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私の家の近くにスーパー銭湯がある。冬場の寒い時期はよく利用している。そこは最新式のスーパー銭湯ではないが、大浴場のほかジャグジィや薬草湯、ゆずやワインの湯などもある。サウナを利用しなければ400円と格安なのがよい。先だって大浴場に浸かっていると、お年寄りの人が大浴場から出たとたんによろよろとして倒れられた。みんなあわてて近寄ってみたが、失神状態だった。誰かが受付に知らせたのか、係の人が飛んできた。救急車を呼ぶということだった。その後どうなったかは定かではない。私も薬草湯などに5分ぐらい浸かって、立ち上がったときに立ちくらみすることがあるので心配になった。そこで受付で聞いてみると、そんなに急に立ち上がって移動してはならないといわれた。湯船にどっぷりと浸かっているときは、全身の血管が拡がって血圧が低下している。その時急に立ち上がると、頭に送られる血液が不足してくる。脳の血液量が少なくなると立ちくらみのようなことが起きるそうだ。それで毎年何人ものお年寄りが命を落としておられるという。早速湯船に浸かり方について教えてもらった。湯船から出るときは、急に立ち上がってはいけない。ゆっくりと体を動かすことが大切だ。大浴場は浅くて腰を下ろせるようになっているところがある。そこにしばらく浸かって休む。胸から下は湯船の中である。その状態で3分から5分ぐらいやり過ごす。次に湯船からゆっくりと出て、浴場の縁の大理石のところに腰を下ろして少し休む。決してすぐに立ち上がってうろうろしてはならないそうだ。その後はおもむろに立ち上がって洗い場や薬草湯などに移動してもよい。私はうかつだった。森田理論を学習して、緊張状態から弛緩状態に移るときはソフトランディングを心がけなければいけないと分かっていたのに、実際の生活面では応用できていなかったのである。これは弛緩状態から緊張状態に移るときも同様のことが言える。それを教えてもらって以降は、入るときも、急に体全体を沈めるようなことはやめた。少しずつ体を慣らしてから、徐々に体全体を沈めるように変えた。出るときはその逆のことをすればよいのだ。それ以降は立ちくらみの心配は全くしなくても済むようになった。ソフトランディングを心がけるだけで、立ちくらみから解放されるとは嬉しいことだ。そういう視点で人を観察していると、慣らし運転をしながらスーパー銭湯を利用している人はとても少ないことに気が付いた。若い人はまだよいかもしれないが、お年寄りは大変危険だと思う。この話を教えてあげたいところだが、見ず知らずの人に話しかけるのはきまりが悪いのでそのままにしている。森田では風邪を引くのは、緊張状態から急に弛緩状態に移ると、体も精神もその急激な変化に対応できないと言っている。切り換えは極力ソフトランディングを心がけたいものだ。
2018.01.19
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先日、プロフェッショナル仕事の流儀で広島カープのスカウト苑田聡彦さん(72歳)の放送があった。広島カープは親会社を持たず独立採算性を入れており、地方球団ということもあって、潤沢な資金があるとは言えない。したがって、他球団のようにフリーエージェント制度を利用して、実績のある選手を獲得することができない。隠れた逸材を見出して、それを自前で鍛えあげて中心選手に育て上げるというのがチームの方針である。中心選手に育っても、これからという時に、 フリーエージェント制度を利用して、 金に糸目をつけない他球団に移籍する例が後を絶たない。残念だがそれが現実だ。ドラフト制度がない頃は、有望選手は意中の球団を逆指名することができた。その時、業界では「誠意を見せるのは金だ」という風潮が蔓延した。当然金のある球団に有望選手が流れていった。カープは資金難からその波に乗ることができなかった。ずっと弱小球団のままだった。そんな時どういう戦略をとったのか。他球団に騒がれない選手を見つけて、足しげく通いつめるという戦略だった。そうして獲得したのが北別府学、江藤智、金本知憲、野村謙二郎、黒田博樹であったという。黒田投手は他球団が目を付けていない専修大学の1年生の時から見続けてきた。頭角を現した黒田投手はドラフト前には他球団から1位指名の候補に挙がっていた。金の面では全く勝ち目はなかった。そんな折、ドラフト3週間前になって、黒田投手が他球団に指名されてもカープに入団すると公言したという。縁もゆかりもないカープを逆指名したのだ。当時としては大変な驚きであったという。黒田投手は、無名のころから注目して励ましてくれた人に、誠意で応えないわけにはいかなくなったのだという。他球団の札束交渉を断った。金ではない誠意だといってはばからない。苑田さんは、選手に惚れぬいて、足しげく通いつめるという誠意を見せ続ければ、いつかは野球の神様が応えてくれる時があると言われるている。粘り強く、できるだけ他球団と競合しない無名の選手を発掘して、注目して見ているという誠意を見せる。働いてもいないのに、いくらくれるのかというような選手はすぐにわかる。そういう選手はカープのカラーに合わないという。苑田さんの選手を発掘する方法はとても面白い。丸選手は高校時代、ピッチャーだったが、注目したのはハンドワークが柔らかく、フォローが広いというバッティングであったという。三振にも素晴らしい三振があるという。タイミングが合って思い切ってスイングする選手は見込みがあるという。そういう選手こそ、その後も何回も見て見極めをしたいという。高校生の段階で、打率がよいとか、通算ホームランは何本打ったとかいうのは、あまりアテにならないそうだ。だから球場に足を運んで自分の目で確かめないと見極めなどできないという。今年ドラフト2位で熊本工業の山口翔投手を指名した。山口投手は肘が柔らかく、軸がぶれないという長所があるという。ところが、コントロールが悪く、5、6球に1球ぐらいしかいい球がこない。フォアボールを連発して自滅するタイプだ。しかしフォアボールを連発しても、決してうつむいたりしない。ここが彼の最大の長所であるという。プロでは逆境に耐えうる強い気持ちを持っているかどうかが不可欠である。例えばインコースに投げてホームランを打たれても、次の打席で意識してインコースを投げて、「打てるものなら打ってみろ」と言うような負けん気の強さがプロ向きの選手であるそうだ。負けず嫌いでも、大のつく負けず嫌いでないとその後大成はしない。山口投手はそれを持ち合わせている。このような選手は昨年は関東にはいなかったという。フォアボールを連発するのはリリースポイントが一定でないからである。これはプロに入ってから修正できるので、今の時点では問題ないという。ドラフト4位では二松学舎大付属の永井敦士選手を指名した。これは現場サイドから内野手をピックアップしてほしいという要望に応えてのものだった。現在の内野はセカンドに菊池、ショートに田中という選手を擁しているが、バックアップ要員が不足しているという。しかし今年はめぼしい内野手が見当たらない。そこで目をつけたのが永井選手だった。永井選手は、現在センターを守っているが、打球処理の足の運びをビデオで見ていると、内野手に転向しても十分に対応できる能力があると判断した。緒方監督も納得した。何より強い身体、そして50メートルを5秒で走るという優れた脚力を持っている。苑田さんは、かって3球団競合の末にドラフト1位で川島堅投手を指名したことがある。ところが、川島投手は肘を壊し一勝しかあげられなかった。その後引退し今では接骨院を開業している。苑田さんは、その接骨院にずっと通っているという。引退しても自分の指名した選手には目をかけているのである。人間的な優しい面も持ち合わせている。スカウトは野球が好きでないとできないという。球界最年長スカウトとしてこれからも精進してゆかれるそうだ。
2018.01.18
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私たちの体の中は、不安や恐怖が強くなってくると、それを中和するために脳内麻薬と言われる神経伝達物質が放出されるようになっています。仕事でのストレスを受ける。人間関係で苦しんでいる。そのようなトラブルを抱え続けていると、脳内麻薬と言われているβエンドルフィンという物質が放出されます。この物質が放出されると、苦しみが軽減されていくのです。しかもこれは即効的です。私たちの体はそのようにして、不安や恐怖とのバランスをとっているといえます。これは死ぬような怪我で苦痛に喘いでいるような人の状況でも、脳内麻薬が放出されて、本人は周りから見ている人ほどには苦痛にのたうちまわっているわけではないそうです。私たちの体は自然にそのようにして過度な不安や痛みの軽減を図るようにしているのです。とてもうまくできています。さて、金遣いが荒く、まったく働かない男性と一緒になって生活している女性がいます。周囲の友達からは、 「そんな男とは別れた方がいい」と忠告されるにもかかわらず、 「この人は私がついていないと生きていけなくなる」と言って離れることができないのです。これはよく言われる共依存の人間関係にあります。相手に甘えたり世話することで心地よくなるのです。しかしこれは脳内麻薬の仕組みから見てみると、十分に納得ができます。生活不安・恐怖などがある一定の限界を超えたところで、脳内麻薬であるβエンドルフィン、ギャバ、セロトニンが常時放出されるようになります。それらは、不安や苦しみを和らげ、いわば心地よい快楽をもたらしています。共依存というのは、双方の自立を破壊してしまう危険性を持っていますが、そのようなメカニズムが働いて周りの人たちが心配するような精神的苦痛を抱えているわけではないのです。男女とも至福の時間を過ごしているのです。人間にはある一定の限界を超えると、脳内麻薬が放出されますので、非常に気分がよくなります。逆に言うと、人間の体は不安や苦しみがあると、その先に苦しみを和らげてくれる仕組みが備わっているということが体験的に分かっているのです。そのために、時として積極的に困難や苦しみに向かって行動していくという場合もあります。エベレスト級の山に登頂したり、過酷なバイアスロンに挑戦したり、オリンピックでメダル獲得を目指すことがあります。過酷な運動を続けることができるのは、苦しい挑戦をしている間に、得も言われない幸せなハイの気分を味わうことができることを体験的に知っているからです。見返りが全くないとしたら、そのような努力をする人はいなくなります。ところが、そのような快楽を得ることを目的とした行動は、憂慮すべき副作用もあります。1つは耐性という問題です。例えば、アルコール、ニコチン、ベンゾジアゼピン系抗不安薬など常習的に使っている人によく見られますが、その効能はどんどん薄れてくるのです。効果がなくなってくるので、どんどん使用量が増えてくるという問題があります。つまりそれらを放置していると最終的に依存症に陥ってしまいます。2つ目は離脱症状が現れるという問題です。依存症に陥った人が、 「こんな生活を続けていてはいけない」と気づいて、依存症から逃れようとしても、不安症状やイライラ感がしつこくつきまとうのです。気持ちとしては依存症から脱却しなければならないという強い気持ちがありますが、体の方がついていかないのです。その苦しさ、つらさからまた依存症に舞い戻ってしまうという問題があります。まとめてみると、耐えがたい不安や恐怖に対して、脳内麻薬を即効的に用いることは、大変効果的だと思われます。しかし、不安や恐怖に対して安易にその方向に頼り続けることは、決して褒められたことではありません。その方向にどっぷりはまってしまうと、取り返しがつかないことになってしまうのです。不安や恐怖に対しては、森田理論学習によってその成り立ちをよく学習し、森田的な生き方を身に着けることによって、最終的に不安や恐怖を止揚していく方法をとらなければなりません。不安と欲望の関係。不安の役割。過度な欲望の制御。不安と欲望の調和については重点的に学習する必要があります。それは神経症の成り立ちを学習することでもあります。森田理論は、きちんと理論化されていますので、いつも不安や恐怖に翻弄されてしまう人は、ぜひとも取り組んでみてください。
2018.01.10
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森田先生は熱海で旅館を経営されていた。そのいきさつを知らない人は、精神科医が儲けたお金でさらにお金儲けをしようとしていると非難する人も多かったようだ。確かに森田先生の所の初診料や入院費用は、とても高くて、経済的に余裕のある人以外はいけるようなところではなかった。もちろん今のように保険診療ではなく、自由診療だった。初診料8円。入院費1日4円。今でいうと、初診料8万円。入院費1日4万円ぐらいにあたる。しかし、森田先生はそのお金を自分のために使われるという事は考えられてはいなかった。そのお金で形外会の会場となる自宅を建て替えられたり、余分なお金は慈恵医科大学に寄付をされたり、故郷の学校の講堂をを建設するために寄付されている。ご自分はプライバシィがなく、服装も粗末なもので、せんべい布団に寝ておられていたという。熱海の森田旅館という旅館の経営も元はと言えば人助けから始まっている。森田旅館は元々は伊勢屋という旅館であった。森田先生は伊勢屋という旅館を知られたのは、入院生の浦山さんからであった。昭和2年7月のことです。この浦山さんの親戚が伊勢屋旅館であった。ところがその後昭和6年暮れに伊勢屋に避寒に行ったところ、畳はすっかり真っ暗になっていた。森田先生は早速、自費で畳の表換えをさせた。そのようなことから、伊勢屋と懇意になった。昭和7年2月、また避寒に訪れたところ、突然伊勢屋のお婆さんが泣きついてきた。今、 5日以内に1,500円のお金がなければ、 10人の家族が路頭に迷わなければならないという。その時に森田先生は、ついうっかりと「浦山君から頼まれるればともかく、だしぬけにそのようなことを言われても、どうすることもできない」と言われた。するとおばあさんが連絡したのか、突然大阪にいた浦山さんが熱海にやってきた。そのようないきがかり上、森田先生も仕方なしにそのお金を出すことになった。弾みがついて、昭和7年5月200坪の地所を銀行から引き取ることになり、引き続いて、今度この新築ができたのである。このお金は、森田先生の国元の母や親戚の金を寄せ集めたり、銀行から借金したりして、ようやく整えたそうです。そして昭和7年12月31日開業にこぎつけたのである。この旅館は入院生であった井上常七さんを支配人にして経営に当たらせている。儲けようという気持ちはなく、料金を安くして、しかも料理を豪華なものにした。そのため、宿泊客が多く盛況であった。宿泊客の中には慈恵医大の学生などもあった。森田先生も入院生や元入院生などを引き連れてたびたび訪れている。形外会も熱海で行ったこともある。その費用も1部森田先生が負担をされたりしている。つまり神経症で苦しんでいる人たちのオアシスの場となっていたのである。私利私欲に目がくらんで旅館経営にまで手を広げていったというのは全くのデマである。(森田全集第5巻 299ページより引用)
2018.01.07
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森田先生は長らく東京電力の株を持っておられた。この株の配当金で生活を安定しようと思っておられたそうだ。ところが配当がなくなり、生活費の出所がなくなったといわれている。(森田全集第5巻 384ページ)私はファイナンシャルプランナーとして、金融資産運用設計に特化して株式投資の研究を続けている。株式投資の主流の考え方は、新高値を付けた銘柄を探し出して、さらにその新高値を超えていくような勢いのある銘柄に投資するやり方である。うまくいけば、短期間で何倍にもブレイクする銘柄に出会うことがある。しかし、このやり方は大きなリスクを伴う。新高値を付けた時点が山の頂上で、それからすぐに下がってくる銘柄も多い。この手法をとる場合は、ロスカットをしっかりしておかないと、大きく自分の資産を減らしてしまう。また上昇を続ける銘柄でも、トレーリングストップを用いてリスク管理を徹底しないと、すぐに痛い目にあう。つまり、このやり方では株価の上下に常に注意を集中しておかないといけないのである。セミプロとして株式投資をやる人はいいかもしれないが、普通の人は神経をすり減らすばかりである。また、このやり方では大きく資産を増やすつもりが、大きく資産を減らすという反対の結果になる場合がある。私はお勧めしていない。その他株式投資には、サヤ取り投資法、波乗り投資法、 3点チャージ投資法、うねりチャート投資法など数え切れないぐらいな手法がある。私は、これらのすべてに取り組んでみた。ほとんどうまくいかなかった。だからどれもお勧めできない。しかし今は銀行に100万円預けていても、年間200円か300円の利子しかつかない。また最近、退職金は確定拠出型年金といって、自分の裁量で退職金を運用する時代に入っている。昔のような確定給付型の退職金制度ではないので、自己責任で運用しなければならない時代になっている。資産運用の上手な人と下手な人では退職金に莫大な差がついてしまうので、運用は分かりませんということでは済まされない時代に入っていることは認識しておいたほうがよい。私の考えている投資法は、例えば100万円の資金があれば、年間で1万円から3万円の利益が出ればよいという考え方である。一攫千金を狙うようなギャンブル投資はダメだという考えだ。500万円の金融資産があれば、年間15万ぐらいの利益である。次に、普段の生活では色々とやることが多いので、株価の上げ下げに一喜一憂するような事はしたくない。放っておいたらいつの間にか株価が上がって利益が出ていたというのが理想である。そのように考えて、私が取り組んでいる株式投資を紹介していきたい。まず株式投資をすると配当金がある銘柄がある。例えば100万円投資をしたすると、高配当銘柄になると4%ぐらいな配当がある。 3 %台の配当をする優良企業はたくさん存在する。これだけで年間3万円から4万円の配当金が入る。ただし税金が20パーセント差し引かれる。倒産のリスクの極めて少ないこういう株を保有し続けるだけで配当金は入ってくる。株式配当は、年に2回という企業が多い。3月に決算の会社では、 9月末と3月末の4日前ぐらい(権利落ち日)に株主になっていれば、 12月と6月ぐらいに配当が入ってくる。しかし企業の業績の低迷や不祥事によって暴落リスクはあるので注意を怠ってはならない。一定のボックス圏で上がったり下がったりを繰り返している銘柄は保有し続けたほうがよいかもしれない。あるいは想定外の高値を付けた時に売ってしまってもよいだろう。配当狙いの株式投資の場合、権利落ち日を過ぎると早速手放してしまう人がいる。そういう人が多いと、配当金以上に1日で下げてしまう。これでは意味がない。私は、権利落ち日になる前に、 3%から5%の株価の上昇があった場合は、早めに処分するようにしている。配当目当てで株を買う人が多いので、傾向としてその直前は株が上がりやすいのだ。反対に、権利落ち日の前に下げに見舞われた場合は、そのまま持続して保有している。そして、配当金をもらい、その企業の株価が上昇するまで気長に待つことにしている。今までの経験で言えば、優良企業の株価が下がりっぱなしという事はなかった。上がったり下がったりを繰り返しているのがほとんどである。私は、下値抵抗線に近づいた銘柄しか買っていないので、ほとんどの場合、半年から1年もすると元に戻ることが多かった。そうなれば、ヤレヤレ売りをしても、最悪でも配当収入だけは確保できる。次に配当以外の株式投資についても述べてみよう。私のスタイルは株価が上がってもうれしいし、下がっても気にならないし、むしろ下げればチャンスが拡がると思ってうれしくなる。ここが株価が下がって意気消沈している人とは違う。まず6か月から3年の日足チャートを見る。そして、ある程度のボックス圏の中で上がったり下がっている銘柄を、日経平均採用銘柄から選ぶ。50銘柄ぐらいはピックアップできる。そのリストを毎日チェックしている。その中でも100株で30万以内で買える銘柄をピックアップしておく。つまり株価3000円をめどにしている。次にkabutanで企業業績が上向きか、悪材料はないかを見る。それらの条件に合う銘柄を、ボックス圏の底に来た時を待ち伏せして100株だけ買うのだ。反転して、上がってくれれば基本的には1万円から2万円以上の利益がのったところで売る。それを繰り返しているだけだ。問題は下がったときである。この場合は、買値から100円程度程度下げたところで、また100株買い増しする。さらに下げてきて100円下げてきたところでまた100株だけ買い増しする。それを5回まで繰り返す余裕資金を準備して取り組んでいるのだ。つまり500円下げても耐えられるだけの余裕を持って取り組んでいるのである。そのために最初からたくさんの株数を買わずに小分けにして買うのだ。当然大きく儲かることはない。しかし大きな痛手を受けることはない。精神的に一喜一憂することは全くない。むしろ今は下がれば下がるほどチャンス拡大と思えるようになった。下げに下げても、平均買い付け価格がどんどん下がってくるので安心感がある。また底を打って反転したときに、株数が増えているのでより多くの利益がのってくる。注意点は、長期に保有するケースが出てくるので、絶対に現物買いをすることだ。よく信用取引をする人がいるが、それだと期限がくると強制決済を余儀なくさせられてしまうので、結局は博打のようなものになる。博打は資産運用とは似て非なるものである。株本を読んでいると、わずかの資金を数年で1億円以上にしたというような本が多すぎる。またこの株を買えば短期で大きく儲かりますよというような顧問業者が多すぎる。そんなリスクを負ってしまうのは、ギャンブルのようなものだと考える。そんな場合は、この投資法は1億の損失を被る危険性があることを説明してほしいものだ。私たちは決してそんな話に惑わされてはならない。100万円の資金が1年で2万円か3万円に増えれば、それで十分だと考えて取り組めば大きなやけどをすることはないと思う。それでも銀行預金と比べれば雲泥の差なのである。手持ち資産をできるだけ最大限に増やしたいと考えている人は多いが、そんな考え方はやめたほうがよい。年間3%ぐらいを目標にすれば、精神的にもとても楽である。投資は楽しみでさえある。特に年配者の資産運用は、全財産の20から30パーセントを株式運用に振り向けるぐらいにする。基本的にそれ以上のリスクを負うべきではないと考える。資産運用も人生の楽しみの一つとしてとらえるぐらいがちょうどよいのではないのか。
2018.01.05
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認知症やアルツハイマー病になっても、快楽や怒り、腹立たしい感情はなくなりません。これは古い脳といわれる大脳辺縁系がいつまでも機能している証拠です。扁桃体や快楽神経のA10神経は働いているのです。これは動物にもあります。でも人間と動物が一緒なのはそこまでです。人間は動物と違って記憶できるという能力が備わっています。記憶する能力があるということは、現在の感情を過去の経験、学習したことと照合することができるということです。記憶力は脳を鍛えないと衰えてきます。40代から記憶力は徐々に減退してきます。これは脳でいうと海馬や大脳新皮質などが関係しています。アルツハイマー病ではこの海馬が萎縮しているそうです。子どもの頃の重要な記憶は海馬で処理されて大脳新皮質に送られて収納されています。ところが歳をとると海馬の機能が弱まり、しだいに機能しなくなるのです。病気が進行すると、2時間前に食事をしたことさえ分からなくなるのです。あるいはさっき風呂に入ったことを記憶することができなくなるのです。これが昔のことは鮮明に記憶しているのに、ついさっきのことは思い出せない原因です。この原因として、脳に異常タンパク質が蓄積されることや神経細胞の減少、さらに神経伝達物質のアセチルコリンが減少していることが分かっています。アルツハイマーになると初期は健忘症、中期になると夜間せん妄、徘徊、幻覚妄想等の精神症状が起こります。後期になると重度の認知症になります。怒りなどの感情の抑制という面から言えば、眼窩前頭葉皮質の働きが重要になります。この部分が機能しなくなると、すぐに怒りを爆発させたり、暴力をふるったりするようになります。記憶力の低下により叱られた出来事の原因を忘れ、大脳辺縁系には叱られたイヤな気分だけが残るのです。つまり眼窩前頭葉皮質の機能低下により、溜まりに溜まった不快な感情の抑制力が効かないという現象が起きているのです。老人が2日か3日か寝込むとそのまま寝たきりになることがあります。ここで問題なのは、海馬など脳の働きも使わないと急速に廃用性萎縮を起こします。感情を正常に機能させるためには、海馬、眼窩前頭葉皮質を普段から鍛えていくことが大切です。東北大学の川島隆太教授は単純計算や音読で眼窩前頭葉皮質を鍛えることができるといわれています。手先を使う楽器の演奏や編み物もよいそうです。その他、海馬を鍛えるには、時間を忘れるぐらい1つの事に集中する。異性と積極的に話をする。これは性ホルモンの増加が海馬によい影響を与えるそうです。またプチダイエットをおこなうと海馬に新しい細胞が増えることが分かっているそうです。いずれにしても好奇心を持って、積極的に手足を動かすという生活を維持することが大切だということです。人生90年といっても、最後の7年とか8年が認知症や植物人間状態になっては悔いが残ると思います。認知症は徐々に進行し、気が付いたときでは遅いのです。また認知症は今までみてきたように心がけ次第で予防することができます。普段から森田的生活を心がけていると、脳は益々活性化されると思っていますが、いかがでしょうか。
2017.12.20
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マンションの管理人業務をやる中で最近気づいたこと2点投稿してみたい。勤務棟の一階の開放廊下からエントランスに入るところに重い扉がある。半月ぐらい前から扉が下のタイルに擦れているのが気になっていた。しかし、気になるだけで、別に扉の開け閉めに影響はないのでほったらかしにしていた。居住者の人も別に何も言ってこなかった。先日、会社の業務指導員の人が来たので、思い出してそのこと伝えた。するとその指導員は扉の取り付けてあるところを点検した。すると、上の隙間は3センチぐらい離れていた。下の隙間はほとんどなかった。下が擦れる原因は、扉が大きく傾いていたのである。私は慌てて会社の担当営業マンに電話をして、すぐに修理をしてほしい旨を伝えた。後で振り返ってみると、うかつにも最初の違和感を軽く受け止めていたのが大きな問題だった。最初の気づきは、森田理論で言うと初一念だと思う。初一念の大切さは身にしみて分かっていたはずだが、今回また取り扱いを間違えた。毎日いろいろと行動していると、これは普段とは違うなと思うような違和感にはよく気がつく。最初に気付いた違和感はとても貴重なものです。かけがえのない宝物のようなものだ。それをきちんとキャッチするということは、ものすごく大事なことのように思う。きちんとキャッチすれば、それをメモしたりして、とりあえず忘れないようにする癖をつけないといけない。そうしないと、せっかくの気づきや発見がすぐに忘却の彼方に忘れ去られてしまう。そのことは後で重大事故に結びつくこともあるのだ。せっかく森田理論を学習しているのだから、最初に感じたちょっとした不快感や違和感などは貴重品や宝物を扱うように丁寧に取り扱うようにしたい。次に、私が勤務してるマンションでは玄関マットなど3枚ほどをある業者にリースしている。1ヶ月に2回、古いものを回収して、新しいものに取り替える。問題はその取り替え方にある。私のところではエントランスや玄関、エレベーターの前の扉にぴたっと付けて敷いている。ところが、とりかえに来た担当者はそんなことはお構いなしに、扉から離れて敷いて帰る。エレベーター前に至っては横と縦の長さが違うにもかかわらず、反対にひっくり返して敷いていることがある。最初の頃はきちんと敷いてくださいとお願いしていたが、何回いっても直らないので言うのをやめてしまった。担当者が帰った後、すぐにその都度直すようにしている。普通玄関マットはどういうふうに敷くかはみんなこだわりを持っていると思う。それを無視されるとあまりいい気持ちはしない。 私が取り替えの担当者なら、先方から指摘される前に、マットがどういうふうに敷いてあったをよく見ておいて、前と同じように敷くと思う。そういえば森田先生も、入院生が森田先生の部屋を掃除した時、自分の使用物を移動させているとすぐに注意されている。気配りに欠けているのである。神経質者はこういうところに気が付くようにならないといけない。こういうのをお使い根性の仕事というのではないだろうか。これでは、いくら仕事をやっても仕事の面白さや工夫はいつまで経っても生まれてこない。さらにこの前こんなことがあった。 1ヶ月に2回の交換だから、 15日ごとに交換してくれるものだと思っていた。ところが、 20日以上経って次のマットを交換に来た。説明を求めると、 1ヶ月に2回交換する契約なので、1か月の中で帳尻を合わせているのだという。たとえば1日と25日の交換でも契約はきちんと履行されているというのだ。「15日間隔できちんと交換してください」と伝えたが言い訳ばかりされた。仕方がないので、会社の上司に電話をすると、「そんなに言われても、こちらの巡回経路の問題もあるので、お宅だけ特別というわけにはいかない」という。会社ぐるみで、視線がお客様の方ではなく、自分の会社の都合や儲けのほうに向いているのだと判断した。こういう会社は私のところだけではなく、他でも同様のことをしているので、トラブルを抱えていると見た。お客様目線に立っている会社との差は開くばかりではなかろうか。
2017.11.25
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先日、私が勤務しているマンションに掃除のマイスターがやってきました。腰にはいろんな掃除用品の小物を入れるバックのようなものを巻きつけていた。毎日の掃除で困っていることがあったら何でも聞いてくださいという。私はまず、階段や踊り場のビニールシートが黒ずんでいる。どうしたらいいかわからないので放置しているが、どうしたらいいのか聞いてみた。その人が言うには、この黒ずみの原因は自動車の排気ガスから出る煤煙とカビであるという。対策としては、衣料用のハイターを使うそうだ。バケツに水を張ってハイターを混ぜる。それを使って、100均で買ったデッキブラシを入れてこすってみる。すると、ものの見事に黒ずみが取れて真っ白になった。衣料用ハイターは、ビニールシートを変色することはないので、安心して使ってくださいということだった。知らないということは恐ろしいものだと思った。次に、いつも気になってきた6階のエレベーター前の油汚れを見てもらった。会社から油汚れのオススメのスプレーがあったが、なかなか落ちなかったのである。マイスターは、まず水を撒いてビニールシートの模様に沿ってデッキブラシでこすってみた。するとかなり綺麗になった。この汚れは油ではないといった。これは居住者の人がゴミ出しをするときにビニールからこぼれた灰汁のようなものであると言われた。汚れ落としの基本は、まず水を含ませてブラシでこすってみる。これで大半はきれいになるそうだ。その際長い柄のついたブラシを使っては効果が出ないといわれた。力が弱くなって決してきれいにはならないといわれた。面倒がらずにデッキブラシを手に持っておこなうことだといわれた。私の今までのやり方が間違っていたことに気が付いた。それでも汚れがおちなければ、次に油ではないかと見当をつける。油落としの場合は、これを使いなさいと特殊な洗剤を見せてくださった。会社からの推奨のスプレーよりは、こちらの方がよく落ちるということだった。使い方も懇切丁寧に説明された。次に解放廊下側の各居住者の窓のサッシの下の面台の掃除である。ここは管理組合との契約には入っていないが、ここを掃除すると居住者にいかにもよく掃除しているように印象付けることができる。会社から特別に指示されている掃除箇所である。私は今まで濡れ雑巾で見えるところだけを拭いていた。それはやらないよりはよいが、サッシに隠れた見えない部分は放っておくのかといわれた。マイスターは汚れたタオルを捨てないでとっておいてこういうときに活用するとよいといわれた。スクレイパーという金具のへらのようなものをタオルの中に巻き付けて移動していけば、奥まで一瞬できれいになるということだった。確かに言われたとおりにすると、奥まできれいになった。これは大きな発見をしたようでうれしかった。今後の掃除が楽しくなるような予感がした。次に側溝の掃除は、大変よくできており他のマンションの模範になるといわれた。ここが汚れていると、居住者から掃除をしていないと判断されてしまうので、心して今後も丁寧におこなってくださいと言われた。ただし、ドレン(側溝のところどころにある水抜)は改善の余地があるといわれた。これはこのマンションの場合ビス2個で止めてある。それを外して、いつでも裏返しにして裏のごみをブラシで掃くようにするときれいになるといわれた。私は今までピンセットで綿ごみや髪の毛を取り除いていたが、マイスターの言われる方が理に適っていると思った。最後にエレベーターの溝について指導された。溝に詰まっている砂やごみは毎日掃きだしておくこと。さらに金属部分はきれいに磨いて、シリコンの油をつけておくことを教えてもらった。ここもピカピカに磨いていると、掃除が行き届いているように見え、管理人の株が上がるポイントであるといわれた。私はこの指導を受けて、今まであまりにも知らないことが多すぎた。他人から知らないことを教えていただいて、今後の仕事の改善となるたくさんのヒントを教えていただいた。短い時間ではあったが、私にとっては目からウロコの体験であった。森田でいうように、自分独自の気づきや発見を基にして、仕事の改善をすることも必要ではある。でも詳しい人から、基本的な事をしっかり教えてもらって、身に付けることも同時に大切だと思う。森田理論についても、人から教えていただいて、自分の考え方が大きく転換できるとしたら、素晴らしいことであると思う。その考え方を基にして、自分なりに発展させたり応用していけばますます成長できる。私は現在、 「森田理論全体像」の考え方をもっともっとみんなに理解してもらいたいと思っている。それが森田理論学習を有効に学習する手段だからだ。しかし、現実にはなかなか関心を示してもらえない。それはひとえに、自分の説明の仕方が悪いのである。これからは、説明の仕方を工夫して、それを私の使命として、あらゆる場をとらえて理解してもらうように努力していきたいと思う。この学習は森田理論の理解を飛躍的に高めることが身にしみてわかっているからだ。ライフワークとして取り組む価値があると思う。
2017.11.23
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森田先生は熊本の第五高等学校に在籍されておりました。今回初めて訪問しました。現在は熊本大学です。当時夏目漱石が英語教師でした。社会教育家の下村湖人、永杉喜輔、そして生活の発見会の生みの親の水谷啓二氏も第五高等学校の出身です。
2017.11.13
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運転免許証の更新の時、優良運転者は講習時間は30分である。その時講習の担当者が、道路交通法改正や注意事項については、ハンドブックを渡してよく読んでおいてくださいという。私はそれを軽くみて読んでいなかった。これがまずいことは後で分かった。そこに原付バイクの場合は3車線道路で右折する時は、 2段階右折をすることが明記されていた。なお、 2車線の道路の場合は、 2段階右折は必要ないそうだ。しかし、道路をよく見ると、普通は 2車線道路にもかかわらず、交差点に差し掛かる手前で、急に3車線になっているので要注意である。私がけたたましいサイレンを鳴らしたパトカーに捕まった時に、そんな法律は知らなかったと言ってみたが後の祭りだった。道路交通法を知らなかった自分が悪かったのだ。法律を知らないということは、道路交通法のみならず、とんでもない損害を被ることがある。失業した場合も、雇用保険で申請すればもらえるものがあるようだ。これは期限があり、期限を超えると知らなかったといって後から申請しても受け付けてもらえない。こういう事は、集談会の自己紹介の場で近況報告で話してもらうととても役に立つ。その後、私はまた優良運転者になった。今度は渡された2冊の冊子を丁寧に読んだ。すると、その中にこんなことが書いてあった。2つ役に立つことがあった。まず自転車に乗る場合のことである。市道や県道で自転車の右側通行はいけませんと書いてある。「自転車などの軽車両が通行できる路側帯は、道路の左側部分に設けられた路側帯に限ることとされました」今までは右側通行でも構わなかったのだ。路側帯の右側通行をした場合は、通行区分違反として、 3ヶ月以下の懲役はまたは5万円以下の罰金に処する。つまり、自転車は自動車が走っている方向の左側路側帯を通ることが義務付けられたのです。皆さんの中にも自転車に乗っている人は多いと思う。これも知らなかったのだから勘弁してくださいといっても警察は許してはくれない。 要注意だと思う。もう一つ役に立ったのは、夜間黒っぽい服装をして道を歩いているとき、ヘッドライトを下にして近づいてきた自動車は26メートルに近づいた時にやっと認識をしてくれる。しかし黒っぽい服装をしていても、 100均で買った反射材を身につけていると、57メーター以上前に自動車の運転手が気がついてくれるという。時速60キロで走っている自動車は、歩行者を発見して止まるまでに44メーターかかるという。万が一の場合、反射材をつけていると助かる可能性が強いということである。こんな簡単なことで命が守れるのなら安いものだ。私は早速、 100円均一で肩からかける反射材を購入した。これからは早く日が暮れて暗くなる。犬の散歩などをする人は明るい色の服装や反射材を利用することをお勧めしたい。なお、自動車はライトの点灯の基本は上向きであるという。私はほとんどどんな道路でもライトは下向きにして走っていた。これからは細かく切り替えるようにしようと思った。このように知らないことを学習すると、気づきや新たな発見がある。工夫やアイデアなどが膨らみ新たな行動へとつながっていくようである。森田理論学習も全く同じことが言える。
2017.11.11
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森田先生は慈恵医科大学の講義の時は詰め襟の服装であったらしい。その風貌は、いかにも田舎のおじいさんといういで立ちであった。そのため、大学の小使いさんと間違えられることもあったという。結核性喘息持ちで、話の途中でよく咳をされていた。一見すると、とても当時尊敬の的であった大学教授には見えなかった。しかし、形外先生言行録を読んでいくと、多くの人が森田先生に対する感謝と思慕の念で溢れている。それも儀礼的なものではない。心の底から森田先生を尊敬してやまないのである。また、現代においても、人間森田正馬を研究すればするほど燦然と輝きを増してくる。森田先生のこれほどまでに人を惹きつける要因は何なのだろう。私は常々このことに対して疑問を持ち、何とか解明したいものだと思ってきた。今日はこのことについて書いてみたい。森田先生は自分の弱点や欠点をごまかしたり隠すということをされていない。事実そのものありのままにみんなの前でさらけ出しておられる。ここが我々と大きく違うところである。自分をかっこよく見せたいという気持ちはさらさらない。ありのままの自分をさらけ出しながら、自由気ままに行動しておられる。身近に森田先生の側で生活していると、自然に身についていくのだろう。次に、森田先生は入院生をよく叱られている。だいたい、神経質な人は自分を叱責、批判するような人を敬遠する。森田先生は重箱の隅のほうをつつくようなことを見つけ出してはすぐにその場ですぐに叱られている。森田先生は相手の気持ちを考えて愛想振りまくというような考え方は全くない。これでは叱られた人は腹が立ってすぐに反発するのではないかと思う。あるいは先生の側に寄り付かなくなる。実際、感情を荒げる人はいなかったようだが、側に寄り付かなくなった人はいたようだ。そのことでまた森田先生に叱られるというのが実情であった。そのままではいたたまれないような気持ちになりながらも、最終的には森田先生に対して尊敬と思慕の念が沸き起こってくるのはなぜなのだろう。それは根本的なところで、森田先生に人間に対する全幅の信頼感があったのではないだろうか。入院生をすぐに叱りつけるようなことがあっても、根本的にはその人の存在自体を尊重していた。かけがえのない人格の持ち主として認めておられた。人間賛歌の気持ちが強かった。なんとか人間本来の生き方に立ち戻って、神経症を克服するだけではなく、 1人の人間として悔いのない生き方を見つけてほしい。そのためにあえて自分が嫌われ者になってなっても構わない。森田先生が入院生と付き合う上において、最も重視されていたのはそのことであろう。それは森田先生が、人間が生きるということの確固たる真理を見極めておられたからであろう。私はこの真理について森田先生は主に2つの大きな柱を持っておられたように思う。1つ目は、不安や恐怖に対する考え方とそれへの対処の仕方である。2つ目は、現状、現実、事実にしっかりと根を下ろした生き方を目指すということである。この2つは森田先生が試行錯誤の末にたどり着いた人間本来の生き方といってもよいと思う。この2つが間違っているから、神経症にも陥るし、人間本来の生き方から外れてくる。神経症を引き起こしたり、人生の苦悩や葛藤を引き起こす原因となっている。このことを分からせ、今後の人生を悔いのないものにするために、森田先生はあえて叱責という感情を使って入院生を指導されていたのではないだろうか。それだからこそ、森田先生は、多くの人を魅了し、今もなお多くの人を引きつけてやまないのではないかと思う。こんな子育てができれば、素晴らしい人間に成長するだろう。どこまでも人間愛の深い森田先生に脱帽である。
2017.11.10
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私はかってトライアスロンに打ち込んでいた時、水泳がとても苦手だった。トライアスロンというスポーツは、水泳(スイム)と自転車(バイク)、ランニング(ラン)を組み合わせたものだ。オリンピックなどではスイムが1.5キロ、バイクが40キロ、ランが10キロで争われる。これはショートトライアスロンと呼ばれていて、ふつうはもっと長い。スイム3から4キロ、バイク100キロ、その後42.195キロのランというようなのものがある。これを夏の時期に一人の人間が朝早くから、夜になるまで行うのだ。だから鉄人レースと呼ばれている。バイクは平たんな道というのはめったにない。わざわざ起伏のある道を選んでコース設定されている。完走すると、とても感動するが、それこそ寝食を忘れるくらい過酷な練習をこなしていないと、途中棄権ということになる。それどころか、体を壊す。私も練習不足で臨んだ大会で、ランになって足がつりだし走れなくなったことがある。私の場合、会社に行く前にバイク15キロ。それも山越えのコースで毎日早朝練習していた。会社への行き帰りはラン、その帰りの途中でスイムを1.5キロという生活を1年以上続けてやっと小さな大会にエントリーできた。バイクとランは練習でなんとかこなせるようになったが、水泳のクロールだけは最後までダメだった。本番の大会では平泳ぎで泳いでいた。平泳ぎは常に顔が水面に出ていて、恐怖心はなかった。その点は問題ないが、なにしろスピードが出ない。1.5キロ泳ぐと他の選手に大差をつけられてしまう。完走が目的とはいえ、スイムの段階で最後尾に近かった。クロールで泳ぐと海の中はものすごく濁っていて、透明なプールとは全然違う。闇の中を泳いでいるようなものだ。スイムの下手な選手にはとても恐怖心がある。誤って海水を肺に入れてしまうとパニックになる。それで命を落とした仲間もいた。そのうえ海はうねりがある。潮の流れがある。たくさんの人が一緒に泳いでいるので体がぶっつかり合う。平泳ぎの問題点は足のキックを続けることである。その後バイクやランでは主に足を使うので、スイムの段階で足を酷使してしまうのは問題がある。バイクやランでボディブローのようにきいてくるのだ。足の酷使はできるだけ避けるのが定石だ。クロールの上手な人はスイムでは、足はバタバタと動かさない。手で前進して、足の力はバランスをとる程度に動かすだけで温存しているのだ。私はトライアスロンを始めたときほとんど泳げなかった。人のやるのを見て興味本位で始めたのだ。ある程度コーチについて学んだが、私の泳ぎをみてクロールはあきらめたほうがよいといわれた。クロールは中年の男性が初めて挑戦して身につけるのは難しいといわれた。どうしても大会に出たいのなら平泳ぎしかないといわれた。それでも何とか物にしたくてかなり練習をした。クロールの習得に当たっては、最初に手の動かし方、息つぎのやり方、足の動かし方など分解して覚えていく。最初は両手の前に浮き板を持って足の筋力をつけることから始める。足で推進力を作りプールを行ったり来たりする。次に足をついたまま、手の動きを何度も練習する。体をひねって片手をできるだけ前に伸ばす。水を捕まえるようにして、胸の前まで引き寄せる。さらに腰のあたりまでひいて、最後に力強く押す。ここで一番推進力が得られる。次に手の肘をトップにした状態で最初に戻る。その時に、もう片方の手が同じ動作を繰り返す。文字にしてしまえばこういうところだが、実際に体験して自然な動作としてできるようにならなければならない。それができるようになると、足に浮き板を挟んで足が沈み込まないようにした状態で、手の動きを体に覚えこませる。同時に息継ぎを覚える。息継ぎで大事なことは、決して水を飲みこまないということだ。そこまでできるようになったら、股に挟み込んだ浮き板を外して、本格的にクロールの練習をするのだ。ところが、分解して練習していた時は難なくできたことが、3つの動作を組み合わせたとたんにずっこけるのだ。特に手の動きと足の動きが連動しない。100メートルまではなんとか泳げるようになったのが、全力で泳ぐとエネルギーが枯渇して後が続かない。これでは海で1.5キロを泳ぐことはできない。下手をするとおぼれて死んでしまう。上手な人はゆっくりと泳いでも体が沈み込まない。リラックスした状態でいくらでもプールを往復することができるのだ。うらやましかった。疲労物質が体に蓄積するということがないのだろかと不思議に思った。歳をとってからの水泳はとても体によいといわれている。膝に負担がかからないスポーツだからだ。興味のあるかたは、この際クロールに挑戦して見られたらどうでしょうか。できた暁には、そのコツを是非伝授してもらいたいものである。
2017.09.10
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高知県にカツオの一本釣り漁師の明神学武さんという方がおられる。この人は第83佐賀明神丸で、ここ10年間で4度水揚げ日本一の快挙をあげられている。漁労長としての明神さん肩には、乗組員23名から27名の生活がかかっている。明神さんにはピンポイントでカツオの群れを探し出す能力を身につけられた。他の船と同じようなことをやっていては、水揚げ日本一は達成できないという。どうやってカツオの群れを見つけ出しているのか、とても興味がある。一般的にはカツオは黒潮に乗って、早春から春先、梅雨の時期から夏にかけて、沖縄方面から東北沖まで回遊している。そして8月を過ぎるとまた南の方へ戻っていく。カツオはイワシの群れを追って常に移動しているのだ。そのイワシの群れの周りには海鳥が集まっているという。そのため、漁船には海鳥を見つけるための海鳥探知器が設置されている。その他魚群探知器はもちろんのこと、 GPS航行装置によって40キロから60キロ周辺を観察している。刻々と変化するその日の気象状況、海水温、黒潮の流れの蛇行などを正確に把握して、カツオの集まっている場所を経験と勘で予想している。その他最近カツオがたくさん取れたところ、あるいは他の漁船がたくさん集まっているところもデーターとして分析もしている。ただ、それらのデータは参考にするだけで、今日の漁場を決定する際の決め手ではないと言う。膨大な多方面のデーターをよく観察して、自分なりに分析して、果敢にチャレンジされているのだ。次にカツオの生態についてとてもよく熟知されている。カツオの群れを見つけると、海水を散水する。そしてキビナゴや背黒イワシを深いところに沈める。すると小型のカツオから反応して、そのうち大きなカツオが反応して上に上がってくる。群れ全体を海面に持ってこさせる。泳げる活気のあるエサをまいて引きつける。カツオの群れは先頭を走っているカツオに付いていくという習性がある。先頭を走るカツオの動きを推測しながら生きているエサをまいて、カツオの群れを船の近くに連れてくる。海面に上がったカツオの群れは散水効果と活魚を見て、大量の餌にありついたと考える。その中に一本釣り用の疑似エサを投げ入れる。カツオは目で餌を確認できます。群れの中には釣り糸などが見えるカツオもおり、釣り糸や釣り針がわかるとすぐに逃げてしまいます。頭のよい魚なのだ。カツオの1本釣りは漁労長が指揮をとり、まだ未熟者の若者が餌配りを行い、船の先端部分と後ろ側には経験の豊富な熟練者が陣取りドンドンと釣り上げる。これが20分から長いときは2時間も続く。重いカツオは10キロ以上にもなる。大変な重労働で1人前になるには3年くらいはかかるという。また1年のうち2月から11月まで、夏季休暇を除いては約10ヶ月海の上で生活する。団体生活であるので、良好な人間関係作りと一糸乱れぬチームワークが重要になる。明神さんは、まだ若い方ではあるが、性格的には、釣りバカ日誌の浜ちゃんのような人で、人を叱りつけるようなことがない。雑談の場では、人の話をニコニコしながら黙って聞いているような人である。しかし、一旦カツオの話になると真剣そのものである。みんなの生活が自分の判断で左右されてしまうので、真剣にならざるを得ない。また収穫が上がらないと、みんなの士気が落ち込んで、人間関係にも影響してくる。大変なプレッシャーである。明神さんは、最新の設備を利用してカツオの動向を観察されている。またカツオの習性を常に研究されており、研究熱心である。また他の漁船の水揚げ高も気にしながらライバル意識を燃やしている。そして漁労長として、乗組員の全員の雇用を守るという責任感も強い。明神さんを見ているとカツオの一本釣り漁が、天職の様に思えてならない。多分一般の会社の社長として指揮を執っても、うまく切り盛りされることだろう。
2017.08.16
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現在ブログにアップしている場所はどこですかという質問がありました。ご存知の方もおられると思いますが、和歌山県串本町にある「海金剛」です。日本の自然100選に選ばれているところです。インターネットではもっとよい写真がアップされているのでご覧ください。自然の美しさと圧倒的なスケールで思わずあとずさりしそうになる場所です。これぞ自然という感じです。このほか私の訪れたところで、度肝を抜かされたところは、鹿児島県与論島のシュノーケリングで見たサンゴ礁、北海道の摩周湖、知床半島のオシンコシンの露天風呂、礼文島の西海岸、長崎の九十九島、奥日光の白樺林などです。なにしろ大学では旅行研究会に入っていたため、日本全国あらゆるところに足を運んでいます。
2017.08.11
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陶芸家、木彫家、詩人の河井寛次郎さんは優れた言葉を残されている。その優れた作品は島根県安来市の足立美術館に展示されている。その一端を紹介します。仕事が仕事をしてゐます仕事は毎日元気です出来ない事のない仕事どんな事でも仕事はしますいやな事でも進んでします進む事しか知らない仕事びつくりする程力出す知らない事のない仕事聞けば何でも教へます頼めば何でもはたします仕事の一番すきなのは苦しむ事がすきなのだ苦しい事は仕事にまかせさあさ我等は楽しみませう仕事が仕事をしてゐる仕事暮らしが仕事 仕事が暮らしこの詩を理解するには「仕事」を、例えば「森田先生」に置き換えてみてください。この詩は全く趣を変えて、私たちに何かを訴えかけてきます。何事にも情熱を持って取り組んでおられる森田先生の姿がありありと目の前に浮かんでくるようです。手考足思(しゅこうそくい)という詩も味わいがあります。私は木の中にいる石の中にいる、鉄や真鋳の中にある人の中にもある。一度も見た事のない私が沢山いる。終始こんな私は出してくれとせがむ。私はそれを掘り出したい。出してやりたい。私は今、自分で作ろうが人が作ろうがそんな事はどうでもよい。新しかろうが古かろうが西で出来たものでも東でできたものでもそんな事はどうでもよい。すきなものの中には必ず私はいる。この文章は森田理論でいう「物の性を尽くす」を頭の片隅において読んでみることをお勧めする。その際「私」を「潜在能力」あるいは「存在価値」と置き換えて読んでみたらどうだろうか。すべての人間は自分の潜在能力や存在価値を、何とかこの世で生きている間に花開かせたい。自分だけではない。他人、物、時間、お金もその持っている潜在能力、存在価値を存分に発揮してその使命を果たしたいと願っているのだ。それらにたいしての絶対的な信頼感や包容力がないと、できることではない。
2017.08.06
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人間の心理は不思議なものである。例えば、株式投資をしている人が株を売買する場合、最初に利益目標を立てる。普通はその株が順調に上昇して10%の利益目標を達成すると決済する。これはいわゆるスィングトレードといわれる場合のやり方である。例えば、総額100万円の株だったら10万円の利益が出ると手じまいをする。その途中で現在その株が7%上昇しているとする。 7万円の含み益が出ているのである。このまま上昇して利益確定になるかと思っていると、そこから急に反転して下がってくることがある。株式投資では日常茶飯事のことである。なにしろ株価の動きは風船球のようなものだからだ。7万円の含み益が出ていたのに、その含み益がどんどん減少して、 4万円程度の含み益に減少したとする。売買ルールを持っていない投資家は、ここで大変動揺するのだ。慌てふためく。すると、最初に立てた利益目標はすっかり蚊帳の外になってしまう。4万円の含み益がこれから先、まだまだ値下がりしてゼロになるかもしれない。あるいは最悪マイナスに転じるかもしれない。そのような恐怖に襲われるのである。そこでどんな行動をとるか。 4万円の含み益があるときに慌てて手じまいをするのである。「ヤレヤレ、思っていたほどの利益はとれなかったが、ある程度の利益が取れたので、このトレードは成功した方である」と思ってしまう。本当にそうだろうか。こういう考えの人で1年トータルで資産を増やしているという話を聞いたことがない。このやり方はトレードとは言えないと思う。競馬やパチンコなどと同じようなギャンブルである。このようなやり方では決して資産形成には結びつかない。むしろ虎の子の財産を失うだろう。本来は自分の立てた売買目標、売買ルールを首尾一貫して守っていくことが重要となる。腹を据えて、途中少々儲かっていても、最初に立てた、例えば-2万円のロスカットにくるまでは、どんなことがあっても動かない。静観する。反対に、予想通り含み益が出てくると、 仮に5万円の含み益が出たときに、そこから-2万円の3万円にロスカット位置を引き上げる。下がっても許容範囲の場合は、慌ててロスカットなどはしない。 7万円の利益が出たときに5万円まで下がってきた時に初めてロスカットをする。 9万円の利益が出たときは7万円まで下げた時にロスカットをする。そのようなやり方でロスカット位置を引き上げて、最終目標を目指していくのである。このようなロスカットのやり方をトレイリングストップという。そのようなやり方で、途中少々値下がりして苦しい時を乗り越えることが常道となっている。株式投資をギャンブルと同じように取り扱っている人は、最初から思惑が外れて値下がりする銘柄があると仕事が手につかないほど頭の中がかき乱される。そんなときに、その人の本性がすぐに現れる。例えば-2万円、-3万円の含み損が発生したとする。まともなトレーダーはこの段階でロスカットをする。最悪でもー5%を下回るとすぐにロスカットをする。すぐに手じまいをしなければ取り返しのつかなくなることをよく知っているのだ。ところが、株式投資をギャンブルなみにやっている人は、損失を確定することをとても嫌がるのである。あるいは、この株は雑誌で推奨銘柄として取り上げられていたし、そのうちきっと反転してくれるに違いないと希望的観測で待ち続けてしまう。なかには思惑通り反転する場合もあるだろうが、ほとんどは自分の願いとは反対の方向に向かうことが多い。そして、含み損が-10万円、-15万円と膨らむ事は日常茶飯事である。そうなると最終的にはやけくそになってしまい、「どうにでもしてくれ」という投げやりな気持ちになるのである。経済的な損失もさることながら、精神的な苦痛も相当なものである。まともな株式投資をしている人は、最初に決めた自分の売買ルールをきちんと守っているのだ。株価が下がってロスカット位置にくれば、自動的に損切りをして手じまいする。株価が思惑通り上昇し始めると、どこまでも最終利益目標を目指していく。途中下がってきた時でもトレイリングストップを活用して、ロスカット位置を切り上げて、安易に途中で降りることはしない。できうる限り目達達成のために粘るのである。これが株式投資の世界から退場させられることなく、資産形成に結びつく道であると考えられる。なお、この投稿は決して株式投資を推奨しているものではありません。安易な気持ちで手を出すと財産を失うこともある。むしろ何もしないほうが資産を減らさない人のほうが多い。私はファイナンシャルプランナーなので、たまに株式投資の相談を受けるので投稿してみたのです。現在は他人の弱みに付け込む悪徳業者が鵜の目鷹の目で獲物を追っているので気を付けたほうがよい。この投稿は、株式投資にも森田理論の考え方が役に立つと考えているので、思い切って投稿してみたのです。
2017.08.04
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私は実務はしていないが、CFPというファイナンシャルプランナーである。幅の広い分野の中でも、ライフプランと金融資産運営設計の学習を続けている。この資格の更新のためには2年間で30単位という単位を取らないと資格を喪失してしまう。ところで誰でも65歳を過ぎると、年金生活になる。年金というのは、一般的には生活するための最低限度のお金しか支給されない。だから年金だけでは不足しているという人もいる。高齢になって経済的な面で困るのは、病気になったときや、介護が必要になったときのことである。さらに、冠婚葬祭費や固定資産税、家の修理や家電製品の買い替えなどである。さらに田舎に住んでいると、移動手段として自動車が必需品なのでその維持管理費も相当かかる。そして子供や孫にかかる費用も無視できない。そのために、 65歳を過ぎてもアルバイトのような仕事を続けている人も多い。また、退職金や親から引き継いだ遺産などを取り崩して凌いでいるという人も多い。取り崩すばかりの人は、財産が減ってくるので将来が不安でいっぱいだ。長生きすればするほど長生きリスクが増してくるのだ。そこで私のところに相談に来る人がいる。今の蓄えを銀行に預けてもほとんど利子はアテにできない。このままでは蓄えが底をついて首が回らなくなりそうだ。なんとかうまい資産運用のアドバイスをして欲しいと言われるのである。そういう人は、投資信託や株式の運用などで何とか財産を増やそうとされている。しかしながら多くの人は資産を増やそうとしながら、逆に資産を減らしているのが現状である。証券会社、銀行、ゆうちょなどの金融機関にしてみれば、カモがネギをしょってやってくるようなものだろう。そんな時私は年金以外に年間どれぐらいのお金が必要なのかと聞いてみる。ところがそういう人に限って、資産運用でお金を増やすことは熱心だが、将来にわたってのライフプランを持っている人が少ない。これは本末転倒ではあるまいか。本来は自分の生存期間中のライフプランを立てることが先決なのではなかろうか。ライフプランがあって初めて不足額がわかる。その不足額を埋めるために、次にどうすればよいのかという話になるのである。不足額を埋めるために、一生涯働くこともある。親の財産を活用させてもらうこともある。収支を見直して、支出を削減していくことも考えられる。お金のかかる生活の仕方を見直してみることも必要になる。親せき付き合いや近隣住民、友人との付き合い方を変えることも必要になるかもしれない。家電や自動車の買い替え、趣味や旅行などを見直すことも必要になるかもしれない。その一環として資産運用があるのである。ただし資産運用はプロがやっても決してうまくいかない。思惑通りに利益を上げることはありえない。だからすぐに不足分を資産運用をしてリターンを獲得しようと考えるのは軽率であると考える。金融資産には定期預金、国債、キャピタルゲインねらいの株式の運用、投資信託、配当金狙いの株式投資などがある。そのほかFX、先物投資、不動産投資などありとあらゆるものが用意されている。今は定期預金はほぼ安全に管理できるがほとんど利子はつかない。私の友人で退職金を定期預金に預けると、 3カ月間だけは高い金利が適用される。そこで3カ月間だけある銀行に預け、その後引き出し、また別の銀行に預けるということを繰り返している人がいた。それもよい方法だが、そんなうまい方法はいつまでも続かない。国債は比較的安定的で、定期的にわずかながら利子が入る。投資信託は手数料が高く、基準価格を大きく下回ることがあるので、損失を出している人も多い。株式の運用については、自己責任の世界である。デイトレード、スィング取引などはほとんどの人が失敗している。株式で成功している人は、長期運用している人が多いようだ。安いときに買って、長期に保有している人は今現在は大きく資産を増やしている。日経平均は8,000円くらいの時に、株式相場にみんながそっぽを向いているときに株を買って、持ち続けてきた人だった。3年から5年もすると大きく値上がりしていた。配当狙いの株式の保有は、多くの人が目を向けない。私はまずこれを勧める。確かに多くのリターンは期待できないが、会社が倒産しない限りは損失を出すことがない。私は前に会社に勤めていた時に、自社株をこつこつ買っていたが、その配当が現在1株30円から35円もある。しかも配当は年に2回ある。1000株もあれば年に最低60000円の配当がある。(ただし税引前利益である)ただし今は株価が高い時期なので、将来株価自体が下がる可能性が強いので注意が必要だ。基本は退職金などを元にして、年配者は安易な気持ちで株などの資産運用に手を出してはならない。もしどうしても値上がり期待の株式投資に手を出してみたい場合は、予想とはずれた場合に、機械的に損切りのできる場合に限る。それでもどうしても値上がり期待で株式投資を始めてみたいという人が多い。これしか道はないと考えておられるようなのだ。そういう人にはリスク管理を徹底することを話す。投資は全資産の20パーセント以内にとどめること。残りの80%は絶対に手を付けてはならない。投資の達人でも最終的には、利益が出ている確率は25パーセント程度だと聞いた。投資の多くは失敗しているという事実を無視してはならない。つまりプロ野球の選手と同じで、100回バッターボックスに入って75回は失敗しているのだ。それでもプロ野球の世界で飯を食っているという教訓に学ぶべきだ。それでも利益を出しているのは、予想が当たったときはできるだけ儲けは大きく、予想とはずれたときは少ない損失で素早く損切りをしているのである。そうなるためにはたゆまぬ株式市場の動向の研究や変化への対応力などを、粘り強く集団として対応していることを忘れてはならない。そしてインターネットなどで絶対に儲かる○○投資法なるものに引っかかる人が後を絶たない。株式投資は湯呑の中で100円玉を振って、さあ表が出ているか裏が出ているか予想するようなものだから絶対ということはありえないのである。過去の成功事例ばかり持ち出して話されても、結果が分かっていることを説明することに意味はない。そんなことをいう人には、明日上昇する銘柄を教えてもらい、それがどんな結果になるのかを検証してみるとよい。100%予想が当たるということはあり得ない話だ。その人の予想を信じて損失を出したときに責任をとるのは自分以外のなにものでもないのだ。
2017.06.09
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2017年4月号の生活の発見誌に河野基樹先生の記事があった。河野先生は、対人恐怖症の精神科医であった。1996年に直腸癌を発症され、 58歳で逝去された。亡くなる直前まで、講演を続けておられたのが印象的である。点滴を打ちながら講演されていた。頭が下がる思いである。この文章の最後に、河野先生のお父さんの詩集の中から次のような詩を紹介されている。夜がふけるのは朝がはじまるため冬が来るのは春を迎えるため悲しみは喜びのさきぶれ失望は希望の道しるべ太陽はどこでも明るくまわっている。神経症に陥った時は、アリ地獄の中にはまりこんだようなもので、将来に希望が見いだせず、悲観的な気持ちになります。この詩は、最悪の状態に陥ったとしても、時間の経過とともに、状況は自然に変化してくるということを言われていると思います。私たちは、素直にその変化に身をゆだねることが大切になります。深夜で辺りが真っ暗になると誰でも不安でいっぱいになります。でも必ず朝が来て辺りが明るくなるということがわかっていれば、将来に希望が持てます。その不安な嫌な気持ちを払拭しようとしていると、せっかく朝が来てもその不安な気持ちだけは無くなるどころか増悪してきます。不安な気持ちに対してやり繰りしたり逃げたりしないで、じっと持ちこたえるということが大切なのだと思います。河野先生は、 「森田理論は症状をとるために学ぶのではなく、私たちが社会生活をするために、神経質者はどういう心構えで仕事をすればいいのかということを学ぶのが生活の発見会であり、集談会であると私は考えています」と言われています。私もそう思います。森田療法が神経症を克服するという考え方は、間違いのないところですが、神経症の治療法に関しては薬物療法、その他心理療法が30種類もあるといわれている。だから神経症の克服は、その人に応じて、その人に合った治療法を選択して組み合わせるべきだと考えます。しかし、神経質者、発達障害、愛着障害などを抱えた人たちに対して、生涯にわたって生きる指針となる考え方を示しているのは森田理論だけだと考えています。またそれ以上に自然と人間のかかわり方、人間関係の在り方について、明確な一つの方向性を打ち出しているのは森田理論以外に有効な理論は今のところ見つかっていない。また、河野先生は、森田理論学習だけに取り組んでおられる人は、進歩が遅いとも言われています。実践という言葉を大事にして、体を動かして、行動に移しておられる人の立ち直りは早い。必ず理論と実行が伴わないといけないのだといわれています。集談会から次の集談会までの1ヶ月の間に、日常生活を自分はどのように送ったかという答えを持って出席し、次の1ヶ月はどのような事を日常生活の中で実行するかをはっきりさせて生活に取り組んでいく。自分の考え方や行動のどこが間違っていたのか、先輩の意見やアドバイスを参考にして修正をしていただきたいのです。それには1ヶ月ぐらいの期間がちょうど良いのではないかと思います。これもその通りだと思います。森田理論を学習している人は、理論と行動の2つの車輪をつけて日々生活しているわけです。ステップアップすれば、もう少し大きな車輪に付け替える。同じ大きさの車輪に付け替えながら生活するということが大切です。理論の車輪だけを大きなものにして、行動の車輪を小さいものから大きなものに付け替えないということになると、行動の車輪の周りを森田理論の大きな車輪が空回りするようになります。こうなると生活を前進することができなくなります。観念化が進行しすぎると、むしろ弊害のほうが大きくなります。
2017.05.04
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江戸時代尾張藩の武士が27年間にわたって日記を残していた。名前は朝日定衛門重章という。100石どりの武士だった。現代で言えば、主任から係長クラスである。100石どりの武士は、夫婦2人、子供1人、作人4人の家計が十分に成り立っていたという。家屋敷は250坪前後で、門があり、屋敷の周囲には生け垣をめぐらし、カヤぶき平屋建ての母屋には両親が住んでいた。別棟には本人たちは住み、野菜などは畑で自給自足であった。関ヶ原の戦いから100年も経過しており、時代は元禄時代を迎え、平和で町人文化が花開き、優雅な生活を楽しんでいた。当時の人がどんな生活をしていたのか、早速紹介してみよう。重章氏が隠居した父親の後継いで初出仕したのは22歳の時だった。最初の仕事は名古屋城の警備の仕事だった。今で言うと警備係長といった仕事だった。仕事とはいっても、勤務するのは1ヶ月にたった3日だけだった。 3人1組で9日目ごとに1昼夜の勤務だった。まずこんな勤務実態に驚いた。現代ではとてもあり得ないことである。その勤めものんびりしたものであった。ご馳走を用意して、勤務中に酒を飲んでいたようだ。ほとんど仕事らしいことはしていないのである。それでも解雇される人はいなかったという。藩庁は、藩士たちの酒を禁じることもなく黙認していたという。非番の日は、表向きは武芸、学問の自宅研修ということになっていた。実際には誰もそんなことはしない。それよりも、直属の上司や同僚たちとの交際の方を重視していた。この交際さえ真面目にしていれば、月に3度だけの勤務で給料をもらえ、後は全て自由時間だった。重章氏は有り余る時間をどのように過ごしていたのか。魚釣りをしたり、人目を忍んで御禁制の芝居小屋をのぞいたり、植木や菜園の手入れをしていた。その他、酒、女、博打、音曲、様々な暇つぶしの芸、慰楽に首を突っ込んでいた。当地の藩士たちの死因で最も多かったのは、アルコール中毒による肝臓や腎臓などの病気だった。重章氏は好奇心旺盛でこれらすべてにのめり込んでいた。そのため、アルコール中毒で体調を悪くして45歳で病死している。重章氏は27歳の時、御畳奉行に栄転している。御役料40俵が加増となった。翌年藩命により京都や大阪へ公用出張している。1回の出張期間は2ヶ月である。出張期間は、身の回りの世話をする人が付き、宿泊場所も立派なところが用意されていた。出張といっても仕事はほとんどない。京都や大阪の御用商人たちから毎日接待を受けていたのだ。それが仕事のようなものだった。相撲や芝居見物、観光や料亭での接待が中心の出張であった。日記の中に仕事の話はほとんど出てこない。45歳で亡くなるまで合計4回、この出張は続いた。行く先々に御用商人たちがてぐすね引いて待ち受けており、重章氏にとっては全くの役得旅行であった。私が注目したいのは、江戸時代の武士の仕事ぶりである。ほとんど仕事らしい仕事はしていない。でも一家が困らない程度の収入はあった。現代の人たちの仕事ぶりと比べてなんという違いであろう。今から300年前の武士の仕事ぶりはみんな似たり寄ったりだったようだ。この人は有り余る時間を好奇心のままに、いろんなことに手を出して楽しんでいたのである。誤算はアルコール中毒で健康を害して早死にをしたことと、放蕩三昧で結婚や離婚を繰り返して家庭には安らぎがなかったことだ。もし、酒をほどほどに楽しみ、家庭を大事にして、家族仲睦まじく生活していたとしたら、現代人が見ると中身の濃いい、とてもうらやましい人生を送っていた人に思える。現代の日本人は便利で食べ物やほしいものは何でも手に入る生活であるが、そのためには多額なお金がかかり、お金に振り回されている。そういう生活は本来の人間の生き方ではありませんよと教えてくれているようであった。今の仕事人間のような生き方をしていると、望むべきもないことであるが、本来の人間の生き方というのは、実はこんな生活を送ることかもしれない。自分たちの働き方を見直してみることが必要なのかもしれない。(元禄御畳奉行の日記 高坂次郎 中公新書参照)
2017.04.25
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先日親戚の叔父さんが亡くなったので、葬儀に参列した。葬儀では生前の写真がスクリーンいっぱいに映し出された。また、孫たちが感謝の思いをそれぞれに発表して見送った。故人は家族や他人への思いやりが深く、多くの人から愛されて生活していたことがよく分かった。故人を偲んでゆかりの人が大勢集まり、こういうお別れの仕方もいいものだと思った。私の場合は、兄妹が少なく、子供も少なく家族葬が精一杯だなと感じた。その葬儀は、自宅ではなく葬儀社で行われた。今はどこでもそうなっている。申し分のない葬儀ではあったが、あまりにも豪華すぎる葬儀のように感じた。祭壇は大きくて立派なもので、花輪や生花、果物籠が所狭しと並んでいた。今や葬式は結婚式と同じようなショーとして執り行われているようだ。後で聞くと、葬儀費用として100万円から200万円はかかるといわれていた。初七日が終わった後、仕上げの膳というのがあったが、その豪華な内容に驚いた。和食のフルコースだったのだ。普段はあまり食べることのないような料理であった。生物であるので持ち帰り不可能と言われたが、量が多すぎて半分以上は残ってしまった。昔は精進料理といって質素なもので、肉や魚は出なかった。まして葬儀当日はアルコールなどは飲まなかった。ところが、今日ではアルコール付きで豪華料理が当たり前である。そのため、現在では親戚の人の葬儀の場合は、 5万円以上の香典を包むことになる。その上、花輪や生花代が2万円ほどかかる。そして4 9日の法要には、さらにお供えとして参列者一人あたり3万円ほど包む。というのは、法事でも近くの料理店に出かけて、豪華な食事が用意されるからだ。また茶の子として商品券や高価な商品が用意されるので、精一杯の誠意を示す必要があるのだ。これは私の暮らしている地域に限られているのだろうか。私の場合は、両親の兄弟姉妹がそれぞれ5人ずついる。さらに、妻の両親の兄弟姉妹はそれ以上にいる。両親は既に他界しているので、子どもである私が親戚付き合いのしないとならないのだ。最近は我々の親たちが亡くなる場合が多くなってきた。 年に2 ~3件はある。また、親戚関係が多いという事は、甥や姪の結婚式の案内が来ることも多くなってきた。結婚式の場合は夫婦で行く場合は、最低10万円は包むことになる。だから年間費用として、冠婚葬祭費を十分に見ておく必要があるのだ。場所が大阪や東京の時は、交通費の負担も大きい。現在、年金とマンション管理人の収入で生活しているが、それは毎月の生活費で精一杯だ。冠婚葬祭費、家電製品の買い替え、家屋の修理費、固定資産税などの税金、自動車関係の費用、田舎の維持費は貯蓄を取り崩すしかない。将来蓄えが底をつくようになった時が一番の心配事である。豪華な葬儀や結婚式は、基本的には業者を儲けさせるだけだと思う。自分では最低限の付き合いにしたいと思っても、社会的には至れり尽くせりが当たり前になっているので、いかんともしがたいのだ。
2017.04.21
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官民連携の「プレミアムフライデー」が、平成29年2月24日(金)から実施された。プレミアムフライデーに登録した企業は今後、強制的に月末の金曜日は15時で仕事を終わる。これは、幸せや楽しさを感じられる体験(買い物や家族との外食、観光など)ができる時間を作ることで、次のような効果が期待されている。1 .充実感・満足感を実感できる生活スタイルの変革の機会になる。2 .地域などのコミュニティー機能強化や一体感の醸成につながる。3 . (単なる安売りではなく)デフレ的傾向を変えていくきっかけとなる。よくわからない理屈だが、官民で連携し、全国的・継続的な取り組みとなることを狙っている。ロゴマークも作り、ロゴマーク申請企業は3,930社である。プレミアムフライデーの第一の目的は、ゆとりある生活ではなく、消費の拡大にあるといわれている。消費を拡大することで、デフレ基調の日本経済を変革しようとしている。働いている人はお金はあるが、それを使う時間がないのでそのきっかけ作りをしているのだという。私はこの試みは大企業と政府から提案されたということに注目している。ねらいは別のところにあるとみている。大企業の正社員の給料は高い。ボーナスの支給も重荷だ。そして毎年昇給がある。さらに厚生年金、健康保険も企業が半分は持っている。こんな国は世界を見渡してもそんなにはない。これは裏を返せば、これらは海外展開している日本の企業が外国企業と世界で戦っていく上において不利になる。人件費の負担が多すぎるのである。この問題を解消して人件費の負担を軽くしようとしても、労働組合の力が強くて進展しない。そこでこれまでにグローバル企業は人件費の安い海外に工場移転を進めてしのいできた。でも国内の高い人件費を削減することを決してあきらめたわけではない。今まで日本では、1986年施行の労働者派遣法とその後3回の法改正で、正社員を非正規労働者に切り替えてきた。2016年度は正規社員3298万人に対して、非正規社員1983万人となっている。37.5%の人が非正規社員である。大企業でも派遣労働者が多い。非正規社員は正社員に比べるとボーナスもなく、退職金制度もなく、年俸も格段に低水準だ。そのうえ雇用も不安定で、企業の福利厚生の対象外である。その結果企業の負担は軽くなった。半面多くの国民の生活は、短期間のうちに随分窮地に追いやられているのである。国民の多くが総中流家庭といわれていたのは遠い昔の話だ。企業と政府はこの路線をさらに強力に推進しようとしているのである。現在、サービス残業はどこの会社でも暗黙の了解となっている。それをバックアップするかのように、国会では「残業代ゼロ法案」が議論されている。今は管理職になる一歩手前の「高度専門職」のみの適用といっているが、これは派遣法の時のようになし崩し的に拡大されていくだろうとみている。これは働く労働者にとってみれば、当然労働条件の悪化につながる。うつや過労死などは増えることはあっても減ることはないだろう。労働時間の削減といえば、アメリカのオバマケアという国民皆保険を導入した際に問題となった。社員50人以上の企業がオバマケアとしての健康保険を提供した場合、人件費が今までよりも上がることになった。物価の高いニューヨーク州やニュージャージー州なら一人当たり時給3.79ドルも上がることになった。人件費の高騰を抑えたい企業は色々と対策を立てた。最終的に政府に罰金を支払わなくてもよい方法を思いついたのだ。それは今いる正社員の勤務時間を減らし、大半をパートタイムに降格するパターンだった。そうすれば短時間労働者として、企業保険への加入は免除されるのだ。今まで雇用主を通じて医療保険に加入する場合は、個人で入るよりずっと安く条件が良かった。企業がこのような対策をとったことで、フルタイム労働者がパートタイム労働者に降格されて給料が減らされた上に、条件の良い企業保険からも締め出される結果となったのである。その結果、中流以下の労働者の生活はますます苦しく、無保険者が増えていったのだ。これは国民の安定的な雇用を確保して、国民の福祉に寄与するという責任を放棄した形となった。アメリカで考え付いたようなことはいずれ日本でも起こるといわれている。プレミアムフライディは、これから先中小企業にまでどんどん拡大されていくだろう。すると、正社員から契約社員、アルバイト、パートへと労働条件の悪化、給料や福利厚生がカットされて、国民の大多数の人は生活がますます苦しくなる方向に向かうと思う。それは日本のグローバル企業が世界の舞台で勝ち残っていくためには、今のかかっている人件費をどんどん抑制していかないと不利になるからである。あるいは淘汰されてしまうからである。こんなことは考えすぎだと思われる人もいるだろう。だが政府や大企業はそんな風には考えない。ちょっとした突破口さえつかめば、それが自分たちの目指す方向に大きく前進することをよくわかっているのだ。そして国民が気づいたときはもう手遅れだったという事態に追い込みたいのだ。そういう視点でプレミアムフライディを分析する視点も必要であると考える。
2017.04.08
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昨年まで広島カープに在籍した黒田博樹さんは、野球解説者などをされている。森田理論に通じるような、なるほどなと思うような解説をされる。黒田さんが先発投手として心掛けていた事は6イニングを3点以内に抑えることだった。それができれば先発投手としての責任は果たせる。完璧に相手をねじ伏せる必要はないといわれる。むしろそのことに固執すると、ピッチングは反対の結果を招くといわれる。先発投手は、それを目標にして、シーズン中はずっと継続してほしいと言われる。「完璧を求めるな」と広島の若手ピッチャーによくアドバイスされている。そのためには、できれば、球数は100球程度を目安にしてほしいそうだ。ツーシームなど動く球をストライクゾーンに投げ込み、早めに打たせて取る投球を心がけて欲しい。黒田投手は、フルカウントから粘られて四球を出すなら、初球を安打された方がいいと思っていた。それで球数が抑えられるならそのほうがよい。 1人のバッターにファールで10球も粘られるようだと6イニングまでもたない。二死無走者で打者筒香(DeNA)ならば、本塁打以外は許されると考えていた。左前打はokという配球で勝負した。特に晩年はすべての打者を抑えにいかなかった。長いイニングを投げる先発ピッチャーは、すべての打者を抑え込もうと意気込むと失敗する確率が高くなる。ヒットは打たれても、点を与えなければokだ。たとえ、点を取られても最少失点で切れ抜ければよい。ゆとりのある気持ちで常に打者に真っ向勝負する気持ちが大切だ。広島カープの開幕3試合を見て感じたことがある。この3試合で内野の失策は5つあった。その時ピッチャーがマウンドで落胆しているケースがあった。こればまずい。野手はピッチャーの姿を見ている。そういうネガティブな感情は野手にも伝染していく。心の中では穏やかでなくてもそういう姿を見せてはならない。平静を装って、気持ちを切り替えて、次の打者に向かっていく闘争心が必要だ。黒田博樹さんは現役時代、データを重視しておられた。対戦相手の1つ前の試合は必ずチェックしていた。好不調の波、得意、苦手なコースだけではない。性格や各打者が置かれた立場も可能な限り知ろうとした。例えば、 一軍や二軍を行き来する打者は、四球より安打が欲しいと力む傾向がある。調子がいいベテラン打者は、じっくり球を待つことができ、好球必打することも多い。それらの情報を活用すれば、ボール球で誘ったり、あっさりとストライクが取れたりする。マウンドに立つ前から、ビデオやスコアラーから上がってくる情報をよく見て、自分なりに分析しておくことが欠かせない。そうしないと精神的に優位な立場で勝負することができない。(中国新聞 2017年4月3日朝刊参照)
2017.04.06
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精神科医の森下克也氏は、 「軽症うつ」を治す、という本の中で次のように説明されている。働くにあたっては、その意味づけが大切です。社会に貢献するため、出世を追求するため、家族を養うためなど、それは何であっても構いません。とにかく目的があることが重要です。それがあれば、困難にぶち当たったとき、 「なにくそ」と頑張ることができます。なかったら辛い思いまでして仕事をやりとげたいとは思わないでしょう。「何のために働いているのかわかりません」とはっきり言う人さえいます。そういう人は、心がくじけそうになった時に、きっと持ちこたえることができないでしょう。では、どうやったら働く目的を明確にすることが出来るのでしょうか。難しい問題です。ここではとりあえず、自分にとって仕事は「目的」なのか「手段」なのかを問うてみることから始めましょう。「仕事は人生の目的である」と言える人は、時間の多くを仕事または仕事に関するものに割いても構いません。気力も体力も維持することができるでしょう。しかし、 「仕事は手段である」という立場をとる人は、仕事にあまり意味を見出せていません。さして仕事に熱意を持てず、でも食べていくには仕方がないということで漫然と仕事に関わっているような人です。そういう人は、 「自分にとって仕事とは手段である」と明確に位置づけて割り切るべきです。けれども、そこにはひとつ、注意すべき点があります。仕事は手段であるなら、仕事よりも優先すべき大切なものがなければいけません。たとえば、家族、介護、趣味、他に目指す何かなどです。もしなければ強引にでも設定すべきです。仕事は生活していく収入を得るための単なる手段である、と言うのは、仕事へのスタンスとしてあり得ることです。決して悪いことではありません。そうすると、仕事の関わりは必要最低限でよく、要領よく仕事をこなしていくひとつの口実になります。 1番よくないのは「目的」か「手段」か、どちらかすらわからないということです。それは意味もなく働いていると言うことに等しく、自己の存在感の希薄さが、時間が経つうちに、多大なストレスとなってくるでしょう。この考え方に私は賛成です。私の場合は「仕事は手段である」という考え方で会社勤めをしてきました。口に出すことはありませんでしたが、心の中では「私は月給鳥」であると思っていました。仕事にはあまりのめりこまずに、集談会での人間関係、家族や趣味、資格試験への挑戦などに力を割いてきました。そのおかげもあって人間関係で苦しみながらも定年近くまで持ったと思っています。この考え方には反発を持つ人も多いと思います。仕事を通じて自己実現を図るべきではないかと。神経質者は元々根は真面目で責任感が強い人が多いと思います。それを前面に出して仕事にのめり込み、自分の心身や家族の団欒を犠牲にする人が多いと思います。私はそういう働き方は問題だと思ってきました。だから私はクビにならない程度ののらりくらりした働き方を選択してきました。首にならない必要最低限の仕事をして、家族との団欒、自分の趣味などに力を入れてきました。今の仕事は目標管理、成果主義、能率や効率重視などでがんじがらめに縛られており、まともに仕事をしていては、体を壊し、心を病んでいくのではないかと思います。また、まともに取り組んでいると人間関係のストレスでうつ病などを発症しかねません。ましてや管理職を目指して奮闘していると、能力がないとみなされるとすぐに出向やリストラされます。私が森田理論で学んだことは、仕事、家庭、地域社会、趣味などのバランスを意識した生活を送るということでした。仕事のみに大きく偏らざるを得ないような社会の風潮です。その流れに疑うことなく乗ってしまうことは、自分の人生全体から見ると決して褒められたものではないと思います。いずれ身体と精神を病んでゆく方向に向かうのではないかと思います。
2017.03.28
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昨日は、大相撲の千秋楽であった。横綱稀勢の里が大関照ノ富士を優勝決定戦で破り二度目の優勝を果たした。稀勢の里は13日目、横綱日馬富士に一方的に押し込まれ左肩を負傷した。怪我の状態から見て、その後の取り組みは無理ではないか、と思っていた。案の定、 14日目横綱鶴竜戦ではあっけなく敗れた。その後は左肩にテーピングをして強行出場した。とても痛々しかった。取り組み前には、稀勢の里は手負いの虎のようであり、体格で有利な照ノ富士の圧勝のように思えた。事実、稀勢の里は土俵際まで追い詰められ、無傷の右手だけで辛くも勝った。それでも優勝決定戦は照の富士の勝ちを予想する人は多かったと思う。優勝決定戦では照ノ富士にもろ差しになられ、またもや土俵際まで追い詰められた。体を入れ替えながら右手で投げを打ってギリギリのところで勝った。この勝負は今後、相撲史に残る名勝負ではなかったのかと感じた。稀勢の里は感極まって、君が代の演奏の時泣いていた。また、賜杯を受け取ったとき左肩が悲鳴を上げて顔が歪んでいた。稀勢の里は12日目までは圧倒的な力で横綱相撲を取っていた。ところが、 13日目の日馬富士戦で天国から地獄に突き落とされた感じだった。怪我をして強行出場しても勝ち目は無いかのように思えた。これはグレートサムシング、なにか目に見えない力が稀勢の里に味方したのではないかと思った。稀勢の里は本場所前にも激しいぶつかり稽古中、左目の上を7針も縫う怪我を負っていた。そして今回の左肩の怪我である。普通の人はその時点で休場してしまう。横綱の責任を全うするという強い意志と、どんな状況になっても勝負をあきらめないという態度に神様が味方してくれたのではないかと思う。こんな事はめったにあることではない。このたびは非常に良いものを見せていただいた。
2017.03.27
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私は老人ホームとか地域のイベントで音楽を演奏している。すると余禄で色んなものをいただく。先日醤油をいただいた。これがすぐれもので、卵かけごはん専用の醤油であった。ラベルの表には百年使用し続ける杉樽にて約五百五十日発酵、熟成された諸味を使用ラベルの裏には天然醸造、杉樽仕込みの醤油、国産鰹、国産昆布の一番だし、こだわり抜いた原材料と製法。最高に旨い玉子かけご飯をお楽しみください。製造者桑田醤油有限会社山口県防府市松崎町8-11早速玉子かけご飯を頂いた。そのおいしさは格別だった。この味こそ醤油なんだなと再認識した。こういうのが、幸せということなんだなと思った。玉子は平飼いで、黄身の盛り上がったものが良いそうだが、そこまでは残念ながらできなかった。作っている人のひと手間、ふた手間のこだわりをしみじみと感じた次第です。
2017.03.25
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遠藤周作さんは歳をとったことの功徳はいくつもあるといわれる。1、大抵の事を許せるようになる。自分も長い過去で同じ愚行や過ちを数多く重ねているので、他人が同じことを犯しても「やはり」という気持ちがどこかに起きるのだ。俺も昔は同じだったんだからという思いで相手を批判したり、非難できなくなる。もっとも、 礼儀上、怒った顔はするが、それは本気では無い。2、生きることで本当に価値のあるものと空しいものとの区別はおのずとできてくる。若い頃や壮年の頃にはどうしても目先に目がくらみ、己の出世生活に役立つものに心奪われがちなのは当然だが、次々と友人、知人たちがこの世を去り、生きることの儚さを身にしみて感じたすと、表面的な華やかさではなくて、本当に自分に大事だったことが何だったかは察知されるようになる。私はこの頃、いささか老年を享受する心境がわずかながら持てるようになった。つまり、これを最大限に利用、活用して、楽しみを大いに楽しみ、労力のかかるものはごめんいただき、そしてまあ、この社会の中で皆に嫌われない老人の役割を演じる事を考え出したのである。若い頃、敬遠していた漢詩や仏教の本を少しは理解できるようになったのも老年のおかげである。(老いてこそ遊べ 遠藤周作 河出書房新社 157頁より引用)確かに年齢を重ねると他人のミスや失敗を見て寛容になる。それは自分も同じようなミスや失敗の経験があるからである。対人恐怖症の私はミスや失敗があると他人は自分を見捨ててしまうのではないかと不安になることが多かった。現在は他人が同じようなミスや失敗をしても批判や非難の言葉を発することがなくなってきたように思う。でも、周囲の老人の中には、気むずかしい人もいる。他人のやることなすこと全てが気に入らず、愚痴を言ったり、ストレートに相手を非難するのである。多くの人がその人を煙たがっているにもかかわらず、やめようとしない人である。そういう人は、若い頃にミスや失敗の経験が少ないのではないでしょうか。要するに雑多な経験が少ないのである。誰かが人間は3,000回の失敗を重ねて大人へと成長していくのだと言われたが、そういうプロセスが抜け落ちているのである。あるいはミスや失敗をしそうな時はすぐに周りの人が手助けをしてくれた。つまり、過保護に育てられたのだ。神経症に陥った人はとても苦しい。でもその経験はとても貴重なものである。神経症に陥った人を見て、本当の意味で共感できるのは神経症に陥った体験を持っている人であると思う。さらに神経症を克服した人なら、自分の体験を伝えることもできる。また神経症に陥った人は、人生において1つの課題を与えられた人でもある。その克服に向かって努力する過程は、生きがいそのものである。努力する過程の途上では苦しいことばかりであるが、克服した後から振り返ってみると、どうしてあんなことで苦しんでいたのかと思えるようになる。神経症に感謝するばかりである。2番目に言われるていることですが、人生において価値があるものとないものは大体分かってきた。特に最近感じる事は、消費財に溢れた生活、飽食三昧の生活を享受するために、一生涯あくせくと働き続けるという事はあまり意味がないを思うようになった。現在は欲望の暴走を制御して、精神的に穏やかな生活を確保する方面に力を入れるようになった。人生の最終章にさしかかり、物質的に豊かな生活と心豊かな生活のバランスを整えたいと思うようになった。若い頃は自分の欲しいものは、どんなに無理をしてでも手に入るという主義であったが、年をとると、その弊害が身にしみて分かるようになったのである。これは森田理論学習で「欲望と不安」の関係を理解したことが大きいと思う。
2017.03.23
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1962年(昭和37年)にできた歌で「サラリーマンドント節」があった。元東京都知事の青島幸男氏が作詞している。サラリーマンは 気楽な稼業ときたもんだ二日酔いでも 寝ぼけていてもタイムレコーダー ガチャントと押せばどうにか格好がつくものさ酒を飲んでも デイトをしても三度に一度は 親父のツケさ遠慮するなよ グッと開けろツケの効く店 また探そう社長や部長にゃ なれそうもねえが定年なんて まだ先のこと競輪競馬にパチンコ麻雀負けるやヤケ酒また借金もはや戦後ではないと経済白書で高らかに宣言され、経済成長まっただ中の時代に作られた歌である。新幹線の開通、東京オリンピックの開催へと続く時代である。国民全体が精力に満ち溢れ、将来に大きく夢が膨らんでいた時代である。ところで青島幸男氏はどんな気持ちでこの歌を作られたのであろうか。 多分その当時の日本人の働きぶりはちょっとおかしいのではないかと思っておられたのではないか。家族団欒は置き去りにされ、深夜残業は当たり前、土曜日、日曜日出勤も当たり前。会社を大きくすることで、働き蜂と揶揄されるような日本人がいたのだ。給料はどんどん上がる。欲しいものは何でも手に入る。そんな物質的に豊かな世の中を正面切って批判することは誰もしなかった。日本全体が我が世の春を満喫していたのだから。オイオイ、そんな生活で満足していていいのかい。こんな時こそ生活を見直してみたらどうだい。青島幸雄氏は、そんな気持ちを、植木等とクレイジーキャッツに歌わせたのではないだろうか。植木等はこれ以外にも、 「無責任一代男」などの歌も歌っている。とにかく働き蜂のような人生は、それでいいのかと問題提起しているのである。今の時代にこんな歌を歌うとどうなのだろう。きっとひんしゅくを買うことだろう。どこの企業もグローバルな生き残り競争の中に巻き込まれ、生きるか死ぬかの戦いを強いられている。そんな企業で働いている人たちは、いかに会社の業績に貢献したのか、いわゆる成果主義で判断される。成果に貢献して、勝ち進んでいけばもてはやされるが、負け癖がついてしまうと、見向きもされなくなるような風潮である。以前は人間が1人会社にいるということは、それ自体が戦力であった。ところが現在は能力のない者、成果を挙げない人はお荷物となる。会社はそういうお荷物を放り投げて、身軽になって闘いたいのである。厳しい査定の下で、給料や賞与の減額、リストラや解雇が待っている。現在は生存すること自体が脅かされている時代である。日本国憲法でいう生存権が危機にひんしているのだ。いったん正規社員から振り落とされてしまうと、派遣社員やアルバイトなど低賃金の職場しか残されていない。経済的にも精神的にもゆとりは全くない。必死に食い繋いでいくことしか残されていない。そんな中で、うつ病などの精神疾患はどんどん増えている。そんな競争社会で生きぬいていくということはしんどいことである。こんなにも人間を軽視してグローバル競争を勝ち抜いていく意味はどこにあるのだろうか。政府や大企業の経営者は、競争に負けると日本が立ち行かなくなってしまうという。果たしてそうなのか。昔から「国破れて山河あり」と言うではないか。経済成長はこの先ずっと続かなければ、国が潰れてしまうともいう。でも、国が潰れても、国民が幸せになるのだったらいいのではないかと反論をしてみたくなる。こんな時代の中で森田理論の考え方は助けになるのであろうか。森田理論は神経質性格を持っている人がいかに生きていくべきかをはっきりと教えてくれている。森田理論を勉強していくと、物質文明至上主義、拝金主義、飽食や使い捨ての生活を続けていくことに警鐘を鳴らしている様に思う。今の世の中はお金がすべての時代であり、少し気を抜くとすぐにその流れに巻き込まれてしまう。そうした生き方については、ある程度歯止めをしなければならない。豊かな物質生活を追い求めるのではなく、多少不便であっても、ほどほどの生活を受け入れていく生活に切り替えなければならない。そして、お金を出せば何でもかんでも他人に依存するという生活から抜け出し、自分の出来る事は自分で行っていくという人間本来の生活を取り戻すことが今現在求められている。ただ、今現在の時代はお金がないと生活が回っていかない時代になってしまっている。そういう社会の仕組みに巻き込まれてしまっているのである。しかし際限のない物質的に豊かな生活を追い求めて行っても、心豊かな生活が訪れることはない。これは今や多くの人が感じておられることであると思う。あくなき欲望の充足に制御をかけて、物質的にある程度の豊かな生活と心を豊かに保てるような生活のバランスをとっていくという方向に舵を切っていくことが大切なのだと思う。ポスト資本主義の時代は、効率や利潤追求が第一優先の世界ではなく、人間の心の豊かさや人間の温かい触れ合いを目指していく時代になると思う。森田理論はそのような生き方の問題提起をしているような気がする。
2017.02.20
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先ほど、男子フィギアスケートのフリーの演技を見た。結果は優勝がアメリカのネーサン・チェン選手だった。総合得点は307.46点だった惜しかったのは羽生結弦選手だった。ショートプログラムでは3位と出遅れたが、フリーはまさに圧巻であった。別次元の演技を見た思いだった。フリーの得点は206.67点だった。総合得点は303.71点だった。羽生結弦選手はショートプログラムとフリーの4回サルコーが2回転になった。これが惜しかった。フィギアスケートで優勝するような人も、得点経過を見ていると、必ずしも申請通りの演技ができているわけではなかった。優勝したネーサン・チェン選手は素晴らしい演技であったが、 1回だけ失敗をしていた。羽生選手も4回転サルコーで失敗をした。3位に入ったのは宇野昌麿選手であったが、転倒があった。パトリックチャン選手も転倒があった。フィギアスケートはちょっとしたことでジャンプが成功したり失敗したりする。それでも選手たちは果敢に4回転ジャンプに挑戦している。また、すべての演技を正確にこなす人はほとんどいない。それは金メダル、銀メダル、銅メダルをもらう人でも技術点が減点になっている場合がほとんどだ。つまり、完全な演技を狙ってはいるが、思い通りの演技ができている訳ではないということだ。でもたとえ失敗をしても、次の演技に引きずらないように、次の演技で練習した通りの演技をすることに集中している。ここが1番大切なのではないかと感じた。感動すら覚える。私は今日の男子のフィギアスケートを別の視点から見ていた。私は昨日、今日とアルトサックスの演奏で出かけていた。私は演奏の前にはできるだけ100%の演奏ができるように練習を積み重ねている。ところが、練習で間違いなく吹くことができたとしても、本番で間違いなく吹けるとは限らない。100%完璧に吹くことができる方が珍しい。大体80%から90%の出来に終わってしまうことが多い。昨日と今日の演奏を振り返ってみても、小さいミスが何箇所かあった。観客の方にはほとんどわからなかったであろうが、完璧を目指してる私にとってはとても気になるのである。でも、先程のフィギアスケートを見ていて、世界最高峰の舞台で演技をする人たちも完璧という事は有り得ないのである。私の場合は、失敗したことに対して自分の能力の無さを嘆いたり、もう演奏活動から手を引いてしまおうか、などと短絡的に考えてしまうことがある。フィギアスケートの選手たちの演技を見ていて目が覚めた。たとえ本番で失敗しても、さりげなく、次の入りやすいところから演奏を再開する。そしてさらに、次の演奏予定に向かってまた100%の演奏ができるように努力を重ねる。本番で失敗しても、笑って自分を許してあげる。ただし、リーダーは厳しい人でなかなか手厳しいことを言うが。でも、できるだけ失敗を少なくし、演奏仲間にあまり迷惑をかけないようにする。つまり、失敗にとらわれて、投げやりにならないようにして、最後まで丁寧に演奏する。失敗しても命まで取られるわけではないので、気分を入れ替えて、精進していくようにしたい。考えてみれば、演奏仲間も何らかの間違いを犯していることがある。そんな時は私がホローしてあげている。そういえば、「心の健康セミナー」で20分程度の演奏を頼まれているので、そろそろ曲目を選定して練習に取り組みたい。今回はエルガー作曲の「愛の挨拶」と谷村新司の「すばる」は候補曲としたいと思っている。とにかく100%の準備だけは怠りなくしてゆきたい。あとは当たって砕けろだ。
2017.02.19
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将棋の米長邦雄さんが、「夫婦仲が良いということが非常に大事で、これが子供の将来を決めることになる」ということをあちこちで力説していたら、 40歳くらいの女性から相談を持ち込まれた。この方は交通事故でご主人を失い、息子を女手1つで育てている。相談というのは、最近息子の素行がよくないのだという。米長さんはその方にこういった。「私の言う通りにしたら、息子さんはすぐにまともになって、勉強するようになりますよ」半信半疑の未亡人に、米長さんは自信を持って答えた。「お教えする前にお伺いしますが、あなたの家には位牌はありますか」すると位牌はあるという。お盆とお彼岸の時にちょっとお花を供えるだけだが、一応仏壇もあるという。「それじゃ、もう一つだけ聞かせてください。あなたは、そのお化粧具合から察するに、恋をしていますね」「 ・ ・ ・ええ、まぁ、いろいろと事情がございます」「そうですか。お好きな方がいらっしゃる。もうこれ以上、立ち入った事はお聞きしません。それじゃ、どうしたらいいかを簡単にお話しします。明日からは、息子さんが起き上がった頃を見計らって、仏壇の前に正座してチーンとやって手を合わせる。それから、巡ってくる毎月の命日には陰膳を、鯛の刺身でも、目刺しの焼いたのでも何でもいい、とにかくもう一膳、陰膳をテーブルの上に置いてください。そうすれば、息子さんは、きっとこう言います。「今日は誰かお客さんが来るの?」あなたは、「これはお父さんに召し上がっていただくの」と答える。これを毎月1回続けてください。息子さんは必ず、近いうちに勉強するようにになります。子供は、理由もなくグレるのではない。何か家の中に理由があるのだ。「うちのお袋は、もう親父の事なんか完全に忘れているんだろうな。あの男と、どうもできてるじゃないか」この未亡人のケースなら、原因は十中八九これだろう。ところが、毎朝、母親が仏壇に向かって手を合わせている。 「私は、あなたのお父さんを大切にしています。今まで忘れたことなど、ただの1度もありません。結婚できたことを誇りに思っています。尊敬しています。愛しています」こういうことを息子に無言で語りかけているとすれば、 「お前、グレてみろ」と言われても、グレられるものではない。それが人間というものだ。一生懸命勉強して、いい会社に入るか、お金をたくさん儲けて、母親に楽をさせてあげよう。こういう具合に考え方が変わっていくものなのである。夫婦というものは、一緒に生活している形態が1番自然なのだが、片親であっても、それが生き別れの場合でも死に別れの場合でも、夫婦仲と言うものは子供にとって絶対なのである。夫婦仲が良ければ、子供の教育なんて心配する必要はない。そういうこと説明して、これで問題は解決かと思ったのだが、未亡人のほうは、依然として何かもじもじした感じである。「あの、いまおつきあいしている男性とは、どのようにしたらよろしいでしょうか」「朝チーンとやって、その後ろ姿を見せることが教育なんです。息子さんが学校へ行ったら、もう関係ありません。息子さんが家を出たら、口紅をひいて外へ出なさい。人生は楽しまなければいけません」「ありがとうございます。米長先生は人生相談の神様です! 」(運を育てる 米長邦雄 クレスト社 192ページより引用)子供は親のことをよく見ているということだと思います。子供は親の不自然な行動を敏感に感じ取ります。それが子供の心身に大きな影響を与えます。だから親としては、心がどんな状態であろうとも、行動面に力を入れてなすべきことをなしていくということではないでしょうか。故米長邦雄九段は将棋界で大活躍されましたが、人生についても奥が深いことを言っておられます。
2017.02.03
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毎日6時30分前後にきちんと投稿されているのですが、どうしてそんなことができるのですかという質問が寄せられた。不思議に思われるのも無理はないと思う。でも、これは内情を知ってしまえば訳はないことなのです。楽天のブログには2か月先まで、指定の日、指定の時間に投稿する予約機能があるのです。それを利用しています。決して無理を重ねて投稿しているわけではない。現在2月15日まではすでに投稿原稿は予約しているのです。それから、投稿にあたってたくさんの本を引用してありますが、いつ読書をしているのですか。またどれくらいの頻度で読んでいるのですかという質問があった。私は投稿原稿のネタは書籍から得ることが確かに多い。考えるきっかけがないと森田理論を考えるきっかけがつかめないのである。土日、祝日は全く本は読まない。ウィークデイはほとんど200ページぐらいの本は1冊は読んでいる。大体斜め読みである。琴線に触れるところだけは丁寧に読んでいる。内容は、生活の発見誌、森田理論関係、教育、医療、子育て、社会問題、人生論、伝記などである。本は図書館で借りる。2週間毎に10冊貸していただいている。そのほかブックオフやアマゾンの中古本の利用である。だから新品の本を買って読むということはほとんどない。先日友人が来たとき、ここは図書館みたいですねといっていた。投稿に使える部分にはまず付箋をつけていく。あるいは自分の本には、自由にマーカーや鉛筆で印をつけていく。それをA4用紙に要旨を書きだしていく。それから私のつかんでいる森田理論と突き合わせてみるのである。この作業が最も大切だと思っている。それを主として音声入力で原稿の下書きを作り、さらに訂正をして原稿を作り、順次予約をしているということなのである。これを過去4年間続けてきた。今年は5年目に突入してきた。そのおかげで、森田理論を深めることができて、さらに実践的になってきた。高良武久先生は同じことを10年も続けていると、その道のエキスパートになれるといわれている。エキスパートになると人間関係でそんなに悩むことはなくなるといわれている。そういう意味では自分がその実験をしているのである。皆さんも、ブログに取り組んで見られたらいかがでしょうか。ホームページと違って、個人のプライバシィを公表していないので実害はない。また、異論を持っている方もあろうが、誹謗中傷はほとんど発生せず、ブログの炎上に至っていないのは幸いなことだと思っている。
2017.01.29
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NHKの番組で「サイエンスzero 」と「ガッテン ボケない脳が若返る 瞑想パワーSP 」という番組があった。この番組は、瞑想やマインドフルネスと脳の関係を説明したものであった。大変興味深い番組であったので紹介したいと思う。人間の脳には記憶や感情の司令塔として「海馬」がある。うつ病や認知症になると海馬が萎縮してくることが分かっている。「扁桃体」には不安や恐怖を受け止める働きがある。絶えずストレスにさらされると扁桃体が徐々に大きくなる。その結果、ごく小さな不安や恐怖に対しても敏感に反応するようになる。瞑想やマインドフルネスによって海馬を大きくし、扁桃体を小さくできることが科学的に証明されたという。これはハーバード大学のサラ・ラザー教授が実験をされている。それによると、マインドフルネスによって海馬が5%増加した。反対に、扁桃体は5%減少したという。瞑想やマインドフルネスによって、うつ病、不安障害、パニック障害などが、薬物療法と同じような効果があったという。どうしてそういうことが可能になるのか。私達の脳は1日に18万7,000項目のことを考えている。問題なのは、考えていることの半分は、過去のことを悔やんだり、将来のこと取り越し苦労していることだ。これは主に前頭前野で行われている。そこで考えられた事は海馬なのに送られている。だから海馬は常に働いており、休む暇がない。海馬は酷使され、過労死寸前なのだ。瞑想やマインドフルネスはこの前頭前野を休ませるという事だそうだ。そうすると海馬も休むことができる。働きすぎの海馬などを休ませてあげるということだ。つまりストレスから逃れることができるというのだ。寝ていて夢を見ているときは、脳からはシータ波が出ている。この時前頭前野は休んでいる。瞑想やマインドフルネスで、呼吸に意識を向けていると、すぐにこのシータ波が出てくるという。これらは、集中するとか、リラックスするという事では無い。雑念を排除し、いろんなことによく気づく。体の状態にも気づく。空間にも気づく。ということらしい。その他、瞑想やマインドフルネスは、慢性の炎症の元となっているRIPK2という遺伝子の活動を抑制することもわかっている。これは肥満、老化、がんなどは弱い炎症反応が継続している状態であるという。この遺伝子のスイッチをoffにしておく働きがあるという。私たちは不安、恐怖、違和感、不快感などに振り回されているわけですが、森田療法に取り組むとともに、瞑想やマインドフルネスに取り組むことが、より効果的であると思います。その他、 1月24日に投稿したコーピングも取り入れると良いと思います。マインドフルネスについては、 1月25日にそのやり方を紹介しています。まずは1日10分ぐらいから初めてみられてはいかがでしょうか。
2017.01.28
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最近会社のOB会の案内がよく届く。 私は定年までに、 2つの会社にいた。その2つとも毎年1回以上はOB会を開催している。 私はいまだかって参加したことがない。酒が飲めないというわけではない。むしろ好きな方だ。またみんなとワイワイ騒いだりするのも好きな方だ。私が参加しないのは理由がある。最初に勤めた会社は出版社であった。配属先は営業で、わかりやすく言えば、飛び込み営業の仕事だった。その会社では、対人恐怖症のため仕事をすることがとても苦痛であった。どちらかというと、サボってばかりで熱心に仕事をしているわけではなかった。会社には申し訳ないことをしたと思います。また、部下が5名ぐらいいたが、部下の教育や指導が全くできなかった。そのために、参加しづらいのである。部下の成長の芽を摘みとってしまったような気がする。その頃のことを夢に見て時々目が覚めていたたまれない気持ちになることもある。 次の会社は、営業事務の仕事であった。この会社は、最初勤めた会社とは違ってまだマシであった。でも、誤発注をして会社に多額の純損失を与えた頃から、少しおかしくなった。パソコンに入力した発注内容が、もしかすると間違っているのではないかということに囚われだした。間違ってはいけないということに囚われて、仕事をすることが苦痛になってきた。それ以来積極的に仕事に関われなくなった。人の目ばかりを気にするようになった。ここでも中間管理職として部下の教育や指導の仕事をしてきたが、十分な成果を上げることができなかった。むしろ会社内では、 一部の人を除いて、人間関係が良好ではなかった。だからOB会に参加することはとても苦痛なのである。仲の良かった同僚などとは交流は続けているが、正式な大勢の人が集まるOB会には出席できないのである。 今考えることは、早くから森田理論学習を続けていたら、楽しみにして参加しているのではないかとも思う。今現在、対人恐怖症のため職場で苦しんでおられる方はたくさんおられることと思います。その人たちは是非森田理論を学んで欲しい。必ずや役に立つことと思います。 そもそも私は、大学を卒業して就職する時点で、大きな適用不安を感じていた。大学の同期生は早い段階から自分の進路についてしっかりとした目標持っていた。私は目標もなく、適用不安を感じながら安易に就職先を決めてしまった。それらのことが、働き盛りの頃に大きな問題や葛藤を抱えることになったのだと思う。 私が森田理論に出会ったのは37歳の時でした。もう少し早く出会っていたらと思います。 でも今更そんなことを言ってもということです。最終的に森田に出会い、学習を続けてこられたことは、私の人生にとっては、一番の幸運であったと思います。若い頃は苦しみの連続でしたが、遅まきながら、今現在、心豊かな生活を送ることができるようになったのだから、むしろよかったのではないかと思います。初めに苦労を味わい、人生の後半になって生きる意味がわかってきたのは大きかったと思います。どうしてこんなに役に立つ森田理論が、世間に認知されていないのかとても不思議に思います。
2017.01.27
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次に早稲田大学の熊野宏昭教授による『マインドフルネス入門』をご紹介します。なおうつ病などの治療を受けている方は、自分の判断で始めず医師に相談してくださいとのことです。マインドフルネスとは「今の瞬間」の現実に常に気づきを向け、その現実をあるがままに知覚し、それに対する知覚や思考とらわれないでいる心の持ち方です。最初は、10~15分を目安に始めます。(1)背筋を伸ばして、両肩を結ぶ線がまっすぐになるように座り、目を閉じる脚を組んでも、正座でも、椅子に座っても良いです。「背筋が伸びてその他の体の力は抜けている」楽な姿勢を見つけて下さい。(2)呼吸をあるがままに感じる呼吸をコントロールしないで、身体がそうしたいようにさせます。そして呼吸に伴ってお腹や胸がふくらんだり縮んだりする感覚に注意を向け、その感覚の変化を気づきが追いかけていくようにします。例えば、お腹や胸に感じる感覚が変化する様子を、心の中で、「ふくらみ、ふくらみ、縮み、縮み」などと実況すると感じやすくなります。(3)わいてくる雑念や感情にとらわれない単純な作業なので、「仕事のメールしなければ」「ゴミ捨て忘れちゃった」など雑念が浮かんできます。そうしたら「雑念、雑念」と心の中でつぶやき、考えを切り上げ、「戻ります」と唱えて、呼吸に注意を戻します。「あいつには負けたくない」など考えてしまっている場合には、感情が動き始めています。「怒り、怒り」などと心の中でつぶやき、「戻ります」と唱えて、呼吸に注意を戻します。(4)身体全体で呼吸するようにする次に、注意のフォーカスを広げて、「今の瞬間」の現実を幅広く捉えるようにしていきます。最初は、身体全体で呼吸をするように、吸った息が手足の先まで流れ込んでいくように、吐く息が身体の隅々から流れ出ていくように感じながら、「ふくらみ、ふくらみ、縮み、縮み」と実況を続けていきます。(5)身体の外にまで注意のフォーカスを広げていくさらに、自分の周りの空間の隅々に気を配り、そこで気づくことのできる現実の全てを見守るようにしていきます。自分を取り巻く部屋の空気の動き、温度、広さなどを感じ、さらに外側の空間にも(部屋の外の音などに対しても)気を配っていきます。それと同時に「ふくらみ、ふくらみ、縮み、縮み」と実況は続けますが、そちらに向ける注意は弱くなり、何か雑念が出てきたことに気づいても、その辺りに漂わせておくようにして(「戻ります」とはせずに)、消えていくのを見届けます。(6)瞑想を終了するまぶたの裏に注意を向け、そっと目を開けていきます。伸びをしたり、身体をさすったりして、普段の自分に戻ります。以上、NHKスペシャル「ストレスキラー」ホームページより引用しました。私がストレス対策で思ったことは、まずは適度に体を動かす。自分なりにストレス解消法をできるだけ書き出してみる。できれば100個ぐらい。ストレスの時はそれらをいくつかを組み合わせて実行してみる。つぎにマインドフルネスを毎日10分程度行う。以上を実行してストレスをためこまない生活を心がけたいと思いました。
2017.01.25
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人間は危険やストレスにさらされるとどうなるか。その情報は扁桃体に伝えられて対応を始めます。その情報は副腎皮質に伝えられます。副腎皮質はすぐにストレスホルモンを出します。そして心臓の鼓動を活発にします。血管も収縮させて即座に目の前の危険に対応できる態勢をとります。でも一旦危険が去るとストレスホルモンは出なくなり、緊急時対応は終息してきます。ところが過去の失敗にいつまでもとらわれる。あるいは将来のことに取り越し苦労をするようになると、ストレスホルモンは常時出続けることになります。ストレスホルモンの本体は「コルチゾール」です。長く続くストレスでコルチゾールが多量に分泌されると、脳の海馬で、神経細胞の突起を減少させることが分かってきました。損傷すると、認知症やうつ病につながる可能性が見えてきたのです。ストレスは長く抱え続けることは心身に悪影響を及ぼしてしまうのです。NHKスペシャル「ストレスキラー」では、誰にでもできる画期的なストレス対策を紹介されていました。ウォーキング等の運動、ストレスを軽減させるための「コーピング」。そして、瞑想をベースに生まれた「マインドフルネス」です。今日は「コーピング」。明日は「マインドフルネス」を紹介します。まずストレスを軽減させるためのコーピングの手法のやり方は次のようなものです。(1)ストレスに対してどんな気晴らしや対策を行えば効果的かリストアップします「できるだけ多くあげる」ことが大切です。できれば100個ぐらいあげてみましょう。「ストレス対策を100個もリストアップするなんて難しい!」と感じますよね。そのコツは「行動するコーピング」だけではなく「認知するコーピング」も取り入れること。ストレスが下がる場面や行動を『イメージ』するだけでも立派なストレス対策です。たとえば「こんな場合イチローならどうするだろう」と考えてみることなどです。伊藤先生が指導した男性の100個のリストが「キラーストレス第2回」のホームページに紹介してありますので参考にしてください。(2)実際にストレスがかかった時、それがどういうストレスなのかモニターします弱いストレスか強いストレスか。そして、自分の体にはどのような反応として現れたか、例えば心臓がドキドキする体の反応か、気分が沈む心の反応か、客観的に観察します。(3)そのストレスに見合った気晴らしや対策を行います体に反応が現れることが多い「頑張るストレス」の時には、音楽を聴いてリラックスするなど、気分をしずめるものが効果的と考えられています。逆に、心に反応が現れることが多い「我慢するストレス」の時には、カラオケで盛り上がるなど、気分を上げるものが効果的と考えられています。(4)その結果、ストレスが減ったかどうかを自分で判断まだストレスを感じていたら、さらに対策を続けたり、別の対策に切り替えたりします。このように、自らのストレスの観察、そして対策を、意識的、徹底的に繰り返すことが大切です。
2017.01.24
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新聞によると、将棋の現役最高齢記録を持ち、長くトップ棋士として活躍してきた加藤一二三 ・九段が、 1月19日第75期名人戦順位戦のC級二組から陥落、規定により現役から引退することが決まった。将棋界というところはとても競争の激しいところである。棋士は、A級(定員10名) 、 B級1組(定員13名) 、 B級2組(約22名) 、 C級1組(約26名) 、 C級2組(役54名)の5ランクに分けられ、 A級リーグの優勝者が、名人位をかけて7番勝負を争う。 A級とB級1組の上位2クラスは、毎年2人が降級するシステムになっており、苛烈なことに、対局料はこのランクを基準にして決定されている。段位はどうなっているのかというと、基本的には、 1度でも A級に昇格したものは 八段、以下B級1組が7段となり、 順に段位が下がり、最後がC級2組の4段ということになる。これに勝数による昇段規定が加わる。つまり、毎年、昇級者、降級者を出す将棋界にあっては、 八段や九段の先生がC級1組やC級2組に在籍することにもなる。ちなみに九段は、タイトル獲得数や、通算勝数などが規定に達した棋士に与えられる称号である。加藤さんは、 14歳でプロデビュー。順位戦では毎年昇級を続け、最高峰クラスのA級に昇級した時が18歳という離れ業。その後ずっと第一線のトップ棋士として存在感を示した。将棋の三段以下は奨励会員として上を目指す。 三段と四段は実力的にはほとんど紙一重の差しかないのだが、身分、待遇は、 天と地ほどの開きがある。現在、奨励会の規定では、 26歳の誕生日までに四段になれなかった者は退会になる。定員が限られており、 三段にまで辿り着けずに辞めていくものが多い。めでたく四段のプロ棋士になれるのは、奨励会入会者の2割程度と言われている。それほどプロ棋士として生活を成り立たせることは至難の業である。そう考えると、加藤一二三・九段が77歳まで現役のプロ棋士として活躍されたのはよほどの精進のたまものであったのだろう。驚異そのものであった。
2017.01.21
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キネマ旬報社が選出する「 2016年第90回キネマ旬報ベスト・テン」の受賞結果が発表された。日本映画部門の第1位に輝いたのは「この世界の片隅に」というアニメ映画であった。アニメ作品が第一に輝いたのは1988年の「となりのトトロ」以来となる。1月12日、クローズアップ現代+では、この映画を紹介していた。この映画は、太平洋戦争末期、アメリカ軍が日本中で、空襲を行っていた時の人々の生活を描いたものであった。広島市および呉市を舞台にして、身近な死と向き合いながらも、明るく前向きに生きていく1人の女性「すず」さんを描いたものであった。クローズアップ現代+で印象に残ったことがあった。それは広島市で原爆の悲惨な状況を映像として残し、後世に戦争の悲惨さを伝える活動をしている人の話であった。この方は、原爆で廃墟となった広島の街の風景、原爆で大やけどを負った人々 。これらをフイルムに収め、各地で上映会行ってきた。ところが、その映像はあまりにも衝撃的なためか人々から敬遠されていた。この方の戦争の悲惨さを伝えたいという思いは強かったが、思いとは裏腹に、十分にその思いを伝え切れないでいた。そんな時にこの映画に出会うことができた。その人が言われるには、戦争の悲惨さを、これは真実だからという思いで、活動してきたが、それは間違いではなかったのか。「この世界の片隅に」という映画は、戦争の真っ只中で、過酷な運命に翻弄されながら、 1人の女性が明るく前向きに一生懸命に生きていったその姿を資料を基にして忠実に描いていた。。そのことを描き切ることで、いかに戦争が人間の尊厳を踏みにじるものであるかをはっきりと伝えていた。戦争の悲惨さの伝え方と言うのは、ストレートに悲惨な状況を克明に伝えるということは、かえってマイナスになるのかもしれない。この方は戦争の悲惨さについて、今までのやり方とは違ったやり方で取り組んでみたいと言われていた。このことは、森田理論学習をしている私にとっても考えさせられる事であった。我々がつかんだ森田理論を声を大にして神経症に陥っている人々に伝えることが果たして正しいのか。それよりも、私の普段の生活の中で、森田理論をいかに応用し、活用しているのか。そういう方面からの伝え方を真剣におこなっているのであろうか。そういう伝え方の方が相手への伝わり度合いが強いのではないのか。これからはそういう方面の伝え方も前面に押し出していきたいと思う。
2017.01.13
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今年に入ってから投稿する原稿は音声入力で作成している。 こんなに便利なツールがあるとは思ってもみなかった。 私が使っているのは、 「ドラゴンスピーチ11ライト」というソフトである。 このソフトは専用マイクが付いて1万円程度であった。ソフト自体はダウンロードですぐ使えるようになった。マイクと使用説明書は後から届いた。 最初の作業としては、自分の音声の特徴をソフトに認識させることだった。これはこのソフトに用意されている、30分程度の文章を読み上げることだった。これが4本あった。ちょっと時間はかかるかこれをするととても認識率が上がる。 それから特殊用語、例えば「思想の矛盾」「精神交互作用」「森田正馬」「純な心」「精神拮抗作用」などは、単語登録してしまえば簡単に認識してくれるようになる。 これをすることで格段に認識効率が良くなった。実感としては80%以上正しく変換してくれる。今はほとんど原稿の下書きは音声入力で行っている。この原稿もwordを起動して直接音声入力している。入力が完了すると名前を名づけて保存し、後で見直すことにしている。すぐにアップしてもいいのですが、音声入力の場合はあまり深く考えないで入力してしまうので、少し問題があるかなと考えています。 記号の入力はすべて音声でできます。例えば、 「 . 」 「 。 」 「 ・ 」 「ー」 「 ( ) 」 「 〒」 「 ~」 「 ※ 」 「 □ 」 「改行」などです。 直前の入力内容を取り消したい、文章の1部を削除したい場合もすぐにできます。直前の入力内容を修正したい場合もすぐにできます。 これはたぶんテープ起こしの作業にも使えるようになると思う。今まではPCM録画機で録音したものを、後で再生しながら少しずつ入力を行っていた。今後はイヤホンでその内容を聞きながら、ダイレクトに音声入力すればすぐに文章化できると思います。今後は会議録を作るときに活用したいと考えています。音声入力のソフトは他にもいろいろあるようですので、導入したい人は、いろいろ比較してみる方が良いと思います。口コミが参考になります。以上、音声入力のソフトの紹介でした。
2017.01.11
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読者のみなさま、明けましておめでとうございます。4年前に始めたブログが今年当初の目標としていた5年目を迎えました。少し振り返ってみたい。「森田理論」自体は、中学生や高校生の正規の授業に組み込んでもいいような内容を持っている。たとえば原発問題、TPP参加の是非、紛争、地球環境の悪化、子育て、人間の生き方や生きがいなど森田の視点からいくらでも提言できることがある。それなのに「森田理論」の認知度があまりにも低い。宝の持ち腐れとなっている。このままでは森田は細々と生きながらえていくしかないのであろうか。森田によって恩恵を受けて、絶望の淵から生還することができたものからすれば、残念で仕方がなかった。これはなんとかしなくてはという思いであった。やっと思いついたのがこのブログであった。一人でも多くの人に森田理論を知ってもらいたいという必死の思いからだった。森田で多くの恩恵を受けてきた私ができる精一杯の恩返しのつもりであった。結果としては、予想外の反響に驚いた。1年目終了時点の総アクセス3万人、2年目8万人、3年目19万人、4年目42万人であった。私は当初1年に2万人、4年を終わった時点の総アクセス数8万人を予想していたのである。これはどういうことを意味しているのだろうと考えた。森田は医療としての神経症治療は保険点数の対象外だし、自助組織としても風前の灯である。神経症治療としての森田は残念ながら世間から見向きもされていないのである。それなのに「森田理論学習のすすめ」という一ブログに熱心にアクセスして来られる方がおられる。つたない内容にもかかわらず、倍々ゲームで増加の一途をたどっている。森田はまだまだ捨てたものではないのではないか。森田理論というのは伝え方を変えればまだまだ一般に受け入れられる役に立つ理論なのではないか。前方にかすかな明かりが見えてきた瞬間であった。ここで大きく認識が変わったことある。今までは森田を神経症の治療に絞って取り扱っていたのだ。その枠外に出ることはタブー視されていた。確かに森田療法は森田先生によって神経症を治癒するという目的のもとに創始された。医療的側面が強かった。それは間違いない。しかしそういう目標を創始後100年経とうとしているのに持ち続けることが果たして正しいことなのか。それは森田理論の壮大な枠組みからいってあまりにも矮小化されているのではないか。森田理論のその奥にはとてつもない大きな鉱脈が隠れているのではないか。森田理論は神経質性格を持った人の一生を左右する生き方や生きがいを問題にしているのではないか。あるいは教育、社会の諸問題にも森田的視点から提言を行うことを宿命づけられているのではないか。もし今森田先生が生きておられたとすると、神経症治療に甘んじておられるであろうか。医師としての本分を守りつつも、神経症的な人間社会と時代そのものを相手にして戦っておられるのではないか。社会運動家として活動域を拡大しておられるのではないか。その思いはますます強くなっていく。森田理論を学習して身につけて実践できるようになると社会に出てからの生き方が変わってくる。楽な生き方が身に付くし、生きることが楽しくなってくると思う。森田理論はできれば学校教育の中で日本人すべての人が学んでほしい。もし学校教育に組み込まれないのなら、社会人になって学ぶことが人間として必須であると思う。これを学ぶだけで、自分の生き方のみならず、現代の社会が抱えている多くの問題が解消できるのではないかと考えていますが如何でしょうか。1年が経つのはあっという間です。今年も森田の深耕で新たな発見があることを期待して走り抜けてゆきたいと考えています。どうぞご期待ください。最後にみなさまが今年1年、健康でますますご活躍されますようにご祈念申し上げます。
2017.01.01
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高齢者による交通事故が多発している。アクセルとブレーキを踏み間違えての惨事が多い。ブレーキを踏もうと思ったのに、実際はアクセルを踏んでしまったというのである。どうしてそんなことになってしまうのだろうか。教習所に通っていた時のことを思い出してみてほしい。最初に車が動き始めた時は喜びと同時にとても不安であった。ブレーキの位置、アクセルの位置も分からない。ウィンカーの操作、ワイパーの使い方も分からない。バックミラーの見方も分からない。シフトチェンジのやり方も分からない。縦列駐車、車庫入れなどのポイントも分からない。車線変更のやり方も分からない。追い越しのタイミングも分からない。指導員から手とり足とりで教わってまず意識レベルで理解していった。そして恐る恐る動作確認しながらそれぞれの動作を確実に身につけていった。何回も練習して体得してしまうと、もう特別意識しなくても、無意識的行動として間違いのない操作ができるようになった。今は運転中音楽を聞きながら、他人と話をしながら、ときどきナビを見ながらでも無意識に間違いのない操作ができるようになっている。これは無意識だからこそスムーズに正確な操作ができているともいえる。ここで自分の手足の動かし方ははたして間違いはないのだろうか。アクセルは右にあったのだろうか、それとも左にあったのだろうかと考えだすと問題だ。注意の方向が外向きから内向きに変わっている。脳では無意識回路を使っていつも通りの行動ができていたのに、急に前頭前野が出てきて、再考を促しているようなものだ。前頭前野で考えだすと必ず反対の考えが同時に湧き起ってくるのでさらに混乱して収まりがつかなくなるのだ。これはキャッチボールでボールを投げる時に手の振りかぶり方、ボールの持ち方、身体の動かし方にとらわれているようなものだ。本来は力を抜いて相手をしっかりと見て、無意識状態で投げることが必要なのである。意識が内省化してくると、ぎこちない投げ方になる。ついに混乱して投げることすらできなくなる。高齢者の事故の場合、突然脳血管障害が起きる。目の衰え、反射能力や身体的衰えが原因であるといわれる。事実私もそう考えることがある。私は高速道路で100キロ以上のスピードを出すととても緊張する。また遅い車を追い越す時もそうだ。長いトンネルに入る時も急に暗くなり、横の壁が圧迫感を与えて一瞬ぶつかったら大事故につながるという考えが頭の中をかすめる。急に不安が出てきてちょっとしたパニック状態になる。前の車との車間距離がよく分からなくなる。これは高速道路に乗る機会がないのも関係していると思う。それから夜間の通行、雨の日の走行はとても神経が疲れる。これらは大なり小なり誰にもあることであり、その不安を活かして注意して運転することが必要である。高齢者の場合は、それに加えて、若葉マークを付けておく。運転能力が衰えてきていると認識すれば、夜間や雨の日の運転は控える。高速道の運転は差し控えて、時間はかかっても一般道を走行する。70歳以上になると認知テストなどの運転適性訓練があるという。そこで第三者に判定してもらって、運転に支障があるようなら、免許を返上することが自分のためになる。その上で指摘したいことは、運転は無意識に任せた行動が一番安定しているということだ。シフトチェンジレバーを目で追って確認していくようなことはしてはならない。わき見運転につながる。何年も運転を続けてきた人は、どう運転したらよいのかは前頭前野が判断しなくても、もう十分に体に染みついている。それを信じてあげることだ。無意識状態でアクセルとブレーキを踏み間違えるということはほぼ考えられない。その時は前頭前野がししゃり出てきて、本当にアクセルは右だったのか、もしかしたら左についているのではないかと悪魔のささやきを始めているのである。そうなると痛ましい事故につながるのである。
2016.11.21
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「死んだ男の残したものは」という詩がある。なぜか胸を打つ曲だった。日本の反戦歌らしい。谷川俊太郎の作詞、武満徹の作曲による。ベトナム戦争のさなかの1965年、「ベトナムの平和を願う市民の集会」のためにつくられたそうだ。是非You Tubeで聞いてみてください。いろんな歌手が歌っています。コーラスの定番曲らしいが、私は全く知らなかった。1.死んだ男の残したものはひとりの妻とひとりの子ども他には何も残さなかった墓石ひとつ残さなかった2.死んだ女の残したものはしおれた花とひとりの子ども他には何も残さなかった着もの一枚残さなかった3.死んだ子どもの残したものはねじれた脚と乾いた涙他には何も残さなかった思い出ひとつ残さなかった4.死んだ兵士の残したものはこわれた銃とゆがんだ地球他には何も残せなかった平和ひとつ残せなかった5.死んだかれらの残したものは生きてるわたし生きてるあなた他には誰も残っていない他には誰も残っていない6.死んだ歴史の残したものは輝く今日とまた来るあした他には何も残っていない他には何も残っていない
2016.11.10
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2016年10月21日14時7分に鳥取地震があった。その時スマホから、「チャンチャン チャンチャン 緊急地震速報です。強い地震に警戒してください」とアナウンスがあった。ちなみに警報は過去に5回程度経験しており、いずれもパニックに陥った。すると10秒もしないうちに、建物がぐらぐらと揺れ出した。マンションは熊本の震度7で1階がつぶれたところがあった。今回はエレベータが止まった。パニックになって茫然としていた。とりあえず椅子の下にもぐりこんだ。しばらくしてすぐにバイクのヘルメットをかぶった。テレビをつけると震源は鳥取中部だそうだ。最大震度6弱とのことだった。広島では震度4だった。それでも恐怖のどん底に突き落とされた感じだ。「チャンチャン チャンチャン」という警報音はすぐに変えてもらいたい。心臓に悪い。それから脅すのではなく、もっと情報を流してほしい。「地震です。震源は鳥取西部。震度6弱」と言ってもらいたい。テレビですぐに表示できるのだからなんとかならないのだろうか。すると今までの経験から、だいたいの被害の予測が立つ。対応の心構えが全然違ってくる。事実がわからずに疑心暗鬼になるからパニックになるのだと思う。さて、気象庁の震度階級は「震度0」「震度1」「震度2」「震度3」「震度4」「震度5弱」「震度5強」「震度6弱」「震度6強」「震度7」の10階級となっているという。震度4はほとんどの人が驚く。歩いている人のほとんどが、揺れを感じる。眠っている人のほとんどが、目を覚ます。エレベータは停止する。震度5弱は大半の人が、恐怖を覚え、物につかまりたいと感じる。電灯などのつり下げ物は激しく揺れ、棚にある食器類、書棚の本が落ちることがある。座りの悪い置物の大半が倒れる。固定していない家具が移動することがあり、不安定なものは倒れることがある。震度5強は大半の人が、物につかまらないと歩くことが難しいなど、行動に支障を感じる。震度6弱は立っていることが困難になる。固定していない家具の大半が移動し、倒れるものもある。ドアが開かなくなることがある。こうなると生きた心地がしなくなる。震度6強は立っていることができず、はわないと動くことができない。揺れにほんろうされ、動くこともできず、飛ばされることもある。固定していない家具のほとんどが移動し、倒れるものが多くなる。地震の規模を表わすマグニチュードは、小数点以下が少し異なっただけでも発生するエネルギーは何十倍も異なる。実際マグニチュードが1上がると、エネルギーは31.62倍にもなる。このことを理解していないと、地震に対して誤った認識をしてしまうおそれがある。震度は地表への影響度によってきまるので、単純にマグニチュードと比較はできないがある程度の目安にはなる。震度4を基準にすると、震度5はその31.62倍、震度6は1000倍、震度7は3万2000倍のエネルギーということになる。想像を絶するエネルギーの放出となる。東日本大震災は阪神・淡路大震災や熊本地震よりも350倍も強力な地震だった。M9.0というのはそれだけ化け物じみた威力であるということだ。だから震度1の違いを甘く見てはならない。1度違うと30倍の大きなエネルギーがかかることはよく認識しておいた方がよい。だから表示も誰もが分かるような大きさを示す数字に変えないと、経験したことのない人は甘く見てしまうと思う。それにしても建物の耐震補強、家具の固定はできうる限り対策を立てておきたいものだ。命にかかわる大切なことである。
2016.10.27
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現在マンションの管理人をしている。ある男性の居住者が管理人室に来られて次のように言われた。自分の家の隣の人の集合ポストがいつもパンパンになっている。あれでは郵便屋さんが配達に来ても入らないはずだ。管理人なら中を開けて不要なチラシなどを処分してくれ。こんなことは苦情を言われる前にあなたが当然やるべき仕事ではないのか。管理人業務をきちんとこなしていないのはけしからんと言われた。その人はパンパンになったそのポストを見ていつもイライラしていたと言われる。一方的に、命令口調で指示をされたが、「はい分かりました。すぐに片づけます」とは言えない。個人情報保護に違反するからだ。そうかといって、その人にたいしてそれを盾に自己主張をすると、けんかになる可能性がある。どうしたものかと思案していると、「すぐにやっとけよ」とたたみかけられた。私は無性に腹が立った。というのは、マンションの管理人には守秘義務がある。会社からも集合ポストは管理人が勝手に開けてはならないと言われている。封書が紛失したというような問題が発生すると大変なことになる。すぐに始末書を書かされる。さらに1年に2回そういうことがあると、解雇されるのだ。これは何もマンションの管理人に限らないと思う。どこの会社で最近は守秘義務の順守はとてもうるさく言われているはずだ。外部の人や他の居住者に、ある特定の居住者の名前や勤め先、家族構成、噂話などは軽々しくしゃべってはならないのだ。知っていても知らないことにしておかないといけないのだ。この人は守秘義務については、どう考えているのだろうか。社会的にも世間によく知られた大会社に勤めておられ、さらに役職者でもある。常識的に考えて、守秘義務の順守はよく知っておられるはずだ。知った上でそのようなことを言われるということは、管理者として失格ではないのか。会社でも部下に対して、叱責、指示、強制、批判、脅迫の態度で接しておられるのではないかと思った。こういう場合はどう対応したら良いのか管理会社の担当者に聞いてみた。やはり居住者にそう言われたからと言って、「はいすぐやります」と言ってはいけないと言われた。その上で、そのポストを開けていない人はどういう人なのかと聞かれた。その人は、今は一人身の人で、仕事で家を空けていることが多い人である。それなら、その人の玄関口にメモを入れてくれと言われた。「集合ポストが郵便物やチラシなどでいっぱいになっています。郵便屋さんや宅配業者の人が入らないと言っておられますのでときどき開けて見ていただけませんでしょうか」それで少し様子をみましょう。それでも放置したままだと、今度はその方から許可をもらって会社の方で処理する方向で考えてみましょう。こういうのは守秘義務の例外です。その時は、必ず管理人と会社の人が立ちあいで集合ポストを開けて、必要な封書と広告などのチラシを区分けしてゆきましょう。決して一人で行ってはいけません。誤解を生む元です。なるほど。このようにどうしたらよいのか分からないときは、自分が訳も分からず独断で判断して対応してはならないのだ。しかるべき人に相談して将来に禍根を残さない対応をしなければならないと感じた。苦情を言ってきた人には、次のように言っておればよかった。「確かにパンパンですね。これならイライラされるのも無理はありません。でも私には守秘義務が課せられており、今ただちに集合ポストを勝手には開けられないんです。すぐに管理会社に相談して指示を仰ぎ、どうするかは1両日中に必ずお知らせします。ご心配とご迷惑をおかけいたしますが、しばらくお時間をいただけませんでしょうか」まず事実を認める。そして守秘義務について話す。どうしてよいか分からないので、管理会社と協議する。その結果を早急に連絡する。一人でその苦情を言ってきた居住者に腹を立てて悩むことはなかったのであった。でもとっさの場合は、そのような対応は難しいなとしみじみと感じました。
2016.10.15
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先日よく知っている人から心の悩み相談の電話があった。私はアドバイスを抑えて、傾聴、受容、共感の態度で臨んだ。プライバシーに配慮して話を脚色して紹介すると次のような内容だった。その人は今年初め蓄膿症の手術をしたそうだ。ところが術後の経過が悪く、今も鼻の奥に何かが詰まっているようで憂うつで仕方がないという。それが気になり大学病院をはじめいくつもの大病院で検査を繰返してきた。CTを何度も撮ったが、どこでも手術そのものは問題がないといわれている。主治医ではないある医者は、手術は完全に成功している。鼻の手術は完治してスッキリするまで時間がかかる。その間苦しいでしょうが、何ヶ月か経過するとよくなると思うので粘り強く待ちましょうという。その間は1ヶ月に一回の割合で診察を受けてくださいと言われたという。でも本人はいまだになんか詰まっているような気がして、違和感があるので苦しくてやりきれない。そうこうしているうちに、明け方から午前中なんともいえないイライラ、体のだるさ、下痢、朦朧感、発狂するのではないかという不安がある。このまま死んでもいいように思うこともあるという。その他自分のつらさや苦しみについて私に対してこんこんと説明された。心のつらさに対して、心療内科にかかり短時間型の抗不安薬デパスを処方されているという。毎日3錠飲んでいるが症状はどんどん悪くなっているような気がするという。他の病院ではいろんな薬を処方されたが、薬を飲んだことで副作用が強く現れたことがあるので、恐ろしくて飲めないのだという。そんな最中5月にはバイク事故で意識不明になり救急搬送されたことがあった。幸い命にかかわる事故ではなかったということだ。でも後遺症が残っているような気がするそうだ。さらに最近実の母親が亡くなり大きなショックも受けた。精神的な支柱を失ったような気がする。度重なる不幸が襲い、生きていることが空しくなり毎日泣いて暮らしているという。でも家事はなんとかこなしておられるようだった。私は精神科医ではないので病気の診断はできない。私にできることはその方の悩みに寄り添って、悩みを聞いてあげることだと思っていた。自分のアドバイスは控えて、相手に寄り添って分からないことを聞いていった。その時間は45分だった。最後に悩みを思う存分吐きだしたので、少し気が楽になったといわれていた。相手に寄り添って話を聞いてあげるというのは、アドバイスをする以上の効果があると思った。その方は兄弟からこの際思い切って精神科にかかってみたらと言われたという。鉄の柵の部屋に収容されるようなイメージがあり恐ろしいといわれる。でもここまできたら自分もそうしようかと思っていると言われた。近くでどこの病院がいいでしょうかと質問された。その方はインターネットはやっておられないということでしたので、早速検索して教えてあげた。休み明けに電話で予約をしてみますということであった。なんとか心の苦しみが少しでも軽減できることを祈るばかりだった。
2016.09.19
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生活の発見会というところは、いろんな資格を持った人がいる。弁護士、医師、臨床心理士、税理士、1級建築士、社会保険労務士、司法書士などはよく聞く。合格した人はコツコツ受験勉強を続ける粘り強さのたまものである。読者の人の中には、会社の人間関係、人権を無視したような過大なノルマ、毎日のサービス残業に嫌気をさして、資格をとって、独立開業を目指す人もいるかもしれない。独立開業したいという人からときどき相談を受ける。しかし独立するということは大変なことだ。我々はどちらかというと、対人関係を避けてきたために、営業力が足りない場合が多い。親のあとを承継する以外に、独立開業する人は営業力の有無か勝負を決する。一部の資格を除いて、独立することは人に頭を下げてお願いすることが多い。また、人からプライドを傷つけられるようなことを言われても、すぐに水に流すことができない人は難しい。営業に足が向かなくて、事務所でお客を待っているか、インターネットでクライアントを集めようと思っている限りでは絶対にうまくいかない。また開業するにあたっては関係各所に人脈を広げてネットワーク作りをしないと難しい。人脈がないとステップアップのための勉強会、業務の相談をしたり、仕事を融通し合ったり、苦情処理などのトラブル回避ができない。これらがすべてクリアできる人は独立開業も有望だ。私の取得した社会保険労務士資格試験であるが、同じ受験専門校から20数名合格した。もう10年以上も前の話だ。ときどき風の便りでうわさを聞くが、独立開業して従業員を雇い、年収2000万円を超えている人が2人いる。一人は街中の一等地のビルに事務所を構えている。もう一人は大手の会社を顧問先に持ち、依頼を受けて講演にも走り回っている。残りの人は、そのまま会社に残り人事・総務部などでその資格を活かしたりしている。こういう人が比較的多い。銀行、農協、郵便局などで年金相談員、貯蓄相談員などをして仕事をしている人もいる。ところが悲惨なのは独立開業したにもかかわらず、年収が300万円にも満たない人が多数おられるのである。なかには100万円にも満たない人もおられるようだ。顧問先1軒もてば、基本的には月3万円が理想である。それを30軒確保すればまず成功といわれている。でも労働関係、社会保険関係の仕事を外部に委託している会社は少ない。また外部に委託している会社は、すでに他の同業社会保険労務士が入り込んでいる。その顧問先を奪わない限り自分の顧問先は増えない。これは騒動のもとになり実際にはとても難しい。それでもどうしても資格をとってみたいという人の相談をうけることがある。どうすれば無理なく資格を手にすることができるのか。私は今まで次のような資格を取得した。国家資格として、社会保険労務士、行政書士、宅地建物取引主任者、1級ファイナンシャルプランニング技能士(資産設計提案業務)、民間資格として、日本ファイファイナンシャルプランナーズ協会のAFP、CFP、メンタルケア学術学会のメンタルケア心理士などである。これらはとても難しく思われるかもしれないが、コツがある。それをつかめばだれでも取得できると思っている。でも私はこれらの資格を取得しようと思ったら、お金も自分の時間も犠牲にすることになるので、本当に自分がやりたいこと一つに絞ること。私のように幅を広げて、たいして役に立てず「死格」にだけはしてはならないと思う。お金も時間も無駄になる。その上でアドバイスするとすれば、合格にあたっては合格者を多数輩出している受験校のお世話になること。お金がかかるが、独力で合格することはまず不可能だと思う。受験校は名物講師がいる。その指導にすがることだ。ノートの作り方、受験テクニック、教え方、生活の仕方まで丁寧に教えてくれる。さらに専門校は試験に出そうなところは何年にもわたってよく分析している。それを問題にして模擬試験をおこなっている。それらを反復して学習することだ。試験でそれ以外の問題が出ても、受験者みんなができないと思うことだ。またたびたびテストがあり、優秀者の成績が張り出されるので励みになる。問題は反復して何回も繰り返す必要がある。受験校に行くと学習仲間が自然にできる。励まし合ったり、いろんな情報や学習方法が手に入る。勉強時間はそれぞれの資格に応じて、合格までの最低必要時間がある。それをもとに計画を立てて、年、月、日々の学習時間を設定する。つぎに完璧を目指さないことも大切だ。国家試験の合格はおおむね60%である。また難しい問題は標準偏差値を使っての救済措置もあるので安心して学習に取り組むこと。あとは目標に向かって粘り強く実行することである。どうしても欲しい資格は1年から3年以内を目標にして短期勝負した方が効率がよいと思う。
2016.08.28
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先日大阪の街で感じたことを書いてみたい。大阪でエスカレーターに乗るとみんな右側に並んでいる。左側は空けていてそこは急いでいる人が、歩くところである。エスカレーターに乗ってまで急がねばならないという雰囲気があるのが大阪と言う街である。事実何人もの人が私を追い越して行った。私の住んでいる広島では基本的に右に立とうが左に立とうが自由である。そもそもエスカレーターは立っていれば自動的に動いてくれるものだから、それに輪をかけて急ぐ必要はないと考える。急いでいても、前に人がいれば、そこで立ち止まってしまうのが普通だ。「お兄さんどこに立ってますんや。どいてんか」と言われるようなことはない。「狭い日本 そんなに急いで どこへ行く」という川柳を教えてあげたいと思った。次に、電車を待つホームや電車内でやたらスマートフォンを操作している人が多い。これは広島でもよく見かけられる光景である。確かに対面式の電車内では前に知らない人がいると目の置き場がない。以前は狸寝入りか本を読むか、あるいはあちこち視線を移動させていた。それが今はスマホに変わったのである。でもホームや歩きながらの操作はどういうことなのだろうか。そんなに急いでメールチェックをする必要があるのだろうか。急いで情報をとる必要があるのだろうか。あるいは外出してまでゲームにはまっているのだろうか。そうだとするとゲーム中毒ではないか。それから地下鉄に乗ると「女性専用車両」というのがある。私は何も分からず「女性専用車両」にのってしまった。当然女性ばかりである。吊革に大きく書いてあったので、次の駅で移動する羽目になってしまった。これは女性に自由に化粧をしてもらうためのサービスの一環なのだろうか。それなら鏡やレースのカーテン、一輪ざしでも飾ったらどうか。それは違うだろう。ずばり痴漢対策なのだろうと思う。事実不審な迷惑行為をしている人を見つけたら駅員に一報してくださいとなんどもアナウンスされていた。迷惑行為とは奇声を発したり、スリを働く人のことでもない。これは内外に向かって「大阪は痴漢大国ですよ。女性の方は注意しましょう」とアピールしているようなものではないだろうか。男性は肩身の狭い思いをしていることだろう。小さな親切大きなお世話と言いたい。「女性専用車両」は大阪の風物詩だなと思わず納得してしまった。地下鉄中央線堺筋本町の先の中央区公民館にいった。その前の道路に驚いた。一般道の上に高架道路があった。それはどこでも見られる光景である。そこにはその上にさらに高架道路が作られていた。そんなに折り重なった空中道路を作りあげても大丈夫なのかと思った。大阪には有名な上町活断層がある。地震が起きたとき倒壊する恐れはないのだろうか。倒壊するとそれだけでも大変な被害となる。また大阪には格子状に地下鉄網が張りめぐらされている。交差するところは地下鉄の線路の下にさらに地下鉄が走っていることになる。災害が起きたときに大変な惨状が発生することにはならないのだろうか。災害の後で見直しても遅いのにと思わず思ってしまった。以上大阪では日本の縮図を見せられた気がする。それは人々をスピード、効率性、物質至上主義、儲け主義一辺倒で追い込んでいく日本社会の最先端の姿である。もっと早く、より多くの正確な情報を集めよう。人に後れをとったら落後者になる。人との競争には勝つ以外にはない。もっと先を急いで一刻も早く目標に到達しよう。もっと効率性を高めよう。もっと安いものを、もっと美味しいものを、もっと刺激のあるものを、もっと楽しいものを。もっと、もっと、もっと・・・・・。そのためにストレスが溜まりに溜まっている。その姿はいつまでも飽きずに糸車を回し続けるハツカネズミを連想させる。たえず物に憑かれたように常に動き回ることで、心の安定を得ている。このハツカネズミにそんなに糸車を回すのは大変だろうからと言って、モーターを取り付けて補助すると大変なことになる。すぐにストレスを起こして生きていけなくなるのである。大阪の人にも同じようなことが言えるのではないか。生きていく中で身につけた体質のようなものである。暇がある。お金がない。何もすることがない。遅い。もたもたする。要領が悪い。考えすぎ。等はご法度なのだ。それだけは絶対に避けなければという無意識の共通認識が成立しており、それに向かってみんながいっせいに突き進んでいる。あなたにたっぷり時間を与えます。最低限の食料水はあります。条件はこの部屋を出ないこと。自由に自分のやりたいことをして充実した時間をお過ごしくださいと言われたとします。たえず、視線を外に向けて、動き回ることで精神疾患に陥らないように心の安定を得てきたものにとって、これは過酷な拷問のようなものです。精神の安定構造がガラガラと崩壊していくのが目に見えるようです。こうしたもっと、もっとと追い立てられる以外の生き方はないのだろうか。これは決して大阪の人を批判しているのではない。自分たちの暮らしぶりを見直すヒントにしてもらいたいのだ。心証を害した大阪在住の方には心からお詫びしたい。
2016.07.13
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5月9日に投稿した、「メンタルケア心理専門士」の認定試験の結果が届いた。学科試験、課題レポートとも合格判定だった。ダメだと思っていたので、思いがけない結果にうれしかった。来月7月10日に大阪で最終面接試験がある。これに合格すれば、カウンセリングの開業支援が受けられる。今度は口頭試験なので、一問一答問題をぬかりなくこなして、一発合格をねらいたい。ところで明日からは総勢8名で1泊2日で伊勢志摩に行くことになっている。ホテルからチンドン屋のイベント要請があったのである。商店街の練り歩きとホテルの宴会場で2回の公演がある。練習は100%こなしたが、本番では80%の出来で良しと思っている。楽しんでこようと思っている。
2016.06.17
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最近気づいたことが3つある。太陽の出る位置。正月から比べるとかなり北から昇ってくる。正月の初日の出の写真を撮ってこのブログに載せた。その時は家の前のマンションの屋根の上から昇っていた。それが今日見ると、そこからその写真の左端のさらに2倍も北から昇っていた。調べてみると私の住んでいるところでは、1月1日の日の出は7時16分、日の入りは17時10分。6月12日は日の出4時57分、日の入りは19時23分となっていた。日の出の差は2時間19分である。日の出に合わせて目が覚めるので得した気分になります。時が経つのは早いとしみじみ感じます。私は朝日をいっぱい浴びて体操をしています。東向きというのはいいですね。次に以前よりトイレの流し水を貯めているタンクの中が汚れるのが気になっていた。ヘドロのようなアクがたくさんできている。またタンク内が真っ黒になって汚れている。定期的に柄のついたタワシでこすっていた。ひよっとするとマンション内に供給されている水が汚れているのかと大変気になっていた。詳しい人に聞いてみた。すると、その原因はカビの発生にあるということだった。トイレを使った後タンクに流れ込む水で手を洗ったりすると、手についていた汚れや皮脂などがタンク内に流れ込む。カビはちょっとした栄養物があればすぐに繁殖するということだった。対策として手は洗面所で洗う。タンク内に防かび剤を入れておくことだそうだ。あとはエアコンのフィルターと同じように、定期的に掃除を怠らないことだ。ちなみにマンションは地下受水槽から屋上の高架水槽にポンプアップされている。そこから各戸に給水されている場合が多い。その過程でカルキが抜けて雑菌が入ったり、赤さびが入り込んだりするケースがあるということだった。飲み水の蛇口には洗浄機があった方がよいということでした。次に私の入っているブロバイタ―からこんな案内が来た。NHKで放送されたドラマから、ドキュメンタリーや情報バラエティまで、様々な番組が楽しめるサービスです。見逃してしまった番組やニュース番組、そしてもう一度見たい過去に放送した番組を、いつでも好きな時間に視聴することができます。NHK見逃し見放題パックは月額900円(税抜き)だそうだ。NHK総合、Eテレ、BS1、BSプレミアムで放送している番組から、 最近放送した大河ドラマや連続テレビ小説など、月々500~600本が見放題。放送当日または翌日から約14日間(一部の番組を除く)、ニュース番組が1週間視聴できます。これならこまめに録画を心がけていればなんとかいけそうだ。あまりメリットは感じない。次にNHK特選見放題パックも月額900円(税抜き)過去に放送され、保存されているNHKアーカイブスから、厳選した大河ドラマや連続テレビ小説、貴重なドキュメンタリー番組など、約5,000本が見放題。 配信期間中、何度でも視聴できます。単品購入1番組100円(税抜き)より見逃した番組を単品購入できます。これは番組内容が分かればきっと視聴したい番組があるような気がする。私は以前から、過去のすぐれた番組は、安価で見れるサービスがあればよいのにと心待ちにしていた。特に宇宙の成り立ち、人体の不思議、人間の進化、人間の歴史、資本主義の歴史、人間の欲望、戦争の原因、環境破壊、人生の達人、NHKスペシャルなどの番組である。今はまだ加入する予定はないが、成行きを注視してゆきたいと思っている。
2016.06.13
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もうすぐ菖蒲が見れますね。可憐で清楚な花だと思います。
2016.06.03
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5月27日17時過ぎ、オバマ大統領が広島にやってこられた。私は会場の平和公園近くで会議が同時刻にあったため交通渋滞に巻き込まれた。オバマ大統領は岩国の米軍基地から旧広島西飛行場にヘリコプターで来られた。安倍総理は旧広島市民球場にヘリコプターでやって来られた。その間広島電鉄はストップ。道路規制もされた。原爆ドーム前は完全封鎖であった。そのため大渋滞になったのである。各県の警察官の応援体制はすごかった。なかには熊本県警、警視庁の制服を着ている人もいた。熊本県警の人は地震対応で忙しかったでしょうが、応援要請がきたのでしょう。かなり離れた高速道路出口では沢山の警察官が検問を行っていた。さて、オバマ大統領の広島滞在時間は50分であった。その日のうちに帰国するという。50分の中身は、原爆資料館の見学に10分、演説に17分、その他献花、原爆被害者との会話などであった。あっという間の出来事であった。ともあれ現職のアメリカの大統領が、国内の軍人の反対を押し切って広島を訪れたことは驚きだった。来年1月任期切れとなるので思い切った行動ができたのだという人もいる。オバマ大統領は核なき世界の実現をプラハでおこなってノーベル平和賞をもらっている。その一環なのだろうか。しかしロシアと並んでアメリカは最大の核兵器保有国である。それ以外にもイギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、北朝鮮、イスラエルが保有国となっている。またアメリカはドイツ、イタリア、オランダ、ベルギーに核弾頭を実戦配備している。日本は使用済みプルトニュームを多量に抱えているし、アメリカの原子力潜水艦が日本の港を母港としているところを考え合わせると実戦配備されているのと何ら変わりがない。そして一番の問題は、それ以外の現在戦闘地区の国などが核保有国になっている可能性があることだ。特にIS等が保有していると大変なことである。どこかで暴走するという可能性は大いにあるということが非常に不気味である。仮に一発大都市に向けて発射されれば、必ず報復措置を受ける。すると人類の滅亡はにわかに現実味を帯びてくる。これほど核保有国が増えてくると核を持たない国は交渉で不利になってくる。交渉できないということは、その国に経済的にも精神的にも支配されてしまうということである。だから今となっては核のない社会を作るというのは絵に描いた餅を食べようとするようなものである。現実的ではない。もう核を持ってはならないということを宣言しても何の意味もないと思うのである。だったら核が暴発してもよいというのか。そうではない。そうなれば70億ともいわれる全世界の人が絶滅してしまうのである。そういうジレンマの中にわれわれは生きているということである。私はオバマ大統領に原爆資料館を時間をかけて見てもらいたかった。10分だけでは短すぎる。外相会議後にケリー国務長官は時間をかけてみておられた。あそこに入り時間をかけて見ていると、原爆の悲惨さがよく分かる。出たときには、誰でも核戦争は絶対に起こしてはならないという気持ちになる。原爆で亡くなった人は、命をかけてその悲惨さを今に伝えてくれているのである。原爆慰霊碑には、「安らかにお眠りください。過ちは繰り返しませぬから・・・」と刻まれている。本当に過ちは決して起こさないと約束できるのであろうか。このことを実践するためには、核保有国の大統領や首相等が広島や長崎の惨状を直に見学して決意を新たにすることしかないのではないかと思うのである。それ以外にも全世界の人に原爆資料館を見て核爆弾の恐ろしさを感じてほしいのである。
2016.05.28
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今日は食事のことについて書いてみたい。私は以前、「水分の摂り過ぎは身体を冷やす」という内容の本を読んで、昼間水分を出来るだけ我慢していたことがあった。するとしばらくして尿道結石なった。明け方下腹が痛み出して救急車で病院に運ばれた。尿道結石の痛みは原因が不明の時点では死ぬほどの痛みがある。後で思ったことは、たしかに水分の摂り過ぎは「水毒」といわれるぐらい身体にはよくないのだと思う。体が冷えるもとになるからだ。しかしこれも程度問題である。基本的には適度の水分を補給しないと生理的に身体の変調を招く。ほどほど、中庸を心がけた生活が一番大切だと思う。私の場合はこれがいいと思うと、後先考えられなくなり、盲目になり突っ走ることころがある。これが神経症で苦しんできた一因にもなっているようだ。普段の食生活は基本的に次のようなものだ。もう10年ぐらいにはなると思う。現在朝はニンジン・リンゴジュース一杯だけで済ませている。昼は塩コンブと梅干しを添えて玄米ご飯を軽く一杯。あとはみそ汁である。夜は自由にしている。ほとんど晩酌をしている。といっても350ミリのカロリーオフ、糖質ゼロ、プリン体なしのビールを1、2本飲んでいる。つまみはピーナツだ。たまに焼酎のお湯割り、日本酒を飲むこともある。こちらは少しだけだ。後は刺身が好きなので、イカやタコ、かつおのたたき等をよく食べる。その他小魚をよくたべる。肉は豚肉を少々食べるぐらいだ。野菜は必ず食べている。冬は筑前煮など。夏はトマト、キユウリ、なす等の果菜類が多い。生野菜も多い。その他漬物もよく食べている。間食はせんべいをかじることもある。基本的には間食は控えている。間食をすると太るような気がする。昔の人は一汁一菜の食生活であったという。私もこれがいいのではないかと思っている。私は主食にはこだわりがある。ご飯の基本は玄米ご飯である。それに五穀米を混ぜている。それ以外、週1回は、白米をちらしずし、竹の子等のかやくご飯、チキンライス、カレー、手巻きずし、握りずし等にしている。麺類が好きなので、つけ麺、冷麺、ソーメン、ラーメン、日本ソバ、ナポリタンのスパゲッティなどもよく食べる。特にこの時期は広島発祥のつけ麺が最高である。湯がいたキャベツをたっぷりつけている。トウガラシの効いたタレにやみつきになっている。こんな具合に週に一回ずつは麺類、変わりごはんを楽しんでいる。これになめこやあさりの味噌汁、または豚汁やけんちん汁のようなものがあれば最高の贅沢である。アレンジを工夫すれば、いろいろと食事を十分に楽しむことができる。ただ、私の食事は、孫のような若い人には決して勧められないものだと思う。孫は朝ごはんをしっかり食べたほうがよいようである。代謝能力が落ちてきた私のようなものだからこそ合うものだと思う。あと健康面では毎日のように階段を上り下りする運動がいいような気がしている。今のところ生活習慣病の結果では目立った大きな障害は発生していない。
2016.05.24
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