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2015.07.28
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カテゴリ: 家族_嫁姑
違う家庭環境で育った二人が結婚すると、生活の色々な面でズレが生じるものである。

私は、決まった時間に母の作った食事が出て来る家庭に育った。
夕飯だと7時だったし、何かの理由でその時間に家に戻れない時は連絡するのが当たり前だった。
そうしないとは母すごく不機嫌になり、怒った。

しかし、夫の育った家庭はどうもそうではなかったらしく、今日も6時に子供達の日帰りのサマーキャンプが終わっているはずなのに、迎えに行った夫共々帰って来ない。現在8時過ぎ。どこで何をしているのか連絡もなし。

昔は、テキストでどこにいて何時ごろ帰ってくるのか問い合わせたりしていたのだが、夫はそういうのがどうもピンと来ないらしい。彼曰く、子供達が遊んでいるんだから、何時に帰るか分からないと。
私が子供の頃は「夕飯の時間までには家に帰る」のが常識だったので、もうここで行き違いである。
いつ帰ってくるのだろうか、夕飯はもう食べたのだろうか、などとやきもきしているうちに私は何も手がつかないまま疲れて不機嫌になってしまい、帰ってきたら帰ってきたで子供たちの世話にバタバタと追われ(もちろん夫も手伝ってくれるが)、結局何も自分のやりたいことさえ出来ず。
ただ、それは夫にとっては、せっかく子供達と楽しい時間を過ごしてきたのに、何がそんなに不満なのか、と逆ギレされたりして(笑)、平行線をたどるばかり。

で、これが「母親同士の連帯感」で義母に理解してもらえると思ったら、義母は義母で、やはりかなり時間感覚がかなりずれている人なのである(笑)。

たとえば、義母に子供たちを預かってもらう時。
我が家は車を持っていないので、義母は我が家まで車で来てくれて子供達を連れ出し、連れ戻してくれる。義母が我が家より自分の家で子供達を見るほうが都合がいいという理由もあるが、それはとてもありがたい。
ただ、子供達を連れ戻す時間に関してのやりとりが色々と行き違う。

例1:
私としては、義母はベビーシッターじゃないし、義母のある程度都合のいいようにと思って、帰す時間についてはあまりきっちり指定していなかったのだが、
そうすると、
義母: I will bring the kids back "some time" in the afternoon.
と言う。
この'some time"というのが曲者で、これは午後1時なのか5時なのかがハッキリしない。
5時ならそれまでに何か出来るけど、1時なら家で待ってた方がいいし。。。

というわけで、時間を指定することにしたら。。。

例2:

私「5時に子供達を帰してください」
義母「それだと交通渋滞に巻き込まれるから3時ぐらいでいいか」
私「それでOKです」
そして、3時ちょっと前ぐらいに電話がかかってくる
義母「家にいる?」
私「はい(当たり前だよ、3時に帰すって言ったんだから家にいるに決まってるだろうが)」
義母「今、XXが家に来ていて彼女をまず家に送ってから子供達を帰すからそれでもいいか」
私「いいですよ(遅くなると渋滞に巻き込まれるから早く帰したいと言ったのはそっちだろうが)」
で、結局4時ごろに帰って来たら
義母「これからXX(私の娘)に買いに行きたいものがあるからTargetに行って来てもいいか」
私「。。。いいですよ。。。」
そして、結局私は3時から5時までずっと家で待っていて何もできず。
それだったら、最初から5時に帰すことにしてくれればよかったのに。

というようなことが何度もあった。

また、時間がまちまちになることについての妥協策として、せめて向こうの家を出る前に電話をして欲しいと言ったら、してくれるようにはなったが、義母にとっては習慣でも常識でもないので、その都度言わないといけないということに気がついた。
私は最初は一度言ったことを何度も言うのは失礼かと思って言わなかったのだが、そうするとまた子供達を連れ戻してくる時間がまちまちになるので、その都度しつこく言ったら、さすがに覚えて実践してくれるようになったのだが、
今度は、たとえば私が「仕事があるから朝の9時までには必ず来てほしい」と言ったときにも、家を出る前に「これから出る」と電話がくる。
私としては、そこまで時間をきっちりと指定したんだから、その時間に間に合うのだったらわざわざ出る前に電話してこなくてもいいと思うのだが、もうそれは説明しても分からないと思うので放っておいた。

さらに、家族の集まりの時は、3時に集合と言っても3時に来る人はほとんどいなくて、でも、夫は、「他の人が時間きっちりに集まらないからといって、自分達が遅れて行くのはそれは理由にならない」とか、何でそれは時間守るかね?というようなことを言うので、私達家族は3時に行き、でも、皆が集合して会が始まるのはだいたい5時ぐらいで、それから9時ぐらいまで延々とやる。
子供達が小さかった頃は、だいたい3時という時間からしてもう一日のエネルギーほぼ使い果たして終了しているところなのに、それから人がたくさん集まるところに行って大興奮状態となり、疲れきっているはずなのに、帰るのやだ、帰るのやだ、と言ってそれを無理やり家に連れて帰り、案の定、なかなか寝ずに次の朝、プリスクールに連れて行くのにひと苦労。子供達がきーきーしてきたら、それなりに帰りやすいように気を遣ってくれたらいいのに、などと思ってみたが、相手にしてみれば、そんな昔の子育てのことなんてすっかり忘れてしまっているのだろうし、早く帰るようにそそのかすのは失礼だと思っているのかもしれない。

私はこういう度重なる時間の感覚のズレにすっかり疲れてしまっていた。
でも、このズレを何度も経験する中で、学んだことはあったし、この手の「カルチャー」の違いの専門家にも相談した。
ここで言うカルチャーというのは、日米の違い、育った家庭の違いなど、広く含むのだが。アメリカ人が皆こういうわけじゃないし。

つまり:

・「彼ら」にとって、「X時」というのは、「約束」ではなく、あくまで「目安」である。その目安の範囲は、前後30分ではなく、前後2時間ぐらいまでが許容範囲のようである。
・「彼ら」にとって、時間をきっちりと指定することはかえってストレスになる。(私と逆)

妥協策:
・私が用事があってどうしても時間どおりに来て欲しいという時には、その都度、ちゃんとしつこく理由とともに言う。
例:私は10時までに仕事に行かなければならない。自宅から仕事場までは1時間かかる。よって、子供達を絶対に9時までに迎えに来てほしい。

・用事がない時は、時間を指定しないで相手にある程度任せる。そして、もう一つ学んだ大「彼ら」のような人々は、人を待たせても平気であると同時に「人に待たされても平気」だということである。私の「日本人の常識」としては、人を待たせるということは失礼なわけであるが、結局、「彼ら」は待つことは平気なのである。
だから、じゃあ、午後の"some time"に帰りますと言って、出る前に連絡もせず、いきなり帰ってきたら私が出かけていていなかった、としても、そのままずーっと待っているわけである。
私は待たせるのが失礼だと思っていたから、午後の時間中、どこにも行かず、家でひたすら待っていたのだが、それはしなくて良かったのである。

で、最初の話に戻るが、最近は、この写真のように、冷めたら温めればよい食事を、食べなかったら冷蔵庫にそのまま入れられるようにタッパーにつめてテーブルに並べておく。

IMG_5814 (640x480).jpg


夫と子供達が帰ってきたのは8時半。図書館に行っていたというが、図書館は6時にしまるはず。その後、何をしていたのか分からないが、まあ、いい。
夕飯も食べていなかったので、このタッパーの中から好きなのを選んでもらって、あとは夫に全部冷蔵庫にしまってもらう。

私は帰ってくるまでの間、自分の夕食を済ませ、お風呂にもさっさと入り、好きなドラマをネット配信で観て、ワイン満喫。自分が満たされているから、遅く帰って来て夕飯食べてなくても、快く家族達を迎えることができる。そして、家族全員機嫌よく、幸せ。

これでいいのだ。





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最終更新日  2015.09.07 23:10:42
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