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死産を経験して感じたこと、学んだことは本当にたくさんあった。最愛の我が子との別れ、大切な人たちとの出会い‥。小春との夢の中での再開はとてもドラマティックで素敵な体験だった。今でも思い出すと、不思議な感覚にとらわれる。猛烈に忙しい日々を送っていた。この時もお花の出荷が一段落した午後、昔からの知人がご夫婦で遊びにやってきた。このご夫婦とはとても縁があって、たまにしか会うことはないのだがとても素敵。生まれて間もない赤ちゃんを抱っこしていた。私「きゃ~かわいいっはじめまして! お名前は?」奥様「こはるちゃんですぅ‥」私は異常に興奮していた。すでに涙で前が見えなくなっていた。そんな私を見ていた周りのスタッフは慌てふためいた。奥様は事情が分からず、きょとんとしている。もう何も言えなかった。「ごめんね、ちょっと‥」って言うのがやっとでお店の奥にさがってしまった。なんとか涙を拭いてもう一度、こはるちゃんに会いに行った。スタッフが「抱っこさせてもらったら‥お仕事頑張ったご褒美だよっ」って言ってくれた。奥様もご主人もどうぞ、どうぞってこはるちゃんを私の腕の中へ彼女をそっと渡してくれた。一度目は夢とはいえ再開できた。しかももう一度、今度は本当に本当に抱っこできた。私の小春ちゃんではないけれど、抱っこしたその一瞬は間違いなく私の小春のように思えた。そしてその瞬間に小春ちゃんは、ものすごい笑顔で私をまっすぐと見つめた。もう信じられないくらいの感動‥。「こはる」という名前を聞いただけなのに涙が滝のように流れてしまったことに自分でもとても驚いた。いつも私が疲労困憊している時にこういうことがある。しっかりしてね、頑張ってねって言われているように思う。この絶妙なタイミング!! 神に感謝!!
June 19, 2007
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小春が天国に行って初めてのお盆がやってきた。私は生花店のお盆の準備などですでに疲れがピークになっていた。小春の初盆。お骨がないのはこういうことね、お経をあげるわけでもなく遺影もない。死産とは、そういうもの。誕生した瞬間に息をしているのと、していないのと‥。お盆の13日、あまりの忙しさに私は小春のことも考えることもなく死んだように眠りについた。夢の中‥。小春より数ヶ月前に天国に行った私のおばあちゃんの春子しゃん。その春子しゃんが小春を連れてきてくれた。そして私の胸へ小春を預けてくれた。小さな小さな小春ちゃん。春子しゃんが少し遠慮がちに、優しく微笑んでいる。私はずっと小春を抱っこしてあげたかった。顔も見ずに抱っこもせずに天国へ旅出させてしまった卑怯なママ‥。優しく、強くいっぱい小春を抱きしめた。「ごめんね、ごめんね」何度も小春ちゃんに謝った。もう涙でよく分からない。不思議なもので小春の顔を知らない私は夢の中でも小春の顔は分からない。そこだけ靄がかかったように見えない。こんなに近くにいるのに、抱きしめているのに顔が分からないなんて‥。コレは夢なのか、現実なのか‥。小春ちゃんの名前は生まれる前から、春子しゃんの名前をもらって春生まれということもあって名づけた。きっと春子しゃんはすごく嬉しかったんだと思う。子供が大好きで、長女のちあきたんも春子しゃんが大好きだった。小春ちゃんが天国へ旅立ってから、私はきっと春子しゃんが一緒にいるって直感した。案の定、春子しゃんは小春と一緒にいることがすごく幸せそうだった。いつも迷惑をかけていた私だけど、本当に頭が上がらない。私がいつか、魂の故郷へ帰った時にはいろいろいっぱい話そうね。小春との再開は、思いがけずドラマティックだった。そして、私は自分自身の泣き声と嗚咽で目を覚ました。枕も涙でかなり濡れていた。どのくらいこうしていたのかと思うくらい。‥疲れていた。そして言い表せないほどの感動を味わっていた。もう、放心状態。限界。わなわなと全身が震えた。 「ありがとう‥」この手にしっかりと小春の温かさが残っている。ずっと小春を抱っこしてあげなかったことで自分を責めていた。最低な母親だと、恥じた。小春は許してくれないと自分を恨んだ。今までの罪悪感から、春子しゃんと小春ちゃんが開放してくれた。‥その後、また小春との再開が待っているなんて。今考えると、さらにドラマティックね。つづく~
June 12, 2007
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小春が天国に行ってから、1ヶ月。私にはまだしなければいけないことがあった。それは、病院へ行くこと。出産したのち、1ヶ月ほどすると必ず1ヶ月検診というものがある。これは、お母さんの体調と赤ちゃんの成長を診るもの…。ただ病院に行って、簡単な検診をするだけ。だけど、これが何日も前から私には恐怖でした。パパに会社のお休みを取ってもらい2人で検診へ…。だってとても一人じゃ行けないよ。小春のことが、あの時のことが頭をよぎり病院に入る瞬間足が動かなくなってしまった。恐い…。どこから見ても普通の人な私。お腹も大きくないので妊婦さんには見えないし、ともすればお見舞いの人に見えるかも…。なのに、どこかそわそわして不安でいっぱい。でもここは病院でカルテもある、カルテを見れば私の状況は分かるはず。「誰も何にも言いませんように…」何に祈ったのだろう。パパとベンチの隅っこに座り順番を待っていた。私の名前が呼ばれた…。なんだかドキッとした。「どうですか~」明るい看護師さんの声。まだ大丈夫…自分の意識を確認するように返事をした。間髪入れずにその看護師さんは「赤ちゃん元気~♪」もうダメだっっ。意識が朦朧としてきて涙で前が見えなくなった。「やっぱり…イワレタ…」声を出すことができず、そのままパパのところへ後ずさった。「赤ちゃん、元気かって…どうしようっ」やっとの声で言った。パパはその瞬間に、受付のその彼女の所へ行き、大きな病院中に響くような大きな声でこういった。「いろいろな患者さんがいるのに、もっと良く考えろ」「幸せな出産ばかりじゃないことはあなたも知っているんでしょ?」とても荒い口調だったけど、それはとても冷静で重かった言葉。彼が小春を見送ってくれたこと、抱っこしてこの病院を退院したこと。廃人のようになっている私の意味のない言葉にも、ずっと温かかった。小春の事があるまで私の前でこんなにも涙を見せたことはなかった。静かに悲しさを我慢していたパパは、その時初めて感情を出したように思った。小春が天国に行ってから、1ヶ月。まだまだ私には、その言葉を冷静に受け止めることは出来なかった。出来るわけないよね。少ししてから、その看護師さんから、こう言われた。「私も死産を経験しているから…」だから…何? 私冷たいかな…。少しお話をして、パパが大きな声を出してしまった事を謝って病院を出た。仕方ないよね、たくさんの患者さんがいる病院。一人ひとりのことなんて良くわかんないよね。一瞬、一瞬が今なの。言葉は人をあたたかくも、殺すこともできる道具。その看護師さんが言った何気ないひと言は、時に鋭い武器になるって。病院はいろいろな患者さんがいて、いろいろな問題を抱えているんだよ。看護師さんにとっては、日常の当たり前の会話かもしれないけれど、私には一生忘れられない事。厳しく言えば、もっとプロ意識をもってほしい。命を扱う現場にいる大変さ、過酷さとってもよくわかります。姉のちーちゃんは看護師なのでいつも色々なことを話します。帰ってから、やっぱりパパが強く言ってしまって、かわいそうだったな…って少し反省。そんなことがあっても私は、看護師さんはやっぱり白衣の天使だと思います。何度かの入院でその病院にお世話になったんだけど、本当に天使でした。助産婦さんのとても高いプロ意識に感動さえしたくらい…。今だから思うこと。毎日たくさんのお花を全国にお届けしていて、そのお花達は、ほとんどが贈り物でとても大切な気持ちを私達は預かっていると…。お花という形に「ありがとう」や「おめでとう」「元気を出して…」って託しているんだって。その責任は、とても重い。プロとしてのプライドを高く持ちたい。花はいつか朽ちてしまうけれど、その花に込められたメッセージは永遠に心に残るもの。大切にしたい想う気持ち。小春が私達に教えてくれたことは、あまりにも偉大…。まだまだ未熟な私にいつも力を与えてくれている ありがとうね…
March 12, 2006
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小春のこと、もう少し書きます。パパとの散歩の後部屋に帰ると、お花が届いていた。お店のスタッフからだった。「あ~お花だ♪」そういえば、私の病室にはそれまで、お花はなかった。桃色のチューリップ。いつもお店で見る人気のお花。チューリップって伸びるの。日に日に伸びてびょ~んとなる。好きな方向へ自由に伸びて、とっても気持ちよさそう。この時ほどお花が愛おしく思えたことはないかもしれない。入院生活は辛かったけれど、温かい看護師さん信頼のおける先生に出会えて幸せだった。小春の死を告げた先生の涙、いくつもの事例を経験してきていると思う。その先生の涙は今でも忘れない。少し早めの退院。毎日赤ちゃんの泣き声のするこの部屋での生活を気遣ってくれたみたい。ありがとう。たぶん私は退院の時も虚ろな目をして、挨拶もろくにできなくて自宅に帰ったような気がする。病院での出来事はまるで夢のようだった。もちろん、小春の事も…。退院してから、お店へ向かった。いつもよりも店先が華やかだった。ハンギングに溢れるパンジー。たくさんのお花がとても綺麗に植えてあった。何も言わなかったけど、スタッフの温かい気持ちが伝わってきた。のちのち聞いた話だけど、少しでも私を元気付けようとみんなで猛烈に頑張ったそうだ。やっぱり…。今まで私が「よしっやるよぉ~」と言わない限りディスプレイは変わらなかったから、すぐに分かったんだよネ。憎い演出です。でも本当に嬉しかった。本当なら、小春を抱いて一番にみんなに会わせるつもりだった。私の子供達は二人とも2月27日生まれ。小春の予定日も同じ日だった。小春ちゃんと小春のお姉ちゃん、お兄ちゃんのお誕生日ケーキ。
February 10, 2006
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小春が天国へ行ってから…病院の廊下を歩く時、絶対に下を向いて歩いた。幸せそうなお母さんに会いたくなかった。自分が惨めで仕方なかった。「話しかけないで…」心の中でずっとそう願っていた。先生の回診の時も平気なふりをした。どうやら、ちょっとだけ精神的にヤバイと思われたみたい。実習に来ていた学生の看護師の卵さん、私のことはすでに知っているだろう…。何も言えないで、ただ困ったような顔をしていた。カワイソウナ、目デ、ミナイデ…でもね、入院中は家族がずっとそばにいてくれた。小春の事を知った大阪の妹は朝一番で駆けつけてきた。福岡で看護師をしている2番目の姉は夜勤明けで駆けつけてきてくれた。小さい頃いつも泣いていた私の面倒を見てくれていた長女。4人姉妹が揃った。何も言わないけど、ずっと病室にいてくれた。今考えれば、ただそばにいてくれるだけで本当にありがたかった。姉妹っていいね。そう、小春の3ヶ月前に天国へ旅立ったひいおばあちゃん。春子しゃんのお葬儀の時もみんなで寄り添った。大好きだった 90歳の春子しゃん…。今から人生が始まるはずだった小春。どうして人は死んでしまうのかな…。小春の死は、1000人に1人という臍帯過捻転が原因だった。先生から、この病気についての資料が少ない為、その要因などを解明する為に解剖をどうするかと聞かれた。もちろん、そのことによって小春を死に追いやった原因も分かるかもしれないということ。でも、絶対いやだった。ママからの酸素が届かなくて本当に苦しかっただろうにもうこれ以上、傷つけたくなかった。パパも家族もその思いは一緒だった。いくら原因が解明できようとも、それが多くの人の為になるといっても私は嫌だった。天気の良い午後、パパが車椅子を押してくれて病院のお庭を散歩した。久しぶりに感じる太陽だった。すごく温かで気持ちが良かった。二人で、空の流れる雲を見ていた。そっとまた涙が流れた。パパは私の入院中、何度も「仕方ない」と言っていた。それは、現実を受け止めることのできない自分へのけじめ。自分でそれを言い聞かせるように何度も何度もつぶやいていた。
February 9, 2006
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体の痛みで目が覚めた…。夢を見ていたようだった。確かめるようにお腹に手をやると、まだお腹が大きいような感じがした。だけど、それは傷口を覆うカバーで、赤ちゃんの膨らみではないと、すぐに分かった。「赤ちゃんは?」上の子達が産まれた時と同じセリフだった。「可愛かったよ…」「…カッタヨ。」やっぱり過去形。私はただただ薄笑いを浮かべていたらしい。しかも来てくれていた優子さんに「もう遅いから…大丈夫?」 なんて言ったらしい。みじめだった。誰にも会いたくなかった。ただ小春に会いたかった。遠くで赤ちゃんの泣き声が聞こえてくるけれど、私の小春はいない。担当の先生が小春の事をおしえてくれた。臍帯過捻転。1000人に1人に起こるお母さんと赤ちゃんをつなぐへその緒のねじれから起こる症状で、栄養や酸素が赤ちゃんに届かなくなるというもの。へその緒は通常約50cm。私と小春のへその緒は30回以上もねじれていたらしい。電話の受話器についているあのくるくるとしたコードのようだったらしい。苦しかったんだね。ごめんね。こんなに苦しかったのに10ヶ月近くも頑張ってくれたんだね。精一杯お腹の中で生きていてくれたんだね。ありがとう…次の日、看護師さんが薬を持ってきた。母乳を止める薬、これを飲んだら赤ちゃんにもうおっぱいをあげることはできないと思うと飲むのをためらった。まだ、あきらめていない自分がなんだか滑稽。何にも考えていないのに一日中涙が勝手に流れてくる。 私の母も死産を経験している。どうしても私と小春を会わせたくないらしかった。「見ないほうがいい。」「会わせてしまうとこの子が立ち直れなくなるから」何度も何度もそう言った。私は小春に会わなかった。怖かった。家族、姉妹もそれを望まなかった。何度も何度もパパに聞いた。会わないほうがいいのだろうか。私は、なんて卑怯なんだろう。最低のお母さんだった。まだ動けない私の替わりにパパは、真っ白なレースのおくるみに小春を大切に抱いて病院を退院した。後で見せてもらった写真には、小さな小さな棺にキティちゃんの赤いカバーがかけられ、供物は粉ミルクとたくさんのお菓子。ちゃんと哺乳瓶もあった。かわいい祭壇だった。その日の夜パパに「お骨は…」と聞くと、「小さすぎて残らなかったんだ…」「ウソダ…」そう思ったけど、黙ってうなずいた。私は、普通の人より死を感じる現場にいる。お花をお届けするのは、お祝いだけではないから。亡くなった方へ最初にお届けする枕花(まくらばな)もそう。亡くなられた後何をするべきなのかは、すべて頭に入っているのに、小春のお葬儀があって火葬もするなんてちっとも思わなかった。もう、会えない。顔も知らない。もう遅い。「小春ちゃん、病院にいる時は、青白くて間違いなく血が通っていないって分かるほどだったのに、斎場でのお題目が終わって火葬場に行く時には、驚くほど、ピンクの艶やかな顔になっていたよ。まるで今にも泣き出しそうでどうして息をしていないのか不思議なくらいだったよ」周囲の誰もがそう教えてくれた。それだけが救いだった。「小春、成仏したの? ママを許してくれるの?」小春の目に見える想い出は祭壇の写真ともう書き込むことのできない母子手帳だけだった。「どこが間違ってたの?どうして死んじゃったの?」病室で小春じゃない赤ちゃんの泣き声が響いて来る中で自分を責め続けた毎日だった。気が狂いそうだった…。
February 8, 2006
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このブログを書き始めるきっかけにもなった次女の小春。大切なお友達にも伝えたくて。色白で私似の女の子。今は私のおばあちゃんの春子しゃんと一緒に天国にいます。「人はアタリマエ二、産まれない」死産って…。明日はバレンタインデーという前日。なんだか今日はお腹の小春ちゃんが静かだった。平成16年のその日。もうまもなく出産。27日に帝王切開の予定だった。その日は朝から体がだるい、軽い陣痛?私は陣痛を知らない。軽い前駆陣痛の経験のみ。その日は動きたくなくてじっとしていたけれど、やっぱり動いていないみたい。半分眠るように1日を過ごし、やっと病院に行った。もう病院も時間外で担当の先生ではない可能性大。不安で仕方なかった。診察室に入ると担当の先生ではなかったけれど、前回お世話になった先生でちょっと安心した。エコーの時間が異様に長く感じた。早く大丈夫だって言って…。「赤ちゃん、残念ですが…。心臓が動いていません。」「今までずっと順調だったのに…。」目にいっぱい涙をためた先生のひと言。「ご主人を呼んでください…」「てっちゃん… 」私はできるだけ平静を装ってパパを呼んだ。「赤ちゃん、死んじゃった…」大粒の涙がパパの顔を流れていった。声にならない。これからどうなるの? えっとこれは現実?パパが両親と妊娠中一番支えてくれた会社の同僚の優子さんに連絡してくれた。病室に移り、手術の説明があったような…。でもなんだかふわふわしている感じ。もう悲しみを通り越して放心状態だったのかな…。一番に優子さんが駆けつけてくれた。深夜12時。車で40分位かかるのに、幼い子供たちがいるのに…。とてもびっくりしたけど、嬉しかった。あのね、昨日から、何となく亡くなったの分かっていたかも。このまま時間が止まってくれたら、ずっとこの子は私と一緒って心の片隅で思ってた。ずっと眠っていようって少し思った。不思議なことに身体はもう赤ちゃんを出そうとしてたんだよね、きっと。静かな静かなお産。腰椎麻酔の傷みはどれほどか知っているけど、3回目の帝王切開の私にはこれから赤ちゃんに会える為の儀式だった。産声が聞こえないと分かっている我が子を待つことがこれほど辛いとは思わなかった。手術室のまぶしすぎるライト。消毒の臭い。なぜだかすごく冷静に、取り乱したりもせず他人事のように準備を待った。「泣いちゃいけない」「泣いてはいけない」大きなお腹は小春がいる証拠。もしかしたら、奇跡的に産声をあげてくれるかもしれない。きっとありえることだよね。死んだ人がもう一度息を吹き返すってことあるんでしょ??バカなことを祈っていた。「産まれましたよ…」ではなく、「終わりましたよ…」たった10ヶ月近く一緒にいただけなのに、「ドウシテ、コンナニ、カナシイノ」もう麻酔で意識ももうろうとしていた。
February 7, 2006
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