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運動不足解消にと、昨年秋からベリーダンスを始めた。ベリーダンスはおへそを出してお尻を振ったり体をくねくねする踊りだから「はじめたんだよ」と友人にいうと、第一声が「ははは!」。どうもベリーはダイナマイトボディの人に向く踊りだと思われている節がある。「でもさ、痩せのアンチダイナマイトボディがフラダンスを踊るよりはいいかと思って。」ダンスといっても、バレエにジャズ、フラメンコ・・・と、いろいろあるのに何故ベリーダンスなのよ?と聞かれると、適当にこう答えておくのだが・・・ま、確かに大した違いはないか。ダンスなら、若い自分の多少の心得もある。長~いブランクがある故体に無理のないところで・・・と考えると、バレエは足がつりそうだし、フラメンコもヒールに足が耐えれまい。衣装にもなんだかお金がかかりそう。裸足でゆるそうなのがフラかベリーという訳だ。(実は、アフリカンダンスが一番ルースな感じで有酸素運動にもなってよさげなのだけれど。)やってみると、たくみな腹筋使いに指先への心配り等々案外むずかしい。ポーズの取り方も、遠い異国の民俗舞踊なので、どこか感覚的に美意識の働かせ方が異なる気がする。ちょっと手のひらの向きを違えるだけで「阿波踊り崩れ」になるし、締めるところをバシッとしめた上で動かないと、くねくねタコラになってしまい、鏡に移る己の姿から目をそらしたくなる有様である。そんなとき、先生からの一声。「自分を女王様だと思って!」ベリーは気高い踊りなのだそうだ。動機が動機だけに、実はココが一番難関のようなきもするが、なるほど、片手を腰に、片手を上にして、オ~レィ!の形を取るポーズなど、フラメンコさながら、万国共通の女の意地と誇りが凝縮されているように思える。軽い気持ちで始めてもいつのまにかムキになってしまうのが、エクセサイズに留まらないダンスの奥行きというものだろうか。まだまだタコ踊り。しかしながら、普段使わない部分を動かし、普段意識しないことを意識したりするのは、いやコレ、実にいい。日常の中のささやかな楽しみとなりつつある今日この頃。
2009.01.28
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自然放牧牛乳ー四季のめぐみ(島根県邑智郡)牛舎のない牧場で育ち四季の山野草を食んだ牛たちの牛乳があると聞いて、早速買ってみた。63度で30分の低温殺菌。ノンホモナイズ製法なので、クリーム成分が少々混ざっている。昔、田舎のおじさんが、隣村までいってもらってきてくれた一升瓶に入った牛乳。牛乳を買いに走るワタシの頭の中には、その牛乳のイメージが広がっていた。絞りたてなので、一旦鍋にあけ、加熱殺菌する。そのぬるさ加減は、今思えば「低温殺菌」だったのかな)))。冷たい牛乳に馴染んだ私の口には、妙に甘かったのを微かに覚えている。さて、この「四季のめぐみ」牛乳が、甘いか・・・・と思いきや、実は逆なのである。「薄い」「青臭い」「甘くない」。サラッとしていて、ちょっと草のにおいがする。昭和の終わり、濃い牛乳が高級とされた時代があった。「クリーミー」なことが、美味しさの描写になることが多いのは、私達の口が欧米化されたことを意味するような気もするが、今思えば、その過渡期の象徴的な現象だったのかもしれない。何処か作られた味に馴染んでしまった街っ子現代人に、自然のままの味というのは、味わった瞬間に「おいしい!」という言葉がでるようなものでは、まま無いように思う。まず「ふ~~ん・・・」「へえ~~」と口ずさみ、「そういえば・・・」「ほぉ~~~~」と、その味のシンプルさだったり奥行きだったりを噛みしめる。自然の味、本物の味に馴染むと、生き辛くなりそうな世の中だけど、忘れたくはない味だ。720ml 850円也。江戸時代のことを思えば安い!?(ハリスが求めた牛乳は、1万円相当だったらしいですよ)家庭の主婦には・・・・しんどいわ~~~~。
2009.01.21
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2008年の反省もそこそこに、宿題の繰り越しと共に迎えた2009年。今頃初ブログを書いていることが言わずもがなだが、取りあえず、昨年悟ったことを思い出し、少しは前に進んでいることのを確認することにしている。2008年の一番の悟り。それは、料理の中にも「業」があるということ。同じ事を繰り返し、繰り返し、繰り返しの中から生まれるエネルギーがある。繰り返しは、一つの料理を仕上げる動作にあったり、毎年の節句の定番料理にあったりいろいろ。胡麻を摺る。コトコト豆を煮る。お米を研ぐ。大根を下ろす。パンを捏ねる。摘んで、剥いで、刻んで・・・・。単純作業の繰り返しには、一見、学習要素など無いように思えるけれど、これらがなーんか「深~い」と、最近切に思うのでアリマス。単純作業だけに、機械に代替わりしてもらってもイケそうなことなのだけど、手作業でなされたものには、どこか込められるエネルギーに違いがあるような気がするのです。精進の胡麻豆腐の底力、母親のおにぎりのパワー。これらには「氣」という栄養が込められているのではないかと思うのでアリマス。常に新しさを求めることよりも、繰り返しできることを増やしていきたいなあ。
2009.01.16
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