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自分のコトってほんとわからない。一番近いのに。いや、一番近すぎるからか。自分を見るには鏡に映すか、他人に映すか?とは言え、映す鏡がゆがんでいたら…本当の姿は見えてこない…はたまた、映す相手が相手はいつも一緒じゃ見えないところは見えないまま…本当の姿をありのままにそして、色んなところを見ようとする私でありたいものです。痛みを伴うこともあるけれど。知らないままの方がもっとコワイから。
June 29, 2008
今日は娘の誕生日。 なんと、なんと、25歳になったそうな。 何ともかんとも驚くばかり。 ニコニコといつもご機嫌な子だったので、見知らぬ人にも(^ー^)笑顔良しだと褒めて貰った。 今もそのまんま。 今日も笑顔で過ごせますように…と朝日に祈る。 7月からまた東京勤務となるから、余計にソレを願わずにはおられない。 今日も笑顔で過ごせますように……。
June 26, 2008
自分でルールを作る。そしてソレを実行する。はじめのうちは意識してやらなくちゃ、忘れそうになったり、イヤになったり…それでも続けていくうちに習慣となる。そうすれば占めたもので、何も意識してなくても当然の如くにデキルようになる。子どもの成長する中で色々なことが出来るようになっていくのも同じことが言えるだろう。何度も何度も言って、教えて、身につけていく。文字通り“身につけていく”作業なのだ。私は、そうしていろんなことができるようになってきたし、今もそうしている。そして、あなたもそうだろうと思う。もちろん一つのことが出来るようになったことは大きな変化(成長・進歩)と言えるだろう。とは言え、その成長とか、進歩とかの結果(身についたとき)を見たとき習慣化されたこと、つまりは“慣れたこと”で、元々の身につけようとした意図を忘れてしまったり、元々の意図からズレてしまいやることが目的になることも多い気がしている。私自身の行動にもソレを感じる。ルールを作って、実行して、負荷がかかる中で「やるぞ」と思っている時期が一番充実していた気がする。出来るようになって、慣れてしまうのがこわい。わかっているつもりが一番こわい。最近のマイブームは“日々小さく自分の期待を裏切る”何かの出来事に対して“いつものわたしならこうする”を違うことをして見る。いつもどおりではないから多少は慌てる。だけど、何とかしようとしはじめる。あまのじゃく?小心者のワタシは“小さく裏切る”程度が心地よい。
June 25, 2008
求めているものと、求められるものは違うことがある。望んでいることと、望まれていることが違うことがある。その差はまったく違うってこともあのに求められていることが、求めていることのような気がしてくる。望まれていることが、臨んでいることのような気がしてくる。微妙なズレなら修正も効くだろうけどまったく正反対のことがある。だけど、望まれてるから、求められているから・・・それに応えようとしてしまう。うまく行かない。つまんない。何となく空回り。望まれていることは望んでいることですか?求められていることは求めていることですか?
June 24, 2008
あぶなかった~~~!あやうく鵜呑みにするとこだった。出来ていないところを理由に「あれがダメ!だからこうすればイイ」なんて言われると「そうか・・・」と思える。けれど、この“こうすればイイ”ってのが曲者で自分にとって良い方法かどうかはわからない。そう言った人にとっての良い方法ではあるだろうけれど。だから、ダメなのは何故なのか?本当にダメなのか?何故そうなっているのか?そのためにどうできるのか?自分に落とし込まないと何も変わらない。そのためには、現状把握して何が起こっているのかを掴むこと。人の意見はアドバイスだと思って聞くといいかも。あくまでもアドバイスで、その後は自分の判断で決めることね。
June 20, 2008

頭であれこれ考えて、あとはどう動くかを決めるだけ。だけ?だけ・・・?そこのハードルがとってもでかくない?動き出すまでいかない・・・助走がだらだらと続いてるって感じ。からだが動き出さないときは、何かが止めている。どう動くかだけ・・・なんて何も始まってない。 動き出すときは、“ひょい”だし。ハードルの高さなんて気にならない。
June 19, 2008
ワタシの目に映るコトワタシの耳に聞こえてくるコトワタシの肌に触れるコトそれがワタシの存在する世界。五感でキャッチすることがこの世の中と触れ合っている接点。だけど、だけど、だけどー、ソレってワタシだけの世界だわね。隣同士で見ていても同じように見ているかどうかはわからないものだし、隣同士で聞いていても聞こえてくるものは同じようでも受け取り方が違うかもしれないし嗅覚、触覚、味覚に至っては、比較しようもないし確認しようもないコト。なのに、なのに、なのにー、同じつもりでいたら大間違い。当然、違うわな。。。自分の世界で見えていることがわたしの世界でわたしはどこまで行っても私の世界でしか生きられない。だから、人と関わっていくためには表面的でいいなら、ナニに対しても「そうよね~」で済むだろう。本気で関わりたいなら「わたしは自分の世界をこんなん見てますよー」って伝え合うことだろうね。人間関係、しっかり関わろうとするならけっこう面倒なもんだと思う。そこが素敵なんだと思う。
June 18, 2008
始めた頃は二人だけだった。何にもないの。ほんとに何にも。時間とやる気だけは、たっぷりとあったけど。あの頃は、一つ一つが新鮮だった。“新鮮”は、明日への可能性だった。“新鮮”は、感動を生んだ。そして・・・月日が流れて・・・いつしか“新鮮”が減った。そして、沢山の当たり前が増えた。いつもの通りが蔓延していた。当たり前の中にある「慣れ」が感覚をクモラセルクモッテイルことにすら気づかなくなる「いつものとおり」これに安心ならそこまで。「いつものとおり」これがコワイと気づけたらまだまだ捨てたモンじゃない。
June 17, 2008
ヘトヘトになっても本気で関わる。ヘロヘロでも本気。逃げない。逃げられない。逃がさない。言葉はトラップ言葉に囚われたら、相手のせいにできるから。言葉に囚われて、自分を正当化しちゃう。だから、本心、ココロの根っこを見るしかない。そこに本気で関わる。本気だけが本気を呼ぶ。ヘロヘロでも、ヘトヘトでも、本気が本気を呼ぶ。
June 16, 2008
父の日に顔を見に行ってきた。91歳の義父はまだ現役で働いている。西陣の職人なので、その腕を買われてのお仕事依頼が細々とあるということなんだけど。「今まで生きてこられたのは人に支えられてきたから。」父はそう呟いて、遠い空を見上げていた。義母が他界して13年あまり経つがひとりで何もかもこなしてきた義父。その義父の言葉だけに重みを感じた。「人に支えられて」か・・・。「人と言う字はね…」なんて武田鉄也のセリフじゃないけど「ひとりで生きる」と言うことは、生易しいもんじゃない。ひとりで生きてきたからこそ、「人に支えられて」 それが実感なんだろう。
June 15, 2008
母は言葉の使い方がとても下手くそ。誕生日や母の日にプレゼントしても「こんな高いもん買わんでもええのにぃ」と言う。しかし母の本音は「こんな高いもん買わんでもええのにぃ」という言葉で嬉しい~という気持ちを表現し仕事で遅くなったときは「遅いなぁー、寝入った頃にガサガサされるとうるさくて寝てられへん」とイヤミたっぷり言うけれど、ジツハ・・・「まだか、まだか」と心配していた気持ちが、怒りに変わっていたのがー帰って来たことで“ほっとした安堵感”をイヤミであらわしているだけ。だけど、わかんないよねーこれじゃ。素直じゃないし。言葉だけに反応していたら関係性は悪化するばかり。本心を見ようとしたら言葉だけにとらわれにくくなった。言葉使いの下手くそな人って多いのかも。
June 12, 2008
わたしがなんとも気にならないことが、あなたは気になって。あなたがなんとも気にならないことが、わたしは気になって。気になることが違うって知るだけなのに、傷つけあってきた。いっそ、みどり色の肌だったり、空飛んだりできたら…違うって解りやすいのにさ。自分以外はみんな違うってついつい忘れてしまうから。
June 11, 2008
自分を良く見せるためにと言うよりは自分を否定されないためにあの手この手で頑張るのかも。元々は“自己否定”なんて知らなかったのに『ダメッ!』は行為に向けての言葉だったのにいつの間にか、いつの間にか、自分自身への言葉と受け取ってしまったのだろうか?存在がダメなんじゃない。そこを知らないとダメに押しつぶされそうになる。全然ダメじゃないのにさ・・・。
June 10, 2008
頭で思考したり、イメージしたりは重要だと思うけど、それだけじゃあくまでもバーチャルな世界に過ぎない。実際に行動してこそリアルな世界。今日は何したって言えるだろ?
June 9, 2008
わたしがあなたに一生懸命になって来たのは解かりあいたいからだと思って来た。ほんとだろうか?ほんとにそう?そうか…わかって欲しいから。なら、わかってもらえたのか?いやいや、段々とわかって来たのはこんなにも違うかってコト。そうか。ここからか・・・。
June 8, 2008
毎晩、お風呂上りに娘のストレッチする。その日の状態がそのまんまカラダにでるから不思議嫌なことがあった日はそのまんま硬い。嬉しいことがあった日はカラダに弾力がある。何も語らずとも、カラダは正直に反応する。そして、嫌なことがあった日でも丁寧にカラダにアプローチすればほぐれる。すぅーっとカラダが受け入れていくから。嫌なことがあった日に心をほぐすのは難しい。だから、カラダからほぐすのはおススメ今夜からいかが
June 7, 2008
宇多田ヒカル「PrisonerOfLove」を聴いていた。『人知れず辛い道を選ぶ私を応援してくれるあなただけを友と呼ぶ』の歌詞が耳に残る。通りすがりの人・・・他人知り合った人・・・知人友と呼べる人・・・友人とするならば、友と呼べる人をどう定義するかは個人差があるもののそう多くはないものなのかもしれない。ちなみにわたしはとても少ないそう言えば・・・数年前に出逢った男性が言ってたなぁ。『ボクは親友が10人います。』と。そして、危うくわたしも11人目に加えてもらいそうになった。丁重にご辞退させていただいたが。その後どうしてるんだろうか?
June 6, 2008
歓びも 哀しみも 怒りも 怖れも 楽しみもどの感情もすべて自分の世界で起こっていること。自分の中で想起されてくるモノ。いくらその対象となる人物がいようと、出来事があろうと自分の中で勝手に湧き上がり、自分の中だけで広がる。なのにどうして誰かのせいにしたくなるんだろうか?誰かのせいにしてもどうにもならないのに。
June 5, 2008
自分のセンスのある部分を磨くのが自己価値(※1)を高める秘訣なんだって。※1:「自分も他人も認めることで高まる自己肯定感」と定義してしまいます。あなたのセンスは?
June 4, 2008
自分を否定するのは何故なんだろう?自分を肯定できないのは何故なんだろう?自分を否定しないことに何を躊躇うと言うのか?自分を肯定することに何の条件が必要と言うのか?「たかが・・・」ケド、「されど」だから。
June 3, 2008
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