お出かけ 北海道・東北・関東 0
全450件 (450件中 251-300件目)
城陽だこのやろ!京都から五里(20km)、奈良から五里に位置し五里五里の里と呼ばれる京都府城陽市にあるJR奈良線山城青谷駅に行ってきた松山容子さんのボンカレー看板がありそこはかとなく、田舎チック府登録文化財の本殿を持つ市辺天満神社を探してたら見つからず、中天満宮に辿り着いたおかげ踊図絵馬ってのは、府の文化財だそうです。京都パープルサンガの練習場サンガタウン城陽があるだけあって狛犬もボール蹴ってるやんこの中天満宮ってのは、黒土1号墳という古墳の横に建てられているそうです城陽酒造だこのやろ!って事で、駅前にある城陽酒造にも寄る「五里のさと」というお酒と、この辺りは梅林で有名なんで、梅小枝という梅酒をお土産として購入しました。それから、牛のエサにもってこいの梅の絞りカスを貰って帰った。
2010.05.10
昨日に引き続き、安田美沙子の宇治市にある鯉のぼりが気持ち良さげに泳いでいた宇治市植物公園の紹介。こちらの目玉、花と水のタペストリー。麒麟ですで、お馴染みの麒麟の川島明が宇治市出身やから、キリンなんかな?まさか、まだ桜が観れるとは思えへんかった入館料は500円で、3dayチケットのクーポン提示で、400円になります。
2010.05.05
川島なお美の旦那、鎧塚俊彦パティシエの出身地の宇治市の名産は、宇治茶なのでポストが茶壷やJR宇治駅から、しばらくバスに乗った所に倉木麻衣の出身校の立命館宇治高がありますが、その近くの宇治市植物公園に行ってきました。
2010.05.03
妖怪ストリートを抜けたところに本門仏立宗の大本山の宥清寺(ゆうせいじ)があって本数は少なかったけど、桜が綺麗やったついでなんで、近くにある北野天満宮にも寄る。拝殿は国宝、三光門は重要文化財です。梅が名物やねんけどもう時期は過ぎとったな。受験はせーへんから、とりあえず阪神優勝を祈っておきました
2010.04.13
京都有数のパワースポットとして知られる大将軍八神社。その参道で、一条通りの大将軍商店街は百鬼夜行の通り道だった事から商店街の活性化をこめ、至る所に妖怪だらけ妖怪ストリートとなっている。パン屋、ふとん屋、学生服屋などは店に因んだ妖怪が置いてありました。笑顔のぬらりひょんが出迎えてる店って、なんか怖っ妖怪やなくて恐竜やんそんな妖怪ストリートに、面白メニューがあるいのうえという食堂があるので、入ってみた。こんなとこにも、妖怪やこちらの看板メニューというのが・・・妖怪ラーメン赤い粉末がかかって、めっちゃ辛そうやけどこれは唐辛子やなくて、パプリカなんでぜんぜん辛くないです。黒いスープに紫の麺と、見た目はキモいですが食べると意外に、あっさりとして美味しいどす妖怪好き、ラーメン好きの方は是非妖怪ストリートに、行かれてみては?その時は、この奥にいる猫に是非、近付いてみてください
2010.04.12
京都市役所の北にある元・南極料理人の方が、腕をふるうお店えいじに行ってきた。こちらの看板メニューがおばけパッと見は、なんじゃこりゃですが上に湯葉が乗っかったカレーうどんで中には海老天1匹、生麩3つ、お餅2個が隠されている、とっても楽しいおうどんですただ、かなりカレーがスパイシーなので辛いものが苦手な方には、お薦めしませんその後、人でごった返す円山公園に行った。桜が綺麗ぜよ!なにやら賑やかなんで、円山音楽堂に入ってみると、LIVEしてはりました。
2010.04.11
ぼんさんかんざし買うをみた♪よさこ~いよさこ~い先週末、京都さくらよさこいってイベントが京都市役所の前であって参加者が、若さを爆発させとったなんか格好良いバスが喫煙所になってました。食事して、地下鉄に乗ろうとしたらさっきのメンバーが、地下の方でも踊ってました元気やな~
2010.04.09
インクラインの次は、とってもベタですが南禅寺に、寄ってみました。でも、何十回と来た事あるし、桜も多ないしとっとと後にしましたが続いては、またしてもミーハーに哲学の道に行きました哲学者の西田幾多郎が、思索にふけって散策した事から名付けられたそうですが今や観光名所で、人で溢れかえっていて哲学どころやないな恋のかなう電話ボックスがあるよーじやカフェも、いっぱい人が待っとったから、入らんかったけっこう肌寒かろうが、人が多かろうがワンコ爆睡ニャンコも逃げへんし、観光地の動物は肝が据わってるねんな
2010.04.09
桜の名所として知られる蹴上インクライン琵琶湖と宇治川を結ぶ舟運を開き、同時に動力(水車)かんがい、防火などに利用して、京都の産業の振興の為に、琵琶湖疏水が作られましたがこの蹴上と鴨川とは、約36メートルの落差があり、水路で結べないという事で船を台車に乗せて運搬する為に作られたのがインクライン(傾斜鉄道)って訳です。この田辺朔郎という人が、琵琶湖疏水と蹴上に日本初の水力発電所を作ったそうです。それはさておき、桜が綺麗
2010.04.07
新撰組に逆さ吊りにされ足に五寸釘を打たれる等の拷問を受け池田屋事件に繋がる自白をした古高俊太郎が仕えていた毘沙門堂では、枝垂桜が先週末には見頃を迎えていた。でも、枝垂桜は見事でも、桜の本数は少なく山科駅から、結構歩かんといかんから桜だけを目当てに行くと、物足りんかもただ、毘沙門堂に向うまでにも綺麗な桜が咲いとるから道中も楽しめると思います特に、山科疎水の桜は、菜の花と良いコントラストになっとってめっさ綺麗ワンコ3兄弟もうっとり花よりワンコの方も、行ってみて下さい花より団子の方は、こちらをどうぞ
2010.04.07
この前、京都をぶらぶらしてたら平安京の大極殿跡とやらに偶然、通りかかった。さらに、ぶらぶらしてたら、桜が見えたんで立本寺(りゅうほんじ)というお寺に入ってみることに。お寺の境内と公園が一体化していて子供が遊びまわっとったなこちらは、日蓮宗本山のお寺で治部少(石田三成)に過ぎたるものが二つあり島の左近と佐和山の城あの島左近の墓があるそうです。この木どこの木気になる気になるさて、どこの桜でしょうか?ヒントは、こちら
2010.04.06
2010.04.05
2010.04.05
2010.04.05
2010.04.05
2010.04.05
2010.04.05
京都御苑の西にある京都府庁旧本館が今週の日曜日まで、春の一般公開されてますが円山公園の「祇園枝垂れ桜」の種から育てたシダレザクラをはじめ、中庭の6本の桜が現在見頃を迎えていました。そして、近代建築好きには堪らない1904(明治37)年に建てられた国の重要文化財であるルネサンス様式の建物の内外には現在、様々なアート作品が展示されています。タダなので、近くを寄った際には是非!それではお休みなさい(-o-)zzzZZZ
2010.04.01
さくらさくら今咲き誇る刹那に散りゆく運命と知って
2010.04.01
春なのに~吹雪いてますね花見の季節やっちゅうのにもっかい冬眠せなそやそや
2010.03.31
腹が減っては山に登れん諺にもあるように、上醍醐に行く前に醍醐寺境内にある雨月茶屋で食事をしていました。古文書に書かれた精進料理を再現した「すもし(寿司)」付きの天ぷら蕎麦を食べましたが、美味しかったそして、膝は笑ってたけど、顔は笑えないような状態で下山してみるとアニキと新井さんが大好きな護摩法要が行われてました歩くのは難儀やって方でも、上醍醐にまで登らなくてもそこは世界遺産他にも見所は、盛り沢山です!金堂と五重塔は、国宝金剛力士立像や清滝宮本殿は重要文化財です。流石、あの話題の市川海老蔵が歌舞伎をした場所だけあるわ!?普段は拝観料600円が必要ですがこの日は五大力尊仁王会があり他で手広く儲ける為に、タダで入れたので得した京都が生んだ大スタァ江戸時代後期の歌人、陶芸家の大田垣蓮月の仮寓跡が醍醐寺の東の門の前にありました。桜の名所でもあるのでこの春、醍醐寺に来られてみては?別に回し者じゃないですけど
2010.03.04
餅上げ力奉納を観て、ついでなんで西国三十三所最難関の札所上醍醐の方にも行く事にした808段の石段の長命寺にも登ったし結構、登るのは慣れてるんですがきっつー半分ぐらいのとこの不動の滝でかなりヘトヘトになった石段ちゃうから、登りにくいからかななんやかんやで、ようやく、国宝の清滝宮拝殿まで辿り着く事ができた。清滝宮本殿です。この上に、西国三十三所観音霊場第十一番札所の准胝堂があったんですが、一昨年に落雷で焼失した醍醐寺の名前の由来となったと云われる霊泉醍醐水うぃっしゅ!まだ上がありまして、こちらは経蔵跡です。あれ?こんな場所に似つかわしくない看板が立ってるやん入山料払って山登ってまで女性を襲う奴なんて、おるか?こちらも国宝の薬師堂です。こちらの五大堂は、昭和になって再建された建物ですが、壁画が綺麗やったそして、重要文化財の木造五大明王像が安置されてましたが、今まで沢山の美しく貴重な仏像を観てきたけど、厳しい山道を登ってきたせいか、めっちゃ感動した更に上に行くと、重要文化財の如意輪堂と開山堂がありました。最後に、白河天皇の皇后の藤原賢子とその娘たちが眠る上醍醐陵がありました。以上、物凄いパワーを消費するスポットの紹介でした西国三十三ヵ所めぐり〈2枚組〉
2010.03.03
先週、桜の名所として知られる世界遺産京都の醍醐寺で行われた巨大な鏡餅を持ち上げ続けた時間を競う「餅上げ力奉納」を観てきました。鏡餅でっけーこっちの鏡餅は、ゆずの北川悠仁が奉納したものらしい。城島と同じ重さの90キロの鏡餅に、悪戦苦闘する女性参加者たち冷やかしか、ヒール履いて出場してる人もいてました90キロの鏡餅を持ち上げ、膝に抱え笑顔を見せる強者たちみんな凄いワン会うのは3度目、京都でのイベントにはよく出没する忍者犬Booクンです男は、朝青龍と同じ重さの150キロの鏡餅を持ち上げていた。絶対無理
2010.03.02
二条駅から二条城までは結構歩くのに中にも入らず、外側の写真だけを撮りに行く訳もなく、今回の目的地は別にあった。それは、二条城の向かいの京都国際ホテルに建つ橋本左内の寓居跡の碑・・・な訳もなくってチュートリアルが、しりとりをする番組に登場して気になっていた御金神社です派手やなぁお金が空から降ってきますようにと、お祈りして、御金神社をあとにし二条城の北にある、もう1つの目的地に向う。それが、こちら・・・佐々木酒造佐々木蔵之介さんの実家です店内には、ハンチョウのポスターが貼ってましたイマイチ、やる気を感じない小売店で新酒の聚楽第吟醸あらばしりを購入。旨かった二条城そばの中学校の所に、日活の前身横田商会が作った京都初の撮影所である二条城撮影所があったそうだ。でも、直ぐに法華堂撮影所に移ったのでわずか2年で閉鎖されたらしい。バレンタインデーが近く、京都駅では期間限定でショコラのおたべが売ってたので買っちゃいましたグリコのアーモンドチョコみたいに開く凝ったパッケージやった。
2010.02.19
戦国武将スタンプラリー、続きましては京都駅から保津峡を越えとっても田舎な景色の中を進みかつて、明智光秀の亀山城があった亀岡駅に、やって来た。この銅像は光秀ではなく石田梅岩ですが亀岡には昔、亀岡祭を観に行って内田康夫に出くわしたんですが、その時に観光は済ませてるんで、今回は直ぐにとって返し・・・二条駅へ、スタンプを押しに行った河田小龍が襖絵を修復した事で話題の世界遺産の二条城ですが、前に来た事あるし金が勿体ないので、今回は中に入らずこの後、京都駅に行って、ピンバッジを貰い残るは、半分の6個となった
2010.02.18
円山公園にある龍馬の銅像を観に行く時、当然、八坂神社にも寄って行った。ここは年に2,3回くらい来るから30回目くらいかな縁結びの神さんのところで、着物姿の4人の女性が、必死に拝んでた別にお祈りせんでも心配ないようなお嬢さん方やってんけどなやっぱ、京都は和服が似合うなぁ円山公園の龍馬の銅像を観て、この後龍馬の墓参りに行った訳ですが、その前に円山公園奥にある長楽寺に寄り道してました平清盛の娘で皇室に嫁いだ建礼門院が壇の浦の戦いで入水するも助けられて出家したのが、こちらのお寺です。この庭は室町時代、相阿弥が足利八代将軍義政の命により、銀閣寺の庭を作る時試作的に作ったと伝えられる。本堂は、伏見城の遺構と云われています。内部には、徳川家康の孫で皇室に嫁いだ東福門院が寄進した厨子がありその中に、天皇の即位式及び厄年のみに御開帳される秘仏の本尊が安置されている。洛中随一絶景の霊地として古来より、文に詩に歌によく詠われ、古くは「今昔物語」、この寺で修行した西行法師の「山家集」や「平家物語」など、有名な古典に数多く記されてるそうだ。その絶景墓地の中にある頼山陽の墓。伊藤博文がイギリスに留学した時肌身はなさず持っていたという「日本政記」の著者です。その「日本政記」は、新撰組の近藤勇の愛読書でもあったそうだ長楽寺の前には、親鸞の墓所がある大谷祖廟があります。こちらには祖母のお骨が納めてあって赤の他人の龍馬の墓参りする前に身内の墓参りもしておいた祇園祭の鉾を模した大雲院の祇園閣。 1928(昭和3)年に建築された3階建ての建物で鹿鳴館設立に携わった大倉財閥の大倉喜八郎が別邸とし建てた「真葛荘」の一部。金閣、銀閣に次ぐ銅閣として作ったので屋根は銅版葺きで、国の登録有形文化財です。
2010.02.01
偽装龍馬スポット巡り第2弾明保野亭に続きまして、祇園四条駅から中書島駅に移動して、龍馬とおりょうの愛が芽生えた寺田屋にやって来た。ここには何度も来た事あるけど、偽物やからどうしても、金払って中に入る気にならんな寺田屋の近くには、便乗するかのように竜馬通り商店街があります当時の建物やないとしても、龍馬ゆかりの地である事は間違いないし、こっちは許せるけどここ伏見は酒どころとして知られ、周囲には月桂冠の本社をはじめ、多くの酒造メーカーがあって・・・小林繁さんと江川を和解させた黄桜のテーマパーク、キザクラカッパカントリーに寄る。河童資料館に、地ビールレストランの麦酒工房お酒やグッズを販売する黄桜商店が併設されていて何度か飲みに行ったり、酒を買いに行ってますこのキザクラカッパカントリーの前にある富英堂の酒まんじゅうが美味しいねんけど今回のお土産は、竜馬の恋という酒と神戸元町「モンプリュ」の林周平パティシエとのコラボ商品酒かすロールケーキを購入した。ケーキは冷凍なんで、その日に食べた時は中のクリームが凍ってたけど、翌朝に食べたらちょうど良い感じになってたそれから、今回のもう1つのお土産おけいはんオリジナルあぶらとり紙。龍馬とゆくスタンプラリーってのを、京阪電車で現在やってて、龍馬ゆかりの天満橋、中書島、祇園四条、三条、浜大津のうち3駅のスタンプを集めたら、もらえます。
2010.01.31
二年坂にあるお店の看板犬が気持ち良さそうに寝てたのを見て龍馬めぐりを一旦、休憩する事にわんこが寝てる店の向かいには竹久夢二が住んでいた家がありますがその隣に、夢二も通ったという・・・甘党かさぎ屋があり三色おはぎ(650円)を頂いたおはぎ3個も食えるかなぁ?と不安やったけどあっさりしてて、うまいから、余裕で食えたもう1皿、食えたかも龍馬めぐりを再開して、産寧坂にある明保野亭にやって来た。幕末の志士たちの密議に使われたそうで龍馬ゆかりの地として大々的に宣伝されてますけど、実際は寺田屋と同じく、当時の建物じゃないそうまぁ、ここで龍馬と土佐藩家老の娘お田鶴さまが密会したって話自体司馬遼太郎の創作やしな幕末スポット、続きましては右に、新撰組の羽織を作った大丸左に、新撰組の隊旗を作った高島屋の提灯がぶら下がるゑびす神社。ちと、強引か西宮と大阪今宮神社と並び日本三大ゑびすの1つで、商売繁盛の象徴である笹は、ゑびす神社独自の「御札」の形が全国に広まったそうだ財布塚に名前がありましたが松下幸之助が、よく通ったという金持ちになりたい人は、通ってみてください
2010.01.30
円山公園の坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像です。龍馬伝効果で、注目度が高まる龍馬スポット、続いては・・・円山公園から、ねねの道を通って維新の道という坂道を登ったところの・・・京都霊山護国神社この神社には、なんと龍馬の墓があるぜよそして、驚くべきことに、この神社は墓参りに入場料!?300円入れへんと、墓参り出来まへん左が龍馬右が中岡の墓です。墓の右手には、二人の銅像がありました。そして、銅像が見つめる先は・・・絶景ぜよ!いつも二人が、京都の街を見守ってくれてるねんな。さて、実は龍馬の墓参りは2度目なんですが前回は龍馬の命日に来たので、神主さんがなんかしてたしいっぱい人がおって、ちゃんと拝めへんかったからもう1回来てみたってのもあるんですが・・・前回は、ヅラの墓参り忘れてそのリベンジです高杉晋作と久坂玄瑞の墓参りも、この前は忘れてたあの時は龍馬祭やったから、軍鶏鍋食ったりして頭の中には龍馬しかなかったもんなりょうまくんガチャガチャ入荷待ち人気あるねんな龍馬のお守りやら、龍馬グッズが沢山売ってましたけど、桂小五郎や高杉晋作の墓もあるのに、こんなに・・・龍馬一色でエエんか?神社の近くには、龍馬を斬った刀や近藤勇の鎖帷子を展示する幕末維新ミュージアム霊山歴史館もあります。
2010.01.29
瑞泉寺の近くにある創業280年の材木商の酢屋。かつて海援隊京都本部が置かれ坂本龍馬が近江屋に移る直前まで住んでいた所です。2階はギャラリー龍馬となっていて龍馬がいた部屋が再現されてたりしてたが500円を払うほどでも、なかったかなでも、ここで貰った幕末史跡スポットの周辺地図は、役に立ったけどな。酢屋から少し南に行くと、龍馬の妻おりょうが独身時代に住んでいた場所があった。現在は龍馬グッズを売ってる店になってますそこから南に行くと今度は、その能力の高さゆえ手柄を奪われる事を恐れられた越後国出身の勤皇の志士の本間精一郎が、岡田以蔵に斬殺された場所がありました。近くには昔、土佐藩邸があって、その名残りとして土佐稲荷神社が、今も残ってます。岩崎弥太郎一色の大阪にある土佐稲荷神社と違ってバックに三菱がいーひんから小ぢんまりしとるな龍馬の銅像も、ちっちゃ顔も、不細工すぎるやろなんの変哲もないサークルKですけど近江屋があった所で、ここで龍馬と中岡慎太郎が暗殺されました次の龍馬スポットに向おうと交差点を渡ると、向こうから龍馬が歩いてきた龍馬かぶれの後を、ぞろぞろと大勢の人が歩いていてどうやら、龍馬スポットを巡るツアーのようだ。今回紹介したような場所に興味がある人はこの本が便利なので、お薦めです
2010.01.28
こちらの建物は、国登録有形文化財の島津創業記念資料館です。田中耕一氏が、ノーベル賞を受賞した頃に来て以来やから、久し振りやなぁその向かいに、庶民には近寄りがたいオーラの「がんこ高瀬川二条苑」があり、その店の前に前に来た時は気付かんかったけど、石碑があった。角倉了以別邸跡?誰それ?角倉了以(すみのくらりょうい)とは高瀬川を作った人らしい。凄い人やんこの高瀬川周辺には、ぼけーっと歩いてたら見過ごしてまう石碑が、ようけ建ってて今回は、それらを辿ってみました。「JIN-仁ー」に出ていた緒方洪庵の教え子で大河ドラマ「花神」の主役だった日本陸軍の創始者、大村益次郎の寓居跡の石碑が、少し南にありました。そして、寓居跡の近くで、デカ頭大村益次郎は暗殺されたらしい。また、その同じ場所で、吉田松陰や勝海舟の師の佐久間象山も暗殺されたんかその向かいにある料理旅館「幾松」は桂小五郎と芸妓の幾松の寓居跡で新撰組に踏み込まれた時などに使われた抜け穴とかが残っている。現在、京都ホテルオークラが建ってる場所はかつては長州藩の藩邸があったという事で桂小五郎の銅像が建ってました。さらに高瀬川を南下して歩いていくとちりめん洋服発祥の地の石碑と並んで武市半平太の寓居跡の碑があった。その隣には、武市半平太に剣を教わり土佐勤王党に加盟し、その後、天誅組総裁として尊皇攘夷派による初めての武力蜂起をした吉村寅太郎の寓居もあった。幕末から、ずいぶん昔の話になりますが三条通の南にある瑞泉寺には豊臣秀次の墓があります。秀次は、豊臣秀吉の姉の日秀の子で鶴松が死去した為、秀吉の養子となって関白職に就くも秀頼が生まれてからは疎まれ、謀反の疑いをかけて高野山で切腹させられる。さらに、秀次の首は三条河原へ送られて秀次の家族、側室や侍女ら併せて39名を処刑して、一緒に埋めたそうだその後、その塚は顧みられる事がなかったが高瀬川の工事中に、秀次悪逆塚と刻まれていた石が偶然発見され、角倉了以は哀れんで、石塔の「悪逆」の2文字を削って、その上に塔を建ててこの寺を作ったそうです。
2010.01.27
駅伝発祥の地、三条大橋の程近くに長州藩や土佐藩などの尊皇攘夷派を襲撃し新撰組がその名を高めた池田屋事件の跡地がありますが・・・その跡地に、居酒屋の「海鮮茶屋池田屋はなの舞」が昨年7月にオープンして何度も前を通って、ずっと気になってましたがようやく、店内に入ってみた。店に入ると直ぐ目の前には、思わず階段落ちしたくなる大階段が東映監修のもと造られ、まるで映画セットさながらの店内そして、店員は新撰組の羽織を着てました。池田屋で新撰組が接客してるってのもおかしな話やけどこちらは、メニューですこっちは、ランチメニュー。料理には、近藤勇、土方歳三沖田総司、藤堂平助と新撰組隊士の名が付けられている。なんで、近藤が寿司で、土方が天ぷらで、沖田が刺身で、藤堂が海鮮丼なのかは分からんけどそれから、なんで局長と副長よりも沖田が高いねん?刺身、天ぷら、鶏と大根の煮物、焼き軍鶏、味噌汁白味噌プリンぜんざい、ソフトドリンクがセットの池田屋弁当(1680円)を注文した。まぁ、普通に美味しかったですこの値段で不味かったら、キレるけど
2010.01.24
EXILEも祝った天皇皇后両陛下の即位20年の記念で特別公開されていた京都御所を見学した後北区の光悦寺近くに本店がある割烹料理屋の支店の御所雲月で食事を頂いた。夜は割烹料理屋らしく、かなりお高いようですが穴子のおろし天丼と上賀茂野菜のけんちん汁はわらび餅もついて、1200円とランチは、とってもリーズナブル天丼の衣が美味しかったなわらび餅は、めっちゃモチモチしてたせっかく京都まで来て、京都御所だけというのも何なんで、京都非公開文化財特別公開中の御所東にある廬山寺に行こうかとも思ったが800円を惜しみ、寺町通りを北上して日蓮宗六条門流本山の本満寺に行く。関白・近衛道嗣の嫡子、玉洞妙院日秀上人により応永17(1410)年に創立され、やがて後奈良天皇の勅願所となって栄えた。その後、広宣流布山本願満足寺の号の通り本願を叶える寺として広く知れ渡って八代将軍徳川吉宗の病癒祈願を祈祷して、健康を回復した事から徳川家累代の祈願所となる。江戸時代、京都の中心である御所・紫宸殿を中心に十二支の方角に祀られた妙見宮をめぐる洛陽十二支妙見が、寿福、開運、厄除けを願う庶民の間で栄えたが、本満寺の境内には今年の干支の丑の妙見宮がありました。こちらの第十三世日乾上人は、能勢の妙見寺を開いた人物で、能勢同体の妙見大菩薩が安置されてるそうだ。こちらには、山中鹿之介の墓があるらしいが、いわゆる観光寺院ではないのでどこにあるか、見つけられへんかった本満寺の北に、重要文化財になっている平安時代末期の阿弥陀如来座像が本尊の仏陀寺がありました。こちらも観光寺院ではないので本尊は拝めませんでしたが法名を仏陀寿と称された朱雀上皇が崩御して弟の村上天皇が上皇の仙洞御所朱雀院を仏陀寺としたのが、おこりだそう。更に北に行くと、一風変わった本堂を持つ十念寺がありました上に鳳凰が乗ってはいるけど、とても寺には見えん関西建築家大賞を受賞した事でも知られる 大阪の天王寺にある一心寺の高口恭行元住職の設計だそうです一心寺の仁王門も、お寺というよりは美術館みたいやもんなもう少し北に進むと、今回の真の目的地である阿弥陀寺に到着した。穴が開いた鐘がありましたが、前に他の寺でも同じようなのを見たけど、そちらは戦時中に供出される事となって、金属の成分を調べる為にくり貫かれるが、溶かされる前に終戦となったそうだがココも、そうなんかな?阿弥陀寺には、全国に20以上ある織田信長の墓で唯一信長の遺灰が納められてる可能性がある墓があります。信長が本能寺の変で自刃した時、信長と親交があったこの寺の清玉が、信長父子の骨灰を集めて埋葬したと伝えられている。信長親子の墓の隣には、あの森蘭丸兄弟の墓もありました今回は京都御所はじめ、みんなタダで見れて、お得やったな
2009.11.12
観光バスめっさ停まってる京都御所レポートの続きです昨日は通常公開のエリアを紹介しましたが今日は、天皇陛下御即位20年記念で特別公開していた通常非公開エリアの紹介。皇后が日常のお住まいとされた皇后宮常御殿です。入母屋桧皮葺の書院造りで、内部は13室もあるそうです続いては、御所北の朔平門の裏側にある飛香(ひぎょう)舎。女御が日常過ごしていた所で、中庭に植えられた藤に因んで、藤壺とも呼ばれた。この若宮・姫宮御殿は、皇子、皇女が住む所で明治天皇もお住まいになってたそうです。最後は、束帯と十二単の人形と記念撮影して終了京都御所でしか買えない!宮内庁御用達鶴屋吉信の御苑の菊というお菓子を、お土産に購入した。お上品なお味どした
2009.11.11
前に2度来てるし、人が多いのが分かってるしあんまり行きたくなかったけど京都御所に行ってきましたなんで、嫌々行って来たのかというと、今回の一般公開では天皇陛下御即位20年を記念して通常非公開の所が、特別に公開されたからです。さて、まずは、見るのは3回目の諸大夫(しょだいぶ)の間から。正式に参内した者の控えの間で、桜の間、鶴の間虎の間と、身分の上下によって異なる部屋で控える。1番格が高いのは、当然虎の間です昭和天皇の即位の礼で庭上に立てられた日像纛旛(にっしょうとうばん)・月像纛旛が飾られていました。大正以後の天皇皇后両陛下の玄関である新御車寄には平安時代のWinkが飾られていました回廊には、天皇皇后両陛下の即位の礼の写真や月輪未生流、御室流、嵯峨御流の生け花が陳列されてました。ここで一昨日は、蹴鞠が行われたようです。でも、大混雑必至の日曜なんかには京都御所には行きたくないな納殿(おさめどの)には、今上陛下の即位の礼で捧持された太刀・弓・・桙・楯などが議所には、昭和天皇の即位の礼の際に使用され今上陛下の即位の礼では修理して使った鉦、鼓が展示されていました。昭和天皇の即位礼も行われた紫宸(ししん)殿には4体の人形が飾られてました。平安時代には天皇が日常の生活をした清涼殿です。皇子の元服などの儀式に用いられた小御所は昭和29(1954)年に焼失してしまい1958年に復元されたものです。回遊式庭園の御池庭。綺麗やね見るの3度目やけど即位の礼で庭上に並ぶ威儀者の人形が並んでいた御学問所。御内庭に、室町時代以降、天皇が日常のお住まいとされた御常御殿と御三間を見たら、通常はお終いなんですけど、今回はまだまだ続く・・・のですが、いっぱい画像を載せたから字数がオーバーしそうなんで、続きは明日
2009.11.10
大徳寺塔頭特別公開シリーズ第3弾は、黄梅院です。御覧の通り、1ヶ所なら600円3ヶ所なら1500円と聞いたら3つ周るしかあらへんがなしかし、このお寺は、全て撮影禁止たまにあるんですよね、そういうケチな寺がここは、永禄5(1562)年に、織田信長が初めて入洛した際に、父・信秀の追善菩提のために羽柴秀吉に命じて建立されたのが始まり。信長の死後、主君の塔所としては規模が小さすぎるという理由で信長の法名・総見院殿の名を採り昨日、紹介した総見院を建立したそうだ。でも、そんなに小さないけどな重要文化財の本堂、庫裏、唐門直中庭、破頭庭、作仏庭の3つの庭園めっちゃ写真撮りたい見所たっぷりのお寺でした。ただ、現在は千利休の師の武野紹鴎作の茶室がある書院が、修理中という事で見た目は勿論、修理の音もするので雰囲気が台無しやったなそれを逆手に取って、修理作業を公開して滅多に見れないとか言って、誤魔化してましたが大徳寺近くの手作りクッキーの人気店三光堂にお土産を買いに寄ったら閉店しとるやん閉店したのは2007年8月31日と2年前でしたけどこの辺、あんま来んからなこの店の店主は住職で、閉店の理由は「仏門に専念するため」とか。仕方がないんで、このブログで以前にも紹介した納豆ケーキで有名なH.SUMINOで大徳寺納豆入りの塩サブレを購入。ケーキも欲しかったけど、先に茶洛でわらび餅を買ってたから、今回はあきらめたその後、京都駅で降りて、東本願寺と西本願寺の間にあるBoulangerie Rauk(ルーク)でおいしいパンを買って帰る。 京都の超人気イタリアンの店イル・ギオットーネが、こちらのパンを使ってるそうです
2009.11.01
ずいぶん間が開いてしまいましたが、先週21日の日記の大徳寺塔頭秋季特別公開の続きで織田信長の菩提寺の総見院の紹介ですこちらには、全国に20ヶ所くらいある信長の墓の1つがあります京都で、信長の墓として1番有名なのは本能寺の物だと思いますが、信長の遺骸が葬られてるのは、同じく京都にある阿弥陀寺だけらしいですがこの総見院は、信長の一周忌の追善の為に豊臣秀吉が建立したそうですが、その際信長の遺灰を渡してもらおうと、阿弥陀寺の住職に頼んだものの、秀吉が自分の宣伝の為に利用しようとしてる事に気付かれ、断られてしまい仕方が無いので、信長の像を2体作って1体を火葬して墓に埋めたそうだ。本堂には、重要文化財に指定されているもう1体の信長像が安置されてました。こちらの寺は、創建時の姿を留めるのは、正門や土塀重要文化財の鐘楼ぐらいで、明治の廃仏毀釈で、多大な被害を受けたそうですが信長像は大徳寺本坊に避難してたので、無事だった。でも、上層部に千利休の木像が安置され利休の下を通らせるのかと、秀吉の逆鱗に触れ利休を死に追いやった三門とか、大徳寺には古い建物が沢山残ってるし、この総見院だけがなんで被害を受けたんやろ?この寺には3つの茶室があって、その回廊の上を見上げると、分かりにくいかもしれませんが信長像を運ぶ為だけに作ったお輿が置いてありました。この寺には、信長の墓もどきだけじゃなく嫡男の信忠、二男の信雄、四男の秀勝、七男の信高十男の信好、信雄の嫡男の秀雄、斉藤道三の娘で正室の濃姫、側室のお鍋の方の墓もあります。奥の立派な五輪石塔の墓が正室の濃姫で手前の石っころが、お鍋の方の墓ですすんげー違い秀吉が、こよなく愛したと云われる樹齢400年の侘助椿加藤清正が、朝鮮から持ち帰った石をくり貫いた井戸です。帰りは大勢の犠牲者が出て、行きに比べて船が軽くなり過ぎてバランスが取れないので石を積んで帰ったそうです。等など、この井戸から汲んだ水で作ったお茶とお菓子を頂きながらガイドさんに、詳しく説明してもらいました
2009.10.31
船岡祭を観た後、建勲神社からは少し歩くが親子丼の人気店の鳥岩楼にランチを食べに行った。基本的には、6000円の水炊きを出す高級店であり、観た感じは敷居が高そうで知らんかったら、まず入らん店やな獅子脅しや石灯篭のある風情ある中庭が望める雰囲気の良い2階の座席に通される。人気があって、相席必至という情報やったけど入った時は、カップル1組のみそのカップルは、すぐに出て行ったからなんと、貸切状態昼は、親子丼しかやってないらしく注文してないのに親子丼が来ましたフワトロまいうー小ぶりな丼に、うずらの卵がトッピングされ山椒がまぶされ、甘めの味つけがされていて流石、高級水炊き店の親子丼という味わい水炊きに使われるスープも付いてますがこれが、また美味しかったこの味で、この店の雰囲気で800円は、お得やな鳥岩楼の向かいに、法華宗真門流の総本山の本隆寺がありました。こちらは、西陣焼けや天明の大火にも本堂が焼け残ったので、別名を不焼寺[やけずのてら]というらしいその本堂と祖師堂は、京都府指定有形文化財です。また、葉を枕の下に敷くと子供の夜泣きが止むという夜泣止めの松もあります。効率が悪いが、さっき来た道を戻って秋の特別公開をやっている大徳寺の塔頭の興臨院を観に行った。大徳寺の塔頭は、とにかく沢山ありますけど前に行った龍源院と大仙院など4つだけは常時拝観可能ですが、こちらは普段は観れません。大永年間(1521年~1528年)に能登の守護、畠山義総が仏智大通禅師を開祖として建立した寺で、寺名は義総の法号に由来する。畠山家菩提寺となるが、その後、天正9(1581)年前田利家により改修が行われ、以後前田家の菩提寺となる。日本で最初の床の間がある本堂表門、唐門は重要文化財だそうで古田織部好みの涵虚亭(かんきょてい)という茶室もありました。庭園には、葉っぱが古代インドで経文を書写するために用いられた「貝多羅樹(ばいたらじゅ)」が植えられてました。
2009.10.21
岡は船岡清少納言が「枕草子」に、そう書いた京都の船岡山にある建勲神社で昨日、船岡祭が行われました。建勲神社は、正しくは「たけいさおじんじゃ」と読むが一般には、けんくんさんと呼ばれていて神社の人も、「けんくんじんじゃ」って言ってました織田信長と子の織田信忠を祀っていて明治2年に創建された新しい神社ですが大鳥居、本殿、拝殿などの建造物は登録有形文化財だそうです。昨日10月19日は、織田信長が永禄11(1568)年初めて入洛した日で、船岡祭はそれを記念したもので敦盛の仕舞や舞楽が奉納されました。多くの観光客の他、テレビ局も数社が取材に訪れていましたそれと、この前に行った旧丹波柏原藩の織田家の当主で、織田信長の次男信雄の直系の子孫である織田信孝氏が式典に参加してましたそれから、近くにある紫野小学校の児童が強制的に出席させられてました最後に、色とりどりの甲冑を着た人々が火縄銃の実演を行いましたがすんげー音余談になりますが、応仁の乱の時に西軍が船岡山に陣地をおいた事から、この辺りを西陣と呼ぶようになったそうです。建勲神社に向う途中、ここはもしかしてわらびもちで有名なあの茶洛?偶然、通りかかったのでわらびもちを買って帰った。買った後にも、だいぶ歩いたのでお見せできるような状態ではなかったので中身の画像は、他から借りました見た目は悪くなってたけど、味は問題なくまいうーこの口どけは、凄いな
2009.10.20
建仁寺の近く、競馬ファンにはウインズ京都の近く、少し奥まった所にある安井金比羅で、女性の命とも言える髪に彩りと華やぎを与えてくれる櫛に感謝する櫛まつりが行われました。元は、使い古した櫛を久志(くし)塚に供養するのがメインのお祭りだったのが、今は古墳時代から、平安、江戸、現代に至るまでの髪型の変遷をカツラを使わずに地毛で再現した女性達が見所となっている。通常は、この女性達による時代風俗行列が東大路通、四条通、花見小路通を練り歩くのですがこの日はあいにくの天気の為、中止となり拝殿前でのランウェイのみとなった出番前の女性の着物と髪型には、先生による厳しいチェックが行われてました殆どが、おしろいに綺麗な着物の中、この役をもらった女性は、どんな気持ちなんかな?人間国宝桂米朝や故・越路吹雪の絵馬が飾ってあった安井金比羅宮について少し説明しておくと、藤原鎌足を創建した藤寺に始まり、藤を好まれた崇徳天皇が寵妃烏丸殿を住まわせ、崇徳上皇が死去後大円法師が参拝した時に、崇徳上皇のお姿を拝見された事から創建した光明院観勝寺がこの社の起こりだそうです。その後、崇徳天皇に加えて、讃岐金刀比羅宮より勧請した大物主神と、源頼政を祀ったことから安井の金比羅さんの名で知られるようになる。こちらの御利益は、縁切りと縁結び。願い事を書いた形代(かたしろ=身代わりのおふだ)を書いて、神様のお力が下の円形の穴に注がれているこの縁切り縁結び碑の表から裏へ穴を通って悪縁を切り、裏から表へ通って良縁を結ぶ。若いギャルがお願いしてたんですがパンツ丸見えくれぐれも、ご注意くださいさすが京都?、刀と手裏剣を背負った忍者犬がいてましたやっぱり、好物は、ちくわ?
2009.09.29
金のしゃちほこだぎゃ~!と言っても名古屋ではなく、大乗寺と同じく京都の御陵駅近くにある本圀寺の金のしゃちほこです仁王様も金ピカ!灯籠も金ピカ!鐘まで金ピカ!なんか、とっても怪しげなお寺に見えますけど末寺700を有する日蓮宗六条門流の総本山という格式の高いお寺です。最初は、建長5年(1253年)に日蓮が鎌倉に法華堂として創建するが、後に京都六条に移転し本國寺と改称、その後、足利義昭の仮の御所となるが信長に追放された三好三人衆が、復権を目指して襲撃世に言う本國寺の変が起こる。時は流れ、寺の復興に尽力した徳川光圀の名を取って本圀寺となり、天明8(1788)年の大火による焼失などを経て昭和46(1971)年、山科の地に移転した。 この寺の中では、地味で浮いてる経蔵ですが天明の大火を唯一まぬがれた桃山時代の建造物で重要文化財に指定されている。この赤門と呼ばれる山門は、加藤清正が寄進したもの・・・を復元したもの清正は、貧しい家に生まれながら出世して82万石の大名となった事から、開運勝利の神様せいしょこさまとして尊崇されており、お題目を唱えながらこの門をくぐれば、開運勝利の人生が開けるので開運門とも呼ばれています。鳥居も金ピカや~!こちらは、清正が朝鮮出征の際、両親の遺骨と自身の歯、毛髪を納めた清正廟。清正は朝鮮から戻った際、セロリを持ち帰ったのでセロリの別名は、清正人参と言うらしい。本圀寺の近くには、大化の改新で知られる中大兄皇子こと、天智天皇陵もあった。仁徳天皇陵はじめ、実際のところ誰が埋葬されたか分からない古墳が多い中、この天智天皇陵は確実に、天智天皇が埋葬されてるようですこの日は少し汗ばむ陽気だったが、天智天皇陵の参道はひんやりして気持ちが良く、そして近くに三条通りが走ってるとは思えない程とても静かで、今の時期しか聴く事が出来ない蝉と秋の虫のハーモニーが心地良く落ち着く場所やな~・・・と思ったら、雰囲気をぶち壊す奴が現れためっさ蚊が多い次来る時は、どこでもベープ持ってこな天智天皇陵の入り口の前に、天智天皇が日本で初めて時計(水時計「漏刻」)を使った事に因み、昭和13年6月に京都時計商組合が寄贈した日時計が置いてありました。
2009.09.21
青春18きっぷが使えないし、近場の京都で我慢するしかないなと向った先は、山科にある酔芙蓉の寺、大乗寺。地下鉄東西線御陵駅から、三条通りを西に進むとあの忠臣蔵でお馴染みの大石内蔵助が隠棲していたからなのか?、大石道がありますがそこを南下して、突き当たった所で右折して少し坂を登った場所にありました。廃寺寸前の名も無い貧しい隠れ寺だったのが、平成4年頃から植え続けた酔芙蓉が1300本を超えると、京都新聞やインターネット等で紹介されるようになって酔芙蓉のシーズンには、多くの観光客が訪れるようになったそうです拝観料無料ですが、お志ざしの有る方は金は貰ってやっても良いそうです寺なので、蚊を殺してはまずいのか団扇で払えと書いてたので団扇を持って中に。ただ、この寺オリジナル団扇は何故か朝顔の絵なんで酔芙蓉ちゃうねん?やっぱりこっちにしとこ♪寺のHPを観たら、最終更新日9月7日で現在4分咲きと書いてたので、今は6分咲きぐらいかと思ったら、まだ全然やね酔芙蓉は、朝のうちは純白、午後には淡い紅色夕方から夜にかけては紅色になる事から酒を飲むと、顔色がだんだんと赤みを帯びるのに似ているので、この名がついたと云われています。まぁ京都なんて、いつでも来れるし、今度また満開の酔っ払いを観に来るか
2009.09.20
将来のエース候補と期待されながら今やクビ寸前の杉山直久の故郷舞鶴市と言えば赤レンガ倉庫群も忘れてはならない。明治・大正時代を通じて、旧日本海軍によって建てられた赤煉瓦倉庫が、手付かずで残ってる事は大変貴重であり、多くの建物が重要文化財に指定されています。赤レンガ倉庫群から、ほど近くにある赤レンガが渋い北吸トンネルは国の登録有形文化財です。現在、赤レンガ倉庫群の3棟は博物館として活用されてますが、そのうちの1つ入場無料の舞鶴市政記念館では舞鶴出身の棒高跳選手、大江季雄の友情のメダルのレプリカが展示されてました本物は、秩父宮記念スポーツ博物館にあります赤レンガ倉庫群は、『男たちの大和』や『バルトの楽園』のロケ地として使われましたが、『ぼくんち』や『ニワトリはハダシだ』等、舞鶴市内のあちこちで、映画のロケが行われています。それらのロケ地巡りに最適なのが・・・舞鶴かまぼこ手形これを提示すると、土日祝限定のループバスをはじめ市内を走るバスが乗り放題になる他赤れんが博物館舞鶴引揚記念館五老スカイタワーに入場出来ます。更に、それらの施設に入る時、かまぼこ手形にスタンプが押されますが、それを2個以上集めると・・・オリジナルあぶらとり紙が貰えちゃいます♪本物のかまぼこ板で出来た手形自体も旅の想い出の品になりますし、舞鶴に来た時は買わにゃ損!?
2009.09.12
秋ですね波平です秋と言えば、食欲の秋舞鶴名物を食いまくるで!と意気込んで向った先は、デカい蝶が飛んでいた東舞鶴駅から少し歩いた所にある松きち地元舞鶴の海で獲れる魚を豊富に使った舞鶴かまぼこ舞鶴が発祥の地とされている京野菜万願寺甘とうそして、舞鶴産の大きくぷりぷりとした岩がきを贅沢に使った舞鶴岩がき丼に舞鶴発祥と言われる肉じゃががセットの舞鶴岩がき丼セット(2,100円)を頂きました大きな岩がきが、どっさり乗ってるやんこんな肉じゃがが作れる人をお嫁にしたいって位、肉じゃがも美味いわ観光の目玉にしてるだけあって、この店以外でも肉じゃがを出す店は沢山あるので食べ比べするのも悪くないと思いますけど舞鶴出身のギャル曽根と違って少食男子やから、もう食えん軍艦カッケー!肉じゃがは、海軍食から生まれたように舞鶴は海軍の街であり、現在も海上自衛隊の基地が置かれている。そして、この舞鶴港は、昭和20年10月7日から昭和33年9月7日までの13年間にわたり60万余人の引揚者1万6千余の遺骨を迎えた港でもあり、かつての引揚者用の桟橋近くには舞鶴引揚記念館というのが、ありました。赤塚不二夫、小澤征爾、草野仁ちばてつや、なかにし礼、山田洋次なども引揚者だったようです。引揚船の興安丸の時鐘が展示されていて自由に鳴らす事が出来ますけど凄い音なので、ご注意を♪母は来ました 今日も来た この岸壁にこんなのが売ってたので、お土産に購入した中身は、小倉羊羹を和三盆糖入り落雁粉で、まぶしたお菓子です。岸壁の母なんて、若い人は知らんやろうな私だって、二葉百合子の歌というよりもじゃりン子チエが歌ってた歌って感じやし
2009.09.11
先週は岡崎城でしたが、今週は福知山城・・・ではなくブガク城行きは嵯峨野線経由帰りは福知山線を使い行ってきたところは別名、舞鶴城こと、京都府舞鶴市にある丹後田辺城です。近世歌学を大成させた文化人であり朝廷とも繋がりがあった細川幽斎が西軍1万5千人の大軍に対し500人で、50日にも及び篭城した田辺城の戦いの舞台として知られる。細川幽斎の息子には、和歌や茶道に通じ利休七哲に数えられた細川忠興がおり忠興の妻は、明智光秀の三女でキリスト教徒の細川ガラシャです。そんな田辺城ですが、現在は復元の大手門と二層櫓しかなく、ぱっちもんの天守閣すら、あらへんやんか天守閣に登れへんと物足りへんてな事で、その欲求不満を晴らす為に高い所を目指して、五老岳にそびえ立つ五老スカイタワーにやって来た近畿百景第1位に選ばれた舞鶴湾の美しいリアス式海岸を一望する事ができる。地上から見ると、こんな感じです。この辺りで、朝ドラ「ええにょぼ」の撮影が行われたそうです。
2009.09.09
senkosai 049 posted by (C)YOSHIYU機桜井広大のPL学園での同級生ロッテ今江の出身地の京都府向日市にある須田家住宅は、パッと見は昔風に復元された新しい建物みたいな綺麗さですけどれっきとした江戸時代の建物らしく京都府の指定文化財だそうです。マスタング posted by (C)YOSHIYU機その須田家住宅のある阪急西向日駅とフォードのマスタングが突き刺さったビルがある東向日駅周辺には、激辛商店街なるブットジョロキア入りスープとハバネロ麺の激辛担々麺やブットジョロキア入り激辛石焼カレー等激辛メニューのある店が軒を連ねている激辛大福 posted by (C)YOSHIYU機そんな激辛商店街の中で、ライフシティ東向日内の栄久堂という和菓子屋さんでは、なんと激辛大福が売ってました6個入250円で、ピリ辛→中辛→激辛→特激辛→超激辛の5段階の辛さの中から試食して選べます。10個中2個は、超激辛っゆずやき饅頭の「天国と地獄」というお菓子も販売してます激辛商店街 posted by (C)YOSHIYU機cafe mahorobaには、バニラアイスクリームにたっぷりとハバネロ粉末をかけたハバネロ アイスクリーム(380円)が甘さで油断してると後から、とんでもない辛さがアイスなのに、喉が乾くなので、一緒にハバネロ入りトマトジュースもどうぞこの激辛商店街は、7月6日から町おこしとして始めたみたいですけど、向日市の名産と言えばタケノコなのになんで、激辛商店街なんや?激辛商店街 posted by (C)YOSHIYU機
2009.08.19
長岡宮 posted by (C)YOSHIYU機10年間だけ日本の中心だった京都府向日市に行ってきました空き地や公園があっただけで、それらしい物はな~~んにも残っちゃいませんでしたが向日神社 posted by (C)YOSHIYU機その近くには、長~い桜並木の参道の向日神社があります。向日市天文館 posted by (C)YOSHIYU機参道を抜けると左手に、プラネタリウムがある向日市天文館というのがありました。向日神社 posted by (C)YOSHIYU機この紋どころが目に入らぬか!でも、徳川家とは関係なく、神社の神紋らしいです向日神社 posted by (C)YOSHIYU機この神社は、延喜式神名帳に記載された式内社でこちらの応永2(1418)年に建造された重要文化財の本殿をモデルにして明治神宮の本殿は作られたそうです。向日神社 posted by (C)YOSHIYU機その向日神社に本日、かつての総理大臣小泉純一郎氏が、やって来るそうです何しに?まさか、自民党をぶっ壊すと言ってた方が自民党を守る為に、応援演説?今、純ちゃんが、何か言ったところで何の影響力もニャいと思うけど向日神社 posted by (C)YOSHIYU機
2009.08.18
祇園祭 posted by (C)YOSHIYU機長刀鉾稚児社参があった日は、船鉾放下鉾、岩戸山、北観音山、南観音山の曳き初めの日でもあった。祇園祭 posted by (C)YOSHIYU機曳き初めは、本番の山鉾巡行に先がけて山鉾を試験的に動かすのですが女性が参加出来ない本番と違って老若男女問わず、飛び入り参加で山鉾を曳く事か出来る。祇園祭 posted by (C)YOSHIYU機ただし、老若ワンコは除く祇園祭 posted by (C)YOSHIYU機今回は、新町通にある船の形をした船鉾と岩戸山の曳き初めを見学しました。祇園祭 posted by (C)YOSHIYU機祭本番と違い、四条通はじめ東西の通りは通行止めされてないので、山鉾は新町通を何度か南北に上ったり下ったりして辻回しと呼ばれる方向転換はしませんでした。祇園祭 posted by (C)YOSHIYU機岩戸山の方は、ちっちゃい子供が中心でしたね祇園祭 posted by (C)YOSHIYU機あんな小さな子供やのに、あの大きな山がちゃんと動くねんな京都新聞HPでは動画が観れます。祇園祭 posted by (C)YOSHIYU機
2009.07.16
祇園祭 posted by (C)YOSHIYU機現在、京都の夜は祇園祭の宵山で賑い金曜には山鉾巡行が行われますが月曜日、八坂神社では、長刀鉾稚児社参という儀式が行われました。祇園祭 posted by (C)YOSHIYU機山鉾巡行の先頭に立つ長刀鉾には唯一生身の稚児が乗るのですが、補佐役の禿(かむろ)2人と共に、八坂神社にお参りした。祇園祭 posted by (C)YOSHIYU機注連縄切りの大役を担う長刀鉾の稚児になると家一軒買えるほどの費用がかかる為資産家の子供から選ばれている。今年は、和菓子店「鍵善良房」社長の長男(9歳)で、親子二代での稚児役だそう。祇園祭 posted by (C)YOSHIYU機本殿内で30分ほどの儀式を行った稚児は10万石の大名と同じ、正五位少将の位を授かる。祇園祭 posted by (C)YOSHIYU機儀式を終えた稚児は、巡行終了まで地面に足を着くことが許されず、「強力(ごうりき)」と呼ばれる男性に担がれて出てきました。祇園祭 posted by (C)YOSHIYU機門から出た稚児は、白馬に乗せられました。これから祭が終わるまで、稚児は女性の手を一切借りてはならず、母親の作った料理も食べてはいけないそうです祇園祭 posted by (C)YOSHIYU機
2009.07.15
八大神社 posted by (C)YOSHIYU機鞍馬寺から貴船神社と巡ってまいりましたがまだまだ歩き足りなかったので、一乗寺駅で下車し宮本武蔵と吉岡一門が決闘した場所として知られる一乗寺下り松を見に行った。一乗寺 posted by (C)YOSHIYU機一乗寺駅から曼殊院通りを真っ直ぐ進みますが途中、猫が店番をしてる店がありました。この猫、襲ってきそうで怖い一乗寺下り松 posted by (C)YOSHIYU機この松の下に、平敦盛の遺児が捨てられていてそれを法然が拾って育てたとか、楠木正成が陣を置いた所だったり武蔵の武勇伝だけじゃなく、様々な歴史の証人となられた松だそうです。八大神社 posted by (C)YOSHIYU機ただ、現在立っている松は4代目で、当時の松は詩仙堂の隣にある八大神社に幹だけが残っている。八大神社 posted by (C)YOSHIYU機この八大神社は、武蔵が一乗寺下り松の決闘の前に訪れた神社だそうで、武蔵の銅像があったり武蔵の映画のポスターが飾ってあったり境内は武蔵一色でしたこの絵の武蔵は、えらい軽そうやな一乗寺中谷 posted by (C)YOSHIYU機八大神社をそこそこに、一乗寺駅で降りた1番の目的である一乗寺中谷に寄る元板前の3代目和菓子屋主人とパティシエの奥さんによる和菓子と洋菓子の二刀流で大人気のお店です一乗寺中谷 posted by (C)YOSHIYU機こちらは中谷パフェ(950円)。人気商品、でっちようかん、とうふ羊かん豆乳プリン、お茶寒天など、中谷の全てが詰まってるとも言えるパフェですすげー贅沢一乗寺中谷 posted by (C)YOSHIYU機お土産に、ざるわらびと豆乳プリンを買いました。ざるわらびは、パッと見はざる豆腐ですが生クリームの下に、わらびもちが隠れていてとっても珍しいスイーツです。お土産に限り、鞍馬・貴船1dayチケット提示で10%引きとなります。八大神社 posted by (C)YOSHIYU機
2009.06.26
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