全24件 (24件中 1-24件目)
1
ドジャースの大谷翔平選手の打席での新たなルーティンに注目が集まっている。2024年6月15日のカンザスシティー・ロイヤルズ戦の第2打席から始めたという。三塁線の延長線上にバットを置き、先端部分に左足をセットするというものだ。この新ルーティンの狙いについて、大谷選手は「一番大事なのは、同じ姿勢で同じ位置に立つことだ。そのラインの太さは球場によって違うため、少しでもずれないようにしたい」と話していた。本番前のルーティンは、フィギアスケートの羽生結弦さんも大切にされていた。コーチと何やら話をする。屈伸運動をする。スタート地点に向かって滑りだす。手を広げる。手で十の字を組む。肩をひねる。手を合わせる。そしてスタート地点に立って構える。これを毎回同じ動作を、同じリズムで行っているというのだ。合成写真を作るとほぼぴたりと重なるのである。ルーティンといえばその代表格はイチロー選手だ。イチロー選手はバッターボックスまでの歩数、屈伸、バットで足を叩く、構え方等17ものルーティンがあるという。それらが流れるように同じリズムで行われている。イチロー選手は試合のある日は毎回奥さんの作ったカレーを食べるという。そこから流れるような行動パターンが続いていく。球場入りの時間、入ってからの試合が始まるまでのストレッチ、練習なども、同じ時間にルーティンどおりに行われているという。これをプレパフォーマンスと言うそうである。なぜ彼らはプレパフォーマンスをことさら重視しているのだろうか。私は無意識の行動を意識しているのだろうと思う。人間は不安を感じると前頭前野で検討や詮索を始める。びっくり辞典によると、人間は1日1.2万から6万回も前頭前野で考え事をしているという。いざこれから本番というときに、前頭前野で考え事をしていると、練習で100%完全に仕上げたとしても、失敗したらどうしようと考え始めるので、よいパフォーマンスは出せない。普通は行動によって新しい感情が発生する。でも次の行動に移らなければ、その時発生した感情が頭の中に居座ることになる。しばらくの間その時の感情と交流することになるのである。これが「とらわれ」の原因となる。「とらわれ」は新しい行動によってほとんど流れ去ってしまう。しかし新しい行動が用意されないと、流れなくなってしまう。同じ感情が居座り強化されてしまうのである。それが精神交互作用によって泥沼化したものが神経症である。我々がこの話から学ぶことは何か。毎日の生活をルーティン化することである。つまり規則正しい生活をおこなうことである。毎日同じ時間に同じ行動をしていくことである。無意識に体が動いていく生活をすることである。別の日の行動を重ね合わせてみると、同じ時刻の行動はぴたりと一致するという生活を送ることである。すると一つのことにとらわれることがなくなる。とらわれても比較的早く流れていく。神経症に陥ることがなくなる。行動の変化を意識すると、新たな気づきや発見が増えていく。課題や目標が明確になり、生きる楽しみが生まれてきます。
2024.06.24
コメント(0)
森田理論のなかに両面観という考え方があります。壁にぶつかって動きが取れなくなったとき、両面観や多面観を活用すると打開策が見つかることがあります。とらわれているときは、先入観、思い込み、決めつけ、早合点で視野が狭くなり、両面観の活用がおろそかになっています。そういうときのために、次の項目をコピーして忘備録として手元に置いておくか、あるいは壁に貼り付けておくことをお勧めします。視点を変えることができれば問題解決のヒントが見つかることになります。・鳥の目・・・地上から空に舞い上がり全体を見るようにする。・虫の目・・・今一度問題点を掘り下げて考えてみる。・魚の目・・・周りの状況や流れを分析してみる。・コウモリの目・・・順序や上下ひっくり返して違う角度から見てみる。ちなみに私は森田理論を学習する時に「森田理論の全体像」を意識しています。これは「鳥の目」から森田理論を見ることになります。森の中に入って1本1本の木を観察することも必要ですが、それは森田理論の全体を把握したうえで学習すると理解度が深まります。関心のある方は、2017年9月3日の投稿記事をご参照ください。目的や目標に向かって歩き出しても、壁にぶつかって右往左往することがあります。そんなときは次のような視点から見直してみるようにしたいものです。・自分一人で無理なら、他人の智恵と力を借りる。・専門家の意見を聞く必要があるなら専門家に依頼する。・時期が悪ければ、適当な時期がくるまでじっと待つ。・資金が足りなければ、先に資金を作る。・やり方が悪ければ、やり方を変えてみる。・今とは逆の立場に位置を移動してみる。ダメだ、もう無理だ、限界だとすぐにあきらめてしまうのはもったいないと思います。両面観を活用して、ゼロベースで改めて見直すように心がけましょう。何らかの打開策が見つかるはずです。
2024.06.23
コメント(0)
5月の生活の発見誌に札幌医科大学の田所重紀医師が「笹舟モデル」を紹介されている。源流から大海原へと注ぐ川を想定すると、源流から大海原へと至る大きな流れが「欲望」であり、その過程にある川の蛇行部や、岩や流木などの障害物の周囲に生じる小さな流れが「感情」に例えられます。人間はこの川に浮かべられた笹舟に喩えられますが、小さな局所的な流れとしての「感情」に身をゆだねて巧みに障害物を避けつつ、大きな大局的な流れとしての「欲望」に沿って大海原へと流されていく有り様こそ、「あるがまま」が表現する理想的な心理的状態だというわけです。このように考えていくと、森田療法とは、「はからい」と「とらわれ」の悪循環から離脱し、この「あるがまま」の状態を体得し、それを維持するための精神療法だということになります。田所先生は、「すなおにはからい、とらわれまくる」と指摘されています。気になることには、一旦はきちんと注意を向けていくことだと思います。但しそのまま注意を一点に向けたままにしてはいけません。車の運転中、左にカーブしているところでは左の白線に注意を向けています。右カーブでは中央の白線(あるいは黄線)に注意を向けています。交差点で右折するときは、信号、対向車、交差点の人の動きなどに注意を向けています。他のことを考えながら、うわの空で運転していると事故につながります。ここで肝心なことは、一つの安全確認が終わったら、次の気になるところに注意を移すことです。いつまでも同じところに留まっていてはいけないのです。晴天の日に拡大鏡で太陽の光を一点に集めると、新聞紙はすぐに燃え上がってしまいます。ある特定の不安や不快感に注意を集中していると、火事になってしまうこともあります。つぎに神経症的な不安の裏には欲望があると言われています。これらの不安には手を付けないで、裏側にある生の欲望に力を入れていく。そのためには、規則正しい生活習慣を確立することから取り組むことをお勧めします。毎日同じ時間に同じことをするというルーティンワークを確立することです。起床時間と就寝時間を厳守することから始めましょう。土曜、日曜日、祝日は、普段メモしておいた懸案事項に取り組む。心構えとしては、凡事徹底に取り組む。物そのものになって一心不乱に取り組む。気づき、発見、工夫、改善点が見つかるようになるとしめたものです。「あるがまま」の体得は、このような手順で身に着けていくものだと思っております。
2024.06.22
コメント(0)
生活の発見誌2024年5月号の記事の紹介です。森田先生は40歳の主婦の心臓神経症を一朝に治した。私ははじめその患者を往診したのであるが、早速、次の日曜日には、私の家へ患者が一人で来るように約束したのである。患者は実に21年目の外出である。患者は外出すれば必ずその家の玄関まで来て発作が起きるということである。すなわち私は、その発作の状態を一度私に見せてもらいたいというのである。次の日曜日患者は2里ばかりの途を一人で自動車でやってきた。その日の朝、家を出る少し前から軽い発作が起こったが、私の家に来て午前から夕方まで留めおいて、その発作を起こさせるように追い立てたけれども、思うとおりに少しも発作が起こって来ない。私は予め、その患者が私の家に来ればけっして発作が起こらないことを知っている。患者はまた次の日曜には、朝から今度は一人、電車で私の家に来るように約束した。心悸亢進発作、死の不安等の患者には、自ら進んでその発作を起こすような境遇において、その発作を起こすような境遇において、その発作を起こさせ、その発作の状況を自ら見つめ、精細に観察させることによってこれを治し、けっして再発しないように全治させることができる。私が実験したこんな例ははなはだ多数にのぼっている。勇気ある患者は、10年の心悸亢進発作が、1回の私の診察によって全治し、思いきってこれのできない人は、私の監視の下にこれをやり、怯懦で聞き分けのない人は、入院療法30日以内で全治することができる。その他種々の強迫観念において多くの場合に、この心理を応用することができるのである。なお強迫観念というのは、ある感覚・感情を排除しようするときに起こってくる葛藤状態のことを言います。精神的な苦痛を伴い、生活上の悪循環が始まります。
2024.06.21
コメント(0)
否定的な言葉を口にしていると、行動に抑制力がかかります。積極的、生産的、建設的、創造的な行動に向かいません。それは脳内をノルアドレナリン主導の防衛系神経回路が駆け巡っているからです。ドパミン主導の報酬系神経回路が作動するように、否定的な言葉から肯定的な言葉に切り替えていく必要があります。否定的な言葉ダメだ、イヤだ、無理だ、クソッたれ、つまらない、仕方ない、面白くない、大変だ、ダルイ、疲れた、しんどい、やりたくない、運がない、ツキに見放された、恥だ、恥ずかしい、できそうもない後悔でいっぱい、悪夢にうなされる、自分のことがイヤでたまらない肯定的な言葉いいぞ、いいね、すごいぞ、面白そう、ラッキーだ、最高だ、楽しそう、いい感じ、よかった、チャンスだ、大丈夫、何とかなりそう、チャレンジしたい、リベンジできる、ツイているぞ、やる気満々、絶好調自分は存在しているだけで十分価値がある 後悔は一文の得にもならない。次に同じ失敗を繰り返さないようにすることが肝心です。さらにミスや失敗を開示して、注意喚起を行えば100文の得になる。雨降って地が固まる、失敗は成功の元、能力が高まる、人間として成長できる。自分がいつも口にしている否定語は何かを整理してみましょう。それを打ち消して効果がありそうな肯定語を2つ3つ選んでおきましょう。否定語が口癖になっているのはどうしようもありません。口走ってしまったら2022年10月1日に紹介した「イエス・バット」法を活用しましょう。これは否定語を一旦そのまま「イエス」といって肯定します。次にそれを「バット」で打ち消すのです。イヤだなあ、しんどくてやる気がしない。でも、そんなことをすると、暇で退屈になるよ。イヤイヤながら手を付けると弾みついてくることもあるよ。成功すれば自信にもなる。たとえ失敗しても貴重な経験ができるよ。切り替えるときに動作を決めておくようにする。例えば、「手をたたいて、今のはなし!」「親指を立てて、よし!」あるいは、背筋を伸ばす。口角を上げて笑顔を作る。できれば鏡で確認する。「大丈夫、命まではとられない!」「挑戦してみよう!」
2024.06.20
コメント(0)
まず「現在になりきる」という面があります。目の前のことや他人から依頼されたことに対して、一心不乱に取り組むということです。そうすればあっという間に時間が経ちます。森田先生はお使い根性の取り組み方は厳しく指摘されています。「ものそのものになってみよ。天地万物全て我が物」と言われています。指示されたからイヤイヤ仕方なくするというのは、最初の段階では仕方ない面があります。でもいつまでもそのような気持ちで取り組んでいると、いつまで経っても意欲的になれません。依頼された人から感謝されるようなことにはならないと思います。「現在になりきる」ための取り組み方あります。何か問題点や課題はないか、改善点や改良するところはないかという視点を持って取り組むようにすることです。どんな小さなことでも構わない。気づきや発見が見つかったら多少面倒でもすぐにメモしましょう。そうしないとせっかくの宝物が忘却の彼方へと飛んで行ってしまうからです。「現在になりきる」というのは、森田が目指していることです。もうひとつの側面は、「苦痛になりきる・弱くなりきる」ということです。苦痛や恐怖になりきるとは、その苦痛をそのまま忍受することです。取り除いたり、逃げたりしないで、苦痛や恐怖と一体になるということです。反抗しないで受け入れると、不安や恐怖は張り合いをなくして急速に遠ざかっていきます。苦痛や恐怖は台風と同じような自然現象なので手出し無用です。しかし、不安や恐怖を受け入れられないから、神経症になったのに、それを受け入れなさいというのは無茶なことだと反発したくなります。この点について森田理論は、神経症的な不安や恐怖の裏側には、欲望が隠れていますよ教えてくれています。「苦痛になりきる・弱くなりきる」ためには、自分の「生の欲望」を見極めて、そちらの方に注力するようにすればよいのです。神経症の人は、どうすることもできないことに時間と精力をつぎ込み、手掛けなければいけないことを軽視、無視する傾向があります。これを逆転させれば万事うまく収まります。
2024.06.19
コメント(0)
落語家の立川談四楼氏のお話です。古典落語は200も300もあるそうですが、昭和の名人に先代桂文楽がいました。普通の落語家は古典落語を次々に覚えて芸の幅を広げます。桂文楽は100くらいの噺を覚えた後は、その数を増やさなかった。その代わり自分の覚えた噺を磨くことに心血を注いでいた。ネタはすべて18番だった。うなるほどうまかった。しかも20分の噺を演じると、20分きっかりで下りてきました。精密機械と噂されていました。談四楼氏の師匠は立川談志師匠ですが、その談志がこう言ったことがあります。「恐ろしいのはコツコツやるやつだ。一つのことを30年やったやつにはかなわねえ」先代桂文楽師匠のような人を見ていて、つい本音を吐露したのでしょう。(落語家のもの覚え 立川談四楼 ちくま文庫)この話は神経質性格者にとってとても役に立つ話です。我々は細かいことによく気が付きます。生の欲望も強い。失敗の原因をするどく分析する能力も持っている。また強い執着性を持っています。それらの性格をプラスに活かすようにするとよいと学びました。仕事でも趣味でも何でもいいのですが、これはおもしろいというものを一つだけ見つける。私の場合でいえば、日記を書くこと、集談会に参加すること、そしてこのブログの投稿です。毎日投稿してもう12年目に入っています。目標はこの先18年間継続することです。毎朝6時20分には起床してブログを作ることが習慣になりました。規則正しい生活習慣が確立して、朝頭のさえた時間帯を有効活用できるようになりました。読書量が増え、文章作成能力も高まりました。さらに森田理論をより深く深耕することができるようになりました。自分のために始めたことが、人の役に立つ活動に変わってきました。森田理論を仕事や生活面に活用・応用することもできるようになりました。皆さんもそれぞれ課題や目標を持って生活されていることと思います。まだの方は今からでも遅くはありません。思い立ったが吉日。これはというものを探してみませんか。水谷啓二先生は、「我々神経質者は風雲に乗じて成功を収めるタイプではない。平凡を20年、30年と積み重ねると極めて稀な非凡な人となれる」と言われています。高良武久先生は10年一つのことに取り組むと誰でもその道の専門家になれる。それが自信になって神経症の克服に向かうと言われています。よい習慣は3ヶ月で身につくと言われています。規則正しい生活習慣から取り組むことをお勧めしたいと思います。
2024.06.18
コメント(0)
落語家の立川談四楼氏のお話です。師匠の立川談志は、とても理不尽な上司でした。ある時こんなことを言われました。薬局がとっくに閉まっている真夜中に、「今すぐ、風邪薬を買ってこい」と命じる。その理不尽な要求に対して、弟子がどう対応するかをじっと見ているのです。普通、理不尽で非常識な師匠の言葉に対して、精一杯反抗するでしょう。言い訳を考える。感情を爆発させる。出かけて、時間稼ぎをしてごまかす。こんな師匠についていては、自分の将来はないと師匠の下から逃げ出す。談志師匠にとっては、そんな弟子には用はないわけです。落語家の場合、理不尽なことだらけ、矛盾だらけです。そこから逃げ出さないで、落語家になる夢を追い求めている。そこをクリアーしていない落語家は、面白みのある噺ができない。談志師匠は理不尽にきちんと向き合い受け入れる人は落語家はなんともいえない人間味、味わいを作り出すと考えているのです。立川一門からは、人間味のある落語家を育てるという固い決意の表れだったのです。付き人や前座の仕事を無理やりやらされていると思っているような人は、徹底してこき下ろしました。逆に貴重な体験をさせてもらっていると思って、ていねいに取り組んでいる人は、引き立ててくれるのです。実際そういう人がどんどん伸びていくのを目の当たりにしました。落語家になるための登竜門として「矛盾に耐えろ、そこからエネルギーがうまれる」というのが談志師匠の口癖でした。この話は、森田理論に通じる貴重な話です。巨大地震や土砂災害に遭う。あおり運転や詐欺にあう。ガンや交通事故、大惨事、凶悪事件に巻き込まれる。上司から過大なノルマを与えられて叱咤激励される。上司の不祥事の責任を取らされる。紛争や戦争に巻き込まれる。必死に頑張ったのに目的が達成できない。「どうして自分だけがこんな目に合わなければならないのか。神様は血も涙もないのか」理不尽に耐えかねて不平不満やグチをこぼすことは誰でも経験があるでしょう。苦し紛れに一時的な安心を求めて、観念優先で事実を捻じ曲げる、否定する、逃げ出してしまう。その結果楽になるどころか益々葛藤や悩みを深めてしまう。「矛盾に耐えろ、そこからエネルギーがうまれる」という言葉は、森田でいうと観念で是非善悪の価値批判をするよりも、事実にきちんと向き合いなさい。受け入れなさいということだと思います。理不尽な事実を出発点にして、目標や課題を追い求めていきなさい。これは不安や恐怖に対する森田の考え方と同じです。立川談志師匠は森田のポイントを理解していた人だと思います。
2024.06.17
コメント(0)
森田先生曰く。富士山で強力のような仕事をしている人は、仕事を始めたときは1週間くらい足が痛くて便所でかがむこともできないくらいの痛みが出てくる。そこであきらめてしまっては仕事にならない。その痛みに耐えて仕事を続けていると、痛みがなくなりシーズンを通して仕事ができるようになる。この話は耐えがたい痛みがあっても、そのまま我慢して仕事をしていると、痛みがいつの間にか消えていく。足が痛くてつらいので回復に専念するという態度になると仕事にはならない。目の前にやらなければいけないことがあっても、自分の都合を優先するというのは気分本位の態度である。しんどい、辛い、やる気にならないということは仕事や生活の中でいくらでもあります。しかしこれらの感情や気分に振り回されてしまうと、生活が後退し、怠惰な生活となる。安易に人に依存するようになる。観念的になり、内向きで思考が空回りするようになる。人間関係も希薄になり、次第に孤立してくる。坂道を転がる雪だるまのように、観念と生活の悪循環がどんどんと拡大していく。どんなに気分が行動することを拒否しても、必要なときに、必要に応じて、必要なだけの行動をこなしていくことが肝心です。気分本位を吹き飛ばすためのとっておきの方法があります。たとえば月曜日の朝は誰でも会社に行くというのは気が重いものです。喜んで会社に行くという人もいるでしょうが数としては少数派でしょう。ではどうすればよいのか。まずA4用紙を用意しましょう。その左右の真ん中に線を引きます。上下のまん中にも線を引きます。4等分するのです。次に左側の上に「行動した場合」のメリットを書きます。その下にデメリットを書きます。次に右側の上に「行動しなかった場合」のメリットを書きます。その下にデメリットを書きます。これを分析するのです。(例)月曜日の朝、どうも気が重いので仮病を使って仕事を休むことにしたい。1、 その気持ちを行動に移した場合のメリット 重苦しい気持ちが無くなる。一瞬気が楽になる。2、 休んだ場合のデメリット仕事が2倍にたまって明日がしんどくなることが予想される。当面の自分の仕事を他の者が手分けをしてやることになる。他人に迷惑がかかる。次の日不平や不満が出ることが予想される。パジャマのまま寝ていたら退屈になってくる。みんなが仕事をしているのになんと自分は情けない人間なのだろうと自己嫌悪に陥るかもしれない。家族の生活をどうして支えていくというのか。3、 気は重かったが休まないで出社した場合のメリット気は重かったがとりあえず身支度をして会社に向かった。会社に着いて仕事を始めたがなんか体が重い。昼過ぎまではボツボツならし運転程度の仕事ぶりだった。昼ご飯を食べた後少し眠くなった。それを過ぎると少しずつ仕事モードに切り替わっていった。帰る頃には普段の仕事のリズムがなんとか取り戻せた。休んでしまうと火曜日がそんな状態になり1日分無駄になる。4、 休まなかった場合のデメリット気が重いという気持ちを持ちながらしかたなく準備を始める。イヤイヤ足を引きずるようにして会社に向かうという選択。こちらの選択が好ましいと感じた。休まずに出社したことの大きなデメリットは思い浮かばない。この4つを書き終えたらよく比べてみる。1は瞬間的には気が楽になる。でもあとで気が重くなり後悔するようになる。2の選択は悪いことばかりになってしまう。3は最初注射針を差し込まれたような痛さはあるが、総合的に判断してみるとこれでよい。4は一時の気分に振り回されて安易な方向に向かわないほうがよいと改めて感じる。
2024.06.16
コメント(0)
落語家の立川談四楼氏のお話です。落語家というのは、付き人見習い、付き人、前座、二つ目、真打と昇進していく。大まかにいうと、付き人は1年から2年、前座は5年、二つ目は8年から10年、真打は15年くらいかかる。なかには前座から2つ目に昇進できない人もいる。一人前の落語家として扱われるのは、二つ目からです。付き人見習い、付き人、前座はひたすら修行の毎日です。挨拶、掃除、片付け、お茶くみ、鞄持ち、車の手配などをこなす。談四楼氏は談志師匠から、着物のたたみ方、現場でのルール、談志の好みなど徹底して教え込まれた。落語の修行をしたくても、落語の稽古をつけてもらうことはない。師匠の側にいて、立ち振る舞いや気配り、芸を覚えるということになる。1年ほど経った頃、寄席に出入りする落語家やその他の芸人の世話をする仕事をするようになった。下足番、上着の着脱、受け取り、ハンガー掛け、お茶出し、高座返し、太鼓叩き、タバコを買いに行く・・・。寄席には落語家だけではなく、漫談師、漫才師、手品師、曲芸師などがやってきます。この人たちの名前を憶えて、それぞれの好みに合わせた的確な対応をする仕事です。たとえば、お茶出しでいうと、まず出すタイミングがある。そしておいしいお茶を入れることが求められる。お茶出しをついうっかりして、忘れていたというのでは話にならない。熱いお茶を好む師匠もいれば、ちょっと温めのお茶を好む師匠もいる。きちんとこなしていると、師匠から評価されるようになる。度重なると、「今度、ウチにいらっしゃい。稽古をつけてあげるから」と言ってもらえる。ここで「落語修行をしているのに、なぜお茶くみや雑事なんかをしなければならないのだ」という気持ちで取り組んでいると、いつまで経っても声はかからない。前座時代の落語修行ですが、基本と基礎を固める時期です。前座は決まった文句のマクラしかやってはいけないのです。古典落語もアレンジを加えてはいけない。基本を忠実にこなすしか道はない。才能があれば、個性を発揮して、お客様が喜ぶような噺をしてもよさそうに思うが、そこをぐっと我慢して基本を固めることに専念しないといけないのです。基本に徹して基礎を固めることで、初めて応用とステップアップが可能となるのです。(ほめる力 立川談四楼 学研参照)順調にいけば6年から7年ほどでプロの落語家である二つ目になれる。プロ野球でいえばドラフトで指名されてプロとしての第一歩をふみだすことができる。これをもとにして森田理論学習の進め方を考えてみましょう。私は基本と基礎固めに3年を見ています。1年目は森田理論学習のテキストに従って森田理論の基礎を固める。神経症とは何か、神経症の成り立ち、神経質性格の理解、感情の法則の学習、認識の誤りの学習、行動のポイントの学習、治るとはどういうことかの学習、森田の特殊用語の学習などである。基本と基礎が確立していないと型無しになってしまいます。2年目は森田理論の全体像の学習に進む。森田理論には4つの大きな柱がある。不安の役割・不安と欲望の関係、生の欲望の発揮、「かくあるべし」発生と弊害、事実本位の態度の養成である。それぞれの深耕と相互の関連性の学習です。3年目は森田理論の活用と応用です。自分に引き寄せて考えることです。その際集談会の学習仲間や先輩会員を大いに活用していく。このプロセスを踏んで森田に取り組めば約3年で立川談四楼氏のいうプロの二つ目になれる。オリンピックのマラソンでいえば、国内予選を勝ち抜いてスタート地点に立つようなものです。メダルが取れる可能性が出てきたということです。
2024.06.15
コメント(0)
国民栄誉賞を授与された松井秀喜さんが、巨人からニューヨーク・ヤンキースに移籍したばかりの頃の話です。当時の松井選手は、極度のスランプに陥っていました。ホームランを期待されてヤンキースに入団したのに、試合ではいつもボテボテのゴロばかり。手厳しいことで知られるニューヨークのマスメディアは、そんな松井選手を「ゴロキング」と呼んで連日酷評しました。ある記者から「ゴロキングなどと叩かれて気にならないか」と聞かれた際に、松井選手は平然として次のように答えたのです。「まったく気になりません。記者さんたちが書くことは僕にはコントロールできません。僕は自分でコントロールできないことには興味を持たないようにしているのです」松井選手は「自分がコントロールできないこと」を気にしていると、自分のパフォーマンスを落とすだけだと熟知していたのでしょう。そして、練習で打撃技術を高める。筋トレで体を鍛えるといった「自分がコントロールできること」に注力して結果を出そうとしていたのではないでしょうか。(脳の老化を99%遅らせる方法 奥村歩 幻冬舎 155ページ)松井秀喜氏がこのような認識を持っていたことに驚きました。森田理論を学習している私たちもぜひ見習いたいところです。森田では不安などの感情は自然現象であり、人間の意思の自由は効かないと学びました。神経症的な不安は、強い欲望を持っているから生まれてくるのだというとらえ方をしています。逆に現実的な不安はコントロール可能です。これには積極的に取り組む必要があります。例えば、地震が来たらどうしようというような不安です。こういう不安を感じたら、家具などを固定する。非常食やミネラルウォーターや防災グッズを用意しておく。避難経路を確保して、地震訓練に参加してみる。地震保険を検討してみる。手をつけることはいくらでもあります。これ以外にも、現実的な不安は次々と待ち構えています。そちらの方に注意や意識を向けて、対策を立てて実行することが肝心です。特に日常茶飯事に手を抜かないで、真剣に向き合うことが大切です。「凡事徹底」は森田的な行動のポイントです。神経症に陥ると、現実的な不安に手を抜いて、コントロールできない不安と格闘しているのです。やることなすことが逆になっているのが大きな問題です。
2024.06.14
コメント(0)
「ケンタッキー・フライド・チキン」のカーネル・サンダース氏は元々レストランのオーナーでした。65歳の時、レストランのある国道から少し離れた場所に、新しいハイウェイができて客が激減してレストランは倒産しました。絶体絶命の立場に立っていたのです。こんな状況に追い込まれれば、誰でも自暴自棄になります。カーネル・サンダースは「店舗がない」ということは、「自由に動ける」ことだと考えたのです。店舗に縛られないので、自由に他の店舗に営業に行き、「フライドチキンのレシピを売る」商売へ転換したのです。レストランを経営しているだけだったら、チキンのレシピを売る、という発想は思いつかなかったでしょう。この短所を長所に変える発想により、全世界で1万店舗を超える「ケンタッキー・フライドチキン」が誕生したのです。この方法はセブンイレブンを始められた鈴木敏文氏の発想法に似ています。店舗は自分では持たない。店舗はそれぞれのオーナーのものです。セブンイレブンは、販売手法に特化してそのノウハウを開発して販売しているにすぎません。店舗をもないで、店舗の運営、品ぞろえ、物流に特化するという自由な発想は従来にはありませんでした。店舗がないのに、どうして商売ができるのだという先入観を持っていると逆転の発想は生まれてきません。パソコンの販売を手掛けているデルも同じです。工場を持たない。販売網も持たない。そんな状態で成功した会社です。パソコンの基本設計を行い、それを格安で組み立ててくれる提携工場を世界中で探す。つまり製造はすべて外注に出しているのです。そして注文はインターネットで世界中から直接受ける。だから販売する店舗は要らないのです。そういう仕組みを作り上げたのです。その結果格安のパソコンが出来上がってくる。従来は自前で工場を持ち、販売チャネルを整備して初めて商売が成り立つと考えられてきたのです。短所と長所は、コインの裏表のように、すぐに入れ替わってしまう関係にあるということを再認識したいと思います。弱点や欠点の裏には、素晴らしい強みや長所が隠れているのではないかと両面観で分析してみることが大事になります。普通は自分の強みや長所に焦点を当てて、その部分を伸ばしていくことだけを考えています。弱点や短所から自分を活かしていく道もあるということだと思います。こういう自由な発想ができると人生に希望が持てるようになります。(人を動かす質問力 谷原誠 角川新書 参照)
2024.06.13
コメント(0)
柏木哲夫医師はホスピスで多くの患者さんを看取られました。今までの人生の中で、数多くの小さなミスや失敗を経験した方は穏やかな死を迎えることができると言われている。興味深い話です。それはなぜなのか。柏木哲夫医師曰く。いわゆる庶民と言われるような人々は、辛いことを何回も乗り越えてきている。言い換えると、庶民は「小さな死」の体験者なのである。小さな死というのは、例えば、手に入れようと思った何かが手に入らなかったりしたということです。失恋、失業、倒産、病気、仕事上の問題、家族の問題、会社の人間関係なども「小さな死」と考えれば、人間は「小さな死」をたくさん経験しながら、「本当の死」を迎えるのである。ずっとこの「小さな死」を体験してきた人、つまり「小さな死」で訓練を積んできた人は、自分にとって一番不都合な「大きな死」である「本当の死」をそれなりに受けいれられる。「小さな死」を体験したことがない人は、「大きな死」も受け入れにくい。ずっとエリートコースを生きてきた上場企業の企画部長さんを看取ったことがあるが、大変だった。行きたい学校へ行き、地位と名誉と財産を築きながらも、初めてうまくいかなかったのが、自分の命が57歳くらいの若さで亡くなるということだったのです。普通の人も死を受けいれることは大変ですが、挫折の経験がほとんどない人は、それ以上に大変なことになるのです。(人生の実力 柏木哲夫 幻冬舎)私は対人恐怖症で苦しみました。劣等感で苦しみました。仕事でも躓きました。管理職としての職責を果たせませんでした。子育てに失敗しました。良好な人間関係とは無縁の生活を送ってきました。それは嫌なこと、辛そうなこと、面倒なこと、失敗が予想されることから逃げ回ってきたからです。社会体験不足のまま大人になってしまった。気分本位の生活は逃げ回ると一時的には楽なります。ところがその後暇を持て余すようになりました。そのむなしさを埋めるために刹那的な快楽を追い求めてしまう。気持ちが内向きになり、自己嫌悪、自己否定で苦しむようになりました。そのときは、高良武久先生のいわれる適応不安で苦しむことになるとは夢にも思いませんでした。砂を噛むような味気ない人生に甘んじるようなことになってしまいました。集談会で、人間は3000回の失敗の体験を積み重ねて、まともな大人に成長するという話を聞きました。ミスや失敗を目の敵にする人が多いのですが、それは憎むべき相手ではなく、自分という人間の器を大きくしてくれるものだと気づきました。ミスや失敗を忌み嫌っているといずれ後悔するようになります。歳をとって悪夢で苦しむようになります。逆にミスや失敗を今後の反省材料として活用できるようになれば、こんなに役に立つものはありません。同じようなミスや失敗をしなくなるからです。また成功するためのコツやノウハウを身に着けることができます。ミスや失敗の経験が少ない人は、今後の生活で取り戻すしかないと思います。ミスや失敗が予想されることにもあえて挑戦してみる。そしてミスや失敗の数をどんどん増やしていく。1ヶ月に10個経験できれば、1年で120個、10年で1200個、25年で3000個の目標が達成できます。日記に書いて集計していくというのは如何でしょうか。ミスや失敗を大いに喜ぶ人間になることを目指したいものです。
2024.06.12
コメント(0)
2024年2月17日、国産H3ロケットの打ち上げに成功した。これは第一回目の打ち上げ失敗から実に348日ぶりの快挙であった。第1回目は第2エンジンに点火しなかったため失敗に終わっている。この間、なぜ第2エンジンに点火しなかったのか、その原因をゼロベースで洗い直した。そして7つの原因に絞り込んで何回も実験を繰り返した。その中に点火装置に過電流が流れると、点火装置がオンにならないと指摘した人がいた。指摘した人は研究チームの外部の人で、電気回路の専門家であったという。この指摘は、過去H2A、H2Bの打ち上げのときに、全く問題視されることはなかったので、うっかり見過ごされるところでした。もしかしたらという気づきをもとに1000回ほど実験を繰り返したという。その結果、これは原因の一つとして排除できないという結論に達し、改善に取り組むことになった。失敗を真摯に反省して、改良・改善に取り組んだ結果、第2回目は第2エンジンに無事点火した。またそれ以外のすべてのミッションも成功した。JAXAのH3プロジェクト電気班責任者の小林泰明氏は次のように語っている。失敗するとめちゃくちゃ勉強になる。そういう勉強の機会を与えるために、失敗があるのかと思う。失敗することによって、蓄積される経験は、ただただ成功しているよりも、はるかにかけがえのないものをもたらす。ここで肝心なことは、失敗を失敗で終わらせないことです。JAXAのH3プロジェクトマネージャーの岡田匡史氏は次のように語っている。神様でない以上100%はありえない。確率の問題なのか、としか言いようがない。大きなどん底から、未来に向かって一歩一歩進んでいくことが大事です。迷っても仕方ないことには迷わない。自分は迷いなくシンプルにこの道を歩いてきた。目標が明確になれば、途中で厳しい状況に出会っても乗り越えることができる。これでロケット打ち上げ分野で世界と勝負できる基礎作りができたという。この話は神経質者にとってとても参考になる話だと思いますが如何でしょうか。
2024.06.11
コメント(0)
今日は「ダニング・クルーガー効果」を取り上げました。これは、1999年にこの効果を定義したコーネル大学のディヴィッド・ダニングとジャスティン・クルーガーが提唱した認知バイアスのことです。「能力の高い人は、自分の能力を過少評価する。逆に能力が低い人は、自分の能力を過大評価しやすい」たとえば、平均点50点のテストがあったとします。普通、平均点以上の人は、みんな自己評価が高いはずだと思います。特に高得点をとった人はうれしいはずです。反対に平均点以下の人は、意気消沈します。自己評価は当然低いはずだと考えやすい。この認識は逆だというのです。現実を見るとそれがよく分かるというのです。平均点以上の人は、「自分はまだまだだ。こんなものではない」と思ってさらに努力精進を重ねる。さらなる成功体験で自信をつけて、もっと点数を伸ばしたくなる。次の新たな目標を再設定して、そこに到達しようと努力を開始する。つまり緊張の糸が途切れていない。大脳でいうと報酬系神経回路のスイッチがオンになっている。ドパミンやβエンドルフィンがA10神経系を走り回っているという状態です。やる気と緊張感が好循環している。平均点以下の人は、「自分はこんなものだ。これが限界だ。これ以上は無理だ」と思ってそれ以上努力しなくなる。平均点以下の人は、不十分な結果に発奮するというよりも、あきらめに近い心境になる。物足りない成績ですから、やらなくてはと思って自分を叱咤激励しても全くやる気が出てこない。大脳ではドパミン主導の報酬系神経回路の活動が停止されているので無理もありません。大脳がノルアドレナリン主導の防衛系神経回路に切り替わって駆け回っているのです。緊張感が弛緩状態に変わり、行動は抑制的に作用している。いくら自分を鼓舞して、「努力しなければ」と思っても、本音の部分が逃げ腰になっているのです。成績の悪かった人は、やる気が萎えてしまったということです。やる気が出ないのは本人のせいにしてしまうのはかわいそうです。脳の働きが抑制的に働いているだけなのです。脳の仕組みが理解できたら、報酬系神経回路を活性化することを考える必要があります。そのためにどうするか。神経質者はマイナス思考、ネガティブ思考が習慣化していますので、行動から変えていくことをお勧めします。森田理論の「生の欲望」を刺激していくことです。規則正しい生活と凡事徹底に取り組むことをお勧めいたします。ルーティンワークを確立して、同じ時間に同じことをしているという習慣を作るようにするということです。まずは起床時間と就寝時間を一定にする。特に起床時間を例えば6時と決めたら必ず守るようにする。そのためには、朝起きてやるべきことを決めておく必要があります。そうしないと3日坊主で終わってしまう可能性が高くなります。最初はしんどいと思いますが3か月すると自然に起床できるようになります。しんどいことはパスしたいといって妥協してしまうと、すぐに緊張の糸が切れて、弛緩状態に陥り、味気ない人生に転落してしまうということを肝に銘じて生活したいものです。
2024.06.10
コメント(0)
人間は誰でも「めんどうだ」「おっくうだ」「やる気が起きない」「しんどい」「だるい」「眠い」「不安でいっぱいだ」「体がうごかない」「無駄なことはパスしたい」「楽をしたい」などという気分本位に振り回されてしまうことがあります。その気持ちを押しのけて、我慢して行動すればよい結果が生まれることはよく分かっているのですがなかなか行動にふみきれない。そして後で後悔するようになる。ではどうすればよいのか。よい方法がありますのでご紹介いたします。森田先生は次の日が楽しみな遠足というときは、自然に時間になれば目が覚める。ただちに準備に取り掛かることができると言われる。作家の人などは、前の日に文章を途中まで書いて止めておく。例えば、「私は」と書いて、止めておくと次の日は早速筆が運ぶという。これらは、目標や目的を意識しているために、すっと行動に入っていけるということだと思います。私は土日、祝日が休みですが、金曜日までにはやるべきことややってみたいことを紙に書きだしています。休日は充実感とともにあっという間に終わってしまいます。これは「呼び水」を入れるという方法です。井戸水を組み上げるときは、最初に呼び水を入れてポンプを漕ぎます。すると、呼び水がきっかけとなって、水を汲み出すことができます。つぎに2022年2月号の生活の発見誌に「皮切り」という記事がありました。外科の手術でも皮膚を切るときだけが痛く、その後は何ともないものです。熱いお湯に入るときもちょっとはじめがつらいだけであります。神経質のいろいろな症状に悩んでいる人にとっても、この「皮切り」が大事で、ちょっとはじめに思い切ってやってみれば、なんでもなくできることが分かるのであります。さらに良いのは、ルーティンワークの習慣を作ることです。規則正しい生活を確立すると「この次は何をしようか」と考えるまもなくすっと体が動いてくれるようになります。同じ時間に同じことをするという生活はリズムのある生活となります。適度に前頭前野を休ませることで脳がヒートアップすることを防止できます。
2024.06.09
コメント(0)
「動物学校」というリブズ博士の書いたおとぎ話があります。昔々、動物たちは、新しい世界の様々な社会問題を解決するために、何かしなければならないと考えて、学校を設立することにした。科目は、かけっこ、木登り、水泳、飛行であった。学校を円滑に運営するために、すべての動物にこれら4科目の履修が義務付けられた。アヒルは、水泳の成績は優秀だった。先生よりもうまかった。飛行もいい成績だったが、かけっこは苦手だった。それを補うために、放課後居残りをさせられた。やがて、足の水かきがすり減り、水泳も平凡な成績に落ちた。しかし、学校は平均的な成績でいいとされていたので、アヒル本人以外は、誰もこのことを気にかけなかった。ウサギは、かけっこにかけては最初から優等生だったが、水泳が苦手で居残り授業ばかりさせられているうちに、神経衰弱を起こしてしまった。リスは、木登りは上手だったが、飛行の授業では、木の上からではなく、どうしても地上から飛べと先生に強制され、ストレスがたまる一方だった。疲労困憊の末、肉離れを起こし、やがて木登りもⅭ、かけっこもⅮにまで落ちた。ワシは問題児で、厳しく更生する必要があった。木登りの授業では、いつも一番早く木の上に到着したが、先生の指示する方法にどうしても従おうとしなかった。結局、学年末には、泳ぎが得意でかけっこもまあまあ、木登りも飛行もある程度こなせた少々風変わりなウサギが、一番高い平均点を獲得して卒業生代表に選ばれた。学校が穴掘りを授業に取り入れてくれなかったことを理由に、モグラたちは登校拒否し、その親たちは税金を納めることに反対した。そして子供を穴グマのところに修行に出すと、後はタヌキたちと一緒に私立学校を設立し成功を収めた。(7つの習慣 スティーブン・R・コヴィー キングベア出版 417ページより引用)自分の長所や強みを伸ばすことに焦点を当てないで、欠点や弱みを人並みに引き上げようとしていると、元々持っていた自分の長所や強みは、しだいに精彩を欠いていくという話である。野村克也氏は生前こんな話をされていた。野球の世界で足が速い、肩が強い、球を遠くへ飛ばすことができるという特技を持った選手がいる。これらは持って生まれた才能であり、いくら訓練しても育たない。また、この3つをプロ野球の平均レベル以上に持っている選手はそうはいない。しかし、他の選手にはないきらりと光るものがあれば、プロ野球選手と生き残ることができる。半面、 1番厄介なのは、3つの全てが平均点の選手です。厳しい目で見れば、他の選手と差別化できるものがない。とりえがない選手ということになります。ですから、プロ野球の選手は、自分の劣っている面に焦点を当てて矯正する、能力アップを図り、人に追いつこうとする努力はほとんど無駄な行為なのです。これは一般の社会でも同じことが言える。自分の長所や強みを見つけて、そこを徹底して磨いていけば、組織の中で確実に重宝される。例えばパソコンの扱いが抜群に手慣れていれば、上司は自分の部署から外したくないと思うだろう。そう思わせることができれば、その人はそれだけリスクを少なくできるわけだ。これを我々神経質性格者にあてはめると、どういうことになるだろう。神経質者は細かいことによく気がつきます。これは天性のものです。また、真面目で粘り強い。物事を細かく分析できる能力がある。好奇心が強く、課題や目標を持って努力することができる。神経質者の欠点や弱点を修正しようとするよりも、自分の持っている特徴や能力に目を注ぎ、そこに磨きをかけていく。そのような生き方のほうがはるかに意味のある有意義な人生を送れるのではないだろうか。神経質性格を持ちながらも、神経症に陥っていない人は、会社でも神経質性格をプラスに捉えて、存分にその性格を生かしている人たちだと思われる。例えば周囲の人から依頼されたことを、どんな小さな事でもメモして確実に実行していく。それを積み重ねて信頼感を勝ち取っている。コツコツと長い時間をかけて作り上げてきた信頼感は、組織の中で活かされて絶大な力を発揮している。
2024.06.08
コメント(0)
森田先生のお話です。豊島園の池には、「金魚を可愛がってあげて下さい」という立札がある。敬語や稚語の使い方が全く滅茶苦茶である。この場合は、「可愛がってやってください」というべきではありませんか。私の家でも、女中などが、「魚屋がいらっしています」などというかと思うと、「先生が来たよ」とか、知らずしらず口からのでたらめでいっている。朝日新聞の相談欄でも、山田わかさんが、「お子さんを世話してあげなさい」という風に書いてある。教養のある人でも、近来はこんな言葉を正しい事と思っているのであろうか。これは「お子さんを世話しておやりなさい」「お母さんを世話してあげなさい」という区別が、日本語にはあるのではあるまいか。(森田全集 第5巻 669ページ)日本語には、昔から尊敬語や謙譲語や丁寧語を使い分けることが重要視されています。尊敬語は、先生や目の上の人を敬う気持ちを表現する敬語です。謙譲語は、自分がへりくだることで、目上の相手に対して敬う気持ちを表現します。たとえば、「来る」という言葉を、尊敬語でいうと、「先生がいらっしゃる、先生がお見えになる、先生がお越しになる、先生がおいでになる」という表現になる。これを謙譲語でいうと、「私が参りましょう、私が伺いました」ということになる。「食べる」ということは、尊敬語では「先生が召し上がる、先生がお食べになる」となる。謙譲語では、「いただきました、頂戴しました」となります。「先生がいらっしゃった」というところを、「先生が来た」という。「婆やが来た」というところを、「婆やがいらっしゃった」という。親に対して、「お菓子を頂戴」というところを、「お菓子をくれ」などと言う。友達に対して、「お菓子をくれ」というところを、「お菓子を頂戴」などと言う。これは親が子供に対して、最上級の言葉でもって、習慣づけようとするからである。その子供は、成長して後にも尊卑高下の区別ができなくなる。これは言葉使いの修養が足りなかったためだ。言葉や行儀なども、いたずらに形式になじんで、時と場合による適応ができないからである。(森田全集第5巻 549ページ参照)森田先生は、言葉使いは、相手を見て、臨機応変に使い分けることが大切だといわれているのです。目上の人や上司や先生などに対しては、尊敬語、謙譲語を使う。年下の人や部下や生徒などに対しては、決して、尊敬語、謙譲語は使ってはならないといわれているのだ。ここで肝心なことは、言葉遣いを、その場の状況によって使い分けできないということは、その他の変化に対しても、素早い対応ができないといわれていることです。神経症に陥ると一つのことに意識や注意が向いて、とっさの変化対応には間に合わない。昆虫の触角がピリピリと周囲の変化に反応するような状態にならない。森田理論は、変化に素早く対応する態度を身に着けさせようとしているのです。変化対応力は、観念的な世界にどっぷりとつかっていては身につかない。変化に対応するためには、凡事徹底、日常茶飯事を大切にして、精神を緊張状態に持っていくことが大事になります。そして変化に気づいたときは、即座に適切な対応をとることが大切になります。
2024.06.07
コメント(0)
長谷川洋三氏のお話です。「あるがまま」とは、症状を受け入れながら、なすべきことをなすことだと言われています。私たちも頭では理解する。しかし実際には、あるがままになれない。頭では理解したけれど、あるがままに実行できないということを、皆さんよく訴えますね。そして、自分ははたして森田神経質であろうか、自分は森田の学習をして、この苦しみ、とらわれから脱出できるのだろうかと、非常に懐疑的になる時期があります。(生活の発見誌2024年6月号 7ページ)「あるがまま」になろうとすれば、「あるがまま」にはなれないという話をよく聞きます。ではどのように取り組めばよいのでしょうか。まず、不快な感情や症状を素直に受け入れるという面があります。感情や気づきのなかには、コントロールできるものとコントロールできないものがあります。これをきちんと分けて適切に対応することが大事なります。第1に、コントロールできるものは現実的な不安などです。例えば、地震に備えて家具が倒壊しないように対策を立てる。もしものことを考えて生命保険、医療保険、損害保険、火災保険、自動車保険などに入っておく。森田に「不安は安心のための用心である」というのがあります。考えるだけで対策を立てて実行しないというのは、細かいことが気になるという神経質性格を活かしていないということになります。第2に、次々と湧きあがってくる様々な不安や症状は、欲望の反面として発生しているものです。この場合は、自分の欲望や欲求は何かを明確にする必要があります。自分の欲望や欲求が分かったら、意識や注意を欲望や欲求に向けて努力精進していく必要があります。その際、不安や恐怖は欲望が暴走しないように制御機能を発揮してくれます。このことを森田では、人間には精神拮抗作用が標準装備されているといいます。例えば、懇親会などでアルコールが好きな人は、飲み過ぎると二日酔いになるという不安が沸き起こってきます。一気飲みを止めて、副食物を食べて水とアルコールを交互に飲むように心がけたりします。欲望や欲求に従って生活していくという側面ですが、規則正しい生活習慣を作り上げることをお勧めします。ルーティンワークを作り上げることです。ウィークディでは、毎日同じ時間に同じことをするように心がける。頭で考えることなく、身体がすっと動いてくるようになるとしめたものです。もう一つお勧めしたいことがあります。だらだら機械的にやるのではなく、問題点や課題を見つけようという意識を持って行動するということです。森田でいう「ものそのものになる」ということです。気づきや発見、改良点や改善点が見つかったら、面倒でもすぐにメモしておく。すぐにできることはなるべく早く処理する。すぐにできないことはストックを溜めるという意識で取り組む。これを休日などに割り当てて取り組むようにする。以上のことを実践することで、「あるがまま」の体得につながります。
2024.06.06
コメント(0)
ジェームズ・ランゲ説という理論があります。悲しいから泣くのではなく、泣くことによって悲しくなるという理論です。刺激に対して、身体が反応して、それが意識化されて、感情が生まれるという理論です。一般的には、目の前の出来事に接して、悲しいという感情が湧き上がってくると考えます。ジェームズ・ランゲ理論では、それは逆だという。泣くという行動が先で、それに基づいて悲しいという感情が発生しているというのである。ここで注目したいことは、泣かなければ、悲しいという感情が強化されることはないという考え方です。辛いときに、不平不満やグチを口にする。理不尽な仕打ちに対して怒りを爆発して相手にけんかを売る。辛いときに気分本位になってすぐに逃げ回る。このような対応をとると、マイナス感情はすぐに発火する。そして益々燃え上がってくる。逆に短絡的で破れかぶれの行動に走らなければ、マイナス感情が強化されることは少なくなる。神経症に陥ると、不安や恐怖にとりつかれて取り除こうとするか逃げ回ります。不安や恐怖に追い掛け回されて、下手をすると精神交互作用でアリ地獄に落ちてしまいます。アフリカのサバンナで小動物が肉食獣に追い掛け回されるようなものです。ですから軽率な行動は、少しの間耐える、我慢することが大切になります。この理論は、辛いときに感動映画、音楽などを聴く、楽しいことや笑うという行動をとることで、気分転換が図れるということになります。そのための方法として、撮りためたDVDやお気に入りの音楽を聴く。それから収集した川柳、都々逸、面白小話を見ることが有効です。このブログでも時々息抜きとして紹介しています。過去の投稿から一つ面白小話を紹介します。春風亭昇太さんのところへ、東大卒の新人がやってきた。これが世間知らずのヨタロー。学校の勉強と社会での常識は比例しないようだ。先日も楽屋で、持病持ちながら高座に上がっていた桂歌丸師匠から、 「ちょっとタクシーを呼んでおいて」と頼まれた。「師匠、タクシーが来ました」と言えばいいところを、 「師匠、お迎えがまいりました」と大声で言っちゃった。天国お迎えレース第一位とまで言われている歌丸師匠に、このセリフ。楽屋中が凍りついたそうだ。あるイベントのサイン会でアントニオ猪木と一緒になった林家木久扇師匠。サイン会となり、色紙に座右の銘を書いてくれと頼まれた。「入魂」と書いていくアントニオ猪木さん。その横で我らが木久扇師匠、 「入金」と書いていた。「向こうへ行ってくれ」と、猪木さんから怒鳴られたらしい。いつも寄席で爆笑をとっているのか、三遊亭歌之助さん。韓国語の覚え方というのがあって、 「サンドイッチ」はこういう。「パンニハムハサムニダ」確かにパンにハムがはさんである。ハサミを見たら、 「ヨーチョンギレルハサミダ」
2024.06.05
コメント(0)
松岡修造さんのお話です。僕が選手時代、ひざを痛めて手術をしなければならなくなったときや病気で苦しんだとき、ものすごく落ち込んで、頭のなかが「なぜ?」ばかりになりました。でも、あるとき気づいたのです。「why(なぜ)」ばかり考えていたって、何もよくならない。ここから抜け出すための「how(どうやって)」を考えなければいけないのだ、と。ひざのけがは、もう完全には治らないことが分かっていました。ならば、そのけがとどうやって付き合っていくか、ひざをカバーするために、どこをどうやって鍛えればいいか・・・。そう考えるようにしたことで、少しずつ落ち込みから抜け出すことができました。あなたにも、「なぜ、思うような結果が出ないのだ。なぜ、自分ばっかり苦しい思いをしなければいけないのだよ・・・」と、「whyの嵐」におそわれる時期があると思います。でも、「why?」と思うのは、自分自身に意識が向いている証拠。自分の置かれた状況から目をそむけるより、ずっといい!「よっしゃ、いいぞ」と自分に声をかけ、そこからさらに「how?」へと意識を向けていこう!(弱さをさらけだす勇気 松岡修造 講談社 139ページ)「why(なぜ)」というのは、修復できないケガをした自分を批判・否定しています。「かくあるべし」を自分に押し付けている態度です。森田理論では、自分の立ち位置を雲の上のようなところにおいて、問題だらけの現実を非難、否定していると、葛藤や苦悩が生まれてくるといいます。これが神経症の発生原因となっている。その方向を選ぶと自分がみじめになるばかりです。運命を呪い、自己嫌悪・自己否定していると、最後には再起不能に追い込まれてしまいます。そのために多くの無駄なエネルギーを消費します。「how(どうやって)」というのは、事実や現実を価値批判しないで素直に受け入れています。現実や事実を受け入れると、エネルギーの無駄使いがなくなります。そのエネルギーの有効活用が可能になります。森田でいえば「生の欲望の発揮」に向かっての足がかりができるということです。目標や目的に向かって努力していくというのが人生の醍醐味です。森田では「かくあるべし」から事実を優先する態度に転換することをお勧めしています。これは雲の上にいる立ち位置を変えることです。すっと地上に降りてきて、問題に寄り添う態度に変えることです。そしてどうすれば問題解決につながるかを考えて実行することです。観念中心の「かくあるべし」を押し付けていく態度を弱めて、できるだけ事実に服従する態度に切り替えていくと、それが即、逆転人生へと切り替わっていく分岐点になります。事実本位の生活態度を身につけることは、生きづらさを解消することができます。
2024.06.04
コメント(0)
不安神経症の人と対人恐怖症の人は人間関係の対応方法がかなり違うように思います。不安神経症の方は突然死の恐怖が襲ってきてパニック状態になります。その時誰かが付添ってくれていれば安心できます。そのためには普段から他人が喜ぶようなことを見つけて実行している。不安神経症の人は明るく、人付き合いが比較的上手です。対人恐怖症の人は他人から評価される、一目置かれる存在になることに関心が高い。不安神経症の人のように人と仲良くして交流することを楽しむという気持ちは希薄です。そういう意味では自己中心的な人達です。対人恐怖症の人は本音の部分に他人が怖いという気持ちを持っているように思います。良好な人間関係を築いて維持するという側面が弱いように思います。反面一人で過ごすことは苦になりません。人生の楽しみ方を自分なりに見つけている。一つのことを掘り下げて、名人の域に達している人もいます。しかし他人との接触を完全に断って仙人のような生き方はできません。人間は社会的な生きものですから多かれ少なかれ人間関係がつきものです。では対人恐怖症の人はどんな気持ちで人と付き合っていけばよいのでしょうか。私は森田の不即不離をお勧めします。必要なときに、必要に応じて、必要なだけの付き合いをするということです。必然的に浅くて広い人間関係を目指すことになります。その前提に立って、どんなことに注意すればよいのかを考えてみました。1、笑顔での挨拶を欠かさないように心がける。2、しゃべりすぎないように心がけて、相手の話をよく聞く。3、約束や責任をきちんと果たす。ドタキャンはしない。3、弱点や欠点、ミスや失敗は隠さない、ごまかさない。4、相手を非難、否定、叱責、拒否、強制、無視しない。5、不平や不満、腹立たしさをすぐに相手にぶっつけない。6、「ありがとう」「助かります」という言葉を使うようにする。私たちは釣りバカ日誌のハマちゃんのような陽気でまわりの人を和やかにする能力は持ち合わせていません。でもこれくらいなら実行可能なのではないでしょうか。人間関係は20対60対20の法則があると聞きました。これは馬の合う人20%、馬の合わない人20%、どちらでもない人60%という意味です。肝心なことは、どちらでもない人を敢えて敵に回さないように心がけることです。潤滑油の切れた歯車を無理やり回転させるようなことは痛々しい。これだけ心がけるだけで人間関係で大きく躓くことは避けられます。
2024.06.03
コメント(0)
元体操日本代表に選出された白井健三選手のお話です。白井選手は床が得意です。床には150の技があるそうですが、その中で「後方伸身2回宙返り3回ひねり」という技はH難度で一番難しい技とされています。「シライ3」と呼ばれて彼しかできないと言われていました。しかし金メダルを獲得して当たり前という状況の中で、2014年の世界選手権の「ゆか」は2位に終わりました。白井選手は、その敗因について「同じことをやっていたから負けたのだ」と分析しました。というのも、この大会で彼が披露した技は、すべて前年の世界選手権で優勝したときと同じものでした。その結果知らず知らずのうちに気が緩み、「同じ内容でも勝てるだろう」と思ってしまったのです。演技の内容自体に目標を見失い、守りに入っていたのです。これを教訓にして、2015年の世界選手権では、当時の最高であるG難度の大技「リ・ジョンソン」に挑戦して成功させました。そのほかの大技も次々と成功させて再び世界王者に返り咲きました。(弱さをさらけだす勇気 松岡修造 講談社)この話は目標や課題を持ってチャレンジすることがいかに大事になるかを教えてくれています。目標や課題を持っていることは、人間の精神の健康を維持するために欠かすことができないものです。これは脳の仕組みを理解すると容易に察しがつきます。優勝できなかったときは、自分でも気がつかないうちに、緊張感が薄れ、弛緩状態(根拠のない安心感や安堵感)が入り込んできたのです。その時脳内では、やる気の脳と言われる腹側被蓋野、側坐核、A10神経群、前頭前野の活動が抑制されていたのです。報酬系神経回路の活動が抑えられてしまうので士気が高まらない。前頭前野は、「まさか、失敗するようなことはないだろうな」と予期不安が強まります。こんな状態では勝てる試合にも負けてしまう。焦れば焦るほど、成果を上げることができなくなってしまいます。さらに悪いことは重なるものです。ノルアドレナリン主導の防衛系神経回路が脳内を駆け回るようになるのです。これで勝とうというのは虫がよすぎます。目標や課題の存在は我々が考えている以上に大きな影響を与えていることが分かります。森田では目標や課題から目を離さないために、先ずは凡事徹底に取り組むことをお勧めしています。大きな目標を持つ前に小さな一歩を踏み出すことが大事になります。
2024.06.02
コメント(0)
ミシュランガイドで3つ星を獲得しているシェフが、料理は一つ一つの作業を取りだしてみると、単純作業の繰り返しなのです。その単純作業の中にどれだけ多くの疑問や改善点を見つけることができるか。そして工夫や改善を繰り返して、さらなる高みを目指すのが一流シェフなのだそうです。これは私たちでいうと、「凡事徹底」のことだと思います。言われたからイヤイヤやっていますというのは、初期段階はしかたがない。でもこの段階で終わってしまっては、気づきや発見は生まれてきません。目の前の仕事に一心不乱に取り組むと、感情が流れて、次第に仕事は面白くなります。一流料理人になるためには、いかに下ごしらえに時間をかけているかにかかっています。芋の皮一つむくにも、魚の鱗一枚落とすにも、心をこめて何年もやらないと一流にはなれません。料理人の世界では昔から、芋の皮むき3年、ネギの細切り丸4年などといわれて、来る日も来る日も一つのことをとことんやり抜いた。一日の仕事が終わって親方たちが帰ると、若い修業中の料理人たちは厨房を貸してもらい、料理の練習をしながらさらに下ごしらえの経験を積んでいく。そんなことを繰り返しているうちに、彼らは素材の扱い方を知り、食べるということの素晴らしさを学んでいき、堕落を振り払うのである。こう考えると、料理人の下ごしらえというのは、料理そのものの下ごしらえであると同時に、自分の人生の下ごしらえでもあると言えます。下ごしらえの基本は、とにかく無駄を出さないことだ。大根の先やネギの青葉、魚の粗なんて、今の年季の少ない料理人は捨ててしまうことが多い。昔の料理人は無駄を出すことをしなかった。だから真剣にならざるを得なかったのです。これは森田理論で言うと「物の性を尽くす」ということです。神経質な人は、クリエイティブな仕事、人から賞賛を浴びるような仕事こそが価値のある仕事だと思っています。誰でもできるような簡単な仕事にはそっぽを向いてしまうのです。仕事というのは、分解してしまえば単純な仕事ばかりである。そんな仕事が寄り集まって複雑で難しい仕事になっているのだということだと思います。細かい仕事に真剣に取り組むことで仕事の土台ができてくる。そして人間としての土台がでてくる。そういう人が作り出す料理は他人を感動させる。それは料理を通じて人生の極意を感じるからかもしれない。(食の堕落と日本人 小泉武夫 東洋経済新報社 90ページより引用)
2024.06.01
コメント(0)
全24件 (24件中 1-24件目)
1