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これは私が一番はじめに入社した会社の話しです。資本金110億円、売上高700億円、社員数3000人、国内外100拠点を有する東証一部上場の総合物流企業に入社しました。これだけでかいと経営者とは即ち雲の上の人であります。特に私の最初の配属先営業所は社員200人の大所帯でしたから所長でさえも雲上人、気軽に話せる関係ではなかったですね。社長とは役員面接の時に、会話したことがありますね。でも一度きりでした。そんなペイペイの私でしたが、創業者であられる会長とサシで話をし、感銘を受けた思い出があります。愛知県内の営業所にいた当時の私は念願の海外事業を任され、朝から夜中まで情熱を持って働いてました。土曜日も休日ながら出勤が当たり前でしたから日曜日が唯一の休みでございました。その日曜日の昼過ぎに自宅でテレビを見てたら所長から電話です。何事かと思えば、「K役員が会長を連れてそっちに向かってる。すまんが会社へ行ってくれ。三河安城に着いたらしいからすぐ来るで。」なんとまあ、折角の日曜日なんですが、自分は会社から一番近くにいて、営業所の仕事はひと通り説明が出来ますから行かないわけにはまいりません。それで緊張しながらも、営業所内を隅々までご案内し、概要をお話させて頂きました。しきりに緊張していましたから会長のリアクションがどんなものだったのかは覚えていません。重箱の隅を突つきまくる程、細かいともっぱらの評判ですからハラハラドキドキものです。所長のヤロー、こんな大役を押し付けやがってと内心思ってましたから。しかし、会長の次の一言が感激でした。同行したK役員は私をこの営業所の責任者と紹介して下さり(事実、出張所でしたから所長は兼務で通常は不在)、会長に言われるがまま私は自分の名刺を見せたのですが。「清水くんはここの営業所の責任者なんだよね。責任者を任されてるのに役職がついてないなんて可哀想だよ。」こんなお言葉を頂きました。3000人いる社員ひとりひとりにこんな言葉をかけるのは事実として無理。たまたま雲上人でもある会長とお話出来るチャンスを頂いたからですが、とても感激したことを今でも思い出すことがあります。戦後間もない頃、リヤカー三台と数人の職人たちと始めた会社だと聞いてますが、その頃から社員は大事な家族だという思いで経営していらしたそうです。大企業の創業者だからと威張る気配は微塵もなく、会長の人に対する優しさや思いやりに触れ、じーんときました。これだけの会社を一代で築き上げたのですから仕事に対して強引な一面もあると思います。ただ、1人で組織を作り上げるのは事実として無理。人を動かさないといけません。人を使う方法は色々ありますが、何を以てしても人を愛し、思いやる心が大切だと思います。大企業の創業者と話したのはこれっきりですが、会長と接する事でこの会社が何故大きくなったのかがわかるような気がしました。この会長との面談を一つの気づきとして"営業所経営"に活かせば良かったのですが、私もまだ若かった。今なら自分に置き換えて、悪いところは修正するのですが。そんな気持ちがなかったから勿体無いと思います。軍隊仕込みのスパルタ教育でシゴかれ、虐げられたところから会社人生がスタートし、次々に脱落する同期を尻目に生き残ってきた自負がその当時の私にはありました。50人いる同期のなかでもなかんずく私は「使えない奴」とゆうレッテルを貼られ、「必要ない」とまで公言されたドン底からスタートし、ただ目の前の仕事を必死に耐え抜き、気が付けば三年は経ってました。三年を過ぎた頃から私をお荷物扱いしていたその当時のお偉い人たちが「清水は物凄い成長した。」そう絶賛しはじめたのであります。一つの営業所を任されたのはそんないきさつがございました。当時の私はとにかく気が短く、直ぐにキレる、怒鳴る、机は叩くは蹴っ飛ばす。お客様であっても平気でケンカしてました。幸いお客様たちには大変可愛がられ、よく飲み歩いたものですが、部下たちには人望がありませんでしたね。私には敬愛する先輩がいて先輩に倣って筋道だけは通してきました。いや、筋の通し方がわからなかったから先輩の背中を見て一生懸命学びました。そうやって筋道だけは通してきたつもりですが、いくら筋を通しても部下はついてきませんでした。そして、30過ぎるまで自分は間違ってないぞと、短気でわがままな自分を貫き通し、思い切り頭を打つのであった。もしあの時、会長との気づきを営業所で実践していたら、あの営業所はもっとでかくなったかもしれない。3000人いる社員が皆、会長のように思いやりを以て仕事に励めは、会社は10倍くらいになっていたかもしれない。そう思うのは事実ですが、過去の事なんで後に戻ろうとは思いません。むしろ、この経験を思い起こす事で今後の経営にプラスになればと思います。その当時は仕事は楽しく遣り甲斐を感じていましたが、出世には全く興味がございませんでした。大卒総合職である以上、昇進を拒むことは許されない事でしたが、昇進試験の筆記問題はわざと適当な答えを書いてわざと落ちてましたから。その当時からなんとなく会社の枠にとらわれない生き方を志向していたのかもしれません。会長との出来事はちょうど10年前です。もう相談役に退かれて80代後半に差し掛かるそうですが、まだお元気であると聞き、嬉しく思います。長々と退屈なお話で申し訳ありませんでした。今日はお星様がキラキラしてます。では。iPhoneからの投稿
2012.07.20
"教育委員会のありかたが問題"大津市長の発言を聞いてどう思いましたか?確かにその通り!てなことも言えますが、自分が遺族なら激怒しますね。その前に学校や教育委員会を束ねる立場として遺族に謝罪、深い反省を示さないと。な~んか棚に上げてるような気がしますね。市長も学校も教育委員会も加害者の親たちも自分の立場ばかり慮ってはいないだろうか?次の選挙が気になるなら最初から誠実に対応しないとね。それにひきかえ、橋下さんは堂々としてますね。潔くスキャンダルを認めたところが見ていて気持ち良かったですね。こういう人なら次の選挙でも投票したくなりますが。共同無責任とも取れる大津の事件。縦割行政の弊害とも考えられますが、それをおかしいだのと指摘するのは当事者ではない筈。一人の少年を追い詰めた事、命が奪われた事、もっと真剣に考えるべきですね。
2012.07.20
大津の事件、なんか混乱してますね。市長も教育委員会も保身しか頭にないようで。でも、こんなに問題が大きくなってるのに遺族に対して誠実さが欠けるのは何故?いやあ、大人の世界でもパワハラもありますから。しかも、パワハラは民事訴訟でも刑事告訴でも相当の証拠や証言がないと立証は難しいとされますからね。ブラックな会社で働いている人、ブラックな上司の下で虐げられている人たちはまずは耐えないといけないのですかね。正直者が馬鹿をみる世の中ではあってほしくはないが。
2012.07.20
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