2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全24件 (24件中 1-24件目)
1
鳴らない目覚まし時計で只野が目を覚ますことは以前書いた。最近、その目覚ましの調子がよい。時間通りに鳴ることが多い。 その朝も只野は寝ながらも構えていた。起床30分前である。まだ大丈夫だ。 次の瞬間である。起床時刻を30分オーバーしている。これはいけない。急いで床を出る。朝飯は車の中でとればよい。何とか出発時間を合わせることができた。 出発して、軽くため息をついたところで、只野は目を覚ました。こういう夢のいたずらはいけない。 目覚ましは起床5分前を指している。もう少し時間がある。しかしこれはすでにカウントダウンの時間である。 どうせまた鳴らないぞと構えている。3分前くらいになる。鳴るわけがない。1分前である。鳴らない鳴らない。只野は思いこむことになる。 そのとき不意に「チンチン、チンチン…」と鳴り出すことになる。只野は思わず飛び上がる。鳴らないと思いこんでいるだけに、びっくりすることになる。 しかし、もうお気づきであろう。目覚まし時計は、別の意味で只野の目を覚ましているのである。
2006年01月31日
コメント(22)
只野はたまにコイン精米所を利用する。米30kgは相当重い。 その日はかなり雪の積もった午前であった。いつものように車を精米所の横に付ける。そこには手順が記してある。300円を入れる。玄米を入れる。ボタンを押す。それだけである。あとは待つだけである。 只野はふと外に目をやる。雪景色の中の雀の集団である。何かしら新鮮である。雪景色の中で鳥を見たことはそうそうない。 只野はちょっと親しくなりたいと思った。さてどうするか。次の瞬間に答は出る。要は米粒がほしいのである。雀たちはそのために集まっていたのである。 米粒をちょっとおいてやる。雀はすぐに来ない。しかし只野が引いて様子を見ているとやってくる。大丈夫だ。ザルの仕掛けなどしていない。 只野は、雀たちの米粒を啄む姿がうれしかった。出来たてだぞ、まだあたたかいぞという自負があった。 戯れて後、只野は用事を終え帰路につくことになる。外は寒いが、心の内はちょっとあたたかい感じがした。
2006年01月30日
コメント(20)
只野は一応サケノミである。花が咲いて実になるわけではない。 サケノミは翌日後悔することが多い。後悔するくらいなら…などと言われそうだが、これは必然的な後悔であると思っている。 昨夜の宴会を途中から覚えていない。そんなときは、後悔に加えて心配まですることになる。まず財布を見る。減っていたら安心する。 その次に、痛い頭で昨夜のことを思い出そうとする。しかしこれは無駄な努力である。後日同僚との話の中で「オレはこんなこと言っていたのか」などと思うことになる。 昨夜の宴会を覚えている。そんなときは「何であんな思い切ったことを言ったのだろう」と後悔することになる。しかし言ったことは仕方がない。結果として「只野は思い切ったことをする男である」との風評になる。 サケノミは、その最中決して後ろを向かない。しかし明けてからは後ろばかり気にするのである。
2006年01月29日
コメント(20)
その日只野が帰宅すると、テーブルは「カニさんカニさん」状態であった。ズワイガニである。こいつは美味しい冬の味覚である。 カニさんを目の前にするときには、その前にするべきことをすべて済ませないといけない。いったんカニさんにかかると手が離せないことになる。 したがって、カニさんで一杯と言うわけにはいかない。カニさんを食すことに集中するか、一杯飲みながら、カニさんを食す人々を見ることに集中するか、いずれかになる。 その日は、意を決してカニさんを食すことにした。最初が肝心である。左右5本の足をひとまとめにして甲羅からはずす。そのことでミソと汁を甲羅に貯めることができる。 足を手前に折るようにして引っ張れば身は筋と同時に抜ける。ただしゆで方による。下手なゆで方だとそうにはならない。 カニさんで食べてはいけないところが2ヶ所だけある。一つは胴体の中にある「ビロビロ」である。只野はそう呼ぶ。実際見てみればすぐにわかる。名前と形態が一致している。もう一つは殻である。食べるには固すぎる。 カニさんを食すときには、もう一つ大事な覚悟がいる。それは次の日の朝、手のひらの匂いをかいてみればわかることになる。 只野の場合、次の日の朝、手のひらの匂いを気にしながら、キーボードを打つことになる。 しかし、カニさんの美味しさには勝てない。
2006年01月28日
コメント(26)
人間、誰も見ていないと思うと、思いがけない衝動に駆られるものである。 電車において、通路を挟み対面席に座る。対面に人は座っているが下向きである。その人は例によって「ウツラウツラ状態」である。只野は鼻がかゆくなる。さりげなく鼻に手をやる。しかし引っかかり感がとれない。ふと鼻の穴に指が入る。その瞬間に対面の人は正面を向く。 「アラ!ミテタノネ~」 仕事場の廊下である。そう人は歩いていない。思い出す必要はないが「最近運動不足だな」なんて考える。思わずスキップなどしてみる。あぁいい運動をしたと思い、部屋のドアに手をかけたとき、後ろを見る。誰もいなかったはずの廊下に女性が歩いている。こちらを見ている。 「アラ!ミテタノネ~」 エレベーター内に一人である。誰も見ていない。思い切って「フォ~」なんてやってみる。しかしエレベーターの扉は予告なしに開くことになっている。 「アラ!ミテタノネ~」 世の中、どこに目があるかわからないことになっている。
2006年01月27日
コメント(26)
只野にとって、朝の時間は大体計算できる。出発の20分前から支度にかかることになる。測らなくても支度は20分間である。 通常は7:30に出る。したがって7:10に支度にかかる。路面凍結や電車通勤のときは7:00に出る。したがって6:40に支度にかかる。ちょっと混んでるなと予想するときは7:15に出る。したがって6:55に支度にかかる。 20分間の支度で何をするか。トイレに歯磨き、洗面、着替えである。化粧はない。洗面には髭剃りを含む。風邪引きのときはイソジンによるうがいを含む。 トイレの時間は貴重である。考える人である。いろいろ考える。思えば只野の発想の多くはこの時間に生まれている。出すべきものを出し、生むべきものを生む。これはある種の新陳代謝である。 トイレで新聞は読まない。読んだ新聞の記事を後日、弁当箱に巻かれた古新聞で見つけたりすると都合が悪い。 こうして20分間に、只野は仕事人へと変身することになる。
2006年01月26日
コメント(26)
冬のこの時期、澄んだ星空にお目にかかることがよくある。寒ければ寒いほど澄んで見える。そういう意味では、素敵なものはただで見せてくれない。 只野の知るものは数少ない。オリオン座とカシオペアくらいである。北斗七星はたぶんあれだろうと思っている。北極星はあれじゃないかぐらいに思っている。 星空を2人で眺めることほど難しいものはない。「ほら!あの星」「どれ…その星の横?」「その星はどれ?あの星は、そこに見える星の横だよ…」なんてことになってしまう。星空において、お互いの見るものはわからない。 その点、プラネタリウムは都合がよい。解説とともに光ってくれる。本当の星空も矢印とともに名前が付いていると都合がよい。しかしムードは台無しになる。 「ほら!あの星」というのは、一人で見上げて楽しむのが一興かも知れない。もっとも2人で眺めて、見ている星は違っていても心は通っているつもりなら、それも一興であるが。
2006年01月25日
コメント(24)
只野はここに来て風邪をひいている。インフルエンザかどうかは知らない。医者に行っていない。熱も測っていない。 昨日は悪寒もした。これはアカンと思った。特有のだるさもあった。明日は休暇かも知れないと思っていた。 家ではビールを飲む。余計寒くなる。これはいけない。そこで焼酎のお湯割りにする。これがよろしい。たちまちにしてあたたかくなった。これはオススメである。 ここは寝るのが一番と決め込むことにした。ここ2日ほど夜9時に寝ている。いつもより3時間余計に寝ることになる。只野にしてみれば、普段6時間の睡眠である。したがって2日で3日分寝たことになる。2日で3日分飲むことはよくあるが、寝るのはそうそうない。 咳や喉の異変は相変わらずである。しかし少しずつ回復しているように感じている。2日で3日分飲んだときより健康であるような気がしている。
2006年01月24日
コメント(26)
只野の職場では毎年定期健康診断が行われる。これはその何年か前の話になる。 この定期健康診断、最後は内科医の診察がある。只野の記憶によれば、厳密にやり出したのはごく最近ではないかと思っている。 その日只野はすべての検査を終え、内科医の診察を受けることになった。 「お願いします」と只野が言う。 「じゃ少し聴診器当てますよ」と内科医。 「脱げばいいですか」「いやいやめくってもらえばよろしい」「はい」 聴診器を当てながら内科医は言う。「いやぁこの会社は、ウチの○○の従兄弟の○○も世話になっていて。なかなかいい会社で、あんたもいいところにおられるねぇ」 「あの前年度の数値でちょっと引っかかって…」只野は確かめておいた方がよいと思い、話すことになる。 「いや~あんたさんはどこの担当ですか?」あまり話は聞いていただいていないようである。只野はとりあえず問いに答える。 万事その調子で時間が経つ。「さぁいいですよ。頑張って下さい」内科医は言う。 「はい、ありがとうございます」そう言わざるを得ない。 内科医というもの、人を元気づける存在でなくてはならない。しかし只野の聞きたいことは棚上げになっている。聞きたいことを忘れ、元気にやっていけばいいのだと只野はその時判断した。
2006年01月22日
コメント(26)
その朝、只野は最寄りの駅まで歩いていた。駅までは30分歩くことになる。 駅まではひたすらまっすぐの道である。そこそこ大きな道である。いつの間にか街路樹も立派になっている。 歩きながら、只野にはいろいろな景色が目に入ることになる。 酒のディスカウントストアである。早朝のため店は閉まっている。店先が紅白シートで覆われていると、何となく目出度い感じがする。こういうのをサービスというのだろうか。 犬を散歩させる人がいる。犬が止まれば、止まらないといけない。犬が走れば、走らないといけない。こういう人は我慢強い人でなければいけない。たまに車窓からロープを持つ人がいるが、この場合は別である。犬は走ればいいというものではない。 そのうち30分が過ぎ、只野は電車の中の人になる。
2006年01月21日
コメント(22)
軍手というものは、シンプルにして汎用性があり、使い勝手がよい。 朝の通勤時は軍手をする。するのもはずすのも手軽である。見た目は気にしない。立派な手袋である。 除雪には欠かせないグッズである。 スコップの柄の赤地がついたりするが、所詮軍手である。 除雪しがけの指先の冷たさは十分カバーできる。除雪が佳境にはいると、指先はすでに暖かい。そうなると降りかかる雪の冷たさから手を守ってくれる。 灯油を給油するときにも使う。手に油が付かない。こいつがいったん手につくとなかなかとれないのでやっかいである。 こぼれた灯油をなでる。雑巾代わりである。 廃段ボールをまとめるときにも使う。。ちょっと汚いことなど気にする必要はない。ただし紐でしばるときには、軍手ははずす。 天神様や鎧甲人形を出すときやしまうときにも使う。出すときには床の間の埃を払うが、ちょっとしたところは軍手の手でなでてやればよい。またしまうときに人形などについた埃は軍手の手で包んでやればよい。 そんなわけで雑貨屋へ行ったときには、思わず軍手の束を買ってしまう。したがって家の中には軍手の束がごろごろしている。「また買ってきたの?」ということになる。供給が需要を上回っている。 しかし使い勝手のいい軍手は、使いたいときに得てしてないものなのである。
2006年01月19日
コメント(22)
つい1ヶ月前、積雪は1mに達するぐらいの勢いだった。毎日の仕事に除雪が加わっていた。 この冬はずっとこんな感じになると覚悟していた。戦々恐々としていた。愛用品のスコップは、玄関でいつでも出陣できる体制を整えていた。 然るになんぞこの天気は。3月下旬並の気温に雨が加わって、1mに迫らんとしていた積雪は一気に消えてしまった。バブル崩壊の様相であった。 あれだけ汗かいて除雪をした日々は何だったんだ。除けても除けても降り積もる雪にため息をついた日々は何だったんだ。積雪に耐えきれずに折れたピラカンサスは何だったんだ。 ついに折れたピラカンサスは顔を出していた。赤い実は雪の下でそのままの様子であった。見慣れぬ1羽の鳥がついばんでいた。 あれは何だったんだ。しかしあまり言うと天に届きそうなので、このくらいにしておく。
2006年01月18日
コメント(22)
只野は年に一度「ヤッパリソウダロ」と思うことがある。今年もそうだった。 只野は自分にツキがないことをはるか昔から思っている。宝くじなんて当たるわけがない。 頭の8割はそう思っている。しかし、たとえそれが自分で買ったものでなく、忘年会の景品でもらった1枚であっても忘れていない。 年末ジャンボの当選番号を待って、番号を確認してしまう。はずれである。「やっぱりね」である。 「ヤッパリソウダロ」は1月15日である。年賀状の当選番号である。当たるとは思っていない。その割に朝から「今日が発表日だ」などと思っている。 昼になる。すでに番号はでている。インターネットは便利である。昔はNHKの12時のニュースを見てメモしたものだ。 確認作業に入る。今年は愚息その3に確認作業を委任する。愚息その3は、早速作業を開始する。 結果は、切手シート4枚である。只野はこの瞬間を待っていた。 「ヤッパリソウダロ」 只野が我に返って、小市民の自覚を強くするまで、そう時間はかからなかった。
2006年01月16日
コメント(24)
その晩の夕食はしゃぶしゃぶになった。しゃぶしゃぶには昆布を1枚入れてダシをとる。 只野の家では、めったにしゃぶしゃぶをやらない。以前にお呼ばれで食べたときのことを愚息その3が覚えていた。折しも愚息その3の誕生日である。申し出を聞かないわけにはいかない。 いつになく競って肉を食べる状況になる。只野の場合は、桃屋謹製キムチの素を入れ、ダシをかけてタレにする。 一通り食べ終わったところで、只野はふと気づいた。「このダシで雑煮でもやればうまいんじゃないか」これを実行に移すことにした。勝負は次の朝である。さすがにしゃぶしゃぶのあとでは満腹で美味しくない。 果たして次の朝、雑煮を食べることができた。結果は大成功であった。残り物の方に福が多かったということになる。
2006年01月15日
コメント(24)
煩わしいことはスピーディに終わると気持ちがよい。 只野はその日、午前10時05分に散髪屋に入った。それはスピーディで有名な散髪屋である。 いきなり「4番の椅子にどうぞ」である。そう言われた只野は、焦ってコートを脱ぎ、指定の椅子に座る。 3~4分も待っただろうか。髪切り職人がやってくる。「今日はどうしますか」「周りはまっすぐ刈り上げて、上は(毛が)立つか立たないかでお願いします」只野が答える。 メインの散髪はものの5分である。少し時間が経ったなと思う頃には顔剃りも終わり、すでに仕上げに入っていた。 散髪は終了し、お金を払う。2000円でお釣りが来る。コートを着る時間がやけに長く感じることになる。 散髪屋を出て時計を見ると、午前10時25分になっていなかった。只野は遅い起床を取り戻した気分になった。 しかし同時に、ベルトコンベヤーに乗って組み立てられる電気製品の感覚にもなっていた。
2006年01月14日
コメント(20)
その日の只野はそれを言いたいわけではなかった。しかし思い出すうちに、そういえば13日の金曜日だったと思うことになった。 まず通勤である。ちょっと遅れた只野は渋滞にはまるだろうと予想した。天気予報によれば放射冷却で氷点下になるとの話であった。 しかし、さあ渋滞だなどと構えながら運転していると、サッと通り抜けてしまった。いつもなら性根を入れて聞けるラジオを聴けなかった。アレッという感じであった。 ここに来て実は、只野の仕事も、大雪、風雪、波浪注意報ぐらいの状態であった。そう簡単に決着つくとは思ってなかった。しかしその日が締めきりの仕事があった。 案の定、仕上げては再構成という感じであった。しかしなんとか暫定的に関門を脱することができた。 とはいえ、只野にとって今年の13日の金曜日は、うまくいきすぎて不吉な感じになる日になった。
2006年01月13日
コメント(18)
只野の町の大きな道路以外には、消雪装置が付いている。 おおよそ道路の真ん中に何mおきに、四方に水の噴き出す装置が付いている。雪が降り出すと、そいつは勢いよく地下水を拭きだし雪を解かす。解かしてくれる分にはありがたい。こいつのおかげで、消える雪も多くなった。 しかし、この水が雪を解かし最後に落ちるはずの排水溝は雪に弱いのである。シャーベット状の雪に詰まってしまうことになる。 その場合、道路はため池状態である。困るのは歩行者ということになる。歩くときにファッションは許されない。いくら派手なミニスカートでも丈の長いロングブーツが必要になろう。この場合のロングブーツは長靴である。 ニュースによれば、降水量0のところがあると聞いている。あるいは今シーズンの富士山は雪がないそうである。 只野はふと、大雪と渇水を天秤にかけることになり、大雪をとることにした。やっぱり水は貴重である。しかし、この時すでに消雪装置から流れる水のことは考えていない。
2006年01月12日
コメント(20)
只野は、ある実験をテレビ番組で見ることになった。小学校を受験する子ども100人に対する実験である。 なぞなぞ「このはしわたるべからず」を「一休さん」と同じように解釈して、真ん中を渡れるかどうかという実験である。 結果は1人として渡れなかった。テレビの中の人たちは、まぁ難しいくらいのことを言ったように覚えている。 しかし只野は別の思いであった。それくらい「お受験」を意識する子どもは「一休さん」くらいは読んでいるのであろうと思っていた。 したがって1人くらいは「これって『一休さん』でしょ。だったらまん中渡ればいいじゃん」などと言うと踏んでいた。しかしそういう子どもは1人もいなかったようだ。 「お受験のためには読書は必要ないんダナァ」只野は、本の売れないわけを期せずして実感した。
2006年01月11日
コメント(30)
正月があけると、大晦日がもう1日やってくる。只野はこの数年以上、そんな実感である。 明日から3学期、始業式イブである。あと○○時間で明日がやってくる。それまでに宿題を仕上げなければいけない。只野の宿題ではない。愚息の宿題である。 この日もそんな1日であった。愚息の残った宿題は応募作品である。ポスターをやると言い張る。1人が言い張るともう1人も同じことを言う。同じ題材でポスター2枚というのは難しい。アイデアが2つ必要になる。 昼食は手間なしの宅配ピザである。片づけも捨てればよいのでありがたい。年越し蕎麦のように長くはないので、長生きは関係ない。強いて言えば丸いので、丸く生きていけますようにである。 晩までには納まり、只野は無事晩酌を迎えた。除夜の鐘と紅白のないのがちょっと残念な気もする。 次の朝である。只野は目が覚めなかった。只野の頼みの目覚ましはもともと当てにならない。とにかく寝坊である。 これは、あけましてもおめでたくないことになる。
2006年01月10日
コメント(28)
ここしばらく、灰色の空から雪が降り続くという日が続いていた。除雪をするも、一通り終わって戻ると、最初のところはもう既に白くなっているという状況であった。 その朝只野は、妙に寒い感じで目を覚ました。こういうときの半端じゃない寒さは放射冷却現象に違いないとも思った。夜、雲がなく晴れていて、地表の熱が奪われる現象である。 同時に今日は晴れるなと思うことにもなった。寒気団が去った後はこんな感じになることが多い。 晴れれば気温はそこそこ上がるはずである。もちろん雪は降らないはずである。いよいよ太陽で雪を解かすことになる。 と言うことは本日は除雪はいらないはずである。久しぶりにゆっくりできるかもしれない。いや待てよ。今日は愚息たちの冬休みの最終日ではないか。ということは宿題の追い込みになるかもしれない。 只野はその朝、目を覚まして布団から脱皮するまで、そんなことを考えることになった。
2006年01月09日
コメント(22)
ずいぶん前のことである。ある一杯飲み屋の引き戸(出入り口ではない)に「思案荘」と書かれていた。只野はそのことをふと思い出すことがある。 その戸の奥に何があるか、事情を知らないうちは何となく気になっていた。もちろん安アパートというわけではない。 その事情は、すぐわかることになる。 「便所どこですか」指された場所は「思案荘」ということである。うまい表現である。確かに何となく思案していることになっている。 考えてみると、いいアイディアは便所にて生まれることが、只野の場合多々ある。この「壮年の森 放浪日記」という名付けも便所にて生まれたと記憶している。 便所にはおなじみの川柳である。 「急ぐとも 心静かに手を添えて 外にこぼすな 松茸の露」名句である。酔いしれることになる。酒に酔い、名句に酔い、ヨイヨイである。 最近の便所は小綺麗なデザインで、全自動である。清潔感は大事であるが、「思案荘」の風情というものも悪くないものである。
2006年01月08日
コメント(24)
只野は、普段腕時計をしない。一言で理由をと言われると「ものぐさ」と返す。 腕時計というのは、重く感じることになる。慣れればと言うが、慣れたくないというのが只野の意見である。 確かに腕時計の利点は、時間の確認が一瞬である。しかしあの拳を振り上げる仕草は好きになれない。強さを誇示するような感じになるのがよくない。拳でない人もいるよという話になるが、そういう問題ではない。手を開いていれば「空手チョップ」である。 したがって、只野は懐中時計である。いろいろ試してみたが、蓋が開くタイプは使い勝手がよくない。パッと取り出して「んっ十時だ」と確認できるのがよいし、見てくれも明快でよい。 然るに何ぞ「海中時計」とは。只野がG-shockのようないかにも重い腕時計をするわけがない。 例によって列車通勤の朝、ホームにてさりげなく懐中時計を確認する只野が、明日にも見られるかも知れない。
2006年01月05日
コメント(24)
1月4日、只野はこの年初出勤である。仕事始めをめがけて、雪が積もっている。晴れていたのは元日だったなどと思っている場合ではない。除雪をして車に乗り込むことになる。 相対する人はすべて「新年明けましておめでとうございます」という挨拶になる。とにもかくにも新年を無事迎えたことはめでたいことである。 仕事始めである。訓辞がある。なかなか厳しい状況であるという話を聞くことになる。いきなり期限付きの仕事にかかることになる。しかし、密かにまだ雰囲気は「春の海」である。いやいやそういうわけにはいかない。 恒例の昼食会である。ここは「春の海」のBGMを感じなければいけない。寿弁当である。中身は幕の内の正月版である。これを密かに松の内弁当と命名した只野である。 松の内は7日までであるから、7日まで松の内弁当だなと只野は思っていた。しかし7日が土曜日であることを知ったのは、それから数時間後の勤務時間終了後であった。
2006年01月04日
コメント(24)
「厳冬の 雪の師走を くぐり抜け 春は来にけり 青空のもと」 酔いの只野、本日はこれにて失礼。
2006年01月01日
コメント(24)
全24件 (24件中 1-24件目)
1


![]()