FANTA-G

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2019.11.01
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どこまで自分の表現の自由の主張が認められるか、について。

 たとえば、私は食べ物のレバーが嫌いです。というか、食べられません。しかし、市場には普通に売られている。焼肉屋でも人気メニューであるし、レバー大好きな友人もいる。

 で、私がもし「レバーなどというものは見るのも嫌だ、私と同じようにレバーが嫌いな人間はほかにもいる。だから、焼き肉屋もスーパーも肉屋もレバーを見せてはならない、公共の場で私のような嫌いな人間の目に入るようなことがあってはいけない」としたら、これは大変な傲慢であるし、そんなものは認められるわけがない。
 しかし、これが私が嫌がるのに無理やり学校給食で「残しは許しません。レバーが嫌いであっても全部食べなさい!」という指導は正しかったか?それは正しかったとは全く思わない。あの口に入れた時の吐き気、飲み込めず無理やり口に大量に突っ込み、そのままトイレに走ってゲーゲー吐いた思い出。

 あの時「食べ物の好き嫌いはいけない」という大人の教育の傲慢さをつくづく思い知った。大人になったら嫌いな食べ物は食べない、他の食品でも栄養は代用できると知ったから。

 要は自分の口にさえ入らなければいい、それしかない、という選択肢に行動を限定されることが「個人の表現の自由の侵害」なのだと思う。

 献血ポスターのマンガキャラの胸が大きすぎて性的だ、こういうものを公共の場で見せるべきではない、というのは、この境界線の話。このポスターに不快感を持つ人はいる。それは私のレバー嫌いのようなもの。しかし、その自分の嗜好をすべての人の嗜好に当てはめてはいけない。

 同時に、嫌がっている人以上にオタクがあのポスターで興味をもって献血に行くとしたら、それは効果があった、ということであり。現にずいぶん前からコミケではアニメキャラの献血ポスターで多くのオタクが献血を行っている。

 自分が気に入らない巨乳キャラのポスターで献血する人が増えたとしたら、自分には向けられていないデザインであった、と理解すべきで。そこは強制的に見るようにされていない以上、許容すべきエリアです。

 なにしろ、これを突き詰めると自分が嫌いな芸能人が宣伝のポスターであっても「この芸能人、私は嫌いだから宣伝キャラにするな」という意見がまかり通る世界になる。

 考えてほしい。自分が興味がない、あるいは不快な表現物を好む人がいる。たとえば私はホラー、グロ表現の本、日本すげえ‼的な番組は嫌いです。嫌いですが、それは自分に向けられていない読者、視聴者がいるのだと。だから、法律違反でない以上、やめろとは言えませんし、そういう映画や書物が売られることこそ健全だと思っています。しかし、無理やりそれをこちらに押し付けられたら拒絶します。

 趣味嗜好の表現の自由とはそういうエリアのお話だと思うのです。





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最終更新日  2019.11.01 20:25:47
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