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2011年3月11日14:46
私のいた場所は、鴨川シーワルドのペリカンの前。地面から突き上げるような揺れがあった感じがした。よく、首都高などで渋滞で止まってしまうと道路が揺れている…あんな感じ。
大地震だったのを知ったのは、しばらくしてから。館内放送による、避難指示だった。
その日、小湊に泊まることになっていた。一応、宿はやっていたが、津波警報が出ているから、と高台の方の駐車場を案内された。
翌日、早朝に誕生寺でお参りし、どこにもよらず帰宅することにした。
ただ、房総半島の端っこから川崎までどのように帰るか、ルート選択に悩んだ。
アクアラインを含め、いくつかの高速道路は通行止め...なので、とりあえず市原五井をめざした。
国道16号から14号を使おうと考えた。しかし、五井に入ると大渋滞で道路が動かない。
ラジオを聴くと、船橋まで行くのに5~6時間かかったとのこと…
「これはダメだ!」
小湊から来た道を再び小湊方面に向かった。
ここで考えたルートは、三郷IC…三郷まで行けば、外環道、そこがダメなら圏央道もあると考えた。
三郷までのルートはまずは千葉市誉田→千葉ニュータウン→三郷。
多少は渋滞はしていたけれど、それでもスムーズに進んだ。
途中、空いているガソリンスタンドがあったので給油をした。圏央道ルートを使うことも想定してのこと。あと、米も買った。
この二つの行為は、後々効果を発揮することになるのだが、その時は何も考えてなかった。
途中で休憩する時に、近所に住んでいる知り合いに状況を聞き、サイトで火災などの情報を収集した。とりあえず、問題はなさそうだ。
三郷ICに着くと、とりあえず外環道の通行止めは解除されていて、大泉ICまで行くことができた。
ここまで来ると、幾つかルートがある。
そのまま環八で瀬田まで行き、国道246号を経由して家に着くことができた。
家に帰ると、水屋は倒れていたけれど、奇跡的に中の皿類はそのままだったので、下に布団を引いて、倒れた水屋を起こした。これ以外、本が倒れたりした程度だった。
因みにガスは自動検知で止まっていた。電気は特に問題はなかった。
この日から当分、コンビニから水が消えることがあったり、計画停電があったりして、少し大変だったけれど、幾日が経って日常が戻ってきた。
11年経過して、あの時とは違う形で世の中が混とんとしてるけれど、
「 あわてず、いそいで、正確に
」
そして冷静に…を保てるようにしたいと思う。
思うだけで終わらないようにしないと…
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