はない。だからこそ、生きている“今”をしっかりと出逢っていたい。そして、姿かたちはなくともその人が生きたこと、その存在を生きているわたし達が愛を忘れない・・・と言うことで受け継いでいきたいと感じた。風になった君へ~歌と朗読で綴るもうひとつの「千の風」~
February 12, 2008
昨日福岡の息子へ送った宅急便夜間指定したから、もうそろそろ着いているはず…連休なので日曜日の夜には帰るといった娘。まだ帰らない…大丈夫?母親というものは、ゴクローさまなこと。頼まれもしないのに、なんだかんだと気にかける。頼まれもしないのに、心配して、イライラしてる。頼まれもしないのに。息子や娘にとったらとんだ迷惑なこってす。頼んでもいないのに、勝手に気にかけ頼んでもいないのに、心配して、頼んでもいないのに、イライラして着いた荷物を受け取ったとメールを入れないと怒られ帰りが遅いから心配していたと怒りをぶちまけられる。元々は愛しい息子への愛元々は愛しい娘への愛なのに、表現しているのは怒り。これはマズイ。これじゃ、愛は伝わらん。いや、伝わってるだろうけれど、ちょっと素直にはなれないよなー。そんなことを考えながら帰りを待つわたし。玄関開いたら「寒かったでしょう。お帰り!お風呂温めてあるから…」それだけで床に入ることにしよう。それなら、イイ気持ちで寝られそう。
February 11, 2008
夕方のスーパー。果物売り場で、黙々と作業中のおにーさん。鮮魚や野菜、お肉などの売り場は賑わっているが夕方のスーパーの果物売り場は人もまばらだった。入荷したばかりなのか、いちごに値段付けして並べるという単純作業をただ、下を向いて繰り返しているおにーさん。「どのいちごが甘いですか?」と聞いてみた。顔を上げたものの、表情ひとつ作らずに淡々とそれぞれの特徴を説明してくれるおにーさん。広げた扇のように2.3個が連なったかたちのいちごがあまおう「コレ、おいしそう☆この大きいのがいいね~」「どうせなら一番大きいのをいただこうかしら?」「どれが大きい?」色々話しかけるうちに、おにーさんから笑みがこぼれた。そして、「一番大きいのを選びましょうか。」とあれやこれやと見てくれて、「コレですね」と差し出してくれた。「わぁ~美味しそう♪ありがとうございます!」と言うとおにーさんは優しい笑顔でにっこり。お買い物するとき、お店の人から笑顔を引き出すのがわたしの趣味。変な趣味かしら?
February 10, 2008
友人がさるヨガの先生の体験ワークに参加してその先生の話しの中で書き留めた「ヨガにかかわる上での6箇条」メールで送ってくれた。「ヨガにかかわる上での6箇条」1-静かな心で2-開かれた待つ魂で3-執着を持たず4-願いを持たず5-判断せず6-意見を持たずこれ、セラピーやカウンセリングにも通じる。判断や意見を持たずは特に難しい。相手を勝手に判断したり、自分の意見を押し付けたり自分の思い込みで勝手な解釈したり・・ほんと難しい。自分が誰かに勝手な解釈で判断されたらどんなにイヤかを知っているのに。ケド、自分はソレをついついやってる。。。家族にはより顕著。それもご丁寧に「あなたのために」「あなたを思って」余計なお世話もいいとこ。イライラする自分も、ムカつく自分も、憤る自分も、その基には、何かへの期待がある。何かへの判断と意見がある。ソレが思い通りにならないから憤る。ソレが期待にはずれるからイラつく。静かに自分の心を感じようと思う。
February 9, 2008
わたしは“生きるッ!”って決めなくても、今日を生きているし、昨日も生きていたし、一昨日も、去年も・・。けっこう長く生きてきている。生きるぞッて決めた覚えも無いけれど、何十年も生きている。(スピリチュアル的に言えば、魂のお約束?)これを自然の営みと言ってしまえば、そうかもしれない。とすると同時に気づくのは、偉大なる自然の営み、自然の法則の一部である自分。その“生”を育んでいるのが食べること(飲むも含め)や寝ること。食べて寝て蓄えたエネルギーでからだを成長させたり、維持したり、活動に使い、減ったらまた食べる、寝る。そしてまた、消費して、蓄えて・・・循環している。これは、わんこもにゃんこも同じ。らいおんもとらもへびも同じ。庭の木も花も同じ。空を舞うからすもすずめも同じ。このシンプルな法則を時間で管理しているのは人間だけ。そして、いつしか時間の管理が優先され、何のために食べるのか?何のために寝るのか?何のためにからだを動かすのか?それを忘れてしまって、時間に追われる日々。そうなると、おなかが空いてなくても時間の都合で食べるとか食べないとか。寝るとか、寝ないとか。過剰な活動とか。どう考えても不自然なことをからだに押し付けてく。その結果・・・感覚麻痺。からだやこころが不調なときは、ひと口、ひと口、噛み締めて食べることや自分の呼吸に気づいていくことや何かに触れて、感覚を思い出すことで少しずつ思い出せると思う。丁寧にからだに関わると、“生きている”って実感を。蔑ろにしすぎてる。自分のからだを自分の所有物のように。あぁ・・そうかも~と思った方は今日は自分のからだに丁寧に関わる日にして欲しい。生きるってコトをいつ決めたのか?覚えていないけれど、生きているんだから、からだをいたわる日も必要でしょう♪目にありがとう…と言うと、肩の力が抜けた。口にありがとう…と言うと、あごの力が抜けた。喉にありがとう…と言うと、呼吸が広がった。“ありがとう”あなたのからだ中によろしく。
February 9, 2008
「おぜんざい食べる?」と母えらく突然で…。ケド、いらないと言うと必ずと言っていいほど不機嫌になるなので、「うッ…ん 貰う」とそっけなく答える。「うッ…ん 」の間合いとそっけなくの返答に最大限に抵抗を込めたが、まったく伝わっていない。何故、突然のおぜんざい登場か?どうも母の友人からつきたてのお餅を貰ったそうで、一昨日にコレも頂き物のおぜんざいがあったので、ちょうどイイ!!と思ったらしい。そして、何故にわたしに?「どうせ温めるんだからついでだし、あんたも欲しいでしょ!」そうコレコレ。母は自分と他人を(特に身内)同一視する傾向がある。自分が食べるんだから、あんたも食べる。思い込みが激しいとかではなく、そう言う思考回路なんだと思う。だから、コレに抵抗すると、不機嫌なのよね。そこにどんな感情が湧き起こるのかと言うと ・母への裏切り行為 ・母の厚意の否定つまりは母の存在否定そのくらいに感じるらしいから。おぜんざいに母のすべてを一瞬に込めるもんだからとーーーっても、重いおぜんざいとなる。なので、ご厚意を謹んで頂くことにしたけど、さっき、ご飯食べたばっかりなのになー。
February 7, 2008
いま、すじ肉カレーを炊いてます。何人分だろうか?すじ肉カレーのこってりしたのが娘の好物だし、昨日は息子から「おかーさんのカレーが食べたいなぁ…」と電話もあり「紀ちゃんのカレー」所望のメールが届いたりでコトコト煮てますの。20人分?いや、もっとあるなー。2日がかりで炊きますので、いまはかなりの量。ソレをコトコト、コトコト、コトコトと半分くらいにまで煮込んであとは寝かせるだけ。わたしはとっても単純なので、「おかーさんのカレー食べたいなぁ…」とか「紀ちゃんのカレーよろしく」なんて言って貰っちゃうとホイホイとその気になる。(かと言って、みなさんに頼まれてもお応えできませんのでアシカラズ)ウキウキ♪ルンルンで炊き続ける。おなべに向かって「調子はどうですか~?」「ゴキゲンいかが~?」「うぅ~ん、イイ感じですね~♪」声をかけながらまぜまぜ。どうです!元気なカレーでできると思うでしょ。さてと、またまぜまぜして来るか。
February 6, 2008
携帯電話の着信音わたしのバアイ、家族と事務所の着信はすべて違う着歌に設定している。なので、家族や事務所から電話が入るとスグに誰からかわかる。ちなみに母…愛しのエリー(コワイ顔してないで、笑ってもっとエリー)事務所…Free(拘束されないも~ん)上の娘…SMAPのオレンジ息子…SMAPの夜空のムコウ下の娘…モルダウそして、夫…らいおんハート→世界でたったひとつの花→空と君のあいだに→COLORSそう、夫の着信音だけはショッチュウカエテイル。何故か?うちの夫はなんだかんだと電話してくる人。自営業なので拘束されているわけではないせいか?はたまたヒマなのか?(んな訳ないか…だったら帰ってくればイイから。)それともわたしの声が聞きたい?(ホホホ・・)とにかく、何度も聴いているうちに飽きちゃう。だから、夫のみ度々変わることになる。COLORSもそろそろ・・・人気のSMAPも天才・宇多田ヒカルも夫にかかると簡単に飽きさせられるんだから、中々のツワモノ。次は何にしようかしら?ヘイヘイホーにでもするか?
February 5, 2008
我が家の子たちは、すでに3人とも20歳を過ぎた。(24歳・23歳・20歳)20歳で成人と言われるので、いちおう成人と書くけれど彼らはどこをどう見ても、わたしよりもはるかに成長している人。なので、今回は成人を成長している人と定義。わたしや夫を介してこの世に誕生したものの振り返ってみれば、彼らによってわたしは少しずつ成長して来た。からだごと、心まる投げで委ねてくる存在なんて他にはありえない。これには、不安だらけのおっかなびっくりながら、試行錯誤ながら、逃げ出すわけにもいかない。全身全霊で、本気で、本音で向き合わされる。で、ひとつひとつ自分の未熟さを突きつけられ、自分を知ることになる。これは…「子どもによって成長させてもらっている。」もぉ~、その表現しか見当たらない。子どもは自分が所有するものではないし、誰かが思い通りに出来るものでもない。成績が悪くても、足が遅くても、歌が下手でも、絵が上手じゃなくても。そこがその子の価値ではない。外側の価値がソノ子の、その人の価値ではない。とは言え、親という立場としては子のこの将来を思って成績が良くなり、早く走れて、歌が上手で…などなどを望むのも無理からぬこと。ただ、無理に押し付けると抵抗するのが人の常。ならば、一緒に楽しむことだと思う。それには、わたしが知ってることを面白おかしく語ることかもしれない。※実際に面白いとおもっていることを。子育てなんて、上から目線じゃないと思う。もちろん、下から目線でもなく。正面向き合うことだと思う。
February 4, 2008
我が家にはちわわのももが室内を自由にウロウロしている。昼寝をしているとき以外は、何かを物色するが如くに常時、ウロウロしている。食事時には「わんわんッ」とねだってくるんだけどこのときのそれぞれの反応が面白い。母は「自分たちだけ美味しいもの食べてずるい!って言ってるよ」と言う。娘は「ちょーだい!ちょーだい!って言ってるんじゃないのー」と言う。夫は「パパ~、ももちゃんおなかちゅいた~~って言ってる気がするなー」と言う。私は「誰か!誰か!わたしにも何かちょーだいよー!と言ってる気がする」と言う。同じ「わんわんッ」なのにね。それぞれの受け取り方が違うのって面白い。これって、自分にそのまま置き換えられるんじゃないかしら?
February 2, 2008
自分の考えを意見として公の場や人前で何かを言うときには慎重になるけれどその他大勢の中での発言には、けっこう無責任なことを言えてしまうと思う。ソレがどれだけの意味を持ってしまうか!なんて考えてないし。井戸端会議なんてのは、その最たるもの。「あの人がこう言ってた」「この人がどうだった」「そうそう、だから〇〇なのよ」無責任な発言が飛び交い、勝手なストーリーが仕立てられそれが個々の食卓でまことしやかに語られる。こうなると、もうまったく別物になっていたりするからコワイ!!そんな渦中に巻き込まれないように自己防衛は「君子危うきに近寄らず」しかないか・・・。今日は、夕方から仕事に出かけるので化粧もせずに、セーターとスウェットパンツ姿で洗濯物取り入れてたらちらりとお隣のおば様の視線が・・・。さてさて、どんな私が語られるのか・・チョット楽しみかも。(この程度は罪がなくてイイけど、人を傷つけてしまうこともあるからなー)自分を主語にした発言じゃないから言えるって無責任。「わたしは、〇〇だと思う」こういう言い方で非難されたら、受けて立つのに。(戦闘モード?)
February 1, 2008
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