お出かけ 北海道・東北・関東 0
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二十二社の1つで、上賀茂神社と並び称される京都最古の神社、松尾(まつのお)大社は正式名称は「まつのお」だが、一般的には「まつおたいしゃ」、「まつおさん」と呼ばれている。松尾大社の公式HPさえ、matsuoやし桁行三間・梁間四間の特殊な両流造りで松尾造りと呼ばれる本殿は、重要文化財に指定されている。渡来人の秦氏が、松尾山を氏神として祀った事を起源としている。時代と共に、経済力と工業力を掌握した秦氏は大和時代以後、朝廷の財務官吏として活躍し奈良時代の政治が行き詰まると、長岡京へ次に平安京へ遷都を誘引したのも秦氏の膨大な勢力によるものであったそうだ。また、秦氏は酒造の技術を伝えた事から酒造の神として信仰されている。境内には、無料のお酒の資料館がある。酒造りには、似合わないマネキンやな~何故か、学生の芸術作品も展示していた。拝観料500円を払い、変な所を潜って宝物館と庭園も見物した。宝物館には、重要文化財の御神像三体と館内の人によれば、京都を代表する写真家水野克比古氏の写真が飾られていた。画像は、宝物館の前にある曲水の庭。 こちらは、磐座の庭。横に、あじさい園がありましたが咲いてない時期は、割引して欲しいよな~宝物殿の裏手を廻ると、御手洗川が流れ霊亀の滝がありました。滝の近くに、亀の井という神泉があり酒造家は、この水を酒の元水として用いたそう。また、延命長寿、よみがえりの水としても有名だそうです。最後は、蓬莱の庭でした。 それでは、松尾さん、さいなら
2007.09.14
京都国立博物館の北にある方広寺には「国家安康」、「君臣豊楽」の銘文が豊臣家の繁栄を願い、徳川を呪ってるといちゃもんをつけられ、大坂の陣の原因となった鐘がある。ヤーさんのやり口やん!この鐘デカっ!重文に指定され、東大寺、知恩院の鐘と並び、日本三大名鐘に数えられる。かつて、この方広寺には、日本三大名鐘のみならず日本三大大仏の京都大仏があった。秀吉により造られた大仏は、地震により崩壊秀頼が再建した大仏は、火事で焼失し現在は、京都国立博物館前の交番の名称が大仏前交番である等、微かな名残を遺すのみだ。呪われたのは、豊臣家の方やな因みに、東西の通りである正面通りは大仏殿の正面を通ってた事に由来する。方広寺の隣には、伏見城の城門の一つを移築したもので国宝の唐門がある豊国神社が建ってます。秀吉の遺言で、遺体が方広寺近くに埋葬されその鎮守社として造られた。秀吉を祀っているので絵馬は瓢箪型やねんな~。京都国立博物館周辺は、近い範囲に観光スポットが集まっていて、便利やね~♪
2007.09.13
三十三間堂から、少し東にある智積院(ちしゃくいん)にも行く。七条駅周辺の王道の観光パターンでんなこの寺の見所は、国宝の長谷川等伯の障壁画と国の名勝で、利休好みの庭園です。もちろん、国宝の障壁画は撮影禁止ですからこれは庭園の方の物です。真言宗智山派の総本山です。初詣の人出の多さで知られる成田山新勝寺はこの智積院の末寺だそう。この寺の初詣の人出は、話題にもならへんのにかの有名な堂本印象の障壁画も、あります。初めて聞いた名前ですが文化勲章受賞や、ローマ法王ヨハネ23世よりシルベストロ文化第一等勲章を授かるなど、凄い人らしい
2007.09.12
京都国立博物館の南出口を出て、道を渡り有名な三十三間堂に行きました。名称は、内陣の柱間が33ある事から。「三十三」という数は、観音菩薩の変化身三十三身に基づく数を表しているそう。葛城イクローとは、関係ないらしいここの見所は何と言っても、国宝の本堂に並ぶ千体の千手観音でしょう!圧倒されますこの感じは、この寺でしか味わえへん!千手観音が千体って事ですから、手は100万本!手には、事欠かないな実際は、千手観音と言っても、手が千本あらへんけどこの千体千手観音は、重文に指定されていて殆んどは鎌倉時代の物だが、平安時代の物もあるそう。実は、現在は千手観音は、千体いてません。何体かは修理中で、この内の一体はさっきの京都国立博物館に、いてました。奈良と東京にも、数体が出稼ぎに行っているそう千手観音の前には、俵屋宗達の風神雷神図のモデルとなった風神と雷神や二十八部衆などいずれも、国宝の像が並ぶ。二十八部衆は、お馴染みの四天王から普通のおじいちゃん、おばあちゃんみたいな見慣れない像も、ありましたそして、中央には、3メートルを越す国宝の千手観音坐像が。大ボスって感じ仏像に関しては、文句のつけようが無い寺ですが境内にあるのが、この本堂と夜泣泉だけでは少し寂しいよな~後は、いずれも重文指定の秀頼が建てた南大門と秀吉の太閤塀が、見所となってます。
2007.09.11
青春18きっぷも、3dayチケットも、あらへんから近場しか行かれへんし、近場と言えば京都って事で京都国立博物館は、第2、第4土曜日は観覧無料なんやほな、行ってみよか!と行ってきました。 国宝27点、重要文化財181点を所蔵している。それらが全て展示されてる訳じゃないのだが右に国宝、左に重文ってな感じで凄い博物館やで土器、銅鐸、陶磁器、仏像、絵画、書跡インドのセクシーなヤクシー像など実に色々な物が展示されている。中でも感激だったのは、建仁寺寄託の俵屋宗達の国宝・風神雷神図超有名な名作が、タダなんてビバ!京都国立博物館!今は特集陳列として、後宇多法皇入山七○○年記念で重文の五大明王像や、国宝の後宇多天皇の自筆の書跡など大覚寺の名宝も展示されている。複製品を大層な雰囲気で展示してる博物館とかありますけど、この博物館は室内展示は勿論噴水前のロダンの考える人など野外展示の物も、本物です!西の庭には、秀吉が架けた五条大橋の遺構や東の庭には、李氏朝鮮時代の石像が建ってました。更に、この博物館の建物自体が、重要文化財だったりする。見所満載で、博物館の玉手箱や~!
2007.09.10
SLや~スゲー!昨日、京都駅のホームに、SLが展示されていた。京都駅ビルの開業10周年を記念した催しだ。この他にも、様々なイベントが行われている。昨日は、ワールドミュージックライブと題し松田美緒 、サカキマンゴー等が今日は、スガシカオさんが無料ライブを行った。11日には、ピストルバルブのライブマッキー、KREVAがゲストのラジオ公開生中継が行われる。 東広場では、丸山貴央の写真展や特設ミニシアターを9月限定でオープンし『ニュー・シネマ・パラダイス』『太陽がいっぱい』『ローマの休日』『ゴッドファーザー』等イタリア映画、イタリアを舞台にした名作を上映。1本千円、3本2,400円だそう。京都伊勢丹も10周年。エスカベッシュ、スモークサーモン、生ハム、サラダメンチカツ、蟹コロッケ、海老フライ、温野菜、ごはんと盛り沢山の11Fの西櫻亭の洋食弁当は期間限定でドリンクがサービスでした。 京都の地ビール「潤・P497」というのを飲む。メンチカツは、肉汁が凄い!欲張って食べると、口の中を火傷するので気をつけろ!海老フライぷりっぷりっ!ニンジンほくほくっ!美味しかったどす10周年記念で、結婚式してました。10周年とは、関係ないって!
2007.09.09
大阪では、世界一を目指して女性が走ってた頃京都では、女性が神輿を担いでいました。京都最古の神社松尾大社の八朔祭の女神輿です。八朔とは、八月朔日(ついたち)の事で、このころ台風や病害虫の被害を被る事が多い為、風雨を避け順調な五穀豊穣、家内安全を祈ることを目的とした祭。以前は旧暦に合わせ、9月1日に行われたが最近は、9月の第一日曜日に行われる。松尾大社を出発し、摂社の櫟谷宗像社で休憩それから、船渡御が行われ、船で桂川を渡った。その際に、太鼓(動画クリック)も奉納された。その後、野宮神社に行って、松尾大社に戻る。常に神輿を担ぐのではなく、車に載せて運んでました。かなりの距離やからな~松尾大社の方では、わざわざ広島からお越しの方々が見事な太鼓を披露してはりました。そして、メインとも言える八朔相撲が行われてた。松尾大社の祭神である「大山咋神」が、自分の息子の上賀茂神社の別雷命に見せる為に行われたのが起源だそう。国民体育大会の京都府予選を兼ねるそうだが赤ちゃん相撲が、最も注目が高い。稽古に励む少年達。立派な横綱になってもらいたいですね~女の子も、負けじと熱戦を繰り広げてました。夏休み最後の日に、相撲をさせるなんて神様も酷やな~
2007.09.03
宇治花火大会があった今月初め京阪中書島駅で途中下車して倖田來未、阪神の赤松真人の出身地の伏見区を軽く散策した。こちらは、坂本龍馬が常宿とした寺田屋。後の妻となるお龍が、風呂から裸のままで龍馬に危機を知らせて救った逸話が有名だ。その近くには、竜馬通り商店街がありました。時間が遅かったので、殆どの店は閉まってました伏見は、かつて「伏水(ふしみ)」と表記されたほど伏流水に恵まれ、名水どころで知られる。そして、その名水から生まれる酒の生産地としても有名だ。月桂冠、宝酒造など多くの酒造メーカーがあります。その1つ黄桜のキザクラカッパカントリー。酒造りが学べて、マスコットが河童という事で河童資料館がある黄桜記念館やここでしか買えない酒や地ビール河童グッズを販売する黄桜商店京都で初めての地ビールレストランが併設されている。できたて地ビールと食事を堪能した。ぷは~っうま~(●^o^●)清酒用酵母を使用した「蔵のかほり」というビールは日本酒の香りがして、美味しいかは別にして個性的で印象に残ったケルシュというのが一番飲みやすくて旨かったかな。カウンター席で食べましたが目の前は麦酒工房になってました。ビールだけでなく、ここでしか飲めない日本酒もあります。お土産に、地ビールや日本酒が売ってましたがこの後の花火で、重い荷物を持ち歩きたくなかったのでカッパ印の酒まんじゅうだけ買いました。
2007.08.24
土曜に、京都駅から一番近い寺東本願寺に行きました。この寺には、祖母が納骨されておりお盆という事で、お参りに行ったのだ。たびたび火災に遭い、建物は明治以降に建てられた物で世界最大の木造建築物の御影堂は修復工事中だし今の最大の見所は、鳩でしょうかまぁ、落ち着けるお寺です。今回は東本願寺の飛地で名勝の渉成園(しょうせいえん)にも行った。徳川慶喜、岩倉具視、ニコライ2世ヘレン・ケラー等も訪れたそう。綺麗な庭やね~!でも、今は暑いな~秋の紅葉の時期がベストっぽい。協力寄付金500円を払うと、普通の寺なら500円以上で売ってそうな立派なA4サイズの冊子を貰いました。良い記念になるけど、かさ張って邪魔やった。
2007.08.14
動画クリック昨日は、ブログも休みで完全オフでしたが盆休み? WHAT?今日から、またガッツリ働いた昨日の話も書きたいが、まずは金曜の話・・・いや、金曜の花火から宇治川花火に行きました。紫式部に因んだ紫が基調の花火をはじめ「光源氏は永遠に」をイメージした金色のスターマインなど7千発のなかなか大きな花火大会だ。毎年のように行ってるが、例年は人ごみを避け三室戸のアルプラザ付近の河原で見るが今回は宇治駅周辺で観ました。やっぱ、凄い人やったな~!でも、花火は迫力あった。めっちゃ、灰かぶったけど宇治駅から夜店のある方は、凄い人やったけど宇治駅の東側は、駅舎が邪魔になるけど人は少なめで良かった。ベストポイントは、京阪宇治駅ホームやね!ずっと、いたら注意されますが終わりかけでホームに入り、電車を待つ振りしながら花火を、じっくり観賞しました
2007.08.12
7日のライブアースで、YMOやUAがライブを行った世界遺産の東寺に行ってきた。この寺の、いや京都のシンボルの国宝の五重塔は、1644年、徳川家光の寄進により再建された物で、木造建築としては、日本一の高さを誇る。境内の北西にある南北朝時代の大師堂は東寺で唯一、タダで入れる国宝の建物。蓮の堀に囲まれた平安後期建立の宝蔵は東寺最古の建造物で、重文に指定されている。国宝の金堂は、1603年に豊臣秀頼の寄進により再建された物。秀頼の寄進って、めっさ多いな!家康の策略により、豊臣家の莫大な金銀を無駄遣いさせられた秀頼だが、現代の我々にすれば、有意義な事をしてくれた。間抜けの秀頼バンザイ\(^o^)/堂内には、日光月光を脇侍とした薬師如来が鎮座している。薬師如来の台座の周りには、十二神将が並んでいる。1491年に再建された重文の講堂には中央に五智如来、右に五菩薩、左に五大明王四隅に四天王、そして梵天、帝釈天の21体の仏像が所狭しと安置されている。うち15体は、国宝です。これは凄い!画像をお見せ出来ないのが残念だ。是非、足を運んで、その目でご覧ください!
2007.07.24
大仙院は、大徳寺北派の本庵とされるが南派の本庵の龍源(りょうげん)院にも行った。こちらは、撮影OKでしたたぶん!重文に指定された建物には、重文の釈迦如来座像豊臣秀吉と徳川家康が対局したとされる棋盤日本最古の火縄銃などが展示されていた。ここの見所は、庭園でしょうね~。まず最初にあるのが、こ沱庭(こだてい)で聚楽第の遺構の阿吽の石が配置された白砂の庭。方丈南庭は一枝担(いっしたん)と言い、白砂の大海に苔と石組みで鶴亀を配した蓬莱式庭園。北庭の龍吟庭は、苔の上に三尊石が建つ須弥山(しゅみせん)形式の庭。日本最小の庭の東滴壷(とうてきこ)は、一滴の波紋から大海原の広がりをイメージさせる枯淡な壷庭。龍吟庭は、苔好き女優の本上まなみさんが見たら、喜びそうやな苔好きの方は、是非!
2007.07.22
大徳寺に行ってきました。臨済宗大徳寺派の大本山で、鎌倉時代末期の正和4年(1315)に開創された。室町時代には応仁の乱で荒廃したが、一休和尚が復興。桃山時代には、豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み信長の菩提を弔うために総見院を建立、併せて寺領を寄進それを契機に、戦国武将の塔頭建立が相次ぎ、隆盛を極めた。勅使門から山門、仏殿、法堂(いずれも重文)方丈(国宝)と南北に並んでいる。境内には、別院2ヶ寺、塔頭22ヶ寺を持つ大寺院だ。その塔頭の1つ、大仙院を見学しました。ここは撮影禁止なので、画像はこれだけです方丈は国宝、庭園は史跡・特別名勝に指定されている。お寺の人に案内され、鶯張りの廊下を歩き狭い建物の中を見て回った。お寺の人の解説は、フリップを用いたりして、分かりやすくて面白かったが、昔、ミヤコ蝶々の番組に出ていた尾関宗園住職の著書や0が一桁違う住職直筆の書を必死に宣伝してくるのには参った。一桁違う書の中にはこの道を行けばどうなるものか危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし踏み出せばその一足が道となりその一足が道となる迷わず行けよ、行けばわかるさアントニオ猪木が有名にした一休和尚が遺したとされる言葉があった。しかし、Wikipediaには一休の言葉ではなく清沢哲夫の詩だと書かれていた。お寺の人が間違ってんのか?
2007.07.20
天得院に行ったついでに、東福寺にも寄った。この寺は、けっこう来てるな~。最初に来たのは、「本上まなみの極私的京都」という番組を観たのが、きっかけ。あの番組、おもろかったな。紅葉の名所で、シーズンには観光客で賑わうがその時に比べ、閑散としていた。この日は、桔梗目当ての人もいただろうが前に何も無い日に来た時は、もっと少なかったけど。寺名は、東大寺と興福寺から一文字ずつ取って名づけられたそうです。1236年に創建のこの寺は、京都五山四位で天得院をはじめ25ヶ寺の塔頭を持つ大寺院だ。室町時代初期の三門は、現存する禅寺の三門では最古の物で国宝に指定されている。本堂は、昭和9年に再建された物だが昭和期の木造建築物では、最大の物らしい。本尊の釈迦三尊像は、元は京都五山の万寿寺の物で鎌倉時代の作だそう。かつては15メートルの釈迦像があったそうだが残念な事に焼失し、今は無い。これは、東司。「あずまつかさ」ではなく、「とうす」と読む禅宗式の便所です。日本最古最大であり、多くの修行僧が用を足せるので、百雪隠とも呼ばれた。境内はタダなのが、この寺の魅力ですが拝観料400円を払い、方丈を見学した。この方丈には、4つの庭がある。南庭は、鎌倉時代の質実剛健な風格を基調に近代芸術の抽象的構成をとり込んだ枯山水式庭園。井田市松の西庭。彫刻家のイサム・ノグチが「モンドリアン風の新しい角度の庭」と称した北庭。東庭の北斗の庭は、東司の余材つまり便所の柱の余りで北斗七星を構成している。ランチは、駅前の東福寺御用達の丹波屋で食べた。雑誌に載ってたとか、東福寺御用達をやたらアピールしてる店やった。うどんの店だが、鯖寿司やちりめん山椒も人気があるようです。夏季限定のゴマだれうどん?(名前忘れた)を食べましたが関西風のうどんは、冷たいのは合わない気がする。もっと、普通のうどんの方が良かったな。ちりめん山椒が付いていたが、あまり好きな味じゃなかった。
2007.07.19
東福寺保育園に、行ってきました。別に、保育園に用事があった訳ではなくここは東福寺の塔頭の一つの天得院でもあるのだ。ローカルの夕方ニュース番組の「トレかん」というコーナーで寺の紋が「桔梗であるこの寺で、桔梗の時期は庭園が特別公開されてる事を知り、行ってきました。この天徳院は、南北朝時代の正平年間(1346-70)に開創され、東福寺五塔頭の1つだった。第227世清韓は、豊臣秀吉、秀頼の五山の学僧として寵遇され、秀頼の請に応じて方広寺の鐘銘を撰文したが、銘文中の国家安康 君臣豊楽の文字が徳川家を呪詛するものとして徳川家康の怒りを招き、寺院は取り壊された。現在の堂宇は、1789年に再建されたもの。拝観料300円を払うと、うちわをくれました。桔梗と聞くと、一休さんの桔梗屋を思い出すが、桔梗屋とは似ても似つかない綺麗な花やね。
2007.07.17
巷では3連休でしたが、今日からガッツリ働いた祇園祭の宵山は、初の3連休での開催となったが雨に祟られましたね~。昨日、虹が架かっていた台風一過の京都に宵山を少しだけ観に行きました。宵山なら普通の日でも行けるので、3連休の中日明らかに混雑する日には行きたくなかったがたまたま京都に行ってたので、寄ってみた。うんざりするくらい人おった厄除けのちまきを必死に売る子供ら。このちまきは食べれませんが、最近は食べれるちまきも売ってたりするようです。ちまきストラップとかも、あるらしいな。阪神戦が気になったので、大丸で三條若狭屋の祇園ちご餅というのをお土産に買って速攻で帰りました明日は、山鉾巡行ですね。今回は、あまり良い写真が撮れなかったので過去の写真も、ついでに載せときます。
2007.07.16
別名ハモ祭とも呼ばれ、日本三大まつりの1つ祇園祭と言えば宵山と山鉾巡行を連想されると思うが7月の1ヶ月間に渡り、様々な行事が行われる祭りである。7日の八坂神社では、綾傘鉾稚児社参が行われた。稚児の行列が、本殿の正面と背面で手を合わせながら本殿の周りを3周した。「また、ここや! 何回まわんの?」「のど、かわいたぁ。」本殿の中での長くて退屈な神事の後だった為稚児達は、テンションが低かった今週末には、いよいよ宵山を迎える。普段でも凄い人出だが、今年は一般的には3連休の日と重なり、もの凄い人で賑わうやろな。祇園祭の写真
2007.07.10
今回の京巡りでは、京阪と地下鉄が乗り放題の切符を使ったが、それに付いていた京都観光マップには目的地の勧修寺がある小野駅の近くに随心院ってのも書いていた。知らないので、携帯サイトのグリ辞書で検索すると小野小町ゆかりの寺と書かれていた。小野小町と言ったら花の色は うつりにけりな いたづらにわが身世にふる ながめせしまにの百人一首の歌人として知られオノ・ヨーコ、小野伸二と並び世界三大小野姓の一人じゃないですか!本当は、世界三大美人の小町をはじめ小野一族が栄えた場所だから、ここの地名は小野なんか!あまり、小野に来る機会はないし、ついでやし急遽、梅園で有名な随心院に、季節外れで足を運んだ。境内には、小町が化粧の際に使った化粧の井戸や恋文を埋めた文塚など、小町ゆかりの遺跡や遺品の数々がありました。寺の建物に入ると、深津絵里のポスターが貼ってありカネボウのシャンプーがディスプレイされてたので驚いた何でも、この「いち髪」という商品は古来の日本女性の美髪に着目して開発したらしくそこで白羽の矢がたったのが、小野小町だった模様。深津絵里を使ってるのは、日本的美人で一生結婚しなさそうだからか?この随心院は、宮家が入寺する門跡寺院として栄えた古寺でもあり、重文の阿弥陀如来坐像金剛薩捶坐像などが並ぶ本堂本堂から眺める美しい庭園や、狩野派の襖絵など小野小町以外にも見所の多い寺でした。
2007.06.07
昨日の(色づいてない)紫陽花の三室戸寺に続いては菖蒲の花の勧修寺(かじゅうじ)の話。実際のところは、信長まつりの時間の関係上萬福寺、本能寺、勧修寺、三室戸寺と非効率な回り方をした。勧修寺は、京都市営地下鉄東西線の小野駅近くにあり寺の正式名称は「かじゅうじ」であるがこの辺りの地名は、「かんしゅうじ」となっている。寺のしおりは、ポストカードになっていた。これは、記念になりますね勧修寺は900年、醍醐天皇の生母の藤原胤子を追善する為に創建された。その後、法親王が入寺する宮門跡寺院として栄えた。兵火で焼失し、一時期衰退するが江戸時代に、皇室と徳川家の援助により復興する。この宸殿と書院は、明正天皇の旧居を下賜されたもの。この灯籠が、目に入らんか!書院の横にある珍しい形の灯籠は水戸光圀が寄進したものだそうだ。勧修寺型灯籠と呼ばれる。庭園にある蓮が咲きわたる氷室の池は平安時代には、1月2日に張った氷が宮中に献上されその厚さで五穀豊穣を占ったと言う。奇麗な錦鯉も泳ぐ池には、鳴き声から推測すると大きな蛙もいるようだった池の横の木には、大量の鷺が巣くっていてさながら、鷺の成る木のようだった。美しく、とても自然を感じる庭園でした。
2007.06.06
萬福寺のある黄檗駅から、京阪宇治線で一駅の三室戸駅から徒歩15分の所に、三室戸寺がある。西国三十三箇所観音霊場の第10番の札所である。江戸時代に再建された本堂には秘仏の千手観音が安置している。本堂の裏には、室町時代の物で重文に指定されている十八神社があります。本堂の左手には、江戸時代の物の三重塔が建つが明治の頃に、播磨の高蔵寺の物を買い取ったらしいです。本堂の前には、宝勝牛という像がある。口の中の牛玉の観音様に触れると、勝運に恵まれるそうだ。昔、三室戸寺に観音詣でをした百姓が飼っていた弱々しい牛が観音様のご利益で立派な牛になり、地域一番の牛に戦い勝ちその時に得た報奨金をもとに、牛の仲買人として成功したらしい。その横には、若貴の手形がありました。若乃花は、平成10年の春場所直前に絵馬を奉納し見事優勝を成し遂げたそうだ。若乃花の手って、小っさ!私と同じくらいの小さな手やのにちゃんこ店を25店舗も経営出来るんや!貴乃花も、そんなには大きないな。また、花の寺としても知られ、枯山水もある5000坪の広大な庭園には、2万株のツツジ千本のシャクナゲ、そして、これからの季節には1万株の紫陽花が参拝客の目を楽しませる。ただ、まだ殆ど色づいてませんでした。見頃の頃には行けそうもなかったので早いのは百も承知で行ったが、やっぱ残念やったな
2007.06.05
京阪宇治線とJR奈良線の黄檗駅の近くに日本三禅宗(臨済・曹洞・黄檗)の一つである黄檗宗の大本山の萬福寺がある。明の僧の隠元禅師により創建された。この萬福寺は全てにおいて中国風で一般的な日本の寺院とは、かなり雰囲気が違う。まず建物。この総門は、中央の屋根を高くし、左右を一段低くした中国門の牌楼(ぱいろう)式を用いている。屋根の上に鯱のような物が載ってるがこれは摩伽羅(まから)と言い、ガンジス河の女神の乗り物でそこに生息しているワニをさす言葉だそう。中国の明朝様式を取り入れた伽藍配置は日本では他に例がなく、主要建物23棟回廊などが重文に指定されている。仏像も、中国風である。巨乳と巨腹をポロリと出したこの像が何だか分かりますか?七福神の布袋?それでは、半分だけ正解です。これは弥勒菩薩像です。中国では、布袋は弥勒の化身だそうだ。日本では唯一最大のチーク材を使った歴史的建造物で本堂にあたる大雄宝殿には、中央には釈迦三尊像左右の壁には十八羅漢像が安置されていた。十八羅漢像の中では、羅怙羅(らごら)尊者像がひときわ印象に残った。自らの腹を裂き、中からは仏様の顔が!精進料理も中国風で、普茶料理と言う。ここで普茶料理を頂く事も出来ますが予約が面倒だし、高いので食べませんでした。これは、木魚の原型となった開ぱん。なぜ木魚と呼ぶのか納得した。よう分からんかったけど、梵唄と言う大太鼓、大鐘、木魚など鳴り物を鳴らした読経をしてはりました。めっちゃ、坊さんおるな~!因みに、競輪の選手が違反を繰り返すとこの寺で修業させられるらしい
2007.06.04
昨日6月2日は、織田信長の命日です。信長ゆかりの本能寺では、昭和57年から6月2日に近い土日に、信長まつりを行っている。動画本能寺とは、信長が明智光秀に討たれた言わずと知れた「本能寺の変」の寺です。だが、現在の本能寺は、当時とは違う場所に建っている。ただ、境内には、信長の墓があります。そして、境内はタダです信長まつりでは、境内に出店が並びステージではライブや、伊賀忍者集団「黒党」ジャグリング、紙切り等のショーが行われ囲碁大会も開かれ、盛り沢山の内容。その信長まつりのメインとも言えるのは今日の正午から行われた武者行列パレードです。織田信長をはじめ、豊臣秀吉、明智光秀、お市の方森蘭丸、淀君、武田信玄、上杉謙信などに扮した行列が本能寺を出て、河原町通などを通って本能寺に戻ってくる。地元住民の高齢化と京都市中心部の人口減少から十数年間途絶えていたが、一昨年から一般市民や観光客にも行列参加を募集して、復活となった。でも、なんで信長まつりやのに、坂本龍馬や新選組がおるねん!?因みに、この近藤勇は、京都の名物カフェのイノダコーヒの代表取締役らしい。偉人に扮してる人は皆、代表取締役とか社長とか社長令嬢みたいです。お市の方役の人は、信長の叔父の信康の子孫らしい平安女学院の学生も行列に参加していて彩りを添えていました行列終了後には、信長がインタビューされてました。隣にいるのは、京都きものの女王だそう。
2007.06.03
先週の子供の日に、京都の今宮神社で今宮祭の神幸祭が行なわれた。正暦5(994)年、藤原一族に疫病が広がり疫神を鎮める為の紫野御霊会が始まりとされる。動画はコチラ境内から御輿を威勢よく担ぎ出しそれを台車に乗せ、神社から御旅所までを巡行する。子供らは「きゅうり!なすび!」とふざけた掛け声で御輿を引いていました稚児行列、牛車、獅子舞なども巡行するのだが2時から阪神のデーゲーム観戦の為大事な所は観れなかったあんな試合を観て、半日を無駄にするよりここで祭を観てた方が賢明やったな今週の日曜には、御旅所(北大路大宮下ル)から神社に戻る還幸祭が行なわれる。正午 旅所拝殿降午後1時 旅所出御午後4時頃 御供所今宮神社と言えば、あぶり餅!「かざりや」で、お土産用の3人前(1500円)を購入。あぶり餅を頬張りながら、曇りで観戦しやいのを除けば何一つ良い事がなかった甲子園に向った一人でも食べれそうだったので5人前にしとけば良かったな
2007.05.11
梅の名所の城南宮の周辺には興味深いスポットが点在している。城南宮の北東には、初めて院政を敷いた事で知られる第72代白河天皇の陵墓である成菩提院陵(じょうぼだいいんのみささぎ)がある。 そこから東に行くと、近畿三十六不動尊の第二十二番霊場である北向山(きたむきざん)不動院がある。第74代鳥羽天皇の勅願で、大治5(1130)年に創建された。文字通りに、重要文化財で秘仏である本尊の不動明王は北向きに安置しており、本堂が北向きに建っている。本堂は、正徳2(1712)年に東山天皇の旧殿を移築した物だ。元は天台宗延暦寺末寺だが、現在は単立寺院となっている。更に東に歩くと、多宝塔が見えてくるがこれは、第76代近衞(このえ)天皇の陵墓で安樂壽院南陵(あんらくじゅいんのみなみのみささぎ)である。陵墓が多宝塔って、珍しいですよね~この多宝塔は、豊臣秀頼が再建したものだそうだ。近衞天皇は、鳥羽上皇と美福門院との間に産まれ2歳で即位して16歳で亡くなられた。この美福門院という人は、正体は白面金毛九尾の狐で美しい悪女妖怪・玉藻前(たまものまえ)のモデルと言われている。この多宝塔の北にある方形堂は、鳥羽天皇の陵墓の安樂壽院陵(あんらくじゅいんのみささぎ)である。
2007.03.06
近鉄・地下鉄の竹田駅から徒歩15分程にある城南宮は、平安遷都にあたり都の南に守護神として創建された。白河上皇が城南離宮を造営した折には、その鎮守社と崇められ熊野詣の際には、城南離宮で旅の無事を祈る慣わしで現代に至るまで、方除け・旅行安全のご利益で知られている。『源氏物語』に登場する100余種の花に彩られた5つの庭で構成されている城南宮の神苑では現在、枝垂れ梅が見頃を迎えている。京都1Dayチケットの優待券を渡すと拝観料500円が団体料金450円になりました。枝垂れ梅が見頃の「春の山」、社殿を背景とした「平安の庭」池泉廻遊式の「室町の庭」、芝生が広がる「桃山の庭」枯山水の「城南離宮の庭」と、それぞれ特徴があって楽しめた。今は椿と枝垂れ梅が見頃だが、桜、藤、杜若、紅葉と季節毎に、違った魅力が楽しめるようだ。
2007.03.05
京都の雛人形は、凄いらしい。でかくて、動く!?そんな噂を聞き、現地に飛びましたこれが、その雛人形です市比賣神社(いちひめじんじゃ)の「ひいなまつり」のひと雛ですしかも、このお雛様とお内裏様は来月、結婚するそうですおめでとーどす。五人囃子の演奏で、三人官女が舞を披露した。多くの人に楽しんでもらうために神社の近くの「ひとまち交流館」で行なわれた。参加料は1000円と、お安くはないが投扇興、双六、貝合わせ等の遊び、ひな茶接待十二単衣の着付けの講習や昔の風習の講義記念撮影会、桃飾りのお守りも貰えて3時間を有効に潰せる。市比賣神社は、平安京建都(794)の翌年に堀川七条(現在の西本願寺の辺り)に創建され天正19年(1591)、京阪電車五条駅から南西に徒歩5分程の現在地に遷座された。御祭神は全て女神様をお祀りする等から女性の守り神とされ、「女人厄除」の神社として知られる。そして、皇子・皇女誕生の折、産湯に用いられた御神水天之真名井(あめのまない)が湧き出ている。子供に初めて御飯を食べさせる行事のお食い初めはこの神社の『五十日顆之餅(いかのもち)』が発祥とされる。この神社の外観は、かなり変わっていてなんとマンションの1階部分が、神社になってましたカード供養の為のカード塚もありましたし現代的な神社やな~。
2007.03.04
今日は、耳の日という事で結婚式でしたー!?誰の結婚式かは知りませんが今日は、雛祭りという事で京都の下鴨神社では、流し雛が行われた。流し雛を観に行ったら、結婚式に遭遇しました。世界遺産で結婚式なんてなんか凄いですね~お幸せそうで、良いですね~こんな所にも、幸せを見せつけてるカップルが!?サッカー日本代表のシンボルマークであり下鴨神社の祭神の賀茂建角身命の化身である八咫烏(やたがらす)のカップルでした
2007.03.03
とようけ茶屋は、老舗豆腐屋「とようけ屋山本」の出来たての豆腐が味わえる食事処です。北野天満宮前にあり、超人気のお店だ。行列が出来ると周りに迷惑になるので店頭で整理券を貰うシステムになっていた。整理券を受け取り、予定の時間まで一時間ほど北野天満宮の梅を見物した。言われた時間より若干遅れて店に戻ると何組かに抜かれていたようだ。いよいよ食べれる事になったが、膳ものは売り切れで丼ものと湯豆腐の単品しか無いそうだ。う~ん、ゆば丼(840円)も気になるけど豆腐を食べに来たので、とようけ丼(683円)を注文した。豆腐と油揚げを甘く味付けし、七味が利いた丼だった。よせ豆腐に黒豆の湯葉も付いている。豆腐に油揚げに湯葉も味わえたしこの値段で、この味なら大満足やねとようけ茶屋から、少し西へ行った所にこちらも有名な粟餅所・澤屋がある。天和2年(1682年)創業と、超老舗である。山村紅葉厳選の京土産の1つである粟餅を、店頭で3人が流れ作業で作っていて一人が餅を丸めて投げる係で、観ていて面白かった。これが観れただけで、来た甲斐があったなお土産用に10個入(1,020円)を購入した。持って帰る間に、ひっくり返ってあまり美味しそうな写真が撮れなかった。なんだか素朴な味でした今度は、店で出来たてを食べようかな。
2007.03.02
先日、北野天満宮に梅を観に行きましたが梅だけではなく、お宝も拝見してきました。観梅シーズンなど、一年で限られた日しか観る事は出来ない宝物館に、300円を払って入った。まず入ると、加藤清正奉納の日本地図が彫られた大きな鏡があった。天下一という字が消された跡が残っていた。それから、豊臣秀頼が寄進した馬が描かれた大きな絵が2枚掛けられていた。昔は、雨乞いには黒い馬を晴天を祈願する時は白い馬を、奉納していたそうだ。しかし、馬だらけになってしまうという事で代わりに馬の絵を奉納するようになりこれが絵馬の起源となった。と、館員の方が説明して下さったそして奥には、重要文化財の「昌俊弁慶相騎図絵馬」がありセンサーが作動するので、身を乗り出して観るなとも注意されました。ビクビクしながら観ました。「雲竜図」が2枚並べられていて、片方は本物で片方はヒューレット・パッカードのプリンタで印刷された物だった。全然、見分けつかへんわー絵の良さより、プリンタの良さが、印象に残ってしまった国宝の「絵本着色北野天神縁起」も飾られていた。国宝って古い物だから、かなり傷んでるのも少なくないけど、これは状態が綺麗やね。オークションに出せば、高値で売れそう他には、重文の太刀なんかも、置いてありました。
2007.02.27
学問の神様の天神様を祀る北野天満宮に受験生でもないのに行ってきましたお目当ては、サクラ咲くではなくウメ咲く境内の散策でした。拝殿前の梅など、まだ蕾のものもありましたが全体的には、8割がたは見頃を向えていた。有料の梅苑の方にも足を運んだ山村紅葉御用達の老松の菓子と梅茶つきで、500円だった。この日は、京都市内の電車とバスが乗り放題の京都1dayチケットという切符で行ったのですが優待券を渡すと、しおりが貰えました。
2007.02.25
今年はモチロン、「華麗なる一族」の準レギュラーのイノシシ年ですが京都御所蛤御門前に、イノシシだらけの護王神社(ごおうじんじゃ)という神社がある。境内には、狛犬ならぬ狛イノシシが鎮座し猪の剥製、全国から奉納された猪コレクションが飾られ右を向いても、左を向いてもイノシシばっかり何故にイノシシなんだ!?というとこの神社の祭神は、平安京の建都に造営大夫として尽力した和気清麻呂(わけのきよまろ)で彼が、京より宇佐へ向かう際に災難に遭った時300頭ものイノシシが現れて清麻呂を護った事から。猪だけでなく、ちゃんと清麻呂の銅像もあります。その後ろには、「君が代」の歌詞に登場する「さざれ石」があり、日本一の大きさだそうだ。この日は節分祭という事で、落語の寄席が行われていた。さすがに猪ではなく、人間がやってましたけどこの人は、亥年の人やろか?
2007.02.05
鬼が来たー!!廬山天台講寺、通称廬山寺(ろざんじ)は、比叡山天台18世座主元三大師良源によって、938年に船岡山の南に創建され応仁の乱で焼失などの後に、1571年に現在の地京都御所の東に移った寺だ。本堂と尊牌殿は、仙洞御所の一部を移したものである。この場所は、「源氏物語」の作者の紫式部の邸宅があった所としても知られる。節分の3日に、その廬山寺で「追儺式鬼法楽次第」という行事が行われた。京都を代表する節分祭という事で、小さい寺に関わらず多くの見物客が殺到し、境内は物凄い状態でした追儺式は、まず鬼の入場に始まります。まあ、主役が来ないと始まりません鬼は3匹で、松明と宝剣を持った赤鬼大斧を持った青鬼、大槌を持った黒鬼。鬼おどりを披露してくれました。その後、追儺師による邪気払いの法弓などがあり弱った鬼達が、韓流スター並みの歓迎を受けながら退場して行きました段取り良く行事を行い、優しく子供の頭を撫でながら去っていった鬼達は、見かけによらず良い奴らでした。人鬼は見かけで判断しては、あかんねその後、福餅・蓬莱豆撒きが行われ福餅を2つキャッチしましたこんな事なら、先に福餅を買っとくんじゃなかったオニ混んでたんで、まさか福餅を取れるどころかろくな写真を撮れそうも無いと思い、記念に買ったんだけど。結構ツイとったな福餅に福の字が書いてたら、破魔矢と交換だがそこまではツイてないのが、自分らしいかな
2007.02.04
京阪墨染駅すぐの藤森(ふじのもり)神社は、今から1800年前に神功皇后によって創建された皇室ともゆかりの深い古社である。菖蒲の節句発祥の神社として知られまた、勝運と馬の社といわれ、競馬関係者競馬ファンに人気のある神社です。やっぱ、ここもメッチャ並んでんがなその列を横目に、私は最大の目的である振る舞い餅をGETし勇壮な太鼓の音に心踊らせつつ、振る舞い福茶を飲んで暖まった振る舞い酒なら最高やったけど、この御時世やから仕方ないか。私は電車やねんけどな~行列の京都市重要文化財の本殿ではなく、国の重要文化財で足利義教が造営した八幡宮でお参りを済ませ勝運賭馬守を買って退散した私は競馬しませんけど常に午年のオトンへの御土産用で
2007.01.04
京阪伏見桃山駅近くの安産の社である御香宮(ごこうのみや)神社に安産祈願に行ってきました安産だけでなく、厄除け等のご利益もあるそうで門前にある「桃山餅」の美味しいみたらし団子を食べながら、境内を散策したかつては伏見城の大手門だった表門(国重要文化財)をくぐり、境内に入るとまるでWiiの発売日みたいに、めっさ人が並んでまんがないや~驚きましたこの前までクリスマスに浮かれてたのに、この変わり身の早さに京都府の重要文化財である拝殿、国の重要文化財である本殿は極彩色の美しい建物でしたね~小堀遠州ゆかりの庭園もあり、200円で観る事が出来る。さて、御香宮の名前であるが、この場所から香りの良い水が湧き出てその水を飲むと病が治り、清和天皇から御香宮の名を賜った事に由来する。名水百選にも認定された其の御香水が0円ぽっきりで飲み放題というのは、この神社の目玉だろうでも、この伏見は良水を生かした酒どころなので酒の飲み放題の方が良かったな~
2007.01.03
時代祭の後、「鞍馬の火祭り」を観に行った。「やすいらい祭」、「牛祭」と共に京都三大奇祭に挙げられるが他の2つは殆ど聞いたことが無いけど。鞍馬の火祭りに行くのは今回が初めてだが一度、仕事の後に行こうとしたが、乗車制限があり断念した事があった。2両編成の叡山電車に、すし詰め状態で向う間はテンションが落ちたが鞍馬に着くと、まだ、紅葉の季節には早かったが祭前の雰囲気に気分が高揚した(オヤジギャグ)鞍馬に来るのは、小五の遠足以来だ。当時の思い出は、牛若丸のように鞍馬山を駈け登りそして駈け降りた事ぐらいだ。あの頃は寺を観るよりも、体を動かす方が楽しかった。遠い昔の話です鞍馬山に登るには時間が遅かったので、由岐神社だけ観に行った。かつて、由岐神社は御所にあったが、天慶元年に都の大地震天慶2年には平将門の乱(天慶の乱)と相次ぐ世情不安に当時の朱雀天皇の詔により天慶3年(940年)のに鞍馬に遷宮された。遷宮の時、京の鴨川に生えていた葦で松明を造り道々には篝火を焚き、神道具を先頭に行列の長さ10町(1Km)という国家的一大儀式が行われ、鞍馬の住民はこれに感激しこの儀式と由岐大明神の霊験を後生に伝え守ってきたのが火祭の起源である。豊臣秀頼によって再建された拝殿は、中央に通路をとった割拝殿という珍しい拝殿で国の重要文化財に指定されている。ここで、天狗の厄除けを購入した。由岐神社の公式HPから通販も可能のようだ。その後、祭りまでの間に鞍馬の町並みを散策した。趣きのある町並みですね~。重要文化財に指定されている民家の匠斎庵。土、日、祝日のみ見学が可能で、中で葛きりやぜんざいも頂けるそうだ。まず、可愛らしい子供松明で祭りの幕開けです。子供の火遊びは危険ですが、今日だけは特別です実に微笑ましい風景でした大松明の登場です。サイレイヤ サイリョウ サイレイヤ サイリョウという掛け声で、松明が練り歩いていく。持ってる人はもちろん危なっかしいですが、沿道で見ているとすぐ側を練り歩くので、危険を感じた危険ですので、真似はしないで下さい(笑)次の日は仕事だし、最後まで見ると帰るのが何時になるか分からないので7時半に駅への一本道に向うと、そこは人の群れで一向に前に進む様子がなかったそれもその筈、沿道は立ち止まって観る事が禁じられて一方通行になっており、もう一度祭りを観ようとする人と駅に向う人が狭い道に殺到しているのだから。更に橋の手前で、何故か足止めされる。なんと、橋に穴が開いてるから、点検する為だという。警察官が暗い中で必死に穴を探し、写真とか撮ったりし応急処置が済んだので渡れる事となった。はあ応急処置って、板を置いただけやん例え橋を渡っても早く帰れる訳じゃなかったので良い時間潰しにはなったけど
2006.10.23
今日は、馬を見てきました。しかし、メイショウサムソンが三冠を逃した菊花賞のあった淀の京都競馬場ではなく京都に時代祭を観に行って来ました。祇園祭、葵祭と並び京都三大祭りの一つである時代祭。三大祭りの中では最も新しく、平安神宮の創建と平安遷都1100年祭を奉祝する行事として明治28年に始まりました。平安京遷都の日である10月22日に毎年、行われるので平日開催も多くて都合がつかず、今回初めて観に行けた。これで京都三大祭り制覇や明治維新時代、江戸時代、安土桃山時代、吉野時代、鎌倉時代、藤原時代、延暦時代と7つの時代を遡り、それぞれの年代の衣装を身に着けた行列が行進する。所々で間隔が空いてしまって、少し退屈したのが残念でした。えっ 坂本龍馬この江戸時代の行列は、パフォーマンスもあり一番楽しめた
2006.10.23
昨日、宇治川花火に行って来ました。10円玉の宇治お茶の宇治魅惑の抹茶スィーツの宇治ですが、仕事が終わってから行ったので何一つ宇治を満喫できなかった。もちろん花火は満喫しましたよ源氏物語の舞台である宇治なので「光源氏は永遠に」をテーマにした花火が打ち上げられた。こっちの光GENJIではありません (笑)7,000発と京都随一の大規模な花火大会。1時間半と長い時間で、時折り間が空くけど気に入っている花火大会です。魚の形や、あのネコあのネズミのようだったり色んな花火が観れて面白かった。混雑した宇治周辺を避けいつも京阪三室戸駅から北へ歩きアルプラザ周辺で観ている。ゆったりとした雰囲気で、十分に奇麗な花火が観れるので気に入っている。帰りは混雑を避け、黄檗駅まで歩くとスムーズに電車に乗れる。電車は混んでるが、中書島まで辛抱したら後は快適に帰れました。満員電車も浴衣姿のギャルが殆どなので苦痛では無かったですけど
2006.08.11
大阪の天神祭・東京の神田祭とともに、日本三大祭のひとつに上げられる祇園祭。そのハイライトである山鉾巡行が昨日、行われた。祝日と日程的には恵まれていたが、天気には恵まれず沿道の人出は13万人で、昨年より11万人少なかったらしい。私は、今年は山鉾巡行、宵山とも行かなかったがこのブログで祇園祭について書いてなかったのと折角、写真が色々あるから観てもらいたいので、祇園祭について書きたいと思います。祇園祭は八坂神社の祭で、およそ1100年前、疫病退散を祈願日本全国の国の数の鉾66本をつくらせ、その崇りを沈めるために祇園御霊会を行ったのが始まりと伝えられている。祇園祭は山鉾巡行、宵山だけではなく、7月1日の吉符入(きっぷいり)から始まり31日の疫神社夏越祭(えきじんじゃなごしまつり)まで1ヶ月に渡って「コンチキチン」の祇園囃子が鳴り響く。最も人手で賑わうのは宵山ですね。四条通周辺が歩行者天国となり、数多くの出店が立ち並ぶ。 17日に行われる祭りのハイライトの山鉾巡行では重要無形民俗文化財に指定された物を含む32基の山鉾が京都市街を練り歩く。見所の一つは、辻回しと呼ばれる交差点での方向転換である。来週は天神祭やな~
2006.07.18
昨日、東山にある建仁2年(1202)、栄西禅師により開かた禅寺の建仁寺(けんにんじ)に行ってきました。俵屋宗達筆の風神雷神図の寺です。(常設は複製)訪れた理由は、建仁寺の塔頭である両足院(りょうそくいん)で非公開文化財が3月19日まで公開中であるからだ。 拝観料600円を払い、中に入るとお寺の人が建仁寺についてのお話をして下さった。建仁寺は、栄西(ようさい)禅師(一般的には「えいさい」と呼ばれるが、お寺では「ようさい」と伝わってるそう)に開かれた寺院で、京都五山の一つにかぞえられているようです。建物は応仁の乱で焼け、嘉永年間(1848~1854)に再建されたそうです。栄西は日本に初めて、中国からお茶の種を持ち帰った人でもあってお茶の始祖だそうです。寺には茶の碑が建てられており、生垣はお茶の木だそうだ。また、栄西を慕って一緒に日本にやってきた饅頭屋の人によって日本に饅頭が広まる事となったとも言っていました。長谷川等伯の「松に童子図」や、江戸後期に京都画壇として活躍した伊藤若冲の「雪中雄鶏図」などが展示されていました。織田有楽斎(織田信長の実弟)の名席として知られる国宝「如庵」の写しと伝えられる茶室「水月亭」があります。如庵とは、入り口の位置が違うと説明を受けた。枯山水の方丈前庭と方丈東庭園、池泉廻遊式庭園の書院前庭などの庭が美しかったです。ただ、写真を撮ったら、撮影は禁止と言われたのが残念でした。もっと撮りたかったのですが、こんな写真しか撮れなかった。 京の冬の旅スタンプラリーというのがあり、スタンプを3つ集めれば、華頂、祇園鼓月「華心」、喫茶洛匠などで和菓子とお茶等のおもてなしを受けれるそうです。東山エリアでは、この両足院の他には建仁寺開山堂高台寺、高台寺圓徳院でスタンプがもらえる。妙心寺エリア、大徳寺エリアでもやってます。
2006.01.23
朝起きてまず、DVDに録っていた昨日のK-1の試合を観た。曙はボビーにも負けたか。もう曙が勝てるのは金子賢しかいない(笑)無名の所がホイスとドローか。体格も一回り小さいのに、想定外の頑張りでした。魔裟斗は予想通りの試合展開だったな。最後のKIDの試合は、早く止めすぎなんじゃないの。観終わって朝食。当然のようにお雑煮とおせちでした。それとお酒。正月は朝から酒飲んでも、怒られないのが良いですよね(笑)食事後に親に頼まれ、年賀状を作成した。いざ初詣に京都に向った。京阪電車の1DAYフリーきっぷを購入した。その時にスピードくじを引くが外れた。新年早々についていない。まあ当っても卓上カレンダーなんで、いらないですけど。三条駅のKYOUENで食事をしそれからMOVIX京都で映画を鑑賞した。今日は映画サービスデーなので、本当の目的はこっちだった。映画の開始時間に少し間があったので、新京極通をぶらぶらした。小さな寺が一杯ありますよね。木彫りの蛸を撫でると御利益があるらしい、変わった寺がありました。映画の帰りに八坂神社で初詣しました。
2006.01.01
どこに紅葉を見に行こうかな?と色々と検索してたら向日(むこう)神社という聞きなれない神社を見つけました。718年に創建され、祭神は向日神(むかひのかみ)。火雷神、玉依姫、神武天皇も祭られている古社らしい。地元では明神さんの名で親しまれていて室町時代に建てられた本殿は三間社流造という建築様式で重文。場所は阪急京都線の西向日駅から徒歩10分と嵐山に行ったついでにでも寄ってみようと思い、行って来ました。拝観料がいらないというのも心を魅かれた(笑)鳥居から本殿まで紅葉のトンネルが長く続いているがここは桜の名所なので桜の木が殆どである。楓の紅葉が好きなので、あまり気に入りませんでした。でも桜の季節は凄く奇麗なんだろうと思いました。本殿の造りは気に入りましたね。
2005.11.30
実相院を観た後に嵐山に向った。やはり嵐山は凄い人気スポットですね。平日にも関わらず大勢の観光客で埋め尽くされていた。人込みは嫌ですね~。今回の目的地は常寂光寺という所でした。その道中には見事な竹林が続いていて良い雰囲気だった。思わず『LOVERS』を思い出しました(笑)途中には縁結びで有名な野宮(ののみや)神社があります。ここは昔、伊勢神宮にお仕えする斎王が身を清められた所。源氏物語「賢木の巻」の舞台にもなったそうです。 常寂光寺は日蓮宗の寺で、16世紀末に日禎(にっしん)上人がこの地に隠棲したことにはじまる。小早川秀秋らが建立に寄与したという。本圀寺から移築された仁王門は南北朝時代の藁葺きの門で伏見城の客殿を移築した本堂、重文の多宝塔が建つ。ここは京都屈指の紅葉の名所という事で見事な紅葉でした。小倉山にあるので嵐山を一望できます。拝観料が300円と安めだから来て見ましたが大満足のお寺でした。帰りには、なかなかお目にかかれない四つ葉のタクシーを見ました。三つ葉のクローバーのマークのヤサカタクシーですが2千台の内4台だけが四つ葉のマークなんですよ。初めて見たよ。良い1日でした。
2005.11.29
紅葉狩りに行って来ました。いっぱい獲れました・・・じゃなくて撮れました。まずは赤山禅院(せきざんぜんいん)に足を運んだ。叡山電鉄修学院駅から徒歩20分程の所です。ここは比叡山延暦寺の塔頭の一つで、陰陽師の祖神泰山府君という神様が祀られている。御所の鬼門除けの役割を果たし、都七福神の一つでもある。ここの良い所は参拝料を払わないでよい所ですね。紅葉は奇麗なんですが、参道に車がずらりと駐車されていてせっかくの紅葉が台無しな雰囲気でした。近くには後水尾上皇によって造営された修学院離宮がありましたがこちらは事前に申込まないと中に入れない。続いて実相院に行きました。拝観料は500円でした。こちらは元天台宗の寺門派の単立寺院で本尊は鎌倉時代に作られたと伝えられる木造立像の不動明王。実相院は岩倉門跡とか、岩倉御殿とも呼ばれ住職を天皇家の血を引く方々が務め、格式の高い寺院である。池泉回遊式庭園と枯れ山水の石庭の2つの庭も見所ですがここは何といっても床紅葉が有名です。板の間に紅葉が映るんですよ。写真撮影は禁止というのが残念でしたね~。秋季特別展という事で三位の局像、三十六歌仙(明正天皇筆)などの展示されていました。 清子さまの引き出物としても話題となったボンボニエール展も併設されていました。太鼓や鼓に扇など様々な形の物がありましたね。 床紅葉は奇麗でしたよ~。これは見てもらわなければと思いポストカード6枚入り500円を買ったのでそちらの写真を載せます。
2005.11.28
立命館大学国際平和ミュージアム住所:京都市北区等持院北町56-1TEL. 075-465-8151 開館時間 9:30~16:30(入館は16:00まで)休館日 月曜日(月曜日が祝日の場合は、火曜日が休館) 祝日の翌日料金 400円周辺に金閣寺、竜安寺、仁和寺などの世界遺産に囲まれたこのミュージアムは立命館大学の教学理念でもある「平和と民主主義」のための研究や教育をいっそう発展させることを目的として開設された平和博物館である。地階に15年戦争と現代の戦争についての展示が1階には手塚治虫の火の鳥のレリーフがあり世界報道写真展2005のような特別展が行われる。 2階には暴力を取り除く市民の活動の紹介や無言館という戦没画学生の遺作や遺品の展示のコーナーがある。ミニ展示コーナーではベトナムの人々の写真が展示されていた。その中の枯葉剤の影響を受けた少女の写真は世界報道写真展のどの写真より心に残った。べトちゃん、ドクちゃん以上の衝撃だ。奇麗な目をした彼女は、あんな姿でも笑っている。これがアメリカの正義なんだな。何の罪も無い人を苦しめる戦争とは理不尽なものである。
2005.10.29
立命館大学国際平和ミュージアムに行ったついでに近くの竜安寺(りょうあんじ)と仁和寺(にんなじ)にも行ってみた。この2つのお寺は世界遺産に登録されてます。京都の近くに住みながら、多分初めて行ったと思います。小さい頃に訳も分らず行った可能性は否定できませんが。まず龍安寺を観ました。拝観料は500円です。この日は京都花まるチケットという京阪電車、京都市交通局京都バスが乗り放題の切符で行ったのですがそれに割引券が付いてまして450円で入れました。石庭の寺として有名ですが、あまり他には見所がなかったという印象です。次に仁和寺に行きまして、こちらは気に入りました。まず知恩院の「三門」、南禅寺の「山門」と共に京都の三大門と呼ばれている二王門(重要文化財)がお出迎えですよ。そして五重塔をはじめ重要文化財がゴロゴロありますからね。国宝の金堂もありますし、しかもこれがタダで観れるんですから仁和寺サイコー!500円を払い御殿も観ました。こちらは割引なしです。宸殿の庭が某寺より良かったですね。白砂の南庭、池泉回遊式の北庭の2種類を楽しめましたからね。OH!ファンタスティック(笑)次は御室桜の季節に来たいですね。
2005.10.28
昨日は京都へ五山送り火を見に行って来ました。京阪電車の出町柳駅で降り、京大方面へ。行くのが遅かったので、良い写真が撮れなかった。駅の方に戻ると船形が観れました。しかし、今回は次の予定があったので直ぐに退散しました。その後、京阪電車で五条へ行き、歩いて清水寺へ。千日詣に行く為である。一日の御参りで、千日詣ったと同じ御利益が授かるとされている。400円の拝観料を払い、いざ中へ。更に100円を払い、随求堂(ずいぐどう)の胎内めぐりをしました。大随求菩薩の腹の中に戻るという事になっている。実際は、真っ暗闇の御堂の中を数珠の手すりを頼りに歩いて最後に照らされた梵字を見るんですけど。暗闇の中で一点の光明を発見したとき、心身の新生を覚えるに違いないという事らしい。清水の舞台からの京都の夜景が綺麗だった。夜の清水寺は初めてだったのですが、良いものですね。しかも御利益もあるという事なので、得したな~。
2005.08.17
宇治川花火大会に行って来ました。 私は京阪沿線ですが、会場の宇治駅ではなく一つ手前の三室戸駅のアルプラザというスーパーの近くの河川敷で例年のように、花火を観ました。 出店は殆どありませんが、宇治ほど人はおらずアルプラザで食料や酒を補給する事が出来てトイレも確保、時間まで涼んで暇つぶし出来るので気に入っている。会場からは離れているが、奇麗に花火も観えますし虫が多いのは難点だが。今日は週末ではないし、最後の方は三室戸駅に向かいながら花火を観たので、スムーズに電車に乗って帰宅出来た。 最後まで観る時は、少し遠いが更に手前の京阪の黄檗駅まで歩く事にしている。そうすると結構スムーズに帰れる。
2005.08.10
車折神社(くるまざきじんじゃ)の例祭。5月の第3日曜日(今年は15日)に行われる。昌泰元年(898年)長月21日、宇多上皇が嵐山に御幸の際大堰川 で御船遊びをした事が、始まりとされています。「三船祭」の名前の由来は、白川天皇が行幸の折に「和歌」「漢詩」「奏楽」に長じたものを3隻の舟に乗せて御舟遊びをされたと言われている事から。祭の流れは、車折神社から神幸行列が嵐山に向かい乗船そして、大堰川(おおいかわ)で舟遊びする。 そして、足利尊氏の故事に因んでの扇流しをする。
2005.05.17
今日は祇園祭、時代祭と並び、京都三大祭に数えられる葵祭に行って来ました。葵祭とは上賀茂、下鴨両神社の例祭でありこの国の祭り中の祭として「枕草子」にも称えられている。 馬に乗った警察官が、先導していました。 葵祭の主役と言えば、ヒロインの斎王代(さいおうだい)であるが今年は大学生の齋藤彩子さん(21)が選ばれた。 あ~疲れた(-_-;)
2005.05.15
今日は京都へ花見に出掛けた。 まず京阪八幡市駅で下車し、淀川河川公園背割堤地区へ。約250本のソメイヨシノが、1.4kmに渡って桜並木が続く! 次に平安神宮へ行きました。紅枝垂桜のある神苑見学は600円だがクーポンを使い、550円になった。 それから地下鉄蹴上駅から、インクラインへ行きそのまま徒歩で、哲学の道へ。砂利道なので、砂埃が凄かった。今日は絶好の花見日和で、明日の天気予報は雨という事で、どこも人が一杯だった(>_
2005.04.09
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