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薪を背負って読書する二宮金次郎像は戦前、勤勉・倹約・孝行のいわば代名詞として、どこの小学校にもあった。ところが、戦後は軍国主義をあおった反省からいっぺんに評価が落ちた。いまでは、「あの薪は盗んだものではないか」などと批判される始末だ。同じ農業従事者として、戦後、対照的に評価を上げたのが宮沢賢治だった。先日、「宮沢賢治を創った男たち」(米村みゆき著)を読んだ。宮沢賢治は1933年、37歳で亡くなるまで無名だったが、死後すぐ、全集が出版され、中央の文壇から次々高い評価を得たという。著者はその背景のひとつとして、岩手県の地元紙「岩手日報」が、全集を売るために「天才!」「1世紀に1人」などと偉人として持ち上げたことを挙げている。そして「宮沢賢治は死の哀惜に乗じて全集刊行への集結力をもちえた幸運な作家だった」としている。だが、私は読むほどに疑問が膨らんだ。だからどうしたというのだ。宮沢賢治を有名にした「雨ニモマケズ」の詩は、死後、実弟・清六にトランクの中から発見されるまで日の目を見ることはなかった。だからこそ、まだ無名だった宮沢賢治の業績を、地元紙が見つけて盛り立てていく必要があったのだ。地元紙の騒ぎぶりは不自然ではないし、むしろ地元の新事実の発掘こそ地方紙の役割だろう。「宮沢賢治関連の記事が、亡くなった1933年から、伝記が教科書に取り上げられた1951年までの十数年間で、計250本も掲載された」としているが、1ヶ月平均1、2本の記事がそんなに多いだろうか。また、著書名にも疑問がわく。この本のタイトルに即して言えば、宮沢賢治を発見した人々が「宮沢賢治」を「創って」いないとおかしいが、どう読んでも地元のジャーナリストが「発見」した域を出ていない。創るためには、宮沢賢治の業績をどこか否定し、その能力を必要以上に評価したことを立証しなければならないが、そのことには全く言及していない。また、本書の構成の仕方もおかしい。前半は本のタイトルとは無関係。調べた成果を全部盛り込もうという感じが見受けられる。「Aということが分かったからBという結論が導かれる」とすべきところを、「まずAがあり、Cということも調べまして、結局Bです」という風に書かれているため、読者を混乱させている。不必要なところを削る勇気が必要だ。あとがきで著者が、出版サイドから「自分自身の考え方を積極的に記述することを求められ戸惑いを感じた」と記していたが、そのやり取りが目に浮かぶようである。タイトルで、あたかもその業績がでっちあげられたかのように表現されたうえ、この著作内容・構成では、天国の宮沢賢治も浮かばれない。
February 24, 2004
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忍者発祥の地、伊賀上野を先日訪ねた。この地方はかつて、秘薬や火薬の調合技術に優れていた。その秘術を記した巻物を盗人から守るため、からくり屋敷や忍術が必要だったといわれる。だが、その不気味さが、合理主義者の織田信長をして「伊賀には、人外の化生が棲むのか」と怒らせ、討伐命令によって忍者がほぼ根絶やしになったといわれる。司馬遼太郎の「梟の城」は、生き延びた伊賀忍者たちが織田信長やその後継者・豊臣秀吉に復讐するさまを描いたものだ。この地を訪ねてみて分かるのは、伊賀の地理的条件である。この盆地は、京から琵琶湖、尾張に向かう権力ルートから微妙に外れている。伊賀盆地は、街としても「忍び」の役割を果たしていたのだ。司馬遼太郎はそのことを、「わずか襖一重で権力が崩壊したり勃興したりする音が聞こえた」というおもしろい表現を使っている。かつて本能寺の変を聞いた徳川家康も、堺から三河に戻るのに、途中、この伊賀を経由して生き長らえた。あれから400年たった現在も、人口6万2000人を数えるとは思えない静かさなまちで、「忍び」の匂いが残っている。ところで、先月、上野市を含む周辺6市町村の合併調印式があった。今年11月より市名が「伊賀市」になる。上野市よりは響きがいいが、歴史好きにとっては、伊賀上野市を希望したいところだった。
February 23, 2004
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「世界はここまで騙された。9・11は狂言!!」(コンノケンイチ著)を読んだ。著者は、9・11の同時多発テロはユダヤ人の陰謀だとし、その理由として、①世界貿易センター(WTC)ビルでは当日、ユダヤ人の全従業員4000人が欠勤していた②ニューヨークを訪問予定だったイスラエルのシャロン首相が急遽取りやめた、ことを挙げている。ほかにも面白いのは、WTCが崩壊したのは、地下に爆弾が仕掛けられていたから、とか、ペンタゴンを襲ったのは、旅客機ではなくトマホークだった、などの説を紹介している。どれも裏付けが不十分なのに少々引きつけられてしまうのは、最近、理解不能なことが多すぎて、なにかの陰謀説で説明してみたい衝動に駆られてしまうからだ。ブッシュ大統領がなぜイラク戦争を仕掛けなければならなかったのか、よく分からないし、そもそも、そのブッシュが大統領になれた4年前のイカサマ選挙についても、なぜか文句をいう人がいなくなっている。陰謀説はこうした疑問に即座に答えてくれるからうれしい。ただ、よく陰謀説の裏付けとなる「だれが得をしたのか」という推理はあまり意味がない。今回のイラク戦争で言えば、最も得しそうなのは民主党のケリーだ。今秋の大統領選で、イラク戦争で痛手を被ったブッシュを破りそうな勢いだ。だからといって、ケリーが9・11の首謀者だったということにはならないだろう。西洋かぶれの日本人はつい、「日銀はユダヤに支配されている。5000円札の富士山の絵は実はシナイ山なのだ」などとまことしやかに言うけれど、ちゃんちゃらおかしい。ユダヤ人がそんなにすごいなら、さっさと自分の国を自分でつくっているだろうに。
February 16, 2004
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この小説をどう評価したらいいのだろう。昨年の「このミステリーはすごい」のトップに輝いた「葉桜の季節に君を想うということ」(歌野晶午著)という作品の話である。風邪をひいた休日、布団の中で一気に読んだ。「最後にどんでん返しがある」と新聞などで紹介されていたので、警戒しながら読み進めたが、やっぱりだまされた。小説は映画と違って、活字から人物像や風景を想像するしかない。現役高校生って書いてあったらふつうは15~17歳だろう。過去の回想シーンが章立てで間に入っていてますます固定観念に惑わされる。年齢が違いすぎる(と思っている)から登場人物の2人がまさか同一人物だなんて思わない。360ページ目の主人公・成瀬将虎の「いつ言った? そっちが勝手に○○だと思いこんでいただけだろう」という言葉は、うまくひっかかった読者への著者の高笑いにも聞こえる。ぼくは、浦島太郎のように金縛りにあった気分だ。意味不明のタイトルのなぞも最後に分かる。詩的な表現だったんだ。ミステリーってこういう「言葉遊び」もありなんだな、と感心した。
February 15, 2004
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イラクでテロが再び激しくなっている。ここ数日でも、バグダッド周辺の警察署や新国軍の新兵募集センター、イラク中部の占領当局が次々と狙われ、多数の死者が出ている。こうした中、「シーア派とスンナ派を対立させ、イラクを内戦に追い込もう」とするアルカイダ(?)の戦略メモが見つかった。米軍は、ビンラディンに近いヨルダン人の男が書いたとみて、この人物に懸賞金1000万ドルを用意して行方を追いかけている。イラク戦争は、かつてはイラクの大統領であるフセインを追い出すための戦争だったが、いまは米軍とアルカイダの「イラクを舞台にした戦争」になっている。米軍はイラクにいる目的をすでに失っているし、アルカイダとてそこに米軍がいるからイラクでテロを繰り返しているにすぎない。生き地獄だった旧体制が崩壊し、平穏な生活を願っているイラク人たちにとって、これほど迷惑な話はないだろう。かつて、司馬遼太郎はベトナム戦争のことを「機械運動」と表現した(「人間の集団について」)。太平洋戦争のときの日本がそうだったように、戦争というのは、補給が勝敗を決定し、補給が相手より劣弱になったとき、終わりを迎える。ところがベトナム戦争では、米、ソ連、中国が次々と介入し、ベトナム人たちは兵器をつくる自前の工場を持っていないのに、戦争が永遠に続く仕組みをつくってしまった。いま、イラクでも終わりのない「機械運動」状態になっているといっていい。戦争をしているのは米国とアルカイダで、その舞台が単にイラクというだけである。兵器はイラクの国外から無尽蔵に入ってくる。アルカイダは98年、ウクライナからスーツケース型の核兵器を購入したとアラブ圏紙が先日報道した。ベトナム戦争は最終的に、反戦世論が機械運動を停止させたが、今回の戦争の機械運動を止めるのは、「核兵器」かもしれない。
February 14, 2004
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「キリスト様が宇宙ぜんぶを創ったありがた~い神様なんやったら、なんで西洋にだけ広まり、日本人は後回しにされたん?」「キリストのキの字も知らずに死んでいったご先祖さまたちはどうあがいても天国には行けなかったん?」。ぼくは幼少のころ、クリスチャンの母親に連れられて行った教会でよくこんな質問をし、カナダ人宣教師が言葉に詰まるのを見て楽しんだ。当たり前だけれど、いかなる宗教もそれが伝わるまで、信仰を持つことはできない。仏教が日本に伝わったとき、それをうまくごまかしたのが「本地垂迹」という考え方だった。それまで信仰の対象だった天照大神は、実は大日如来さまの化身だったとして辻褄を合わせてしまった。こうした辻褄合わせをもっと壮大にしたのが、ベトナムの新興宗教「カオダイ教」(1919年創始)である。先日、ホーチミンから北西へ100㌔行ったところにあるタイニンという田舎街の総本山を訪ねた。カオダイ教は、キリストとモハメット、釈迦、さらには李白やユゴーまで聖人として祭り、すべてはカオダイ様の化身だと解釈している。総本山は、甘いケーキのような極彩色の建物で、正面に滑稽な目ん玉「天眼」が掲げられている。嘘八百に感じられる新興宗教だが、タイニン省の省民の約7割が信者だというから不思議だ。礼拝風景をのぞいたところ、信徒たちは抑揚のない呪文のような歌を熱心にうたっていた。世界中の人々がみんなカオダイ教徒になれば、宗教戦争もなくなるのだろう。ところで、冒頭のキリスト教の疑問の件で、もうひとつずっと不思議に思ってきたことがある。新約聖書の冒頭に出てくる系統図を足し算すると、天地創造(アダム)からイエス誕生までせいぜい1万年しかたっていないことだ。科学的にはビッグバンから150億年もたっているのに。だれが教えてください!
February 12, 2004
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先日、カンボジアのプノンペンを訪れた。市街地からバイクタクシー(バイタク)に乗って約30分行ったところに、70年代後半、150万人を虐殺したポルポトの非道をいまに伝える場所「キリング・フィールド」がある。10メートルほどの高さの慰霊碑のなかには、頭蓋骨が山のように積み重ねられている。その周囲にあちこち大きな穴があいていた。処刑された人々が埋められたため、後年になって掘り返された跡だ。当時、国民はポルポトの共産革命を信じて政権をゆだねたのだが、化けの皮がはがれたときにはもう手遅れだった。知識人たちが次々と殺された。カンボジアでは民主革命が起こっていると思い込んでいた世界中の人々が、虐殺の事実を伝え聞いて仰天してしまった。いまプノンペン市内には、当時刑務所だった建物が虐殺博物館として残されている。血痕が壁に飛び散った拷問部屋や独居牢など当時のままだ。ぼくのプノンペン市内観光の足になってもらったバイタクのお兄さんが、自宅に招待してくれた。市街地から泥をはねのけながら約40分、バイクで走ったところにあるその自宅は、物置小屋を2つに分割した一画でたった四畳半ほどしかない。奥さんが近くの市場で買ってきた野菜と魚をその寝室と台所兼用の四畳半で調理してくれた。オリオン座が高く上った屋外で一緒にディナーを食べた。そのとき、このお兄さん自身が実はポルポトの虐殺の被害者の一人だとうち明けてくれた。「父親が教師をしていたため一家4人のうち、自分以外はすべて殺された」という。このお兄さんは英語が話せたため、その後、マレーシア資本のカジノのオーナーのボディガードをして暮らした。見ると、自宅の軒先には石で手作りされたベンチプレスが置いてある。これで体を鍛えたらしい。カンボジアは94年、国連のPKO活動の応援を得て選挙が実施され、一時、世界から正当な政権として認知された。だがその後、現首相のフンセンの選挙不正事件などが次々明るみに出て国家の信用を失う。外国資本はどんどん国外に逃げていった。バイタクのお兄さんも、月に20ドルを稼いでいたカジノがカンボジアから撤退したため職を失い、いま、バイタクで糊口をしのいでいるのだ。昼に立ち寄った不法在留のベトナム人街の食堂でも、このお兄さんは、小さな紙片にカンボジアの各政党の支持率と得票率の差の細かい数字を書き込みながら、現政権がいかに票を不正に積み上げたかを力説していた。そして「選挙は5年に一度だけ。08年まで現政権のままだ」と嘆息するのだ。「頼りは日本資本だけ」と繰り返す。まだ3歳にならない娘を将来、プノンペンにある日本語の学校に入れると決めているそうだ。アジアには特有の賄賂文化があって悪党政治家を育てやすい。日本もまたしかりだが、ポルポトの次はフンセンが登場し、せっかく国連PKOの支援で築き上げてきた信用を失ってしまったことはカンボジアの悲劇というしかない。蓮4044
February 11, 2004
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きのうイラクで不発弾の処理中に2人の米兵が亡くなった。戦争の愚かしさはなにも砲弾が飛び交う間の話だけではない。サマワに派遣された自衛隊員たちだって、無事に帰国できても、劣化ウランが出す放射能を浴びていればその後遺症から逃げられない。ぼくは先日、カンボジアを訪れた。世界遺産アンコールワットの観光の途中で、近くの「地雷博物館」(といっても小屋程度)に立ち寄った。ここは内戦後のカンボジアでいち早く地雷撤去を始めた日本人がその恐ろしさを伝えようと設けたところだ。ここで昨秋からボランティアをしている日本人男性によると、昨年のクリスマスイブ、ある民家の裏庭で地雷が見つかったためここのスタッフが出動して撤去した。ところが、まだその一帯の地雷撤去が完全に終わっていないのに、わずか4日後、そこの家人が裏庭に入ってしまい、地雷を踏んで片足を失ったという。市民はみんな、どこが地雷原か知っている。それでも薪を取ったり水をくんだりといった日常生活のために、毎日一歩ずつ森や川の奥へと踏み入らざるをえないのだ。安全だと思っていた場所も、たまたま誰もその一点を踏まなかっただけだということもある。地雷の恐ろしさは、決して命までは奪わないことだ。片足だけ奪うことで周囲の人々に恐怖心を植えつける。そのため、わざわざ火力を抑えられているというから恐ろしい。ぼくはカンボジアから陸路で隣国ベトナムに入ったのだが、ホーチミンにもベトナム戦争の愚かさをいまに伝える戦争証跡博物館があり、身体が血みどろになった生々しい地雷被害の写真が展示されていた。日付を見るとつい2、3ヶ月前。カンボジアに比べて経済発展著しいベトナムさえ、地雷被害はまだ日常のことだったのだ。
February 10, 2004
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今月下旬から北朝鮮の核問題をめぐる「6者協議」が再開される。北朝鮮側は、核開発の凍結の対価としてエネルギー支援などの補償を求めている。バカにするのもいい加減にしてほしい。約束を破っているのは北朝鮮の方だ。つい10年前、核不拡散条約(NPT)に加盟中、隠れて核兵器を開発し、「開発をやめるから」というとんでもない理屈で米国や日本から重油や軽水炉を手に入れた。今度もまったく同じ構図である。今回はそのときの「米朝合意」を破り、いきなり「俺たちは核を持っている」と宣言し、あれこれと無理難題をふっかけてくる。米国も日本もお人好しすぎる。だいたい金正日の息子が01年5月、偽造旅券で日本に入国を図り失敗したとき、なぜ、もっと取り調べられなかったのだろう。密入国の前科だってあったのに。先日、ベストセラー「マンガ金正日入門」(李友情著)を読んだ。金正日というと、権力者2世のボンボンのイメージが強かったが、出来レースではなく、他人を蹴落としながら這い上がってきた人物だとよく分かった。おまけに、1997年、韓国に亡命した元北朝鮮労働党書記で金正日総書記の側近だった黄氏(80)は週刊朝日のインタビューで「74年にはすでに実権をにぎっていた」と話している。権力の座は、イラクのフセイン元大統領より長く、海千山千の修羅場をくぐり抜けてきたキャリアは恐るべしだ。最近、米の研究機関が「経済制裁なら2年は持たない」と指摘したし、金正日の重病説もささやかれている。6者協議のようなまどろっこしい方法は、金正日を調子づかせるだけで百害あって一利なしだ。
February 9, 2004
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