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それから東北は歴史的に数百年後再び戊辰戦争を経験し、薩長の支配下にはいり、山県有朋によって「白河以北一山百文」というレッテルを貼られてしまいました。また薩長政治のなれの果て八紘一宇と言われた東南アジア征派事業では、多数の荘丁を満州に送り込み、挙句の果てに荒野に迷わせたという土地柄、2022年の今これをやっと覆す高校野球の優勝旗が白河の関を超えたということでお祝い騒ぎをぶち上げた東北、このことは見方を変えればニヒリズムと言うか自ら蔑視されていることを認めているということにもなります。
ある農学者は、明治の北海道開拓に異論を唱えると同時に、東北を「日本のスコットランドたれ!」と檄を飛ばしました。当初は政府も東北をまず整備してそれから北海道という地勢的には正しい方針だったが、ロシアの干渉で北海道優先に切り替えた。
福島県猪苗代湖からの「安積疎水」を皮切りに始まった東北への投資は中止され以後北海道に集中したのはあきらかです。
東北は余りにも広すぎた(スイスよりもオランダよりもひろい)
地域同士につながりが薄く管理しにくい
今でもNHK東北のニュースで青森の名産品や温泉を福島の人間が見ても行きたいとは思わない。あまりに遠いから。飛行機でもあればいいがそれもない。具体的に上げると
1.地勢的に東北は外国とのかかわりが浅かった?気候も厳しく海も荒れ気味で朝鮮、中国などとの往来には向かない。かといって半年のあいだ氷に閉ざされる北海道、北日本周囲の大陸側は往来極めて寡少だった(せいぜいロシア人がたびたび干渉していた)
2.気候が峻厳で人の往来が少なく、交流できる時期が他地方に比べて少ない。ということは学びの場も少ないので、知識のレベルが低く、官の言いなりになるしかなかった。
3.明治初期の戊辰戦争での敗北(会津藩)とその後の政府の東北蔑視
最後に実体験を話しますが、安積疎水ってそんなに必要だったのか?ということです。水田に水を引くだけなら阿武隈川があったし、また中町、駅前周辺の土地は1mも掘れば地下水の水面が出ます。水質の問題などあったかもしれませんが、安積疎水の目的はほかにあったと思う。要するに敵性地帯だった東北に西側の人間を移住させてガラガラポンする民族混和政策だったと思われます。敵性人間同士でも婚姻が進み、世代が変われば感情的には融和されますからね。そのため、郡山市内の郊外には水田の一角に墓地が作られ、異様な光景を醸し出しています。鳥取、久留米、博多、鳥羽など移民部落ができ、地名は今でも残っています。
ただ東北新幹線は名称はそのままで栃木県内を走っています(笑)そのうちこれも名称を変えてくれってJRに抗議されるかも・・・
東北が明治以来の被差別を解消する方法は残念ながらないと思う。いちばんいいのは東北人自身がこんなひがみやあきらめを持たないのが一番いいと思います。もし差別的発言や扱いを受けたらその場で断固抗議するぐらいの気構えは必要です。
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