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<昨日に続く>フィギュアスケートの荒川静香選手。トリノでは、得点にならないイナバウワーを演技に取り入れ、勝負するとか。世界一優雅と絶賛された彼女のイナバウワー。たしかに、優雅さって得点を付けにくいよねえ。魅力とか美しさって、そんなもの。フィギュアはスポーツだから、仕方ないけれど・・・。女王荒川選手の意地と信念に、なんとなくテロワールとかアイデンティティという言葉に通じるものを感じました。浅田真央選手のずば抜けた身体能力と子供(だよねえ)ならではの身軽さから生まれるジャンプより、私は断然、荒川選手のマチュアーなイナバウワーが見たい(!!)のだ。
2006.01.27
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果たしてワインに今、何が起こっているのか。ワイン業界の今。グローバルな味 V.S. テロワールを大切にした自然派ワインの論議をテーマにしたドキュメンタリー。でも、映画『モンドヴィーノ』は、ただ、味のグローバリゼーションについて提議しているのではなく、アイデンティティとは何かを問いかけているように思います。”現代的センスをもつ人たちのワイン” を造っていると自ら語り、世界を飛び回るワインコンサルタント、ミッシェル・ロランと、100点満点でワインを評価するロバート・パーカー。科学の力で造られた 「美味しさ」、安定とマーケティングが生み出す富。一方で、土地を愛し自然と対話しながらワインを造る醸造家たち。彼らの言葉は、合理性を追求した現代の消費生活に飲まれ、アイデンティティを失っていく現代人を、経済優先の社会を憂いています。「人間は、怠け者になった・・。」「自由に考える伝統、一方的なものに疑問をもつ自由があったのに・・・」「偉大なワインを造るのは詩人の仕事だ。」「最近やっと(ブドウの木と)会話ができるようになったの」「違うことを楽しみ、受け入れる姿勢が、いいワインを生むのだよ」「自分の”良い”を押しつけるのは・・・」「ブランドとは、アングロサクソンの文化だ」 「ワインは造る人に似るのよ」「貧しい人々の権利より、より良い生活の追求がいいのか」「何世紀も孔子を信じていた人々に、キリスト教を布教しようとしたんだ・・」「人もワインも、土や気候と形而的に関わっているものなのだよ」「ワインを造ることは人生の知恵・・」さりげなくも強い信念の言葉が沢山出てきて、グッときました。"テロワール"。地域性、風土、気候、地形、地質、土壌など、その土地のあらゆる現象との 密接に結びついたその土地ならではの概念。多様性を理解する為に必要な要素は全てテロワールにある。「テロワール」。マータイさんの「もったいない」に並んで世界の公用語にしたいものです。
2006.01.26
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<昨日に続く>そうそう、手造りの陶器に入れられたおはぎは、上に南天の葉が飾られていました。南天は、梅や柿の木同様日本の家の庭先によく植えられる木ですが、不浄を清めるとか(福寿草と一緒で)「難を転じて福となす」とか言われているのだそうです。そういえば、兄が家を新築したとき、父が南天の苗木を買ってきて「これは植えておいた方がいい」と植えていたのを思い出しました。少し世代の上の方にはそのような感覚が生活感の中にあるのでしょう。縁起だけではなく、南天は、実際に薬用効果があるのです。実は咳止めの効果がある(南天のどあめがありますね:子供の頃は南天はメーカーの名前かと思っておりました)し、葉っぱにも、殺菌効果があるそうです。南天のお箸は食あたりを防ぐなどといったりします。お赤飯の上にちょっと添えてあったり)))というのも、ちゃーんと役割があるのですね。それにしても、おはぎにすっかり心を奪われて、写真を撮るのも忘れておりました。あー、残念!
2006.01.24
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先日、手作りおはぎをご馳走になりました。作り慣れたTさんのおはぎは、小豆が艶やかで、一寸大きめ。ちょっと塩がきいていて、おはぎ文化の薄い家庭で育った私ですが、「おふくろさんの味」という言葉が頭に浮かびました。「こういうものって、どこかで習うものじゃなくて、作ってる横で手伝わされて、自然に見るともなく見て覚えてるものなのよ。料理ってそうやって気負わず教えたらいいなあと常々思うんよ。」Tさんは言います。おはぎをいただきながら、作り方を聞きましたが、これといってコツらしいものはないのです。しいていえば、のんびり作ること。小豆を魔法瓶に入れてお湯を注いで一晩。翌日そのお湯を捨てて、鍋に移し、お水を足して煮立て、小豆のアクが結構でるようならまたお湯を捨てる。これが「ゆでこぼす」という作業。そして、小豆と同量の三温糖を加えて一晩置いて、翌日再び火にかけて練っていくのだそうです。アンコが出来るまでに3日(!)。餅米とうるち米は9:1。水の量は1.5倍で柔らかめに炊きます。ご飯にも、小豆にも塩が少し入ります。「それを"半殺し"にするのよ。」ちょっと物騒な言葉で笑ってしまいましたが、これ、小豆や餅米の潰し具合を表現する言葉として、江戸時代から存在する言葉なのでした。春や秋のお彼岸につきもののおはぎ。お江戸では「牡丹餅」と呼ばれていたようです。「棚からボタモチ」って、あれ、牡丹餅、おはぎのことだったんだ・・・。アンコまみれのおはぎが落ちてきたら、ただ「ラッキー!」と、喜んではいられない気がします(笑)。Tさん、「私ね、"棚からボタ餅"とか"果報は寝て待て"って言葉がなんとなく好きなの。」手作りのお人形、陶芸、編み物。Tさんの時間が感じられるお宅で、手作りのおはぎを頂きながら、こんな言葉を聞くと、待つことが苦手な現代人が、その手の指の間から、ぽろぽろと沢山の落とし物をしてしまっているような気がしてきました。週末、ホリエモン事件に沸くテレビの映像を見ながら、前に上に進むことばかりにとらわれている世の中に、ちょっと憂いを感じるのであります。
2006.01.23
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築地の魚がし横丁で買った竹塩の封を開けてみました。竹塩は、韓国辺山半島の海岸で生産された天日塩を、3年以上成長した青竹に詰めて黄土で蓋をして、松の薪で1000℃以上もの高温で長時間炊きあげることにより、不純物を取り除き、また竹に豊富に含まれるミネラル分(カリウム、マグネシウム、カルシウムなど)と黄土成分が塩に溶け出し結晶化したものを砕いて粉末にしたもの。韓国では、1,300余年前から寺の僧侶たちの間で民間療法として使われていたものだとか。イオン飲料ポカリスウェットが水以上に体に吸収されやすいのと同じで、イオン化された粒子の細かい塩のようです。とても細かい粒子のパウダーで、舐めると一瞬しょっぱいが、後を引かない感じ。後味が甘い感じがします。粗塩や岩塩など家にある他の塩とも比較してみると、ダントツにしょっぱさがスッと退きます。韓国では、この竹塩の入った歯磨き粉がありますが、なるほどこれならゆすいだ後も爽やかかもしれません。竹塩は、値段にばらつきがあるのでその違いを尋ねたところ、最近は天日塩ではなく精製塩を入れて焼いただけのものも出回っているのだとか。粒子随分違うそうです。専門店のお兄さんお墨付きの竹塩は250gで2千円也。だ・・大事に使わなくては)))。
2006.01.21
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映画『SAYURI』を見た。面白かった。神秘的だった。良くできていると思った。実際、2時間40分という上映時間は、ちっとも長くは感じなかった。でも、何だろう。この違和感・・・。言語が英語だったからか・・・?役者?? BGM??(ヨーヨー・マです)監督ロブ・マーシャルは、「芸者とは、一般に(欧米で)イメージされているものとは違うというところを描きたかった」と語っている。映画の中でも、豆葉(ミッシェル・ヨー)のセリフで、女郎や遊女とは一線を画く、芸と知性こそが芸者の売りものだと語っている。可憐で、華麗、優美でしたたか。主演のチャン・ツィイーは、これらを上手く表現していたと思う。ミッシェル・ヨーも、着物が粋で知的でカッコイイ。ライバル芸者、初桃役のコン・リーも、かなり大陸的(笑)ではあったものの、女の情感たっぷりで迫力満々。でも、”はんなり” で ”いけず” で "しっとり" かというと、ちょと違うのよねぇ~)))・・と、 日本を描いたものというと、途端に自分の中の 島国根性が首をもたげる。でもでも、実は自分とて、知らない時代、世界、風情であり、心情かもしれない。映画は、作る人間のフィルターを通してみた世界観で語られているということを忘れないで見なくては。欧米人の描いた異文化として、大いに楽むべし。原作「MEMORIES OF GEISHA」に神秘を感じ、表現しようと試みた監督には、拍手をおくりたい。
2006.01.10
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魚がし横丁のあんこう屋たかはしの裏手で、アンコウの吊し切りを見ました。軒下にフックをぶら下げ、そこにアンコウの顎をひっかける。顎の下と数カ所に切れ目をいれ、ズルーッと皮を剥ぐ。肉を裂いて、肝と腸を取り出し切り離す・・・。胃を裂き、エラを外して、身を削ぎ・・・)))「またとない機会!」とカメラを構えましたが、やっぱり「見る」のはレンズを通さずマナコで!アンコウをさばく手順を見ようと頭は思っても、目はついつい包丁を握る美しい職人のお兄さんの手と姿を追ってしまいます。水仕事でしっとり透明感のでた色白の手にこの仕事の為に付いたかような腕の筋肉・・惚れ惚れ・・・と、みるみるうちに「アンコウは唇ばかりがのこるなり」の状態に。お兄さんの横には放り込まれた7ツ道具*が放り込まれたバケツが・・・。「東のアンコウ西のフグ」。まぐろ同様、東の冬魚の代表格。(鮪が今の地位に上り詰めたのは冷凍技術や漁船の進化があってからのことといいます。江戸時代などは血の魚はすぐに臭くなるので、畑の肥料にされたとか。)いにしえより愛されていたのは、この2頭身以下のお顔の方だったとは)))。面食いでは、グルメとはいえませんでしょうか。2,3撮った写真は、手元かお兄さん(美男子でした!)かに思いっきり揺れたことを証明するかのようにどちらにも焦点があっておりませんでした(涙)。*アンコウの七つ道具:肝、とも(手羽、腕、または胸びれ、尾びれ)、ぬの(卵巣)、柳肉(身肉、頬肉)、水袋(胃)、えら、皮の7 種類を指す。
2006.01.08
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場内で、ふと、見慣れたお顔をお見かけしました。グラナータの落合努シェフ(!)。思わず「あら!」と声を出してしまい、落合さん、私の顔を検索エンジンに掛けられた様子。私はまだ彼お店には伺ったことがありませんし、一方的にテレビや雑誌で知っているだけなのよ~。「あ、ご存知ないですよー))。スミマセン。」落合シェフはNHK『きょうの料理』や『生活ほっとモーニング』はもちろん、広島三越のイタリアンフェア等の折にも足を運ばれたりしておられるので、しっかりとお顔を覚えていたのです。夜もお店にも立っておられるのに、朝はこうやって自ら市場に足を運んでおられるのですね。おそらく市場の卸店に、お店に出入りしている魚屋さんに卸すものを注文しているのでしょう。直接ご本人が買うのではなく、出入り業者が仕入れる品物をチェックして業者に扱わせるように指示するようなことはごく一般的なことですが、こうやって足を運ばれて自分の目で食材を確認しておられるまめさ、真面目さ、謙虚さ・・。お店にも行ってみたくなります。この日は、海老の店、タコの店の前で立ち止まり、するする~っと退散なさいました。<写真:落合シェフのユニフォーム以外のお姿>
2006.01.07
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昨年、クリスマスの築地へいってきました。一昨年の12月は、築地ツアー(朝4時45分集合!というハードな見学ツアー)なるものに申し込み、鮪の競りを見せて頂きました。魚河岸に生きる人々の生気みなぎる様子に、人生観を揺さぶられるほど感動しました。血の肉をドッカと付けたまぐろの迫力、そして何より人が男が、真剣勝負という姿を最もシンプルな形で見た気がしました。今回は、無理せずいつもの時間に起床し、9時半ごろ築地へ到着。昨今、築地は、もはや商売に携わる方々だけのものではなくなりつつあるといいますが、やはり場内はお店をやってそうな人達がほとんど。(キロ単位での買い物だから、そりゃそうか。)そんな中にまぎれ、大八車やターレに轢かれそうになりながら、歩く私にも「買ってきなよー!」と、時折声がかかります。「クリスマス過ぎたら、もうお正月価格だから。今かっとかなきゃ!」ふと目にとまったのは、ちょっと小振り(といっても、周りのものが大きすぎるので、そう感じただけなんですが)な鮪のカマ。400円也!!これを買って帰れば、ターキーの丸焼きに匹敵する迫力あるご馳走になる!瞬時にそう思ってしまった私は、マイナス70℃で冷凍されたままをカットされたカチンカチンの鮪のカマ1片を購入。持参した保冷袋に入れて持って帰りましたが、夜になってもまだ溶けていないのです(!)。スゴイ・・・。家に持ち帰ってみると、決して「小振り」なシロモノではなく、2日掛かりで食することになったのでした。解凍すると、結構脂がキレイに霜降りに入りピンク色をしている部分が付いています。そこでその部分はそぎ取って包丁で叩いてネギトロに。残りを、魚がし横丁にある塩屋で買った竹塩をふっ てオーブンでグリルにして頂きました。毎回「お魚だけじゃない築地」と、思って出掛けるのですが、やっぱり「お魚抜きでは語れない築地」なのでした。場外市場でのインシデント:午後1時を廻る頃、サク売りの鮪はたたき売りモードに入ります。「奥さーん!ちょっと、ちょっと、ちょっと、ちょっとー、見てって、見てってー!!!」急ぎ足の私は、ついうっかりスーパー感覚で言ってしまいました。「もう今日のは買っちゃったのよ。」すると、まぐろのおニイさん、目をギラギラさせて怒りはじめました。「買おうが買うまいが関係ねえんだよ。ちょっと見てよ!ウチの(鮪)! ほらぁー!(サクを手にとって私の顔の前に)違うでしょ!これを見てかなきゃ!!こっちは命かけてんだから!」競りに集まっていた男達の眼差しを思い出し、はっとしました。ちょっとおっかない感じもしますが、ともあれ、イキでイナセでチャキチャキの江戸っ子職人魂に感服したインシデントでした。
2006.01.06
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あけまして おめでとうございます。昨年末に続き、お江戸談。東京土産の披露で2006年の幕開けとさせていただきます。築地場内魚がし横丁にある書籍部で『お魚かるた』(復刻版)を買ってきました。1936年が初版。昭和の魚河岸の子どもたちが遊んだかるたです。オリジナルは、当時国策で創設された東京魚市場会社の宣伝係長だった長谷川秀雄さんが手がけられ、5千セットほど配られたものだったそうですが、ほとんどが戦火で失われました。長谷川秀雄さんも、その後出征し、ニューギニアで戦死なさったそうです。魚河岸関係者さんらに深く記憶に刻まれたカルタの文句が、魚のPR誌に載せられたことがきっかけで、仲卸の八木一郎氏が1セットだけ完全な形で所有していることがわかり、再現への道に繋がったということです。1999年、長谷川さんの長男さんが、魚河岸関係者や奥野カルタ店会長さんの協力を経て復刻させたものが今回購入したものです。「へ」:兵隊さんにあげたい太刀魚「ラ」:蘭領印度(ランリョウインド=現在のインドネシア)へ漁船隊「ノ」:上る征途に勝男武士など、太平洋戦争直前の時代を反映したものがあったり、「リ」:流線型の鱚(キス)、かます「ハ」:初鰹は夏の知らせ「タ」:他人の空似はホウボウとカナガシラといった思わず頷く普遍的なものまで、イロハニホヘト、チリヌルオ・・・・。レトロな絵、昔の仮名使い、何とも味わいがあります。私個人的には「食育」という言葉があまり好きではありませんが、また、究極の「食育」教材だと思うのでアリマス。「鯨」、「地引き網」それから産地名。現在では当てはまらないものが少なくないところも、有る意味社会的なのでアリマス。
2006.01.05
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