平凡から非凡へ
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一般に事実と真実は違います。例えば、ここに1台の車があるとします。この車がどういう形状をした車であるかその全体像を表現するには、正面図、側面図、平面図といったいろんな角度から見た図面を作成しなければなりません。車は1台なのに違った図面が何枚も要るわけです。この各図面がそれぞれの角度から見た車体の形状を示す事実に相当します。そして各図面を合計したものが車体の全体像を示す真実に相当します。事実を集めることにより真実が浮かび上がってきます。真実を知ろうと思えば、多様な見方をしなければなかなか真実の姿にせまることができないということです。Aという人と、Bという人が喧嘩をしてその仲裁をする場合、両方の言い分を聞いてみないとなかなか本当の喧嘩の原因(真実)は分かりません。片方だけ聞いた場合には正しい判断ができないし、また公平でもありません。裁判などでも、裁判官は弁護側と検察側の両方の言い分を聞いて判決を下します。また、日本のことが知りたければ、外国へ行けともよく言われますが、これも立場を変えて客観的に見るようになるからより真実に近い日本の姿が見えるようになるのでしょう。服装なども外見だけで人を判断すると判断を誤る場合があります。確かに服装はその人間の内面を反映しているのでしょうが、100%ではありません。だらしない服装や奇抜な服装は別として、普通の格好をしているのであれば、その人の真の姿は、実際に話したり、日頃の行いを観察してみないとなかなか分からないものです。人のために生きるには人が理解できなければなりません。多様な見方ができれば、相手がよく理解できて、寛容になり、少々のことがあっても許せるようになるでしょう。これはまた自分自身が大きく成長していく道でもあります。それでは複眼の視点で物事を見る方法論としてはどのようなものがあるでしょうか。方法論として次のような3点があげられると思います。(1) 意識的に立場を変えて見るようにすること。例えば、相手の立場や第三者の立場に立って考えて み ること。(2) マクロとミクロの空間的視点で見てみること。(3) 短期と長期の時間的視点で見てみること。注意点としては、行き過ぎた欲は持たないことです。欲の深い人は、欲のためによく働きますが、欲にとらわれて物事をありのままに見ることができなくなり、ついには身を滅ぼすことになりかねません。最後の注意点として、ある1つの事実だけを見て、早とちりや思い込みにより真相(真実)を誤解する例を述べます。自分の恋人の男性が、街中で他の若い女性と一緒に並んで歩いているのを見かけて、その男性が浮気をしていると思いました。しかし実際は、他の若い女性が自分の恋人の男性に道をたずねたところ、たまたま近かったので、その男性は目的の場所まで他の若い女性を案内していただけのことです。ところが恋人の女性はこの情景をちょっと見ただけで浮気をしていると誤解したのでした。こういうのを事実誤認というのでしょうか。やはり物事はよく見て判断しないと早とちりや思い込みをしてしまいがちです。次の例を挙げてみます。ある洋服店で1日の来店者数は男女別ではどちらが多いかを調べることになりました。開店中の1時間おきの店内の男女の数を調べたところ女性がいつも男性より2倍ほどいました。しかし実際は1日の来店者数は男性の方が多かったということです。これは一体どういうことでしょうか? こういうことがあり得るのでしょうか? すでに分かった方もおられるかもしれませんが、答えは、1日の来店者数では男性よりも女性の方が少ないにも関わらず、女性たちの店内での滞留時間が長いため、店内をいつ見ても女性の方が多かった理由です。これは、入り口で来店者数をカウントすれば正解がでます。これは目の前の事実から思い込みによる判断ミスを犯した例です。目的に合った正しい調査法をとるべきでした。
2024.11.13
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