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10月の下旬とは思えないほどの温かさ。せっかくのお休み、いいお天気なのでちょろっとお散歩。「ききょうの里コース」の一部 宮下、森島(もりじま)エリアを巡ります。 「森島開拓350年記念碑」(平成9年(1997年)建立) こちらの説明については後ほど 下記で紹介させていただきます。 「宮下山神社と稲荷神社」 宝永4年(1707年)創建。 御神木が育ちすぎ~!!(笑)この境内は、付近では一番高い所だったので、大水害にはこの山神社に非難し全員無事だったという。宮下という地名は、この山神社より下に人家を建てて生活していたことに由来します。更に奥に進むとお稲荷さん。 お稲荷さんから望む神様の道がいい雰囲気です。 お稲荷さんの裏手に小さなかわいらしい祠が。デザインもおしゃれ いつの時代のものかは刻まれていませんでした。「伊勢塚さん」 江戸時代の初めころ、巡礼姿の重い皮膚病の男性が、お伊勢参りの途中 富士川の河原で倒れ、宮下の村人達が世話をし、その際に「私が死んだら大石さんの屋敷内に伊勢塚として祀って下さい。どんな難病でも難渋していると願いを掛けてくれれば必ずなおします。」と言い残し、信心深い方々が祀られました。 中はちゃんとしたお部屋です。一軒家のお墓、いいですね~!! 入り口前の手洗い処が昭和初期ですね。真ん中の水が落ちる部分が→のタイルで可愛い。「森島厳島浅間神社」 明治8年村社に列せられた。もとは弁才天社と称し、廃仏毀釈により厳島神社と改称。 写真では判りづらいですが、立派な彫刻の社殿です。 裏手には小さな水神社も。屋根瓦に「水」と彫られています。「黄檗宗 神護山 法田(ほうでん)寺」 江戸時代の寛文年間(1661年~1673年)髙澤道喜を開基として創建された禅宗のお寺。境内には元禄5年(1692年)没した道喜の「加島郷開発の先覚高沢道喜之碑」が建立。 * 森島(もりじま)江戸時代初期、古郡孫太夫(ふるごおりまごだゆう)重政が、かりがね堤の建設や加島新田の開発に情熱を傾けていたころのことです。横割の伊藤八左衛門の家で世話になっていた高沢道喜(たかざわどうき)が、重政から許可を得て開発をしたのが森島でした。初めは道喜島(どうきじま)と呼んでいましたが、後に幕府の命で、森島と改名されました。一番最初の「森島開拓記念碑」はこれに由来します。*加島 (【広報ふじ昭和58年】地名の由来 より)「魚椰(かいぱん)」 木魚の原型で、日常行事の時間を知らせます。口にくわえる球は煩悩(貪・瞋・癡の三毒)の象徴で、叩いて吐き出させる意味があります。木魚は頭と尾を結び、始終がないように作ったもので、霊魂不滅の象徴で佛教倫理の基本。「雲版(うんぱん)」 写真の真ん中にぶら下がっている物です。禅宗寺院で合図のために打ち鳴らす器具で、雲の形から雲版という。宮下、森島地区の歴史さんぽ堪能しました。約30分ほどのちょろっと散策を終え、戻りました。長Tシャツ1枚でしたが、うっすらと汗ばむほどの温かさで お散歩日和でした。
2020年10月29日
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本日は午前中は晴れ、午後から薄曇りなお天気だが、富士山が久々に見えてます。せっかくなので、岩本山で富士山を望みつつ カフェでランチ。 岩本山から。空気がかすんでいて今一ハッキリしない富士山ですが、 以前降った雪が谷間に残った夏の富士山の様相です。岩本山はちょうどバラが見頃。 時間を持て余した方々がお散歩やバラの撮影に来られていました。 そして、いつもの「かぐや岩本山カフェ」 平日のランチ時、先日行った時とはうって変わって激混み。(当blog参照:カフェとお散歩)皆さん、既にコロナに飽きたのか 慣れたのか 気にしていない様子で5組待ちだった。激混み時は室内よりテラスがいいな。と思い、テラスをチョイス。駿河湾を望みながらのランチ。 私の本日の出で立ちは7分袖ブラウスに薄手のカーディガン。富士市は温暖な気候なので、こんな薄着ですがテラスでも平気。パスタを頼んだにも関わらず、パンケーキはいかがですか?って、無理でしょ~って思ったら、1席開けて隣の方は余裕で食べてて驚いた。Σ(・□・;)更に向こう隣の方はパスタに加え、ハンバーガーを食べてた。高カロリー過ぎ~これが若い方なら解らないでもないが、意外にご高齢の方で更にビックリでした。ランチ&富士山 堪能しました。
2020年10月28日
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JR東日本 信越本線「横川駅」関東の駅百選認定駅 基本、1時間に1本。通勤時間帯は1時間に2本の運行。利用者数少ないのかな? 駅舎横にはしっかり荻野屋さんのテイクアウト店が。そして、駅前に明治18年創業 峠の釜めし発祥の地【荻野屋】本店がある。 碓氷峠からアプトの道を堪能し、戻ったらちょうどランチ時。店内で『峠の釜めしセット』を。 ちょうど安中市が1000円で1300円分使えるお得なグルメチケットのキャンペーンをされている。というので購入し、ランチに使わせていただきました。 お店の方が教えてくださるのが嬉しい。 12時まではテイクアウトも承れてて、持ち帰るお客さんが温かい。 と感動していた。温かい釜めしは本当にうれしいですよね。 食後は目の前の「おぎのや資料館」で日本最古の駅弁屋の歴史見学。 横川駅構内営業部の「峠の釜めし販売台車」900円の時代の。現在は1100円 横川駅では2両の"ロクサン"()を連結するときに4分30秒、切り離すときに2分45秒停車。この停車時間中、乗客が競うように買い求めたのが「峠の釜めし」だったそうです。 歴代の峠の釜めしの掛け紙 今日、いただいたのはこれ。 鉄道OB会からの寄贈で、JRのシートやアプト式レールに?な物、 これどうやって撮ったん?って写真など、寄贈ものもたくさん展示されていました。横川駅前と温かい峠の釜めし、堪能しました。観光客用に横川駅前や文化村の近くには無料で駐車できる駐車場が用意されており、大変助かります。嬉しいです。この後、本来の予定では滝のある公園(ヒルがいる)を巡る予定でしたが、雨上がりとはいえ、雨の日の滝巡りは危険かもしれない上、ヒル対策も必要なのでスルーし、早々に家路につきました。今回の連休も、いつもながらに充実した旅行となり、めっちゃ良かったです。
2020年10月22日
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碓氷峠の【碓氷第三橋梁(めがね橋)】を堪能した後は、スタート地点から。とうとう雨が降ってきました。 傘を差しながら[アプトの道(起点)]をスタートです。 アプトの道は舗装されて歩きやすい遊歩道。 途中、「碓氷峠鉄道文化むら」を横目に。 時々、汽笛がなります。 そして一旦アプトの道を外れ、【碓氷関所跡】へ。『碓氷関所 東門』(安中藩管理) 群馬県指定史跡 元和 9年(1623年) 中山道碓氷関所が設置寛永12年(1635年) 参勤交代が行われるようになり、「入り鉄砲に出女」を厳しく取締り。出女は、人質として江戸に住まわせていた大名の妻子が国元へ逃げ帰るのを防ぐためです。明治 2年(1869年) 関所を廃止西門(幕府管理)~東門(安中藩管理)まで約95mを関所内として木柵で囲っていたそうです。『関所八幡跡』 八幡社の建立は不明。延享4年(1747年)円筒形石塔に内藤家時代の番頭、他4名の名と奉納時期が刻まれています。 安中市松井田町の町内と山が見渡せます。そして、ここから約25分(往路)にある「まるやま駅」前までテクテク。復路は約18分 横には鉄道文化むら内から発車する平成9年に廃止となった信越線横川~軽井沢間の下り線、1時間に1本 トロッコ列車が運行されている線路と並行しています。ひたすら真っ直ぐな道ですが、飽きないように要所要所に説明書きが用意されている。 この赤線部分の文言、笑った。 その通り かつての遮断機やかつての何かの跡?など、色々残っています。 ようやく「まるやま駅」に到着。この駅前に今回の目的である煉瓦造り建造物があります。碓氷峠鉄道施設【旧丸山変電所 二棟】重文、日本近代化遺産第一号 明治45年(1912年)築横川(鉄道では日本初)、丸山、矢ヶ崎(軽井沢)に変電所が造られた。 横川から地下ケーブルで送られた交流6600Vの電気を直流650Vに変換して 第三軌条を通して機関車に送っていました。 蓄電池室には312個のバッテリーが並び、電力不足を補っていました。昭和37年(1962年) 高崎-横川間 電化 旧国鉄が残酷で初めて造った変電所で純煉瓦造りでは最古のもの。制作に時間と高い技術が必要な、煉瓦を加工して装飾アーチ形にした「フラットアーチ」西側の建物が機械室で、回転変流器と変圧器があった。 西側の建物を窓越しに覗いてみました。機械室内部はウォーレントラス(ワーレントラス)構造。斜材の向きを交互にしたトラス構造を指し、サメの歯のようなギザギザが特徴。(屋根部分)明治時代にコストダウンのため普及しました。 毎年11月初旬に内部公開が行われる(1週間)が、今年はコロナの影響で無し。東側の建物は蓄電池室で、列車が上り勾配にかかるときに必要な電力を補っていた。日本一の急勾配で66.7‰(パーミル)を超えていたそうです。蓄電池は312個が整然とならんでいた。東側の建物は窓がクリアじゃないので、覗けません。裏に回ると、東側の建物に後で増築されたコンクリートの建物がくっつくように建っていました。 中を覗くと、蓄電池が並んでいた跡なのでしょうか?? 雨降る中、建物の周りをグルグル覗き見しながら見学。めっちゃ堪能しました。テンションが上がり、すっかり山ビルの存在を忘れていた私。10月中旬にもなると、ヤマビルは冬眠する?のか、被害に遭いませんでした。良かった。帰りは「EF63形電気機関車(峠のシェルパ)」に遭遇しました。(動いてた。) 粘着運転の為、旧国鉄一重い機関車だそうです。粘着は、レールに車輪がくっつくという意味ではなく、摩擦という意味。駆動力が車輪にかかって車輪とレールの間の静摩擦に頼って走行する鉄道らしい。鉄道に詳しくない私。実際に見てみないとよくわからないなぁ~・・・。「碓氷峠 遊歩道アプトの道ガイド 碓氷峠路探訪 トロッコ線付」 距離感もつかめるので、これはダウンロードして正解でした。(PDFのリンク貼ってます。)安中市のHP内で観光パンフレットがダウンロードできるのがありがたいです。アプトの道、何もない場所には飽きてくる頃合いを見計らって説明書きが掲示されており、目的地まで飽きることなく歩け、この心遣いがとてもいいです。大好きな煉瓦造りの建造物、国の重要文化財も充分に堪能でき、とても良かったです。
2020年10月22日
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軽井沢を後にし、朝から向かうのは ず~っと行きたかった 重文のある『碓氷峠』曇りから雨模様のお天気ですが、写真を撮るのに逆光の心配もなくちょうど良いお天気(?)。軽井沢~坂本宿まで183ものカーブ数のある難所。めがね橋へ向かう途中に線路やトンネルがすぐ側に見え、テンションが高鳴る。 ちょうど「カーブ126」の場所で停まれそうだったので、ちょろっと見学。 ずっと上の方を走っていると思っていたので、こんな真横で見れるとは思わなかった。ここは正規の見学ルートではないので、写真だけ撮って早々に移動。路駐だしね。「旧熊ノ平」駅は、元気だったら立ち寄ってたかもしれないが、昨日から筋肉痛。元気な方や鉄道好きの方は駅舎があるようですので、ぜひ見学を!雨も降ってきそうだし、ここはスルーして【碓氷第3橋梁(めがね橋)】重文へ。 ずっとここへ来たかった4連アーチ式の鉄道橋。カメラでは3連がやっと。 上へ上れるのが嬉しい。しかし、山ヒル注意! 一応6月~9月頃らしいけど。 上には、マムシ、スズメバチ、熊(年に2~3回目撃)注意。カモシカやサルはラッキーと。 熊ノ平 から第3橋梁へと続くトンネル(6号トンネル) 結構なカーブです。 26のトンネルと18の橋梁があり、長いトンネルには蒸気機関車の煙を防ぐ(?)ため長いトンネルにはトンネルにカーテンを引くトンネル番が働いていました。カーテンを引いて空気の流れを止め、煙を入口付近に吸い寄せます。(後ろに機関車部分) その名残でしょうか?暗くて判り辛いですが、左端の部分。 【碓氷第3橋梁(めがね橋)】日本近代化遺産第一号、重文 を橋の横の登山道(?)から。 (5号トンネル)内は明るいです。設計者:イギリス人:パゥネル 技師、日本人:古川晴一 技師構 造:煉瓦造、アーチ橋(径間数 4、長さ 87.7m)建 設:明治24年(1891年)~明治26年(1893年)勾 配:66.7/1000(国鉄最急こう配)作製時間:7ヶ月使用煉瓦数:202万8000個 と言われています。碓氷の急坂を整備し、新国道が造られたのは明治17年(1884年)のこと。明治21年(1888年) 鉄道馬車が運行明治26年(1893年) アプト式蒸気機関車による鉄道が完成、開通。明治45年(1912年) ドイツ式電気機関車が導入。 わが国初の鉄道電化の実現。大正15年(年) 5月まで蒸気機関車と電気機関車との併用が続けられた。昭和38年(1963年) 廃止橋の下には一級河川の 碓氷川 が流れていました。 国の重要文化財にも関わらず、落書きが多く、けしからん!! ここへ来た日付?と名前を彫ってる方が多い!! ヒドイ!!逐一アップにして掲載してやろうかっ!と思うほど。「碓氷峠関連ニュース」<廃線・碓氷峠のレール切断 盗難被害はなし 群馬 毎日新聞2019年2月8日>https://archive.is/85nVo<花柳幻舟さん、転落して死亡か 群馬・安中のめがね橋 朝日新聞 2019年3月1日>https://archive.is/KJBIi<国重文トンネルの落書き消し作業始まる 碓氷峠 毎日新聞2019年7月26日> ありがたいですね。見学の際、こんな落書きがあったら悲しすぎる。テンション下がるわ。<国重要文化財に落書き疑い、41歳男を逮捕 群馬 - 産経ニュース 2020年6月10日>https://archive.is/fZF6sニュースも ろくなニュースがなく、悲しい・・・。でも、煉瓦好きにはたまらないスポットでした。
2020年10月22日
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軽井沢でのランチは、発地界隈で見つけた隠れ家的レストラン「cafe フォルテ 軽井沢」で。 こじんまりとしたお洒落な雰囲気の店内。 酵素を主体とされているお店だからか、酵素玄米の作り方や酵素の本などが置いてある。 身体に優しい「酵素玄米カレーセット ガーリックシュリンプ」 少なそうに見えるが、よく噛むし、女子には満足できる量。食べてからしばらく経つと、体がほこほこ しだし、お酒でも飲んだのか?と思うほど顔もカッカし、これが酵素のパワーか??と体全体で感じ、感動した。(今までに感じたことのない感覚で、勝手に酵素力と思っている。)軽井沢に住んでたら、お気に入りのお店として何度も足を運ぶかな。発地界隈は、今後 新たに開発していきそうな場所で、近くには2016年にOPENした軽井沢町農産物等直売施設「発地市庭」もありました。宿泊はGOTOトラベルキャンペーンを利用し、軽井沢駅前の「APA HOTEL 軽井沢荘」へ。 元々APAホテルはリーズナブルな価格設定なうえ、キャンペーン利用で更に安くなり、 部屋1 大人:4,550円×2名 宿泊料金合計:9,100円 クーポン割引額:3,185円(GoTo割引クーポン利用) お支払い金額:5,915円(消費税込・サービス料込) ← これ、2名分の金額です。 ご利用いただける地域共通クーポン額:1,000円お得すぎてビックリ充分すぎるほど観光したので、チェックインを済ませ、駅南側の「軽井沢・プリンスショッピングプラザ」でお買い物。 こんなショッピングモールへ行くのって久々~!特に欲しいものもないが、とりあえずブラブラ。 ちょうどハロウィンのイルミネーション。軽井沢のコンビニ兼おみやげを扱っている「軽井沢こだわりステーション」で 三笠ホテルのカレーが売られていた。ホテル内で食べると2800円というのを草津の宿泊先の雑誌で読んでいたので、2種類買ってみた。 ここで地域共通クーポンを利用し、お買い物。伝統のチキンカレー 756円、幻のビーフカレー 972円普通なら高すぎて買おうと思わないのだが、1728円 → 728円 となると買わなきゃ損!「地域共通クーポン」本当にありがたいです。帰りに駅構内のコンビニで、地域限定クラフトチューハイ「シナノリップ」を。 「シナノリップ」は「千秋」に「シナノレッド」を交配して作られた早生種のリンゴ。めっちゃ飲みやすくて美味しかった~。(果汁6% アルコール8%)酒飲みには、こんなんジュースやん!って言われそう。<軽井沢のマンホール> 浅間山と、シラカバの木 がデザインされています。錆さびですが、これしか遭遇しなかった。軽井沢は山が近いので、「クマ出没注意」の看板をあちこちで見られた。カフェでも「クマ予防に犬飼おうかなぁ~。」って会話が耳に入り、「えっ!?」って感じでビックリ!!(◎_◎;)。 怖いわぁ~。軽井沢、冬は寒いし雪が積もるから車は冬タイヤいるし、めっちゃ混んでるし、熊も出るという。個人的には住みたくないなぁ~・・・。でも旅行ならいいね。 めっちゃ堪能しました。
2020年10月21日
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軽井沢と言えば、私にとっては文化財建造物の聖地。ゆっくり自転車で巡りたいところだが、コロナ禍の平日なのに 以外に混んでる。人、自転車はもちろん、移動する県外の車の多さ に辟易。車が停めやすく、見学しやすい建造物のみをチョイスし、巡ります。[旧三笠ホテル] 重文 明治38年(1905年)築残念ながらR元年12/28~R6年3/31(予定)まで長期大規模保存修理工事中で見学できず。海外のように覆い幕に絵が描かれているとそれなりに。なのですが、それもなく・・・。見学者用に修復前の写真と説明文が掲示されていました。[旧スイス公使館(深山(みやま)荘)] 軽井沢町指定文化財 昭和17年(1942年)築。前田栄次郎氏の貸別荘の中でも最大規模の施設。軽井沢は太平洋戦争開戦中の外国人疎開地に指定されており、疎開別荘として使用。「Grand Tour of switzerland」[万平ホテル アルプス館] 近代化産業遺産、登録有形文化財 第20-0538号 明治27年(1894年) 外国人専用ホテル「亀屋ホテル」として創業。明治29年(1896年) 創始者:佐藤萬平の名前を取り「萬平ホテル」と改称昭和11年(1936年) 「万平ホテル」へ改名。現在に至る。 ちょろっと写るダイニングルームがとても素敵です。山岳リゾートに相応しい意匠のホテル建築。ジョン・レノンも昭和51年(1976年)~昭和54年(1979年)の毎4シーズン宿泊された。[石の教会 内村鑑三記念堂] ホテルブレストンコートに隣接する教会は、内村鑑三が唱えた「無教会思想」の教会。 文化財ではありませんが、個人的にこの建築物に惚れて訪問。 そこにある自然を壊さず、自然の一部となる「生きている建築」by.ケンドリック・ケロッグ 内部の写真撮影は禁止なのが残念。だがHPで見ることができる。https://www.stonechurch.jp/#実はここのどこかにハートのストーンが隠されて(?)います。時間がある方は探してみてね。 ヒント:一番最初の写真が撮れる場所を振り返った足元[甌穴] 軽井沢町指定文化財 天然記念物 釜ヶ淵から下流 2km両岸に大小50個の甌穴が見られる。 山之神社横から降りられるようになっています。鳥居奥の四阿(?)が何気に甌穴風です。 身近に甌穴が観察できます。左の甌穴、何気にハート[発地(ほっち)の石仏群] 軽井沢町指定文化財 中山道の脇道で女街道の中間点にあり、関所では銃の動きと女人の通行は厳しく関所を避けて通る裏街道「女街道」ができ、道中安全祈願をした石造物[発地地蔵尊] 地蔵ヶ原に一~二町(約100~200m)ごとに地蔵尊が建っていたが盗難や土地改良事業等により数が減り、移転保存したもの。[旧近衛文麿別荘(市村記念館)] 軽井沢町指定文化財 大正7年(1918年)築。大正15年(1926年) 元首相:近衛文麿が別荘として野沢源次郎から購入。昭和7年(1932年) 政治学者で近衛と親交があった市村今朝蔵が購入。 中は撮影禁止なのが残念。[旧雨宮邸] 門が武家屋敷を思わせる重厚感がすごいです。 軽井沢の開発者として知られる雨宮敬次郎は、明治時代一代にして財閥を築いた人物。 新座敷は明治末期に建築され、伊藤博文、他 政・財界の大物がこの屋敷に宿泊している。[旧雨宮邸 蔵] [旧軽井沢駅舎] 近代化産業遺産 明治21年(1888年) 信越本線(直江津~軽井沢)開通以来、皇族はじめ内外の要人達が利用された駅舎。現在は記念館として保存。 構内は今でも利用されている?? 切符売り場と改札がありました。 2F「ろくもんラウンジ」貴賓室に当時の貴重な部材はそのままで、水戸岡デザインの家具が配置されている。見学時間:10時~16時 で、まだ16時じゃないのに見学できなかった~。[草軽電鉄電気機関車] 大正9年(1920年) アメリカのシェフェリー社で作成したデキ12形機関車。 鉱山用のトロッコを改造したもの。大正4年(1915年)~昭和37年(1962年) まで営業されていた。[軽井沢駅前交番] 軽井沢の雰囲気を醸し出すロッジ風の可愛い交番です。旧軽井沢は文化財の宝庫。ゆっくり巡りたかったですが、人の多さにイライラ。「避暑地 かつ のんびりゆったりした時間が流れ、くつろげる軽井沢。」のイメージでしたが、東京方面からの観光客が非常に多かったです。もはや、静かに過ごせる場所ではなくなっているのですね。残念です。私が巡った上記の場所は、ゆったりとした時間が流れており、車も停めやすくとても良かったです。
2020年10月21日
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連泊の草津、お肌もツルツルでリセットされた感ありの草津温泉を満喫し、軽井沢方面へと向かう。『魚留の滝』 駐車場より約2分の魚留の滝は川へ降りる箇所が崩れているので、途中 立入禁止。 離れた場所から。 見事な段爆ですね。『浅間大滝』 入口には台風19号の被害により見学できません。とあるが、ここまでは散策できる。 離れた場所からだと かろうじて滝が見える。 その離れた場所を振り返ると、可愛らしい石仏が5体並んでいました。(写真は一部) みんな微笑んでいるんですよ。 江戸時代(天保)の物のようです。あっという間の滝見学を終え、浅間山北麓ジオパーク認定のジョン・レノン親子も訪れた『鬼押出し園』へ。 天明3年(1783年)の浅間山噴火によって生まれた、溶岩群内を散策。 グレーな曇り空に加え、グレーな溶岩群で一帯がグレーゾーン。 同じような景色が続き、次第に飽きてくる。面白そうな岩の形を見つけながら自分なりに楽しみを見つけながらの散策。稲妻のような割れ目のある岩を発見!「ヒカリゴケ」 フラッシュで光らせると反射してきみどり色に輝くらしいのですが、普通のコケしか見当たらない。「東叡山 寛永寺別院 浅間山観音堂」 木々の紅葉が映えます。 「遮那王」のロケ地らしい。清盛亭のベランダ からの景色。 「遮那王(しゃなおう)」は、平安時代の武将、源義経の稚児名だそうです。「奥の院 炎観世音」 神成志保氏の夢枕に出現し、この地に観音菩薩を建立せよとの仰せにより、娘:神成澪子の設計謹作され、御寄進されたもの。 「鬼押出し園」は有料の上信越高原国立公園。「クマ出没注意」の看板が設置されているが、岩だらけなのに・・・と思っていたら、浅間山と繋がっているので、ここから降りてこられそうです。静岡に居ると、浅間を「あさま」ではなく「せんげん」と呼んでしまう。それまでは「あさま」としか読まなかったのに、すっかり静岡県民化(笑)。他にも「石割松」などちょろっと見どころありです。散策も終え、これより有料道路(短い)を2回通り、軽井沢へ。『白糸の瀧』 有料道路沿いにある湯川の水源にある滝。 高さ:3m、幅:70m 浅間山の地下水が冬も枯れることなく湧き出す。 火山に伴う地熱の影響か、水温:11.8℃ だそうです。 白糸の滝は、湯川となって千曲川へ流れ、信濃の国土を潤しています。滝と岩ゴロゴロの自然公園を堪能し、これより軽井沢散策へつづく。
2020年10月21日
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草津界隈を巡り、15時頃に宿に戻り、少し休憩してから明るい時間の湯畑とその界隈をお散歩。明るいと夜には見えてなかったものが見えてまた違った雰囲気。「湯けむり亭と松の湯」 この辺りに天保年間(1830年代)に共同浴場「松の湯」があり、昭和29年(1954年)取壊し。平成6年(1994年)に四阿「湯けむり亭」が建てられ湯畑界隈を眺めながら手・足湯を楽しめます。「熱乃湯(ねつのゆ)」 草津名物、湯もみと踊りショーの見学と体験ができる施設。だが、チケットを買う人や見学者の列などでコロナ禍とは思えないほどの人気で激混み。誰かが倒れたのか、救急車も来てるし、激混でcovid-19感染が怖いです。平日のコロナ禍での混みよう、今までどれだけ混んでたんだろう?と思わざるをえん!「将軍御汲上の湯枠」 湯畑源泉の中に、四角に組まれた木の枠は、慶長元年(1596)徳川家康や、豊臣秀吉に勧められ、八代将軍吉宗や十代将軍家治が、この湯枠の湯を樽詰めにして江戸城へ運ばせ、入浴していた。豊臣秀次や家康の正室朝日姫、また前田利家公なども草津温泉に入湯している。「湯滝・湯滝の灯篭」 昨日は湯けむりが凄すぎてよく見えなかった湯滝。 真ん中右のほうに見える常夜灯は、昔はちゃんと機能していた灯篭。 「白旗源泉 頼朝宮」 草津温泉開湯伝説の一人、源頼朝公を奉った祠が源泉の中に佇む。狩りに出かけた頼朝公が入浴したといわれる白旗源泉が湧き出ています。「草津山 光泉寺」 養老5年(721年)行基菩薩が草津温泉を発見し、薬師堂を建立し開基された。「本堂」 御本尊の薬師如来は、有馬・道後 と共に日本産大温泉薬師といわれています。「釈迦堂と遅咲如来」 元禄16年建立 茅葺屋根の御堂内に「遅咲如来」が安置されています。遅咲如来は、元禄時代 東大寺公慶上人の作。 ここからの雰囲気がいい感じ。湯畑界隈を満喫し、『西の河原(さいのかわら)公園』へ。 川沿いの紅葉がきれいです。 河原を流れるのは、水ではなくすべて温泉です。 何となく湯けむりが見えるでしょうか? 手を浸すと温かくて気持ちいい~。緑のモノは「イデユコゴメ」という強酸性のところが好きな珍しい原始的藻類。 川の奥が凄い湯けむりなので近づいてみると、高温につき立入禁止。至る所から50℃以上の温泉が噴き出し、その量は15,000L/mに及び湯の川となって流れる。「草津穴守稲荷神社」 キツネさんもマスクです。 「縁結び地蔵尊とぴんころ地蔵尊、夫婦円満子宝地蔵尊」 湯滝 滝の上からの園内の眺めがいいです。 公園の奥には「西の河原露天風呂」も。(有料) 戻りつつ、園内の四阿で湯畑界隈で買ったお土産を試食。 コロナ禍で試食がないので、オススメや美味しさがわからない。美味しいものを会社やお世話になっている方々へのお土産に。と思い、公園眺めつつ試食。どっちもおいしくって、この2つは買って正解。しかもお値段リーズナブル。 この公園は、かつては鬼の泉水と呼ばれ、「湧き出る湯口はわれもおそろしや、鬼の茶釜の湯土産噺」と怖がられたようですよ。「西の河原公園」めっちゃ良かったです。草津に来たら湯畑だけではなく、ぜひこの公園にも足を延ばすべしお散歩を堪能し、宿に戻り、夕食の時間までのんびりタイム。コロナ禍で夕食の提供がないので、本日の夕食は地元で美味しいと人気でいつも混んでるという宿の方お勧めの場所を予約してもらった。【大茶庵(だいちゃあん)】定休日:月 その月により火曜も休みあり。 ちゃんこ鍋をメインに焼き鳥、他 色々ありの居酒屋さん。一番乗りで写真撮れた。ちゃんこ鍋は醤油・塩・味噌があるが、今日は塩。とのこと。 元春日野部屋力士 忍錦さん のお店。幕下で引退されてから東京でちゃんこ店を開店し、故郷の草津へ移転。現在に至る。 そんな元力士のちゃんこ、美味しい これは素人では出せない味。レモンの爽やかさのないKALDIの「塩レモン鍋つゆ」の味に似ているかもっ!?これに焼鳥盛り合わせ(炭火焼) や 鍋の〆にうどん を頼む。 うどんは前日食べたおっきりこみうどんのようで、半端ない量。絶対残しそう・・・って思ったが、美味しくって全部平らげてしまった。(笑)もはや妊娠中か!?と言われてもおかしくない程のお腹の膨らみがヤバイ湯畑方面の宿に泊まられてる方も浴衣姿で来られるほどの人気店でした。美味しかった~草津堪能しまくり。連泊にして良かった。
2020年10月20日
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「世立八滝」から草津市の「嫗仙の滝」へ向かう途中、何やら重々しい名前の看板があったので、一旦通り過ぎたが、また戻って立ち寄ってみました。 『重監房資料館』 木々に囲まれた舗装されていない砂利の細道を約500mほど行く(実際にはもっと長く感じる)と資料館の入口に着いた。 コロナチェックを済ませ、中へ入ると大量の資料をいただき、まずはDVD観賞(長い)。最初のDVDを見た後、更に別室でDVD観賞。観賞時間 計 約30分。 その後、資料館を見学できるシステム。 確かに、何の資料館かわからずに行っても??だが、DVDを見たおかげで痛々しさが身に染みる。そう、ここはハンセン病患者の特に反抗的な方々を監禁しておく場所だったようです。 原寸の再現が資料館内に作られています。 入口を入ると更に重々しい扉、そして小さな木の扉を入るとようやく監房室の扉。 厳重な4重の扉です。 蔵の扉や銀行の金庫を思わせる分厚さの厳重な扉。 当然ながら全て鍵がかけられます。 唯一の換気口は食事が配給してもらえる小さな窓口のみ。 食事の用意は重監房に入っている人以外の同じハンセン病患者によりされる。おにぎり1個分程度の麦飯と、たくわん か梅干し、実のない味噌汁や白湯の食事。見た目では判りにくいですが、かなりの小ささです。これらは重監房跡より出土したものです。 重監房の部屋のイメージ(4畳)。冬は寒く 夏は暑く 日中夜もわからない状態。犯罪者でもないのに、ひどすぎますが、当時はハンセン病は人から人へと感染する病気と考えられており、得体のしれない病気に国は「臭いものに蓋」状態な扱いです。ここのハンセン病患者は、食事の配給以外にも過酷な労働が課されていました。日本ニュース 戦後編 第91号【楽泉園の実情 群馬】1947年(昭和22年)10月7日 ハンセン病(らい病)の感染は、未治療の多菌型患者の鼻粘膜には多数の“らい菌”が存在しており、この菌を含む鼻汁が飛沫となって排出され、新たな人の上気道、呼吸器系をとおり感染するという考え方が提唱され、現在ではこの考え方が世界的に支持されています。衛生状態が最も強く影響しているようです。現在におけるコロナウイルスと同じ飛沫感染かつ衛生面的も日本vs他国から見ても同じですね。全ては免疫力UPが重要のようです。現在は重監房はありません。が、楽泉園では100人以上の元ハンセン病の方々が暮されています。とても考えさせられる場所でした。
2020年10月20日
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吾妻渓谷、八ッ場(やんば)を後にし、向かうは中之条町にある【世立(よだて)八滝】へ。 駐車場を無料で提供して下さってる『滝見ドライブイン』で駐車。(無料) 本日は定休日の火曜 だが、駐車場を開けてくださってるのが ありがたい。ここから歩2分もかからず行ける滝。『大仙(おおぜん)の滝』 高さ15m 滝の本の表紙になりそうな 滝らしい滝ですね。 近くの展望所には、どっから持ってきたのか絵馬が掛けられていました。『天狗の左足跡』 滝見ドライブイン駐車場からよく見える。とのことなので駐車場のトイレ辺りから。木々の間に見える穴。切り取りズームしましたが、どうでしょうか? 足跡っぽく見えますね。 天狗が岩に飛び移る際、裸足になって飛び移った際にできた足跡とされている。縦10m、幅5m程の天狗の足跡。らしいのですが・・・せっかくなのに木々が育ちすぎ・・・。 八滝の間の6滝は急な坂が続く結構なトレッキングコースのようなので、スルーし、コースから少し離れた一番奥の滝へ移動します。「滝眺めの里コース」のアーチをくぐり、下り、橋を渡って下っていきます。 巨岩を眺めつつ進むとはしご階段。登り切ったら 『仙(せん)の滝』 高さ15m 圧巻な上、ここはパワーを感じます。凄い巨岩と共に見上げる滝。側にある蜂の巣付の巨岩が何ともいえません 全貌はスルーしたトレッキングコースから来るとたどり着く巨岩の横の木から。 横から全貌。この滝は巨岩ありきですね。この巨岩がパワーあるのかもっ八石沢川に並行して流れる依田尾川にある滝で、地元の人以外あまり知られてない滝。仙人が発見したという民話から名付けられた。この滝は本当に良かったです。「世立八滝」に来られた方は、この滝は外せませんね。このまま草津市へ向かい、次なる滝、創価学会の研修道場の先、奥にある滝へ。『嫗仙(おうせん)の滝』 駐車場より滝まで約30分だが、行きは急な下り、帰りは延々と上りで道も細く、上級者向け。 とはいえ、女性バイカーもバイクの恰好で来られてました。暑かったでしょうね。 赤い岩肌の川が見えてきたら、この写真反対側の奥に滝が見える。 圧巻!! なのに、先ほどの「仙の滝」に魅了されすぎて、凄さがちょっぴり半減。先にここを見学してから巡るのがいいのかもしれませんね。 鉄分を含んだ岩なのか、赤い岩肌を間近で。水が流れている部分のみ赤いので、水に含まれる何かと化学反応か?滝を堪能し、森の巨人たち100選に選ばれている「カツラの巨木」見るつもりでしたが、川を渡る巨木への道がわからなかった(一本道だった)ので、そのまま戻りました。 創価学会の研修道場敷地の木々が紅葉が始まってました。圧巻な滝が多い群馬。滝巡り堪能です。「嫗仙の滝」へ来る途中に見つけた、何やら重々しい名前の場所を訪ねます。つづく
2020年10月20日
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草津2日目は、早朝より【吾妻(あがつま)渓谷】へ。 紅葉の時期はすぐに満車になるといわれている「十二沢パーキング」。(約30台 無料) 見どころ満載の「吾妻峡」 ちゃんとした遊歩道がある上、説明書きも用意されており、巡りやすい。『屏風岩』 東西に六枚屏風を立てたように並んでいることからよばれる。木々がうっそうとしていて判りづらいですね。『猿橋』(復元) 江戸・大正期にかけ実在した「片刎橋(かたはねばし)」。長さ:43m、幅:3m岸の岩盤に穴を開け、刎ね木を斜めに差し込み、空中に突き出し橋を支える構造。以前、甲斐の猿橋 を見学した際は、両側に刎ね木があるタイプでした。(当blog参照:甲斐の猿橋、他文化財巡り) 猿橋より渓谷を望む。紅葉にはまだ少し早いようです。『白絹の滝』 吾妻峡 十勝 の説明には八ッ場ダム建設により消滅。とあるが、しっかりある。看板もあります!でも、三段の滝では なくなったのかもしれない。見えないだけか・・・。『若葉台』 吾妻川の屈折が急な所で渓谷側に突き出した高さ約40mの大地。『樽沢トンネル』(日本一短い鉄道トンネル) 旧JR吾妻線の岩島駅~川原湯温泉駅間に存在(現:廃線)。全長約7.2m。 この岩の部分だけがトンネルになっています。『八丁暗がり』 吾妻峡の中で両岸の最も狭まった所で、吾妻峡最大の見せ場。 若葉台~紅葉台までの区間、総延長八丁(約900m)あることから呼ばれている。『鹿飛橋』 最も狭いところは川幅2~3mで、昔 鹿が飛んで渡ったことから「鹿飛」と呼ばれている。『布袋岩』 高さ:水面より120m、幅:100mの半球状の岩峰。布袋様が座っているような形から呼ばれる。 んん??って感じです・・・『紅葉台』 工事中なのでこれが限界ですが、渓谷側に突出した台地で紅葉の名所。紅葉まだです。『大蓬莱』吾妻峡で最も優れた慶長地の一つ。 高さ:130m の集塊溶岩からなる岩峰は、中国の蓬莱山を彷彿させる。らしい。 八ッ場ダムの建設工事中で「吾妻峡十勝」すべて見れなかったのが残念。渓谷美に山の美しさ、堪能しました。早々に後にし、ここへ来る途中に見えた滝へ。『川湯不動堂』 江戸時代中期築。本尊:不動明王 滝のすぐ側なので納得。『不動の滝』 逆光で判りづらいのですが、かなり大きな滝です。全体は三段滝で、見えている部分は落差40mの下段の部分。『子守り松』 赤松の幹からミツバツツジが生え、育っています。『八ッ場あがつま湖』 雄大な景色を眺め、すぐそばの『道の駅八ッ場(やんば)』へ。 野菜や果物がめっちゃ安く、地元の方々や観光客で外の野菜売り場は激混み。私もその一人。(笑)旧六合(くに)村産の幻のキャベツ「419」って値段かと思ったらキャベツの名前だった。 ややこしい 知ってる人でないと高すぎて買えないっ!って思った。普通のキャベツより柔らかいのが特徴で傷みやすく、生産者・栽培量が少ないので幻のようです。よく見たら付いてる値段が全然違い、安いし買ってみた。110円~150円他にも白菜1玉200円前後だったり、リンゴB級品300円と激安 野菜が安いとテンション上がる私。幸い、先日より真冬並みの寒さが続いているので、冷蔵庫なくてもイケそうでよかった。お買い物を先に済まし、ここでランチ。「八ッ場名物おつみ団子」を 我が家では「だんご汁」と呼んでいるものだった。地方によっては「だご汁」ともいう。友人はダムカード付ダムカレー。 お買い物に満足し、お腹を満たした後は次なる滝巡りへつづく。
2020年10月20日
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映画「テルマエ・ロマエ」を観て以来、ず~っと行ってみたかった日本三名泉の1つ 『草津温泉』へ。 午前中は仕事だったので、到着時は夕方とはいえ、すっかり夜の草津。 湯畑界隈はライトアップされ、コロナ禍ではあるが大変な賑わい。 ものすごい湯けむりで、ちゃんと見えないんですが~!! ご当地キャラの「ゆもみちゃん」と湯畑 「テルマエ・ロマエ」で登場していた射的場を発見!! おぉ~!! ゴルゴ13レベルの狙撃手はお断り。な店。(笑) 何気にテンション上がります。草津では唯一の登録有形文化財【山本館 本店】第10-0305号 GOTOトラベルキャンペーンを利用すれば、普段は泊まれない こんなお高い温泉旅館も安く泊まれるのでしょうが、その分人が集まる。 中は宿泊客以外は見学できません。と掲示されていて残念。 宿泊先ではコロナ禍で、夕食の提供なし。ご当地ものを探しウロウロ。泊まれるレストラン&カフェ「湯川テラス」で 群馬名物を。上階は宿泊施設(2部屋のみ)です。 江戸時代中期頃、石臼が庶民に広まり「粉もの食」が発展。その代表的なのが、「おっきりこみ」 しょうゆ、味噌、豆乳、カレー、坦々、と色んな出汁ベースがありましたが、特に群馬的なのが味噌 だというので、お味噌味を頼みました。見た目とは裏腹に、かなりの量です。最後まで食べるのに必死!!(^-^山梨県のほうとうに似ています。 ちちやの温泉饅頭や温泉たまごなどをちょろっと買い食いしつつ宿に戻る。私達が選んだ宿は普段通りキャンペーン対象外の「THE 地元な民宿」お世話になるのは「宿こいけ」 案の定、皆さんお高い温泉旅館で泊まる人ばかりらしく、宿泊客は私達のみ。ラッキー民宿と言えば、一般家庭で食べるご当地の食事が楽しみなのですが、夕食ナシは残念でした。 草津なので源泉かけ流しの湯。湯船に入るとあふれ出る湯に少々慌てるが、かけ流しやった。とホッと安堵する貧乏人な私。 硫黄泉に含まれる硫化水素で水道蛇口が真っ黒に化学変化しています。(◎_◎;) メンテナンスが大変そうです。<草津のマンホール>ご当地キャラの「ゆもみちゃん」マンホール 2種 「雪」は雪を溶かすのでしょうか?? 「9つのサの真ん中に下」は、円に並んだ九つの「サ」が双方から均等な力で支え合い豊富な温泉、町民の和と協力で発展する町を表している草津町の町章をもじり下水道用として刻印されています。草津は連泊予定で明日もあちこち ゆっくり巡ります。
2020年10月19日
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有給休暇を利用し、草津方面へ。まずは草津市より南東方面に位置する吾妻郡東吾妻町大戸の【仙人窟】へ。 入口からてくてく階段を上る。 途中にあるこれは灯篭の下の部分か? 安永時代のもので、「大運寺」と刻まれている。 更に階段を上ると洞窟が 先住民族の穴居の跡ともいわれる入口高さ8m、深さ26mの洞窟は、吾妻町指定名勝。 中には聖観世音像や十八羅漢などがあり(写真がボケボケで掲載できず残念)、吾妻33書観音第8番札所となっている。この洞窟の手前には、[胎内くぐり]と称する「石門」が。 「石門」 以外にも、普通に立ってられる状態の広い空間。ここをくぐり抜けると「奥の院」 奥の院内には、3体の石仏が安置されている。圧巻 ここ、めっちゃテンション上がる~ 奥の院から胎内窟を望む。 そして、帰路へ続く階段へ。 ここ、かなり気に入りました。「大戸関所跡」へ行く途中に、奥の院の本寺である『大運寺』を見つけたので立ち寄り。『浄土宗 鎮西派 大運寺』 興国年間、宝誉上人により創立、開山。「山門」が雰囲気があって素敵です。 上州第一の富豪:加部安左衛門により寺を荘厳に。との指示があった事からか、加部家関係の墓地、他は町指定史跡となっている。普段は拝見できないが、ご本尊の「阿弥陀佛」は町指定重要文化財。この寺の奥の院である「仙人窟」も町の名勝かつ町指定文化財です。『大戸関所跡』 寛永8年(1632年)に設置。明治元年に廃止。信州街道は中山道を凌ぐ最短距離として重要な街道で、 別名 信州道、草津道、喜光寺道、大戸廻りとも呼ばれていた。(別名が多いなぁ~(笑) ) 碓氷関所の裏固め的役割がある大戸関所。通行門限は明六つから暮六つと定め。嘉永3年(1850年)侠客 国定忠治は関所破りの罪を受け、この地で処刑された。大戸区が所有する大戸関所 関係文書は町指定重要文化財です。歴史ある大戸、特に大運寺 奥の院の「仙人窟」がめっちゃ良かったです。
2020年10月19日
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純白のソバの花が見頃 富士山とのコントラストも 静岡・富士市 (2020年10月11日(日) テレしず)リンク先には動画はありません。ソバの花が岩本山で見頃。のニュースを見て、見に行ってきました。 真っ白なソバの花の中に、ピンクがかったソバの花も! 既にソバの実もでき始めていました。 ニュースによると、来月にはソバの実の収穫だそうです。蕎麦は誰が打つのでしょう?手打ちのお蕎麦がふるまわれる高齢者施設 いいなぁ~。「岩本山とかりがね堤を守る会」は以前、見に行った「ひまわり畑」を植えられていた会。空いた農耕地を再利用されるのっていいですね。(当blog参照:ひまわり、 かりがね堤のひまわり)ここは岩本山の茶畑の一画。ソバだけに紅白の鉄塔のすぐ側です。オヤジかっ!(笑)本当は富士山が見えるとより一層よかったかもしれないが、ここのところ、天候が薄曇りの日々が続き、富士山も雲隠れ。ですが、ちょろっと立ち寄り満喫しました。
2020年10月14日
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お天気のいい今日は、お買い物がてら ちょろっと遠征。富士市の歴史さんぽ。 『時田清酒醸造所跡地の赤レンガ』 現在は個人宅の外壁になっています。『平井島 稲荷神社』 創建年代不詳。 拝殿は近代的ですね。昭和のもの。新田開発に従事した者たちが成功を祈って祀ったと考えられています。「鳥居」 新しそうに見えるが、大正7年 遠藤與右衛門、時田啓三郎 氏により奉献されたもの。「拝殿前の石祠」 天保9年のもの「本殿」 「本殿西側の石祠」 長通村山神社が遷座したもの。寛文12年(1672年)壬子8月の刻字あり。もう読みづらい。寛文12年は雁堤が完成する2年前で、築堤による村中安泰を願って祀られたと考えられる。「東側の石祠」 山神社2社(村社と無格社)が合祀<参照文献>富士北 北翔歴史さんぽコース (PDF)富士おさんぽ見聞録ここの神社は地域の方が日々綺麗にされているようで、気持ちいいです。すぐ横に川が流れているのに古い石祠などはコケがないのは磨かれている証拠ですね。『遠藤家の門』 江戸時代に名主をしていたころの庄屋門。 ちょうど工事で横の門が開いていたので、横からも撮影できて ラッキー♪ 逆光ですが・・・。(ふじ市議会だより第180号 議員ふじさん歩より) (PDF)巡り時間 約10分ほどのちょろっと立ち寄り。 満喫です。(笑)
2020年10月12日
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今回発生した台風14号(チャンホン)は、予想外の動きで「これ、ほんま?」と思わず声に出してしまうほどのUターン台風。人工台風か?? 記憶の中では初めてな動きかも~!!(笑) 大阪は雨風がきつかったようだが、静岡では普通の雨。何の影響もなく過ぎ去った。台風一過の今日は、またまたお休み。だが、日曜日。で、あまり人が居なさそうな場所へ出かけることに。以前、静岡新聞のニュースで三保に戦跡があると知り、ちょろっと調べていたので巡ります。 三保の戦争遺産「足元顧みて」 特攻艇「震洋」艇庫人知れず撤去(2020/7/30 @S 静岡新聞SBS)https://www.at-s.com/news/article/featured/social/sengo75/795188.htmlまずは三保の「清水灯台」の近くから。「甲飛豫科練之像」 昭和19年9月 清水海軍航空隊がここに開隊され、航空兵を目指し、日夜厳しい教育と訓練に明け暮れた所。 三保の飛行場はその名残か・・・。「清水航空隊関連の隊門跡」 「掩体壕」? 道路沿いの民家(廃墟っぽい)の倉庫 かつ ごみ置き場 となっている。道路より低い位置にあるため、上からのぞき込む。「特攻震洋格納庫」 なぜか煙突つき。空気の入れ替えのため?? 三保マリーナにあるものは、掩体壕の入り口に屋根付きの小屋を後付けして利用されている。「大型の震洋壕」 家、一軒ほどの大きさの震洋壕です。 めっちゃデカいです。ニュースによると、現存する8基のうち小型の2基は特攻兵が出撃を待った「待機壕」、大型の1基に本部が置かれた。残りの5基は震洋の艇庫「掩体壕(えんたいごう)」とみられる。と。震洋艇は、長さ6mほどのベニヤ板でできたモーターボートで、弾薬を積み、搭乗員もろとも敵艦に体当たりする特攻艇。(けしからん!)実際には5隻しか配備されず、実践では使われないまま終戦になりました。(ホッとした。)(静岡平和資料館をつくる会より)<参照 blog>「静岡市清水区三保、海軍航空隊・震洋隊記録」「とある戦跡と自衛隊 -清水 震洋壕群 清水海軍航空隊-」戦跡は、あっという間に巡れ、お昼前なので、初めて静岡の三保に来た際に立ち寄った「鐘庵清水三保総本店」へ。 一昨日、昨日の20℃を下回る気温と打って変わって今日は10℃程高く、30℃。暑いので、皆さん 冷そば。(笑) コシのあるお蕎麦に桜エビのかき揚げが美味しかった。当店おすすめ[ 桜エビ そば(冷)] 鐘庵さんが、チェーン店という事を 静岡へ引っ越しして かなり経って知ったのだが、他店とこことは、味が違う気がするのは気のせい? 私はここの味がお気に入り。本当にちょろっと散策。早々に戻りました。
2020年10月11日
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南部町の重要文化財、今まで何度となく道の駅などで観光ガイドなどを見てきたが、重要文化財の紹介は一度も目にしなかった。気づかなかっただけ? 「峠のラーメン」の駐車場でこの案内板を見なかったら、ずっと知らなかった。で、「最恩寺」をググって 行ってみました。臨済宗妙心派【福士山 最恩寺 仏殿】重要文化財 室町時代初期 応永2年(1395年)築長久年間:天台宗 → 応永年間~:臨済宗に改宗 現在に至る。 貞享2年(1685年)火災に遭い、方丈、庫裏など多くの堂宇や寺宝、記録など焼失し仏殿だけが残り当時のままの姿を留めています。 木枠内の擬宝珠(ギボシ?)からオーラが放つような波々の木が凝ってますね。日蓮宗が主なこの界隈で、違う宗派は珍しい。重文なのにあまり周知されてない理由が何となくわかった気がする。(あくまでも個人感) 近くの公園から「最恩寺」を望む。 真っ赤な彼岸花が印象的な里山の風景。堪能しました。
2020年10月04日
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食後、次に目指すは「身延山」「身延山久遠寺三門」登録有形文化財 始めて訪問したのは3年前の春。(当blog参照:身延山久遠寺、身延山奥之院)blogを書いてると、前回と標語が違ってるのを 確認できるのがいいですね。前回は本堂界隈や奥の院しか巡ってなくて、後は周りに〇〇坊ばかりと思っていたが、ここは日蓮宗 総本山。日蓮聖人のお墓もある。という事を知り、巡ります。と、その前に滝があるようなので行ってみます。 もちろん、山梨日日新聞社が出版している「山梨の滝」で事前チェック済み。(笑) この本に、行き方が詳しく書いていて、駐車場の指示もあり、とても役立つ。 本によると、橋のわずか手前 左に登る工事用の荒れた林道に入る。林道歩きは約700m。この指示がなければ、どう行っていいかわからなかった。土日を除く平日は、砂防堰堤の工事のため、通行できなかったところだ。(工事期間:~R3.3/15 8:00~17:00)普段、土日は出かけないのに、今日に限って日曜。何てラッキー 呼ばれた?(笑) しばらく歩くと、「雨乞瀧龍神」の神様が祀られていました。ここを通り過ぎ、平成11年(1999年)初版のこの本では、最後の堰堤はかなり古い。と記載されているが、10年以上経った 砂防堰堤工事中の今は、もはや当てにならない。というより、10年以上も工事用の荒れた林道なんですね。左手の小沢はこれだろうか? 写真では見にくい?が、一応、ちょろちょろと水が流れてる。 ここから右手に少し入ると山陰から突然といった形で滝が現れる。らしい。 右手に川を渡れるが、関係者以外立入禁止の場所。しかも工事用車両やポンプ?やら何やらと置いてあり、人はいないが可動している。水の流れ的に滝があるとは思えない。ここは諦めて引き返す事に。残念だが、工事が終わった後でないと、滝にはたどり着けなさそうだ。諦めて、来る途中にあった日蓮聖人のお墓や御草庵跡などを見学。 まずは右手の道(滝方面への道)へ行く途中にあるトンネル「洗心洞」 とても雰囲気のあるトンネルです。この奥に日蓮上人が初めて説法をした石「高座石」のある「妙石坊」がある。滝への帰り道、通ったのですが、なぜか行く気になれず、スルーしちゃいました。「西谷檀林跡(修行道場一帯)」 弘治2年(1556年)日鏡上人は子弟を教育する為に、ここを教育機関としての檀林をおこされ、明治期の新制度になるまで、約300年間 西谷檀林は身延山を中心とする人々の教育の根本道場としての使命を果した。現座は東谷に身延山短期大学学園となり、多くの学僧たちの教育施設となっています。「身延山久遠寺常唱殿」登録有形文化財 屋根の檜皮葺がすごいです。 この辺り一帯が深閑としていて、清らかな空気が流れておりとても気持ちのいい場所。 霊山橋から手水舎と法界堂を。 緑深く、苔むす手水舎と常唱殿。 「法界堂」町指定文化財 石には、弘安4年(1281年)改築 當山最古ノ堂 昭和3年大改修 と刻まれています。「身延山久遠寺御草庵跡」県指定史跡 鎌倉時代 文永十一年(1274)~弘安五年(1282) まで厳寒と戦い、飢餓に耐えながら日中夜日蓮聖人が法華経要文の読誦と著述に励まれた聖地。身延山久遠寺発祥の地。 「身延山久遠寺祖廟塔」登録有形文化財 「墓をば身延山に立てさせ給へ。未来際までも心は身延山に住むべく候」の日蓮聖人の遺言通り、墓を築かれた聖地。ふかふかの苔むす場所では、リスかな? 森のエビフライがあちこちで見られ、 松ぼっくりのカスが方々に散らばっており、食べ散らかしていました。 可愛い~。日蓮聖人身延御在世中に御隠棲なられた日円上人開基の「北之坊」 赤い彼岸花が目についたので、門から。身延山久遠寺を堪能し、総門から三門に向かう参道にある寛永3年創業 祈壽菓子司「甘養亭河喜」へ。 店内の調度品がめっちゃ古い。さすが老舗! 左写真、手前の冷蔵庫は木製。今も使用しているか聞いたら、使ってないと。で、元祖みのぶまんじゅうと名物揚げまんじゅうを購入。 老舗だからか、めちゃ並んでました。(密) なぜか、一番最後だった。揚げまんじゅうは家に帰って10秒程温めたら、揚げたてっぽくって美味しかった~。身延山久遠寺、メインのご本堂や奥の院よりもめっちゃ良かったです。ここは観光客の来訪者が少ない分、良い気が巡っているようです。癒されました。この後、帰路に向かいつつ 先に見つけた南部町の重要文化財へ向かいます。 つづく
2020年10月04日
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日・祝日は、仕事が休みの時でも混んでいるから出かけない主義。だが、今日は晴れ(暑くない)でもなく、雨(寒くない)でもなく、とても過ごしやすい曇り。南部町にあるずっと廃墟だと思っていた場所にある ラーメン屋さんが、美味しいと噂を耳にし、行ってみることに。過ごしやすいからか、バイクツーリングのグループを何組も目にするドライブ日和。【峠のラーメン】 ここは道路からだと、「なんぶの湯」の看板が目立ち、お風呂屋さんが潰れたんだな。と思ってたほど。(笑)11時からのOPENだが、数分遅れただけで既に満席かつ何組も待っている。(写真は食後に) 中では飲食以外に、テイクアウトの方もいらっしゃり、大人気。(席は6テーブル)私達は待ち5組目だが、ラーメン系は回転が速いので、30分も待てば入れた。「チャーシューメン」 チャーシューのボリュームが半端ない。食べ応えのある厚さでとろける~。油分が少なめなので、めっちゃ美味しい。(油系苦手な私)ラーメンはとんこつ醤油っぽいかな?和歌山ラーメンっぽさを感じます。友人は「チャーハン小」も頼んだのだが、これで小?と思うほどのボリューム。 チャーシュー入りのチャーハン、これもイケる!しかも350円はお値打ち (税込み)人気なのもわかる気がします。美味しかった。お店は3人で切り盛りされているので、大忙しのご様子でした。地元客が多く、地元の方は「手打ち」を頼まれていたので、次回は手打ちにしてみようっと世間がお休みの日は凄く混んでいるので、平日に。(定休日:月曜日)もちろん、このまま帰るはずのない私達。 次なる目的地、身延へ。 ここの駐車場で重要文化財の案内を見つけたので、帰りに行ってみます。
2020年10月04日
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令和2年10月のほしぞら情報今月の星空は大忙し 見どころ満載です。1日 中秋の名月2日 満月6日 火星が地球最近 夜空を見上げて、赤い星が火星です。探してみてね。 8日 10月りゅう座流星群が極大 見頃:8日の夜のはじめ頃。 数:1時間に3個程度。 月の影響:条件良し10日 おうし座南流星群が極大 見頃:10月10日頃~20日頃までの夜半頃。 数:1時間に2個程度17日 新月21日 オリオン座流星群が極大 見頃:この日から 4~5日間の未明。 数:1時間に5個程度。 月の影響:条件たいへん良い31日 満月(2020年最小の満月) 新月と満月は、流星群観察の際の見易さ目安のため、記載しております。 流星群に関しては、夜空が見渡せる場所 かつ 町の光が入らない場所での観測がおすすめそろそろ防寒対策必須な時期。脱ぎ着できる服装がいいかもですね。<おまけ>JAXA 宇宙ステーション・きぼう (ISS) の観察しやすい日時10/5 18:52(北西) ~18:55(北)10/6 18:05(北北西)~18:10(東)10/7 18:55(西北西)~18:58(南西)10/8 18:07(北西) ~18:13(南西)詳しくはhttp://kibo.tksc.jaxa.jp/letsview/visibility1/tokyo/10/1~10/10まで観察できるようですが、高度(仰角)が低い日は観察しにくいでしょう。
2020年10月01日
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